論 文
アンデルセンと絵画
――言語と美術の融合がもたらす新天地
陳 筱 燕
はじめに
ジャッキー・ヴォルシュレガー(Jackie Wullschlager, 1962-)は、アンデルセン
(Hans Christian Andersen, 1805-75)の視覚的天賦の才能について、1830年
5
月31
日に、アンデルセンが蒸気船ダニアでユトランドに向かう途中に、同伴した画 家マルティヌス・ロールビィ(Martinus Rorbye, 1803-48)に画家の目で風景を見、スケッチすることを勧められたことによって、彼の中で眠っていた風景を描く才 能が呼び覚まされたと、述べている1。さらに、フィンセント・ファン・ゴッホ
(Vincent van Gogh, 1853-90)は、1877年
7
月9
日付けの弟への手紙の中で、「き みもかれを好きになるだろう。かれはまるで描くように語り、かれの仕事は同じ く高度の気高い芸術であるからだ。かれは真の意味で芸術家の感情をそなえてい る2」と、書いている。このような見方を踏まえて、アンデルセンの作品における 文学的描出とは、造型芸術に見られる視覚的なイメージとの間に類似性があると言 えるのは確かであろう。そこで、本論文の目的は、アンデルセンの作品に込められ た視覚的イメージを喚起する描出と絵画との関連性に着目し、その関係の諸相を明 らかにすることである。1. 自画像と旅の風景画
アンデルセンが
1833
年から1834
年にかけてスイス、パリ、イタリアなどを旅し た際に書いた日記や手紙の中には、異郷の地で見聞きした景色・建物・人々の生活 模様などをスケッチした素描が散りばめられていている。ヴォルシュレガーは、ア ンデルセンがローマ近郊のテスタチオ山、システィナ通りのトーヴァルセンの家、フィレンツェのミケランジェロの家、パエストゥム神殿などの光景に心打たれて鉛 筆を走らせるうちに、彼の感覚が洗練させられたのだとしている。そして、当時、
北ヨーロッパではほとんど知られていなかった古代ローマやルネサンス期の名作と の出会いも、アンデルセンの芸術魂を昂揚させ、芸術家としての使命感を後押した と述べている3。ヴォルシュレガーの指摘に従えば、アンデルセンはスケッチを重 ねている内に、景色を言語という媒体ではなく、美術という視覚の媒体を意識し、
表現していることとなる。しかし、ヴォルシュレガーは、アンデルセンがスケッチ した建物や風景についてしか言及しておらず、自画像や旅の途中でスケッチした 人々の生活模様や、物語との関連性については言及していない。そこでここでは、
アンデルセンが画帳や日記や手紙の中でペンやインクを使って描いた、自画像・旅 先で宿泊した部屋・異郷の地で出会った人々や風景などのスケッチを取り上げ、そ れらをゴッホのスケッチと対照することによって、物事を素描するアンデルセンの 天賦の才能を浮き上がらせることにしたい。
まず、肖像画から紹介することにしたい。アンデルセンが
1830
年から1833
年の 間に描いた画帳の中に、自画像が入れられている。【図1】「アンデルセン」の自画
像では、画家に依頼した肖像画に見られるような理想的で美化されたものではな く、その大きな鼻が強調されており、カリカチュア的自虐性が表現されている。そ こには、造型美術の芸術家として、自分自身を具現化しようとする意欲が顕著にあ らわれている。【図2】≪自画像といくつかの細部≫は、ゴッホが絵画の肖像画を
本格的に手がける前に練習したスケッチである。【図1】と【図 2】を並べて見る
と、理想化した己を緻密に描くのではなく、ありのままの自分を描写しようとする 意志に共通性がある。絵画や彫刻の題材は、風景や異教神話や聖書物語及び文学作 品の場面に限らず、芸術家自身も創作の素材であることは周知の事実である。そし て、自画像には画家たちが自分と対面したり、内省したり、記録したりすると同時 に、一個人が造型美術の主題に成り得るという個人の重視が示唆される。次は、アンデルセンとゴッホがスケッチした部屋に着目する。【図
3】では、ア
ンデルセンが旅先で宿泊した部屋が描かれており、滞在した場所とその時の思いを 素描したものである。【図4】は、ゴッホが 1888
年10
月17
日の書簡の中で、絵画≪画家の寝室≫の中に用いる色彩の手法を弟に説明するために描いたものである。
【図
3】と【図 4】から、両者は異なる目的で寝室が描かれているにも拘わらず、
身体と精神に安らぎを与えるベッドを創作の題材にしている点で共通している。
加えて、アンデルセン童話の大半に下層階級や貧困のテーマが取り上げられ、こ の点には作者自身の出自が反映されていることは言うまでもない。しかし、彼が貴 族や上流階級の人々ではなく、庶民を主人公として起用するに至った原因の一つ は、旅行中に農民の労働や小売商人などの生活模様をスケッチした経験があったか らであると考えられる。【図
5】≪ロバに乗る葡萄売り≫では、イタリアでロバに
乗っている物売りが葡萄を手に取って、買い手に勧めている日常の風景が見事に描 写されている。スケッチをした経験が物語に登場する人物造型に活かされている裏 付けとして、創作童話「パラダイスの園」を取り上げたい。この物語の大半は、「風」の自然現象が語る話や、「風」の外見の描出で占められている。たとえば、
「北風」においては、「ズボンも上着もクマの皮で、できていて、アザラシの皮で つくった帽子は、耳の上までかぶさっていました。長いつららが、ひげのさきにぶ らさがっています。そして、上着のえりもとから、あられがつぎつぎにこぼれ落ち ました4。」とある。この例から、アンデルセン童話の登場人物に施された写実的 描出は、スケッチの練習が功を奏していると推測することができる。【図
