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阿
彌
陀
經
を
漢
音
て
讀
誦
す
う
に
就
いて
竹
の
考
本
察
義
圓
阿 彌 陀 經 は 何 故 漢 音 で 讀 誦 す る か 。 此 の 不審
は 誰 し も一
度 は 抱 い た事
が あ る だ ら う・
こ 思 ふ 。 木 年 梶 取 安 居 會 の席
に於
て も 、 此 の 事 に 就 い て の 論 が 大 分 座 を 賑 はレ
た の を 記憶
す る 。 兎 角 書 々 ぱ習
慣 功 恐 し い 力 に よ つ て . 少 々困
難 な 事 で も案
外容
易 に そ れ を な し て 居 る も の であ
る 。 此 の 彌 陀 經 の漢
背 讀 み な・
こ も そ の一
つ で、
試 に一
句 々 々 を 心 し て 讀 む 時 に は 「 キ イ ラ ケ キ ト 」 等−
こ 、 隨 分ヘ
ン な 感 を懐
だ かす
に は居
ら れ な い 哇 が あ る 。 そ こ で 他 の 經¶
こ 同 じ 樣 に、
も つ・
こ 吾 人 に 分 り 易 い、
呉 音 で 讀 ん で も よ い で は な い か・
こ云
ふ 樣 な 事 を考
へ る 。 而 し 乍 ら 園 師 己 來 今 日 に 至 る ま で 、 か く 讀 み 倣 は し て 來 た 事 を 思 へ は、
そ こ に 何 等 か の 信 仰 上、
教 義 上 の 意 毳 が 存 在 し は し ま い か 。 今 彌 陀 經 を 漢音
で 讀 む ε云
つ も て、
そ れ は 蓮 門 課 誦 に 符 せ ら れ て ゐ ろ 所 の、
國 字 讀 み の 昔 を指
す の で あ つ て 、 所謂
漢 學 者 の使
用 す る 漢 昔 な る も の に 、彌
陀 經 全 文 か 讀 ま れ て ゐ る か ご 云 ふ 事 は疑
問 で あ る 。 多 分 他 の昔
も は 入 つ て ゐ る事
だ ら う・
こ 思 ふ Q 現 今 の 所 謂漢
昔.
こ い つ て も、
支
那
音 の 直 寫 九 る 李 安 朝 初 期 の 漢 音 に 比 ぶ れ ば、
軒 輊 あ る は 言 を待
た な い で あ ら う か ら o先
づ 順序
−
こ し て 、 漢 呉 爾 晋 の 由 來 に 關 し 少 し 迹 べ て 見 よ.
三
、
三 音 正僞
」 に、
「 呉 膏 は 本邦
讀書
の 舊 昔 に し て.
應
紳 天 皇 十 六 年 百 濟 國 の 王仁
の 誨 ふ る 所 な り 。漢
音 は 枦 武 天 皇 の 朝 よ り 起 る 」、
、
丶 あ り て 呉 暑 は我
國 字 音.
、
▼
し て は 、隨
分 古 い 事が
知 ら れ る 。 又 漢 字 の 傳 入 し た の も、
其 の 起 源 甚 岬 11 古K
、 後 漢 の 中元
二 年 彼 國 よ 吟 受 け た 處 の 、 漢 委 奴 國 王 の 金 印 が 、 筑 前那
珂 郡 滋 賀 島 の 土 中 よ 勾 、發
見 さ れ た る を 見 て も 推 知 さ る の 胞 ・ ぺ 七N工 工
一
Eleotronlo Llbrary Servloe八 八 あ る 。 又
一
説 に 漢音
は我
國 奈 良 朝 末 期 前後
よ の 漸 次行
は れ た,
.
