洋 画 家 桜 庭 彦 治 の 従 軍 軌 跡
︱ 戦 前 絵 葉 書 の 美 術 史 拾 遺
︱
彭
国 躍
. 1 は じ め に
戦前 従軍 画家 の実 態︱ その 派遣 人数
︑組 織系 統︑ 地域 分布 や作 品図 版な どに おい て︑ 多く の* が残 って いる
︒ 管見 の限 り︑ 従軍 画家 の派 遣時 期や 人員 に関 する 各種 文献 集成 の中 でデ ータ がも っと もそ ろっ た資 料と して 飯野
︵
2005
︶を 上げ るこ とが でき る︒ 飯野
︵
2005
︶の 集録 内容 に対 する 筆者 の統 計に よれ ば︑ 一九 三七 年二 月か ら一 九四 五年 八月 まで の八 年半 の間 に︑ 軍部 嘱託
︑報 道班 員︑ 出征 将兵 など さま ざま な身 分で 従軍 した 画家 の数 は六 一〇 名に 達し てい た︒ 筆者 所収 の従 軍画 家の 作品 画像 デー タの 中で
︑飯 野︵
2005
︶に 含ま れな い画 家が 数多 く発 見さ れて いる ので
︑実 態は もっ と多 かっ たと 見ら れる
︒ 文献 資料 に名 前が 記載 され た従 軍画 家の ほと んど は︑ その 従軍 の経 路や 創作 活動 の内 容が 不明 であ る︒ そし て︑ 文献 調査 で作 品名 リス トが 発見 され た場 合で も︑ 作品 現物 はお ろか
︑そ の作 品の 図版 すら 確認 でき ない ケー スが
多い
︒そ の意 味に おい て︑ 戦前 の絵 葉書 に印 刷さ れた 画像 は従 軍画 家の 活動 実態 や移 動経 路の 解明 にお いて 大き な意 義を 持つ もの と思 われ る︒ 洋画 家南 薫造
︵一 八八 三~ 一九 五〇 年︶ の従 軍に つい て︑ 飯野
︵
2005
︶で は記 録さ れて いな いが
︑本 人の
﹁従 軍日 記﹂
︵一 九三 九年 三月 二九 日~ 五月 二一 日︶ が整 理・ 発表 され たこ とに より
︑そ の従 軍活 動の 詳細 があ る程 度分 かる よう にな った
︒南 薫造 の﹁ 従軍 日記
﹂を 整理 した 藤崎
︵
2005:18
︶は
﹁用 務の 一つ であ った 絵葉 書用 の 素材 は︑ 同年 末に 陸軍 省に 提出 して いる が︑ 図版 等の 詳細 は不 明で ある
﹂と コメ ント した が︑
彭︵
2013a
︑
2015a
︶は 戦前 絵葉 書の 調査 を通 して
︑南 一行 の従 軍活 動に かか わる 作品 図版 を二 十六 枚発 見し︵︶1
︑そ の従 軍日 記 の記 述内 容に 照ら しな がら 移動 の時 期と 場所 につ いて 検証 を行 った
︒一 方︑ 版画 家永 瀬義 郎︵ 一八 九一
~一 九七 八年
︶の 従軍 につ いて
︑飯 野︵
2005:21
︶で は一 九三 九年 四月 に﹁ 恩地 孝四 郎・ 前川 千帆
・永 瀬義 郎︑ 前線 慰問 のた め陸 軍嘱 託と して 二ヶ 月間
︑中 支に 赴く
︒永 瀬は
︑六 月帰 国﹂ とし か記 載さ れて いな いが
︑一 九七 七年 に出 版さ れた 彼の 自伝
﹃放 浪貴 族﹄ を読 むと
︑そ の従 軍経 緯や
︑軍 部に 絵葉 書用 の淡 彩画 を提 供し た事 実な どが つづ られ てい る︒ そし て︑ 自伝 では さら に﹁ 戦後
︑皇 居の 堀端 に並 んだ 露店 のひ とつ で︑ 僕の 描い た絵 葉書 を見 つけ て買 った よう に思 うん だが