6】≪イ
タリアの農婦≫では、農作業の一風景が、巨大な藁の束を頭上に載せた農婦によっ て、見事に表現されている。アンデルセンは、旅行する間に、想像力によって描出 された人々ではなく、異郷の地で実際に観察した市井の人々や、農業に携わる人々 の生活をまでも、作品の人物造型に役に立てていたと言うことができる。それに対 して、【図7】≪落穂を拾う農婦≫では、ゴッホは腰を深く曲げて畑仕事に没頭す
る農婦の姿を描いている。【図5】と【図 6】と【図 7】に描かれているものに目を
向けると、描き手が労働者階級や、農民の逞しく生きる姿や、人間そのものの尊厳 に重点を置いている点で、庶民の地位を押し上げるという社会的傾向に共鳴してい るのがわかるのである。次に、アンデルセン童話に見られる風景描出が、彼が実際に行った素描といかに 深く関連しているかということを検証しておきたい。1833年
9
月18
日に、アンデ ルセンはイタリア、ベルン、モントルーやジュネーヴ、ツェルマットなどを結ぶ交 通の要所であるスイスのブリークに泊ったようだ。【図8】≪ブリークの宿から見
た風景≫では、彼が宿泊した部屋の窓から見た壮大で美しい自然がスケッチ集の中 に収められている。そこで、アンデルセンが物語の場面設定を、風景画を見ている かのように描出している裏付けとして、「氷姫」を取り上げておきたい。「氷姫」の 中で言語によって描出されている一風景には、「そこには、幾筋もの渓流が、まる で早く海へ行ってそのなかに姿をかくしてしまいたい、と気をもんでいるかのよう に、激しい音を立てて流れています。太陽が深い谷底に、また、深々と積もった雪 の上に、燃えるように照っています5。」とある。このように、渓流の気持ち、水 の流れる音、夕日によってもたらされた重厚な色彩、雪の白さに燃える太陽の赤と いうような風景描出から生まれる色彩のコントラストなどは、風景画を言語で具現 化することに成功している実例であると言うことができる。この風景描出は、視覚 に訴えるアンデルセンの表現手段のあらわれであり、描くように語るというゴッホ の指摘に納得できる箇所である。一方、ゴッホの≪麦畑からみたアルル≫【図
9】では、麦畑がペンとインクで描
かれている。ゴッホは、1882年9
月の弟への手紙の中で、「素描にせよ絵具を使う にせよ、それらの作品は多少の練習を積めば、挿絵として使えるものになる」と、綴っている6。素描の役割に対するゴッホの考えから、スケッチする行為は傑作を
生みだすための重要な練習だったと理解できる。そして、素描の練習を積めば挿絵 として使えるレベルに達するというゴッホの考えから、アンデルセンが実際に情景 を素描で具現化した経験は、物語の情景を視覚的に描出する手法に活かされること になったと考えられよう。
以上挙げた数々の例から、素描は絵画や彫刻を作成する前に行われる画家の最も ナチュラルな感情や精神活動の発露であると言える。画家ではなく、文学者アンデ ルセンの作品に見られる視覚的描出は、素描で重ねた練習の蓄積が、彼の視覚的天 賦の才能をさらに呼び覚まし、物語の中で開花したものであろう。
2. 異教神話と『神曲』から受けた影響
アンデルセン童話には時間の抽象概念がしばしば具体的な人間の姿を取って登場 していて、「駅馬車十二人」はその中の最も典型的な例である。しかしこの物語を 論じる前に、異教の時間の抽象概念がいかにキリスト教思想と共存させられている かについて言及しておきたい。ドイツの美術研究家アビ・モーリッツ・ヴァールブ ルク(Aby Moritz Warburg, 1866-1929)の、異教とキリスト教との共存についての 言及は以下の通りである。キリスト教がヨーロッパで宗教上の力を保持し続けるた めに、教会によって黙認されていた一年のあらゆる時間単位の神たちは、ヘレニズ ム世界からアラビア、スペイン、イタリアを経てドイツへと至った7。
さて、「駅馬車できた十二人」の物語では時間の抽象概念がいかに具現的に描出 されているかを見てみよう。この物語には、大みそかの夜に十二人の客を乗せた駅 馬車から、次から次へと乗客が降りてくる。その乗客の外見には、十二カ月それぞ れの月毎の特徴が託されているが、ここではその一部だけ取り上げることにする。
まず、六月は、一番長い夏至の日に宴会を催す若い婦人の姿であり、七月は六月の 弟で、夏服にパナマ帽をかぶった体格のよい男性の姿を取っている。また、この二 人の母親である八月は、果物の商人と呼ばれる。さらに九月は、葉の色を自由に変 化させることのできる男性画家であり、十月は種まきや畑の手入れをしたりして、
銃を手に持ち犬を連れて猟に出る農夫である。また、十一月は木挽き組合の親方 で、夜はスケート靴を彫って過ごしている。十二月は、子どもたちにお話を聞かせ る婆さんとして描かれている8。
このように乗客には、それぞれの月の特徴を織り込む工夫が施されていることが わかる。十二人の乗客の性別、外見、年齢、職業、家族関係についての描出によっ て、明確な人物像が創り上げられ、さながら一枚の絵画を見るようである。この物 語に登場する十二人の服装はそれぞれの季節に合った衣裳であるが、一幅の絵画や 教会などの装飾として捉えれば、時間の流れが辿れるため、違和感は生じない。こ
のように、アンデルセンは発着所に到着した馬車から、乗客が次から次へと降り て、出ていく町の風景に、「十二カ月」(“Twelve Months”)の主題を適応したこと は明らかである。