こ あ る の も緯
こ す べ き で あ ら う 。 又始
め て 呉 音、
漢 書 の 文 字 を 用 ひ た の は 、 室 海 の 性 靈 集 の 文 中 、 耆博
士 袁 晋 卿 を 美 め た 詞 に,
「誦
= 兩 京 之 脅 韻一
改一
p
三 呉 之 譌響
品
」 夂 「漢
語 易 ド 詠、
呉 昔 訛 難 」 ご 云 ぴ、
安然
の 悉曇
藏
に は、
當 時唐
國 よ り 來 朝 ぜ る 、 法 師 の こー
こ を 叙 し て 、一,
此 爾法
師 共.
説・
矣
昔漢
昔・
( 中略
)奚
似
・
和 音・
漢 如・
・
悲
智 ニー
こ,
い つ て ゐ る の を 見 る ご、
當 時 支 那 に使
甜 さ れ て 居 つ た 、 漢 呉 の 二 昔 か 、 共 に 我 國 に 傳 へ ら れ た 事 を 知 る の で あ る 。 然 る に 孝徳
天 皇 の 御 時 . 佛 經 ぱ 呉 音 .儒
者 に は 漢 音 を 用 ひ さ す や う に な の 、 延 暦 十 七 年 の 制 に 「 諸 讀 書 出 身 等令
γ 讀 二漢
音
…
勿ゲ
用・
冖
呉 音 二,
こ あ つ て、
當 時 は佛
經 を 讀 誦 す る 外 は 、 凡 て 漢 昔 を 用 ぴ し め 九 や う で あ る 。 「谷
響集
.
}
に は[,
佛
教 吾 國 に 入 る 時 、 呉 國 の比
丘 尼某
、 海 を跨
え て 對 馮 に 來 ろ あ り 。 尼佛
數 に 精 し 、 我 邦 人初
め て 泥 に 從 つ て゜
習
額 す 。 尼 は 呉 人 な る 故 に 、臾
昔 を傳
授 す 。 故 に 呉 音 を 封 馬 音、
こ 名 く る は 此 に由
る、
奥
は荊
蠻
の 地 な る 故 に.
音 韻 に 錯 升 多 し 」 ご あ つ て 、我
國 に て は佛
教 者 は 多 く 経 奥 を 誼 葡 す る に.
此 の 哭 昔 を 以 つ て し 世 の で あ ら う , そ れ が終
に 凡 て の 經 典 が 畏雷
で 、 設 ま る 様 に な つ 九 や う で あ る 。 然 ゐ に 此處
に 附 彌 陀 經 の み が 、漢
昔 で 讀 誦 さ れ る の は 、 如 何 な る 理 由 か ら で あ ら つ か 、 こ れ が 吾 人 の 知 り 六 い ご、
思 ふ 所 で あ る 。,
・
天 台 の一
古 事 談「
に は冖
飼 痔 の 強陀
經 三一
丶 慈 覧 大 師 入唐
の 時 、 五 台 山 北 堂 聾 逋 院 に 至 の一
丶
生 身 の 文 殊 善 薩 こ 馗 ひ宀
冖
き ひ 、 八 功 徳 池 の 浪 の 訟 日 に 唱 へ け る 曲 調 を 得冨
.
、
、
引 獄 釁 の 彌 陀 蟷 肌 、 同 じ く 念 佛 を 授 か り の ト ま へ O…
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・
こ あ つ て 、 此 の談
を 考 證.
こ す る な ら ば.
小 維 音 譲 の 法 は 、 も.
こ 慈 覺大
師 支 那 五 台 山 よ の 傳 へ 來 り、
叡
山 の常
行 堂 に 於 て 此 を修
し 九 事 に そ の 本 を發
し て ゐ る 様 で あ る 。爾
來 天 台 の み な ら す 、 淨 土 及 び 翼 宗 各派
に 傳 り、
何 れ も 之 を 依 用 し た の で あ る 。 立 智 ( 翼 宗 ) の 考 録 卷一
に[、
漢音
小 縛 の 事 は.
實
悟
記云.
