国家と階級についての覚書
徳 江 和 雄
国家とは何か。階級とは何か。両者はどの様に 力であり、また彼の『支配の社会学』に示される、
関係するのか。 被支配者が服従する内面的原理にもとつく支配の 筆者は現代におけるイギリスと日本の政治・経 諸形態である。それ故、ヴェーバーの国家論は国 済の比較を意図しているが、小論はこのための観 家の機能論であり、形式論なのだ。しかし、その 点の確立のためかかる問題にかんする学説を検討 ためにも、国家とは人間の支配・服従関係である し整理する。 という内容、本質を前提していること、国家だけ ギッデンズ『先進国における階級構造』(1973、 でなく一般に人間社会、人間がつくる諸組織は支 市川訳、みすず書房、1977)は、20世紀の今日に 配関係が主な特徴だとする理解を前提しているこ おける労働組合や労働者政党の発展、巨大企業の と、しかし、彼は何故に国家が、あるいは人間社 出現、新中間階級の拡大、国家社会主義による工 会が支配関係をとるのかを問題としていないこと 業化の成功といった新展開を、ダーレンドルフな が要注意点である。ここにはヴェーバーの宿命的
どの諸学説を批判しつつ述べているが、そこでは な社会観歴史観が示唆されるし、それが彼の国 国家、階級にかんするマルクスとヴェーバーの学 家論に深く関連することが示唆される。国家の内 説を如何に理解するかが問題のポイントであるこ 容論はマルクスによって人間社会の根源的理解に とが示される。そこで、われわれも以下のように 立って、すなわち①人間が自然と取り結ぶ関係、
マルクス、ヴェーバーの解釈から始め、ついでギ ②そこで同時に人間が相互に取り結ぶ関係という、
ッデンズの著作を問題にする。 一般に生産力と生産関係といわれる二重性をもつ 人間社会の歴史的発展の中で支配と国家が語られ 1 マルクス(国家本質論) る。このマルクスとヴェーバーの取扱における相 II ヴェーバー(国家形式論) 違が冒頭におけるわれわれの設問への解答の相違 IIIギッデンズにおける階級と国家 となって来ることは以下にみる通りである。
国家あるいは政治権力とは何か、そしてそれは 1 マルクス(国家本質論)
どの様に機能するのか。前者に対する答えが国家 マルクスは「私有が共同組織Gemeinwesenか の内容論、本質論であり、後者への答えが国家の ら解放されたことにより、国家は市民社会と並ん 機能論、形式論である。ヴェーバーは、国家が遂 で市民社会の外にたつ自立的存在となった」(1)と 行してきた課題、内容によっては国家を定義でき 述べるように、私有の発展と近代国家の二重の発
ないと言い、ではどうするかというと、国家とは 展を考えている。すなわち、経済と政治の分離で 支配・服従の人間社会であることを前提し、その あり、それによる両者の二重存在である。では、
支配の様式によって定義できるとする。そこでヴ そのような国家とは何か、分離とは何か、また如
エーバーが着目するのは、支配のための物的強制 何なる二重存在なのか。それは、私的所有の発展
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の理解によって解答される。 ちが自分たちの私有と利害を相互に保障しあう組 1 私有以前の所有形態は、氏族的、古典古代 織である。
的、封建的・身分的所有の3つであるがこれらは ②しかしブルジョワたちは国家を掌握し、自分 共同体所有を共通の性格としており、そこでは人 たちの支配を社会制度たらしめ、自分たちの階級 間の社会的編成と生産と消費の有り様とが不可分 支配に、自分たちの特殊的利害に普遍性の形態を であった、要するに政治的・身分的契機と経済的 与えるのだ。国民国家という象徴を身にまとって 側面とが融合し、未分化であった。私有の発展は、 ブルジョワ階級は支配するのである。と言うのは、
