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大 蔵 隆 雄

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(1)

大 蔵 隆 雄

 第1次肚界大戦以降昭和10年代の日華事変に至る間のわが国の社会教育政策 の重点は,特に学校教育制度との関連における大衆青年教育の組織化に集中さ れていた。その具体的な現われとして,義務教育年限延長問題・高等小学校の 性格の改造・青年訓練所設立・実業補習学校の強化などの方策が日程にのぼ

り,青年学校の成立を経て,昭和14年4月の青年学校義務化において,その一 応の完結をみたのである。そして,それはごく大まかに云うならば,大衆青年 の中等教育への要求の高まりに巧みに乗じながらも,その要求を正しくうけと めようとはせず,正規の中等教育を「代位」するものとしての小学校→高等小 学校→実業補習学校・青年訓練所(後に青年学校)の系列を確立することによ って,わが国の帝国主義的発展からの軍事的・経済的要請に対して国民的な規 模において応える主体的条件を整えることがその基本的なねらいであった。(こ れ等についてはすでに共同研究の他のメソバーが問題別に発表を行っている。

磯野昌蔵・「高等小学校論」『人文学報第22号』, 橋口菊・「国民教育の再編成 と社会教育行政確立に関する一考察」『教育学研究第27巻第3号』 小川利夫・

「青年期の教育と社会教育」日本社会教育学会編『社会教育と教育権』を参照

されたい。)

 こうした 中等教育の二重構造における大衆青年のための正規のルート の 一環を成す青年訓練所については,今まで比較的研究がなされていなかった。

もちろん,それは今まで,青年訓練所の基本的性格が見誤まられていたことを 意味するものではない。「初等教育のみをもって終る一般国民==  般在営者を 対象とする予備的軍事教育を行う機関」,(1)あるいは「軍事知識を一般化させ,

軍部の企図した国民統合に導く勤労青年拘束の教育機関」(2)などの規定は青

年訓練所の本質をついたものと云えよう。しかし,青年訓練所の成立からその

(2)

後青年学校に吸収されるに至るまでの発展経過をまとめて論じたものは見当ら

ない。

 周知の如く,青年訓練所は,大正15年(1926)4月20日公布の青年訓練所令お よび青年訓練所規程に基いて,同年7月1日以降開設された。青年訓練所令公 布に先立って,文政審議会に対して,諮詞第7号「青年訓練二関スル件」が提 出され,その審議会の答申に基いて青年訓練所令が決定されたという形をとっ ている。審議会の答申は,これも周知の如く,青年訓練機関の名称に関する字 句の修正および経費に関する附帯決議を行っただけで,予め文部当局の用意し た原案を承認している。だが,それだからといって,青年訓練所設置あるいはそ の内容に関して,文政審議会の中で,異論が提出されなかったわけではない。

一部の委員から,この問題に関して文政審議会で論ずることの意味についてさ え疑問が出されるのであるが,要するに,文政審議会での審議は多分に形式的1 なものであって,そこではも早や原案修正の余地はほとんど残されていなかっ た。むしろ,文政審議会に提出するための原案作成までに青年訓練機関に関す

る構想は幾度か修正されたのであった。それ故,文政審議会における審議内容 をとりあげるまえに,先ず,青年訓練機関設置の構想がいかなる屈折を経て審 議会提出の原案にまで至ったかを明らかにすることが必要である。本稿の目的 は,青年訓練所研究の一部として,青少年訓練計画の出発から青年訓練所令の 公布に至るまでのプロセスを明らかにすることにある。(3)

 (恐らく公式な記録は残されていないと思われるので,資料を新聞一東京韓 日新聞一に求めた。その意味での限定があることをお断りしておきたい。)

1 青少年訓練構想の出発一軍事教育と公民教育

 大正14年3月3日,第50回帝国議会貴族院予算総会において,沢柳政太郎が 次のような質問を行った。

 陸軍兵学校に籍を有せざる青少年の訓練をも行う考へであるか又4個師団の廃止に

より整理せらるN将校は2700余名だが政府は是等人員を如何に取扱ふ考であるか

この沢柳の質問に対して,宇垣陸相が,

(3)

  希望としては全国的に青少年を訓練する意思を有するが之が実現の時期は今の所不  明である又整理将校は青少年訓練其の他の職務に従事せしめ失業するものは事実上僅  少であらうと考へる

と答弁している。(4)青年訓練機関設置の意図は,この辺りから顕在化してく るのであるが,この短い質疑応答の中に,青年訓練所のもつ基本的な性格をあ る程度読みとることができる。すなわち,大衆青年の1種の教育機関の設置に 瀾する沢柳の質問に対して,文相ではなくして陸軍大臣が答弁に当っていると

いう事実,しかも,軍縮に伴う軍人の失業対策の一環として青年訓練機関設置 が既定の方針として論ぜられている点に注目しなければならない。青年訓練所 はそこを基盤として出発したのである。このことはまた,陸軍省による大正15 年度新事業計画において,「軍備整理後の内容の整頓改善」,「徴兵令の改正」な

