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真宗研究55号 010野呂 靖「存覚撰『歩船鈔』における聖道門理解―「華厳宗」項の検討を中心に――」

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全文

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存覚撰

における聖道門理解

l

l

﹁華厳宗﹂項の検討を中心に||

龍谷大学

問題の所在

存覚上人︵一二九

01

二二七一二︶選﹃歩船紗﹄は、暦応元︵一三三八︶年、備後慶空の要望にもとづ︵凱、法相 三論・華厳・天台・真言・律・倶舎・成実・仏心・浄土の十宗の教義概要を示した著作である。本書には、存覚当 時の諸宗全体が術撤されるとともに、各教理への詳細な註釈が施されており、存覚の深い諸宗理解の一端をうかが うことができる。また存覚は、本願寺第三世覚如︵一二七

01

一三五二の長男であり、若年期より南都・北嶺の 諸寺院において幅広い修学を行うなど、本書は初期真宗の諸宗にわたる思想的交流を考える上で極めて重要であろ 、 つ 。 さて、存覚の生きた鎌倉中期から南北朝期にかけては、凝然︵一二四

01

一 一 二 一 一 一 ︶ ﹁ 八 宗 綱 要 ﹂ や 頼 瑞 ︵ 一 二 二 六

1

一 一 二

O

四︶﹃諸宗教理同異釈﹂、円爾ご二

O

二 j i − − 一 二 八

O

︶﹃十宗要道記﹄など八宗・十宗の枠組みを採用 し、諸宗における自宗の位置付けを教理的に明らかにする文献が多く撰述された。﹃歩船紗﹄も同様に、諸宗の教 一 四 五

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存覚撰﹁歩船紗﹂における聖道門理解 一 四 六 義概要を示した後、各宗における浄土義を提示し他力念仏を勧めるという構成を有している点から、 一 連 の ﹁ 綱 要 書﹂群のなかに位置付けることが可能である。しかし、そうした﹁綱要書﹂としての位置付けからか、﹃歩船紗﹄ ︵ 3 ︶ に示された教理内容自体に対する分析は必ずしも十分に行われてこなかったように思われる。 ︵ 4 ︶ ところで近年注目されるのは、本書が﹃八宗綱要﹄の影響下のもとに形成されたとする研究である。これは、従 来看過されてきた﹃歩船紗﹂成立の前提となる文献の特定を、主に論述形態の相似に注目して行ったものであり、 極めて重要な指摘と考えられる。しかし、本書の﹁華厳宗﹂項には、凝然説にはみられない、極めて特徴的な華厳 の中世期における流布状況から、﹃歩船紗﹄が依用した可能性については慎重 理 解 が 示 さ れ て い る 他 、 ﹃ 八 宗 綱 要 ﹄ な 検 討 が 必 要 で あ る 。 本稿では、存覚の示す十宗のうち、とくに﹁華厳宗﹂項の教理内容そのものに注目し、中世期の華厳宗における 理解と比較することで、﹃八宗綱要﹂との影響関係について再検討を行う。この作業によって、存覚における聖道 門理解の思想的背景の一端を明らかにしたい。 、

﹃歩船紗﹄形成に関する従来の見解

はじめに、存覚が﹃歩船捗﹄執筆にあたり、 いかなる文献を参照したかという点について、従来の研究を示して お き た い 。 ﹁歩船紗﹄の構成や内容面について具体的な検討を行った北塔光昇氏は、次の二点を指摘している。第一に、﹃歩 船紗﹄各宗の書き出しの記述と、﹃八宗綱要﹄の表記とが類似するという点である。すなわち、例えば﹁法相宗﹂ 項 に お い て 、 ﹁ 歩 船 紗 ﹄ の 冒 頭 に は ﹁ 法 相 宗 の こ 、 ろ は 有 空 中 の 三 時 を た て 、 ﹂ ︵ 一 一 一 一 一 頁 ︶ と あ り 、 ﹃ 八 宗 綱 要 ﹄

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で は ﹁ 問 、 っ 、 此 の 宗 は 幾 ば く の 時 教 を 立 て て 、 一代の教を摂するや。答う、三時教をたてて、 一 代 の 教 を 摂 す ﹂ と あって、両書ともに﹁三時教﹂が法相教理の冒頭に一不されている点に注目したもので、﹁法相宗から天台宗までは、 ﹁こ﹀ろは﹂という表現で始まり ﹃ 八 宗 綱 要 ﹄ の表記と極めて似ていることに気が付く。また、真言宗から倶企口宗 までは﹁いふは﹂という表現になるが、すべて﹃八宗綱要﹂に記されている内容の大意を取ってまとめているよう に思われる﹂︵二八三頁︶と述べて、存覚が示す各宗の教理内容は、﹃八宗綱要﹄と基本的に一致すると指摘する。 第 二 に 、 ﹃ 歩 船 紗 ﹂ ﹁ 倶 舎 宗 ﹂ 項 の 冒 頭 に は 、 ﹁ 倶 金 口 宗 と い ふ は 小 乗 な り 。 本 論 は 天 親 菩 薩 の 造 な り 、 一 二 十 巻 あ り ﹂ と記されており、﹁本論﹂がいかなる丈献を指すか明記されていないという点である。すなわち、﹁先の各宗の書き 出しの表現や大意の取得以上に、﹃八宗綱要﹄を参照したと思われる点がある。それは、倶舎宗の箇所で、突然に 三十巻あり/﹁本 ﹁本論﹂と出てくることである。/一、倶舎宗といふは、小乗なり。本論は天親菩薩の遣なり、 論 ﹂ に 相 当 す る 論 書 名 が な い の で あ る 。 ︵ 中 略 ︶ ﹃ 歩 船 紗 ﹂ の意味不明の文章が、この ﹁ 八 宗 綱 要 ﹄ の﹁本論の名な り﹂﹁世親菩薩の造る所なり L ﹁ 二 一 十 巻 あ り ﹂ の 文 の 合 成 で あ る こ と を 考 え れ ば 納 得 の い く こ と で あ る ﹂ ︵ 二 八 五 頁 ︶ とされるように、﹃歩船紗﹂は ﹃八宗綱要﹂﹁倶舎宗﹂項の冒頭本文を下敷きにし、抜き書きしたと考えられるとの 指 摘 を 行 っ て い る 。 このように北塔氏は、①﹃歩船紗﹄書き出しの記述と大意の類似、②﹃歩船紗﹂﹁倶舎宗﹂項における記述の問 題点を根拠に、﹁以上の検討で、﹃八宗綱要﹄は華厳宗を中心とした教相判釈の書であり、その書を模範として存覚 が浄土宗︵この場合浄土真宗も浄土宗も同じと考えられている︶を中心として教相判釈を行ったものが﹃歩船妙﹄ であると結論づけることができよう﹂︵二八五頁︶と述べられ、﹃歩船紗﹄は ﹃ 八 宗 綱 要 ﹄ の影響下に作成されたと 結 論 付 け て い る 。 北塔氏による指摘は、これまで十分に検討されてこなかった ﹃ 歩 船 紗 ﹄ の内容面に注目し、その影響関係に言及 存覚撰﹃歩船紗﹄における聖道門理解 四 七

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存覚撰﹃歩船紗﹄における聖道門理解 四 人 の教理内容を検討していく上で重要な基礎作業を示されたものといえよう。また、そ ︵ 6 ︶ の後の﹃歩船紗﹂研究においても北塔氏の指摘は踏襲されており、﹃歩船紗﹄が﹃八宗綱要﹄を下敷きに形成され たとする見方は、存覚の聖道門理解を検討する上での前提となっているということができよう。 し た も の で あ り 、 ﹃ 歩 船 紗 ﹂