それ以前の共同体の解体によって市民社会、経済 国家とは市民社会の全体性を集約的に表現するも が純粋にそれだけで運動する社会の発展であり、 のだからだ。国家がそのために如何なる政治・統 それ以前の社会関係を「前近代」として否定し、 治形態のもとで如何なる機能、制度、支配関係を それの解体を前提している。だがそれは政治の否 展開するかは、一つにはブルジョワジーの歴史的 定ではない。私有の発展は、私有財産を所有する 位置によって、一方で封建的諸階級との、他方で ブルジョワ階級がそれぞれの特殊的利害を追求す はプロレタリアートとの闘争状況の如何によって るため、市民社会の全体的利害、普遍的利害、を 決定される。④
代表する国家を市民社会と並んで市民社会の不可 ③フランスのブルジョワジーは大革命で「自由、
欠の随伴者として生み出す。(2) 平等」という普遍的価値を掲げて自余の大衆を引 マルクスはまた、フランス大革命を念頭に置き き付けて権力を掌握した。一般に一階級が権力者、
つつ『ユダヤ人問題によせて』(1844)のある箇所 支配階級になるために、全社会成員の共同利害で でより具体的に次のように述べる。①封建社会で あることを表示する普遍的な諸思想、イデオロギ は諸個人の経済的行為、生産と消費が領主権、身 一を生産し国民的統合、あるいは階級同盟を目指 分、同職組合のもとで行われ、これらの団体の国 さねばならない。そしてまた、これらの諸思想、
家に対する関係を通じて個人の活動と生活は普遍 理念に基づいて法や諸制度が打ち立てられ、階級 的関係を持ったこと、②しかし国家は諸個人から 支配の永続化は目論まれる。ここからドイツ古典 遊離した支配者およびその家臣による特殊的な職 哲学においてその完成作品をみるように、現実の 務となっていること、③政治革命はこの国家を粉 特定の階級支配がまるで諸思想の支配にすぎない 砕し国家的事項を人民的事項に高め、同時に身分、 かのような幻想、諸思想の展開によって現実の歴 特権、職業団体を粉砕したこと、④この革命は、 史が規定され支配されるという錯覚がうみだされ
これら団体、身分の中に散逸していた政治的精神 る。
を解放し市民社会から観念的に独立した普遍的な 3 以上のように、マルクスにあっては一方で 全人民的事項の領域を確立し、同時に市民社会、 私有財産の発展、それを担うブルジョワジーの支 諸個人の活動、生活から一切の政治的性格を剥奪 配するブルジョワ社会(市民社会)の成立、他方
し、たんなる個人的なものにした。(3) で近代国民国家の成立とは密接不可分である。こ 2 マルクスは国家を「幻想の共同体」ともい の「国家と階級」観は同時に、人間社会は、生存 う。かれの国家は次の3点を意味すると思われる。 のために物質的な生産を行い、その上に立って政
①この国家がブルジョワ国家であることは、か 治的生産、精神的生産を行うという人間・社会観 れが純粋な私有が完成するにつれて国家は租税制 に立脚する。この物質的生産とそれを遂行する社 度や国債制度を通じてブルジョワに買収されると 会関係こそ、「生産力と生産関係」とか、「歴史の も言っていること、あるいは国家はブルジョワジ ルツボとしての市民社会」とか、あるいは「所有」
一の共同の委員会であると言っている(「共産党宣 という観点で語られてきたものに他ならない。そ
言」1848)ことからも明白であり、ブルジョワた れ故マルクスが最も重視していたものは物的生産
を支配するブルジョワ社会の変革、即ち社会革命 換したこと、③一年後の六月反乱で山岳党(小ブ であり、プロレタリア階級の勝利を通じての物的 ルジョワ)が排除され、秩序党が独裁する立法国 生産における人間的本質(対象的社会的本質、自 民議会、それによるブルジョワ共和制へと転換し 然的社会的本質、類的社会的本質と言われるも たこと、④かくして政治革命のダイナミックスは の)/5)の回復である。国家の内部での、君主制か 下降線を辿り、ついにルイ・ボナパルト大統領の 共和制か、絶対主義か民主主義かをめぐる政治闘 クーデターによる第二帝政の樹立によって締めく 争は物的生産過程における階級闘争の現象形態で くられたことが示される。そしてマルクスは、こ あり、〔6}この政治革命はプロレタリアートの独裁 れらの政治諸形態は依然としてフランス・ブルジ を実現し社会革命を媒介し促進するかぎりで重視 ヨワジーの支配体制であること、これら諸形態の される。σ} かかる推移はフランス・ブルジョワジーの歴史的
