Macbethの潜在的転覆性
著者 山口 賀史
雑誌名 主流
号 63
ページ 1‑16
発行年 2002‑03‑15
権利 同志社大学英文学会
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000015182
1
M
αc b e t h の潜在的転覆性
山 口 賀 史
. . the right use of Comaedie, will 1 th加ke,by no bodie be blamed;
and much lesse of the high and excellent Tragedie, that openeth the greatest wounds, and sheweth forth the Ulcers that are covered with Tissue, that maketh Kings feare to be Tyrants . . . .
‑ Sir Philip Sidney, The Defence of Poesie
1603年3月24日, Elizabeth女王が他界.45年 の 長 き に 及 ん だ Elizabeth朝時代は静かに幕を下ろし, Scotland王James6世がJames1 世としてEnglandの王位を継承した.同君連合の誕生である.即位の翌年,
7月25日のWestminsterAbbeyにおける戴冠式での彼の喜びはいかばか りであったろうか.祝賀行進にはすでに1年前の5月19日に王から勅許を 得で,宮内大臣一座CtheLord Chamberlain's Men)から国王一座CtheKing's Men)に名称を変えていたShakespeareの劇団員も何人か参加したようであ
る.Jamesのこの一座への関心の強さは,その後の宮廷上演回数の記録が 物語っている.Alvin Kernanによると,この一座がElizabethの晩年の10 年間に宮廷に呼ばれた回数が32回であるのに対してJames即位の1603年 からの10年間では138回も宮廷公演を果たしているのである.年間平均に すると 3.2回対13.8固となり,驚異的な増加である
f
この極端な増加を単 純にJamesの芝居好きがもたらした結果と読むのか,王妃Anneや長子 Henry (1612年惜しくも 18歳の若さで他界)の要求にも応えようとする彼2 Mαcbethの潜在的転覆性
の涙ぐましい,けなげな努力の所産とするのか,あるいは田舎者の都会文化 への過度の心酔の現れとするのか,さらにまた人気劇団を王の従僕(king's men)として自由気ままに支配していることを示すことによる彼の絶対君主 権思想の世俗的表出と見るかは別として,ともかくこの数字は国王一座が宮 廷と親密な関係を築いていったことを示している.
Jamesの宮廷と国王一座とのつながりの初期段階においてShakespeare のMαcbethが,両者の好ましい関係の構築に実際どれほど直接的に貢献し たかは知る由もないが,いにしえのScotlandを舞台にしたこの作品が Jamesとはまことに深いかかわりを持つことには全く議論の余地がない.
それどころか ,MαcbethにはJamesを喜ばせるための仕掛けがいたるとこ ろに,しかもあからさまに,そしてもっと悪く言えばほめ革支しと思えるほど これ見よがしに施されている.1606年8月7日,この日が新作Mαcbethの 初演であったかどうかはそう簡単に断言できるものではないが,王の義弟に 当たるDenmark王Christian4世をHamptonCourtに迎えての公演とな ればShakespeareが王に特別の配慮を示すのはしごく当然と言えるかもし れないし,またKernanがMacbethの王を喜ばせるための仕掛けを簡潔に 分 析 し た 後 で " . . James Stuart must have been enormously pleased. Mαcbeth was the Stuart play, celebrating his ancient lineage, portraying the critical event in it and in Scotland's history, and making divine四right kingship identical with nature and sanity." 2と自信をもって断言してみせ
る姿勢に全く賛同できないわけではない.
しかしながら,同時にMacbethは本当にこう言い切れるほどJamesにと って安全な作品なのだろうかという不安は,幾度この作品を読み返してみて もいつも残ってしまう.Shakespeareのことばをもじって言えば "James, James, James, beware Macbeth."と叫ぴたくなるある種の不安を拭い去る
ことができないのである. MαcbethがStuart神話の劇化を狙った作品であ るとするならば, HolinshedのChroniclesで浮き彫りにされている,罪人
Macbethの潜在的転覆性 3
を罰するに怠惰で,女々しいとさえ言えるほど柔な王として描かれている Duncan,逆に有能な王としての側面さえ認められる Macbeth,さらに Duncanの殺害に加担した悪隷なBanquoといったイメージをできる限り払 拭して作品を構築しなければならない.Shakespeareはこれをほとんど完 壁に実践しているかのように思われるが,テクストを綿密に読んでみると,
彼の指の聞からJamesの王としての資質や絶対君主権思想にかえって好ま しからざる不安を与えそうな砂がこぼれ落ちてくる. 本稿ではDuncanと Macbethに焦点を絞ってそのあたりの議論を進めてゆきたい.
