• 検索結果がありません。

龍谷大学学位請求論文2014.09.18 赤羽, 奈津子「朝鮮三国時代における対外関係史研究」

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "龍谷大学学位請求論文2014.09.18 赤羽, 奈津子「朝鮮三国時代における対外関係史研究」"

Copied!
420
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

平 成 二 十 五 年 度 学 位 ( 博 士 ) 申 請 論 文

(2)

【 目 次 】 序 論 第 一 節 古 代 東 ア ジ ア 対 外 関 係 史 の 現 在 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 第 一 項 古 代 に お け る 対 外 認 識 と 交 流 範 囲 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 第 二 項 東 ア ジ ア 対 外 関 係 史 研 究 動 向 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 第 二 節 本 論 文 の 課 題 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 第 三 節 本 論 文 の 構 成 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 第 一 章 朝 鮮 三 国 の 対 中 国 関 係 第 一 節 本 章 の 目 的 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 第 二 節 高 句 麗 の 対 中 国 関 係 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 第 三 節 百 済 の 対 中 国 関 係 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 第 四 節 新 羅 の 対 中 国 関 係 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 第 五 節 小 結 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

(3)

第 二 章 高 句 麗 と 粛 慎 朝 貢 第 一 節 本 章 の 目 的 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 第 二 節 粛 慎 に 関 す る 先 行 研 究 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 第 三 節 魏 晋 南 北 朝 時 代 の 粛 慎 朝 貢 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 第 一 項 曹 魏 ・ 西 晋 と 粛 慎 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 第 二 項 南 北 朝 と 粛 慎 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 第 四 節 高 句 麗 と 粛 慎 朝 貢 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 第 五 節 小 結 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 第 三 章 加 耶 諸 国 の 対 外 関 係 第 一 節 本 章 の 目 的 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 第 二 節 金 官 加 耶 の 鉄 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 第 三 節 金 官 加 耶 に 対 す る 倭 の 軍 事 的 援 助 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 第 四 節 加 耶 諸 国 の 衰 退 と 倭 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 第 一 項 大 加 耶 と 倭 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 第 二 項 日 本 列 島 に お け る 製 鉄 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 第 五 節 小 結 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 第 四 章 六 世 紀 の 日 朝 関 係 第 一 節 本 章 の 目 的 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

(4)

第 二 節 欽 明 期 ( 五 四 〇 ~ 五 七 一 ) の 日 朝 関 係 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 第 三 節 敏 達 期 ( 五 七 二 ~ 五 八 五 ) の 日 朝 関 係 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 第 一 項 高 句 麗 と の 関 係 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 第 二 項 敏 達 期 の 対 外 政 策 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 第 四 節 推 古 期 ( 五 九 三 ~ 六 二 八 ) の 日 朝 関 係 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 第 一 項 遣 隋 使 の 派 遣 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 第 二 項 推 古 期 の 対 外 政 策 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 第 五 節 小 結 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 第 五 章 古 代 朝 鮮 半 島 に お け る 仏 教 と 対 外 関 係 第 一 節 本 章 の 目 的 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 第 二 節 高 句 麗 ・ 百 済 の 仏 教 受 容 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 第 三 節 高 句 麗 ・ 百 済 の 仏 教 銘 文 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 第 一 項 高 句 麗 の 仏 教 銘 文 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 第 二 項 百 済 の 仏 教 銘 文 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 第 四 節 高 句 麗 ・ 百 済 の 仏 教 銘 文 と 北 朝 仏 教 銘 文 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 第 一 項 高 句 麗 ・ 百 済 の 仏 教 銘 文 の 特 徴 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 第 二 項 北 朝 造 像 銘 と の 比 較 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 第 五 節 小 結 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

(5)

結 論 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 初 出 一 覧 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 【 凡 例 】 一 、 本 文 の 注 お よ び 表 ・ 図 の 引 用 文 献 は 、 各 章 末 尾 に ま と め た 。 二 、 主 要 な 本 文 引 用 史 料 の 底 本 は 、 以 下 の 通 り 。 ① 『 三 国 史 記 』 … … 『 原 本 三 國 史 記 』 ( 李 康 來 校 勘 、 한 길 사 、 一 九 九 八 ) ② 『 三 国 遺 事 』 … … 『 原 文 三 国 遺 事 』 ( 韓 国 古 典 影 印 寶 、 明 文 堂 、 一 九 九 三 ) ③ 『 日 本 書 紀 』 … … 『 日 本 書 紀 』 ( 坂 本 太 郎 ・ 家 永 三 郎 ・ 井 上 光 貞 ・ 大 野 晋 校 注 、 日 本 古 典 文 学 大 系 文 庫 版 、 岩 波 文 庫 、 一 九 九 四 ~ 一 九 九 五 ④ 中 国 正 史 ・ 『 資 治 通 鑑 』 ・ 『 通 典 』 … … い ず れ も 中 華 書 局 校 点 本 三 、 「 広 開 土 王 碑 文 」 の 釈 読 は 、 武 田 幸 男 『 高 句 麗 史 と 東 ア ジ ア 』 ( 岩 波 書 店 、 一 九 八 九 ) に 依 拠 し た 。 四 、 引 用 史 料 内 の 「 」 記 号 は 筆 者 が 補 っ た 。 ま た 、 ( ) 内 の 語 は 筆 者 の 補 足 部 分 で あ る 五 、 参 考 文 献 に 関 し て は 一 覧 に は せ ず 、 各 章 の 注 に 詳 細 を 示 し た 。

(6)

第 一 節 古 代 東 ア ジ ア 対 外 関 係 史 の 現 在 第 一 項 古 代 に お け る 対 外 認 識 と 交 流 範 囲 対 外 関 係 史 と は 、 人 と 人 と の 交 流 の 歴 史 で あ る 。 交 流 と は 、政 治 ・ 経 済 ・ 文 化 の 三 要 素 が 常 に 複 合 的 に 連 関 し な が ら 展 開 す る も の で あ る 。 対 外 関 係 史 研 究 は 、 こ の 三 要 素 を 意 識 し つ つ 、 国 家 と 国 家 、 地 域 と 地 域 の 交 流 を 総 合 的 な 視 野 に 立 っ て 探 求 し て い く 必 要 が あ る 。 ( 1 ) そ も そ も 人 々 の 交 流 の 範 囲 は 、 自 身 の 所 在 地 を 中 心 と し て 徐 々 に 外 へ と 広 が る も の で あ

(7)

る 。 現 在 ほ ど 交 通 機 関 が 発 達 し て い な い 古 代 に お け る 交 流 範 囲 は 必 然 的 に 限 定 さ れ 、 日 常 的 に 交 流 で き る 地 域 と 、 頻 繁 に 交 流 す る こ と が 困 難 な 地 域 が 生 じ る 。 そ れ は 正 式 な 国 家 間 の 外 交 関 係 に お い て も 例 外 で は な く 、 密 接 な 関 係 を 維 持 で き た の は 近 隣 地 域 な ど に 限 定 さ れ た と 考 え ら れ る 。 交 流 頻 度 に 比 例 し て 、 容 易 に 交 流 で き る 近 隣 に 対 す る 認 識 は 鮮 明 に な り 、 遠 方 に 対 す る 認 識 は 希 薄 に な る 。 こ の よ う な 認 識 は 人 々 の 外 国 観 に 対 し て 少 な か ら ず 影 響 を 与 え た と 推 察 さ れ 、 実 際 の 交 流 活 動 と 対 外 認 識 は 表 裏 一 体 の 関 係 に あ る と い え る 。 中 国 に お い て は 、 強 烈 な 民 族 中 心 主 義 ( et hnocentri sm ) に 基 づ く 中 華 思 想 ・ 華 夷 思 想 を 根 ( 2 ) 底 に 、 五 服 ・ 九 服 と い う 世 界 観 が 確 認 で き る 。 こ れ は 理 念 的 な 世 界 観 で は あ っ た が 、 前 漢 に よ る 西 域 経 営 ・ 朝 鮮 四 郡 設 置 な ど に よ っ て 具 体 的 に 周 縁 の 状 況 が 把 握 で き る よ う に な る

(8)

と 、 周 辺 諸 国 と の 間 に 官 爵 授 受 を 媒 介 と す る 「 冊 封 」 に よ る 世 界 秩 序 が 構 築 さ れ た 。 冊 封 に よ っ て 秩 序 づ け ら れ た 世 界 の 内 部 に 属 す る の は 、 朝 貢 な ど に よ り 中 国 と 定 期 的 か つ 相 互 的 関 係 を 有 し た 国 ・ 地 域 で あ る 。 そ こ で 、 理 想 的 な 世 界 観 で あ っ た 五 服 ・ 九 服 は 、 よ り 具 体 性 を 持 っ て 理 解 さ れ る よ う に な っ た 。 ( 3 ) こ う し た 中 国 を 中 心 と す る 世 界 観 を 積 極 的 に 受 容 し 、 そ の 内 部 に 自 身 を 位 置 づ け よ う と し た の が 朝 鮮 諸 国 で あ る 。 朝 鮮 諸 国 は 国 家 形 成 の 諸 段 階 に お い て 、 政 治 ・ 経 済 ・ 文 化 な ど 様 々 な 面 に 対 し て 、 直 接 的 に 中 国 の 影 響 を 受 け て い る 。 特 に 中 国 文 化 の 受 容 と い う 観 点 か ら 見 れ ば 、 中 国 周 辺 諸 国 の 中 で も 最 も 積 極 的 に こ れ を 受 容 し た 地 域 で あ る と 指 摘 す る こ と が で き る 。 高 句 麗 ・ 百 済 ・ 新 羅 に よ る 三 国 鼎 立 時 代 よ り 、 高 麗 ・ 朝 鮮 時 代 に 至 る ま で 、 朝 鮮 諸 国 は

(9)

中 国 に 対 し て 朝 貢 し 、官 爵 を 授 与 さ れ 、常 に 中 国 を 中 心 と す る 世 界 の 中 に 身 を 置 く こ と で 、 国 際 社 会 に お け る 自 国 の 地 位 の 安 定 を 図 っ た 。 そ の 際 、 問 題 と な る の は 、 中 国 に 非 漢 民 族 王 朝 が 立 っ た 場 合 、 こ れ を 正 統 な 「 中 華 王 朝 」 と し て 認 め る か 、 ま た 魏 晋 南 北 朝 時 代 な ど 「 中 華 」 が 分 裂 期 に あ る 場 合 、 い ず れ の 国 家 を 正 統 な る 「 中 華 王 朝 」 と 認 め る か と い う 点 で あ る 。 こ の よ う な 「 中 華 王 朝 」 の 選 択 に は 、 朝 鮮 諸 国 自 体 が 置 か れ た 状 況 が 少 な か ら ず 影 響 す る と 考 え ら れ る 。 ( 4 ) 一 方 、 中 国 を 中 心 と す る 国 際 秩 序 か ら は 一 定 の 距 離 を 保 ち な が ら 、 政 治 ・ 経 済 ・ 文 化 面 に お い て 間 接 的 に そ の 影 響 を 受 容 し た の が 日 本 ( 倭 ) で あ る 。 日 本 も ま た 国 家 形 成 の 諸 段 階 に お い て 中 国 の 影 響 を 受 け て い る が 、 そ れ は 中 国 と の 直 接 交 渉 に よ っ て 獲 得 し た も の ば か り で は な く 、 朝 鮮 諸 国 を 媒 介 と す る も の も 多 か っ た 。