どと並んで,「一般的青少年訓練の実施に関する調査研究」(5)がとりあげられ ていることからも確認される。すなわち,青年訓練所設置の構想は,明らかに 軍備の縮少・兵役年限の短縮に伴う軍事力の低下を防止する一手段として発想 されたものであった。(6)中等学校以上の諸学校における現役将校による軍事 教練軍事教育の実施の見通しが確保された後,その大衆青年版として登場した

のである。

 このように,青年訓練所は,本来軍部の要求から出発し,それ故に極めて軍 事的性格を強く帯びているのであるが,また同時に,その実現のためには他の

もう一つの要素が加っていたことも見逃すことはできない。すなわち,大正15 年度から実施される予定の普通選挙に備えた公民教育への要求である。軍事教 育と公民教育の両者のからみ合いの中から次第に青年訓練所の構想は具体化し てゆくのであった。この点に関して,岡田文相は,14年5月の地方長官会議の 席上次のような訓示を行った。

   欧米諸国の実例に徴しまするに所謂国民訓練は汎く全国民に及ぼさんとするのすう   勢であります,我が国現下の事情において先学校在学者より始むることとしましたけ   れども当局は1日も速に之を一般青年にも普及せんことを希望するものであります・

   …所謂普通選はいよいよ実施を見ること玉なりましたから公民教育の普及徹底を図

  り政治に関する智徳をかん養して改正選挙法の実施に備ふることは現下の急務と信ず

(4)

 るものであります。故に政府は一般学校教育の上においても益々留意するはもちろん  学校に在らざる年長者に対する所謂成人教育の施設に力め又補習教育等においても如  上の精神を鼓吹して目的の達成を期したいと存じます(7)

 この岡田文相発言に基いて,文部省は当面の「社会教育の根本方針」として 1,教育の機会を均等ならしむること 2,政治常識を授くること 3,職業 教育を授くることなど(8)を決め,軍事教育実施の要求をもくみ入れて計画の 立案を図ることとなる。まさに,中等教育の解放をめざす大衆青年の要求と,

政党・資本家・軍部からの要求とを一挙に満す1石4鳥とも云うべき青年教育 計画にとりかXった。そしてその最初の計画は,「兵役未了の丁年未満の者に 対しては全国各小学校に1名乃至2名の予備軍人を配置し青少年団を単位とし て軍事的訓練を行い其上小学校教員をして小学校校舎を利用して簡単なる講習 会を以て公民知識を授け実業補習学校の生徒に対しては学校において職業補導 と並んで公民知識を授ける……青少年団に対する軍事教練には2百万円乃至4 万円を,公民教育の施設に対しては百万円乃至2百万円を要する」(6)もので あった。この計画に見られるように,文部省は一応当初から,軍事教育だけを 前面におし出すことをせず,公民教育との2本立における青年教育を企図した のである。その後,この軍事教育か公民教育かをめぐって問題が展開される。

そして,新青年教育計画の表看板としては次第に軍事教育はひっこめられて公 民教育が前面におし出されることになり,他方その実質においては,公民教育 としての軍事教育という名の下に軍部の要求が貫徹されていった。(10)この公 民教育という旗じるしはそれがいかに形式的なものであったにせよ,軍部の要 求がそのまxの形で遂行されることに対する一応のチェックとはなり得た。(11)

(もちろん,基本的には青年教育の軍事化・教育の軍事教育化一般に対する国 民・青年大衆の激しい反対運動によって支えられているものではあるが)それ が1番端的な形で表われたのが,青年団を通しての青年訓練実施に対する反論

であった。

2 青年団による青少年訓練計画の挫折一公民教育との矛盾と軍教反対運動

(5)

 青年訓練を青年団を通して実施することは軍部の強い希望であった。兵役年 限短縮のための微兵令改正も「15年度より一般青少年に対して軍事教育を施し 得る事を前提として」計画をたてたのであり,これは「青年団を中心として小 学校教員及び在郷兵により軍事教育を行はんとするもの」であった・そして・

「その前提として陸軍では青年団員の年令を満20才以下に低下せしめんとの意 向を持って」(12)おり,文部省および内務省に対してその目的からの青年団の 改組を要求したのであった。文部省も・この陸軍省の要求に応じて当初は青年 団を通して青年訓練一軍事教育を実施する方針であった。そのことは・前にの べた計画の中にも見られるところであり,また・14年5月の視学官会議におい

ても「青年団の組織を改造し年令は20才以下となし幹部は教育者を以て当てた い」(13)との希望をのべ,あるいは,15年新規事業としての小学校教員・在郷 将兵による青年団に対する軍事教育に要する経費として・「俸給費2百50万円・

材料等のため青年団に対する補助費約5百万円」(14)を新規要求することにし たことによっても明らかである。

 こうした青年団を通しての軍事教育という軍部の要求が一度は通って「青年 団を廃合して小学校の数に比例せしむる」こと・および「現在の青年団員を在 郷軍人と然らざる者とに区別する事即ち将来青年団員は19才……以下の者たら しむる事」(15)が陸・内・文省間において決定したと報ぜられるに至っている。

