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一「愛」と宇宙の調和の対応の論理一

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スペンサーの2肋、Fσθ7泥Q粥醜θの三つの エピソードに関する一考察

一「愛」と宇宙の調和の対応の論理一

英文科英米文学研究室 小 紫 重  徳

(昭和48年10月27日受理)

丁加Fα〃惣Q〃θ8紹の詩人として知られるエドマン  スト教的,中世的,ルネサンス的(近代的)な要素が混 ド・スペンサー(Edmund Spenser)は1552年,ロンド 沌としており,しかもその混沌には調和を生む何かが働 ンに生れ,ケンブリッヂ大学に学んだ。しかし,彼は当 いている。いわばそれは詩的創造力とでも呼べる何かで 時ケンブリッヂ大学を中心に渦巻いていた二つの流れ  あるかもしれないし,又それは,調和は等しいものの問

{ピューリタニズムとヒュ幽マニズムーには,その  にではなく,多様なもの,異質なものの間にのみ成り立

いずれにも・その程深くは巻き込まれなかったようであ  っ,というクザヌマ流の宇宙観における統一的原理の様

る。スペンサーがその渦の比較的周辺部に位置していた  なものの詩的顕現であるといえるかもしれない。例えば という事の証在としては・これら二つの運動がそのあま  この詩の構成,特にその主題の展開は,一見散漫に見え りに激しい求心力の反作用として遠ざけた中世的なもの  ながら,各部分がそれぞれ一個の輸となり,それらが一

への志向をスペン牝撚凱得なかった戦を指戦 連の鎖とな・視事にまとめられている・その好例が,

ておけば充分であろう。彼にとっては・中世のロマンス, 第三巻と第四巻である。両巻は驚く程雑多な要素を包含 騎士道精神,そしてスコラ哲学の説く教義等は想像力の  し,しかも,他に類例を見ない程エピソディックである 源泉であり,そのいずれを欠いても,詩の生命として,普  にもかかわらず,厳然とした秩序を与えられている。そ 遍の真理を作品に与えることはできないのである。一例  して,この秩序こそ両巻の主題である。すなわち,調和

を挙げれば・スペンサーは中世のロマンス作者であるア  ある宇宙,秩序正しい自然と人間との対応である。

リオストの0ア1佛40Fκ7∫osOの詩型と同じ主題のカテ

ゴリーを丁加Fαθ擁Q膨紹に取り入れていることは  1 調和とアレゴリー

周知の事実である。尤も,このスペンサーの中世への志   宇宙と人間,というと,現代的発想に立つならば,一 向は,同時代のヒューマニスト達が意織的に否定し去ろ  方は客体であり,他方は主体である,という具合に明確 うとした諸要素を彼が敢えてそうはしなかったことの例  に区別されるべきものであろうし,両者を考察の対象と 証にすぎないのであって,彼が・ヒューマニスト達の希  する時,それらが互いに次元の異なる事が前提とされる 求するところのものを否定したということを意味するの  であろう。しかし,スペンサーに限らず,エリザベス朝 ではない。そもそもヒューマニズム,あるいはルネサン  人にとっては,これら二つの概念はそれ程異質の次元に

ス運動が中世への一種の反動であつたことを認めれば,  属するものではない。人間を小宇宙(microcosm)とし

この新しい運動とて・中世を一つの大前提としない訳に  て認識する彼らは,人間は,社会は,宇宙(macrOCQsm)

はゆかず,まして,それを無規することはできなかった  と厳密に対応しているはずだと考える。精神的にも,肉 はずである。言ってみれば,スペンサーの離心円的精神  体的にもである。ティリヤードに依れば

構造の離心率が彼らに比して若干大きかったにすぎな    Just as in the chain()f being the Positio皿of

い。       mall was the most interesting of al1, so among

この様な詩人によって構想される詩が・多元的に構想   the correspondences that between man and the

され,一見相両立しない要素を少なからず含み持つこと  cosmos was the most famous and the most

は想像にそう難くはないかもしれない。事実,丁加Fα一  excitin昏 Most of the details necessary for so

87∫8Qκθ8πには古典的(ギリシャ,ローマ的)・キリ  short a book as this were given in the course

(2)

of describing man s physical and rnental cons一

tit。ti。n_,wh。,e t,u。1。v。 i。 m。n,。,,esp。ndS  π銑θFαerεθQ耀πθ

to the eternal light of the fixed stars and of  この長篇詩の前半の三巻が出版された1590年の前年に・

the sun in particular, and its miseries to depriv一  スペンサーはサー・ウォルター・ローリーに宛てた書筒

ation of light caused by the earth s own self一  で,ホメロス,ヴェルギリウス,アリオスト,タッソー

@    3)

奄獅狽?窒垂盾唐奄狽奄盾氏D       の先人にならって, Arthurを主人公として・アリスト

上の引用の中で,特に注目すべきは「人間における真の  テレスの12徳目をArthurが会得してゆく過程を最初の

愛は,恒星とくに太陽の永久的な光に対応し……」とい  12巻で述ぺる旨,その意図を伝えているが,結局この詩

う一節であろう。スペンサーとその同時代人にとって・  は1956年に後半の3巻,1609年第七巻の第六・七・八篇

愛とは,単に個人と個人の間の特殊な関係と考える我々  (しかも第八篇は二連のみ)が出されたのみである。こ

の理解を越え,人間の完成には不可欠の要素なのであ  ごでは敢えて,この作品が完成されたものか,あるい

る。スペンサーはその一長詩,丁加Fαθ7琵Q喫θηθに  は・スペンサーの座折・もしくは死によって中断された おいて,この不滅の光の真理に取り組み,その在るぺき  ままの未完成のものかは論議はしないつもりであるが,

