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企図・期待・予想の意の動詞のツ形と非現実性:「

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企図・期待・予想の意の動詞のツ形と非現実性:「

〜カヌ」に「ツ」が下接することとの関連から

著者 近藤 明

雑誌名 金沢大学語学・文学研究

巻 26

ページ 1‑15

発行年 1997‑07‑31

URL http://hdl.handle.net/2297/7133

(2)

一-1問題点 接尾辞「~カヌ」が 世の中を憂しとやさしと恩へども飛び立ちかれつ(可祢津) 鳥にしあらねば (万葉八九三)

艫l

帰りにし人を田。ふといぱたまのその夜は我も眠も寝かねて 刹三金一干寸) (万葉三一一六九) のように、いわゆる完了の助動詞「シ」の下接したシ形をとる ことが多いことは早くから注目されてきた。この点をどう解釈 するかは、「~カヌ」の論のみでなく、動詞シ形の意味・用法 に関する論に影藝雫するところも少なくない。 先に近藤明一九八八において、「~カヌ」は単に「シ」を下 接することが多いという程度にとどまらず、上代から十世紀頃 企図・期待・予想の意の動詞のシ形と非実現性 17カヌ」に「シ」が下接することとの関連からI

はじめに

までは「シ」を下接し得る環境においてはほぼ必ず「シ」を下 接していることに注目し、「~カヌ」のいわゆる不可能の意味 は「カヌ」と「シ」が一体になって生じているものとの考えの もとに、「~カヌ」に「とが下接することについて次のよう な考えを示した。 カヌは「予想する.予定する」意味の動詞兼ヌから派生し たもので、副詞のカネテ、或いは后ガネ・カネゴト等の語 とも関連があると考えられる。この兼ヌが動詞に下接すれ ば「動作の実現を予想する・目撞狙ととじZ意味となろう。 更にそれにシが下接して「(実現不可能と判断して)動作 の実現を目指すことを止める.放棄する」或いは「動作の 実現が予想にとどまった」の意となり、更に「実現しよう としても不可能である」の意に転じた。 この考えは木下正俊一九七二の 近藤明

1

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(カヌが)時間の上に転用されると、現在が未来を兼ねる、 という意味で予想、期待を表すことになり、……意れか い」は吾じれることを期待する」ことであり、更に遡れば、 冒瞥うことが忘れることを兼ねる」とも言い得ることでも あったのではないか。(p二一一六~’’一一七) 二次的な解釈として、「行き過ぎかれつ」「忘れかれつ」 などは、。むき過ぎむ」こと害心れむ」ことを期待したが、 それはかなえられなかった、というふうに、シの回想性を 重く見るような理解のしかたがあったかもしれない。すな わち、一往は何とか行き過ぎよう、忘れようと努力したが だめだった、というような表現と理解することが、少なく とも一部にはあったろうと思われる。(p一一三七) とvZぞえに依拠するところが大きく、全てが筆者の独創とい うわけではない。「カヌ」の兼有の意味との関係を木下ほど重 視しない点と、「~カヌ」と「シ」の関係が(十世紀頃までは) 従来考えられていたより密接なものであることを踏まえて、木 下が「二次的な解迩処とするものをむしろより本質的なものと 見る点においては異なる程度とも一一一一写える。 いずれにせよ、右のような考え方は、「~カヌ」が不可能の 意を表すことを説明する上においても、シ形の意味・用法を考 える上においても、他説より利点が多いものと筆者としては考 えている。ただ右の考えの中で、「それにシが下接して『(実現 不可能と判断して)動作の実現を目指すことを止める・放棄す る」或いは「動作の実現が予想にとどまった」の意となり、更 に『実現しようとしても不可能である」の意に転じた」のあた

りに関しては、

の否定辞を伴わない完了形が,非実現・不可能の意味を(含 みとしてでも)表すような場合が、実際にあるのか。 ⑪漆かんずく、古代日本語において、動作や状況の実現を企 図期待予想するような意味lこれは「~カヌ」自体 の意味として雲疋されるものlを表す動詞の完了形(殊 :にシ形)が、「思っただけで実際はそうならなかった」と いう意味になる場合があるのか。少なくともそのような場 合があり得ることを示唆するような傾向があるか。 という疑問が提起されることも考えられる。このような疑問に 対して上具疋的な答えが見出せれば、右の考えが単なる恐意的な 推測でないことを主張する上で有効であろうが、近藤一九八八 においては、このような疑問を相堂正し、それに対する答えを用 意するということをしていなかった。近藤一九八八で述べた考 えに説得力の不十分なところがあったとすれば、この点による ところが大きいものと考える。 本稿は、右の疑問、特に当面の問題に則した形の疑問である nに対する答えを提供することによって、近藤一九八八におけ る推論を検証・補強しようとするものである。なお、現代日本