の流布状況と、中世華厳宗における凝然説の位置

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︶存覚の修学 存覚の生涯を記した﹃常楽台主老柄衣一期記﹂によ礼町、正応三︵一二九

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︶ 年 に 誕 生 し た 存 覚 は 、 一 三 歳 の 年 、 乾 元 一 冗 ︵ 二 二

O

二︶年に、大和の中河成身院に止住していた東北院円月上人慶海のもとで修学を開始する。成身院 は、真言宗僧である中川実範

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一 一 四 四 ︶ 一 二 世 紀 に は ﹃ 高 麗 続 蔵 経 ﹄ ︵義天版︶などの経蔵を有する中世における仏教研究の中心地の一つとして重要な院家であっ︵問。存覚は、同年の の創建にかかる興福寺の別所であり、 一

O

月に出家、東大寺において受戒をした後、 一一月には十八道法の加行からはじまり金剛界の伝授にいたる密教 行法の伝授を受けている。さらに慶海の師にあたる良寛己講より論義を学んでいる他、興福寺発心院覚意の講建に 連なっており、﹁興福寺の交衆﹂として﹁顕宗を好﹂んでいたと記される。このように、存覚最初期の修学は、密 教寺院としての成身院のネットワークを通じた密教の修学と同時に、法相教学を中心とする﹁顕教﹂研究より始ま っ た と い う こ と が で き よ う 。 一五歳の時に存覚は上洛し、比叡山において心性院経 恵、尊勝院玄知日のもとに入室している。そこでは、弘法大師御筆の如意輪大呪を授与されるなど、﹁密宗之受法等 こうした南都における学びの後、嘉元二︵二二

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四 ︶ 年 、

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追日励之﹂とあるように熱心に密教行法を受けており、延慶元︵一三一

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︶ 年 、 尊勝法供養僧となっている。 一九歳の時には昆沙門谷証聞院の 以上のように、若年期における存覚の修学は、文字通り南都・北嶺において法相・天台・天台密教・真言という 顕密両面にわたる教学の学びを通して行われていったと考えられ、こうした素養にもとづく該博な知識によって ﹁十宗﹂を網羅する﹁綱要書﹂が撰述されたということができよう。 ︵

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︶ ﹁ 八 宗 綱 要 ﹂ の流布状況 それでは存覚は、こうした若年期の修学や﹃歩船紗﹂撰述時において﹃八宗綱要﹂を参照しえたのだろうか。 ﹃八宗綱要﹄は、いうまでもなく東大寺僧の示観国師凝然︵一二四

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一 一 一 一 一 一 一 ︶ に よ っ て 、 丈 永 五 ︵ 一 二 六 八 ︶ 年に著された凝然最初期︵二九歳︶の著述である。凝然は東大寺戒壇院に住し、華厳・律を中心とする、実に百二 十五部千二百余巻もの著述を残していれ o なかでも﹃八宗綱要﹄﹃内典塵露章﹄﹃一二国仏法伝通縁起﹄は八宗十宗 の枠組みにもとづき諸宗教理を整理した仏教綱要書であり、とくに﹃八宗綱要﹄は、存覚と同様に倶舎・成実・ 律・法相・三論・天台・華厳・真言の八宗に禅・浄土の二宗を加えた全十宗について極めてまとまった構成を簡潔 ︵ ロ ︶ な内容を有している。そのため、現代においてもいくつかの内容的な問題点は指摘されつつも、初学者向けの入門 ︵ 日 ︶ 書として依用されている。 ところで、ここで注意したいのは、存覚が生きた中世期における ﹃ 八 宗 綱 要 ﹂ の流布状況である。まず、﹃八宗 綱 要 ﹄ のテキストについて、﹃古典籍総合目録﹂は以下の情報を掲載する。 ︷ 写 本 ︼ 竜 火 口 ︵ 二 巻 二 冊 ︶ 高野山三宝院︵慶長二一写一冊︶ 存覚撰﹁歩船紗﹄における聖道門理解 四 九

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存覚撰﹁歩船紗﹄における聖道門理解 一 五 O ︻ 版 本 ︼ 薬 師 寺 ︵ ﹁ 校 訂 法 相 宗 綱 要 ﹂ 、 下 巻 、 明 治 写 一 冊 ︶ ①承応二版・内閣、大谷、早大、大正、東大、名大、皇学、竜谷、京都府、高野山金剛三昧院、茶園 成筆、成田、無窮神習 ② 文 政 一

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版・﹁校訂八宗綱要紗﹂円解校一大谷、慶大、大正、東大、竜谷、大橋、高野山宝城院 ③文政二版一成田 ④刊年不明・国学院、大正、東洋大、高野山真別処 こ れ に よ れ ば 、 本 書 の 写 本 と し て は 、 ① 圭 一 回 写 年 代 不 明 の 龍 谷 大 学 本 、 ② 慶 長 二 一 ︵ 一 六

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七︶年写の高野山三宝 院本、③明治期に書写された薬師寺本の三本が伝存する。このうち、書写年代不明の龍谷大学本︵龍谷大学﹁写字 台文庫﹂架蔵一請求記号二五四/四一 W ︶については、実際に調査する機会を得たが、料紙は罫紙が使用されてお り、幕末・明治期以降の書写であることは明らかである。したがって、現存する写本はいずれも近世︵江戸前期︶ 以 降 と な る 。 次に版本であるが、年代が明らかなものとして承応二年版、文政一

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年版、文政一一年版の三本が存在する。こ こで注意されるのは、すでに平川彰氏が指摘するように、三本ともに同一系統の写本︵成実書写本︶に基づく版で あることであろう。このうち、最も古い承応二年版の刊記を記すと以下の通りである。 或人云凝然大徳所述之八宗綱要浅学之指南尤至要︿云々﹀相劇刷刻刻割弱刑周到捌周回開対問問剥仏 天之告託歎神明之感応歎歓喜有レ余歎義学之君子翫之 元亀二年︿未﹀九月廿二日華厳末葉大法印成実 承応二稔季春吉日 開 版 ︵ 龍 谷 大 学 写 字 台 文 庫 蔵 本 、 承 応 二 年 版 、 一 一 一 一 丁 左 ︶

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これによれば、承応二年版が基づく成実書写本は、元亀ニ︵一五七二年の書写奥書を有するものであり、上述 の三本の写本よりさかのぼる形態を伝えていることがわかる。このように、現在に至る﹃八宗綱要﹄のテキストに ていることがただちに﹃八宗綱要﹄ ついて、中世期に遡りうるその他の転写本の存在は知られていない。いうまでもなく、現存する転写本が限定され の流布が行われていなかったことを証するものではないが、中世期における ﹁ 八 宗 綱 要 ﹄ の転写が必ずしも多くない点は注意しておきたい。 さらに、この点から注目されるのが、成実書写本に記された、書写当時における本書の流布状況を示す記述であ る。書写者である﹁華厳末葉大法印成実﹂については未詳であるが、﹁華厳末葉﹂とあることより、﹁華厳﹂を﹁本 宗﹂とする学侶であったことは間違いない。注意したいのは、東大寺に住し、華厳学を学ぶ学侶であっても、﹁八 宗綱要﹂はこれまで披見したことのない文献であり、﹁万障をなげうってでも書写した﹂と証言されている点であ る。つまり、成実が本書を入手する以前において既に初学者用のテキスト︵﹁浅学之指南﹂︶としての位置付けがな されていたものの、すくなくとも一六世紀の東大寺において実際に﹁浅学之指南﹂として依用されていたわけでは ないことがわかる。すなわち、凝然の著述時期から約三

