エロス化される医療とスターン的頓絶法のエコノミ ー
著者 木戸 好信
雑誌名 主流
号 74
ページ 21‑40
発行年 2012‑11‑10
権利 同志社大学英文学会
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000015243
エロス化される医療とスターン的頓絶法のエコノミー
木 戸 好 信
序
ロレンス・スタ」ン (LaurenceSterne)のセクシュアリティについては これまでも頻繁に論じられてきたのだが,そこで指摘されるのはルース・ペ リー (RuthPerry)やイブ・コゾフスキー・セジウイツク (EveKosofsky Sedgwick)の主張に代表されるように,スターンのテクストから表出して いる「男根中心主義
J
(phallocentrism)や「女性嫌悪J
(miso白 羽y),1ホモソー シャル性J
(homosociality)であり,彼の性的偏向及び性的イデオロギーに 対する評価は芳しくない本稿の目論みはむしろスターンのテクストにお けるポルノグラフイツクな側面を再評価することにある.特に焦点をあてる のは医療行為がエロス化する瞬間である.そこにはスターンの性的ファンタ ジーが最も色濃く表出しているだけでなく,単に「男根中心主義」といった 硬直した一語に回収しきれないスターンのしなやかなセクシュアリティを垣 間見ることができるであろう.また,それら治、叶ミにスターンのテクスト生 成を特徴付けている頓絶法 (aposiopesis)のエコノミーとなっているかに ついて考察してみたい.『トリストラム・シャンディ j
( T r i s t r
αm Sh
α九dy)や『センチメンタル・ジャーニー.1
( A S e n t i m e n t
αl J o u r n e y )
では人間も動物も実に様々な病に 侵されている.その目録にはスターンの生涯の宿病であった結核は言うまでもなく,瑞息,風邪,消化不良,食欲不振,胆汁過多症の下痢,座骨神経痛,
鼠鶏部や膝の損傷,水腫,関節硬直症,標痘,尿通困難,さらには,憂欝症,
ヒステリーといった神経障害が含まれている.またこういった病気や怪我に 対する治療として,食事療法,乗馬療法,水療法,睡眠療法,審法,涜腸,
鼻の整形などについて頻繁に言及されている.
同様に,恋文でありかっ闘病記である『イライザ、への日記j(Th
e Journ
α1 t o E l i z
α/C o n t i n u
αt i o n o f t h e Br
αmi
九e包Journ
αl )
において,スターンは自らの病状とその治療についてより詳細に記述している.言うまでもなく,医 学の本分は治療行為にある.病状や体調の詳細だけでなく,潟血はもちろん のこと.
r
ジェームズの散薬J . r
ヴアン・スウィーテン水銀療法」といった ように,自分が今どのような治療を受けているのかをスターンはイライザに 具体的に報告している.もちろんどれも治療効果はあがらない.偽医者,薮 医者の暗躍した時代,いやそもそも正規の医者と偽医者,薮医者の区別さえ 暖昧であり,ましてやその治療行為においてはインチキさに違いがないとな ればいたしかたない.自ら医学知識が豊富なスターン自身もこれら医者たち の見立てと治療に不信感を表明することを障措わない.むしろ,r
唯一の医 者で私の命を助ける薬を持っているのはイライザだけですJ ( A p r i l 2 1 ) 2
と 述べ,そして,女医イライザの患者となったスターンは.r
あなたの許へ飛 んで行主医者として一ヶ月でも付き添いたいJ ( J u n e
1)と,今度はイラ イザの主治医たろうとしさらには.rあなたに処方を作ってあげたいJ ( J u n e
3)とまで主張する.イライザはスターンの医者に,そしてスターンはイラ イザの医者になるといったように,互いに看護と医療を贈与しあうことを夢 想する.かくして恋人同士の睦言が医者と患者の間で交わされるレトリック によって表現されるのだが,忘れてはならないのは,幼少期の遊びから成人 の恋人同士の戯事に至るまでの全てのいわゆるくお医者さんごっこ〉に含ま れるそのエロティックな性質だ.まさにそこで表現されるのは医療行為のエ ロス化とも言うべきものである.この例のーっとして『センチメンタル・ジャーニー』において庖内でヨリッ クが女庖主(
G r i s s e t " )
の脈をとるエロティックなエピソード( 7 4 ‑ 5 )
を思 い出してみてもいいだろう.そこではヨリックが実際にこの女庖主の脈揮を とる場面が艶かしくしかも詳細に描写されていたが,r
イライザ、への日記』においては,今度は潟血という医療行為もまたエロス化されているのだ.自 分の生命を助ける薬を持っている唯一の医者はイライザだけだと述べていた 先に引用した
4
月2 1
日の日記の続きには次のような記述がある.Tw
a s a p r o p h e t i c S p i r i t
,w
rhd i c t a t e d t h e A c c t o f C O r p l
世i m ' suneasy n i g h t when t h e f a i r Beguin ran i n h i s head
,一一一f o re v e r y n i g h t
&a l ‑ most e v e r y Slumber o f mine
,s i n c e t h e day We p a r t e d
,i s a r e p e t i t i o n o f t h e same d e s c r i p t i o n
一一一d e a rE 1 i z a ! 1 am very i l l
一一‑v e r y i l l f o r t h e e
ー ←but1 c o u 1 d s t i l l g i v e t h e e g r e a t e r p r o o f s o f my
Aff e c t i o n .