表1 〈ルイ・ボナパルトのブルメール18日〉
統治形態 諸政党、actors 諸階級 経済社会
立憲君主制 七月王政 金融貴族の支配
(制限選挙)
1848/2−5 ブルジョワ、小ブルジョワ
二月革命臨時政府。 右諸階級の代表 農民、労働者
社会的共和制
1848/5−1849/5 山岳党、秩序党 ブルジョワ、小ブルジョワ ブルジョワ共和制 6月反乱の失敗で労働者は排除 農民
(憲法制定議会)
1849/5−1851/12/2
制定されたブルジョワ 秩序党の議会独裁。
共和制(立憲共和制、 6月反乱の失敗で山岳党は排除。制限選挙
立法国民議会)1851/12一
@ ルイ・ボナバルトのクーデター。
第二帝政
例えば、表1は彼が1848年2月革命以降51年12 特質、その弱さ(第一革命による分割小農民の形 月のボナパルトのクーデターまでの政治闘争を分 成、貴族・大土地所有の影響の強いブルジョワ政 析した「ルイ・ボナパルトのブリュメール18日」 党など)に基づくと述べる。(8)
(1852)からとったものである。ここから①政治・
統治形態は、金融貴族の支配を実現していた七月 II ヴェーバー(国家形式論)
王政が二月革命によって崩壊し、ブルジョワ、小 ヴェーバーによる近代国家の扱いは次の特徴を ブルジョワ、農民、労働者、すべての階層の代表 もつと考えられる。
からなる臨時革命政府によって「社会的共和制」 ①法や規則による合法的支配を原理とする合 が樹立されたこと、②聞もなく労働者の六月反乱 理的国家が対象であるが、これには、官僚制だけ の失敗と憲法制定選挙での敗北で労働者階級を排 でなく、議会や委員会による行政、種々な合議体 除した、ブルジョワ、小ブルジョワ、農民(秩序 も含まれる。しかし、これらが総体として、立法、
党、山岳党)の支配するブルジョワ共和制へと転 統治、司法の総体からなる国家権力としてその内
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容、意義は解明されず、統治の部分機関としての 家」は、正当性を与えられた暴力行使の独占を要 官僚制が取り出され合法的支配の典型として分析 求する、そうした団体」とか、(1°)「国家は、…
される。 正当な(正当と見られている、という意味ですが)
② 国家だけでなく一般に人間がつくる社会的 暴力性という手段にささえられた人間対人間の支 諸団体がすぐれて支配・服従の関係を取ることを 配関係なのであります」と。(11)これは、上にみ 前提し、その支配の様式によって世界史に登場す たマルクスの国家論では2の①の規定に含められ る諸団体を比較・分類・解釈する。表2は彼の『支 るが、マルクスと違って、国家を通じて支配を実 配の社会学』から作成されたが、ここでは、近代 現する階級主体が欠落させられ、また国家を通じ 国家が官僚制の拡大として捉えられていること、 る支配も暴力行使の独占による支配という、露骨 そして官僚制が伝統的支配(家父長制的支配、身 な、特殊的機能に限定されている。これこそ、赤 分制的支配)、カリスマ的支配と比較されつつ世界 裸々な国家支配の形式論である。但し、「正当性 史解釈が行われる。しかし、これら支配団体に共 をもつとみなされる」という形容は、マルクス国 通して、支配者(ヘル)、その下で彼のために働く 家論の「普遍i生」、「全体性」あるいは「イデオロ 行政幹部、この両者によって支配される大衆(市 ギー性」、「幻想性」(1の2の②、③)につながる 民、仲間、臣下)の3者が支配関係の機軸であり、 もので重要であるが、問題は国家のこの側面が国 そして支配の形式、そこにおける個性的相違こそ 家論から分離され「宗教社会学」の課題とされて がかれが問題とする点である。(9) いることである。また近代国家の法体系と官僚制
