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上海と初期中国映画

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上海と初期中国映画

1920 年代「モダン劇映画」に表されている「魔都」上海 ―

張 新民

大阪市立大学大学院文学研究科中国学教室 1 1920 年代上海は、衣食住から交通手段、娯楽に至るまで近代都市生活のスタイルが確立され、 近代都市へと急激に変貌していた。百貨店、カフェ、高級住宅などが次々に建てられ、西洋料 理、自動車、社交ダンス、また映画は、モダン生活のシンボルとして、上海市民の間で大流行 していた。「上海や北京、それぞれの大都会のモダンガールはみな、様々なハイヒール、洋風の 帽子、マントが好きで、白人娘の身なりのまねをしている。これは女性社会にみられる『映画 化』現象である。上海・北京の社交の場では、知り合った男女がほんの 10 分ほどで、公然と接 吻の礼を行う。これは男女社会の『映画化』である。そして富豪屋敷の内装や装飾も映画の最 新の華麗な宮殿と同じとなり、富豪社会の『映画化』である」。1このように、映画は単なる新 しい娯楽ではなく、モダン生活を広める宣伝として機能したのである。 本稿では、1920 年代上海を舞台とする「モダン劇映画」を考察し、それらに表されている「魔 都」上海は如何に創り上げられていったか、上海の都市化にとってどのような意義があったか について、論じていきたい。 2 中国映画は、北京豊泰照像(写真)館による京劇記録映画『定軍山』(1905 年)からはじま るが、劇映画の最初の主流は「モダン劇映画」(時装片)である。「モダン劇映画」とは、1920 年代上海中心に製作された、上海、杭州、南京、蘇州、北京などの近代都市を舞台とした劇映 画、いわば「都市映画」である。 「モダン劇映画」の始まりは、1920 年に上海で発生した洋行外交員、閻瑞生名妓絞殺事件を 映画化した作品『閻瑞生』(中国影戯研究社、1921 年)である。2 当時上海は急激に都市化しており、それまでの社会秩序、風俗習慣、生活価値観などが大き く揺さぶられていた中で、閻瑞生殺人事件が、その退廃的な一面を映し出している。1920 年 6 月、夜遊びや競馬で莫大な借金を作り、返済に迫られた洋行外交員閻瑞生は、友人と計画して、

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当時上海商界を牛耳る朱葆三の息子朱子嘉の車を借り、ドライブの口実で「花国総理」である 上海名妓王蓮英を誘い出し、滬西北新涇鎮杜家宅西(現在の徐家匯哈密路附近)で絞殺した後、 アクセサリーなどを奪って、青浦、徐州などで逃走生活を送ったが、最終的に逮捕され、同年 11 月 23 日に龍華大操場処刑場で処刑された。事件は、上海上流社会や花柳界の大物にかかわ っていたため、上海社会にセンセーショナルに伝わり波紋を呼んだ。各紙は事件関連ニュース を大きく取り上げ、1920 年 11 月 23 日に龍華大操場処刑場には、閻瑞生の最後の姿を見ようと する市民で埋まった。3 事件後、「笑舞台」をはじめ「新舞台」、「共舞台」などの劇場で、相次いで閻瑞生殺人事件 を題材とした「時事新劇」が上演され観客が殺到した。演劇界での「閻瑞生」ブームが続く中、 中国影戯研究社は映画『閻瑞生』を製作した。 映画『閻瑞生』は、当時の「閻瑞生」の演劇物をもとに、閻瑞生の逸事を書き加えてできた 作品である。 創作者たちは、事件のいきさつをよく知っている。特に陳寿芝らは閻の知り合いであり、ある人は彼 の親友でもあったので、彼のこともよく知っている。人にあまり知られていない逸事は、創作の貴重 な素材となった。(酈蘇元・胡菊彬『中国無声電影史』中国電影出版社、1996 年 12 月、p68) 当時の演劇物は、観客の好みを考慮し、事件事実にない架空の人物を登場させたり、事実無 根のストーリーを加えたりした。例えば「共舞台」の『閻瑞生』は、観客の同情心をかうため、 王蓮英の妹という架空の人物や、王蓮英がその彼女の夢枕に立って恨みを晴らしてほしいとい う虚構の筋を加えた。映画『閻瑞生』では、そのような書き直しを完全に排除し、借金競馬か ら処刑されるまで、概ね事件のいきさつを中心に描写している。そして、演劇に対抗する観客 動員作戦として、事件に関係のあった場所、例えば閻瑞生が通っていた遊里百花里や福裕里、 ナイトクラブ一品香旅館、競馬場、殺人現場の麦畑、閻瑞生が潜伏していた王徳昌茶葉店、逮 捕された徐州駅、裁判の行われた上海地方検察庁、拘禁された龍華護軍使署、処刑前に神に懺 悔した佘山天主堂などでのロケシーンを挿入し、誘拐用の車も閻瑞生が実際に乗った車を使用 した。4事件現場そのものを撮ろうという発想は、観客の猟奇趣味に迎合する側面があったこと も否めないが、最も重要なのは、それによって近代上海それ自身が映画化の対象として意識さ れるようになったことであろう。 映画『閻瑞生』について、当時の観客は次のような感想を述べている。 当初本物のセットを使う他、各劇場で上演している閻瑞生と余り変わらないと思ったが、映画を観て 驚いた。その創り方は、すべて西洋映画のようであり、各劇場のでたらめな演出とは全く違っていた。 中国映画がこれ程高いレベルに達していたとは、本当に予想外であった。(木公「顧影閑評」『申報』 1921 年7月 11 日) 事件発生からすでに一年余り経たにもかかわらず、1921 年 7 月 1 日から夏令配克(オリンピ ック)影戯院で上映した映画『閻瑞生』は大ヒットした。上映初日、映画館は超満員の盛況で、 一週間で 4 千元余の利益を上げ、「中国映画は十分利益を上げられることを、中国人に深く印象

