現代中国経済組織の「戦略的適応」 : 沿岸部都市 近郊の私営企業を事例に
著者 逢 軍
雑誌名 同志社社会学研究
号 6
ページ 73‑94
発行年 2002‑03‑20
権利 同志社社会学研究学会
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000011961
同志社社会学研 究 NO.6,2002
【研 究論文】
現代中国経済組織の 「 戦略的適応」
沿岸部都市近郊の私営企業 を事例 に
逢 軍
PANGJun
この工場 は大家族 の ようです
労働者の紹介者 M氏 との インタビュー よ り
社長 はた しか にい ろい ろ私 た ちの生活 の世話 して くれ ま した。で も、それ は私 たちが逃 げた ら工場 も困 るか らです。
18歳の工員 K嬢 との インタビュー よ り
それ (「予告 な しの集 団辞職」)は防 ご うと して も防 ぎきれ ない。給料 が 出せ る仕事 さえあれ ば、 百 箇条のルール よ り効 きます。
社長 S氏 との雑談 よ り
1 は じめ に
本稿 では、中国の東部沿海都市青 島市近郊 の股 州市 にあ るA公 司 (仮 名) とい う私営企 業 で収 集 したデー タをもとに、同時代 における中国経済 組織のあ り方 を検討す る。
周知 の よ うに、中国 の改 革 開放 は、1978年 に 農村部1 )か ら始 まった。政策 的 には まず、農業生 産の 「人民公社
」
所有制 に代 わって 「家庭生産請 負制」2)が導 入 され た。それ と同時 に、1983年 ま で に 「社 隊企 業」3)の調 整作 業 が行 われ た。そ し て、1984年、全 国規模 で農村行 政 区画が改 革 さ れ、「郷」
な らび に 「鎮」が設置 され た。かつ て 地方行政組織 としての機能 を もった 「人民公社」
に代 わって、「郷 人民 政府
」
な らび に 「鎮 人民政 府」
が設置 された。村では従来の生産隊組織 に代 わって 「村民委員会」
が設立 され、旧来の 「社隊 企業」
の名称 が 「郷鎮企 業」 に改 め られ た。 「郷 鎮企業」
とは、郷鎮政府、村、農民個人が資本投 資 を行い、製造業 ・建設業 ・運輸業 ・商業 な どの 経営 を行 う企業体 の ことである。 改革開始当初 に は、集団経営が多 く見 られたが、近年 においては私的経営が大幅 に増大 している。 経営規模 か ら見 る と、初期 にはほ とん どが小規模経営体 (主 とし て 日用 品の製造 に従事)であったが、その後 じょ じょに よ り大規模 な経営体 も見 られ る よ うにな り、中には輸 出向け商品の生産 を手が ける企業 ま で登場 して きた (古屋野 ・山手 1995:209)。 1 997 年 に 「郷鎮企業
」
が創 出 した GDPは 2兆元 を上 回 り、同年 の全 国 GDPの三分 の一 を占め た。 ま た、郷鎮企業- の就業人数 は 1 .3億 人で、農村労 働力の三分 の一 を占めるようになった (関 1998:121-122)。その結果、中国の農村経 済 は、事 実上 計画経済 システムか ら脱皮 し始めたのである。
そ うした経済改革 に伴 い、農村部では大量 の余 剰労働力が生 み 出 された。「郷鎮企 業
」
は、その 労働者の多 くが農民工 と呼 ばれる農民であったの で、ある程度 まで農村部の余剰労働力 を吸収する 役 割 を果 た した。 しか し、1980年 代 半 ば 頃 か ら、農村 の余剰労働力 は毎年 1,050万人のペ ース で急増 し、「郷鎮企業」 だけで は、 もはやそれ を 吸収す る こ とが不可能 とな った。1995年 の時点 で全 国の農村部 か ら約 8,00 0万人 に及ぶ 出稼 ぎ労 働者が生 じた と推定 されている (衷 1995:55)。73
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沿岸部 と内陸部 の不均衡 な経済発展 によって地域 格差が拡大 され、沿岸都市部での就業機会の増加 と農村部 の労働力の余剰 は、労働 人口移動 の触媒 となった。その結果 として、農村部 か らの出稼 ぎ 労働者 による極 めて流動 的 な労働市場が生み出 さ れることになった。 こうした大規模 な農民 の出稼
ぎ移動 には、西か ら東へ と北 か ら南- の二方向の 流 れがある。 つ ま り、西部内陸の農村か ら東部沿 岸部 に集 中す る対外 経 済 開発 区へ の流 れ と、華 南、華 中、西南 の内陸部 の農村 か ら南部沿岸部 の 経済特 区へ の流れである。 それだけではな く、同 じ地域 内 ・省 内で も経済格差があるので、地域 内
・省 内での労働者の移動 も見 られる。 い うまで も な く、農村部、特 に貧 困地域 か らの出稼 ぎ労働者 に とっては、都市 の高所得 と都市生活へ の憧 れが 主 たる移動 の動機であ った (王 1996:163-165)。
もちろん、今 日の中国 において人 々は 自由に移 動 で きるわ けで はない。1958年 に制 定 され た戸 籍制度 によ り地域 間の移動 は厳 しく制限 されてお り、特 に農村部 か ら都市部へ の移住 には、戸籍 を 管理す る公安局の許可が必要 とされる。 出稼 ぎ労 働者 は都市へ仕事 を探 しに行 く場合、 まず は当局 の許可 を得 なければな らない。 とはいえ近年、政 府 は経済合理的計算 か らます ます 出稼 ぎ労働 を容 認せ ざるをえな くなってお り、上か らの制限はか ってほ ど厳 しくな くなっている。 特 に農村地域 間 の移動 は、農村 か ら都市への移動 ほ ど厳 しく制限 されないので、近年、内陸地域 あるいは同 じ省 内 の貧 困地域 か らの出稼 ぎ労働者が、沿岸都市部近 郊 (基本 的 には農村部)の私営企業 に流れてい く 傾 向が顕著 に見 られる。 この点 と関連 して、受 け 入れ側 の沿岸部都市近郊の私営企業が出稼 ぎ労働 者受 け入れの際 に学歴や経験 、年齢 な どをほ とん ど問わない とい うことも重要である。 出稼 ぎ労働 者 た ちは、出身地 の 「労務 管 理 セ ンター 」 4)の紹 介状 が あ れ ば、都 市 部 で も仕 事 が で きる し、 ま
74
た、都市部 の食料や生活用 品などの配給制度が な くなったので、社会保 障の受給 はない にせ よ 5)、 何 ら生活上 の支障 もない。
そ う した ダイナ ミックな経済的 ・政治的 ・社会 的変動 は、中国経済組織 における人間関係 のあ り 方 に多様性 を もた らした といえよう。 冒頭 に挙 げ た筆者の イ ンフ ォーマ ン トたちの語 りか らも明 ら か なように、現代 中国経済組織 の中の人間関係 に は、従来 中国社会研究 において最 も重要 な概念 と み な さ れ て き た 「人 情 ren qing」、「面 子 mian zi」、「関係guan xi」とい った要素 と並 んで、そ の ような 「伝統的
」 ・
「道徳 的」
枠組 に収 ま りきら ない よ うな諸 要素 が数 多 く見 られ る よ うだ。で は、「伝 統 的」 ・
「道徳 的」
な枠 組 み と、そ こに収 ま りきらない もの とが、い ったい どの ように複雑 に絡み合いなが ら、現代 中国の人間関係 を規定 し ているのだろ うか。本稿 において筆者 は、 ダイナ ミックな社会変動 を背景 とした中国経済組織 における人間関係 のあ り方 を 「戟 略 的適 応
」
とい う視 点 か ら捉 えて い る。 ここでい う 「戦略的適応」 とは、行為者が 目 前 の経済的 ・政治的 ・社会的状況 に即 して意図的 に自分 に有利 な ように選択す る社会的行為 の こと である。 本稿 で取 り上 げる中国沿岸都市近郊の私 営企業では、労使双方が様 々な 「道具」 を駆使 し なが ら、移 ろ う社会状況 に対 し柔軟 に 「適応」
