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上海外国语大学硕士学位论文 大江文学に見る 障害への受容 個人的な体験 から 静かな生活 に至って 姓 名 : 宋高远 学号 : 指导教师 : 徐旻副教授 专 业 : 日语语言文学 研究方向 : 日本文学

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Academic year: 2021

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上海外国语大学硕士学位论文

大江文学に見る「障害への受容」

――『個人的な体験』から『静かな生活』に至って

姓 名:宋高远

学 号:0103100415

指导教师:徐旻 副教授

专 业:日语语言文学

研究方向:日本文学

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謝 辞

本研究を遂行し、修士論文にまとめるにあたって、実に多くの方々にお世話になりま した。特に、指導教官の徐旻教授はテーマの選定から資料の提供まで、中間報告から論文 に仕上げるまでの全過程において、数々の有益なご助言を賜り、熱心にご指導くださりま した。この場を借りて、徐先生に心より厚くお礼を申し上げます。 論文の作成にあたり、貴重なご意見とご助言を賜った譚晶華先生、曾峻梅先生、高潔先 生、陸晩霞先生に心より感謝いたします。 最後に、今まで一緒に頑張ってきた上海外国語大学大学院日本語言語文学専攻の同級生 の皆さん、また、本論文の作成中、支えてくれた新愛たる家族に心より感謝いたします。

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摘 要

本文以日本作家大江健三郎的作品《个人的体验》、《新人啊觉醒吧》和《静静的生活》 为中心,重点考察了这三部作品所体现出的“对残疾的接受”。三部作品都以“与残疾儿的共 生”为主题,分别于 1964 年、1983 年和 1990 年出版发行。作品内容分别对应残疾儿的幼年 期、青春期和成年期。所以可以说,如果把这三部作品作为一个系列来看,三部作品是相互 关联的,并且可以组成一个完整的过程。 在创作以“与残疾儿的共生”为主题的作品时,大江受到了康复学中“阶段理论”的极大影 响。他以“阶段理论”为基础,认为可以把人的“恢复”划分为“遭受挫折阶段”、“否认阶段”、 “混乱阶段”、“努力阶段”、“接受阶段”五个阶段。本文在分析三部作品内容和主题的基础 上,分别将其对应“恢复”的各个阶段,从而进一步讨论作品中“对残疾的容纳”的整个过 程。 1963 年,大江健三郎患有残疾的长子诞生,小说《个人的体验》正是以此为背景创作 的。作品的主人公在得知自己的孩子天生残疾后,企图逃避现实和责任,最后终于下定决心 做一位合格的父亲。这部作品中促使主人公发生心理变化的原因并非来自主人公自身,而是 源于他人的影响和刺激。同时,这部小说着重描写的是主人公受到严重打击后的否认心态和 逃避的行为。 在接下来的作品《新人啊觉醒吧》中,处在青春期的残疾儿和他的家庭面临着新的危机 和挑战。但这部小说没有仅停留在描写面对危机时的无措和慌乱,更是把描写的重点放在了 父亲以及残疾儿是怎样直面危机、勇敢与之抗争的。同时,残疾儿在作品中的地位也发生了 转变,渐渐成长为能给家庭成员带来精神支持的存在。所以可以说,这部小说着重描写的是 面临危机时的“慌乱”,同时还有“努力”。 《静静的生活》则着眼于“家庭成员整体的恢复和痊愈”。不仅仅描写了父与子的共生, 更多的,把角度放到了兄妹之间的共生。作品中,残疾儿已经逐渐成长为整个家庭的“拯救 者”,作品最后描写的“父亲的归来”实际则象征了“家庭成员整体恢复的实现”。像这样, 从《个人的体验》出发,在这个过程中家庭成员互相支撑度过慌乱和各种危机,一步一步最 终实现了“对残疾的接受”,也可以说达到了他们所向往的理想生活状态——“静静的生活”。 如上所述,“对于残疾的接受”的整个过程通过三部作品情节的发展渐渐展开。从“残 疾儿的地位”这个角度来看,残疾儿从最初附属品一样的存在,成长为家庭的精神支撑,最 后成长为家庭的拯救者。从“共生空间的构成”的角度来看,最开始作品中的共生空间只包

