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(1)

跡見学園女子大紀要第五三号(二〇一八年三月十日)

G ・ ジンメルと人文社会科学方法論争︵上︶

G. Si mmel and the “Dispute s o n Me thods” o f Huma n an d So cial Sciences (the Fo rm er Hal f)

池田光義

I

K E D A M i t s u y o s h i

ジン、人文いて広げヴィ

が、メル論的をこうした種々の方法との関連る試はほとんど存在しない。稿は、

この欠落を埋める系統的作業のめの予考察を試みるなわち、いくかの論争点にするュモ

ー、テ、ヴンデルント、ンバルの理態度を確認し、ンメルのスタンをこれらの

態度と比較し、論争におメルの隠れた、しかし特異で重び論ら受間接

影響を指摘たい。本稿(上)、メンガー・シュモラー間の経済方法論、デタイ始まる自然科学―精神

(文化)科学の係をめぐる方法論争を取りあげ三節に分け検討する。稿下)、「⒋ジンメルと精神(文

化)科学論争(続)⒌世紀転換期の価値判論争、⒍ジンと価値判断論争」について論じる。

(2)

はじめに

ジンメル︵一八五八〜一九一八年︶の学問的活動期はヴィヘルム二

世時代︵一八七〇〜一九一八年︶と見事に重なる︒この時期は人文社会

学において各種の方法論争が激しく繰り広げられたこと知られて

いるが︑ジンがこうした一連の論争然と関与し重要なを果

たしたとか︑あるいはこれらの論争から少なからぬ影響を受けたなどと

は︑当でもでも考えてはいえ︑当

開のなかには︑公争に関与してはいとも︑間接的な形で一定

の関心・反応を示し︑自説の展開が論争の主要な争点に対する実質的な

、、 、、

解答や方向づ提起

、、、 、、 、、、、 、、 、

となっている場合も少なくなかったのである

まさにジンメルの理論的営為がこれに該当する︒稿は︑経学方法論

争と精神︵文︲自学の区論争に関わる若干の論点につい

て粗試みることンメルと人文社会科学する

で系統な思想史的理論考察を行うための予備作を提

手順としては︑いくつかの主要争点に対するメン︑シュモラー︑テ

ンニース︑デルバント︑リッカバルトの

たうえルの見れらと比しなが検討することにる︒

1.経済学方法論争――理論歴史学派

まず済学方法論について検してみる︑一八八 メンガーが科学︑に政治済学の方法に関する研究﹄

法研究﹄上梓しシュモラーが同書を書評したことに端を

るとされている︒しかし︑この﹃方究﹄それ自体でに

、 、、 、、、、 、

︑︱︱理

枠組みのな歴史学派の観点を統合すという形で

はあるが︱︱両派の観点の一種の︿総合﹀の試み

、、、 、、 、、、、 、

なのる︒というの

も︑二人の論争は実には同年に始まるのではなく︑その十年ほど前に

遡るのであるなわち︑メンガーが七一年した﹃経済学原理﹄

して︑シュモラーが七三年の書すでに手く批判していたの

︒﹃法研究﹄はこのに対ンガー

反論でると時に︑この批判をきっかけ取組んだ新典派経済

学体系の方法論的な再構築の成果を提示したものなのる︒というこ

︑八三年のシュモラーの書評︑メーによる︿理論学派と歴史

学派の合案﹀をシュモラーが峻したことを味する︒シュモラーに

してば︑ポスト古典派経済学の時代状況にあって派こそ

かなる現実性も欠いた若干の抽象的な規念に代わる︑現実の科学的

な把握の回帰﹂であり︑唯一正当な済学

のである対し︑理論学派は︑現実れした抽象理論たる古典

派の単なる二番煎じであり︑またンチェスター学派イツにおける

代弁者すぎないのであるそれゆえ両派の総合外といことに

なる︒

さて︑メンガーの経済学方法論の核心は︑政治経済学をⒶ理論的国民

経済学︑Ⓑ歴国民経済学経済統計実践

(3)