し てお り、それ によって、そ こでの一応 の秩序が保 たれている。ここでの最後 に本稿 の構成 について述べ る と、
最初 に、調査 地 の社 会経済状 況 と調査対 象A公 司 (仮 名)の簡単 なプロフィールを確認 した上で A公 司 に関す るエ ス ノ グ ラ フ イを記 述 す る。 ま ず、雇用 のあ り方、生産 プロセス と現場管理、労 働条件 について記述 し、その上で労使 間の人間関 係 について記述す る。 そ して最後 に、以上のエス ノグラフイを もとに、従来の中国社会研究 におい
逮 :現代 中国経済組織 の 「戦略 的適応」
て一般 的 に用 い られて きた理論枠 組 みの再考 を行 図 1調 査 地 の位 置 関係 (点 線 で囲 ん だ部 分 は青 島
う。 市 の管轄地域 )
2
調査地の社会経済的概況中国 は、改 革 開放 の 20年 間 に劇 的 な変 化 を遂 げ た。特 に大 きな転換 点 とな った 1992年 の部小
山
平 に よる 「南 巡 講 話」 6)以 来 、 中国 の経 済 シス テ ムは、名 目的 には 「社 会主義市場経 済
」
といいつ つ も、実 質的 には資本 主義市場経済- の舵 を切 っ た。市場 の 自由化 による私営企業 の急成長 、そ し て外 国資本 の流 入 や労働 力移動制 限の緩和 を背景 に、沿岸部 はす さま じい経 済発展 を遂 げた。筆 者 の調 査 地 で あ る腹州 市 は、そ う した沿 岸 部 、 よ り厳 密 にい えば、東部沿岸都市青 島の近郊 に位 置 してい る。 青 島市 は、重点 開放 の沿海港湾 都市 で、軽工業 、紡績業 、機械 、電子 、食 品、化 学工業 な どを有 す る山東省最大 の工業都 市 で もあ る。 青 島 ビールや 中国最大 の総合家電 メー カー海 ホ (ハ イアール) グルー プ 7)とい った地元企 業 は 国際 的 に よ く知 られてい る。 また、青 島市 は、国 内で は観 光名所 ・避暑 地 ・保養地 と して もよ く知 られてい る。
にな り、 さ らに 1987年 2月 に青 島市 の管轄 に移 って今 の腹州市 となった。
交通 に関 しては、腹済鉄 道が腹州市 を東西 に横 断 し、 また、済青高速道路 (済南 ~青 島) と青黄 高 速 道 路 (青 島~黄 島) 8)も通 って い る。 1990年 代 初 め頃 まで青 島か ら股州 までの所 要時 間はバ ス で約 3時 間であ ったが、現在 で は イ ンフラ整備 に 股州市 は、青 島市が管轄す る県 レベ ルの市 (県 よ り 1時 間 30分 まで短 縮 され た (バ ス の本 数 は 級市)であ り、 山東半 島の西南部 、股州湾 の西北 1時 間 に 4本)。 19
岸 に位 置 してい る。 同市 は、青 島市 の西北 に位 置 来、股州市 は、青 島市 の近郊 に位 置す る こ と、青 し、腹州 湾 を挟 ん で青 島市 と向 か い合 って い る 島へ の交通 イ ンフラが年 を追 うご とに改善 され た 78年 に始 ま っ た 改 革 開 放 以
2 , 面積 は 1
ク タールで、 区画 は 5つ の街 道弁事処 (郷 な らび に鋲 と同 レベ ルの行 政単 位 )、 13の鋲 、 4つ の郷 か ら構 成 され て い る。 人 口 は約 75万 人 で、 そ の
うち、農村戸籍 の人 口は約 61万 人であ る。 股州 市 は、西 周 の時代 に初 め て行 政 区 画 とな り、唐 、宋 時代 に は板 橋 鋲 の所 在 地 で あ っ た。
元 、明、清 時代 には股州 と呼 ばれ、清末 には山東 省東部 の商 品集散 地 な らび に手工業 の地 と して知 られ た。民 国期 の 1912年 に股 県 と呼 ばれ る よ う
(図1)。 60キ ロ平 米 、耕 地 は 620,00
ヘ
こ と、 さらに、 それ以前 か ら工業 ・商業 な どの基 盤 があ る程度 で きあが ってい たな どとい う諸 々の 好 条件 のおかげで、す さま じい経 済成長 を遂 げるこ とになったのであ る。
表 lは、改 革 初 期 の 1978年 、 1992年 (部小 平 に よる 「南巡講話
」
の年)、そ して 1999年 のそれ ぞ れ の年 の GDPな らび に農民 一 人当 た りの平均 純収 入 を表 してお り、 これか らだけで も近年 の腹 州市 の経 済社会 的変化 が いか にす さま じい もので あ ったかが 了解 され よう。 まず 産業 別 GDP比 の75
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表 1膜州 市 GDP及 び農民収入状況
項
目 GDP年 度
(万元 ) 当 た一人GD(元)Pり 産業別 第一次 第二GDP次 第三次の比( %)均純収入 当農民一人た り平1978 13,984 221 産業 産業 産業 (元) 1992 159,269 2 58.8 21.6 19.6 146
1999 840,291ll1,,20611 32.216 .5 443.62 .3 24.32 2 1,006 00年鮫 川統計 一年 . 344
出所 : 20 2 ,2
推 移 を見 て お こ う。 19鑑 p.8-11よ り作成 GDP比 を比較 す る と、78年 と 1999年 の 産 業 別 21.%6 にまで減少 し、それ第一次 産業 は 588.%か ら は 2.%16 か ら46.%2 に対 して、第二次産業 ら 3.%22 に増 に、第三次 産業 は 196.%か 開放 の 20年 間 に急加 した。要 す る に、腹州 市 は改 革 とい え る。 また、1激 な工業化 の道 を歩 んで きた99 9年 にお け る腹州市 の産 業 別 GDP比 は全 国 の そ れ (第一次 産業 : 1
4.%、第三次産業 7.%、
第二次 産業 : 93 7
次 に、農民 の収入状況 :3%)とほぼ
同 じである。 3
した よ うに、197 を見 てみ よう。 表 1に示 に一 人 当 た りの 年 間平 均8年 か ら 1999年 まで の 21年 間 344,2元 まで増加 した。 純 収 入 は 146元 か ら
,2 1999年 の農民一人当た り の平均純収入 34
4元 は、同 じ年 の全 国の農民一 人 当 た りの平 均 純 収
た。 ちなみ に、中国 入 2,120元 を大 き く上 回 っ 困 ライ ンは、一人 政府 が公表 した 2000年 の貧 あった。 とす る 当た り年 間平均純収入 625元で 収入は、 この貧 と、腹州市の農民-人当た りの純 ことになる。 こ困 ラインを 5倍以上上 回っていた 人 口の 8%0 以上 を占め てい る との ように、股州市 はは 農村人 口が総い え、経 済
3には相 当豊 かな地域 である といえる。 的
調査対象 AA公 司の プロフ ィール 調査 対 象 の 公 司
は、股州市 の 中心 部 か ら東 に約9キロ離れた青台鋲 の李寄
76 荘 にある (この二
筆者 はそ こで 2
日間の予備調査 を行 い、同年夏 に 001年春 に 10
2001年現在 、中 20日間の本調 査 を行 った。
には、「私 営企 業 国農村部 の企 業 の所 有 権 制 度 企業の三種類 、股 分 合作 制企 業9)、集 団所 有 がある。 その うち、私営企業 は個 人 独 資企 業 と股分合作 制企 業 の二種 類 に分 け られ る
」
(朱 1998‥ 65)。 A公 司 は前 者人独資企業であるA公 司 は靴 関係。 、す なわ ち個 (図2)。一 つ は 「の二 つ の工場 を所 有 してい る 一つ は 「製靴」工靴
椙」
(靴 の 型)工 場 で、 も う 場 である。 本稿 の分析対象 とな ったの は後者 であ る。ら30メー トル奥 ま 「靴
桂」
工場 は一般 道路 か 場 の前 には幅 った ところにある。 「製靴」工 門の両側 の柱8メー トルの村道がある。 工場の正 る。 村道 を挟 んの上 には石造 の獅 子 が置 か れ てい が あ り、宿 舎 ので正 門の斜 め向 こうには工員宿舎「家進如意財」 入 り口の 門 には 「天賜平 安福」、
