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Vol.67 , No.2(2019)071楊 潔「『瑜伽論有尋有伺地』のanupradanatについて」

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印度學佛敎學硏究第67巻第2号 平成31年3月 (106) ― 937 ―

『瑜伽論有尋有伺地』の

anupradānāt

について

楊     潔

はじめに anupradānaは『瑜伽師地論』(以下『瑜伽論』)「本地分」の中に見ら れる表現である.「菩 地」では,基本的には「与えること」を意味する. それに対して,「声聞地」では,捨(upekṣā)について説明する際にanupradāna が 用 い ら れ て お り, そ の 場 合, 別 な 意 味 を も つ 印 象 を う け る. こ の anupradānaは,『瑜伽論』「摂決択分」における,遍在する心所法(五遍行)の 中の思(cetanā)に対する解説を理解するうえで重要なものである.しかしな がら,それらの記述からその意味は特定し難い(以上,楊[2018]参照).一方, 『瑜伽論』「有尋有伺地」のBhattacharya校訂本(以下 YBh)では,離間語につ いての説明文でanupradānātという表現が見られ,anupradānaという術語を理 解するための手掛かりとなると考えられる. 1.「有尋有伺地」の記述とその問題点 離間語(告げ口)は,十悪業道の一つ で,「有尋有伺地」で解説されている.YBhの該当箇所の記述(YBh 175, 8–176, 3) の 中 に,samagrāṇāṃ bhettā bhavati viprītisaṃjananatayā / bhinnānāṃ cānupradānāt prītiḥ sambhavati / という一文に示すように,anupradānātという 単数従格で用いられる.しかし,写本の該当箇所(MS 48a1–3)では,この一文 はsamagrāṇāṃ bhettā bhavati / viprītisaṃjanatayā bhinnānāṃ cānupradānāṃ prītisambhavati / となっており,すなわち,anupradānāṃという複数属格の形 になっている.また,後に述べるように,漢訳とチベット語訳ともに従格へ の訂正を支持するものではない. 根拠となる資料がないにもかかわらず,Bhattacharyaはあえて写本の読みを訂正し ている.写本の読み方では意味が通じないと判断したのであろう.実際,この一箇 所だけではなく,校訂本YBhと写本を比較すると,ダンダの位置を修正することが 多い.そもそもこのテキストは,構文が不明確で,理解し難い箇所が所々にある. 問題となっているこの一文の場合,上に示した写本の読み方では主語が明示され

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『瑜伽論有尋有伺地』のanupradānātについて(楊)

ていない.それに対して,YBhでは三つの訂正を加えている.まずダンダの位置 の修正により,後半部分の文頭のviprītisaṃjanatayā(Bhattacharya は viprītisaṃjananatayā に訂正)を前半の文にかけている.次にprītisambhavatiをprītiḥ sambhavatiに改め, prītiḥという主語にしている.最後に,anupradānāṃをanupradānāt(anupradāna という動 作名詞の単数従格)に改めている.けれども,この文の趣旨は依然として明瞭でない.

2.漢訳とチベット語訳が示す理解 この一文と,それに対応する漢訳(T30,

316a14–23)とチベット語訳(D tshi 88b4–89a1; P dzi 102a5–102b1)を対照してみると, 写本でbhinnānāṃ cānupradānāṃとなっている箇所に対して,漢訳では「別離 を随印するとは」(隨印別離者),チベット語訳では「分裂したものたちを不和 にするとは」(bye ba rnams mi 'dum par byed ces bya ba ni)と訳出しており,漢訳は 「者」,チベット語訳はces bya ba niによって当該の一節を引用文であるかの ように扱っている.これに対して,サンスクリット原文は引用であることを 示していない.校訂者Bhattacharyaはこの箇所のチベット語訳に疑義を呈す るものの,注記するに留まる. 実は,同様の問題はこの一箇所だけではなく,一連の文章の中で数箇所,見ら れる.前述のサンスクリット原文では,itiが二箇所あり,漢訳・チベット語訳の 対応箇所は,引用文を提示する「者」とzhes bya ba niで訳出している.しかし, この二箇所のほか,上記の問題の箇所を含めて,原文にitiがないにもかかわら ず,両訳では共通して,六箇所を引用文として訳出している. 3.初期経典における関連箇所 試みとして,漢訳とチベット語訳において 引用文とされる箇所の,サンスクリット原文における対応する部分を抽出 し,つなげてみると,次のようになる.

