印度學佛敎學硏究第67巻第2号 平成31年3月 (195) ― 848 ―
温古と唐代の密教
趙 新 玲
1.はじめに
温古は,開元11年(723)に金剛智(671–741)が資聖寺で『金剛頂瑜伽中略出念 誦経』および『七 胝仏母准提大明陀羅尼経』を訳出した折にそれを筆受した人 物であり,「嵩岳沙門温古」と呼ばれている1).温古はまた,『大日経義釈』に序 を書いている.その序には「温古嘗て諸賢の末肆に接りて此の経を預り聞く.絶 待の妙門に至りては敢て窺ひ測るに非ず.愚昧を揆らず心を注いで帰仰す」2)と あり,彼が善無畏(637–735)から『大日経』を学んだことが知られる.安然(841– ?)の『胎蔵金剛菩提心義略問答抄』には,『大日経義釈』に関して,「此義釈本 三蔵説,一行記,智儼治,温古再治」3)とある.これに従えば,『大日経義釈』に おける温古の役割は再治本の作成にあったことになる.以上のことから,温古は 唐代の密教に重要な貢献をなした人物と考えられる.ところが,温古に関する記 録は少なく,その事蹟は詳らかではない. 先に筆者は,温古が詩人王維(699–761),政治家王縉(700–781)の兄弟と同一の 宗族で従兄弟同士であったことを論じ,北宗禅の普寂(651–739)の弟子として嵩 山で得度出家し,一行と同門関係にあったことを明らかにした.そして,『大日 経』系と『金剛頂経』系の密教が初めて中国に伝えられる際,善無畏と金剛智は 北宗禅の僧侶たちの支援を受けたと推測した.さらに温古の人間関係を中心に, 簡単な 「温古和上年譜」 をまとめた4).これに続いて,本稿では,温古の作品並 びに従兄弟王維 ・ 王縉と密教の関係を通じて,彼が唐代密教史に果たした役割に ついて再検討する. 2.温古の作品
2.1. 著作 14巻本『大日経義釈』の序,いわゆる「温古序」5)は温古の現存唯一の著作で(196) ― 847 ― 温古と唐代の密教(趙) ある.この序の内容から,温古は善無畏より『大日経』を受法した弟子であり, 『大日経』の中国における流伝状況を知悉していたことが窺われる.上述のよう に,彼は金剛智の訳業にも参加していた.従って,温古が『大日経』系と『金剛 頂経』系の両方の中国流伝に関与した人物であることは間違いないと考えられる. 2.2. 碑文の書 嵩山会善寺の開元25年(737)建立の碑文「景賢大師身塔石記」は温古の書であ る6).清顧炎武(1613–1682)撰の『金石文字記』巻3には次のような記事がある. 景賢大師身塔石記 羊兪 沙門温古行書 開元二十五年八月 今在嵩山會善寺 葉封曰按王維有留別温古上人兄詩云宗兄此削髪蓋其族人亦必可稱者也(p. 34) ここには,羊兪が「景賢大師身塔石記」を撰し,それを王維の従兄弟である沙 門温古が行書で書いたことが記されている.景(敬)賢(659–723)は北宗禅の祖 である神秀(606–706)の弟子で,普寂とは同門である.『無畏三蔵禅要』によれ ば,景賢は善無畏と密教の受戒や坐禅法等について対論した7). また宋『金石録』巻6には 「唐傳菩薩戒頌楊仲昌 沙門温古行書 開元二十五年六月 」(p. 8499)とあり,「景 賢大師身塔石記」と同年に建立された楊仲昌撰「傳菩薩戒 」を温古の書として いる.同様に,清『六藝之一録』巻334下にも 「釋温古明皇 時人 傳菩 戒頌沙門温 古行書」(p. 12)とある.この中の明皇は玄宗皇帝李隆基(685–752)を指している. 岩崎(1989, 50)が指摘するように,善無畏は在唐中菩 戒を授与していたことが 知られている.このことから,温古が書した「傳菩 戒頌」は,善無畏が菩 戒 を伝えたことの功徳を讃える内容であったと推察される. 以上によって,温古は縁の物故者のために関わる碑文を書したことがあったこ とが知られる. 3
.王維・王縉と密教の関係
3.1. 王維と密教の関係 王維が熱心な仏教信者であり,詩仏と称されたことはよく知られている.王維 と禅宗との親密な関係は従来論じられているところであるが,藤善(1965, 80) は,王維と仏教の関係について次のように指摘している. 王維の仏教が自ずと複雑多岐に亘るのも,已むを得ないし,その系譜を辿ることは至難の 業というほかはない.だから主流は禅宗系といっても,他に何らかの傍証となるべき手掛 りを探る必要があろう.(197) ― 846 ― 温古と唐代の密教(趙) これに関連して筆者が指摘したいのは,王維の作品中に資聖寺(「資聖寺送甘 二」『全唐詩』巻125, p. 1244),青龍寺(「青龍寺曇壁上人兄院集並序」巻127, p. 1290,「別弟 縉後登青龍寺望藍田山」 巻125, p. 1245,「夏日過青龍寺謁操禅師」 巻126, p. 1275)という密 教に縁がある寺院と密教経典(「為幹和尚進注仁王経表」『全唐文』巻324, pp. 3288–3299) が言及されていることである.