ている。 入 り口とい う対句 の書 かれ た紙 が貼 られ り、右側 は工員 を入 る と、庭 の真 ん中に井戸があ 宿舎である。 工食堂で、正面の二階建 ての建物 は ず、食事 をす る員食堂 とい って も、調理場 にす ぎ ちはそ こで食べ物場 所 で は ない (写真 1)。工 員 た るこ とが多 い。 を買い、宿舎 に持 ち帰 って食べ 面 の作 業 現 場 の「製靴」工場 の正 門 を入 って真 正
「福
」
とい う文字 が書壁 には、約 1 .5メー トル 四方 の は 「列 を乱す と5元のか れてい る。 駐輪場 の壁 にる社長 の住居 は。 罰金 を課す」 と書かれてい う一方 を事務 一方 を 「招待食堂」 と隣接 し、 も 室 と隣接 してお り、その さらに隣が 社 長 室 で あ る。
調、電話、 FA 社 長 室 に は、 コ ン ピュ ー タ、空 る。 社長室か らはXな どの OA機器 が備 え られ てい 場 が見 渡 せ る。 応 「靴酎」と製靴 の二つの作業現
ヶ所 の地名 も仮名)。
逮 :現代 中国経済組織 の 「戦略 的適応」
図 2 A公 司平面 図
至股 州市 内 一 般 道 路 市
i >
「靴
酎」
作業現場村
追 至煙台
食
出所 :筆者作成
イ レ、 シャワー室 な どを備 えてい る。 「靴
軒」
業現場 では、「靴酎」、つ ま りソール以外 の部分作 加工 す る作 業 が行 われ る。 2001年 夏現 在 、 Aを 司で は 「靴
常」
の受注 しかないので、 ソール と公 本体 を糊付 け して完成 品 を作 る 「製靴」の作業現靴場 は使 われていない。社長 の住居 の隣 にある 「壁 待食堂
」
は、社長の家族 、取引先 の客、高給 で招ってい る技術者、そ して残業す る職員 たちの食雇 のため に使 われている。 また、二つの倉庫 はそ事 ぞれ社長室 と応接室の隣 におかれている れ
。 7
同志社社 会学研 究 NO.6,2002
A公 司 の 写真 1 工 員食堂 (筆者撮影) ので あ る。 社長 でこれ まで の歩 み は、 ま さに劇 的 な も の農家 の長男 あ るS氏 は、1950年 に李 寄荘 の父親 はかつ (5人兄弟) として生 まれ た。
S
氏 たが、文化大て中国共産党の李寄荘支部長 を務 め 革命 の時代 に李寄荘 内部 の権力闘争 に敗 れ 自殺 した。以来、S氏 は 1968年 の こ とで あ る。 その時 家族の名誉 回復 のため に も将来必 ず 出世す る と心 に
は二つ。一つ 誓 った。
S
氏 によれば、出世の道 もう一つ は は政治的 にの し上が ることであ り、し、文化大革経 済 的 に成功 す る こ とで あ る。 しか 命 の時代 には経済的成功 による出世 の道が 閉 ざされ
をとらざるを ていたので、S氏 は、政治的 な道 えなかった。彼 は、 まず共産党貝 に な り、小学校 の教 師 を
った。しか し、改革 経 て村民委員会の幹部 とな 開放 の時代 が来 るやい なや、S氏 は経 済 的 な道 に方 向
青台鋲 の靴工 転 換 した。1983年、S氏 は 場 (集団経営 の郷鎮企業)の工場長 に 就 任 し た。 さ ら
は、全 国の 「公 に、1984年 9月、S氏 夫 婦 乗 って、鎮 政府 司熱
」
(会社設立 ブーム)の波 に 付 け) に よ り の支援 (無利子 で55.万元 の貸 し 設 した。設立 小 さな靴工場 (面積 60平米) を建 半分 を親戚が 当時 の従 業員 は 12人で、その内の なか なか思 う占めていた。 しか しなが ら、経営 は . ようにゆかず、同年11月 には、貸 付金の55万その翌月、元全額が損失金 となって しまった。 S氏 は
78 、親戚 を介 して青 島 にある国
ー カー K社 の社長 との関係 づ くりに
成功 した。そ
では トップの国の時期、K社 は、山東 省 の靴 業 界 氏 の 「五服」1 0 有企業であ った。K社 の社長 はS の弟 は S氏 )内の親戚 で あ り、 また、その社 長
の 同級生 で あ った。 この よ うな関係 で、S氏 の会社
加工す ること は、K社 の下請 け として主 に靴 を が安定 したおかになった。そ うして外部 か らの受注 げで、S氏 の企業経営 は軌道 に乗 り始 め、す ぐに工 員
年 9月、S 数 が 200人 に達 した。1988 氏 の工場 は K社 の直属 加 工 工場 とな り、工員数 は さらに 2
年、S氏 の会社 80人 にまで増加 した。1994 とな り、股州 は黄金期 を迎 え、工員数 は 428人
市の私営企業ベ ス トテ ンの 4位 とな った。同 じ年、
S氏 の会社 には共産党支部が設立 され、彼 は支 部 長
業 をさらに拡 を兼任 した。1995年、彼 は事 大 し 「靴
椙」
工場 を設置 した。 この 時点 で工場 の総面積 は、7いたしか し、国。 ,000平 米 に まで達 して に伴 い、199有企業の改革 とさらなる市場 自由化 そ して、国有6年末 頃か ら K社 は不 況 に陥 った。
1997年 になる企業の不 良債権 な どの問題 のため、
陥 った。 こうしと、 K社 は破 産寸前 とい う状 態 に か らの受 注が た状況下で、 S氏の工場 で は外部 か らの売掛金 め っ き り少 な くな り、S氏 は K社 S氏 は、工員 を回収で きな くなった。そのため、
にな り、 さら- の給料 の支払 い さえで きない状態 他 の会社 の に、金融機 関か らの貸付金の返済や 199 8年 の年 始 に買掛金 の支払 い もで きな くな った。
社 か らの受注 は工 員 の数 は 200人 に減 り、K 伴 い、工場 のは全面停止 した。工員の数の減少 に
経営 は ます ます不安定 な状態 になっ てい った。同年
靴 製造 会社 10月、S氏 は、友 人 か ら韓 国 の 帝」 を加工すを紹 介 され、その下 請 け と して 「靴 安定 だったのる仕事 を始めた。 しか し、経営が不 も少量 の発注で、その韓 国企業 は不定期 に、 しかし
内有名靴 メ
状況下で、後述す る工員 たちの 「予告 な しの集団 辞 職」が 相 次 い で 起 こ っ た。1999年 の 初 め に は、つい に工 員 数 が 20人 に まで減少 した。その 時期 は、S氏 に とって、 まさに試練 の 日々であ っ た。1997年 か ら2000年 にか け て の 4年 間 に、S 氏 は、経営不振 か ら くる トラブルが原 因で 7度 も 起 訴 され た。特 に厳 しか った 1999年 には、S氏 は金融機 関か らの貸付金の返済、他 の企業 の買掛 金の支払 いが遅 れた ことを理 由に起訴 され、審査 のため腹州市検察院 に 8日間 も拘留 された。
そ う した危 機 的状 況 下 にお か れ なが ら も、A 公 司 は何 とか もち こた えた。 とはい え、2001年 の初頭 までは工員の流動が非常 に激 しく、雇用 と 辞職 の繰 り返 しが見 られ た。2001年 2月 にな っ て、S氏 は法 的手段 を通 して売掛 金 を回収 し始 め、回収 した売掛金 を設備投資 と工場 の改築 にま わ した。それ に よって、工場 の 「ハ ー ドウェア」
が改善 されたので、 じょじょに前 出の韓 国企業か らの定期 的受 注 が増 え、2001年 の 8月 か らは毎 月 1 .5万 -2万足 の 「靴帝」加工 の受 注 が得 られ る ようになった。 さらには、その韓 国企業 と加工 契約 を結 ぶ こ と もで きた。工 員募 集 も順 調 とな り、2001年 8月現在 で工 員数 は 93人 まで増加 し た。その 内 「製靴
」
工場 の工 員 数 は52人 で、そ こで は一 つ の生 産 ラ イ ンで 毎 日500-800足 の「靴帝」が生産 されている。 こう してA公司 は好 循環 の第一歩 を踏み出 したのである。