(10)

こ の よ う に 、 朝 鮮 と 日 本 は 同 様 に 中 国 の 影 響 を 受 け つ つ 成 長 し た と い う 点 に お い て は 共 通 し て い る が 、 そ の 受 容 の あ り 方 に は 差 異 が あ っ た こ と が 確 認 で き る 。 問 題 は な ぜ そ う し た 差 異 が 生 じ る の か と い う 点 で あ る 。 こ れ は 、 単 な る 地 理 的 条 件 の み な ら ず 、 朝 鮮 諸 国 ・ 日 本 自 身 が 保 有 し た 対 外 認 識 ・ 交 流 範 囲 の 広 が り の 中 で 検 証 し て い く 必 要 が あ る と 考 え ら れ る 。 第 二 項 東 ア ジ ア 対 外 関 係 史 研 究 動 向 東 ア ジ ア 対 外 関 係 史 を 考 察 す る 上 で 、 重 要 な 意 義 を 持 つ の が 西 嶋 定 生 氏 の 提 唱 す る 東 ア ジ ア 世 界 論 ・ 冊 封 体 制 論 で あ る 。 本 項 で は 、 東 ア ジ ア 世 界 論 ・ 冊 封 体 制 論 を 中 心 に 、 古 ( 5 )

(11)

代 東 ア ジ ア 対 外 関 係 史 研 究 の 動 向 に つ い て 整 理 す る 。 西 嶋 氏 の 東 ア ジ ア 世 界 論 と は 、 上 原 専 禄 氏 の 「 近 代 以 前 に は 一 体 化 さ れ た 世 界 は 存 在 せ ず 、 自 立 性 を 持 ち 、 独 立 し た 複 数 の 歴 史 的 世 界 が 併 存 し て い た 」 と い う 指 摘 を 受 け 、 こ ( 6 ) う し た 歴 史 的 世 界 の 一 つ と し て 「 東 ア ジ ア 世 界 」 に 注 目 し た も の で あ る 。 東 ア ジ ア 世 界 は 、 政 治 圏 ・ 文 化 圏 が 一 体 と な っ た 自 己 完 結 的 な 世 界 で あ り 、 そ の 構 成 指 標 は 「 漢 字 文 化 ・ 儒 教 ・ 律 令 制 ・ 仏 教 」 の 受 容 で あ る 。 こ の 指 標 に 従 え ば 、 中 国 ・ 朝 鮮 ・ ベ ト ナ ム ・ 日 本 を 東 ア ジ ア 世 界 と し て 包 括 的 に 捉 え る こ と が で き る 。 た だ し 、 中 国 文 化 が 独 自 に 波 及 す る こ と は な く 、 中 国 の 政 治 的 権 力 ・ 権 威 を 背 景 に 伝 播 す る 。 そ の 背 景 こ そ が 「 冊 封 」 で あ る と 西 嶋 氏 は 指 摘 す る 。 中 国 を 中 心 と す る 東 ア ジ ア 世 界 で は 、 中 国 と 周 辺 諸 国 の 間 に 爵 位 授 与 ( 冊 封 ) を 媒 介 と

(12)

す る 関 係 が 結 ば れ 、 こ れ に よ り 一 定 の 政 治 的 秩 序 が 形 成 さ れ て い た 。 十 世 紀 に 入 っ て 唐 が 滅 亡 し 、 中 国 が 冊 封 体 制 の 中 心 と し て の 権 威 を 保 持 で き な く な っ た 後 も 、 大 規 模 な 交 易 圏 の 出 現 を 背 景 と し て 、 明 清 時 代 に 至 る ま で 冊 封 体 制 は 維 持 さ れ た と 西 嶋 氏 は い う 。 ( 7 ) こ の よ う な 東 ア ジ ア 世 界 論 ・ 冊 封 体 制 論 に つ い て は 、 中 国 を 中 心 と す る 東 ア ジ ア 諸 国 の 関 係 に 一 定 の 規 則 性 を 見 出 し 、 東 ア ジ ア の 対 外 関 係 を 理 解 す る 上 で 重 要 な 論 理 を 提 供 し た と 評 価 さ れ る 一 方 で 、 様 々 な 批 判 も 提 示 さ れ て い る 。 そ の 批 判 は 大 き く 分 け て 、 以 下 の 三 点 に 収 斂 で き る 。 第 一 に 「 東 ア ジ ア 世 界 」 と い う 枠 組 み 自 体 に 対 す る 批 判 、 第 二 に 周 辺 ( 8 ) 諸 国 の 主 体 性 ・ 主 体 的 発 展 を 十 分 に 解 明 で き な い と い う 批 判 、 第 三 に 地 域 ・ 時 代 を 越 え ( 9 ) て 普 遍 的 に 適 用 さ れ る の か と い う 批 判 で あ る 。 ( 10 ) こ う し た 東 ア ジ ア 世 界 論 ・ 冊 封 体 制 論 の 批 判 的 継 承 か ら 、 近 年 、 冊 封 体 制 に 影 響 さ れ な

(13)

い 中 国 周 辺 諸 国 の 自 立 性 と 独 自 の 交 流 に 注 目 が 集 ま り 、 周 縁 と 周 縁 の 関 係 な ど 、 周 辺 諸 国 が 有 す る 独 自 の 国 際 秩 序 を 重 視 し よ う と す る 傾 向 が あ る 。 ま た 、 国 家 関 係 を 相 対 化 す る ( 11 ) 越 境 集 団 や 多 元 的 な 外 交 関 係 、 国 境 は も ち ろ ん 「 東 ア ジ ア 世 界 」 す ら 意 識 せ ず 、 研 究 者 ( 12 ) の 問 題 関 心 に 応 じ て 設 定 可 能 な 「 n 地 域 論 」 や 、 地 域 史 ・ 海 域 史 と い っ た 視 座 が 提 示 さ ( 13 ) れ て い る 。 ( 14 ) 古 代 朝 鮮 の 対 外 関 係 史 研 究 に お い て も 同 様 の 傾 向 が 見 ら れ 、 冊 封 体 制 に と ら わ れ な い 朝 鮮 諸 国 独 自 の 対 外 関 係 が 注 目 さ れ て い る 。 例 え ば 李 成 市 氏 は 、 日 本 と 新 羅 に お い て 律 令 を 中 心 と す る 新 た な 政 治 体 制 が 形 成 さ れ る 時 期 は 、 ど ち ら も 唐 と の 交 流 が 最 も 低 調 で あ り 、 逆 に 日 本 ・ 新 羅 間 の 交 流 が 盛 ん で あ っ た こ と か ら 、 東 ア ジ ア 世 界 の 形 成 は 中 国 と の 外 交 関 係 の み が 決 定 す る わ け で は な い と 述 べ て い る 。 ( 15 )

(14)

ま た 、 鬼 頭 晴 明 氏 は 唐 の 高 句 麗 遠 征 に つ い て 、 「 従 来 、 唐 の 高 句 麗 遠 征 が 大 勢 と し て 国 際 政 治 史 の 基 本 的 要 因 で あ る か の よ う な 見 方 は 正 し く な い 。 周 辺 諸 国 相 互 の 関 係 も そ れ を 規 定 」 し て い る と 述 べ 、 唐 の 高 句 麗 遠 征 が 朝 鮮 半 島 内 部 の 事 情 を 契 機 と し て 発 生 し た と 理 解 し て い る 。 ( 16 ) 以 上 、 東 ア ジ ア 対 外 関 係 史 の 研 究 動 向 を 整 理 す る と 、 「 冊 封 体 制 に 影 響 さ れ な い 」 周 辺 諸 国 の 自 立 的 な 対 外 関 係 が 重 視 さ れ る 傾 向 に あ る こ と が 分 か る 。 古 代 朝 鮮 対 外 関 係 史 研 究 に お い て も 同 様 に 、 例 え ば 日 本 と の 関 係 な ど 、 朝 鮮 諸 国 の 自 立 的 な 対 外 関 係 に 注 目 が 集 ま っ て い る 。 問 題 は 、 朝 鮮 諸 国 の 対 外 関 係 を 考 察 す る に 際 し て 、 何 処 に 視 点 の 中 心 を 置 く か と い う 点 で あ る 。 越 境 集 団 や 多 元 的 な 外 交 関 係 、 あ る い は 地 域 史 ・ 海 域 史 な ど に 注 目 す る 場 合 も 、

(15)

政 治 ・ 経 済 ・ 文 化 、 あ る い は 宗 教 な ど 様 々 な 紐 帯 を 通 し て 、 各 地 域 が 交 流 を 維 持 し て い た こ と を 忘 れ て は な ら な い 。 西 嶋 定 生 氏 の 提 唱 す る 冊 封 体 制 と は 、 こ の よ う な 交 流 の 紐 帯 と し て 「 冊 封 」 に 注 目 し た も の と 理 解 す る こ と が で き る 。 そ し て 、 様 々 な 紐 帯 の 中 で 、 何 を 中 心 に 据 え て 考 察 す る か に よ っ て 、 対 外 関 係 の 広 が り 方 は 変 化 し て い く と 考 え ら れ よ う 。 第 二 節 本 論 文 の 課 題 本 論 文 の 課 題 は 、 朝 鮮 ・ 日 本 の 自 立 性 を 重 視 し つ つ 、 如 何 に し て 中 国 と の 関 係 を 描 き 出 し て い く か 、 中 国 を 中 心 と す る 世 界 に お い て 個 別 的 に 展 開 し た 朝 鮮 ・ 日 本 の 関 係 を 如 何 に

(16)

理 解 し て い く の か と い う 点 で あ る 。 そ の た め に は 、 中 国 を 中 心 と す る 国 際 秩 序 の 中 に 取 り 込 ま れ な が ら 、 そ の 内 部 に お い て 展 開 し た 各 地 域 に お け る 個 別 的 な 対 外 関 係 に も 注 意 を 払 う 必 要 が あ る 。 こ う し た 課 題 を 解 決 す る た め 、 本 論 文 で は 朝 鮮 諸 国 の 対 外 関 係 を 主 軸 に 据 え て 、 日 中 韓 三 地 域 に お い て 展 開 し た 具 体 的 な 交 流 の あ り 方 に つ い て 考 察 し て い き た い 。 朝 鮮 諸 国 の 対 外 認 識 ・ 交 流 範 囲 の 中 に は 、 中 国 ・ 日 本 双 方 が 包 括 さ れ て お り 、 「 朝 鮮 」 を 視 点 の 中 心 に 据 え る こ と で 、 中 韓 ・ 日 韓 関 係 を 総 合 的 に 検 討 す る こ と が で き る と 考 え ら れ る 。 そ こ で 、 本 論 文 で は 朝 鮮 諸 国 の 対 外 関 係 に つ い て 、 「 冊 封 」 を 紐 帯 と す る 冊 封 体 制 の み な ら ず 、 様 々 な 紐 帯 を 設 定 し て 検 討 す る 。 そ の た め 、 ま ず は 中 国 と の 冊 封 体 制 の あ り 方 を 、 朝 鮮 諸 国 を 中 心 に 据 え て 捉 え な お し 、 そ の 他 の 紐 帯 に よ る 対 外 関 係 の あ り 方 と 比 較 検 討 す

