• 検索結果がありません。

米国大型助成財団の医療・福祉への眼差し

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "米国大型助成財団の医療・福祉への眼差し"

Copied!
16
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

〈原著論文〉

米国大型助成財団の医療・福祉への眼差し

      社会貢献から社会的責任へ一※

溝 口 元※※

はじめに

 「職業は何でもいい,唯,第一人者たるを心掛けよ」(カーネギー),「殖さなければ減るのが 金の性質である」(ロックフェラー)とは,戦前のわが国における代表的な大衆雑誌『キング』

(1924年創刊)の1933年新年号の付録『偉人は斯く教える』(淵田編,1933)にみえる一文であ る。日本人31名,欧米人45名を中心に歴史上の英雄や立志伝中の人物の至言・名言,略歴等を 集めている。

 カーネギー(Andrew Carnegie,1835−1919)のプロフィールは,「米国の大実業家」,「世界の 鉄鋼王⊥「晩年その大財産を悉く公共事業に寄附して,また慈善王といはれている」。そして,

「成功の秘訣は,第一に,貧乏人の子供に生まれること」で,貧しい暮らし,生活の苦しさを知っ た時「私の胸のなかには,奮発心が沸き起こった。いまに見ろ1……私の今日あるのは,ひと へにこれがためなのだ」と述べている。

 また,ロックフェラー一世(John Davison Rocke鉛ll鱗1839−1937)の項では,「米国の大富豪⊥

「世界の石油王」,「幼少より信仰に厚く,公共事業に多大の貢献をなす,世界第二の富豪と称 せらる」と述べられ「うんと稼ぎ,うんと貯め,うんと寄付せよ」が一生のモットーであった

と解説している。

 この雑誌『キング』が発行された!933年の米国といえば,ルーズベルト(Franklin Delano Roosevelt,1882−1945)が第32代大統領に就任し,1920年代末からの恐慌を打開すべく矢継ぎ 早に手を打ち,金本位を停止して平価を切り下げ,通貨価値の高騰を収めた時期であった。

「ニューデール(政策):New Deal」の始動である。また,ヨーロッパでは,ドイツにおいて,

かのヒットラー(Adolf Hitleら1889−1945)率いる通称,ナチ党がドイツで第1党となり,権

※0励・3脚・〃・げ肋・伽・伽・伽・・吻M・伽1R・…κ伽43・・∫・1〃励昂 1・融・鰐・・4C・ψ・

 800 α1R8柳。η3め め7

※※Hazime MIZOGUCHI立正大学社会福祉学部社会福祉学科教授

キーワード:フィランソロピー,CRS,カーネギー財団,ロックフェラー財団,ビル・アンド・メリンダ・

     ゲイツ財団

      一67一

(2)

力を掌握した年でもある。彼が国家元首を兼ねる「総統」としてスタートした(永,2000)。

この年ナチス優生政策の基盤優生学の典型と云われる国家による強制的な不妊手術の実施 を盛り込んだ「遺伝性疾患子孫防止法」(断種法)が制定された。そして,日本は国際連盟を 脱退し世界からの孤立化を進めていたのであった。

 上述のカーネギー,ロックフェラーの二人については,わが国でも20世紀初頭から1945年の 敗戦時までに,カーネギーで6種(菅,1901;桑谷,1903a;栗原・生田,1903;ウヰリアム著,

坂本訳,1913;小畑,1922;加藤!939),ロックフェラーで4種(桑谷1903b;円城寺,

1931;中川,1935;有川,1939)の評伝や回想録が刊行されていた。これらの内,桑谷(1903a,

b)の「実業家成功叢書」の第1編がカーネギー,第2編がロックフェラーである。すなわち,

米国の実業家で財をなした人物であり,精力的に慈善事業に取り組んだことは戦前から紹介さ れ世に知らされていたのである。

 カーネギー,ロックフェラーの活動は,まず,個人から始まり,財団の形で次第に規模が大 きくなると自然科学の領域への支援が目につくようになる。たとえば,カーネギーの助成によ り実現したカリフォルニア州に所在する通称「ハッブル天文台」,さらに彼の名が残る1990年 代の「ハッブル宇宙望遠鏡」を用いたブラックホールやピックバンなど一連の天体観測(野本・

ウイリアムズ,1997)がある。ロックフェラーでは,現行の千円札の肖像に使われている医学 者,野口英世(1876−1928)も在籍し,数多くのノーベル賞受賞者を輩出した「ロックフェラー 医学研究所」の医学研究へのサポートが代表格である。大富豪が当時の社会情勢から関連企業 のイメージアップや効果的な社会貢献の一つとして手を付けたのがこうした科学研究領域への 助成であった。

 それでは,現在ではどのようであろうか。「コートに響く音。ボールと向き合う静謳1」(車い すバスケットボール,2014年9月21日),「激しいバトルを可能にするチームの支え」(ウィルチェ アーラグビー,2015年6月21日),「一人じゃない。だから限界も超えられる」(水泳,2015年

7月19日),「心の声で確かめ合って」(デフビーチバレーボール,2015年8月16日)などの言 葉が眼に入る。これらは,「Dream as One ともに一つになり夢に向かって」をキャッチフレー ズとして,「朝日新聞」に月2回,日曜日にタブロイド版で配布される「グローブ」の裏表紙 の見出しである。日本の代表的な総合商社三菱商事(1954年設立)の全面広告であり,障がい 者スポーツへの支援を前面に打ち出している。

 実際同社のホームページ(http:〃www,mitsubishicorp.com加石a/csr/2015年8月21日閲覧)

を訪れると「サステナビリティ」のアイコンに「社会貢献活動」がある。そこでは基本理念と して,コーポレート・シチズンの自覚の下,「地球環境」「福祉」「教育」「文化・芸術」「国際 交流・貢献」の分野を中心に,世界各地の社員が自発的に参加して汗を流すとともに,継続し て活動に取り組むことを重視しているという。福祉には,「障がい者が仕事を通じて「社会へ の完全参加と平等」を実現するための自立支援や社会福祉活動への取り組み,青少年の育成と 次世代のリーダーを育てることを目的とした様々な教育分野での支援を実施している」と述べ

(3)

ている。具体的活動は「環境・CSR通信」に載せられ,2015年7月には脳性まひ障がい児を対 象とし「英語でサッカー教室」と題して,同社社員がこの教室にボランティアで参加した様子 が写真から窺うことができる。