p a r t e d with 1 2 Ounces o f b l o o d , i n o r d e r t o q u i e t what 1 e f t i n me
‑‑t i s a v a i n experiment
,一一一p h y s i c i a n sc a n n o t understand t h i s ; t i s enough f o r me t h a t E 1 i z a d o e s . ( A p r i 1 2 1 )
イライザへの悶々とした思いを静める為の潟血,まさにここでは血液が精液 の代替であるかのように扱われている以上の読みを裏付けしているのは,
スタ」ンが『トリストラム・シャンディ
J
の美しいベギ、ンの尼僧とトリム の恋愛エピソードに抜かりなく言及し, しかもそれが「予言J
(予r o p h e t i c
S p i r i t
つによるものだと断言していることだ.このエピソ}ドは戦闘で膝に 傷を負ったトリムがベギンの尼僧から入念なマッサージによる看護を受ける というものであるが,ここにも医療行為がエロス化するその典型を看取する ことができる.ベギンの尼僧は相手を焦らすかのように,最初は人差し指だ けで,そして次第に二本,三本,四本と進み,ついにはその真っ白で嬬子の ようなやわらかな手全体を使ってトリムの患部をマッサージする. トリムはこの時のことを次のように回想する.
The more she r u b b ' d
,and t h e l o n g e r s t r o k e s she t o o k
一一一t h emore t h e f i r e k i n d l e d i n my v e i n s
一一一‑t i l l a t l e n g t h
,by two o r t h r e e s t r o k e s l o n g e r than t h e r e s t
一一一‑my p a s s i o n r o s e t o t h e h i g h e s t p i t c h
一一一一1s e i z ' d her hand
一一一( 8 . 2 2 )
かくして,ベギンの尼僧のラブマッサージによって「絶頂」を迎えるこのト リムのエピソードへの言及によって,潟血と射精が巧妙に関連付けられてい ることが理解できるだろう.さらには,この闘病記たる愛の日記を書き続け ること自体が治療であり,
r
私は以前のように食べたり眠ったり, どのよう なことでも楽しんだりできません一一書くこと以外はJ ( A p r i 1 2 6 )
と告白 するスターンにとって,そのベンを持つという行為もひとり孤独にペニスを 握り締める行為に変わるのだつまり「ベンを取り上げると,私の脈樽は 高まりー一一私の蒼白い顔はほてり一一イライザという名前を綴ると目に涙が たまり,紙の上にこぼれ落ちそうになりますJ ( A p r i 1 2 5 )
とスターンが記 す時,この紙の上にまき散らしそうになったのは涙だけではないだろう.2
スターンのテクストにおいて,血液が精液の代替となり潟血という医療行 為がエロス化していること,さらにはベンとペニス,書くことと自慰行為の 相同性を確認したが, ~イライザへの日記J にはこれよりもさらに直接的に 過剰な性的欲望を示す病である梅毒とその水銀治療についての記述がある.
The I n j u r y 1 d i d myself i n c a t c h i n g c o l d upon James's pouder
,f e l l
,you must know
,upon t h e worst p a r t i t c o u l d
,一‑t h e most p a i n f u l
,& most dangerous o f any i n t h e human Body ‑ ‑I t was on t h i s C r i s i s
,1 c a l l ' d i n an a b l e Surgen
&with him an a b l e p h y s i c i a n ( b o t h my f r i e n d s ) t o i n s p e c t my d i s a s t e r ‑ ‑t i s a v e n e r i a l Case
,c r i e d my two S c i e n t i f i c k f r i e n d s
一一一一一一三i si m p o s s i b l e a t l e a s t t o be t h a t , r e p l i e d 1 ‑ ‑f o r 1 have had no commerce whatever with t h e Sex not even with my w i f e
,added 1
,t h e s e 1 5 Years
一一一Youa r e * * * * *
however my good f r i e n d
,s a i d t h e Surgeon
,o r t h e r e i s no such Case i n t h e world ‑ ‑what t h e D e v i l ! s a i d 1 without knowing Woman ‑ ‑ we w i l l n o t r e a s o n ab
ti t
,s a i d t h e P h y s i c i a n
,but you must undergo a c o u r s e o f Mercuη?