(17)

る と い う 手 法 を 取 り た い 。 先 行 研 究 で 指 摘 さ れ る よ う に 、 官 爵 を 媒 介 と す る 冊 封 体 制 は あ く ま で 中 国 と 周 辺 諸 国 の 関 係 を 規 定 す る も の で あ り 、周 辺 諸 国 相 互 の 関 係 を 述 べ る 場 合 に は 有 用 で な い 場 合 が あ る 。 し か も 、 冊 封 体 制 は 必 ず し も 安 定 し た 世 界 秩 序 で は あ り え ず 、 例 え ば 中 国 と 直 接 国 境 を 接 す る 高 句 麗 な ど は 、 冊 封 体 制 下 に あ っ た と し て も 常 に 中 国 の 動 向 に 注 意 を 払 わ な け れ ば な ら な か っ た 。 つ ま り 、 冊 封 関 係 は 理 念 的 な 側 面 が あ り 、 そ こ で 形 成 さ れ た 宗 主 国 ・ 被 冊 封 国 の 関 係 も ま た 実 態 を 伴 わ な い 部 分 が 多 か っ た と 捉 え る こ と が で き る 。 茂 木 敏 夫 氏 は 、 朝 貢 体 制 の 理 念 と 実 態 に つ い て 、 以 下 の よ う に 指 摘 し て い る 。 朝 貢 体 制 に お け る 「 上 国 」 で あ る 中 国 は 、 朝 貢 し て き た 国 に 対 し て 実 質 的 な 支 配 を 及 ぼ す こ と は な く 、 両 国 間 の 関 係 を 律 す る 儀 礼 の 煩 瑣 な 手 続 き さ え 履 行 す れ ば 、 周 辺 諸 国 の 自 主 は 保 障 さ

(18)

れ 、 内 政 ・ 外 交 へ の 干 渉 は 行 わ れ な か っ た 。 周 辺 諸 国 は 自 ら の 独 自 性 と 自 主 を 守 る た め に 朝 貢 国 の 列 に 加 わ っ た と い う 。 ( 17 ) 茂 木 氏 は こ う し た 理 解 を 踏 ま え て 、 近 世 ・ 近 代 に お け る 朝 貢 体 制 に つ い て 論 じ て い る が 、 こ の よ う な 冊 封 体 制 ・ 朝 貢 体 制 の 理 念 と 実 態 は 、 古 代 に お い て も 該 当 す る と 考 え ら れ る 。 特 に 、 南 北 朝 時 代 の 冊 封 体 制 に つ い て は 、 韓 昇 氏 が 「 南 北 朝 時 代 の い わ ゆ る 冊 封 体 制 は 中 身 よ り 形 式 に 流 れ る 面 が 大 き い の に 比 べ 、 隋 の 対 外 政 策 は 権 力 の 実 質 を 求 め る よ う に な っ た 。 即 ち 、 隋 に な っ て 冊 封 体 制 は 質 的 な 変 化 が 起 こ り 、 そ れ は 唐 に よ っ て 継 承 さ れ 実 現 さ れ て い く 」 と 指 摘 し て い る 。 ( 18 ) つ ま り 、 魏 晋 南 北 朝 の 分 裂 期 な ど 、 中 国 が 「 問 罪 」 と し て 朝 貢 国 に 対 し て 武 力 行 使 を 行 う 余 裕 が な い 時 期 に は 、 冊 封 体 制 ・ 朝 貢 体 制 は 理 念 的 な 面 が 強 調 さ れ た と 理 解 す る こ と が

(19)

で き る 。 た だ し 、 例 え 理 念 的 な も の に 過 ぎ な か っ た と し て も 、 魏 晋 南 北 朝 ・ 隋 唐 時 代 を 通 し て 冊 封 を 媒 介 と す る 朝 鮮 ・ 中 国 関 係 は 維 持 さ れ て お り 、 両 国 間 の 関 係 に 一 定 の 秩 序 を も た ら し て い た 事 実 を 看 過 す る こ と は で き な い 。 茂 木 氏 は 、 朝 貢 体 制 に つ い て 「 双 方 に と っ て 軍 事 力 に 必 要 以 上 の 負 担 が か か ら な い 、 き わ め て 安 価 な 安 全 保 障 の た め の 装 置 」 で あ っ た と 指 摘 し て い る が 、 当 然 、 冊 封 体 制 も 同 様 の 機 能 を 有 し て い た と 考 え ら れ る 。 冊 封 体 制 は 中 国 側 の 戦 略 的 打 算 ・ 願 望 の 産 物 で あ っ た と 指 摘 さ れ る こ と が あ る が 、 そ れ が 現 実 的 に 維 持 さ れ た 点 を 考 慮 す れ ば 、 逆 に 朝 鮮 側 に ( 19 ) も 何 ら か の 戦 略 的 打 算 ・ 願 望 が あ っ た と 推 定 す る こ と が で き よ う 。 つ ま り 、 冊 封 体 制 と は 中 国 か ら の 一 方 的 な 押 し つ け の 関 係 で は な く 、 被 冊 封 国 も 中 国 と の 良 好 な 関 係 維 持 や 文 化 導 入 な ど 様 々 な 事 情 の 下 、そ の 関 係 を 維 持 し て い た と 考 え ら れ る 。

(20)

中 国 を 冊 封 体 制 の 中 心 た ら し め る の は 、 朝 貢 な ど 周 辺 諸 国 に よ る ア プ ロ ー チ で あ り 、 中 国 と 周 辺 諸 国 の 間 に 双 方 向 的 な 関 係 が 存 在 し て い た と 想 定 で き る 。 そ の た め 、 周 辺 諸 国 の 自 立 性 を 重 視 す る 場 合 に お い て も 、 改 め て 中 国 と 周 辺 諸 国 の 関 係 を 捉 え な お す 必 要 が あ る 。 そ こ で 本 論 文 で は 、 朝 鮮 諸 国 が 自 国 の 利 害 に 基 づ く 対 外 関 係 を 確 立 さ せ 、 頻 繁 に 中 国 に 朝 貢 使 を 派 遣 し た 五 ~ 七 世 紀 、 所 謂 「 朝 鮮 三 国 時 代 」 に 焦 点 を 当 て 、 朝 鮮 諸 国 の 対 外 関 係 に つ い て 検 討 し て い く 。 た だ し 、 本 論 文 は か つ て 石 母 田 正 氏 が 提 唱 し た 「 東 夷 の 小 帝 国 論 」 の よ う に 、 朝 鮮 や ( 20 ) 日 本 を 中 心 と す る 「 小 中 華 」 に つ い て 考 察 し よ う と い う の で は な い 。 朝 鮮 ・ 日 本 を 取 り 巻 く 対 外 関 係 の 中 か ら 民 族 中 心 主 義 的 な 要 素 を 排 除 し 、 朝 鮮 ・ 日 本 を 中 心 と す る 対 外 関 係 の 広 が り を 検 討 す る こ と が 本 論 文 の 目 的 で あ る 。

(21)

第 三 節 本 論 文 の 構 成 次 に 本 論 文 の 構 成 と 、 各 章 の 課 題 に つ い て 述 べ て お く 。 第 一 章 「 朝 鮮 三 国 の 対 中 国 関 係 」 で は 、 本 論 文 の 導 入 と し て 、 朝 鮮 諸 国 ・ 中 国 間 に お け る 「 冊 封 」 を 紐 帯 と す る 関 係 に つ い て 概 観 し て お く 。 古 代 朝 鮮 諸 国 の 対 外 関 係 史 は 、 一 ~ 四 世 紀 の 中 国 支 配 か ら の 離 脱 期 ( 第 一 期 ) 、 五 ~ 六 世 紀 前 半 の 高 句 麗 の 南 進 期 ( 第 二 期 ) 、 六 世 紀 後 半 ~ 七 世 紀 の 三 国 統 合 期 ( 第 三 期 ) の 三 期 に 分 け て 考 察 す る こ と が で き る 。 そ こ で ま ず 、 本 論 文 の 主 要 な 検 討 対 象 と な る 第 二 期 に お け る 高 句 麗 ・ 百 済 ・ 新 羅 の 対 中 国 関 係 を 中 心 に 、 文 献 史 料 を 用 い て 整 理 を 行 う 。 当 該 時 代 の 朝 鮮 諸 国 と 中 国 の 関 係 に つ い

(22)

て は 、 す で に 先 行 研 究 に お い て 中 国 正 史 な ど に 見 ら れ る 朝 貢 記 事 に つ い て 整 理 ・ 分 析 が 行 わ れ て お り 、 そ の 成 果 に 依 拠 し つ つ 各 国 の 対 中 国 関 係 の 特 徴 に つ い て 指 摘 す る 。 第 二 章 「 高 句 麗 と 粛 慎 朝 貢 」 で は 、 冊 封 体 制 の 下 で 展 開 し た 、 高 句 麗 ・ 南 北 朝 間 の 「 粛 慎 楛 矢 」 を 紐 帯 と す る 関 係 に つ い て 考 察 す る 。 高 句 麗 は 、 広 開 土 王 ( 在 位 三 九 一 ~ 四 一 二 ) ・ 長 寿 王 ( 在 位 四 一 三 ~ 四 九 一 ) に よ る 積 極 的 な 南 進 政 策 に よ っ て 飛 躍 的 に 領 土 を 拡 大 し た 。 こ の 時 期 、 高 句 麗 が 南 進 に 執 心 で き た こ と は 、 背 後 に 存 在 す る 中 国 と 安 定 し た 関 係 を 構 築 す る こ と に 成 功 し て い た こ と を 意 味 し て い る 。 従 来 、 当 該 時 期 の 高 句 麗 対 外 政 策 に つ い て は 、 北 朝 ・ 南 朝 に 対 す る 両 面 外 交 や 、 と り わ け 密 接 な 関 係 を 有 し た 北 朝 と の 関 係 に 対 す る 研 究 が 中 心 で あ っ た が 、 本 章 で は 中 国 正 史 に

(23)