︑あ れは どこ へ行 っち まっ たの かな あ﹂
︵永 瀬
1977 :21 4
︶と 回想 して いた ので
︑絵 葉書 が戦 後の 露店 で流 通し てい た事 実や その 画像 の内 容は 不明 とな って いた こと が分 かる
︒彭
︵
2015 b
︶は
︑永 瀬が 提出 した と見 られ る淡 彩画 の絵 葉書 を五 枚発 見し
︑そ の従 軍の 経路 と風 景の 地域 分布 の一 部を 明ら かに した
︒ 本論 で取 り上 げる 洋画 家桜 庭彦 治︵ さく らば
ひこ じ︶ は︑ 以上 の二 人に 比べ
︑文 献に も記 載さ れず
︑日 記や 自伝 のよ うな 出版 物も ない ため
︑そ の従 軍の 日程
︑経 路や 作品 画像 だけ でな く︑ 彼が かつ て従 軍し てい た事 実さ
えも これ まで 知ら れて いな かっ たよ うで ある
︒本 稿で は︑ 桜庭 彦治 のプ ロフ ィー ルや 戦前
・戦 後の 活動 を概 観し
︑ 戦前 絵葉 書の 中か ら発 見さ れた 作品 画像 を通 して
︑彼 の従 軍軌 跡の 一部 を明 らか にし たい と思 う︒
. 2 桜 庭 彦 治 の プ ロ フ ィ ー ル と 活 動 状 況
. 2 1 戦 前 の 活 動 と 作 品
桜庭 彦治︵一 九〇 二~ 一九 八六
︶の プロ フィ ール に関 する 情報 は限 られ てい る︒
﹁北 海道 美術 ネッ ト 別館
﹂︵ 二〇 一〇 年四 月一 九日
︶の 記述 では
﹁新 潟 県生 まれ
︑札 幌師 範卒 業後
︑上 京︒ 片多 徳郎 に師 事︑ 一九 二七 年東 京美 術学 校西 洋画 科卒 業︑ 二六 年帝 展 初入 選︒ 光風 会会 員︑ 評議 員を 歴任
﹂と 書か れて い るが
︑﹃ 東京 美術 学校 同窓 生名 簿﹄ では
︑彼 は一 九 二七 年︵ 昭和 二年
︶に 東京 美術 学校 の図 画師 範科 を 卒業 した と記 載さ れて いる
︒﹃ 文展
・帝 展・ 新文 展・ 日展 全出 品目 録﹄ を調 べた 結果
︑表 が1 示す よ うに 戦前 の画 壇に おけ る彼 の活 躍状 況が ある 程度 見
時期 展覧会 洋画作品
1926 年(大正 14 年) 第 2 回白日会 池の端風景、花壇 1926 年(大正 14 年) 第 7 回帝展 洗足風景 1926 年(大正 14 年) 第 7 回中央美術展 断髪の女 1926 年(大正 15 年) 第 3 回白日会 春陽 1927 年(昭和 2 年) 第 8 回中央美術展 丘の松 1927 年(昭和 2 年) 第 14 回光風会展 真昼 1927 年(昭和 2 年) 第 8 回帝展 女と壺 1928 年(昭和 3 年) 第 9 回帝展 裸婦 1930 年(昭和 5 年) 第 2 回聖徳太子奉賛美術展 長椅子の裸婦 1930 年(昭和 5 年) 第 11 回帝展 裸婦 1932 年(昭和 7 年) 第 13 回帝展 裸婦 1933 年(昭和 8 年) 第 14 回帝展 緑蔭
表1 戦前画展の出品歴
表2 戦前作品の所蔵リスト 制作年 作品名 材質・技法/寸法(縦)×寸法(横) 所蔵 1927 年 女と壺 油彩、カンヴァス/ 120.3×120.3cm 横浜美術館 1928 年 裸婦 油彩、カンヴァス/ 112.1×145.5cm 北海道立近代美術館
えて きた