姿を我々にも充分の説得力をもって提示するのである。  「愛」をそのテーマとする第三巻と四巻(それぞれ「貞 但,その説得力は,当時の思想的背景と共に,アレゴリ  節」と「友情」を主題とする)がこ作品の丁度中心に位置

一という特殊な一現代文学に馴れた我々にとって一  することは注目に価する。このことは単に全6巻(最後

文学上の一技法に依存していることを明確にしておかね  のMutability Cantosと呼ばれる断片的な第七巻は含     4)ばならない。この表現形式は19世紀以来のロマン派的な  めない)の真中に偶然この両巻が配されたとも考えられ

文学感一文学作品は個入的な心情,自然感の表出であ  ようが,どうもそれだけにはとどまらないようである。

るという一に大きく影響されている現代の読者には,  すなわち・ルネサンス期のプラトニズムでは,我々の現 それ程馴染みの深いものではない。アレゴリー(alle一 像以上に円と円の中心が神秘的な意味を持つものとして gory)とはギリシャ語のalleon(相異なるもの・対置  評価されたこととこれはより直接的に関連してくるので されたもの)とagoreuein(話す)に由来する。この  あるが,同時代人の例にもれず,ヌ・ペンサーが均衡を重

アレゴリーには,大別して二つのタイプがある。一つ  んじ,しかも数字の意味づけ,いわばこれは数字のアレゴ

は,歴史的あるいは政治的アレゴリーで,これは物語の  リーとでもいえるのであるが,に異常な程の関心を寄せ      7)表面上の意味の裏に実在の人物や事件に言及している。  ていたことが考慮されねばならないからである。そうし

もう一つは,道徳的,哲学的,宗教的,科学的(自然哲  てみると,少なくともこの両巻の主題であある「貞節」

学,原始的文学等を含む)アレゴリーであって,一連の  と「友情」はスペンサーの最大の関心を寄せる徳目の中       5)思想に言及するものである。前者の側としては 丁加   に入ることは考えられうる事である。加うるに,線であ

F儂7∫θQ粥伽θというこの詩の題にもなっている妖精  れ,円であれその中心は点であるように,第三巻と第四 の女王とはエリザベスー世であること,第三巻・第九篇  巻は別個の独立した2巻であるというよりは,むしろ分 において,ParideUがBritomartに語るトロイノバン 割できない一個の統一体であると考えざるを得ない事実

ト建国の歴史はロンドンのそれであること,第五巻,第  がある。他の4巻はそれぞれの最終篇である第十二篇で

七篇でBritomartが見る夢は英国の未来の啓示である  妖精の女王たるGlorianaによって課せられた使命を果

こと,等がある。一方・後者は二つに大別することがで  し,各巻は単独で完結した形をとるのに対して,第三巻 きる。すなわち,寓話にその典型を見ることができる・  は完結することなく,第四巻に続いている。登場人物に 抽象概念の擬人化等による教訓的性格を帯びるものと,  しても,両巻を通じて活躍するものが殆んどである。こ

神話解釈に多くその例がある宇宙論的性格を帯びるもの  れら二っの特徴は他の巻には決して見られないのであ

に分類できるのである。以下の小論の論拠はこの道徳的  る。そこで「愛」の二大要素としての「貞節」と「友情」

アレゴリーの解釈にあり・愛の倫理性と,深遠な宇宙の  は究極には一点に収敏するものとして考えても良いであ 営みの一部としての,さらには宇宙の対応理念としての  ろう。

愛を考察してゆくことになる。

皿 混沌から調和へ

人間に於ける混沌とは,前述の宇宙との対応を考えれ

ばL愛」の欠如した状態である。第三巻には・この「混

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小 紫:スペンサーの丁加F磁7∫θ(9κ8朋θの三つのエピソードに関する一考察    157

沌」が支配的である。唯一の例外は第六篇のGarden    BrQught vnto balefull ru呈ne・was by name

of Adonis(アドニスの庭)である。しかしその「混沌」    Sir 1)σア∫s far renowmd through noble fame,

換言すれば「無秩序」「不調和」(以下に於ては殆んど      ・。・・・・・…

同義として用いることが多い)は調和への可能性を秘め   From him my linage I〔i・e・Paride11〕deriue ることもあるのである。その可能性の有無は,Britomart     arightP・・

が如何に関係するかにも依るが・ここではBritomartが      (III・ix・34−36)

全く関与しないか,間接的にしか関与しないエピソード  ギリシヤ神話のHelenとParisは,言うまでもなく・

を見てみることにする。第一にはHellenore−Paridell一 トロイ戦争の原因となったのであるが・スペンサーの師

Malbeccoのエピソード,第二はFlorimellの遁走,第  とも言うべきアリオストの071αη40 F%アゴosoでは,か

三にGarden of Adonisのエピソードである。     の戦争は・Archange1ミカエルに遣わされたDisco「dia

これら三つのエピソードにBritomartがかかわらな  (「不和」「不調和」を意味する)がその火つけ役とさ      8ヌ

いということは,それらが直接Britomartの象徴する  れている。そこで,7 加Fσθア琵Qκθθπθと0ア毎 40

ところの「貞節」(以下でChastityとする事もある)  F%ガosoの間に・一般に認められている程度の影響関 には直接恩恵をこうむらない,あるいは既にその助けを  係を認めるなら,HellenoreとParidellが惹起すると

