NII-Electronic Library Service
論
文
生
産
と
消 費
の
自
己
構
築
一タ イ
都
市
部
の
仏
教
運 動
に
お
け
る
瞑想 と教 団
イ
ベン
ト
ー矢
野秀
武
論
文要 旨本 稿 は、 タ イにおい て 巨大 な 寺 院 組 織
(
教 団)
へ と拡 大 し て き た タ ンマ カー イ寺 お
よ び タ ンマ カ ー イ財
団 を とりあ
げてい る。1970
年代
初 頭 よ り活 動
を 展開
してい る こ の教
団は、独特
な 瞑想実践
の思 想
、 マ ス メデ ィ ア の使 用、 大規 模 な 建 造 物の 建 立、 大々 的 な 教 団 イペ ン トの 実 施、 過 剰 な献
金要
求 などか ら問題視
さ れ、1998
年 末
か ら批判
が高
ま り、 タ イ 仏 教 史 上 重 大 な 社 会 問 題 となっ てい る。本稿
では、 そ の よう
な タ ンマ カ ー イ 問題 を 直接
は 扱 わ ない が、 こ の 問 題の 背 後 にあ
る消 費社
会 と宗 教
の接 点
か らタンマ カ ー イ 寺 と財 団の特
質 を 明 らか に す る。対 象
として は、 瞑想実践
、教
団 イベ ント
、 マ ス メデ ィア の介在
と、消 費 的
な宗教 行 為
の連 関 を取
り上 げる。 そ し て彼 ら
の宗教 的
な自
己構
築 と自
己 表象
の営
み が、都
市 部の高
学 歴層
が直 面
してい る、 生産
と消費
の 心性
の急速
な形成
、消費社会
と公的
な仏
教道 徳
の矛盾等
の 問題
を、独 自
の形
で乗 り越
える試
み であ
る こ とを
明 らか にす
る。 キ ー ワー ドタイ上
座 仏教
/
瞑想
/
教
団 イベ ン ト/
自
己構 築
/
消 費
の聖 化
1
は
じめ
に
1999
年の1
年 間 ほ ぼ 毎 日に渡 りタイ の 新聞 各
紙に報 道 され、 社 会 的に大 き な問題
とな っ た宗教 関連
の事 件
が ある。 そ の事 件
は、 タンマ カ ー イ寺 (
1
)という
上座 仏
教の 寺院
と そ の 財 団(
在 家 信 徒 に よ る組 織)
に 関 す る 問題 をめ ぐ る も の で あっ た。The
Nation
紙
の1999
年末
の社 説
で は、次
の よ うな こ とが書
かれ て い る 。タ
ンマ カー イ 寺の 住 職 は、 多 くの 人か ら羨
ま れ るほど大 成 功 した意
欲 的 な宗 教
と社会
Religion
&Society
2001
,VoL7
:111
−132
宗教 家
なの か、 それ
とも冷徹
な計
画の下
に信 仰
心を利 用
して利
益を貪
る極
悪 人 なの か。 タ イ 仏 教界
の 中 に今
まで に ない よ うな 分 裂 を招い てい るにも
関
わ らず、良
かれ悪
しかれ
、タ
ンマ カ ー イ寺
の住 職 は 自
らの意見 を変 え
よう
としない 。彼
の治
め る宗教 帝国
の規 模
は純 資産
だ けで も200
億
か ら400
億 バ ー ヅ と推 定
され(
当
時
1
バ ー ツ は約
2
.7
円。筆
者註
)
、何
10
万人
という
信
徒 を抱
えてお り、実
質 的 に 国 を 人 質 に取っ て い る よ う な もの であ
る。 タ イ におい て最 大の 宗 教論 争
で あ り、将
来 にお ける国 家の精神 的
なあ
り方 に 与 える影 響
を考
える と、 我 々国 内
部 門の編 集
部 と しては、 タンマ チ ャ ヨー(
住 職)
を 「今 年の有 名 人」 に掲 げ たい。
[
The
Nation
1999
.Dec
、22
:A2 ]
こ こ で取 り上 げ られて い る タンマ カー イ 寺 論
争
は、 その後
、 信 徒側
か らの反論
も相 次 ぎ
、本稿 執筆 時
(
2001
年 初 頭
)
にお
い ても決着
に 至っ てない。 ま た、現
時
点
で は論 争
の焦 点
が微 妙
に移 行
し、住 職
の役職 を降
りた タ ンマ チ ャ ヨ ー 比 丘 と その側 近達
に対 して 、 土 地 売買
にお け る献 金の不
正 利 用容
疑 に よる6
件
の 刑事
訴訟
[
Matichon
2000
.May
.13
:20
]
、 お よび教
義の異端 性
(
タ
ンマ カ ー イ寺
で は涅槃 を無 我
では な く我
であ
る と主張 す
る)
を
め ぐっ て元 住職
と現住 職 代行
が サ ン ガ法
廷 に告
訴
さ れ る(2
)とい っ た2
種 類
の裁 判
へ と収
斂 しつ つあ
る[
The
Nation
2000
.Oct
.12
:A3 ]
。 し か しこ の 論争
に 通 低 し、 また
当初の批
判の焦点
であ
っ た のは、 こ の寺
の過
剰 な献金 要 求
とそれと関連 す
る大 き
な 「教
団イベ ン ト」や 巨
大 で高価
な建 造物 建
立 な どの一連
の行為
へ の批 判
で あっ た。こ の
事 件
は タ イ仏 教 史 にお ける重 要 な事件
の1
つ で あり
、 その要 因 や経 緯
な どを明 らか にし、 タイ に お ける功 徳の 解 釈 問題、 奉 献の 問題、 公 認 宗教
とい う公 的宗
教の機
能 不全 、公 的
宗教
の内
部で の自
由 な信仰
活動
の限界
など論
じ るべ き事柄
は多
い 。 しか しそ の点につ い て は別稿
で とり
あ げるこ と と し、本稿
で は、 こ の よう
な事 件
の根底
に見
え隠
れ する、宗教
と消 費
お よび それ と連関
した 小 規 模 な儀礼
と 「教
団 イペ ン ト」 (3
)を議 論
の焦点
とす
る 。今
日の 日本