以 上 の よ うに、A公 司 の歩 み は、波 潤 含 み の ものであ った。 この ことは、冒頭で述べ た改革 開 放以来の中国の経済的 ・政治的 ・社会的変動 を少 なか らず反 映 した結 果 とい え るだ ろ う。 以 下 で は、現地調査 で得 られたデー タをもとに、同社 の 雇用 のあ り方、生産 プロセス と現場管理、労働 条 件 、そ して、労使 間の人間関係 に関す るエス ノグ
ラフィックな記述 を行 う。
逮 :現代 中国経 済組織 の 「戦略 的適応」
4 雇用のあり方
雇用 に関 して、 ここでは便宜的 に職員 と一般工 員 に分 けている。 職員 は月給制 で、一般工員 は出 来 高制 で あ る。 また、A公 司 には明確 な雇 用 契 約制度 は存在 しない。
以下では、 まず職員の雇用 を見 てみ よう。
表2が示 す よ うに、職 員 の ほ とん どは S氏 の 親戚 であ る。 財 務 管理 は S氏 の妻 が担 当 してい る。 筆者 は、事務室で副工場長や職員が領収書 を S氏 の妻 に渡 し、それ に対 し彼女が ポケ ッ トか ら お金 を出 して彼 らに支払 うところを何度 も目撃 し た。
S
氏 の話 で は 「家 の金 庫 は女 房 の ポ ケ ッ ト だ」 との こ とで あ る。 実 際、A公 司 は銀 行 口座 さえ設 けてお らず、仕入れや出荷 をすべ て現金取 引で行 ってい る。S氏 の妻 は財務管理 の責任者で あるだけでな く、「製靴」工場 の工場長で もある。 倉庫 管 理 とセ ール スマ ネー ジ ャはそ れ ぞ れS表 2 「製靴工場 」職 員一覧
ト 職 務 性別 S氏 との関係 また は入社 ルー 警 備 員 1 男 S氏 の
警 備 員 2 男 S氏 の 「昔 の隣人五服」内 の兄 (定 年 し 男 Sた労働 者)氏 の元 の仕事 関
副 工 場 長
セールスマネージャ 男 S氏 係 の友 人 女 S氏のの妻妻 のの弟義理 の兄嫁 現 場 管 理 主 任
倉 庫 管 理 人 女 直 気 補 修 男
S氏 の妹
男 SS氏氏 のの義義理理 のの兄 の息子 裁 断 責 任 者出 荷 検 査 女 取 甥
トラ ック運転手 男 S氏 の隣人 の息子引先 の韓 国企業 の通訳 の紹 介
招待 食堂炊事係 座 食堂炊事係 女女
S氏 の妻 の義理 の親戚 警備 員
同志社社会学研究 NO.6,2002
氏 の妹 と S氏 の 義 弟 (妻 の 弟)が 担 当 して い る。
S
氏 の話 に よれ ば、「財 務、倉 庫、セ ー ル ス は工場 に とって最 も重要 な部 門だ。それ らは、 自 分の家族 あるいは近い親戚 に任せ なければな らな い」
との こ とで あ る。 要 す る に、A公 司 の経 営 形式 は基本的 には家族経営 といえるだろ う。待遇 に関 していえば、給料 は月給制である。 副 工場長 (もともとは股州市 にある国有靴工場 の技 術責任者) は高給雇用で、それ以外 の者 はそれぞ
れ 400-800元 の間で ラ ンク付 けが されてい る。
ランクを付 ける基準 は勤続年数、仕事 の難易度、
仕事 の量 な どで あ る。「縁者雇用
」
とい って も、給料 の ラ ンク付 けの際 に、親族か どうかや親族 の 遠近 な どによって影響 されることはあ ま りない。
結 局 の ところ、給料 の ラ ンク付 け はすべ て S氏 のほぼ独 断で決め られる。
次 に、一般工員の雇用 を見 てみ よう。 一般工員 の雇用 に関 しては、主 に二つのルー トがある。 一 つ は現役工員、知 り合い、親族 な どの紹介。 もう 一つ は、他 の農村地域 の 「労務管理 セ ンター」を 通 しての紹介である。 公募 による工員の募集 は し ていない。 「製靴
」
工場 の工員 は全員女性 で、 2001 年 8月 23日現在 の工員数 は 52人であった。工員 を採用す る際、能力、経験 、学歴、出身地 な どは ほ とん ど問われ ない。「製靴」工場 の工員名簿 に は工員の名前 と出身地 しか記載 されていない。そ のため、筆者 は、工員全員 を対象 に年齢、婚姻状 況、入社時期、入社方法、出身地 な どに関す るア ンケー ト調査 を行 った。表 3は、その結果 をまと めた ものである。表 3に示 され た よ うに、 67%の工 員 が地元 以 外 の五つの地域 か ら来 ている。 他地域 か ら来 た工 員の中には同 じ村 の出身者、あるいは親族 関係 に ある者が多い。それは、私 的ルー トによる雇用の 結果であ り、現代 中国おける出稼 ぎの一つの特徴 である。 また、筆者 は、他地域か ら来 た工員 に出
80
稼 ぎ経験 の有無 を質問 したが、ほ とん どの工員が それに答 え ようとしなか った。 この ことに関 して 一人の工員が言 うには、「も し出稼 ぎ経験 が あ る と言 った ら、社長 に私 はここで も長 く仕事 を続 け ない と思 われ るか ら
」
で あ る ようだ。つ ま り、 S 氏 が工員の仕事が長 く続 くよう望 んでいることを 工員 たちは承知 しているのだ。工員 たちは出稼 ぎ 経験 の有無 について回答 して くれ なかったが、作 業現場 や工員宿舎 な どで筆者が工貞 同士 の会話 を 立 ち聞 きした り工員 と雑談 した りして得 られた情 報 か ら、出稼 ぎ経験 の あ る工 員 はお よそ 65-70%に上 る と推測 される。
工員の採用手続 きは非常 に簡単 であ る。S氏 は い くつかの 「労務管理 セ ンター」 と私 的な関係 11)
を もってお り、「労務管理 セ ンター
」
か らの紹 介 の場合、誰 で も面接 な しで採用す る。 現役工員 と S氏 の知 り合い による紹介の場合 は、原則 的 に面 接が行 われるが、それ も形式 に過 ぎない ようだ。また、現役 工員 と S氏 の知 り合 いが経 営 者 サ イ ドに事前連絡 な しに労働者 を連れて きて面接 を受 けさせ る場合 もある。 原則 として年齢制 限はない が、実際 には工員のほ とん ど (特 に他地域か ら来 る者) は 10代 か ら 20代 である (地元 出身者 には 40歳以上の者がいる)。
参考 まで に、ある面接 の事例 をあげてお こう。
2001年 8月 23日の午後 、李寄荘 の共産党支部長 の夫人が事前連絡 な しに17歳 と16歳 の姉妹 を連 れ て S氏 の ところ にや って きた。姉妹 の叔 父 は 支部長の家の前 で道路工事 の仕事 を していた時 に 支部長 と知 り合い、 自分 の姪 に仕事 を紹介 して く れるよう依頼 した。姉妹 は山東省 内の貧 困地域 の 出身であった。面接 の全過程 は応接室で立 った ま ま行 われた。以下 は面接時の会話 の全容 である。
逮 :現代 中国経済組織 の 「戦略的適応」
表 3 「製靴工場」工員一覧
工 員 年齢 学 歴 婚 姻 状 況 出 身 地 入社 時期
A l 46 な し 既 婚 青 台鎮 入社 方法
A2 40 中卒 既 婚 1995.2 地 元 関係
A3 42 中卒 既 婚 李李 寄寄 荘荘 119989.998.8 地地 元元 関関係係
A4 38 中卒 既 婚 李 寄 荘 1986.7
A5 35 中卒 既 婚 李 寄 荘 1 地 元 関係
A6 45 中卒 既 婚 988.10 地 元 関係
A7 46 中卒 既 婚 李李 寄寄 荘荘 11998877.6. 6 地地 元元 関関係係
A8 42 中卒 既 婚 李 寄 荘 1997.2
A9 40 小 卒 既 婚 青 台 鎮 20 地 元 関係
A 10 36 中卒 既 婚 00.2 地 元 関係
A ll 32 高 卒 李 寄 荘 1986.2 地 元 関係 A 12 31 中卒 既既 婚婚 李李 寄寄 荘荘 2001985 5 1..3 地地 元元 関関係係
A 13 28 中卒 既 婚 李 寄 荘 1988.