必要とせずとも調和ある愛の状態に到達し得ることを意  ころのものは,ほかならぬ「不調和」として差障りはな

味する。先に挙げた三つのエピソードのうち・前二者の  いであろう。言ってみれば,スペンサーのHellnoreと

アレゴリカルな意味は「無秩序」である。ただ・Helle− Paridel1はギリシャ神話中のHelenとParisであり,

noreのエピソードでは「秩序」を回復する道は閉ざさ  二人の関係は不調和の元凶にほかならない。以上で,ス れているのに対して,Florirnel1のそれの場合は第四巻  ペンサーの想定する「不調和」の人間レヴェルへの反映

で完全な「秩序」を回復するという点に於て異なる。さ  の仕方を概観することができたと思う。そこで,次に小

らに,Garden of Adonisでは,既に秩序ある理想の状  論の主眼である「調和」の前酸階,「調和」の胚芽を内

態がある。       に秘めた状態の例に目を転じてみる。

まず第一に「不調和」の支配する世界とは如何なるも   Florlmel1のエピソードは・興味あることには, Hel一

のかを概観しておこう。それはHellenore, Paride11,  Ienoreのエピソードと重なり合う相を持つ。それは共 Malbeccoの物語であるが,これは言ってみれば,吝沓  にHelenとParisの神話を基調としているということ

で嫉妬深い夫に罵情欲的で浮気な妻と・そこに介入する  である。がしかし,ここで重視すべきは,これら二つの 宮廷恋愛的な手管にたけた騎士の三角関係であるにすぎ  エピソードが,同一の神話を踏まえながら・その異なる

ない。HellenoreはPar三dellと駆け落ちし,やがて彼  二つの解釈を相承していることである。結論を先に言え とも別れて,Satyr達(好色の象徴)と暮すことに生き  ば・Flohmellのエピソードは第四巻で・すなわち「友 がいを見い出す。一方Malbeccoは妻に逃げられ,「嫉  情」の支配する領域で,理想的な秩序を完成するのであ 妬」と呼ばれ,自分が人間であったことを忘れてしま  るが,その前提として,以下に見るように,Helen神話

う。      のもう一つの解釈を必要とするのである。この物語は,

he has quight     よりエピソディックなHelleDoreのそれに比して,そ

Forgot he was a man, and Geolosie hight.    の重要度に於てはるかに勝り,丁勉Fαθ7陀Q粥θ θ全

(皿,x,60)    体の核心に迫る力を持っ。Florimel1はagriesly Foster

ここには,はっきりと道徳的アレゴリーがあり,そこに  に追われ,その姿を始めて見せ(皿i・15)Proteusに 含まれる教訓は単純である。しかし・もう一つのアレゴ 捕囚される(田,viii)が・それ以後の消息は第四巻に待

リーはもっと興味ある局面を開いてくれる。それは,こ  たねばならない。この間,Florime11の遁走の動機は の物語の持つ神話的要素であり,それがこのエピソード Marinellの死の噂であることが第五篇になってようや

に或る意味を付与するからである。即ち,Helnleoreが  く読者に知らされる。

Second Helen (皿, x,13)と呼ばれ, Paddellも  Five dayes there be, since he〔Marinell〕(they

Parisの直系の系孫であることが明らかにされる。       say)was slaine・

Most farnous worthy of the world, by whome     And foure, since FJo痂耀〃the Court for−went,

That warre was kindled, which did Tアoツinflame,    Till him alive or dead she did inuent・

And stately towres of刀∫oπwhilome       (III, v・10)

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158       茨城大学教育学部紀要 第23号

このFlorime11の遁走の意義は最も単純なタイプのアレ  られているホメロスの04タ∬砂の説に従ったものであ ゴリーによって知ることができる。それは彼女が乗る馬  るが,Florime11はそのHelenではない。ホメロス以 の象徴による。       後 ヘシオドスに始まるとされる,従来とは全く異なる

All suddenly out of the thickest bush,      Helenの解釈が行われるようになったことはプラトンの       10)VPon a milkOwhite Palf「ey all alone・     Rθρ%δ1∫6にも言及されている。諸説に依れば・ホメロ

AGoodly Ladie did foreby them rush,     スのHelenがParisを受け容れたということで貞節を Whose face did seeme as cleare as Christall stone・  犯したことになるのに対して. ParisはHelenを件っ

And eke through feare as white as whales boen:  てエジプトへ逃げるが,そこで海神Proteusによって Her garments all were wrought of beaten gold・  Helenを奪われる,あるいは擬のHelenを連れて,ま

And a11 her steed with tinsell traPPings shone・  た一説に依れば, Paris一人でトロイに帰るが・いずれ Which fled so fast, that nothing mote him hold・  の場合も・トロイ戦争後Menelausがエジプトに赴き,

And scarse them leasure gave・her passing  Proteusの庇護からHelenを連れ帰ることになってい      11)   to behold・         (III・量・15)  る。ヘレンが自らの貞節に何等砂綻を来さなかったとす

