タ
イ
“開 発僧
”評価
の
動
向
一 「セ ー キ ヤ タム ・グ
ル ープ
」と「セ ーキ
ヤタ
ム ・カ レ ッ ジ」泉
経
武
1
.は じめ に
出家
す るこ とに よっ て世俗か らの 離 脱/超越
を志 向す る仏 教の中
に,環 境 や貧
困問題な どの社 会問題
に対す る関
心 を抱
き , 具体
的 な人 び との問題の解
決
と救 済を 目的 とす る仏教
運 動一Engaged
Buddhism
社 会(
参
加)
派仏教
一 が近年
アジア の 仏 教 文化 圏におい て生 まれつ つ あ るω 。1960
年
代 に ロ バ ー ト ・ベ ラーが社 会の近代 化 と仏 教の問題を扱
い , そ れを
彼
は 「Social
Oriented
Buddhism
」 と称 し,これ か らの 仏 教は社 会の 変 革や 国
家
の 再構 築を 目指 すもの へ と変容す る で あ ろ う可 能性につ い て 言及 した 。そ れ に対 して 厂
Engaged
Buddhism
社会 (参 加 )派 仏教 」 に は,活動 して い る仏 教者
の問題 意 識 と活 動範 囲の 双 方 に おい て国 家 とい う枠組
み を越
えてい る とい う点 に相 違が見 られる。彼
らは, 国家の枠 組み に 関係 しない トラン ス ナ シ ョ ナル なネ ッ トワ ーク を築き, そ れ を最大 限に 利 用 する。 ま た ,祉 会/
政 治体 制の 全体的変 革を直 接の 目的に定め るの で は な く, その 仏 教 者が関 わ っ てい る特定
地域の住 民が抱える社 会問題そ れ自
体の 解 決の ため に,直接
その 地域に関
わっ て い るとい う点に も違い が見 られる(2)。タイ で は,
1970
年代 後 半か ら80
年代初
頭に か けて,地 方村落
に おい て村 人 の 生活 改善
の ため に開 発活
動を行 う僧 侶が出現 した。 村人 との瞑想修行
によ る心の 開発 と とも に , 村 内の 道づ く り,溜め池づ く り ,米
銀 行, 保健
衛生 ・ 農業 指 導な ど地域の 福祉
的事 業を行
っ て い る(3) 。これ まで ,開発 僧は
村落
社 会に おい て も, ま たサ ンガ の制
度 仏 教内
に お い16
パ ーリ学 仏教文 化 学 て も ト分な
評価
を受けて こなか っ た。 その理 由と して 以下の 二点が考え られ る。第 一に,開発
僧 自身が この呼称 に固執
して こ な か っ た。 第二 に,村 人が 開 発僧
と称
され る僧
侶に信 頼 と尊
敬を寄せ るの は,彼
らが開
発 僧で あ るか ら とい う よ り も,村 人を リー ドして活
動を行い ,村 人の 生活改善の た め に成 果 を あげるこ とに尽 力 してい るか らで あ る。 村 人の宗
教 実践の価 値 体 系のな か に彼
らは開 発僧
と して は位置
つ い てい ない こ とが考え られる。こ う した中で ,
村
落 社 会の外部
か ら開発僧
との 接触
を続
け, 彼 らを支援 し 続 けて き たの が い くつ かのNGO
グル ープであ る。 その代表
的 な 一つ が 「開 発の た め の宗 教 委 員会 Th
・i
l
・t
・rr・1igi
・u・C
・mmittee n・D
・v・1
・pm
・nt・似
ドTICD
と略記)
で あ る。TICD
は,1980
年
に設
立 さ れ ,主に僧 侶を対 象 に した セ ミナ ーや研修会
を主催 し て きた (斗) 。 その後
, 村落開発
に 関心の あ る僧 侶の 有 効な関
係づ く りの 必要 性 を痛感
し,全 国的 な ネ ッ トワ ー クづ く りを構
想し, 著名な開発僧 と知識人僧 侶 との相 談の上に1990
年
「セ ー キ ヤ タム ・グル ー プ」(
Klum
Sekhiya
Tham
,
in
Thai)
の発足 に至る。その 後
TICD
は,98
年 「セ ー キヤ タム ・カ レ ッ ジ 」 (Witthayalay
Sekhiya
Tham