A 14 27 中卒 未婚 李 寄 12 地 元 関係
A 15 24 中卒 荘 2000.ll 地 元 関係
A 16 24 未 婚 李 寄 荘 1995.2 地 元 関係
A 17 29 中中卒卒 未婚既婚 青 台 鎮李 寄 荘 11999966..72 地地 元元 関関係係 Bl 19 中卒 未 婚 河 北 省 魂 県 2000.9
B2 20 中卒 未 婚 河 北 省 魂 県 工 員 の紹 介
B3 18 中卒 未 婚 河 2000.9 工 員 の紹 介
B4 19 中卒 未 婚 北 省 魂 県 2000.9 工 員 の紹 介
B5 20 中卒 河 北 省 魂 県 2000.9 工 員 の紹 介
B6 20 未 婚 河 北 省 魂 県 2000.9 工 員 の紹 介
B7 19 中中卒卒 未未婚婚 河河 北北 省省 成成 安安 県県 2200000.1.89 M工 員 氏 のの 紹紹 介介 C1 20 中卒 未 婚 山東 省 菜 荘 市 陳楼 鎮 2001.6
C2 20 中卒 未 婚 山東 省 棄 荘 市 陳楼 鎮 2 工 員 の紹 介
C3 18 中卒 未婚 山東 省 菜 荘 001.6 工 員 の紹 介
C4 17 中卒 未婚 山東 省 市 陳楼 鎮 2001.6 工 員 の紹 介 C5 17 中卒 未婚 山東 乗 荘 市 道 荘 2001.4 工 員 の紹 介 C6 18 中卒 未 婚 山 省 葉 荘 市 道 荘 2001.4 工 員 の紹 介 C7 18 中卒 未 東 省 菜 荘 市 小 張 山頭 2001.4 親 戚 の紹 介 C8 18 中卒 未婚婚 山山東東 省省 票荘菜荘 市市 小小 張 山頭趨 村 22000011..44 親親 戚戚 のの紹紹 介介 D l 19 中卒 未 婚 山東 省 き斤水 県 許 家 湖 鎮 20
D2 17 中卒 未婚 01.8 労 務 管 理 セ ン ター
D8 18 中卒 未婚 山山東東 省省 i主斤斤水水 県県 許許 家家 湖湖 鎮鎮 22000011..88 労 務 管 理 セ ン ター D4 18 中卒 未婚 山東 省 折 水 県 許 家 労 務 管 理 セ ン ター
E5 20 中卒 未 湖 鎮 2001.8 労 務 管 理 セ ン ター
F1 24 中卒 未婚婚 甘 粛山東 省省 諸 城 県武 山 県 石橋 子 鎮 20019961..22 労 務 管 理 セ ン ター 親 戚 の紹 介
F2 26 中卒 未 婚 甘 粛 省 武 山県 1997.3 工 員
F3 18 中卒 未 婚 甘 粛 省 武 山県 2001.1 の紹 介
F4 25 小 卒 未 婚 甘 粛 省 武 山県 2001 工 員 の紹 介 F5 22 中卒 未 婚 甘 粛 省 武 山県 1 .7 工 員 の紹 介
F6 19 中卒 未 婚 甘 粛 省 996.2 労 務 管 理 セ ン ター
F7 18 中卒 武 山県 2001.5 労 務 管 理 セ ン ター
F 未 婚 甘 粛 省 武 山県 2001.5 労 務 管 理 セ ン ター
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同志社社会学研究
S氏 の妻 姉妹 S氏 の妻 支部長の妻 S氏 の妻 姉妹 S氏 の妻 支部長の妻
S氏 の妻 支部長の妻
S氏 の妻
支部長の妻 S氏 の妻
支部長の妻
S氏 の妻 支部長 の妻
姉妹 S氏 の妻
NO.6,2002
:(姉妹 にむかって)い くつ ? :17、16。
:身分証明書 はある? :後 日もって きます。
:仕事 を したことはある ? :ないです。
:うちの仕事で きるかなあ。
:だい じょうぶです。で きる と 思い ます。
:長 く続 けられる ?
:ここは良い ところだか ら、続 け られる と思い ます。
:そ した ら、明 日か ら来 られ る ?