彼女の乗る「乳白色の馬は一・何者も止めることがで  るこれら諸説に従えば,ギリシャ軍の武勇を讃えるホメ

きない程・速く走った」,というのであるが,こうした  ロスとは逆に,トロイを攻略したギリシャ軍は不法であ 場合・スペンサー等のアレゴリー詩人の必然の傾向とし  り,いずれの軍勢にとってもその戦は利得をもたらすご て・馬は乗り手の心理の表出であることが多い。プラト  とはなく,不和と混乱しか産まなかったことになる。

ンの人間の魂の比喩にも例が見られるように・馬車につ   以上に述べたHelen神話の異説は,母国建国の起源 ながれた馬のる、メージで人間の情熱俵わすことはそれ をト・イに求めるイギリス人にとっては・敗者団イの

珍しくはない。が・ここでは,ただFlor量mellの乗る  正当化のためにも好都合であり,スペンサーにとって 馬の属性と行動様式がFlodmellのそれでもあることを  も・この解釈は好ましかったはずであるし,実際彼は 指摘しておけば充分であろう。すなわち,Florime11の  False Florime11(偽Florimel1)とProteusをこの話 Marinellへの想いの激しさが自馬のイメージによって  の筋に導入することによって異説への言及を暗示してい 語られているのであるが,第七篇に至って,彼女の情熱  る。ProteusがFlorimellを捕えている間種々の争

の激しさは頂点に達する。彼女は自分の馬即ち情熱をも いと混乱を引き起こすのは,他ならぬこのFalse Flori,

ヘや制することができなくなる・制御できない情熱は無 m・llである1)すなわち,ステシコラスの言うH,1,nの 秩序を招く。       似像・アリオストのDiscordiaの役割を果すのが,ス

her palfley hauing conquered  ペンサーではFalse Florimel1である。真のFlorimell The maistering reines out of her weary wrest・  は偽物の登場と同時に, Proteusによっ・て海底深く隠さ

Perforce her carried・whe「eve「he thou9垣best・  れ・自分偽の物を取り巻く混乱には何等かかわりを持た

(III・vii・2)  ず,自己実現を待っ。

こうした心的状態に在って彼女は,彼女の貞節の象徴で  前述のHellenoreのエピソードには全く登場しなかっ あるVenusの黄金の腰帯を失い・他方では彼女のパロ  たBritomartはFlorimellのエピソードには間接的に デイーとも言ぺきFalse Florimellが出現し,真の  影響を及ぼす。それは,彼女がMarinel1を傷っけ,こ Florime11は舞台から姿を隠すことになる。      れが・Florimel1の嘆きと出奔の原因となることであ さて・このエピソードが,Hellenoreのエピソードと  る。その後も彼女はArthurとGuyonと共に旅する 同様,Helen神話を背景として持つことは前に述べた。  途中でFosterに追われるFlorimellを見かける(皿,

この様に・一つのモティーフに異なる二様の解釈を施し i)が・同行の二人の様に彼女を追う事はせずCastle て用いることはスペンサーにはかなり頻繁に見られる  Joyeous(喜びの城)に向う。ここで第三巻のプロット が,これは「類似性の内なる対比」(Contrast within  は分岐する。一つはBritomartの冒険一Castle Joy一

1ikeness)という彼の最も好む技法の一つである。この  eousの征服, BusyraneからのAmoretの救出が最 技法の持つ効果は類似し,しかも全く同等ではない二つ 大である一であり,一つは,Florime11のそれ(False のものの異質性を際立たせることである。次にその効果  Florimellをも含めて)である。二人はいずれも第五巻 の結果を確認しながら論を進めたいと思う。      でそれぞれの夫と結ばれるが・第三巻に於ける彼女達の

先にHellenoreと同一視したHelenは・最も広く知  冒険の経緯について言えば, Britomartは積極的,能動

(5)

小 紫:スペンサーの丁加Fσθ7∫θQκθθπ8の三つのエピソードに関する一考察    159

的な性格を持っのに対して,Florime11は消極的,もし     sPort・       (IV, V,3)

くは否定的である。結婚を彼女達の徳の完成の象徴とす  Britomartの槍とFlorimellの腰帯の象徴するところ      噛

れば,前者は敵対する悪徳を積極的に克服することに  は,前者がChastity(貞節)に背反する悪徳への攻撃 よって,後者は受動的に身を守ることによって,それぞ  的,規制的な力,あるいは徳(Virtueは元来「力」の

れの徳を成就し,顕現させるのである。その差異は二人  意である)と考えられるのに対して,後者は専ら防御的

の外観の相違に依って暗示される。女騎士としての  なものであって,前者程の規制的な力には与っていな Britomartは黄金の縁飾りが施されたサクソンの女王  い。この差はBritomartが,第三巻の標題にあるよう Angelaの鎧に身を固めている。       に,擬人化されたChastityであり,従って倫理的レ emongst the which was seene  ヴェルに於ける絶対の形而上的可能性の範疇に属する

Agoodly Armour, and full rich aray,     のに対して,後者にはそうしたリジッドな規定性の裏付 Which long d to・4η981σ・the Saxon Queene・  けを持たないことの表象に他ならない。 Britomartと同 All fretted round with gold, and goodly well  一のレヴェルではFlorime11の意味するところは甚だ

beseene・       暖味なものにすぎない。しかし, Florimellには宇宙論 的な次元で,自然原理の一個の現象としての意味づけが

In th euening late old G1α%oθthither Ied    用意されている。ここで再度神話の世界に戻らねばなら

Faireβ7∫∫o規α7ちand that salne Armory     ない。

       1一

cowne taking, her therein apPareled・      FlorimellがProteusに捕えられることの意義は Well as she might・and with braue bauldrick  HelenがいずれはMenelausのもとに帰ることの前提 garnished・      (III・iii・58−59)  であることは前に述べた。ここではProteusはHelen また彼女はBladudが魔術で創った無双の槍をも携えて  とParisの神話の登場人物としての役を免ぜられ,丁舵

