灘
中世イギ'ノスの農民相続慣行と家父長権
‑‑‑清水盛光の全体志向概念による分析一
竹安栄子*
Abstract
ThispaperfOcusesontheanalysisofpeasantmheritancecustomsandpatriarchyinMedieval Englandusmg"theWholeOrientation"conceptualizedbyMorimitsuShimizuastheanalysis frame.ThepurposeistoexplorewhethertherewasastructuraldifferencebetweenJapanese traditionalfamily"Ie"andEnglishonemthefeudalage.Thecontractbehaviorsonmheritance spreadamongpeasantsmMedievalEnglandevenifitwaslimited.Womenwithouthusbands reservedtherightstotransittheirproperties.Thesecharacteristicsimplythat"theWholeOri‑
entation"wasnotfirmlyfOrmedamongtheEnglishpeasantfamiliesandthatasaresultthe patriarchywithmthefamilymMedievalEnglandwasrelativelyweakcomparmgwithJapanese traditionalfamily"Ie". Thefactsthatwomenhavekepttheinheritancerightsunderacertain conditionsmcethefeudalageinfluencedtothesocialpositionofwomena仕ermodernization.
はじめに−清水盛光氏を回顧して−
清水盛光氏の研究業績は,南満州鉄道調査部時代の中国を対象とした業績と,戦後の京都大学人文研究 所時代に執筆された業績に大別されるが,そのいずれもが氏の秀でた語学力(英語, ドイツ語, フランス
語, ロシア語, 中国語の文献を縦横無尽に活用できた)を遣憾なく発揮した膨大な文献渉猟に基づく成果 からなっているという点で共通している。その特徴がいかんなく発揮された代表作に『家脚(岩波書店)
がある。さらに最後の著作となった「集団の一般理論』 (岩波書店)は氏の生涯にわたる研究の集大成と いうにふさわしい。中国の宗族および社の研究,その延長線上に位置づけられる家族研究で積み重ねられ てきた応用社会学研究を基盤に,集団構造の一般理論の構築を目指した, まさにグランドセオリーと呼ぶ にふさわしい完成度の高い理論社会学の研究害である。本書が著された時期は,パーソンズを代表とする 構造機能主義が世界の社会学界を席巻していた。清水氏の集団論は,パーソンズが体系化した行為論を超 える理論体系であるにもかかわらず(筆者はそのように評価する),世界から顧みられることはなかった。
最大の理由は日本語で書かれたことによる。しかも理論的抽象度が高いだけに極めて難解な文章で著きれ ている。正直,パーソンズのいずれの著作も,決して分かりやすい英語で書かれているとはいえない。し
キーワード:清水盛光,全体志向,農民相続慣行,家父長制, 中世イギリス
*京都女子大学特命副学長
かし英語と日本語の違いが両者の理論の世界評価を決定的に分けたといえる。氏は研究所所属の期間が長 かったこともあり, その理論継承者が少数であったことも学界における広汎な評価に至らなかったことに 影響していると推測される。また氏は日本社会学会などの学会活動からも常に距離を取っていた。当時の
私の眼には,清水盛光氏は「孤高の師」と呼ぶにふさわしい存在に映じていた。l.問題の背景
本稿は,清水盛光の研究の集大成ともいえる『集団の一般理謝の中でもその中核をなすところの形式 による社会関係の類型概念に注目し,その中の「全体志向」概念を用いて, 中世イギリス(本稿では「イ ギリス」の名称をEnglandと同義に用いる)の「家」概念の分析を試みるものである。
そもそもイギリスの「家」概念を取り上げる背景には, 日本の「家」,すなわち伝統的家族との比較を 試みるという意図がある。時代的には100年の開きがあるが, イギリスも日本も封建制期における家族は,
共に家父長制的支配構造による「家」と特徴づけられる。しかし日本の場合は,明治4年の戸籍制度, さ らに1898(明治31)年の明治民法の施行後,近代日本社会の構造基盤として「家制度」が社会の隅々にま で浸透していった。西欧列強諸国の脅威に追い立てられるように近代国家の形成を急いだ明治政府は,武 士社会に確立されていた家族制度を全ての階層に拡大し,天皇制を基盤とした全体社会の制度とすること によって,急速に近代化を図るという国家目標(とりわけ徴兵制の安定的実施)を達成しようとしたので ある。すなわち, 日本では技術革新や近代国家制度, さらには近代的軍制を急激に確立する基盤に,マッ
クス・ウェーバーが伝統的支配の純粋型として取り上げる天皇制を頂点とした家制度の法制化があった。この結果,近代(現代)家族modemfamilyが日本で萌芽するのは,明治維新からさらに約80年遅れて第
2次世界大戦後まで待たなければならなかった。家制度の法制化は,女性を法的に無力な存在に置くことと表裏一体をなしている。20世紀の半ばまで女 性が法的に無力な地位に艇められていたという過去が,現在の日本における女性の社会的地位に少なから ず影を落としていると筆者は考えている。OECD諸国の中で飛びぬけて低い女性議員率(国会議員に占