E
いささか驚きではあるが, ShakespeareのDuncanが私たちに与える印 象はその存在の耐えられないほどの軽さである.DuncanがMacbethの
"black and deep desires"(1.4.51)3 , "vaulting ambition"(l.7.27)の犠牲にな ったことを私たち読者(観客)はすでに知っているが,遅ればせながら,そ の下手人はともかくとして,王の目を覆うばかりの無惨きわまりない姿が Macduffによって発見された2幕3場以降,亡き王への言及がないわけで はない.LennoxはすでにMacbethが独自のなかで、使った"thegracious Duncan"(3.1.67)をそっくりそのまま借用して王に言及しているし(3.6.3),ま た自分は王にふさわしい美徳をいっさい持たないとわざと主張してみせる Malcolmに向かつてMacduffは, "Thy royal father / Was a most sainted king."(4.3.109・10)と言って,亡き王と Malcolmを対比して嘆いている.確 かに"gracious"や"sainted"はポジティブなコノテーションを持つことばであ
しいぎゃく
り,慈悲深い,聖者のような王を試虐することは, Macduffのことば通り,
まさしく"mostsacrilegious murder叱2.3.63)ではある.しかし, "gracious"
ゃ、ainted"といった語が"sacrilegiousmurder"によって自然の秩序のなか にぽっかりと空いた空間をかつて占めていた王の重み(かりにそれが相当あ ったとしての話だが)をいったいどれほど伝えているかはすこぶる疑問であ
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る.皮肉なことにそのたいしてないはずの重みを一番痛感しているかに見え るのは試虐の罪を犯した張本人のMacbethである.国王殺害の大逆を知ら せる大鐘が鳴り響くなか城主Macbethが発する
Had 1 but died an hour before this chance 1 had lived a blessed time, for from this instant There's nothing serious in mortality.
All is but toys. Renown and grace is dead. The wine of life is drawn, and the mere lees Is left this vault to brag of. (2.3.87‑92)
というせりふは重要である.このせりふがすべてことごとくうそで塗り固め られているとは思わない.最初の 1行半("ablessed time"まで)には,
Macbethがやがてすぐに味わうことになる,今や静かに墓のなかで限る Duncanとの身分の交換さえ願いたくなるほどの苦悶と不安に照らしてみれ ば,我知らず顕在化した彼の本心が読みとれるかもしれない."Had 1 but died an hour before this chance / 1 had lived a blessed time"は,恐らくは 彼の偽らざる気持ちであっただろう.とは言え,彼の残りのせりふには世間 を欺く一"Tobegui1e the time, / Look like the time;"(1.5.61・62)ーための芝 居がかった響きがあることは否定できない.王の死とともに誉れも徳も死に 絶え,この世に残るのは「おり
J
("lees")ばかりと泣かせるせりふを吐いて はいるが,このとき MacbethはDuncanには慈悲深くもあり,一点の曇り もない聖者のごとき美徳と同時に王たるにふさわしくない,言わば「おり」にも等しい濁りがあったという認識を完全に抑圧しながら喋っているのでは ないだろうか.ここではBanquo殺害直後の祝宴の場で見せた醜態と狼狽 とは似ても似つかぬほどの見事な役者振りである.
