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(1)

生活の質的向上の手段としての観光

── 観光から見る福祉 ──

米 谷 光 正 ・安 本 宗 春 **

要旨

:

本論文は,人々の生活の質的向上を図り,高度な福祉を実現する手段として,観光 に着目する。福祉とは,全ての人々を幸せにすべきものである。これらを踏まえて本論文 は,高齢者や障がい者などの移動弱者を対象に,観光への参加欲求の実現にむけた制度や 施設の整備,サービスの提供等について論じる。

 福祉とは,論者により多様な使われ方をしている。その中でも,全ての人々の幸福追求 であることは共通の理解といえる。幸福とは,ひとり一人の生存が保障され,そして,よ り良い生活をおくることである。より良い生活をおくることは,より高度な福祉の実現と いえる。

 観光は,より高度な福祉を実現するために必要な,生活の質的向上を図る手段の一部で ある。これは,観光が様々な満足の増大をもたらすことから,年齢や体の状態等を問わず,

多くの国民に望まれているからである。近年では,高齢者や障がい者などの移動弱者も含 めた,観光への参加を望む全ての人に対して,それを可能にする制度の整備,サービスの 提供が進められている。このような,誰もが観光に参加することが可能な環境を整備する ことは,生活の質的向上を図り,より高度な福祉を実現するために非常に重要なことであ る。

キーワード

:

観光,福祉,欲求の高度化,QOL

1. は じ め に

本論文は,人々の生活の質的向上を図り,高度な福祉を実現する手段として,観光に着目する。

福祉とは,全ての人々を幸せにすべきものである。ここでは,高齢者や障がい者などの移動弱者

(以下,移動弱者)を対象に,観光への参加欲求を実現にむけた制度や施設の整備,サービスの 提供等について論じる。

福祉とは,全ての人々の幸福を追求することであるということが,共通の理解といえる。福祉 が目指す幸福は,① 生存を保障する,② 生活の質的向上を図る,ことである。日本では,国民 の福祉を実現するため,生存の保障に関する制度が整備されている。しかし,生活の質的向上に 関しては,制度の主要関心事項から外れているようである。

人々は,生存の保障という欲求が満たされると,より良い生活をおくろうと欲求を高度化させ る。すなわち,人々の嗜好に応じた欲求の充足が求められるようになる。人々の嗜好的欲求は,

 *東北福祉大学教授

**東北福祉大学非常勤講師

(2)

いくつかの段階があるとともに,高度化するものである。そして,ひとり一人の嗜好的欲求を充 足させることにより,生活の質的向上を図り,人々を幸福に導くのである。それにより,高度な 福祉が実現できるのである。

観光は,生活の質的向上を図り,高度な福祉を実現する手段の一つである。それは,観光への 参加を通じて嗜好的欲求を充足できるからである。年齢や体の状態等を問わず,観光への参加を 希望する人が多数存在する。したがって,観光が生活の質的向上を図り,高度な福祉を実現する 手段となるのである。近年では,移動弱者を含め観光への参加を希望する全ての人に対して,そ れを可能にする制度や施設の整備,観光サービスの提供が進められている。

以下本論文は,① 既存研究から福祉の目標である幸福の追求について整理,② 観光がその手 段としての有効性について検討,③ 移動弱者を対象とした観光への参加欲求を実現にむけたあ り方,について論じる。共同執筆者である米谷光正は,本研究の基本的な方針を定め

1

を執筆し た。安本宗春は,基本方針に基づき

2, 3

を執筆した。米谷光正は,全体を俯瞰し

4 をまとめた。

2. 福祉に関する概念 2.1. 福祉の目標と対象者

福祉とは,論者により多様な使われ方をしている。藤村(2013)は,「福祉という言葉はさま ざまな意味合いを持って使われることが多く,人によって違うだけではなく,同じ人でも自覚の 無いまま状況によって複数の意味で使ってしまうこともある」1)と述べている。そのため,福祉 とは,多義的に使用される点に留意する必要がある。その中でも,福祉についての共通の理解は,