いる。       Fαθ7ゴθ(2〃θθπθの登場入物として,もう一つのスペン

Beside those armes there stood a mighty speare・  サー的神話を導入する基軸としての役割を果すことにな Whichβ1α伽4 made by Magick art of yore,  る。

And vsd the same in battell aye to beare;    Proteusは七ケ月の聞Florimellを海底の巨大な厳

Sith which it had bin here preseru d in store・ の底深い地下牢に閉じ込めるのであるが,

For his great vertues proued Iong afore:      Deep in the bottome of an huge great rocke For neuer wight so fast in sell could sit・       The dongeon was,...

But him perforce vnto the ground it bore:

Both speare she tooke, and shield, which』hong    And in the midst thereof did horror dwel1,

by it:       And darkenesse dredd, that neuer viewed day Both speare and shield of great powre, for     Like to the balefull house of lowest he11,

her purpose fit・       (III・iii・60)      In which old Sりκher aged bones alway,

       ■

アれとは対踪的に,Florimellの衣裳には廷ぺられた黄   01dεち鷹the Grandame of the Gods・doth lay・

金が織り込まれており(皿,i,15)もとはVenusが貞   There did this lucklesse mayd seuen months

淑であろうと思う時に身につけていた黄金の腰帯で身を     abide,     13♪      o      ●守っている。       Ne eue「euenlng saw・ne mo「nmgs「ay

That girdle gaue the vertue of chast loue,       Ne euer from the day the night descride・

And w圭uehood true, to all that did it beare;    But thought it all one night, that did no houres But whosoeuer contrarie doth proue,       diuide.      (IV, xi,3。4)

Might not the same about her middle weare,  この七ケ月というのは,マクロビウスに依れば・猪の牙 But it would loose, or else a sunder teare,   にかかって死んだAdonisが再度Venusのもとに帰る        14)

vhilome it was(as Faeries wont report)   のに要する期間であり・Adonisの帰還は春の到来を意

Dame yθ鰍s girdle, by her steemed deare,   味する。Venusが豊穣神であるとすれば, Adon三sは穀物

What time she vsd to liue in wiuely sort;   神であり,Venusが大地であるとすれば・Adonisは太

But layd aside, when so she vsd her loosre  陽である。 Florimel1はこのAdonisを原型としている

(6)

160       茨城大学教育学部紀要 第23号

ことは,上に引用中のStyxの存在からも論じることが  teusである(皿, viii 30)。両者はいずれもFlodmell

できよう。Styxとは冥界を七巻して流れる川であり,  の象徴する花開く大地を覆う冬の象徴であり,彼女はこ       ρFlorime11がそこに在ることはその死を意味する。すな  ごで凍結し,シンポリカルな死の状態に入る。

わち,彼女はAdonisと同様死を経験せねば真の意味で   第三巻におけるFlorime11のエピソードが冬であるこ

Marinellと結ばれることはないのである・あるいはま  とすれば, Garden of Adonis(皿, vi,)は常春であり

た・Florimellという名自体flowerを含意し・彼女の  ながら,そこには豊饒の秋が同時的に在る。いわば,此 豊穣神的要素は強調されている。これは・Marinellが  の世の楽園である。そこには生と死匙此岸と彼岸の相克 marineとの連想で海を象徴することにも対応する。と  はないし,倫理的な徳を超越せる何かがこの楽園を支配 にかくFlorime11の隠匿はAdonis神話の自然解釈と  している。この庭の調和は,かって人類が享受し,そし

同様季節のサイクルの中で冬に当該すると考えることは  て失ったエデンの園の調和を保っている。こうした意味

正当である。してみると・Florime11が地上に姿を見せ  でGarden of Adonisのエピソードは,約39連という ない期間種々の混乱の元凶となるFalse Florime11は  その短かさにもかかわらず,極めて重要な意義を持つの

Florimellの対立概念としての冬を象徴することとが推  である。

論できよう。実際彼女が真のF正orimellを恋する息子   まず第一の意義は, Garden of Adonisの「自然」で

の為に魔女が雪を素材に創造したものであることから  ある。ここでは創造主の創造のままに,清浄で壮厳な状 もFalse FIorimellを冬の象徴と考える事は困難では  態が維持されており,万物は自らの規律で調和し,創造 ない。      され,成長し・創造し,増殖している。

In hand she boldly tooke      of their owne accord To make another like the former Dame,        All things, as they created were, doe grow,

Another Flo7ゴ〃3θ〃, in shape and Iooke        And yet remember well the mightie wQrd,

So liuely and so like, that many it mistooke・    Which first was spoken by the Almightie lord,

The substance, whereof she the bodie made・     That bad thern to increase and multiply.

