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Vol.68 , No.2(2020)057陳 敏齡「義山『無量寿経随聞講録』における法蔵菩薩釈義の思想史的考察」

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Academic year: 2021

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義山『無量寿経随聞講録』における

法蔵菩 釈義の思想史的考察

陳   敏 齡

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.前言―問題の焦点―

法蔵菩 の本生物語は「無量寿経」の主題の一つである.仏教思想から見れ ば,法蔵菩 の本生談は基本的に大乗菩 道の探求と密接に関連している.とこ ろで,日本仏教史において,法然の『選択本願念仏集』における念仏本願・諸行 非本願の説に因んで,念仏と諸行(六度萬行の菩 道)との関係がどのように調和 するかということは宗門において一つ大きな問題になる.本論文では義山『無量 寿経随聞講録』の法蔵菩 釈義を通してこの議題に関する新しい解釈の可能性を 試みる.そしてそのアプローチとしては,義山を中心としながら,無量寿経を注 解する早期の諸論師と日本の浄土教家との対比に依って考察して行く. 1

.早期無量寿経注疏の流布

七・八世紀の無量寿経の注疏に関して現存するのは,中国仏教ではわずかに浄 影慧遠(浄影と略称),嘉祥吉蔵の著作のみで,大半は新羅・高麗の 述である. 例えば,元暁,義寂,法位,玄一,憬興,太賢などの著作がある.そして恵谷隆 戒氏が『浄土教の新研究』(山喜房仏書林,1976,57)で述べるように,こうした著 述は浄影(十地論師)と玄奘・窺基(法相宗)との二つの流れに分けられる. 日本浄土教の発展過程において,舒明天皇(593–641)が舒明十二年(640)に慧 隠を詔請し,宮中で『無量寿経』を講説して以来,浄土教の典籍も続々と日本に 伝来する.韓国仏教の影響により,奈良時代の研究動向は無量寿経中心の傾向が みられる.例えば,三論宗の智光,法相宗の善珠にはいずれも関係する著作があ ると伝わっている(散逸). 2

.法然『無量寿経釈』の科判及び伝承

法然『無量寿経釈』では,まず「正依善導,傍依諸師,并述愚懷(『昭法全』

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67)」と掲げている.彼は善導の此遣彼迎(「此方發遣」)の説に依って,如来摂取 衆生帰浄土の本願が即ち大経の本意だと強調するが,その科判は「傍依諸師」中 の浄影の説によるものである.彼は大経の「正宗分」を三段に分け(初明所行,二 明所成,三明所摂),望西楼了慧(『無量寿経鈔』),聖聡(『無量寿経直談要 記』)等を はじめとする宗家はまた善導『観経疏』序分義(「欣浄縁(T37, 258b)」)の文を揉和 して,更に七つの段落に細分する(初明勝因,二明勝行,三明勝果,四明勝報,五明極 楽,六明悲化,七明智慧).これが「以三為大科,七為小科」という定式である.義 山の『無量寿経随聞講録』もこれを採用する.故に以下では了慧の科判分段に よって説明を進めていく. 3

.法蔵菩 釈義の解釈史問題

法蔵菩 に関する釈義は,「正宗分」の三分の第一「初明所行」に属す.これ は七個小科の前三者―「勝因」,「勝行」,「勝果」を含む.この段は浄影の「所行」 に相当するが,内容が法蔵菩 における発願の因縁(発願縁)及び其発心の過程 (発願相)を主とするので,義山は特に「弥陀因位願行(浄土宗全書14, 287b. 以下,こ の書名を省略する)」と名づける.この弥陀因位願行の所行を説明する部分では, 「勝因」,「勝行」,「勝果」の三つの小科が含まれるが,「勝因」の占める分量が最 も多い.従って,以下,法蔵菩 釈義の解釈史の問題について,「勝因」の科目 を中心に考察したい. 3.1. 発願縁―五十三仏の系譜― 勝因の項目は一般に(一)発願縁と(二)発願相に分けられている.(一)発 願縁は主に五十三仏の系譜を説き明かす.五十三仏の系譜に関しては二説があ る.(1)は,遠から近へ,というタイプである.即ち,錠光仏を最古の仏,世自 在王仏を最新の仏という.(2)は,近から遠へ,というタイプである.即ち,錠 光仏を最新の仏,世自在王仏を最古の仏という.宗門一般では第一説を標準とす る.但し,義山は,法蔵菩 の発心出家が「錠光如來御前今世自在王仏(14, 288b)」というように,錠光仏より世自在王仏の方が古いと述べる.特に錠光仏 を近,世自在王仏を遠というのは,おそらく法蔵の発願久遠を顕すためであろう が,宗門の意見ではない第二説に属しており,「錠光如来者,此顕法蔵発願久遠, 法蔵最初発心,則錠光如来御前今世自在王仏所ニテノ発心(14, 288b)」という. 但し,いずれの説でも,錠光仏を一つの基準点としている.もし仏教における直 線的な三大阿僧 劫成仏の説によれば,成仏以来ただ十劫の経歴をもつ法蔵菩