学︵国民経済政策と財政学︶の三分野に︑さらⒶ理論経済学精密

的方向と⒝経験的・現実主義的方向との二つの下位野に峻別すること

にある︒この区分は︑会認識・理一般的的な方

的・歴史的な方式の二種類が存在することを根

理論学派と歴史学派の主要関心にそれれ対応

論経済学と歴史経済学には︑互きない固有の・目標・

法があるというンガーの明識を示すものる︒それはまた

理論も含めいかなる社会・経済理論も︑限りなく複雑な社会・経済

事象がもつ特殊な一面写像にすぎない以上︑個々の理論よそ

一面性局限性を免れうるものではないが︑それらの相互補完︑その総

体におては現実の全般的な認識・をもたらす可を有している

という︑メンの確信しているする

に︑この区分によりガーは次のうな効果を狙っいるのある︒

すなわち︑⑴こうした明確な区分意識がし︑様々な課題方法を混

同していた典派経済学の水準を超える唯一正当な経済

学と僭称する歴史学派経済学の中軸的な研究領域をⒷ歴史的経済学

び⒝理論経済学の経験的方向という形で正当な研究分野して是

一方︑その歴史的観点の有効性をこの分野の範内にじ込める︒⑶理

論的・精密的な経済学を独自の︑しかも至高目的の地位もつ研究分野

として保する︒そこには時に︑Ⓑ歴国民経学と⒝経験的・現

実主義的方向を自己の理論のなかにその不可欠の構成部分として組み込

むこと︑歴史学派からの﹁象﹂理論に対する主要な批判点︱︱経済 分析が非・超歴史的なびている点︑経済過程を他の社会過程お

よび社全体から孤立化させている点︱︱を無効化する狙いある︒他

方︑理論学派と歴史学派の総合のためには︑歴が︑経済研究

分野を明確にしその固有の課題・方を互いに混同しないこ

と︑歴史的・経的な研究分野にのみ妥当す方法・規準を精

的な研究分野にも適用してこの分野正当と有性を否する態度を

根本的に変更すること︑このことメンガーは要るのである︒つま

り︑歴史学派に対して︑ま学その対する方法論的なメタ

意識︑己反省をるのである︒

注意べきは︑メの唱えⒶ⒜精密理実上

場経済に関する体系分析を内実しているということであり︑そ

味で︑が構想する経済学が原則的に︑現代経済の体系的分析と経済の

歴史分析との統一をしているというこ︒ただ︑

述するように︑この現代経済の体系的分歴史的制約を超越した

妥当性の要求と結びついているため︑精密理論と歴史的・経験的理論と

の間にる併存関係︑一切の媒・相互性を欠いたまったくの二

元性し存在しないことが重大な欠損となっている︒そのでは︑メ

ンガーの﹃法研究﹄においては理論学派と歴派のそれ

当性性を渉の原認する

二元論に終わっていて︑両派の内で本質的な統一・総合には至ってい

ないと言える

ところ理論学派と歴史学派の対は︑ドイツ世換期の人

(4)

