明治三十八年六月二十五日言行
號八+三月
.>b〈+一一一 ((品費非⊃
変量餐華南朋嬰桑公會
十全會雑誌第三十八號目次
O原著及實験.
O嗣撃嵩讐㊦寓署霞︼ち旨呪︷︶≡︵悪性副
腎腫︶ノ一例 特別曾員
O遺傳︵<宥零ゴ長︶ 署學博士
O咽頭扁桃腺肥大症ノ切除二依テ
治癒セル夜尿症ノ三例 特別甲羅
Oアクチノ・・︑コ:ゼ患者及標本ノ
デーモンストラチオン 特別満員 レ0黒水熱二就タ 特別曾員
O會報 渡 孚 官金 子 治 郎本 田 三 郎三股梅吉ヒ中 川幸 庵
O叙任及酢令O本校紀念日O大茶話會O日本海大海戦覗賀提灯行列〇十全
會第五囮講話部大會O金子博十學位授興覗賀會〇十全會柔道部寒稽古丁子
會O木杯下賜O故荻野隆光君省像及題欝O第ご回軍資献金O御噺・りO編輯
日誌 O通 信
O佐々木教授伯林第二報0大坂に於けろ第二回同窓會0吉川砥直君通信の
一節一 O會 告〇三十八年度十金會経費豫銘書〇十金會々則改正の件O寄購及交換書目O會費領収︑此外廣告歎件 ▲Ψ;←⁝→ ←幽→ ←叩→ ←⁝撃 Φ巾?影
踏 ・参?i 吟 ︑
生等現職ヲ執りテヨリ巳二一年︑ 誌ノ成ルモノ四︑徒ラニ先任諸
賢ノ駕路ヲ模索スルニ汲々トシ︑
己レノ職責ヲ全フシテ諸君ノ囑L望二慮フルナク︑衷心甚三遷悔訓 診堪ヘズ︑今筆ヲ欄キ任ヲ去ル
∫臨ミ︑一言以テ會員各位ノ寛
恕ヲ仰ク馬
明治三十八年六月
ト 十全會雑誌部員一同
・小・︐ ・ 一⁝一︒ーーー ︑ツ ーが 棚
牛
一
ゥ三︐糠
培彪八十三粥言1志豪亀會発→ゐ
O叙任及辮令
任陸軍三等軍馨 へ糞月二十七H︶
任陸軍三等軍醤
任陸軍三等軍讐任陸軍三等藥剣官 ハ以上四月九H︶任陸軍二等軍署
任陸軍二等軍馨
任陸軍二等軍讐任陸軍二等軍讐 ︵以上四月十日︶三級俸下賜 陸軍三等軍欝正八位陸軍三等軍讐正八位陸軍三等軍醤正八位陸軍三等軍盤正八位・ 仙波昌秋江 藤 潤 一高 伊三郎臼井順太郎小西 俊 三辻本辰︐之助宮 井 勇田中秀夫
金澤謄學專門學校教授大西克孝金澤醤學專門學校教授大西克孝
文官分限倉第十一條第一項第四號二俵ジ休職ヲ命ス
︵似m上四ロ刀二⊥T山ハ日︶下垂ハ位 從六位欝學博士金子治
叙從ムハ位 正七位 宮 .田 舶馬叙正七位 從七位石川 喜 ︵以上四月二十山日︶
郎 郎
直
︵會 報㌧究
i雷
一塵
h1隅鱗琶薗費彌顧
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通
任陸軍三等軍馨
本曇林笠富稻南阿富湖中堤河太伊宮後前下朝池山
灘豊讐畏繧驚鮒泰糠織1蜜1森
i造ミ丈郎貴八i欠一男譲恵造作市二作賢作郎敏郎雄
︵會 報︶き
_號燕漁黒_雛競蕪鼠、雲十 任陸軍三等藥捌官 任陸軍三等軍醤 ・任陸軍三等軍讐 ︵以上五月三十B︶ W任陸軍三等軍書 任陸軍三等軍馨 ︵以上五月ご十六郷︶ 任陸軍三等藥劃官 任陸軍三等藥捌官
依願免職務
依願免職務
依願免職務 ︵以上六月六日︶ 金澤病院三口 金澤病院醤員
︵以上三月ご十九日石川縣︶
︵四月†二日石川縣︶金澤病院讐員ヲ命ス
月俸金壷入圓給與
︵五丹六H石川縣︶月俸金三皇圓給與
月俸金戴拾圓給與
月俸金武拾臨監與
月俸金武拾圓給輿
月俸金載拾圓給與 金澤病院満員同同同同
寺村濱.溝井 田 地 ロ上
海奨1趣
郎吉郎 次次
伊熊 藤野 昌勉
、卒逡 谷
口長
松
佐 岡河 川 田三 密 剛忠 茂 準次 林關計猪入
見木田 啓 次雄彦智 篤郎輔助謹
月俸金戴拾圓給輿 . 金澤病院跨員 中月俸金武拾圓給輿 同 中月俸金武拾圓給與同片
︵以上五月三H石川縣︶ 金澤磐學轟門學校教授村
メ東京及千葉宮城力二縣下へ出張ヲ命ス 金澤欝學專門學校教授 島島 喜山 良上 庄
太作作誠
四月一日ヨリ日数十三日聞ノ至剛ヲ以テ病理學取調ノ爲
石 川 喜 直
四月一日ヨソ日数+二日聞・豫定ヲ以ヲ解剖學取調ノ爲・メ輻岡三科大回及長崎馨學混一學稜へ幽張ヲ命ス
︵以上三月三十一日木校︶出京ヲ命ス 金澤屠學恵門學校譲墨博士高安右人
︵三月三十M日戸部省︶ ︐ 金澤磐學專門學校膿操副科柔道教授方囑托青木恭太郎
.舳脱操田剛科敷楓双上取鋼嗣ノ爲三山兄都市へ山幽張ヲA叩ス
︵五月一日本校︶ 金澤丸運專門學校雇小原芳雄
爾今月俸金戴拾画給與
金澤讐學專樋門校雇﹂野 崎 芳 孝
爾今月俸金拾武圓給與
金澤馨學專門學校雇 中野田﹁太郎爾今月俸金拾武圓給與
︵以上五月一日本校︶
_號撚_±し一蔑.鱗箪_離.璽一憂一出._
駐學得業士 一計 見 雄 藏
内科學副手ヲ囑託ス ︵月手當金聾営営與︶
謄學得業士 上 野 忠
外科學醐手ヲ囎託ス ︵月手崎金将圓給與︶ 謄写得業士關 啓次郎
外科學副手ヲ囑⁝託ス ︵月手元金蘭圓畑焼︶
︵以上五月四葉本校︶
俵願解雇 雇 堀 内 茂 成
︵五月八日本校︶雇串付 崎田誠四郎
月俸金銀野鼠給與
︵五月十ご鶏︶ 藥學得業士 大 櫛 秀 松
藥一包劇手ヲ蠣託ス ︵月手彫畢訟圓給輿︶
︵蚤刀ご十九H本校︶
俵願囑一頃ヲ一解ク .産科學婦人科學副手 八 M出 臨智 証
︵五月三十凶H本校︶ 聲學得業士猪木邊輔
陸墨科學塵科學副手ヲ蠕託ス︵月手當金武圖給田︶