︒ 表1 によ り︑ 桜庭 は大 正末 期か ら昭 和初 期に かけ て︑ つま り彼 が 二〇 代な かば から 三〇 代前 半に かけ て帝 展な どを 中心 に出 品を 重ね てい たこ とが 明ら かに なっ た︒ 日本 各地 の美 術館 のコ レク ショ ンを 調べ た結 果︑ 戦前 出品 され た作 品の 中で
﹁女 と壺
﹂と
﹁裸 婦﹂ は現 在そ れぞ れ横 浜美 術館 と北 海道 近代 美術 館に 所蔵 され てい るこ とが 分か った
︒
. 2 2 戦 後 の 活 動 と 作 品
桜庭 の戦 後の 活動 に関 して︑一 部光 風会 のホ ーム ペー ジに 記載 さ れて いる が︑ それ によ れば
︑彼 は一 九六 三年 に神 奈川 光風 会の 創立 メン バー の一 人で あり
︑一 九六 九年
︵昭 和四 四年
︶の 光風 会第 五五 回展 覧会 で寺 内賞
︑一 九七 七年
︵昭 和五 二年
︶光 風会 第六 三回 展覧 会で 桜花 賞を それ ぞれ 受賞 した
︒一 九八 五年 一一 月一 九日
~一 二月 一日 に横 浜市 民ギ ャラ リー で﹁ 桜庭 彦治 自展
﹂︵ 主催
・協 力: 横浜 市・ 横浜 市教 育委 員会
︶が 開催 され た︒ 桜庭 が戦 後描 いた 作品 の所 蔵状 況は
︑現 在調 べた 範囲 内で は︑ 表 の3 通り とな って いる
︒
表3 戦後作品の所蔵リスト
制作年 作品名 材質・技法/寸法(縦)×寸法(横) 所蔵 1958 年頃 三渓園 スケッチ鉛筆、紙、額/ 30.8×38.8cm 横浜美術館 1958 年 三渓園 油彩、カンヴァス/ 128.5×71.0cm 横浜美術館 1959 年頃 仲木 スケッチ鉛筆、紙、額/ 26.6×27.0cm 横浜美術館 1959 年 仲木 油彩、カンヴァス/ 110.3×160.8cm 横浜美術館 1971 年 北の夏 真駒内風景 油彩、カンヴァス/ 131.0×131.0cm 札幌芸術の森美術館 1972 年 並木道 油彩、カンヴァス/ 116.8×116.8cm 北海道立近代美術館 1973 年 真駒内の並木道 油彩、カンヴァス/ 116.7×116.6cm 札幌芸術の森美術館 1974 年 伊豆の午後・仲木 油彩、カンヴァス/ 130.6×130.0cm 札幌芸術の森美術館 1975 年 札幌秋色 油彩、カンヴァス/ 122.0×122.0cm 札幌芸術の森美術館 1983 年 松 油彩、カンヴァス/ 105.0×105.0cm 横浜美術館 1985 年 港の見える丘 油彩、カンヴァス/ 72.6×60.6cm 札幌芸術の森美術館
その 外に
︑二
〇〇 六年 八月 三〇 日公 開の ホー ムペ ージ
﹁北 海道 人﹂ の﹁ まち のお 宝発 掘 展覧 会レ ポー ト﹂ で は北 海道 の中 央小 学校 に桜 庭彦 治の 作品
﹁厚 岸バ サラ ン崎
﹂︵ 制作 年不 詳︶ が所 蔵さ れて いる 事実 が報 告さ れて いる 今 ︒ 回の 資料 調査 では
︑日 中・ 太平 洋戦 争期 間中 の桜 庭の 活動
︑彼 が従 軍し たと 思わ れた 時期 の作 品や 関連 情報 など は依 然不 明で ある
︒そ の間 の作 品は 戦時 中の 空襲 など で焼 失し た可 能性 もあ れば
︑多 くの 従軍 画家 がそ うし たよ うに 自ら 処分 した 可能 性も ある
︒ま たは その 間何 らか の原 因で 創作 活動 や展 覧会 出品 を控 えた 可能 性も 考え られ る︒ いず れに して もそ の間 の活 動に つい て︑ 今後 調査 を続 ける 必要 があ る︒
