学校による指導監督の憲法的裁量統制の法理
―― インターネットいじめに関するアメリカ判例の 分析から ――
平成29年12月25日 岡山大学大学院 社会文化科学研究科
俟 野 英 二
学 位 論 文
目次
はじめに ... 1
第一章 学内生徒表現に対する学校当局の指導監督の裁量権 ... 3
第一節 学校裁量に対する日本の議論 ... 4
第二節 アメリカの連邦最高裁判決 ... 7
第一項 ティンカー事件判決以前の連邦最高裁の考え方 ... 8
第二項 ティンカー事件判決 ... 9
第三項 ピコ事件判決 ... 10
第四項 フレイザー事件判決 ... 12
第五項 ヘイゼルウッド事件 ... 14
第六項 モース事件 ... 15
第三節 生徒表現への学校の規制に関する各最高裁裁判官の考え方 ... 16
第一項 アプローチの視点 ... 17
第二項 ティンカー事件判決法廷意見における裁量審査の論理 ... 17
第三項 ティンカー事件判決の射程を限定しない見解... 18
第四項 ティンカー事件判決を否定する見解 ... 18
第五項 ティンカー事件判決の射程を限定する考え方... 19
第六項 ブレナン裁判官の学校当局の裁量に対する司法審査の論理構造 ... 20
第七項 学校当局の裁量に対する各見解の比較 ... 22
第四節 学校における生徒の表現の自由の制約根拠 ... 24
第一項 先行研究における最高裁の判例の理解 ... 24
第二項 生徒の表現の自由の制約原理としての「学校環境の特性」 ... 26
第三項 生徒表現の制約原理としての「学校設定の場の特性」 ... 28
第五節 連邦最高裁における学校裁量の統制 ... 30
第一項 連邦最高裁に見られる学校の特殊な法律関係... 30
第二項 学校の裁量と修正第1条の機能の仕方 ... 31
第三項 人権の核心的部分からの距離と正当化理由の強度 ... 34
第四項 「学校環境の特性」と「学校設定の場の特性」 ... 35
第五項 学校の指導監督に対する憲法的裁量統制の法理 ... 37
第二章 学校外で発信された生徒表現と学校の指導監督権 ... 39
第一節 分析の視点... 39
第二節 紙媒体による学校外の生徒表現に関する判決 ... 40
第一項 ラビン事件 ... 40
第二項 トマス事件判決 ... 43
第三節 学校外からインターネット上に発信された生徒表現に関する判決 ... 45
第一項 ベツレヘム事件判決 ... 45
第二項 J.C.事件判決 ... 51
第三章 インターネット上の生徒表現への学校規制に対する憲法上の裁量統制 ... 58
第一節 4判決の前提条件としての「入口の問題」 ... 58
第二節 「入口の問題」の条件の内容 ... 59
第三節 「学内の表現」の意味 ... 60
第四節 学校コミュニティ内表現 ... 61
第五節 「入口の問題」と2つの制約原理 ... 63
第六節 インターネット表現に対する4判決の選択適用 ... 64
第七節 4判決の重複適用 ... 66
第八節 実質的混乱のテストと「他人の権利」侵害のテスト ... 67
第九節 特定個人を標的とした攻撃的表現への対応 ... 69
第十節 日本への導入の可能性 ... 70
おわりに ... 73
はじめに
一般に、子どもは当然に人権享有主体であるとは認められるが、その上でその未成熟さ、
あるいは心身の発達の不十分さゆえに成人とは異なった制約を受けることが正当化される 場合がある。しかしながら、すべての権利がかかる制約に服するわけではなく、権利の性格 による区分が必要とされる。表現の自由も大人と同等の保障を受けない権利に含まれる1。 しかし、未成熟さ等から大人と同等の保障を生徒は受けないとしても、学校は生徒が多感な そして人間形成において重要な時期を長時間過ごす場であるので、表現の自由が保障され ることは生徒にとって重要な意味をもっている2。
生徒の表現の自由は、生徒の人格形成に対して重要であるだけでなく、選挙年齢が
18
歳 まで引き下げられた3こともあり、民主社会の理論と実践を学ぶ上で可能な限り尊重される べきである4。他方で、いじめや対教師暴力のような生徒の問題行動に対する学校の措置は、従来生徒指導上の問題として学校に広範な裁量が認められてきた5。さらに、近年、スマー トフォン、携帯電話が、児童生徒に普及し、児童生徒間のコミュニケーション手段として浸 透している6。それに伴い、インターネット上のいじめ及びサイバー・ハラスメントの問題 も大きくなっている。
2013
年に滋賀県大津市の中学生いじめ自殺事件7を契機としていじめ防止対策推進法が制 定された8。同法は、「インターネットを通じて行われるもの」をいじめの定義に含めて対策 の対象とした(第2
条)。生徒によるインターネット上のいじめ及びサイバー・ハラスメン
1米沢広一「未成年者と人権」高橋和之・大石眞編『憲法の争点』(有斐閣、2008年)66頁参照。連邦最高裁は、17歳 未満の子どもに対する性描写のある出版物の頒布を禁じた二―ヨーク州法が問題となった事案において、大人にとって わいせつ物にあたらず表現の自由の保障の範囲内にあっても、子どもにはその出版が禁じられる(いわゆる可変的わい せつ概念)とし、子どもと大人で表現の自由を享受する範囲が異なることを明らかにした。See Ginsberg v. New York, 390
U.S. 629 (1968). なお、子どもの人権の制約原理については、佐藤幸治「子どもの『人権』とは」自由と正義38巻6号
(1987年)10頁が、内在的制約、外在的制約に加え、パターナリズムに基づく制約の範疇を提示し、「妥当する根拠と 範囲を明確にすることが必要というべきではなかろうか」と主張している。
2井上徹也は、ジョン H.ガーヴィーを引用して、言論の自由の「手段的意義」の理論から生徒の表現の自由の重要性を 考察している。井上徹也「学校における子どもの表現の自由――アメリカ連邦最高裁の判例をめぐって――(二・完)」 同志社法学53巻1号43-49頁(2001年)参照。See John H. Garvey, Freedom and Choice in Constitutional Law, 94 HARV. L.
REV. 1756, 1768-69 (1981).