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含父与子,到《静静的生活》中整个家族所构成的共生空间,可以看到很大的飞跃。另外, 从“被救赎的对象”来看,从救赎一个婴儿,到整个家庭的“恢复”和被救赎,同样是一个 飞跃的过程。像这样,从《个人的体验》到《静静的生活》,“对于残疾的接受”的过程在多 个方面表现出来。 这三部作品分别对应了大江健三郎的各个人生阶段,同时也与大江一家对长子残疾的接 受的整个过程相对应。大江健三郎通过文学作品创作,思考人性,思考社会,探索与残疾儿 共生的道路,与此同时也实现着自己的文学理想。 关键词:阶段理论 对残疾的容纳 恢复 拯救

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要 旨

本論文は大江健三郎の『個人的な体験』、『新しい人よ眼ざめよ』、『静かな生活』といっ た作品を中心に、三作に見られる「障害への受容」について考察した。この三つの作品の テーマは同じく「障害児との共生」であり、1964 年、1983 年、1990 年という時間順に完 成された。それぞれ障害児の幼少期・思春期・成人期のことについて書かれている。つま り、この三作を一連の作品として見ると、一つの「プロセス」が見られる。 大江は「障害児との共生」をテーマにする作品の創作にあたって、リハビリテーション 学の「段階理論」から大きな影響をうけている。作家はこの「段階理論」を踏まえ、人間 の「恢復」の五段階を「ショック期」「否認期」「混乱期」「解決への努力期」と「受容期」 に分けた。本論文は三作の内容やテーマを分析し、「五段階」に対応しながら、中に見ら れる「障害への受容」のプロセスにつて論じた。 『個人的な体験』は大江の障害をもつ長男の誕生を背景にした作品で、若い青年が障害 児の誕生というショックから逃避を繰り返し、最後父親としてきちんと生きていくことを 決心した物語である。主人公の「恢復」をさせる手段や作品の中の「赤ん坊のイメージ」 について分析し、主人公の心理的変化が起こった原因は他人からの刺激にあり、小説の力 点は「ショック」と「否認」に力点をおいている。 『新しい人よ眼ざめよ』においては、思春期を迎える障害児とその家族が新しい危機や こころの混乱に面している。この小説は危機と混乱だけではなく、父親、そして障害児が いかにこういった危機に立ち向かい、戦い、努力することにも力点をおいている。また、 障害児のポジションも変わり、家族に癒しをもたらした精神的に成長した存在にもなった。 つまり、この小説は「混乱」や「努力」を描いている。 『静かな生活』は「家族全体の恢復・癒し」に目を向けている。父と子の共生だけでは なく、兄弟の共生にも目を向けている。そして、障害児はすでに家族の「救済者」に成長 し、最後「父親の復帰」は「家族全員の恢復」を象徴してる。このように、『個人的な体 験』の「ショック」と「否認」から出発し、この過程の中に混乱と危機を家族全員で努力 し、一つ一つ乗り越え、最終的に「障害への受容」が実現でき、静かな生活に至ることが できたのである。

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このように、「障害への受容」のプロセスは展開してきた。「障害児のポジション」とい う面から見ると、障害児は最初の付随的な存在から癒し的な存在、最後救済者まで成長し た。「障害児との共生空間の構成」という面においては、最初の父親と息子だけの共生空 間にほかの家族のメンバーも加えられ、『静かな生活」では家族全員の共生を描いている。 また、「救済される対象」に関しては、ひとりの赤ん坊を救うことから、最後家族全員の 「恢復」も実現できた。さまざまな面において「障害への受容」のプロセスが明確になっ ていく。 この三作は作家大江健三郎の人生の各段階に対応し、また大江一家が息子の障害への受 容のプロセスにも対応することができる。大江健三郎はこのように作品を通して、障害を 持つ息子との共生の道を模索し、自分の文学の目標を実現していくのである。 キーワード:段階理論 障害への受容 恢復 救済

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目 次

謝 辞... 1  摘 要... 2  要 旨... 4  1 はじめに ... 1  1.1 本稿の背景と研究対象 ... 1  1.1.1 本稿の背景について ... 1  1.1.2 本稿の研究対象について ... 1  1.2 先行研究 ... 2  1.2.1 『個人的な体験』について ... 2  1.2.2 『新しい人よ眼ざめよ』について ... 3  1.2.3 『静かな生活』について ... 4  1.3 本稿の研究動機と目的 ... 4  1.3.1 本稿の研究動機 ... 4  1.3.2 本稿の目的 ... 5  2 実体験に基づく文学 ... 7  2.1「障害の受容」への五段階 ... 7  2.2 「恢復・癒し」の文学 ... 10  2.2.1 自分・家族の「恢復」を実現 ... 10  2.2.2 社会・人類全体の「恢復」を目指す ... 10  3 ショックと否認――『個人的な体験』 ... 12  3.1 「恢復」を実現させる手段 ... 12  3.2 障害児のイメージ ... 14  3.3 ショックと否認からの出発 ... 17  4 混乱と努力――『新しい人よ眼ざめよ』 ... 19  4.1 「危機的な転換期」 ... 19  4.2 「癒し」的存在としてのイーヨー ... 22  4.3 「混乱」から「努力」へ ... 24  5 受容の実現――『静かな生活』 ... 26  5.1 救済者としてのイーヨー ... 26  5.2 父親の復帰 ... 29  5.3 恢復する家族 ... 31  6 おわりに ... 34  参考文献... 36 