にお
い て も、宗
教 団 体 と献 金 や 奉 仕 を め ぐる問 題 は 大 き くなっ てお り、 か つ ての 地域 共
同体 を
中
心 と した 献 金 や奉仕
の姿
が変 容
し、 よ り個 人 的 に な り、 消 費性 を増 し、 ま た組織 員
とし て強 度
なコ ミ ット
メ ン トが要
求 さ れ る よう
に なる こ と な ど が 論 じ られ てい る{
島薗
1996
:103]
。 確か に、 奉仕
や 献 金 をめ ぐ る被害
の増
加 と問 題性 を
正 面か ら論
じる事
は 必要
で あ ろ う。 しか し 一 方で 、 当事
者
に とっ て宗教
的 な消
費 行為
に参
入 し てい く という
こ とが、 どう
いう意 味
を持
ち うるの か という
点 に112
NII-Electronic Library Service 生
産
と消 費の 自己 構 築 :矢 野秀 武
つ いて 明 らか にす る作 業
も必要
だろ う。 また、 そ の よ う な 宗 教 的 な 消 費 が、 「教
団
イベ ン ト」お
よび 小規模
で対 面 的
な儀 礼
(
修行
や治癒
儀
礼
な ど)
と どの よ うに連 関
し、 そ の よう
な儀 礼 的行 為
の連 関
が何 を も
たら
し て い るの か という
事
もあ
ま
り論 じられて こなか っ た。 そ もそ も 「教 団 イペ ン ト」 の よ うな 大規模
な儀礼 自
体
の研 究
が、都 市
の祭 り
(
祭 礼
)
研 究 は
別 に して、あ ま り
なされ
てい ない よう
に 思 え る。本稿
では
、消 費行 為 お
よ び教
団 イベ ン ト、また
これ
に関わ
る小規模
の儀礼 と
の連 関 と
いう視 点
か ら、タ
ンマ カ ー イ寺
の 活動 を論
じるこ とに した
い 。 そ こ から
、 問題性
のあ
る献
金 や奉仕
、お
よ び それ に関
連 する諸儀 礼
で あ りな が ら も、 そ の よ うな行 為
を積
極 的
に支 持
し て い く一 部の信 徒
達
が、 この よ う な行 為
を 通 じ て何
を行
っ て い るの かを 明 らか に す る。2
タ
ン
マカ
ーイ 寺
(
お よ
び
関
連
団 体
)
タ ンマ カー イ寺の 活 動 は、 い わゆ る都 市 新 中 間
層
を 中 心 に広 まっ た と言 わ れ て い る。 タ ンマ カー イ寺 は 現 在、 首 都バ ン コ クの 北 方の隣 県バ トム タニ ー 県に莫
大 な敷地
(
約
400
万 平 方メ ー トル)
を持
つ仏 教 寺 院
であ
る。1970
年 に 現 在の敷地
の一画 に瞑想
セ ンター を設 立 し、1978
年
には寺 院
登録
を許
可 さ れ、1980
年 には 得 度 式 な ど を行 え る浄 域 を備
え、名 実
共に 正 式な寺 院 と な る。後
に周
囲の 土地 を 買 収 し(4)、10
万 人規 模の儀
礼
を 悠々 と行 える ほ どの 大寺 院
へ と拡
大 して い っ た。 現 在で は、毎
年10
万 人 程 度の参
加者
を集
め る仏 教行 事
を年 に3
度 行 っ て い る。 こ の寺
の在 家者組 織
であ
るタ ンマ カ ーイ 財 団ば、1988
年初 頭に は 、国
内
73
県 中
50
県に支 部 を持
ち[
Zehner
1990
:4111
現在
で はさ ら に数 を増 し て い る と思 わ れ る。 ま た国外
10
力国
に も支 部(
年11
月現 在)
を有
し て い る。出家者
は、 僧 侶511
名
、 沙弥
226
名
、 財 団 職員 を兼 ねる男性 修 行 者108
名
、 財団職
員 を兼 ね る女 性 修行 者
307
名
がお り(
1997
年4
月時
点 にお ける長期 出
家者
の み の 人 数。筆 者
の 聞 き取
りに よ る。)
、 そ の他、 年 間約2
千名
の 短期 出家者 (
5)
がい る。 ただ し、 出家 者
を 除 き、 メ ン バ ー シ ヅ プ制
を とっ て い ない の で 、 自覚
的な信 徒が 実 際 どの く らい の 人 数に達 して い る か は、 は っ き りと しない 。 ま た各
地の 大学
で学
生仏教
クラ ブを設
立(
占
拠)
し て もい る。 た だ し、 先 述の よ うに1998
年 末 か らこ の 寺は、 献金 の強 要や違 法
性、 仏 教 教 義の 歪 曲、 土 地の 横 領な どの 問 題が取 り沙 汰 され、 大 きな社 会 間 題を引 き起 こ して お り、信徒数
も最盛
期113
N工 工一Eleotronlo Llbraryよ りは 減っ て い る よ う だ。
寺院
設 立の 中心的
役割
を果た したの は、初
代 住 職(
タンマ チ ャ ヨ ー 比 丘[
Tham
− machayoBhikhu
]
1944
年〜)
、 現 住職
代 行(
タ ッタ チー ウォ 比丘[
Thattachiwo
Bhikhu
]
前
副住 職
。1941
年〜)
、 お よ び彼
らの 瞑想
の師
であ
る女 性 修 道者
(
ウバ ー シ カ ー ・チ ャ ン ・コ ンノ ッ クユ ー ン
[
Ubasika
Can
Khonnokyung
]
1908
〜2000
年)
の3
名であ
る。初 代
住職
は 大 学で 農 業 関係の 経 済 学 を 学ん だ後
に出家
し、 先輩
で ある現 住 職代
行(
大 学で畜 産 関係
を学
び、就職 先
の奨学
金 を得
てオ ー ス トラ リア留 学 の経験
を持
っ)
の 協 力 を得て 瞑想 所 を設
立 してい る。 また 大学
生 の修行
実践