OO

年後の東大寺内においても、誰もが披閲可能なテキス トとしてではなく、流布が限定されていたと考えられる。 ︵

3

︶存覚と﹁八宗綱要﹄ さて、存覚は凝然とほぼ同時代の鎌倉中・後期に著述活動を行っている。存覚が﹁歩船紗﹄を撰述した年は、歴 応元︵一三三八︶年であり、これは凝然没後一七年後に相当する。既にみたように、存覚は乾元元︵二三

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二 ︶ 年 ︵ 凶 ︶ 以降、中川成身院︵東北院︶・興福寺発心院にて慶海・良寛・覚意などの法相宗僧より教えを受けており、こうし た南都における初期の修学状況からも、存覚が本書を披見しえた可能性は必ずしも否定できない。もしそうであれ 存覚撰﹁歩船紗﹂における聖道門理解 五

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存覚撰﹁歩船紗﹄における聖道門理解 五 ば、存覚が﹃歩船妙﹄撰述に際しでも、﹃八宗綱要﹂を座右に置き、著述を行ったとしても決して不自然ではない。 ただし、存覚の著述上に﹃八宗綱要﹂の書名や凝然の見解を明記して引用する箇所は存在せず、存覚の作成にか かる聖教目録﹃浄典日録﹂においても本書は言及されない。さらに、先にみてきたように、存覚が南都において修 学していた青年期において容易に披見可能なものではなかった点は注意を要するであろう。 また、﹃八宗綱要﹄だけでなく、凝然の著述自体の流布状況についても考えておきたい。従来、凝然の華厳学は ︵ 凶 ︶ 日本華厳の﹁正統﹂であり、凝然教学が後代の東大寺系華厳学を規定したと評価されてきた。この点から、凝然の 見解は広く中世の東大寺において依用されてきたと考えられてきた。しかし、近年この点については大幅な見直し ︵ ゆ ︶ が行われており、必ずしも凝然説が参照されていないことが明らかとなってきている。実際に、湛容︵一二七一

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一 三 四 五

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? ︶ ・ 禅 爾 ︵ 一 二 五 一

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一二三五︶・聖憲など中世期の凝然門下の諸師においても凝然説は必ずしも継承 されていない。凝然の業績が顕揚されるのは、近世まで下るとする見方もあり、この点も注意を要しよう。 以上、検討してきたように、﹃八宗綱要﹂自体の流布状況については、現代における綱要書としての位置付けに 比して限定的であり、存覚が入手しえたと直ちに考えることはできない。

における﹁諸宗﹂理解の基本構造

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︶存覚の﹁諸宗﹂理解 いずれも十宗の項目を立て梗概を示している。そのためか、すでに﹃歩船紗甲辰 記﹄など近世の注釈書類においても両警の関係が注目されてきた。しかし、そもそも中世期において十宗の枠組み ﹃ 歩 船 紗 ﹄ と ﹃ 八 宗 綱 要 ﹂ は 、

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を用いて諸宗の梗概を一不す文献は、﹃八宗綱要﹄に限るものではなく、両者の積極的な関係を証する根拠とはなり え な い 。 そこでまず、﹁歩船紗﹄冒頭から、存覚が諸宗の関係をどのように理解していたかを確認しておきたい。 一代の諸教まちまちにわかれて、諸宗の所談各別なり。別なりといへども帰するところの極理は一致なり。 し、 づれも生死をはなれて浬般市を証し、まどひをひるがへしてさとりをうべきがゆへなり。求那蹴摩三蔵の遺文の 偶をみるに、﹁諸論をのをの異端なれども、修行するに理ふたつなし。偏執すれは是非あり、達するものは異 諦なし﹂といへり。まことに智解ありて、仏法の大意に通達せむ人、偏執あるべからず。しかれども機根万差 なるがゆへに仏教また万別なり。各々有縁の教によりて修行せばすみやかに解脱をうべきなりそのなかに四家 の大乗といふは、法相・三論・華厳・天台なり。このほかに真一言・倶舎・成実・律宗をくはへて八宗とす。ま た仏心宗をくはへて九宗とす。また浄土宗をくはへて十宗といふへし。これ日本に流布せる宗なり。これらの 諸宗みな一仏の所説よりいでて、ことごとく元上菩提にいたるべき門なり。 ︵ ﹃ 真 聖 全 ﹄ 三 、 一 一 一 一 一 頁 ︶ ここに明らかなように、諸宗の教理はすべて釈尊一代の教に基づくものであり、﹁機根﹂の異なりによって多く の﹁諸宗﹂に分かれているのであって、﹁帰するところの極理は一致﹂すると、存覚は認識している。こうした理 解によれば、教理上における聖道門・浄土門の浅深の区別はなく、﹁有縁の教﹂によって修行した際の得道をも認 ︵ お ︶ めていることになり、従来より存覚の諸宗への融和的な態度を一示すものと指摘されてきた。ただし、同様の理解は ︵μ ︶ の﹁登山状﹂にも示されている。存覚自身、先の用例の様に﹃法華玄義﹄や す で に 源 空 ︵ 一 一 一 三 二

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一 一 一 一 一 一 ︶ ﹁摩詞止観﹄など天台文献に頻出する ﹃梁高僧伝﹄巻三における﹁求那蹴摩コ一蔵の遺文の倍﹂を示しており、若年 期から学んでいた天台教義における基本的理解を踏襲したものと考えられよう。 さて存覚は、各宗の配列を実際にはどのように考えていたのであろうか。﹁八宗綱要﹄ の配列と併せて以下に記 存覚撰﹃歩船紗﹄における聖道門理解 五

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し て お き た い 。 存 覚 撰 ﹃ 歩 船 紗 ﹄ に お け る 聖 道 門 理 解 一 五 四 ︻ 図 表 ︼ ﹃ 八 宗 綱 要 ﹂ ﹃八 宗 綱 要 ﹄ と ﹃ 歩 船 紗 ﹄ に お け る 十 宗 の 構 造 ﹃ 歩 船 秒 ﹄ 倶舎宗﹂ 成 実 宗 丁 小 乗 律 万三 法相宗 一 一 一 弘 珊 ウ 一 小 天台宗 華厳宗 真言宗 禅宗 浄 土 万三 天 華 三 法 台 厳 論 相 仁士− dァ ,土・ ,三コ 刀 王 刀t 万 宝 刀Z 四 家 大 乗 八 宗 十宗 直 一 ︵ ニ コ ロ ウ 不 倶舎宗 九宗 大 乗 成実宗 律 刀て 7 山 、 い 芸 ︷:ァ

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刀t 一見してわかるように、﹃歩船妙﹄ では﹁四家の大乗といふは、法相・二一論・華厳・天台なり。このほかに真 言・倶舎・成実・律宗をくはへて八宗とす。また仏心宗をくはへて九宗とす。また浄土宗をくはへて十宗といふへ し﹂︵﹃真聖全﹄三、一一一一一頁︶と述べている通り、法相・一二論・華厳・天台の﹁四家大乗﹂が存覚の諸宗理解の基 本である。この四宗のほかに、真言・倶舎・成実・律の余宗を加え、さらに仏心・浄土の二宗が連なる構造をとる。