ジェイムズ・ホール(James Hall, 1918-2007)によれば、「十二カ月」という題材 は、初期キリスト教時代から用いられていた。この「十二カ月」という時間の抽象 概念を具現化した月々の移り変わりは、北ヨーロッパのロマネスク、ゴシック期の 聖堂、中世の詩歌集などに見られるものである。異教の神々が登場し、人生の十二 の段階の内の一つを伴い、天上と地上に繰り広げられている一年の移り変わりを示 す表現は、多岐に亘って複雑な様相を呈している9。また、アンデルセンは自伝の 中で、1833年にイタリアに行く途中にパリにしばらく逗留し、毎日のようにノー トル・ダム寺院を訪れ、原語で読んだヴィクトル・ユゴー(Victor Hugo, 1802-85)
の小説『ノートル・ダーム』(Notre-Dame de Paris, 1831)の中に描出されたすべて の場面を確認したことを綴っている10。
自伝の中の言葉から、ノートル・ダム寺院の
12
世紀の王の扉口に飾られている「十二カ月」の彫像に注目する必要性がある。【図
10】では、農民とその時期に
行う農作業が暦の代わりとして用いられている。また、パリの代表的な大聖堂に「十二カ月」の各々を主題とする彫像が飾られているところから、異教とキリスト 教の融合の象徴として「十二カ月」が重要視されていたことが理解できる。その点 で、アンデルセンは、ノートル・ダム寺院を念入りにチェックした経験と、大聖堂 の装飾に起用された「十二カ月」の題材を念頭に置き、「駅馬車十二人」の下敷き として採用したと考えても不自然ではない。
続いて、アンデルセン童話「プシケ」の人物造型に、異教神話の登場人物が駆使 された例に着目する。この物語の中で、ある貧しい若手の芸術家が、金持ちの娘に 一目ぼれをし、相手の気持ちを確かめずに告白したが拒否されてしまう。そこに は、女性の表情とその冷酷さが克明に描かれている。
(前略)若い芸術家は愛を告白しました。お嬢さまは不意をつかれ、むっとし て立っていました。その顔には、あざけりの色がうかんできました。そうで す、その表情はまるで、だしぬけにしめっぽいねばねばしたカエルにさわった とでもいうようでした。ほおは赤く、くちびるはまっさおになりました。目は 火そのものでした。そのくせ夜の闇のようにまっ黒でした。
「気でもちがったの! 出て行け! さっさと下へ!」とお嬢さまはさけん で、背を向けてしまいました。美しい顔には、髪の毛がヘビで、見る人を石に してしまうというメドゥーサの表情があらわれました11。
引用にあるように、アンデルセンは蛙とメドゥーサという二つの比喩表現を用い て、女性に対する不快感と悪のイメージを創り上げている。彼は、蛙がオタマジャ クシから蛙に変態するという生態を、女性の顔が優しい表情から、邪悪な表情に変 わったことに重ね合わせて見たと考えられる。そして、女性の怒りの表情表現に、
蛙の「ねばねば」という擬態語を用いたことは、読者の五感に訴える効果を狙った ものと思われる。ポール・クレベール(Jean-Paul Clebert, 1926-2011)によれば、
中世からユゴーの作品に至るまで、蛙は、ひき蛙、蜥蜴、蛇の世界と結び付けら れている12。こうなると、アンデルセンはただ蛙の醜さをあらわすだけではなく、
蛙が蛇の世界と結び付いていることを理解した上で、ギリシア神話に登場するメ ドゥーサの髪の形である蛇を女性の人物造型に用いたのではないだろうか。
しかし、なぜ、アンデルセンは金持ちの娘の表情をメドゥーサとして描出した のだろう。1826年
1
月24
日に書かれたラテン語学校時代の日記の中で、彼は、「レオナルドの姿がいつも目の前にある,学校にいるときも. 劇の一部始終が見え る
.
ファンタジーの力は私の耳に台詞をささやく13. 」と、綴っている。そして、さ らに、彼は1833
年10
月10
日にイタリアに滞在し、フィレンツェにあるウフィツ イ美術館を訪れた日の日記の中で、「その隣の部屋には、レオナルド・ダ・ヴィン チのメドゥサの首の絵がかかっていて、ふしぎなほどそれが私をひきつけた。――それは貪欲な大食漢であり、毒の化身であり、その口からは熱気を吐き出している し、美しい姿をした深淵の泡でもある14。」と、記述している。この日記の記述か ら、アンデルセンは、「プシケ」を出版する前にすでに絵画の形で具現化されてい るメドゥーサを鑑賞し、巨匠レオナルド(Leonardo da Vinci, 1452-1519)の比類な き想像力と卓越な描写能力に圧倒されたのだと考えられる。
≪メドゥーサ≫【図
11】は、異教神話の登場人物に画家の豊かな想像力が加え
られて、より一層魅惑的で驚異的な人物像に創り直されたと言える。とくに重要な のは、メドゥーサの右側に蛙が描かれている点である。この絵画から、アンデルセ ンが「プシケ」のお嬢さんの人物造型に用いられているメドゥーサと蛙の描出は偶 然ではなく、≪メドゥーサ≫を意識的に織り込んだものである。しかし、レオナル ドの作品とされていた≪メドゥーサ≫は、後に16
世紀のフランドル画派作である と判明された。とはいえ、「プシケ」の人物造型から、アンデルセンは芸術の頂点 に君臨した画家の作品を自作に取り入れ、物語に美術の芸術性をもたらそうとする 意欲は読み取れるのである。続いては、アンデルセンがダンテ(Dante Alighieri, 1265-1321)の『神曲』(
La
Divina Commedia, 1307-21)からどのような着想を得たのか、ということを考察す
る。1830年から1833
年にかけて、アンデルセンが世話になったオットー夫婦の子どものために描いた画帳の中に収められているスケッチがある。【図