の 場 をつ く るこ とを 目的 に、 初 代 住 職 ・現 住 職 代 行 お よ び 彼 らの 学 生時代
の 知人
を中
心 とした集 団
が 形成
さ れて い っ た 。 これは、後
に 大学 生 を中
心 とす
る一時 出家
プロ グラ ムへ と発
展す
る。経済
的 な 問 題 か ら進 学で きない 地 方 の 子弟
に対
し て 、世 俗教 育提 供
の オプ シ ョ ン と して機 能 して いた2
つ の仏教
大 学 と は逆 に、 タンマ カ ー イ寺
で は世 俗の 大 学 教育
を 受 け た 人が中核 的
な僧侶
にな
っ てい るの が特徴 的
と言 え
よう
。こ の
寺 院
の特 色
と しては、水 晶
や光
の球
な どを内観
する特 殊
な 瞑 想 と、 マ ス メデ
ィアお よびマ ー ケテ ィ ングの知識
を利 用 した宣 伝 や
イベ ン ト化
した祭 礼
があ
げ られ る。 タンマ カー イ 式 瞑 想 は 上 座 仏 教の他
の伝統 的
な 瞑想
とばス タイ ル を異
にす
る。タ
ンマ カー イ式
の 瞑想
( 6) では、自分
の中
に光の球
や ブ ヅ ダの姿 を
観
る とい う 手 法 を 用い て、 内 な る 自己 を洗 練
しい くつ もの段 階 を経
て法
身(
タンマ カー イ)
と なっ て浬槃
に至
るこ とを
目指す
(7
)。最 初
の段 階
で は、水 晶
や 光 球 を想 起 し、身体 内部
の7
つ のポ
ジ シ ョ ンにそれ
を移
動 させ 、ee
7
ポ ジ シ ョ ン(
臍
の 上約
4
セ ンチ 、体
の中
心 部)
に と ど め る と い う 訓 練 を 行 う。次
の段 階 で内観
した球
を 輝 かせ る。 これ がバ トマ マ ッ カ(
初
道Phatomamak
)
と呼 ば れ る もの で あ り、最初
の 到達 点
と され
る[
「Venerable
Mettanando
Bhiklthu
1991
:32
−381
。 そ の中
か ら地 ・水
・火 ・風
・空 ・ 識 とい っ た6
つ の 要 素の 連 係 した球 体が 生 じ、 そ こか ら戒
・定
・慧
・解 脱
・解脱 智見
の5
つ の球体
が 生 じ るeさ らな る段
階
では
、18
身
の内な
る 「身体
」(
カ ーイkai
)
が 生 じ る。 これ ば、 そ れぞれ 粗 ・ 細の2
つ の レベ ル を もっ た9
種 類の 「身 体 」(
人 間身
、 天 人 身、色
梵 身、無 色梵 身
、法
身、預流 法
身、 一来法
身 、不
還 法 身、 阿羅 漢 法 身)
で あ り、 さ ら に 四聖諦
を悟
る こ と で涅 槃に達 する と されてい る 。第
5
身 体 以上 が法
(
ダル マ あるい は タ ンマ)
の身体
(
カ ー イ)
つま
り、 タイ語
で タ ンマ ・カ ー イ と呼 ば れるNII-Electronic Library Service
生
産
と消 費
の自
己構 築
:矢
野秀
武[
Phra
Phawana
W
沚iyakun
19981
。一方、
年
に3
回行
わ れ る大祭 礼
(
教 団
イベ ン ト)
では、約
10
万 人の 人々が美
しく整 然
と並び、あ
る種 感 動的
な雰 囲気 を醸
し出す
イベ ント
が執 り行
わ れてお り、 これ は事 前にパ ン フ レ ッ トや新 聞
やテ レ ビな どを通 じて宣
伝 され る。 こ の よ う な イベ ン トは 意 識 的 に 演 出 さ れ、 しか も参 加 者の増 員 を 目的
と して、 そ の都度 何
か新
た な行事
が組
み込 ま
れてい く。純
金1
ト ン の開祖像
の披 露 式、 大 仏 塔 の施 工 式、 台 湾の 大 乗 系 仏 教 僧 侶の 来 訪 祈 念 な どが 、 目新 しい もの と して次
々 に企 画 されて い く。 大儀
礼
の数
ヶ月前
か ら前 回
の壮 観 な儀
礼の様 子 を掲 載
し たパ ン フ レッ トが配
られ、新
聞 ・雑誌
・テ レ ビな どを利 用 し て、 大儀
礼へ の勧 誘 ・ 広 告 が行
われ
る。 さ らに、寺 院
の財
団職
員達
は、 そ の評判
をマ ー ケテ ィ ングし、次
回の儀礼
に組
み 込 んで い くの であ
る[
Apinyaa
1998
:49
]
。そ の
他
、週
一度寺 院
に集 ま り
瞑想修 行
や僧 侶
へ の寄 進
な どを行
っ た り、 リゾ
ート地
で の短期 集 中
瞑想
セ ッ シ ョ ンなどの活 動 も行
っ てい る。学
生向
けの活
動 と して は、 大学
の仏教
ク ラ ブが中
心 と な り、寺側
の サ ポ ー トの も と 、仏 教 知 識
の 全 国コ ンテス トや一時 出
家 な ど を行 っ てい る。 こ れ は 新規
成 員の獲 得
の場
とも
なっ てい る[
矢野
1998
:197
−202
]
。3
自
己
構 築
と
制
度 的 な
矛
盾
以 上
簡 単
に タ ンマ カー イ寺 と その 関 連 団体
の紹 介 を行
っ た が、 こ れま
で の研
究で はこ の 教 団の 酒 動 につ い て 、 その主 た
る構 成 員 が1970
年代
か ら増 加
した都
市新 中間層
であ
る事
が着 目されて きた。例
え ば、 ピ ー ター ・ ジ ャ クソ ンは 、改革
派 仏 教(
経 典の内
容 を合 理 的 およ び科 学 的 に解
釈 す る僧 侶 た ち)
を支持
し て い る の は、 西 欧 合理 主 義 と科 学 的実 証
主 義 を受 け入 れ た 専 門 家 や 知 識 人な ど タ イの 都 市 新 中 間層 で ある と述べ つ つ 、 他 方 で、 タ ンマ カ ー イ の 場合
は信
徒に都