. 3 発 見 さ れ た 戦 前 の 絵 葉 書 図 版
現在 筆者 所蔵 の画 像デ ータ の中 で︑ 戦前 の従 軍画 家︵ 一九
〇名
︶が 描い た絵 葉書 は全 部で 一二 三三 枚で ある
︒ その 中で 桜庭 が描 いた もの は九 枚発 見さ れて いる
︒ま ずこ の九 枚の 絵葉 書に 記載 され た文 字情 報を 次の 表4 にま とめ る︒ 九枚 の絵 葉書 図版 はす べて 風景 画で ある
︒そ の画 像内 容の 地域 分布 は中 国の 浙江 省︑ 安ò 省︑ 江西 省と 湖北 省︑ つま り当 時﹁ 中支
﹂と 言わ れる 地域 に限 定さ れて いる
︒①
﹁水 都杭 州﹂ と②
﹁飛 岳
杭州 西湖 畔﹂ は現
・浙 江 省杭 州市
︑③
﹁安 慶の 朝﹂ は現
・安 ò省 安慶 市︑
④﹁ 甘棠 湖春 色 九江
﹂︑
⑤﹁ 牯嶺
︵廬 山︶ の新 緑﹂
︑⑥
﹁五 老 峰︵ 廬山
︶の 新緑
﹂と
⑦﹁ 星子
﹂は 現・ 江西 省九 江市
︑⑧
﹁垂 柳の 初夏 漢口 中山 公園
﹂︑
⑨﹁ 武漢 大学
﹂は 現・
湖北 省武 漢市 にそ れぞ れ分 布し てい る︒ 作品 に落 款の 文字 が読 み取 れる のは 六枚 で︑ その いず れに も昭 和十 五年 と明 記さ れて いる
︒以 上の 情報 から 桜庭 は︑ 一九 四〇 年頃 中国 の中 東部 地域 に赴 いた こと がほ ぼ断 定で きる
︒そ して
︑画 題に は﹁ 春色
﹂﹁ 新緑
﹂﹁ 初夏
﹂と い うこ とば が使 われ たこ とを 考え ると
︑訪 れた 時期 は五
~六 月ご ろで はな いか と推 測で きる
︒当 時戦 争中 なの で︑ 個人 の写 生旅 行は 考え られ ない
︒さ らに
︑こ れら の作 品が 軍事 郵便 の絵 葉書 用に 提供 され たと いう 事実 を合 わせ て考 える と︑ どの よう な身 分で 行っ たか は はっ きり 分か らな いが
︑彼 は当 時従 軍し てい た可 能性 が高 いと 言わ ざる を得 ない
︒落 款に 日付 の記 載が なく
︑ その 移動 経路 は不 明だ が︑ 他の
﹁中 支従 軍画 家﹂ の記 録を 参考 にす ると
︑上 海あ たり から 上陸 する 経路 とし て﹁ 浙江 省︵ 杭州
︶↓
安ò 省︵ 安慶
︶↓
江西 省︵ 九 江︶
↓ 湖北 省︵ 武漢
︶﹂ の順 で沿 海地 域か ら内 陸へ と 移動 して いた ので はな いか と推 定で きる
︒
表4 桜庭が描いた戦前絵葉書リスト
No. 作品の画題 落款 裏面の文字情報
① 水都杭州 郵便はがき、軍事郵便、陸軍恤兵部發行、
東京小林又七印刷
② 飛岳 杭州西湖畔 昭和十五年 桜庭彦治筆
郵便はがき、軍事郵便、陸軍恤兵部發行、
東京小林又七印刷
③ 安慶の朝 昭十五 郵便はがき、軍事郵便、陸軍恤兵部發行、
東京小林又七印刷
④ 甘棠湖春色 九江 郵便はがき、軍事郵便、陸軍恤兵部發行、
東京小林又七印刷
⑤ 牯嶺(廬山)の新緑 昭和十五 彦治
郵便はがき、軍事郵便、陸軍恤兵部發行、
精版印刷株式会社印行
⑥ 五老峰(廬山)の新緑 昭和十五年 桜庭彦治筆
郵便はがき、軍事郵便、陸軍恤兵部發行、
精版印刷株式会社印行
⑦ 星子 昭和十五年
桜庭彦治
郵便はがき、軍事郵便、陸軍恤兵部發行、
精版印刷株式会社印行
⑧ 垂柳の初夏 漢口中山公園 昭和十五年 桜庭彦治
郵便はがき、軍事郵便、陸軍恤兵部發行、
東京小林又七印刷