3公職選挙法等の一部を改正する法律が平成28年6月19日公布、同日施行された。
4ハーグレイブスは、この根拠として、子どもは学校で民主社会の理論と実践を学ぶこと、トマス I. エマーソンの提 示する表現の自由の4つの機能(個人の自己実現、真理への到達、政策決定への参加、社会の安全弁)は生徒にも妥当 するという2点を挙げる。See Megan D. Hargraves, Constitutional Law-First Amendment & Freedom of Speech-Students May Be Regarded as Closed-Circuit Recipients of the State’s Anti Drug Message: The Supreme Court Creates a New Exception to the Tinker Student Speech Standard Morse v. Frederick, 127 S. Ct. 2618 (2007), 30 UALR L. REV. 565, 594-95 (2007-2008) (citing Thomas I.
Emerson, Toward a General Theory of the First Amendment, 72 YALE L. J. 877 (1962-1963)).
5「いじめ」は、1985年から「児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査」の対象として調査され、対応 されてきた。滝充「いじめ問題の歴史・いじめ研究が明らかにしてきたこと」国立教育政策研究所編『平成24年教育研 究公開シンポジウム いじめについて、わかっていること、できること。』(悠光堂、2013年)10頁以下、文部科学省『生 徒指導提要』(教育図書、2010年)173~74頁参照。
6平成27年度の警視庁の調査によれば、スマートフォンは高校では約9割、小学生でも6人に1人の割合で保有して おり、中学生、高校生では7割、8割が依存状態であることが明らかにされた。警視庁「子供の携帯電話やインターネ ットの利用について――平成27年のアンケート調査の結果から」、http://www.keishicho.metro.tokyo.jp/kurashi/higai/kodo mo/survey_h26.html 、(2017.12.14)
7日経新聞2012年12月27日、https://www.nikkei.com/article/DGXNASHC27026_X21C12A2000000/ 、(2017.12.14)
8同法の制定の背景について、小西洋之『いじめ防止対策推進法の解説と具体策』(WAVE出版、2014年)4~5頁参 照。
トの対策は、学校の果たす役割に大きな期待が寄せられている9。しかし、インターネット 上の生徒の表現に対して学校の規制がどこまで認められるのかについて、実務においても 明確な指針となるものが未だ存在していない10。
生徒や教師を傷つけるインターネット上のいじめやサイバー・ハラスメントに対する学 校の規制の合憲性を考えるには、2つの課題がある。第
1
は、学校外でインターネット上に 発信された生徒の表現に、学校の指導監督権が及ぶのか否かである。第2
は、もし学校の指 導監督権が認められる場合、憲法上どのように生徒の表現の自由と調整するのかである。この
2
つの課題を検討するために、アメリカにおける判決を分析することとする。アメリ カは、日本に比べて生徒表現に対する学校を含む州及び地方教育委員会(以下「学校当局」という。)の規制に関する裁判例が多いからである11。
第一章では、まず、学校裁量に対する日米の議論の状況を述べる。次に、アメリカにおけ る、公立学校生徒の学内表現に対する学校当局の規制に関する判決を分析する。なぜならば、
インターネット上の生徒表現の問題を論じる前提として、学内の生徒表現への学校の指導 監督権に対する一般的な憲法による統制の考え方を確認しておく必要があるからである。
分析においては、アメリカの連邦最高裁判決において、以下の点の解明を目指す。まず、学 校当局の生徒の表現の自由に対する制約根拠をどのように考えているか。次に、生徒の表現 態様及び内容の違いによって学校当局の裁量権行使の違憲審査方法がどのように異なるの か。最後に、学校当局に認められた制約根拠の違いによって憲法による裁量統制の考え方に 差異が生じるのであろうか12、である。第一章は、このような関心を保持しつつ、生徒の表 現を規制する学校当局の裁量に対する連邦最高裁の憲法による一般的な統制の考え方を抽 出する。
第二章以降は、インターネット上の生徒表現への学校の規制の合憲性を論じる上で、学校 外でインターネット上に発信された生徒の表現に学校の指導監督権が及ぶのかを論じる。
インターネット上の表現は、肉声や紙媒体などの伝統的な表現媒体による場合と異なり、い つ、いかなる場所からも容易にアクセスできるため、「学内の表現」か「学外の表現」かの
9 See Jessica P. Meredith, Combating cyberbullying: Emphasizing Education over Criminalization, 63 FED. COMM. L. J. 311 (2010).
102017年3月14日に文部科学大臣から出された方針には、インターネット上のいじめに対する学校及び教育委員会の 限界を明示せずに、それへの措置に当たり「必要に応じて法務局又は地方法務局」及び「所轄警察署」に協力、援助を 求めることが定められている。平25年10月11日(最終改訂 平29年3月14日)文部科学大臣決定「いじめの防止 等のための基本的な方針」別添2「学校における『いじめの防止』『早期発見』『いじめに対する措置』のポイント」8
~9頁参照。なお、文部科学省、http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/seitoshidou/1302904.htm 、(2017.12.14)
11日本では、高校生が行ったインターネット上の書き込みに対して学校が長時間事情聴取し停学処分としたのち、当該 高校生が自殺した。これに対し両親が設置者に国家賠償法1条1項に基づき損害賠償を請求した事件(札幌地判平成25 年2月15日LEX/DB文献番号25500605)、文集を生徒に無断で修正したことが争われた事件(大阪地判平成13年7月2
5日LEX/DB文献番号28070970)がある。他方、アメリカでは、生徒の表現の自由が明確に認められたリーディング・ケ
ースとして後述する、1969年のティンカー事件判決以降600件以上裁判が生じている。福岡久美子「サイバースペース における生徒の表現の自由」同志社女子大学総合文化研究所紀要第31巻16頁、25頁(2014年)(citing Aaron J. Hersh, Rehabilitating Tinker: A Modest Proposal to Protect Public-school Students’ First Amendment Free Expression Rights in the Digital Age, 98 IOWA L. REV., 1309, 1326 (2013).)参照。