全ての人々の幸福を追求することといえよう。

広辞苑(第

6

版)によると福祉とは「① 幸福。公的扶助やサービスによる生活の安定,充足」

と「② 消極的には生命の危機から救い,積極的には生命の繁栄」としている。また,福祉の語 源について検討した場合,稲垣(2010)は,「福祉の福は幸福の福,祉も『神が止まること』,つ まり『しあわせ』を意味します。福祉とは,一般的に幸福をつくることです」2)と述べている。

福祉について以上のことを踏まえると,① 生存の保障,② 現状を維持すること,③ 幸福を追 求すること,ととらえることができる。近藤(2013)は,福祉が示す幸福について「『幸福』は 個人の心情レベルのものであるのに対して,『福祉』は『快い暮らしの基盤』を意味している」3)

と述べ,福祉の確立が幸福の追求を可能にすると指摘している。糸賀(1968)は,福祉について

「社会の福祉の単なる総量を言うのではなくて,その中での個人の福祉が保障される姿を指すの である」4)と述べ,ひとり一人の幸福を追求していくものであるとしている。以上の議論は,先 に述べた福祉の定義を支持するように思える。

福祉における幸福の追求について劉 (2015)は,「『心情的な幸福』,すなわち

“Happy”

よりも快 適な人生

“Well

-

being”

に近い用語」5)と述べている。そして,幸福には,いくつかの段階があり「日

(3)

常生活欲求(ニーズ)」6)から「① 基礎的生活欲求(Basic Needs)

:

衣,食,住,保健衛生など」7)

「②社会的生活欲求(Social Needs)

:

家族,隣人,友人,仲間,職業など」8),「③ 文化的生活欲 求(Cultural Needs)

:

遊び,レクレーション,趣味,学習など」9)

3

つのレベルに分類している。

ここから,福祉が示す幸福は,ひとり一人の生存を保障し,より良い生活をおくるために,いく つかの段階が存在することがわかる。そして,より良い生活をおくることにより得られる幸福は,

より高度な福祉の実現といえる。

福祉を達成するための具体的な対象を示す言葉として,「地域福祉」,「社会福祉」,「障害者福祉」,

「高齢者福祉」などが,使用されることがある。森本(2013)は,「『社会福祉』も『地域福祉』も,

あるいは医療,労働,教育なども,広い意味での『福祉』(=幸せ

=

暮らしの安全・安心を実現 すること)」10)と述べている。そして,制度化されているか否かを問わず,全ての人々の幸福を 追求することであると指摘している。また,武川(2011)は,「語源的な意味での福祉(幸福)

はもともと対象者が無限定である」11)と述べている。それを踏まえ,高齢者や障がい者など社会 的な弱者に対象者を限定する「狭義の福祉」と国民や社会全体を対象者とする「広義の福祉」が あることを指摘している。福祉を制度として実施する場合,具体的な取り組みを展開するために 対象者を定める場合がある。それは,福祉の限定的な用法であり,あくまでも全ての人々が対象 ということには変わりはないのである。

これは,1959年にデンマークのバンク-ミケルセン氏が提唱したノーマラーゼーションの考え に準ずるものといえる。武川(2011)は,ノーマラーゼーションについて「障害の有無にかかわ らず,多様な人々から成り立っている社会こそが正常」12)と述べ,全ての人に対して排除が無い 社会を目指すものと指摘している。

以上の議論を整理すると,福祉は,全ての人々の幸福を追求することが,共通の理解である。

この幸福は,ひとり一人が,生活から生じる欲求を充足し,満足を増大させていくことである。

このような欲求には,生存に必要な欲求から,より高度な生活を望む欲求まで,いくつかの段階 がある。そのような,様々な欲求を充足することにより,人々を幸福に導くのである。福祉の対 象者は,一人ひとりの全ての人々が対象となる。

2.2. 日本の福祉制度

第二次世界大戦後は,日本の混乱を抑制する制度と併せて,広く就業機会を提供する国家政策 も実施された。全国総合開発計画の前身とされる国土総合開発法などの国土開発の基本法が