だが,この決定は間もなく覆えされて,青年団を通しての青年訓練という構想 から,小学校を中心とする青年訓練へと変更されることになった。青年団によ る青年訓練反対の主要な論拠としては,1.軍事教育一般・青年団の軍事化に対 する国民の反対,2.青年団自治を守れ,の2つにしぼることが出来る。(その 他青年団所管問題などがこれにからんでいる)第1の批判は,単なる青年団の 軍事化批判にとどまるものではなく,中等学校以上の学校に対する軍事教練を

も含めた軍事教育一般乃至教育の軍事化問題全体に対する批判に連なるもので

ある。この点に関して東京朝日は社説「青年団の将来」(16)および「青年団と神

宮競技」(17)において鋭く追及しており,また・大衆青年自身も激しい反対運

動を農開したのであった。その最も著しい事例が長野県下伊那郡青年団による

(6)

軍事教育反対運動に見られるが,(18)日本青年館で催された全国青年代表の弁 論大会においてさえ,若槻内相・岡田文相らを前にして,「模範的である」 べ き岡山県の1青年代表が,「文部大臣の訓練教育には反対である」と批判して

いる。(19)

 社説「青年団と神宮競技」青年団を通じて一般青少年に軍事教育を施さんとする企 図は,青年団員の年令を20才以下とすることを,陸軍側の便宜とするのである。しか

して此の青年団に軍事教育を施すのは,1年現役兵あがりの小学校教員と在郷軍人で ある。かくて地方は在郷軍人団と,軍事教育下の青年団とによって,軍国化されるの 憂ひは無いと保障出来るのであらうか。

 内務省側が年令の低下は,青年団の自治能力をそぐものであるとして反対するのは 正当である。軍備縮小に発する国防の国民化,兵役年限短縮に初まった,青少年の軍 事教育が,軍事当局と文教当局とによって,反対に利用されて,国民の国防化となり 青少年に対し兵役以外に,兵役類似の軍事教練の期間を長くした結果となった観があ

るのである。

 吾人は軍事当局として,凡百の事を軍事眼より見るはむしろILを得ぬ事であると思 ひ,たX 夫故に軍事以外の事に軍人をして手出しせざる様にすべきと思ふのである が,文教の局に当る者が,自ら軽んじて,従来の学校教育は体育のみならず徳育に欠 けたるを自認して,其の欠を現役陸軍将校の軍事教育によって補はんとする如き不見 識を笑ひ,且我が国文教の為に憂ふるのである。しかるに之を更に学校より地方青少 年に及ぼすが為に,青年団の改造にまで及ばんとするのは,余りに軍事教育本位,軍 事教育万能と云はざるを得ないのである。

 吾人は地方の青年団漸く眼覚めつXあるを知る。官僚的青年団から,自治的青年団 に育ちあるのを知る。此の良傾向に反対して,芽を出した青年団の自由力を,秩序と 訓練の名において,在郷軍人勢力下に置かんとするのは,既に数日前の本欄において 反対の意を表しておいたが如く,国家将来の為に採るべき所以を知らないのである。

(後略)。

 第2の青年団の自治侵害問題はこの社説でものべられているように,青年団 の軍事化批判とからんで出てくるのであるが,この点に関しては,官僚内部か

らさえ批判が提出されたのであり,青年団利用を強硬に主張した陸軍省も最初 から苦慮していたところであった。殊に,「自主自奮ノ風ヲ奨メテ自治的経営

ノ下二其ノカヲ展ヘシムル」ために,村長・小学校長その他地方名望家の青年

団幹部からの後退,団員年令25才迄の引上げを命じた大正9年1月の次官通牒i

(7)

との矛盾をたてとして内務官僚が難色を示したのであるが,青年団の幹部の中 に従来の自治主義の上から他からの指導干渉に反対を表明するものがあって,

文部省は「現存の青年団との交渉円滑を欠く」(20)恐れがあることを考慮せざ るを得ない立場におかされたのである。

3 公民教育の標榜

 そして,大正14年10月に至って遂に,文部省は軍部を説得して青年団を利用 することを断念し,小学校を中心とする青年訓練計画への切り替えを図ること になった。その原案の大綱は次の如きものであると伝えられた。(21)

 1.入営前の一般青少年に対して17才から入営までの間において3年間一定時数の公  民講習,並に兵式教練を受けたる者に対してその成績を考査して在営年限を短縮する  こと

 1.小学校を中心としてこれ等の訓練を実施すること  1.訓練は随意とすること

 1. 1年間の兵式教練時数を6時問程度として業務の繁閑を考慮して施行すること  1.公民講習の目的は健全なる国家思想のかん養に置くこと諸訓練の管理者は小学校  長として兵式教練に関しては在郷軍人の助力を仰ぐこと

 この案に対して陸軍省は,「文部側では公民教育即ち思想のかん養を主目的 として居り,その結果軍事訓練即ち体育及び規律ある精神の修養を軽く見過ぎ ていると称して,1年間約2百時間の軍事教育を要求している。(22)この文部 省案の特徴は,軍事教育のために青年団を利用することを断念したことにとS