表2 支配の諸類型
支配の類型 支 配 団 体 支配の原理、特1生
a 合法的支配 選挙あるいは任命された団体 規則による服従、即対象的な権限
官僚制的支配 (ヘルー官吏)一市民、仲間 没主観的な合目的の支配。
伝統によって聖化されたヘルの権b 伝統的支配 共同社会関係 威へのピエテートの念から。伝統
の外ではヘルの自由裁量。裁判は
形式でなく実質的な公平、正義。ア 家父長的支配 主人一しもべ一臣民
身分制的権力の分割。行政幹部は ヘルー社会的有力者一臣民イ 身分制的支配 行政手段を所有。形式的法の欠如 官職保有者
支配の実質的原理。
ヘルの個人的非日常性への信仰。
情緒的共同体(宗団、従士団) 予言者、軍事的英雄、偉大なデマc カリスマ的支配 ヘルー選抜者一帰依社 ゴーグ。伝統の拘束、規則への志
向はない。現実の啓示、新秩序の
創造、そのときどきの決定。③要するに、国家の部分機関を取り出し、そ 度に結実されているものとしてヴェーバーが強調 れ以前の支配諸団体と対比し世界史解釈を行うと する形式合理1生も法社会学の課題とされているの いうのは、純粋に国家形式論の立場によって可能 だ。
となる。むろんいろいろな所でヴェーバーは全体 ヴェーバーは「世界宗教の経済倫理、中間考察」
としての国家の特徴づけをあたえている。「「国 において、①社会が自然主義(呪術)から解放さ
れ知性主義へ進む合理化過程は、宗教、美術、性 意味あるものと思われる特定部分を抽出し理念型 愛、政治、経済という社会の各領域が固有の独自 を構成する点に求められる。これによってヴェー 性、固有の法則性をもって合理化を進める過程で バーは、マルクス理論の「史的唯物論」としての あり、②その過程が進むほど各領域は宗教との緊 公式化、「経済決定論」として俗流化をもたらし 張関係を高め、対立、交錯、交互作用を展開する た教条主義と対決し、その呪術から逃れるだけで ことを述べる。これが近代社会における合理化、 なく、さらにマルクスの業績を踏まえ、マルクス 近代化であり、現代人はこの苦難から逃れられな がやり残した多くの分野において創造的な研究を い、という彼の宿命的な歴史観が示される。しか 達成する、一つの方法を確立したのである。(13)
し、これは同時に、人間は物的生産のうえにたっ では、かく部分化された諸特殊研究は如何に統 て政治的生産、精神的生産をする、あるいは経済 合されるのか。これは、次の二つによってわれわ 的土台のうえで政治やイデオロギーの上部構造が れに与えられると思われるが、それによってかれ 立つというマルクスの立体的社会観に対置される の「階級」にたいする位置づけも与えられる。
意味をもつことは明かである。だから、政治も経 ①合理的な近代資本主義はなぜに西洋におい 済と並んで固有の合理化過程をたどりるのであり、 て発展したのか、という問題意識によって進めら 国家が赤裸々な暴力の独占であるという先の規定 れた、やはり宗教社会学を軸とする研究。
は、この合理化過程の産物なのである。彼は言う…。 ② 第一次大戦、ドイツの敗北、そして革命と
「社会的共同態の外的秩序が国家という文化共 いう政治危機においてドイツ国家と政治の近代化 同態の姿をとるようになればなるほど、そうした のために書かれた政治論文。
外的秩序は、…、どこでも赤裸々な暴力によって L般社会経済史要論』(1924)は①の一つの代 しか維持し得ないものとなってくるが、この権力 表作品であるが、社会経済史が家計、氏族から始 なるものは、正義ということを名目上、またとき まって近代資本主義の成立で締めくくられる。そ おり、それも国家理性(ラチオ)がともかく許す の後者も宗教の経済倫理の発展に媒介されて生み 範囲で顧慮するにすぎず、不可避的に、内外に対 出された「近代資本主義的精神の発達」で締めく する新たな暴力行使をたえず生み出し、加えるに くられるが、その結果の、終点である到達点が階