める女性議員率164位(20191nter‑ParliamentaryUnion)), さらにはジェンダー・ギャップ指数110位 (2018世界経済フォーラム) という現実の背後には,家制度や女性の法的無能力状況が1945年まで続いた
という歴史的事実と無関係ではない。さらにイギリスと日本を比較した場合,家父長制的家族の構造そのものに差異があったのではないか,
というのが本稿を執筆するにあたっての問題意識である。すなわち,近代に先行する中世社会の基礎的構 成単位である家族の構造的特質は,家父長制的家族と概念されるが, これは世界に先がけて産業革命を成 し遂げ,近代資本主義社会への第一歩を最初に踏み出したイギリスの家族も例外ではない。確かに, 中世 イギリス社会においても,たとえ不充分であったとはいえ荘園制が成立していたが故に農民家族は封建 領主の家産制的支配構造に組み込まれており,そしてこの枠組にもっとも適合的な家族類型は家父長制家 族であっただろう。しかしながら,果たしてその家父長権の存在様態はヨーロッパ大陸諸国や日本の家父
長制家族と同じであったといえるだろうか。本稿は,清水盛光の「全体志向」概念を分析概念として用い
ながら,相続慣行の検討を通して, 中世イギリス農民家族の家父長権を,単に権力の及ぶ範囲や強弱と
いった程度の問題としてだけではなく,家父長権の意味構成の視点から考察し,その構造を理解すること
を目的としている。
ll.家産概念
中世イギリス農民家族の相続慣行と家父長権を検討するにあたって,最初に考察の前提となる家父長制 家族と家産概念を明確にしておく必要がある。
家父長制家族は,通文化的・普遍的概念としての「家族」の一歴史的存在形態を指称する類型概念で
ある。すなわち,家族が,一つの統一的全体(=家')を形成し, この統一的全体における統合的力の占有 が, まったく一個人,すなわち家父長に帰属せしめられる場合,それは家父長制家族と呼ばれる2 (Weber
l954: 133)。この統一的全体は,住居及び日常生活を共同にする家族成員によって構成されるだけではな く,死せる者と未だ生まれざる者をも含む超世代性を存在の基底に据えることによって統合される一つの 全体を成しているのである。そこでまず,家父長制家族の統一性が何を契機に成立し,かつ存続するのかという点が問題となる。こ
の点について,マックス.ウェーバーは, 「〔家族共同体Hausgemeinschaftは〕経済的にも人格的にも,
外に対しては連帯性と, 内に対しては日用材の共産主義的な使用=消費共同体(家共産主義Hauskom‑
munisms) とを意味し, この両者を厳格に人格的なピエテート関係の基礎の上に不可分の形で統一してい る」 (Weberl956:214;世良1960:147‑8訳注;黒正・青山1954: 131訳注) と述べている。これに示さ れるように,家父長制家族の一体的統一は,家共産主義という経済的行為の共同の基礎の上に成立し, さ らに「外に対する連帯性」によって維持されると考えられる。ところで, ウェーバーが, 「一切の家成員 にとっては,家特有の形において,緊密な.人格的な.持続的な家庭共同生活ZusamrnenlebenmHauSe が, 内外両面にわたる運命の共同をともないながら存在する」 (Weberl956:589;黒正・青山1954:
131訳注) というように,連帯性は,家成員が,家の生活を「運命の共同」と意識するということを意味 する。したがって,連帯性とは,家共産主義を契機として成立した統一的全体=家生活そのものが,家成 員にとって新たな志向対象と捉えられる(=全体志向の共同の)場合に成立する関係であり (清水1971:
401),かつそれ故にこそ連帯性は,家の統一性を持続させる契機となりうるのである。
ところで,一体的統一が対象化されることによって成立する全体性の内包する意味は,象徴化の過程を
通じて具象性をもつことになる。そこで家においては,伝統によって神聖化された人格象徴と非人格象徴 が現われる。
人格象徴は,地位及び役割の体系と人間とが不可分の融合をなして家父長権としての存在形態をとる。
これに対して非人格的象徴には,家の主要な物質的基盤である家,屋敷地,耕地にとどまらず,姓,家紋
等,家の全体性を象徴する価値を賦与された一切の事物が含まれる。このように,家の全体性が内包して いる意味を象徴している一切の事物が家産である3.したがって,家なる統一体の統合的力を占有し,全体 性を代表する家父長は,家産によって象徴される意味の体現者であり,統一性の二つの存在契機(=家共
産主義と連帯性)を人格的ピエテート関係の上に不可分に統一しているのである。そこで,家の全体性をl この点に関して一言附言しておくと, 「家」と「家父長制家族」の2つの用語は,共に家族の歴史的類型概念であるという前提 に立った上で,本論では, 「家」を日本に固有な家父長制的伝統の家族を指称する用語として用いるのではなく, より広く,家父 長制的な家父長権の統宰の下に,超世代的家族と財とが不可分の全体aninvisiblewholeとして,すなわち,全体家族dasganze H21]gとして成立する場合の統合体そのものを意味する語として用いたい。一方, 「家父長制家族」という場合,それは「家」を
統合する構造原理=家父長制的構造から家族をみた概念として用いる。2 なおウェーバーによると, 「占有」とは,妻子・奴隷・家畜・労働用具のような家族構成員と家族の経済基盤の占有を意味する ものであって,家族を一つの統合体とみなす視点は欠けていると思われる。この理由としては, ウェーバーが,家族集団そのも のの構造を考察するのではなく,経済発展史の文脈の中で家族を取り扱っていることにあると思われる。