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1 はじめに

1.1 本稿の背景と研究対象

1.1.1 本稿の背景について 大江健三郎は日本文学史上2 人目のノーベル文学賞受賞者である。主な作品に『芽むしり仔 撃ち』『個人的な体験』『万延元年のフットボール』『洪水はわが魂に及び』『同時代ゲーム』『新 しい人よ眼ざめよ』などが挙げられる。 彼は豊富な外国文学の読書経験から独特の散文詩的な文体を獲得し、核や国家主義などの人 類的な問題と、故郷である四国の森や、特に知的障害者である息子(長男で作曲家の大江光) との交流といった自身の「個人的な体験」を作品に織り込み、独特な世界観を作り上げた。多 数の作品の中で、作家が成功に展開させた「救済」のテーマは大江文学を代表するものといえ るだろう。そういう意味で、1964 年に出版された『個人的な体験』、1983 年に出版された『新 しい人よ、眼ざめよ』や1990 年の『静かな生活』といった三つの作品が重要な地位を占めて いるように思われる。 大江健三郎の文学創作がさまざまな理論から影響をうけているが、その中に「障害者との共 生」をテーマにした小説は特に、リハビリテーション学の「段階理論」から影響をうけている。 大江はリハビリテーションの「段階理論」を引用し、障害者とその家族がいかに「受容」の段 階まで歩んでいくのかについて理解を深めていくだけではなく、数々の文学創作にもこの「段 階理論」を実践してきた。 本稿の研究対象となる『個人的な体験』『新しい人よ眼ざめよ』『静かな生活』といった三つ の作品には、「障害への受容」の「各段階」やプロセスが見えるのである。筆者はリハビリテ ーションの「段階理論」と対照しながら、大江健三郎の文学創作思想を分析し、この三つの作 品に見られる「傷害の受容へのプロセス」を論じていきたい。 1.1.2 本稿の研究対象について 本稿は『個人的体験』、『新しい人よ眼ざめよ』と『静かな生活』といった三つの作品を中心 に論じたい。この三つの作品はそれぞれ1964 年、1983 年、1990 年という順に出版された。作 品のテーマが同じく障害児との共同生活であるが、具体的な内容は障害児の成長の各段階に対 応している。そして、その内容は大江の自分の障害を持つ息子との共同生活の経験とは切り離

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せない関係を持っているのである。 1963 年、大江の長男光が障害を持って生まれた。それとほぼ同じ時期の作品『個人的な体験』 は作家の実体験をもとに、長男の誕生後間もなく書いた作品である。主人公は脳瘤とおそらく それによる脳障害をもつと思われる長男が産まれることにより、出生後数週の間に激しい葛藤 をし、逃避、医師を介しての間接的殺害の決意、そして受容という経過をごく短いあいだに経 る姿を描く作品である。 1983 年に出版された作品『新しい人よ眼ざめよ』は短編連作集であり、語り手の「僕」は、 イギリスの詩人ウィリアム・ブレイクの作品を通して、障害児との交流、家族生活や人生を解 釈し、さらに人間存在のあり方そのものに何らかの定義を与えようと試みている作品である。 1990 年に出版された『静かな生活』という連作小説も「知的障害者」との共生をテーマとし た作品である。作品は長女のマーちゃんを語り手として、彼女の「家庭としての日記」を通し て、両親がカリフォニアに行っている間に、留守になった妹と知的障害をもつ兄との波乱に富 んだ日常生活を描いている。『静かな生活』以降、大江の作品では、「障害との共生」を主眼と した作品があまり見られなくなった。 この三つの作品のテーマは同じく「障害への受容・障害児との共生」でありながら、それぞ れ力点が違っている。中に「障害への受容のプロセス」が見える。本論文は「障害への受容」 を中心に、この三作に見られる「障害への受容」について論じ、またこのプロセスを通じてど のようなテーマを読み取れるかについて探ってみたい。

