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日中文学文化研究学会通信9月号
2014 年 9 月 8 日
〒178-0063 東京都練馬区東大泉 6-34-21 大泉公館 日中文学文化研究学会 電話&fax 03-5387-9081 Mail [email protected]
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シルクロードの旅
中山時子
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私の青山女学院時代、地理の先生が「長安からローマ」と題して語って下さった物語の 中で、中国人の商人が長安で絹をたくさん買い集めて毎年遠路ローマまで持って行くと、 ローマの貴婦人たちが争ってこの絹を買い求めたので、この道を後世シルクロードという ようになったと言われたことがありました。私がシルクロードに関心を持つようになった のはこの時以来です。 昭和 52 年の夏、私は三人の同行者と共に、炎熱土漠のシルクロードをジープで走破しま した。当時の中国は前年十月に四人組の打倒があり、文革の混乱が収束に向かう兆しはあ りましたが、まだ鎖国状態は続いており、長安(西安)からローマに行くことができず、 私どもは日本でジープを買い求めてローマに送り、イタリアのローマからこのジープで七 十余日をかけてインドのカルカッタに辿りつきました。辿りついた時、私たちのジープの ファンベルトはほとんど磨滅していました。そこで、このジープをやっとのことでカルカ ッタから日本に送り、私のシルクロードの旅は終りました。 この七十余日の私のシルクロードの物語を東京のあるところで二時間お話ししました。 これを聞いておられた柴田書店の社長が翌日大量の原稿用紙を持って来られて、すぐにこ の私のシルクロードの全行程を書くよう求められました。この七十余日は行きあたりばっ たり、多岐にわたり且つ多難でしたが、私は柴田社長のご依頼をお引き受けしました。題 して『私のシルクロード――炎熱土漠を走破して――』(昭和 54 年 10 月初版)、この初版 は、またたく間に完売しました。「私のシルクロード」という書名の本は何冊も出ています が「炎熱土漠」というサブタイトルの本は他にありませんでした。本は昭和 56 年に再版さ れましたが、柴田書店の内部事情を知った私はこれ以上柴田書店と関係を持つことを潔し とせず、再版本を全部手元にひきとり私の倉庫に入れました。 このような事情に加え、旅行の辛さも重く残り、その後は、私はこの本を読み返す勇気 を失っていました。このシルクロード旅行は、シルクとはまったく別の中国の小麦粉製品 (多種多様の点心)探求の心積りでありました。中国のいろいろな点心がどのように西の 方へ伸びて行ったかが興味の中心でした。ところが日本からローマに到着し、その晩私た ちを迎えてくださった深谷基弘氏と当時はイタリアで都市形成史を研究されていた陣内秀 信先生のお招きで、飛行場近くのレストランで夕食をとると、点心の研究をするつもりで 日本を出発した私たちのまえに出されたのは、小皿に一個だけの形のくずれた餃子でした。2
ローマでこうなれば他の地方は推して知るべし。果たせるかな、インド以外は全行程、ナ ンばかりの食事でした。 ナンは、『広辞苑』によると「naan ヒンデイー インド・西アジア・中央アジアなどの平 焼きパン。小麦粉を水でこねて発酵させ、薄く伸ばして壺形のかまどの内側にはりつけて 焼いたもの。ナーン」とある。中国の“焼餅” “烙餅” “大餅”の類ですね。私の分類 は『中国食文化事典』に記しましたが、「飲食」を大きく「飲」と「食」に二分し、「食」 をまた大きく「吃飯」と「吃点心」に二分し、次に「吃点心」を「鹹点心」「甜点心」「小 食=小吃」「果子(果物)」に四分し、さらに「小食=小吃」の下位区分として、葷物・麺類・ 餅類・饅頭類・糕類など 10 の項目を設けました。