一一一( A p r i 1 2 4 )
ここで,自ら医者を任じるスターンは自分に梅毒の診断をくだす医者の見立 てを誤診だとして反論している.梅毒は恐ろしいだけでなく,品格を庇める 病気と考えられていたことを考慮すれば汚名を着せられることに反発するの は当然の行動と言えるのだが,スターンが異議を唱えているのは梅毒そのも のではなくその感染の原因であることに注目しよう.確かに,医学だけでな く道徳の範障に大いに関係する梅毒は醜くおぞましい病気であることに違い はなく,中でも梅毒患者の破壊された鼻は人々を戦f栗させたことだろう.当 時の一般的な見解では欠けた鼻は社会的失敗の最も見えやすい記号であるば かりか,その人聞が病んでいること,すなわち,感染した人聞が生殖するこ とが不可能で、あること,あるいは可能であったとしても本質的に有害で、ある ことを表象しさらに,先天性梅毒の場合には両親の隠された性の汚染が 子供の身体に崎形として書き込まれることを意味した
(Gilman
,Health 6 8 ‑
9). 同じ箇所で「シャンデイの鼻」について言及されているが,このトリストラムの潰れた鼻を見れば当時の読者はそれが彼の病気の目に見える記号と してすぐに理解できたことだろう.すなわち,その欠けた鼻によって出生と 同時に彼の顔に刻印されているのはまさに梅毒のしるしに他ならない.
しかし注意しなければならないのはスターンの梅毒に対する態度が一貫し て肯定的なものであるということだ.例えば引用では,体調不良の原因であ る結核(及び恋煩い)の治療として服用した「ジェームズの散薬」のせいで 風邪をひき,さらには診断の結果,医者に梅毒を宣告される経緯が述べられ ているのだが,注目すべきは,ここでは梅毒がロマンティックなイメージが 常に付与されてきた結核という病に巧妙に関係付けられていることだす なわち,性的過剰を示すことはあっても決してエロス化されることのない梅 毒という病が,結核に通じる官能的な病のーっとして捉えられており,だか らこそスターンはイライザに対し,シャンデイの鼻は「あなたを楽しませる のに役立つでしょう
J ( A p r i l 2 4 )
と露出症的なまでに無邪気なのだ.しかも, トリストラムの鼻の再建方法についてはスザンナのコルセットか ら取り出した鯨の骨で人工の鼻を作成することが提案され
( 3 . 2 7 )
,あるいは,『トリストラム・シャンディ
J
第4巻冒頭「スラウケンベルギウスの鼻物語」で付け鼻が町の女たちの張形として機能していたということからもわかるよ うに,スターンにとって梅毒及びその表出である欠けた鼻や崎形の鼻は,社 会的な去勢や汚染された性と生殖,エロスの欠如といったものを象徴するも のではない.それは結核という病と同様に官能的なものを招喚するばかりで はなく,さらには,
I
シャンデイの鼻」や「スラウケンベルギウスの鼻物語J
といった崎形の鼻にまつわる一連のエピソードを中心に『トリストラム・シャ ンデイ』というテクストが鏡舌なまでに増殖していくという事実に鑑みれば,
まさに生殖の不可能性どころか多産性と創造性の表出でありスターンの創作 原理の原動力であることは明らかだろう.
3
スターンの梅毒に対する態度を理解する上で忘れてはならないのはその感 染の原因である.すなわち,スターンの梅毒の原因は異性との性交渉による
感染ではないということだ.先の引用でも「わたしは性的な交渉などここの ところ全然していない一一妻とさえもここ
1 5
年ご無沙汰だよJ
と,より明 確に異性との性交渉による感染を前提としない梅毒について述べられ,それ ばかりか「女を知らないj という証言は,オナニスト,スターンの姿さえも 一層前景化するものとなるだろう.この異性との性交渉なしの梅毒あるいは 自慰が原因による梅毒の症状というスターンの着想を1 8
世紀に蔓延した自 慰恐怖という現象から補完してみよう.1 7 1 0
年頃のイギリスの匿名の著者による『オナニア.1(On αmα., o r
,The Heinous Sin o f S e l f ‑ P o l l u t i o n )
,次いで同様の主題を扱ったテイソ(Samuel Auguste David
官s s o t )
の1 7 5 8
年の『オナニズムJ](O n αn i s m ;o r
,A T r e a t i s e upon t h e D i s o r d e r s Produced b y M
αs t u r b
αt i o n )
によって孤独な快楽に対 する強迫観念が定着し正真正銘のタブーとなったことはよく知られている これらの本では自慰行為が潰蕩,痘撃,療病,衰弱,インポテンツ,不妊,流産, といったありとあらゆる病の原因とされ,全身に深刻な後遺症を残す と共に,最後には死に至る病であることが主張されている.