1950

年に制定された。これにより,効率的に多くの雇用を生み出し,生活に困窮している人々 へ貴重な就業機会を提供された。これらは,福祉国家を構築するために必要不可欠な政策の一部 であるといえよう。

同じころ,政府が,高齢者や障がい者など社会的な弱者に対して,市場原理によらない福祉に 関する制度を実施するようになった。廣野(2014)は,第二次世界大戦後に制定された「福祉三

(4)

法」について「生活保護法が戦後の困窮状態への対応,児童福祉法が戦災孤児の問題への対応,「身 体障害者福祉法」が傷痍軍人への対応を主要な目的として制定された」13)と述べている。ただし,

かつての福祉に関する制度は,労働力とならない社会的な弱者を福祉施設や家族の中に包摂し,

保護する制度でもあった。生活の質的向上を図るため,移動弱者の社会参加を可能にするような 様々な試みが行われ,社会参加ができるようになってきた。

2016

年現在,厚生労働省では福祉に関する制度として,高齢者に向けた「介護・高齢者福祉」,

障がい者に向けた「障害者福祉」,貧困者に向けた「生活保護・福祉一般」として実施している。

これらの福祉に関する制度により,何らかの理由により日常生活を送れない人に対して,一定の 生活保障を実施している。

日本の人口は,2016年の

1

2,520.7

万人のうち

65 歳以上の高齢者は,3,434.3

万人(総人口

27.0%)である

14)。こうした高齢者のうち加齢により身体的に影響を受ける人も出てきている。

「障害者福祉」の対象となる身体障がい児,身体障がい者の数は,386.4万人(2013年)である。

年齢階層別にみると,18歳未満

7.3

万人(1.9%),18歳以上

65

歳未満

111.1

万人(28.8%),65 歳以上

265.5

万人(68.7%),不詳

2.5

万人(0.6%)である15)。つまり,加齢により身体的に影響 を受ける人が多いことが,統計上で確認できる。

こうした人々を支援する福祉に関する制度として

2015

年度の日本の国家予算では,社会保障 関係費として

31

5,297

億円が計上されている。その内訳として,年金医療介護給付費は

23

1,167

億円,社会福祉費は

4

8,591

億円,生活保護費は

2

9,041

億円が計上されている。

以上のことを踏まえると福祉に関連する制度は,生活保障による支援を通じて一定の生活水準 を保障するものである。それが生活を維持する為の原動力となり,「基礎的生活欲求」16)が確立 できるのである。福祉に関する制度は,近代的な社会構造が形成されていく過程において,人々 の生活の課題解決を目的に整備が進められてきた。中子(2009)は,「従来の国家による福祉制 度は,人々の結びつきを前提としながら制度が個人の状況を支援する」17)と述べている。つまり,

福祉に関する制度は,生存に必要な救済策として最低限の支援が実施されるのである。そうした 救済策が,生活を維持する為の原動力となり,劉 (2015)が述べる「基礎的生活欲求」18)が確立 できるのである。

2.3. 福祉の高度化

福祉に関する制度だけでは,人々の幸福を追求することは難しい。それは,人々が,嗜好的な 欲求を充足して,より良い生活をおくる要素が含まれていないからである。厚生労働省は,「公 的な福祉サービスは高齢や障害といった対象者ごとに制度が整備され,質・量共に充実が図られ てきた」19)と述べている。しかし,「公的なサービスだけでは対応できない多様な生活課題が生 まれている」20)と述べ,従来の公的なサービスだけでは福祉に関する制度の限界が生じていると している。

(5)

加山(2013)は,「社会福祉サービスの本質には,利用者の

QOL(Quality of Life :

生活の質)

の向上があるのであり,制度内であるか外であるかを問わず,ニーズが充足されるように考えて いかなければならない」21)と述べ,利用者を満足させる必要性を指摘している。糸賀(1968)は,