,in
Thai
)を設立 さ せ る。 こ の カ レ ッ ジ は, サ ン ガ や教 育 省宗教局
の 方 針 と は関連せず,TICD
の メ ン バ ー と何
人か の開
発僧,知識
人僧 侶,メー チ ー が 中心になっ て 始め られ た。これ らの
TICD
の 活 動 背景 と し て , 近年に お け るタ イ仏 教 界の動 向 を視野
に入 れて お くべ きで あろ う。1994
年以降複
数の 高 僧に よ るス キ ャ ンダル が続
発した。98
年か らは,主に都 市 部で 活動
す る巨大 寺 院タ ン マ カイ寺が , 巨額 な寺院
運営
資金の 運 用や教義 解 釈 等の 問題
で マ ス コ ミか ら集 中攻撃
を受けて い る。 こ う した 一連の 騒 動は,当
事 者で あ る僧
侶 個人 と一部の信 徒の 問 題 あ るい は当該
寺 院の問
題 と し て はかたず
け られ ない議論
へ と拡大 した。着 目すべ きは, こ う した状況
下
で新 聞等のマ ス メ デ ィ ア を通じ て表
明され た タ イ 人の(
仏教 )信仰
に関す る二 つ の反 省 的な見解で あ る。 第 一 に は ,僧侶個
人へ の信仰
帰依は本
来の 仏 教信仰
に反す るの で はない か, ダル マ ; 仏 法 へ の 帰 依 こそ が真の仏
教徒
の 姿で は ない か とい う議 論。 第二 に は, こ れ まで∠皇イ
“ 開発 僧PJ評価の動 向
17
地 方村 落の村人 の信仰
実践 は ,貧
しい 生 活の中で 教育
の ない 人たちの信仰
実 践 とみ られて きたが , そ う した彼 らの仏 教へ の帰依
には, 現在
の タ イ人が忘 れて い る信 仰の 純粋性
,信
仰へ の素朴
な動機
が あるの で はない か とい う見 方 が出さ れ ,村落
社 会で の信仰
を 見直そ うとい う動きが現れ た(5) 。こ の よ う な現 在の タイ仏教界の抱え る
諸問
題 を解 決
す る方法 として ,仏
教 教 義の 知的な再解
釈に よっ て対応
す るの で はな く,実 際の社
会 問題
に向
き合 い な が ら仏教教義
の 解釈 や実 践を行 っ て きた開
発僧
の よ う な僧 侶へ の関 心が 、 近年 都 市部
に お け るい くつ かのNGO
におい て高
まっ て い る。 そ して,地
方 村 落の 宗教実
践が見直
されてい る状 況一ドで,開発僧 の活動 と実
践 理 念が 「セ ー キヤタム ’グル ープ・ の 活動
と 「セ ーキヤ タム ・カ レ ・ ジ、 に よ っ て,彼ら の 活動
基盤で あっ た村 落社会
を越えて注 目され始めて い る。そ こ で
本稿
で は, まず 「セーキ ヤ タム ・グ ル ー プ」 と 「セーキ ヤ タム ・カ レ ッ ジ」 を紹 介 し , そ れ に伴
い これまで村落
レベ ル で 活動 して い た開発僧の 活 動 領域に どの よ うな変化が現れ て い るの か を議 論す る。2
. セーキ ヤ タ ム
・グ
ル ープ
グル ー プ
名
称で あるセ ー キヤ タム は,セ ー キ ヤSekhiya
が僧侶
の 日常
的な 礼儀作
法 に関す る戒 律の 名 称に , タムTham
は仏 法に それ ぞ れ由来す る 。「セ ー キヤ タ ム ・グル ー プ」 は,
1990
年, 現 在村 落 レベ ル の開 発活
動に従
事してい る僧侶
, あ るい は開 発 活動に 関 心の ある僧 侶の他
に, タ イ社 会の 抱 える多
くの 問題の 中で 特に 女性問
題に関心を持
つ 女 性 修 行者 メーチ ーMechi
や ,仏 教徒
の 立場か ら社
会問題の解 決を 思案
して い る在
家 者に よ っ て構成
さ れ る(6)。TICD
が活動の実務の ほ とん ど を担
当してい る 。設立 の 目的は,
1
.開発 活動
に従
事す る僧
侶の ネ ッ トワー クづ く り ,2
。村 鮒 会における僧侶
の役 割の再 定 義 ,3
.Alt
・m ・・i
・・D
・v・1
・pm
,n・の構