︵山ハ目障山ハn口本校︶讐學科第四年級長ヲ命ス 教授由碕 幹
本老年問懲罰委員ヲ命ス 教授仏国薄士 金 子 治 郎︑
︵以上五月ご日本校︶
冷會 報㌧ 會計班員兼講書課員ヲ命ス 雇崎田誠四郎圖書課員ヲ免ス 教務諜兼密書課.貝字野盆之
︵以上五児十充日本校︶
︾曳ミ〜に︐︑㍉〜き一〜ξ︑嚢一も︑き︐︑ミ〜σ
○本校紀念日〇五月十一日午前九時濟々堂に於てちの式
を豫げられたり︒.・◎大茶話會︒全日紀念式後直ちに大茶話會を開かる︑ま
じめでしゃれね演説︑菓子が多から臓ので小茶話會だ憲
いふ演説︑例の新寓座一連の講談等あウ十二蒔泌めで度
徴超したり︒
◎日太﹂海大海隔戦大擦蟹就加貝提灯行列Oふ黒月⁝四日午一後ムハ臨の三三を以て我校特有なる嚴粛のろの行列を催し雨城門が作歌と樂隊ごは能く金城百萬の三士をして志氣鼓舞せb㎝めセリ︒猫ほ豫備病院入院二面を慰撫しだるの故を以
て後日全院長より會長高安博士に向け謝状を寄せられπ 6b
海戦大捷親旧提灯三三の歌
㎜
くろくも黒雲すごくなウゆきて
てき もうどうかす敵の朦.瞳緻⁝れ源く
や しホ おほ わだ肝癌をめやる大瀬のふそけんごく ぼ父組建國の義をうけで あら きだかぜた昏さへ暴き北風にけいげい鯨観ふかくかくれたりなみ うホ みすらを浪に生れし盆良雄がつろま てコ いさ劒とる手の勇ましゃ
五
︵會 報︶噂け
號八十三第舗酢和壷網
LtN・…〜、航〜〜〜、、、\〜〜〜\〜〜、、、 一〜〜〜、〜s−hv.一〜〜〜〜Vxr、へua−vK!Su v、
二
をみ み こと かしこ君の御詔を畏みてすち みくさ はお進む皇軍の旗かぜに
み さいうら も ら見よ財狼の血よ飢ねてさだめ わし ほお運命はもろき鷲の旗
留醐ああいロぢかい こどう鳴呼東海の一孤島
どっくにぴビ異國入竜あふぐな6
たにな もお谷鳴り山のどよむまで
かざ ともし あ流せる灯うち上げて ほらゑんだんう なん砲煙弾雨も何のそのセぴ てき塵か漁敵のあるべきや
へいわ てきこく昂和をみだす敵國の
つくし らみ かげ筑紫の海に影うせ漁
ロし わアつ ウゆドリ とぽコ更は百王の跡遠くみくに さち いば皇國の幸を祝はずや
がいか そらおか凱歌のさけび室高く
いば はらから覗へ樹胞五千萬
︵野村雨城作︶ ∵藷証せられ竃
㎝第三席︑画調・ 金子 敷 授⁝藍蓄深き講演なれば本日中第一の大立物已て満堂崩
∴
黷ぱかうの拍子を以て迎へられカう○ 倉委鍬は振著︸欄を見らるべし︾
㎜第四席︑ゴノコックス○ 龍田恭齊君︸三牙問の小演説要するに淋疾の幽幽に過ぎざるば遣憾⁝なうき・暴五席・植物誓を以て動物蛋白に貸得︵裳の意昧︸ ㌔
◎十全會第五国講話部大會 ﹇
五月十三日午前正八時下上巴の廣告を以て五十舜過ぎて⁝
の平鯖︑講演申の概要左の如し ㎜開會の壁 會長高下敷授 ︸毒忌︑入類の地位︒ 中村欣一郎君一
入類學研究に興昧を有する君の講演なれば全人間に於⁝
て一方なら澱喝渠を以て迎へられπウ︒第二席︑下顎關節の運動︒ 玉森鷲署 ⁝ 下顎關節の蓮動に就き幾何學上の公式を鷹増して開口⁝ 閉ロの軌跡を求め苫葺に観する一種動物巴異る作用あ一 に於て︶ 墨 ︼出 敷 授 敷授自らが植物蛋自即ち豆蛋白を以て動物蛋自に代用 されて幾分の害なく却て螢養を能くせしと云ふ研究談 なウき且つ添へて相之る︑には我國の如き小島喚にて 入や多き國は勢ひとして安直にして十分の螢養を収り 得る様計らざるべからずと是れ歯面に於て國家的問題 εして大筆値ある所以ならずや︑猶ほ他日論文として 提出するの期あるべしεて壇を下られだり依て詳敷は 他日を期して諸君に接するの榮みるを待つ︒
流暢なる君が点描語を以ての講演標題の如し︒ 佐 々 榮看 {牌增ロハ席︑バトロギ!︑デス︑リンパストローメス︒
第七席︑氣聾心に源螢せる軟骨腫の供覧で
山廊ハート事物襯詫楽維・解塗十
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渡 講 師
小原芳雄氏徴兵検査の予め露國中にて本日は出席し難叩
き旨同氏に代りて謝せられ尋いで本題に入る
先づ恩師村上敷授が懇篤なる指導を與へられカるを威
謝すε述べ夫よう氣溢下部殊に小なる氣管枝に原意す︐
る腫瘍は癌腫を除きては甚だ稀有のものなる事を﹁リデラッi川﹂によりて立証せられ更に該郵の原登性軟
骨腫に就いて先例を列馨し選良琴げ○に脅○彦冠囲ぎげ○弓
田︒ぎ工面この践別を述︒へ進んで浅が一例に説き及ぼきる﹄
余が本日諸君に供覧せんざするものは奥8げ︒巳︒ぎω討
に鵬するものにて此総會席上に麗々敷報告するの贋値
はなからんも是εて他の翻に生するもの主の如く普遥・の爆のにあらす故に一豊し置かるよも無蓋の事にはあ一らざるべし余が此腫蕩を得遣る死体は小野慈善院より
収容し黙るものにて耕田某ご云ふ六十九歳の老婆︑本
年三月十日に解剖せるものなり其生前の症状全く不明⁝
にて之を歳霜に紹介し得ぎるは騒々遣憾の事に嘉す勿⁝
論二三の内科書に依るも是に關するの記載なく唯氣管⁝
耕鋤窄の原因條下に﹁腫瘍﹂の二字を見る位に過ぎぎれ一ぱ左程の送油はなきものならん解剖の結果亦此腫瘍を⁝