散 見 さ れ る 高 句 麗 に よ る 「 粛 慎 楛 矢 」 貢 納 記 事 に 注 目 す る 。 「 粛 慎 」 と は 中 国 東 北 部 に 居 住 し た と さ れ る 東 夷 の 一 つ で あ り 、 そ の 代 表 的 な 貢 納 品 が 「 楛 矢 」 で あ る 。 魏 晋 南 北 朝 時 代 に は 、 「 粛 慎 楛 矢 」 は 遠 夷 来 貢 の 象 徴 と し て 受 容 さ れ て い た 。 本 章 で は 、 粛 慎 朝 貢 に 高 句 麗 が 介 入 し て い く 過 程 に つ い て 整 理 し て い く 。 そ し て 、 高 句 麗 が 自 国 の 政 策 を 実 行 す る 上 で 中 国 と の 冊 封 関 係 を ど の よ う に 扱 っ て い た か と い う 点 を 明 ら か に し 、 宗 主 国 た る 中 国 と 被 冊 封 国 の 関 係 が 双 方 向 的 な 関 係 で あ っ た 事 例 と し て 確 認 す る 。 第 三 章 「 加 耶 諸 国 の 対 外 関 係 」 で は 、 高 句 麗 の 南 進 の 影 響 を 受 け た 朝 鮮 半 島 南 部 と 倭 の 交 流 に つ い て 、 そ の 紐 帯 の 変 化 過 程 に つ い て 検 討 す る 。 高 句 麗 の 圧 迫 を 受 け た 百 済 ・ 新 羅 を は じ め と す る 朝 鮮 半 島 南 部 諸 国 は 、 互 い に 協 力 し て

(24)

対 抗 し て い る 。 問 題 は 、 そ こ に 倭 が 加 わ っ て 高 句 麗 と 戦 闘 を 行 っ て い る 例 が 看 取 で き る 点 で あ る 。 こ れ は 、 当 該 時 期 か ら 倭 が 朝 鮮 半 島 の 問 題 に 介 入 し て い っ た こ と を 示 し て い る 。 朝 鮮 半 島 南 部 地 域 と 日 本 列 島 に お い て は 、 高 句 麗 の 南 進 以 前 か ら 鉄 な ど を 媒 介 と す る 地 域 間 交 易 活 動 が 活 発 で あ っ た 。 そ の 後 、 高 句 麗 ・ 新 羅 の 圧 迫 に よ っ て 金 官 加 耶 が 危 機 的 状 況 に 陥 る と 、 倭 は 鉄 の 対 価 と し て 軍 事 的 援 助 を 行 う よ う に な る 。 本 章 で は 、 こ の よ う な 金 官 加 耶 と 倭 の 関 係 が 、 そ の 後 の 百 済 ・ 新 羅 と 倭 の 関 係 の モ デ ル ケ ー ス と な っ た こ と を 明 ら か に す る 。 そ し て 、 「 任 那 問 題 ( 金 官 加 耶 領 有 問 題 ) 」 を 媒 介 と す る 関 係 が 存 在 し た こ と を 指 摘 し 、 所 謂 「 中 華 」 の 外 で 形 成 さ れ た 国 際 関 係 の あ り 方 に つ い て 考 察 す る 。 第 四 章 「 六 世 紀 の 日 朝 関 係 」 で は 、 「 任 那 問 題 」 を 媒 介 と す る 百 済 ・ 新 羅 と 倭 の 関 係 に

(25)

つ い て 、 倭 の 状 況 を 考 慮 し つ つ 概 観 し て い く 。 『 日 本 書 紀 』 に よ る と 、 史 料 上 、 倭 と 中 国 の 関 係 が 確 認 で き な く な る 六 世 紀 、 倭 の 対 外 政 策 の 主 要 な 目 的 は 任 那 問 題 の 解 決 に あ っ た 。 倭 は 任 那 問 題 を 共 有 す る 百 済 ・ 新 羅 と の 関 係 を 重 要 視 し 、 遠 方 の 高 句 麗 や 中 国 と の 関 係 を 軽 視 す る 傾 向 に あ る 。 そ れ は 、 当 該 時 期 に お け る 倭 の 対 外 認 識 の 範 囲 が 朝 鮮 半 島 南 部 地 域 に と ど ま っ て い た こ と を 示 し て い る 。 そ こ で 本 章 で は 、 朝 鮮 諸 国 と の 関 係 が 活 発 に な る 六 世 紀 の 倭 の 対 外 政 策 の 主 眼 が ど こ に あ っ た の か 、 あ る い は 倭 の 対 外 政 策 が 朝 鮮 諸 国 に 如 何 な る 影 響 を 与 え た の か と い う 点 に つ い て 、 欽 明 期 ( 五 四 〇 ~ 五 七 一 ) ・ 敏 達 期 ( 五 七 二 ~ 五 八 五 ) ・ 推 古 期 ( 五 九 三 ~ 六 二 八 ) に 区 分 し て 整 理 ・ 検 討 し て い く 。 第 五 章 「 古 代 朝 鮮 半 島 に お け る 仏 教 と 対 外 関 係 」 で は 、 「 仏 教 」 を 介 し た 地 域 間 交 流 に

(26)

つ い て 考 察 す る 。 と り わ け 、 本 章 で は 朝 鮮 半 島 で 発 見 さ れ た 高 句 麗 ・ 百 済 の 仏 教 銘 文 に 注 目 し 、 中 国 の 仏 教 銘 文 と 比 較 ・ 検 討 す る こ と で 、 仏 教 を 介 し た 高 句 麗 ・ 百 済 の 対 外 関 係 に つ い て 概 観 し て い く 。 高 句 麗 ・ 百 済 の 仏 教 銘 文 の 形 式 は 、 概 ね 北 朝 の 影 響 を 受 け た も の で あ る 。 た だ し 、 北 朝 と 密 接 な 関 係 を 有 し て い た 高 句 麗 は と も か く 、 南 朝 偏 重 外 交 を 展 開 し て い た 百 済 の 仏 像 の 銘 文 が 北 朝 様 式 に 類 似 し て い る 点 に は 注 意 が 必 要 で あ る 。 こ れ は 国 家 間 の 関 係 と は 別 に 、 地 域 間 に お い て 技 術 者 な ど の 往 来 が あ っ た 可 能 性 を 示 唆 し て い る 。 そ こ で 、 特 に 銘 文 の 形 式 ・ 内 容 に つ い て 北 朝 仏 教 銘 文 と 比 較 し て 相 違 点 を 抽 出 し 、 地 域 間 交 流 の 担 い 手 に つ い て 検 討 す る 。 以 上 、 全 五 章 に よ る 考 察 を 通 し て 、 様 々 な 紐 帯 に よ っ て 形 成 さ れ た 朝 鮮 ・ 中 国 、 あ る い

(27)

例 え ば 、 国 家 間 の 外 交 は 使 節 の 派 遣 や 外 交 文 書 の や り と り で 済 む わ け で は な く 、 ま た ( 1 ) 問 題 が 当 事 国 同 士 に 留 ま る こ と は 少 な く 、 近 隣 の 諸 国 ・ 諸 地 域 と 複 雑 に 絡 み 合 っ て 展 開 さ れ る 。 石 井 正 敏 「 研 究 史 の あ ゆ み 」 ( 『 東 ア ジ ア 世 界 の 成 立 』 日 本 の 対 外 関 係 一 、 吉 川 弘 文 館 、 二 〇 一 〇 ) な ど 参 照 。 は 朝 鮮 ・ 日 本 の 対 外 関 係 を 総 合 的 に 考 究 し て い く こ と が 、 本 論 文 の 目 的 で あ る 。

(28)

ア メ リ カ の 社 会 学 者 W ・ G サ ム ナ ー W. G. Sumnerm が 一 九 〇 六 年 に 『 フ ォ ー ク ウ ェ イ ズ 』 ( 2 ) ( Folkways ,Boston:Ginn,1906 ) に お い て 提 唱 し た 「 自 分 の 属 す る 集 団 が 文 化 的 に 卓 越 し て い る 」 と い う 概 念 を 指 す 。 本 論 文 で は 、 青 柳 清 孝 ・ 園 田 恭 一 ・ 山 本 英 治 訳 『 フ ォ ー ク ウ ェ イ ズ 』 ( 現 代 社 会 学 大 系 三 、 青 木 書 店 、 一 九 七 五 ) を 参 照 し た 。 唐 代 に 至 る と 、 世 界 を 「 化 内 」 と 「 化 外 」 に 二 分 し て 捉 え 、 更 に 化 外 を 「 蕃 」 と 「 絶 ( 3 ) 域 」 に 区 分 す る よ う に な る 。 『 唐 令 拾 遺 』 雑 令 十 四 に は 「 東 至 高 麗 、 南 至 真 臘 、 西 至 波 斯 吐 蕃 及 堅 昆 都 督 、 北 至 契 丹 突 厥 靺 鞨 、 並 為 入 番 。 余 為 絶 域 」 と あ り 、 『 唐 会 要 』 巻 一 〇 〇 に は 「 聖 暦 三 年 ( 七 〇 〇 ) 三 月 六 日 敕 、 東 至 高 麗 國 、 南 至 真 臘 國 、 西 至 波 斯 吐 蕃 及 堅 昆 都 督 府 、 北 至 契 丹 突 厥 靺 鞨 、 並 為 人 番 、 以 外 為 絶 域 、 其 使 應 給 料 各 依 式 」 と あ る 。 こ こ で は 、 蕃 の 範 囲 を 東 は 高 麗 ( 朝 鮮 半 島 ) 、 南 は 真 臘 ( ク メ ー ル ) 、 西 は 波 斯 ( ペ ル シ ャ ) ・ 吐 蕃

(29)

例 え ば 、 中 国 に お い て 明 が 滅 び て 清 が 立 っ た 際 、 朝 鮮 の 両 班 た ち は 「 湩 酪 腥 羶 」 ・ 「 腥 ( 4 ) 穢 讐 域 」 と し て 中 華 の 地 が 汚 さ れ た と 認 識 し た 。 そ し て 、 中 華 の 正 統 な る 後 継 者 は 朝 鮮 王 朝 に 他 な ら な い と し 、 誇 り を 持 っ て 自 ら を 「 小 中 華 」 ・ 「 小 華 」 と 称 し て い た 。 た だ し 、 そ の 一 方 で 清 に 対 し て は 朝 貢 を 行 っ て お り 、 「 夷 」 と 「 華 」 の 狭 間 で 苦 悩 す る 朝 鮮 王 朝 の 姿 が 垣 間 見 ら れ る 。 山 内 弘 一 『 朝 鮮 か ら み た 華 夷 思 想 』 ( 山 川 出 版 社 、 二 〇 一 〇 、 初 刷 二 〇 〇 三 ) な ど 参 照 。 ( チ ベ ッ ト ) ・ 堅 昆 ( キ ル ギ ス ) 、 北 は 突 厥 ・ 契 丹 ・ 靺 鞨 と 規 定 し て い る 。 こ の よ う に 綿 密 に 範 囲 規 定 が な さ れ て い る の は 、 唐 へ の 朝 貢 使 な ら び に 唐 か ら 派 遣 さ れ る 使 者 へ の 旅 費 ・ 食 糧 給 付 と 関 係 す る た め と 考 え ら れ る が 、 そ れ は 同 時 に 蕃 に 含 ま れ る 地 域 ま で の 使 者 交 流 が 、 規 定 を 設 け な け れ ば な ら な い ほ ど 頻 繁 で あ っ た こ と を 示 し て い る 。