築
4
. 森 林 保護
5
.地 域伝 統の復 活6
.村落内
で の リー ダ ー シ ッ プの育
成 , を 掲 げて い る。 年一回 の 全 体 会合
と・年三回の研 修 ある・朝 ・会 合を催
して い る . ま た,18 パ ーリ学仏 教 文 化 学 年一 回約
20
日間の 日程で 自然 保 護を 訴える遊 行 ・行 進 活動 (Thamma
−Yatra
,in
Thai
)
を行っ て い る。 雑誌
『セーキ ヤ タム 』 を発 行 し, 現 在は年三 回で あ る が今後は年四 回の 発行を 予定 して い る。会 員
制
で は ない た めに, どの く らい の数の僧
侶が こ の グル ー プに関
わ っ て い るの かは不 明で あるが ,TICD
に よる と,TICD
か ら会合
や研修
の連絡
を し てい る僧 侶 とメーチーの 数は約560
人, 内 それ に対 して何 らか の返 答を示す の が80
人, さ らに実際
に会合
や研
修に出席
す るの は20
〜30
人程 度で ある 。1995 年
に は, 「セ ー キヤ タム ・グル ー プ 」 の中
心 メ ンバ ーの 一一人で あ るパイ サン 比丘
(
Phra
Phaisan
Wisalo
)
とTICD
の ス タ ッ フ によっ て,『セ ー キ ヤタ ム ・ハ ン ドブ ッ ク』
(
以下 『ハ ン ドブッ ク』 と略記) (
Khumu
Se
iyatham
,in
Thai)
(7)が作
成され た 。 そ こ で は, 厂セ ーキヤ タム ・グル ープ 」 の 活 動に参
加す る僧侶
に 向けて, 日常
生活
で の 注意事
項や在 家 信徒 との関
わ り方, サ ン ガ との関
係 などに関
する遵守
事項
が述
べ ら れてい る。 ま た , 『ハ ン ドブッ ク 』 の 中で は, 「グル ー プ 」 の 目的に同意 し活 動 に参画
す る僧
侶は 「セ ー キヤ タ ム僧侶
」(
Phra
Sekhiyatham
,in
Thai
)
と称さ れ て い る。以 下『ハ ン ドブッ ク』中に見 られる「セ ーキ ヤ タム僧 侶
(
Phrasong
Sekhiyatham
) の遵
守事項」(
後述の参
考 資料参
照)
の 内容を検
討す る。 「1
.消 費生活 に関 して 」 で は,喫煙や強 壮剤
ドリン クの使
用が禁
じ られ,炭酸飲料
や コ ー ヒー な どの 嗜好 品につ い て も最 小 限に止 め, コ ピー用 紙や電
気 な どの消費物
資へ の節
約を訴 え, 出家者が在 家者か らの食 施に よ っ て し か得 られ ない 食べ 物に っ い て まで,農薬使
用 度の低
い食
物 を選ん で 食 するこ とを規 定 して い る。f2 .在 家者, 企
業
,官僚役人 との 関係」 で は, 「 グル ー プ」 の 目的を 理解 しない ,あ るい は 同意
で き ない在家者
との関
わ りにつ い て注 意 を促し て い る。本来
な らば
どの よ う な人か らの い か なる布
施 行為 も拒む こ との で きない 僧 侶が, 自然 保 護や 地域 社会の活性 化に関
心 を持
たずに, た だ 多額の 財施をの ぞむ起業
家や ,売名
を目的と した役
人に よ る布
施に対 して厳 重な態度で応 対 する こ とが述
ぺ られて い る。厂
3
.サ ンガ との 関係 」 で は, サン ガ統治
法や戒律
に 準 じた上で , 「グル ータ イ
“開発僧”評価の動 向
旦9 プ」 の 活動を行 うこ とを明記 して い る。 どの よ うな状況で も,サ ン ガ内に お け る
役職
や義
務が優先
さ れ る こ とを確 認 してい る。「
4
.「セーキ ヤ タム ・グ ル ー プ」 会合
の 際の 所持
品」 で は ,特に年一回催
さ れ る全 体 会 合は,瞑
想修
練の 目的も兼
ね て地 方 の 奥深い森
林で行わ れ るこ とが多 く, その 際に蚊屋 や傘, 鉢な ど は各 自持
参で あ るこ とが予め伝
え ら れ てい る。3
. セーキヤ タ