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付けた」。5その後、上海では上海影戯公司(1921 年、以下「上海」と略称)、新亜影片公司(1921 年、以下「新亜」と略称)、明星影片公司(1922 年、以下「明星」と略称)などの映画会社が 創設され、『海の誓』(『海誓』、「上海」、1922 年)、『紅粉髑髏』(「新亜」、1922 年)、6『張欣生』 (「明星」、1923 年)、『祖父を救う』(『孤児救祖父記』、「明星」、1923 年)など、上海を舞台と した映画が次々と製作された。こうして、上海を中心とする中国映画産業が始業し、「モダン劇 映画」が中国映画製作の主流となった。 3 初期の「モダン劇映画」は、主に誘拐や殺人事件を題材とした犯罪映画と、自由恋愛を描写 する「恋愛映画」いわゆるメロドラマの、二つのジャンルであったが、その主流は犯罪映画で あった。『海の誓』以外に、『紅粉髑髏』、『張欣生』、『祖父を助ける』は犯罪映画である。 『紅粉髑髏』は、美人局で金を稼ぐ「保険党」というペテン師の一味が男を誘拐し、生命保 険を騙し取ろうとしたが、最後に失敗に終わったという物語である。つまり、『閻瑞生』と同じ で社会的な誘拐殺人事件を題材とする映画である。7しかし、『紅粉髑髏』は、上海で実際に起き た事件ではなく、フランス探偵小説『保険党十姉妹』を翻案した作品である。8映画の脚色につ いて、監督管海峰は次のように述べている。 脚本は最も大切である。それは投資と利潤に関わっている。当時上海では武術のある演劇ものは非常 に人気があったので、この面から目新しい物語を選び、脚色しようとした。こうして、私は中外の探 偵小説の中から『保険党十姉妹』という面白い物語を選び、翻案した(管海峰「我拍撮『紅粉髑髏』 的経過」『中国電影』、1957 年第 5 期、p61)。 つまり、『紅粉髑髏』は、閻瑞生』と同じく、演劇を通して観客の好みを察知した上で、映 画を撮ったのである。しかし、単に武術の場面を取り入れるためだけなら、必ずしも探偵小説 を選ばなくてもよかったであろう。誘拐事件を題材とした『保険党十姉妹』を選択した理由に は、『閻瑞生』の影響もあるのではないか。 『張欣生』と『祖父を助ける』は、家庭犯罪を描写する映画である。『張欣生』は、『閻瑞生』 と同様、当時上海浦東で発生した、張欣生という男が父を殺害して財産を奪おうとした事件を 映画化した作品である。そして又もや、演劇界の「張欣生」ブームの中で、映画化されたので ある。映画化の方法も、『閻瑞生』と同じ戦術をとり、リアルな映像表現を売り物とした。しか し、張欣生殺人事件は、事件の場所も浦東という田舎であり、加害者と被害者も都市出身者で はなく、『閻瑞生』のような観客が心引かれる都市風景や生活の描写がなかった。しかし『張欣 生』には、父の絞殺や死因を究明するために骨を蒸すという検死方法など、ショッキングな場 面や人に知られていない出来事をリアルに再現した。映画上映後、治安当局が「残酷で人道的 なく、正視にたえない」として上映を禁止した。9 『張欣生』上映禁止後、「明星」はその教訓から、「営業主義に一点の良心的主張を加える」