一 、 サの暴力行為のための不誠実な口実をさえ作り出 級闘争に他ならない。ヴェーバーは言っ… 。 すのであって、したがって、あからさまな、ある 「この(啓蒙主義の楽観論)は禁欲的理想の地
いはもっと性の悪い、バリサイ的に表面をつくろ 盤に上に発生したものであるが、今やこの禁欲的 った愛の欠如態を意味することになる。」と。(12) 理想という宗教的意味は脱ぎ捨てられたのである。
それ故、政治と経済、国家と市民社会、政治闘 労働者階級に対して永遠の祝福を誓い得たかぎり 争と階級闘争という二重性、それ故に普遍性、幻 において、労働者階級がその運命に安んずること 想性をもち階級支配の道具としてトータルに捕ま が可能であった。しかし今やこの慰籍がなくなっ えられていたマルクスの国家論はヴェーバーにあ てしまった以上、爾来なお不断に成長し続けつつ っては部分化され、断片化される。一方で官僚制 あるかの緊張は、ただこれだけのことから社会内 が合理的支配の類型として取り出され、他方では 部に発展せざるをえなかった。」と。〔14)
国家の内容は宗教社会学のなかで分析されるわけ ヴェーバーは、かくして政治、国家との関連か である。そしてこのようなかれの方法は、重い精 ら階級を分離し、階級を独立の社会学研究の課題 神病を煩った直後の「社会科学及び社会政策的認 とした。所有と経営の分離、熟練・教育と肉体労 識の『客観性』」(1904)で既に明らかにされてい 働という市場能力の区分、消費や生活様式まで包
る。すなわち、認識の客観性は、無限に多様な現 括した「階級状況」、社会的地位を含む「社会階級」、
実世界から、研究者の特定の価値意識に基づいて それらによる4階級モデルの提唱である。(15)そ
gO 茨城大学政経学会雑誌 第62号
れによって、階級と階級闘争はマルクスにみた社 モデル)。注意すべき点は、これがマルクスのブル 会構造とその変動の主体としての役割を喪失し、 ジョワ階級・プロレタリア階級の2階級モデルに 官僚制度の伝統主義とこれに対するカリスマ的政 対し鋭く対立するものとして提示されていること 治指導者の闘争がその役割を引き受けることにな である。ギッデンズのマルクス批判はつぎの点で る。これは上記②の代表的作品、「新秩序ドイツ ある。咽
における議会と政府」(1918)が示している。ここ (1)マルクスの2階級モデルは生産手段の私有 では、①イギリスでは議会を通じて国家権力を掌 か否かの一点を機軸とし、その理論的展開は社会 握しうること、それ故に政権政党からは、官僚を の両階級への2極化となり、新中間階級を理論的 管理し世界国家をにないうるカリスマ的政治指導 に定置できない構造であること、それ故、教育や 者が育つこと、②これに対しドイツでは君主とそ 技能上の資格を私有とともに市場能力として位置 の官僚が権力を掌握し、議会と政党は単に「否定 づけ階級分析の用具とすべきである。
の政治」をするにとどまっていること、③かくし ② マルクスにおいては企業における技術的合 て、議会政党制への近代化、それによるドイツ国 理「生が支配の合理1生に抱摂されているが、技術的 民国家の確立へに向けてのヴェーバーの政治的意 関係が組織に及ぼす影響を検討すべきである。彼 欲が縦横にみなぎっていること、が示される。曲 は新中間階級(ホワイト・カラー)を無視してい
る。
IIIギッデンズにおける階級と国家 (3)マルクスは剰余価値を生産する物的生産者 ギッデンズの仕事は、大きく①マルクスとヴェ (ブルー・カラー;肉体労働者)だけを生産的労 一バーの批判と継承による彼独自の階級理論の構 働者とし、監督、技術者、販売系、事務系などの 築とそれの現実への適用、及び②階級と国家との ホワイト・カラーを不生産的労働者としている。
