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神への反抗 とい う遊び

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神への反抗 とい う遊び

ロ ー ベ ル ト ・シ ュ ナ イ ダー F眠 りの 兄 弟 』試 論 ‑

19928月にレクラム ・ライプチ ヒか ら出版 された ローベル ト ・シュナイダーの処女 長編 F眠 りの兄弟』1)ほ ど,過去十年 間の ドイツ語 国文学の中で大 きな話題 を提供 した 本 も珍 しい。1990年 に原稿 を書 き上 げたあ と,計23の出版社か ら拒絶 され,一向 に出 版の 目処が立たなかったため, レクラム ・ライプチ ヒが僅か4千部 とい う部数での出版 を申 し出た際,「信 じ難いほ どの幸福感」2)があった, とシュナイダー 自身回想 してい る。

ところが出版後間 もな く著名 な新 開 ・雑誌が,多 くの好意的書評 を寄せ,同年 11月 に はテ レビの文芸批評番組 「文学的四重奏」 で取 り上 げ られたとい うこともあ り,92年 の 終 りに既 に売 り上 げは4万部 に達 していた。翌年 には早 くもデ ンマー ク語,スウェーデ ン語訳が出版 され, カイザースラウテ)レンではバ レー作 品化 して上演 された。94年 に文 庫 版が発売,95年 には ヨーゼ フ ・フ ィルスマイヤ に よ り映画化,96年 にはヘルベ ル ト ・ヴイ1)によ りオペ ラ化 された。長編 第二作 F宙 を行 く女j3)が発表 された98年 の初 め までに,売 り上げは計130万部 を越 え,24ケ国語 に翻訳 されている。 ドイツ統一後 間 もない92年当時経営が傾 いていた レクラム ・ライプチ ヒは,広告費 をほ とん どつ ぎ込 まず にこの作 品によって,その危樺か ら救 われた とも言 われる。4)

商売上 の成功 が明 らか になるにつれて, この本 は大衆 の晴好 にお もねった 「ポ ップ

1) 作品か らの引用 は次の文庫版 に拠 った。以下,同書か らの引用 は頁数を括弧 内に 示す。schneider,Robert:LfC/P/aje∫B〟′der.Roman.Reclam‑BibllOthek1518,LelPZig1994,本 論で触 れる書評や論文等の二次文献 は主 に次の二冊 に採 られている。 (1)MorltZ,Ralnel.

(Hrsg・):Uber"St/'/afc∫Br"de'".ll,Iafe'/a/'C′{"RobcfLW′Zelde'JRo"Ja.Leipzig(Reclam)1996;

(2)MoritZ,Rainer(Hrsg):E,./a"fe'7"Jge′″dDoh"meJJfe:Robe'./J{/W'e'de;Lfl/JaJe∫B17'de'.Stuttgart (Reclam)1999.

2) sauf,MIChael=E〃'e'.aJ/∫LhMDo'fIn:SuddeulscheZeltungMagazinNr.41,13.10. 1995.

3) sclm elder,Robert:D/eL,dTzカ"gel/I"・Roman.KarlBlessingVerlag,Munchen1998. 4) 売 り上げ部数等 に関 しては次の二つの報告 を参考 に した.Moritz,Ralner:NM/WJ Ha/b/ue,C.LfC/P/ajTe∫B,}Jder・dd∫(U")E,.紘 ,/M/Vcce∫EdTo/gcJIn:defS.(Hrsg.)=tTbc'"LfC/P/ajTeJ B/LIc/H・aal〇・,Sll‑29;Gehle,Holger:Robe/fSC/P〝ez'deJ.・In:KritischesLexikon zuf deutschsprachigenGegenwarlsliteratur・61・Nlg.,3/99,S12.

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神‑の反抗 という遊び 103 アー ト」5)であ り,読者への要求度の低い 「工芸品」6)であって,「背景 に何 ら個人的苦 悩 も無」7)く,何 らの認識 も与えて くれない,「一種の ドラッグの様」8)なもの,とい う 批判 も開かれるようになった一方で,この作品に,芸術家小説」,聖人伝説」,殉教者 伝説」,村物語」 といった 「世界文学が提供する極めて多様な型が取 り込 まれて」9) ることを指摘 し,この小説 をそうした文学的伝統 との関連で論ずる文章 も幾つか書かれ ている。 こうした点を踏まえて,以下では,作品の提供する幾つかの側面を考察しつつ, 内容,表現の両方か らそのテーマを読み解いて行 きたい と考える。

妨げ られた生涯

僅か二百頁余 りのこの小説には多 くの人物が登場 し,それらの人物にまつわる様々な エピソー ドが語 られる。 しかも物語の本筋 とはほとんど関係の無いそうしたエピソー ド は,当該人物の人柄や外見を独特の滑稽味を持って描 き出 したもので,読んでいて退屈 しない。 この点でこの作品はその分量にも拘わらずロマ‑ンという名に値する広が りを 持っている。 とは言え,物語の骨格を形作 って いるのは主人公の生涯であるから,ひと