3 通常家産としては,家・屋敷地,耕地山林などの不動産と,生産用具生活用品や家畜などの動産が考えられる。しかし,
財産として認められる客体は,何も物権のような有体物に限定されるのではなく,今日でいうところの無体財産のように,非有 体物も財産となりうるので,家成員が,他者に対して示す標識としての意味をもつところの姓や屋号,称号などの名号象徴も,
家にとっての財産とみなしうると思う。
象徴する意味が附着した一切の事物(=家産)の継承・相続は,全体志向によって成立した全体の永続性
と不死性という目標を実現するための行為として,すなわち全体志向の意味実現として行なわれる。以上,簡単にではあるが,全体指向概念を基軸とすることによって,家父長制家族と家産の概念規定を 試みた。この概念規定を分析の拠り所として,以下, 中世イギリス農民家族の相続行為の中に投影きれた 家父長権の存在様態を検討するわけであるが, それに先立って, とりわけ家父長権の衰退を考えるにあた
り重要と思われる点を指摘しておきたい。
先に,家の成立契機が家共産主義(=経済的行為の共同)にあることを指摘しておいた。ウェーバーが,
歴史的発展にともなった家共同体の崩壊が, 「家Haus」と「職業Beruf」との場所的な分離,すなわち,
家計からの生産の分離によって導かれると考えるように(Weberl956:226),家共産主義の原則の下で は, 「家計Haushalt」と「営利Erwerb」とが未分離な形をとっている。ところで,財の生産.消費といっ た機能的に限定された実現目標を目指す志向は,純粋な形態においては合理的な計算勘定に基づくところ の手段的志向instrumentalorientationである。一方,家も家族に他ならないのであって,その基底には,
「本質的に全人格的な,非即物的な,従って結合自体を目的として, 自分をそれに帰一させうるような結 合」 (核家族) (喜多野1976: 147)を含み込んでいる。この家族結合の本質を体現していると考えられる
核的小結合において作用している志向は,手段的志向に対時される自己完結的志向consummatoryorien‑
tatiOn4である。そこで家の内部では, この対時する二つの志向は,互いに重層して存在するが, これを包 摂する全体志向によって,人格的ピエテートに基づく家父長権の下に不可分に結合されている。すなわち,
機能側面からみれば,手段的志向に根差す機能と自己完結的志向に根差す機能が統合されている。
さて,家の諸機能の分散・移譲が家の成立契機を揺がし,家の全体性の崩壊を導くのであるが, この家 機能の縮少と局限化にともなって,統一的全体に向けられた全体志向の意味の浸透によって規定されてい た手段的志向が,それ自体として独自に存在するようになる。これによって全体志向と手段的志向との乖 離が生じ, これとともに統一的全体に向けられる全体志向そのものが稀薄化するかあるいは消滅ないしは 変質する過程をとることになる。したがって,かかる過程を通じて各成員は, もはや家の場合と異なり,
「集団の全体性に服従するが故に相互に結びつくのではなく,相互に結びつくことによって家族の全体性 を生む」 (清水1952:45)ようになる。この点に,家の崩壊の当然の帰結として,個人の自立性が生じる といわれる根拠がある。
ところで,本稿が対象とするイギリスにおいては, このような家の衰滅の過程は,産業革命以降に開始 されるわけではない。すでに多くの研究者によって指摘されているように,荘園制形成の不徹底,市場の 自生的成立等の外的要因によって,家計と生産の場は未分離のままではあるが,すでに中世より統一的全
体としての家の観念は漸次崩壊し始めていた。すなわち,家経済の中に計算Rechnenhaftigkeitという要 素が漸次浸透し (Weberl923: 109;黒正・青山1954:239‑240),家産相続の中に各成員の持ち分計算
が次第に著しくなってきていた。したがって, このような状況下での農民家族の財産は,全体性を象徴す る意味を稀薄化していたと想定される。筆者が, 中世イギリス農民家族の家父長権の意味構成を相続慣行 の中に読み取ろうとするのも,以上のような思考線上に立ってのことである。4 "instrument21.''と"consurnatry"の概念区分については,T・Parsons,TheSocialSystem,1951,p.49.の概念に倣った。なお,パー
ソンズは, 当初"expressive"の語を用いていたが,後にこれを"consurnatry''に代えた。do., "GeneralTheorymSociology,
p9 inR.K.Merton,L.Broom&L.S.Cottrell,Jr., (eds.),SociologyToday, 1959,pp.6‑7,note4lll.相続慣行にみられる家父長権
111‑1.相続形式相続形式は,単独相続〔不分割相続〕,共同相続,分割相続の3つに分類されるが(清水1952:86),家
の不死性と永続性にとって,最も適合的な形式は,単独相続〔不分割相続〕であろう。すなわち,単独相 続の場合には,家産は未分割のまま一系列(通常は直系男子)の人々によって保存され,それとともに,超世代的に継続される一体的統一としての家の全体性への意識が生み出されるからである。イギリスにお
いても, ノルマン征服以降,軍事的封建制が原因となって長子相続primogemmreが導入され,これが徐々 に普及してコモン・ローになったといわれている(Bakerl979:227;小山貞夫訳1975:294)。だが,長 子相続は軍役保有militarytenureによる封土feeに対しては一般的に妥当したが(PollockandF.W.