御 本 堂 の阿
彌
陀 綴 は嵯
峨
本・
こ て . 彌 陀 緇 の あ の 本 候、
漢.
昔 を 付 た る 本 に て候
、 綽 如 上 入 あ そば
さ れ た る阿
彌 陀 經 を 波 見申
候 つ る に も、
嵯 峨 本 の 如 く 御 付 候 τ、
如 此 さ か 本 の 如 く 毎 朝 す べ し 、。
こ 奧 書 に あ そば
し お か れ 候 き 、 此 本 は 漢 昔 は か り に 黙す
、 呉音
も 少 し ま じ り、
唐
昔
も あ り く だ ら よ み三
L 聖徳
太 ナ の 百濟
國 よo
取寄
せ ら れ し よ み に て 候 間 、 く だ ら よ み・
こ申
に て候
、當
時 は ちー
、
) か は り 申候
歟 。 古 へ 圓 如L
入 御 稽古
候 つ る 件 の さ が 本 に て 御 稽 古候
き、
當 時 は 墨 置 多 く ま じO
仁 る や う に候
文 、 今 時讀
み 傅 る 樣 は 蓮門
課 誦 に載
す る 國 字 讀 を 付 た る ε 同 じ 」−
こ相
當
細 か く 述 べ て ゐ る を 見 て も 分 る 樣 に、
「さ
か 本 の 如 く毎
朝 す べ しト
= こ あ つ て 、漢
音 で 讀 誦 す る に は 變 り が 無 い が 、 そ の 源 に 就 い て は 何 等 言 及 し て ゐ な い 。 で は 今家
に 於 て 彌 陀 經 を 漢 習 で 讀 誦 す る の は・
こ う云
ふ 分 け で あ ら う か 。 こ れ を究
め る に は 、先
づ 第一
に 國 師 ガ宗
組 の 御 要 旨 を 繼 承 さ れ て 、 西 山一
派 を 建 立 さ れ ね 営 時 の.
言 宥 録 な り、
記 録 な り を 調 べ る の が、
一
番近
路 で あ ら )−
こ 思 つ 九 の で あ る が,
殘 念 な 事 に未
仁 的 確 な る 奥 據 を 、 見 出 し 得 な い の で あ る 。 て第
ニー
こ し て 、 國 師 の 御 著 (註
記 や 秘 决 な 」 ) の 御 心 を 通 し て、
未
學幼
稚 を も 顧 す 此 を 考 察 し や う、
こ 思・
両 の で あ る 。善
導 御疏
「 立 義 分 」 四 丁 に コ 冨鋸
量
嵐
秀
。驚
躍
壊
皿鷺
蒜冂
南
欝
彌 陀低
夏
。茜
歯 正彰
久 南莚
歸 ・ 無蓍
器
、 阿 者 是 無,
響
是 量、
陀 者 是 壽 、 佛 者 是覺
、 故 言 二 歸 命 無量
壽覺
一
」−
こ 仰 せ ら れ て あ.
つ て、
一,
此 地−
て こ は 即 ち 支 那 の 事 で あ り , 「 西 國 」,
こ は 即 ち 印 度 の 事 で あ る、
ヒ し’
、.
ノ ゴ8
N工 工
一
Eleotronlo Llbrary Servloe究 ○
梵
語 を支
那 に 來 て.
飜 譯 し 九 も のガ
即 ち 無最
簿 で あ 偽、
阿
彌 陀 の 三 字 は,
梵
語
に そ の ま 丶濃
字 冷.
當 て嵌
め た も の で あ る 。 此 處 に 問 題 こ な る の は、
阿 彌 陀 の 音 讀 で あ る 。梵
本 に よ る、
こ 阿 彌 陀 の梵
本 に よ る ε阿
彌 陀 の梵
語 に 二種
あ り 、第
一
に ( 〉 菖 詳 鋤 ず 7P ) 第 二 に ( 〉 ρ 馨 習 瑟 ) で あ る 。 然 る に 佛 教 大 辭彙
に 依 る.
