徳育の本質 : 「プロタゴラス篇」を中心として
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(2) . 0巻 第1. 北海道学芸大学紀要 (第一部). 第2号. 徳 --. 育. の. 本. 昭和35年2月. 質. 「プ ロ タ ゴラ ス 篇」 を 中 心 と して - -. 福. 井. 守. 北海道学芸大学岩見沢分校教育学研究室. N[ amoru FUKt” : The Essence of N[oraI Education. las”- ing upon ”Protago - Center. ソ ク ラ テ ス が 無 智 の 自 覚 を 重 ん じ, 真 智 への 精 進 を 奨 め, ロ ゴ ス や ダイ モ ニ オ ソを 説 き, 智 行 合. 一, 徳即智, を主張し, 諸徳を論じたことは広く知られているが, これらの教説が何を意味し, 叉 相互に如何 なる関係に立つかに就いては, 古来から尽きざる論議 がかわされている. さらに, ソク ラテス研究資料であるプラトン対話篇が, いずれもこれらを問題にしながら, 表面上, 何ら終局の 解決を与えていない ことが, 我々を益々当惑に導いている. しかし, 表面上の未解決の底に, 恐ら くは故意に保留してある解決への暗示を求めることができるのではなかろぅか. プロタゴラス篇がプラー ・ンの対話篇中, その初期に属する最 も重要な著作であることは, 疑いを ) しかも 「徳の教育は可能か どうか」 という問題の提出に始まって 「徳とは何 いれないであろう.1 か」 とい う 問 題 に 行 き つ い た プ ロ タ ゴラ ス 篇 は, 初 期 の ソ ク ラ テ ス 的 小 対 話 篇 に お い て, あ ら ゆ る. 角度から取扱われてきた唯一の問題一徳の問題-が, ソク ラテス とプロタゴラスとの対 決 に お い て, 初めて顕わに取出されたという点で大きな意義をもっ と同時に, それにふさわ しい劇的背景と ) 事 実, 少 壮 の ソ ク ラ テ ス に よ っ て, ソ プ ィ ス テ ス の 巨 匠 プ ロ タ ゴラ ス に 挑 ま れ た を備 え て い る. 2. 議論の内容 こそ, やがて プラトンの思索を通じて, ギリシア教育史に決定的な影響を与えた, 徳の 問 題 への 道 を 開 い た の で あ る. か か る 点 か ら み る と, ソ ク ラ テ ス 的 対 話 篇 の 中 心 と も い う べ き プ ロ. タゴラス篇は, その後のプラトンの哲学的思索に対 して, 重要な序曲的意味をもっている. 徳育は本来 「公示された職業」 銃4γγ〆”α の下になされるべ きもの ではなく, まず 「私的な交 り」 のン oひび超 に基づかなければならず, より本質的には 「友愛」 ≠〆 何 の 中 に 生 ず る と い う プ ロ タゴラス篇の趣旨は, 決 してギリシアの昔に問題であったばかりでなく, 今 日に猶生きる問題点で あ ろ う. 我 々 は 今, プ ロ タ ゴ ラ ス 篇 そ の も の に つ い て 考 察 し, 徳 育 の 本 質 に 思 い を め ぐ ら した い. 1) W. Windelband: P1aton,7 Au日. . ,1923 .ung i 1 日. Raeder: P1atons Phi cke s Che Bntwi 。Soph . , 1905 losophi Fr e chte der Phi . ,1 . Ueberweg : Geschi ,1926 t 2) W. Windelband: op.ci . .38f . ,s. ) プ ロ タ ゴラ ス ヒ oジ のα少8諺αと1 「現 存者 で は 一 番 賢 い, 一 番 美 しく み え る」 ごみ びoのめでαてoジ メスス に 逢 っ た ソク ラ テ ス が, 友 人 に せ が ま れ て, 話 を す る と こ ろ か ら こ の 篇 は 始 ま っ てし・る. 夜 明 け 前, ア ポロ ドロ ス の 息 子, パ ソ ン の 弟 で あ る ヒ ポク ラ テ ス が, 杖 で 戸 を は げ し く た た き -358-.