12アメリカでは、本稿の問題を修正第1条及び修正第14条の憲法問題として裁判所は扱っているが、宍戸常寿は、日本 ではエホバの証人剣道実技拒否事件(最二小判平成8年3月8日民集50巻3号469頁)のように「人権条項なき憲法訴 訟」として行政裁量の踰越・濫用の枠組みで事案を処理した判例の傾向を指摘し、ドイツ由来の裁量論とアメリカ由来 の違憲審査基準との整合性の困難さを指摘する。宍戸常寿「裁量論と人権論」公法研究71号100頁(2999年)参照。
境界があいまいとなる。そのため、「学内の表現」とみなすことができるための条件を定立 する必要がある。そこで、第二章は、インターネット上の生徒表現への学校の規制の合憲性 を論じるため、参考となる判決を紹介する。
第三章は、第一章で見出した連邦最高裁の学校当局による生徒表現への指導監督の裁量 に対する憲法判断に関する法理が、インターネット上の生徒表現に対していかに適用され ているかを分析する。そして、連邦最高裁の判例法理が適用されるための条件及びその内容 を明らかにする。
第一章 学内生徒表現に対する学校当局の指導監督の裁量権
本章では、アメリカの連邦最高裁において学校当局による学内生徒表現に対する指導監 督の裁量権を憲法によっていかに統制しているかを論じる。アメリカにおいては、公教育の 管轄について連邦と州との関係が存在し、日本と異なるので留意が必要である。すなわち、
アメリカでは、連邦憲法が公教育の整備について連邦議会に権限を付与していないことか ら、修正第
10
条の規定によって公教育の法的管理は州の主権の1
つとされ、州及び学校管 理者に「学校における行為を規律し管理する」包括的な権限が認められている。そして、伝 統的に州の管理権限は、公立学校を実際に管理・運営する各州の地方教育委員会に委譲され、地方教育委員会がカリキュラムの決定、規則の制定など学校運営上の日々の活動に関する 決定を行っている。さらに、地方教育委員会は、裁量的責務(判断を含む)を行う権限を認 められ、校長や教師は法や教育委員会の規則に反しない範囲で準則及び規則を定めること が認められている13。前述のように認められた権限に基づいて州が教育制度を設けると、州 内の子どもは就学する権利を主張できるようになる。さらにまた、州は、州内の子どもに就 学を命じ、具体的に教育課程を編成することができるようになる14。ここで、この教育に関 する一般的福祉を保障する州の利益と憲法で保護された生徒の人権とが衝突し、訴訟とな るのである15。
なお、生徒の表現の自由を規制する場合の合憲性を考える際には、親の権利そして国家の 権限も問題となるため、生徒(子ども)、親、国家の三者の権利義務関係を検討する必要が ある16。しかし、本稿では、学校当局の裁量権の憲法的統制に主たる関心があるため、子ど もと親の利益が一致している場合に限定して論じる。
13マーサ・M.マッカーシー/ネルダ・H.キャンプロン=マカベ(平原春好・青木宏冶訳)『アメリカ教育法――教師と生 徒の権利――」(三省堂、1991年)11頁参照。See Tinker v. Des Moines Indep. Cmty. Sch. Dist., 393 U.S. 503, 507(1969).連邦 最高裁もエパーソン事件判決(州立学校におけるダーウィンの進化論の授業を禁止する州法の修正第1条(修正第14条 を介して)違反が争われた事案)において、「わが国の公教育は、全般的に州と地方の当局の管理に委ねられている。学 校教育制度の日常の運営において生じ、基本的な憲法上の価値と直接かつ明確に関係するのではない争いの解釈に裁判 所は干渉しないし、することはできない」と述べた。See Epperson v. Arkan., 393 U.S.97,104(1968).
14カリキュラムを規定することに関しては、メイヤー事件判決などがある。See e.g., Meyer v. Nebraska, 262 U.S. 390, 402 (1923); Pierce v. Society of Sisters, 268 U.S. 510, 534 (1925).
15マッカーシー・キャブロン=マカベ・前掲注(13)32頁参照。
16米沢・前掲注(1)67頁、片山等「アメリカ連邦最高裁判所例における子どもの人権の概況」自由と正義38巻6号 71頁参照。
第一節 学校裁量に対する日本の議論 まず、日本における議論を概観しておく。
かつての学説では、生徒、学生の「国公立学校の利用関係=在学関係」を公法上の権力関 係とし、さらに特別権力関係としていた17。特別権力関係論の法理論的特色は、第一に、特 別権力関係における権力の発動・行使を一般に一種の公権力の発動・行使ととらえる。第二 に、公権力の発動・行使に関し一般権力関係との対比において、3つの特色を有する。すな わち、①特別権力の発動・行使には個別・具体的な法律の根拠を有しないこと、②それを前 提として、特別権力関係服従者(本稿の場合、生徒、学生)に国民として保障されている基 本的人権を当該特別権力関係の設定目的達成に必要な範囲で、必ずしも具体的な法律の根 拠に基づくことなく制限できること、③さらに特別権力関係内部における諸権力に対する 訴訟は、一般的法秩序の維持を使命とする司法権の性質から原則として提起できないこと である18。
特別権力関係と称される法律関係における公権力が個別具体的な法律を要せず行使され 得るとの説明は、現行憲法の法治主義下ではすべての公権力の行使が法律に基づくため説 得的ではない。さらに、個人の同意によって基本的人権の保障を放棄することは一般的に否 定されていると、特別権力関係論が批判されている19。
室井力の分類によれば、国公立学校の在学関係を含む特別な法律関係を特別権力関係論 によらない説明の方向は、一般的・形式的否定説及び個別的・実質的否定説の2つに分類さ れる。一般的・形式的否定説は、国会中心主義・法治主義と基本的人権尊重主義から、一切 の公権力の行使に法律の根拠を要するので、特別権力関係における場合にも法治主義が全 面的に妥当すると説くものである。個別的・実質的否定説は、特別権力関係と称されてきた 諸法律関係が「公権力の行使の関係=一種の公法上の権力関係」とされること自体を疑問と し、個別具体的に法律関係の内容を検討し、実質的に法的判断を加えるべきと説くものであ る。両説はともに、特別権力関係と称される法律関係の場合にも法治主義が全面的に妥当す ると説く。しかし、一般的・形式的否定説は、法律に根拠さえあれば特別権力関係と称され る諸法律関係の具体的内容に立ち入っての検討を行わないという論理的契機を内包してい ると批判される。ゆえに、彼は「特別権力関係とされてきた諸法律関係の多くは、契約関係 ないし非権力関係の現代的理解の中で扱われることとなる」と述べる20。