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と,錠光如來によって授記される,三大阿僧 成仏の経歴をもつ釈 菩 との間 に,時間的には全くその出会いの可能性はなさそうである.直線的時間において 理解し難いことにより,種々の論題が提起される. 3.2. 発願相―両重発心― (二)発願相とは,法蔵菩 における発心の過程を描くものである.経文の中 で,「斯義弘深非我境界」とあることにより,浄影は両重発心説を立てる.即ち, 最初の「時有国王,聞仏説法心懐悦豫,尋発無上正真道意…我行精進忍終不悔」 は地前発心であり,「仏告阿難法蔵比丘説此頌已,而白仏言,唯然,世尊,我発 無上正覚之心」以下は,地上発心に転じ,「地前所行,名為世間.地上出世」(T37, 101b)という.ただ,この「斯義弘深非我境界」は地上発心の経文の中間部分に 置かれている.それ故,浄影は特にここの「我発無上正覚之心」の文が牒前起後 と説明する.義寂(恵谷隆戒『浄土教の新研究』山喜房仏書林,1976, 418),玄一(X32, 392b; 394a)は更に一歩進んで,五劫思惟をもって地前・地上の境界とする.つま り,五劫思惟已前は地前(解行発心),五劫思惟已後は初地発心(証発心)という. これに対して,憬興は法蔵比丘には重発之挙がなく,前後はただ「広略の別 (T37, 148b)」に過ぎないと主張する. 法然は『無量寿経釈』の中で,直接には両重発心に言及していない.法然はた だ,法蔵菩 の発心に総願(四弘誓願)と別願(四十八願)(『昭法全』69)のあるこ としか述べないが,了慧の『無量寿経鈔』(大経鈔)以来,浄影の両重発心説に依 る解釈は,あたかも浄土宗門の定説のようになっている.ただ,注意すべきなの は,若し一歩進んで大経における発心に相関する用語を考察すると,(1)尋発無 上正真道意,(2)我発無上正覚之心,(3)超発無上殊勝之願,(4)五劫思惟摂取 仏国清浄之行,(5)縁致満足無量大願,(6)具足修満如是大願,という順になっ ている.中でも「釈 追説(T37, 121a)」という追説の部分が挿入されるため,(1) ∼(6)は必ずしも条理整然としていない.浄影のいわゆる二重発心説に当ては めれば,(1)尋発無上正真道意は地前発心,(2)∼(6)は地上発心に転ずる, となるが,前後に若干矛盾した用語表現が見える.従って,宗門にとり,どのよ うにこうした両重発心から発した教理の食い違いを解決するかということは,避 けられない重要な課題である.以下では,了慧『大経鈔』の分科に沿って,地前 の部分を(1-1)∼(1-4),地上の部分を(2-1)∼(2-9)で表示する一方,上述 した大経の発心用語の順序により,こうした教理論争に関する義山の評論の考察 を試みる.

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.義山の法蔵菩 釈義

4.1. 地前発心段の問題 義山は基本的に宗門の説を踏襲して,浄影の両重発心説を採用する.彼は真の 発心が長く時間を経てから得られると理解しており,特に「斯義弘深,非我境 界」「其心寂静,志無所著(14, 289b)」の二文をもって,地前.地上を区分する主 な根拠とする.基本的にこれは空無我を修行段階を判定する基準とするが,地前 発心の部分に主な論議は以下の二つある. 4.1.1. 尋発無上正真道意と與世超異の矛盾 第一は,もし「(1-1)時有国王,聞仏説法心懐悦豫,尋発無上正真道意」を地 前として,五劫思惟の後で初めて地上に入るなら,これは即ち同じ地前発心に属 す,(1-2)の「高才勇哲,與世超異」および(1-4) 仏偈の「明己所求」の「道 場超絶,国如泥 」などの文意に矛盾する.義山は宗門の説に沿って,ここで 世とはただ一般の世間を指し,地前を世間とする意味ではない,と解釈し,「此 影師興師及鸞師感師意也(14, 290a)」という.但し,彼はなお「與世超異」の文 を「地上発心ノ義(14, 290a)」と見なす法然の説を保留する. 4.1.2. 地前の発願は惣願か別願か 第二は,もし「(1-1)尋発無上正真道意」を地前とすれば,これはまた(1-4) 「 仏偈」の所説する「身土摂生之願」の意味に矛盾する.というのは,若し浄 影の意によれば,仏身,仏土,衆生など三種類を含む四十八願の発起は地上の段 階に属する.義山も宗門の依拠する浄影の説に沿って,地前の発心が総願だと解 釈し,「謂此容惣願摂.雖有身土摂生之別,只是浄仏国土成就衆生分齊,未発 六八,故亦是地前故〈浄影意也〉(14, 294b)」という.但し義山は,地前の総願で あっても別願の意味が全然ないわけではないと強調する.いわば「別願摂生願志 (14, 294b)」という.願の後で「志」を付け加えるのは,正に了慧の「別願之預動 起(14, 056a)」の言うように,別願の働きが予め示すことである.ただ義山は常 に「畢竟是仏巧方便(14, 296a)」という感性に富んだ言葉で表現する. 4.2. 地上発心段の問題 浄影二重発心説によれば,「我発無上正覚之心」の以下は,地上発心の部分に 属す.全文は「仏告阿難法蔵比丘説此頌已,而白仏言,唯然世尊,我発無上正覚 之心…修満如是大願,誠諦不虚,超出世間深楽寂滅」という.主な論議は以下の 三つある.