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語の「スルッモリダツタ」「スルトコロダツタ」「スルハズダッ タ」が非実現の意に解説きれる場谷の多いことや、英語におい て亘例員8」等の過去完了形が非実現を意味すること等、古代 日本語以外の完了形の例を挙げて傍証とするという万策も考え られるが、それは別稿に譲ることにする。

112分析の対象 以上の問題点を踏まえて、古代語における企図・期待・予想 の意を表す動詞の完了形、特にシ形を取り上げ、その企図・期 待・予想が実現したか否かに着目する。仮に、シ形において、 企図・期待・予想が実現しなかったと解きれる場合が目立って 多いというような傾向が認められれば、先の疑問(特に@に 対して童疋的な答えが得られたということになろう。 取り上げる動詞(動詞相当の連語も含める)は、右のような 意味を持ち、かつ完了形、特にシ形にまとまった用例数のある ものとする。この条件に当てはまる壺悪」して、ここでは「タノ ム」「ムトス」「ムト思う」を選んだ。 「タノム」は「頼りに思う。期待する。信頼する」等と訳さ れ、「領域は広いが、被保護者の立場から力強い保証を期待す る気持ちを表す」(「小学館古語大辞典ごとされる語であり、 その期待が実現したか否かに注目する。なお古代語の「タノム」 には、下二段活用で「頼りにさせる。期待きせる。信頼させる」 意のものもあるが、ここではそれは含めず、もっぱら四段活用 のものを刀家とする。「ムトス」は連語であるが、「すぐに実現 しそうな事態の予想・推量、話し手の決意などを、客鮪》的な立 場から表わす」S日本国語大辞典」)とされる語で、その予 想・推量・決意が実現に至ったか否かに注目することにする。 「ムト思う」も連語で、助動詞「ム」と格助詞「ト」の後に動 詞「思う」または「思ス」「オポユ」が続くものである(「ムト 思う・思ス・オポュ」のような書き方をするのは煩瓊なため、 「ムト思う」の形で代表させた。また「思う」の部分が「恩ひ 置く」「恩ひなる」のような栴答動詞になっているものは、原 則として含めない)。この「ムト思う」も、やはり予想・決 意・企図などを表わすものと考えられ、その予想・決意・企図 が実現に至ったか否かに注目する。 なお動詞はなるべく多くの語を取り上げることが望ましいで あろうがm右のような意味の動詞で、完了形、特にシ形にある 程度まとまった用例数を持つものが他に見いだしにくく、今回 は右の三語にとどまった。機会を見て補っていきたい。(「ムト 思う」に類するものとして、他の推量赤助動詞を含む「ジト思 う」や「ベシト思う」等を加寛るのも一つの手かと思う) 調査の対象とする資料は、前述の問題意識からすると、「~ カヌ」と「この間に密接な関係の認められる上代から十世紀 頃までのものがふさわしいが、厳密にこの時期の資料のみに限

(5)

定していてはまとまった用例数が得にくいので、十一世紀初頭 のものまでを対象とすることにする。具体的には、万葉集、古 今和歌集、後撰和歌集、拾遺和歌集(以上歌集)、竹取物語、 伊勢物語、土左日記、蜻蛉日記、字津保物語、源氏物語、枕草 子(以上和文)を調査の対象としたが、この中で万葉集、古今 集、拾遺集、竹取物語、伊勢物語、土左日記については、対象 となる用例が見出せなかった。 ただし、これでは和歌の用例、上代の用例が少なく、特に 「~カヌ」と「どの間に最も密接な関係の認められる上代の 用例が乏しいことは問題と思われるので、万葉集についてのみ、 動詞の範囲をより広くとり、そのシ形について節を改めて考察 することとした。 なお、用例の引用は次のものによるが、問題の語句以外の部 分では表記にある程度手を加えてある。 万葉集(日本古典文学全集)後撰和歌集(新日本古典文 学大系)蜻蛉日記(かげろふ日記総索引)字津保物語 (字津保物語本文と索引)源氏物語(源氏物語大成) 枕草子(枕草子総索引)

以下、シ形を中心として、リ・タリ形、ヌ形、基本形につい ニッ形 ても必要に応じて考察を加えつつ、論を進めていきたい。それ ぞれの形の用例を[非実現][実現][未定][他・不明]の四 つに分類する。その{墓譲は次のようなものである。 [非実現]》企図・期待・予想が実現したか否かの結論が 既に出ている(もしくは直後の文脈で出ている) もので、企図・期待・予想が実現に至らなかっ た、と解釈されるもの。 [実現]》同じく、企図・期待・予想が、実現に至ったと 解釈されるもの。 甲杢エェ[非実現]か[実現]かの結論がまだ出るに至 っていないもの。 [他・不明]》本文や解釈に問題のあるもの、[実現] [非実現]という分類になじみにくいもの等。 このように分類した上で、まずシ形について分析していくこと にする。 【非実現】 「タノム」「ムトス」「ムト思う」の三語すべてにシ形の例が 認められるが、[非実現]に分類されるものが際立って多い。 ①影にだに見えもやするとたのみつるかひなく恋をます鏡哉