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このように、大乗教を重視する理解は、﹁歩船紗﹄とほぼ同時期に存覚が撰述した りて、ことに衆生即仏の門をあかし実相常住の理をあかせるは﹃華厳﹄・﹃法華﹄・﹃浬繋﹂等の大乗経これなり﹂と 述べていることからも明らかであり、成仏論などの教理上における大乗の優位を認める理解があったと考えてよい ﹃ 決 智 紗 ﹄ に 、 ﹁ か の 聖 道 門 に と で あ ろ う 。 一方、﹃八宗綱要﹄はどうであろうか。凝然は﹁以前所 ν列諸宗次第、非一是浅深次第 4 唯 随 ν 列 爾 ﹂ と 述 、 べ て 諸 宗の配列は教理上の優劣を意図していないとするものの、小乗教を倶舎・成実・律の三宗とし、法相・二一論・天 ︵ お ︶ 台・華厳・真一三一口までを大乗教に認定する。そして、小乗より大乗へと進み、大乗教のなかでも天台・華厳などの一 乗教へと連なる配列となっている。こうした配列がいかなる意図によってなされたかについては措いておくとして ︵ 幻 ︶ も、ここで注意したいのは、﹁歩船紗﹂における聖道門諸宗の構成と大きく異なることであろう。﹃歩船紗﹂は﹃八 宗綱要﹄とは対照的に﹁四家大乗﹂を中心に余宗が加えられるとする基本構造を有しており、十宗という枠組みは 同じであるが、その配列については両書聞に相違をみることができる。 四

そこで以下、実際に﹁華厳宗﹂項を比較してみたい。以下、 やや長文ではあるが、両書を併記する。

︷ 五 教 判 ︼

五 教 を た て て 切 の 仏 教 を 摂 す

︻ 宗 名 ︼ 華 厳 宗 の こ こ ろ は 、 問。何故名華厳宗。答。以華厳経、為其所想故云爾也。 存覚撰﹁歩船紗﹄における聖道門理解 一 五 五

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存覚撰﹁歩船紗﹄における聖道門理解 五 教 と い ふ は 、 一には小乗教、﹃阿含﹄等のもろも ろの小乗経のこころなり。こには始教、﹁深密﹄等 の諸大乗経ならびに﹃喰伽﹄・﹃唯識﹄等の諸大乗論 のこころなり。三には終教、﹃浬繋経﹂等のこころ なり。四には頓教、これは別の部なし、ただ諸大乗 経のなかの即心是仏の頓説これなり。五には円教、 ﹁ 華 厳 ﹄ ・ ﹁ 法 華 ﹂ の こ こ ろ な り 。 こ の 五 教 の な か に 、 頓教・円教をもて一乗究寛の教とす。 ︻ 円 教 の 内 容 ︼ その教のこころは三界唯心染浄同体をもて本とす。 これすなはちかの﹃経﹄の文に、あるひは﹁一切の 法は、すなはち心の自性なりとしる、慧を具足する 身は、陀よりさとらず﹂ととき、あるひは﹁もし人 三世の一切の仏を了知せむとおもはば、まさにかく のごとく観ずベし、心もろもろの如来をつくる﹂と いひ、あるひは﹁三界はただ一心なり、心のほかに 別の法なし、仏とをよび衆生と、このみつ差別な し﹂ととける、そのこころなり。これみな仏界・衆 一 五 六 ︻ 所 依 の 経 ︼ 問。華厳総有幾経乎。答。委論之、有十類別。然今取要言、 只 有 三 本 。 : : : ︵ 以 下 、 漢 訳 華 厳 経 に 関 す る 記 述 ︶ ︷ 三 国 の 伝 承 ︸ 問。此宗以誰為祖師乎。答。香象大師、以為高祖。然具之、 立於七祖。:::︵以下、インド・中国・日本への流伝に関 す る 記 述 ︶ ︻ 五 教 判 ︼ 問。此宗立幾宗教、摂一代法門乎。答。立五教十宗、摂一 一小乗教、二大乗始教、三大乗終教、 代 法 門 。 其 五 教 者 、 四 頓 教 、 五 円 教 也 。 初小乗教者、如来出世、為説一乗開化衆生故、菩提樹下、 説 本 教 一 乗 。 : : 次大乗始教者、此教既出小乗、始入大乗故少難影似小教、 多談直進深義 0 ・ 次終教者、此教諸相融即、入不二之定門: 次頓教者、此教一念不生、名為仏 0 ・

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生界、その体性同体にしてただ一心の所作なること を あ か せ る 文 な り 。 この一心をたづぬるに、その体元性にして、しかも 染浄の体となる。いはゆる縁生の諸法は衆縁の陀に よりて生ずれば、その体元性なり。真智又了縁によ りて顕現するがゆへにその体元性なり。ともに縁よ り生ずるによりて縁性同体にして元性を体とす。 ﹃法華経﹂に﹁諸仏両足尊、法はつねに元性なりと しる。仏種は縁よりおこる、このゆへに一乗とと く﹂といへる、そのこころなり。 このゆへにこの心みづから元性としらざるをば元明 といひ、またはまどひとなづく。衆生はこのまどひ によりて業をつくり、業によりて報を、つくるゆへに ひさしく生死に流転す。しかるにはじめて了縁にあ ふて、この心みづから元性なりとしるを真智といひ、 またはさとりとなづく。このさとりに依止してつく るところの業を菩薩の行となづく。この行つゐに功 をつみえて元始の妄習たちまちにつきぬれば、本覚 円明の体にかなふを妙覚果満のくらゐとなマつくるな 存覚撰﹁歩船紗﹂における聖道門理解 後円教者、此教明事事無擬、窮諸法之体相、談主伴無尽、 彰果相之円備。故十玄縁起、融諸法而即入。六相円融、通 一即多而無隔、多即一而円通、摂九世以入利 衆 相 而 無 磁 。 那、針一念町該永劫。三生証果、還彰本成、十信道円、没 同果海。行布之施設、備経多劫、円融之妙義現身証果。行 布不擬円融、円融不妨行布。故得一切相即相融。此是教意 也 。 如来所説、一代教文、浅深難区、不出此五。寒判諸法、而 無遣、摂法門而莫余。此之五中、初一小乗、後一一乗、中 三並三乗教。始終二教是漸、合為漸頓二教。漸中分始終。 故 成 三 也 。 ︻ 十 宗 判 ︼ 次十宗者、上之五教、約宗分之、不過十宗。 一 我 法 倶 有 宗 ︻ 五 教 行 位 ︼ 問。五教行位、其相如何。答小乗教中 一 五 七

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存覚撰﹃歩船紗﹄における聖道門理解 り。大乗究寛の妙談まことにねがふべしといへども かの元性のさとりをえて元始票習のまどひをひるが へさむこと、おぼろげの浅機はかなひがたし。在家 下根のともがら、おもひもよらぬ事なり。されば弥 陀の浄土に生じてかの妙解を発せんことは、もとも た く み な る べ し 。 ・ : ︵ ﹃ 真 聖 全 ﹄ 三 、 二 二 六

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二 二 七 頁 ︶ ︵ l ︶構成と引用文献 まず、両書の構成に注目したい。﹁八宗綱要﹄ 五 )¥ ︻ 四 法 界 ︸ 一 切 摂 尽 、 無 有 余 失 。 一 事 法 界 、 二 円 教 義 理 、 四 法 界 中 、 理 法 界 、 一 二 事 理 無 擬 法 界 、 四 事 事 無 醗 法 界 也 。 ︻ 仏 身 ・ 仏 土 ︸ 問。此宗仏之身士、立幾種乎。答。五教不向。: ︵ ﹃ 日 仏 全 ﹂ 三 、 二 七 頁 下