上位から見て行きますと、「食→吃点心 →小吃→餅類」と位置付けできる「餅類」に相当します。小麦粉を練って、円盤状にして 炉で、烤ったり、焼いたり、平らに鉄鍋で焼いたりしたものです。大きさは 70 センチ× 40 センチのひょうたん型でした。 ナンの次に印象的だったのは、小麦粉製品ではありませんが、シシカバブで、よく食べ ていました。トルコ語で「シシ」は串、「カバブ」は「焼き肉」だそうで、「串焼き肉」で す。近年は日本でもエスニック料理が流行し「ケバブ」といって焼いた肉の塊りの表面を 削ぎながらスライスして売られています。同じものでしょう。むかしの東京や北京には見 られなかった食べ方だと思います。北京での羊肉は“烤”して食べました。小さくした細 切れの羊肉を串に刺して焼くなど、そんな食べた方は昔の北京にはありませんでした。中 国語で“烤羊肉”は串刺しではありません。串刺しは“烤羊肉串児”とか“羊肉串児”と 言うのでしょうね。 『私のシルクロード』はカルカッタでジープを日本に船便で送ったところで終わってい ますが、この旅行で印象的だった食べ物の3つ目が、帰路空路で立ち寄ったマレーシアの クアラルンプールでの“麻婆豆腐”でした。 薄暗くて奥行のある中国料理店に入りメニューを取りあげ、英語と横文字だけで何十日 も過ごしてきた私にとって、とてもなつかしい漢字に見入っていました。奥の方にいた中 国人のウェーターがやってきて「麻婆豆腐だろう」と決めつけました。私は心底驚き、自 分の耳を疑いました。何人かの日本人・東洋人がここまで来てよくもまあ麻婆豆腐を食べ たものだと呆れました。 日本の麻婆豆腐は、四川料理を有名にした陳建民さんが日本人の口に合うように唐辛子 の“辣”(辛さ)や山椒の“麻”(しびれ)を調整して広めた料理で、四川の庶民料理です。 聖堂の料理講習会では、やりませんでした。原先生を含めた北京の文人たちには、馴染み がなかったのだろうと思います。あまりにマレーシアの麻婆豆腐のショックが大きかった ので、麻婆豆腐は見るのも聞くのもいやになって、私は今日まで一度も食べていません。「あ んなに美味しいものをなぜ……?」と皆さんからとても不思議がられています。 「故郷の味」とか、「おふくろの味」とか言われるように、食べ物は場景や体験と切って も切り離せないのです。3
『中国食文化事典』より-―――――――――――――――――――――――――
中国の飲食文化とシルクロード 朱国炤
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中山時子監修の名著『中国食文化事典』(角川書店,昭和 63 年 3 月)には標題の一項が 鈴木博氏の訳で収録されている。「古代中国のシルクロードこそ、中国内地と西域の民族、 中央アジア・西アジア諸国との文化交流の絶好の生き証人にほかならない」として、葡萄・ 胡桃・胡麻・胡椒などが西域から中国にもたらされ、桃・杏・梨などが中国から西域にも たらされたこと、中国の鑿井法(井戸の掘り方)が西域に広がったこと、陶製の飲食用具や 漆器が西域に伝わり、西域一帯の飲食用具が中国内部に伝わったことを挙げているが、注 目すべきは小麦粉食品が西域から中国に伝わったとする記述である。以下が抄録である。 シルクロードは中国内地の主食の変化を促した 中国では五穀を主食としてきた。小麦は殷・周時代にあったが、黄河流域の気象条件は 小麦の栽培には向かず収穫量は多くなく、それだけ小麦は貴重なものであった。これに対 して、寒さや日照りに強い粟や黍は、黄河中下流域の中原地区で広く作られ、長江の中下 流域と南方では米が作られていた。 中国内地では古代より飯(粒)食が中心をなしていた。中国古代における飯は五穀を蒸した ものであった。小麦も麦飯にして食べていたから「麵」という字も「餅」という字も『詩 経』『礼記』『易経』などには使われていない。 麵(麦粉)食は漢代からで、中国の粉製の餅は西域の民族から作り方が伝えられたのだとす る研究者がいる。