Maitlandl968:263‑264),農民保有地に関しては,地域によって様々な相続慣行が存在したことが指摘
されていた。このような農民相続慣行の多様性を取り扱った最初の研究は,歴史家によってではなく,社 会学者であるG.C.ホーマンズによってなされた。彼は耕作地制度の地域的差異に着目して, イングランドを典型的な二圃・三圃制度の支配的な平野地域champion(イングランド中部・北部諸州) と典型的な 二圃・三圃制度を欠く森林地域woodland(東南部諸州)に大別し,前者では不分割相続impartiblem‑
heritanceが,後者の地域では分割相続partiblemheritanceが一般的であるという,相続慣行の地域別の 類型化を提起した(Homansl960:esp"Chap.9)。しかしながら,その後の研究の進展にともない, ホー
マンズの主張する農民相続慣行の地域別の類型化に対して多くの研究者から批判が加えられることになった。例えばR.J.フェイスは,相続慣行の地域的特殊性の起源は, ホーマンズの考えるように,ゲルマン
民族定住期の定住諸民族の相続慣行の相違に由来するのではなく,人口密度と荘園制の段階=領主権力の強弱に対応するものであって,不分割相続地域と分割相続地域の問に明確な線を引くことは誤りである,
と述べている(Faithl966:75‑95)。また,H.E.ハラムは,スパルデイング修道院領の個別研究から,ホー マンズが不分割相続が支配的であるとした二圃制を特徴とするリンカンシャアにおいて, 自由農民やソッ
クマンsokernfmの間に分割相続が多数みられ, これが自由農民やソックマンを農奴農民operariiと区別 する基準になっていることを明らかにした(Hallaml958:344‑349)。他方, ホーマンズによって分割相
続地域とされているイースト ・アングリアについては, B. ドッドウェルが,分割相続と不分割相続の二つの相続慣行が併存していること,相続慣行の相違は,農民身分によるのではなく,テネメントの状態(開 墾地は分割相続の傾向が強く,労働地代が賦課されている場合は分割されることは少ない)によるが, し
かし自由保有地が不分割相続されたり,農奴保有地が分割相続される事例も少なくないことを明らかにし ている (Dodwelll967:58‑66)。そこで,中世イギリスの農民相続慣行の一般的傾向として言いうることは,不分割相続か分割相続かと
いう相続形式の地域的類型はあくまでも概括的なものにすぎず,いずれの形式がとられるかを決定する要因は,外的には, フェイスが指摘するように, なによりもまず農民と領主権力との力関係に(Faith l966:85), また内的には,家族の存続にとって土地が持つ意味の重要性の度合いに依存している(Howell 1976: 117), ということであろう。そこで領主権力との関連からみれば,同一荘園内であっても,領主権
力が強く作用する農奴保有地は不分割相続きれ,領主権力から相対的に自由な自由保有地は分割して相続 されるというように,各々のテネメントの種類によって相続形式を異にする場合が生じえたと考えられる(米川1972: 140‑40, 162)。しかも,保有地の種類は土地そのものの法的属性に由来したので, それは必 ずしも保有農の身分と一致するとは限らなかった5 (三好1981:82)。したがって, 同一農民家族の保有す
5 保有地の種別と身分の不一致は,農民身分に限らず,騎士身分の間にもみられる。すなわち,騎士身分の者が,農奴保有地を
保有する場合もあった。 (Searlel976:484‑485)
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6
なお, 父親のJ.Wooddesが,相続から排除した長男に対しても,いくばくかの収入を保証している点に注意されたい。後に述
べるように,家産の継承を願う家父長としてよりはむしろ,子供の将来を案じる父親の姿をかいま見ることができる。
lll‑2.相続原則
中世イギリス農民家族の多様性に富んだ相続慣行規定の原則として次の3点を指摘することができる。
すなわち, (1)不分割相続か分割相続か, いずれの相続形式の下であれ,家族保有地thefamilyholdmg は同一の血統thelineofbloodを辿って継承される。 (2)家族の土地は,家族全体thewholefamilyに帰 属する。最後に, (3)相続順位は直系優位・男子優先である。以下, この3点を可能な限り具体的な相続
事例に基づいて順次検討していく。フェイスは, 13世紀の相続慣行の原則として, 「家族土地保有familylandholding」を挙げている。彼に