②「いつしか、いかで恩ふさまにて見たてまつらむと、年月

をたのみすぐし、今や恩ひかなふとこそたのみきこえつれ」 念侭撰八○六)

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はべりき◎禄賜はらむと恩ひつるものを」.:」 (枕草子「職の御曹子に」段九二⑭) ①は、「物言ひける女の鏡を借りて返すとて」という詞書の ある歌で、相手の女が鏡に映る影としてでも見えるかと期待し たが、そうはならなかった、ということである。②は、明石 の君の乳母や母君らの〈至餉で、明石の君を「都の高き人に奉ら む」という希望が、源氏によってかなえられるかと期待したと いうのだが、それは源氏の帰京によってかなわなくなったわけ

である。

⑤「そなたにこそ参り来んと恩給へつれ。御かたはら守りの ひまなくものし給ふなれぱ、恩給へつつ見つるほどに、い とかしこく渡らせ給へるをなん」 (宇津保国譲上一三一一一⑥) ⑥「かひなき身なりとも、〔侍従は自分を〕見はてて刎剴。 ③「あくろまでもこころみむとしつれど、とみなる召使の来 あひたりつればなん」(蜻蛉上天暦九年十月一九⑦) ④「我かく悲しぴをきはめ、命尽きなんとしつるを、〔父宮 が〕助けにかけり給へる」とあはれにおぼすに (源氏明石四四六④)

そ恩ひつれ」 (源氏蓬生五三一⑥) ⑦「こもりが申しつるは「昨日いと暗うなるまで〔雪の山は〕 (源氏明石四七四⑫) ③は、兼家が道綱母を訪れながら拒絶きれて去った時の手紙 で、「あくる(夜が明ける.戸を開ける)まで待とうとしたが、 迎えの召使が来たので、それは実現しなかった、ということで ある。④は源氏が須磨で風雨に遭ってここで命が尽きるかと 予想したというのだが、夢に現れた父桐壺院に救われたので、 その予想は実現に至らなかったことになる。 ⑤は藤壺の女一宮に対しての発言で「こちらから参上しよう と思っていた」というのだが、それができずにいる間に女一宮 がこちらに来たので、それは実現しなかったことになる。⑥は

タノム

--

枕源干蜻氏津蛤 保

氏津蛉撰源宇蜻後 保 氏津蛉.子蜻

○該当の用例がない項目(「タノム」の枕草子、「ムトス」「ムト思う」の後撰集)は省略した。またヌ形は用例数が少ないため、基本形は用例数を上げての分析が行える段階に至っていないため、表にしなかった(第四節参照)。

0000

1010 0920

0310 1020

1000

ムト思う 枕源宇錆氏津蛤

ムトス 枕源宇蜻氏津蛤

タノム 源宇蜻後氏津蛉撰

28212

0030 0001

0010

3153 0010

0010 0000

5011 OOOO

0000 0000

非実現一実現一未定一他不明

シ形

0920 0310

01720 0350

0000 0000 0000 0000

1010 1020 6400 1000

非実現一実現一未定一他・不明

リ.タリ形

(7)

侍従が叔母に連れ去られる場面での末摘花の発一一一一口で、「侍従は 最後まで自分の世話をしてくれると思っていた」というのであ るが、その期待・予想は実現しなかったことになる。⑦は、 雪の山を十五日までもたせれば禄をいただけるだろうと一一一一口われ た「こもり」が、前日暗くなるまで雪の山があったので禄をい ただけるだろう(いただこう)と思ったというのだが、翌朝雪 の山はなくなっていたので、その期待・予想(ないし企図)は 実現しなかったわけである。 【実現】 雷盃凸に分類される例も若干ある。いずれも宇津保物語の 例で、「ムトス」一例、「ムト思う」三例であるが、この中で 「ムトス」一例、「ムト思う」二例は、「非実現」に近いところ があると考えられる例である。 ③立ち給はむずる程に、大将「主ことや、聞こえむとしつる 事は、明日御車給へ」(宇津保蔵開下二六一④) という例は、実際「明日御車給へ」と一一一一三たわけだから[実現] に分類されるが、《厄うぐ一一一百7のを忘れて立とうとしたというも ので、話し手の心理としては[非実現]に近いところがある。

また

⑨禾雀院おり給ひてはじめて参り給へりけるに、大二但呂〔嵯 峨院大后〕閣え給ふ。「いかで聞えさせんと恩ひたまへつ るに、五の宮時すぎてめづらしき事のありけるを、もし恩 ふやうにてあらば『かく今日明日になりにたるは。かくし 給へ」と、内裏にも聞こえんとなん恩ふ。院にも御、心えて