スターンの宿痢でもあった結核という病は体力を消耗させ死に至らせるが ゆえに、
onsumption"
と当時は表記されたが, 自慰に対する非難は性的過 剰や健康への害悪はもちろんだが,なによりも精液のc o n s u m p t i o n "
に向 けられていた.7r
この体液を1
オンス失うことは,血液を4 0
オンス失うよ りももっと身体を弱らせるJ
(古田o t2 )
と主張するテイソが激しく糾弾す るのも精液の浪費に対してである.留意すべきはこの浪費に対する非難とい うものが勃興しつつある中産階級の思想と実践に完全に一致していたこと だ.すなわち,体液という「資本J
の浪費をやめ 富と知識を蓄積すること によって自らの地位を強化せんとする商業資本主義に組み込まれた彼らの性 の節約という行動基準である.中庸の幸福がしきりに勧められ,節制が高く 評価された啓蒙時代,まさにこの時代の哲学によれば,節制は人体も政体も 病から癒してくれると考えられたのだ.中でもパーナ}ド・マンデヴイル(Bernard M a n d e v i l l e )
は『公娼館の慎み深い擁護j(A Modest D e f e n c e o f
Pub l i c k S t e w s )
において.r少年が知る最初の淫らな恥ずべき行為J
(Primer
71)は,もしそれをやり過ぎるとインポテンツになりやすいと警告しさら には健康を損ねるオナニーによる浪費よりも娼館の方がましだと擁護した.節制と自制の道徳のもと肉欲をいかに制御するべきか,いやより正確に言う ならば,人間の欲望をいかにこの道徳、に組み込むべきかというのがマンデ ヴィルの探求する経済学であった.
ここで考慮しなくてはならないのは
1 7
世紀から1 8
世紀にかけて起きた 情念に対する態度の大きな変化である.つまり,当初は悪であり破壊的だ、と 見なされていた情念が生の本質,さらには潜在的に創造的なものと考えられ るようになったことだ(Hirschman4 7 ) .
ヒューム(DavidHume)
は「理 性は情念の奴隷であり,またそれだけであるべきであり,情念に仕え従うこと以外の役割を果たすことはできない
J
(266)とまで言つてのけたが,情念 の地位の向上とともに常に問題となるのは,これをいかに制御するのかとい うことだ.人間の本性を理性よりも情念に見出し人間行動における自愛心 の作用を強調することで,伝統的な道徳、観の虚偽性を暴露したマンデヴイ ルは『蜂の寓話一一私悪は公益j( T h e F a b l e s o f t h e B e e s : o r
,P r i v
αt e V i c e s
,P u b l i c k Bene
βt s )
において,一般に悪徳とされる利己的な欲求充足や利益 追求が結果的に社会全体の利益に繋がること,すなわち,私悪が公益に転化 する様を蜂と巣箱のイメージをもって,個人主義が逆説的に団結し一つの 世界となっている姿としてシニカルに活写した.さらに,アダム・スミス(Adam Smith)
もまたマンデヴイルに非常に近い見解を示し私益を自由 に追求することが公益を促進することになるというこの考えを,r
見えざる手
J
(i n v i s i b l e hand
つというよりスマートなメタファーによって概念化し た.忘れてはならないのは,自由な経済活動を推奨するその前提条件として,スミスが同感(共感)原理を商業社会の正当化とその秩序維持のための核と 位置付けていることだ.すなわち,利己心を前提としながら他人の同感を得
られる範囲に自分の欲求を抑制することが不可欠であり,そこでは市民社会 の構成員が守るべき倫理が節制という道徳の名のもとに内面化されることに よって生殖能力の統制及び生殖行為の社会的管理が達成されると共に,腔以 外の快楽をむさぼる者は異常者というレッテルを貼られることになる.
しかし梅毒とその破壊された鼻に対する態度と同様にスターンにとって 自慰行為は
1 8
世紀の人々を恐怖に陥れたようなおぞましい結果をもたらす 汚械と禁忌に満ちたものではない.それは既に見た,ベギンの尼僧のラブ マッサージ,精液の代替としての潟血及びベンとペニスの相向性,I
スラウケンベルギウスの鼻物語」における張形としての付け鼻といった,スターン のテクストに潜むオナニズムを今一度想起するだけでよい.スターンにおけ るエロティシズムや生殖に対する言説は常にオナニズムをその基礎としてい る.そもそも
1 8
世紀に自慰という病の幻想が広まったのは,逆にいかに多 くの自慰がおこなわれていたかの証左で、もあることをスターンのテクストは 示唆してくれる. トリストラムの父ウォルターは鼻に関する稀少本のコレク ションをしているのだが,ある日 「キリスト教固に三部とはない」貴重な 本(長い鼻を題材としたプルスカンピーユの序詞)を見つけ即座に購入し その宝物を手に急いで、家に帰る.この時の様子を語り手トリストラムは.1ブ ルスカンピーユを相手に,ちょうど皆さんが皆さんの最初の恋人を相手にな らこのような楽しみ方をなさったに違いないと思われるような楽しみに耽り ました すなわち,朝から夜中までず、っとJ ( 3 . 3 5 )
と報告していたこと からも分かるように,この本を片手にウォルターが孤独な快楽に耽っていたことは明らかではないか
スターンのテクストに潜むオナニズムを確認した我々にとって,次に問題 とすべきはスターンの自感と節制に対する態度及び同感を核とした「見えざ る手
J
という経済原理とスターンの創作原理の関係である先ず注目すべ きは,スターンの創り出した登場人物たちが世界に対する経済学的な知覚に 捕らえられていること,すなわち,スターンのテクストにおいては生/性体験の総体が経済学化されているということだ.スミスは人々が自己の利益を 追求することが結果的に全体としての利益になっている,そのような自動的 な調整装置を市場に見出し,この繁栄の原理を分業の効果と人聞に本来的に 備わった交換性向から説明した.