 このCSR(Corporate Social Responsibllity:企業の社会的責任)なる語は,21世紀に入って からしばしば耳にするようになったもので,福祉系雑誌の特集でも黒田・長谷川(2010)「企 業の社会的責任(CSR)と障害者支援〜数字から見る企業の障害者雇用・支援の実態〜」(「ノー マライゼーション 障害者の福祉」,2010年7月号)のように使われている。ここでは,障害 者雇用について,「障害者雇用という課題は,組織統治,人権,労働慣行など広い分野に関わ るものです。つまり,法定雇用率のL8%という数字をクリアすればよいということではなく,

障害者の就労や仕事のあり方を考える,あるいは障害者個人の資質を生かし,働きがいのある 場をいかに提供できるか,ということが課題になっていくと思われます⊥「CSRへの関心の高

まりは,障害者雇用の拡大や地域社会のバリアフリー化などの推進力となりつつあります。

2009年に策定された厚生労働省による「障害者雇用対策基本方針」においても,近年の障害 者雇用率上昇の要因の一つに,CSRへの関心の高まりが挙げられています」などと述べられて

いる。

 こうした企業あるいは企業をベースとした財団の社会的活動は,20世紀末までの「フィラン ソロピー」の名よりも現在では,「CSR」と呼ばれるようになっている。福祉系学生もこうし た動向は,卒業後の進路を含めて是非理解しておく必要があろう。そこで,本稿は特に米国の 大型財団の活動を歴史的に振り返りながら,どのような理念で,どのような点に着目しながら 社会貢献活動を行い,社会的責任を果たしてきたかについて浮き彫りにしていくものである。

国家に依存しない民間活力をズームアップした多元化社会構築や新たな社会デザインを考える 際の素材の一つになれば幸いである。

1.大型助成財団について

 企業の社会貢献といえば,その企業自体が資金やマンパワー,資材などを提供するのが一般 的である。しかし,要望が多様化し,活動内容も複雑化,高度化,専門化してくると公益法人 のような別の団体を設けてそこを拠点として活動することがしばしばである。企業の記念事業 にそれが当てられる場合も少なくない。

 わが国の場合をみておこう。ここにいう「公益」とは,不特定かつ多数の者の利益の増進に 寄与することであり,公益法人とは公益を目的とし,営利を目的としない社団・財団で,主務 官庁の許可を得た法人(民法第34条)のことである。そして,原義的に「公益」法人は,志の ある人の集まりないし,財産の集まりとして,民間公益活動を担うものである。ところが,わ が国では,1898(明治31)年施行の公益法人制度は,「各主務官庁が裁量に基づき法人設立を「許 可」し,法人を「所管する」仕組み」(内閣府,2014)であった。

      一69一

(4)

 しかし,その実態は「「公益」は本来国家が行うべきことであり,民間人がこれを法人とし て行うときは,主務官庁が厳重な審査をし,社会を紫乱させる恐れがない場合に限り特にこれ を許可し,設立後も主務管庁が監督するという考え方」であった。そして,その実態は,各省 庁が行政事務を委託する公益法人を設立し,そこへ「天下り官僚を送り込む,補助金,委託金 などの名目で税金を投入」して業務を独占し,「不特定多数の社会の人々の利益増進に寄与す るどころか,いわば官益・省益」を確保する事例が多数みられ,目に余るような「官製公益法 人の弊害が顕著」であったのである(太田,2009)。加えて,新規法人の設立が困難,「公益性」

の判断基準が不明確「公益」とは言い難い法人の存在,主務官庁の絶対的な支配力なども指 摘され続けた(内閣府,2014)。

 そこで,公益法人制度改革が着手され,「公益社団法人及び公益財団法人の認定等に関する 法律」(通称,公益法人認定法)を主体に他2法案を含め,2008年12月31日,新公益法人制度 が全面的に施行された。主務官庁制は廃止され,法人格の取得が登記のみで可能となり,公益 性の認定は民間有識者の審査で行われることになった(内閣府,2014)。まさに1898年に施行 された民法で規定する社団法人制度および財団法人制度の「110年ぶりの公益法人の改革」(久 保田,2006)であった。そして,「このような公益法人制度が,110年問一度も実質的な改正が なく今日まで続いたことはある意味で奇跡といってよいかもしれない」(太田,2009)という 感想すらみられるのである。

 ところで,新たな公益法人制度において,公益認定を受けられる法人は「公益目的事業(学 術,技芸,慈善その他の公益に関する23種類の事業であって,不特定多数の者の利益の増進に 寄与するもの)を行う法人」である(久保田,2006)。わが国では,旧制度の公益法人は,全 部で約25,000件が登録され,財団法人と社団法人が半々であった。この内,助成財団とは,助成,

奨学,表彰等を行う制度的概念の財団法人で,日本では約1,100件(財団法人の1割)あり,

助成総額は,約500億円である。これら旧制度下の公益法人は,2013(平成25)年11月の移行 期間終了時点で,9050法人が新たな公益法人に移行申請している(内閣府,2014)。なお,参 考までに示すと,わが国の国家予算の助成額は約3,300億円であり,資産規模が100億円以上の

ものを大型財団としている。19件を数える。こうした公益法人の制度改革が背景として大型財 団ばかりでなく,企業の社会貢献,社会的責任を後押しすることにも繋がったのである。

 さて,21世紀に入った今日,世界最大の大型助成財団で慈善基金団体と目されるのが米国太 平洋岸ワシントン州のシアトルに本部を有する「ビル・アンド・メリンダ・ゲイツ財団(Bin and Melinda Gates Foundation)」(http://wwwgatesfoundation.org/2015年8月28日閲覧)で ある。わが国でも,「資産残高約3兆円と世界一の助成財団である「ビル・アンド・メリンダ・

ゲイッ財団」に全米第2の富豪ウォーレン・パフェット(Warren Edward Bu岱ett,1930一)が約 4兆円(370億ドル)を寄付することが大きな話題になったが,国の経済力に比べるとわが国 の助成財団の規模はあまりにも小さい」(堀内,2007)とか各種メディアが報道した米国では 2006年に,マイクロソフトのビル・ゲイツ会長夫妻による「ビル・アンド・メリンダ・ゲイッ

(5)

財団」の創設,著名投資家で世界第2位の富豪として知られるウォーレン・パフェット氏によ る同財団への史上最大の寄付(約370億ドル,約4兆円)など,巨額な寄付が耳目を引いた。

米国の年間寄付総額は,2002年において2,410億ドル(約23兆円)であり,その9割は個人か らの寄付である等,この助成財団の資金規模の大きさに驚嘆し,日本の場合を嘆く調子である。