よると, 13世紀の農民相続慣行は, たとえどのように多様性に富んでいたとしても,一つの基本原則一 伝来の保有地establishedlandはそれを古くから保有していた者の男系を通じて継承されるべきである−を共有していた。そして不分割相続地域と同様に,分割相続地域においても, この原則,すなわち「家
族土地保有」が強力に作用していた(Faithl966:86,87)。このように,代々同一の血統を辿って土地を
継承するという 「家族土地保有」の原則は,土地が保有者個人の財であるのではなく,永続性と不死性を 志向する家の物質的基盤であるという意識を人々の間に生み出し, さらに家の全体性を世代を超えて継続 することを可能にする。したがってそこでは,土地の分割・不分割に関わらず,人々は, 自らの祖先が耕 作した土地の上で労働し,生活することによって,世代を超えた家の統一性と永続性を自覚することができる。すなわち「家族土地保有」とは, まさに先に示した家産相続を意味するものに他ならない。
しかし, ここで注意きれねばならない点が2つある。第1点は, ホーマンズも指摘しているように, 「家
族土地保有」の原則に従うのは,父祖伝来の保有地であって,保有者が自らの力で取得した土地はこの限 りではなかった, ということである(Homansl960: 132)。このような保有地は,おそらく相続権をもたない子どもに残されるか,嫁資として譲渡されたであろうが7,原則としてその処分は保有者自身の自由に 委ねられており,相続人の同意を必ずしも必要としなかった(Macarlanel978: 116‑117)。また不分割
相続地域においても,動産はその一部ないしはすべてが被相続人の間で分割されている (Howelll976:146)。以上のことより,過去の世代より相続によって受け継がれてきた家族保有地は,農民によって「家
産」と意識されていたが,すでに13世紀には家族保有地以外の財(動産や取得不動産)は, 「家産」から 分離する傾向にあったと理解することができる。第2点は, 「家族土地保有」は,男系を通じて継承されることを原則とするが, しかしこれは,女子相続 権を必ずしも否定するものではなく, あくまでも直系男子優先を意味するにすぎなかった, という点であ る。すなわち, 「家族土地保有」とは,男女いずれであるにせよ, 同一血統を巡って保有地を継承すべき とする原則であった。なおこの点については,後に,相続順位との関連で述べる機会があるので, ここで は指摘するだけにとどめる。
ところで, 14世紀にイングランドを襲った黒死病による人口の激減と,その後の領主の直営地経営の放 棄によって, 14・ 15世紀には農民が保有地を入手しうる可能性が増大し,社会的移動も活発になった。そ
の結果,農民の土地保有状況はかなり流動的になったと思われる。例えば, Brightwalthamでは, 1284年 の荘園裁判所記録に名前が出てくる49家族のうち, 15世紀初期の地代帳に土地保有者として記されている
のは3家族に過ぎない(Faithl966:90)。またホーウェルは, ライセスターシヤーのKibworthでも,1280年〜1700年の4世紀間にわたる土地保有家族の安定性を追跡した結果, 14世紀後半から16世紀の間に 保有者の姓が著しく転換していることを明らかにしている(Howelll976: 123‑131)。さらに,多くの研 究者が指摘するように,土地譲渡の中に,非親族への譲渡の占める割合もきわめて高くなっている。例え
ば,先にも挙げたBrightwalthamでは,記録に残っている土地譲渡数のうち,家族員に対する讓渡(=
7 長子相続が荘園慣行であった13, 14世紀のH21esowenにおいて,購買によって取得された付加的な土地や現金が,次子以下の
子どもが結婚して独立するための資金として与えられている (Rajil980:50‑51)。
一口ロロモモロロIJI口ロ口IJIローコ壱ゞ一
蹴帆朧Ⅷ川助帥飛妨嗽聯恢祉剛Ⅳ羅榊眈脚蔽測雌艸弛詑榊馴恥乱刑Ⅷ職繍邨湘岫跡 続減地てつ以郁娠心加州吐梛岨峨硯州繩家吐く吐棚如城帥梛好和比和職州朏附鵬胤 相で土し一
8
14世紀以降, コモン・ロー上では,寡婦産は,亡夫の財産の3分の1であったが,実際には, 2分の1の場合が多く,子供が無い か幼少の時には,全財産を寡婦が継承する場合があった(Miller&Hatcherl978:136;三好1981 :98;HoweUl976: 141‑
142.)。