(1)

申させ給へ」(宇津保国譲下一五九一⑦) という例では「いかで聞えさせんと恩ひ給へつる」が、単に 「(嵯峨院太后が)朱雀膵巴に(どういう方法であれ)申し上げよ うと思っていた」ということであれば、実際に朱雀院に●甲し上 げたのだから[実現]ということになる。しかし表現の上には っきり現れてはいないが、「こちらから朱雀院のもとに参上し て申し上げようと思っていた」という含みも感じられ、そうな るとこちらから参上する前に朱雀院が来られて申し上げること になったのだから、⑤の例と同様に[非実輯色ということに なる。「ムト思う」のもう一例(国譲上一三六四②)も、こ れと同様の例と見られる。 以上の一一一例は[非実現]に近いと老えられる例であったが、 次の例はそれとは別の点でやや不確かなところが残る。 ⑩天将「さればよさⅢ事にあて給はんとは恩ひつる。いかで つかうまつらんとすらん」 (宇津保国譲下一六五四③) 嵯峨院の花鬘で詩の講師を仰せつけられた仲忠の発言で、「何 事にあて給はん」が「何かの役を割り当てられるだろう」くら いの意味とすれば、講師を命ぜられたことで「何かの役を割り 当てられるだろう」という予想は当たったことになるから、

(8)

[実現]に分類される。一方「何の役を割り当てられるだろう」 「何かの役を割り当てられるだろうが、それは何の役だろう」 といった意味であれば、後述するように[他・不明]に分類さ

れることになる。

結局、[実現]に分類したものも[非実現]に近い面を持っ ていたり不確かなところがあったりして、典型的な[実現]の 例は確認できないと一一一弓える 【未定】 シ形でこれに該当する例は少なく、わずかに次の例がそれか と見られる程度である。 ⑪また宮 「うらもなくふみやる恋をわたつうみの潮の千る間も なににかはせん とこそ思ひつれ」(蜻蛉上応和二年六月四三③) この例使宮が「なににかはせんl手紙は出てこないだろう」 と今思っているか、兼家からの歌を見た時点でそう思うかした が、この予想が当っているか否かの結果はまだ出ていないもの と見て、[未{この例とした。 もっとも、結果はまだ出ていないものの、「なににかはせん」 という予想が当たっているだろうという宮の主観を重視して、 [実塁に近いものと見ることもできるそうである。一方、「… …んとこそ恩へ」等では主観を相手に強く押しつけすぎること になるので、椀曲的な一一一一口い方として「:.…んとこそ思ひつれ」 を選んだ(「私の予想は当たらないでしょうが」の意をこめて) ことも考えられよう。 いずれにせよ、この例は扱いに微妙なところが残りそうであ

る。

【他・不明】 「ムト思う」に計二例見られる。この中で枕草子の一例は、 語句の認定・本文の解釈に問題が残る。 ⑫下にゐたる人々は「殿上許さるる内舎人なめり」と笑へど 「こは、わらはせむと思ひ給ひつるか」といへば (枕草子「関曰殿二月一一一日に…」段一一五五⑫) 「わらはせむ」が「笑はせむ」ならば、「むと恩とのシ形の例 となり、「下にゐたる人々」が「笑」ったのだから[実現]に 分類される。しかしそれでは、清少納言を側に召そうとした定 子の好意に対して、「女房たちのもの笑いにさせようとなさっ たのか」と応じたことになって不自然である。「わらはせむ」

わらはせb(2)

を「童選」とする説もあり、それならば「むと田》ふ」の例では

なくなる。

また次の例は[実現][非実現]といった分類になじみにく

いものである。

⑬。この手をいかにせんとおもひ侍つるに」と申し侍りき」 (宇津保蔵開上一○二○⑤)

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琴の手を誰に伝えようかとい》Z錘間音里心で、疑問の種類として は説明要求とか内容的疑問とか言われるものに属する。これが 判定要求とか童台的疑問とか言われる種類の疑問表現であれば [実現]『非実現色という二元的分類になじむだろうが、この種 の疑問表現は[実現][非実現]という分類にはなじみにくい であろう。なお⑩の例を「何かの役を割り当てられるだろう が、それは何の役だろう」といった意味にとるとすれば、それ も同じ理由で[実現][非実現]という分類になじまず、[他・ 不明]に加えられることになる。

以上シ形に関してまとめると、[実現]は数が少ない上に確 実な例に乏しく、[未{歪の一例も問題が残り、[他・不明」も 若干ある程度で、やはり[非実現]の多さが目を引く。