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一 一 一 一 頁 上 ︶ 判 ﹂ ・ ﹁ 十 宗 判 ﹂ ・ ﹁ 行 位 説 ﹂ ・ ﹁ 四 法 界 説 ﹂ ・ ﹁ 仏 身 仏 土 説 ﹂ に 至 る ま で 、 網 羅 的 に 華 厳 学 に お け る 要 点 を 記 述 す る 。 で は 、 ﹁ 宗 名 ﹂ に 始 ま り 、 ﹁ 所 依 の 経 典 ﹂ ・ つ 一 一 国 の 伝 承 ﹂ ・ ﹁ 五 教 では、﹁五教判﹂と、それに伴う﹁円教の内容﹂の二点について述べるのみであり、﹁宗名﹂や﹁所 依の経典﹂の他、﹁十宗判﹂﹁仏身・仏土説﹂についても触れられていない。 さらに、最大の特徴は、﹃歩船妙﹂における﹁円教の内容﹂自体が極めて簡潔なことであろう。﹃八宗綱要﹂では 方 、 ﹁ 歩 船 秒 ﹄ ﹁五教判﹂に関する説明のなかで、﹁円教の内容﹂について述べており、円教は﹁四法界説﹂のなか﹁事事無擬﹂の 教理を明らかにする教えであることが明記され、続いて﹁十玄縁起﹂﹁六相円融﹂などの華厳学に最も特徴的な教 理が一不されている。華厳宗の中心的な教理を法界縁起説にみることは、凝然など中世期の華厳宗において一般的な ︵ お ︶ 理解であり、﹁歩船紗﹄と同時代に作成された頼磁﹃諸宗教理同異釈﹄、円爾﹃十宗要道記﹂など、真言・禅系統の 綱要書においても同様に法界縁起説が紹介されている。ところが、﹃歩船紗﹄ではこうした法界縁起説に関する言

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及がない他、﹁四法界説﹂についても記述されていない。 また、﹃歩船紗﹄﹁華厳宗﹂項において引用される文献は、﹃八十華厳﹄巻一七、﹁六十華厳﹄巻一 一 、 ﹃ 八 十 華 厳 ﹄ 巻 三 七 、 ﹁ 法 華 経 ﹄ 巻 一 、 ﹃ 四 十 華 厳 ﹄ 巻 四

O

、元暁﹃遊心安楽道﹄の全六例を数える。このように、本項に引用さ れる文献は﹃華厳経﹄が中心であり、﹁かの宗の祖師元暁も﹃遊心安楽道﹂といふ丈をつくりて、念仏を讃じ西方 を嘆ぜり﹂と紹介される新羅の元暁︵六一七

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六八六︶を除いて、華厳学派の諸師による章疏類は挙げられていな いずれも各宗の祖師の文献が紹介・引用されていることと対照 ぃ。このことは、﹁華厳宗﹂以外の項目において、 的 で あ る 。 以上のような特徴的な構成と引用文献のあり方は、存覚が﹁華厳宗﹂項を作成するにあたり依拠した文献が、法 界縁起説を重視しないものであり、さらに法蔵︵六四三

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七 一 一 一 ︶ ・ 澄 観 ︵ 七 三 八

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八三九︶など日本華厳宗に強 い影響をあたえた華厳学派の祖師による著述や、東大寺を中心とする華厳宗系統の典籍ではなかった可能性を推測 さ せ る も の で あ る 。 ︵

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︶ 五教判における円教に対応する経典について そこで次に、両書がともに言及する五教判の内容を検討したい。五教判とは、法蔵によって整備された華厳学独 自の教判説であり、釈尊一代の教説を、①小乗教、②大乗始教、③終教、④頓教、⑤円教の五類に分類したもので ある。このうち第五円教には、﹁八宗綱要﹂に述べられるように、﹁事事無醗﹂の理を明かし、﹁主伴無尽﹂を談じ ている﹁華厳経﹂が配当される。この理解は、法蔵が一乗経典である﹃法華経﹄と﹃華厳経﹂について、前者を三 乗教に同調する一乗の側面を示す﹁同教一乗﹂と位置付け、﹃華厳経﹄こそが三乗教とは格別した﹁別教一乗﹂で のみが配当されるとして、﹃華厳経﹄の格別性を強調する理解を基盤とし あるとし、第五円教の内容は﹃華厳経﹄ 存覚撰﹁歩船紗﹄における聖道門理解 一 五 九

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存覚撰﹁歩船紗﹄における聖道門理解 ︵ 初 ︶ て い る と 考 え ら れ る 。 一 六 O 一方、﹃歩船紗﹄において注目されるのは、﹁五には円教、﹃華厳﹄・﹃法華﹂のこころなり﹂と述べて、円教に ﹃華厳経﹄と並んで﹃法華経﹄が配当されている点であろう。華厳学における﹃法華経﹄の位置付けについては、 日本華厳では奈良期の﹃華厳五教章﹂注釈書に﹃法華経﹄と﹃華厳経﹄を同等に扱う用例が見られ、凝然も﹃五教 章通路記﹂において﹃法華経﹄を同教と別教に通じる一乗として理解する箇所がある。この点から、﹁歩船妙﹂の 理解は全く根拠のないものではない。 存覚がいかなる文献に基づきこうした理解を行ったか未詳であるが、すくなくとも、﹃八宗綱要﹄とは異なり、 ﹁法華経﹂を円教に配当させることで ﹃法華経﹄を重視する立場に存覚がたつていることを示していよう。そのた め、近世の義譲による﹃歩船紗甲辰記﹂ では、この箇所の註釈に際し、法蔵を承けて﹁然レパ法華ハ五教ノ中テハ 終頓ノ教ニ止リテ円教ニハアラズ﹂と述べて﹃歩船紗﹄の理解に疑義を示しており、結果的に存師︵存覚︶の理解 が華厳宗意と違背しないよう会通せざるをえない問題が生じているのであり、円教理解の処理に困難が生じる一因 と な っ て い る 。 ︵

3

︶ 五教判における頓教・円教の位置付け 五 教 判 解 釈 に お い て 、 ﹃ 歩 船 紗 ﹄ の特慣を指摘できるのが、頓教・円教の位置付けである。﹃八宗綱要﹄ で は 、 ﹁此之五中、初一小乗、後一一乗、中三並三乗教﹂とするように、﹁初こすなわち第一小乗教を小乗、﹁後こす なわち第五円教を一采とし、第二大乗始教より第四頓教までを三乗教に認定する。このように、 一 乗 教 を 円 教 の み とみる﹁後一一乗説﹂は法蔵によるものであり、﹃八宗綱要﹄はこの立場を採用していることがわかる。 一方、﹃歩船紗﹄では﹁この五教のなかに、頓教・円教をもて一乗究寛の教とす﹂と述べているように、第四頓

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教をも﹁一乗究寛の教﹂と認定している点に注意したい。頓教は、﹃八宗綱要﹄が﹁此教一念不生名為レ仏﹂とする ように、﹁頓悟成仏﹂や﹁離言絶相﹂の理を述べるものであり、﹃維摩経﹄などの経典が配当され、五教判でも﹃華 タ ル 厳経﹄に継ぐ高位に位置付けられる。しかし、凝然は頓教の説明の末尾において﹁然未レ知一森罵諸法皆見麗果徳、 ︵ 斜 ︶ 浩然衆相倶是仏海妙相 4 尚号−浅教一﹂と円教との異なりを厳しく指摘しており、﹁一乗究寛の教﹂とみなすことは な 叫 o そのため、この点からも近世の﹃歩船紗﹄注釈書では、﹁頓教ヲ一乗究寛トスルハヤハリ前三教ニ対スルノ ︵ 謁 ︶ デ円教ニ望ムルニアラズ﹂として、小乗教・大乗始教・終教が﹁漸教﹂であることに対して﹁一乗究寛﹂の﹁頓 教﹂といっているのであり、円教と同等の一乗ではないと解すことで、存覚の理解を会通せざるをえないこととな っ て い る 。 ︵