⑨ 武漢大学 郵便はがき、軍事郵便、陸軍恤兵部發行、
東京小林又七印刷
以下
︑発 見さ れた 絵葉 書の 画像 を提 示す る︒ ネッ ト上 の取 引記 録に は桜 庭が 描い たス ケッ チの 画像 が一 枚発 見さ れて いる が︑ それ も参 考 のた めに
⑩﹁ 中支 警備 風景
﹂︵ 所有 者不 明︶ とし て提 示す る︒ 桜庭彦治の従軍風景画の地域分布
①水都杭州
②飛岳E 杭州西湖畔
③安慶の朝 ④甘棠湖春色 九江
⑤牯嶺(廬山)の新緑 ⑥五老峰(廬山)の新緑
⑦星子
⑧垂柳の初夏漢口中山公園
. 4 ま と め
七〇 年前 の絵 葉書 図版 だけ で絵 画の 特徴 を議 論す るこ とは 難し いが
︑①
~
⑨の 画像 には 鮮や かな 色遣 いを 好む 桜庭 の画 風が 何と なく 見れ とれ る︒ 色彩 豊か な初 夏の 異国 風景 に引 付け られ なが ら絵 筆を 走ら せる 画家 の姿 が目 に浮 かぶ
︒同 時代 の従 軍画 家の 中に は桜 庭と 同じ 場所 を訪 れ︑ 同じ 画題 を取 り上 げた 画家 も多 くい た︒ 武漢 大学 を描 いた 画家 には 瀬野 覚蔵
︑安 慶の 塔を 描い た画 家に は太 田天 橋︑ 奥瀬 英三
︑廬 山の 五老 峰を 描い た画 家に は南 薫造
︑小 林万 吾︑ 片岡 銀蔵
︑御 厨純 一︑ 青山 龍水 など がい た︒ 従軍 画家 には
︑戦 争画 を描 く目 的で 中国 大陸 に赴 いた 人も いた が︑ そう で はな い画 家も 少な くな かっ た︒ 永瀬
︵
1977 :21 4
︶は かつ て次 のよ うに 回想 して いた
︒﹁ 陸軍 に素 描や 淡彩 画を 描く よう にと 頼ま れた
︒僕 は戦 争の 絵は 描か ない
︑描 きた くな いと 言う と︑ いや 描か なく ても よろ しい
︑先 生に は中 国の 美し い風 景を 描い てほ しい と言 うの で︑ 田園 風景 なら 描き まし ょう と返 事を した
﹂︒ 筆者 は戦 前刊 行の
﹃大 東亜 戦争 美術 展集
︵昭 和十 七年
︶﹄
﹃戦 争 美術 展画 集︵ 昭和 十八 年︶
﹄﹃ 戦時 特別 美術 展集
︵昭 和十 九年
︶﹄ や﹃ 靖国 之
⑨武漢大学
⑩中支警備風景
絵巻
︵昭 和十 四~ 十九 年︶
﹄な どさ まざ まな 画集 や当 時の 各種 戦争 美術 の展 覧会 目録 など を網 羅的 に調 べた が︑ 桜庭 彦治 の名 とそ の作 品の 記録 はど こに も現 れな かっ た︒ 桜庭 は︑ 永瀬 同様
︑従 軍は した もの の︑ 風景 画し か描 かな かっ た画 家の 一人 だっ たの かも しれ ない
︒ 南薫 造の
﹁従 軍日 記﹂ を読 むと
︑随 所に 現れ る美 しい 風景 への 嘆賞 のこ とば が印 象的 であ る︒
﹁今 は緑 の麦 畑 の間 に菜 種の 花が 美し い﹂
﹁小 舟を 入れ るク リー クに 沿ふ 町で 非常 に面 白ろ い﹂
﹁人 家︑ 白壁 等実 に宜 い﹂
﹁草 の 緑も 鮮や かで 点景 人物 も好 適で ある
﹂﹁ 見下 ろす と村 も甚 だ美 しい
﹂﹁ 河に 沿ふ 人家 が甚 だ引 付け た﹂
﹁土 地の 起 伏甚 だ面 白ろ く︑ 壊さ れた 家︑ 壊さ れぬ 家︑ 樹木
︑華 表等 何と も曰 へず 美し い﹂
⁝⁝
︒大 量の 戦前 絵葉 書の 風景 画図 版を 眺め てい ると
︑桜 庭を 含む 従軍 画家 たち は︑ 軍部 のプ ロパ ガン ダの 意図 とは 別に