 この財団は,かのマイクロソフト社(1975年設立)の共同創業者で会長ビル・ゲイツ(William Henry Bi11 Gates皿,1955一)と妻のメリンダ(Melinda Ann Gates,1964一)により2000年設立(前 身は1996年半ら)された。さらに,2006年には,上述のように「投資の神様」パフェットの資 産の80%を超える額に相当する寄付を受けトップに躍り出た。彼は,世界長者番付けでゲイッ に次ぐ第2位を占めることがしばしばであった人物である。

 その成果は,21世紀に入って隔年ごとに授与されるように整備された「メアリー・ウッダー ド・ラスカー公益事業賞(Mary Woodard Lasker Award fbr PubHc Service)」の後継で2009年か ら始まった「ラスカー・ブルームバーグ公益事業賞(Lasker−Bloomberg Public Service Award)」

を2013年に受賞していることからも窺われる。この賞は,米国最高の基礎医学賞でノーベル医 学生理学賞受賞と直結しているともいわれる「ラスカー賞」の授与母体である「ラスカー財団」

から与えられるものである。受賞対象は,「財団活動を通じた世界規模の公衆衛生の改善(toward improving global public health through the work of their fbundation)」である。日本語版ウィキ ペディア(https:ノ石a.wikipedia.orglwiki/2015年8月28日閲覧)には,「世界の喫緊の健康課題 に対する見方を変えた歴史的転換,および多くの社会的弱者の生活改善」と解説されている。

なお,日本の大学との関係から言えば,ビル・ゲイツは2000年に立教大学から,2005年には早 稲田大学からそれぞれ名誉博士号が授与された。

 もっとも,この財団を紹介した記事(青木,1999)には次のようにも述べられてる。全米1 位といっても世界第1位の財団ではなく,その上にはイギリスの「ウエルカムトラスト

(Wellcome Trust)」(1936年設立)がある。両者に共通していることは医学研究の助成に力を 入れていることである。世界1位はプログラムとして「グローバルヘルスプログラム」がある。

これには,ワクチン開発,公衆衛生,エイズ研究が含まれる。

 さて,米国のこのような大型助成財団の設立は20世紀に入ってから見られるようになったも のである。設立順に年間助成額と共に示すと,カーネギー財団:1911年(8.2億ドル),ロック フェラー財団:1913年(31億ドル),ケロッグ財団:1930年(124億ドル),フォード財団:

1936年(137億ドル),ビル・アンド・メリンダ・ゲイツ財団:2000年(307億ドル)などである。

なお,この財団の年間助成額と日本の官民合わせた助成額がほぼ同額である。いかに巨大であ るかが推測できるであろう。

2.カーネギー財団の誕生

それでは,米国で最古のカーネギー財団の場合をみてみよう。この財団の設立者カーネギー        一71一

(6)

は「鉄鋼王」として,また,ニューヨークのマンハッタン地区に所在する「カーネギー・ホー ル(Carnegie HalD」(189!年設立,カーネギー・ホールという名称の建物自体は米国内外に複 数存在する)に名を残す。彼は1902年にワシントン・カーネギー協会を設立し,1911年には科 学研究を支援する財団法人として「カーネギー財団」を設けた。カーネギーは,「企業が金儲 けをする時期と,その儲けを社会に還元する時期に分けて考えた」という(丹下,1994)。代 表的なフィランソロピスト(Philanthropist:社会事業家慈善家などとも訳される)と目さ れるカーネギーの活動は,会社の儲けを社会に還元する時期に顕著にみられる。ロックフェラー に次ぐ史上2番目の富豪とされることが多い。

 このカーネギーの有名な言葉は,フィランソロピーを志す人々への啓発書といわれる1901年 に刊行された『富の福音(Gospel of Wealth)』にみられる。たとえば,「富を持って死ぬもの は不名誉である⊥「人間は能う限り稼ぎ,能う限り与えなければならない。もっとも困難な仕 事である賢明な分配に専心する決意をした」(Carnegie,!901;カーネギー著,田中訳201!)

などである。ただし,別の所では「生活に困窮しているという理由だけで,軽率に援助を与え 続ければ,結果として援助を与えた人の真意とは逆のことになる。そのような慈善事業なら,

何も援助をしないほうがよい」とも考えていた。

 こうした発想は,1920年代の米国の代表的な遺伝学・優生学者,ダヴェンポート(Charles Benedics Davenport,1866−1944)の考えと通回する。彼は,1910年にカーネギー協会傘下で米 国優生学の拠点ともいうべき「優生学記録所(Eugenic Record O笛ce)」を設け,翌1911年には

『優生学と関連した遺伝学(Heredity in Relation to Eugenics)』を著した。これは,ほどなくわ

が国でも『人種改良学』と題して翻訳されている(ダヴェンポート著,中瀬古・吉村訳

1914)。

 さて,カーネギー財団の活動として,まず,学術領域への研究助成が挙げられる。それは,

主として自然科学に対するもので,宇宙・地球科学と医学・生命科学の分野にみられる。研究 代表者とその概略を示すと以下のようである。

・ハッブル(Edwin Powe11 Hubble:1889−1953)

 1917年,カーネギー財団は,カリフォルニア州パサディナ近郊のウィルソン山にカーネギー 研究所の一つとして反射望遠鏡を置く天文台を設立した。ハッブルは,そこで天体観測を行い,

宇宙膨張などを発見したのである。そのため,しばしば「ハッブル天文台」と呼ばれる。彼は ノーベル賞受賞候補者の推薦を受けたが受賞までには至らなかった。

・ルービン(Vera Rubin:1928一)

 ルービンは,女性天文学者で1965年より首都ワシントンのカーネギー研究所に在籍した。天 体現象を説明するために1930年代から想定された仮想の物質である「暗黒物質(dark matter)」

の存在を明確化したことで知られる。この間接的な存在の発見は,1970年代に彼女によって銀 河の回転速度の観測から行われたものであった。

(7)

・リヒター (Charles Francis Richter:1900−1985)

 地震が発生すると必ずといってよいほど規模を推測する数値情報として提供される「マグニ チュード」は,1927年からカーネギー研究所に在籍したリヒターを中心に考案されたものであ

り,「リヒター・スケール(Richter Scale)」とも呼ばれる。

 このように,ブラックホール,暗黒物質,マグニュチュードなど特に自然科学と意識しなく ても日常生活で登場する話題の研究が財団,研究所を含めたカーネギーによって支えられてい たのである。これら天体観測や宇宙・地球科学の他に,医学・生命科学では遺伝学の領域に多 額の研究費が助成された。その結果をノーベル医学生理学賞の受賞にみることができる。その 受賞テーマと概略は,以下のようである。