r
だれもが交換することによって生活する のであり,いいかえれば,ある程度商人になるJ
(第1
編第4
章), とスミス は『国富論』で述べているが,スターンのテクストの登場人物たちもまたこ ういった交換の原理が支配している経済の世界に巻き込まれている.しかし トルコ相手の貿易商であったウォルターが何年か前に既に商売をやめて隠居 していることが示しているように,シャンデイ家を中心とする共同体の経済 活動は各自が自己の利益を追求することだけが目的とはなっていない.スミ スは貨幣経済の起源を物々交換に見出したが,必ずしも物と物との交換が貨 幣経済をもたらすわけではなく,贈与と返礼からなる互酬制によってももた らされるということを忘れてはならない.スタ}ンのテクストにおける経済 活動をよく観察すれば,この贈与というものが大きな役割を担っていること がわかるだろう.スミスの考える貨幣経済へと至る交換と互酬制による交換 は一見まったく異質のものであるように見えるが,スミスの経済学が個々人 のエゴイズムを肯定しながら,r
同感」という道徳感情に基づく一種の福祉 経済あるいは厚生経済学であったことを考慮すれば,贈与という経済行為が 彼の経済学から導き出せることが理解できるだろう.少なくともスターンの テクストにおいては「同感J
に基づく経済原理としての贈与が支配している.実際,スターンの登場人物たちはすぐに自らの財貨を他人へと贈与する.
ヨリックは教区の村人たちに自らの馬を貸し与え,教区のとある未亡人には 産婆の資格を取得するための教育とその認可書の費用を贈与する.ウォル ターは戦闘で負傷したトウピーに家の一番よい部屋と看護を提供し, トウ ピーは病に倒れ困窮したル・フイーヴァー中尉に対し,自らの財布を「自由 に使ってもらってよい
J
(6.8)と述べ,家の一番の部屋をあてがい医療費と 生活費を贈与する.そして, トリムはトウピーについて,r
死ぬまで欲得ぬきで奉公したい
J . I
かりに自分に一万ポンドの財産があったとしても,わた しはそれを一シリングも残さずトウビー大尉どのに寄贈するだろうJ
(5.10) と述べ,一方トリムは,既に見たように,ベギンの尼僧から無償の手厚い奉 仕を受けていた.このような贈与はシャンデイ屋敷から遠く離れたフランスでも繰り返され る.
r
センチメンタル・ジャーニーj ではヨリックは托鉢僧とお互いの煙草 入れを贈与しあい(12).またヨリックは貧しい人々(そして彼らの仲間の 物乞いをしないものにまで)に小銭を与え,本屋で出会った小間使いにはク ラウン銀貨を「ささやかな贈物J
(、s m a l lt r i b u t e づ ( 8 9 )
だと言って贈与 している.ヨリックの召使ラ・フルールも 騎馬を失った悲哀にくれる男に はお金を差し出し (57).主人のヨリックにはかごに入った椋鳥をプレゼン トする.そして,ヨリックの親友ユージニアスもまたフランスへ旅立つヨリッ クに自分の財布を取り出し中身を全部渡そうとするのだ.さらに興味深いの は,表面上は購買行為に見えるものも実際は贈与行為となっている場合が数 多く存在することだ.例えば,ヨリックは必要でもないのに売り子の娘から レースを買ってやり,女庖主からはサイズの合わない手袋を購入し,しかも,値段を多めにふっかけてくれることさえ望んでいる.これらもまたスターン 的な贈与のー形態であることは明らかだろう.