9 コモン・ロー上の鰈夫産の規定については, J.H.Baker, 1979,pp.230‑238,小山訳, 1975, 253‑254頁。故人の先夫との間に出生
した子どもと再婚した夫との間での鰊夫産を巡る係争事件の事例は,三好洋子, 1981, 100頁に掲げられている。
続分を支給せねばならず, これが中農層以下の農民の経済力を衰弱させる要因の一つになった, と述べて
いる(Spuffbrdl976: 157‑159)。以上のように,家長は,単に家族員全員の生活を保護する義務だけで
なく,兄または弟, さらには姉妹を結婚させ,独立させる義務をも負っていたのであった。そしてこの義 務を果たすためには,伝来の保有地さえも分割ないし売却したりしたという事実は,土地をはじめとした 家族財産が,統一的全体としての家の象徴的意味を喪失していることを示している。換言するならば,家 族成員は,家族財産を超世代的に永続する家の存立基盤とみなすよりはむしろ,個々の家族員の生活基盤と捉えていたのである。
この点は,すでに指摘した寡婦産と鰈夫産についての遺言状の中にも具体的に示されている。寡婦産お よび鰈夫産は,寡婦ないし鰈夫の生涯利用権を保証するためのものであった。そこで,遺言によって特別
に規定されない限りにおいては10,彼らは,寡婦産かまたは鰈夫産を持ったままで再婚することが認めら
れていた(三好1981 :98)。すなわち,寡婦産ないし鰈夫産は,彼らの死亡後は法定相続人である血縁者 の手に返きれるという条件付きではあるが,再婚によってもはや家族の成員でなくなった後にもその利用 が許されていた。とりわけ成年に達した息子をもたない寡婦の場合には,保有地を耕作する労働力を確保するために,再婚が領主によって強制される場合さえあった'1。しかし,成人した息子をもつ寡婦の場合 には,寡婦産の全部, ないしは一部を息子に譲与し,その代償に様々な取り決めがなされることが多かっ
た。荘園裁判所記録の中に, このような寡婦と息子との間の寡婦産譲与に伴う取り決めを発見するのは困難なことではない。例えば, 14世紀のRickinghallで, JohannesfiliusRobertusと再婚したHenricusle Heywardの未亡人Clariciaは,再婚後,前夫の息子Adamに彼女の寡婦産のうち公道に面した納屋を除
く土地などを譲与し,その代償として,年12ペンスをイースターとクリスマスの2期に同額に分けて受け 取ること,上述の土地に賦課された慣習的諸負担, 出廷義務,領主への上納金,窓意税などはAdamが 納めることが取り決められている(三好1981 :99)。以上みてきたように,非相続人である子どもの相続分要求権再婚後も占有を認める寡婦産制と鰈夫産 制,寡婦産分譲与に伴なう寡婦と息子の問での取り決めは, 中世イギリスの農民家族の間に,伝統と人格 へのピエテート関係の基礎の上に不可分に統一されている家共産主義の原則とは異質の持ち分計算の要素
が浸透していたことを(Weberl923: 109,黒正・青山訳1954:239‑240),すなわち,統一的全体とし
ての家に向けられた全体志向の中から手段的志向が分離する方向にあったことを意味するものであるとい えよう。ところで,遺言状の分析から, この全体志向からの手段的志向の分離の過程と並行して,核的小 結合を目指す自己完結的志向の分離の過程が浮かび上がってくる。一例を挙げれば,長子相続が荘園慣行であったWilhghamには, 1575年から1603年の約30年間に作成された遺言状のうち, 49通が今日まで残
されているが,そのうち38通については,遺言状作成者の家族関係が判明している。この38名のうち5名 は,未婚か子供がなく,はっきりとした相続人がいなかった。残り33名のうち, 16名は, まだ独立してい ない成人の息子を2人以上,残りの17名は,未婚の娘か未成年の子供をもっており,既に独立した成人の 子供しかもたない者は1名も遺言状を残していない。したがって,全遺言状のうち4分の3近くを占める33 通の遺言状の作成者が,法定相続人である長子以外の未だ独立していない子供達に,何らかの分与産(保有地や,小舎,現金,生活用具など)を指定するために遺言状を作成していたのである(SpuHOrdl976:
170‑171)。すなわち, ホーウェルやサフオードが指摘しているように,農民が遺言状を作成する主要な動 機は,遺産の多寡ではなく,いまだ独立していない,特に幼少の子供たちのために分与産を遣そうとする
10例えば,Midlandsに残されている遺言状193通のうち, 29.5%の56通が,寡婦に全財産を遣しているが,そのうち16通には,寡