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4.2.1. 五劫思惟以前における説法現土(覩見仏国土)の問題 いわゆる説法現土は,「(2-4)広説二百一十億諸仏刹土天人之善悪,国土之粗 妙,応其心願悉現與之(T12, 267c)」といわれる.この(2-4)説法現土と「( 2-5-1)時彼比丘聞仏所説厳浄国土,皆悉覩見」の聞法見土の二文は文意として一つ の対組である.いずれも,地上発心の「(2-1)我発無上正覚之心」の後,「( 2-5-2)超発無上殊勝之願・五劫思惟」の前に置かれる.つまり,説法現土(2-4)・ 見仏国土(2-5-1)・超発勝願(2-5-2-1)・五劫思惟(2-5-2-2)の順となっている. 若し五劫思惟を地前地上の境界とすれば,厳格に言えば,法蔵菩 はなお地上に 昇進していないので,仏身仏土を見ることができないはずである.若し仏土を見 ることができれば,所見の仏土は一体浄か穢か. 義山は一方で,五劫思惟以前における説法現土の問題に対して,宗門の依拠す る浄影(T37, 102c),憬興(T37, 149c),玄一(X32, 395a)等の説に沿って,まずは仏 国土が浄土だと認めながら,穢土にも通じると補説する.「所見土通浄穢報化也 (14, 297a)」という.これは曇鸞のいわゆる純是浄土の説と異なるが,特に法然に おける「人天之悪国土之麁以為穢土,人天之善国土之妙以為淨土(14, 297a)」と いう選択・摂取の意に合わせるための伏線とも言える. また他方で,五劫思惟以前における覩見仏国土の問題について,義山も宗門の 依拠する浄影の説に沿って,なお初地に登っていない法蔵菩 が報土を見ること ができるのは,専らに「仏力(14, 297a)」のためだと解釈する.注意すべきこと は,義山はまた観経の「韋提凡夫猶由佛力,感見報土(14, 297a)」という仏力に よる見仏の事例を引用する.しかも,(2-4)で特に善導法事讃に引用される賢愚 経「太施太子抒海之縁(14, 296b)」の文を援用して,たとえ初発心であっても不 思議な力があると強調する.「初発尚爾,況十向乎(14, 295a)」という.これに よって見れば,義山には法蔵菩 を登地以前の十回向の満位(向滿位)と見なす が,般若系の十住の初発心位と華厳系の十地の初歓喜位のいずれも,大乗菩 道 における修行の根本であるという意味が窺える. 4.2.2. 五劫思惟は行か願かの弁証 所謂五劫思惟の文とは,詳しく言えば,「具足五劫思惟摂取荘厳仏国清浄之行」 という.「(2-5-2)超発無上殊勝之願」段の末に置かれる.その文脈としては, 発願が前,清浄之行が後,という順である.しかも,この五劫思惟の文は地上発 心段では数回出現する.例えば,「(2-5-4)結発願: 摂取二百一十億諸仏妙土清 浄之行」「(2-6)詣仏説願: 我已摂取荘厳仏土清浄之行」というように,いずれ