・1969年受賞,ハーシェイ(Alfred Day Hershey:1908−1997)

ウイルスの複製と遺伝機構の解明。1950年からカーネギー研究所遺伝学部門の研究員となり,

1962年目は所長に就任した。ファージの遺伝子に組み換えが起きていることを示したもので

あった。

・1983年受賞,マクリントック(Barbara MaClintock:1902−1992)

 動く遺伝子トランスポゾンの発見。マクリントックは,1921年のカーネギー研究所遺伝学部 門の発足から1967年,ニューヨーク州ロングアイランドに所在する「コールド・スプリング・

ハーバー研究所(Cold Spring Harbar Laboratory)」(1962年設立)として発展的に軌道に乗る 時期まで在籍した(http://wwwcshl.edu/)。彼女の研究は,トウモロコシの斑入りを材料に行 われ,固定されていると思われた遺伝子内のDNAが「動く」ことを示し大きな話題となった。

20世紀最大の生命科学上の発見といわれるDNA二重らせんモデルと遺伝情報伝達機構iの提唱 でノーベル生理学医学賞を1962年に受賞したワトソン(James Dewey Watson:1928一)は,

1968年から1983年までこのコールド・スフ.リング・ハーバー研究所の所長を務めていた。

・2006年受賞,ファイアー(Andrew Zachary Fire:!959一)

 RNA干渉の発見。彼は,1986年から2003年まで首都ワシントンのカーネギー研究所の支所 の一つであるメリーランド州ボルチモアに所在する発生学研究所に在籍した。ノーベル賞受賞 の研究は,そこで行われたものである。RNAを用いて目標とする遺伝子の詳報発現を制御でき,

これにより機能が未知な遺伝子の働きを解明することが可能になるというものである。

 なお,20世紀初頭,すでにカーネギー研究所は,次の3名の日本人研究者へ助成を行ってい

た(溝i口,2005)。

・野口英世(医学者:1876−!928)1902年,ヘビ毒及び関連毒物の研究

・谷津直秀(動物学者 1877−1947)1904年,紐形動物の実験的研究

・山内繁雄(植物学者 !878一?)1905年,藻類の細胞学的研究       一73一

(8)

 これらは日本人が外国機関から研究助成金を受けて研究に取り組むことができた最初期のも のである。彼らは研究を遂行していく中で,外国における研究組織や手法,国際水準の理解,

研究上の人脈などを形成していったのであった。なお,2007年より,カーネギー研究所はカー ネギー科学研究所(Carneg重e Institution fbr Science)と改称し,発生学,地球物理学,環境生 態学,天文学,植物科学,地磁気学の6部門を有している。

 また,カーネギーは「図書館の守護神」といわれ,世界中で2,500館以上の図書館建設に寄 付を行った。カーネギーが財団組織となる前の1898年から米国の公立図書館へ寄付を開始し,

1905年にはシラキュース大学に図書館を寄贈している(Carnegie Corporation of New Ybrk,

1943;ボビンスキー著川崎訳2014)。図書館へのサポートもカーネギーが最初期から考えて いたものであった。

3.ロックフェラー財団の場合

 さて,ロックフェラー財団を設立したロックフェラー一世と長男家族は,ロックフェラー・

ファミリーと呼ばれる。石油トラストで巨万の富を得た彼らに対する評価は時代と共に変化し,

20世紀の変わり目頃には非情な悪者と見倣され,独占資本が公共の福祉に反すると捉えられた。

社会貢献を開始する時期が遅いなどとの批判を受けたが,それを鮮明に打ち出したのは,1913 年5月14日設立された「ロックフェラー財団(Rockefeller Foundation)」(ニューヨーク州法第 488号)の活動からであった。設立申請書類を1910年3月目提出したが,何か裏があるのでは ないかと疑われ,引き延ばしや店晒しに遭った。石油トラストに対する社会的批判への人気挽 回策として,医学研究こそ,最も崇高で最も派手な寄付行為と捉え実行していったのであった

(フォスディック著,井本・大沢訳1956,George,1964)。

 本稿冒頭でも触れたように,ロックフェラーは少年時代から寄付人生を歩んできた。また,

母から耳にタコができる位に聞かされた言葉が「働き,貯え,与えよ」であった。そして,文 字通りそれを実行した。すなわち,1855年の16歳時に初収入で得た100ドルの内,5ドル50セ

ントをキリスト教事業に寄付した。26歳の時には1000ドル,30歳時には6000ドルと額が増加し た。そして,53歳の時では,シカゴ大学設立に3500万ドルを寄付した。廃校寸前の学校から全 米トップレベル,さらに国際的にも極めて高い評価がなされる大学へ引き上げたのである。当 初,大学名を寄贈者のロックフェラーにちなんで「ロックフェラー大学」にしようという提案 があったが,ロックフェラー自身が固辞し,地名を採った「シカゴ大学」にしたのであった。

この他にも大学としては,ニューヨークのマンハッタン地区にロックフェラー医学研究所を前 身とするロックフェラー大学(1965年設立)がある。こちらは,人名を大学に取り入れている。

 米国では,南北戦争後の19世紀末は慈善時代であったという。「莫大な富が比較的少数の人 に集中し,そうした人には所得税も事業税もかからなかった。そのために膨大な余剰が生じ,

その多くが慈善,宗教教育といった目的に用いられた」(ボビンスキー著,川崎訳2014)

(9)

のである。まさに,米国における近代資本主義が最も自由奔放に羽根を伸ばした時期ともいえ,

カーネギーやロックフェラーに活躍の場を提供することになった。

 さて,ロックフェラー財団の初期の活動は,医学教育と公衆衛生の充実であった。財団が設 立された頃,米国の医学・医療は知識や訓練が不足していた。そこで,医学教育の制度改革と

して,4年間の教育課程で,前半2年で基礎医学,後半2年は臨床医学を学ぶこととした。そ のために,適切な教員配置実習室,付属病院の設置が必要とされ,コロンビア大学やジョン ズ・ホプキンス大学など米国東部の大学の医学,公衆衛生教育や専門職養成のための支援を行っ たのである。

 また,ロックフェラー財団は,中国における西欧近代医学の導入も目指した。伝統的な中国 医学(漢方)を有する中国としては,当初,寄付に対して政府が難色を示したが,最終的には 受け入れ,1921年に「北京人民医学校」設立することができた。そして,ここの卒業生がのち に,中国における病院運営や政府の保健事業で活躍することになった。

 ロックフェラー財団の活動は,次第に国際的舞台に移って行った。1909年,ロックフェラー 衛生委員会が設立され,1913年にはロックフェラー財団国際保健局になった。これが,国際保 健機構(WHO:1948年設立)の源流に相当するものである。具体的な活動として,1910年か