「人間の欲求は,不満の解消にとどまらず,さらにより良き生活を求め,より高い水準を目指し て進展する」22)と述べ,高度な福祉も視野に入れることの必要性を指摘している。つまり,福祉 の実現には,制度の対象とならない,より良い生活についても検討する必要がある。

加山(2013)が指摘した「QOL」について,土井(2004)は「QOLは,『Quality of Life』の略 であり,日本語に翻訳すれば『人生の質』,『生活の質』あるいは『人生・生活の質』となる」23)

と述べ,人生・生活の質の向上を試みるものと指摘している。具体的には,「生命の長短や障害 の有無に関わらず,あるいは,結果として受けた人生の苦楽の深さに関わらず,尊厳と喜びを追 求することは,人間誰もが平等に許されている権利と言える」24)と述べ,全ての人々の「QOL」

を追求するために様々な分野から検討する必要があることを指摘している。

河東田(2004)は,「QOL」について ①「活動」として「様々な領域への主体的,積極的参加。

自己実現の自由と選択の自由」25),②「対人関係」として「親しい人とそうでない人との関係」26)

③「自尊心」として「自身や自己受容」27),④「人生における基本的な幸福感」として「豊かな 経験,安心感,質の良い生活」28)と分類し,ひとり一人の欲求を尊重する概念であると指摘して いる。「社会的生活欲求」29),「文化的生活欲求」30)の段階へは,「QOL」の達成により実現するこ とができよう。つまり,「QOL」は,人々の欲求の高度化があるからこそ発生する。そして,自 らの選択と決定のもとに嗜好的欲求を充足することにより,満足を得るものである。このような,

人生の楽しさといった満足の増大を試みる「QOL」は,幸福を追求に極めて重要な視点といえ よう。

フランク・ゴーブル(1972)は,マズローの欲求説を踏まえ「欲求は,また単に身体的なので はなく,むしろ精神的なものである」31)と述べ,欲求の発生源について指摘している。また,黒 沢(2009)は,「社会的欲求には習得的,文化的要素が強いから,普遍的な形で自己実現にいた るという主張が正しいとは思えない」32)と述べ,「文化的欲求こそが人間の本質である」33)ことを 指摘している。つまり,自己実現を達成しようとする欲求は,ひとり一人を取り巻く社会動向に 合わせて段階的に向上するのである。段階的に向上する欲求を充足することで,高度な幸福を導 くことができるのである。それにより,高度な福祉が実現できるのである。

以上の議論を整理すると,人々は,「基礎的生活欲求」34)が満たされた時に嗜好的欲求が生じ るのである。そして,より良い生活を目指し,生活の質的向上させることが重要となる。つまり,

ひとり一人の個別の欲求の充足から満足を積み重ねることにより,福祉の目標である幸福を導く のである。そのようにして,より良い生活をおくることにより,高度な福祉が実現できるのであ る。

(6)

3.

 観 光 と 福 祉

3.1. 生活欲求の高度化と観光

日本では,観光が人々の生活において身近な活動となっている。内閣府が実施している「国民 生活に関する世論調査」では,「今後の生活の力点をどこにおくか」という質問のうち「レジャー・

余暇生活」に生活の力点をおくと答える国民が多い。「レジャー・余暇」は,オイルショック以 降伸び始め,1978年に「食生活」を抜き第

2

位(21.5%)となった。1983年に「住生活」を抜 き第

1

位(26.3%)となっている。その後も趨勢的な上昇を続け,全体を通して約

35%

前後の最 上位を保っている。ただし,2001年以降は,調査方法が異なっているために同一の比較ができ ない。それでも,「レジャー・余暇生活」が,最上位を保ち続けていることを踏まえると,国民 の生活の中で最も大きな関心事となっていることが理解できる。