ム ・カ レ
ッジ
開 講は
1998
年で ある。TICD
の ス タ ッ フ に よる と , この 「セ ー キ ヤ タム . カ レ ッ ジ」 の構 想は,1990
年に 「セ ーキ ヤ タム ・グル ープ 」 が設
立した当初
か らあっ た とい う。 「カ レ ッジ」 とい っ て も , 決まっ た校 舎で定
期 的に講議
が な され る とい うもの で は ない 。 コ ー ス に よっ て数
週 問地 方の寺 院を間
借 し て,講 師 と生徒
であ る僧
侶はそ こ に赴
き,終
日集
中 的に講議
を受ける とい う ス タイル なの で, む しろ 「私 塾」 とみた方がい い の か も知 れ ない 。開
講
に際
して ,特
に タイ教育
省 宗教局
か らの 認 可は受けて い ない 。 宗教 局 の 仏 教/宗
教政策
の立場か ら距 離 を置
くこ とを目論
んだ の で はな く, む しろ 「カ レ ッ ジ」 で実
験 的に行
っ て い る様
々 な研 修の成 果を宗 教局 に報 告
した り, 会合 やセ ミナ ーの 際に は宗教 局の 役 人 を招い た りし て, 「セ ー キ ヤ タム ・グ ル ー プ」 の側か ら宗教
局 との距離
を縮
め る こ とが試み られて い る(8}。タイに は これ まで ,教
育省宗
教 局の管轄
下に ある二 つ の仏
教 大 学一 マ ハ ー チュ ラロ ン コ ン 仏 教大 学とマ ハ ーマ クッ ト仏
教大 学一 がバ ン コ ク (本 校)
と地 方(
支部
校)
にあ る。 そ こで は,1959
年に成 立 した サ リッ ト内
閣に よる国 家 建設
の ため の政府
開 発 政策
の 影響を受 け,特
に バ ン コ クの マ ハ ー チ ュ ラ ロ ン コ ン仏 教大 学で は,仏教学 全般 とパ ー リ学を学ぶ仏
教 学部
の 他に,1961
年以降か らは青年僧
侶の ための新
しい 教 育 課程と して教 育 学部
や人文 ・ 社 会福祉学部
が設置 され た(9) 。 こ の 他に, 「カ レ ッ ジ」 同様
教 育省宗教
局か ら の財政 的支援
を受けて は い ないが ,青年 僧 侶の教
育プロ グラ ムを実
施 して いるの がパ ン ヤナ ン タ比丘 (Phra
Panyananta
Phikkhu
)の い る チ20
パ ーリ学仏 教文 化 学
ン シ ッ ト寺 院
(
Wat
Chonprathanrangsit
)(
ノ ン タ ブ リー県 )で ある。 こ こで は,1981
年か ら 「タ ン マ ターヤー ト比丘 研修計画
(Khlongkan
Oprom
Phra
Thamma
Thayat
,in
Thai)
が実 施さ れてい る。 説 法の 訓練
布 教 技 術 の研修
, グル ー プ学習
な どが研
修の主 眼となっ て い る。前者
の 仏教 大学
で は, 当初サ ン ガの社
会 開 発へ の 関 心の 現れ と して教育 課 程の再編
が計 られ, 地 方へ僧侶
を派遣
す るこ とが 目的 で あっ た。 しか し,現在
で は在学 中 出家 した 上で 僧 侶 と して 仏教
に関
する教科
を学ぶ以外
,何 ら一 般の大 学 と の違
い が な くな り,4 年
CDfPt.学 課 概 終えた僧侶
の ほ とん どが卒 業と 同時に還俗 して い るGe)。 後 者の チ ョ ン プラタン ラ ン シ ッ ト寺 院で は, そ もそ も開発
活動 に関 心の あ る僧
侶が こ こ で の研修計画
に参加
してい る と はい え, 研 修に おい て は僧侶
と して の訓練
に終始
し, これ まで 実際
に効
果 をあげ る活 動に従 事 し,周 囲の僧 侶や村
人に指 導的
立場で のぞめ る程 まで に 積極 的 な活
動をお こ なっ て い る僧 侶が輩 出されてい ない m ) 。こ う した既 存の僧 侶 教
育/
研 修 機関
の問
題点 を踏ま え, 「セ ー キ ヤ タム ・カ レ ッ ジ」 は設立 された。 社会問 題 へ の取
り組み や地方村
落の開
発活 動に従事