Macbethが王に忠誠を誓う臣下である限り,彼はこの認識を心の奥底に 抑圧しておくべきであるが,それがいかに至難の業であるかを如実に示して いるきわめて重要なせりふがある.そこでは彼は,一見したところ,
Macbethの潜在的転覆性 5
Duncanの王としての美質だけを念頭に置いて,いきり立つ野心の実行がも たらす恐るべき結果を案じて尻込みをしているかのように思われるけれど も,もっと正確に言うならば, Macbethは王の美質だけを念頭に置いて野 心実現の是非を考量しているつもりであり,王の弱点に関わる危険な認識を ひたすら抑圧しているつもりなのである。しかし,読者にはそれとはうらは らにHolinshedのChroniclesに厳然と存在する Duncanの弱点が,
Macbethが抑圧しているはずのDuncanの脆弱さの認識が,恐らくは無意 識のうちに彼が選択することばを通して顔を出しているのが見てとれるので ある.それはMacbeth城に主を迎えでの晩餐を中座して心奥を吐露するあ の有名な,
r
疑似三段論法」とでも名付けたくなりそうな独自の後半の部分 に静かに息を潜めて司ひそやかにしかし確実に潜伏している@. . He's here in double trust:
First, as 1 am his kinsman and his subject, 8trong both against the deed; thenヲ旦shis host, Wno should against his murtherer shut the door, Not bear the knife myself. Besides, this Duncαn Hath borne his faculties so meek, hath been 80 clear in his great office, that his virtues Will plead like angels, trumpet‑tongued against
The deep damnation ofhis taking‑off, • •• (1.7.12‑20) (イタリック筆者) ここでMacbethはDuncanを万の錆にできない理由を列挙している. (1) まず, Macbethは主の身内でもあり,臣下でもある。(2 )今日は王を客人 として域に迎えている限り,客人の命を守るのが主人の務めで、ある. (3) しかも9 この王の治世には一点の曇りもない以上,彼を葬り去れば,彼の 数々の美徳が天使のラッパのように大声で非道の罪を読み上げることになる だろう,というのがその理由である@このように彼のロジックはきわめて明 快である.いくら飛び跳ねる野心があっても。それをさらに駆り立てる拍車
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(1. 7.25)がないのであれば,どす黒い企てを実行に移すことはとうてい不可 能であり, "We will proceed no further in this business."(1.7.31)と妻に提 案せざるを得なくなる.
なるほど,彼の思考は見事なまでに健全であり,彼の良心も立派にその務 めを呆たしているようである.それはそれとして,ここで問題にしなければ ならないのは,王を殺害できない理由の要約から筆者が意図的に抹殺してお いたイタリック体の部分の解釈である.引用文の5行自の"Besides"は王を 殺害できない理由の追加情報を導入するための接続副詞である.その追加情 報として二つの理由が併置されている."Besides, this Duncan / Hath borne his faculties so meek"と"[thisDuncan]hath been / 80 clear in his great office"で、ある.この二つが"so.. . that"の枠組みのなかに併置されて いるということは, Macbethが前者も後者も同様にDuncanの王としての ポジテイブな側面を表す表現と解釈していることを意味する.でなければ,
彼の理屈は全く成立しなくなるわけであるから,彼がそう解釈していると見 るのは当然である.しかし,ここで注意を喚起したいのは"thisDuncan / Hath borne his faculties so meek"に関する MacbethのDuncanの本質を 抑圧した解釈と私たち読者の解釈にはある種の違和感が存在していることで ある.そしてそのずれを引き起こす要因になっているのが"meek"という実 に危険な語なのである.