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という製作方針をたて10相続権をめぐる内輪の揉め事を描写する『祖父を救う』を製作した。11 大金持ち楊寿昌の息子道生は、郊外で馬の試し乗りをしていて落馬し、妻余蔚如を残して 死んでしまった。寿昌のおい道培は、素行が悪く、道生が死んだことを聞くと、寿昌の財産 を騙し取ろうと企み、同族の者をそそのかして自分が後継ぎの地位におさまる。ところが蔚 如が身重なのに気付くと、手に入れようとした財産を腹の中の子に取られまいとして、寿昌 に蔚如が不貞を犯したと讒言した。婚家から追い出された蔚如は実家に戻り、まもなく男の 子余璞を産み、苦しみに耐えながら子供を育てる。一方、寿昌は嫁を追い出した後、すっか り意気消沈して老け込んだ。道培はうまくいったと、派手に金を使いまくった。寿昌は慈善 学校をつくり、無料で貧しい家の子供を教える。十年後、余璞は成長し、その義務学校で学 ぶようになった。余璞は礼儀正しく、聡明で機知に富み、寿昌にとても愛された。このころ、 寿昌は道培が外でよからぬ行為をやっていることに気付いており、もはや彼に金を渡そうと はしなかった。金に困った道培は悪友と結託して、寿昌を殺して財産を奪おうとしたが、余 璞が来訪して寿昌の命を救う。最後に、祖父と孫、そしてその母は、一家睦まじく暮らすよ うになった。 この作品は、伝統的倫理観を意識し、『張欣生』の父を殺害して財産を奪おうとした息子を おいに書き直した上で、殺人事件のいきさつに慈善学校を創設し、社会教育を提唱するという 「良心的主張」を織り込んだのである。そして、賭博で借金を作った道培が悪友と結託して犯 行に移したというプロットは、『閻瑞生』とよく似ている。しかし、前二作と違い、『祖父を助 ける』の主人公は、犯罪者ではなく、被害者である。また、それまでの事件のいきさつの描写 を重視し、加害者と被害者の是非を論じない犯罪映画とは異なり、伝統的道徳観によって、慈 善事業を進んでする篤志家の楊寿昌、才徳兼備の余蔚如、礼儀正しく、聡明で機知に富む孫余 璞、素行が悪く、財産を手に入れるためには手段を選ばない道培など、被害者を美化し、加害 者を醜く描き、登場人物の是非善悪をはっきりさせた。この創作法は、のちの中国映画に大き な影響を与えた。つまり、『祖父を救う』は、『張欣生』を基に、当時人気の犯罪映画を参考に して、映画の教化という社会的機能の発揮を重視した作品である。極言であるが、『張欣生』の 改良版である。 中国映画の「恋愛映画」の始まりである『海の誓』は、金に迷う若い娘と貧しい画家とのロ マンチックな恋愛物語である。12 裕福なおじさんの家に身を寄せている若い娘殷福珠は、家庭教師で、貧しい画家である周 選青と恋をして、彼に身をゆだね、二人は心変わりしたら海に身を投げると誓う。しかし、 福珠の金持ちの従兄も彼女を好きだった。従兄は彼女に、貧しい画家との結婚は生活苦にあ えぐだけだと説得し、ダイヤの婚約指輪を渡しプロポーズする。金に惑わされる福珠は、選