有せる他に別段所見なし唯左卵菓に梅群言の嚢腫一個⁝
あり叉子宮は絹々萎縮し子宮下部は清失し且つ外に及一
︵愈 郭︶ び頸部に於ける腔は全く欠損し体部に狭小なる膣を還残せるのみならき︑左肺は全表面手を以て剥離し得べき輕度に胸壁と癒着し且つ氣腫を呈す而して下葉の中央に雀卵大の周園より限局せる硬き一の硬結を燭る今其部を戴開するに可なり太き氣管枝の内面より獲生し陀る腫瘍にして其部の氣管枝は嚢撒に鑛張ぜり腫瘍の大さは大なみ櫻實位にして直々細長く表面は凹凸不正硬さ殆んど骨壷︑其基底は臨く氣孫枝壁に連接せ会而して断面は姫飯赤色を帯ぶ︒!離島枝は左右両肺の着共に多少腫脹赤色を呈し粘稠なる膿状液を附着せり即ち氣管枝加答児を存するの他別に腫瘍の恵めに障碍を起しセる如き痕跡なし蓋し氣欝欝の振脹によりて代償せるものならんか︒腫瘍を愚管枝話一部と共に固定硬化し競れよ・9切片を作り諸多の方法により染色して槍するに腫瘍附近の氣讐塁壁及び周門の肺組織は一汎に結締織塔深し壁の着しく肥厚せるを認む而して其聞に多量の圓形細胞め浸潤あゲ術腫瘍附近の下露骨軟骨は甚々其排列不正こなれウ腫瘍表面は氣管枝粘膜の一系なる智歯上皮を以て被はれ粘膜下結締織濁には多歎の血管を存在し且つ惨忍細胞の浸潤せるを認む街粘膜は所なに於て腫瘍内に深一隅吊し蹴れを葉朕に分つ加之腫瘍内部に於ても結締織の責めに鞍綱に観劃せられ其中
五三
︵曾 報4茜
暑彪八十三第離壽…継會幽十
NX−sVVh−NtH一 vs−v一く sLNN,k L N N7 V;:TxxK l £N N ww一 wwNA−xy N CLA−N 一 Wv
に軟骨細胞を充血す軟骨の種類は勿論巌窟様軟骨に属⁝ すれども細胞の形状及び大小は甚−一定せず其排列も﹁
亦頗る歪とな㌘・而して鍔内所々に可なり廣凱
の粘液襟鍵生を起せる部あり叉腱々限局して細胞の形⁝応訴灘総懸讐耀撫臨就縛
然れども余の例に於ては民の例の如き澱粉標鍵生は塾 ね居らざりき云々︒ 一
右に就姦塁の顯微鏡供覧ありな・霧講師の稿正 を得πればその誤りなきを保証す︾ ㎝
第六席︑一種の精棘的疾患︒ 高野宗重君 一
滑稽演説にしてむしろ講談に近し︑きる東京新聞の三㎝
面に於て見ねだるこεありきざ思ふがいかにO
第九席︑負傷兵より摘出し泥る留丸の供覧︒
宮 田 敷 授
玉壷が金澤豫備病院に於て高安︑山碕︑下雫二言授ε︸
共に負傷兵の治療に從事せらる︑こビ毎週五回に及び⁝
こごに銃創に就て歯骨されカるを講演されπるなり講.
演時間に不足を告げ一孚を次回に延ばされ滞り
第十篤︑色素性綱膜炎標本の﹁デ奄ンストラナオン﹂ 高 安 敷 授
標本を得るに難き本症に外し青煮が小野慈善院より逸・ り來れる六+七歳の男乎の死体に就て得られ陀るを供 覧せられたり︑猶ほ︑︑O亀ヒ⇔留山露§塁︒臣︒ぎ昌舅Φ謹2 に点て詳細に説明されしを喜ぶ︒
⁝第十一席︑標本の説明に就て︒・ 金 子 敏 授
再び演壇に立たれて下編中﹁アル・バイト﹂の一部だる博 士の製作標本に就て愈々講演されだり︑その数入︒
第十二席︑アクチノミコーゼ患者及び標庵のデモンスト
ラチオン〇 三股栴⁝士撰君 君が宮田敷金の外科室に於て研究されたる患者に就て 深く獲だるものありて講演されしものなるが原著欄内
に入れしを以て鼓には省くこご\なしぬ︒
第十三席︑再び鼻茸及び鼻茸様肥大の副鼻腔膿症診断的 便値に就て附鼻茸の顯微心的標本のデ卍ンストラチオ ン︒
第†四席︑咽頭扁桃腺肥大症切除によりて治癒せる夜尿
症の三治験扇面微鏡餅標本のデモンストラチオン︒
︽療著欄に掲げだう嬉 以上二︑ 本田三郎君閉會の僻 部 長 上 田 敷 授
かくて午後山ハ時一全く閉會されヤ四り書軸他に早ザ尋︑石田川︑
村上︑山碕諸敷授の講演なる筈なりしも時間のなき爲
め難くを得ざりしは遺憾なりき︒ ︵雪生︾o
.鱒一嘗一.遡靴欝一.塗紅血._.一.
一_纏熱、.ナ.
O金子博士皆空授與覗賀起
炎は勾へざ散り臓るものを︑我思いつくに常あらんや︑
天は永遠に蒼々の姿を示せども︑地は無窮に漠なの形を
示せども︑絶にせ繊能化は黙やの中に勢をふるふ○星辰は稚見なり︑太陽は健見なり︑地球は老年なり︑月魂は
死なう︑一滴水を剖かば幾億の生物を得べく︑アミーバ
に寄生する動物の分子さへ多かれども︑一として不死不滅のものはあらざるなb︑塞問は無極なウ︑時間は無限
な今︑而してあらゆる攣遷活動は刻即刻だに体蜜ずO然一
か竜﹁自ら助くる者は天赦れを助く﹂εか︑至言なる哉︑
素より入間め事業だる手を袖にして得らるべき物にあらす︑皆困難にあふて屈せず︑安樂に費して逸せす為︑拮掘−
鞍置勇猛濫しだる結果に外ならざるなOo今回我が恩師
金子先生が光榮ある讐學博士の學位を得られたる︑敢て一
義なきにあらす︑其の萌す慮挿栂の二葉あうて偶然にあ・
らぎること︑松田氏が式瘍に朗護せられだる親融に燗か
なり︑生麩黄騰の輩徒らに蛇足の言を要せんや︒εまれ・
先生が期かる至大の榮轡を負はせられだる時︑山海も舜二
ならぬ洪恩に浴するもの︑誰か祝賀の意を表せざるべき︒.