ら1914年まで,米国南部における十二指仔虫撲滅。1915年よりマラリア(ハマダラ蚊が媒介)

対策着手。1921年から1923年までメキシコで黄熱病撲滅運動。この間の1922年からは政府公衆 衛生局と「共同マラリア制圧運動」開始。そして,1939年から1941年まで,ブラジルでハマダ

ラ蚊撲滅。などが挙げられる(溝口・高山,2005)。

 また,1939年に殺虫作用が見出されたDDT(dichloro−diphenyl−trichloroethane)を1942年か らシラミの駆除に利用する研究を開始した。さらに,第二次世界大戦中の戦時研究としてのペ ニシリン開発もロックフェラー財団の助成で行われたものであった。

 さて,ロックフェラーと彼の側近たちにより,20世紀初頭,財団顧問の意見を参考に社会貢 献が明瞭でイメージがよく,かつ,フランス・パリのパスツール研究所(Institut Pasteu鶏1887 年設立)やドイツのベルリンなどに設けられたロベルト・コッホ研究所(Robert Koch Institut,

1891年設立)に匹敵する医学研究所の設立構想が練られた。こうして財団設立以前の1901年に 設けられたのがロックフェラー医学研究所』 iThe Rockefeller Institute fbr Medical Research)で ある。そして,財団傘下に入って以来,この研究所からは以下のように続々とノーベル賞受賞 者を輩出した。在籍時期,ノーベル賞受賞テーマとその概要をまとめた。

・カレル(Alexis Carrel,1873−1944):フランス生まれの外科医学者。1905年から1939年まで 所員,血管縫合の研究により1912年,米国初のノーベル生理学医学賞受賞。組織培養,引い

ては,臓器移植の基礎研究に相当するものである。

・ラウス(Francis Peyton Rous,1879−1970):米国生まれ。1909年より所員。がんウイルス研 究(ラウス肉腫)の研究により,1966年ノーベル生理学医学賞受賞。研究成果の第一報から       一75一

(10)

 ノーベル賞受賞までの期間が最長といわれる。ニワトリの肉腫から得られたもので,発がん の原因にウイルスによるものがあることを示した。

・ノースロップ(John Howard Northrop,1891−1987):米国生まれ。1916年から1961年まで所員。

 タンパク質分解酵素ペプシンの結晶化により1946年ノーベル化学賞受賞。生体内の化学反応  を調節している酵素の本体がタンパク質であることを突き止めた。

・ラントシュタイナー(Karl Landsteineら1868−1943):オーストリア生まれの病理学者。1922 年から1943年まで所員。ABO式血液型発見により1930年ノーベル生理学医学賞受賞。 Ph式 血液型も彼の発見である。ノーベル賞受賞者講演の際に,血液型が輸血,親子鑑定,犯罪捜 査等に利用できる極めて有用なものであることを述べた。

・スタンレー(Wendell Mereith Stanley,1904−1971):米国生まれ。1931年から1948年まで所員。

タバコモザイクウイルスの結晶化により1946年目ーベル化学賞受賞。タバコモザイク病の原 因であるタバコモザイクウイルスの結晶化に成功した。これにより,ウイルスが主としてタ  ンパク質と核酸から構成されることが明らかになった。

・クラウデ(Albert Claude,1899−1983):ベルギー生まれの細胞学者。1929年より所員。細胞 の構造と機能に関する発見により1974年ノーベル生理学医学賞受賞。電子顕微鏡を使った細 胞の観察や細胞分画法を考案し,細胞内小器官の構造や機能を解明する途を拓いた。

・パラーデ(George Emil Palade,1912−2008)ルーマニア生まれの細胞学者。1958年から1973 年まで所員。ロックフェラー医学研究所において研究を進めクラウデとともに1974年にノー ベル生理学医学賞受賞。

・ガッサー(Herbert Spencer Gasseら1888−1963):米国生まれ。1935年忌ら1953年まで研究所 第2代所長。神経線維の研究により1944年ノーベル生理学医学賞受賞。神経細胞の細長い突 起である軸索の機能と活動電位との関係を明らかにした。

・ムーア(Stanfbrd Moore,1913−1982):米国生まれ。1938年より所員。リボヌクレアーゼの 研究により!972年ノーベル化学賞受賞。リボ核酸(RNA)中のリボースとリン酸基の問の 結合を加水分解する酵素として作用するリボヌクレアーゼの構i造を明らかにした。

・テータム(Edward Lawrie Tatum,1909−!975):米国生まれ。1957年から所員として在籍。代 謝過程に対する遺伝子による調節に関する研究を行い,1958年ノーベル生理学医学賞受賞。

一つの遺伝子が一つの酵素を支配するという「一遺伝子一酵素説」を提唱した。

・ヘンリク・ダム(Carl Peter Henrik Dam,1895−1976):デンマーク生まれの生理・生化学者。

渡米して1942年から1945年まで研究所員。ビタミンKの発見と人体におけるその働きの解明 により1943年度ノーベル生理学医学賞受賞。ビタミンKは,血液凝固に関係し,これが不足 すると出血することがある。

・メリフィールド(Robert Bruce Merri且eld,192!−2006):米国生まれ。1949年より所員。ペプ チド合成法により1984年ノーベル化学賞受賞。この方法で人工的にインスリンなどの生理活 性物質や酵素を合成する途を拓いた。

(11)

 ロックフェラー医学研究所では,1901年の設立時から初代所長フレキスナー(Simon.

Flexneろ1863−1946)が野口英世の能力を高く評価していた。そこで彼は野口に協力要請し,

1904年にそれを受け入れ,着任した。野口も1914年,1915年,1925年にはノーベル生理学医学 賞の候補者に上っていた(岡本,2000>。この野口といえば,死亡率50〜90%と推定される黄 熱病の研究が最も知られている。中南米やアフリカで断続的に大流行がみられる。ロックフェ ラー医学研究所を拠点にロックフェラー財団が黄熱病対策に1915年より乗り出したのである。

戦後では,現代生物学の代名詞と受け取られている「分子生物学(molecular biology)」の基 盤構築にロックフェラー医学研究所は大きく貢献した(Kay 1993)。この研究所は,1965年か

ら教育部門を増設し,発展的にロックフェラー大学として改組された。この領域で,国際的に 最も評価が高い専門誌」側朋α1qズMO1θC㍑Zαrβ∫010gアは,当初,このロックフェラー大学から出 版されたものであった。ノーベル賞受賞者の研究領域をみても分子生物学の主流に関わるもの が大半である。