1.2 先行研究

中国では、作家としての大江健三郎の名前が日本文学研究の分野でよく提起されるようにな ったのは彼のノーベル賞の受賞以降のことである。この三作に関しては、『個人的な体験』を 対象とする研究があきらかに多いが、『新しい人よ眼ざめよ』や『静かな生活』に関する研究 は比較的に少ない。 1.2.1 『個人的な体験』について 大江文学の転換期をもたらしたこの一作に関して、日本ではさまざまな研究が行われ、自己 救済の諸相についていろいろな評価があった。中国では「実存主義」などの角度から作品を分 析する文献がよく見られる。 『個人的な体験』は鳥という青年が「正統的」な生き方を見出すまでの物語として見られる。

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しかし、鳥がこの「正統的」な生き方を選ぶという結末は発表された当初から批判されていた。 亀井勝一郎は最終章における鳥の変心を「実に安易」であると見なし、「宗教的あるいは道徳 的怠慢ぶりが露出している」と厳しい批判を与えていた1。三島由紀夫は「『性的な人間』のあ の真実なラストに比べて、見劣りがする」と指摘した2。 他には『個人的体験』と正反対の設定を持っている『空の怪物アグイー』との対照研究も少 なくない。宮井一郎は『個人的体験』を「陽画」、『空の怪物アグイー』を「陰画」を呼び、大 江における「明暗」を指摘した3。平野謙は「全く作柄の違う表裏一体の作品として、『個人的 な体験』と『空の怪物アグイー』を書きあげて、「著者の作家的成熟をみるものである」と大 江の成長を褒めた4。 周知にように、大江健三郎はサルトルやカミュの実存主義に深く影響された作家である。 中国国内の研究は主にこの角度から分析されている。劉立善は『個人的体験』は個人の存在意 識をうまく表現して、ヒューマニズムである実存主義をはっきり表した作品だと作品の思想特 徴をまとめた5。霍士富は両作品を対照し、同じ障害をもって生まれてきた子供に対して、前者 は現実と向き合い、責任を取るのに対して、後者は現実逃避したあげく、良心の地獄に陥った 始末になってしまうのであるゆえ、前者の主人公は実存主義者であり、後者の主人公は否定さ れるべき非実存主義者であることを指摘した6 1.2.2 『新しい人よ眼ざめよ』について 本田和子は小説の中の父親と障害を持っている息子のやりとりに注目し、ブレークの詩を分 析し、ほかの作品と対照しながら、作品の手法やテーマを論じ、「絶望の中に希望を見る」と いう大江文学の魅力を述べた7。 黒古一夫は『個人的な体験』や『空の怪物アグイー』の中の「自我」の意識と比較し、大江 はこの小説において、障害児を通して、核状況下の世界や人間へのヒントを与えると主張した 8 青木保は小説の父子関係における「自己」と「他者」の「相分制」について論じた。また、 1 村瀬良子,『個人的な体験』論--作品評価とモラルの水準 』,国文学攷,1998-09。 2 三島由紀夫,『週刊読書人』,1964 年 9 月 14 日。 3 宮井一郎,『現代作家論――生きている漱石』,東洋出版,1970 年 1 月。 4 平野謙,『大江健三郎集』,解説新潮社,1969 年 7 月 12 日。 5 论 劉立善,《 大江健三郎<个人的体验>》,《日本研究》,1995 年第 1 期。 6 霍士富,超越心灵地狱——大江健三郎的《个人的体验》和《空中怪物》解读,西北大学学报(哲学社会 科学版) ,1998 年 04 期 。 7 本田和子,『「新しい人よ眼ざめよ」:大江健三郎 ふたたび』,幼兒の教育,94(3)。 8 黒古一夫,『<核>と<障害児>に挟撃された「自我」--「個人的な体験」から「新しい人よ眼ざめよ」へ 』, 日本文学 36(10), 1987-10。