(30)

東 ア ジ ア 世 界 論 ・ 冊 封 体 制 論 に 関 し て は 、 西 嶋 定 生 「 六 ― 八 世 紀 の 東 ア ジ ア 」 ( 『 岩 波 ( 5 ) 講 座 日 本 歴 史 』 二 、 岩 波 書 店 、 一 九 六 二 ) が 代 表 論 文 で あ る 。 上 原 専 禄 『 世 界 史 像 の 新 形 成 』 ( 上 原 専 禄 著 作 集 八 、 一 九 九 三 、 初 出 『 世 界 史 講 座 』 ( 6 ) 月 報 一 、 東 洋 経 済 新 報 社 、 一 九 五 四 ) 参 照 。 冊 封 ・ 朝 貢 に つ い て は 、 フ ェ ア バ ン ク J.K.Fair ba nk な ど の 諸 説 を 批 判 的 に 継 承 し た 浜 下 武 ( 7 ) 志 氏 の 「 朝 貢 シ ス テ ム 論 」 、 茂 木 敏 夫 氏 の 「 中 華 世 界 の 近 代 的 再 編 」 、 佐 藤 慎 一 氏 の 「 万 国 公 法 付 会 論 」 な ど の 諸 説 が あ る 。 浜 下 武 志 『 朝 貢 シ ス テ ム と 近 代 ア ジ ア 』 ( 岩 波 書 店 、 一 九 九 七 ) 、 茂 木 敏 夫 『 変 容 す る 近 代 東 ア ジ ア の 国 際 秩 序 』 ( 山 川 出 版 社 、 一 九 九 七 ) 、 佐 藤 慎 一 『 近 代 中 国 の 知 識 人 と 文 明 』 ( 東 京 大 学 出 版 会 、 一 九 九 六 ) 参 照 。 ま た 、 こ う し た 冊 封 体 制 ・ 朝 貢 体 制 論 に つ い て は 、 村 田 雄 二 郎 「 東 ア ジ ア は ど こ に あ る か ? ― 冊 封 = 朝 貢

(31)

旗 田 巍 「 十 ― 十 二 世 紀 の 東 ア ジ ア と 日 本 」 ( 『 岩 波 講 座 日 本 歴 史 』 四 、 岩 波 書 店 、 一 九 ( 8 ) 六 二 ) 、 菊 池 英 夫 「 総 説 ― 研 究 史 的 回 顧 と 展 望 ― 」 ( 『 隋 唐 帝 国 と 東 ア ジ ア 世 界 』 汲 古 書 院 一 九 七 九 ) 、 堀 敏 一 『 中 国 と 古 代 東 ア ジ ア 世 界 ― 中 華 的 世 界 と 諸 民 族 ― 』 ( 岩 波 書 店 、 一 九 九 三 ) 、 山 内 晋 次 「 日 本 古 代 史 研 究 か ら み た 東 ア ジ ア 世 界 論 ― 西 嶋 定 生 氏 の 東 ア ジ ア 世 界 論 を 中 心 に ― 」 ( 『 新 し い 歴 史 学 の た め に 』 二 三 〇 ・ 二 三 一 、 一 九 九 八 ) な ど 参 照 。 注 旗 田 巍 前 掲 論 文 、 鬼 頭 清 明 『 日 本 古 代 国 家 の 形 成 と 東 ア ジ ア 』 ( 校 倉 書 房 、 一 九 ( 9 ) (8 ) 七 六 ) 、 武 田 幸 男 「 序 説 五 ~ 六 世 紀 東 ア ジ ア 史 の 一 視 点 ― 高 句 麗 『 中 原 高 句 麗 碑 』 か ら 新 羅 『 赤 城 碑 』 へ ― 」 ( 『 朝 鮮 三 国 と 倭 国 』 東 ア ジ ア 史 に お け る 日 本 古 代 史 講 座 四 、 学 生 社 、 一 九 八 〇 ) 、 李 成 市 「 東 ア ジ ア 共 通 の 歴 史 認 識 に 向 け て ― 高 句 麗 史 の 帰 属 問 題 を 中 心 体 制 論 再 考 」 ( 『 ア ジ ア 研 究 』 五 、 二 〇 一 〇 ) に 研 究 動 向 が ま と め ら れ て い る 。

(32)

谷 川 道 雄 「 東 ア ジ ア 世 界 形 成 の 史 的 構 造 ― 冊 封 体 制 を 中 心 と し て ― 」 ( 『 隋 唐 帝 国 と 東 ( 10 ) ア ジ ア 世 界 』 汲 古 書 院 、 一 九 七 九 ) 、 注 山 内 晋 次 前 掲 論 文 、 注 李 成 市 前 掲 論 文 な ど 参 (8 ) (9 ) 照 。 注 山 内 晋 次 前 掲 論 文 、 酒 寄 雅 志 「 華 夷 思 想 の 諸 相 」 ( 『 渤 海 と 古 代 の 日 本 』 校 倉 書 房 、 ( 11 ) (8 ) 二 〇 〇 一 、 初 出 『 自 意 識 と 相 互 理 解 』 ア ジ ア の な か の 日 本 史 Ⅴ 、 東 京 大 学 出 版 社 、 一 九 九 三 ) 、 広 瀬 憲 雄 「 古 代 東 ア ジ ア 地 域 対 外 関 係 の 研 究 動 向 」 ( 『 歴 史 の 理 論 と 教 育 』 一 二 九 ・ 一 三 〇 、 二 〇 〇 八 ) 、 李 成 市 『 古 代 東 ア ジ ア の 民 族 と 国 家 』 ( 岩 波 書 店 、 一 九 九 八 ) 、 注 (9 ) 同 氏 前 掲 論 文 な ど 参 照 。 田 中 史 生 『 越 境 の 古 代 史 ― 倭 と 日 本 を め ぐ る ア ジ ア ン ネ ッ ト ワ ー ク 』 ( 筑 摩 書 房 、 二 ( 12 ) に ( 『 史 海 』 五 十 五 、 二 〇 〇 八 ) な ど 参 照 。

(33)

板 垣 雄 三 「 民 族 と 民 主 主 義 」 ( 『 歴 史 学 研 究 』 別 冊 特 集 、 一 九 七 三 ) 参 照 。 ( 13 ) 地 域 史 研 究 の 動 向 に つ い て は 、 村 井 章 介 「 < 地 域 > と 国 家 の 視 点 」 ( 『 新 し い 歴 史 学 の た ( 14 ) め に 』 二 三 〇 ・ 二 三 一 、 一 九 九 八 ) な ど 、 海 域 史 研 究 の 動 向 に つ い て は 、 桃 木 至 朗 編 『 海 域 ア ジ ア 史 研 究 入 門 』 ( 岩 波 書 店 、 二 〇 〇 八 ) な ど 参 照 。 注 李 成 市 前 掲 論 文 参 照 。 ま た 李 成 市 氏 は 、 日 本 出 土 木 簡 は 中 国 出 土 木 簡 と の 類 似 性 ( 15 ) (9 ) が ほ と ん ど な い が 、 近 年 出 土 例 が 増 加 し て い る 韓 国 出 土 木 簡 と 類 似 し て い る 点 を 指 摘 し て い る 。 こ れ は 中 国 か ら 伝 播 し た 漢 字 文 化 が 、 朝 鮮 半 島 ・ 日 本 列 島 相 互 の 関 係 に よ っ て 独 自 の 変 化 を 遂 げ た も の で あ り 、 そ の 変 化 の 過 程 に 中 国 の 権 威 が 直 接 的 に 影 響 し た と は 考 え ら れ な い と い う 。 同 氏 「 東 ア ジ ア 世 界 論 再 考 ― 地 域 文 化 圏 の 形 成 を 中 心 に ― 」( 『 歴 史 評 〇 〇 九 ) 参 照 。

(34)

注 鬼 頭 晴 明 前 掲 書 、 一 二 七 頁 。 ( 16 ) (9 ) 茂 木 敏 夫 「 中 国 か ら 見 た 〈 朝 貢 体 制 〉 ― 理 念 と 実 態 、 そ し て 近 代 に お け る 再 定 義 ― 」 ( 17 ) ( 『 ア ジ ア 文 化 交 流 研 究 』 一 、 二 〇 〇 六 ) 参 照 。 韓 昇 「 隋 と 高 句 麗 の 国 際 政 治 関 係 を め ぐ っ て 」 ( 『 堀 敏 一 先 生 古 稀 記 念 古 代 中 国 の 国 ( 18 ) 家 と 民 衆 』 、 汲 古 書 院 、 一 九 九 五 ) 参 照 。 注 旗 田 巍 前 掲 論 文 、 注 鬼 頭 清 明 前 掲 書 、 注 武 田 幸 男 前 掲 論 文 、 注 李 成 市 前 掲 ( 19 ) (8 ) (9 ) (9 ) (9 ) 論 文 参 照 。 石 母 田 正 氏 は 、 倭 は 四 世 紀 末 に 任 那 ( 現 在 の 慶 尚 南 道 金 海 市 ) に 任 那 官 家 を 置 き 、 百 ( 20 ) 済 ・ 新 羅 を 朝 貢 国 と 認 識 し 、 そ の 支 配 を 承 認 し て も ら う た め に 中 国 の 冊 封 を 受 け 、 「 小 帝 論 』 六 九 七 、 二 〇 〇 八 ) 参 照 。

(35)

国 」 と し て の 地 位 確 立 を 目 指 し た と 指 摘 し た 。 石 母 田 正 「 日 本 古 代 に お け る 国 際 意 識 に つ い て ― 古 代 貴 族 の 場 合 」 ( 『 思 想 』 四 五 四 、 一 九 六 二 ) 、 同 氏 『 日 本 の 古 代 国 家 』 ( 岩 波 書 店 、 一 九 七 一 ) 参 照 。 た だ し 、 『 日 本 の 古 代 国 家 』 に お い て 石 母 田 氏 自 身 が 「 東 夷 の 大 国 」 と い う 語 を 使 用 し て い る こ と か ら 、 こ の 時 点 で 「 東 夷 の 小 帝 国 」 と い う 認 識 は 薄 れ て い た と い う 指 摘 も あ る 。 大 町 健 「 『 日 本 の 古 代 国 家 』 に お け る 二 元 的 構 造 論 の 克 服 と 残 存 」 ( 『 歴 史 学 研 究 』 七 八 二 、 二 〇 〇 三 ) 参 照 。

(36)