 なお,このロックフェラー財団は戦前から日本とも深い関係がみられた。主な内容を時系列 に挙げ(溝i口,2006a,溝口,2008),若干の解説を加えれば以下のようである。

1923年:北米の臨床医学の視察:藤波鑑(1870−1934,病理学),三浦謹之助(1864−1950,内  科学),三佐八郎(1873畦938,細菌学),宮入慶之助(1865−1946,寄生虫学),長與又郎(1878  −1941,病理学),高木喜寛(1877−1953,外科学)の6名が選ばれ参加した。

!924年:東京帝国大学図書館復興:関東大震災(1923年)により甚大な被害を受けたことによ  る。

1927年から1942年:聖路加国際病院の看護師に対して,米国流の臨床場面に力を入れた看護教  育の研修を実施した。

1928年から!93!年:慶鷹義塾大学へ米国の生物学者を派遣:カーティス(WC. Curtis),ジェ  ニングス(H.SJennings),マックラング(C. E. McClung),ピアース(R. M. Pearce),テ  ルネット(D.H。 Tennent)らが来日し,主として医学部で実際に講義を担当した。

1929年から1934年:東北帝国大学へ米国の生物学者を派遣:チャイルド(c.M. child),コフォ  イド(C.A. KoR)id),ル・プラン(T工Le Blanc),マクレドン(工FMcCledon),ムーア(A.

 R.Moore)らが来日し,主として理学部や付属の浅虫臨海実験所で講義や実習を担当した。

1933年:公衆衛生院(The Institute of Public Health,)設立。当初はロックフェラー財団が日  本政府へ寄贈したものであった。2002年に発展的に解消し,国立保健医療科学院に包含され  た。

1952年:米国の心理学者が来日し,当時の日本の心理学専攻の大学院生や大学助手など若手研  究者に実験心理学セミナーを京都で開催した。このセミナーへの参加が,わが国の若手心理  学者の登竜門となった。戦後の日本の心理学が米国流の実験心理学の路線を踏襲する契機と  なったものと捉えられる。

      一77一

(12)

1952年:国際相互理解増進を目的に,国際文化会館(lnternational House of Japan)がロックフェ  ラー財団の支援により建設された。ここは,2012年より公益財団法人化され運営されている。

 国家による支援でなく,一民間財団でここまで成し遂げているのである。驚嘆に値するのだ が,このロックフェラー財団とビル・アンド・メリンダ・ゲイッ財団は,社会的な懸念や批判 を浴びる点で類似がみられる。上述のようにロックフェラー財団の方は,反トラスト法への回 避が疑われ,助成・慈善事業が企業本体の事業収入をあいまいにしてしまうのでないかという 疑義が出された。そのため,紆余曲折を経ながらようやく1913年5月,ニューヨーク州から設 置が認可された。

 一方,ビル・アンド・メリンダ・ゲイツ財団は,ゲイツの寄付行為の動機が不純であるとの 指摘をテレビのニュースキャスターから受けた。すなわち,マイクロソフト社の連邦政府法務 省の告発による反トラスト法違反の裁判で,「会社と創設者のゲイッが被ったイメージダウン を和らげようとの意図が働いているのではないか」(青木,1999)というのである。こうした 批判に対して,ゲイツの父親は「反トラスト法裁判と寄付とは全く関係がありません。息子夫 婦は財団が行っていることを率直に気に入っているだけです」,「自分たちの富を建設的な方法 で使いたいと心から強く望んでいるのです」(青木,1999)と語っている。社会的批判の回避 を目的としていること等は,邪推に過ぎないと主張しているようでもある。

4、フィランソロピーとCRS

 これまで,企業の社会貢献といえばフィランソロピー(Philanthropy)が知られていた。逆に,

Philanthropyの訳語が「(企業の)社会貢献」に充てられることがしばしばであった。これに ついてみておきたい。語源として,PhilanthropyはPhil(愛)+anthropy(入間)。すなわち,

ギリシャ語が起原で人間を愛することである。そこから,寄付(金銭物品)や支援(労働力)

などを意味する人類愛博愛行為,慈善事業を指す。そして,この実践者をフィランソロピス トとか篤志家慈善事業家などという。今日では,「企業の社会貢献活動」を意味することが 多い。20世紀初頭からカーネギーやロックフェラーが財団組織を設け,自然科学・医学研究を 中心に支援活動を展開したのはこの典型でもある。類似したものと捉えられているのがメセナ

(Mecenat)やパトロン(Patron:後援者)である(本間,1993;丹下,1994)。1990年に設立 された日本の公益社団法人企業メセナ協議会(wwwmecenat.oLjp/)では,「芸術文化の振興と これを通した社会創造に取り組んでいます」としている。国際的なスポーツ大会やコンサート,

イベントなどのいわゆる「冠大会」「冠競技場」などのイメージである。

 このような活動は,わが国では皇室の下賜金から始まり,篤志家そして資産家による財団 が設けられ,そこが担当するようになった。そして,民間助成財団の成立や展開についての研 究や分析は,すでに行われてきた(堀内,2007;長谷川,2011)。すなわち,明治期から「防

(13)

長教育会」を初め,奨学制度を実施する公益法人が設置され,1898(明治31)年には,生活困 窮者や孤児などを救済する支援財団である「角館感恩講」が発足した。そして,大正末期から 昭和初期にかけては,民間助成財団の草分けといわれる「陶器王」森村市左衛門(6代目,

1839−1919)による「森村豊明会」(1914年設立),自然科学ばかりでなく東北地方の心理学者 への研究助成を行った「斉藤報恩会」(1923年設立)(溝口,2006b),癌研究会などへの助成 で知られる三井報恩会(1934年設立)等が誕生したのである。また,この頃にはカーネギーの 活動がしばしばわが国にも伝えられていた(長谷川,2011)。しかし,日本では「「博愛(フィ ランソロフィ)」がブルジョア層に定着せず,慈善事業の支援が一般化しなかった」(吉田,

2004)という見方もある。

 日本でのフィランソロピーの動向に変化がみられるのは1970年代に入ってからであった。そ れを企業の社会的貢献という観点から振り返ってみよう。1973(昭和48)年5月28日に開催さ れた経済団体連合会(1946年8月設立,2012年目り一般社団法人,以下,経団連)第34回総会 において,「福祉社会を支える経済とわれわれの責務」と題する決議が採択された(株式会社 産研編1980)。こうした背景には,経済的豊かさだけでなく,経済優先の考えから「美しい 環境人間性豊かな生活」を求める価値観の多様性がみてとれるからである。