婦が再婚すれば相続財産を失うとの条件が附されている(C・Howelll976: 141)。ll一例を挙げれば, 1294年,Wistowの荘園裁判所は,若い未亡人に,次の開廷までに再婚することを命じている(Miller&
Hatcherl978:141)。
ことであった(SpuHOrdl976: 171‑172;Howelll976: 141)。ここにわれわれは,家族財産の超世代的継
承を願う家父長としての父親の姿よりはむしろ,後に遣された幼い子供たちの行く末を案じる切実な父親 の愛情を読み取ることができる。以上のことから,第2の相続原則は,全体志向からの手段的志向と自己完結的志向の分離を促がし,そ の結果,中世イギリス農民家族が家を形成する基盤それ自体を揺るがしたことが理解されるであろう。
そこで最後に,第3の相続原則として指摘しておいた相続順位を取り上げよう。中世イギリスにおいて,
相続形式の如何にかかわらず直系優位・男子優先の原則〔優先相続権者の順位は, (1)死亡者の直系男子,
(2)死亡者の直系女子, (3)死亡者の兄弟, (4)死亡者の兄弟の子ども, (5)死亡者の姉妹, (6)死亡者 の姉妹の子ども〕の原則が確立されていたことは一般によく知られている(三好1981 :83‑87;Baker
1979:236‑237)。ここで,本稿の文脈との関連で重要な意味をもつのは,優先相続人の決定順位が, 同位 者間では男子を優先しながらも,女子の相続権を全面的に排除していない点である。したがって,例えば,直系男子を欠く場合には直系の女子が相続人となったのであるが12, この場合,相続慣行が分割相続・不 分割相続のいずれであるかにはかかわりなく,均分相続されるのが常であった'3.しかも,たとえすでに 婚出した娘であっても,相続権を失うことはなかった。一例を挙げれば, 13世紀のMoultonでは, Hugo
Geneの妻, EmmaCronbis,AnneCornaliusの各々姓の異なる3人の姉妹が父の土地を均分相続している(鵜川馨1968:73‑74,76)。またロチェスターのAmbree荘園裁判所記録の中には,HenryStynellの妻 AliceとDionysiaの二人が,彼女たちの母から相続を受けている事例が記きれている (Amoldl911 :
No.44)。そこで,女子による財産相続は,第1に分割することにより,第2に家名相続を伴わないことにより家の統一性と超世代性を崩すことになったであろう。
以上みてきたように,女性は,男性の下位に位置づけられるという条件の下ではあるが,家族財産に対
して相続権を有していた。しかし,有夫の妻の場合には,夫がともに出廷するのでなければ自らの相続権 を正当に行使することはできなかった。何故ならば,すでに述べたように,法の目からは夫と妻とは唯一 の人格とみなされ,それ故に, 「婦人そのものないしはその法的存在は,婚姻中は停止し,あるいはそれ は少なくとも夫の存在と合体ないしは統合されている」からであった(Bakerl979:395)。だが,女性が 自らの法的権限を単独で行使することを阻まれるのは,婚姻中についてのみであって,独身の女性はこの 限りではなかった。例えば,先ほどのAmbree荘園裁判所記録の中には,相続や譲渡,購入に関して女 性が出廷して法的行為をなしている事例が散見され, さらには未成年の息子や娘の後見人に母親や近親の 女性がなっている事例もある'4。すなわち, メイトランドが書いているように, 「ノルマン征服以降イギリ スでは,夫をもたない成年の女性は, ……告訴したり,告訴されたり,封をうけたり,契約書に擦印した り, あらゆる事を後見人なしになした」 (Pollock&Maitlandl968:482)のである。このように,女性が 本来的には法的権限を否定きれた存在でなかったということは,統一的全体を象徴する家父長権の継承の
意味が希薄化していたと捉えることができよう。女性が財産の相続権を有していたということは,その継承の過程において, さらに次の問題を引き起こ すことになる。すなわち,彼女たちが相続によって取得した財産は,再び直系優位・男子優先の原則に従っ て彼女たちの直系子女へと継承されていくであろうが,その場合,相続人が相続によって取得する伝来の
12但し,貴族階級の問では, このような場合,死亡者の兄弟, ないしは兄弟の息子が家名と土地を相続し,娘には,土地から得 られる収益相当分が年金として与えられる場合もかなりあった(Tmmbackl978:70)。
13 しかし,荘園慣習によって,男子相続人のない場合には,娘のうち一人だけが相続する地域もある。A.Macarlane,op.cit.,p.91.