す る僧 侶 とメ ー チ ーの育
成を設立の 目的 と し, 研修で学 ん だ事柄
を当 人の宗
教 的信仰 世 界で の深 化にの み向
けず, 社 会 的実
践に よ っ て 生かす こ との でき る僧侶
の 育成
に 「カ レ ッ ジ」 で は主眼を置い てい る。研 修
科
目に は,「コ ミュ ニ ティ ー分析 と四聖 諦に よ るタ イ社 会の 構 築」, 「開
発
活 動の研 究 分 析」, 「総 合 的な布 教 技術
」, 「グル ー プ活 動の 実施とコ ミュ ニ “ テ ィーの創造
」, 「友好関係
構築
の 仏教 的 方法 と仏教
的平
和の 道1 ,「自己開 発 の た め の 瞑想 と開 発活
動」, 「僧侶
と メー チ ーの役 割 と タイ社会の 開 発 , 「宗教
と社 会開発
」, 「仏 教 経 済 学」, 「仏 教心 理 学 」 な どが ある。 各 学 期 ご との コ ース に テーマ を掲げ
, それ に即 してTICD
が必要
と思われる研修
科 目を参
加者
は学ぶ こ とに な る。 ま た,科
目に よ っ て は, チ ュ ラ ロ ン コ ン 大学や タマ サ ー ト大学の研 究者が担 当責任 者になっ て い るもの も み られ る。開
講 時に入学 した第
一一・−me
生僧
侶は25
人で あっ た。彼
らの ため に, 既に第
二 期 コ ー ス まで が実 施さ れ て い る。
第
一 期 ・第二 期で は 「効 率的 な布 教方
タイ
“開 発 僧”評価の動 向
21
法」,第
三期
で は 「生命
と 社 会 問題 解 決の ため の出家
生活に お け る瞑 想」 が テー マ で あっ た(旦2)。 第三期 まで は僧侶
の ための コ ース しか準備で きず ,メー チーの ための コ ース は第
四期
以降か ら開始す る予 定で あ る(13>。第
一期 生僧侶
は,25
歳 か ら30
歳まで の青年
僧 侶で ,住
職の 任に着い てい る 僧 侶は い ない 。 所属
寺 院 を見 る限 り ,参
加 した僧侶
は全て の 地方か ら集
まっ て い る 。 住 職か ら許
可を とっ て参 加 した僧侶 もい れ ば,住職
の 勧めで参
加 し た僧侶
もい る。 全ての僧侶
が , 既に何
らかの か たちで開
発活 動に携
わっ た経 験を持つ 僧 侶であっ た(14) 。4
. おわ り
に僧 侶の 側か ら
社会
に積極 的
な関わ りを もっ ほ どに,国家/
政 治体制
と仏教 サ ン ガの 関係
僧 / 俗関係
,僧 侶 と信
者の社会
的役割
,仏
教にお ける女性の位
置 付け ・役割
とい っ た よ う な問題が ,僧
/ 俗双方の 立場か ら再検 討さ れ る こ とが必要
になっ て きて い る。 タイの今日的な社会
状 況が , これ らの 点の 再 検 討を要 求 して い るとの 認 識を持つ僧侶
もで て きて い る〔15) 。90 年
の 「セ ー キヤ タム ・グル ー プ」 設 立か ら,98
年の 「セー キ ヤ タム ・カ レ ッ ジ」 へ と活動が展 開さ れ る中
で , 知識
人僧 侶や , メーチ ー ,在 家の 知識 人 ら と共に,開 発僧は, そ の構成
員に, あ るい はセ ーキヤ タム僧 侶の 一一員に 位 置 付き始め て い る。 そ して,着目すべ きは これ らの 運動
は,政 府の開
発政 策 やサ ンガ の 意 向に よ るもの で は な く, こ の 運動 自
体か ら教 育省 宗教局やサ ン ガへ の 関わ りを求め るか たち に なっ てい る点で あ る。こ れ まで ,
開
発 僧は活 動 領域を基 本 的に は村 落に定めて きた 。 とこ ろが , 「セ ーキ ヤタム ヴ ル ー プ・ の活
動の 中で ,彼らの 活 動 領域はそ れ 越 境 し, 村落 レベ ル で の 問題にの み対 応 してい た時期
とは異なる状 況に置
かれて い る。例
えばこ れ まで
開
発僧が問題的状 況 と定め向 き合
っ て きた 「社
会 」 と 「自 然」 が意 味 してき た 対象は, 「社会