このように現行憲法下で法治主義が全面的に妥当するとしても、特別権力関係論によら ない「非権力関係の現代的理解」の深化が求められていた。このような文脈において、部分
17東京地裁は、私立大学における学生の懲戒処分も、公立大学と同様学校教育法に基づく公法上の特別権力関係による 行為であるとした。東京地判昭和30年7月19日行集6巻7号1815~16頁参照。山田幸男、原龍之助『公企業法 公 物営造物法』(有斐閣、1957年)206~07頁参照。
18室井力『特別権力関係論』(勁草書房、1968年)399~401頁、同「特別権力関係と人権」『ジュリスト増刊 憲法の 争点 新版』(有斐閣、1985年)78頁参照。
19室井・前掲注「特別権力関係と人権」78頁。
20室井・前掲注78~79頁。
社会の法理を確立したとされる富山大学単位不認定事件21を振り返ってみる。この判決にお いて、最高裁は、法律上の争訟であっても「一般市民社会の中にあってこれとは別個に自律 的な法規範を有する特殊な部分社会における法律上の係争のごときは、それが一般市民法 秩序と直接の関係を有しない内部的な問題にとどまる限り、その自主的、自律的な解決に委 ねるのを適当とし、裁判所の司法審査の対象にはならない」と判示した。さらに、共産党袴 田事件22において、「市民法秩序と直接の関係」を有する問題であっても、「処分の当否は、
当該政党の自律的に定めた規範が公序良俗に反するなどの特段の事情のない限り右規範に 照らし、右規範を有しないときは条理に基づき、適正な手続きに則ってされたか否かによっ て決すべきであり、その審理は右の点に限られる」とし、「除名処分は、本来、政党の内部 規律の問題としてその自治的措置に委ねられるべきものであるから、その当否については、
適正な手続きを履践したか否かの観点から審理判断されなければならない」と判示した。こ れらの判決から、日本における裁判では、「部分社会の法理」の対象となる団体内部の紛争 については、「市民法秩序と直接の関係」を有しない限り司法審査の対象とならず、もし対 象となった場合でも審査も限定的なものとなると理解されている23。
この判決を特別権力間権論からの脱却という文脈から捉えなおしてみる。「市民法秩序」
との表現から、この判決は、学校教育法に基づく処分であっても個別・具体的な法の内容を 検討して「非権力関係」と捉えており、「非権力関係の現代的理解」の
1
つの方向性を示し たと解される。このような部分社会の法理に対しては批判もある。すなわち、司法審査の対象となるかど うか、また司法審査のあり方は、結社その他の団体の目的、性格、機能、紛争の性格ないし 深度等々に照らして、個別具体的に判断されるべきである24というのである。すなわち、組 織の性格や根拠に応じたきめ細やかな扱いができないとの批判がある25。
そこで、「人権の制限は、憲法で積極的に規定されているか、もしくは、少なくとも前提 とされている場合にかぎり可能である」という原則に鑑みて、人権の制限根拠は、憲法が「特 別の法律関係の存在とその自律性を憲法秩序内の構成要素として認めていること」に求め られなければならない、という憲法秩序構成要素説が唱えられた26。この学説は、権利の制 約を包括的な根拠から個別に憲法に求めることにより、人権の制約を最小限にとどめるこ とを目指した。しかし、この学説は、人権制限の抽象的な根拠を導くだけにとどまり、さら
21最三小判昭和52年3月15日民集31巻2号234頁。
22最三小判昭和63年12月20日判時1307号113頁。
23田近肇は、学説の多くがこの問題を司法権の限界ないしは外在的制約の問題と位置付け団体内部の紛争も法律上の争 訟となりうるが、団体の「自律権」を尊重する必要がある場合には司法審査に「制約」が課されると考えると整理する。
田近肇「団体内部紛争と司法権」曽我部真裕ほか編『憲法論点教室』(日本評論社、2012年)181,182頁参照。
24佐藤幸治『憲法(第3版)』(青林書院、1995年)303~306頁、芦部信喜(高橋和之補訂)『憲法(第6版)』(岩波書 店、2015年)345~46頁参照。
25松本和彦「特別な法律関係における人権保障」小山剛ほか編『論点探求 憲法(第2版)』(弘文堂、2013年)79、
82頁参照。渡辺康行は、富山大学事件最高裁判決を批判的に評価した後、「最高裁も『特段の事情』を考慮することな どにより、実際にはこうした個別的判断を行う方向にあるものと思われる」と述べる。渡辺康行『司法権の対象と限界
――富山大学事件最高裁判決を読み直す』法学教室357号(2010年)17,19頁参照。
26芦部信喜『憲法学Ⅱ』(有斐閣、1994年)259頁以下参照。
に具体的な比較衡量や審査基準の展開作業が必要となることから、途中までしか論じてい ないという意味で「中二階の段階」と評される27。したがって、権利制約の正当化という具 体的議論の段階で、当該関係の特質に踏み込んだ検討を行い、「一般の枠組みの中で処理し ようとすると『かえって一般理論が歪んでしまう』場合」には、「憲法秩序構成要素―必要 最小限度―違憲審査基準」という思考の流れを用意すべきと主張されている28。
以上のように、日本の判例及び学説は、ともに従来特別権力関係と称される諸法律関係に も法治主義を妥当させるべきであり、個別・具体的に法律の内容を検討して判断すべきとす る方向が目指されている。
次に、本稿の主題である学校における在学関係の個別・具体的な法律関係について、司法 審査及び憲法判断がどのように説明されてきたかを見る。
特別権力関係によって説明する見解によれば、国公立の学校は、「文化的・倫理的・奉仕 的性格が濃厚」であって対価を徴収しても企業的に経営されておらず、「一定の人的範囲」
に限定された一般市民社会からの閉鎖性の故に、一般の公役務と区別される。そして、その 利用関係は、営造物権力による一方的規制の対象であり、特別権力関係である29とされる。
以下、特別権力関係論を使用しない見解、すなわち個別・具体的に法律関係からその内容 を検討する見解を見る。
まず、在学関係において命令権及び懲戒権が教育上必要とされるが、これは国公立学校に 限らず私立学校にも妥当する。したがって、この命令権及び懲戒権によって国公立学校にお ける特別権力関係が当然に根拠付けられるのではない。国公立学校及び私立学校は、公教育 を実施する根拠として定められた教育基本法及び学校教育法の適用を受けるに過ぎない30。
では、懲戒権の行使は如何に根拠づけられるのか。校長及び教員は、教育上必要があると 認めるとき文部科学大臣の定めるところにより、児童、生徒及び学生に懲戒権の行使が認め られる(学校教育法第
11
条)。形式的にこの規定を根拠とするだけでなく、実質的に内容を 検討しなければならない。この規定は、懲戒権が「教育上の必要」を発動要件とし、「文部 科学大臣の定める」懲戒権行使の詳細な規定(学校教育法施行規則第26