モース
( M a r c e lMauss)
の贈与論及びマーシャル・サーリンズ( M a r s h a l l S a h l i n s )
の「贈与の霊J
に関する理論を文学批評に援用したルイス・ハイド
( L e w i sHyde)
は贈与交換と商品取引の違いは,贈与は二人の人間の聞 に感情の鮮を確立するが,商品の販売は取引後になんら必然的なかかわりを 残さないと述べている (57). 10すなわち,贈与による交易とは感情的交易で あり,スターンの表現を使えばまさに、e n t i m e n t a lcommerce" ( 1 3 )
に他 ならない.贈与の精神に登場人物たちは共感しそしてその精神に共感した ものはまた新たな贈与を作動させ続けるのだ.さらに注目すべきは,スター ンにとってこの贈与というものが身体的高揚をともなったものであることだ 11ハイドは贈与交換を
e r o t i ccommerce" ( x i v )
と呼んだが,スターン のテクストにおける贈与もまたこういった官能的な交渉であることは,小間 使いや女庖主への贈与の例からも明らかだ. しかも,そういった贈与は『イ ライザへの日記J
からも十分に窺い知ることができるように,一方的なそし てオナニズム的な官能性が含まれていることは言うまでもない.4
節制は放蕩でもなければ禁欲で、もない.スターンは自らの性的欲望をオナ ニズムという経済原理によって自制する.それは啓蒙哲学,資本主義の市場 法則が連綿と掲げてきた節制の理想、であったしかし注意しなければならな いのは,スターンはこの節制の概念を極限にまで推し進めていることだ.ス ターンの創作原理たるエロティシズムは同時代のマルキ・ド・サド
(Marquis de S a d e )
のテクストに顕著な精液の際限のない浪費でないのはもちろんだ が,リチヤードソン(SamuelR i c h a r d s o n )
のテクストのようにレイプとい う最終目的にたどり着くまでの延々と果てしなく続く誘惑のようなものでも ない.快楽の遅延は最終的により強いエクスタシーに達しようとするためで あるのに対しスターンによる性の経済原理は常に「寸止め」で終ってしまう.すなわち, (射精なしのオナニズム〉である.スターンのテクストを振り返 ればこのことは明白だ. トリムがベギンの尼僧から受けるラブマッサージの エピソ ~F でも実は「私の情熱は最高潮まで高まって一一一私は彼女の手を 握りました一一一一」と精液がほとばしる寸前でトリムは尼僧の手を患部(感 部)から遠ざけていたのだ.あるいは, リヨンに向かうヨ1)ツクが三十歳ば かりの女性とその二十歳の小間使いと相部屋になる『センチメンタル・ジャー ニ‑j の最後のエピソード(1
6 0 ‑ 5 )
では,暗闇の中でヨリックが小間使い の娘の体の一部を掴み,いよいよ乱交に突入する寸前でテクストはぷつりと 終わり,ヨリック,そして言うまでもなく読者は悶々とした状態のまま取り残されるのだ.ヴァリエーションは他にもある.例えば.
r
トリストラム・シャンデイ』でトウピーが鼠径部の怪我をした場所をお見せしましようとウォド マン未亡人に露出症的な提案をした後,テクストは脱線に脱線を重ねた挙句,
ついに一物をご開帳という寸前にトウビーは地図を取り出して自らが負傷し た場所をウォドマン未亡人の指先をとって指し示し彼女と我々読者は肩透 かしを食らっていた.いやそもそも.
I
中断の子J
(c h i l d o f i n t e r r u p t i o n ' ' ' )
(4.19) であるトリストラム自体が中絶性交という象般的な「寸止め」によっ て誕生していたではないか.
スターンのテクストを特徴付けるこの「寸止め」とは,改めて言うまでも なく頓絶法のことであるが このスターン的頓絶法についても経済的な観点 から注釈を加えてみたい.まず最初に確認すべきは商業社会とは信用社会の ことであり,商取引というものと「信用」の聞には切り離すことができない 関係があるということだ.すなわち資本制経済を支えているのは「信用」で あり,資本制経済の拡大とは「信用」の拡大に他ならない.さしあたり売買 がなされたことにするというのが「信用
J
の本質であり,それは売買の関係 を債権者,債務者の関係に転化する. しかも,資本の自己増殖を促進し「売 り」の危うさを減少させる「信用」は資本の運動を無限に強制し続けるだろ う.こういった資本の運動はあたかも自転車操業のように「決済J
を無限に 先送りするために必ず存続しなければならず,もしそこに「終わりJ
がある ならば.I
信用」はすぐにも崩壊してしまうのだ.「信用」が美的体験と関係し,さらには文学とも相同関係にあることをマー ク・シェル
(MarcShe
ll)が看取して以来,パトリック・プラントリンガー( P a t r i c k B r a n t l i n g e r )
.サンドラ・シャーマン(SandraSherman).
キャ サリン・イングラシア( C a t h e r i n eI n g r a s s i a ) .
西山徹といった研究者たち によって1 8
世紀の文学作品と「信用J . I
公信用」との相同関係が指摘され てきたが,スターンの創作原理である「寸止めJ .
すなわち頓絶法にとって もこの「信用」に関する問題は重要である.B e l i e v eme"
(1.1),あるいはg i v e me c r e d i t "
(1.6 )
といったように『トリストラム・シャンディ』の言苦 り手が物語官頭から幾度となく繰り返すのがこの「信用J
についてであり,トリストラムはこの信用を失うことをなによりも憂慮している(
1would n o t shake my c r e d i t i n t e l l i n g an improbable t r u t h " )
(1.11).語り手トリ ストラムが読者に何を信用してもらいたいかといえば,それは自らが語るこ とが真実であること,そしてなにより,自らの「脱線的にしてしかも前進的 なj(1.22)語り口を信用してついてきて欲しいということだ.このスベキュラテイブ(思弁的=投機的)な語り手は我々読者に様々な約 束をする.例えば.
r
小間使いの章j,r
フンッ(p i s h e s " )
の章j,r
ボタン穴の章j,
r
頬髭の章J
等々をいずれお目にかけると言ってみたり,あるいは,第20巻の巻末には図面や付録類や地図を添えるつもりだ(1.13)と約束する.