文社学系の研究者によって深刻に受められていた︒そのさい注

べき︑第一に︑両派の対立は︑ガー・シュモラー論争

って公然化︑この論争によってさ激しさを増したとはいえ︑︱︱

この後すぐに取り上げるテンニースとディルタイが明白に示すよう

に︱︱この論争とは接的には無関係な形ですでに深刻かつ広範囲にわ

たって進行していたことある︒二に︑モラー

両派の方法が排他的はなく相補であることれば容易に収拾す

るにもからず︑自派の方法の正を︱︱感情的・個人的な非難も

交えて︱︱一方的にことで不毛に終いう類

判を押したように繰り返されるが︑な見方ある︒この

が︑安易な宥和や総合を拒む重大な認論的・方法論的な亀裂︱︱さら

にはその背景に潜む社会・学問観の対立︑学問・大学の政策・制度に

関する様々な勢力の配置図や関係などの問︱を内部にはらむこと

や︑そのことに対して当時の知識人が深刻な問意識いていたこと

過しるからであるメンガー・シュモラー間学方法

とは︑こうした一般的な集合意識の対立と学問政治の抗争関係の集約・

象徴でありかつそを公然化せる出ひとつ

のだ︒

テンニースもそうした深刻な問を共有する典型的な学者のひと

七九年一〇月付Fウルゼン宛書き記され︑﹁したちはロ

マン主義歴史主義合理主を結次の総合に至らなければ

﹃ゲインシャフトとゲゼルシャフト﹄初版一八八年︶

いて︑﹁十紀のあらる社化科学におけ合理主

義的見する歴主義的見対立﹂︵への

とテニー摘する﹁社﹂︵一八

九年でも︑﹁わたしの理は外面は︑対立する有体的

機械的論︑歴史主的理論と合主義的理論結合である﹂

言してはいったテンニースはどのよう

理論を結統一したいうのであろうか︒そてその試み本来

な結統一になっいるのだろうか︒

テンニースは周知のとおり︑意志の二つの基形態質意志と選択

に基づいてゲマンシャフルシャフ社会

別し︑前後者に移行すいう歴史発展の二段論を唱る︒

そしてこの二つの社会形態展段階の特徴の比︑および歴史的発

展・転の考察の結果として現代社会の本質を握しようとする︒その

ゲゼルトの理解には理主義理論に近代社把握

の方法と内容が基にそのまま有効であるが︑ゲマインシャフトの理

解には︑この合理主義的理論はその理主義・契約論・機械論などのた

めに不適格あり︑主情主義・慣習︵自然成長︶論・有機体論を内包す

る歴史主義的理論が有効であるとれる︒つまり︑テンニースのいう両

理論の結合・統一とは︑合主義的社会理論か

一般とし的妥当要求を奪しの妥当域代の社形態

(5)