このうち資聖寺は,『金剛頂瑜伽中略出念誦経』, 『七 胝仏母准提大明陀羅尼経』を始めとする密教経典の翻訳場であった.この 寺は,『冊府元亀』巻52に「永泰元年九月於京城資聖西明両寺置百高座講仁王 経」,「十月復講経於資聖寺」p. 576などと記されるところから,『仁王経』の講経 が行われた道場であったことが分かる.王維は密教にも関心を持っていたと推察 される. 3.2. 王縉と密教の関係 『旧唐書』巻118「王縉伝」によれば,王縉は不空(705–774)の護国密教の理論 を支持していたと考えられる.例えば「王縉伝」には「每西蕃入寇,必令群僧講 誦仁王経,以攘虜寇」p. 3417とある.王縉は宰相として『仁王経』の護国作用を 信じ,異民族の侵寇に際して,その力を用いたのである. また「王縉伝」には,五台山金閣寺の建立に関して次のような記事が見られる. 五臺山有金閣寺.鑄銅爲瓦涂金於上,照耀山谷.計錢巨億萬.縉爲宰相,給中書符牒,令 臺山僧數十人分行郡縣,聚徒講説,以求貨利.(p. 3418) 金閣寺の建立に際して王縉は,巨額の費用を準備するために中書符牒を発給 し,五台山の僧侶数十人を郡県に派遣して,信徒を集めて説法させ,貨利を求め させた. 王縉はまた,『代宗朝贈司空大辨正広智三蔵和上表制集』巻1から巻4までの間 に 「黃門侍郎同平章事」,または 「門下侍郎同平章事」 として22回言及されてい る.そのいずれの場合も王縉の役割は,中書侍郎平章事と共に代宗皇帝に代って 不空の上表文に回答することであった.この職務を通じて,彼は,代宗朝の宰相 の一人として,元載(?–777)・ 杜鴻漸(708–769)と共に不空の活動を支援してい たと考えられる. 4
.結論
王維は盛唐の著名な詩人であり,王縉は代宗朝の宰相を務めた政治家である. 彼らに関しては『述書賦』(p. 195)に次のような評価がある.(198) ― 845 ― 温古と唐代の密教(趙) 二公名望,首冠一時.時議,論詩則曰王維 ・ 崔顥.論筆則曰王縉 ・ 李邕. このように,彼らは代宗治下においてかなり影響力があった人物と言える. 温古,王維,王縉は元来北宗禅の普寂の弟子であった.温古は,善無畏,金剛 智が来朝して密教経典の翻訳を開始した時に,同門の一行と共にこの事業に参与 した.そして王維と王縉は,温古の影響を受けて密教に関心を持ったと考えられ る.温古の唐代密教への貢献は,このような点にもあったと言えよう. 1)『開 元 釈 教 録』 大 正55, 571c6–9. 2) 続 天 全, 密 教1, p. 2; X23, 265b6–7. 3)大正75, 452a4. 4)2018年7月20日に中国河南省の嵩山少林寺で開かれた学術 検討会「少林寺与隋唐仏教」において「温古与北宗禅淵源考」と題して発表した.この 発表は同じ題の論文として2019年出版の論文集『少林寺与隋唐仏教』に収録される予定 である. 5)続天全,密教1, pp. 1–2; X23, 265a2-b8. 6)『金石萃編』巻78に全 文が収録されている. 7)大正18, 942c1–3.Cf. 田中1975, 110. 〈一次文献〉 『開元釈教録』: 大正No. 2154. 『金石萃編』: 王昶輯『金石萃編』第2冊,北京市中国書店,1985. 『金石文字記』: 顧炎武撰『借月山房彙鈔 金石文字記』(二),藝文印書館,1976. 『金石録』: 王雲五編『金石録・昭徳先生郡斎読書志』臺灣商務印書館,1976. 『旧唐書』:『旧唐書』第10冊,中華書局,1975. 『冊府元亀』:『冊府元亀』第1冊帝王部(1),中華書局,1960. 『全唐詩』:『全唐詩』第四冊,中華書局,1985. 『全唐文』:『全唐文』四,中華書局,1983. 『述書賦』: 竇臮撰,欒保群編『書論彙要』故宮出版社,2014. 『胎蔵金剛菩提心義略問答抄』: 安然著,大正No. 2397. 『代宗朝贈司空大辨正広智三蔵和上表制集』: 大正No. 2120. 『大日経義釈』: 続天全,密教1;X23. 『無畏三蔵禅要』: 大正No. 917. 『六藝之一録』: 倪濤撰『六藝之一録』31,商務印書館,1982. 〈二次文献〉 岩崎日出男 1989「善無畏三蔵の在唐中における活動について―菩 戒授與の活動を中 心として―」『東洋の思想と宗教』6: 37–52. 田中良昭 1975「唐代における禅と密教との交渉」『日本仏教学会年報』40: 109–124. 藤 善 真 澄 1965 「王 維 と 仏 教― 唐 代 士 大 夫 祟 佛 へ の 一 瞥―」『東 洋 史 研 究』 24(1): 54–86. 〈キーワード〉 温古,王維,王縉,密教 (高野山大学大学院)