paiśunikaḥ khalu bhavati vibhedakaḥ, eṣāṃ śrutvā teṣām ārocayati teṣāṃ vā śrutvaiṣām ārocayati samagrāṇāṃ bhettā bhavati bhinnānāṃ cānupradānāṃ vyagrārāmo bhavati vyagrarato vyagrakaraṇīṃ vācaṃ bhāṣate /

ところで,初期経典では,離間語に関する記述の中に,この一文と類似するも のがしばしば見られる.例えば,マッジマ・ニカーヤでは,次のように述べられ ている(両者における類似する内容を下線で示す).

Pisuṇāvāco kho pana hoti, ito sutvā amutra akkhātā imesaṃ bhedāya amutra vā sutvā imesaṃ akkhātā amūsaṃ bhedāya, iti samaggānaṃ vā bhettā bhinnānaṃ vā anuppadātā, vaggārāmo vaggarato vagganandī vaggakaraṇiṃ vācaṃ bhāsitā hoti. (sāleyyakasuttaṃ. MN 41. I, p. 286)

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(108) ― 935 ― 『瑜伽論有尋有伺地』のanupradānātについて(楊) したがって,『瑜伽論』のこの説明文は,漢訳とチベット語訳に示すように,関 連する経典の引用を挟みながら解説を行うものであることが分かる. 4.anupradānāṃ の形と意味 上の経典では,『瑜伽論』における問題の箇所に

対応するものはsamaggānaṃ vā bhettā bhinnānaṃ vā anuppadātā(和合しているもの たちを分裂させる者,あるいは,すでに分裂したものたちを anuppadā する者)となっている. また,上記の引用文に続いて,十善業道が述べられる.その中の離間語を離れ た者についての説明文(MN 41. I, p. 288)では,bhinnānaṃ vā sandhātā sahitānaṃ vā anuppadātā(分裂しているものたちを和解させる者,あるいは,すでに和解したものたちを anuppadāする者)とも述べる.この二つの文は,離間語を言う者と,離間語を離 れた者について述べており,anuppadātāという行為者名詞の形を共通して用い ている.この表現は,初期経典においてほぼ定型句となっているが,後者の事 例がより多く見られる.また対応する内容は漢訳『中阿含』にも確認できる1) さらに,後者の「離間語を離れた者」に関する記述に対しては,『根本説一切 有部律』の「破僧事」に,bhinnānām sandhātā bhavati; samagrāṇām cānupradātā

(SbhV 232, 24. m は原文そのまま)というサンスクリットの平行文が見られる2).『瑜

伽論』の問題の箇所とは正反対の内容となっているが,形式上,anupradānāṃ

という語を除けば,全く同様である.その他,『十地経』では,第二離垢地 の菩 は離間語から離れたということについて説明する中で,na saṃhitān bhinatti na bhinnānām anupradānaṃ karoti(DBh-R 24, 4–5)という表現も見られる.

以上のことから,離間語の文脈では動詞anu-pra- dāの派生語であるanupradātā やanupradānaが定型表現として用いられていることが分かる.『瑜伽論』の当該の 箇所も離間語を扱っており,類似した表現が用いられていたことが予想される. 文章表現の相似性から見ると,初期経典の形とより一致していることは一目瞭然 であろう.したがって,『瑜伽論』のこの説明文は,離間語を言う者の内容に相当 する初期経典を引用して解説を加えたものと推定される. anupradātāの意味について,漢訳の阿含や論書では意訳が多く,確定し難い3) 一方,アッタカターでは,離間語を離れた者の場合のanuppadātāに対して,「強化す る者(daḷhīkammaṃ kattā)」と解説する4).また,離間語を言う者の場合,anuppadātā

upatthambhetāに言い換えて,「〔その者は,〕 あなたはよくやった.それを数日だ けやめていることでは,あなたに多大な不利益がなされるであろう と,このよ うに,分裂したものたちが再び和解しないよう,anuppadātā,〔すなわち〕確実に する者(upatthambhetā)であり,理由を示す者という意味である」と解説する5)