後漢の劉煕の『釈名』には「餅は并である。麵(麦粉)を水で練って合 并させたものである。胡餅は表面に胡麻がたくさんついている」とある。この記述に「胡 餅」の名があることが重要で、「胡」とは西域のことで、古代の中国においては、北方の辺 地と西域の民族は「胡」と総称されていた。今日、新疆ウイグル自治区にいるウイグル族・ カザフ族・キルギス族などが好んで食べる「ナン」こそ、この胡餅にほかならない。 ナンはペルシア語である、ウイグル語では「アイマイク」といい、中国の内地ではふつ う焼餅といっている。ナンは烘炉(ホンルウ・かまど)――新疆ウイグル自治区一帯では「馕 坑」(ナンコン)という――で焼くが、その烘炉は高さが1メートル前後、口径が小さく、胴 が大きく、瓶のような形をしていて、羊毛を混ぜた粘土で作る。ナンを焼くには、まず木 を燃やして烘炉を熱しておき、ナンの背を塩水につけてから炉壁に貼りつけ、表面が黄色 くなり,香ばしい香気を発するようになれば焼き上がりである。 中国内地で麵食を食べるようになったのは漢代で、早くても秦代以前にさかのぼること はないし、麵食が広くひろがったのは漢代中期以後のことであるが、麵食の伝来と普及の 功はシルクロードに帰すべきであろう。 補注:“馕”は「食」偏に「囊」と書く。台湾の《重編国語日報辞典》にはこの字はなく、 1960 年代に中国で制定された文字である。簡体字で代用しました。【文責編集部】
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研究会発表予定(9 月 21 日午後)要旨―――――――――――――――――――――――日本人と『西遊記』 大塚秀明
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 山本嘉次郎脚本監督作品『エノケンの孫悟空』(135 分 モノクロ 東宝 昭和 15 年度) の鑑賞を通して、日本人はどのように《西遊記》を受容してきたかを《三国志》《水滸伝》 などと比較しながら,その流れをたどり、日本人の中国観の変遷を考える。 1.四大奇書の成立から日本への伝来 語り物の歴史:唐末五代の敦煌文書、宋代の清明上河図などに痕跡がたどれる。 読み物として編集が行われ明代にいわゆる『西遊記』が成立し、国外にも伝播する。 2.中国での図像化・動画化 小説の挿絵 ② 刻出像官板大字西遊記 金陵世徳堂本 20 巻 100 回 ②李卓吾先生批評西遊記:テキストはほぼ同上、挿画が新規 ③像古本西遊證道書 ④楊東来先生批評西遊記 →『中国古典文学挿画集成(二)西遊記』瀧本弘之編 遊子館 2000 年 民国期 《連環図画西遊記》民国 18 年 3 月 世界書局(致公出版社影印本 2000 年) 万籟鳴・古蟾兄弟によるアニメーション映画《鉄扇公主》1941 年 新華影業公司 →手塚治虫への影響;海軍省『桃太郎 海の神兵』1945 の制作 3.日本での読解と図像化 《三国志演義》の訓読作業→三国志図画;北斎 《水滸伝》の語釈・読解作業→水滸画伝;『水滸伝と日本人』高島俊夫 大修館書店 《西遊記》(1) 日本人は猪八戒をイノシシと誤訳した (2) カッパの沙悟浄は日本人が創作した 『中国三大奇書の成立と受容』(平成 18 年度筑波大学附属図書館企画展図録、図書館HP) 4.日本での映画化 山本嘉次郎監督脚本作品 孫悟空:榎本健一 玄宗王:北村武夫 お伽の姫:高峰秀子 猪八戒:岸井明 珍妙大王:高勢実乗 観音さま:花井蘭子 沙悟浄:金井俊夫 金角大王:中村是好 姑娘:服部富子 三蔵法師:柳田貞一 銀角大王:如月寛多 東洋の女:李香蘭(山口淑子) 5.戦後日本における数々のアニメ・テレビドラマ「西遊記」 手塚治虫・アニメ「悟空の大冒険」1967 ドリフターズ・人形劇「飛べ!孫悟空」1977 日本テレビ・夏目雅子が三蔵法師を演じたテレビドラマ「西遊記」1978~80 6.儒教の経典の受容とは違った中国文化受容の一様式が見られる。5