まず主人公を軸にしてこの物語の内容 を纏めてみることにする

1803年 ヨハネス祭の 日に,フォラールベルクの架空の山村エ ツシュベルクで,農夫 ヨーゼフ(通称ゼフ)・アルダーの妻アガ‑チ(通称ゼフィン)は,司祭ベ ンツアーとの不 義の子 を産む。 これが,神によって並外れた音楽的才能を授けられた主人公 ヨハネス ・ エリーアス ・アルダーである。彼の聴覚の鋭敏は,雪の降 り始めた音で 目を覚ます程の もので,音楽への強い関心は生誕の時か ら強 く現われているが,それが爆発的な発展 をiiZ! 遂げるのは,五歳の時の 「聴覚の奇蹟」 (30)の体験 によってである。石の呼ぶ声に誘 われて谷あいのエマ‑川のほとりへ と来た彼は,水の流れに削 られ靴底の様な形をした 大 きな石 によじ登ろうとして,滑 り落ちて しまう。そこに気を失い横たわったまま,彼 は 「宇宙が響 く」(34)のを聴 く。壮絶な 「響 きの天気,響 きの嵐,響 きの海,響 きの 」(36)の中で彼は更に, r一人のまだ産まれぬ子供の,一人の胎児の,一人の女の 胸の鼓動」(38)を耳にする。「それは彼に恒久の昔か ら定められていた人間の心臓の鼓 動,彼の恋人の胸の鼓動であった」(38)この時以来,彼は従姉妹のエルスベ トを神 に

5) Geisel,Siegllnde:GoHe∫SC/M eJ74"C/.In:M如klSCheAllgemelne.Wochenmagazin.HDie Mafkische",24.12.1992.

6) Ebenda.

7) DasliterarlSCheQuartelt:DiskusslOnuber"SchlafesBruder"vom 19.ll.1992, ZDF,MalnZ,naChgedfuCktin=RainerMorilz(Hrsg.):E'血 ′feJ71"gC〝〝〝LJDoL'mc〝fc:Robert L以 〝elder,LrC/JaJe∫Bmdel,a・a0,S・64170,hierS・68.

8) Doefry,Martin=E"Ij17,/,'Hem 〝βJIR))odvc"・In:DefSpiegel,23.ll.1992,S.2541257, hierS.257.

9) Matt,Beatricevon・FC/P〝∫I"'7"C〟′dRhJlg"letter.In:NeueZurcherZeitung(20.10. 1992).

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よって定め られた 自分の恋人 と思い,愛す ることになるのだが, この体験 を経て彼 は, 五歳の子供であ りなが ら,急激な身体的変化を示す。彼の身体は早 くも第二次性徴 を経 て性愛能力 を備 えるのである。 さらにその瞳孔は,エメラル ドグリー ンか ら 「牛 の尿」

(41)の如 き黄色に変わ り,野太 くなった声 と共に,村人に彼 を気味悪 く思わせ る。

両親 を始めとして,彼 を取 り巻 く村人達は,彼の発展 を阻害する。彼 らは 「無関心や, 素朴 な愚かさ,あるいは[中略]全 くの妬み心から,この才能を零落 させて しまう」(13) この子が見せ る抜群の記憶力に感心 した司祭ポイヤラインは彼をフェル トベルクの少年 修道院に入れることを勧めるが,父親ゼ フは,農家の仕事 に勉学 な ど必要無い として, 断わる(57)。エ リーアスにオルガンの弾 き方を教 えるようせが まれた叔父オスカーは, 普段か らこの子の飛 び抜けた音楽的感覚に気付 き, オルガニス トとしての自分の立場 を 危ぶんだため,いずれ教 えてやると言 いつつ,心の内では,決 して一昔た りとも教 えま い と誓 う(67)。エ リーアスが夜中の教会で密かにオルガンを弾 く際,ふいご係 をか っ て出るベーターは,親友の天才を確信するが, しか しそれゆえにこそ, 「そのエ リーアス を抑 え付 けてお こうと努める」 (44)。 フェル トベルクの大聖堂付 きオルガニス ト, ゴ ラーは, エ リーアスの即興演奏 を聴いて驚 き,彼 をフェル トベルクでのオルガ ンコン クールに招待するのではあるが,自分の地位がエリーアスに脅かされることを予見 して, コンクールに勝った彼 をそのままエ ツシュベルクに帰 し,第二オルガニス トの地位 を他 の者に与 えて しまう(185)。 こうして主人公はその死 に至るまで,才能を花開かせ るこ とが出来 ない。