此に評議一決︑綴員及び當金澤馨會員諸馬ε共に︑この
盛曲馬を翠ぐるに至ウぬ︒
︵曾 靱㌧ ○式時やこれ五月十一日︑恰も本稜創立紀念日の佳辰に際し︑時鐘二点を報ずるビ共に集まり來る者︑當日の正賓驚る博士金子先生を始め︑會員こしては宮田︑石川︑湯目︑金原の四先生︑本校に縁故ある霧隠及び業師︑軍欝の諸君︻︑︷半生入霊体を合鯉せで∴無慮山ハ百﹇・隠名る宏大を以て諮∵9泥る會瘍も今やほごノ\余地を残さず︒落花流水︑九ナの春光あへな惹去ムて︑春俣自ら忌ましむるものあり︑嘗て朝敏の幽禽に歌はれ︑朧夜の月光に照らされたる花の色︑吉士の侠を染め︑購入の裳を侵し︑.芳雰難に達して︑更らに胡蝶を舞はしめ控る花の香はなしε錐も︑杜鵤血に濃きて新緑滴らんばかうの光景︑會瘍を自然の大観だる臥龍山に充つ︑輪講ある哉︒會蕩に至れば︑先づ入口に松田先生︑八田讐難壁然として勇ープルを釦へ︑委員席の任に當らる︒天も亦た此暴に幸せるか︑黒総の降雨異なく齊れて金澤に稀なる天氣晴朗︒中央の式蕩は稜章を印せる鰻幕を以て続らされ︑紅紫の彩筆とリノ\に美を競ひ︑常磐堅磐の松か枝ようは群氣立ち昇りて室よ棚引き︑天部に潮入叢叢の樂を奏づ︒家塾席は式場を南に見て︑掛茶崖の厨にトせられ︑.其右方には饅幕うち渡せる︒地方有志席あう︑下生席は
繭る羅々た再の柱に藩を以て讐馨る作蓮根
翌
︵會 報︶ 五六
號八十薫第講三四幽十 金子博士ト同憲同断ニシテ殊贋金乎博士ハ初學學生時代ヨリ優等級長タ ニシテ稽や異例1︐ナス然レトモ之レ血最モ故アリ他ナシ麟會諸君等多クハ 鍬シテ野晒螺會等開業謄諸君モ亦賢相賛同シテ共二親賀スルハ之チ始メ. ノ臥位チ得プル︑ノ都度必ズ校内二於テ覗賀會アリ今回濁り金乎櫨円士昌 金澤腰學專門外佼開始以來木村高安二先生等頗々瓦善高潔ナ〃讐學博士 ノ清確ヲ汚スヘシ深ク恕セラレソ﹁チ伏テ乞フ セテ覗詞チ呈ス可トナリ之チ固僻ス〃モ不本意ナレバ拙劣チ顧︑︑︑ス各位 〃二幹事諸君ヨリ不官我輩二同志謂君ノ総代下シテ開會ノ主旨チ述べ併 諸君二於テモ共二倶昌會合チ爲シ我輩亦タ其席末チ汚スノ榮チ得タリ然 先生ノ學位チ賜りタル親賀曾チ開ヵル雌美墾チ賛同シテ市内金澤醤會等 本日蟹添上贈爵校写生諸無疵卯辰山養生腱跡二登ツテ可動博士金子治鄭 親 僻 君惣代松田壬作氏恭しく親僻を朗照せらる 鴨脚君徐うに進みで開會の嚇を述べられ︑終って同志諸 れて一同敬禮︑齢⁝叉粛︒ 午後三時︑一同整列して正賓金子博士を迎ふ︒着席せら 申より開窓の報は齎らされ滋○ を忘れてそめば︑峯の松風そよビ吹き宿せ︑清幽美妙の の構遙︒何れも質朴にして而も雅を離れざる此の裡に我
ラレシカ故二其情義上二於テモ起テ欣然雀躍シ實二親賀セザ〃チ得ズ如
此キ機會二太田老翁モ塗會セラレ共ご以テ永ク紀念チ表スル所以ナリ爾
此他扱多記スベキ件々ア〃毛敢テ贅セズ唯タ並二金子櫨⁝士二二モ高蔵ア
ルロ今學校ノ同一建築物中ノ元ト膳學三二於テ初歩ノ解剖學チ修メラレ
一一貫之ノ精帥チ以テ今日一斗〃マデ更二其目的チ攣換セズ丙地霊々ノ
學校ヨリ昨ハ遠ク海外二航シテ勉學苦辛チ営メ終二識蓮セラレテ今画整 學博士ノ畢位チ賜りタ〃ハ隠名響や他入央シテ能ハズ賢以テ賞揚讃嘆島 蹴慨ヘザ〃ナリ然ルニ金子櫨⁝士ハ初學勉臥鋤ノ径時二於テ﹁一二一二AコHノ⁝㎎ 位ア〃精一チ特有セラレタルコトハ我輩国論已ユ熟知セリ即チ明治四年 ノ秋ナリシ乎或ハ五年ニテ乎 御前講義ノ事アリ然〃二本旗門覗賀會チ 偶然庇庭二号カレタルハ實二何タル奇継妙絶ナ〃因子ナルカ唯タ不可思 議ト申ス外ナシ叉併セテ一言スベキハ金子椀⁝士御前講義アリタ〃十一日︑ ハ方今ナル畢校ノ紀念日ナ〃ト共二同搏士終生ノ紀念Hニシテ元馨學槙 モ亦タ御三佼ノ純念Uナリ是レ太田老翁チ始メ玉座保存チ喋々スル所以 ナリ三日早朝二於テ一校ノ門内二幽玄養生罫引ァリタル数松ノ松樹チ取 寄セ栽サシメタルハ我輩ニシテ今日依然釜繁茂シ千歳ノ翠色滴ルカ如ク 眞二犯スベカラズ然レバ洗松樹モ亦タ已二學校ト共二週中博士ノ紀念樹 栽ナ三池庇〃演スル我輩モ高専一株ノ松田謹テ覗ス 明治三十八年五三十一二次に宮崎謙吉氏の親朗朗護あり 祀僻 膏嚢ノ術由來紳秘ノ如〃構セラレタル毛我國外交開ヶテヨリ斯道ノ進歩 ハ滴々1・シテ其ノ底止ス〃庭チ知ラズ濟生救民ノ上二於テ實二慶賀轟堪 ︵サ〃所ナリトス国国ナ斯界后進ノ諸士が貢献セランダ〃雄我力親愛ナ 〃治一回金子氏亦タ均チ屠滑三空発ラレ多年研鎖刻苦ノ結果今回膣學博 士ノ榮號チ授輿セラレタ〃チ面聞グ洵二祝賀二耐⁝ヘサ膨ナリ君力敏一オ一精學 固ヨリ其ノ塵ナ導ト難噌悪馬斯道ノ獲展二離ヒ祉會ノ輻利チ享ク〃ハ實 ご至大ナ〃モノアラン予並覗賀曾ノ盛典チ耳ニシ一言チ呈シ謹テ㍊入 諸生三十入年五月十一日 宮崎謙吉
績いて我か馨學専門學校學生惣代齋藤傅.李氏の祀僻朗讃
あり
覗嚇
我が金子先生に・るれノ月ノ憲二螢雪ノ勢チ積マレ鋪石勿々其ノ研鏡ノ藏
チ墾ゲテ博士ノ榮冠チ戴カル今鼓二五月嘗テ先生ヵ御前進講ノ榮チ捲ハ
レシ佳辰チトシ盆ハ瞥晶盒日チ 開ク鳴呼塾石蟹郡ノ濾個リハぜるまんノ森林チ佃心バシ
・ メ野鳥ノ囁キハなはちがるノ日日チ想ハシム名山ハ三芳チ藏シ大澤ハ龍
蛇チ孕ムト先生我ヵ校ヨリ起キテ智學解剖界二光騨赫々名聲ラ檀受令ラ
鰍
齋藤傳亭謹白 金澤階學專門學校早生惣代 明治三十八年五凋十一臼 ルマタ我力佼ノ榮是ニアラズや謹ミテ覗蹉チ奉ルち紀念品目録を賠呈すQ是に於て金子博士は鄭重なる態 祝賀會委員沖野彌一郎氏進み出で︑金子博士の正面に立