シ形には[非実現]に解される例が多いことが前節で知られ たが、これがシ形に特灘密的なことなのか、完了形一般に一一一弓える ことなのかを知るには、他の完了形についても同様の分析を行 う必要があろう。本節では、まず用例の多いリ・タリ形につい て老痙傘を加える。 なお、リ形とタリ形との間に、意味・用法に何らかの違いが 三リ・タリ形 認められるということも、動詞によってはあるが、それらは意 味・用法の広いタリ形が狭いり形に対して包含房的関係にあると いうものであり(近藤明一九八四参照)、シ形との対比に重き を置く本稿においては、リ形とタリ形を特に区別せずにリ・タ リ形として扱って、大きな支障はないものと考える。 【非実現】 リ・タリ形にも[非実現]と見られるものがある。ただ、シ 形のように[非実現]が圧倒的に多いわけではない堯至雇い)。 ⑭この風のすだれを外へ吹さ内へ吹きまどはせば、すだれ をたのみたるものども、我か人かにて、おさへひかへ騒ぐ 間に、なにか、あやしの袖口もみな見つらむと恩ふに死ぬ ばかりいとほし・(蜻蛉下天延二年四月一一一一一一一②) ⑮「この鯉は生きたるやうなるものかな。ほとほと庖丁望ま んとぞおもへる」 (宇津保蔵開上九九八⑩) ⑭は簾があるので、完全に姿を隠してくれるだろうと期待・ 信頼していたのに、風でめくり上げられてその期待がかなえら れなかったので、[非実現]ということになろう。⑮は銀細工 の鯉が本物のようで、料理を望もうとしたが実際はそうしなか ったということで、誇張的な言い方であるが、[非実現]の例 に加えられよう。 【実現】 [非実現]より数は少ないものの、[実現]の確実な例と恩

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われる例がある程度の数見受けられ、これもシ形と比べて目立 つ占世一一一一□える。 ⑯[末摘花が〕心情くわれをたのみ給へるありさまと、 〔源氏が〕尋ねきこえ給ふこと、いと難くなむあるべき」 (源氏蓬生五三○⑥) ⑰かの〔大君が〕うちとけはてでやみなんと恩給へりし心お きては、なほいと重々しく恩ひいでられ給ふ。 (源氏宿木一七七五⑪) ⑱〔碁を〕うたむとおぼしたれば、盤取りにやりて、我はと 思ひて先せさせたてまつりたるに 〈源氏手習一一○二一⑤) ⑯は会話全体の中で祠と難くなむあるべき」と否定的に捉 えられている話題ではあるが、源氏が末摘花の「たのみ給へる」 気持ちl期待信頼の念lにこたえて「尋ねきこえ」るこ とを想定しているのだから、[実現]に加えてよいであろう。 ⑰は大君は結婚することなく死んでいるのだから、「うちとけ はてでやみなん」という企図は実現していることになる。⑱は 「(碁を)うたむと恩し」たことが直後(同一センテンス内)に 実現している。 弔杢星 用例数としてはこれが最も多く、この点シ形の場谷とは大き く異なる。 ⑲〔鬚黒は北の方を〕躯とつけて心にも入れず、いかでそむ きなんとおもへり。 (源氏藤袴九二八⑦) 右の例では「いかでそむきなん〔離婚しよう〕と恩」うことが 継続中で、次の真木柱巻では実際に離婚することになるのだが、 この場面ではまだ[実現][非実現]の結果が出るに至ってい

ない。

【他・不明] ここに加えたのは、シ形の場合と同様、本文の面での問題が 残るものや、[実現][非実現]の分類になじみにくいものであ る。本文の面での問題は、主に「~給へる」と「~給つる」 「~給ふる」の間の異同に関するもので、図えば ⑳〔忠こそ〕「今はかく鳥獣にまじりて、年久しくなりぬれ ば、〔正頼は〕御覧c忘れにたらんとなむ恩ひ給へる」 (宇津保春日詣二七四⑩) という例を、日本古典文学大系では「諸本一致して「恩ひ給へ る」と誤る。ここは忠こそが「恩ふ』ので、それの補助動詞は 「給竺は下二段の筈である」(第一巻p一一八九の頭注)との見 解を述べて、本文を「思ひ給ふる」と訂している。この処置に 従えば、リ・タリ形の例ではなくなるのだが、判断を保留して [他・不明]に加えることにした。

以上リ・タリ形についてまとめると、[未定]が最も多く、9

(11)