:問題 ないです。
:じゃ、 とりあえず、今 日は現 場 を見 て もらって、明 日か ら 来てち ょうだい。
:すみ ませ んが、今晩宿舎 に泊 ま らせ て くれ ませ ん か。実 は、 この二人泊 まる ところが ないんです。
:いい よ。
:(姉妹 に向か って) はや く、
あ りが とうと言いなさい。
:あ りが とうござい ます。
:じゃ、がんばってね。あんた の 田舎 に働 きた い 人 が い れ ば、紹介 してね。で きれば、
聞 き分 けのいい子がいいわ。
以上 の面接 は 3分 間で終 了 した。そ の 内容 か ら、経営者サ イ ドが工員 を採用す る際 に仕事 を長 く続 けることと聞 き分 けがいい ことを重視 してい るのがわかる。 興味深い ことに、そ こでは、雇用 後の待遇 については全 くふれ られていない。 この
82
点 について、ある河北省出身の工員が次の ように 述べ ている。
私 は、18歳 で学校 を卒 業 してか ら、一年 間 くらい家で家事伝 い を しました。家 には耕地 があるけれ ど、両親だけで十分です。当時、
村の若い人はほ とん ど都市 に出稼 ぎに行 って ま した。私 は家で退屈 なので、 とにか く外 に 出たい と思 って、 ここで働 いている同 じ村の 親戚 に頼み ま した。両親 は心配 して初 めは反 対 しましたが、何 とか説得 して、 ここに来 ま した。来 る前 に、紹介者 はこの工場 の状況 を 教 えて くれ ました。収入 については、見習い 期 間があ り、それが終 わってか らは、出来高 で給料が支払 われる とい うことも教 えて くれ ま した。で も、具体的なこと、た とえば、給 料 日、給料の支払い方 な どについては知 りま せ んで した。--面接 の時、収入 な どについ て、経営者サ イ ドに聞 くべ きではない と思い ます。 とい うのは、収入の ことを聞いた ら、
私 がお金 の こ とをばか り考 えてい る と思 わ れ、紹介者の 「面子」が立 たないか らです。
とにか く、雇用 され る こ とが重 要 だ ったの で。--給料 を くれなか った らどうす る とい う心配 はあ りませ んで した。 この工場 には私 一人だけではな く、皆がいるか ら。
実際、その工員 だけでな く、新人工員 のほ とん どは賃金 シス テム につい て ほ とん ど何 も知 らな い。つ ま り、彼女 たちが収入の ことを聞かないの は、給料不払 いについて心配 していないか らだ。
その理 由は、担保 と して 「皆 が い るか ら
」
で あ る。 彼女 たちの間では、お金 について交渉す るこ とは経営者 にあ ま りいい印象 を与 えない。特 に紹 介者がいる場合、給料 について交渉す るのは好 ましい ことではない とみなされているのである。
逮 :現代 中国経済組織 の 「戦略的適応
」
5
生産 プロセスおよび現場管理次 に、生産 プロセス と現場管理 について見 てみ よう。
A公 司 の 「製 靴」工 場 は、現 在 あ る韓 国企 業 の下請 け として 「靴帯
」
を生産 している。 ここで は、 まず、「靴帝」
の生産 プロセス を紹介す る。図 3が示す ように、原材料 の一部 を除いて、韓 国企業 の注文 とともに送 られて くる。 また、皮 を 裁断す る際 に使 われる型 も一緒 に送 られて くる。
原材料 はい ったん倉庫 に入れ られて保管 される。 ほ とん どの場合 は、仕入れの翌 日に生産 される。 製 品 は図 2で示 した 「靴帝」作 業 現 場 で生 産 す る。 「靴帝」作 業現場 の面積 はお よそ 840平 米 で ある (写真 2)。
ほ とん どの場合、原材料 はベテ ラン工員 によっ て 「靴
帝」
作業現場 に運 ばれ、それか ら、皮 を裁 断す る工程 に入 る。 そ して、必要 に応 じて 「折返 し」 の工程 のため に皮 の周辺 を薄 く削 り、次 に、アセ ンブ リー ラインに入 る。 アセ ンブ リーライ ン は 主 に 「縫 製」、「折 返 し」、「雑 務
」 (
「の り し ろ」、「形整 え」、「サ イズ印刷」 な ど)の三つの カ テ ゴリーに分 かれている。 アセ ンブ リー ラインは全 長 70メー トルの 0字 形 で、 35メ ー トル の と ころが折 り返 し点 になってい る。 アセ ンブ リーラ イ ンでの工程数 は注文 された製品の品 目によって 異 な るが、たい て い 30-40の工 程 が あ る。1周 に要す る時 間は約 1時間で、その間に平均 140足 が生産 され る。 アセ ンブ リー ライ ンか ら出て きた 製品は、品質検査 を経 た後 に完成品 として保管 さ れ、ほ とん どの場合 当 日あるいは翌 日に出荷 され る。
以 上 の 生 産 プ ロ セ ス は、す べ て S氏 の 妻 と
「製
帝」
作 業 現 場 主任 の 監 督 の 下 で行 わ れ て い る。 図4は 「製靴工場」 の組織 図であ る。 社長S 氏 の下 に、工場 長 であ るS氏 の妻 と技 術 管 理担 当の副工場長が置かれている。 副工場長 は作業硯写真 2 「靴
帝」
作業現場 (筆者撮影) 83
同志社社 会学研 究 NO.6,2
0
02図 4 製靴工場組織 図
出所 :筆者作成
場 にほ とん ど行 かず、ただ社長室
の報告 を受 けるだけである。 そので作業現場主任 産量 と品質 の管理 は S氏 の妻 が ため、現場 の生 つ ま り、S氏 の妻 は作 業 現 場 主 担 当 して い る。
帝」作業現場 を管理 してい る。S任 と と もに 「靴
行 って 氏 は時 々現場 に
報告 を受 ける。
作 業 は基 本 的 に単 純 労 働 で あ る
「折返 し」 にはあ る程度 の技 術 が 。 「縫 製」 と それ以外 の業種 は一週 間以 内 で 必 要 で あ るが、
「折返 し」 や複雑 な部分 の縫 製 は習得 され得 る。 担 当 してい る。 また、「裁 断」とベ テ ラ ン工員が
も、一人あるいは二人のベ テラン 「削 り」 の工程 いる。 アセ ンブ リーラインの開始工員が担 当 して テ ラン工員が座 っていて、一足ず点 には一人のベ イ ンに載せ る。 ライ ンの配電盤 はつセ ッ トしてラ
、多 くの工員の 目に入 るラインの開始点 に置 かれて
妻 は不定期 に作業現場 を巡 回 して い る。S氏 の たちが暇そ うであれば、工員 の 目お り、 もし工員 電盤 のス イ ッチ を操作 して ライ ンのの前 で、その配回転
84 ス ピー ド
術指導や生産の進み具合 の把握 なて、工員へ の技 たちの欠勤や工員 間の トラブルな どである。 工員 氏 か S氏 の 妻 が 処 理 して い る どに関 して は S
は、あ くまで も生産の管理 に関す 作 業 現 場 主 任。
ことを期待 されてい るだけで、工 る仕事 をこなす 員 たちの欠勤許 可、 トラブルの処理 な どに関す る権 限 を与 え ら
ていない。200 1年 8月 まで、工 場 には明 れ った。普段 は S氏 が 自分 で決 め 白な規 則 が なか ちに口頭 で伝 える。 つ ま り、S氏た規 則 を工 員 た 対 的 な権 威 で あ っ た。2001年 8は この工場 の絶月
『労働紀律 強化 の ための管理 お よ 8日、S氏 は の規定
』
(以 下 で は 『規定』 と表 び考査 につ いて が、その後 も作業現場 の管理 は非記) を制定 したルな ものであ 常 にフ レキシブ
り続 けてい る。
た とえば、原則的 に禁止 されて
中の私語、報告 な しの トイ レ休憩、いるはずの仕事
を速める作業現場主任 の仕事 は、主 とし。
逮 :現代 中国経済組織の 「戟略的適応」
め作業現場 か ら離 れるこ とな どはたいてい大 目に 見 られている。 また、仕事 中に電話 に出ることも たい てい は許 されてい る。 時 には S氏 自 ら電 話 がかか って きた ことを知 らせ に工員 を呼 びに行 く ことさえある。 電話 は応接室 と社長室 の二 ヶ所 に ある。 工員 に電話 をかけて くる者 はほ とん どが故 郷 にいる両親 あるいは親戚 である 12)。電話 は応接 室 あ るい は社 長室 で とるの で、時 には S氏 は会 社 の客 と商談 している途 中において さえ工員 を電 話 に出 させ る。 時 には、工員 の長電話のため、仕 事上の重要 な電話 を受 け られない ようなこともあ る。S氏 は この よ うな時 で も、工 員 を責 めず、