度を以て︑湧くが如き拍ゼ子爵釆の裡に挨拶の僻を述べら
私は暴に金爆讐學燐を卒業しましてから敷鞭を執て居 る︑其の要を摘録せん
蔭ますこご鼓に二十有六年騒で然かも淺學菲才何の爲
す蓬ころなく最早や棺蓋を覆ふの・・今日臨めて一介の學・
位を受けましたるは洵に蟻塊の至うで御攣ります然る
に諸君は不賞の爲め本日をトし此の卯辰山に斯る盛大
なる覗賀會を關かれ御招待の榮を得まし罷るは誠に汗
顔の措く断を食うません然し贔れも難生議君の四面と
亡友諸君の厚き黒黒に鵠でたる愚なれば凝りに固譜す る慈本意にはあり鎖すまいざ存じ賦して鐵面皮しくも
︐︵曾搬︶ 甘受致しました次第です抑も不省何等の嘉すなく徒むに晩年に至るましπのも素より不敏非才の致すところで御座りますれば致し方もない次第ですが唯鮫に私が信望て居りますことは数育に貢献するヒご≧學界に忠實なる事ごは常に両立し能はざる事であウます則ち可及的普題の設備により可及理解の勢を除く事に努むるこεを敷育に貢献する蓬云ひ一部の學題を捕へて之れが天秘の開葭に努むるを學界に忠なるご申し裟すが此の両者は素よう絶劉釣に離反するものではありません非凡の頴才でありますれば始熔て両者を全うすることが出來叉學者の本分であるとは申しながら之は兎ても凡庸の企て及ふ駈ではありません若し不省の如き凡中の凡菲才中の罪才のものがカを一方に傾濫し設すれば勢他方に疎ならざるを得ません況や望んで居ウ綾す設蔀の未だ充舜でない.時に如何して朧來ませう是れ不省の罪才と錐も職責を重じて犯りに功名に街はず孜や発力を敏育に致し自ら慰籍したる謬.であウ寮す而して今や秋毫の微と庵しても柳か學界に研究を試むる事を得ましだのは全く満二年間商接鋤務に遠かるを得ましたる結果でありまして高安校長の推薦を辱ふし留學の恩命を拝むて一方にては同僚諸霜の厚き盤力ε新奮學友諸霜の種々の方面に與へ
奄
號八一や三枢戸楽三一杢十
NN.NA.NV,. vvww一.Aj vvvwwwvvvwwmu
︵會報︶五八
られだる潴護に因る所でめり幽す敵に今鼓に再び諸君に戚謝を表するは叉不省の責任ごする所であります
由來此の卯辰出は我か騨學専門壷鐙の歴史上最も深省
なる繊故め姦戊辰の役當由に養生所なるものを設け藩
士の劇炭を収めて療治しセるを以て下竜の事の醐矢ごし延て曝治の初年藩之れを城北大手瞬︵則ち今の本綾︶⁝
に移し一般診病療瘍の外慰生敷養の專を開き始めて醤
講習の名を附けましカが間もなく琶は皇政統一に復讐し諸藩の事業は.一度ぴ遊に琵解し此の馨學舘の如きも
此の悲蓮に漕遇し當に容れんεするの折柄三人の元老かありまして此際許多の私財を投ち纒螢百方苦心滲磨
此の難關を凌ぎ本校の基礎を今流の如きに挽回し陀る
ものであウます太田美濃里翁は劉ち元老の一人で松田
壬作翁は當時敷長として良く三元老を補佐し敷育と診
病とに從事され藤本純吉︑不破嘉吉の両男爵親しく送
春を執られましπ今や他の元老は逝いて此の世に居懐
き団るも濁り太田魏ぬ書意錘電して馨界に貢献せられ
今現に松爵爾と此席に在ます我讐學軍門學校の今日あ
るハ素より現校長に多とする所であり寮すが此等先輩
か創業に際し困難を排し我校の歴史上第一期に致され
泥る功勢は本稜の美石と共に永く没すべからざる竜のあるを信じ嚢す今計らずも筆生諸震に元老及び先輩を 紹介するを得ましだのは不省の光榮であb譲す又不省 が本日此の縁故深き卯辰由で斯かる温き家族酌團簗中 に此の光輝ある奏賀會を辱ふし殊に只今之結携なる好 紀念物を賜蘇りま︑して身に余す御廟賞遇に無量の戚慨 よ迫り謝僻の出し芥隠あり癒せん融くば何卒御推量を 願ひます聯か御腰拶までに謹んで串述べまし泥次第で あります實に先生の態度は謹巌なりき︑先生の語は荘重なう巷︑先生が満腔の熱誠人を動かすんぱ止まざりき︒拍手喝采の下に博士は悠々こして復席せられ︑此に式を終へだれば委員告げて曰はく︑鼻翼なる余興に耳目を慰ましめよ80一論詰めに羨きて拍手の聲再び天に冷せら︑彼庭よりもO O飴 興忽ち聞く瘍裡一帯の笛にはあらで︑轟然たる爆竹の晋!委員すでに準備を整へ︑余興係は大営一撮して綱引競技を報じ漁︑輕装しカる勇士は四年一年︑三年二年の二組に別れて技を競ふ︑抽籔によクて陣地を定むるや︑勇士皆齊しく意氣揚々︑其の岸伝の鋼るを待つ︑松田先生が﹁用意!﹂の聲と共に体は等しく前方に傾く刹那﹁始め!﹂の命の下にエイシヨノ\の聲筒く︑猛虎の威︑蒼龍の勢︑
暫しが程は何れ語意氣捲き勇んで勝敗の決すべきにあら
ず︑一瞬叉一瞬︑灘蕩の観潜をして畳わす手に汗を握ら
しめ︑賊聾ビじろき︑舶手万雷の轟くに似カウ︑鳴撃墜
奇表れ是なるや○
次に年取競走あり︑健兇十セ名︑一応に瞼坂を飛び下b︑
ね 歪なるに拘はらず︑何れ義歯畳域るころ惜しけれ︑こ 荊棘を署し︑地を蹴6︑風に乗じて走る︑其の行路の難
杢.︑を先途羨墾︐る嚢︑出躍一走うけん押絵も々や ご思はれ陀う︑盤援鵡時に静穏を乱して叫喚!呼號H
雑ぜる墨ありて・侮日の尤物たるメッ狸汁は味加減一 澱 競孚終って隅韓陀塞腹を畳ゆる頃︑饗懸掛が必死に五一
糠臨灘鱗継難灘鱗雑 轟轟如何に登礎羅条しだるを・然−而して含及 概 出來上う綴漕試みに思へ︒各自が腰間に携へ論る椀の重
おげなる面餐で︑含そは一とて肩を嚢やかせる︒