条)に従うことを 求めている。すなわち、懲戒権の実質的根拠は、教育目的の達成である。さらに、教育の特 殊性から懲戒権の恣意的発動を制限することを規定していると解される31。さらにまた、学校教育関係内における児童、生徒及び学生の人権保障が第一節で述べたよ うに認められるとしても、いかなる根拠で学校の制約が憲法上許されるのであろうか。国公 立大学の在学関係を特別権力関係として捉える田中二郎は、基本的人権保障の精神をでき るだけ尊重すべきであるが、「特別権力関係設定の目的に照らし、合理的と認められる範囲 において、一般人には許されない制限を課することも必ずしも不可能ではないと考えるべ
27宍戸常寿『解釈論の応用と展開(第2版)』(日本評論社、2014年)86頁参照。
28宍戸・前掲注86~87頁参照。
29山田・前掲注(17)207頁参照。田中二郎も学校利用関係を特別権力関係であるとする。田中二郎『行政法総論』
(有斐閣、1957年)226頁参照。
30室井・前掲注(18)『特別権力関係論』400~02頁参照。
31前掲注参照。
きであろう32」と述べる。これに対し室井力は、「憲法、教育基本法および学校教育法などの 法令の精神に違反しないかぎりでの、教育上最小必要限度の制限は、教育そのものの内容と して、必ずしも法規の根拠が要求されるものではない。…すなわち、教育上必要な命令その ものに内包される自由の制限は、法令に違反しない限りにおいて、契約によって授権せられ ているものと解すべきであろう33」と述べる。この見解からすれば、憲法及び教育基本法等 の法令、さらに教育契約の内容を実現する目的の範囲内において、児童、生徒及び学生の人 権制約の根拠が認められる。そして、法令の定めのない範囲及び詳細な事項においては、学 校の私的自治に由来する広範な裁量権を認めていると思われる。
このように見てくると、特別権力関係論からの脱却として、部分社会論を提示した判例法 理は、公教育制度における学校の在学関係を市民社会法秩序と在学関係における附従契約 の内容の合理的解釈との整合性を図る方向を目指す枠組みを示したものと考えられる。そ して、生徒の人権が関わる場合市民法秩序に関わるが、その判断は教育関係法令の精神及び 教育目的との関係から裁量権の有無、その行使の正当性が個別に判断されなければならな い。学校内における信教の自由が問題となったエホバの証人剣道実習拒否事件判決34は、憲 法の人権条項を示さないで学校裁量を踰越・濫用の枠組みで判決した。
裁量権行使の正当性を個別に判断するべきだとしても、制約原理を明らかにしなければ アドホックな対応となってしまう恐れがある。そこで、学校における子どもの人権(自由)
の制約は、「他者加害禁止原理、パターナリズム原理、教育目的原理および公共施設原理」
により認められる、と内野正幸は主張する35。学校の生徒であるがゆえの権利の制約根拠は、
学校が心身の発達に応じた普通教育を施す場であり、心身とも未成熟な生徒が所定の時間 学校に留まることを義務づけられていることから、①本人及び他の生徒の普通教育の習得、
②他の生徒の消極的自由(たとえば、特定の思想にさらされることを「強制」されない自由)
の保護に求められることになる36。
第二節 アメリカの連邦最高裁判決
日本の判例では、学校の在学関係と市民社会法秩序との接点が重視された。アメリカでは、
学校の裁量の正当性をどのように司法が判断しているのであろうか。市民社会において重 視される表現の自由に焦点を当てる。なぜなら、本稿の問題関心を分析するには、生徒の表 現の自由に関する判決を取り上げることが最適であると考えるからである。
学内の生徒表現に対する規制に関する判決と、学外で発信されたものに関する判決とを
32さらに田中二郎は、具体例として国立大学の学生について、教育上の見地から寮生活を義務付けたり、大学の秩序を 維持する見地から一定の集会等の制限を課したりすることを挙げる。田中(二)・前掲注(29)227頁参照。
33 室井・前掲注(18)『特別関係論』400~02頁。
34最二小判平成8年3月8日民集50巻3号469頁。
35 内野正幸『表現・教育・宗教と人権 憲法研究叢書』(弘文堂、2010年)206、213頁参照
36米沢広一『子ども・家族・憲法』(有斐閣、1992年)252頁参照。さらに、米沢広一は、この2つに加えて「民主制を 担う市民の育成」も根拠たりうるのか議論があることを紹介する。米沢広一『憲法と教育一五講〔第3版〕』(北樹出版、
2011年)32~33頁参照。ティンカー事件判決において違憲審査基準を導き出す根拠も同様の根拠を示している。See Tinker, 393 U.S. at 512-13.
比較して分析する。まず、本章で学内の生徒表現に対する規制に関する判決を分析し、次章 以降学外から発信された生徒表現に対する規制に関する判決を分析する。学校内外を分け て分析するのは、本稿の冒頭で述べたように、生徒が使用する表現媒体にインターネットを 使用するものが増加しているからである。すなわち、そのインターネットを媒体とした表現 の特色として、どこからでもアクセス可能であることから、従来の学内の生徒表現に対する 学校裁量を統制する判例法理がそのまま通用するのか、新たな法理を見出す必要があるか を検証する必要があるからである。
本章の分析においては、生徒表現に対する学校当局の裁量権の行使に関して、連邦最高裁 がいかなる論理により、州の権限たる学校教育に司法判断を及ぼしうるとしたのか。さらに、
司法判断を行う際に、判断基準をどのような理由で選択しているかを分析する。この分析方 法による時、生徒の人権が学校内でも認められることが最初の分水嶺となる。そこで、生徒 の表現を制約する学校当局の決定に関して連邦最高裁が初めて生徒の人権享有主体性を認 めた上で、制約の合憲性を判断したとされるティンカー事件判決37を基準とする。そしてま ず、ティンカー事件判決以前の論理を概観する。その後、それ以降の判決に焦点をあててテ ィンカー事件判決との比較分析を行うこととする。すなわち、比較分析の対象は、ティンカ ー事件判決38、ピコ事件判決39、フレイザー事件判決40、ヘイゼルウッド事件判決41、モース 事件判決42(学校図書館の除籍が問題となったピコ事件判決を除き、学内生徒表現が問題と なった残りの
4
判決、以下「4判決」という。)である43。第一項 ティンカー事件判決以前の連邦最高裁の考え方
アメリカにおける州の教育権限に関する訴訟は、人種隔離政策に関する
1954
年のブラウ ン事件判決44を契機に訴訟件数が増加したのみならず、人種による隔離の撤廃をはじめ生徒 の表現の自由、義務就学と命令的教育課程編成、生徒の懲戒を含む教育行政など、あらゆる 分野に関して連邦裁判所に提起されるようになった。その結果、個人的権利が保障されると ともに、教育の場における政府の権限が明確にされてきた45。とはいえ、ロドリゲス事件判 決において連邦最高裁は、「教育政策上長年継続している困難な問題」がある状況では、紛
37Tinker, id. .
38Id. .
39Bd. of Educ. v. Pico, 457 U.S. 853 (1982).
40Bethel Sch. Dist. No. 403 v. Fraser, 478 U.S. 675 (1986).