完了形の中で、ヌ形は例が少なく、[非実現]の例も見られ ない。「タノム」に関しては、「タノマレヌベシ」の形が源氏に 四例あり、いずれも未来のこととして述べているので[未{巴 である。また宇窪膳膵物語には ⑳夏の野にあるかなきかに置く露をわびたる虫はたのみぬる かな (字津保藤原の君一九二⑪) という兵部卿宮があて宮に贈った歌の例があり(「置く露」は あて宮の「ほのかなりし御返り」をさす)、この歌に対しては 「御返りなし」という結果に終わるのだが、歌の詠まれた時点 では結果が出ていないので、[未{星と解される。 「ムト思う」のヌ形の例としては ⑫.琴をひくのをやめて恥をかくのは)ねたく口惜しきに、 同じくは天地驚くばかりつかうまつらん」と思い。 (宇津保吹上下五五五⑩) という例があるが、これもこの時点では結果が出ておらず、 宝企星と解される。なおの三⑳とも新たな期待や決意が発生し [実現]もある程度見られ、[非実現]も少なくはないが際立っ て多いと一一一百うわけではなく、シ形とはかなり異なった様相を呈 すると一一一弓える。

四ヌ形・基本形

(3)

たという意で捉えフ○ことができ、これはヌ形が「状態の発生」 を表すとした中西字一一九五七の指燗と符合すると一一一一□えよう。 以上の完了形に対して、基本形はどうか。基本形に関しては用 例を十分に検討できておらず、大体の見通しを述べるにとどま るが、 ⑳〔浮舟は〕「さやうの筋〔過去の男性関係のこと〕は、恩 絶えて忘れなん」と恩。(源氏手習二○○九①) のように、[実現]罪実現]の結果が出るに至っていない[未 {星が基本のようである。鈴木泰一九九一一、’九九三が基本形 の意味を「不完成的」としていることが思い合わされるところ

である。

前述のように、万葉集に関しては動詞の範囲をやや広くとる ことにする(できれば万葉集に限らず上代一般の状況を知りた いのだが、一有効な用例が得られたのは万葉集だけであったため 結果的に万葉集の例のみの分析ということになった)。特にシ 形の例の得られる動詞を檮燥先し、万葉集のシ形に関して第二節 で述べた,中古の状況と大差がなさそうか否かの見当をつけてお

きたい。

[実現][非実現]の判断が適合するような心理作用を表す 五万季黍集の場合

10

(12)

動詞でシ形の例の得られるものとして、「思う」二例、祈願の 意を表す「ネガフ」二例、「イノル」「ウヶフ」各一例がある。 「ムト思う」ではない単なる「思う」は、広範な思考・心理作 用を表し、[実現][非実現]の分類になじまないものが多くあ るために、また「ネガフ」「イノル」「ウヶフ」の表す祈願の意 は、近藤一九八八や木下一九七二で「~カヌ」自体の意味とし て想定されたものに含まれないために、それぞれ第二節~四節 では取り上げなかった。しかし万葉集の「思う」のシ形二例は 雷否翌[非実秬塾の分類に滴x口するようであり、また「ネガフ」 「イノル」「ウケフ」Q表す「祈願」の意は、ある動作・状況が 現{采化することを志向する点において「企図・期逵匹と類似す る部分があり、前述のような事情もあるのでこれらの動詞を本 節で取り上げることにした次第である(ただしこれでも用例数 自体が少なく、また「思う」以外はリ・タリ形やヌ形の例がな くて比較ができないという問題はあるが)。 これらの動詞のシ形計六例のうち、「思う」二例、「イノル」 一例は[非実現]に分類される。 ⑭夏草の稲えぬ使ひのよどめれば事しもあるごと思ひつるか 判(念鶴鴨) (万葉六四九) ⑳天地の神をも我は祈りてき(梼而寸)恋といふものはきね 止まずけり (万葉一一一三○八) ⑭は、相手の大伴宿麻呂からの消息がないので何かあった と思ったが、久々に宿麻呂から歌が贈られてきた(この歌はそ れに対する返歌の形になっている)ので、その予想は当たらな かったことになる。⑳は恋が止むことを祈ったのに止まない ということで、⑭⑮ともに[非実現]に分類されよう。 他の二例は[+杢医と思われるが、 ⑯〉水泡なす仮れる身そとは知れれどもなほし願ひつ(祢我比 都)千年の命を (万葉四四七○) は、結果は出ていないものの「仮れる白己という認識を持って いるのだから、「千年の〈巴という願いはまず実現しないと見 越しているわけで、歌い手の主観としては[非実塁に近いと 見るべきかもしれない。 以上見た限りでは、万葉集におけるこれらの動詞のシ形も [非実現]の解釈が優先する傾向があり、種々の制約の中での 推測ではあるが、万葉集に代表される上代においても、シ形に ついては第二節で述べたような状況と大差はないと想像して、 大きな間違いにはならないものと考える。

シ形に関して住第二節で[非実現]の意の例が際立って多 いことが知られ、第四節で上代においてもその状況に大きな違 いはないのではないかと想像きれた。これらはまだ「シ形が 六「~カヌ」に「シ」が下接することとの関連