ノ
ぞ嘆護摩熱帯物鑓難㎎難簑
襲ふもかくやと思はれ︑宇尺の筆よく名状すべからず〇
一ダースを傾けて意厚揚舟だる春︑僅かに一椀にして飽
き︑肉︑竹の子など好き食ひする者︑到底尽すべきにあ
らず︑樹陰に墾籍せる老翁︑耳語して鷺はく﹃あれでも
︵倉 報︶ ゐ醤事書なるか﹄ε︑呵々︒斯の如き風情︑元より珍εすべき狂喜なしε難も︑現代の紳士たる會員諸髭が之れに甘んじ︑熱誠以て此の行を骸にせられたるは︑近來稀に見るε乙ろ︑現今朝野の貴顯が待合縷上︑影響を叩いて欝欝に耽る夢合とは同日の談にあらすざ信ず︑蓋し金子先生に於て篭亦π大に満足せられだるならんO賢主快︑この和戦輝々だる興の可笑しきに躊の移るを忘れて潤めば︑夕陽影に西出に傾き︑晩鴉塒を求むるに忙はしく︑四顧漸く蒼然πら︒此に於て委員出で≧閉會の僻を述べ 両陛下萬歳︑金澤馨學激戦學綾萬歳︑金子博士萬.歳を唱へ︑衆之れに和す︑時に午後六時︒蜥くて戯しき曾は絡はうを告げぬ︑我等が今轡の夢や如何ならん︑鯉濃の博士かドクトルか︑杜混血に早く青葉陰︑妹が唱歌のひと節も︑弟が両頬に漂へる笑の汲も︑夜な〜\夢に親めど︑せめて一夜は親しき友との團簗に再び歓を盤さしめよ ︵野村雨城観す︶ Q十全會柔道部寒稽古幽囚會筆順己に剥落し奉臨接に我が有に養せんとす國内同胞の士は意氣衝天の勢を以て大に精紳修養心身錬磨す可き秋
莞
︵會 報︶杏
黒八キ・:三幅翻難論塗十
一vvvwvNntwwvV¢ Y ¢V.wv¢W! ¢V 一一vvht一一 !tw
なり遊に於てか我か柔遣部は北風凛烈巴して階寒骨髄に
徹し六花紛々εして面を打つの大寒に際し三旬の寒稽古
畢行に決定し一月十三日午後六時よウ寒稽古を開始せり
出席者四十有余名自糸絨に身を固あ畳ケ原に會職して心
身の錬磨技術の研究に孜たとして此れ働む磨露出征將士
の困苦に比す可きに非らざる竜徒に暖燈の側に潜居して
塞想に沈める軟搦男子に比して其優美なる氣象勇ましき
行爲は實に十全會員の模範ざす可き斯否實に戦勝國青年
が武士遣を實践すべき動機なりとす左に皆勤者諸氏を介
せん稻崎重助
加藤健之介
田中癌大郎上木隆基
不破才三郎
榊漂光之介 乾 一夫加藤錠吉瀧澤武藏太田勘市淵振隆庵城谷隣賢 林 秀雄河野通夫津田 弘大野留次酒井碩二 額 叉太郎吉川友信壮井禮太郎桑原盆方佐竹清吉
柔道大會當日の景況杜選の徒甚しきに至ては署を昌して以て婦女子の搦軟に
比するあ垂壼愚の至うならすや仁術を以て國に尽さんご
する試忠無二の我が柔蟻部員満身の熟血は三旬の寒修行
にて不撹不屈の精神に墾じ無て錬磨せし石身鉄脚を試ん
ざ腕を馳して施武の日を鶴首せり時は來れムニ月十九日 柔道大會緊行の掲示を見るや勇氣日頃に百倍せり去れば當日は號砲相圖に整々εして群集せる勇土の面舟は本綾生徒は勿論四高第一中第二中の勇將連鬼をも挫かんとする勢にて肥肉稜々εして墾集しさしも廣大なる濟々堂竜殆と立錐の余地なし來賓は難沓し委員接待に忙殺せらる定刻に至り膏木先生審劉の下に嚴粛なる勝負は開始さる 抱勢 横掛 須 賀 芳篤 大 野 留 次須賀氏斯道に志し日爾淺き竜大野氏に比し力量勝れし爲めか横掛抱分を以て勝を制す 加 藤 錠 吉 大外苅体落 榊原光之介共に少肚英意の士互に桃み職ひしか其業や勝うけん大外苅体落を以て勝は榊療践の手に露し組 脊負落小外苅西 宇忠太 矢原準 一西武は精鏡の士矢原馬に比し小柄の業物脱兎の勢を以て小外蕩脊負落に矢原氏を破る 田 中 三 彌 大外苅返 大外苅返 土 屋共に男子中の大柄武士田中氏は本綾切ての太刀打名人な
り勢鋭く大外苅を仕掛力りしに却て土屋筑の乗る斯εな
_.均厳2〔〜_、忠.ミ_籔_講_ 魏_:璽.一楽、一:ゴヒ_
う二本返業に破れしは是非竜なし 体落 酒井碩治 河野通夫
共に寒稽古皆勲の豪傑酒井民斯遣に志し日淺しε錐も已
に柔道の妙理を解せり進て河野氏を体落に破る河野氏屈
せず奮翻数分にして更に決せす一本勝負の聲の下に酒井
氏揚々として控へπり
大外弗刈込 〃釣込足 不破才一一一郎一 田中新太郎
共に皆勤の若武者田中畏機先を征して釣込足を以て敗る
不破氏落首れ豪傑進て大外苅を試むるや能く掛りしとは
云へ.田中氏の誉めに返されしは是非もなし 李 松 敏 郎 .加藤健之介
加藤義寒稽古を終へ其猛勢當る可からす李松氏加藤氏に
比し身短なりと錐も何劣ら臓肥満の武士奮闘数刻にして
決せず引分の聲下に退陣せり末恐ろしき猛士かな 簸 恵 小外苅 構掛 乾 一 夫
乾氏皆勤の勢を以て小外苅に進む簸氏劣らす大外苅を以
て下灘せしも横掛にて破られカリ 額 叉太郎 憶意 愚心 垂井禮太郎共に皆勤者少牡熱意の士辻井氏の足彿は已に特意置する所額面弱きに非らざるも.パテントに掛けられたり 小愚痴太田 勘市 × 大内苅稻崎重 助典に皆勤者太田氏に外篇を以て先機を征し勢畏く攻撃せ.う稻崎氏恐れす防彿数分大内苅を以て敗り互に勝負決せす後月を約して陣頭を退き澱 釣込腰 大外苅 城 谷 隣 賢 桑 原盆 方其に皆勤の猛城谷氏頃日の上達は衆目の集る所なり桑原氏竜叉將來大に有望の士爵に甲乙無二の骨格なり城谷氏の仕掛けし大外苅は桑原氏の溺点なり爲たに次ぎての釣込腰に桑原氏ヌ起す惜むべき事共なり 林 秀.雄 小内苅 鈴 木 琢 磨鈴木氏寒稽古九分出席者皆勤者の中を脱す記者の遺憾とする所林氏に比せば業は劣るこも已に怪力を以て名あり奮翻数分小内苅を以て敗る林氏屈せず戦ひしも一本勝負にて絡ウしは林氏の組めに止むべき事共なう 李 澤 謙 齊 × 淵原隆庵