市 新 中 聞層
を多
く抱 えて い る が既 存の 政 治 勢 力な ど と も連合
し、従 来
の仏 教
に見
られ た伝 統 的 なコ ス モ ロ ジ ー や 超 自然 的 な 出 来事
へ の 信 仰 な ど も維持
して い ると述
べ て い る[
JackSon
1989
:47
−53
,216
−219
]
。ま たエ ドウィ ン ・ヅェ ーナー
は
、 タ イ仏 教
の改 革運 動
とし てタ
ンマ カー イ寺
を位 置 付 け
、清 潔
さ、清 浄
さ、秩序
とい っ た中間層
の価値
意識
を体 現 し、 また 呪術 性 や 祝
祭 性を排 除
して個
々人
の修 行 を
重視 す
る運 動
であ
る と指 摘
し て い る[
Zehner
1990
:424
]
。 これ と似
た議論
は 、 ジ ム ・タイ ラ ー に よっ て も な さ れて い115
N工 工一Eleotronlo Llbraryる。
彼 は
既存
仏教
が支配
層
と被支
配層
あ
るいは農
民のみを対 象
としてお り
、新
た に台 頭
した都 市
の中間層
に十分
な対
応 を し てい ない と指
摘 し、 タンマ カ ー イ 寺 な ど の新
た な 仏教 運 動
が こ れら の隙間
を埋め て い る と述
べ てい る。 タイ ラー に よれば
こ の よ うな 新 たな運 動 は、 村落 共
同体
の共
同儀 礼
と して の仏教
か ら、個
々 人の実
践 を 重 視 す る仏 教へ とシ フ トした もの であ り、 ル イ ・デュ モ ン の用語
を借
りて個
人 主義革
命 の現
れ だ と して い る。 さ らに タ ンマ カ ー イ寺 は 、 従 来 の質 素
さ ではな く、 在 家 信 徒が積極 的 な 活 動 を展 開し、 世 俗 内 禁 欲に基づ く資 本蓄
積
の 「道徳 的
」 正統
化 が示 され
、 ス リ ラ ン カの 「プロテ ス タン ト仏 教
」 の よう
な もの だと述
べ てい る[
Taylor
1990
:153
−154
]
。他
方で タイ人研究 者
の場 合
は、 こ れ とい さ さか 異 な る点か ら寺の 経 済 的 行為
に 着 目し てい る。 ス ワ ンナー ・サ ター ア ナ ンは、 タ ンマ カ ー イ で は、 瞑 想の対
象 や 仏教 的
理想 を 具 象 化 し、 それと呼
応 して具 体 的 な 宗 教 的 消 費の対 象 を形 成 し、 テ クノ ロ ジ ーや 自然、 静寂
さ、 秩 序、 清 潔 さな どの付 加 価 値 を 宗教
に付 与 して手 ご ろな値 段 で提 供 して い る と述べ てい る[
Suwanna
1990
:COO
−402
,405
−408
!
。 ア ピ ンヤ ー ・ フ ア ンフー サ クンも 同様
に 、 タンマ カ ー イ寺
は功 徳 を 実 体 化 して様々 な献
金行 為
の場
を 生み出
し、 功徳 積
みの行 為
を商
品購
入の消
費 行 為の ように変 容 させ た と述べ て い る[
Apinya
1993
:166
−168
]
。 また 一 般 的な意
見 と して、都
市 生 活
にお け
るス トレス の増 加
が、 タンマ カ ー イ寺
で の 瞑想 実践
へ の参
加 と関
わ りが あ るの で はない か と末 廣が述べ て い る[
末 廣1993
:191
−194
]
。以
上
の ような
既存
研究
には
、 それ
ぞれ 重要
な指 摘
が含
まれ
てい る とは思 う
が、 問題
点 も多
い。科
学 的合
理 主 義 を 好 む 都 市 新 中 間 層 とい うジ ャ クソ ン の議 論は、 タン マ カー イの伝 統
的コ ス モ ロ ジ ー擁 護
に よっ て矛盾
に さ らさ れて い る。個
々 人の瞑 想 体験
を通 じ、 さ らに そ れ が様 々 な状
況で表象
さ れ て い く中で 、 その よう
な伝統 的
コ ス モ ロ ジ ー が再構
築 され、 科 学 的な合理 主 義 と は異な る位 相 で信 憑 性を 形成
し て い る点に着
目 して いない 。ま た、 タ イラ ー の 個 人 主
義
化論
は、 あ た か も西欧
近 代の個人主義
を 想 定 した 議 論で あ り、 タイ にお け る個 人 ある い は宗 教 的な 「自
己」 のあ
り方 の特 殊 性 を無 視 し てい る。 そ して 、 ウェ ーバ ー 的 な 世 俗 内禁 欲 論 と 、 こ の 寺の 宗 教 的な消 費 行 為 との 矛 盾につ い て 十 分 な 注意
を払
っ て い ない 。 ま た 宗 教 的 な 消 費 にっ い て着
冒 した 論 稿 は多
く、 確か に こ の教 団におい てある種の消 費
が 顕著
で は ある が、 そ れ を教 義 や 瞑 想 実 践の形 式の み に原 因 を確
定 して しまう
の はい さ さ か問題
があ
る。 なぜ な らタ ンマ カー イ 瞑 想 は、 タ ンマ カ ー イ寺 だけ
では な く、 タ ンマ カー イ 瞑116
NII-Electronic Library Service
生
産
と消費
の自
己構 築
:矢 野秀
武想の
始祖
で あ る僧 侶 プ ラ ・ モ ンコ ン ・ テー プ ・ム ニ ー(
Phra
Mongkhon
Thep
Muni
)
が所
属 して い たパ ー ク ナー ム寺
お よび その 系 列の ル ア ンポー ・ソ ット寺
で も行
わ れてお り、 こ こ で は タンマ カ ー イ寺
ほ ど組
織
だった宗教 的
な消 費 は見
られず
、 聖な る物
品の販売 を行
っ て はい て も他
の寺院
と同程 度
