Ⅴ 平成14年度の研究の成果と課題
研究主題「学びをひらく」を立ち上げ、その子ならではの学びを追い求め続けてきた6年間の研究 をふり返り、さらに確かな一歩を踏みだそうと考えた本年度、私たちは、副題「自分らしくなってい
く 子どもと教師との営み」を設定した。
本年度実践された数多くの研究授業において、その子ならではの学びを探ろうと、抽出児の追究を 分析していく中で、私たちがあらためて認識を深めたことがある。それは、子どもたちが教材に出会
い、対象に向かい追究していく中で見っめているものは、他ならぬ自分自身であるということだ。
たとえば、体育のチームゲーム教材でのS男君の追究である。S男君は、初めて出会った運動に魅 力を感じ、自分なりに動きを高めていこうとする。と同時に、度重なるチームの敗戦に「勝ちたい」
という思いも強めていく。その中で、チームメイトである友達の動きと、このゲームにおける有効な 動きとを考え併せながらチームの中心となり作戦を指示していく。そんなS男君に教師が関わり彼は 初めて最後列の守備位置につく。その時、彼がそれまで思い描いてきた動きがより鮮明になり、チー ムの動きは確かに機能し始め、チームの勝利にも結びっいていくことになった。こうしたS男君の表 れを追っていくと、彼は、「(作戦も含めた)動き」すなわちこの運動における認知を軸として追究
していると言える。だが、その認知を軸とした彼の追究を突き動かしたものに、友達の存在がある。
友達の動きを見っめる中で、彼は自分と同じように動きを高めたいという友達の思いも感じていく。
友達の存在を強く感じる彼らしい姿である。「僕が考えた作戦ならうまくいくはずだ。でも、友達の 思いもわかる。僕が本当に大切にしたいことは作戦だけじゃない」。動き、友達、自分との間を行き 来し、何を言い、何をすることが本当に自分がしたいことなのかと葛藤しながら、自分自身を見つめ る彼がいる。自らを問い直す姿だ。その上で彼は、友達への思いを強め、互いに動きを高め合ってい こうと働きかけていく。そんなS男君を友達も感じていた。
子どもは、自らの論理を発揮し、納得を求めて追究していく。その追究の過程で、思いもよらない
∴事象や、自分とは違う友達の論理と出会う。「なぜそうなるのか」「どうして友達はそう考えるのか」
「友達の考えもわかる」と自分と事象、自分と他者との間を行き来する中で、不安や迷い、反発や賛 同といった感情をいだく。この時、納得を求めるが故に「自分はどうしたいのか」「自分の考えでい いのか」と自ら自分の論理を揺さぶり、問い直していく。こうした問い直しを引き起こすのは、自ら の内であらわになる事象や他者と自分とのずれや結びつきである。それは、その教科その教材によっ て異なる。だが、その子が問い直すも卯ま自らの論理であり、見っめているものは紛れもなく自分自 身なのである。そうして、その子は、さらに事象や友達に働きかけていく時、自らの論理を強めたり 広げたりしながらその子らしくしていくのである。
このことは、本年度、研究の視点とした「その子の今をとらえ続ける」中で認識を深めたことで声 り、私たちは、あらためて学びとはその子ならではのものであることを確信した。
また、このように子どもたちの学びを見っめていくと、それは傍らで学びを支えようとする教師の 内面と相通じるものを見ることができる。教師は、追究で見せるその子のさまざまな表れを紡ぎなが
ら、その子が今どう感じ、どう考え、何を見っめているのかを客観的にとらえようとする。しかし、
客観的にとらえようとすればするほどにそうはできない自分を感じてしまう。その子は、どんな思い で認知を深めているのか。友達との関係の中でどう自分を見つめているのか。教師がとらえていきた いことは実に奥深い。その子に自分を重ね、どうしようもない自分自身の主観を感じる教師は、その 子に何を願うのかに立ち止まる。その子の学びを支えようと主体的に関わることへ教師は思い悩む。
ここに教師自らが自分自身を問い直す姿がある。
これまでとらえてきたその子らしさとは異なる表れに戸惑い、その子が何を見っめているのかがと らえられず、どう関わってよいのか迷う教師がいる。自分自身を見っめ思い悩む子に、本当に自分は ここまで深く教材について考えてきたのだろうかと思い悩む教師もいる。感情的にもつれ合うグルー プの人間関係の中で自分の思いや考えを言えずにいる子に、支えられない自分の無力感に苛まれ患教 師もいる。だが、こうした姿は、その子の今に響き、教師が自分の今を見つめる姿だ。
私たちは、子どもの追究を追う中で、その子を支えようとする教師の内面に迫り、赤裸々に語り合っ