結び付きについての彼独自の展開、そしてそれの 搾取理論は、かかる剰余価値論ではなく、即ち生 現実の解釈から成り立つ。 産過程ではなく、生産の前提あるいは生産の結果 としての生産手段、財、サービスの利用チャンス
〈階級分析〉 の配分の不平等として理解すべきであるとする。
(4)マルクスは革命的階級意識は資本主義の成 ギッデンズは大筋ではヴェーバーの方向で、次 熟にともなう集中・集積、他方での労働者の窮乏 のようなカテゴリーを用意し、経済的階級から社 化の結果作り出されるとするが、事実はそうでは 会階級への「階級の構造化」を提唱する。(1 なく、資本主義成立の初期、一方で崩壊する農村
1 市場能力として区分されるもの、私有財産、 共同体、他方で勃興する工場、これらにおける労 教育・技能上の資格、肉体労働;そしてこれ 働組織の特性によるとする。
らにたいする社会的移動・参入の難易度
2 社会的移動の程度を限定する企業における 現実の発展がマルクス理論では説明しきれない
分業および権限配分関係 側面を作り出すのは当然である。但し、新しい現
3 消費、生活様式、地位などの分配集郡 実の説明が新しい原理を必要とし、それがマルク
4 階級意識 スその他の先覚の原理を否定するものであるかど
5 階級搾取 うかは、より深い考察を要するであろう。ギデン
ズは(3)では剰余価値論を否定し階級搾取を市
ギッデンズは、これらを用いて(新)中間階級 場の平面において捉えようとする。しかし、それ
を含む、上層階級、労働者階級の3階級モデルを は、経済理論上、所得の三位一体論の幻想へ落ち
提唱する(下層階級underclassを含めると4階級 る意味を持つだけでなく、ギッデンズの3階級分
析を平板なものにし、3階級が如何なる意味で支 重要問題である。
配・服従の関係を展開するのか、理解を困難にさ
せている。即ち、問題は、次のように設定されよ 〈国家と階級との結び付き〉
う。
1 国家レベルにおいても企業レベルにおいて 国家と階級の結び付きについてギッデンズは、
も、上流階級は如何なる意味で支配階級とな マルクスとヴェーバーの折衷を試みている。ギッ るのか。 デンズは国家にかんして二つの要約を与える。
2 新中間階級は如何なる意味で上流階級の支 「(1)、国家は、直接的な意味において、階級支 配の権限関係に包摂され、同時に労働者階級 配の道具であり、それゆえ、国家組織の特徴の大 に対立しつつ彼らを支配するのか。 部分は、階級関係の資本主義的体系に依存する。
3 労働者階級は如何に生産において従属的地 ②、国家は、「分離された」経済分野における 位に置かれ、如何に対応するのか。 階級支配の関係を内部的にかかえている社会の、
4 下層階級(underclass)は何故、如何に形 総体的な行政的運営に責任ある調整機関であ 成されるのか。 る。」⑳
この区分にかんしてギッデンズは、マルクスの これらの問に関連して、最近までに様々な学説 国家や官僚制の理解は(1)に偏っており、ヴェーバ が現れ、「脱資本主義」、「経営者革命」、「テクノ ーの官僚制の理解は②に立っているとする。より
クラート支配」などが提唱された。ギッデンズは、 一般化して、マルクスは国家が階級に従属するも これらを批判し正しい結論をもたらすのであるが、 のとして、ヴェーバーは逆に階級が国家に対して その時に、否定したはずのマルクスの原理的観点 従属的なものとして理解すると考える。技術と階 が堂々と蘇っているから、話は複雑になる。(19) 級に関しても、マルクスは技術が階級にたいし従 しかし、ギッデンズが与える結論は、要約すると 属的であると理解し、ヴェーバーは反対に階級が 次のようになろう。①大企業の形成は国家による 技術にたいして従属的なものと理解した、とする。
経済への介入、それを支える社会民主主義イデオ これは余りに単純な理解であり、両巨人を同一平 ロギーの展開の時代であること、②他方、企業内 面上に置いて、一方が黒で他方は白と言うのに等 部においては経営者の支配の強化が進み、ホワイ しい、従ってまた、正解は両者の中間の灰色であ