まらない。むしろ青年団利用の断念ということは,前にふれた如き軍事教育反 対の世論の反撃にあって,少くとも表面的には,新青年教育計画の表看板とし

ては軍事教育をしりぞけて公民教育を強くかXげねばならぬ事態に追い込まれ たことを意味している。それ故文部省としてはこの案を明らかにすると共に,

同時に,「今回の一般青少年に対する訓練は別に軍事的教練を主とするわけで

はなく一般青少年をして流行のいはゆる新しい社会運動のうつに巻き込まれな

い様に公民としての十分な素養を与へる事が目的であってたまたま陸軍におけ

る一般壮丁に対する在営年限短縮の問題が起ったのでそれに必要なる範囲にお

(8)

いて兵式教練を行ふもので文部省としては技術よりも頭を作る方に重きを置き 度いと思う」(23)との意向を表明することによって,世論の反撃をかわそうと するのであった。こうした情勢の中で,軍部もまたその露骨な軍事教育的要求 の隠蔽を余儀なくされ,公民教育的装いを認めざるを得なくなる。青年訓練計 画の立役者の1人畑軍務局長は,憲政会(与党)の政務調査会の席上次のよう な説明を行っている。

  「世間にこの青少年軍事訓練を国民を軍隊化せしむるものとの誤解あるも現に欧米  各国で実施せる軍事教育の実情を見るに仏国は純然たる軍事教育を主眼とせるものな  る外英米両国のそれは単に青少年をして規律節制忍耐等の気風を養成することを目的  としている今日陸軍省の計画せるものもこの英米におけるものと同様の趣旨で寧ろ社  会教育の一部をなすものと見るが至当である……」(24)

 そして後には,青少年訓練という名前をやめて,「国民学校とか国民教育と か云った」「何とか別の響きのよい名前」(25)にしようといった姑息な案さえ考 えられるに至っている。(26)

4 計画の具体化一軍事教育の表面的後退と実質的貫徹

 このようにして,軍事教育的発想の下に出発した青年訓練計画は,世論の反

撃にあって青年団利用を断念して小学校を中心とする公民教育的な装いをもっ

てその計画が進められるが,その中で次第に,小学校から軍隊に至る間を埋め

る青年教育体系の中で,高小・実業補習学校と共に,大衆青年のための正規の

ルートとしての性格を明確にしてくる。云いかえるならば,中等教育の二重構

造の中での大衆青年のための最終段階の学校としての位置づけが明確化されて

くるのである。(27)そしてそのことは,当初の訓練計画においては軍事教練の

みが考えられていたのに対して,一応修身・公民・教練・職業科ほかに普通学

科が加えられるに至ることによっても示される。これを当時の新聞は,「今回の

一般青少年訓練計画は義務教育の年限延長を予定して義務教育終了後学校教育

を受けない一般青少年に対し入営までの間に小学校で受けた学科を温習すると

共に公民的素養職業補導を与へ且つ兵式教練を課しその組織は自由ではあるが

学校制度と相並んで我国の教育制度を組立てるものである」(28)と解説してい

(9)

る。

 このような青年教育体系の中での明確な位置づけをもった青年訓練計画が明 らかにされたのはs10月27日の関係各省打合会議(29)においてであった。(30)

この案は後に文政審議会に提出された原案の大もとをなすものであった。

 1.小学校補習学校を卒業したる青少年に対しその希望により入営前満4年間(大体   16才より20才まで)原則として小学校補習学校を中心として善良なる公民を養成す   る目的を以って教育を施す

  工場における青少年に対しては同工場における施設に依て施行することを得  2.教育の内容

  1.修身及公民科   2.職業指導   3.兵式教練

  の3部門より成りそれらを更に統一する為に適当の普通学科を加ふること  3.教授時数は4年間を通じて270時間内外とすること

  右の内その3分の1即ち270時間を兵式教練に充てること

 4.夜学校等にて兵式教練以外の教育を受けたるものは教練のみを受くれぽ足る  5.6.略

 前の10月11日付で明かにされた案と,この案との問には,教育内容として普 通学科が加えられ教科編成に近い形をとるに至ったことの他,次の2つの点で 重要な相違が見られる。1つは,3年の期間が満4年と変更されたこと,他の

1つは,教練1年66時間(通算約200時間)案が270時間とされたこと,この2 点である。この変更は明らかに,軍部からの強い要求に基くものと見られる。

すなわち,11日付案の時にすでに軍部が年間200時間を要求したことはすでに のべたところであるが,その後も,畑軍務局長は「17才から20才まで3ヵ年間 に4・500時間を以て終了せしむる」(31)予定であることをゆずらず,この陸軍省 側の教練500時間の要求と,文部省側の公民教育600時間の要求との調節が問題 になっていた。そして,これ等の要求とのかX2っりにおいて期限3年から4年 への変更が決定されたのであった。(32)

 教練時間の約200時間から270時間への増加も,4・500時間を要求する軍部を

満足させることにはならないのは当然であった。そこで,軍部は,青少年訓練

(10)