山根貞夫のお楽しみゼミナール―――――――――――――――――――――――――― 「孫悟空」をいま見た場合、なによりまず、こんな映画がよくぞあの時代に作られたも のだ、と、だれしも感嘆せずにはいられないのではなかろうか。 「孫悟空」がつくられた一九四〇年といえば、日本が戦争にどんどん突き進んでゆく時 代である。すでに日中戦争は激化しており、翌四一年には日米開戦となる。 そんな時代であったから、映画に対する国の締めつけも厳しかった。一九三九年には、 戦時体制に合わせた映画法が施行され、脚本の事前検閲、製作・配給の許可制、監督・俳 優などの登録制、外国映画の上映制限などが行なわれた。細かなことでは、学生・生徒が 映画館へ行くのは土曜、日曜、祝祭日、休暇日に限って許可する、という文部省通達が出 された。 こんな時代に、歌と踊りを中心にしたレビュー映画「孫悟空」がつくられたなんて、ほ とんど信じられないことではなかろうか。けれども、そう思うのは、どうやら現在からの 一面的な見方らしい。 たしかに暗い時代ではあったが、人々が明るく楽しい娯楽を求める気持には、なんの変 りもなかった。その気持は、かげりを深めてゆく時代だからこそ、いっそう強かったとも いえる。 たとえば、「孫悟空」に出ている高峰秀子はこの当時、人気絶頂の少女スターで、主演作 がいずれもヒットした。また“満映の名花”李香蘭と長谷川一夫のコンビによる「白蘭の 歌」「支那の夜」などが大当たりしたのは、「孫悟空」とまったく同時期である。 「孫悟空」にみなぎるエネルギーは、そんな人々に心を反映したものであり、エノケン がその活力を一身に集約して、痛快に暴れ回っている。 解説―――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 「ちゃっきり金太」を始め、日本の喜劇映画の分野の開拓に絶大なる功績のあった、山 本嘉次郎監督とエノケン(榎本健一)のコンビによる、戦前最後の作品である。そのコン ビ第一作「青春酔虎伝」以来、ミュージカル・コメディという作風を編み出した彼らの、 さらに大群舞を加えて、レビュー映画とでもいえる贅沢なものに仕上げた作品である。 また、既に戦時色濃くなった頃の制作であり、この後山本も、戦意昂揚映画と取り組む ことになるので、最後のドタバタ喜劇ともいえるものである。 中国文学でお馴染みの「西遊記」に題材を求め、エノケンが孫悟空を演じるほか、エノ ケン一座の顔ぶれや、服部富子、渡辺はま子といった当時の人気歌手、満映の超人気女優 李香蘭(山口淑子)、中国中華電影のトップスター汪洋、時世を反映して東宝舞踊隊と改名 している日劇ダンシングチームなどが総出演している。 「ハワイ・マレー沖作戦」「加藤隼戦闘隊」などの戦記映画で、山本と組んでその腕を存 分に振るうことになる円谷英二の特殊撮影技術が、早くもここで最大限に発揮されている ことも興味深い。 (「ゼミナール」「解説」ともに日本映画傑作全集「エノケンの孫悟空」1983 より)6
事務局から――――――――――――――――――――――――――――――――― ホームページが 8 月 21 日から新しくなりました 従来の画面や構成を新しくしました。インターネットを使える環境がある方は一度 アクセスしてご覧ください。右には最新ニュースを掲載し、左上には来月のカレンダー があり、会が開催される日には下線が施され、そこをクリックすると、その日に開催の 研究会が分かります。左下には次の 11 項目の索引を設けました。 (1)トップページ これまでのパックリ割れる画面をやめて直接トップページが出ます。 (2)会則・内規 従来も公開されていた会則に内規(7 月号通信参照)を加えました。 (3)役員 会長以下、10 名の理事の氏名を掲載しました。 (4)研究会 9 つの組織の紹介と来月の開催予定、これまでの開催記録を掲載しました。 それぞれの研究会にアクセスすることができます。 