」 は村落
社 会で あ り , 「自
然」 は村の周 辺 の森や 田 畑で あ り, そ れ らとの 三者 間関
係の 中で開
発 活動
と宗教実
践を行っ て きた。 ところが , 「セ ー キ ヤ タム ・グル ー プ 」 と「セ ーキヤ タ ム ・カ レ ッ
22
パ ーリ学 仏教 文 化 学 ジ」 との 関 わ りか ら生 じた開
発僧
の新
た な実
践空間
と問題認識
の視 点は, そ れが必 ず し も開
発僧 自
身の 意 図に よる方 向付けで はな かっ たに し ろ , 「社
会」 の側が タ イ社 会全体
, 「自然 」 の側
は地 球 環 境の 領域へ と拡 大さ れて い る。これ まで タ イ
仏教
に おい て は,時代背景
には関係
の ない 「時間 を超越 した 真 実」 と して のダ
ル マ と,60
年
代 以降
の 「開発
」 の時代
に見合
っ た 「状
況 的 な真 実」 と して の ダル マ , そ の 双 方を追 求 して き た。仏教教義
の解釈
によっ て , 本 来 脱 俗で あ る僧 侶が社 会 開 発に関わ るこ との 正 当化が ,仏 教に よ る社会開発
を志
向す るイ ン テ リの閭
で は見
られ た。 とこ ろ が,開
発僧 を通じて見 えて くる地 方村落
レベ ル の開
発の現状か ら は, 地 域の 社 会 問題 に関わ るこ と を正 当化 し支え る 「社会 のため の タ ンマ = 仏法」 が開
発僧に よっ て希 求さ れ てい る現実が浮か び上が っ て く る。 イ ン テ リに よ る開 発 と仏教
の共存
の可能
性
を追 求 した 「状況的な真 実 」 として の ダル マ , つ ま り 「社 会 の ため の ダル マ 」 が そ こ には ま だ届い て い ない 。今 後, 地 方村 落か ら発 現 した開発 僧の
開
発 活動
や , 「セ ー キ ヤ タム ・グル ー プ」 と 「セ ーキヤタム ・カ レ ッ ジ」 の 二 つ の 活 動が軌 道に の り, さ らには タ イ ・サ ン ガ内
に おい て制
度 化さ れて い くで あろう, とい うよ うな予測は全 く 立て られ ない 。 特に , 「セ ーキ ヤ タム ・カ レ ッ ジ 」 は設立 されて さほ ど時 間 も経
っ て お らず
, タ イ仏教
全体
の流
れの中
で の総合
的な評
価が今だ難
しい 段 階にある。 しか し, 今 日の タ イ仏教
が時代
の新
しい コ ン テ キス トの 中で再
解 釈, 再 表 現の 方法を必 要 と されて い る こ とは確実
で ある。 註(
1
)Queen
, ChristopherS
. andSallie
B
.King
,1996
:pp
.1
−−44
、(
2
) 足羽1996
;81
−84
頁。(3) 開 発僧の先 行 研 究に は [Phinit 1986][
Sombun
l
987
][Seri
1988
][桜 井2000
]が ある。 (4
)Bobi1血 1988:
pp
.77− 91.〔
5
> [林 1997], [Phra
thammakosa じan
, et
al,1999][Samunakngan
kong
thun sanapsariankan
wicai and
Mulanithi
phumi
phanya
,1999]タ イ “開 発 僧”評 価の動 向 23 (
6
) 「セーキヤ タム ・グル ープ」は開発僧だ けの グル ープで はない こ と を明記 して お く。
(7}
[
Khana
kammakan
sasanaphua
kan
phatthana
1995
]〔
8
)筆 者が1999
年9
月にTICD
において イン タビュ ーした際に は タ イ教 育省宗教 局 との間に何ら問題は生 じ てい な かっ た。
(
9
}石井 1975 :249 頁。(
10
)1999
年9
月 TICD にお ける イン タビ ュ ー。(ll) 1998 年
4
月8
日, 至高の 生活普 及財 団 (Mulanithi
PheayPhre
Chiwit