まず, Oxford版Mαcbethのエディターである Brookeは,この箇所の
"faculties"の意味として(1) "personal powers (physical and mental)"と ( 2) "legal powers (of the king)"の二つの意味をあげているだけで, (2) の意味しか認めていないOEDと違って,この箇所ではどちらの意味が支配 的であるかの断定は避けている 4 かりにこの語が,二重の意味で使われて いることを前提にしてここを訳すならば,
r
このダンカン王は穂和な性質の 持ち主で,これまで穏和に世を治めてきた.J
とでも訳せるであろうか.い ずれにしても気になるのは「穏和なJ
,r
穏和に」と訳しておいた"meek"、でMacbethの潜在的転覆性 7
ある.ここではもちろん"meekly"の意味の単純副詞(flatadverb)として使わ れており ,OEDもこの箇所を例文にあげている .OEDの"meekly"の定義 を参照しでも"Ina meek or humble manne1'''とあるだけで,何ら役には立 たないので,形容調としての"meek"の定義を見てみよう.重要な意味区分 が三つ浮かび、上がってくる. "1. a. Gentle, courteous, kind. Of a superior: Merciful, compassionate, indulgent. Obs. b. As connoting a Christian virtue (= Vulgate mαnsuetu8, Biblical Gr. npaos); Free from haughtiness and self‑wi1l; piously humble and submissive; patient and unresentful under injury and rep'1oach. c. Submissive, humble (occas.↑const. to). In unfavourable sense: lnclined to submit tamely to opp'1ession 0 1'injury, easily put upon' ; now often in a tone of ironical commendation, with allusion to 1 b." OEDが、bsolete"の刻印を押している"1..a."の最後の用例は 1609年であるから, Shakespeareの時代にはこの三つの意味がかろうじて すべて存在したことにはなるが,ここで"meek"の特徴的要素として見逃し ではならないのはそれが好ましくないコノテーションも持っている点であ る.このことが何につながるかと言えば, Shakespeareが隠しておきたか ったかもしれない柔なDuncan,あのHolinshedのDuncanにつながって しまうのである.New Cambridge版の Mαcbethのエディターである Braunmullerが"Besides"から"taking司off'までをカバーする注として,余計 なことをいっさい言わずにHolinshedを引用しているのはまことに賢明な 判断であり,恐らくは"meek"の危なさに彼自身も気づいているのかもしれ ない 5HolinshedのDuncanの特質をいっそうはっきりとさせるために Braunmul1erの引用よりも長く Holinshedから引用する必要がある.
. . . Duncane was 80 soft αnd gentle of nαture, that the people wished the inclinations and maners of these two cousins [Macbeth and Duncan] to haue beene so tempered and interchangeablie bestowed betwixt them, that where the one had too much of clemencie, and the
8 Macbethの潜在的転覆性
other of crueltie, the meane vertue betwixt these two extremities might haue reigned by indifferent partition in them both
,
so should Duncane haue proued a woorthie king, and Makbeth an excellent capteine. . . . after it was perceiued how negligent he [Duncan) was in punishing offendors,
manie misruled person tooke occasion thereof to trouble the peace釘ldquiet state of the common‑wealth, by seditious commotions which first had their beginnings in this wise. 6 イタリック筆者)
4行自のイタリック体の部分に「遺'臆」の意を表す"too"が使われているこ とに注目したい. 1行自の1180"と7行目のもow"にも「遺憾
J
の意が込めら れていることは文脈からして明らかであり,これを一括して"toomuch of' で言い換えればDuncanの特質を要約しやすくなる.さしずめ"toomuch of softness and gentleness, too much of clemencie, too much of negligence"と でもなるだろうか.このような王にふさわしいとは言い難い彼の特質が,Holinshedでは明らかに謀反・民乱の誘因となっている.してみると,
Macbethのせりふの、omeek"に「遺憾
J
の意味合いが希薄なのは,ただ単 に冗.hat"以下の内容がそうさせているにすぎず,彼の"someek"はいつなん どき"toomeek"につながりかねないきわめて危ない色彩を帯びた表現である と推察できょう.しかも彼のDuncanに対するこの微妙に複雑な気持ちは,"this Duncan"というまことに奇妙な表現で助長されているのではないだろ うか.このDuncanのほかにも別のDuncanがいるのだろうか.まさか,
いかにDuncanが腰抜けであったとしても, Poitiersの戦いで19人もの影 武者7を抱えながら捕らえられてしまったあのFranceのJohn王よろしく 何人ものDuncanを抱えていたわけではあるまい.こんな詮索はただの戯 言としてうち捨てておくとして,恐らくこの"this"は,賞賛,非難,軽蔑,
嫌悪,悔しさなどのさまざまな感情を暗示する「喚情的用法
J
(affective use)としてMacbethの心の深層に潜む微妙なあやを映し出しているのではMacbethの潜在的転覆性 9
ないだろうか.