の もの だ か らで ある。 つ まり、 タ ンマ カ ーイ 瞑 想の 思 想は消 費
化へ の十分 条件
では ない の だ。さ ら に瞑想
実
践 と都
市 社 会の ス トレ ス を結
び つ けるの は、 な しろ 我々 の 日常
生 活にお ける ク リ シ ェ 程 度の 内容 し か も た な い だ ろう
(9
)。 ス ト レス は、 別 に現
代特 有
の もの で は ない(
現 代
の社
会 関 係 に特有
の ス トレ ス は あるだろ うが)
。前
近 代 社 会 におい て も、 自然 災 害 や 盗 賊な どの 人 災、 あるい は地域 社
会 や親 族 関
係 に それな りの ス トレ ス を 感 じて い た だ ろ う。 ス トレ ス 説 を 主張
し て い る末 廣
にとっ て、 タンマ カ ー イ寺
の詳細
な分 析
が彼 の論 稿
の目的
だっ た わ けで は な く、単
に印象
を述べ て い るに すぎ
な い の で 、 これにつ い て 正面 か ら反論 す
る 必要
は な い か も しれ
な い が、 い わゆ るス ト レス を発散
するため に 瞑 想 を 行 うとい う 説 明で は、 なぜ タンマ カ ー イ寺
に低 賃 金 労 働者層
の信 徒が 少な い の か 説 明で きな い 。 そ の 劣 悪な 生 活 状 態 や 労 働 環 境 か ら察
する に、 彼 らが 強い ス ト レスを
感 じ てい て もお
か し く は ない 。 ま た、 タンマ カ ー イ式
瞑 想 を 実 践 する よ うに なっ た 理 由 を尋 ね た 場 合、 最 も多い 回 答 は 「タン ブン( 10)に な る か ら 」 という
もの で あ る。 し か し、 プ ン にな るの で あ れ ば、 他 の寺の 行事
や 瞑想 修 行
に参
加 し て も構
わ ない の に、あ
えて こ の寺 特 有
の修 行
や儀礼
に参
加 しに くるわ けで ある。 つ まり
、 タンブンに なるか らという語 り
の中
に は、従 来
にない こ の寺独
特の特 質
を 明 確に特 定 す るこ とな く、 社 会 的に承 認さ れて い る タ ン ブン という
用語
の中
に滑
り込 ま
せ て い る可能性
も 考 え られ る。お
そ ら くこ の点
は、 ス ワ ンナ ー やア ピ ン ヤー な ど タイ人研 究 者
が違
和感
を感 じた、 タン マ カ ー イの 消 費 的 あるい は商 業
的特 質
と関 わ
る点
で あ ろ う。以 上の 問 題 点 を踏 ま え、
本稿
で論 じ る対 象 と な る 人々 を次
の よ うに考えて み たい。現代
タ イの都 市新 中 間層
と言
わ れ る人々 が 、 西 欧 個 人 主 義 的な個 人で あ る とい う 判 断は ひ と まず 保
留 し、 む しろ彼
らを 多 様 な 制 度が縦 横 無尽 に入 り込 ん でい る 「個 人
」 と して と らえる こ と にす
る。 つ ま りひ とつ の均 質
な階級
や階 層
とし て で は な く、 労働 市
場 や 教育
や 消 費 や 社 会 保 障 や 学 的知 識な どの制 度 に依
存
し、 その制
度の 矛 盾が様
々な 形で配分
され た 「個 人化」 状 況 に ある人々 とみ な す[
ベ ヅ ク1986
:144r194
]
。 し た が っ て タイの 都 市 新 中 間層
と呼 ば れ る よ うな 人々 を一般 的に論
じ る とい う よ りも、 どの よ うな制 度に侵 食 され、 ど うい う制117
N工 工一Eleotronlo Llbrary度 的
な諸
矛盾
にさ らされ、 どう
いう 自
己 を新
た に構
築 する こ とで そ の 矛盾
を乗
り越え よ うと して い る人々 が い るの か とい う点
か らカ テ ゴ ラ イズ して い き たい 。都 市
新申
間層
一般
という
カテゴ リー で はな く(
た だ し、 以後論
じ る制度 的
な 矛 盾 が、 こ の カテ ゴ リー に属 す
る と称
さ れ る人
々 に顕 著
に見
られ る とい う可能 性
ま で は排 除
しない が)
、制度 的
矛盾
とその乗
り越 えの独 特の 質 を 浮 き彫
りにす
る こ とを
目指
したい 。こ の
作 業 を進
め るた め に以
下で は、 タ ンマ カ ー イ 寺の 消費
行為 や
それ
と連 関
する教 団
イベ ン トお よび 瞑想 とい う 個 々の実 践
の詳細 は
別項
に譲 り
、 これ
らの諸 実践 を横 断 的
に捉 え
て いき
たい 。 つま り
瞑想
という 自
己構 築
の実
践が、他
の儀 礼 や 消 費 的行 為
と どの よう
に繋
が り、 どの よう
に 示 さ れて い るの か という点
に着 目
す る。 そ して、 そ こで な さ れる 自 己 表象
と自
己構 築
から
、 その背後
にあ
る制 度 的
な 矛盾
を浮 き彫
りにす
る。た だ し
本稿
で は、信 徒
達
の 自覚 的
な信 仰
心、 個 々人の 瞑想体 験
の実感
、お
よび 瞑想
に よ る非
日常 的
な体 験
の教 学的
な意 味
という
もの は取
り上 げ ない 。 こ こ で は、 瞑想 実践
や教
団 イベ ン トお
よ びマ ス メデ
ィ ア を介
した教
団情
報 が、 一連
の装
置 となっ て、 どの よ う な 「自
己」 を生
み出 し、 呈 示 しよう
と して い るの か という
側 面 にの み注 目 したい。4
瞑
想
・イ
ベ
ン
ト
・マ
ス
メ
デ
ィ
ア
と 自
己
表 象
ま ず、 瞑想 におい て どの よ うな 自己表
象
が行 わ れるの か を取 り上 げよう