「ご両 親 は元気 か な」 と尋 ね る。 また、 S氏 は電 話 を取 りに きた工員 に向か って 「私 の椅子 に座 っ て ご らん。 ち ょっ と社長 の気分 にな ってみ た ら
」
と冗談 を言 った りす ることもある。
もう一 つ興 味 深 い事 例 をあ げてお こ う。 あ る 日、作業時 間に突然雨が降 り出 した。工員 たちは 仕事 をやめ宿舎 に帰 って部屋 の窓 を閉めた り、洗 濯 物 を取 りい れ た り した。筆 者 は S氏 の 妻 に
「報告 しないで宿舎 に帰 って もいい んです か
」
と 質問 を した ところ、S氏 の妻 は 「作 業現場主任 に 聞いて くだ さい」と答 えた。その後 、筆者 はある 工員 に 「帰 る前 に作業現場主任 に報告 しな くてい いのです か」 と質問 した ところ、「雨が 降 って き たか ら。 洗濯物 を干 していた し、窓 も開けていた か ら」
と答 えた。作業現場主任 に も 「雨の場合 は 作業現場主任 の許可が な くて も自由に帰 っていい んですか」
と尋 ねたが、それ に対 し彼女 は 「一部 の人は私 に報告 したけれ ど、ほ とん どの人 は私 に 断 って帰 ったわけではあ りませ ん。雨だか ら、洗 濯物 の こ ともある し、窓 も開けた ままな ら、許可 を与 えないわけにはいか ないで しょう」
と返答 し た。6 労働条件
次 に工場 内の労働条件 について見 てみ よう。
A公 司 の作 業現場 には空調 設備 が備 え られ て いない。夏 には天井 に吊る されたフ アンの下で作 業が行 われ、冬 には石炭 ス トーブで暖 を取 りなが ら作 業 が行 われ る。 労働 時 間 は、 2001年 8月 ま で は、午 前 が 7:30-ll:30、ll:30-12:30ま での食事 時 間 をは さんで、午後が 12:30-20:30 とい う具合であ った。 さすが にこれでは悪 い噂が 立 って もお か し くな く、その こ とを気 に したS 氏 は翌 月か ら終 業 時 間 を 18:30に変 更 した。 し か し、忙 しい時期 には22時 までの残 業 も珍 し く ない。工場 では労働 時間中の休憩が設 け られてお らず、定休 日もない。春節 (旧正月)やお盆 な ど の前後 には、休 日のない場合がある。 家族が重病 といった緊急事態で もなければ、仕事 を休 んで実 家 に帰 ることは許 されない。
雇用後 の給料支払 いは出来高制である。 見習い 期 間 は 3ケ月 で、月 に 180元 で あ る。 2001年 5 月か ら見習い制度が改正 され、見習い期 間の給料 は 1ケ月 目が 200元、 2ケ月 目が 300元、 3ケ月 目が 400元 になった。見習い期 間 を終 えて、 もし 仕事 が あれば、 1ケ月の給料 は能力 に応 じて 500 元 -1,040元 となる。 この収 入 は、工場所在鋲 の 一 人 当 た りの年 平均 収 入 4,236元 を大 き く上 回 る13)。工場 は工員 に宿舎 を無料 で提供 している。 宿舎 には各部屋 に二段 ベ ッ ドが 4台 と机 が 1台置 かれてい る (写真3)。布 団や蚊 帳 な どは提 供 さ れない。貧 困地域 か ら来 た工員 は、時 には布 団や シーツな どをもってい ない場合 もある。 そ う した 場合、 S氏 あるいは職員が 自分 の家 にあ る もの を 工員 に貸 し与 える。 宿舎 には食堂があ り、食事 は 自己負担 となる14)。朝食 は普通お粥、卵 、鰻頭、
漬物 な ど。昼食 と夕食 にはたいていおかずが二 品
。 .
つ く 料 理 は 一 人 前 06元、鰻 頭 は 100グ ラ ム
85
同志社社 会学研 究 NO.6,2002
0.1元 で あ る。 参考 まで に、あ る見 習 い工 員 の写真 3 工員宿舎 (筆者撮影) l か月の収支状況記録 をあげてお こ
収入 : : 4 給料 20元 う。
支 出 77月月2日日 イ ンス タン トラー メ ン0 1ケ ー ス 14元、風
邪 薬 75
元 .
7月 8日 下着 、歯 ブ ラシ、歯磨 457. に き 7月20日 胃薬 45.元、
7月30日 シ ョー トパ ンツ 9
7月の食事代 42.1元 元 この工 員 の
1. 一 ケ月 の総 支 出 は 816元 で、余 り
は 184元 .
であ る。 一般 的 には、倹約 すれば工員 の 1ケ月の生活
余 りの金 は 費 は 80-100元前後でお さまる。
また、工親 に送 られた り、貯金 された りす る。
場 では給料 日が定 め られていない。先 述 の よ うに、
か ら送 られ 現在、「製靴」工場 は、 まず取 引先 す る。 そ て くる原材料 を用 いて 「靴
帝」
を加工 り、代金 をして、加 工 した 「靴帝」 を取 引 先 に送 の ズ レが生 回収す る。 この過程 で通常 1ケ月以上 常 1ケ月以 じる。 したが って、給料 の支払いは通 時期 に よ 上遅 れる。 要す るに、代 金 を回収 した る。 また、って、給 料 日が 決 まる とい うこ とで あ 製靴産業 で は毎年 5月・6月が最 も暇 な時期 である とい86 う。 そ う した時期 には、工員 た
以上 も給料 を もらえない場合がある。
出来高 の計 算
は、仕事 の につ い て は、2001年3月時点 で 一足 の 「靴難易度、各工程 の違いな どに関わ らず れるかが予 め
帝」
を作 るご とにい くら給料が支払 わ 決め られてい た。S
氏 は、 この方法 で は不公 平 が生月か ら仕事 じか ね ない と判 断 し、2001年 8 を計算す るの難易度、各工程 の違いによって給料 事が終 わ っ方法 を取 ることに した。 この計算 は仕 ついて工員てか ら行 われる。 しか し、計算方法 に
「出来高 に たちには まった く知 らされていない。
ついての昔 のや り方 と現在 のや り方 を どう思 い ますか」 とい う筆者の質問 に対 して、一
人の工員 は次 の ように答 えて くれた。昔の方
た。 し法 はた しか に不公平 な部分があ りまし くれるか し、事前 に一足の 「靴帯
」
にい くら れ く か を教 えて くれ ま したので、 自分が ど た。現らいの収 入 を得 られ るかが分 か りま し 仕事 の在 の方法 は公平 に見 え ますが、計算 はう計算後で行 われ ます。 だか ら、経営者が ど べ て経営者サ イ ドが決め ますのしているか分 か らないです。結局、す
い部分が多いですね。 で、分 か らな 実際、筆
ように考 え者 の インフォーマ ン トの間では、 この 工員 たちはる工員が少 な くなか った。明 らか に、
いる。 それ経営者サ イ ドに対 して不信感 を抱 いて と同時 に経営者サ イ ドも工員 を信用 し ていない。相互不
年 9月の給料 信 は給料 日に表面化す る。 2001 妻 と作 業 支払いは応接室で行 われ た。
S
氏 のり、そ の現場 主任が 向か い合 って テ ー ブル に座 た。
S
氏 の周 りを 10人 くらい の工 員 が 囲 ん で い 作業現場主妻 は現金 を裸 の まま手 に握 ってお り、ず、作業現任 は工員 リス トを手 に もっていた。 ま 場主任が工員の名前 と給料 の額 を大声 で読み上 げ、
ちは 3ケ月
した。工 員 は S氏 の妻 の前 で金額 を確 認 してか ら去 ってい った。給料 の手渡 しが終 わってか ら、
筆者 は S氏 の妻 に 「なぜ この よ うな形 式 で給料 を渡 さなければな らないのですか
」
と質問 した と ころ、「そ う しない と、次 の 日に 10逮 :現代 中国経済組織の 「戦略的適応
」
て、「私 の工場 は他 の工場 のための工 員育成基地 みたいな ところだった」 と自噸 している。 た しか にS氏 の工場 での作 業 は単 純労働 が ほ とん どで あ り、熟練労働力 を必要 としない。 しか し、企業 経営 である以上、常 に一定数以上の労働 力の確保 0元足 りなか
った とか文句 を言 い に来 る工員がいるか ら」とい う答 えが返 って きた。工員 と経営者 は給料 の授受 とい う相互行為 において も互 い に警戒 し合 ってい る ようだ。