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︶円教の教理理解 さて、﹃歩船紗﹄﹁華厳宗﹂項の中心となるのが、﹁その教のこころは三界唯心染浄同体をもて本とす﹂以下の、 五教判における第五円教の内容について述べる一段である。円教の義理を、﹁唯心義﹂によって把握する理解は、 以下のように、﹃決智紗﹄にも見ることができ、存覚の華厳理解の基本であったことが知られる。 ヒロク一代半満ノ教ヲタツヌル一一、衆生出離ノ門ニアラストイフコトナシ。諸経ノトクトコロマチ、、ナレト モ、菩提ノ覚位ヲ成スルヲモテ詮トシ、諸宗ノ談スルトコロサマ、、ナレトモ、心性ノ妙理ヲアラハスヲモテ 要トス。華厳経ニハ心仏及衆生是三無差別トトキ、浬繋経ニハ一切衆生悉有仏性トイヘリ。サレハ我心スナハ チ仏ナリ、心ノホカニ仏ヲモトムヘカラストイヘトモ、 一念ノ迷妄ニヨリテ無明煩悩ニオホハレシヨリコノカ タ仏性ノマナコヒサシクシヰテ、生死ノヤミニマヨヘリ唯識論ニ衆生ノ療暗ノ相ヲアカストシテ、未得真覚恒 処夢中、故仏説為生死長夜トイヘリ。ヵ、ルマヨヒノ凡夫ハ、煩悩即菩提トキケトモ、 ソノ理ヲ達セサレハ煩 存覚撰﹁歩船紗﹄における聖道門理解 ム ノ 、

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存覚撰﹃歩船紗﹄における聖道門理解 」 ♂ ノ 、 悩ハモトノ煩悩ニテ罪因トナリ、菩提ハモトノ菩提ニテマタク正見ニカナハス、生死即津繋ト観セントスレト モ、ソノサトリヲエサレハ生死ハモトノ生死ニテ六道ニ輪廻シ、浬繋ハモトノ浬般市ニテイマタ仏性ヲアラハサ ス

︵ ﹃ 決 智 妙 ﹂ 真 宗 史 料 集 成 第 一 巻 、 七 六 七 頁 下 ︶ ここでは、諸宗における教理の中心は、﹁心性の妙理﹂を明らかにする点に求められており、華厳宗の﹁心﹂を コ二界唯心染浄同体をもて本とす﹂と押さえる﹃歩船紗﹄ の 理 解 と 一 致 し て い る 。 ﹁事事無擬﹂を明かす教えと規定し、十玄縁起説、 しかし、ここでも存覚は特異な理解を示している。すなわち、﹃八宗綱要﹄では、四法界説を基盤に華厳教義を 三生成仏説などの華厳円教独自の内容を解説する。ところが、 ﹁ 歩 船 紗 ﹂ では、始・終教の説相に相当する﹁三界唯心染浄同体﹂の義を中心的な内容として標示する。 こ う し た 点 は 、 成 仏 論 に 特 徴 的 で あ り 、 ﹁ 野 一 一 念 一 而 該 一 一 永 劫 一 ︵ 中 略 ︶ 十 信 道 円 、 没 一 一 同 果 海 一 ﹂ と し て 信 満 成 仏 を示す﹃八宗綱要﹄に対し、﹃歩船紗﹄では﹁この行つゐに功をつみえて元始の妄習たちまちにつきぬれば﹂とさ れるように歴劫成仏が想定されている。つまり、﹁歩船紗﹄では、先に見た円教に﹁法華経﹄を配当する理解と同 様に、本来円教の義理内容が三乗教の説相で語られていることがわかる。 なお、﹁歩船紗甲辰記﹄はこの点についても注意を向けており、歴劫修行の相を示すことで、難行自力の苦しき ︵ 訂 ︶ 相を伝え、対して易行念仏を勧めるためであったと理解している。たしかに存覚は、﹁華厳宗﹂項の末尾に、﹁大乗 究寛の妙談まことにねがふべしといへどもかの元性のさとりをえて元始薫習のまどひをひるがへさむこと、おぼろ げの浅機はかなひがたし。在家下根のともがら、おもひもよらぬ事なり。されば弥陀の浄土に生じてかの妙解を発 せんことは、もともたくみなるべし﹂と述べており、在家下根の者にとってはこうした歴劫修行はかなわないもの であるとして、弥陀浄土への往生が勧められている。しかし、信満成仏説が示すように、そもそも歴劫修行を必要 としない点に華厳の成仏説の特色がある。こうした点からも、存覚が本項の著述に際し、凝然など日本華厳宗の理

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解を参照したものとはいえない、特異な理解を示していると考えられる。 まとめ 以上、﹃八宗綱要﹄との比較を手がかりに、従来検討されてこなかった﹃歩船抄﹄﹁華厳宗﹂項の思想的特徴につ い て 概 観 し た 。 従来、﹁歩船紗﹄は、①各宗の項目の書き出しと大意が﹁八宗綱要﹂と類似し、②﹃歩船妙﹄﹁倶舎宗﹂項の冒頭 の記述が﹁八宗綱要﹄を下敷きとしているとの点から、﹁八宗綱要﹄との影響関係が指摘されてきた。本稿では、 このうち、とくに﹁華厳宗﹂項を通して、﹁八宗綱要﹄との類似の可能性について検討を行った。その結果、﹁八宗 綱 要 ﹄ の流布状況、両書における諸宗の配列、﹁華厳宗﹂項に示される教理内容から、存覚が﹃八宗綱要﹄を参照 し、下敷きとした可能性は極めて低いと考えられる。なかでも、﹁華厳宗﹂項における五教判理解や円教の内容な ど根本的な華厳学理解において、三乗教の説相で説明されるなど、﹁八宗綱要﹂とは大きく異なった解釈がなされ ていたことが判明した。こうした点から、すくなくとも﹁華厳宗﹂項においては、﹃八宗綱要﹄と書き出しの記述、 お よ び 大 音 山 が 類 似 し て い る と は 言 い 難 い 。 そ れ で は 存 覚 は 、 いかなる系統より華厳学を学び、本書の執筆に際し何を参照したのであろうか。また、何故円 教の義理について三乗教の説相で語ったのか。存覚の華厳修学については、明確な記述は見出せず不詳である。た だし、円教の義理を三乗教の説相において語る点は、中世期において真言宗における華厳理解と近似しており注意 ︵ 仰 ︶ される。本稿では、﹁華厳宗﹂一白不を検討したにすぎず、本書全体を見通した位置付けが必要であるが、すでに見 てきたように、存覚は見沙門谷証聞院観高・俊覚など真一言僧との繋がりが強い他、心性院経恵、尊勝院玄智などか 存覚撰﹁歩船紗﹄における聖道門理解 ム ノ、

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存 覚 撰 ﹃ 歩 船 紗 ﹄ に お け る 聖 道 門 理 解 一 六 四 ら天台密教を受けており、存覚最初期の修学を行った中川成身院は実範︵?