における教練270時間は一応みとめた上で,今度は「右の教育(青少年訓練一筆 者)を受けるまでに補習科又は高等小学においても軍事教育を施して補足し20 才までに約400時間の軍事教育を施すべし」と主張をきりかえて,いわゆる正規

の学校系統に対する軍事教育の侵透をも図ることによって強硬にその要求を貫 こうとした。「在営短縮を受けるものは少くとも400時間の軍事教育を受けるを 要す」(33)ることを絶対条件と考えていたのである。

 結局この軍都の要求は貫徹される。11月30日,文政審議会に対して提出すべ き原案の最終決定のために開かれた文部省閣議では次の如く決定している。(34)

1.年令は徴兵年令まで満4年間を原則とすること 2,市町村立小学校を中心とすること

3.訓練時数は4年間に総計約800時間として1年間約200時間を業務の繁閑に応じて  施行すること

4.訓練科目は公民的教育を基幹とし職業補導を加味したる補習教育と兵式教練とす  ること

5.教練時数は270時間として高等小学補習学校における兵式体操の時間を通算して  400時間を以て在営年限短縮の資格標準とすること

6.費用は1校年額50円を従事者の手当とすることを標準として市町村に配分するこ  と

 前の案と異っているのは,教練270時間に更に高小・実補での130時間が半1ま 必須的なものとしてつけ加えられた点である。だが,この案も結局は1時的な

ものとなり,文政審議会及び大正15年4月13日の閣議決定を経て公布された青 年訓練所規程においては,周知の如く教練400時間とされたのであった。これ 等の過程の中に,軍部の要求がいかに強硬であり,またそれが貫徹していった かを見出すことが出来よう。

 以上の如く青年訓練計画はその出発当初から青年訓練所令・規程の公布に至 るまで,若干の屈折を経てきたのであるが,その間の主要な問題点を明らかに するために,重複のきらいはあるが次の如き表によってその経過を示したいと

,思う。(35)

(11)

初轍部省籔部省第2次案1各省打合会議案1螂縮案

14・ 5 ・17    14・10・10  1 14・10・28    ユ4。12。 1

      1

青年訓練所令・

規程15・4・20

対象年令

期  間

教育内容 及び時間 数

実施場所

兵役未了の丁 年未満の者

軍事教練 公民知識

青年団

(軍事教練)

小学校

(公民講習会)

       1      i

17才〜蟷まで16才〜入獣で P徴兵適令まで16〜2°才

3 年

兵式教練

(年66時間)

公民講習

小学校

4 年    満4年

(800時間)  (800時間)

修身・公民 職業指導 兵式教練

(270時間)

普通学科

補習教育

(公民教育職業輔導)

兵式教練

(270時間  高小・実補を  合せ400時間)

 4 年

修身公民  (100時間)

[教 練  (400時間)

普通学科  (200時間)

職業科  (100時間)

蟻校実業禰綱村立小学婚茶難学搬

5 国民の青年訓練所観

 右にのべて来たような軍部の要求の表面上の後退と実質上の貫徹に対して,

世論はどのような反応を示したか。それを朝日新聞の論調によって明らかにし

てみよう。

 前にもふれたように,青年訓練を青年団を通して行う計画があった時には,

再度にわたってその社説において,青年団自治の侵害及び青年訓練の軍事的性 格について鋭く批判を行っていた。その後,青年訓練計画の大よその案が出来 上ったものと見られる10月27日の関係各省打合会議の直後にも,軍事教育全般 に対して,大よそ次のような批判の社説「思想的争を増長する危険軍事教育に

ついて」(36)をかLげている。

   「……国防の国民化,青少年の体育訓練,いひ分だけは結構である。しかしながら  これが為に,現役将校を学校に配属して,軍事知識を注入すると共に,子弟の徳育体  育までを委ねる所に,許すべからざる誤りがある。軍事専一,絶対服従の下に教育さ  れて来た,軍人の軍隊的国家観念社会思想を以て,青少年の訓練に従事せしむるとこ  ろに,初めより大なる危険が存在しているのである。

  ……軍事を職業として,暴動と戦争,人命を殺傷する場合に,活動すべき使命を有

(12)

する軍人が,内外に敵を仮想して,門外1歩皆敵人と,常に身心に帯刀してることは その職に忠なるものであるが,かくの如き覚悟の下に,長年その思想を訓練して来た 軍人をして,一般青少年の訓育に従事せしむるのが,岡田文相を責任者とする現内閣 の根本的の誤りである。かくの如き教育上の大問題を,2ケ月かそこらの在営年限短 縮と交換する所に,大なる無知と,ある種のペテンがあり,教育に対する大なる侮辱 があるのである。

  ・・平和思想軍縮傾向に南風競はざりし軍事当局及び反動思想家は,在営年限短縮 を逆に用ひて,軍事教育による学校の軍隊化,青・少年の軍事訓練の大勢をぽん回せ んと喜んでいるのであろうが,国家の前途に最も憂ふべきは,この種の思想的争ひを 徒らに増進せしむることである。……」