このように見てくれば, Shakespeareがいかに巧みに隠蔽しようとも Duncanがとうてい"woorthieking"になれそうな器ではなかったことは,
今や火を見るよりも明らかである.彼は絶えず"seditiouscommotions"に悩 まされてきた弱い王であり,彼のこのような側面は, Shakespeareのテク ストにも幸か不幸か流れ込んで、いる.彼が内憂と外患から解放されるのは静 かに墓で限るときだけである.そして実はそのことを一番よく知っているの はMacbethなのである.
. Duncan is in his grave. A氏erlife's fitful fever he sleeps well.
Treason has done his worst; nor steel, nor poison, Malice domestic, foreign levy, nothing,
Can touch him further. (3.2.24‑28)
Duncanの治世にあっては内憂("ma1icedomesticつも外患("foreignleηr")も 珍しいことではなく,それが恒常的でさえあったと読みとってもおかしくな いせりふである.では血なまぐさい戦の庭に目を向けてみよう.
皿
2幕2場の14行目でMacbethは妻に"1have done the deed."とDuncan 殺害の報告をする.劇のプロット進行のこのような早い段階で殺されてしま ったDuncanには全体でわずか70行足らずのせりふしか与えられてはいな いが,そのなかにはいくつか気になるせりふが存在する.魔女たちのわずか 11行のせりふで始まった舞台には,それが終わると早くも Duncanが登場 する.刻々と変わり行く戦況の報告を待ちわびている.血を流しながら陣内 に近づいてきた男を見て, "What bloody man is that? He can report, / As seemeth by his plight, of the revo1t / The newest state."とDuncanは言
う.この血みどろの男が味方であることは認識しているが,彼の名前や身分
10 Mαcbethの潜在的転覆性
("sergeant")には無知である.さらに彼と入れ替わるように戦況報告にやっ て来た男を見て,明1】10comes here?"(1.2.44)と息子のMalcolmに問いかけ,
やって来たのが"Theworthy Thane of Ross. "(1.2.45)で、あると教えられるて いたらく.彼の戦況認識は誰かがもたらす最新情報に依存するばかりであ り,しかもその情報をもたらす誰かが誰であるかの認識は,もはや決して 若いとは言い難い王であるにもかかわらずいっさいない .Richαrd 111の Richardのように自ら軍勢を率いて戦場に出陣するタイプの王ではなさそう である.裏切り者Cawdorの領主の力を得て,今Scot1andに攻め入り,
Macbethと丁々発止と渡り合う Norway王Swenoのような勇ましい姿8を このようなDuncanに期待するのはとうてい無理な注文である.Holinshed のDuncanは戦が苦手で("hi日smallski11 in warlike affaires),謀反人 Makdowaldには"afaint‑hearted milkesop, more meet to gouerne a sort ofidle moonks in some cloister, than to haue the rule of such va1iant and hardie men ofwarre as the Scots were."gと完膚無きまで痛罵され,この反 逆者の猛攻に震え上がるばかりの臆病者("milkesop")でしかない.確かに ShakespeareのDuncanではここまで無惨な,情けないイメージはおおむ ね消されてはいるが,それで、も刀が激しく火花を散らしてぶつかり合うそ の音が間近には聞こえない安全な場所に陣取って,受動的に情報を待つだ けの覇気のない王のイメージは残る.覇気がないばかりか,さらに悪いこ とには,臣下の心の底を見抜く力もない.
There's no art
To find the mind's construction in the face. He was a gentleman on whom 1 bui1t An absolute trust. (1.4.11‑14)
信頼できる臣下とそうでない臣下の見極めをつけるということは,支配者 にもっとも要求される能力の一つであり,みさかいなく人を頭から信頼し きる危険性はProsperoも痛感しているところであるが,やり直しの機会を
Mαcbethの港在的転覆性 11
与えられたProsperoと違って, Duncanにとっではこの能力の欠如が致命 傷になる.