41Hazelwood Sch. Dist. v. Kuhlmeier, 484 U.S. 260 (1988).この判決の略称については、多くある先行研究の中でヘイゼルウ ッド事件判決とクールマイヤー事件判決とが混在している。本稿は、日本の先行研究中で比較的多く使用されているヘ イゼルウッド事件判決を本文中では使用する。また、引用の略称ではBlue Bookのルールに従い、当事者のうち個人名 である’Kuhlmeier’を使用する。
42Morse v. Frederick, 551 U.S. 393 (2007).
43ティンカー事件判決に先行してバーネット事件判決(W. Va. State Bd. of Educ. v. Barnett, 319 U.S. 624 (1943))(生徒に国 旗敬礼を強要することが修正第1条に基づき許されないとされた事案)があるが、原理論が公共全体を視野に入れて展 開されていないこと、またこの問題に関して違憲審査基準を定式化していないことから、本稿の分析対象から除外する。
世取山洋介「アメリカ公立学校と市民的自由」『教育法学と子どもの人権』市川須美子ほか編(1998年・三省堂)125頁、
129頁参照。
44学校教育における人種隔離政策の撤廃に関する事案。See Brown v. Bd. of Educ. of Topeka,347 U.S. 483 (1954).
45マッカーシー・キャブロン=マカベ・前掲注(13)29頁参照。
争が立法及び行政の場で解決できる場合には、学校に関する紛争に裁判所は介入しない46と、
司法判断の限界について述べている。
修正第
1
条については、生徒に国旗敬礼を強要することが争われたバーネット事件判決 において、州に重要で繊細かつ高度な裁量が認められるものの、修正第14
条が州に適用さ れることによって、州の機関から憲法上の自由が保護されるとし、「明白かつ現在の危険」のテストによって審査された47。また、1人
1
票と刻まれたフリーダム・ボタンの着用で生 徒を懲戒したことが争われたバーンサイド事件判決では、教育公務員には校則を定める広 範な裁量が認められなければならず、裁判所はその権限及び行使が合理的に行使されてい るかを審査するのみであるとして、生徒のフリーダム・ボタンの着用が、「学校の運営を物 理的かつ実質的に侵害するか」の基準により審査された48。第二項 ティンカー事件判決49
1 ティンカー事件の概要
ティンカー兄妹等は、ベトナム戦争反対等の意思を表明するために黒い腕章を着用する こと等を両親と相談の上決めた。計画どおり黒い腕章を着用して登校したことが、学区校長 会の決定した方針に反し停学となった。ティンカー等は、学校職員及び学区の校長会のメン バーに懲戒の差止め命令及び名目的損害賠償を求めて訴訟を提起した。連邦地裁(以下「一 審」という。)は、学校当局が学校の規律の混乱を防止することは合理的であるとして、学 校の行為の合憲性を認めて訴えを棄却した50。控訴審は、同数で分れたため意見を付さずに 一審の判決を支持した51。控訴審で主張が認められなかったティンカー側は、連邦最高裁に 裁量上告し、申立てが認められた52。
法廷意見をフォータス裁判官が執筆(ウォーレン、ダグラス、ブレナン、スチュワート、
ホワイト、マーシャル裁判官同調)し、ブラック、ハーラン裁判官が反対意見を述べた53。
2 ティンカー事件判決法廷意見(フォータス裁判官執筆)
連邦最高裁は、以下のとおり判示し、控訴審の判決を破棄、差戻した。
まず、生徒は学校内でも「憲法の下で『人』」であるとし、生徒の人権享有主体性を認め
46 すべての州において、行政上の不服申立てにより救済が得られない場合に訴訟を提起できる制度となっているが、ロ ドリゲス事件判決は、永年争われてきた教育政策上の難しい紛争については、「特別な知識と経験を欠く」ことを理由に
「州及び地方レベルで熟慮された判断」に介入することを否定した。See San Antonio Indep. Sch. Dist. v. Rodriguez, 411 U.S.
1, 42 (1973). なお、マッカーシー・キャブロン=マカベ・前掲注28頁参照。
47See Barnett, 319 U.S. at 637. 蟻川恒正は、バーネット事件判決がティンカー事件判決における象徴的表現についての先
例となったと論じる。蟻川恒正『憲法的思惟』(創文社、1994年)31頁参照。
48See Burnside v. Byars, 363 F. 2d 744, 748 (1966).
49Tinker, 393 U.S. 503(1969) .
50Tinker v. Des Moines Indep. Cmty. Sch. Dist., 258 F.Supp.971 (1966).
51Tinker v. Des Moines Indep. Cmty. Sch. Dist., 383 F.2d 988 (1967).
52See Tinker v. Des Moines Indep. Cmty. Sch. Dist., 390 U.S. 942 (1968).
53Tinker, 393 U.S. at 503,505-14.
た54。さらに、学校環境の特性に照らして生徒に修正第
1
条の権利が保障される55のであっ て、生徒が表現の自由を「校門で放棄するとはとても論じ難い56」。他方、以前から、憲法の 基本的な人権保障の条項と矛盾しない範囲で、学校内の行為を指導及び管理するための包 括的な権限が州及び学校職員に必要であると認めてきた57。したがって、本件は「修正第1
条の権利を行使している生徒が、学校当局の規則と衝突する領域58」の中に争点があると、問題を位置付けた。そして州(この判決の訴訟当事者は教育委員会ではない)は、重要で、
繊細かつ高度な裁量を有するが、それは修正第
14
条によって人権を制約しない範囲内に限 定される(バーネット判決を引用)59。学校裁量に関するこれらの判例法理は、授業等予め設定された中で行われる討論に限定 されない。すなわち、学校が供用されることによる主な効用の
1
つは、学校内の活動におけ る生徒間の個人的な相互交流であり、それは教育課程の重要な部分でもある60。とはいえ、「物理的に授業を混乱させ若しくは実質的な無秩序を伴う又は他人の権利の侵害を伴う」
生徒の言論は、憲法によって保護されるわけではない61と、違憲判断基準(以下「ティンカ ー基準」と、前半を「実質的混乱のテスト」、後半を「他人の権利侵害のテスト」という。) を提示した。
結局、「実質的混乱又は学校活動への物理的な妨害を合理的に予見させる事実が学校当局 によって全く証明されず、そして学校キャンパス内で実際に妨害や無秩序は生じなかった」
ことから、州の職員が彼らの表現の形態を否定することは違憲である62、と結論付けた。
以上のように、ティンカー事件判決では、学校内においても表現の自由の享有主体性が生 徒に認められ、学校の裁量との調整を判断するために「ティンカー基準」が定立され、学校 内の生徒の政治的表現で懲戒することに違憲判断が下された。
第三項 ピコ事件判決63
次に、ティンカー事件判決後に出されたピコ事件判決を紹介する。この事件では、学校図 書館の蔵書の中から一定の内容に関する書籍を除籍することにより、教育委員会が生徒の 情報を受領する権利を侵害したか否かが争われた。
1 ピコ事件の概要
ニューヨーク州のアイランド・ツリーズ組合第
26
自由学区の教育委員会は、保守的な組
54Id. .