このように「レジャー・余暇生活」へ生活の力点が置かれるようになったのは,国民所得の増 加やインフラ整備といった社会の成長があげられる。大社(2013)は,高度経済成長期からの動 向を俯瞰し「可処分所得と余暇時間が増えた国民の多くがレジャーとして旅を楽しむようになっ た」35)と述べ,生活水準の向上により,観光へのニーズが高まったことを指摘している。人々の 生活基盤が構築された時,サービスへの消費に関心を持つものが増えることが分かる。また,日 本における交通網,宿泊施設などの社会インフラ整備が進み,様々な地域へのアクセス環境が改 善された。これを受け,旅行会社がパッケージツアーとして販売するようになった。つまり,観 光に参加するための負担,リスクが大幅に軽減され,多くの人々が観光をするようになったので ある。

観光は,人々の生活基盤が安定したとき,多くの人々が欲する活動である。観光施策審議会で は「旅は,すべての人にとって本源的な欲求」36)としている。2006年に改正された「観光立国推 進基本法」では,観光について「健康の増進,潤いのある豊かな生活環境の創造等を通じて国民 生活の安定向上に貢献」37)と述べている。つまり,観光は,人々の生活基盤が構築された時に,

高度な欲求として発生するものである。ただし,多くの人々が,観光サービスをより身近に消費 することを踏まえると,観光は,人々の生活により身近な嗜好的な欲求といえる。つまり,観光 への参加は,高度な欲求の充足とあわせて,「基礎的生活欲求」38)がより満たされるという,相 乗効果があるといえよう。したがって,観光は,多くの人々に対して満足の増大を与えるのであ る。

観光に参加したいという欲求について槻本(2006)は,「観光欲望は,欠如の充足行動ではな く異空間への移動を通じて得る様々な発見・体験を動機とする精神的な感動への欲求である」39)

と述べ,非日常を体感したいという自己実現な欲求から発生すると指摘している。大橋(2010)は,

「新しい所を訪ね,見聞を広めたいとする欲求や,非日常的な娯楽や他人との接触など社交性を 享受したいとする欲求」40)と述べ,「何かを求める欲求」41),「何かを回避したい欲求」42)に分類で

(7)

きることを指摘している。河村(2008)は,観光を欲する背景を「労働で疲労した肉体的・精神 的回復であったり,娯楽のためであったり,自己を啓発し発展させる事であったり,家族の絆を 強化することであったりする」43)と述べている。つまり,多くの人々は,より良い生活をおくる 事を目指し,観光をしていることがわかる。それゆえ,高度な福祉を実現するために必要な生活 の質的向上を図る手段なのである。

川村(2013)は,「観光福祉は,一言でいえば,従来の観光政策と社会福祉が融合し,人々の 余暇による安らぎ,癒しによって英気を養い,生活文化の創造と人間形成を図ることである」44)

と述べ,観光が高度な福祉を実現することについて指摘している。佐野(2013)は,「基本的に は経済的志向の強いものであるが,観光政策は一方で,国民福祉的な意味合いを有している」45)

と述べている。つまり,観光は,地域振興と人々に満足を与えるという相乗効果を持つ手段なの である。それゆえ,高度な福祉を実現する手段として観光が有効なのである。

以上の議論を整理すると,生活水準が向上すると,日常と異なる場所で非日常的な様々な体験 を楽しむ観光を欲する人が増加する。そして,観光により得られる満足は,余暇,休養,学びな ど多岐にわたる。こうした様々な満足をもたらす点が,多くの国民に観光が支持される理由であ る。したがって,観光は,高度な福祉を実現するために必要な生活の質的向上を図る手段となる のである。

3.2. 移動弱者における観光欲求

近年の日本では,生活の質的向上を図る活動として,観光への参加を後押しする動きが見受け られるようになった。島川(2015)は,アジア太平洋地域オフィスのハーモニー・ラム氏が基調 講演において「観光が社会的に責任を果たしていくためには,この持続可能性を実現することに 加え,障がいの有無に限らずだれでも観光ができること(Accessible Tourism)も重要であると の見解を述べた」46)として,世界観光機関(UNWTO)が持続可能な観光を実現するために掲げ る重要な視点として報告している。このように観光への参加を望む全ての人にその機会を提供す ることは,日本のみならず世界的にも重要な取り組みとして認識されている。