12】の「中国
人、龍人、風車」では、空を飛ぶ「龍人」は、龍の身体と人間の頭部が繋ぎ合わさ れた怪物であるが、空を旅する乗り物であり、幻想に満ちた素描である。この「龍 人」に見られる人間の頭部と、龍の身体とを合体させた異様な生き物とその乗り 物としての機能は、ダンテの『神曲』に登場するジェリオーネを模倣したと考え られる。『神曲』の細密画(絵付き写本に収録された挿絵)【図13】では、ダンテ
は、ギリシア神話に登場するジェリオーネを参考にするが、三頭三体の巨人ではな く、新たな外見を付け加えている。この生き物の外見は、「その顔は実直な人間の 顔で/見かけはたいそう慈み深かったが/からだの他の部分はすべて蛇だった。/二本の脚はずっと腋の下まで毛深く15」と、描かれている。ダンテと詩人ヴィル ジリオ(Virgilio, B.C.70-19)は、この「蛇人」の背中に乗って浄罪界の第八圏に下 る。このジェリオーネによる人間の頭部と蛇の身体と乗り物としての役割は、アン デルセンの「龍人」にヒントを与えた可能性がある。しかも、『神曲』のエピソー ドは壁画や絵画や写本の挿絵に描かれているために、アンデルセンが美術への強 い関心を持っていたことを踏まえると、旅行中に訪ねた博物館や美術館でジェリ オーネの実作を鑑賞した可能性がないとは言えない。また、小説『即興詩人』(
The
Improvisatore,
1835)の作中で、彼は『神曲』に描かれている幻想や自然やダンテの悩みをすべて体験したと、述べている16。このようなところから、スケッチ「龍 人」の着想は、傑作と称されている文学作品『神曲』から得たと推測することがで きるのである。
3. 宗教画から受けた影響
ここでは、アンデルセン童話の宗教画との関連性を解明する。まず、創作童話
「雪の女王」に登場する「天使」(神の使者)の描出に着目する。「雪の女王」では、
雪の女王の兵隊である「雪」と「天使」の群れが対決している。「天使」は主人公 ゲルダの援助者として登場している。
(前略)ここの雪は生きているのでした。それは雪の女王の前哨部隊でした。
しかも、みな、気味のわるい形をしていました。みにくい大きな山アラシのよ うなのもいれば、ヘビがとぐろを巻いて、かま首を持ちあげているようなのも あり、毛をさかだてた、太った小さいクマのようなのもいました。(中略)そ の時、ゲルダは、「主の祈り」を唱えました。すると、寒さがそれはきびしい ものですから、自分の吐く息がよく見えました。息は煙のように口から出まし た。そして、だんだんと、濃くなっていって、しまいに、小さな輝く天使の姿
になりました。天使たちは、地面にふれると、そのたびに大きくなりました。
見れば、みな、頭に、かぶとをかぶり、手に、槍と楯とを持っていました。天 使の数は、ますますふえてゆきました。そして、ゲルダがお祈りを唱え終わっ た時には、天使の軍隊が、ゲルダのまわりをとりまいていました。そして、槍 をふるって、恐ろしい雪の軍勢を突き刺しました。雪の軍勢はみな、ちりぢり に飛びちってしまいました17。
ここでは、「雪」の軍隊は奇妙な外見を持つものとして描出がされており、ゲル ダの息が神の者たる「天使」の姿に変わる経過や、身に付けている装備なども詳細 に述べられている。この「雪」と「天使」についての細かい描出は、読者を作者の 幻想の世界に招き入れることに成功しており、読者は、ストーリーを読み進めてい くにつれて、言語により描出された視覚的世界に導き入れられ、その結果一幅の絵 画を鑑賞するかのような感覚に陥っていく。とりわけ、キリストの使者たる「天 使」が悪魔のような怪物と戦うという宗教的なテーマは、画家や教会に好まれ、
数多く描かれてきたテーマである。「雪の女王」に見られる「雪」の悪魔と「天使」
の戦いの描出は、宗教画にしばしば描かれているこの天使と悪魔との戦いのテーマ を彷彿とさせる。そこで、このテーマによる絵画作品を二点ほど取り上げて、この 点に関して検証しておきたい。
1831
年6
月14
日の日記の中で、アンデルセンはベルリンにある博物館で、ヒエ ロニムス・ボッシュ(Hieronymus Bosch, 1450-1516)の≪創世記≫、≪最後の審 判≫、≪地獄≫の三連作を鑑賞し、その中にとくに≪最後の審判≫に描かれてい る幻想の怪物が最も恐ろしかったと、綴っている18。アンデルセンがドイツ旅行 の間で鑑賞したボッシュの≪最後の審判≫の左翼の上の部分に、大天使ミカエル が、悪魔を象徴している怪物と戦っている描写がある。【図14】の≪最後の審判≫
では、天使たちの装備には冑や槍が描かれおり、悪魔は翼を持つ獣の形で描かれて いる。この絵は、「雪の女王」の主人公の、「主の祈り」を唱えた際に吐息からあら われる天使を想起させる。また、ボッシュに影響を受けていたピーテル・ブリュー ゲル(Pieter Bruegel, 1525/30-1569)も、この天使と悪魔との戦いという宗教的な テーマに新たな発想を加えて、描き上げている。彼が手がけた≪反逆天使の堕落≫
【図
15】では、大天使ミカエルとその軍勢となる熾天使たちが、反逆天使を天か
ら追放する際に繰り広げる戦いの場面が描かれており、迫力と想像力に満ち溢れた 作品となっている。この絵の中に描かれている悪魔は奇形で、様々な要素が組み合 わされて造型された怪物である。アンデルセンが雪の女王の前哨部隊として描いた
「気味のわるい形」や「ヘビがとぐろを巻いて、かま首を持ちあげているようなも
の」などの視覚的な描出は、≪反逆天使の堕落≫に描かれている奇形の怪物たちか ら影響を受けた結果であると考えられる。【図