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青との約束を反古にし、従兄と結婚することを決めたが、結婚式の最中、突然良心に目覚め、 選青のところへ逃げ出す。しかし、選青は情に背く女と咎め、仲直りを拒否する。恥じ入る 彼女は誓いを果たし、海に身を投げたが、幸いにも選青に救われた。選青が彼女の過ちを許 し、最後には、二人はめでたく結婚する。 殷福珠と周選青との恋愛物語を通して、金銭に迷うのは純粋な愛情を傷つけるだけで、心から 愛し合うのが幸せな結婚の基礎であるという恋愛観や、婚姻は当事者自身で決めるという婚姻 観を強調し、愛し合う人は最後には結ばれるという主題を表している。 思想的内容から、『祖父を救う』は、家庭犯罪を通して、中国伝統社会の相続権制度の問題点 に触れているが、単なる善悪観によって、人徳の高い人に財産を相続させるのは、家族のため になるし、社会のためにもなるという考えを示しているだけで、その制度の本質的な部分、即 ち長子相続権を全く問題視していない。しかし、『海の誓』は、伝統的貞操観の束縛から抜け出 す婚前の性行為の描写、中国伝統社会の親が取り決める結婚制度に真っ向から対立する当事者 自身で決めるという婚姻観の強調を通して、新しい恋愛婚姻観を示した。つまり、『海の誓』の 反封建の性格は、『祖父を救う』より強く、かつ徹底的である。 前述のように、演劇を通して観客の好みを察知し、それに迎合して映画を撮るのは、初期「モ ダン劇映画」製作の戦術である。映画観客を確保、映画市場の確立には、この戦術は、とても 重要で、賢明なやり方といえるだろう。この戦術の下で製作した一連の上海を舞台とした映画 は、観客動員を最優先としたため、欧米映画を参考にして(これについては後節にて述べる)、 上海の外貌を断片的に表したが、その内面性、即ち都市的性格は、ほとんど表されていなかっ た。つまり、初期「モダン劇映画」の上海は、魂のない不完全な都市である。 4 初めて都市の性格として、生き生きとしている上海を描写したのは、『故郷に帰ろう』(『重 返故郷』、「上海」、1925 年)である。13 世外の桃源のような村落に母「光陰」と「素女」、「虚栄」、「貞節」、「青年」、「美麗」五人 の娘はのんびり暮らしていた。ある日、隣村人の都会の話を聞き、心を動かした次女「虚栄」 は、「青年」、「美麗」そして長女「素女」に一緒に都会に行こうと誘う。「光陰」は最初は同 意しなかったが、四姉妹の懇願に耐えられず、最後に「貞節」も同行させ、30 日以内に帰る よう、都会に住んでいるおば「溺愛」の家に行かせる。「溺愛」は大金持ちの実業家である 夫「懦弱」、息子「金銭」、画家の甥「誠懇」と一緒に暮らしている。都会にやってきた「虚 栄」、「青年」、「美麗」、「素女」は都市の贅沢三昧の生活に溺れていく。「青年」が「金銭」 の友人「諂媚」と、「虚栄」が「金銭」のもう一人の友人「引誘」と、「素女」が「金銭」と