Was purest snow in massie lnould congeald・…      (III, vi,34)

(III, viii,5−6)  ここなる「自然」は第ご巻のThe Bower of Blissの

False Florimellは,前に述べた様に・混乱の象徴であ  「人為」のアンティセシスである。但し,ルイスの言う      15)ると同時に冬の象徴でもあり,いずれの意味に於ても,  様に,スペンサーの「人為」は常に悪ではない。「自

Florimellを逆転させた姿である。にの冬のイメージは  然」が,それが神意の実現である以上善であることは真 Florimell自身を取り巻く状況の推移にも見ることがで  であるが,「人為」が必然的に悪であるとは限らないの きる。それは第三巻の第八篇の老漁夫一この漁夫は  である。「人為」についてはその本質が善であるか,悪

Florimellが, Proteusの掌中に渡る為の過渡的段階で  であるかは問題ではなく,その善悪はその作用,あるい

あるのだが一とProteUSのそれぞれの様態である。  は用途の質なのである。一例を挙げれば,第四巻の

Florime11と老漁夫とのエピソードは, False Florimell Temple of Venusでは「人為」は善である。エルロッ         ・

フ創造主である魔女が,追手として遣わしたハイエナに  トの説明に依れば「人為「は「自然」の補足的な役割を

も似た怪物が海辺にFl。rimellを追い詰める場面から  担い,従って正当な存在理由を持つという。

始まる。この怪物は,特に女の肉を喰らう獣で・アレゴ  But Art may collaborate with Nature, as in the リカルには肉欲の象徴とされる。その獣にFlorimellは   Temple of Venus where all that Nature did 乗っていた白馬(先に情熱の象徴であることは述べた)   omit, Art, Playing second Natures part supPlyed

を喰われ・黄金の腰帯を奪われる。いわば「貞節」は   it (IV, x,21,8−9). Art is praised or condemend

「肉欲」に圧倒され,それは同時に「豊饒」の「不毛」   acocrdingly as it is used to bring natural things      16)

?驍「は「冬」に対する,「調和」の「混乱」に対する   to perfectiQn or create a mere delusion.

屈服を意味する。又同様に,窮地に立っFlorimellを舟  問題は創造主の造り給うた宇宙の一部としての「自然」

で連れ去るのは凍り(congealed)干からびた(drie  に人間が如何に手を加えるかてあり・それが善悪を決定

whithered)体の老漁夫であり(皿, viii,25),また,  する。しかし, Garden of Adonisには「人為」が「自      17)

ウらにその老漁夫からFlorimellを奪うのが,頭髪に  然」を助け補う必要は背無である。そこでは人間の堕落

は一面に霜を置いた(with head all frory hore)Pro一 以前の理想の状態が維持されており,混沌(Chaos)

(7)

小 紫:スペンサーの丁加Fσθ㎡θQ粥θπθの三つのエピソードに関する一考察    161

すらが好ましく・「実体」(Substance)を世界に供給し   All be he subiect to mortalitie,

ているのである。      Yet in eterne in mutabilitie,

Infini亡e shapes of creatures there are bred,      And by succession made perpetua11,

And vncouth formes, which none yet euer     Transformed oft, and chaunged diuerslie:

knew,       For him the Father of all formes they ca11;

And euery sort is in a sundry bed         Therefore needs mote he liue, that liuing Set by it selfe, and ranckt in comely rew:        giues to a11.         (III, vi,47)

Some fit for reasonable sQules t indew,     つまり・Adonisは「形相」(Form)である。ここから Some made for beasts, some made for birds  の洗然の帰結として, Venusは「質料」(Matter)であ

to weare,      るということにもなる。こうした解釈に新プラトン主義

And all the fruitfuli spawne of fishes hew   の洗礼を受けたルネサンス期の思想家には決して耳新し       18)In endlesse rancks along enraunged were,    いものではないが,スペンサーの場合,創造が「質料」

That seem d the Ooθσκcould not containe them   と「形相」の結合と看倣されているということが言え

there・       る。すなわち・Garden of Adon呈sの最も注目すべき機

能と特質は・生成(generation)と無常の内なる永遠

Daily they grow, and daily forth are sent     (permanence in mutability)である。そして,そこで Into the world, it to replenish more;     は万物は秩序を保ち,「自然」は調和している。それは Yet is the stocke not lessened, nor spent,   人類の原点であり,究極の理想の帰結点てもある。

But still remaines in euerlasting store,      以上の様なVenusとAdonisの解釈をGarden of As it at firsf created was of yore.      Adonisの非人間的,もしくは自然的解釈であるとすれ

For in the wide wombe of the world there  ば, CupidとPsycheの物語はGarden of Adonisの

lyes,       特質の倫理的側面を強調していると言うことができる。

In hatefull darkenesse and in deepe horrore,  CupidとPsycheはApuleiusの丁加Go14θπ。4ssに

An huge eternall C加03, which supplyes    於て語られている様に, CuPidの母であるVenusのた The substances of natures fruitfull progenyes.  めに・愛し合いながら,仲を裂かれ,苦難の末にようや

(III, vi,35−36)  く真に結ばれ・Pleasure(喜び)という子供をもうける さらに重要な事は,この園では「無常」(Mutability) のであるが, Garden of Adonisでは最初から二人は は「死すべき性質」(Mortality)と両立し得るという事  Pleasureと共に幸福な生活を営んでいる(皿, vi,49一

実である。このテーマはMutabilitie Cantosでより詳  50)。 Apuleiusの神話は,普通次の如く解釈されてい 細に論じられているが・それについては・この小論で触  る。Psycheは魂であり,様々の精神的な試練の過程を

れる余裕はない。ただ・スペンサーの論拠が自然界の総  経て純粋な愛,すなわちCupid(真の愛)に到達する。

和は常に・一定不変であるという点にあることを指摘して  その結果Pleasure,すなわち喜びが生れる。そうして おけば充分であろう。言葉を換えれば,万物は,その「実  みると・Garden of Adonisには既に「自然」みなら