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一 一 四 四 ︶ の開基による密教寺院で ある。今後、密教義との比較を含め、華厳宗以外の諸宗における華厳学理解との比較を行う必要があろう。 いずれにしても、存覚は極めて幅広い修学を行っていることは間違いない。本稿ではその一端を示唆するに止ま ったが、今後、存覚における諸宗交流の実態について明らかにするためにも、諸宗の教理理解に対する検討の積み 重ねが重要と思われる。 註 ︵ 1 ︶ 2 ﹃鑑古録﹄には、﹃歩船紗﹄著述の状況について﹁暦応元戊寅年、存師四十九歳三月、備後国ニシテソノ国ノ守護 某ノ亭ニテ、日蓮派ノ僧輩ト法問アリ。︵中略︶コノトキ同国山南ノ慶空所望ニヨリテ、決智紗・歩船紗ヲ述作 、 ン ・ ﹂ と あ る ︵ ﹁ 真 全 ﹄ 六 八 、 三 七 三 頁 ︶ 0 ﹁歩船紗﹄の撰述意図について普賢晃喜氏は﹁八宗と対等の立場を確保することにより、社会的公認を得んとす る存覚の主張を見るのである﹂と指摘されている︵﹃中世真宗教学の展開﹄一九九四、四五一頁︶。なお、中世期 に撰述された所謂﹁綱要書﹂群については、島地大等﹁十宗要道記及び八海含蔵について﹂︵﹃教理と史論﹄一九 三二、岡本一一千﹁日本の仏教綱要書について﹂︵﹁駒沢大学大学院仏教学研究会年報﹄二三、一九九九︶、末木文 美 士 ﹁ 顕 密 体 制 論 以 後 の 仏 教 研 究 l l l 中 世 の 諸 宗 論 か ら | | ﹂ ︵ ﹃ 日 本 仏 教 総 合 研 究 ﹄ 六 、 二 O O 八 ︶ 等 参 照 。 ﹁歩船紗﹄の思想内容に立ち入った研究としては、前掲普賢論文、岡本論文などがある。また近年、永村民氏は、 ﹃歩船紗﹄における存覚の﹁宗﹂理解の検討を通して、近世以降の真宗教団における宗乗・余乗研究の基盤は存 覚によって形成されたと指摘する︵﹁真宗と余乗||存覚の著述を通して||﹂︿﹃日本女子大学大学院文学研究 科紀要﹄一六、二 OO 九 ﹀ ︶ 。 北 塔 光 昇 ﹁ ﹃ 八 宗 綱 要 ﹄ と ﹃ 歩 船 紗 ﹄ の 構 成 上 の 相 似 性 に つ い て ﹂ ︵ ﹃ 印 度 哲 学 仏 教 学 ﹂ 九 、 一 九 九 四 ︶ 註 ︵ 4 ︶ 前 掲 北 塔 論 文 参 照 。 岡本氏は、﹁北格氏がいうように、存覚が﹁八宗綱要﹄を参照して﹃歩船紗﹄を撰述したとすれば、存覚の﹃起 信論﹄を拒絶する態度は本質的なものであり、明らかに如来蔵思想の一形態として浄土宗を容認する考えもまた 拒 否 し て い る の で は な か ろ う か ﹂ ︵ ﹁ 日 本 の 仏 教 綱 要 書 に つ い て ﹂ ︿ ﹁ 駒 沢 大 学 大 学 院 仏 教 学 研 究 会 年 報 ﹄ 一 一 一 一 一 、 一 3 ︵ 4 ︶ ︵ 5 ︶ ︵6 ︶

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︵ 7 ︶ ︵ 8 ︶ ︵ 9 ︶ ︵ 叩 ︶︵日︶ ︵ 臼 ︶︵日︶ 九 九 九 、 三 七 頁 ﹀ ︶ と 述 べ て い る 。 ﹃ 常 楽 台 、 王 老 禍 一 期 記 ﹄ ︵ ﹁ 真 宗 史 料 集 成 ﹄ 一 、 八 六 四 頁 下 1 八 八 三 頁 下 ︶ 参 照 。 横内裕人﹁高麗続蔵経と中世日本﹂︵﹃日本中世の仏教と東アジア﹄所収、二 O O 八 ︶ 参 照 。 ﹃ 常 楽 台 主 老 柄 一 期 記 ﹂ ︵ ﹃ 真 宗 史 料 集 成 ﹄ 一 、 八 六 六 頁 下 ︶ 参 照 。 ﹃ 常 楽 台 主 老 柄 一 期 記 ﹄ ︵ ﹁ 真 宗 史 料 集 成 ﹄ 一 、 八 六 七 頁 下 ︶ 参 照 。 凝然の著述については﹁諸宗章疏録﹂﹁戒壇院国師凝然撰集﹂︵﹁大日本仏教全書﹄一、一一八頁下︶参照。 石 井 公 成 ﹁ 華 厳 宗 ﹂ ︵ ﹃ 新 ・ 八 宗 綱 要 1 日本仏教諸宗の思想と歴史|﹄大久保良峻編著、二 O O こ参照。 円解︵一七六七

l

一 八 四 O ︶﹃八宗綱要略録﹄、開号︵一七七一一八二一一︶﹁八宗綱要講述﹄、義譲︵一七九六| 一 八 五 八 ︶ ﹁ 八 宗 綱 要 講 義 ﹄ な ど 。 そ の 他 、 近 代 の 註 釈 に つ い て は 、 平 川 彰 ﹃ 八 宗 綱 要 上 ﹄ ︵ ﹁ 仏 典 講 座 ﹄ 一 一 一 九 、 二 四 頁 ︶ に 詳 し い 。 ﹁八宗綱要﹄のテキストについては、平川彰﹃八宗綱要上﹄︵寸仏典講座﹄一九七九︶参照。 成実については、同時期に東大寺上生院に住し華厳を本宗とした﹁上生院浄実﹂との関連が疑われる。成実につ いては、拙稿﹁室町期華厳宗における浄土義解釈||東大寺所蔵﹁安養報化︿浄実私一不﹀ L 論義草翻刻||﹂ ︵ ﹃ 浄 土 真 宗 総 合 研 究 ﹄ 四 、 二 O 一 O ︶ 参 照 。 ﹃ 常 楽 台 主 老 柄 一 期 記 ﹄ ︵ ﹃ 真 宗 史 料 集 成 ﹄ 一 、 八 六 六 頁 上 ・ 下 ︶ 0 なお、存覚の修学状況については、谷下一夢 ﹁存覚一期記の研究並解説﹄︵一九四三︶、山田雅教﹃初期本願寺教団における顕密諸宗との交流||覚如と存覚 の 修 学 を 基 に し て ! | | ﹂ ︵ ﹃ 仏 教 史 研 究 ﹄ 二 七 、 一 九 九 O ︶、同﹁初期本願寺における公家との交流﹂︵﹁仏教史学 研究﹄三八・二、一九九五︶参照。 存覚による聖教目録として﹃浄典目録﹄を参照︵﹁真宗全書﹂七四所収︶。ただし、本書は文字通り、浄土教典籍 の目録であり、他宗の典籍については一切記述がなく詳細な検討はかなわない。 鎌田茂雄﹁中国華厳学よりみた法界義鏡の特質﹂︵﹃東洋文化研究所紀要﹄五二、一九七 O ︶ 、 ﹁ 商 都 教 学 の 思 想 史 的意義﹂︵日本思想体系﹃鎌倉旧仏教﹄、岩波書店、一九七ご参照。 鎌田氏による凝然説の位置付けが課題を含むものであることについては、前川健一氏︵﹁日本華厳宗の正統と異 端・再考﹂三 O O 六 年 一 O 月六日大谷大学真宗総合研究所﹁シンポジュ l ム一南都仏教の中世的展開﹂資料︶の 他、近年藤丸要氏によって凝然・宗性・明恵の著作の特徴や師資関係の検討から指摘がなされている︵﹁鎌倉期 15 14 16 17 ︵ 日 ︶ 19 存 覚 撰 ﹃ 歩 船 紗 ﹄ に お け る 聖 道 門 理 解 一 ム ハ 五