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恋愛に落ち入り、「美麗」がトランプや酒にふける。「貞節」は四姉妹に老婆心から忠告する が、「金銭」と「虚栄」の反感を買い、裏庭の小屋に幽閉される。大酒に溺れる「美麗」は、 体を壊して死んでしまう。「美麗」死後、「金銭」の心が変わり、「妖冶」を追い求める。ち ょうどこのとき、「懦弱」が経営に破綻し、「溺愛」と夜逃げした。「素女」、「虚栄」、「青年」 は「金銭」を探し、その不幸を告げようとしたとき、「光陰」が約束期限を過ぎても帰って 来ない娘たちを探しにやってきた。「虚栄」は「美麗」が死に、「貞節」が行方不明になって 母に会わせる顔がないと言って、「素女」、「青年」に母と会わずに都会に留まるようと説得 する。しかし、「青年」は約束期限になったと反論し、「光陰」のもとへ。「素女」と「虚栄」 は道端にある家に逃げ込んで、家の主人「陰険」に「金銭」と「引誘」を探してほしいと願 う。しかし、「金銭」は相手にせず、来る者は「引誘」だけだ。「引誘」は「虚栄」に持てる だけ盗んで一緒に逃げようと提案する。それを耳にした「陰険」は、隣人「強権」につじ強 盗を働くことを依頼する。深夜、「強権」が待ち伏せ、強奪に成功したが、強奪したものは 「陰険」に全部盗られる。一方、父が破産したことを知った「金銭」は、気を晴らしに競馬 場へ。そこで、「金銭」は仲むつまじい「諂媚」と「妖冶」の二人とばったりと出会う。問 い詰めたところ、馬鹿にされて腹を立てた「金銭」は「諂媚」と殴り合いになったあげく、 二人とも死んだ。その時、「引誘」が突然現れ、「妖冶」を連れ去る。途中、「陰険」を探し ている「強権」とまた遭い、二人が殴り合ううち「妖冶」が逃亡。都会の辛酸をなめた「素 女」は、都会は長居するところではないと悟り、監禁状態から脱出した「貞節」と故郷にか える。 登場人物がすべて寓意のある象徴的な名前に付けられているのは、映画の特徴である。登場 する上海人は、「溺愛」、「懦弱」、「金銭」、「諂媚」、「引誘」(意味は誘惑)、「色欲」(ナイトクラ ブの常連客)、「妖冶」、「陰険」、「強権」、「誠懇」(意味は誠実)「侠義」(意味は義侠心、「誠懇」 の友人)である。これらの登場人物の名前から、映画に表されている上海を充分想像できるだ ろう。 「誠懇」と「侠義」という肯定的な人物がいるが、二人に関するプロットはとても意味深い ものである。 五姉妹がおばの家にやって来て間もなく、一番上の姉「素女」は、叔父の家に身を寄せて生 活していた「誠懇」の部屋に行き、「誠懇」の絵がとても気に入った。彼女は「誠懇」に自分を モデルに絵を描いてもらう約束する。翌日、「誠懇」は彼女に昔の服装を着せて、古典美人画を 描こうとしていた。それを知った「金銭」は、「誠懇」のアトリエに入って、「誠懇」に「馬鹿 やろう、やめろ。母にお前の生活費をやめさせてやる」と痛罵しながら「素女」を外に連れ出 そうとした。それを見て、そばにいる「侠義」が立ち上がって止めようとしたが、「金銭」が一 枚の銀貨を取り出して「侠義」に投げ付ける。命中した「侠義」が地面に倒れ、「金銭」が「素