。 タ ンマ カー イ 瞑想 を通 じて 内観
され る像 は、 始 め は水 晶 や 光の球 だが、 そ れ は次 第
に人の姿
に な る と言 われ て い る。 それは、 内 な る自
己の姿
で ある。 そ し て、 自 己 の 内側に幾 層 もの洗 練 さ れ た 自 己の身
体 を観 想 し、最終 的
に は涅槃
に達
する身 体 になる とされて い る。 そ の意
味で は、 瞑想 を通 し て 「自己」 内 省が行 わ れ て い るわ けであ
る。し か し
実
際の とこ ろこ れ は、 理性
の 下 に合
理的
かっ権
利 と義 務 を担
う個 人 と い う観 念 や、 個 的 な 自己 を 支 える よ うな 内 省 とは 言 えない 。 こ の内
なる身体
は、 ブ ッ ダ ない しはブ ッ ダの 表 象 され た 「プ ラ(
phra
)
」 と呼
ばれ
る存 在
でも あ
るの だ。タ
ンマ カ ー イ の信徒 達
は、時
に はその内
なるプラに対
して祈 願 す るこ と もあ
る。 ま た 一部の信 徒
ば 、内
なる プ ラを
「友 達
(
プア ンphu
, an)
」 とさ え呼び、 こ の友 達
に常
に気 を配
る よう
に して い る。 っ ま り、内
なる身体
は、内
な る自
己で118
NII-Electronic Library Service 生
産
と消 費
の自
己構 築
:矢
野秀 武 あ る だ け で な く、 内 な る他 者 なの であ る。そ して 、 その
内
な る他者
の獲
得 は、 瞑想
指導者
を介在
して究極 的
に は ブッ ダに 至 る とい う タ ンマ カー イ 寺の 宗教 的権威
のハ イア ラー キー を構 成 す
る。例 えば
、1
週 間 程 度の 瞑 想セ ミナ ー に参 加 した場 合 など に は、 始めの内
は、新
参者 中
心 の仲
間 内
で瞑 想体 験 を語
り合
い、 よ り効
果的
な 瞑想
テ クニ ヅ ク を模 索
して い くが、 その後
は、在 家 者
の指 導
員(
教
団職
員)
がこれに介 在 す
る よう
にな り、 週の半
ば頃
か ら瞑 想指 導
に優
れて い る と され る僧侶
が 現 れて 瞑 想 体験
の質疑
応答
が 行 わ れ る。 さ らに 順 じ位 階 が 上の 瞑 想 指導
僧 が 相 談 役 と して 現 れ る よ うに なり
、最
終
日の最 後
の 瞑想
セ ッ シ ョ ンに は、 カ リス マ性 を帯
び て い る と さ れ るこ の寺
の初 代 住職
が 登場
す る事 もあ
る。 そ して各 自
が瞑
想体 験
を位 階
の高
い 瞑 想 指導
僧 に報
告 し、感
動の中
で セ ミナ ー が終
了す るの で あ る 。さ
ら
に、 こ の内
なる他 者
へ と開
かれ
た内
なる自
己 は、信 徒達
の間
で共 有
され る 「自
己」 ない しは 身体
でもあ
る 。彼
らは 瞑想 実践
に よる奇跡
的 な 癒 しな どを 語 る より
も(11)、 互 い に 内 な る身
体 を内
観で きた か ど う か、 ど ういう
テ クニ ッ クで 、 どう
い う体験
を得
たの かな
ど を語
り合い 、体験
その ものを共有 す
る こ とを
重視
す
る傾 向
にあ
る。 そ して、 そ の ように表 出
され る自
己は、教 団
イベ ン トとマ ス メ デ ィ ア を通 じて具体 的
な形 で現れ、 鑑賞
され、共 有
されるので ある。例
え ば、 各 信 徒 は多
額の 寄 進 を 行っ て、 内 な るプ ラ と 同 型の 小 さ な 仏像 を購
入 し、 そ こに自
分 ない し は知 人の名
前を刻
み込む 。 こ の よう
な像
が何
万体
と鋳 造
され、現 在
建設 中
の大仏塔
に整然
とはめ込
まれ
てい くの であ
るe こ れ と 同様 の イメー ジ は、 瞑 想 を 行 う信 徒 自 身 に よっ て も 示 さ れ る。 彼 らは 身 体 を規 律正 し く 自己管理 す る集
団と して、 そ の姿
を イベ ン トの際
に美 的
に表
示す
る。しか し、 大
仏 塔
であ
れ イベ ン トの 際の美
的 な自
己表
示であ れ、 何万体、 何万 人 もの 人々の 自己 ・身
体の 共 有 をその場
で 視覚 的
に確 認で きる わ けで は ない 。 そ の姿
は 印 刷 物や テ レ ビ ・ビデオ撮
影の映像
を 通 し て確
認 されて い くの で あ る。 こ こ で 呈 示さ れて い る 「自己」 表象
は 、 マ ス メディ ア の 俯 瞰的
な 視 点 を 介 して信 徒 と共 有 さ れ る 「自
己」 表 象 なので ある 。タイ におい て は、
古 来
よ り見 られる内 面 的 な 自己 の表 象の1
つ と して ク ワ ン(
khwan )
とい う もの が ある。 こ れは魂
の よ うな もの で あ り、 生 命力 の源
と見な される もの で あるが、 外 部か らの物 理 的 ない し は精
神 的な作 用(
精
霊 の侵
入 な ど も含
む)
によっ て抜 け出
て しま う。 クワ ンは 自己統
御でき
るもの で は ない 。 これ
を統 御 す る に は、 一般 に 年 長 者 や魂
呼び の儀
式の で きる権 威 者
が 必要
と される119
N工 工一Eleotronlo Llbrary[
Tamb
量ah1970
:223
−251
]
。興 味 深い こ とに、 他の 寺 院 に お ける出 家以 前の
準
備儀
礼 や 村 落の宗 教儀
礼 にお
い て 散 見 され る クワ ン儀
礼 は、 タンマ カ ー イ に おいて は見
られ ない 。十分
な証