 このような,軍事教育乃至教育への軍部の介入に対する基本的な視点からの 反対論が展開されるのもこX迄であった。その後論調は次第にその鋭さを失っ てゆく。11月30日の省議(文政審に提出原案を決定した)が開かれる直前に出さ れた社説「軍事教育は出直す必要あり」(37)も前の社説と比べてその論旨はは るかに後退したものであった。その社説の題名がすでに,出直しすなわち計画 の変更を要求するものであり,計画の撤回ではあり得なかった。前にふれた下 伊那青年団の反対(11月20日付)とはすでに基本的にその立場を異にしている。

ここでは,青少年訓練計画の「評判の悪いのは,名では無くて実なのであ」り

「政府はその実をかへない以上,名をかへて見ても,世間の評判を取りかへす ことが出来ない」とのべながらも,その実とは,軍事教育の撤回を指摘するも のではなかった。すなわちそこで取り上げられたのは,1.青訓費国家予算削減 問題(38) 2.貧困・労働形態の故に青訓を受け得ぬ青年の年限短縮恩典の不平等 問題,3.青訓の無計画性についてであって,最後は「学校の軍事教育を徳育や 体育とは離して正直に単なる軍事知識を与へて,在営年限短縮の交換とし,地 方の青少年訓練も,公民教育や職業輔導とは別に,軍事訓練だけを裸にして,

世間の評判に問うて見るがよい。予算分捕りの方法として,計画も立たぬ公民

教育,職業輔導を,軍事訓練に混ぜ込んで陸軍の協力を仰ぎ,その尻について

行く醜態は,文教当局の威信と,教育の神聖との為に,とらぬ所である。」と皮

肉ったにとどまる。そして更に,青年訓練に関する審議を行う文政審へ註文を

(13)

つけた社説「単なる文政問題に非ず」(39)においても,1.小学校教員の負担増 大,2・高等小学校の非i義務制による空白期間,3.青年団自治の阻害(40)4.1部 青年の恩典不平等が論ぜられたのであって,青訓実施を既定として,その実施 上の問題について批判を加えたものである。

 だが,この2つの社説で共通にとりあげている不平等問題は,青訓実施の現 実問題としては重要であった。予算を100万円に削減され,地方財政に圧迫を 与えることは明白であるにも拘らず(この点からする地方自治体からの青訓実 施反対論が当然高まってくる),青訓実施を強行し得たのは,「在営年限短縮の 特典に浴する事が出来る訳であるから恐らく全国少年は競ってこの教授を受け

ることになるであろう」(41)とする見とおしがあったからであって,この点か らするならば当然不平等問題が考慮されなければならなかったわけである。事 実,軍事教育反対の基本的規点をぬきにした青訓実施を前提とする立場からの 青年たちの論点はこXにあった。殊に,青年訓練所令が公布された以後問題は,

専らこXに集中される。特殊な労働条件におかれている青年たちには青訓を受 ける機会がなく,それ故兵役年限を短縮することが出来ないという不満の声が

起ったのである。(42)

 このことは,国民が青年訓練所をどう見ていたかを端的に示している。国民 にとっては青年訓練所とは,兵役年限短縮という「エサ」とひきかえに与えら れる軍事教育機関以外の何ものでもなかった。「青年訓練を軍事教練と間違わ れた事が非常にたXった,即ち公民教育という趣旨の徹底が完全に行はれるの はどうせ今年の暮位までかxるであろう」(43)(東京市大島教育局長談)という 望みにも拘らず,国民は矢張り青年訓練所のもつ本質的な意味を見失いはしな い。それ故にこそ,青年たちは自分が徴兵に無関係となるならば青年訓練所の 必要を認めなくなるのであり,青年訓練所開設1ヵ月足らずで「本年21才のいわ ゆる4年生中には,先般の徴兵検査で不合格となってから続々と退所し始め,

4年生2318人中その1割はやめて仕舞った」(44)という事態が生じたのである。

6 青年訓練所令立法過程

(14)

 青少年訓練・軍事教育に対する世論がいかにあろうと,政府はその実施を強 行する。だが政府が青訓の強行実施のために無視したのは世論ばかりではなか った。大正14年12月18日の文政審議会に青訓に関する諮問が提出されたのは,

すでに青訓費予算100万円が決定された後のことであった。そこで,前にもふ れたように,当然,文政審議会でこの問題をとりあげること自体の意味が問わ

れたのである。(45)

 だがこうした批判も現実には問題にはならない。結局,2回の総会と2回の 特別委員会(46)での審議を経て,殆んど原案承認の形で答申が決定されてい

る。そしてその答申に基いて青年訓練所令及び同規程が公布されるのである が,その間にもう1つの問題が存在している。すなわち,この青訓問題と殆ん

ど同時に,文政審議会では,諮詞第5号「幼稚園令制定二関スル件」と諮二詞箆 6号「高等小学校制度改善二関スル件」が審議されているが,これ等に関する 勅令はそれが公布される前に,枢密院における諮i洵の手続きを経ている。しか し,こと青年訓練所令(勅令)に関してのみ,政府は,これを枢密院に諮詞す べきか否かためらった末,枢密院を経ずに,大正15年4月13日の閣議において 青年訓練所令を決定したのである。(47)