梅文化研究会 道教文化研究会 紅楼夢研究会 老舎を読む会 現代文学研究会 中国語表現研究会 日中食文化研究会 浪乗り会 日中文学文化を楽しむ会 (5)通信月報 毎月発行される通信の記事題名のみを掲載します。将来は、通信の郵送 に代わり、本ページで公開することも検討しています。7 月号のみ閲覧できます。 (6)紀要 毎年 3 月に発行される『日中文学文化研究』の論文題目のみを掲載しました。 将来は、いくつかの論文は本ページで公開することを検討しています。 (7)投稿規定 紀要に発表されているものを掲載しました。将来は、執筆要項の掲載も 検討しています。 (8)年次大会 来年 3 月に開催される第 5 回全員大会の現時点で決まっている項目をお 知らせとこれまで開催された 4 回の大会の記録を掲載しました。 (9)入会希望される方 入会を申し込まれる方へその方法と申込書を掲載しました。 (10)事務所 事務所の住所・電話・fax・メールアドレスを掲載しました。 (11)リンク 「中山時子中国語研修所」のページにリンクできるようにしました。 以前アンケート調査で寄せられた、会員同士が意見交換できる場を本ページ上で開設 して欲しいという意見は、今回のリニューアルでは実現できませんでした。 学会のページは毎月 10 日頃に更新しています。 会員の皆さまのご意見をお待ちしております。 楊逸講演会の開催広告が出ました 『東方』9 月号 37 頁に「日中文学文化研究学会主催 楊逸講演会」の広告が出ました。 参加費を払えばだれでも参加できるので 200 名の教室で収容しきれるか、雑誌編集子が 心配されていました。皆さま、奮ってご来場くださるようお願いいたします。7
日中文学文化研究学会主催 講演会―――――――――――――――――――――――― お茶の水女子大卒、外国人初の芥川賞作家である楊逸氏による講演会を開催します。 ○日時:10 月 18 日(土)13 時半開場、14 時開始、16 時終了(予定) ○場所:二松学舎大学(東京都千代田区三番町 6-16)九段キャンパス 1 号館 201 教室 (地下鉄東西線・半蔵門線・都営新宿線「九段下」駅下車 2 番出口より徒歩 8 分) ○演者と題:楊逸氏「詩の行方」 ご案内 昨日、有楽町で楊逸さんにお会いしてきました。溌剌とした方でした。演題の「詩の行 方」のさわりを情熱的にお話してくださいました。 小説の中に詩があるという形の文芸が日本にはないように思う、またはなくなってしま ったように思う。小説の中に詩がある形式はとても素敵なスタイルで、詩によって気持ち が豊かに伝わってくるし、その作者なりの素晴らしい表現に感動もする。中国にはあるし、 日本にもかつてはあったのに、なぜ今ないのだろうか、不思議である。 みなさん、どう思われますか? 本当になくなってしまったのか、もしなくなってしまっ たとしたら、それはなぜなのか。是非、講演会においでになって、楊逸さんが語る熱いお 話をお聞きください。そしてご一緒に考えて、意見の交換をいたしましょう。 当日は 90 分の講演とそれに続き 30 分の意見交換の時間を考えています。 (文責・若森幸子 8 月 29 日) ○参加費:1,000 円 ○連絡先:〒178-0063 東京都練馬区東大泉 6-34-21 大泉公館 日中文学文化研究学会 電話&fax 03-5387-9081 Mail [email protected]【新刊紹介】 楊逸 著『中国ことわざばなし――古為今用(グ・ウェイ・ジン・ヨン)』 単行本(ソフトカバー)224 ページ 発行 清流出版 2014 年 8 月 22 日 定価 1,736 円 内容:日本在住 27 年、身の回りの気になる出来事を多彩な中国ことわざに照らして楊逸流 に解釈する痛快エッセイ。言いえて妙、なるほど、納得!の故事・ことわざに「知恵」あり。 出典、背景、その意味を著者が平易に解説。 (インターネットより) なお、当日は会場でも新刊『中国ことわざばなし』をはじめ、これまで出版された本を 出版社のご提供で販売する予定です。どうぞご利用くださるようお願い申し上げます。