主人公の恋愛 に も,やは り同様の障害がついて回る。エルスベ トの父ヌルフ ・アル ダーは,エ リーアスの父 と犬猿の仲 にあるため,主人公が自家に近づ くのを好 まず,そ の息子ベー ターは, 「恋人」(200)エ リーアスを自分だけのものに してお きたい気持 ち か ら,エルスベ トがルーカス と親 しくなるよう計略 を巡 らす(110)。若 くして性愛能力 を備 えたエ リーアスが次第に成長 して くるエルスベ トへの気持 ちを募 らせ る一方 で, ベー ターの計略は効 を奏 し,ルーカスの子 を身ごもったエルスベ トはルーカスと結婚す ることとなる(141)。エルスベ トを失い,主人公は深夜の教会で,激 しい抗議を神 に向 ける。 その苦 しみを見て神 は,エ リーアスを恋人への情熱か ら解放す る。 この時以来, 彼の瞳孔 は再び以前のエメラル ドグリー ンを取 り戻すが,彼はエルスベ トに対 し無 関心

となるばか りでな く,生 きる意欲 もまた失って しまう(149)。 フェル トベルクのオルガ ンコンクールで前代未聞の成功 を収め,エ ツシュベルクへ帰る途中エ リーアスは,同伴 していたベーターに次の様な考えを述べ る。 「どうして,清い心を持 った男が,自分の妻 を生涯愛 しているなどと主張出来るのだ? 起 きている間 しか, しか もその内のひょっと すると,思考の働いている時 しか愛 していないというのに。そんな主張は真を証す もの ではあ り得 ない。何故 なら,眠っている者は,[中略]愛 してはいないのだか ら。眠って いるあいだ人は言わば死んだ状態にあるのであって,それゆえ眠 りと死 とが兄弟 と言わ れるのは偶然ではないのだ。 眠 りの時間 とはつ ま り浪費であ り,従 って罪悪なのだ。」

(192)エ リーアスは,今 までの自分のエルスベ トへの愛 は中途半端であったから,向後

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神への反抗 という遊び 105 一瞬た りとも眠 らないことを決意 し,ベ ラ ドンナなど有毒植物を食べて興奮状態を保 ち つつ,エマ‑川のほとりで7日の聞眠 らずに過 ごしたあ と,死んで しまう

発見 されなかった 「天才」?

前述 した様にこの小説 は,俗物的農民社会の中で潰 されてい く音楽的天才の物語 とい う側面 を持っている。 また,F眠 りの兄弟』 という題名 は死 を意味 してお り,この言葉 は,主人公がオルガンコンクールで即興演奏のモチーフとして与えられる課題,バ ッハ の F十字架 カンタータ』のコラールのテクス トか ら取 られている。つ ま り様々な面で こ の作品は音楽小説なのである。ところで音楽小説あるいは音楽家小説 と言 えば,E IT ・ A ・ホフマ ンを初め として, トーマス ・マ ンの Fブデ ンブローク家の人び と』や Fドク

トル ・ファウス トス』 など多 くの作品が思い浮かぶが, トーマス ・マ ンよ りも9歳年 長 の作家エー ミール ・シュ トラウスに F友人ハイン』 とい う音楽的神童 を扱 った小説があ り,これなどは,周囲の無理解によって若い才能が抑圧 され,生 きる糧 を失った主人公 がピス トル自殺を遂げる, という内容で, F眠 りの兄弟』 に近いものを持 っている。つ ま り 「天才」,妨げ られた発展」,失恋」,「自殺」 といったモチーフは過去の手垢にまみ れた ものであるが,この作品の語 り手は,こうしたモチーフを何 ら疑念 な く用いてお り, 天才崇拝の時代に生 きる人の棟に見える。 「生 まれなかった人びと」 と題 された章で彼 は 次の様にコメン トする。 「ソクラテスが最高の思想家で, イエスが最大の愛の人,レオナ ル ドは最 も優れた造形家 で,モーツアル トが最 も完壁 な音楽家,などということはあ り えない。全 く別の名前が この世界の行程 を決めていた ということもあ りえたであろ う, こう考 えて我 々は,こうした無名の人々,生 まれてはいなが ら, しか し生涯のあいだ本 当の意味では生 まれなかった人々を惜 しむ。 ヨハネス ・エ リーアス ・アルダーは,こう した人々の一人なのである。」(14)ヘルムー ト・カラセクはこの小説 を,環境ゆえに没 落せ ざるをえない天才 を扱 った作品 とい う意味で,俗物社会への風刺 に満ちた小説, と 受け止めてお りlo),著名 なオペラ演出家のアウグス ト ・エヴァ‑デ イングは作品のメ ッ セージを,「才能を認め ようとしない者,あるいは才能 を認めてもその認識にあらがお う とす る者凡てに対する告発」11)である と捉 えている。