トリストラムによるこの「信用」に基づく読者への投機的な持ちかけは,語 り手と読者を債務者と債権者の関係に変える. しかも最初の約束が履行され ないうちに語り手は次々と新しい投機話を読者に持ちかける.すなわち,脱 線につぐ脱線によってスターンのテクストは自己増殖を繰り返し続け,
r
終 わり」がたえず先送りされるのだ.そして,r
私が書き進めば進むほど,書 かねばならないことはそれだけ増えていくということ,また当然読者の方は,読み進めば進むほど,読まねばならぬことがそれだけ増えていくことになり ますj (4.13) と, トリストラム自身もこのことは十分に理解している.
信用制度の下では資本の自己増殖は蓄積のためではなく,むしろ「決済」
を無限に先送りするために強いられたものである.しかし,
r
決済」の時は 恐慌という形で突然訪れる.資本主義が根本的に「信用」の世界である以上 恐慌は常につきまとうのだ.一般的な小説における「決済」とはすなわち大 団円にあるいは「終わりJ
に到達することであり,一方,スターンのテクス トのように極めて自己言及的なメタフィクションの体裁をとったものであれ ば,通常それは構成上あるいはナラテイブの矛盾や破綻として表出したり,未完という形に終わるしかないだろう.しかしスターンの場合,
r
トリストラム・シャンディ』が牝牛の種つけの話で唐突に終わっても,あるいは『セ ンチメンタル・ジャーニー
J
が小間使いの体の一部をヨリツクが掴む途中で 突然終わっても,我々読者はスターンのテクストが未完結であったり破綻し ているという感覚はほとんど抱かない.その理由こそはまさにテクストの至 る所で幾度となく繰り返される頓絶法にある.I
書物を一冊書くということ は,一曲の歌を口ずさむのと実によく似ていると思うのです一一大事なの は,奥様,終始調子が合っていることですJ
(4.25) とトリストラムが述べ ていたのを思い出そう.脱線につぐ脱線と増殖し続ける読者への約束のせい で本来ならば破綻すべきテクストが執効に導入される頓絶法によって回避さ れる.すなわち,恐慌という最終的な「決済」が起きてバブルがはじけない ように,スターンは常に自ら小恐慌,小決済と言うべき頓絶法をテクストに 幾度となく召喚し続けているのだ.結語
これまで本稿ではスターンのテクストにおける医療行為に対し批評的かっ 臨床的眼差しを向けてきた.まず我々が観察したのは潟血やマッサージと いった医療行為がエロス化する瞬間であった.そこでは梅毒や整形された鼻 といった通例は決してエロス化しえないおぞましい病さえも能動的に捉えら れていた.スターンにおいて病んだ身体は常にエロス化されるのだがそのエ ロテイシズムはオナニズムを, しかも〈射精なしのオナニズム〉を基礎とし ていた.自らの情念を制御するこの「寸止め」の自慰行為はまたスターン のテクストのエコノミーにもなっていた.我々はスターンの
s e n t i m e n t a l
commerce"
の実践としての贈与行為を観察したが,それはエゴイズムを肯 定した上でそれがもたらす諸矛盾を克服すべく「同感」に基礎を置くスミス の経済学からの帰結でもあった.I
信用」に基づく商業社会には恐慌という 病が必然的に付随していたが,脱線につぐ脱線,観念連合的に果てしなく先延 ば し に し た 挙 匂 に 「 寸 止 め
J
(頓絶)するというスターンのテクスト戦略は,「 決 済 」 を 先 送 り に す る 「 信 用
J
の 構 造 と 相 同 関 係 に あ る ば か り か , 最 終 的 な 大 恐 慌 を 回 避 す る た め の 治 療 と も な っ て い た . そ し て こ の ス タ ー ン 的 頓 絶 法こそ, <大恐慌〉に, <エンデイング〉に, <射精〉に, <死〉に,すなわちconsummation"に 至 ら な い 未 完 の 限 り に お い て の み , 信 用 と 贈 与 の 連 鎖 が 続き, < 生 〉 が , そ し て く エ ロ ス 〉 が 可 能 と な り , ひ い て は 作 品 が 「 完 結
J
す る と い う ス タ ー ン の 逆 説 的 な テ ク ス ト 生 成 の エ コ ノ ミ ー な の で あ る .
※ 本稿は十八世紀英文学研究会例会 (2008年10月4日,於同志社大学)において 口頭発表した原稿に加筆,修正を加えたものである.