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[非実現]の意味に解釈されることが多い.解釈されやすい」 という程度にとどまるものであろうが、更に進んで、[非実現] がある動詞のシ形固有の意味として固定するという場合I 「~カヌ(カネッ)」の場谷がこれに当たると考えているのだが lも有り得ることを示唆するような傾向ということができる であろう。その点で、当初の疑問に対しては些艮扉的な答えが得 られた、ということになる。 これによって、近藤一九八八や木下一九七二の推論(近藤一 九八八の場谷で一一一一写えば、特に「それにシが下接して:…・「動作 の実現が予想にとどまった」の意となり」の部分)は、|定の 補強がなされるものと考える。 なお、「カヌ(~カネッヒの意味は、一般に「非実現」では なく「不可鎚些とされている。この「非実現」と「不可能」の 距離についてはどのように考えるべきであろうか。これを考え るに当たっては、「実現系可能」と「能力系可能」という観点 からの可能表現の分類を顧慮するのが有効と思われる。渋谷勝 己一九九三では、悪書聖糸可坐匹「澄住糸可生生をそれぞれ次の ように定義している。 実現系可能l様々な条件によって、ある動作を実現するこ とが可能・不可能である.あったT実現する ・した皿実現しない・しなかった)ことを表す。 潜一佳糸可生耶川様々な条件によって、ある動作を実現するこ とが、やる(やった)かどうかは別にして、潜 一仕的に可能・不可能である(あった)ことを表 す。 この考えによると、実現系可能と非実現の距離はかなり近いも のと言えそうである。上代・中古について見る限り、「~カヌ (~カネッ)」は基本的に実現系不可能を表すものと考えられ、 非実現の意味からこの実現系不可能に転じるのは比較的容易と いうことで、一応の説明がつくであろう。 ちなみに吉田金彦一九七三で「これ(引用者注叩「~カヌ」) が不可能の意になるのはその結果から転じたものである」(p 五二九)との見解が示されており、右の説明も必ずしも目新し いものではないと一一一百フべきかも知れない。 なお[非実現]の意に解される例の多いことは、完了形の一 般的傾向というわけではなく、リ・タリ形、ヌ形は別の傾向を 示すことは、第三節、第四節で述べた通りである。リ・タリ形 の場谷、[未{巴が多く、[実現]もある程度の数見られた。ま たヌ形はそもそも用例自体が少ないことに加えて、いずれも 亘公墨に解される例であった。ここからすると、「~カヌ」に 「リ・タリ」の下接した「~カネタリ」「~カネ給ヘリ」や、 「この下接した「~カネヌ」があったとしても、それが非実 現や不可能の意味に転じることは考えにくいであろう。 さらに基本形に関して、[未{星が基本線で[実現][非実現]

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のいずれの結果とも積極的にはつながっていかないという、第 四節で述べた見通しが大きくはずれていないとすれば、基本形 の「~カヌ」そのものが非実現・不可能の意に転じるというこ とも考えにくいであろう。 結局、「~カヌ」自体の意味が近藤一九八八や木下一九七二 で想定したようなものだとすると、それが非実現・不可能の意 に転じることが考えられるのは「シ」が下接した場谷であって、 「リ・タリ」や「ヌ」を下接した場合や基本形の場谷、そのよ うな意味に転じることは考えにくい、少なくとも本稿で扱った 動詞の例を類例として説明することはできない、ということに

なる。

第一節で提起した問題に対しては、一則即までで一応の答えが 得られた。本節では、当初の問題からはややそれる形になるが、 前節までの結果から、シ形、リ・タリ形の意味に関して得られ る展望について述べておきたい。 シ形に関しては、第二節で[非実現]の意の例が際立って多 いことが知られ、第四節で上代においてもその状況に大きな違 いはないのではないかと相臘犀きれた。このこととの関連で注目 されるのは、シ形に関する次のような説である。 セツ形、リ・タリ形の意味の説との関連 ○前の動作が済んだことをいって、之をつきはなすやうな意 味が強いのではあるまいか。……動作が実現してはなれる 意味、これがヲ」の特質ではあるまいか。 (橋本進吉一九六九。且一一六七~一一一六八) ○つは現在に対する関係は極めて少なく、…:っは過去的で あるから、事柄が其処で一段落を画して居て、次の事柄と 因果的又は断続的関係を有する。 (松尾捨治郎一九三六。且ハ九六) ○出来事の連続を終結させるもの(8弓盲目色として現れ