拠
は ない が、 クワ ン とい う内的
な自
己の表 象
は、 タ ンマ カ ー イの 「自
己」 に取 っ て代 わ られ たと も考 え られ る[
矢 野1997
:103
−le8
]
。 た だ しタ ンマ カ ー イで形 成 される 「自 己」 は、 西 洋 的な個 人 主 義 を支え る自己と ば異な るe た とえ自
己制御
で きる 自己、自
己 に対
し て再帰
的 な作
用 を持つ自
己で あっ て も、 他 方で神 秘 的 な内
なる他 者 や権 威 的
な関係 を伴
い 、 なお
かつ共
同性
をも帯
び てい るの であ
る。5
生
産 と消
費
の
自
己
以
上
に述
べ てき
た よ う に、 瞑想
と祭
礼 お よびマ ス メディア によっ てタ
ンマ カ ー イ的
な 「自
己」 が構 築
されるのであ
るが 、 こ れ が どの よう
な社
会的背
景 と関
連 し て い る の だ ろう
か。 この よう
な現 象
は多様
な読
み取
りが可能
であ
るが、 、本
節で は規 律 と快 楽、 生産
と消
費 とい う枠 組み か ら考察
す る。 という
の も、タ
ンマ カ ー イ寺
の瞑想
体験
とイベ ン トには、相
互 に入 り組 ん だ複 雑 な
形で 、禁欲
・規律
と快
楽
・快 適
さ が呈 示 され
るか らである。例
え ば、 瞑想 にお
い て最
も重視
され るの はリ ラ ッ クス するこ とで あ り、 上 座 仏教
で主
流の ヴィ パ サ ナ 瞑 想 の よ うに逐次
自 己の 感情
や 思 考や感 覚
に注 意 を
は ら い 、 そ の感情
・感覚
・思
考へ の こ だ わ りを1
つ1
つ 引 き離
してい くよう な厳
し い 自己 内省 は行 わ れ ない 。 ま た、 一般 信 徒 は 、 人工 的 な 池 や 林 に よっ て美
し く整
備
さ れた郊 外
の 公園
の よ うな雰
囲気
を醸 し出し て い る寺 院環
境 に おい て 瞑想 を 行 うこ とも楽 し み の1
つ と して い る し、 さ らに は海
や 山の リゾ ー トホテ ル で行
わ れ る瞑想
セ ミナ ーな どが あ り、 瞑 想 には常
に快適
さがつ い てまわ
るの であ
る。 一 方イベ ン トにお い て ば 、 ボラ ンテ ィア を 募 っ て事
前 に 大掛
か りな 下準備 や
リ ハ ーサルを
行 っ た上で、当
日に多数
の参 加 者
が整然
と並べ る よう
に指 導 す
る。 そ こ に は村
の寺 院の祭
りで見
られ る よう
な騒
が し さや
乱雑
さ な どの祝 祭性
は見
ら れ ない 。時
に は、雑 誌
に掲載 す
るた め だ け に、多
大 な時 間を
か けて大 集団
の姿
を美
しく並 ばせ るこ と さ えあ
る。他
に類 を見
ない こ の寺
の 一時出 家
で の修行
の厳
しさが 目的 とす る もの の1
つ は、 こ の よ うな規 律 を 身に付 けてい くこ と に あ る。しか し、 こ こ に
単 純
な二 分法
を 当て は めて はい け ない 。 なぜ な ら、 快楽
・快
適 さを求
め る瞑 想 は、 一 方で 、 その 体 験 に 埋 没 して 心身が 無 秩 序 状態
になる ことをNII-Electronic Library Service 生
産
と消費
の 自己構 築
:矢
野 秀武
諌
めてお
り、 な しろそ の解 放 的
な体 験
を 通 して 規 律 正 し く統
御 さ れた 心身 を構
築
す る こ とが指 示
され る か らで あ る。 ま た、 こ の よ うに瞑 想 を通 じ て規律 化
さ れ た 身 体 は、 イベ ン トに おい て呈 示 さ れ る集
団 的 規 律の美
へ とつ なが るの だ が、 逆 に そのマ ス ゲー ム の ような美
しさ ば、 雑 誌 や ビデオ の鑑賞
を通 じ、 ある種の 快楽
と して消 費
さ れ る対 象
とも なるか らであ
る。こ の よ うに
相
互 に 入 り組
ん だ2
つ の特
質か らは、 一方 で、 マ ッ クス ウ ェ ーバ ー の議 論
の よ う に、資 本
主義初 期
に お け る企業 家
精 神 を水 路づ け 生産
と投資
の 拡大
に影 響 を与 え た
、禁欲 や 規律 や 計
画性
の エ ー トス を読
み取
り、 他 方で、 規 律 か ら外
れた奢侈
や浪 費
として の消 費
の 心性
を読
み取れ る か も しれ ない 。 しか し事
は そ れ ほ ど単 純
で ば ない 。第
1
の 点 にっ いて は、タ
ンマ カ ー イ寺 を支
える教
団職 員達
が(
ほん の 一握 り
の 上層 部 を除 き
)
、 企業
家(
主
に 旧 中 間層
と よば れる 中小 ・ 零細
企 業 家)
で は な く、組 織
の 一 員 と して のホワ イ トカ ラー や新
中 間層
と 同様
の組 織 内業務
に従 事
し てい る人々だ か らであ
る。 また第
2
の点
につ い て は、消
費 行為
に も生産
志向
とは異
な る規 律
が伴
うか らで あ る。ま ず、
第
1
の論 点
か ら考 えて い き たい 。 これにつ い て は 社会 階層 形成
の時 代
的
な相違 を考 慮
しな
くて は なら
ない。 近代 初 期
か ら現 代 消費社
会 に おい て身 体
の社 会 的
な支 配様 式
が、 どの よう
に変遷
し て き たの か に注 目 したブ ラ イア ン ・ ターナー が 述べ るよ う に、 ウェ ーバ ー が描
いた 当時
の社 会
と現 代 社
会 に は相 違
があ
り、 ま た どち ら にお
い て も生産
と消