(3) . 福 “≧知りγopα. 井. 守. ‘ 憎みはしないから, み にαヴ6ぴ能と (;“ と大声で叫び, 自分のものも友人のものも出 し. プロタ ゴラ ス に 是 非 教 え を 聞 き た い と 願 っ て い る.し・や,ま さ に そ の こ と で ソ ク ラ テ ス の と こ ろ へ 来. たのであった. しかし,その決心を聞いたソクラテスは,彼一流の問いの中に 「徳とは何のか」「徳は 教 えう る か」 「み ず か ら 何者 に な ろう と して プ ロ タ ゴラ スの 所 に 行 こ う と す る の か」 Aird( 熊 弱 め で女 γeレリヴ匁 ツo ぎ鍬“ 冗α歳 てdし 互pのてαγdpαし;. と い う 問 い で 問 題 を 展 開 し て いく。 ペイ ヂ. ア ス に つ い て 彫 刻 家, ネ メ ロ ス に つ い て は 詩 人 と す れ ば, プ ロ タ ゴラ ス に つ い て 何 に な ろ う と す る の か. しか し,ヒ ポク ラ テ ス はも とも と医 師 志 望 で あ り な が ら,プ ロ タ ゴラ ス に つ こ う とす るの は, ソ プ ィ ス テ ス に な る つ も り で な け れ ば な ら な い. し か し, ヘ ラ ス 人 の 中 に, 自 分 自 身 を ソ プ ィ ス テ ス として 持 ち 出 す こ と に 恥 辱 を 感 ず る の が あ た りま え で は な い の か. 彼 が プ ロ タ ゴラ ス に 学 ぼう と. するのは, その一つ一つを 「専門家になるつもりで学ぶの では な く」 odに 銃ご て敬 卿 数αヴ8( , ゐ( 6“”と o脚 だく 彰dgeンo 「むしろ素人の自由民が学ぶ べきものとして, 教養のために学んだのだ ) と, 専 門 的 教 育 と 一 般 的 教 育 と が」 ≧〆 7 rαと能毎, ゐ( て し ど6とめてガン にαど おし ≧おり命pw 冗〆飛と ,2 , をま ず 区 別 す る. し か も, 果 して 「今 しよ う と して い る こ と が わ か っ て い るの か. そ れ とも 気 が つ ‘; ル ザ 身の. ‐Too かないか. 何について」 0彰βα oBシ ザ ”欽定と( ン卸 汀p姻てe賜 り os スαしβ海三 ) と その自覚 が促がされ る 謎α;3 . , ヒ ポ ク ラ テ ス に 対 す る ソク ラ テ ス の 問 い は, 更 に, ソ プ ィ ス テ ス と は 何 か, びoのとびて衣 が そ の 名 を 意 味す る と お り, のめ -とびて女, す な わ ち 知 識 を 知 識 して い る 人 で あ る と して も, そ の よ う な こ と. は画家についても大工についても言えることであ る. 一 体, ソプィステスは何における知識なので あ ろう か。 何 に つ い て 語 る こ と に つ い て 敬 う べ きも の を 作 る るのカー …・ 。「そ れ で は ソ プ ィ ス テ ス が 自 身 でそ れ を 知 識 して い る者 で あ り, 叉 弟 子 を そ う さ せ るも の は何 であ る か」 て/ “ gdrw でのてo ) に 至 っ て ヒ ポク ラ 冗epず oB α6てd‘ て8 銃 “巧‘ ‘①レ 彰“ン 6 00の“で女 にαごて彰 ”αβ耀 か 冗o とげ;4 , テ スの 答 え る こ との で きな い決 定 的 な 疑 い と な る. プ シユ ケ ー. 麹巧. は, た し か に 智 に よ っ て 育 て ら れ る が, ソ プ ィ ス テ ス は, プ シ ュ ケ ト を 育 て. る商品の卸売人か小売人のように見える. しかし, 智を買う場合には, 食料品を買う場合よりもは るかに 大 き な 危険 が あ るの だ. 