︵會報︶
ノ、
︵會 報︶
驕八十三第翻繭 會壼十紳出鬼没の勝負法は恰も是れ實地の勝負を見る如し塗下 る其投業の肚剛なる其倉皇の勇肚なる其営業の精妙なる 鉄脚を以て名ある吉田氏受身となり吉川氏捕の任務を司 吉 川 友 信 講道舘勝負法ノ形 吉 田 宗 一 る是を睨ては儒夫竜又勇に怯夫も叉剛になるならん 次て拍手の裏に立て荘嚴にして犯す可らざる形を演せら 瀧 澤 武 藏 四級に昇級せしもの 津 田 弘 三級に昇級せ七もの 吉 川 友 信 り推級証書を授輿せられ左の三氏は昇級の榮轡を戴かる らる名轡あるメダールは皆勤諸士か胸間に輝けり夫れよ一 次て三十分休憩なり石川部長よう皆勤者に証書を授話せ 数刻にして決せす引分となる 田鼠是れ無級者中屈指の手潜夙に蟹勇を以て名あり奮闘 々の進歩を以て先に第二中に意外の功を奏せし剛の者李 淵氏斯道に熟単なるこご本尊柔溢部の随一ならん時々刻
観念乏しき輩ざい柔道の妙理を解せる様を表ハせし之ろ
芽出力けれ
高 井 魯 一 講五二投弓形 吉 川 友 信証形は本校の御大將小野篤農軍が高井氏ざ共に演武すべ. 杢
き所環將軍病氣の爲め出馬なく不得止吉報之に代る高井氏受にて吉氏捕なり此れ講道舘投業の奥妙を降出せし優美のもの殆と往古柔術の比に非ず進退縦横自在の振舞美
事なりき心身の錬磨精憩の修養武士道の幾展は即ち是れ
此庭に有らんか圓滑精妙鼓に努やするを要せす 池中 大 谷 利 忠 横掛 近 藤 琢 磨大谷氏は某氏に比して躯幹小なうごεも先鋒の重任を負
ひ論う戦ふもの近氏横掛を以て一本を征するや大氏喉絞
に來・9近氏敗れんとすると激回危機一髪の問を逃れて能
く防ぎ職ひしはめでだかりける次第なり 本袈裟 二麗質 嶺慶敏
布 村 群白嶺氏二塁校の中陣となりて回り愛に戦ふもの布畏久く
欠席せしも垂れ叉本校の勇士小編と錐虐遇の輕妙なる事
遠く自責の右に出つ若し堂々投業を以て戦はんか布氏室しく本袈裟の固を蒙むるの非蓮に接せぎδしならん先に
無楽堂にて肉鍋あり今叉氏特長の腰業を施すの機を得ざうしは返すく竜遺憾こする所なり 小外苅 四高小川重雄 三田幸太郎
小氏四高先鋒の重任を以て來り票ふの士畑瀬瞬く欠席せ
_號入+台場鞭.順順壷慰高中に篭る者あφと知れ寝る西氏ど不戦ふ宮氏体落を以 と数刻にして決せず聾ヶ原の鬼門に至るや高慮攻勢を取 宮氏満管滑脆の奇士我ゲ小出氏病源の爲め欠席不得止血 渡る貴屠龍縛虎の幾擬なき理あらんや互に錬を削て職ふ 二中 宮 川 壽 武士の風ありご云ふ旧きか是秀晴の勝負ならんε色めき × 憩室 西 成 伍 に準﹃の面子を減せしも屈せす剛敵に向ふ其勇や眞に古 冒せり勇懐しかりし溢泌なり 者高氏之是れ我綾の願將過日下形稽古中風邪に冒され頓 やと思ふ乍参なり悪戦数刻にtて決せす後日を約して退一共に是れ無双の好敵手齊氏一中の重荷を負ひて來り職ふ 津氏を伏さしむ傳聞く花和術魯智深が史進と戦ひしも斯 高 井 魯 一 氏をして轄せし竜謙氏剛勇金剛力を出して大外車を以て 縦四方 捨身腰 一中 齊藤良三郎 日組合の第一とも云ふ可きか初め津氏特意の小外苅は謙.もなきε共なり 本校新進の鏡帯未済嘗て敵に後を向けしとなき剛の者當﹁達能く剛敵と反て後れず数分の后脊負投に敗れしは是非 う去れば其大外庫は一度出れば敵を倒ざるとなし津氏は 倉民四高の名將遠く八氏の敵に有す去あれ八氏近來の上 家頃日の上達は殆と老輩をして舌を巻かしむるこご愚な 一中 八里喜久男 典に崩れ肥肉稜々たる若武者吉氏四高柔道部最優の無心 脊負投 四高 倉 内 松 生 小外鞭刈 淫一 田﹇ 弘 ビ託す所なり × 大外車 四高 吉澤謙太郎 は勝敗禾陀知る可からず之を出し惜みしは之れ大に遺憾 しは深く朋畏の爲めに遺憾とする願なり に遣憾こする所若し山氏の大外苅を以て攻守を轄せしめ イ決せず引分の聲の將に出んとする瞬聞に外苅にて坐り⁝手な・9大氏謬言込を以て二本の勝を占めしは下酒の爲め しも遜て之が防彿の任に當る其々や敬すべし奮上敷分に 山下小蠣なりごとも蕩償の猛士大落銃氣不霊無双の好敵
て攻めは西惨毒轄自在能く逃れ覇者をして手に握汗せし らんか爲めに地位を攣遷せんとする瞬間に機を見たbけ
むると籔回勝負映せず終に引分けとなる ん齊氏の捨身腰試て高氏右足に打撲傷を受け点ず柳葉風 四高 山崎亮五郎 に翻るの妙技を施に由なく無念の涙を飲みで齊氏が縦四
釣込腰 釣込腰 大 杉 近 造 方に勝を譲ウて陣頭を退きしは遺憾なりける次第なシ
︵會︐報︶蓋
へ曾 報︶四一
號八→一三第禍難會蛮十
番外五入掛
縦四方大外車腰車吉田宗 釣込腰 \繭
裏投一中齊藤良三郎 7津 田 弘 入里喜久男 宮川奥 本 正 生
顯れ出しを誰れこなす姓は吉田名は宗一氏旭の勢を以て
上達せるは夙に澄の高駁する所五入の猛將を相手ざして ◎本杯下賜 去論陣か稜生徒一同・報國の旨意を以て軍職はんεす垂氣韓た鬼紳もミ舎を細る所ならん歪脱資献金の墨あり・第四年忘は金言墾圓鈴・第三門飾は金
兎の勢を以て猛進し戦ふε藪+秒縦四方に敗れ三囲次て 戴拾滲圓絵︑第二年級は金式雄魂圓鯨︑第一年級は金武腰車に敗る・や八氏戦友の断髪さじざ悲憤の相凄し一戦繰言鯨にして・今回該唾壷者より各級に宛て賞状に木杯