14】と【図 15】に目を向けることに
よって、アンデルセンが持つ美術への強い関心が、「雪の女王」に天使と悪魔の戦 いという宗教画のテーマや、その生き生きとした生命を具現化して物語の中に取り 込み、物語の登場人物を鮮明な人物像として描出するような表現様式を創出させた と推測することができる。【図16】は、アンデルセンがインクで、ボッシュの≪最
後の審判≫に描写された身体のない怪物を見て模写したものである。その裏付けと して、ボッシュの≪最後の審判≫を【図17】に示して置いた。【図 16】と【図 17】
を見比べれば、アンデルセンがボッシュのものを模写しているのは明らかである。
そして、彼は一度見たものを再現する力量と人並ならぬ記憶力の持ち主であること が窺える。このようなところから、アンデルセンは自らの脳に刻み込まれている造 型美術として創出された幻想や怪物を、意識的あるいは無意識的に、物語に取り入 れていたのではないかと考えることができる。
次に、アンデルセン童話「わるい王」の着想について述べることにする。この創 作童話は、ボッシュの宗教画≪聖アントニウスの誘惑≫【図
18】に描かれている
空を飛ぶ軍艦の構想及び銃を発射す場面から得たと考えられる。「わるい王」では、傲慢で愚かな王は、世界中の国を征服し莫大な富を手に入れて、その金で建てた建 物に自分の彫像を立てる。そして、ついに、王は、教会の中にも自分の彫像を立て ようとするが、神父に神さまのほうが偉いと断られたため、精巧な軍艦を造らせて 天まで昇り、神を征服するが失敗に終わる。その軍艦と天使との戦いの様子は以下 の引用の通りである。
(前略)その船はクジャクの尾のような美しい色をしていました。そして、何 千という目がついていました。ところが、その目というのは、一つ一つが実は 銃眼だったのです。(中略)いよいよ何百羽という強いワシが船の前にむすび つけられました。こうして船はお日さま目がけて飛び立ちました。地球はもう ずっと下の方になりました。(中略)わるい王さまは、その天使目がけて何千 という弾丸をあびせました。ところが、弾丸は天使のかがやく翼から、はね 返って霰のように落ちてきました。その時、一しずくの血が、たった一しずく だけ、天使のまっ白な羽からしたたりました。そして、この一しずくの血は王 さまのすわっている船の上に落ちました。と、どうでしょう、その血はたちま ち火のかたまりになりました。そして、何千キロもある鉛のようにどっしりと 重くなって、ものすごい速さで船を地球に引きずり落しました19。
このように、軍艦と天使が空中で戦う描出の着想には、ボッシュの宗教画からの 影響があったと見られる。しかし、アンデルセンは、空を飛ぶコウノトリの船と、
軍艦との戦いではなく、ワシの力によって上昇する軍艦船と天使との戦いに作り直 した。そこに描かれた、天使が弾薬に打たれる場面と、軍艦が一滴の血によって地 球に落ちて行く過程は、読者の想像力が掻き立てられて、一幅の絵画を見ているか のような効果を発揮しているのであろう。【図
18】と「わるい王」のこの描出に目
を向けると、ボッシュの奇想天外な想像力は、アンデルセンに大いに影響を与えた と考えられるだろう。また、アンデルセンが「わるい王」を介して訴える王の傲慢 さは、「創世記」の第11
章の中で記述されているバベルの塔のように、天にまで到 達する建物を作ろうとする人間ないし王の傲慢さを下敷きにし、旧約聖書の一場面 が物語に織り込まれているために、宗教的世界観も付与されるようになる。ここで 取り上げたネーデルラント絵画の巨匠であるボッシュとブリューゲルは、その幻想 的で独創的な表現が従来の宗教画の表現様式に変革をもたらし、画家の比類なき想 像力と宗教的主題が融合されたのである。つまり、「わるい王」の中に描出された 奇想天外な幻想の世界とその中に込められた宗教的目的は、まさにボッシュが己の 想像を最大限に活かし、宗教の主題を具現化する点と共通しているのではないだろ うか。続いては、「パラダイスの園」におけるパラダイスの造型について考察する。物 語では、ある王子が東風に案内されてパラダイスの園に入るが、園に住む仙女にキ スをしてはいけないという規則を破ったため、もとの人間の世界に引き戻される。
この物語における情景描出には、ヴァチカン美術館にある絵画館に飾られている画 家ヴェンツェル・ピーター(Wenzel Peter, 1745-1829)の作品≪エデンの園のアダ ムとエヴァ≫と、システィナ礼拝堂の天井画と、ヘリオドロスの間に描かれている 天井画が反映されているものと見られる。「パラダイスの園」の情景描出にヴァチ カン美術館で絵画を鑑賞した経験が活かされていることを浮き上がらせるために、
物語の中で主人公がパラダイスに入る際に見た情景と、仙女が主人公に御殿を案内 している場面と、壁絵として描かれている人物や植物と、「時」が窓ガラスに一枚 一枚の絵を焼き付けられている描出を紹介しておきたい。
(前略)オリーヴの花のにおいのする緑の生垣のあいだを、ライオンとトラ が、ネコのように、しなやかに、はねまわっていました。両方とも、おとなし く、よくなれていました。美しい真珠色に輝いている野バトが、羽をひろげ て、ライオンのたてがみに、たわむれています。あれほど臆病なカモシカでさ え、そのそばに立って、いっしょに遊びたそうに、頭をうなずかせていまし