このような玉が支配する Scotlandはもとより安泰した国とはなり得な い.穏和に世を治めているかに見える彼のScotlandは,彼が穏和であれば あるほどかえってそこにつけ込まれ,常に謀反や反乱にさらされてきた不安 定な王国であり,反乱の鎮定にはMacbethのような武将の助けを絶えず必 要としてきた.従って, Duncanはこのような武将の立てる武勲,いさおし
にはいつも負い目を感じていなければならない.
o
worthiest cousin, The sin of my ingratitude even now Was heavy on me! Thou art so far before, That swiftest wing of recompense is slowTo overtake thee. W ould thou hadst less deserved, That the proportion both of thanks and payment Might have been mIne. Only 1 have left to say,
'More is thy due than more than al1 can pay'. (1.4.14‑21)
武勇の申し子, Bellonaの花婿Macbethに対して払いきれないほどの負債 を抱え込んだ王.破産寸前であり, Macbethの立てた手柄がもっと少なか った方がよかった("Wouldthou hadst less deserved")と願うほどである.
DuncanにはMacbethがCawdorの領主のような裏切り者になることは全 く夢想だにしないことであるが,負債がどんどん膨れあがって行くことの危 険性だけはどうやら察知しているようだ.でなければ,あれほど慌てて,つ まり MacbethがDuncanのところまでやってくるのを待ちきれずに, Ross とAngusを彼のもとへ派遣して,恩賞としてCawdorの領主という肩書き を与える旨の報告をさせたりはしないであろう.あの慌て振りは尋常ではな い.それはMacbethが未払いの負債が多すぎることへの不満を抱かないよ
うに先手を打っておく必要性を感じているからにほかならない.なにしろ
12 Macbethの潜在的転覆性
Macbethは王も認めているように"peer1esskinsman"(l.4.58)である.とい うことは, Scotlandの伝統的なtanistryの制度のもとでは王に一番近い男 なのである.この男の心に不満が爆った雰囲気のなかでは王が考えている 大革新の宣言,これまでの伝統的なtanistryを鶴の一声で反古にしてしま うprimogenitureによる王位継承宣言はやり辛いであろう.Macbethは信 頼できる家臣であり,しかも彼の喜ぶ恩賞もすでに与えたことによる安心 感,今や誰一人不満を抱く者はいないという一方的で、軽率な確信のなかで 涙を流しながらこの大胆な宣言をする.今こうした宣言をしなければなら ないということは,とりもなおさずこれまでprimogenitureが全く確立し た制度で、はなかったことを意味する.この唐突すぎる宣言はDuncanにと ってはきわめて無謀かつ危険な賭けとなる.
My plenteous joys,
Wanton in fullness, seek ωhide themselves In drops of sorrow. Sons, kinsmen, thanes, And you whose places are the nearest, know We will establish our estate upon
Our eldest, Malcolm, whom we name hereafter The Prince of Cumberland . . .. (1.4.33‑39)
しかも毅然とした態度で宣言しているのではない,確かに反乱や侵略の鎮 圧がよほど嬉しかったのは理解できる.しかし,王たる者が涙を見せると
は Macbethの男らしさ(manliness)を問題にする批評家は多いが,
Duncanの男らしさも,もっと問題にされてしかるべきである.Macbeth に殺されたSiwardの息子が身体のどこに万傷を受けて死んだのかが重視さ れる時代であればなおさらである.どことなく DuncanにはMachiavelli がThePrinceの19章で描いてみせたあの軽蔑されやすい君主像に重なっ てくるところがある.あの軽薄で、,なよなょして,勇猛心に欠けた君主像 に.そしてこのような側面がJamesには全く無縁で、あったとは言い切れな
Macbethの潜在的転覆性 13
い.涙を流しながら大胆にprimogenitureの宣言をしている Duncanの姿 は想像するだけで滑稽でさえある.これと完壁に重なるとまでは言えないか もしれないが,男らしさには,国民はむしろ"self‑consciouslymasculine military culture"lOの象観である Henryに期待を寄せなければならないほ
ど少なからず問題があり,またAnneの権力を封じ込んだとは言い難く 11
さらに宿敵Spainにはかなり弱腰のJamesが,大胆に王権神授説なるもの を唱えている姿にも滑稽さがつきまとってはいないだ、ろうか.この滑稽さは,
Jamesの場合,思うに,彼に軟弱さと暴君性が共存していることに起因す るのではないだろうか.MacdonaldやCawdorの領主の大がかりな反乱と は比べられるものでは決してないが, Jamesを吹き飛ばそうとした火薬陰 謀事件は,たとえそれが完壁に封殺されたとは言え,厳然と存在する.この 陰謀をたくらみ,実行に移そうとしたひと握りのカトリック教徒は,
Prosperoに対して徒党を組んで"foulconspiracy"(4.1.139)を企てたCaliban がProsperoの弱点と暴君性を同時に心得ていたのと同じく, Jamesのこの ような二面性を認識していたのではあるまいか.