55Id., at 506.
56Id. .
57Id. at 507.
58Id. at 509.
59Id. at 507.
60Id. at 512-13.
61Id. at 513.
62Id. at 514.
63Pico, 457 U.S. 853 (1982).
織である
PONYU(ニューヨーク保護者連合)から好ましくない書籍のリストを入手し、それに
掲載されていた蔵書を高校及び中学校の学校図書館から除籍するよう非公式の命令を発し た。その後、教育委員会は、そのリストに挙げられた書籍を蔵書として収蔵しておくべきこ とについて「書籍審査委員会」に諮問し、最終報告を得た。ところが、教育委員会は、その 報告を事実上拒絶する決定をした。スティーブン・ピコ等学区内の中学、高校の生徒は、教 育委員会の社会的・政治的傾向に基づく行為によって修正第1
条の権利が侵害されたと主 張して、教育委員会の当該行為の違憲確認の判決並びに学校図書館から除籍した蔵書の復 旧及び学校の教育課程中での当該蔵書の使用禁止に対する仮及び本案的差止命令による救 済を求めて訴訟を提起した64。一審は、当該書籍の除去は修正第
1
条の権利について明確かつ直接的な侵害を構成しな いと判示して、教育委員会に勝訴の判決を下した65。これに対し、控訴審は、教育委員会の 委員が政治的な動機で当該蔵書を除籍したかどうか及びそれらの蔵書に含まれる思想を理 由として当該蔵書が除籍されたかどうか、という重要事実に関する争点が存在するとして、一審判決を破棄し、ピコ等の主張について審理するために事件を差し戻した66。しかし、ピ コ側が連邦最高裁に上告し、連邦最高裁は裁量上告を認めた67。
相対多数意見をブレナン裁判官が執筆(マーシャル、スティーヴンズ裁判官(下級審の判 旨を除くすべてに同調)、ブラックマン裁判官(司法審査に関する判旨部分を除くすべてに 同調))し、ブラックマン裁判官は一部同意意見を、ホワイト裁判官は結論のみに同意した 意見を、バーガ首席裁判官(パウエル、レーンクイスト及びオコナ裁判官同調)、パウエル、
レーンクイスト(バーガ首席裁判官、パウエル裁判官同調)、オコナ裁判官は反対意見を述 べた。
2 ピコ事件判決相対多数意見(ブレナン裁判官執筆)
最高裁は、以下のとおり判示し、控訴審の判決を維持した。
最高裁は、学校図書館の蔵書の除籍を、地方教育委員会の裁量に修正第
1
条が制限を課す かの問題ではないとし、裁量の濫用の問題に位置付けた68。地方教育委員会は、学校業務の 処理において広範な裁量を有する一方、生徒も「言論ないし表現の自由の憲法上の権利を校 門で放棄するとは論じ難い」。それゆえに、地方教育委員会は修正第1
条の制限の範囲内で 与えられた権限を逸脱しないようその裁量を行使しなければならない69。その裁量権の行使 に対する司法審査について、「基本的な憲法上の価値」がその紛争と「直接かつ明確に関係 する」のでなければ、「学校制度の日常の運営」の紛争に干渉すべきではないと、限界を示
64Id. at 856-59.
65Pico v. Bd. of Educ., 474 F. Supp. 387 (E.D.N.Y. 1979).
66Pico v. Bd. of Educ., 8F. 2d. 404 (2d Cir. 1980).
67Bd. of Educ. v. Pico, 454 U.S. 891 (1981). なお、連邦最高裁が、差戻し審の判断を待たずに裁量上告を認めた理由は触
れられていない。
68Pico, 457 U.S. at 861-63 (plurality opinion).
69Id. at 863-66 (plurality opinion).
した。しかし、学校図書館の蔵書の除去は、生徒の修正第
1
条の権利、すなわち、情報と思 想を受け取る権利に「直接かつ明確に関係する」ので、司法審査に服すべきであるとした70。最高裁は、この「情報と思想を受け取る権利」について次のように続けた。生徒にも情報 と思想を受け取る権利を享受することが認められるが、生徒に与えられる修正第
1
条の権 利は、常に学校環境の特性に照らして適用されなければならない。学校図書館は、「生徒が 常に自由に質問をし、勉強し、評価し、新たな成熟性と理解力を獲得できる状態にあらねば ならない」という自由が保障される主要な場所であり、その環境の特性により生徒の修正第1
条の権利が特に適切に保障される。最高裁は、裁量の及ぶ範囲について、教育委員会は共同体の価値を教え込む義務を強調し て絶対的な裁量を主張するが、教室という強制的な環境を超えて、学校図書館及びそこで最 も尊重される自発的な調べ学習の体制にまで及ぶとは主張しえない71、と述べた。
さらに、教育委員会は「学校図書館の内容を決定する相当の裁量を正当に有するが、その 裁量は党派的ないし政治的に偏狭な方法で行使されてはならないと、最高裁は裁量権の行 使について述べた。われわれの憲法は、公務員による思想の抑圧を許さない。それ故に、教 育委員会による学校図書館の蔵書の除籍によって、ピコ等の修正第
1
条の権利を侵害した か否かは、教育委員会の行為の背後にある動機付けにより判断する72(以下「動機の基準」という。)と、合憲性判断基準を示した。そして、最高裁は、一審の事実認定には、学校図 書館の蔵書の除籍は教育委員会の正当な憲法上の関心に基づいていたとあるが、ただ真に 重要な問題はなにも無かったと言わざるを得ない73、と結論を下した。
以上のように、ピコ事件判決では、学校当局の裁量権に対する司法権の及ぶ範囲について、
裁量権の行使は修正第
1
条の範囲内で行われなければならないが、司法判断は「基本的な憲 法上の価値」がその紛争と「直接かつ明確に関係する」のでなければ、「学校制度の日常の 運営」に係る学校当局の裁量を尊重すべきであるとされた。第四項 フレイザー事件判決74
次に、ピコ事件の
4
年後に判決が書かれたフレイザー事件を紹介する。フレイザー事件で は、公式の学校集会における演説を理由にした学校の懲戒の合憲性が争われた。1 フレイザー事件の概要
ベセル高校に在籍するフレイザーは、生徒会役員選挙のための学校主催の学校内集会で、
事前に教師から警告を受けていたにもかかわらず、仲間の応援演説において露骨で性的な 隠喩の言葉を使用した。そのため、彼は、ベセル高校懲戒規則における「猥褻、不敬な言葉
70Id. at 869-71 (plurality opinion).