全 ヘ ラ ス に 「公 然 と 自 己 推 せ ん し, み ず か ら ソ プ ィ ス テ ス と 名 の り, 教 育 や 徳 の 教 師 と宣 言 し, そ れ の 報 酬 を 払 え と請 求」びoのとびでガン 象oンo厳命 α(ぴ6のて命, 汀多彩α J す るソプィス 冗αBedα6の( に〆 4企て秋 &滋びに畝oン tpのてo rodでoり ”とび秘し d章のびα〈 α御ひび夕α ‘ .5 ,7. テスが, 徳の教師であり, 善き人々を作るとすれば, 善き人々が作られるのは, 彼らによらなくて はならない. しかし, 彼らが商品の小売人に等しいとすれば, 果して徳がそのような人達によって 教えられるものであろうか. 問題は ”命α 6 ご飯にて6リガ dpeでる;” と い う プ ロ タ ゴラ ス 篇 の 中 核 へ と 展開 して いく の であ る. 1) Prot,309 c . id ’ 2) 化 . . , 312 b 3) i bid 。 . , 312 b id 4) i b . . , 312 e id b 5) i . . , 349 a. 2 ソ ク ラ テ ス とヒ ポク ラ テ ス と の 間 に, 以 上 の よ う な 問 答 の 後, い よ い よ プ ロ タ ゴラ ス の も と に 乗. り込むものである. 舞台 は当時, アテナイ第一の富豪であり, 社会的指導者でもあった力リアスの 邸 であ り, プ ロタ ゴラ ス を 中 心 と して, あ た か も オ ル プ ェ ィ ス の 声 に で も 引 き つ け ら れ た よ う に, 多く の ソ プ ィ ス テ ス が 右 に 左に, 上 手 に 秩 序 正 しく 開 き,ま た ぐ る ぐ る と廻 っ て は,何 時 も 見 事 に プ. ー359 -.
(4) . 徳. 育. の. 本. 質. ロ タ ゴラ スの 後 に 続 い て い た.「こ の ヒ ポク ラ テ ス は, あ な た に 師 事 し た い 欲 望 に か ら れ て い る が ,. 一 体, あなたに師事すれば, 彼はどういうふうになるのか, それが聞ければ幸です」 ‘ ヱ 冗冗oに〆て〆 ・8て と ん 転と肋ゑ毎 必ン て秋 噂< びwoひび危‘ ごo海 のて⑦ 4mβを8mと γ岬 ”能 で可 燃ンe , eαし のご びひし“ , 1 ) & 燐〆 一 と ラ に し う ス 分 に ば 鋤 第 間 対 る 程 善く な 自 師 事 す れ い ソク テ の す め m α ‘ っ ご お ( し 縄 . , て 家 に 帰 る こ と が で き る, と 以 下 プ ロ タ ゴラ ス の 弁 明 は ま こ と に 見 事 で あ る.. 建築の徳や他の技術的な億が問題になる場合には, 少数者のみが, その協議にあずかり, それ以 外の者の意見は述 べても受けいれられない. しかし,国家的な事を協議する場合には,す べての人が 受け入れられるのは当然である. それは何人も少くともその徳だけは具えて いるからである. しか も 万 人 が 具 え て い る そ の 徳 は, 生 れ な が ら に あ る も の で は なく, ひ と り に 生 ず るも の で も なく, む. しろ教えられ得るものであって, 従って, それが具わるならば, 本人の心掛けによ って具わるもの である. なぜなら, もし生れつきのものであるならば, 醜や不具や虚弱は, 誰しもそれをたしなめ よう とはしない. しかし, 不正, 不節制, 不敬度等が万人にたしなめられるのは, それらの徳は付 与 しう る と考 え て い る こ と を 示 す も の で あ る. 不 正 行 為 を こ ら し め る と い う こ と は, 徳 が与 え ら れ 得 るも の だ と 考 え て い る か ら で あ る.. 人々は, 小さい時から, 教えもするした しなめもする. そして素直に聞けばまだしも, そうでな い とおどしたり打ったりして直す. それから教師の許に送って いろいろなものを習わせ, 特にその 膜について依頼 し, その教育が一生涯続けられているのをみても, 徳が教えられるということは全 く疑うことが出来ない, むしろ教えられ得ないという方が, はるかにおかしいのではなかろぅ か . しかし, 何故, 立派な父達から不良息子がよく 生れるのであろう か. それは素質の如何によるの である. 