Y王
1n this phallocentric world, women have no language to call their own" (36) と 述 べ る RuthPerry はFreudとLacanそ し て フ ェ ミ ニ ス ト 批 評 家Luce Irigaray, Julia Kristeva, Helene Cixousを援用しTristramShαndyにおける 男根中心主義を暴き立てる.PerryによればMrsShandy及び、その他の女性たち は bar喝lyexist in the narrative except in their concern for the phallus" (34) でしかなく,また, Walterと彼の妻との結婚よりも, "The marriage between Toby and Trim is the emotional center ofthe book" (37)であると言う 以上の
ことを象徴的に示すものとしてPerryが指摘するのは, Tristramの出産がテク ストの中心であるにもかかわらず,分娩シ}ンというものが存在せず,分娩中も 語りのスポットライトは常に男たちの会話にのみに当てられているという事実で ある.またEveKosofsky SedgwickはASentimentα1 Journeyを次のように位 置付ける. Althoughnovels like A Sentimentα1 Journey and the Gothic spread a glamor of familial pathos over a complicated male strategy for homosocial empowermentヲtheyare also intricately, even appea1ingly candid about the worldly ties and meanings of their narrator's project. Like psychoanalysis itself: imperia1ism with a baby face" (67). Sedgwickによれば,男たちの鮮は 常に女性の征服と交換を通じて表象され,男性中産階級のイデオロギーを代表す るYorickはホモソーシャルな願望を充足させるために小間使や狂女マリアといっ た労働者階級の女性たちを自らの幻想、にそうように修正し性的に搾取していると E王子
スターンからの引用は特に断りのない限り TheFlorid
α
Edition of the Works of Lαurence Sterneを使用している.どの作品からの引用であるかを明確にするために Tristr,αm Shαndyは巻号と主主番号(例えば「第一巻第五章」はrI
. 5 J
と表 記する)を ,A Sentimentα,l Journeyは項数を ,TheJour九αlto Elizα(, Co九tinuαtion of the Bramine's Journαl)は日付を本文中に明記する 尚,Tristram Shαndy からの日本語での引用は朱牟田夏雄訳を用いたが,一部変更した箇所もある3 潟血のエロス化については鈴木を参照のこと.
4 スターンのテクストにおける pen‑penisequation" (46)についてはBradyを参照 のこと.またBradyは"Tristram'sequivocation about writing and masturbation"
(44)も指摘している.
5 肺病患者の過酷な闘病生活とは裏腹にヨーロッパで、は結核にまつわる佳人薄命説 や肺病天才説と言った甘美なイメージがこの病に与えられ人口に槍炎していた.
結核のロマン化についてはSontagの他にDubos44‑66; Dormandy 85‑100;福田,
Lawlor, Consumptionαnd Literαturも参照のこと.またLawlorは Consuming Time: Narrative and Disease in Tristrαm Shαndy"の中で,結核というものが Tト~strαmShαndy の構成原理であること,すなわちスターンの語りのリズムが結 核という accidental"で traumatic"な病の性質によって規定されていると指摘
している.
自慰に対する恐怖と抑圧の歴史についてはStengers及びLaqueurに詳しい.
7 結核菌によって引き起こされるすべての病気に対して用いられる tuberculosis"
という語が使用されるようになるのは医学の進歩した19世紀になってからであ り,それまで最も広く使用された語は consumption"で あ る . し か し こ の
、
onsumption"という病名はあくまで包括的な用語であり結核以外の身体を消耗 させる様々な病気に対しでも用いられていたということに常に留意しなければな らない.ちなみに, consumption"と文学の関係を扱った研究書といえばClark Law10rのConsumptω花α九dLiterature: The Mαking of the Romαntic Diseαse であるが,あくまでその議論の中心は「結核」とそのロマン化についてでありmasturbation"への言及は一度だけである.むしろ,消費社会と結核及び精液の 浪費の関係を論じたものとしてはRoyPorterの Consumption:disease of the consumer society?"を参照のこと.
Tobyも 「 発 射 体
J
(projectiles") (2.3)に 関 す る 本 を 読 み 漁 っ て い る が , Tristramはそのことによって叔父の精力が浪費されるのを心配している "Alas! 'twill exasperate thy symptoms,一一checkthy perspirations,一一一evaporate thy spirits,一一一一wastethy animal strength,一一一dryup thy radical moisture"(同).またMrsShandyは鍵穴(この語の性的意味は言うまでもないだろう)か
らTobyとWidowWadmanを覗き見したがヮており,それについてWalterは, 'And look through the key‑hole as long as you will" (8.35)と述べ妻のオナニズ ムを冷やかしている.
BradyによればTristrαm Shαndyには少なくとも fingersand thumbs"への言 及が15箇所あり,そのほとんどが sexualintercourse"か masturbation"を示 していると指摘する (42‑3).また,オナニズム,すなわち「手淫Jとの関係に ついての言及はないが, RabbはASentimentα1 Journeyにおける主要な出来事 (例えばかぎ煙草入れの交換,手袋の試着,脈を測る,涙をぬぐう,ベンを持つ等々) において「手」と言うものが重要な役割を演じていることを指摘し (542),能美 龍雄は『ロレンス・スターンの文学一一一スターンとその人物たちjの第2章「ヨ
リックと手
J
において「ヨリックは女性と相対したとき,手を最大限に利用しよ うとする.手による接触が究極的には親密な精神的接触につながる.J
と述べ,r
セ ンチメンタル・ジャーニーJ
のスターンの意図が「手に集約され,凝縮されている」(166‑7)ことを指摘している.
10 贈与と交換の相違については今村,中沢, Sahlinsも参照のこと.
11 例えば,財布を取り出し一緒に使う相手を探すことによって, "1 felt every vessel in my frame dilate ← ← ーthearteries beat all chearily together, and every power which sustained life, perform'd it with 80 little企iction"(5)とヨ リックは述べている.
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