体」(Substance)に関しては不死であるというのであ  ず・調和ある精神が在ることは自明であろう。人間精神

る。従って The substance is not chaunged, nor  の達成しうる真の愛は,自然の,そして宇宙の調和と同 altered,/But th only forme and outward fasion.   質であるとスペンサーは考えるのである。

(「実体は変化,変容せず,するのは姿と外見のみ」皿,

v㍉38),そして,おそらく,この「実体」とは,性質や  ]V 「秩序」の対応

分量において変化しながらも,それ自身は変らないとす  Garden of Adonisが秩序と調和の提示であるとすれ るアリストテレスの形而上学に依るものであろうが,こ  ば・Florimel1のエピソードはそうした状態に至るため

こで問題となるのは,次のアドニスについての一節であ  の準備段階であることは既に述べた。ここでは,このエ

る。      ピソードが如何なる条件をもって完結せる状態に至るか

And sooth it seemes they say:for he may not  を考察することになる。それは,第三巻が「貞節」(Cha一

For euer die, and euer buried bee       stity)の完結する巻であり・第四巻が「友情」(Friend一

In balefull night・where all things are forgot;  ship)が完結する巻であることと密接に関係を持つ。す

(8)

162       茨城大学教育学部紀要 第23号

なわち,Florime11とMarinel1が結ばれるために,  堂に会している。このエピソ」ドはスペンサー的な意味

「貞節」はその前提であり,いわば必要条件であるのに  での宇宙の調和の一大顕現である。そしてProteus の

対して,「友情」は必要かつ充分な条件である。スペン 捕われ人として,そこに生活するFlorime11はこの祝 サーの考える三種の愛のうちで「友情」が最も高次のも 婚の宴を契機として,Marinellと結婚することができ のであることは次の例でも明らかである。       るのである。端的に言えば,FlorimellとMarine11の

Hard is the doubt・and difficult to deem・    結婚は両者の「貞節」を前提としてThamesとMed一

When all three killds of loue together meet・  wayの祝婚,すなわち宇宙的調和と,その調和の人間 And doe dispart the hart with powre extreme・  世界への投影としての意味を持つ「友情」に与って始め

Whether shall weigh the balance downe;to  て可能となるのである。この意味でFlorimellとMa・

weet      rinellの合一は,人間に与えられた愛の至高の形態の象

The deare affection vnto kindred sweet,    徴であり,同時に,宇宙の自律的な調和が,小宇宙とし Or raging fire of loue to woman kind,     ての人間にも閉ざされていないことの一例であり,人間 Or zeale of friends combynd with vertues  の愛の昇華と宇宙との至妙な調和の一致のアレゴリーで

meet.       あると言える。

 But of them all the band of vertuous mind

@      註Me seeme the gentle hart should most assured

bind.       (IV, ix,1)     ユ) See C・S・Lew孟s:ε %4∫θs勿M64∫ωα」αη6 R6一 そして「友情」が肉視間,「男女間の愛に卓越するのは,    %α ss魏6θ五舵7σ %76(Camb「idge 1966)PP°121一

      122.

サの精神のゆえである」(loue of Soul doth Ioue of

       2) ロマンスの定義としてはGillian Beer;丁加Ro溺αη60bodie passe)とスペンサーは説くのである。のみなら      (Methuen,1970), p.10からの引用を以て示しておず,擬人化された「友情」であるFriendshiPはCon一      く。c°「d(調和)によって生まれ・P・ace(平和)の双子の  ・h。v。 bee。 descr、bi。g b, p,e、e。,、n each

兄弟とされていることは興味深い。        work that we would want to call a romance.

C・・…4・h・・1eep・d w・・i…mm・n・eed・    W・・a・thi・k・a・h・。。f。、1。。t。,。f p,。P。,ties:

Mother of blessed P8αごθ, and Fア琵π4s雇ρ     the theme30f love and adventure, a certain trew;      withdrawal from their own sDcietles on the They both her twins, both borne of heauenly       Part of both reader and romance hero・profuse seed,      sensuous detai1・simplified characters(often A・d・h・ber self・1ik・wi、e di。i。。ly g,ew;   with a suggesti°n°f alleg・・i・・1・ig・ifi・a・ce)・

      aserene intermingling of the unexpected andThe which.right well her workes diuine did      the everyday, a complex and prolonged suc−

@  shew:      cession of incidents usually without a single

F°「st「ength・・nd wealth−and h・pPinesse   ・lim・・,。h。pPy。。di。g,。mpli,。d。。f p,。P。,.