71Id. at 866-69 (plurality opinion).
72Id. at 869-71 (plurality opinion).
73Id. at 875 (plurality opinion).
74Fraser, 478 U.S. 675 (1986).
及びしぐさの使用を含む、物理的かつ実質的に教育課程を妨害する行為を禁止する」規定違 反を理由に結果的に
2
日間の停学とされ、3
日目に復学を許された。フレイザーと彼の父親 は、修正第1
条の言論の自由の権利侵害を主張し、また差止命令による救済及び損害賠償を 求めて提訴した75。一審は、彼に勝訴の判決を下し76、控訴審は一審判決を維持した77。学区 側が上告し、連邦最高裁は裁量上告を承認した78。法廷意見をバーガ主席裁判官が執筆(ホワイト、パウエル、レーンクイスト及びオコナ裁 判官が同調)、ブレナン裁判官及びブラックマン裁判官は同意意見を述べた。マーシャル、
スティーヴンズ裁判官は反対意見を述べた。
2 フレイザー事件判決法廷意見(バーガ首席裁判官執筆)
最高裁は以下のように判示し、控訴審判決を破棄した。
最高裁は、公教育の目的について、「共和国の市民となるよう生徒を教育」することであ り、そこでは「幸福に繋がる価値自体として、また国家及びコミュニティの実践に不可欠な ものとして礼儀の態度及びマナーを教え込まねばならない79」。そして
T.L.O.事件判決を引
用して、公立学校において生徒の人権が保障される範囲について、自身の政治的意見を表明 する「憲法上の権利は、異なる設定(setting)においては大人の権利と自ずから同一の範囲 ではない」と述べた。さらに、最高裁は、学校当局の裁量の範囲について、学校を含む州が 一定の表現様式を不適切で制裁の対象とすると主張することを、憲法は禁止してはいない80。 また、授業又は学校集会においてはどのような態度が不適当かを決定することは、教育委員 会の責任である81、と述べた。結局、最高裁は、フレイザーが行ったような下品でわいせつな言葉やしぐさを使用した演 説を許すと学校の基本的な教育的使命の基礎を蝕むのでそれを規制する必要があると、学 校職員が判断することは、修正第
1
条に反しない82。したがって、内容とは別に下品でわい せつな言葉やしぐさを使用することが学校教育の「基本的価値」に反していると教えるため に、学校が生徒を懲戒することは正当である83と、結論を下した。以上のように、フレイザー事件判決では、生徒に保障される「憲法上の権利は、異なる設 定(setting)においては大人の権利と自ずから同一の範囲ではない」とし、さらに学校当局 の裁量の範囲について授業又は学校集会でどのような表現態様が適切かを決定し懲戒する ことが含まれ、それは修正第
1
条に反しないとされた。
75Id. at 677-79.
76Fraser v. Bethel Sch. Dist., 755 F.2d 1356 (1985).
77Bethel Sch. Dist. v. Fraser, 474 U.S. 814 (1985).
78Id. .
79Fraser, 478 U.S. at 682.
80Id. at 683.
81Id. .
82Id. .
83Id. at 685-86.
第五項 ヘイゼルウッド事件84
次に、フレイザー事件判決の
2
年後に出されたヘイゼルウッド事件判決を紹介する。この 事件では、学校における正規の教育活動中に作成した学校新聞(ブレナン裁判官は「生徒新 聞」と呼ぶ。)を校長が不適切と判断した記事を含む2
頁を編集の結果削除したことの合憲 性が争われた。1 ヘイゼルウッド事件の概要
ヘイゼルウッド学区のヘイゼルウッド・イースト高校ではジャーナリズムの授業の一環 で学校新聞を作成していた85。生徒が作成した新聞記事のうち同校の女生徒の妊娠体験及び 両親の離婚という子どもに衝撃を与える2つの記事を校長が不適切であると判断し、生徒 に無断でその記事が含まれるページを削除した86。その新聞の編集担当者であったクールマ イヤー等の生徒は、教職員の行為が修正第
1
条に基づく生徒の権利を侵害したと主張して、教職員及び学区に対して差止め命令及び損害賠償を求めて訴訟を提起した87。一審は、クー ルマイヤー等に敗訴の判決を下したが88、控訴審は一審を破棄した89。これに対して、学区 側が上告し、連邦最高裁は裁量上告を承認した90。
法廷意見をホワイト裁判官が執筆(レーンクイスト首席裁判官、スティーヴンズ、オコナ、
スカリア裁判官同調)し、ブレナン裁判官が反対意見(マーシャル、ブラックマン裁判官同 調)を述べた。
2 ヘイゼルウッド事件判決法廷意見(ホワイト裁判官執筆)
最高裁は、以下のとおり校長の行為は違法ではないと判示し、控訴審の判決を破棄した91。 最高裁は、学校当局の裁量の範囲について、政府が学校外で同様の言論を検閲できない場 合でも、ティンカー事件判決及びフレイザー事件判決の判例法理から、「基本的な教育的使 命に一致しない生徒の言論」に関して、授業又は学校集会での発言の仕方が不適当であるか 否かを決定することが学校当局に認められると述べた92。
さらに、ティンカー事件は、生徒の特定の表現に寛容であることを修正第
1
条が学校に求 めているかの問題であった。しかし、本件は、生徒の特定の表現を肯定的に促進すべきこと を修正第1
条が学校に求めているかの問題である。このように最高裁は、本件がティンカー 事件と事案が異なるとした93。その上で、違憲審査基準について、生徒の表現を普及するた
84Kuhlmeier, 484 U.S. 260 (1988).
85Id. at 262.
86Id. at 262-64.
87Id. at 262.
88Kuhlmeier v. Hazelwood Sch. Dist., 607 F. Supp. 1450 (E. D. Mo. 1985).
89Kuhlmeier v. Hazelwood Sch. Dist., 795 F. 2d. 1368 (8th Cir. 1968).
90Hazelwood Sch. Dist. v. Kuhlmeier, 479 U.S. 1053 (1987).
91Kuhlmeier, 484 U.S. at 276.
92法廷意見は、この事件を「編集」の問題ととらえている。Id. at 262, 266-67.
93Id. at 271.