こ、
「 羅什
譯 の 阿 彌 陀 經 に は 兩者
を區
別 せ す 、 共 に 阿彌
陀−
こ し、
畏 兀 譯 の 經 に は輩
に 、 ア ビ タ ( ≧}
霽 ).
こ せ り 、 蓋 し 音 譯 阿 彌 阿 の 昔 譯 な る べ し.
= こ あ り 、 叉 善導
大 師 は 支那
唐
代
泅州
の 人 で . 漢 昔 は 兩 巾 原 に 行 は れ た る,
當
時 の 縹藥、
昔 で あ る か ら、
大 師 は 漢 音 の使
用 地 に 、住
さ れ て 居 つ 仁 事 む は 明 か であ
る 。 故 に 御 疏 に も、
一
, 此 地 の漢
背 な の − て こ 、 特 に 仰 せ ら れ て ゐ る の で あ る 。 叉一、
阿 彌 陀.
こ は 是 れ西
國 の 正 音 な り 」 ご,
仰 せ ら れ て ゐ る の よ り 見 る も 、 當 時 は 漢 意 の一,
ア ピ タ 」 が 即 ち梵
蒲 の…、
ア ビ タ L で あ つ た 筝 が知
ら れ る 。 薫門
ア ビ タ ア ビ リ ア ビ タ 課 語 の 中 の 陀 羅 尼 の 文 に も 「 附 彌 多 」[,
阿彌
利 − ;−
阿 彌 陀 如 來 」 等−
こ あ ゐ の も一
例 で あ ら う 。 こ れ を國
師}
流
の 卓 見 た る 事 相 上 よ り 見 れ.
ば 無 量壽
… :・
飜 譯 … :・
智 蛍心
阿冖
彌陀
… …梵
強 阻 … : 螽 脚悲
で あ り 、 夂 大、
攤、
小 の一、
、
經 を 定 、念、
來 の 三重
に 配當
す れば
、 無 量壽
統 … … 定散
… …智
悪 湘肌
無量
…
認 經 ∵・
:・
念 佛・
:・
:悲
智 具 足阿
彌 陀 維・
:。
: 来 迎・
: : 唯 慈曲
悲 こ な る の で あ つ て 、 無量
壽 經 は 定 散 の 智、
潮
経 は 囲 の 無 量 壽 ( 智 ).
こ.
果 の 南 無 阿 彌 陀 佛 ( 慈 )、
、
旨
が 共 に 詭 か れ て ゐ る の で 即悲
智 具 足 の 念佛
を 教 へ ら れ た も の で あ る 。 然 る に阿
彌
陀
緇 は、
教 の 字 の字 も 無 き を
以
つ て も 、 知 ら る 樣 に 、唯
慈
悲
経 で あ る 。 ( 但 し 是 は一
應
の 分 け 方 な り ) ア ビ タ 以 上 逋貸
慧
を、
総 合 し て 見 る ご,
阿 彌 陀 經蔀
は 唯 慈悲
經 で あ り 、 表 題 は梵
讀 の 「 ア。
ヒ タ己
漢 音 の 「 阿 彌 陀 」 をKyoto Seizan College
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當 て
嵌
の 仁 も の で あ つ て 、 そ れ か 飜 譯 の 智 惠 な る に對
し 、 今 は慈
悲
の 意 を 顯 す の で あ る 。 換 嘗 せ ば 、 梵 語、
こ 漢 背.
こ.
か,
共
に一
部 の 表 題 に 於 イ 、 .狒
説興
彌 陀 維−
三
与 つ て.
唯 慈 悲 を顯
し 、経
そ の も の ・ 内容
が 唯 慈 悲.
