ションの規範をめぐって
著者 松木 啓子
雑誌名 コミュニカーレ
号 2
ページ 1‑19
発行年 2013‑03
権利 同志社大学グローバル・コミュニケーション学会
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000013136
―英語コミュニケーションの規範をめぐって―
松 木 啓 子
I.はじめに
2010 年 10 月 13 日。アメリカ合衆国。政府のコミュニケーションのあり 方をめぐる公法が成立した。Public Law 111-274、即ち “Plain Writing Act of 2010”の誕生である。連邦政府が公示する情報をより効果的にアメリカ国民 に伝えるために、すべての政府諸機関の文書が “plain writing”に基づかなけ ればならないとする法律の誕生である。上院、下院で可決され、オバマ大統 領の署名に至ったわけであるが、下院から “close to three dozens”の共和党 議員の反対者が出た以外には比較的スムーズに議会を通過したという(abc World News, Oct. 17, 2010)。以下にあるように、同法の目的は明確な公共の コミュニケーションを促進することによって、政府諸機関の効率や説明責任 を推し進めるためである。
The purpose of this Act is to improve the effectiveness and accountability of Federal agencies to the public by promoting clear Government communication that the public can understand and use. (Public Law 111-274, Oct.13, 2010)
例 え ば、Sec. 4 の 責 務 に 関 す る 項 目 で は、“(a)PREPATION FOR IMPLEMENTATION OF PLAIN WRITING REQUIRMENTS”、“(b)
REQUIREMENTS TO USE PLAIN WRITING IN NEW DOCUMENTS”、そし て、“(c)GUIDANCE”ごとに細かい責務内容が明記されている。この施行 から 9 か月以内に、各省庁の長官は具体的な法的義務の履行のための監督官 を任命し、すべての被雇用者に対して同法の内容を伝達し、plain writingの
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©₂₀₁₂ 同志社大学グローバル・コミュニケーション学会
トレーニングを提供し、更に、実際の履行状況を監督するシステムを構築し なくてはならないとされている。また、各省庁はそれぞれのWebサイトで
plain writingを援用しながら国民に向けてこの同法を遵守する旨を提示しな
くてはならないとされている。アメリカの歴代の大統領はこれまでも大統領 令(Executive Order)や覚書(Memorandum)を通してplain writingの重要 性を提唱してきた。しかし、正式な法律の成立によって、連邦諸機関内外の コミュニケーションのあり方に新たな法的拘束力が働くことになったのであ る。
同法で、plain writingは以下のように正式に定義づけられる。
The term“plain writing”means writing that is clear, concise, well-organized, and follows other best practices appropriate to the subject or field and intended audience. (ibid.)
ここにある “clear”、“concise”、そして、“well-organized”といった形容詞に よって頻繁に特徴づけられる英語のあり方は、 plain English, plain style, もし
くは、plain languageとして総称的にこれまでも言及されながら、政治、法律、
ビジネス、メディア、学問の諸領域における英語コミュニケーションの規範 として語られてきた。例えば、William Strunk Jr. and E.B. White によるThe
Elements of Styleはアメリカのスタイルブックの古典であるが、その 1920 年
の初版(Strunk Jr.の単著)のIntroductionは、“This book aims to give in brief space the principal requirements of plain English style”(Strunk 2007[1920]:5)
という書き出しで始まっている。一方、イギリスのオックスフォード大学出 版 か ら も、Plain English Campaign の 創 始 者 の 一 人、Martin Cutts に よ る Oxford Guide to Plain English(2009)が出ている。 Lanham(1983)による用 語 “C-B-S style”を援用しながら、Scollon and Scollon(2012[1995])は近代、
ポスト近代の諸領域における英語コミュニケーションが “clarity”(「明晰 さ」)、“brevity”(「簡潔さ」)、そして、“sincerity”(「誠実さ」)に特色づけ られると指摘し、その発展を 17 世紀以降の実利主義(utilitarianism)の思想 的流れに結びつけて考える。社会や個人の発展や繁栄にとって効率のよいコ
ミュニケーションのためには、発信されるメッセージが明確で簡潔であるこ とが理想とされるのである。その意味では、plain English, plain style, plain
languageもその大きな流れの中で語られてきたと言える。多くの場合、plain
であることはLanhamの呼ぶところの “C-B-S style”と重なり、敢えて語ら れることは少ない。一方で、冒頭の公法では規範として掲げられる。本稿で は、plainであることがこのように敢えて語られるコンテクストを見てみた い。
plain Englishのトピックは様々な時間と空間、そして、人間の社会活動を
包摂している。コミュニケーションについて言えば、それは書きことばと話 しことばの両方の領域に関わるが、本稿では前者のみを対象とする。本稿の 目標は、特定の社会的コンテクストにおけるplain Englishの詩学的、政治学 的意味の諸相を考察することである。ここで言うところの詩学的意味とは、
plain Englishがどのようなレトリックと記号論的なダイナミズムの中で語ら
れているのかという点に関わる。また、政治学的意味とは、plain Englishが どのような制度やイデオロギーに媒介されているのかという点に関わる(cf.