た。(中略)すると、ヘビのからみついている知恵の木と、そのそばに立って いるアダムとイヴが見えるではありませんか。「あの二人は、追い出されたの ではないのですか?」と、王子はたずねました。(中略)そこには、聖書にあ るヤコブの夢が見えました。はしごが、まっすぐ天までとどいていて、その上 を大きな翼をつけた天使たちが、のぼったりおりたりしていました。こうし て、この世でおこったできごとが、何から何まで、窓ガラスの中に、生きて動 いていました20。
≪エデンの園のアダムとエヴァ≫【図
19】では、ヴェンツェルはアダムとエ
ヴァが暮らす「楽園」に動物たちが戯れている情景を加えている。この情景は、「創 世記」では描かれていないため、アンデルセンは、画家によって具現化されている 楽園の情景をパラダイスの造型描出に活かした可能性があると思われる。さらに、ガラスの絵の描出は、「創世記」の「エデンの園」と「楽園追放」を具現化してい るところから、システィナ礼拝堂の天井画に生き生きと描かれているミケランジェ ロ(Michelangelo di Lodovico Buonarroti Simoni, 1475-1564) の ≪ 原 罪 と 楽 園 追
放≫【図
20】を参考にしたと考えられる。システィナ礼拝堂の天井画は、ローマ
の造型美術中で最も賞賛される芸術作品の一つである。ミケランジェロはシスティ ナ礼拝堂の天井画に「創世記」の第
3
章1-13
節と第3
章22-24
節場面を描き込み、大きな名誉と栄光を手に入れた。さらに、【図
21】≪ヤコブの夢≫には、ラファエ
ロ(Raffaello Santi, 1483-1520)が、ヴァチカン宮殿のヘリオドロスの間に手がけた 天井画に、「創世記」第28
章11-12
節に記されている「ヤコブの夢」が具現化され ている。そして、【図20】と【図 21】を並べて見ると、アンデルセンのパラダイス
の園の御殿に、生きている壁画やガラスに並べられている一枚一枚の絵から、パラ ダイスの園の造型にヴァチカン宮殿に飾られている多数の壁画と天井画がヒントを 与えた可能性がある。つまり、「パラダイスの園」の結末に、王子が仙女にキスを してしまったため、パラダイスの園から追放された作品の構図は、「創世記」の「原 罪」と「楽園追放」のストーリーを下敷きにし、絵画や天井画に絵で見る聖書物語 という造型美術からインスピレーションを受けたのであろう。そのために、物語に 造型美術と旧約聖書が織り込まれ、視覚的効果及びキリスト教の宣揚に寄与したの であろう。そこで、アンデルセンがいかにミケランジェロの芸術性に心酔しているのかを示 すために、『即興詩人』の中にある、システィナ礼拝堂の天井画に言及している箇 所を取り上げることにしたい。
(前略)いつのまにか目も思いもそこから離れて、ミケランジェロが精魂こめ て天井と壁に豊かに描き出した色彩の大宇宙に向かっていった。威厳に満ち た女預言者や神々しいばかりの預言者たちを仰ぎ見ていた。(中略)思い切っ た大胆な遠近法や、画面から人物が飛び出してくるかと思うような力強い筆致 は、人をひきつけずにはおかなかった。それは色と形によって心に訴える山上 の垂訓といえるものだった。私たちは、ラファエロとともにミケランジェロの 筆力にただ瞠目するばかりである21。
この描出から、アンデルセンは『即興詩人』の主人公を介して、ミケランジェロ が手がけた天井画の崇高な芸術性に驚嘆していることは明らかである。そして、彼 がこのように小説に造型美術の主題を取り入れる手法は、創作童話にも応用したの であった。しかし、創作童話の場合、アンデルセンは、『即興詩人』のように、露 骨にミケランジェロの天井画を取り入れたのではなく、システィナ礼拝堂の天井画 と、ヘリオドロスの間の天井画に描かれている聖書物語の主題をほのめかすように 巧妙に用いているのである。アンデルセンがミケランジェロの宗教画や彫像の芸術 性に心酔していたことから考察すると、彼の文学作品と造型美術は切っても切れな い関係に結ばれていることを窺い知ることができる。
本節の最後に彼の作品に見られる「信仰」という問題に目を転じよう。アンデル センは、画家や彫刻家の発揮する芸術性は、造型美術と宗教との関わりの中に表出 されると考え、物語に宗教への信仰という要素を織り込むことによって、物語の芸 術性を高めたと思われる。アンデルセンが物語に宗教と造型美術の芸術性と崇高性 を結び付けた実例として、「賢者の石」を検証することにしたい。
キリスト教の枢要徳の中で「信仰」は最も重要視されている美徳である。アンデ ルセンは、敬虔なキリスト教信者であったため、物語を介してその篤い信仰心を世 間に伝達しようとする願望があったと考えても不自然ではない。彼の信仰への情熱 は、創作童話「賢者の石」に窺える。物語のあらすじは少し長くなるが論旨の展開 上必要なので紹介しておきたい。
賢者は自分が所持している「真理の書」の永遠の生命を信じており、その本の中 に書かれている「死後の生活」の表題の章を読もうとするが、文字すら見つけるこ とができない。そこで、賢者の五人の子どもたちは賢者のために、「真理の書」を 読むための宝石を探す旅に出る。視覚がよく発達した長男(「視覚」)は真、善、美 の姿を見つめようとするが、人々は肩書などを重視し、才能や資質を見ないとい う現実を思い知らされ、「悪魔」の仕業によって盲人にさせられる。二番目の息子
(「聴覚」)は、人々の嘘の歌や悪口や陰口に耐え切れなくなり、指を耳の中に突っ
込んで鼓膜を破り、疑い深い人間になる。三番目の息子(「嗅覚」)は、真、善、美 を歌う詩人である。悪魔は、彼の歌に我慢ができないために、王の香、教会の香、