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ものがたりの内容を分析しながら、「イーヨー」から「光」へのイニシエーションというテー マを論じた9。 『新しい人よ眼ざめよ』に関して、国内の研究はごく少ないのである。霍士富は作家の創作 手法を中心に、作品に見る「復調性」について論じた。文学理論を利用して作品の内容を分析 し、作家がいかにテーマを表すのかについて分析した10 1.2.3 『静かな生活』について 河内重雄は「知的障害者」のモデルの形成を中心に、まず大江文学の中の「恢復」について 論じ、そして『静かな生活』の各章を分析し、作家がどのように障害児をモデル化したかを論 じた。また、父親が作品での地位について分析した11。 冯 冯玲・唐智霞は『静かな生活』の創作手法や構成の角度から分析した。作品は家庭日記を 通じて展開し、少女の目を通じて物語を語っていた。また、父親のイメージを分析し、父親に ついての側面的な描写によって主人公マーちゃんのイメージが一層鮮明になることを指摘し た。最後にこの小説のテーマについて論じた。つまり、閉ざされた世界に、人々は失いかけて いる自分をさがすということである12。 以上分析から見られるように、大江健三郎の「障害者との共生」をテーマとする作品に関し て、『個人的な体験』についての先行研究はあきらかに多い。後の二作に関する研究、また三 作をシリーズ作品としての対照研究はまだ少ない。そこで本稿は、この三作を一連の作品とし て、その中に見られる「障害への受容」について論じてみたい。

1.3 本稿の研究動機と目的

1.3.1 本稿の研究動機 本稿は『個人的な体験』、『新しい人よ眼ざめよ』,『静かな生活』を中心に大江文学の「障害 への受容」を考察するものである。このテーマを選んだ理由は主に以下の点がある。 (1)これまでの先行研究では、このテーマに触れるものがほぼない。先行研究の部分では すでに述べたように、「障害者との共生」をテーマとする作品に関して、その原点といえる『個 人的な体験』に関する研究はさまざまだが、『新しい人よ眼ざめよ』や『静かな生活』に関す 9 青木保,『「他者」の音楽--大江健三郎「新しい人よ眼ざめよ」を読む』,海 15(10)。 10 说 霍士富,《大江健三郎小 <新人啊觉醒吧>的复 复性》,国外文学,2003 年第 2 期。 11 河内重雄,『大江健三郎「静かな生活」論:〈「知的障害者」表象のためのモデル〉考察』,九大日文, 2006 年 10 月。 12 冯冯玲・唐智霞,《<静静的生活>创作特点与主题解读》,美与时代,2006 年 8 月。

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る研究、またこの三作を対照しながら論じる研究はあまりないのである。それに、多くの先行 研究は作品自身の創作手法と構成、実存主義などの面に集中している。しかしこの三作に見ら れる大江の文学思想も無視できないと思われる。 (2)長男誕生以来の大江文学において「障害児との共生」が主要なモチーフとなった。そ の中に代表的な作品は『個人的な体験』、『新しい人よ眼ざめよ』と『静かな生活』である。大 江健三郎は文学創作を通じて、いかに息子や家族と共生するかを探求し、自分の独自な文学の 道を歩んできた。それゆえ、この三作の研究は大江文学思想の形成や発展の研究に意義がある であろうと考えられる。 (3)大江文学は核や国家主義などの人類的な問題に注目している。中に「障害への受容」「障 害児との共生」というのは独特な文学テーマがある。彼は実体験を基づき、障害児に関する一 連の作品を創作した。障害児との生活を細かく描き、障害児自身やそのまわりの人の「癒し・ 恢復」を描写した。筆者はこの一連の作品にこころを打たれたのである。そして、こういった 作品を解読することは、人々の障害への受容、個人及び社会の「癒し・恢復」にも大きな社会 的意義があるであろう。 1.3.2 本稿の目的 長男誕生以降の大江文学において、「障害児との共生」が作品の主要なモチーフとなった。『恢 復する家族』「受容する」には、次の一節がる。 この障害を持った息子のことを、自分の小説のテキストとして、どう表現するか?それを実際に試みて ゆく過程で、障害児であるかれと、僕の家族とに共生をどう読みとるかは、二重に文学の課題となりま した。つまりこのようにして、障害児が生まれて来るという事故が、小説家としての僕の主題を作った のです。13 そこで本論文は大江文学の中の特に「障害者との共生」に関する三作を取り上げ、中に「障 害への受容」に関する内容を研究対象として、以下の点について論じてみたい。 (1)大江は「『癒し』,恢復と文学」という講演の中で、上田敏14『リハビリテーションを考 える―障害者の全人間的復権』を踏まえて、人間の「恢復」の五段階を「ショック期」「否認 13 大江健三郎,『恢復する家族』,講談社,1995 年 2 月,P46。 14 上田敏,1932 年生,東京大学医学部卒。東京大学医学部教授,国際リハビリテーション医学会会長。著 書「リハビリテーションを考える、青木書店」。