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女」を連れ出した。 誠実と義侠心が、お金次第という拝金主義の上海を生き生きと描写している。その後、「素 女」は贅沢三昧の夜遊びにふけ、「誠懇」と「侠義」の姿は物語から消えてしまう。こうして、 上海は完全な「罪悪の掃きだめ」に描かれている。 五姉妹は、実は一人の女性の五つの分身である。即ち、「素女」は無垢の女、「虚栄」は人の 心に潜んでいる「虚栄心」、「貞節」は廉恥心、「青年」は年の若さ、「美麗」は美しさである。 「虚栄」の提案で上海にやってきた五姉妹は、一人の虚栄心に迷った綺麗な若娘を意味してい る。「青年」が「諂媚」の恋に落ち、「虚栄」が「引誘」の恋に落ち、「貞節」が「金銭」に監禁 されてから、「素女」が遂に「金銭」に誘惑されるという物語の流れは、無垢の少女が堕落して いく過程である。そして、大酒に溺れた「美麗」死後、「金銭」の心が「妖冶」に変わり、「青 年」が母「光陰」に連れられて故郷に帰った後、「金銭」が全く相手にされなくなったという「素 女」の恋愛悲劇は、色気を失った女がたどった男に見捨てられる運命を示している。こうして、 最後の「素女」と「貞節」の帰郷は、一人の虚栄心にかられ、数奇な運命をたどって、やっと 罪悪の都市を悟り、改心した少女を描出し、虚栄心は女性に難を招く元凶という主題を表した。 そして、都市の闇に姿をくらました「虚栄」と逃げた「妖冶」は、見栄を求め、女色にふける 上海を意味しているだろう。 『故郷に帰ろう』は、「静寂な村落は、まるで世外の桃源である。のんびり暮らしている人 はいうまでなく、鶏や犬さえもそこに昏昏と眠っている」という田園風景から始まり、「大地が 濃霧に包まれている。町がかすかにみえる。また多くの人はそこで酔生夢死して、目が覚めて いない。断崖の前で馬を止めて、悠然として帰る人がめったにいない」と「素女」が故郷に向 うラストシーンで締めくくっている。14酒色に溺れた上海に対する態度、都市を離れ、自然に帰 ろうという主題はスクリーンにありありと現れている。 つまり、『故郷に帰ろう』は、アトリエ、ナイトクラブ、競馬場、公園などの近代都市のモ ダン空間、誕生パーティー、最新流行の服装、夜遊び、園遊などモダン生活をふんだんに取り 入れ、拝金主義、放蕩三昧の生活などの退廃的な一面を強調し、「繁華の淵藪」と「罪悪の掃き だめ」という上海を表出したのである。 当時一部の批評家は、『故郷に帰ろう』ついて、「中国映画のために哲学的な映画という新た なジャンルを切り開いた」、「中国映画史に残る」作品と高く評価していた。15しかし残念ながら、 これまでの映画史研究において、『故郷に帰ろう』はほとんど言及されず、無視されてきた。 『故郷に帰ろう』以後、各映画会社は、上海の上流階級、特に上流階級の若者の恋愛、交友、 家庭生活などを題材にした映画を次々と製作した。蘇州出身の銀行家の息子が、悪友と交わっ たため、放蕩三昧の生活にふけってしまい、最後に改心して真人間になる『馮家の若旦那』(『馮 大少爺』、「明星」、1925 年)。お金を振り回し、男あそびばかりする金持ちのお嬢様が、最後に 自業自得、すべての財産を婚約者に奪われてしまった『金持ちのお嬢様』(『富人之女』、「明星」、

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1926 年)。ある将軍の息子が生活援助という口実で貧しい家の姉妹に次々と手を出し、最後に 父の暗殺により気が狂った『透明な上海』(『透明的上海』、大中華百合影片公司、1926 年)。上 海の裕福な家に嫁に行った長女の誕生パーティーに出席するために田舎から上海にやってきた 農村親子が起こす一連のハプニングや出来事を通して、上海のモダン生活をユーモラスに描写 しながら、外観で人を判断し、盲目的に欧化に傾倒する上海人を風刺している『婿の家に行こ う』(『探親家』、大中華百合影片公司、1926)。金持ちの妾が若い男と浮気をして、最後にすべ てのお金を男にだまされてしまう『上海之夜』(神州影片公司、1926 年)。婚約者から離れ、金 持ちの息子と同棲し、最後に金持ちの息子に遊女屋に売られてしまった農村娘を描写する『上 海の花』(『上海花』、国光影片公司、1926 年)。これらの作品は、中国映画の主な観客層である 小市民の感情に配慮し、ほとんどの上流階級の登場人物を名誉利益に迷う、女を誑かす、淫乱 な恥知らず者といった人物設定にして、派手な生活は堕落の始まり、金銭はあらゆる悪の根源 という良心的主張が映画に織り込んであり、モダンな都市、拝金主義の都市、贅沢三昧の都市、 悪に染まる都市、冷酷無情な都市などの上海性格を表出した。それによって、1920 年代中期に 「魔都」という近代上海が創り上げられたのである。 5 一方、1920 年代中国映画の映像作品は、ほとんど残存しておらず、「モダン劇映画」がどの ような上海イメージを表しているかについて、最も頭の痛い問題である。ここでは、新聞雑誌 に発表された映画批評、映画の当事者の創作談などを基にしながら、映画の場面設定、登場人 物の衣装を中心に「モダン劇映画」に表されている上海のモダン性について論じていきたい。 初期「モダン劇映画」の場面設定は、主に家(犯罪組織のアジトを含む)と公園であった。 『海の誓』室内シーンにしても、公園のロケシーンにしても、すべて「上海閘北の空き地」で 建てられたセットで撮られたのである。16『紅粉髑髏』の室内シーンは「上海宝山路宝山里にあ る商務印書館経営者の一人夏粋芳の家」を借りて建てたセットで撮ったが、公園などのロケシ ーンは「蘇州の宝帯橋」で撮影した。17『祖父を救う』は、主に「上海海寧路鍚金公所の隣りの 空き地」で建てたセットで撮影を行った。18初期「モダン劇映画」に表されている上海は、あり のままの上海ではなく、セットされた上海である。 『紅粉髑髏』のセットについて、監督管海峰は次のように述べている。 この映画のセットは、アメリカ映画に倣って作られたのである。(中略)映画は全部で 4 つの場面(ロ ケーションを除く)をセットした。一、保険党党部:石壁のビル。二、保険党連中の寝室:華麗な部 屋。三、保険党の応接室:洋風の大広間。四、保険党の地下室:石壁石階段。(中略)ロケーション は、主に蘇州であった。(管海峰「我拍撮『紅粉髑髏』的経過」『中国電影』、1957 年第 5 期、p61) なんと『紅粉髑髏』に表されている上海は、現実の上海ではなく、アメリカ映画に表され た都市を青写真として作り出した都市である。