誰の子でも, 笛吹く術にこの上もなくよい素質があれば, その人は有名になり, 誰の子で あろうと, 素質がなければ無名に終る. 叉, 皆それぞれ分相 応に徳の教師であるのにも拘わらず, 誰もそうであるように見えないのは, 自国語の教師をたずねても, 一 人もそれらしい人は見つから な い よ う なも の で あ る. しか し, た と え 僅 か に して も, 徳 に お し進 め る と い う こ と で 抜 ん で た者 が. あるならば, その人は尊敬されなければならないし, 自分自身, 実はその一 人であり, 他の人々と は比較にもならない程に人を助けて, 美しくもま た善くもしている. ・ 以 上 の プ ロ タ ゴラ ス の 弁 明 は, た し か に す ぐ れ た も の とい え よ う . 事 実 ソ ク ラ テ ス を して ”おめ. どメ メレ ”oめし ズメレoし 篇にメガメレoく ごてと冗〆‘ αうて6し き魚8冗oし め 印のしてα ても 命ご免〆ありd ) r にod eが’2 と歎ぜしめ, プロタゴラスが本当に話を止めたのに気がついて, 初めて, 我にかえ ったと告白せし める程であった. 教育は社会の存続の為には欠く べからざるものである・ 従って社会全 体が関与している. 社会の 構成員のす べて は徳の教師である, というプロタゴラスの弁明は, 教育に対する社会的な見解と, 教育の可能性に対する近代的な解釈に連がるものといえよう. 1) Prot . . ,318 a id 2) ib . . , 328 d. 3 プ ロ タ ゴラ ス と ソク ラ テ ス の 対決 は 「徳」 に つ い て 果 し な く 続 き, あ る 時 は い ら だ ち, あ る 時 は 怒 り, あ る 時 は 同 席 者 に な だ め ら れ, こ の 篇 の 終 局 に 近 づ い て い く. しか し, プ ロ タ ゴ ラ ス を し. て, 執念深いといわしめたソクラテスの質問のねらいは外でもない. 即ち, 徳に関することが一 体 どうであ り, それが一 体何であるかを考察したいからであった. それが明らかになった時こそ, こ の両者はそれぞれ激論を展開したその問題が明からにされるであろう. かかる点から, 他人の批難 一360「.
(5) . 福. 井. 守. としてあげられた次の女は充分吟味する必要がある.. ‘ ‘’ ′Aでo7 ≧レ ス”のン oてと oi βがαにてdン ro〆 γ’ 勃発, ゐ どのに ‘ pα“< re に〆 万やめでαγ傘α・ び0 ‘. 彰”ン 戊perガ ル てoに &切鈍 詔eン < ,し0ン びeαひての で砂 α“ 鰹 ぴ冗ed能と , 効ごzer回り dmae誓αと め< メ リ 量 げ 冗4してα ズPかこ幽4 彰て ガ とし 叡とび〆”“ 腐 M に m び の め α に α ン Poび口吻 にメ ガ dン鋤 *‘ り P , ,t ’ メ T鱗冗q みソ ”し3 i β魚‘” 没し 及ぶαにて ′ P 発Moて リ ガ 畳Per考 ご ル ガ 勿““ 卿 参 dpe坤, . メ メン γd の伽ep 互pのて町 中 餌 銃cロスeや” 尾γe とし ご飯にて6ジ ンリン 能 e/≠αレザヴerαと , び噂の‘ o永 劫 号し β ぎれとびて参り 旗oし ( , 〆 め 伽e能と ,ゐ ぎめにpαで〆,夕の忍 αoし 彰 朔と の &βαにであ おン ・ 五和のrの キ メ ’ の 茂みα町6し て禽e o7 6 d 6 リ お き ヴ 翁 匁 レ 畝 庁 ro ”8如く シ ro ン して ン oごにeし び冗e oした oひ 7 rdンてα g疑獄oし , “) ‐ 繊foBてのく 産し 影 のでα 8物 品 』にてぴし め仰ガンα‘ のでd 参 加び で彰ガン .1 ソク ラ テ ス は徳 は教 え ら れ 得 るも の で は な い と い い, プ ロ タ ゴラ ス は 教 え ら