1995

年の観光政策審議会では「すべての人には旅をする権利がある」47)としている。高齢者や 障がい者といった移動において制限がある人たちに観光への参加機会を提供する。観光立国推進 基本法の第

21

条では「高齢者,障害者,外国人その他特に配慮を要する観光旅行者が円滑に利 用できる旅行関連施設及び公共施設の整備及びこれらの利便性の向上。情報通信技術を活用した 観光に関する情報等に必要な背策を講ずる」48)とされている。ただし,こうした制度の整備,サー ビスの提供が進められるのは近年のことである。井上(2010)は「1970年以前は,障害者は旅 行に行かない事を当然とされていた」49)と述べ,障がい者が観光に行く機会が存在しない社会で あったと指摘している。つまり,移動弱者の観光への参加は極めて限定的なものであった。

そのような時代であっても

1971

年に車椅子を利用する石坂氏50)は,日本人として初めて健常者

(8)

の団体ツアーにまじりヨーロッパ

10

カ国を旅行した。石坂氏の旅行の様子について井上(2010)

は「ヨーロッパの現実を知る事で,初めて自分のおかれている状況,日本の現状が相対化できた」51)

と述べている。それを契機に,移動弱者への旅行機会が注目された。例えば,朝日新聞厚生文化 事業団主催し旅のデザインルームが「車いすヨーロッパの旅」を計画催行した。1976年の第

1

回目は,100件を超える問い合わせがあった。そして,165名の募集数を大幅に上回る

500

名参 加希望者がいた。この盛況を受け,募集数を260名に増やしツアーを実施した。このツアーは,ヨー ロッパ,アメリカ,南米,中近東などへ

2004

年までの

28

年間にわたり実施してきた。このツアー に参加した延べ人数は,障がい者とボランティアの約

900

人である。つまり,移動弱者にも観光 に参加したいという欲求があることが分かる。

以下は,移動弱者が観光に対して持つニーズに関する調査を俯瞰する。2013年度に東京都福祉 保健局が障がい者を対象として実施したアンケート調査では,「障害又は難病のためにあきらめ たり妥協したこと」として,身体障がい者の

39.9%

が「旅行や遠距離の外出」を挙げている52)。 身体障がい者は,13項目ある選択肢の中で最も高い数字である。知的障がい者は

28.1%,精神

障がい者は

38.7%

であり,自らの障がいを理由に「旅行や遠距離の外出」を諦めている人が多 い53)。そのような身体障がい者に着目し,過去の「旅行や遠距離の外出」を諦めている割合をみ ると,2003年が

40.2%,2008

年が

41.5%

であり,ほぼ横ばいである54)

水野(2012)は,全国男女

800

名を対象に介護と観光に関するアンケート調査を実施している55)。 それによると,要介護者が介護者と一緒に一泊以上の旅行実施について,「旅行したことがある」

と答えた人は

28.5%

としている56)。そうした人々は,要介護者の

8

割以上,介護者の

7

割以上が

「旅行を楽しめた」「旅行で気分転換できた」と旅行後の評価としている57)。高齢による移動弱者 にとって,観光への参加が,心身のリフレッシュという,満足を得る機会になっていることがわ かる。また,観光庁(2014)は,2014年に要介護者との旅行について介護経験のある

5,109

人 を対象としたアンケートを実施した58)。それによると,要介護者に随行して旅行したことがある 者は,日帰り旅行で

15%, 国内宿泊旅行で 9%,である。ここから,移動弱者が,観光に参加し

たいという欲求があることが確認できる。

ただし,中子(2009)は,「『障害者』あるいは『高齢者』とひとくくりにまとめるのではなく,

それぞれ個別の困難な状況やニーズを見極めることで初めて現実的な支援が可能になる」59)と述 べ,個々の身体的な状態を踏まえた観光サービスを提供する必要性を指摘している。つまり,移 動弱者の観光への参加をより促進するには,それを支援するあり方が求められる。