14 A.A・Arnold,op.cit.,No.173.によると, ThomasBryceの未成年の娘Sabinaが,母Ellenから相続を受けた時,彼女の後見人
にAlicedeHamptonの娘Aliceがなっている。また,No.59では, RobertFaberの息子Johnの後見人に母Roseがなっている
(Amoldl979:No.173)。
財産(=家産) とは,父方からだけではなく母方からも受け継がれてきたことになる'5.したがってこの 場合,家産としての「伝来の保有地」とは,父系のみならず母系をも辿って代々継承されてきた土地を意 味している'6。
このように,家産が父系に強調を置きながらも,双系的に継承される余地を残している場合,家産の継 承を通じて媒介きれる祖先の観念は,単一共同の祖先としての意味をもつものではなく,祖先は両系を 辿って無限に拡大していくことになる。その結果,祖先の観念すら存在しえなくなり,祖先崇拝の意味は 死者崇拝の意味しかもたなくなるといえよう。したがって,そこにおいては,全体としての家の観念を強 化し,存続せしめる共同祖先への共属の意識としての祖先観念は成立しえないであろう。Mウェーバー は,祖先崇拝と死者崇拝を区別して,死者崇拝の観念と純粋な男系の氏族dieremagnatischeSippeへの 所属の観念との結合が祖先崇拝を生み出し,家父長支配の不滅不壊の力は, この両者の結合に基づくと述 べている (Weberl923:58;黒正・青山訳1954: 133)。
ところで, イギリスにあっては,先に指摘したように,親族体系が非単系cognaticであった。すなわち,
アングロ・サクソン社会の親族集団を意味する語「メイズmaegth」は, 「厳格な意義における単系の親 族集団としての父系制氏族−いわゆるclan,Sippeではなかった」のである(田中正義1969:376)。そこで,
イギリスでは,死者崇拝はあっても祖先崇拝は存在しないか, あるいは稀薄であったと推定される。そし てこのことが,家の観念の, ひいては家父長の支配の不徹底の一つの原因となっていると思われる。
lll.むすびにかえて
以上,清水盛光の全体志向を分析概念として用いることによって, 中世イギリスの農民相続慣行を,相 続形式と相続原則の2つの側面から検討してきた。農民の相続慣行は, とりわけ史料上の制約もあって,
まだまだ解明きれねばならない問題点を多く残しており, まして本稿で扱いえた史料はごく限られたもの であるため, はなはだ不十分な検討しかなしえなかった。しかし, ともかくも, 中世イギリスの農民家族 における相続が, 「家産」の相続・継承としての意味を稀薄化しており,それ故に,超世代的に永続され ることを目指す統一的全体としての家の観念が極めて不徹底な形でしか存在していなかったことが明らか にできたと思う。そこで,家父長が家の統合的力の占有者として位置づけられるならば, この家の観念の 衰退過程は, 同時に,家父長権の衰退の過程でもある。したがって, 中世イギリスの家族における各成員 の家父長からの相対的自立,あるいは個人主義の萌芽は, まさに,統一的全体としての家の観念の稀薄化,
あるいは衰退を意味するものと考えられる。
この点に,近代以降のイギリスと日本における女性の社会的地位の在り方の差異が生じた要因の一つを 認めることができるのではないだろうか。日本の場合は,近代以降,法的に無能力な存在としての女性の 立場が,家制度の枠組みの中で法的に規定されることによって揺るぎのないものとなった。イギリスにお いても,産業革命後,台頭してきた中産階級の中に近代家族の萌芽が見られるようになり,性別役割分業 に基盤を置く家族観が強化される。しかし,家族形態としては核家族を基本とし,超世代性を志向する直
系家族形態の日本の家とは異なっていた。確かに貴族階級の家族は世代継承に価値を置いていたが,そこでは限定的であっても女性にも相続権が認められ,系譜は男系に優位を置きながらも双系の原則に立つも
15例えば, HalesowenのIlly村に住むAdamdeMelleyは, 1363年に,父の死によって,父からは同村にある保有地を,母から は近村(母の出生地)にある保有地を相続した。この場合,母が婚資としてか, あるいは相続分として保有していた保有地は,
法律上は夫婦同一人格という原則に基づいて,父の生前は,彼の管理下にあったと思われる(ZviRazil980: 18‑19)。
16 このように,家産が,父系に優位を置きながらも,双系的に継承される余地を残しているのは, イギリスの親族体系が, アン グロ・サクソン期以来, cognatic[非単系〕であったことと無関係ではないと考えられる(Radclife‑Brown&Fordel950: 15‑
18;Lancasterl958;三好1970)。
のであった。統一的全体としての家の観念が不徹底な形でしか存在しなかったことは,同時に女性の権利 と地位が不十分ながらも認められていたことを意味している。この点に近代以降,両国の女性の社会的地 位の進展に大きな差異が生じた背景があるといえよう。
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備考