れ 得 るも の と 主 張 し た. しか し, ソク ラ テ ス は, 徳 は 教 え ら れ 得 るも の で は な い と い っ て お き な が ら 反 対 の 立 場 即 , ,. ち, 正義・思慮・勇気の諸徳や一切のことがらは知識である. もし徳 は知識であるとすれば プロ , タ ゴラ ス の 言 おう と し た よ う に 明 ら か に そ れ は 教え う るも の で あ ろ う 一 方 プ ロ タ ゴ ラ ス の 方 で , .. は, 前には教えられ得るものであると前提して おきながら, 今度は反対に, それが知識でさえなけ れば何であってもよいとすれば, それが教えられ得るということはとてもおぼつかない . ソ ク ラ テス に と っ て 根 本 問 題 は, プ シ ュ ケ ー が で き る だ け 善く な る よ う に 世 話 を す る こ と で あ る. が, 彼において は, プ シュ ケーはロ ゴスであり理性である. しかも理性に固有の機能 は知識である か ら, プ シ ュ ケ ーの 世 話 は ま た ≠”odoの危 と して の 哲 学 に 外 な ら な い 一 方 「自 分 自 身 の 世 話 を . す る こ と」 銃 撃eスeおβαと の mo は 「プ シ ュ ケ ← の 世 話 を す る」 で水 少リズガ( 命 竿 e 雌 雄 ことであ り, そ れ は同 時 に 「徳 の 世 話 を す る」 dp eで秋 き〃‘嫌え”. 館 こ と で あ る. かく して, ソク ラ テ ス に. おいては, 徳を実現することは知を実現することであり, 逆に知を実現することは徳を実現するこ と と考 え う る で あ ろ う.. 「知恵 と知識があらゆる人間的事がらの中で, 一番力強いこ とを 主張しないことは恥ず べきこと ) と い う こ とは 当 然 「徳 は 一 つ であ る」 と い う 命 題 に 連 な っ て く る し 3 であ る」 2 , , ) 「徳 は知 識 で. あるとするならば, 「徳は教えられ得る」 という命題が導き出される 4 .) ソク ラ テ ス の 徳 の 吟 味 が 常 に 未 解 決 の ま ま で 終 る と い う の は よく 知 ら れ て い る 事 実 で あ る プ , ‘ ロ タ ゴ ラ ス 篇 に 限 らず メ ノ ン 篇 に お い て も「徳 は 教 え ら れ う る か」 と い う 問 題 か ら 出 発 して「も し知. 識ならば教えうるであろう」 という仮定の上に立って, この仮定の真理性はさしあたり問題にせず --徳は知識であるという仮定それ自体の吟味は, いつも満足な結論に到達していないが-- 「徳 は知 であ る」 と い う こ とを ロ ゴス の 上 で 彰 でoに 届γoK 証 明 し しか も 「徳 の 教 師 は い な い」 と , い う 事 実 の 上 で とし てo女 彰γoK 証 明 す る こ と に よ っ て, 「徳 は知 であ る」と い う こ とに 疑 問 を も た せ て い る. こ の こ とを 我 々 は 如 何 に解 釈 す べ き な の であ ろ う か . 1) Prot . , ,361 a-c id,352 d 2) ib . i 3) i b d . . 茸. ,329 b ,349b~360e id 4) i b , . ,361 b. 4 徳 αparう は dγのdく の 最 上 級 鋤と びで〆 に由来し, ある事物がこれに固 有なる機能を, よく果た ) 眼に とっては見ること 大工にとっては家を建てることが固有の機能で す卓越さのことである.1 , あ り, そ れを よ く 果 た す こ とに よ っ て, よ き 眼, よ き大 工 と い わ れ る そ の よ さ が 即 ち ア レテ ー に . 外 な らな い の であ る. し か も 真 に 人 間 の 名 に 値 す る も の は, ロ ゴ ス と し て の プ シ ュ ケ ー で あ り 且 ,. -361 一.