以上のアンケート調査から,移動弱者に対しても,観光に参加したいという欲求の存在が確認 できた。つまり,観光は,年齢や体の状態を問わず,参加したいと希望する人が存在する。移動 弱者が観光への参加をより促進するには,様々な制度の整備,サービスの提供など,より具体的 な活動が求められるからである。

(9)

3.3. 移動弱者における観光欲求の充足

近年では,観光に参加したいと望む全ての人にその機会を提供することの必要性が主張される ようになった。ただし,移動弱者の観光への参加には,彼らの観光への参加を支援する,様々な 制度の整備やサービスの提供が必要である。

例えば,2006年には,「高齢者,障害者等の移動等の円滑化の促進に関する法」が整備された。

2016

4

月には「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律」が施行された。これにより,

サービス等を提供する全ての事業者があらゆる事業活動において「障がいを理由とする差別的取 扱い」が禁止され,「障がい者への合理的配慮」が求められることとなる。このような制度整備 を受け,車いす用のスロープの設置,多機能型のトイレの改良などの整備が進められている。

このような,政府による制度,施設の整備は,年齢,身体状況などにより,移動弱者が観光へ の参加にかかる様々な負担を軽減させることに寄与する。つまり,政府による制度の整備は,持 続的な観光を実現するために必要不可欠なことである。ただし,政府は,ひとり一人の嗜好をく み取り身体的な状況に対応した,サービスを提供することが難しい。そのため,サービスの提供 には,民間企業や

NPO

といった関係者の参加が求められる。

移動弱者へ交通や宿泊などの手配などを行う民間企業が出現している。例えば,株式会社チッ クトラベルセンターは,1996年より国内外の添乗員が同行するツアー,個人での旅行に必要な 手配を専門に行う旅行部門「ハート TO ハート」を設立した。移動弱者の中には,難病による人々 も含まれており,ストレッチャーの手配など,多様な対応をしている。

全国各地で移動弱者への観光を推進する

NPO

が増えてきている。こうした

NPO

は,主に行 政からバリアフリー関連の資金を獲得し,情報の提供,地域の調査がなど様々な活動を展開して いる。こうした全国各地の

NPO

をネットワークとしている一例に,日本バリアフリー観光推進 機構がある。日本バリアフリー観光推進機構では,定期的に他地域の活動の情報交換などを実施 している。

このような,民間企業や

NPO

は,ひとり一人の嗜好をくみ取り,サービスとして提供するこ とができる。近年では,移動弱者に特化した観光サービスを提供する旅行会社や

NPO

が増えて きている。

以上の実態を整理すると,移動弱者への参加を実現するには,様々な制度の整備,サービスの 提供が必要であることがわかる。こうした関係者が,協力し移動弱者の観光への参加環境を整備 することにより,移動弱者に必要な支援の負担を軽減することができる。それにより,サービス 提供中におけるトラブルなどのリスクを抑制して,観光への参加を促進する要素になるといえよ う。このような,誰もが観光に行けるような環境を整備することは,高度な福祉を実現するため に非常に重要なことでもある。

(10)

4.

 ま  と  め

近年の日本は「基礎的生活欲求」60)が満たされつつあるように思われる。それが満たされると,

高度な「文化的生活欲求」61)へと関心が移る。それは,年齢や体の状態を問わず多くの国民に望 まれている。

観光は,様々な満足をもたらすことから,多くの国民に望まれている。これは,年齢や体の状 態を問わず,移動弱者も含めて同様である。従来,移動弱者は,観光への参加機会は限られてい た。しかし,石坂氏のような重度な障がい者が健常者の団体旅行に交じりヨーロッパ

10

か国を 観光するという事例が出てきた。これを契機に,移動弱者の観光欲求が顕在化されていった。そ のため,近年では,移動弱者の観光への参加欲求を実現させる為に,より具体的な活動が模索さ れるようになった。そのような活動を展開するには,政府による移動弱者を支援する制度の整備 があげられる。また,近年では,移動弱者を対象とした,観光サービスを提供する民間企業や