 そして,企業の社会貢献に関する動向が1970年代末からまとめられるようなった。1980年版 の企業の社会貢献を扱った資料集(株式会社産研編,1980)をみると,約230の企業の事業が 整理されている。事業は「研究助成」,「社会福祉」,「育英」,「教育振興,児童・青少年の心身 育成」,「環境保護・緑化⊥「病院・診療所,診療活動」,「成人病・難病対策」などが挙げられ ている。これらの内で「育英事業」,「研究助成」,「社会福祉事業」,「地域社会活動」が4本柱 という。社会福祉事業には,社会福祉施設そのもの,利用者,従事者への支援が多いが,在宅 の身体障害者の介護や社会復帰に関する活動も見られる。

 さて,フィランソロピーの目標として,企業が非営利団体を通じて「パブリック」な領域に 関わっていくことが「多元主義」の実現と民主主義に必要となる。官主導では対応できなくなっ ている福祉サービスなどを自ら企画し実行していく活動である。もっとも,フィランソロピー への批判もある。まず,外来語であるし,考え方も外国の受け売りに過ぎない。あるいは,キ

リスト教的博愛主義が浸透しているとはいえない日本でのそれは無理という。

 一方,経済同友会(1946年4月設立,2010年より公益社団法人)のホームページ(http:〃

wwwdoyukai.oLjplcsしsumma琳html)には,「21世紀を迎え,企業経営をとりまく環境が大き く変化する今日,「企業の社会的責任」の重要性を「CSR(Corporate Social Responsibility)」

という言葉であらためて提起し,その実践を推進しています。企業が持続的に発展していく ためには,たえざるイノベーションによって価値創造を続けるとともに,高い倫理観によって 健全な経営を行い,社会から信頼を得ることが不可欠です」と述べている。ここに見られるよ

うに,フィランソロピーという語よりもCSRなる言葉が用いられるようになってきた。

 しばしば,1995年ボランティア元年,!999年NPO元年,そして,2003年が日本のCSR元年       一79一

(14)

といわれる(高・日経CSRプロジェクト編,2004)。このCSRの用語に対して,直訳である「企 業の社会的責任」の語を当てるようになった。そして,この語が入った最初期の図書では,「今 問われているのは,「企業は何のために存在するのか」という本質的命題」とか「CSRは何も 特別なことではなく,本業と通じた「社会」への貢献である」などと述べられている(高・日 経CSRプロジェクト編,2004)。

 実際インターネットから企業の社会貢献活動のホームページを集めたサイト(http:〃www keidanren.oLjp!1p−club/link−kigyo.html)をみてみよう。業種を問わず社会的に知られた企業に 社会貢献を専門に扱う部署があることがわかる。「CSR推進室⊥「さわやかふれあいセンター」,

「社会環境推進部」,「環境・社会貢献推進部」,「広報部CSR・地球環境室」,「社会貢献推進室」

などの名称が並ぶ。このようにCSRがしばしば使われていることがわかる。

 社会還元とは「儲け」を「戻す」ことだが,批判の矛先をかわすために財団新設をしたとい う捉え方が依然みられる。何か「悪い事」をしたので,いわば,「免罪符」として社会還元を 考える風潮というわけである。そもそも「社会貢献」の「貢献」を前面に押し出すことに対し て違和感をもつこともあるだろう。そうした動向から,21世紀には「社会的責任」という鮮明 な態度が求められるようになってきたのである。

おわりに

 わが国において,公共的精神が芽生えたのは,阪神淡路大地震i(1995)といわれ,義援金1,730 億円が集まり,ボランティア数ものべ130万人を数えた。それ以降も,重油流出などで自主的

に活動が行われている。そして,精神的な土壌として一神教のキリスト教よりも多神教で寛容 を標榜する仏教の方がむしろフィランソロピーに向くかもしれないという考えもある(林,

2000)。民衆の「お上」任せの意識が過去のものになってきた証拠でもあろう。

 一方,社会貢献や社会的責任と云われても企業側にもためらいがあるだろう。そもそも,会 社は株主に負っており,従業員(そして,その家族)が生活できる経営を義務付けられている。

企業の存在意義は消費者,購買者にあり,企業が利潤追求活動ができるのは消費者との接点に おいてのみということである。海のものとも山のものとも分からないものに資金や労力などを 提供することはできないのである(田代,1997)。もっとも,このことは,評価システムの欠陥,

あるいは,未知の可能性に賭ける気概の問題でもあろう。

 社会貢献を特徴:付けた場合,国の助成金では,効率性,公平性,国益優先性が重視され,小 回りが効かない,政権に左右されることが考えられる。一方,企業資金の場合,先駆的,冒険 的,特定的な取り組みが可能であるが,継続性,安定性に欠けてしまうきらいがある(久須美,

2000)。多元化社会・多様な価値を認める社会を構築するのは民間であり,国に任せておくと却っ て良いものはできないという発想も考えられる。

 わが国は,経済的発展には大きな成果を収めたが,民間部門の行政依存体質から自立が遅れ,

(15)

自己責任の回避も起こってしまう。さらに,問題が起こると行政批判を繰り返すパターンがみ られる。また行政の縦割り制度の弊害もしばしば指摘される。社会の構成員であることの自 覚官命導出追従から官民協働というパートナーシップの確立が求められている(林,2000)。

 貯めて余裕ができてから,社会貢献を行うということではいつまでたっても実行できないし,

社会的責任も果たすことが困難であろう。まず,一歩を踏み出してみることから始まる。それ は「社会への恩返し」という発想や「揃いのTシャツで目立つイベントには参加する」(山形他,

2013)といった安易で惰性的な発想の見直しでもある。カーネギー財団,ロックフェラー財団 の科学医療へ助成から,ビル・アンド・メリンダ・ゲイッ財団や三菱商事などの福祉領域へ の眼差しは,今後の新たな社会デザインを考える上で不可欠と云っても過言ではないだろう。

 本稿は,2014(平成26)年6月19日,神奈川県茅ケ崎市役所分庁舎で開催された「平成26年 度立正大学デリバリーカレッジ」での話題「アメリカ大型財団の活動から見た企業の社会貢献」

の発表原稿に加筆訂正したものである。

追記 本稿脱稿後の20!5年!2月20日に発行された「朝日新聞グローブ」の特集は「グローバル ヘルス」であった。ビル・ゲイッの顔がカラーで表紙を飾っている。彼へのインタヴューで「個 人の資産だから,どう使うかは個人が決められる。日本の億万長者は何に使っているのかな。