第 一 節 本 章 の 目 的 古 代 朝 鮮 諸 国 の 対 外 関 係 史 に つ い て は 、 お よ そ 以 下 の 三 期 に 区 分 す る こ と が で き る 。 第 一 期 は 、 一 ~ 四 世 紀 の 中 国 支 配 か ら の 離 脱 期 で あ る 。 朝 鮮 諸 国 は 概 ね 紀 元 一 世 紀 前 後 に 建 国 し た と さ れ 、 多 か れ 少 な か れ 中 国 の 影 響 を 受 け な が ら 成 長 し て い っ た 。 と り わ け 高 句 麗 ・ 百 済 は 、 楽 浪 郡 ・ 玄 菟 郡 ・ 帯 方 郡 な ど 中 国 郡 県 の 影 響 を 強 く 受 け て い た が 、 三 一 三 年 、 高 句 麗 は 楽 浪 郡 を 攻 撃 し て 、 中 国 勢 力 を 朝 鮮 半 島 か ら 駆 逐 す る こ と に 成 功 し た 。 朝 鮮 三 国 が 中 国 郡 県 の 影 響 を 受 け ず 、 自 立 的 な 対 外 関 係 を 構 築 し 始 め る の は こ の 時 期 以 降 と 考 え る こ と が で き る 。

(37)

第 二 期 は 、 五 ~ 六 世 紀 前 半 の 高 句 麗 の 南 進 期 で あ る 。 当 該 時 期 の 中 国 は 、 南 北 朝 の 分 裂 期 に 相 当 す る 。 東 ア ジ ア の 中 心 で あ っ た 「 中 華 」 の 分 裂 は 、 周 辺 諸 国 に 対 す る 「 中 華 」 の 影 響 力 の 弱 化 を 招 き 、 周 辺 諸 国 の 国 家 形 成 を 促 進 し た 。 こ の 時 期 、 朝 鮮 半 島 は 高 句 麗 ・ 百 済 ・ 新 羅 に よ る 本 格 的 な 三 国 鼎 立 期 に 入 る 。 と り わ け 高 句 麗 の 成 長 は 著 し く 、 積 極 的 に 南 進 政 策 を 推 進 し 、百 済 ・ 新 羅 ・ 加 耶 諸 国 な ど 朝 鮮 半 島 南 部 諸 国 を 圧 迫 し た 。こ れ に 対 し て 、 百 済 ・ 新 羅 は 羅 済 同 盟 を 締 結 し 、 高 句 麗 の 侵 攻 に 対 し て 協 力 し て 対 抗 す る よ う に な る 。 ( 1 ) こ の 時 期 、 中 国 へ の 直 接 交 易 路 を 持 た な か っ た 新 羅 と 中 国 の 関 係 は ほ と ん ど 確 認 で き な い も の の 、 高 句 麗 は 南 北 朝 双 方 に 対 す る 両 面 外 交 、 百 済 は 南 朝 偏 重 外 交 を 展 開 し 、 中 国 と 密 接 な 関 係 を 有 し た 。 第 三 期 は 、 六 世 紀 後 半 ~ 七 世 紀 の 三 国 統 合 期 で あ る 。 高 句 麗 の 南 進 を 阻 止 し た 後 、 飛 躍 的 な 成 長 を 見 せ た の が 新 羅 で あ る 。 新 羅 は 加 耶 諸 国 を め ぐ る 百 済 と の 抗 争 に 勝 利 し 、 更 に

(38)

漢 城 地 域 ( 現 在 の ソ ウ ル 特 別 市 一 帯 ) を 獲 得 し た こ と で 、 建 国 以 来 初 め て 朝 鮮 半 島 西 岸 に 進 出 し た 。 こ れ は 、 新 羅 が 中 国 へ の 直 接 朝 貢 路 を 確 保 し た こ と を 意 味 し て い る 。 し か し 、 新 羅 の 漢 城 進 出 に よ っ て 、 高 句 麗 ・ 百 済 は 直 接 国 境 を 接 す る こ と が な く な り 、 結 果 と し て そ れ ま で 敵 対 関 係 に あ っ た 両 国 を 、 「 対 新 羅 」 を 目 的 と す る 協 力 関 係 へ と 導 く こ と に な っ た 。 当 初 、 新 羅 は 高 句 麗 や 倭 と の 連 携 を 模 索 し た が 失 敗 し 、 最 終 的 に 唐 に 援 助 を 求 め た 。 唐 ・ 新 羅 連 合 軍 に よ っ て 、 百 済 は 六 六 〇 年 に 滅 亡 、 百 済 復 興 を 目 指 し た 倭 は 六 六 三 年 に 白 村 江 の 戦 い で 大 敗 、 高 句 麗 は 六 六 八 年 に 滅 亡 し 、 新 羅 が 三 国 を 統 一 す る こ と に な る 。 朝 鮮 三 国 の 対 外 関 係 に 関 し て は 、 特 に 中 国 か ら 授 与 さ れ た 官 爵 な ど に つ い て 検 討 が 行 わ れ て き た 。 官 爵 を 媒 介 と す る 朝 鮮 三 国 ・ 倭 の 対 外 関 係 に つ い て は 、 坂 元 義 種 氏 、 江 畑 武 氏 に よ っ て 詳 細 に 検 討 さ れ て い る 。 ま た 、 南 北 朝 時 代 の 中 朝 関 係 に 関 し て は 三 崎 良 章 氏 が 研 究 史 を 整 理 し て お り 、 南 北 朝 双 方 の 対 朝 鮮 政 策 に つ い て は 姜 維 公 氏 が 考 察 し て い る 。 ( 2 )

(39)

西 嶋 定 生 氏 の 提 唱 す る 冊 封 体 制 の 主 体 と な る の は 、 「 冊 封 」 を 媒 介 と す る 中 国 と 周 辺 諸 国 の 関 係 で あ る 。 被 冊 封 国 で あ る 朝 鮮 諸 国 の 対 外 関 係 を 考 察 す る 上 で 、 宗 主 国 た る 中 国 と の 関 係 は 最 も 重 視 す べ き 問 題 で あ る こ と は 間 違 い な い 。 問 題 は 朝 鮮 三 国 そ れ ぞ れ が 如 何 な る 外 交 方 針 の 下 、 中 国 と の 関 係 を 構 築 し た か と い う 点 で あ る 。 従 来 、 冊 封 体 制 に つ い て は 、 朝 鮮 三 国 そ れ ぞ れ が 同 じ よ う に 受 容 し て い た と 考 え ら れ る こ と が 多 か っ た が 、 冊 封 体 制 に 対 す る 認 識 は 、 朝 鮮 三 国 そ れ ぞ れ で 異 な っ て い る 部 分 が あ る 。 そ こ で 本 章 で は 、 朝 鮮 三 国 の 対 中 国 関 係 を 整 理 し て い く 。 と り わ け 、 上 記 の 三 期 の う ち 三 国 鼎 立 が 決 定 的 と な る 第 二 期 、 五 ~ 六 世 紀 段 階 の 情 勢 を 中 心 に 、 朝 鮮 三 国 の 対 中 国 外 交 の 指 針 と そ の 特 徴 に つ い て 指 摘 し た い 。

(40)

第 二 節 高 句 麗 の 対 中 国 関 係 高 句 麗 の 対 中 国 関 係 に 関 し て は 、 김 진 한 氏 な ど が 各 王 代 ご と に 整 理 を 行 っ て い る 。 先 行 研 究 に ( 3 ) お い て は 、 高 句 麗 の 最 盛 期 は 五 世 紀 と さ れ 、 六 世 紀 以 降 は 衰 退 期 に 入 る と さ れ る 。 高 句 麗 の 衰 退 に つ い て は 、 百 済 ・ 新 羅 の 侵 攻 や 北 朝 ・ 隋 の 圧 迫 、 突 厥 の 侵 入 な ど 様 々 な 外 的 要 因 が 指 摘 さ れ て い る も の の 、 そ の 根 本 原 因 に つ い て は 内 的 要 因 に 求 め よ う と す る 傾 向 が 強 い 。 こ の 時 期 、 高 句 麗 で は ( 4 ) 王 権 を 中 心 と す る 集 権 体 制 が 動 揺 し 、 貴 族 聯 立 体 制 が 再 編 さ れ 、 政 局 運 営 を 担 っ た 。 と り わ け こ れ 図 1 5 ~ 6 世 紀 の 東 ア ジ ア

(41)

ら の 問 題 は 、 六 四 二 年 に 発 生 す る 泉 蓋 蘇 文 の 政 変 と 関 連 づ け て 述 べ ら れ る こ と が あ る 。 ( 5 ) た だ し 、 六 世 紀 の 高 句 麗 は 連 年 の よ う に 北 朝 に 遣 使 し 、 同 時 に 南 朝 へ の 朝 貢 も 維 持 し て お り 、 更 に は 五 七 〇 年 に 倭 へ 遣 使 す る な ど 対 外 交 渉 の 活 発 な 時 期 で あ る 。 そ こ で 本 節 で は 五 ~ 六 世 紀 を 中 心 に 、 高 句 麗 の 対 外 政 策 と そ の 指 針 に つ い て 整 理 し て い く 。 高 句 麗 は 、 朝 鮮 諸 国 の 中 で 唯 一 中 国 と 直 接 国 境 を 接 し て い る 。 そ も そ も 、 『 漢 書 』 巻 二 十 八 下 地 理 志 八 下 玄 菟 郡 に は 「 高 句 驪 」 が 確 認 で き る 。 高 句 麗 が 、 百 済 ・ 新 羅 に 先 ん ( 6 ) じ て 、 い ち 早 く 国 家 体 制 を 整 え る こ と が で き た 大 き な 要 因 と し て 、 や は り 隣 接 す る 中 国 の 影 響 を 考 慮 す る 必 要 が あ る 。 た だ し 、 そ の 地 理 的 条 件 が 必 ず し も 有 利 に 働 く と は 限 ら ず 、 二 四 四 年 に 曹 魏 の 毋 丘 倹 の 侵 攻 、 三 四 二 年 に は 前 燕 の 慕 容 皝 の 侵 攻 を 受 け て 王 都 国 内 城 ( 現 在 の 吉 林 省 集 安 市 ) が 陥 落 す る な ど 、 常 に 中 国 の 脅 威 に さ ら さ れ て い た 。 ( 7 )

(42)

し か し 、 四 世 紀 後 半 ~ 五 世 紀 に か け て 、 広 開 土 王 ( 在 位 三 九 一 ~ 四 一 二 ) ・ 長 寿 王 ( 在 位 四 一 三 ~ 四 九 一 ) が 登 場 す る と 、 積 極 的 な 南 進 政 策 に よ っ て 飛 躍 的 な 領 土 拡 大 に 成 功 し た 。 こ の よ う に 大 規 模 な 南 進 政 策 を 実 施 で き た こ と は 、 当 該 時 期 の 高 句 麗 が 中 国 と 良 ( 8 ) 好 な 関 係 を 構 築 で き て い た こ と を 意 味 し て い る 。 そ こ で 、 五 ~ 六 世 紀 の 高 句 麗 の 対 中 国 関 係 を 整 理 す る と 表 1 の よ う に な る 。 こ れ に よ れ ば 、 広 開 土 王 ・ 長 寿 王 時 期 の 高 句 麗 は 、 南 北 朝 に 対 す る 両 面 外 交 を 展 開 し て い る こ と が 分 か る 。 し か し そ の 遣 使 回 数 を 整 理 し 図 2 高 句 麗 最 大 領 域