(6) . 徳. 育. の. 本. 質. つロ ゴスに固有の機能は知恵であるから, 実在と善悪について客観的知 識を得るに努めるという 意 味での て〆 ≠リズガ( 銃 撃明eおβαと は、 お の ず か ら ま た dper秋 荻 粥e艇おり似 に 外 な ら な い の で あ る. プ シ ュ ケー 固 有 の 性 質 は, 「知 る」 働 き に お い て 認 め ら れ る. した が っ て, プ シ ュ ケー の 卓. 越性というのは, その 「知る」 働きにおける卓越性でなければならない. これが本来の 意 味 で の d企てり で秋 妙 が( で あ る。 故 に 人 間 固 有 の 徳 は, プ シ ュ ケ← の 徳 であ る と い う こ と が で き よ う.. それは, 人間の人間的関係における知的な卓越性, 人間の徳で あ り, 一 般 に びoの忽, 御命ガα‘ , 4ガ 鱗毎, ぴののpod侮り , あと虎 〆 な ど と い う 徳 目 と して 表 現 さ れ て く る. , 最 醐‘odロンガ. かかる点から, 人間固有の プ シュケーの徳に二つの意義が存在する といえる. すなわち, プ シュ ケ ←固 有 の 徳 と, 人 間 的 な 徳 と の 区 別 で あ る. 善 が 善 であ る た め に は, ooの危 叉 は めpありα( , によ っ て 支 配 さ れ て い なく て は な ら な い. そ の 意 で びoの危, 卿 侮りα〈 は てみ β身とびrw ゐαタ命 であ り, 他 の 徳 目に 比 して, 最 も 優 先 的 に プ シ ュ ケ ー の 徳 で な け れ ば な ら な い の で あ る. ソク ラ テ ス は こ の 両 者 を プ シ ュ ケ ー 固 有 の 「知 る」 働 き を も っ て, 一 貫 し て 理 解 しよ う と した の であ る。. ソクラテスにおける修徳の第一歩たる無智の自覚とは, 自分の知っていない事をば知っていると ) そ して こ の 知 ら な い と 自 覚 す る こ と は 反 面 に お い て そ れ を 知 り 思 っ て も い な い こ と で あ る. 2 , ,. たい と希うことであり, その限りにおいては積極的要素をもち, 働きに即した意味をもっている. 更に無智より智に進むことは, 個別的・皮相的な智より, 根本的・一般的な智に進む ことであ る. 6 ”αジ触りe とし と呼 ん だ. し か も こ ソ ク ラ テ ス は こ の よ う な 過 程 を 湧きα か ら 銃 のてう〃“ に進む で ) 人間 の 生き方 一 道 の智は人力を超えた智ではなく 「人間的な智」 ガ4し命の冠しリ ヴo桝α で あ り, 3 )即ち, そこでは人間活動の 個々の領域の内容に関す る智ではなく, 徳生活一に関する智である.4 一個の根本的なる徳--善価値一一に統一する智である. 善の智 とは, 善において ≧冗 γびてα”αと すなわち, 善を把握して執心することである. したがって, 知識の二義性, 一つは 冗印毎 から 詞p o( への憧れとしての, エロス的な働き との. 深い関連における, 人間の本来的な知識であり, 他の一 つは, 人間活動の個々の領域の智---例え を 医術・戦術・建築術等--断片的な智である. ソ ク ラ テス の 面 目 を 想 う 人 々 が, 何 よ りも 強 く 受 け る 印 象 は, 彼 の 「人 間 愛」 ≠‘超し鋤のだ危. である. 彼が天賦の性格 と天職の自覚とによって, 教育の熱意に燃えて い な が ら, 自ら 「教師」 ) よく 知 ら れ て い る が, こ こ で 「教 え る」 と は, 自 己 の 智 を 6がαぴに畝 寅 を極 力 否 認 した こ と は, 5. 他人に注入することであり, 教師とは言う迄もなく ソプィ ステスヘの楓刺であって, この意味での 教師ではなかったのである. 「交際の進むにつれて, 神の許した人々は驚くばかり進歩して……」 6 ) に 示 さ れ るよ う に, 師 弟 が 共 に あ る こ と・ 共 に 智 を 愛 す る こ と, 即 ち びりンo脚 毎, びひ”≠dodoのメレ. とが, 実はソクラテスの教育 生活の本質的特長であったのである. 知 識 に 二 義 性 が あ る と 同 様 に, こ こ でも 「教 え る」 &64dにew に ま た 二 義 性 を 見 出 す こ とが で き る. 一 つ は本 来 的 な 知 識 に 対 応 す るも の で あ り, プ ロ タ ゴ ラ ス 篇 の ソ クラ テ ス が 指 摘 し て い る よう な意 味 での 7 rαお〆” で あ り, 一 つ は ソ プ ィ ス テ ス の 考 え る, 単 に 与 え る と い う 意 味 で の ガ βおαきK で あ る. i t 1) Pol s . , , . , B・ N・ ,1097 b , Ar ,253 2) Apol ogi a . . 23b 3) ibid. . ,20 c 4) Lach . . ,187e logi 5) Apo a .33 a . rheae 6) ′ t . . ,150 d. -362T.