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更に、賈観灼の「国産片之表情与接吻問題」は、初期中国映画について、次のように述べ ている。 中国映画は、撮影方法から芸術的表現に至るまで、すべて欧米に師事し、欧米に倣い、他人の成果を 受け継いで、自分を高めようと願っていたが、師事する思いが激しすぎ、倣う心が強すぎて、風俗や 習慣上、倣ってはいけないことにも気付かず、ひたすら盲従しはじめた。(賈観灼「国産片之表情与 接吻問題」『民国日報』、1928 年 4 月 29 日) よって、フランス小説を翻案した『紅粉髑髏』だけではなく、当時の中国映画に登場した上海 は、地理上の「上海越界」でもなく、「上海租界」でもなく、地域空間を越えた「欧米化」した 国際都市といえるだろう。 『海の誓』について、当時の人々は、男主人公が貧しい画家にもかかわらず、洋式ベッド、 絨毯、洋式の椅子、花瓶の置かれた洋館に住んでいることや、登場人物は召使までみんな洋服 を身にし、召使を呼ぶときにベルを使い、芝生の上で食事をし、プロポーズは庭園のベンチで、 結婚式を教会で挙げるなどは「本来の中国事情を描写する趣旨に反する」と、指摘していた。19 そして、『中国無声電影史』も、「映画の創作は、鋭意新機軸を出す。新しい物語、新しい構 成法、新しい人物、新しい風俗習慣、新しい服装、新しい背景、新しい発想、新しい生活のス タイルなど、すべてが一新した」と、評価しながら、「しかし残念なことで、中国社会の現実状 況との隔たりが甚だしかった」と、芸術はどれくらい現実を反映したかというリアリズムの観 点から、映画に表されているモダン生活を否定している。20中国社会の現実という視点から、確 かに『海の誓』は当時の中国、ひいては現実の上海から遊離している。しかし、角度を変えて、 都市化を中心とする近代化という視点から、『海の誓』、そして初期「モダン劇映画」は、欧米 映画を参考にしながら、力を尽くして、その現実を反映しようとしている。ある意味で、単な る家庭や公園を通して、近代都市を表しようとする初期「モダン劇映画」は、近代都市の描写 が狭い範囲に限られたため、その表現がまだ不十分といえるだろう。 『故郷に帰ろう』以後、「映画上海」のモダン化が加速し、交通渋滞の大通り、繁華街、ナイ トクラブ、ダンスホール、二階建ての洋館、ホテル、自家用車、ソファ、西洋料理、ピアノ、 スプリングベッド、最新流行の服装、ダンスパーティーなど、都市建設から生活スタイルまで、 全面的に展開した。 我々は普段観るモダン劇映画(時装片)の服装は、男がみんな背広、女が胸をはだけ腕をあらわにし、 中国服(長袍大褂)を着る者は老人や召使いだけである。しかし、いまの中国、たとえ最も繁華な上 海にしても、洋服を着る者はやはり少数派である。他のところは想像できるだろう。(周剣峰「時装 片的服装談」『中国電影雑誌』1928 年第 13 期) 服装だけで、モダン「映画上海」は、中国最も繁華な上海との格差がこんなに大きく、他の 面では、そして中国の地方都市との格差を想像できるだろうということだ。 つまり、「モダン劇映画」に表されている上海は、地理空間上の上海ではなく、近代都市文化 空間上の「映画上海」である。中国の現実との甚だしい隔たりは、「映画上海」の先進性を物語