ト・カラーがその権限関係に抱摂されるとともに、 る、とする誤解をも生み出すものであろう。
技術革新と生産性向上は労働組合の経済要求を充 マルクスは1で見たように国家を、階級国家、
足させ、企業における権限関係に対する労働者の 普遍性国家、イデオロギー国家からなる総体とし 受動的対応を作り出すこと、③しかし、企業の外 て理解したこと、そしてヴェーバーはこれらの側 には、いろいろな形態をとった失業・半失業者、 面を分解し、支配の社会学や法社会学や宗教社会 小数異民族集団、外国人労働者、ホームレスなど 学のなかで深めようとした点が重要であろう。こ 下層階級underclassが形成されている。しかし、 の対立は、経済的土台の上に政治やイデオロギー
これらの点を全体として、理論的に掘り下げるよ がそびえ立つとするマルクスの社会観に対し、近 うとするとき、国家、階級、資本蓄積、搾取など 代化の過程では政治、経済、宗教、美術など社会 マルクスの原理的観点が如何なる意義を有するか の各領域は知性主義による合理化が進行し、それ の判断は慎重でなければならないし、少なくとも それが独自な法則性を展開する、と考えるヴェー これらに対し生産過程からの分析なしには一歩も バーの近代社会観との対立に基づくのである。こ 前進できないことは明かであり、その結果原理が れは決して平板な対立ではない。⑳
どのように修正されなければならないかは今後の ギッデンズは本書第7章において、社会的移動
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と内部連帯の如何によって区分されるエリートの ことははっきりしてきた。新支配階級は成立して 諸形態と、権限範囲と権力の解放度によって区分 いないが、同時に労働者は経済的のみならず政治 される実効権力の諸形態とを組み合わせて上流階 的抑圧下にあるとは大変奇妙である。広範な大衆 級による支配の諸形態を提示する。幽この支配 から共産党への接近が保証されていることは、出 の形式分類学に対するわれわれの不満は、エリー 入りが頻繁であるが支配階級が現存しているので
トと権力との結合に際してイデオロギーの媒介を あり、階級とは人が乗り降りする電車であるとす 完全に無視していることである。国家の普遍性が るシュンペーターの理解がむしろ肯首でき
「幻想の共同体」と呼ばれるのは、市民社会が私 る。(25)しかし、ギッデンズが完全に見落してい 有の原理に支配されることにより社会の全体性を る点は、強制収容所と秘密警察による政治的、思 現実に担う主体が消滅していること、それ故社会 想的、文化的な統制・排除・抹殺の上での、権力 の全体性自体が社会を構成する諸階級による世界 に相対的に開かれた社会的移動だということであ 観として作り出されねばならないものであること、 る。
その世界観諸思想の戦いによって国家の普遍性 要するに、国家社会主義の成立が如何なるイデ が規定されることから生ずる。それ故、「私有」 オロギーに媒介されたのか、またイデオロギー自 の存在とイデオロギーの存在は不可分である、と 体がどのように変質することによって巨大な官僚 考えられる。 制国家となったのか、そしてその社会経済的背景
ギッデンズは、ヴェーバーの線に沿いつつ、新 は如何に、という分析がギッデンズに欠けている 中間階級を位置づけるため教育・技能資格を階級 のである。政治的支配階級は共産党を軸にして現 構造化要因としたが、その時「私有」をもこれと 存したのであり、そして彼らは80年代後半以来打 同一次元の市場能力とし、私有のもつ体制概念と 倒されつつある。ギッデンズが現代の階級支配を
しての意義を剥奪したのである。これは、ヴェー 語るときにも、エリートと権力の結合、それに対 バーと同じ社会観に立つことである。即ち、マル する社会的移動が私有財産とそれに深く関連する