即 ち 佐 立 室 中 の 獨一
顯 現 の 來迎、
こ も 見 る べ き であ
る 。 こ の 故 に…
部 の總
標
で あ る 表 題 が , 唯 慈 悲 來 迎 の 意 に よ つ て 、 漢音
に 讀 む の か 可 な ゐ 故 、隨
つ て 小 經 全 文 を も 漢 音 で 讀 誦 す る の が、
我
酉 山 國師
の 御 心 に添
ふ も の で は な い だ ら う かー
こ、
愚
考 す ろ 次第
で あ る 。 而 し 乍 ら こ に 注 意 し て置
き 度 い の ば、
國 師 は 决 し て 彌 陀 維 を 漢音
に て 、 讀 誦 せ ね は な ら な いー
こ.
仰 せ ら れ た の で は な く、
漢 呉 何 れ に 讀 葡 し て も 、 變 り は な き も の で あ る 。 現 に 三部
紀 讀誦
の 時 ぱ , 彌 陀 綴 を も 呉 音 で 讃 む 慣 し、
こ な つ て ゐ る の を 見 て も 知 ら る 邇 り であ
る 。 唯 彌 陀 維 の み を , 特 に 切 り離
し て 誤 誦 す る 畔 に は 、 佛 の 大 慈 悲 を 讃嘆
し 奉 る 意 に よ っ て、
漢音
に讀
ま れ 仁 の で は な い だ ら う か、
、
}
思 ふ の で あ る 。 彼 の慈
覺 大師
が 五 台 山 に於
て 、 生 身 の 文 殊 菩 薩 に 値 ひ 奉 つ 仁・
こ云
ふ も、
即 ち 生 身 見 佛 の 慈 悲 來 迎 に接
し な さ れ 丸 の で あ っ て 、 そ の 時 八功
徳 池 の 浪 の 音 の曲
調 に よ つ て 、 彌 陀 讀 唱 の 音 孕傳
授
さ れ た の で あ ら う 。.
西 山 國師
も 亦 天 台 學 の泰
斗 で あ り、
長
く 叡 山 にあ
つ て、
法
を 學 さ れ た の で あ る か ら.
此 の 慈 麑 大 師 よ の傳
はO
仁 る 、 漢 膏 を授
承
さ れ た で あ ら う事
は、
明 ら か で あ る 。 叉 例 ひ 張 陀 纏漢
讀 は 國 師 の獨
創 で な く、
何 れ よ り傳
は り た る も の.
こ し て も、
前
逋 の 事 相 上 の 意 よ り し て、
决 し て 西 山 義 に 悖 る も の で は な い・
こ 、考
へ る も の で あ る 。最
後 に 昔 調 傳 授 に 蘭 し て 、 今 少 し 述 べ こ の稿
を終
ら う、
こ 思 ふ 。}
説 に は 慈 覺 大 師 は、
浪 の 音即
ち 尺 八 の 昔 調 を 以 つ て 彌 陀 經 を傳
授
さ れ れ Σ も傳
へ ら れ て ゐ る 。 日 本 に 歸 へ る 舟 中 に て、
そ の}
節 を 忘 れ 、 心 靜 か に 天 に 念 す れ ば 即 ち 妙 雙 あ り、
大 師 は 之 を 尺 八 に よ つ て、
感
授
さ れ 九・
こ云
ふ 、 両 臼 い 話 も殘
つ て ゐ る 。 こ の 傳説
の 眞 僞 は 兎 も 角・
こ し て、
彌 陀 經 を 漢 音 で 誦 す る 事 は 、 普曲
調 に 近 い 事 だ け は 伺 は れ る 。 こ の 故 に 所謂
漢 學 者 の 漢音
な る も のー
こ、
異 つ て ゐ る 理 由 が 、 自 か ら 分 か ら う で は な い か 。 此 の 異 つ て ゐ る 所 が、
宗 教 上 の 面 臼味
で あ り 、 莊 嚴 さ で も あ っ て 、 世 に 僭 侶 の 讀 ん で ゐ る 漢音
九一
.
、N工 工
一
Eleotronio Library Servioe九 二 は 、 聞 逾 つ て ゐ る