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期」「混乱期」「解決への努力期」と「受容期」に分けている15。この三つの作品は「癒し・恢 復」をテーマとした「救済小説」といえるであろう。その「救済」はいかに実現していくのか、 あるいは三作の中の「障害への受容」はどういったプロセスなのかについて論じてみたい。 (2)この三作は同じく「障害児との共生」を主眼とした作品であり、1964 年、1983 年、1990 年という時間順に完成されたのである。それぞれ、障害児の幼少期・思春期・成人期のことに ついて書かれている。つまり、この三作を一連の作品として見ると、一つの「プロセス」も見 られるのである。本稿は三作をシリーズ作品として、また上記の「五段階」に対応しながら、 中に見られる「障害への受容」のプロセスにつて論じたい。 (3)そして、この三作の中での「障害への受容」はどういった違いがあるかを探ってみた い。例えば、『個人的な体験』に見られる「障害の受容」へのプロセスでの力点は、「最大の危 機」が大部分で、「癒される」と「障害の受容」は最終章で駆け足で描かれる。それに比べる と、『新しい人よ眼ざめよ』は「解決はの努力期」に重点をおいていると思われる。 (4)また、「障害への受容」は障害者自身より、もしろそのまわりの人にとってのものであ ろう。そこでこの「まわり」の変化について、三作の中に見られる違いや変化についても探っ てみたい。例えば、『個人的な体験』は主に「父と子」の関係について書かれている。それと 違い、『新しい人よ、眼ざめよ』や『静かな生活』は「家族」の受容について語っている。『静 かな生活』は特に「兄弟関係」に焦点をあてているのである。 15 大江健三郎,「『癒し』,恢復と文学」,『人生の習慣』,岩波書店,1992 年 9 月,P60-61。

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2 実体験に基づく文学

大江健三郎は1994 年にノーベル文学賞を受賞した時の記念講演「あいまいな日本と私」の 中で、「私は渡辺一夫のユマニズムの弟子として、小説家である自分の仕事が、言葉によって 表現する者と、その受容者とを、個人の、また時代の痛苦からともに恢復させ、それぞれの魂 の傷を癒すものとなることを願っています」と、小説家としての目標が、作家自身も含め、人 間らしく生きようとするものへの励ましとなることを願っている。そして、この講演の最後を、 「20 世紀テクノロジーと交通の怪物的な発展のうちに積み重ねた被害を、できるものなら、ひ 弱い私みずからの身を以て、鈍痛で受け止め、とくに世界の周縁にある者として、そこから展 望しうる、人類の全体の癒しと和解に、どのようにディーセントかつユマ二スト的な貢献がな しうるものかを、探りたいとねがっているのです」と締めくくった16。 「人類の全体の癒しと和解」を探ることが大江文学の原動力と目的といってもよいであろう。 10 歳で終戦を経験し、民主思想の教育を受け、彼は強い社会責任感がある作家に成長し、渡辺 一夫のユマニズムの影響で彼は社会の問題や人類の運命に強い関心を持っている。『死者の奢 り』の後記で書いているように、「監禁されている状態、閉ざされた壁のなかに生きる状態を 考えることが、一貫した僕の主題でした。」17彼は現実世界の不条理さや理不尽さ、そして生き る人間の「疲れ」、「無力感」や「はかなさ」に注目している。しかし28 歳の時に長男光が障 害を持って生まれたことが彼の創作に大きな転換をもたらした。彼は講演の中で、「私の文学 の根本的なスタイルが、個人的な具体性に出発して、それを社会、国家、世界につなごうとす るものなのです」と語った。それ以降、文学を通じて、個人の恢復から社会全体の恢復を自分 の追求となっている。

2.1「障害の受容」への五段階

1950~1960 年代には障害者の体や心理的問題に関して、「障害受容」への「段階理論」が提 唱されてきた。特に1960 年代に Cohn(1961)と Fink(1967)らによって「段階理論」が提唱された。 日本では、高瀬安貞(1956)が障害者の心理的問題に着目し「障害の受容」の概念を紹介した のが最初のようである18。「段階理論」について、日本で大きな影響力を持っているのは上田敏 である。彼は『リハビリテーションを考える―障害者の全人間的復権』の中で、「段階理論」 について紹介している。 16 大江健三郎,『あいまいな日本の私』, 岩波書店,1995 年 1 月。 17 大江健三郎,『死者の奢り・飼育』,新潮社,1959 年 9 月。 18 高瀬安貞,『身体障害者の職業的,心理的問題』,社会事業,1956-04。

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