(43)

て み る と 、 南 朝 よ り 北 朝 へ の 遣 使 回 数 が 圧 倒 的 に 多 く 、 時 に は 一 年 に 三 度 も 朝 貢 を 行 う な ど 、 直 接 国 境 を 接 す る 北 朝 を 強 く 意 識 し て い た と 理 解 で き る 。 ( 9 ) 当 該 時 期 に 大 規 模 な 南 進 政 策 が 実 施 さ れ て い る こ と か ら 考 え て 、 広 開 土 王 ・ 長 寿 王 の 対 外 政 策 の 主 眼 は 中 国 と 良 好 な 関 係 を 維 持 し つ つ 、 南 進 政 策 を 推 進 す る と い う 点 に あ っ た と 考 え ら れ る 。 長 寿 王 の 後 を 継 い だ 文 咨 明 王 ( 在 位 四 九 一 ~ 五 一 九 ) も 、 概 ね こ の 路 線 を 継 承 し て い る 。 『 魏 書 』 巻 一 〇 〇 高 句 麗 に は 、 ( 太 和 十 五 年 ・ 四 九 一 ) 又 た 雲 に 詔 し て 世 子 を 遣 し て 入 朝 せ し め 、 郊 丘 の 禮 に 及 ば し む 。雲 上 書 し て 辭 疾 し 、惟 だ 其 の 從 叔 升 于 を 遣 し て 使 に 隨 い て 闕 に 詣 ら し む る の み 。 之 を 嚴 責 す 。 此 よ り 歳 ご と に 常 に 貢 獻 す 。 ( 10 ) と い う 記 事 が 確 認 で き る 。 文 咨 明 王 ( 雲 ) は 即 位 直 後 、 北 魏 か ら 世 子 入 朝 の 詔 を 受 け 、 世

(44)
(45)
(46)
(47)
(48)

子 に 代 わ っ て 従 叔 の 升 于 を 派 遣 し て い る 。 こ れ 以 後 、 文 咨 明 王 の 北 魏 へ の 朝 貢 回 数 は 治 ( 11 ) 世 二 十 八 年 中 、 三 十 五 回 に 及 ん で い る 。 先 の 史 料 に 「 此 よ り 歳 ご と に 常 に 貢 獻 す 」 と 記 さ れ て い る の は 、 単 な る 修 辞 で は な く 事 実 で あ ろ う 。 一 方 、 広 開 土 王 ・ 長 寿 王 時 期 に 比 べ て 南 朝 へ の 朝 貢 回 数 は や や 減 少 し て い る 。 こ れ は 、 南 朝 へ の 朝 貢 ル ー ト に 位 置 す る 山 東 半 島 を 北 魏 が 領 有 し て い る と い う ル ー ト 上 の 問 題 も ( 12 ) あ る も の の 、 や は り 南 朝 へ の 朝 貢 は あ く ま で 北 魏 へ の 牽 制 と し て 行 わ れ て い た と 理 解 す る こ と が で き よ う 。 こ の よ う に 、 積 極 的 に 北 魏 と の 関 係 を 築 い た 文 咨 明 王 は 、 長 寿 王 同 様 に 南 進 政 策 を 推 進 し た 。 し か し 、 こ の 時 期 は 対 高 句 麗 を 目 的 と す る 羅 済 同 盟 が 効 果 的 に 機 能 し て お り 、 百 済 ・ 新 羅 に 対 し て 決 定 的 な 打 撃 を 与 え る こ と は で き な か っ た 。 文 咨 明 王 の 後 を 継 い だ 安 蔵 王 ( 在 位 五 一 九 ~ 五 三 一 ) ・ 安 原 王 ( 在 位 五 三 一 ~ 五 四 五 )

(49)

の 時 期 、 『 三 国 史 記 』 に よ る と 高 句 麗 で は 多 く の 天 災 が 発 生 し て い る 。 特 に 安 原 王 時 代 に は 、 大 水 ・ 落 雷 ・ 疫 病 ・ 旱 魃 ・ 蝗 ・ 大 風 ・ 雹 な ど 多 く の 天 災 が 発 生 し て い る 。 こ の よ う な 不 安 定 な 状 況 を 反 映 す る よ う に 、 こ の 時 期 の 高 句 麗 で は 王 の 殺 害 や 王 位 継 承 争 い な ど 、 内 部 の 混 乱 記 事 が 確 認 で き る 。 ① 『 日 本 書 紀 』 巻 十 七 継 体 天 皇 二 十 五 年 ( 五 三 一 ) 三 月 百 済 本 記 を 取 り て 文 を 為 る 。 其 の 文 に 云 く … 中 略 … 是 の 月 、 高 麗 其 の 王 安 を 弑 す 。 ( 13 ) ② 『 日 本 書 紀 』 巻 十 九 欽 明 天 皇 六 年 ( 五 四 五 ) 是 の 歳 、 高 麗 大 い に 亂 れ 、 誅 殺 せ ら る る 者 衆 し 。 百 済 本 記 に 云 く 、 十 二 月 甲 午 、 高 麗 國 細 群 と 麁 群 宮 門 に 戦 う 。 鼓 を 伐 ち て 戦 闘 し 、 細 群 敗 る る も 兵 を 解 か ず 。 三 日 し て 、 盡 く 細 群 の 子 孫 を 捕 誅 す 。 戊 戌 、 狛 国 香 岡 上 王 薨 ず る な り 。 ( 14 ) ③ 『 日 本 書 紀 』 巻 十 九 欽 明 天 皇 七 年 ( 五 四 六 )

(50)

是 の 歳 、 高 麗 大 い に 亂 れ 、 凡 そ 闘 死 す る 者 二 千 餘 な り 。 百 済 本 記 に 云 く 、 高 麗 正 月 丙 午 を 以 て 、 中 夫 人 の 子 を 立 て て 王 と 為 す 。 年 八 歳 な り 。 狛 王 三 夫 人 有 り 。 正 夫 人 は 子 無 し 。 中 夫 人 は 世 子 を 生 み 、 其 の 舅 氏 は 麁 群 な り 。 小 夫 人 は 子 を 生 み 、 其 の 舅 氏 は 細 群 な り 。 狛 王 の 疾 の 篤 き に 及 び 、 細 群 ・ 麁 群 各 々 其 の 夫 人 の 子 を 立 て ん と 欲 す 。 故 に 細 群 の 死 者 二 千 餘 人 な り 。 ( 15 ) ① は 安 蔵 王 ( 安 ) が 殺 害 さ れ た こ と を 示 し 、 ② ③ は 安 原 王 の 末 年 、 陽 原 王 即 位 に 際 し て 発 生 し た 王 位 継 承 争 い の 詳 細 を 伝 え て い る 。 ① ~ ③ は 、 い ず れ も 『 日 本 書 紀 』 に し か 確 認 で き な い 記 事 で は あ る が 、 す べ て 『 百 済 本 記 』 か ら 引 用 さ れ た も の で あ る 。 『 百 済 本 記 』 は 、 所 謂 「 百 済 三 書 」 の 一 つ で あ り 、 百 済 系 渡 来 人 に よ っ て 編 纂 さ れ た ( 16 ) と 考 え ら れ る 。 倭 の 支 配 下 に あ る 百 済 系 渡 来 人 が 、 天 皇 の 意 志 に 沿 う よ う に 記 事 を 創 作 し た 可 能 性 は あ る も の の 、 少 な く と も 百 済 ・ 倭 と 直 接 関 係 し な い 高 句 麗 に 関 す る 記 事 に つ い

(51)

て は 、 あ る 程 度 、 信 頼 で き る と 考 え ら れ る 。 ま た 、 安 蔵 王 ・ 安 原 王 の 死 亡 年 次 に つ い て は 、 『 三 国 史 記 』 と 中 国 正 史 で 大 き な 差 異 が あ り 、 そ の 死 去 に 際 し て 何 ら か の 問 題 が 発 生 し た こ と を 示 唆 し て い る 。 ( 17 ) 一 方 、 同 時 期 の 北 朝 も ま た 、 北 魏 末 の 混 乱 期 に 相 当 す る 。 た だ し 、 表 1 を 見 る 限 り 、 こ の 時 期 の 高 句 麗 は 文 咨 明 王 時 期 同 様 、 北 魏 ・ 東 魏 に 対 し て 頻 繁 に 朝 貢 し て お り 、 『 魏 書 』 巻 一 〇 〇 高 句 麗 に は 「 其 貢 使 無 歲 不 至 」 と 記 さ れ て い る 。 そ の 一 方 で 、 南 朝 へ の 朝 貢 回 数 は 増 加 し て お り 、 北 魏 末 の 混 乱 な ど 華 北 地 域 の 状 況 も 、 高 句 麗 の 対 中 国 政 策 に 影 響 を 与 え た こ と を 示 唆 し て い る 。 ま た こ の 時 期 、 大 規 模 な 南 進 政 策 の 痕 跡 は 確 認 で き な い 。 こ れ は 、 天 災 後 の 国 内 慰 撫 や 王 位 継 承 争 い な ど に よ っ て 混 乱 し た 国 内 事 情 に よ り 、 軍 事 行 動 を 起 こ す 余 裕 が な か っ た た め と 考 え ら れ る 。北 朝 ・ 南 朝 に 対 す る 朝 貢 自 体 は 定 期 的 に 行 わ れ て い る こ と か ら 考 え る と 、

(52)

混 乱 期 の 高 句 麗 に お い て は 、 領 土 拡 大 よ り 中 国 と の 関 係 維 持 が 優 先 さ れ た の で あ ろ う 。 安 原 王 の 後 を 継 い だ 陽 原 王 ( 在 位 五 四 五 ~ 五 五 九 ) は 、 再 び 南 進 政 策 を 推 進 し 、 特 に 百 済 に 対 し て 大 規 模 な 軍 事 行 動 を 起 こ し て い る 。 こ の 時 期 は 羅 済 同 盟 の 最 末 期 に 相 当 す る も の の 、 五 四 八 年 、 高 句 麗 は 独 山 城 の 戦 い で 百 済 ・ 新 羅 連 合 軍 に 大 敗 し 、 朝 鮮 半 島 南 部 か ら 大 き く 撤 退 す る こ と に な っ た 。 ( 18 ) 更 に 、 五 五 〇 年 に は 同 じ く 百 済 ・ 新 羅 連 合 軍 に よ っ て 漢 城 ・ 南 平 壌 ( 現 在 の ソ ウ ル 特 別 市 北 方 の 北 漢 山 ) を 奪 わ れ 、 漢 江 下 流 域 を 喪 失 す る こ と に な っ た 。 同 時 期 に 漢 江 上 流 域 を 新 羅 に 奪 わ れ た こ と は 、 「 丹 陽 赤 城 碑 文 」 の 記 述 か ら 窺 え る 。 漢 江 流 域 の 喪 失 に よ り 、 ( 19 ) 高 句 麗 は 南 朝 に 対 す る 遣 使 が 困 難 に な っ た と 考 え ら れ 、 実 際 、 陽 原 王 時 代 に は 南 朝 へ の 朝 貢 記 事 は 一 例 も な い 。 ( 20 ) 一 方 、 北 朝 に 対 し て は 遣 使 を 続 け て い る も の の 、 東 魏 ・ 西 魏 、 北 斉 ・ 北 周 と い う 北 朝 の