名誉の香を蒸溜した強い香で、三番目の息子に自分の使命を忘れさせる。四番目の 息子(「味覚」)は、教会の塔の風見の上に座り、自分の財力を示す人々の虚栄心と いう鉄なべをかき回して味わいたいが、風見に回されるために、そうすることがで きなくなる。最後に登場する盲目の娘(「真心」)の心の奥には「みずからを信じ、
神を信ぜよ、さらば神のみ旨行なわれん。アーメン!」という言葉が響き、人間の 世界から、心の調べと思想の歌を聞くことができる。しかし、悪魔は娘に深い信仰 心を捨てさせようと、泥沼で腐った水の泡、嘘に嘘を重ねた言葉、お金で賞を買っ た詩、嘘で固めた弔辞、嫉妬の涙などを集めて鍋の中で煮つめ、盲目の娘と瓜二つ の娘を作り出し、人々を騙すことに成功する。しかし、最終的に、盲目の娘が人間 の心に響く善の調べを加えた真理の粒から出た光によって、「死後の世界」という 章に永遠の生命を保証する「信仰」の言葉が出現するようになる22。
アンデルセンは「五感」の中で、「触覚」の代わりに「真心」を登場させ、神に 対する篤い信仰心の重要性を読者に伝達しようとする意図を明らかに表明してい る。そして、われわれ人間の堕落を寓意劇仕立てにして、「五感」を介して、信仰 心の大切さを世間に伝達しているのである。この「五感」に託されているアンデル センの諷刺の技法は注目に値する。なぜなら、時代の変遷に拘わらず、アンデルセ ン童話の芸術性が評価されているのは、物語の中に織り込まれた諷刺及び宗教的 哲学であると思われるからである。アンデルセンは「信仰」の意味を説くために、
「五感」の機能を駆使し、大衆の嘘や虚栄心を痛烈に諷刺し、大人には諷刺を享受 させ、子どもの読者には世間の堕落状態を分かりやすく伝えていると思われる。
しかし、アンデルセンが作中で活かしている「五感」の題材は、文学作品だけで はなく、造型芸術の分野にすでにあった表現様式から得たものである。ジェイム ズ・ホールによる人間の感覚である「五感」(Five Senses)の見解は次の通りであ る。視覚・聴覚・触覚・味覚・嗅覚は、一般的には五人の女性であらわされるこ とが多いが、それぞれ何らかの典型的な行動に従事し、その時代に特有の持ち物 を持っている。「五感」の〈擬人像〉が持っている植物、果実、動物などの持ち物に よって、その属性を示す様式を取っているのである。しかし、17世紀フランドル の風俗画たちの場合は、居酒家の情景に、酒を飲む者(「味覚」)、パイプを吸う者
(「嗅覚」)、精力旺盛な歌手(「聴覚」)という異なった擬人化表現を使っていたよ うである23。
すでに、「パラダイスの園」の中で、アンデルセンとミケランジェロが手がけた システィナ礼拝堂の天井画について着目したが、ここではさらにその検証を深めて
いきたい。その天井画にミケランジェロの≪ノアの燔祭≫も描かれている。田中英 道によれば、これは洪水から救われたノアが神に感謝する場面であり、神の「かお り」を嗅ぎ、味わっている絵である。そして、ミケランジェロは、この神を感じる 人間の「視覚」、「聴覚」、「触覚」、「味覚」の四つの感覚を男性の姿で表現しており、
「創世記」第
8
章20- 21
節の内容を具現化しているのである24。キリスト教教義の宣揚の手段として、宗教画は大きな役割を果たしている。【図
22】では、ミケランジェロが≪ノアの燔祭≫の主題に、「視覚」、「聴覚」、「触覚」、
「味覚」の男性の〈擬人像〉を加えて創作し直している。ミケランジェロが、すで に多くの芸術家の手によって具現化された≪ノアの燔祭≫の四方の角に、「視覚」、
「聴覚」、「触覚」、「味覚」を付け加えることによって、聖書の物語に芸術家の知的 想像力と独創性が注ぎ込まされるようになった。おそらく、アンデルセンは、神か ら授かった芸術家のインスピレーションを賞賛するために、「賢者の石」に、敬愛 した偉大なる芸術家ミケランジェロが用いた「五感」の主題を採用し、「ノアの燔 祭」の物語ではなく、キリスト教の美徳である「信仰」を付け加えた。そして、ア ンデルセン自身の創意工夫によって、「賢者の石」に見られる芸術性と宗教性と作 家の独創性は、ミケランジェロがシスティナ礼拝堂の天井画にもたらした芸術性と 宗教性と造型芸術家の独創性を反映し、ミケランジェロの到達した芸術性が自分の 物語の中に内包されるように努力したのであろう。アンデルセンは「賢者の石」を 通して、「信仰」の重要性を宣揚すると同時に、巨匠ミケランジェロが到達した芸 術の頂点に彼自身の想像力と芸術性をも至らしめ、その創造力は巨匠の肩に並ぶほ どのものであるのだと、世間に示したい願望があったと思われる。
おわりに
本論文は、アンデルセンとゴッホの素描を対照して見た結果、アンデルセンが作 品世界を構築する際に視覚に訴える天賦の才能と、庶民の生活模様及び風景を描く ことによって学んだ経験を通して、物語に登場させた一般の庶民とその明確な人物 像及び場面設定に繋がった可能性が浮かび上がった。そして、アンデルセン童話が 不朽の芸術品として高く評価された背景の一つには、偉大なる造型美術家ボッシュ をはじめ、ブリューゲル、レオナルド、ミケランジェロ、ラファエロなどの先人た ちの想像力や芸術性及び宗教性が巧みに作中に織り込まれていることによるもので あることが示唆された。この論文での検証によって、アンデルセン童話と絵画の受 容関係の一端が解き明かされた。しかしながら、アンデルセン童話と庶民画・神話 画・宗教画との関連性を明らかにするには、それぞれのテーマを独立して研究する 必要があり、それを今後の課題としたい。
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本論文は白百合女子大学に提出した、学位論文の一部に加筆したものである。
註
1.