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『瑜伽論有尋有伺地』のanupradānātについて(楊)

upatthambhetā(固める者)は,上記の解説の中のdaḷhīkammaṃ kattāの同義語として, 「強化する者」の意味で用いられているかもしれないが,upatthambhに対応するサ ンスクリット語のupa- stambhには「持続する,維持する」という意味もある.こ の注釈の内容に照らすと,anu-ppa- dāは,現在の状態を元に戻らないように持続 させるという意味をも含意することを示そうとしていると考えられる. おわりに 以上のことから,『瑜伽論』「有尋有伺地」のこの離間語の説明文 は,初期経典の定型句を引用し,間に解説を挟み込んだものと考えられる. その中で,写本ではanupradānāṃ,YBhではanupradānātとなっている問題の 箇所は,経典の記述を参照すると,anupradātāと校訂すべきであろう.この 場合,anu-pra- dāは「〔状態を〕維持する,持続させる; 強化する」という 意味を有すると考えられる. 1)『中阿含』の15経「思経」(T1, 437c14–16.AN 10.207. V, p. 297(省略部分はAN 10.206. V, p. 293参照)に対応)と,80経「 絺那經」(T1, 552c1–5,ニカーヤに対応なし)ではそれ ぞれ,離間語を言う者と離間語を離れたものについての記述がある.  2)Chung and Fukita[2011: 92–94]参照.「破僧事」の平行文については,八尾史博士(早稲田大学高等 研究所講師)のご指摘による.  3)例えば,「思経」と「 絺那經」(注1)ではそれぞ れ,「離者復離」(離れた者をさらに離れさせる)と「合者歡喜」(和合した者を喜ばせる) となっている.また,『集異門足論』(注5)では,「已乖離者令永間隔」(すでに乖離した 者を永く隔たらせる)となっている.  4)MN-a. II, p. 207.類似したものはDN-a. I, p. 74 がある.その解説を主な根拠として,A Critical Pāli Dictionary, Vol. 1, p. 203では,anuppadātā を「さらに与える者,励ます者,強める者,扇動する者」と解釈する.  5)MN-a. II, p. 331. pajahantena, anuppadātā. の中の句読点を取って読む.『集異門足論』(T26, 408b24–29) には部分的に類似した記述が見られる.

〈略号およびテキスト〉

AN, DN-a, MN, MN-aの略号はA Critical Pāli DictionaryのEpilegomenaに従う.DBh-R:

Daśabhūmikasūtra. Ed. J. Rahder. Paris: P. Geuthner; Louvain: J.-B. Istas, 1926. MS: 『瑜伽師地論』 のサンスクリット写本(Göttingen大学によって公開されたフィルムのコピー). SbhV: The

Gilgit Manuscript of the Saṅghabhedavastu. Part 2. Ed. Raniero Gnoli. Roma: Istituto Italiano per il

Medio ed Estremo Oriente, 1978. YBh: The Yogācārabhūmi of Ācārya Asaṅga. Part 1. Ed. Vidhushekhara Bhattacharya. Calcutta: University of Calcutta, 1957. P no. 5536; D no. 4035.

〈参考文献〉

Chung, Jin-il, and Takamichi Fukita. 2011. A Survey of the Sanskrit Fragments Corresponding to the

Chinese Madhyamāgama. Tokyo: Sankibō.   楊潔2018「 随与 (*anupradāna)について ―五遍行における思(cetanā)の一側面―」『インド哲学仏教学研究』26: 19–33. 〈キーワード〉 瑜伽師地論,anupradāna,離間語,阿含,ニカーヤ

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