︑荒 廃し た戦 場地 で︑ 美し い風 景を 必死 に追 い求 めて いた ので はな いか
︑そ んな よう な気 がし てな らな い︒
︵
注
︶1 発見 され た二 十六 枚の 図版 の中 には
︑当 時東 京美 術学 校教 授南 薫造
︵十 二枚
︶︑ 同行 者の 同校 教授 小林 万吾
︵六 枚︶ と同 校西 洋画 科卒 業生 鈴木 貞三
︵五 枚︶
︑現 地案 内役 の出 征兵 士で 同校 師範 科卒 業生 松林 義英
︵二 枚︶ と同 校油 絵科 予備 生雨 田正
︵一 枚︶ が含 まれ る︒
参 照 文 献
飯野 正仁
2005
﹁戦 争に 征っ た画 家た ち﹂
﹃あ いだ
﹄︵ 116~ 119号
︶﹁ あい だ﹂ の会 飯野 正仁
2010
﹁︿ 満洲 美術
﹀年 表﹂
﹃﹁ 帝国
﹂と 美術
﹄︵ 五十 殿利 治編
︶国 書刊 行会
札幌 芸術 の森 美術 館2011
﹃札 幌芸 術の 森美 術館 所蔵 品図 録2011
﹄ 東京 文化 財研 究所 美術 部編
2002
﹃大 正期 美術 展覧 会出 品目 録﹄ 中央 公論 美術 出版 東京 美術 学校 同窓 会名 簿編 集委 員会
1972
﹃東 京美 術学 校同 窓会 名簿
﹄ 日展 史編 纂委 員会
1990
﹃文 展・ 帝展
・新 文展
・日 展全 出品 目録
﹄︵ 明治 40年
~昭 和32 年︶ 社団 法人 日展 針生 一郎 他2007
﹃戦 争と 美術1937-1945
﹄国 書刊 行会
®口 正徳
1938
﹃美 術の 秋︵ 昭和 13年
︶﹄ 朝日 新聞 社 藤崎 綾2005
﹁南 薫造
﹃従 軍日 記﹄
﹂﹃ 広島 県立 美術 館研 究紀 要﹄ 17- 49 彭国
躍2013a
﹁南 薫造
﹃従 軍日 記﹄ の図 版検 証︱ 戦前 絵葉 書の 美術 史拾 遺﹂
﹃神 奈川 大学 評論
﹄︵ 74︶ 神奈 川大 学 彭国 躍2013b
﹁従 軍画 家瀬 野覚 蔵と その 戦地 記録 画︱ 戦前 絵葉 書に よる 美術 史拾 遺﹂
﹃人 文学 研究 所報
﹄︵ 50︶ 神奈 川大 学人 文学 研究 所 彭国
躍2015a
﹁南 薫造
﹃従 軍日 記﹄ の図 版検 証︵ 補遺
︶﹂
﹃神 奈川 大学 評論
﹄︵ 80︶ 神奈 川大 学 彭国 躍2015b
﹁版 画家 永瀬 義郎 の従 軍軌 跡︱ 戦前 絵葉 書の 美術 史拾 遺﹂
﹃人 文研 究﹄
︵185
︶神 奈川 大学 人文 学会 彭国 躍2015c
﹁幻 の従 軍画 家三 迫星 洲︱ 戦前 絵葉 書に よる 図版 の整 理と 分析
﹂﹃ 人文 学研 究所 報﹄
︵54
︶神 奈川 大学 人文 学研 究所 山本 地栄
1942
﹃大 東亜 戦争 美術 展集
︵昭 和十 七年
︶﹄ 朝日 新聞 社 山本 地栄
1944
﹃戦 争美 術展 画集
︵昭 和十 九年
︶﹄ 朝日 新聞 社 山本 地栄
1945
﹃文 部省 戦時 特別 美術 展集
﹄朝 日新 聞社 北海 道美 術ネ ット 別館
:500097bdb2da0f6cafcfebf851200ehttp:///fd/c2005art_.jp/h-.ne.gooblog/11 北海 道人
:http://www.hokkaido-jin.jp/issue/sp/200608_2/sp_06.html 光風 会1 00 回展 記念 特設 サイ ト:http://www.kofu-kai.jp/100/branches/kanagawa.html