クスにおいては、私有、同じことであるが、労働 専門的教育の独占によって制限されていると述べ、
者からの生産手段の剥奪は世界史を画する体制概 私有と権力との関係を語るのであるが、それが今 念であるが、ヴェーバーにとっては、これは、名 日如何なるイデオロギーによって媒介されている 望家や封建貴族からの行政手段の剥奪、更には東 のか、という視点が欠落している。(26)(東西冷 洋における西洋型都市の形成を妨げた居住集団か 戦はすぐれてイデオロギーの戦いであった)。
らの武力の剥奪と同格であり、(23)それ故それが
もつ体制規定的意義は相対化され、失われている。 <<註>>
ギッデンズは、当時現存していたソ連、東欧の (1)マルクス〈1>p263 国家社会主義について次のように述べる。①国家 (2)マルクス〈2>
による指令経済は、それによる私有の解体、階級 (3)マルクス<3>pp23−24 の消滅をもたらしたが、②労働者は、経済的支配 (4)マルクス〈1>pp262−263 に加えて政治的支配下に置かれてること、③しか (5)マルクス<5>pp 101−108
し新しい支配階級は権力を掌握する共産党への社 (6)マルクスはこれら国家内部の諸政治闘争を階級 会的参入が開かれているため確立されていないこ 闘争の幻想的な諸形態と呼んでいる。マルクス
と、④こうして、国家社会主義は資本主義を止揚 <1>p222 するものではないが、資本主義に代替する産業主 (7)マルクス〈6>p40 義を確立した、と。⑳ソ連解体後の今日からみ (8)マルクス〈7>
て肯定しうる点と同時に批判されるべき点がある (9)だから、民主共和制、大衆民主主義も、議会を
通ずる権力獲得をめざす政党政治が、独裁 <3>「ユダヤ人問題によせて」(1844)、『マルク
(casaristisch)政治として、すなわちカリスマ ス経済学・哲学論集』(花田訳、河出書房、世界 的政治指導者、それに服従する政党 幹部、彼 の大思想2の4)
らにたいし受動的に対応し、服従する民衆とい <4>「共産党宣言」(1848)、同上、都留訳 う3者間の支配関係であること が注目される。 〈5>「経済学・哲学手稿」(1844)、同上、三浦訳 ヴェーバー〈9>p109 <6>『ゴータ綱領批判』(1875)、西訳、岩波文庫
⑩ヴェーバー〈10>p115 <7>「ルイ・ボナパルトのブリュメール18日」
(ll)ヴェーバー<11>p388 (1852)、『マルクス・エンゲルス全集』、大月書
⑰ヴェーバー〈10>p155 店、 vol.8
(13)ヴェーバー〈12>
(1のヴェーバー<13>下、p258 ② ヴェーバー
(15)ヴェーバー〈14>pp 118−124
㈲ヴェーバ」<15> <8>「支配の社会学」、『ヴェーバー政治・社会
(切ギッデンズ〈16>第6、7章 論集』(世良訳、河出書房、世界の大思想IIの4)
働ギッデンズ〈16>第5、6、7章 <9>『国家社会学』(石尾訳、法律文化社)
㈲ギッデンズ<16>第9、10、11章 <10>「世界宗教の経済倫理、中間考察」『宗教社
⑳ギッデンズ<16>pp43−44、295−296 会学論選』(大塚・生松訳、みすず書房)
⑳ギッデンズ〈16>第2章 <11>「職業としての政治」『ヴェーバー政治・社
⑳ギッデンズ〈16>pp 120−123 会論集』(清水共訳、河出書房)、
㈱ヴェーバー〈13>下、p182 〈12>「社会科学及び社会政策的認識の『客観1生』」
⑳ギッデンズ<16>第12、13章 (1904)、『社会科学方法論』(富永他共訳、岩波
㈱ギッデンズ〈16>p105 文庫)
⑳ギッデンズ<16>第14章 <13>『一般社会経済史要論』(1924)、(青山訳、
岩波書店)
<<参考文献>> <14>『権力と支配』(浜島訳、有斐閣)
〈15>「新秩序ドイツにおける議会と政府」(1918)、
① マルクス 『ヴェーバー政治・社会論集』(清水共訳、河出
書房)