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も「清浄之行」をもって締めくくることができる.これは発心と修行の動態関係 を表現しているようである.一般(義寂,玄一など)にはこの五劫思惟の文をもっ て地前・地上の境界とするが,浄土宗門の中では,善導観経疏の影響のためか, 五劫思惟が行かあるいは願かということが議題になる.義山は了慧のように「浄 影法位玄一憬興等」の諸師の「修行時(14, 66b)」説を批判してはいないが,特に 義寂の「思惟成就其発願時節(14, 298a)」を推挙する.義山はまた,発願が前, 五劫思惟が後という経文の順序に依って,大経の重点が願に置かれることを強調 する.「所 処在願,故先説超発等,次示其位(14, 297b)」という.従って,七回 も繰り返して説明した後,義山は「我已修清浄之行(14, 299a)」ということは行 の意味ではなくて,発願(「言願名行」)の意味だと帰結する. 4.2.3. 修満大願の法蔵菩 は何の階位か この問題は,(5)「縁致満足無量大願(T12, 267c)」と(6)「具足修満如是大願 (T12, 269c)」の二項目に属す.即ち,大経における,地前・地上の発願を経て最 終的に四十八大願を修了する法蔵菩 の階位について,中国仏教において南北二 説がある.「解弥陀仏因不同.一南地師伝云,法蔵菩 発願在破拆空位,此因為 本所造依正両報.二北地師伝云,在八地以上無漏業為本,所造依正両報(T37, 234c)」という.義山の依拠するのは,おおよそ北地師慧遠の系統に当たる.しか し,義山は法蔵菩 を八地以上と見なすが,一地一地と昇進する側面をも保留す る.いわば「賢位見土,聖位発願(14, 297b)」という.これは曇鸞・懐感などの 浄土門祖師のように,直接に法蔵菩 を八地の不退転位(一生補処)と見なすこ とではなく,真宗における従果向因の法身大士という解釈とも異なっている. しかし,注意すべきは,義山が「修満大願」の法蔵菩 を解釈する際,「无量 大願者,同発菩 別願為主,諸余願為方便眷属,故云无量(14, 299b)」の示すよ うに,法蔵菩 の発願が四十八の数に限らず,無量義であるということを強調す る点である.いわゆる無量とは,菩 別願(主)と諸余願(方便眷属)(伴)を指す ほか,衆生と一緒に共同発心(「同発」)の意味も含まれる.経文の原意を正確に 言えば,「修満大願」の主体はあくまでも法蔵菩 を指し,複数の意味はない. ところで,こうした発願における主伴の概念及び共同発心の説は,本より大乗菩 道によく見られる発願(同願同行)の形式であるし,大経の「三誓偈/四誓偈」 「東方偈」にも類似の説が見られる.従って,慧遠(T37, 103b),義寂(惠谷隆戒 『浄土教の新研究』山喜房仏書林,1976,424),玄一(X32, 396a),憬興(T37, 150b)など のいずれも共同発心のことに言及する.但し,義山は浄影釈で先述の「為益凡夫

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二乗」,後述の「菩 聞下為益菩 」(憬興略為「菩 聞説亦同発願」)という書き方 の影響を受け,上下句を連結して,「一切大衆菩 (14, 299a)」の用語をもって, 発心の主体が凡夫・二乗ないし菩 などを含むと説明する.「一切大衆菩 者, 一切大衆通凡夫二乗.凡夫聞之生願生心,二乘聞之生大乗之心,菩 聞之生如汝 心,是故汝於此不憚須宣説也(14, 299ab)」という.義山はまた総・別という概念 をもって念仏(主)と諸行(伴)における動態的関係に導入し,尽未来際無辺衆 生(「五乗(14, 69a)」)を利益することも展開する.こうした念仏と華厳の菩 道 の結合は,確かに義山個人の一貫した独特の解釈と言える. 5

.結語

本論文では主に義山『無量寿経随聞講録』における法蔵菩 の両重発心説から 発展した教理論争の問題点及びそれに関する義山の評論を考察する.この特色を 纏めて言えば,義山は一般論師と異なり,浄影における応迹方面の理論に偏重し てはいない.彼は浄影における地地転進の理論を借りて法蔵菩 における重々発 心のことを説明するとともに,仏力に頼らなければならない,という根源的意味 を展開する.彼はまず大乗甚深縁起という広い視角をもって法蔵の発心が遥かに 錠光如来の前(14, 288b)だという意見を提起する上,法蔵菩 発心久遠の側面 (本)から,大経における多重発心の現象(迹)を裏付けようとする.義山はまた 特に,華厳の無量義をもって,四十八大願を成就した法蔵菩 における共同発心 (「同発(14, 299b)」)の意を解釈する.ちなみに,彼は浄影の二重発心説に一応従 うが,仏力による地前・地上の一如を強調する.故に義山は遂に法蔵菩 の「彌 陀因位願行」における「行」の意味を一切,「願」の概念の中に合併させるよう になった.これによって見れば,義山のこうした法蔵菩 釈義における,久遠発 心から荘厳仏土へ,荘厳仏土から発願共生浄土への展開は,大経に説かれる法蔵 菩 久遠発心の意図に深く入るのみならず,法然が善導二尊教の両重概念によっ て闡明する弥陀大悲弘願の精神にも一致する.これは正に大悲心を主とする大乗 菩 道の原点に回帰するものだと思う. 〈キーワード〉 義山,法蔵菩 ,菩 道 (輔仁大学教授,博士(文学))

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