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([阜禺豊監ご召。p一一一七) ○動作の終結だけでなく、それまで続いていた場面の終結や 状況の変化を同時に表している。 (鈴木泰一九九二。p’’一一一) これらの論は、観点や比較の対象が必ずしも同一ではないが、 シ形は完了してそこで閉じ、後件に対して消極的な関係で関わ る、という方向の捉え方である点においては、同列に属するも のと一一一弓えそうである。 シ形にこのような面があるとすると、企図・期待・予想など の意を表す動詞がシ形を取った場合、企図・期待・予想をした 上で、「之をつきはな」す、あるいは「其処で一段落を画」す、 「出来事の連続を終結させる」ことになり、その企図・期待・ 予想が[非実現]に終わることが多くなるのは自然なことであ

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ろう。その点で、第二節・第四節の結果や、「~カヌ」に「シ」 が下接して不可能の意に転じることを説明するのに、右の諸説 は右叩効性を持つものと考えられる。 一方リ・タリ形については、 ○タリは結果的状態が話手によって後続の動作にとって有効 であると判断されているという意味において連結的(巨早 百⑮である。 (円閨房目昌]し召.p’’’七) といZ指摘がある。リ・タリ形にこのような面があるとすると、 企図・期待・予想の意の動詞がリ・タリ形をとった場合、企 図・期待・予想が「後続の動作にとって有効」「連結的」であ るのだから、その企図・期待・予想は[実現]に至りやすいと いうことになろう。実際には第三節で述べたように、[非実現] の場合も少なからずあるのだが、シ形と比べて[実現]が多い ことも確かで、その点で、第三節の結果を説明するのに右の説 は一定の右、効性を持つものと考えられる。 先に近藤明一九九五・一九九六において、接尾辞「~サス」 の意味・用法を考える上で、シ形、リ・タリ形に関する右に掲 げたような方向の説が有効性を持つとの見解を述べたが、本稿 においてもそれらの説の有効性についての見通しが得られたこ とになろう(むろん極めて限られた視野からではあるが)。 ヌ形、基本形の分析結果と従来の説との関連については、第 四節で触れたのでここでは繰り返さない。 なお、「~カヌ」と「シ」の関連を近藤一九八八のように見 ることにした場谷、シ形Q怠味に関する従来の説の中には、そ の根拠の一つを失ったり、説明困難な部分が解消したりといっ た影響を受けるものが出てくる。本稿の内容は、このような形 でも、シ形の意味の説と関連してくるわけだが、それについて は別稿虹譲ることにする。 (1)この例は「字津保物語本文と索引」(底本前田本)で は雨かで聞えさせんと恩ひたまへつるに」の部分が 「いかで悶えざらんと恩ひたまひつるに」となっている が、これでは文意が通じ難く敬語の用法も不審なので、 日本古典文学大系を参照し、九大本等の本文を採って、 引用したような形とした。 (2)「童選」という語は他に例が見られないが、萩谷朴 『枕草子解環」では殿上童の意とする。 (3)吉田茂晃一九九二はこれを「過程の始発」とすべきだ という「修正襄杢を出しており、適切なことと考える。 (4)この指摘は、シ形だけでなくヌ形も含めてのものであ る。なおこの引用は、原文を確認した上で、訳は鈴木泰 一九九五によった。

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木下正俊一九七二『万葉集語法の研究」(塙寶星 近藤明一九八四「助動詞「り』『たり』の勢力関係の変遷 l平安時代和文を中心としてl」S文芸研究』一○ 七) 近藤明一九八八「接尾語カヌの下接語の時代的変化l助動 詞シとの関係の衰退l」(『国語学」’五二) 近藤明一九九五・一九九六「接尾辞『lサス」の下接語と意 味の関連(上)(下)」(「北陸古典研究」’○二,一) 渋谷勝己一九九三「日本語可能表現の諸相と発展」(『大阪 大学文学部紀要」一一一一一一’一) 鈴木泰一九九二『古代日本語動詞のテンス・アスペクト」 (ひつじ書屋 鈴木泰一九九三「源氏物壷盟云話文における動詞基本形のアス ペクト的意峠匹(「武蔵大学人文学会誌」’’四一二・一一一) 鈴木泰一九九五「メノマエ性と視点(1)」S築島裕博士

橋本進吉一九六九「助詞・助動詞の研究』(岩波書店。なお 引用箇所は一九三一年の講義案「助動詞の研究」) 中西字二九五七「発生・ (「国壺閏學と二六-八) [参考文献]

古稀記念国語学論集」汲古書院) 一九五七「発生と完了I扇」と「っ」l」 松尾捨治郎一九三六『国語法論孜』(文学社) 一一一宅清一九九七「源氏物語における「~らむと思ふ』」(国学 院大「国語研究』六○) 吉田金彦一九七三『上代語助動詞の史的研究」(明治書院) 吉田茂晃一九九二「「完了の助動詞」考l万葉集のヌとツ ー」s万葉」’四一) 巨冒臼冥星営后ヨシ冒身&(屋菖邑]置員蕗国席画&届再{ 夛冨ご巨冥田且週 (本学教官)

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参照

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