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存 覚 撰 ﹁ 歩 船 紗 ﹄ に お け る 聖 道 門 理 解 一 ム ハ ム ハ ︵ 却 ︶︵幻︶ ︵ 辺 ︶ に お け る 東 大 寺 華 厳 ﹂ ︿ ﹁ 鎌 倉 期 の 東 大 寺 復 興

ll

重源上人とその周辺﹄所収、二 OO 七 ﹀ ︶ 。 拙稿﹁日本草厳における三生成仏説に関する諸師の見解﹂︵﹃龍谷大学大学院文学研究科紀要﹄ 註 ︵ 凹 ︶ 前 掲 、 前 川 健 一 氏 に よ る 発 表 資 料 参 照 。 義譲﹁歩船紗甲辰記﹄には、両書が同様に十宗・八宗の綱要を述べながらも撰述意図が相違することを以下の様 に指摘する。﹁コノ紗ヨリ七十三年前ニ著述セシ東大寺凝然ノ八宗綱要二八宗十宗ノ大意ヲ述ベタレドモ、善導 ノ所謂学解学行ノ二門ヲモテ分別スレパ此紗トアチコチデ正シク学解門ノ著ナリ。只初学ノモノニ八宗ノ大綱要 領ヲ為令解了ノミ。故ニ題号モ直ニ一部ノ所明ノ通リニ八宗綱要ト名ケテアリ。今コノ紗モ同ジク八宗十宗ノ綱 要ヲ述ベタマヒ乍ラ特ニ歩船紗ト名ケタマフハ此紗兼テ学解ノ益モアレドモ正クパ末代有縁ノ念仏一法ニ帰セシ メンタメニシテ歩船ノ妙喰尤モ味フベシ﹂︵巻上六・七頁︶ 梅 原 虞 隆 ﹁ 存 覚 上 人 の 教 義 ﹂ ︵ ﹃ 偽 教 大 学 論 叢 ﹄ 二 四 二 ︶ 参 照 。 ﹁ 真 聖 全 ﹄ 四 、 七 一

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七一一頁参照。なお、﹁登山状﹂の記述の存在については、赤井智顕氏︵浄土真宗本願寺 派教学伝道研究センター研究助手︶よりご教示いただいた。記して感謝申し上げる。 ﹁ 真 聖 全 ﹄ 二 一 、 一 八 九 頁 ﹃ 八 宗 綱 要 ﹄ ︵ ﹃ 日 仏 全 ﹄ 三 、 四 頁 下 ︶ 凝然による十宗配列の意図について、平川彰氏は教判的な価値的基準によるものではないと指摘する︵平川氏前 掲書︶。一方、鎌田茂雄氏二八宗綱要﹄講談社学術文庫、一九八一、二 O 頁 ︶ 、 北 塔 光 昇 氏 ︵ 註 ︿ 4 ﹀ 前 掲 論 文 ︶ は浅深の順序を見出すことができると指摘している。 凝然は、華厳学派の祖師のなかでも法蔵・澄観を重視し、﹁四法界説﹂の顕揚に努めている。鎌田茂雄﹁中国華 厳学よりみた法界義鏡の特質﹂︵﹃東洋文化研究所紀要﹄五二、一九七 O ︶ 参 照 。 ﹃ 真 聖 全 ﹄ 三 、 二 二 七 士口津宜英﹁法蔵の別教一乗優越論﹂︵﹃華厳一乗思想の研究﹄所収、一九九二参照。 ﹁問。若依此文、法華中亦説別教義。華厳経亦有同教義。何以故。法華名同教一。華厳日別教一。答約多分義日 同別耳。謂法華中多説同義。少説別義。放日同教。又三条一乗和合説故。華厳経中。別教義多。同教義少。故名 別 教 o ﹂ ︵ ﹃ 大 正 ﹄ 七 二 、 一 一 一 一 頁 中 ︶ ﹁ 答 意 、 法 花 之 一 、 通 同 別 義 、 今 取 別 教 義 辺 、 為 証 ﹂ ︵ ﹁ 大 正 ﹄ 七 二 、 }\ 二 OO 六 ︶ 24 23 ︵ お ︶ ︵ 却 ︶ ︵ 幻 ︶ 28 ︵ 却 ︶︵却︶ ︵ 担 ︶ 32 一 二 O 八 頁 ︶

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﹁ 歩 船 紗 甲 辰 一 記 ﹄ 巻 上 ︵ ﹃ 真 宗 大 系 ﹄ 二 八 、 五 O 頁 上 ︶ ﹃ 日 仏 全 ﹄ 三 、 二 九 頁 下 1 三 O 頁 上 なお、﹃華厳経﹄を﹁頓円一乗﹂と表現する用例は、高麗の均如︵九二一二 I I I − 九 七 二 一 ︶ な ど に 見 ら れ る が 、 ﹁ 歩 船 紗﹄では第四頓教と第五円教を一乗とみているのであり意味が異なる。存覚がいかなる系統からこうした理解を し て る か は 不 明 で あ る 。 ﹃ 甲 辰 記 ﹄ ︵ ﹃ 真 宗 大 系 ﹄ 二 八 、 五 一 頁 下 ︶ ﹁ 真 宗 大 系 ﹄ 二 八 、 五 回 頁 な お 、 同 様 に 華 厳 教 義 の 概 略 を 一 不 す 源 空 ﹁ 浄 土 初 学 紗 ﹄ ︵ ﹁ 漢 語 燈 録 ﹄ 巻 一 O ︶ に は 、 ﹁ 花 厳 宗 此 宗 杜 順 ・ 知 円 静 脈 ・ 法蔵・澄観以之為祖師。︵中略︶此宗章疏難多取其要不過之 o 此等法門中五教・十宗・十玄・六相等法門、難文 義広博不演往生極楽。然者非西方之指南也﹂︵﹃真聖全﹄四、五一六 1 五一七頁︶とされており、十玄縁起・六相 円融など円教の法門が示されており、この点からも﹁歩船紗﹄の特異性を指摘できる。 なお、今回の検討では、北塔氏が指摘される﹁歩船紗﹄の﹁倶金口宗﹂項が﹁八宗綱要﹄の文章を抜き書きし合成 したとする点については触れることができなかった。今後の課題としたい。 北川真寛・土居夏樹﹁﹁一乗経劫﹂について||即身成仏思想に関する問題﹂︵﹁高野山大学密教文化研究所紀要﹄ 一 九 、 一 一 O O 六 ︶ 参 照 。 山田雅教﹃初期本願寺教団における顕密諸宗との交流||覚如と存覚の修学を基にして||﹄ 七、一九九 O ︶ 参 照 。 ︵ お ︶︵担︶ ︵ お ︶ 38 37 36 ︵ 拘 ︶ ︵ 叫 ︶ 41 存 覚 撰 ﹃ 歩 船 紗 ﹄ に お け る 聖 道 門 理 解 ︵ ﹃ 仏 教 史 研 究 ﹄ 二 一 六 七

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