 このように,青年訓練所は,世論のみならず文政審議会・枢密院をも無視し て,兵役年限短縮を「エサ」とし,公民教育の仮面をかぶりながらその軍事教 育的要求を貫徹するために強行されたものと見るべきである。

 (1)海後宗臣編 臨時教育会議の研究,953頁。

 (2)宮原誠一編 青年の学習。69頁。

 (3)本稿においては,文政審議会の審議内容に関して詳しくはふれない。文政審議会   速記録の分析は,いずれ発表したいと考えている。

 (4)大正14年3月4日東京朝目新聞(縮刷版)より。以下,註に年月日のみ記したも   のは,東京朝日新聞に記載された日付を意味する。

   なお,議会関係資料については,今回は正確な記録との照合を行い得なかった。

  他目を期したい。

 (5)大正14年4月22日

 (6) 「16才カラ20才マデト致シマシタノハ,大体20才ト云フコト,即チ徴兵適令ノ時

  ヲ先ヅ基二致シマシテ,ソレカラ約ソ4年位ノ間二訓練ヲ施シテ行カウ……」(傍

(15)

 点筆者)文政審議会松浦文部次官発言。

(7)大正14年5月10日

(8)大正14年5月17日

(9)同上

⑩大正2年2月新軍隊教育令が制定された頃から「軍隊の国民化」・「良兵=良民」

 のスローガンの下に国民の軍隊化一国民皆兵の実一が,軍部の手によって企図され  る。そこでは軍隊は国民教育における最終の学校として位置づけられる。そして,

 義務教育たる小学校から兵役までの空白を埋めるための教育機関の造出・充実が図  られるが,青年団育成・青年訓練所設立はこの要求の具体化と見られる。 (義務教  育の小学校に対しては,在郷将校の教員無試験検定及びその優先採用などといった  形での侵透もはかっている。)こうした彼等の主張からするならば公民教育としての  軍事教育も単なる苦しまぎれの論理(軍事教育反対の世話に対する隠蔽策として  の)ではない。軍事教育と公民教育をつなぐ徳目として,協同一致・質実剛健・規  律・義務心等が強調されている。これ等軍部の主張を代表するのが田中義一(青年  訓練所設立当時は野党政友会総裁)である。

  本郷房太郎述「軍隊と国民」(新軍隊教育令の精神)(大正4年2月),田中義一  「田中中将講演集」(大正5年3月)・「大処高処より」(大正14年1月)等を参照。

an文部省としては軍部の要求する純粋に軍事的意味しか持たない青年訓練の実施に  は不讃成であった。青年大衆の中等教育要求のつき上げによって,高小・実補を充  実することを迫られていたのである。それ故,文政審議会においても,松浦次官が  出来れば満20才までの青年を実補に収容したいが,現段階では止むを得ず満16才以  上の教育を青年訓練所で補充しなけれぽならないのだと説明して,実業補習学校の  意義を強調することによって,青年訓練所新設の意図をチェックしようとしてい  る。やX大胆な云い方をするならば,文部省はむしろ実補と青訓とを出来るだけき  りはなして,高小・実補の線で青年大衆教育の路線を確立しようとしたものと考え  られる。だが現実には両者の野合において,高小・実補・青訓という路線が成立し  たのであった。

⑫ 大正14年6月14日

⑬ 大正14年5月30日 a4)大正14年6月26日

⑮ 大正14年9月1日

⑯ 大正14年6月30日

⑰ 大正14年7月5目

⑱ 大正14年11月20日。なお,詳細には下伊那青年運動史104−6頁参照。

⑲ 大正14年10月28旧

(16)

⑳ 大正14年9月14日

⑳働㈱ 大正14年10月11日 鋤 大正14年10月15日

⑳ 大正14年11月26目

  このことが,いかに偽隔であったかは次のような逸話が伝えられていることによ  っても想像されるところである。

  「学校の教練振作や青少年訓練の事を世間で一括して軍事教育とか軍教とかいう  のを文部省では頭を悩まし何とか世間の口に戸を立てることが出来ないだらうかと  食堂会議の話題になっているのを始終黙って聞いていた鈴置政務次官,関屋普通局  長を顧み『言葉をやめさせても実質を替へなけれぽ頭かくして尻かくさずぢゃない  か』」(大正14年11月2日東人西人欄)

鋤 こXで,実業補習学校との関係が問題になるのであるが,その点については文政  審議会及び特別委員会において論ぜられている。こXでは詳しくはのべないが,大  まかに云って青年訓練所は実業補習学校の補習学校と考えられている。

㈱ 大正14年11月2日

㈲ 出席者は,(文部省) 岡田文相,松浦次官,関屋普通学務局長,小尾社会教育課  長,(内務省)川崎次官,長岡社会局長官,潮地方局長,(陸軍省)畑軍務局長,(海  軍省)野村教育局長,(商工省)三井鉱山局長,宮内工務局長,(農林省)石黒農務