NPO

も出てきている。様々な関係者が関わる事により,移動弱者の観光への参加が実現できる のである。

ただし,移動弱者の観光への参加をより促進するには,課題も多い。それは,有効的なデータ 等の蓄積がなく,未知数な部分が多いことがあげられる。中子(2009)が述べる「個別の困難な 状況」62)へのサービスの提供には,常にリスクがついてくる。こうした観光サービスは,企業の 存続性を担保しながらの現場スタッフの育成など参入へのハードルが高い。そのためには,政府,

NPO,民間企業の連携のあり方に対して,今後さらなる検討が求められる。

(文責 米谷光正)

付記

調査 安本宗春

分析 米谷光正 安本宗春 執筆 米谷光正

参 考 文 献

THE THIRD FORCE : The Psychology of Abrahama Maslow by Frank G. Goble

小口忠彦(1972)フラ ンク・ゴーブル『マズローの心理学』産業能率大学出版部

井上寛(2010)『障害者旅行の段階的発展』流通経済大学出版会 糸賀一雄(1968)『福祉の思想』NHKブックス

稲垣久和『公共福祉という試み 福祉国家から福祉社会へ』中央法規

岩田正美・上野谷加代子・藤村正之(2013)『ウェルビーイング・タウン』藤村正之(2013)「福祉 をつくりあげる仕組み」pp. 29-

44 有斐閣アルマ

大社充(2013)『地域プラットフォームによる観光まちづくり

:

マーケティングの導入と推進体制の

(11)

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HP

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10) 森本(2013)p. 160 11) 武川(2011)p. 9 12) 武川(2011)p. 334 13) 廣野(2014)p. 120

14) 総務省統計局 HP

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15) 厚生労働省社会・援護局障害保健福祉部『平成 23

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http://www.mhlw.go.jp/toukei/list/dl/seikatsu_chousa_c_h23.pdf 2016

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16) 劉

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17) 中子(2009)p. 1 18) 劉

(2015)p. 38

19) 厚生労働省(2015)p. 356

20) 厚生労働省(2015)p. 356

21) 加山(2013)p. 121

22) 糸賀(1968)p. 67

23) 土井(2004)p. 176

24) 土井(2004)p. 176

(13)

25) 河東田(2004)p. 150 26) 河東田(2004)p. 150 27) 河東田(2004)p. 150 28) 河東田(2004)p. 150 29) 劉

(2015)p. 38

30) 劉

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31) フランク・ゴーブル(1972)p. 60 32) 黒沢(2009)pp. 120

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121 33) 黒沢(2009)p. 121 34) 劉

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35) 大社(2013)p. 195

36) 国土交通省 HP「観光政策審議会」

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37) 「観光立国推進基本法」観光庁 HP

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38) 劉

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39) 槻本(2006)p. 50 40) 大橋(2010)p. 96 41) 大橋(2010)p. 96 42) 大橋(2010)p. 96 43) 河村(2008)p. 53 44) 川村(2013)p. 12 45) 佐野(2013)p. 46 46) 島川(2015)p. 3

47) 国土交通省 HP「観光政策審議会」

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48) 衆議院 HP

http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_housei.nsf/html/housei/16520061220117.htm 2016

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49) 井上(2010)p. 6

50) 石坂氏は,1924

年生まれ,中学生のとき柔道で怪我をしてから手足が不自由となる。その後,

1968

年に車で通勤途中ダンプに追突され,軽い四肢マヒが残り車いす生活をおくる。

51) 井上(2010)p. 71

52) 東京都福祉保健基礎調査検討委員会委員(2013)

53) 東京都福祉保健基礎調査検討委員会委員(2013)

54) 東京都福祉保健基礎調査検討委員会委員(2008)

55) 水野(2012)p. 1

56) 水野(2012)p. 2

57) 水野(2012)p. 6

58) 観光庁(2014)p. 30

59) 中子(2009)p. 5

60) 劉

(2015)p. 38

61) 劉

(2015)p. 38

62) 中子(2009)p. 5

参照

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