Praseat
)の ウ ィロ ー ト氏 (
Wirot
Siri
・at)へ の イン タビュ ー。 (12
) 第 一 回 目は1998
年11
月 ブリラム県, 第二 回 目は1999
年2
月ロ ーイエ ッ ト県 ,第 三回 目は1999
年3
月チェ ンマ イ県で そ れ ぞ れ実 施さ れ た 。 (13> 1999 年 9 月 TICD に おける イ ンタ ビュ ーで ,メーチー (女性修 行者)のため の コ ース の 開講が遅れ たの は,僧 侶と 同室で研修を受講する の に不都合が生じるため に準 備 期間が 必要で あっ た と説 明を受けて い る。
自分の寺 院が多忙で ある ことや研 修コ ース の 内容につ いて い け なか っ た こと が理 由で,各回に若干の辞退者がい た。 (
15
)60
年代の 「開 発」 の 時代以降の タ イ仏教の動 向研 究に関して,仏教大 学が政府政策に連動 し 「タ ンマ トゥ ー ト計画 」 「タン マ チャ ーリック計画」 が開始され た時点
か ら以後の仏教 大学の 動向研究が ま だ 手付か ずの状態にあ る。 今後の課題 とし たい。 参考資料
『セーキ ヤ タム ・ハ ン ドブッ ク』 (pp.
8
−10
)か ら 《セ ーキ ヤタム僧侶 (PhrasongSekhiyatham
)の遵 守事項 (全訳 )》 1 ,4
種 類の消耗品1
−L
使用 を 止め るべ き もの と して は,た ばこや強壮 剤な どの常 習性の強い もの 。1−
2
.少量の使用に止め るべ き もの と して は,炭 酸飲 料,コ ーヒz チ ュ ーイン ガ ム,頭痛薬,テ ィ ッ シュ ペ ーパ ー (ハ ン カ チの使用が望ま しい )。
1
−3.節約すべ き もの として , メ モ ・印刷用紙 (両 面使い 切 る) , ガソ リン (必要に 応 じて 車を使用する), 電気な ど。14 .使用 を 避 けるべ き もの とし て は,大 量の農 薬を使 用して い る野 菜類 (ササ ゲ
(イ ン ゲン ),キ ャ ベ ツ,カン タル ープ (メ ロ ン の 一・種),キュ ウ リ, トマ トな
ど),イン スタン ト ラーメ ン, 缶詰め さ れ た魚な どのイ ン ス タン ト食 品。 な ぜ
な ら,これ らは身体に余 り よ く ない ばか り か健 康を害 しか ね ない から で ある。
ま た,過度に用い るべ きでない もの と して は, 美肌用液 状洗剤で ある。 可能な
限 り, 竹の子,キン ゴ ウ カン (
krathin
,in
Thai),アカシ ア (chaom ,in
Thai
),キヅタ (tamlung,
in
Thai),バ ナ ナの花,ヨー トケー (タ イ
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2
.パ ーリ学仏教 文 化 学
サマ トノ キ (sato ,
in
Thai
),も や し,カボチャ ,へ ち ま,ハ イゴシ ョ ウ (
baichaphlu
,in
Thai
),パ ッ クグート (タイ名),蓮根 ,メボ ウ キの葉 (baiholapha,in
Thai),ヤ エ ヤ マ ア オ キの葉 (
baiyo
,in
Thai) , バ ジル の 葉 (baimenglak
,in
ThaD な どの , 農薬の使用を最小 限に止め た野菜を と るべ き で ある。 在 家信徒 ,会社商 店, 官僚 役人 との関係 さ まざま な在家 信徒 との 付き合い に関し て は,十分に気を付け,最 大限に 自制を 心が けるべ きで あ る。 話す内容 に関 して も,在 家信徒が正 しい 開発に 目 を向 ける よ う説法 すべ きで ある。 セ ーキ ヤ タムの活動が関わっ て い る環境 (全 般)を破壊す る こ とに関与 してい る会社商店 と は 一一線を画すべ きであ る。
3
,サ ン ガ統治 との 関係以下の 4 点 を基本 事項とする。
3
−1
,サ ン ガの 任務との諸関 係の検 討実施に関し て。 日々 の生活維持の点に関して は,セ ーキ ヤタ ム僧侶 (