の 使 徒

しか し,主人公の天才が発見 されなかった,あるいはその発展が妨 げ られた, とい う ことは必ず しも彼の死の直接の動機 とはなっていないoそjtどころか彼がオルガンコン クールで優勝 したこと,彼が人びとをその音楽によって催眠状態に落 とす術を心得てい たこと,そ してオルガ ンコンクールのあ と,事実,その場 に居合せた教授の一人が主人

10) DasllterarlSCheQuarlelt=Diskussionuber"SchlafesBrudef",a.a.0"S.65E. ll) Everdlng,August:I‑aJ/da/Z'oaFfRobe,/SC/Nle'de,lln:Mofitz,Rainer(HlSg.):Uber

"LfC/MajTeBr+Jdcr̀',aa,S・31‑35,hierS.35・

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106

公の家へ彼の身を引 き取 りたいと申 し出たことは,彼が決 して発見 されなかった訳では ないことを示 している。 なるほどこの教授の申し出は主人公の死後家 に届 くのではある が, コンクールの結果 を考 えれば,エ リーアスはこれを充分予測で きた筈であるoベー ターもまたコンクールのあ と,彼に,「今や どれほど輝か しい将来が彼 に微笑み掛 けてい るか」(186)を熱烈に説いている。す なわち,エ リーアスは発見 されなかったか らそれ に絶望 して,あるいはそれへの抗議 として死 を選ぶ訳 ではない。彼 は最後には発見 され たのであ り,それで も彼 は,神によって与 えられたその才能をあえて捨て,愛を選ぶの である。主人公が 自分の才能に関 して誰かに抗議 しているとすれば,それは才能 を抑圧 されたことや,才能が発見 されなかったことに対 して よ りもむしろ,選 りにも選ってこ の小 さな山村の農家の息子 に才能が与 えられた, とい うことに対 してである。語 り手 自 身それを,神による 「悪魔的計画」(13)と呼び, この本 を 「神に対す る告発」(13)で あるとしている。

主人公の死の動機 となっているのはむ しろ,エルスベ トへのかなわぬ愛である。先 に 触れた棟 に,主人公は真の愛の姿 を,眠 りを絶つ ことによって実現 しようとするわけで あ り,その過程で必然的に死に至るのである。むろんこれは,マルテ イン ・デリイの指 摘 を待つ まで もな く,奇妙な論理である。「死者は愛することが出来 ない。ゆえにエ リー アスは眠ろうともしない。何故なら,死 は眠 りの兄弟だか ら。結局彼 は眠 りをベ ラ ドン ナを食べて追い払い,その際惨憤たる くたば り方 をするJ12)この小説がエルスベ トへの 激 しい情熱 をテーマに していることは,物語の随所に読み取ることが出来る。「心臓 の鼓 動」 という言葉が繰 り返 し使われ,二人の心臓が重 な り合い,エルスベ トの胸の鼓動が エ リーアスの胸の鼓動 に受け継がれてい く棟 を叙述す る二度の場面 (78,140)は,熱っ ぽい調子で歌われる。神 によってエルスベ トへの愛か ら解放 された筈の主人公は,オル ガンコンクールで演奏 してい引取 突然,エ)レスベ トの鼓動を再び耳 にするo「そ して彼 は, この鼓動が聞えな くなるのではないか と思い,落 ち着 きを失った。 しかしその リズ ムはそこに留 ま り,彼 自身の心臓の鼓動 と溶け合った。そ して,エ リーアスが再 び愛す るということが起 こったのである」(177)この場面 は,エ リーアスの愛の復活 として, 重要 な転換点である。何故 なら,以前エ リーアスがエルスベ トを愛 したのは,神に よっ てそ う定め られていたか らであった。神への抗議の中で彼 自身次の棟 に訴えている。 「 故僕の心はエルスベ ト‑の情熱に燃 え上が らねばならなかったのだ? 神 よ,僕が自分の 意志でエルスベ トを選んだとでも言 うのか? 僕を彼女 に導いたのはあなただった。それ ゆえ僕は従 ったのだ。何故 なら,それがあなたの意志 だ と思ったか ら。強力なるもの よ!

どういうことだ? あなたは僕が道に迷 う棟 を見て楽 しむことが出来 るのか?」(144)こ の訴 えのあ と,神はエ リーアスを哀れに思いその愛か ら解放する。従 ってコンクールの 際にエ リーアスが再びエルスベ トを愛 し始めるのは,神の意志によるのではなく,エ リ ーアスの全 くの自由意志 なのである。エルスベ ト‑の情熱 を解かれたあ と,生に対す る