ジャッキー・ヴォルシュレガー『アンデルセン:ある語り手の生涯』安達まみ 訳、岩波書店、2005、94-95頁2.
ファン・ゴッホ『ファン・ゴッホ書簡全集』第1
巻、二見史郎訳、小林秀雄ほ か監修、みすず書房、1969. 引用は1970
年の2
刷、202頁3.
ジャッキー・ヴォルシュレガー、前掲書、134-135頁4.
アンデルセン『アンデルセン童話集』第2
巻、大畑末吉訳、岩波文庫、1939
初版、1964
の24
刷改版.
引用は1975
年の37
刷、8頁5.
アンデルセン『アンデルセン童話集』第7
巻、大畑末吉訳、岩波文庫、1942
初版、1964
の15
刷改版.
引用は1975
年の26
版、90頁6.
ファン・ゴッホ『ファン・ゴッホ書簡全集』第2
巻、島本融訳、小林秀雄ほか 監修、みすず書房、1970、597頁7.
アビ・ヴァールブルク『ヴァールブルク著作集6 ルターの時代の言葉と図
像における異教的=古代的予言』伊藤博明監訳、富松保文訳、ありな書房、2006、10-11
頁8. 『アンデルセン童話集』第 7
巻所収、前掲書、26-31頁9.
ジェイムズ・ホール『西洋美術解読事典:絵画・彫刻における主題と象徴』高 橋達史ほか訳、高階秀爾監修、河出書房新社、1988、162頁10.
アンデルセン『アンデルセン自伝:わが生涯の物語』大畑末吉訳、岩波文庫、1975.
引用は1986
年の6
刷、173頁11.
『アンデルセン童話集』第8
巻、1942初版、1967の12
刷改版.
引用は1975
年 の21
刷、12-13頁12.
ジャン=ポール・クレベール『動物シンボル事典』竹内信夫ほか訳、大修館書 店、1989、94頁13.
アンデルセン「ラテン語学校時代(5)」福井信子訳『アンデルセン研究』第13
号所収、日本アンデルセン協会編、日本アンデルセン協会、1995、31-32頁14.
アンデルセン「アンデルセンの日記(その1)」鈴木徹郎訳『アンデルセン研究』第
4
号所収、日本アンデルセン協会編、日本アンデルセン協会、1985、4頁15.
ダンテ『世界文学大系』第6
巻所収(『神曲』)野上素一訳、筑摩書房、1962.引用は
1968
年の17
刷、50頁16. ハンス・クリスチャン・アンデルセン『アンデルセン小説・紀行文学全集』第 2
巻所収(『即興詩人』)鈴木徹郎訳、デンマーク王立国語国文学会編、東京書籍、1987、93
頁17.
『アンデルセン童話集』第2
巻、前掲書、255-256頁18.
漢斯・克里斯提昴・安徒生『座標062 安徒生日記』吉瑟拉・培雷特(Gisela
Perlet)編、姫健梅等譯、左岸文化出版、2005、62
頁19.
『アンデルセン童話集』第6
巻、1941初版、1966の15
刷改版.
引用は1975
年 の26
刷、21頁20. 『アンデルセン童話集』第 2
巻、前掲書、20-21頁21.
アンデルセン『アンデルセン小説・紀行文学全集』第2
巻所収(『即興詩人』)前掲書、180-181頁
22.
『アンデルセン童話集』第5
巻、1941初版、1965の14
刷改版.
引用は1975
年 の26
刷、47-73頁23.
ジェイムズ・ホール、前掲書、128頁24.
田中英道『フォルモロジー研究:ミケランジェロとデューラー』美術出版社、1984、130
頁図像文献
【図
1】【図 16】Heltoft, Kjeld. H.C. Andersens tegninger til Otto Zink. v.2, Odense:
Andelsbogtrykkeriet, 1972. 9. 17.
【図
2】【図 4】【図 7】【図 9】ウィルヘルム・ウーデ『アート・ライブラリー ゴッ
ホ』坂上桂子訳、西村書店、1997、27、76、34、54頁
【 図
3】【 図 12】Heltoft, Kjeld. Hans Christian Andersen as an Artist. Copenhagen:
The Royal Danish Ministry of Foreign Affairs, 1977, c1969. 63. 18.
【図
5】【図 6】【図 8】林樺編著『座標 063 安徒生剪紙』左岸文化出版、2005、
216、210、205
頁【図
10】馬杉宗夫『シャルトル大聖堂:ゴシック美術への誘い』八坂書房、2000、
106
頁【図
11】ウォルター・ペイター『ルネサンス : 美術と詩の研究』富士川義之訳、白水社、
1986、115
頁【図
13】ダンテ『教養カラー ダンテ神曲:詩と絵画にみる世界』野上素一訳編、
社会思想社、1968、29頁
【図
14】【図 17】【図 18】高階秀爾編著『ヒエロニムス・ボッス全作品』中央公論社、
1978、図版引用は 1990
年の3
版、280、275、280頁【図
15】森洋子編著『ブリューゲル全作品』中央公論社、1988、図版引用は 1990
年の
6
版、34頁【図
19】【図 20】【図 22】アンドレア・ポメッラ『ヴァチカン美術館:日本語版』
石鍋真澄、石鍋真理子訳、ミュージアム図書、2007、10-11、140、140頁
【図
21】D. レディグ・デ・カンポス『ヴァティカン宮ラファエルロの壁画』佐々木
英也訳、岩波書店、1984、図版LⅩV