Phra
Sekhiyatham
)は最大限に戒律 (Phrathammawinai )に依拠すべ きで ある。
3
−2
.僧 侶 は , サ ン ガによっ て義務付け ら れ てい る任務を放棄すべ きで は ない 。3
−3
.日常の作 法に関して は、日々尊敬 し てい る師僧の恩恵に対して畏敬の念を もつべ きで ある。托鉢や さま ざ ま な倫理事項に関 して は, 出家歴の長い僧 侶を尊 重
すべ きである。 しか し,そ れに よっ て出家歴の短い僧侶を見下す よ う なこ と が あっ て はい け ない 。
3−
4
.サ ンガ統治の側に い る長老 僧に は,我々の活 動に参加し て も ら う機会 を設け,活動の成果を活用 して も ら えるよ うに努 力して い く。 4 .セーキ ヤ タムの 会合の 際に お け る必需品 と 四事 (衣 ・食 ・住 ・医)
4−
1
.鉢,長柄の傘 蚊屋は, 必需品で ある。 セ ーキヤ タム僧侶 (Phra
Sekhiyatham)は,会 合の際に は い つ も携 帯すべ きで あ る。
4
−2
.携帯ラジ オ,携帯 電話 ,ビデオ, カ メラ な ど高価な 品物は持っ て く る べ きではない 。 あるい は,ど う して も必要な時に の み使用 す べ きで あ る。 こう し た高価
な品物を 人前で ひけ ら か す ようなこと は し ない 。
43 .会合場所へ の 車で の移 動はそ れ ほ ど必要で はないで あろ う。 な ぜ な ら贅 沢だ か
ら であ る。 ど う して も必要な と きは,個人的に車を 用意 で きる僧侶が, 出費を
抑 え るた め に少な くとも4 人 以上の人数で会合に参加する僧 侶を誘っ た り迎え に 行っ た りす れ ばよい 。 《参考文 献》 <欧文>
Bobilin
, Robertタイ “開 発僧”.評 価の動 向
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キヤ タム・カ レ ッ
ジを 設 立 し ない とい け ない のか ?」)
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Sekhiyatham (『雑誌セ ーキヤ タム』)
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「地域開発に 果た す僧侶の役割 とその 社会 的機 能 東 北タ イの 開発 僧を事 例に 」 『宗教 と社会』 第6
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. 「仏教の 多義性一 戒律の救い の行 方 」 青 木保編 『宗 教の現代』 (岩波講座 文 化 人類学 第11
巻)岩 波書店 ,pp .79
−106
. 追 記 本 論 文 執 筆に あ た り,「セ ーキヤ タム ・グル ー プ亅 の メ ンバ ーで あ る PhraMahachoem
Suwacho
比丘 (Wat
Mahachula
}ongkonwitthayalai >と, TICD の各メ ン バー
,
特に Prida
Ruangwichathon
氏に は長 時 間のイン タビュ ーに応 じて いた だ き, 貴 重な資料や多 くの教示 を賜わっ た。こ こ に深 く感謝の意を表 し ま す。
1 have benefited by discussion with all members ef TICD
for
this paper and1
shouldtike
toexpress my particular
debt
of gratitude toPhra
Mahachoem
SuwachQ
, adirector
at BuddhistResearch lnstitute efWat
Mahachulalongkonwitthayalai
, and aSekh
iyath
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member , and ML