12) Doefr),,Martin:ELP'f/e'7′〝0R)lot/Pe".a.a.0.,S.257

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神への反抗 という遊び 107 限 りない倦怠感の中で,彼 は次の様に自問 していた。 「どうだろう? 僕が もう一度愛 し 始めた とした ら? どうだろう? 僕が本当に神の計画 に逆 らった とした ら? 希望のほ とん どない情熱です ら,何 も情熱が無い よりはまだ耐 えやすい(153)こう考えなが ら,無論情熱 というものは都合良 く湧いて くるものではないか ら,オルガンコンクール の時までの彼は,無感情 ・無感動なままであ り,それが, 自ら音楽す る中で,再び,杏 蹟の如 くに愛の復活 をみるのである。 こうした意味で, ライナー ・モー リッツが この 小説 を,凄まじい速度で技術化が進む冷たい合理性 の時代の中で, 「大いなる感情」 や

愛」 に絶対的な信仰告 白をした もの, と捉 えるの ももっともであるO'3)

人 伝

愛 に死 は付 きものである如 くに, この小説で も,主人公の愛は必然的に死へ と至 る。

天才,餐,死,眠 り.‥並べて見るとこの作品が多 くの読者の心を捉 えるの も当然 と思 われる。何れ も読者 を陳腐 な日常世界か ら, 目くるめ く夢の世界へ と誘 って くれそ うな 事柄である。 しか し,主人公は何故死ぬのか。眠 りを拒否すれば死に至 るという当然の 事実 を,彼 は理解 しなかったのだろうか。 この問いこそが,この作品のテーマを解 き明 かす鍵 となる。 この作品は,聖人伝説や聖書その もの を思い起こさせ る表現に富んでお り,それゆえ,ウルリヒ・H・J・ケル トナーは,嵐の湖上で眠 りにつ くイエスと,愛の ために眠 りを拒否するエ リーアスを神学的に対比 しているし,マルク ・ヴェルナ‑は聖 人伝説 というジャンルを文学的伝統の中に遡 ってこの小説 との相違 を論 じている。l) ま り,愛や死や眠 りは,ロマ ン的概念であると同時に,宗教的概念で もあ り,作中で神 や奇蹟 とい う言葉が頻繁に使われるの も,この小説の持つ聖人伝説的,奇蹟物語的雰囲 気に合致 している。 しか しこの小説の宗教性 というのは,前述の二人の論 を待つ まで も な くかな り怪 しいものであ り,エーリヒ ・ハ‑クルの言葉 を借 りれば,「不信心な聖人伝 」15)であって,マルク ・ヴェルナ‑の指摘する如 く,宗教的敬慶 を高めるとい う聖人 伝説本来の 目的 と東経 している以上,狭 い意味での 「聖人伝説」ではない。そもそ もエ リーアスの愛 とはあ くまで性愛なのであって,ここで歌われている 「愛」や 「情熱」 と は地上的なものである。つ まり,この小説はむ しろ聖人伝説のパロデ ィーであって,宗 教的体裁 を使って遊んでいるのだ と言 える。それどころか,主人公の死の動機を考 えれ

13) Morilz,Rainer:N''dwJHd/bhe鹿∫.L以/a/e∫BrJ'der.・daJ(U")E'k/aJ//'rbcem/e∫E'Pw5, a.a.(⊃.S.23.

14) vgl.=K6rtner,UrlichH..:L/'ebc,Lfc/'/a/dTod.EL〝//wo/og'C/PeT/C〃〟{/'("Robc' st/Me,'de'TRomdJJ"Slb/aJe∫Bn,der",In:Moritz,Rainer(HfSg.)‥Uber"Lfth/a/e∫B171de'",a.a.0,, S・921100;Werner,Mark=Lfc/J/GJTe∫B17'de eeHc/I/Be/eBCJlde日 n:MofltZ,Ralner(Hrsg.)=

Ubc"Lfc/MajTe∫B'yder",a.a.0.S.1001123.主人公はエルスベ トへの愛 を真 に生 きることに よ り神の意志 を成就 しようとしたのだ, と考えるヴェルナ‑の解釈は,私には納得出来 ない。

15) Hackl,Erich:Legc7deo"I∫Cb/aj70eJ7MLJl伽 .In:DleZeit(2.10,1992).

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LOB

ば,反宗教的 とす ら言 うことが出来る。す なわち,エ リーアスは天賦の才 を死 とい う形 で捨てることで神 に逆 らうのであ り,神の気が変わってエルスベ トへの愛か ら解放 され ると, 自力でエルスベ トへの愛を復活 させて,神の気紛れに抗議す るのである。眠 りの 拒絶はある意味で人間の限界への挑戦であ り,不完全 な存在 としての 自らを神に も比肩 する完全な存在へ高めんとする不遜な挑戦である。す なわち,ここに描かれているのは, 運命 と人間の闘争であ り,神 と人間との戦いなのである。当然,エ リーアスは死に至 ら ざるを得 ないが, 自らの力で愛が実現で きないのであれば,死ぬことによって自分 を意 のままにせんとした神 に報いる, とい う意味 もあった と思われる。16)語 り手は,オルガ ンコンクールで演奏す る主人公を次の様 に描いている。 「死に対 して,運命に対 して,い や,神 に対 して どの様 に反抗 しなければな らないか を彼 は,こうした形で表現 しようと した。突然の沈黙,耐 え難い休止 としての死。そ して虐げられた人間。 甲斐無 き祈 りの 中で人間が叫び声 を上げる様。着ていたシャツを引 き裂 き,髪を掻 きむ しり,錯乱 して 呪jJlを始める様。 しか しいつ も地面 に投 げ返 される様。何故なら, どんな反抗 も何 の役 にも立たないのだ。神 は意地悪い,勝の無い子供なのだか ら」(174)この演奏で彼 は, 神への信心ではな く,神への反抗 を 「説教 している」 (175)のであって,イエスの死の 場面 をも想起 させるエ リーアスの死の描写は,神に逆 らい自らの情熱 に殉ずる予言者 を 描いている棟に読める。