いよいよここで暴君MacbethとJamesの絶対君主権思想の関係に話を 移そう.Holinshedの軟弱なDuncan像がShakespeareのテクストにも見 え隠れしていることは指摘した通りであるが, Macbethの場合, Holinshed に 見 ら れ る 立 派 な 王 ( 最 初 の 10年 間 の 彼 の 治 世 ) と し て の 側 面 は Shakespeareではほとんど完壁に葬り去られている.被の筆が滑ったのは 筆者の知る限りたった1回限りである.それはMalcolmがMacduffが信頼 できる人物であるかどうかを吟味している場面での彼のことばに現れてい る.
But Macbeth is [treacherous]. A good and virtuous nature may recoil In an imperial charge... (4.3.20桐21)
このせりふの意味するところは暖味である."recoil"が
OED
の定義する"to14 Macbethの潜在的転覆性
fall back or away (from some state or condition), to degenerate"の意味で あるとして,問題なのは誰のH冶nat印ur陀e
Malcolmが不定冠詞1ロ2を使い ,"Thy good and virtuous nature"と断言して いない以上,彼がMacbethの"nature"に言及しているかもしれないという 可能性は排除できない.そこにも言及しているのであれば,それは当然王と
して君臨する間にMacbethの'刊'冶na叫tur問e
味し,そうなる以前は立派な王であったことを暗示することばとなる.つま り, Braunmullerの指摘13を待つまでもなく, Holinshedのあの最初の1 O年間のMacbeth像につながってくる.
とは言え, Shakespeareの筆が滑ったのはここだけであり,彼の描く Macbethが読者に与える印象は,はたして彼が王として実際に君臨してい たのかさえ疑わしくなる程度のものである.彼の良きにつけ悪しきにつけ,
ともかく王としての17年間にも及ぶ治世は, Shakespeareではものの見事 に圧縮されている.しかも身分ある者どもを招いて,自分が王であることを 確認する場として機能するはずであった3幕4場の祝宴は完全に崩壊し,そ れと引き替えに3幕6場以降,暴君としてのMacbethの姿が浮き彫りにさ れ て く る . あ る 貴 族 がLennoxに 向 か つ てMacbethのことを"this tyrant" (3. 6.25)と表したことを皮切りに, "tyrant"や 冗yranny"という語が他 のShakespeare劇との比類を絶して10数回以上も使われている.確かに 彼はまがう方なき暴君である.しかし,同時に歴とした王でもあるというこ とは忘れないでおこう.MalcolmとDonalbainが逃亡した後,王に推挙さ れSconeで戴冠式を終えているではないか.たとえ彼がひと揺すりすれば 落ちる熟れた果実(4.3.240)であったとしても,また「だぶつく巨人の服を纏 った小人
J
(5.2.20‑22)にすぎないとしても,王は王である.彼をただの暴君 として,またただ、の"butcher"(5.11.35)として放擬することはできないe 彼 は暴君でもあり,王でもある.暴君か王かの二者択一の問題ではない.このような暴君的君主の末路はMacduffの
Macbethの潜在的転覆性 Boundless intemperance In nature is a tyranny. It hath been
Th'untimely emptying of the happy throne, And fall ofmany kings. . .. (4.3.67‑70)
15
ということばが明らかにしている.これはきわめて常識的な見解である.
Macbethの辿る末路もこれを例証している.