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っている。「上海租界」が代表する近代上海との格差は、欧米化を目指している「映画上海」の 前衛性を示している。 要するに、上海の急激な都市化は、「モダン劇映画」を生んだが、「モダン劇映画」が創り上 げた「魔都」上海が、魔性の近代上海を生み出したのである。 注 1 「中国的電影化」『晶報』1922 年 1 月 3 日。 2 『閻瑞生』は、商務印書館が請負い製作した作品。 3 梁紅英「閻瑞生誘殺妓女案」『旧上海社会百態』上海人民出版社、1991 年 2 月、p155~184、参照。 4 酈蘇元・胡菊彬『中国無声電影史』中国電影出版社、1996 年 9 月、p70、参照。 5 徐恥痕「中国影戯之溯原」『中国影戯大観』上海合作出版社、1927 年 4 月。 6 『紅粉髑髏』は商務印書館が請負い、焼付、現像した作品である。 7 交通事故でけがをした女学生黄菊英が入院先の若い医者鮑宗瀛と恋に落ちる。ある日、「保険党」の ペテン師娟娘は、公園で黄菊英を待つ鮑宗瀛と出会い、色仕掛けで「保険党」のアジトに連れて行く。 鮑宗瀛が金持ちではないことを知った「保険党」の一味は、鮑宗瀛に多額の生命保険をかけて、女色 に迷わさせ、最後に毒殺するという保険金詐取計画に移す。行方不明になった鮑宗瀛を懸命に探す黄 菊英と弁護士の兄は、「保険党」のアジトを見つけ、警察と協力して「保険党」を一網打尽にし、鮑 宗瀛を助ける。最後に鮑宗瀛と黄菊英は愛に結ばれる(『中国無声電影劇本 上』中国電影出版社、 1996 年 9 月、p6)。 8 洪警鈴「影壇生涯」『中国電影』1957 年第 6 期、p79、参照。 9 程季華『中国電影発展史 第1巻』中国電影出版社、1998 年 8 月第 4 版、p59、参照。 10 鄭正秋「中国影戯的取材問題」『明星特刊』第 2 期『小朋友』号、1925 年 6 月。 11 前出『中国無声電影劇本 上』、p47~60。 12 『中国電影大辞典』(上海辞書出版社、1995 年、p335)、鄭逸梅「従『海誓』談到上海影戯公司」(『中 国電影』1957 年第 3 期、p56)、前出『中国無声電影史』(p71)など、参照。 13 前出『中国無声電影劇本 上』中国電影出版社、1996 年 9 月、p143~156、参照。 14 前出『中国無声電影劇本 上』、p146、156。 15 倚虹「評『重返故郷』影片」『上海画報』1925 年第 13 期。 16 前出「従『海誓』談到上海影戯公司」、p56、参照。執筆者鄭逸梅は上海影戯公司の編集を担当。 17 前出「影壇生涯」『中国電影』1957 年第 6 期、p79、参照。執筆者洪警鈴は『紅粉髑髏』の「保険党」 の仲間を演じた。 18 張石川「自我導演以来」『明星半月刊』第 1 巻第 4 期、1935 年 6 月、参照。張石川は『祖父を救う』 の監督。 19 鄭逸梅「従『海誓』談到上海影戯公司」『中国電影』1957 年第 3 期、p56~57、参照。 20 前出『中国無声電影史』、p72。

参照

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