局長,等。席上,岡田が趣旨の,松浦が計画案の説明を行っている。

⑱O)大正14年10月28日

㈱註(24)の政務調査会席上発言。大正14年10月15目。

G⇒ 「最初の案によればこの教育は17才より20才未満までの3ケ年間において行ふ事  としていたが之では教育時間数に不足を告げるので16才より20才未満までの4ケ年  間に之を行ひ又この4ケ年間を通じて約900時間の教授をなす事」大正14年10月27

 日。

㈹ 大正14年11月6日

㈱ 大正14年12月1日 なお,文政審議会にこの案がそのまX提出されたわけではな  い。授業時間数等の細かい点は文政審議会では取り上げられていない。

㈲ 表の右欄数字は,それぞれ新聞掲載年月日を示す。なお,何々案という名称は筆  者が適宜につけたものである。

㈲ 大正14年11月7日

㈱ 大正14年11月27日

⑱ 交部省は,在営年限短縮によって節約される経費約4,500万円をすべて青年訓練

 費にまわすよう400万円の予算を要求していた(7月7日)。だが,予算閣議によっ

 て,100万円に削減されることになった(11月15日)。しかし,青年訓練は予算の削

(17)

 減にも拘らず既定の方針通り実施することに決めた(11月19日)ことに対して,そ  れは地方財政を圧迫することになると批判したもの。なお文部省としては予算400  万円中,123万円を軍事訓練費に,277万円を公民教育実業補習教育費に割当てる予  定であった。(11月20日)

鋤 大正14年12月15目

⑳ こ」・.で,文部省が公民教育を表看板として主張する以上,自治青年団の自治的性  格を侵害することに矛盾が生ずる点を指摘していることは注目に価する。

  「文部省が小学校を利用して,之を中心とする案を立てたのは,正しく青年団統  御の望みが絶えた後であった。折角自治の力を以て次第に成長しようとする青年の  団結を,ちようど真中から2つに分けて,一方だけを別組識に抱へ込むことが非常  に大なる控制であり,また打撃であることは知って居たのである。しかも公民教育  の全体の為に,それが果して忍び得ることか否かは,未だ公には論じられなかっ

 た」

  青年団自治の侵害が公民教育と矛盾を生ずる点こそ,現実には,青年訓練に青年  団を利用することを断念せしめた有力な原因であったと思われる。だが,こxにも  指摘されているように,それは,公の場では論ぜられず,問題を追求することが回  避されたのであるが,恐らくこの問題を追求するならば,それは必然的に軍事教育  と公民教育との矛盾にまで遡らざるを得ぬためかと考えられる。

④ 大正14年11月19日

働 大正15年15月29目,6月17日,6月25日等を参照。

⑱ 大正15年6月25日

㈱ 大正15年8月8日

㈲ 文政審議会の席上,沢柳政太郎が,政府は議会でもこの施設の必要性を特にとい  て予算措置をしている。もしこの審議会で否決しても(現に反対者が多い)どうせ  通す積りにちがいない。一体何故この件について諮問したのかと迫った。また,関  直彦も予算措置の前に審議にかけるべきだったと沢柳に同調している。

㈲ 第1回特別委員会は,大正14年12月22日,午前9時半から12時半まで,第2回が,

 同23日,午後2時から5時半まで開かれた。(大正14年12月23日及び24日)これ等  の特別委員会の正式記録は残されていないものと思われる。それ故,新聞に報導さ  れた僅かな記録に頼る以外はないが,それ等の分析は,総会における審議と共に,

 次の機会にゆだねたい。

㈲ 「青年訓練案は枢府に付議されないはず」(大正15年1月16日),「青年訓練案に

 就いては枢府に諮詞すべきや否やを先づ閣議で協議するはずであるがあるひは御諮

 詞しない事となるかも知れぬ」(大正15年3月16日),「青少年訓練案に対しても同

 様御諮訥を仰ぐ事に23日決定した」(大正15年3月24日)「勅令青年訓練所令は13日

(18)

の閣議で決定したが本年は枢密院へ諮詞の必要はない事となった」(大正15年4月14

日)

 これ等の迷いは,文政審議会への諮詞の際に「勅令の形式として之に付議する時 は語句等についても色々の議論が出て審議の進行を妨げるだらうから勅令の形式と せず内容をケ条書として付議する方針」(大正14年11月26日)をとったことと共に,

注目すべき点ではあるが,それ等の意味が筆者には明らかではないので,単にそれ 等の事実を指摘することにと父めておく。

 なお,青少年訓練問題のみでなく,軍事教育全般が枢密院を経過せずに計画・決 定されたものらしく,一枢密院顧問官から不満が出されている。「先帝陛下の御勅 ぢゃうにも教育の根本問題は枢密院の議決に待つべしと明かにある。実際今度の如、

き軍事教練を学校教育の中に正式に加へた事は確かに教育上の重要な根本問題であ

るから,この聖旨に見るも枢府に付議して慎重に事を決定すべきであったのを,事

こXに出でず,徒らに実施を急いで審議未熟のまX行ったのは政府の大失態であ

る」(大正14年11月21日)

参照

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