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てきた。時にその教師の人間性にまで話が及ぶこともあった。自分とは違う見方や感じ方に出会い、
他の教師との差異に自らの価値観や教育観を今一度立ち止まり見っめ直す。自分の内面を深く見っめ、
「自分は」と問いかけながら、その子に何ができるのかを模索していく。すなわち、その子ならでは の学びを支えようとする教師もまた自らの論理を問い直し、変容させていこうとしているのだ。
私たちは、その子を支えようと、自分に何ができるのかを自問自答する中で、ふと感じるものがあ る。その子の新たな一面に出会い、感じていくその子の魅力。精一杯追究する子どもを突き動かす教 材の魅力。また、子どもに対する自分自身の見方や感じ方の広がり。このようなことを感じていくと
ころに、教師の学びがある。私たちは、教師自らが子どもと共に学び続けることこそが、その子なら ではの学びを支えることだと意を強くしたのである。
このように、確かな一歩を踏み出したことは、あらためてこの研究の奥深さを実感し、さらに踏み 込んでいかなくてはならないことを浮き彫りにした。
私たちは、その子の追究を追う中で、その子の様々な表れから、その子らしいと感じた姿を問いと し、脈絡として結びっけることで、その子の追究の軸を探ろうとする。このその子の追究の軸には、
その教科、教材における認知と、友達との関係や自分自身の立ち向かう心のあり様などの情意面とが ある。それは、追究の対象となる教科や教材によって色濃くにじみ出てくる。この追究の軸となるも のには、今のその子の内にある感情が深く関与しているからこそ、その感情をとらえた教師は、時と
してその子の情意面ばかりに目がいくことがあった。
しかし、その子の追究の軸となる認知と情意面は別個のものとして存在しているわけではない。た とえ、情意面が色濃く表れてきたとしても、そこにはその子の確かな認知への追究があり、それがそ の子の情意面を強く引き出しているのだ。安易に情意面だけをとらえ、学びを構想することは、教材 の価値や、その子ならではの学びを見失うことにもなる。その子の追究における認知と情意面とを常 に結びっけながら学びを構想していくこと。それが、私たちが教科研究を切り口とし、その子ならで はの学びをより明らかにしていくことになる。
また、その子の追究をあらためて見っめ直していくと、その子がどう自らの論理を発揮していくの かには、これまでの生活が醸し出すその学級の空気が深く関与していることを実感する。その子の論 理の変容に共に追究する友達の存在が実に大きいのだ。学級という集団で同じ教材を追究する時、そ の子は自分とは違う友達の論理と出会うことになる。自分とは違う友達の論理に差異が気になりなが らもよさを感じて矛盾をかかえる時、その子は自らの論理を問い直していくのである。生活を共にす る友達であるだけに、その子の論理を突き動かす感情の揺れ動きは顕著になる。その子の追究にこう した友達との絡み合いにおける問い直しの場をっくっていくことが、教師が学びを支える上で大切な ことなのだ。このことを突き詰めていくところに、何よりも生活を共にする目の前の子どもたちとの 営みから教材を生み出し、学びを構想することを大切に考える私たちが、その子ならではの学びを訴
えていくことの意義がある。
さらに、これまで教師がとらえてきたその子の学びを、その子自身はどう感じているのかについて 踏み込んでいかなければならないだろう。その子自身が学びを自覚していくことの重要性を考えるか
らである。それは、自分はどう考え、何を悩み、何を見出していったのかという、その子自身が追究 の道筋をふり返ることである。こうした自らの追究をふり返ることは、次の教材へつながるものとな り、積み重ねていくことで、自分自身の成長を実感し、自らのもち味や可能性を広げようとすること にもっながっていくものと考える。
子どもたちは、追究の対象に向かい、ある時は友達との関係に葛藤し、ある時は自分自身に思い悩 みながら自らの論理を変容させていく。その子どもを支える教師もまた自らと対峠し、その子ならで はの学びを模索する。その営みには、厳しさも伴う。だが、どうだろう。本校の子どもも、教師も実 に生き生きとしているではないか。自らの表情をもち、学んでいるではないか。それは、学ぶことが 楽しいからである。厳しくとも学ぶことは楽しいのだ。学校は学ぶ場所である。子どもも、教師も、
そんな思いを共有できる学校。私たちは、副題の意味を噛みしめながら、子どもたちと共に学び続け ていく姿勢をどこまでも貫いていきたい。
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