解雇 と辞 職 は、合 意 の上 で行 われ るの で は な く、 まった く任意 に行 われ る と言 って も過言では ない。 A公 司 で は退 職 金 や健 康 保 険 な どの保 障 制度 も存在 しない。
S
氏 によれば 「健康保 険 な ど の保 障制度 に加入す る必要 はない。 とい うのは、が必 要 とな って こよう。S氏 に よれ ば、「暇 な時 は別 に して、忙 しい時期 に一 人 で も抜 け た ら困 る
」
との ことである。 ところが、実際 には、 ほ と ん どの場合 、工員 たちは予告 な しで集 団的 に逃 げ て しまう。 ここでは、 こう した工員 たちの辞職の あ り方 を 「予告 な しの集 団辞職」
と呼ぶ こ とにす る。「予告 な しの集 団辞職」 の特徴 は、同郷 者 あ る いは同族 の者が示 し合 わせ て集団的 に辞 めてい く 工員がいつ辞めるかが分 か らないか らだ。 また、 とい う こ とで あ る。 先 述 の よ うな parti litcuarsic 工員 たち も要求 しない
」
とい う。 な雇用 のあ り方 か ら して、工場 内 に血縁 ・地縁 関以 上 にお い て、A公 司 で の雇 用 の あ り方、生 係 に基づいた小集団がで きあが るのは当然の帰結 産 プロセス と現場管理、そ して労働 条件 について である。 結局 の ところ、 この小集団が 「予告 な し 記述 を行 って きた。すで に明 らかな ように、そ こ の集団辞職
」
の土壌 となっている。な関係 を通 して 行 われている。 現場管理 は非常 にフ レキシブル、
悪 くいえば杜撰 であ り、労働条件 は非常 に搾取 的 である。 収入 は不確 かで、社会保 障 は全 く不備 で ある。 で は、そ う した条件 は、工場 内での労使 関 係 にい ったい どの ような影響 を与 えているのか。
で の雇 用 は非 常 にparti litcuarsic この こ とを重 く見 た S氏 は、 も と も と存 在 し てい た 「禁止投 常結伏
」
(血縁 ・地縁 関係 な どに 基 づ い た小 集 団結 成 の禁止) とい う規 則 を先 の『規定』 に盛 り込 む こ とに よ り明文化 した。工場 で は、現場管理 に関す る規則 の運用 は極 めて フレ キ シブルであ るの に対 し、「禁止投 酎結
伏」
とい 以 下 で は、改 め てA公 司 で の労使 関係1)5に 目を向ける。
7 労使関係
経営者サ イ ドに とって、工員の確保 は経営 の基 盤 である。 現代 中国の出稼 ぎ労働者 によって形成 された労働 力市場 の特徴 は非制度的で流動性が強 い とい うこ とで あ る。 先 述 の よ うに、A公 司 で
う規則 は厳 守 されてい る。 「工場 に とって一番 困 るの は何 の予告 もな しに集 団 で逃 げ られ る こ と だ」 と S氏 は筆者 に繰 り返 し語 っている。
「予告 な しの集 団辞職」 の直接 的 な要 因 と して は、次 の二点があげ られる。 まず、会社 内部 の要 因、す なわち定期 的 に給料 が支払 われない こと、
労働条件 、待遇、工場 内部 の人間関係 に関す る問 題、それか ら、労使交渉のための手段 が備 わって 0
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も、 1 8年 か ら 2 1年初頭 までの時期 において
工員の流動が非常 に激 しく、雇用 と辞職 の繰 り返 料 や労働条件、待遇 な どについて経営者サ イ ドと しが見 られ た。
S
氏 はそ の時 の こ とを振 り返 っ 交渉 した ことは一度 もない。工員 たちに とって、87 い ない こ とな ど。実 際、 A公 司 で は、工 員 が給
同志社社会学研 究 NO.6,2002
ス トライキの ような交渉手段 は全 く考慮 の余地 の ない もので あ り、「予告 な しの集 団辞 職」が ほぼ 唯一の 「抵抗手段」 であ る ようだ。 もう一つ は、
会社外部 の要 因、す なわち他 の会社 での よ りよい 労働条件 や待遇 な どであ る。
上述 の 「禁止投酎結伏」 は、そ う した工員 たち の 「抵抗」 に対 す る経営者サ イ ドの対抗 戦略 であ る。 それ は、 中国人の伝統 的 な血縁 ・地縁意識 に 対抗す る経営者サ イ ドの戦略 とも考 え られ よう。
プライベ ー トな レベ ルでは血縁 ・地縁 関係 に よる 小 集 団の存在 をな くす こ とはで きないが、「禁止 投酎結伏」 は 「予告 な しの集 団辞職」 の一つの予 防策 として用 い られてい る。 具体 的 には まず、宿 舎 と仕事 の組分 け をす る時、同 じ出身地 の者 を 3 人以上組 ませ ない こ と、そ して、異 なる地域 の出 身者 同士が喧嘩 した時、喧嘩の当事者 と同 じ地域 出身の人が当事者 を庇 った り助 けた りした場合、
罰金が課 され る とい うこ とである。 罰金額 は、当 事 者 が 5元 で、庇 っ た者 が 6元 とい う具 合 で あ る。 この ように庇 った者 の罰金の方が高 い ことは 非常 に興味深 い。
しか し、罰則 だけで は、仕事 の能率 ア ップを促 せ るわ けで ない し、 また 「予 告 な しの集 団辞 職
」
をな くせ るわけで もない。や は り労使 間の相互信 用 が重要 になって くる と考 え られ る。S氏 に よれ ば、彼 は工場 の 日常生活 において擬似 的 な父親 の 役割 を演 じてい る よ うだ。筆 者 が 2001年 3月 に 工場 に滞在 した時、労働 者 の紹 介者 で あ る M氏
は S氏 について次 の ように語 って くれた。
私 の二 人 の娘 が こ こで仕 事 を して い る関係 で、社長 と知 り合い ま した。去年 7月か ら社 長 に労働 者 を紹 介 して い ます。今 まで 10数 人 を 2回 に分 けて紹 介 しま した。私 はほ とん ど自分 の村 の人 を紹介 します。 とい うのは、
相手 の こ とをよ く知 っているか ら、そ して コ
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ン トロール Lやすいか らです。・・-・この工場 の労働 者 たちのほ とん どは若い女性 です。若 い労働 者 はホーム シ ックにな りやす く、特 に 新年 や節句 のたびに望郷 の念 にか られ ます。
時 には方言 の壁 もあるそ うです。社長 は新年 や節句 の たびに、労働 者 とい っ しょに鮫子 を 作 った り宴会 した り話 し相手 になった りしま す。 そ して、社長 は よその土地 か ら来 た人、
あ るい は食生活 に慣 れていない人のため に、
特別 の料理 を作 る ように炊事係 に指示 してい ます。--私が社長 と付 き合 い出 して半年が 経 ち ま した。お互 い に信用 してい ます。 ここ で は、習慣 や言葉 の違 いで差別 され る ことは あ りませ ん。大家族 の ような ところです。
2001年 の大 晦 日、S氏 は故 郷 に帰 らなか っ た 工員 を招 いて青台鋲 の "最高級''レス トラ ンで宴 会 を開いた。 そ こで、S氏 は工員 たち とともにご 馳走 を食べ なが ら談笑 した り、 カラオケ を楽 しん だ りしていた。
S氏 は工員個 人 と親密 な関係 を作 ろ う とす るだ けで な く、工員 の親 との杵 も築 こうとしてい る。 その一つの例 が、「孝敬 老人
」
(親孝行 ) の奨励 で あ る。S氏 は 「孝敬老 人」 を奨励 し、「孝敬 老人」しない工員 には警告 し、3回警告 して も改 ま らな い場合 には解雇す る ことに してい る。S氏 のい う
「孝敬 老 人」 とは、金 を貯 め て定期 的 に親元 に送 る とい うこ とで あ る。S氏 は工 員 に 「孝敬 老 人」
を させ るため に、2001年 の春 節 、各工 員 の給 料 か ら 300元 を差 し引いて、会社 の名義 で工員 の親 元 に送 った。 この こ とにつ い て、工 員 K嬢 は次 の ように語 っている。
以前 は、仕事 を辞 め る人が最 も多 い時期 は春 節 で した。つ ま り、春節 に家 に帰 って戻 って こない とい うこ とです。私 は去年 9月か らこ