に限定し︑近代に先行する歴史的な社会形態の識にはそれとは対照的

な歴史主義的理論によって補完することである︒しかしそれは︑見

かえれば︑合義的の既内容をほぼそのまま近代の

ルシャフト的な社会態の本質規定と︑また歴史主義的な方法に

く歴史理論の既成の識内容をほぼそのまゲマンシャフト的な

形態の質規にすぎない︵︒つまり両理

論を︑二つの異質な社会形態の把握にそれぞれ固有に妥する独自の

識方法と見ないうこと︑あるいは両理論の歴史的な妥当域を画定す

ることに尽きるのでる︒二つの社会形態が︿歴史的発展の二段階﹀と

して接されているからといっても︑それぞれに有効な両理論がその概

念形成・認方法そのもの

、、、 、、 、、、、 、、 、、

次元で内相互されて本質的な統一

、 、、、、 、、 、、、、 、、 、、 、

を形成

、、 、

しているわけではなのである︒

理論学派と歴史学の総合というを考えときに︑次のような論

点が大切であ︒そはす世紀に刷新された︑あるい

は刷試みられた︑その意では単に近代的というだけでなく優れて

現代的な・理論同士の調なり総合なりが課題なっているか否か

ということである︒視点を転すれば︑この総合こそが十八世の理

論を克服し︑現代踏まえた理論革命を功させる必要件のひ

とつとなるという点である︒この関係でいば︑典派経学の

者の一人であるメン現代化た形

、、、 、、 、

での抽象理論を立て︑その

みのなか派を〝懐け〟ようした︒しかし︑テンニース

刷新化さた十九世思想論同士でなく︑近代 はあても代的言えない十八世紀型の思・理論同士の︿総

合﹀を試みたのである︒

次に︑ディルイについてよう︒彼の﹃精神科﹄は

くも︑メラー論八三年と

版されたが︑彼はやはり同書精神の哲学的基礎づけによる︱︱後

述するように︑自然科学に対する精神科学の独自性の確保の試みとして

でなく

︱﹁

象的理 調 する 試み

︶とも了解していたのる︒で︑デタイが抽象︵理

論︶学派と歴史学派のそれぞれの問のように︑両派の調

のため要件の点に見ていたであろうか︒象化認がこうした

学の他の諸目的の独自を自己うちに解してしまうこ許さ

認識のも⁝⁝認識なしるわ

けにはいかないのである︒歴史学と理論学派との争いが生たのは︑

抽象学派が前者の誤り歴史学派が後者の誤りしたことによ

﹂︵︶︒全体へな部関係看過し

局はこうした抽象物実在物として扱うことが︑抽象学派の根本的な誤

りであった︒これと相補な︑し劣らず命的な歴派の

は⁝⁝抽象の世界から逃避しことである﹂すなわち

ディルタイによれば︑抽象の第一の誤謬は︑自然科学的な課題と方

法をあらゆる研究分野に無別的に適用しようとしたことである︒そし

て第二誤謬を実物として扱こと﹂︵同右︶︑抽象︿実

﹀である︒精神科学の理論的抽象歴史的・社的現実のある

(6)

領域︑ある関係・過程を︑その全体連関ならびに他の諸域︑他の諸関

係・諸過程から理論的に遊︑その歴史的発・変過程観念

的に切することで︑ひとつの相対的に自立・完結した理論システムを

現実部分と現実総体らびに他のとの関係︑さら他の諸領域を

した諸理論との関係︑つまり当理論を支えている関係の前提

閑視し︑抽出・再構成の産物をそれ自体的︱︱そして超歴史的

に成立する自己完結テムと錯認すことを意味のである︒

それはまた︑⁝抽象理論歴史的社会的現実のなかット化

る諸システムをバラバにしてしまう﹂ことある︒

そして⁝⁝バラバラに切り離された精神の個別諸科学はせる抽象

、、 、、 、

陥らない﹂傍点池田︑下とくに断ない限り原

者︶のあれば︑抽象理論はまさに死せる抽象体系他ならない︒

したがって︑ディルタイでは︑象理論が生系とな

るためには︑次の要件が不可欠となる︒すなわ︑その理論が関わる︑

歴史的・的現実の全体と他の︑さら他の諸理論と

不断に対自の対象と自己の体系れ自体とが歴史的・社

的総体の一契機であることをつねに反省する観点︑つまり自己識論

的前提へ判的省察を自己の体系の内に組み込むことであるれは

すなわち体系を歴史学派の中軸的点によって補るこ

とに他ならない︒しかし︑その場合に認識主体にられる能力は

神科で本来的にはらく︑﹁人間全体﹂しての把握力︑なる知性で はなく﹁の生﹂としての︶である︒つまり︑

ルタて︑抽象学史学派の総でな

その論的前提への態度︑さらに識主体の様態に至る根な変

革が必なのある︒他方︑ディルタイのみるところ︑歴史派の誤

は逆︑﹁命題の形に明確用な社会実の

識をできなかった﹂こと︑ュモラー民経済学要

︵一九〇二年︶の書評を用いれば︑﹁体系

り︑それはま個々の経済状態の内部に存在する諸関係から︑あらゆ

る経済 態に 共通 する経済

生活の す諸関 にまで遡る

という経済本来の回避ている︒

はしかし︑ディルタイの経済学批判がこのような一般的な抽象次元

では有効だしても︑両派の総合につながるような経済理論体系の構想

への的なヒント提示できていないことである︒

ッカ合はか︒リットは法論

いてほとん触れないが︑﹃文化科学と自然科︵一九二一

年︶に次のような記述がみられる︒﹁論理的みれば︑生活

一般化による叙述は︑個性化による叙述と同様正当る︒国民経

学はひたすら

、、 、、

一般化方法を用いることしか

、、

許されないという意のみ

が︑拒絶されるべきなのだ︒それは︑個別研究の様々

、、 、

︿方向

﹂ ︵

トの化によ叙述象学派の︑﹁個性

によ述﹂とは史学派の方法を指しているの︑この個所国民

参照

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