(7) . 福. 井. 守. 5. 「徳が知識ならば教えうるであろう」 ことも, 今迄の考察によって, この二義性を基にして 二 , 系列の意味において成立する. 即ち, o 「知る」 働きにおいて認められる魂の卓越性 (徳) →エロス的な働きとの深い関連における人間の本来的. な (知識) →師弟が共にあり友愛を基にする (教える) o 社会的な個々の徳目 (徳) →人間活動の個々の領域の (知識) →与えるという意味の教授 (教える). である. 徳や知識や教育に関するこうした二義性は, ソクラテス時代においても気付か れ て い た こ と で あ り, こ と に 当 時の ソ プ ィ ス テ ス は か か る 二 義 性 を 利 用 して 誼 弁 を ろ う し ソク ラ テ ス の ,. &α庵町と巧 にも, それを利用したところさえうかがえる. しかし 「徳が知識ならば教えうるであ ろ う」 と いう 仮 定 は, そ れ ぞ れ の 系 列 に 関 して の み は, た しか に 成 立 しう る も の で あ ろ う .. 無智と智との関係は, 矛盾せる ドクサと統一ある真智との関係である. この場合、 統一 ある真智 とは第一系列に属する道徳的な知識であり, しかも道徳こそはその本質上, 個々の生活領域の対立 を止揚する所に成立する。 即ち, 人間の追求する各種の価値領域が, 矛盾した事態で現われ対立す る時, それらを善価値によって, 即ち, その人の人格の全的最高価値の発揮の為に止揚するのが道 徳の本質である. かかる道徳がもし教えうるとすれば, それは唯一っの方法, 即ち 師弟が 「共に , ある こ と」 さ ら に 「共 に 智 を 愛 す る こ と」 以 外 に は な い そ こ に は 相 手 に 対 し常 に 大 胆 に 自 分 。 , , の よい と 思わ れ る ま. )それは決して断片的な知識と に, 自由に語り合うということがなされる.1. して は与 え う るも の で は な い. 「徳 と は 何 で あ る か」と い う ソク ラ テ ス の 問 い で始 ま っ た プ ロ タ ゴラ ス 篇 は 〃” , と鍍金 の 問 題 を 超. えて, 新しい哲学的展開をみせている。 しかしその真の解決の為には, プロタゴラス篇を越えて, プラ ト ン の そ の 後の 著作 及 び ア リ ス ト テ レス に つ な が る 問 題 で あ る しか し我 々 は こ こ に 「徳 が 知 .. 識ならば教えうるであろう」 という言葉の二義 性を通して, 教師の対照的な類型を見出すことが で ) と 自 ら 教 師 た る こ と を 否 認 した ソク ラ テ き る. 「自 分 ほ か っ て 何 人 の 教 師 と な っ た こ と も な い」 2 ス を, ヒ ポク ラ テ ス も 教 師 と は 考 え て は い な い。 しか し, ヒ ポク ラ テ ス は 勿 論 の こ と, 事 実 多 く の 子 弟の 秀 れ た 教 師 で あ り, プ ラ ト ンの 作 品 中 「エ ウ テ ュ プ ロ ソ」 「ソク ラ テ ス の 弁 明」 「ク リ ト ソ」. 及び 「プアイ ドン」 の所謂 だす p期oγ毎 には, ソクラテスの人格, 特にその教育者的人格を随所に 見 出 す こ と が で きる の で あ る. 単 に 個 々の徳 目を 教 え る こ と が, 汀αと能 ” で あ る と す れ ば, ソ プ ィ ス テ ス が そ う で あ っ た よ う. に, その徳 目の知識と解説において 「教師」 という職業 は成り立つであろう. しかし徳を考えせし め, 徳 を 自 ら の も の と す る こ と が 冗αと能金. で あ る な ら ば, ソク ラ テ ス が そ う で あ っ た よ う に, そ. れはエロスを基に師弟共にあり, 共に愛知する所になくてはならない. 1) Lach . . ,178 b i 2) Aplog a ,33 a .. -363一.
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