僕たちは『子どもの死』を減らすことに使うことにした。それが自分にとって価値があるから だ」と語っている。本文に取り入れたかった発言である。

文献

アンドリュー・カーネギー著,田中孝顕監訳2011『富の福音』,きこ書房(原著:Andrew  Carnegie 1901跣8 go5ρ81(ゾ肥α妨θ忽。∫舵r伽⑳ε∬αア3, CenturメNew Ybrk,本論中の訳文は訳書  による)

青木利元 1999 米国No.1に躍り出た「ゲイツ財団」,公益法人,28巻11号,16−20頁 有川治助 1939 『ジョンデイロックフェラー 人及びその事業』,明治図書

C・・n・gi・C・・p・・ati・n・f N・w狗・k,1943伽・9 ・G…㈱・ムこわ・・ワβ〃伽9茂1890−1917, N,w%,k,

 Carnegie Corporation

ダヴェンポート著中瀬古六郎・吉村大次郎訳 1914 『人種改良学』,大日本文明協会 円城寺哲 1931 『ロックフェラー伝 偉人伝全集第10巻』,改造社

淵田忠良 1933 『偉人は斯く教へる』,キング,9巻1号,付録大日本雄弁会講談社

ジョージ・S・ボビンスキー著,川崎良孝・川崎智子 2014 『カーネギー図書館:歴史と影響』,京  都図書館情報研究会

G…g・WC・(1964)渥伽・・アψ乃・R・・罐〃・・1繍…1901−19530・ 9 。、α。4σ,。w酌Th,

 Rockefbller Institute Press

長谷川真司 2011大正期から昭和初期を中心とした日本の民間助成財団展開に係る社会的・思想的  背景に関する一考察,法政大学大学院紀要,第67号,229−251頁

林雄二郎 2000 なぜ今フィランソロピーか? 『改訂フィランソロピーの思想』(林雄二郎・今田忠

一81一

(16)

 編),日本経済評論社,3−20頁

本間正明 1993 『フィランソロピーの社会経済学』,東洋経済新報社 堀内生太郎 2007 日本の助成財団の歴史と発展,遠近,15号,16−!9頁 株式会社産研編 1980『「企業の社会貢献」資料室 1980』 株式会社産研 菅学応 1901 『立志の師表の成功の模範 カーネギー』,博文社

加藤直士 1939 『世に勝つ 鉄鋼王カーネ.ギーの成功の法則』,東洋経済出版部

Kay, L. E.(1993)乃εル∫01θ6〃αrレ75 oηqプLヴセCα々θc瓶ηセ1〜ocたψ1 εアん躍磁,,o鵜αη4ご加R甜8ρプ論θ  ノVεwβ〜010剖Oxfbrd University Press

久保田正志 2006 110年目りの公益法人制度の改革〜公益法人制度改革3法案〜,wwwsangiin.

 gojp加panese/annai/chousa/2015年9月30日閲覧

高望・日経CSRプロジェクト編 2004 『CSR 企業価値をどう高めるか』,日本経済新聞社 栗原元吉・生田弘 1903 『成功の福音 一名 アンドリューカーネギー』,内外出版協会 桑谷定逸 !903a 『カーネギー 実業家成功叢書 第1編』,同文館

桑谷定逸 1903b 『ロックフェラー 実業家成功叢書 第2編』,同文館

久須美雅昭 2000 ブイランソロピーの担い手一助成財団,『改訂ブイランソロピーの思想』(林雄二  郎・今田忠編),日本経済評論社,142−167頁

溝口元・高山晴子 2005 ロックフェラー財団における公衆衛生研究助成,人間の福祉,17号,9!−

 108頁

溝口元 2005野口英世とウッズホール臨海実験所一カーネギー研究所による助成との関連から一,

 生物学史研究,74号,15−26頁

溝口元 2006a ロックフェラー財団と公衆衛生院の設立,人間の福祉,19号,25−38頁

溝口元 2006b 日米研究助成財団と心理学一カーネギー財団,ロックフェラー財団,斉藤報恩会の  場合一,心理学史・心理学論,7・8号,1−14頁

溝口元 2008 日本の生命科学の展開とロックフェラー財団,学術の動向,!3巻5号,84−89頁 永栄潔 2000 『朝日クロニカル 週刊20世紀 1933−34』,朝日新聞社

内閣府 2014 『公益法入制度改革の進捗と成果について〜旧制度からの移行期間を終えて〜』,内閣

』府

中川重 1935 『ロックフェラー 偉人伝文庫第73号』,日本社

野本陽代・R.ウイリアムズ 1997『ハッブル望遠鏡が見た宇宙』,岩波書店 小畑久五郎 1922 『アンドルーカーネギー自叙伝』,富山房

岡本拓司 2000 ノーベル賞文書からみた日本の科学,1901年一1948年一北里柴三郎から山極勝三郎  まで,科学技術史,4巻 1−65頁

太田達男 2009 市民が担う新しい公益社会のデザインに向けて〜公益法人改革の視点から,21  Social Design Review,1巻,1−14頁

レイモンド,B.フォスディック著,井本威夫・大沢三千三訳 1956 『ロックフェラー財団一その歴  史と業績』,法政大学出版局

丹下博文 1994 『検証 社会貢献志向の潮流一フィランソロピーの新しい方向性を探る一』,同文館 田代正美 1997 企業の社会貢献,現代のエスプリ,113−123頁

ウヰリアム・ステッド著,坂本国三郎訳 1913 『無冠の帝王カーネギー詳伝』,内外出版 吉田久一 2004 『新・日本社会事業史』,勤草書房

      (2015年8月31日受付,2015年10月30日受理)

参照

関連したドキュメント

「心理学基礎研究の地域貢献を考える」が開かれた。フォー

当財団では基本理念である「 “心とからだの健康づくり”~生涯を通じたスポーツ・健康・文化創造

「新老人運動」 の趣旨を韓国に紹介し, 日本の 「新老人 の会」 会員と, 韓国の高齢者が協力して活動を進めるこ とは, 日韓両国民の友好親善に寄与するところがきわめ

この大会は、我が国の大切な文化財である民俗芸能の保存振興と後継者育成の一助となることを目的として開催してまい

このような状況のもと、昨年改正された社会福祉法においては、全て

「欲求とはけっしてある特定のモノへの欲求で はなくて、差異への欲求(社会的な意味への 欲望)であることを認めるなら、完全な満足な どというものは存在しない

重点経営方針は、働く環境づくり 地域福祉 家族支援 財務の安定 を掲げ、社会福

区の歳出の推移をみると、人件費、公債費が減少しているのに対し、扶助費が増加しています。扶助費