(53)

分 裂 は 、 少 な か ら ず 高 句 麗 の 対 中 国 関 係 に 変 化 を も た ら し た 。 『 北 史 』 巻 九 十 四 高 句 麗 に は 、 天 保 三 年 ( 五 五 二 ) 、 文 宣 營 州 に 至 り 、 博 陵 の 崔 柳 を し て 高 麗 に 使 し 、 魏 末 の 流 人 を 求 め し む 。 柳 に 敕 し て 曰 く 、 「 若 し 從 わ ざ れ ば 、 便 宜 を 以 て 事 に 從 え 」 と 。 至 る に 及 び 、 許 さ れ ず 。 柳 目 を 張 り 之 を 叱 り 、 拳 も て 成 を 擊 ち て 牀 下 に 墜 と す 。 成 の 左 右 雀 息 し て 敢 え て 動 か ず 。 乃 ち 謝 服 し 、 柳 五 千 戸 を 以 て 反 命 す 。 ( 21 ) と あ る 。 こ の 記 事 は 、 北 斉 が 北 魏 末 に 高 句 麗 に 流 入 し た 流 民 の 返 還 を 求 め た も の で あ り 、 陽 原 王 ( 成 ) は 一 度 拒 否 し た も の の 、 最 終 的 に は 受 け 入 れ て い る 。 こ の 流 民 問 題 は 、 高 句 麗 の 営 州 ( 現 在 の 遼 寧 省 朝 陽 市 ) へ の 進 出 と 関 連 し て 述 べ ら れ る こ と が あ り 、 高 句 麗 の 西 北 部 地 域 に 対 す る 領 土 拡 大 意 識 を 示 唆 す る も の と し て 重 要 な 意 味 を 持 っ て い る 。 ( 22 ) こ の よ う な 対 中 国 関 係 の 変 化 は 、 続 く 平 原 王 ( 在 位 五 五 九 ~ 五 九 〇 ) に も 受 け 継 が れ

(54)

て い る 。 先 行 研 究 に お い て 、 平 原 王 は 対 内 ・ 対 外 政 策 の 一 新 を 図 っ た と さ れ 、 始 祖 廟 祭 祀 を 行 っ て 王 権 の 超 越 性 を 示 す な ど 王 権 強 化 政 策 を 実 施 し て い る 。 貴 族 聯 立 体 制 に 対 し て ( 23 ) も 、 新 興 貴 族 や 楽 浪 ・ 帯 方 系 地 方 豪 族 ( 漢 人 集 団 ) を 登 用 す る こ と で 、 既 存 の 貴 族 勢 力 を 統 制 し よ う と し た 。 ( 24 ) 一 方 、 平 原 王 時 期 の 北 朝 ・ 南 朝 へ の 朝 貢 は 、 前 代 ほ ど 頻 繁 で は な い 。 隋 が 建 国 さ れ る ま で 、 平 原 王 は 五 七 〇 年 ・ 五 七 三 年 ・ 五 七 四 年 に 倭 に 遣 使 す る な ど 、 新 た な 対 外 関 係 を 模 索 し た 様 子 が 看 取 で き る 。 こ の 時 期 に 倭 へ の 遣 使 が 開 始 さ れ る 要 因 に つ い て 、 頻 繁 に 新 羅 の 侵 攻 を 被 る な ど 危 機 的 状 況 に 陥 っ た 高 句 麗 が 、 新 羅 の 背 後 に あ る 倭 と の 連 携 を 図 っ た 点 が 指 摘 さ れ て い る 。 ま ( 25 ) た 井 上 直 樹 氏 は 、 こ の 時 期 の 高 句 麗 の 対 倭 外 交 は 、 新 羅 と の 対 立 に 加 え 、 北 斉 と の 緊 張 関 係 と い う 高 句 麗 を 取 り 巻 く 外 交 上 の 危 機 か ら 積 極 的 に 行 わ れ た と 述 べ 、 朝 鮮 半 島 情 勢 だ け

(55)

で な く 、 華 北 の 動 向 と 関 わ っ て 展 開 さ れ た と 指 摘 し て い る 。 ( 26 ) 井 上 氏 の 指 摘 す る 高 句 麗 と 華 北 地 域 と の 関 係 に つ い て 、 『 三 国 史 記 』 巻 四 十 五 列 伝 五 温 達 に は 、 時 に 後 周 の 武 帝 師 を 出 し て 遼 東 を 伐 つ 。 王 軍 を 領 し て 拝 山 の 野 に 逆 戦 す 。 温 達 先 鋒 と 為 り 、 疾 闘 し て 数 十 餘 首 を 斬 り 、 諸 軍 勝 に 乗 じ て 奮 撃 し て 大 い に 克 つ 。 論 功 に 及 び て 、 温 達 を 以 て 第 一 と 為 さ ざ る 無 し 。 王 之 を 嘉 歎 し て 曰 く 、 「 是 れ 吾 が 女 婿 な り 」 と 。 礼 を 備 え て 之 を 迎 え 、 爵 を 賜 い て 大 兄 と 為 す 。 此 に 由 り て 寵 栄 は 尤 も 渥 く 、 威 権 は 日 々 盛 ん な り 。 ( 27 ) と あ る 。 こ こ で は 、 新 興 貴 族 と 考 え ら れ る 温 達 ( 平 原 王 の 女 婿 ) が 、 北 周 と の 戦 い で 大 功 を 立 て た と さ れ て い る 。 北 周 が 華 北 を 統 一 し 、 高 句 麗 と 交 戦 可 能 な 領 域 を 保 有 す る こ と が で き た の は 五 七 七 年 以 降 で あ り 、 平 原 王 の 在 位 年 代 と も 一 致 す る 。

(56)

た だ し 、 こ の 北 周 に よ る 高 句 麗 攻 撃 は 中 国 正 史 や 『 三 国 史 記 』 高 句 麗 本 紀 に 確 認 で き ず 、 温 達 伝 の 物 語 性 を 考 慮 す る と 事 実 か ど う か 疑 わ し い 面 も あ る 。だ が 、こ こ で 交 戦 相 手 が「 後 周 ( 北 周 ) 」 と さ れ て い る 点 は 注 意 す べ き で あ る 。 陽 原 王 時 期 の 流 民 問 題 と 合 わ せ て 考 え る と 、 陽 原 王 ・ 平 原 王 時 期 の 高 句 麗 は 北 斉 ・ 北 周 な ど 華 北 地 域 と 緊 迫 し た 関 係 に あ っ た こ と が 示 唆 さ れ る 。 こ う し た 中 、 五 八 九 年 に 隋 が 陳 を 滅 ぼ し て 南 北 統 一 を 果 た し た 。 当 初 は 「 守 拒 之 策 」 を 講 じ て 文 帝 ( 在 位 五 八 一 ~ 六 〇 四 ) の 不 興 を 買 っ た 高 句 麗 で あ る が 、 そ の 後 、 嬰 陽 王 ( 在 位 五 九 〇 ~ 六 一 八 ) は 隋 に 対 し て 、 年 間 複 数 回 朝 貢 を 行 っ て 密 接 な 関 係 を 構 築 し て い る 。 そ の 一 方 、 嬰 陽 王 時 期 は 軍 事 行 動 が 活 発 で あ り 、 南 方 に お い て は 新 羅 に 奪 わ れ た 竹 嶺 西 北 一 帯 の 回 復 に 執 心 す る よ う に な る 。 更 に 西 北 部 に 対 し て は 五 九 八 年 、 突 如 と し て 遼 西 に 侵 入 し 、 文 帝 に よ る 高 句 麗 遠 征 を 被 る こ と に な っ た 。 ( 28 )

(57)

以 上 の よ う に 、 五 ~ 六 世 紀 に お け る 高 句 麗 の 対 外 関 係 を 概 観 し て み る と 、 そ の 主 軸 は 自 国 の 領 土 拡 大 で あ っ た と 理 解 す る こ と が で き る 。 建 国 以 来 、 何 度 も 中 国 の 侵 攻 を 被 っ て い た 高 句 麗 は 、 南 北 朝 双 方 に 朝 貢 し て 領 土 拡 大 を 目 的 と す る 軍 事 活 動 の 安 全 を 図 っ た 。 と り わ け 直 接 国 境 を 接 す る 北 朝 に 対 し て は 、 年 間 複 数 回 朝 貢 を 行 う な ど 、 注 意 を 払 っ て い る 様 子 が 看 取 で き る 。 百 済 ・ 新 羅 と 比 較 し て も 、 高 句 麗 の 朝 貢 回 数 は 群 を 抜 い て い る 。 こ の よ う な 高 句 麗 の 対 中 国 政 策 が 功 を 奏 す の は 、 百 済 に よ る 北 魏 朝 貢 の 際 で あ る 。 四 七 二 年 、 初 め て 北 魏 に 朝 貢 し た 百 済 は 高 句 麗 討 伐 を 要 請 し た が 、 北 魏 は 高 句 麗 と の 関 係 が 密 接 で あ る こ と を 理 由 に 拒 否 し て い る 。 こ れ は 高 句 麗 の 対 中 国 対 策 が 功 を 奏 し 、 国 際 社 会 に お け る 一 定 程 度 の 安 全 ( 29 ) を 保 証 し て い た こ と を 示 し て い る 。 つ ま り 高 句 麗 の 対 中 国 関 係 は 、 中 国 の 先 進 文 化 の 受 容 な ど の 側 面 以 上 に 、 南 進 政 策 な ど

表 1 高 句 麗 の 対 中 国 関 係
表 2 百 済 の 対 中 国 関 係
表 3 新 羅 の 対 外 関 係
表 1 ・ 表 2 ・ 表 3 い ず れ も 筆 者 作 成

参照

関連したドキュメント

いない」と述べている。(『韓国文学の比較文学的研究』、

More specifi cally, in many of the novels, Kobayashi illustrates how events that undermine colonial rule, such as the Korean independence movement and Japan’s defeat in the Pacifi

ポートフォリオ最適化問題の改良代理制約法による対話型解法 仲川 勇二 関西大学 * 伊佐田 百合子 関西学院大学 井垣 伸子

「普通株式対価取得請求日における時価」は、各普通株式対価取得請求日の直前の 5

経済学研究科は、経済学の高等教育機関として研究者を

【 大学共 同研究 】 【個人特 別研究 】 【受託 研究】 【学 外共同 研究】 【寄 付研究 】.

 文学部では今年度から中国語学習会が 週2回、韓国朝鮮語学習会が週1回、文学

山本 雅代(関西学院大学国際学部教授/手話言語研究センター長)