こう考 えて くると, この小説の もう一つの性格,エ ツシュベルクとい う農村の年代記 とい う側面 も,同 じ相の下に読むことが出来る。先に述べた様に, この小説は主人公 を 叙述の中心に据えなが らも,繰 り返 しエ ツシュベルクの住民達の一見本筋 とは関係 ない エ ピソー ドを挿入 しているが,このことは,この作品がその冒頭に述べ られている様 な

音楽家 ヨハネス ・エ リーアス ・アルダーの物語」 (9)であるばか りでな く,20世紀初 めに消滅 したエ ツシュベルクという架空 の村の村物語で もあることを示 している。17) 偏

狭で俗物的,利己的な農民たちの中で疎外 される芸術家 という構図は,無論この作 品に

反郷土小説」 という性格 を付与するが,反郷土小説 も郷土を描いた ものであることに変 わ りはな く,作者 シュナイダーの関心が フォラールベルクの風土 と人間性に向け られて いることは,のちに発表 された F宙 を行 く女』 と F汚jtなき人々』18)を彼が F眠 りの兄 16) 144頁の神に対する主人公の言葉がこのことを示 している。 「今 この時点か ら,最 早あなたの力 を僕の内に働かせは しまい。そ して僕, ヨハネス ・エ リーアス ・アル ダー が没落す るとすれば,それは僕の意志 なのであ り,あなたの意志ではないのだI

17) 但 し,農村の 日常生活 を牧歌的に描いた狭 い意味での村物語 ではなく,む しろ 19世紀の村物語 とい うジャンルの語 り口を借 りて 「奇談」 を語 った ものであることは, 次の論文 に指摘 されている。Vgl.:Zeyrlnger,lQaus:Ee/deJSf''ejb7JderodorDereJk/el'de/e ELtdLJer.Robe'ナS{/'〟e/derlDoll‑Gc/wC/we.In:MorltZ,Ralner(Hrsg.):UbeJ・"Sl/U/a/e∫Bmder", a.a.0 ., S.55‑79.

18) sclm elder,Robert:D/eU"bcJ7カ′fe.Roman.Munchen(Knaus)2000.

(8)

神への反抗 という遊 び 109 弟1 と一纏めに 「ライ ンタール三部作」19)と呼び,引 き続 きフォラールベルクを舞台 と

しているところか らも解 る。

導入章 に続 く二番 目の章は 「最終章」 と題 されてお り,物語の終 りと呼応 している。

すなわち,小説ではエ リーアスが死んだあ と,村が二度 目の火災,三皮 目の火災に襲 わ れ,頑固な‑老人を除いた凡ての人間が村 を捨て,その20年後にこの老人 も餓死す るこ とによって,村がついに消滅するところまで語 られるのであるが,初めの 「最終章」 で は, この三度 目の火災 と,村 に残った老人コスマス ・アルダーの餓死か ら語 り始め られ るのである。エリーアス誕生か ら村の消滅 までがつ ま り,この作品に描かれた時間なの であ り,一見関連が無い様に見えるエ リーアスの死 と村の消滅,す なわちコスマス老人 の餓死 は,実は強い内的関連を持っているO物語の中で,三度 目の火災のあとに述べ ら れる語 り手のコメン ト,人々は 「神が この地に人の住 むことを決 して望 まなかったのだ と悟 った」(10,202)という言葉は,神 とエリーアスの闘争が,神 と村 人達の戦いを代 表 していたのであ り,ひいては神 と人間 との戦いを象徴 しているのだ ということを気付 かせ る。 コスマス ・アルダーは,小説の結末から解 る様 に,エルスベ トとルーカスの第 一子であるが,エ リーアスに似た頑固 さを特徴 とす るO堕胎罪ゆえに教会か ら埋葬 を拒 まれた娘 を自宅の地下室 に葬ったコスマスは,三度 目の火災の際,その地下室に寝てい て命拾いする神が しでか したことを今 目の当 りに したコスマス .アルダーは, 自分の 家に留 まり,何 もせずに最後の審判の 日を待 とうと心に決め」るが,二十年後には, きることに疲れ,全 くの反抗心か ら,餓死」(12)す るのである。彼 は食べ ようと思 え ば森で何で も食べるものを見付けることは出来たのだが,あえてそれをせずに死ぬので あって,眠 りを拒否 して死んだエ リーアスに良 く似 ている。それどころか語 り手はこの 頑固さを村人全体の特性であると説明す る。 「こうしてアルダー一門の末商であ り同時に 最後のエ ツシュベルク人で もある男は, またしても,あの宿命的で強情 な性格を示 した のであった。そ もそ も村人の誰 もが,数世紀に渡 って 自分の もの としていたあの性格 , 結局の ところ村が消滅す る原因ともなったあの性格 をである」(12)。つ まりエ ツシュベ ルクは,村人達が神の意志 を強情に拒み,自らの意志 を押 し通そ うとしたがゆえに滅 ん ど, と言いたげである。すなわち自然 を克服 しようと企て,この山間の地に集落 を構 え た人間の行為 自体が不遜であ り,これを神は良 しとしなかった, とい うことになる。三 度 目の火災の夜人々は,憤 りと傷心のあまり,喚 き,罵 り,泣 きじゃ くりながら」 (ll) エマ‑川 を下 って村 を去 り, コスマスは焼死 した と考 えて,彼の為 に鎮魂曲 「怒 りの