・he lend・・       ti。n、,。、t,。ngly。血f。,ced。。d。。f。。。d。。t t。

And strife, and warre, and anger does subdew:      which all the characters must comply,

Of Iitle much, of foes she make the frends,    3)Tillyard;7「舵E1如ゐ6醜伽恥ノZ4 P㍑%ノ6(Chatto And to afflicted minds sweet rest and quiet     (島Windus・1943)・PP・84−86・

sends・      (IV, x,34)   4)スペンサー自身・Sir Walter Raleighに宛てた書

ここで明らかなのは,「友情」とは単に人間の倫理の範     簡で 丁加勲θ7 θQ%θ8麗を c°nt1nued allego「y

囲にとどまらず,CQncordという宇宙的調和の結果でも    o「da「k conceit と称している・

あるという点である。以上を鑑みて再度F1。rime11のエ   5)See Alex P「eminge「(ed)P励c8 °η1){c≠加αη

      o∫乃8耽yαπ4丑)6∫os(Princeton,1965)pp.12−15.ピソードに立返ってみよう。       6)See Michael Baybak, Paul Delany and Kent

CFl°「童mel1は第四巻の結びである第+二篇でM・・i・・11  Hiea,,、迎。。。_,・、。,、,弼、4、。、・・∫。 T、8

と結ばれるのであるが,それに先立・て・第+一篇では  M。Q。。,。、(。。pers。n L。。guage and Li,e一

Proteusの館にはThames(テムズ河)とMedway     rature, Vo1.5,1969)P.227.

(メドウエイ河)の祝婚の為にあらゆる河神,海神が一一   7)See Alastair Fowler;助8π567僻d 加翫〃z66γ3

(9)

r

小 紫:スペンサーの丁加Fαθ7ゴθQπθθ〃θの三つのエピソードに関する岬考察    163

oプ7「伽6(Routledge&Kegan Pau1,1964);     13) この腰帯は貞節な心の持主以外にほ決して留まらない 丁吻〃zρ肋1Fo7〃2s:甜7πo伽アα11%吻7πs加E1たσ一      で外れてしまうという不思議な力を持つ。

西θ伽η」恥θ砂(Cambridge,1970)      14)See Macrobius;Sα紛πα1∫α1, xxi.

8) See Gilbert Hieghet;Tぬθααs5 cαJ Tη4漉oπ     15) C. S. Lewis;.4Z1θgoη(ザ。乙oθθ(Oxford,1963)

(Oxford,1949)P.148。      PP.326−327

Some taste of the gay confusion of Ariosto can      The one(i. e. Art)is artility, death:the other,

be got from the fact th盆t Dicordia was dispat−       Nature, fecundity,1ife... Everywhere else ched by the archangel Michael, and 6η70鷹      Spenser uses art to suggest the artificial in

      .

高?煤@Jealousy,...      its bad sense the sham or imitation.

9) ただ,馬のシンボリズムに関しては他にも様灯の要素      しかしルイスの指摘に該当しない良い意味の「人為」

が認められる。例えば,シェイクスピアの y勿欝      の存在も無視はできない。

α%4且40π∫sl1.259−324の有名な馬の描写では馬は     16) Robert Ellrodt;ハ⑫oカ1σ o疵s甥勿動6 P∂6∫η(ザ 情熱あるいは情欲の象徴であるが,J. E. Cirlotの      Sρθηsθ7(Geneve,1960), p.35.

Dゴc oπ硯y{ザ5汐魏う01∫5 z(Routledge&Kegan    17) ケプラーの論敵として知られるロバート・フラッドは Paul,1962)に依れば,馬にはその他にも数種の象徴      Art(人為)を宇宙の象徴的図式で猿として表わし,

があるという。      それは人間から生れたものであって,動物界,植物界,

ユ0)Plato;R@%研o,,ix,586 cここではHelenの似像      鉱物界に於てそれぞれNature(自然)を補足してい

がトロイ入の競いの的にされたというステシコラス      るという。以上はWayne Shumaker T加の06ρ%〃

(BC.7−6)の説に触れられている。       S6 θπ06伽 加Rθπαゴ∬αθπc6(University of Cal一 11)Cf. Thomas P. Roche, Jr.丁舵K勿4砂.F紹規6       ifornia,1972)p.123.

(Princeton,1964)152 ff.      18)スペンサーがPlatoロistであるか, Aristotelianで 12)False Florimellをめぐる数々のいさかいは,馬上槍      あるか,あるいは他の何学派であるかについては云々

試合の最強勝者がその恋する女性の愛情に浴すること      する必要はないであろう。というのは,スペンサーが を認めるという中世以来の伝統に由来するが,この      それらの原典を全て直接に吟味したとは考えられず,

False Florimellのかかわる決闘や馬上槍試合は悉      多くは後の時代の雑多な解釈に依っているからである。

く混乱に終る。その好例がSatyraneの主催する試      従って,しばしば哲学的な観点からは矛盾することも 合IV, iv,9ff.である。       少くない。

AConsideration of Three Episodes in T1診θFαθ7∫θ(2%θθπθ一一一 ALogic of Correspondence of Love , to Cosmological Harmony.

Shigenori Komurasaki

In this treatise I picked up three episodes from T乃θFαθ7ゴθQ%68π6, among which Florimell一

episode was examined as the center of the argument. Ill these episodes are found the

correspondence between love,, and cosmological harmony. This correspondence, which was prevalent in Medieval and Elizabethan times, is one of the most favorite ideas of Spenser.

Especially in Book III and IV of T乃θ Fαθ7∫θ Q〃θθ θ the idea should be considered as a unifying element.

As for these three episodes, that is to say, those of Hellenore, Florimell and Garden of Adonis, they represellt three stages of the correspondence. The first is a conditiQn of Unchastness(disorder at a human leve1) corresponding cosmological disorder, the second is that of a condition or process of realization of true love(harmony at a hurnarl leve1)

corresponding cosmological harmony, and the last is that of an ideal condition at both levels・

These three patterns are applied to almost all episodes in Books III and IV of T加Fσθ7ゴθ Q〃θθπθand without this procedure these two books cannot be interpreted just as the Poet intended.

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