ふ吉氏右足に傷あり傷むと甚だしかうしも何條之に屈す 一個を添へて下賜せらる︑今左に本文を揚げ以て紀念ナ︾ ︐べき灘敦泥る蟹勇否銃氣は八氏をして右釣腰に韓せしめ なす︒津田氏を防一謙れ互に棲中の騙將中原の鹿將亦何れに蹄 金澤讐學專揉革稜内
せんとするか津氏關西仕込の足擁左脊負を以て來れば吉 林 篤
罠釣込腰を以て之に答ふ掛は裏に移り裏より裏に入うて 外六十七名 愈々奇なり吉氏之れ鬼紳に非ず弓勢すると切なるも一世 明治三+七八年戦役ノ際報國ノ旨意ヲ以テ軍資ノ内へ
る票らず吉氏傷足を踏みシメー攻撃するや却て齊氏⁝賜候事 會稽の恥を雪がんざ整々ざして載ふ唾壷薬酒に漏れ勢潜 金鉱墾圓除献納候段奇特二候條嘉賞トシグ木杯萱個下 の金剛力を奮て大外車に津氏を破る一二惚れ乙ろ味方が
の乗る所こなり甘楽の創を蒙うて叉越ず再び齊藤氏をし 明治三十入年三月二十臼 て月賦冠を載かしむ逡憾此專を云ふ可きか去あれ両氏術 石判螺知事正四位鋤三等村上義雄圃 春秋に富む此日の勢を以て會稽の趾を雪かんことを所るや切なり終に臨て高安會長石川部長青木先生各委員諸氏が當日の勢を謝す出演諸士術盆々奮働事に當て不擁の精紳を登展あらん事を並に我が柔溢部の追日隆盛ならん事を所る︵照陽記す︶ 警 ︑§ 接≦〜蓬学外で
號八十蕊揖宿難曹幽十
右全文
纒釜撚蜘1鰭難撮聯タ鋤猿鴛製無雪
嶺全交
ハ會 報︶ 金澤讐學專門學校内 吉池賓吾 外入十六名
L
晒 冶全文
か
↑欝・雑
擢雪鑛餐璽
︑寺
金澤讐學專門學校内 曲部多米吉
外百十八名
君光隆畢予芽災古父
金澤醤學專門學校内 小黒仁太郎
.外百三名
題僻
明治三十八年噌月+嚇臼牛荘の役︑
わが荻野隆光君戦死す︒夙に東京中
震を終り明治三十三年本校に入る︑
性温厚篤實︑能く遊び能く勉め時に
頗る勇肚の基ありき︑而して明治三
十七年六月二十腿業牢にして第三師
團後備歩兵第三十三聯隊に招集せられ出征して逡に凱旋を見るを得ざり
き鳴呼悲哉︒全窓相謀う鼓に其省像
を掲げて永く紀念εす︒君の生國河
藝郡玉垣村大字玉垣︑明治七年生◎
◎第二回軍資献金 嚢に報國の念送うて學資の一勢を
割き︑軍資に献金したる我稜生徒U同は︑今や翠りて再
び献金せんε欲し︑騰學科第二年級以上及び藥學科第三
年級は各金五拾銭︑讐學科第一年級及び藥學科=一年級
盃
へ會 報︶.六六
號八■一14三ll,第講難會別府
、 Ut〜^Aへ〜、〜〜、、㍉N、〜㌧、、、、〜…、〜、 s 〜、〜 〜 へ㍉へ〜、へ〜、
は各論三十銭を蒐集して既に金武百〇七圓六拾銭は上る
左記の諸子は此の翠に賛して未納だうと聞く︑忠品等國
の士だる者宜しく三省して急納せられむことを
吉田 豊馬 八木徳太郎 租田ヒ謹 藤坂友次耶 亭塚甚之助
吉野 新八 松江英五耶 貴島善兵脩
◎御誓う
河辻村奥小曾湯 野 田野村根津
盆實鏑詳論
躬t¥?廣次子飼一 新大酒川i! 毛木
名認紙誌利村
忠利瓦熊 和 藍三勝造入徳義
金子金岡
溝︐口川勝高野玉井
久︐罰 精一精彦.龍三噛寛三友衛七次鄭
徳
本誌十界欄の材料ごして寄せられセる薄雪一
玉章積んで山をなせり︑然るに塞部財政の窮乏は紙数の⁝
制限を余儀なくせられ︑爲めに黙れを掲載する能はず︑︸機ながら霧に掲ぐる警芸︑薯乞ふ之れを諒ご⁝
せよ ︵係︶ 唱 無題集
春題難吟
馳共同生活瓜生帖
試験勉強病
白.山紀行
O編輯日誌
◎六月三臼︵土曜︶雨
米野tl・赤口 村林竹々 雨緑松閑雨漢
城 生城水生入
生
昨日からの廼り︑胎生の勉強にかζろ︑つくく 其の豊え難きか感嘆す︒午後の繍昏昏習か了へて露れば︑長町高等小學棟層生徒の一隊︑足駄の駈足掴以て寓舎の前か過ぐ︑いと鴛しQ十全曾維誌第︐三+八三の編輯會と聞き︑急ぎて例の一議室ドド到れば︑部長な始め他の委員諸民も在さす︑さて佳一本ぬかれれうかと悔めども更にかいなし︒宮田先生︵部長︶が試霊前の事とて御氣遣下され︑先生に於て專ら任に當らぜらる曳と聞く︒臨路︑紫峰子な河原町に訪ひ︑雨橋乎の動静か噂す︒夕暮に海く︑手紙の楽うものこ︑一ぼ家郷より︑一は三等軍膣伊藤學兄よリ︒夜︑に入りて病理各論か調ぷ︑説捷曾や︑提灯行列にて市中騒々しく︑四面楚歌の聾高しO羅に鯛れて眠られす︑フト蹄省の︑隔とな思ひつ春︑ふろ賢記存引き出して見ろ︑去年の今日に 晴Q 机上の燕子花只一つ咲く︑綿某書の流行に俘ひ︑繍葉書蒐集に 憂身存翼す者多く︑膚洋子の如き其の一入なOQ放課後︑同宿の松原 兄と共に菖蒲湯に禺懸く︑正しく十二目振り︒近日歩兵第三十董聯隊 の禺征と聞き︑提灯行列の催しあり○午后三時︑本校へ打合ぜの爲め に出︷張瞭ヲ︑止むなく作欧の大任か︷脊召ハひ︑途申考へつ︑直穿ろO夕餐ハ后 直 ちに筆か染め︑十二暗に切り上ぐ︑其の歌自分ながらに拙劣なりと恩・ ふ︑但し試瞼前一刻千金など脚急な心か起し︑推敲すろの勇更になし9︑ そ十年の昔血秘染めて弓らみ
…遺ェだはらし仇だ討ち
行け北陸の快男子 みねウラルの臨条も乖ゆ瞬ツ誠陶へて︑
ひ 陵た旭の旗六て㌧義に勇む
虎狼も吠えす敵もな妻 巴もしび共にさ﹂ぐろ灯のかどこ さち出征の宰な所りつ㌧ 我が手に得れろ遼東のこぐゐ闘威か揚ぐろ時に來ぬゆ う三三ハ〃ピソ討ち破り腋ぶ屠れやセント︒へートル府︒ なすらを我が丈夫のゆくところ みみづ﹂國の御職稜か覗にすやQ燃ゆろばかりの心もてかち殴き凱歌あぐる口な待穴んQ