日」 を歌 う(ll)。 この怒 りも,エ リーアスの死 を見届 けたあ と,主の御名に費 えあ れ」 と唱 え 「悲 しみか らというよ りもむ しろ憤 りか ら」 (200)すす り泣 き始めるベ ー ターのそれに良 く似ている

19) ラインタール とはフォラールベルクのライン河畔地方のこと。

(9)

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ここまではこの小説 を内容面か ら読 み解 いて きたが ,次に表現面 につ いて考察 したい と思 う。そ もそ もこの作品が23の出版社 か ら拒絶 された大 きな理由は,その言語 にあ っ た と考 え られる。 「誰が こんな奇妙 な言葉 で書かれた本 を読 むとい うのだ」 というのが, 拒絶 した出版社側の言 い分 だった とシュナイダー 自身述べている。20)これ とは裏腹 に, 出版後書 かれた多 くの書評 は, この本の言語の特殊性 を,作品の幻想世界へ誘 う手段 と

してむ しろ肯定的に評価 し,内容に即 した もの と捉 えている。それは, 「地域的な表現 , 古 めか しい表現 に満 ちた言語」 (トーマ ス IE ・シュ ミッ ト)21)であ り,擬古 的 な言 語」(ジークリンデ ・ガイゼル)22)であ り, 「洗練 された骨董の様な言語」 (フランツ ・ロ クァイ)23)と評 される。 しか しここには,作 品の舞台である19世紀の ものではない極 め て今 日的な語桑 も額出す る。 「非常に古 い言語 と非常 に現代的な言語 を混ぜ合わせた技巧 的な言語」2J)と,ヘルムー ト ・カラセ クは特徴づけるが, フォラールベ ルク人に しか解 らない方言 も多用 されている。 こうした文体 は,読者 に少 なか らぬ忍耐 を強いる一方 で, 作 品に不可思議 な雰囲気 を与 えているこ とも確かで,歴 史的体裁の物語 を好む読者 の興 味 を引 こうとい う下心 も窺 える。書 き手 はそ うした語桑 を使 うことで言 わば遊んでい る のであ り, この遊び とい う要素は, この小説の語 り方 に も明瞭に読み取 ることが出来 る。

物語 の語 り手 は,一人称複数,いわゆる尊貴の複数形 で 自らを呼ぶ,年代期作者風 の, 読者 に呼 びかけた り自分の省察 を頃繁 に差 し挟んだ りす る,アウク トリアールな語 り手 である。 この語 り手 は,時に登場人物 を批判 した り,皮 肉っぼ く突 き放 した り,そ うか と思 えばかな り赦 した調子 で主人公 に味方 した りもす る。ヘルマ ン ・ヴ ァルマ ンはこの 語 り手 を特徴づ けて, 「距離 を保つ こ とと心か ら関心 を寄せ ることとの極めて独特 な統 一」25)が見 られると述べているが,パ トス とイロニーの不思議な混緒 は,その独特 な言 語 と共 に, この作 品の形式面での特質 となっている。

冒頭 で既 に語 り手 はエ リーアスの最期 を 「信 じ難 い (unglaublich)」 とか r劇 的 な (spektakular)」 (9)とい う言葉で形容 し,「聴覚の奇蹟」 の章では,エ リーアスの体験

20) cefha,M血 ael=Mc"IbeJferT'en"'{/we,.b〝JlC/"elks/IInleT,lew・In:DerStandard,31112・

1997/1.1.1998.gl.auch=KfuSe,BernhardArnord=ZJJか7eJ'/"J''lRebe./.fl/Me/Her.In=Der Dcutschunlerricht48(1996).H.2.S.931101,hlefS.100.