費 に は 切 り離せ ない 関 係 があ
るの であ
る。 ターナー は、 近代 初期
に は、 企業
家 や 労 働者
では な
く有 閑階級
が 主 た る消 費
を担
っ て いた
が[
ター ナ ー1999
:1071
、20
世 紀
に 入 る と大 量 生産
と大衆 的
な大
量消 費
の時 代
が 訪 れ、 テ ー ラ ー式管
理 など の労 働過 程
にお
ける最 小 限度
の禁 欲
や 規 律 は 残 るもの の 、 他 方で は欲 望の 表 出 や充
足を高
め る傾 向
が 一般の 労 働者
に も広ま
っ てい っ た と述
べ てい る[
ター ナー1999
:107
]
。また
1940
年 代の ア メ リ カ にお ける企 業 組織 職
員と して の 「ホワ イ トカラー 」 につ い て論 じたラ イ ト ・ ミル ス も指 摘 し てい た よう
に 、 「ホ ワイ トカラ ー」 は 禁欲 や規律
の エ ー トスを担
っ た企業家
で は な く、組 織
の要請
と して の 禁 欲 ・規 律性
を身
に ま とっ た 組 織の 一 員であ
る【
ミル ス1957
:93
]
。ま
た彼
らは 生産
と消 費 あ るい は労働
と教 養
や遊
び が一体 と なっ た 生 活 を営 む 職 人 労 働 者で もない[
ミルス1957
:205
]
。 そ して労働
と生産 物
か ら疎 外
さ れ た ホワイ トカラ ー は、余
暇 など の 労 働 以 外の 領 域で 自我 を発
展さ せ るこ と になる[
ミル ス1957
:2111
。 ダ ニ エ ル ・ ベ ルの言葉 を借 りれ
ば、 「昼 間 は誠 実
」 で夜
は遊 び 人 に な るこ とが現 代 人
の 「自121
N工 工一Eleotronlo Llbrary己
実 現
」 と な る[
ベ ル1976
:163
]
。つ
ま り生産
と消 費
の 心性
にお け
る領 域
の 二分 割
が 生 じたの であ
っ た。 こ の 一領域
を なす消 費
の領 域
は、 しか し単
な る浪 費
や奢 侈
で は な く、 あ る種の 規 律 を 有 してい る (12
)。 これが先 に 述べ た第
2
の論点
であ
る。例 えば
、タ
ー ナー が述
べ るよう
な、 「打 算 的
な享楽
主義
の倫
理 が染
み込
ん だ新
た な 生活様 式
や新
しい タ イ プの パ ー ソナ リテ ィ 、 す な わ ち ナル シ シ ズム的
な 人 間」[
ター ナー1999
:107
]
の よう
に、他
者
志
向的 な
モ ニ タ リン グを
通 じ て、外 部
に自己 を
呈示 す
る た め に自
己統御 す
る ような、 イメ ー ジ管
理の ための禁欲
主義
が台頭
して くる[
タ ー ナー1999
:11
&119]
。 そ れは、単
に記号
を まとう事
による社 会的 な地 位 上
昇の企
て とい う だ けで は な く、新
た な自
己 を構
築して い く作 業 で も あり
、消費行 為
はそ の た めの道 具で ある とも 言え よう。タンマ カ ー イ寺の 瞑想 ・イベ ン ト・ メ
デ
ィ ア運
用に よ っ て呈 示 され 構 築
され る独 特の 心 身 は、 こ の よ うな 生産
と消 費の 自己構 築 と密 接な 関 連 を持
っ て い る。 しか も、 生産
(
労働
)
と消費
(
余
暇)
の分 離
した二 重の 心性
を結
び付
ける試
み とも
考 え られ る。タ ンマ カ ー イ 寺の 規 律 ・禁 欲 は、 労 働 や生
産
の領
域で 必要
と され る価 値
や 自 己 を、宗教 的
な領域
にお け るイベ ン トや儀 礼
を 通 し て過度
に表 示 し て い る。 こ れ は、 一 面で は教団
組織
とい う大 企 業 組 織 を構 築 す るために実
質 的 に便 用 され、 元住 職
・現
住職 代
理 を 頂点
とす る瞑 想的 権
威の ハ イア ラ ー キ ー は、 そ の よ うな組織
の規 律 を束
ねる権 威
と して も利 用されて き た[
Apinya
1993
:160
]
。 い わば 宗教 団体 とい う 「情 報産
業」 企 業 を 成 り立た せ る労働
・生産
の論
理 が貫 徹
して い る。 しか し重 要な 点は、 その よ うな規 律を誇
り に感 じ、 自他に向け て そ の規 律 あ る姿
を呈 示 して い くとい う点
であ る。 教 団運 営
に直 接 関
わる者達
(
教 団の創 設者
集 団)
の 中 に は、 伝統
的 な 寺 院組 織の刷 新 と、 合理的 な経営
を行 っ て きた自
分達
の業績
を 誇 ら しげに語 り、 それ がこ の 寺の 魅力 の1
つ で も ある と述べ る者 もい る(13)。実
際、 タ イ 国 サ ンガ とい う全 国 的な 官 僚制的
組織
は別 と し て、 タイ にお い て上 座 仏 教の 「寺
院」 が近代
的 な組
織 と して 形成 され たの は、 おそ ら くタ ンマ カー イ 寺 と その 財 団が初
め て で あ ろう
。 また タ ンマ カ ー イ寺で 重視 されて い る ある書
物で は、 タイの経 済発 展 に欠 けてい る の は、 能 率 性、 勤 勉 性、 規律
、進 歩
の精
神 であ り、 ま た タイ社 会の安
定 には、仏
法 的 な 規 律 として の 五戒
が 必要
だ とも述べ て い る
[
Phra
Somchai
Tha
皿auto1988
:31
,
681
。タ ンマ カー イ
寺
が過 度
な まで に 労働
・生産
の規律
に拘
る背
後 に は、 効 率 性 をNII-Electronic Library Service 生