ところが,二の常識的な見解に異議申し立てをするのがJamesの絶対君 主権思想である.KernanはJamesの主張を "80absolute is the authority of kings . . . that even if the king i自atyrant, obedience is sti1l required of his subjects, and rebellion, the most heinous of sins, is not justifiable by any excuse. Since God made king呂,only He can unmake them.,1,4と実に 手際よくまとめてくれてはいるがp 王の主張がMacbethの末路とは明らか に対立していることを見逃している.Jamesの主張に反して暴君的王の Macbethは葬り去られたではないか 15確かにMαcbethという芝居には王 を喜ばせる要素がふんだんに盛られている.しかし,なにしろMαcbethと いう作品自体が火薬陰謀事件に連座した二枚舌のHenryGarnetを吹きとば しかねないほどの"equivocator"であり,そこにはまた王の機嫌を損ねかね ない要素も盛り込まれていることを同時に認識しておくべきであろう.歴史 に材をとる芝居は,それが史劇であろうが悲劇であろうが,常にこのような 危険性を包含している.時の支配者がそれに気づくほど敏感であるかどうか,
それはまた別の問題ではあるが.
i主
1 Alvin Kernan, Shαkespeαre, the King's Playwright: Theαter in the Stuαrt Court, 1603‑1613 (New Haven and London: Yale University Press, 1995), p. xvi. 2 Kernむしp.88.
3 Shakespeareからの引用はすべてStephenGreenblatt et al. (eds.), The Norton Shαkespeαre (New York and London: W. W. Norton, 1997)による.
4 Nicholas Brooke (ed.), Mαcbeth (Oxford: Oxford University Press, 1990), p. 118.
16 Macbethの潜在的転覆性
5 A. R. Braunmuller (ed.), Macbeth (Cambridg'巴:Cambridge University Press, 1997 ,)p. 132.
6 Raphael Holinshed, The Chronicles of England, Scotlαndαndlrelαnd, reprint‑ ed仕omthe edition of 180708 (New York: A ms Press, 1976), V, 265.
7 Charles Edelman, Brawl ridiculous: Swordfighting in Shαkespeαre's Plαys (Manches旬r:Manchester University Press, 1992), p. 81.
8 "Norway himself, with terrible numbers, / Assisted by that most disloyal trai‑ tor / The Thane of Cawdor, began a dismal conflict, / Till that Bellona's bride‑ groom, lapp'd in proof, I Confronted him with self‑comparisons, / Point against point , rebellious arm 'gainst a百 九 /Curbing his lavish spirit . . . . (1.2.51‑57)刊に おけるもim"をCawdorの領主を指すという読みもあるが,この1節のsyntaxを 重視するならSwenoを指すと解釈する方が妥当であろう.
9 Holinshed, p. 265
10 Robin H. Wells, "An Orpheus for a Hercules: Virtue Redifined in The Tempest," Neo‑Historicism, ed. Robin H. Wells, Glenn Burgess and Rowland Wymer (Cambridge: D. S. Brewer, 2000), p. 259
11 Naomi J. Miller, "Sovereign Subversions: Ruling Women in Jacobean England," Formαnd Reform in Renαissαnce Englα孔d:Essαys in Honor of BαrbαrαKiefer Lewαlski, ed. Amy Boesky and Mary T. Crane (Newark:
University ofDelaware Press, 2000), p. 251.
12冠詞が51き起こす唆昧性はMacduffの"Thetitle is affeered."(4.3.35)ということ ばにも見られる.MacduffはMacbethのタイトルに言及しているのであろうが,
"affeered"のことば遊びを考慮に入れるとMalcolmのタイトルにも言及していると 読める.
13 Braunmuller, p. 205 14 Kernan, p. 94.
15 Alan SinfieldはFαultlines:Culturα,lMαteriαlism and the Politics of Dissident Reαding (Berkely: University of California Press, 1992)の第5章
History, Ideology, and Intellectuals"においてMacbethとJamesの絶対君主権思 想との問の不協和音にメスを入れている .Cf Constance Jordan, Shαkespeare's Monαrchies: Rullerαnd Subject in the Renα~ssαnce (Ithaca and London: Cornell University Press, 1997), pp. 16‑31.