21) schmldt,ThomasE.:Dd∫GcC,da∫ke/'JJeS"de.In:FrankfurterRllndschau(10.10.

1992).

22) Geisel,Siegllnde:GoHe∫SC/MtfeJl4"'e/, a.a.0.

23) Loquai,Franz:De'.Gc/'C/"Jt'?a/IBeJlJC/hr.In:M⊥ltelbayerlSCheZeitung・Beihge"Das neueBuch",5.5.1993.

24) DaslltefarlSCheQuaftelt:DISkussiontiber"SchlafesBfuderH,a.a.0.,S.67.

25) wallmann,Hermann:R/a"g"etfeJ)KhwgJ/hrw'C,R/aJ/gnWCre,RXa"g'te".In=Suddeutsche zelng(30.9.1992).

(10)

神への反抗 という遊び 111 を描写 しなが ら 「言葉が何になるのかl」(38)と叫んでいる。ゼフ ・アルダーが,農家 の仕事をするのに学問は不要だ,と言えば,彼の言葉は正 しかった。残念ながら」 (57) と,論評を加える。登場人物の考えや印象を叙述する際にも,彼 らの考えたことをその まま再現することは決 してせず,語 り手がそれを代弁する形の間接話法か,体験話法 を 用いる。つまり,常にそこには語 り手が介在 していて,彼 らの内面 を見通 しているので ある。例 えば次の箇所は語 り手が主人公に肩入れ して体験話法へ と変 っていく好例であ る。 「彼の心の動揺はその偽 りを罰せ られ,希望は彼の内に満ち溢れた。そして彼 は紺 碧の空の中に叫んだ, 自分はエルスベ トなくして最早生 きられないと。ああ,エルスベ トが神 によって彼に定め られたとい うことを, どうして彼は疑 うことが出来たのか! (140‑141)エリーアスが初めて村人の前でオルガン演奏する日のことを先取 りした箇所 では, 「我 々は1820年のイースターの ことを考えて,喜びに胸が高鳴るのを感 じる」

(67), とあるOこうした語 り手の素朴 な感情の吐露が其処此処に現われる一方で,語 り 手が登場人物を突 き放 し,あざ笑 うか とも思える記述 も頻出する。例 えばエリーアスの 兄フリッツについては次の様にコメン トされる。「それでは兄フリッツは? 我々は,級 が我 々の関心を引かないことを隠さず認める。フリッツは一生のあいだ全 く取るに足 ら ぬ人間であったか ら,我々は出来れば彼の存在を読者の前で打ち消 したい程である。彼 は例の,全 く意味の無いタイプの同時代人であった。そ して事実,フリッツ ・アルダー の口か らは一言の言葉 も我々に伝えられてはいない。仮に一言伝えられていたとして も, それは我 々の関心を引 きはしないだろう」(51)

つ まりこの語 り手は,登場人物の心理 も,これか ら起 こるであろう出来事 も,凡てを 知っている神の如 き語 り手であ り,気紛れで,しば しば脱線 し,コメン トを好み,語 り た くないことは 「知 らない」 とうそぶ く。そして必要 に応 じて音楽小説や村物語,聖人 伝説など,様々な文学 ジャンルの口調 を模倣するのである。年代記作者である筈の語 り 手がこうした態度を取ることは,物語の破綻にもな りかjaないが,実はそれがアウク ト リアールな語 りという体裁を用いた遊びであることは,この語 り手が,神そのものを作 中に登場 させ,神の心理をも描写することで明らか となる。エリーアスの前に神が勝の ない子供の姿で現われる章のタイ トルか らして既に 「神はエリーアスを恐れる」(142) という心理描写である。次の章で語 り手は神の動機を説明する。「エ リーアス ・アルダー はそれを理解 しようとはしなかったが,実のところ神は彼をエルスベ ト・アルダー‑の 愛か ら解放 したのであった。神は彼 を生かそうとしたのである。何故 なら神は,この人 間が どれほど愛に苦 しんでいるかを目にした時,後悔 に駆 られたか らであったoJ(160)

こう考えて くると,この小説の語 り方が,小説その ものの内容に即 したものであるこ とが解る。つまり,作中で主人公やコスマス ・アルダー,村人たちが神に抗い,不遜 に も神に挑戦をするの と同様に,語 り手は,神の様に振 るまい,神の動機をも説明 して見 せることによって,神か らその座 を奪い取ろうとする。主人公のいわば敵役である神が 人間の姿 をして現われること,その神の心理が登場人物の心理同様に描写 されることは, 語 り手が,凡てを見通す超越的存在 としての座を占めたことによって,本来その座 を占

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