Foucault 1970[1966])。本稿では、これらの考察のために、17 世紀イギリ スのロンドン王立協会(Royal Society of London)のコンテクストと現代の アメリカの公的文書をめぐるコミュニケーションのコンテクストを見る。こ れらのコンテクストは直接的には関わりはないようであるが、どちらのコン テクストにおいてもplainであることがコミュニケーションの規範として語 られる。EUなどの超国家組織に始まり、政府やその他の制度による言語計 画の問題はこれまでも様々な研究がなされてきた。どのような言語をコミュ ニケーションの手段とするのか、どのようにコミュニケーションを行うべき なのかについての変革は、多くの場合、社会変革と連動する。本稿はplain
Englishに関するすべての現象の網羅的考察を目指すものではない。また、
plain English自体の特徴の抽出に焦点をあてて論じるものではない。本稿が
解明したいのは、これらの2つのコンテクストを見ることによって浮き彫り になるコミュニケーションの規範と時代の力学の相互作用である。
言語人類学者Bauman and Briggs(1990)も指摘するように、コミュニケー ションのことば―即ち、社会的実践としてのディスコース―は自律的なテク
ストへの志向と社会的コンテクストへの志向の二つの志向を持ち、それらの 志向は常に緊張関係を形成する。こうした関係のダイナミズムを説明するた めに、Bauman and Briggsは「脱コンテクスト化」(decontextualization)と「再 コンテクスト化」(recontextualization)の概念を援用しているが、これらは 書きことばのコミュニケーションを検討する上で有効な概念である。 話し ことばとは違い、書きことばは視覚的なテクストとして固定され、作者が書 いている時間と空間―「今、ここ」(here and now)―のコンテクストから 離れても存在し続ける。つまり、テクストは脱コンテクスト化されるのであ る。一方、複数の読み手は新しい「今、ここ」で脱コンテクスト化されたテ クストを再コンテクスト化する。こうした読みの再コンテクスト化によって 生まれる解釈の広がりは、テクストの脱コンテクスト化への志向と緊張関係 にあるのが書きことばのコミュニケーションの根本的な特徴である。本稿で は、テクストとコンテクストの緊張関係が潜在的に高まる領域として、科学 的知識や個人の権利や利益を左右する情報をめぐるコミュニケーションを考 察する。そして、そこにどのような制度やイデオロギーの力学が媒介するの かを見てみたい。
2.17 世紀イギリスの科学的「真実」の表象
伝統的な理論的学問とその閉塞的知識のあり方を批判し、フランシス・ベー コン(Francis Bacon)は経験を通して発見する科学的知識に目を向けた中心 的な人物であるが、1660 年に設立されたロンドン王立協会はベーコンの後 継者たちを引きつけ、新しい「真実」(truth)の求心力となった(cf. ヴィッ カリー 2000)。言語の問題はそうした「真実」の表象のための手段として 意識されるようになる。例えば、1667 年に出版されたHistory of the Royal
Societyの中で、Thomas Spratは有名な一節を書きしるしている。
They (the members) have therefore been most rigorous in putting in execution, the only Remedy, that can be found for this extravagance: and that has been, a constant resolution, to reject all the amplifications, digressions, and swellings of style: to return back to the primitive purity, and shortness,
when men delivered so many things, almost in an equal number of words.
They have exacted from all their members, a close, naked, natural way of speaking; positive expressions; clear senses; a native easiness: bringing all things as near Mathematical plainness as they can: and preferring the language of Artizans, Countrymen, and Merchants, before that of Wits, or Scholars.
(quoted in Jones 1951: 85-86)(下線は筆者による。)
ここでは、英語と古典語、英語によって可能となるスタイルと古典語につきまと うスタイルが二項対立的に捉えられており、“clear”、“naked”、“natural”、“positive”
を特徴とするスタイルと “extravagance”、“amplifications”、“digressions”、そして
“swellings” を特徴とするスタイルが対照的に位置づけられている。そして、
前者のような環元的なスタイルによって “Mathematical plainness”に限りな く近づけるとされる。一方で、後者のような余剰性を拒絶することによって、
協会のメンバー達は “the primitive purity and shortness”に帰ることを目指し てきたとされている。更に、伝統的学問世界には職人や田舎紳士や商人は所 属していなかったが、新しいスタイルは彼らの言語でもあるとされている。
それは、知識と勃興する産業や社会との効率的な繋がりに価値を置く人々の スタイルである。
Halloran and Whitburn(1999)は今日のplain styleのルーツが 17 世紀の科 学コミュニケーションにあると指摘し、今日のplain styleが前提としている 機械的、数学的なコミュニケーション観を批判している。Halloran and
Whitburnの議論で興味深いのは、当時の科学者たちが乗り越えようとしたの
はそれまでの古典的世界の “stylistic excesses”(「スタイルの過剰さ」)であっ たが、結局それは今日の我々が乗り越えなければならない別の “excesses”
を生み出してしまったという視点である。そして、その現代のplain styleが 直面しているスタイル上の過剰問題のひとつが、多くの専門領域のコミュニ ケーションに見られる非人格性(impersonality)の問題であるという(67)。
心理言語学者Olson(1993)はテクスト内の自律性と解釈領域の明確な分離 こそが客観性の構築に貢献し、近代科学の発展に大きく影響を与えたと述べ ている。Olsonによれば、文字の発明、そして、近代の印刷技術の発明によっ
て可能となった不特定多数の読者を対象とする書きことばのコミュニケー ションにおいて、いかに曖昧な部分を取り除き脱コンテクスト化するのかと いう課題は客観性を築く上で重要であったという。しかし、Atkinson(1999)
が 指 摘 す る よ う に、 協 会 設 立 の 5 年 後 の 1665 年 に 登 場 し た 協 会 誌 Philosophical Transactionsで主流だったのは“Sir/s”で始まる手紙文や著者を 第一人称に明確に据えた散文だった。Halloran and Whitburnが批判するよう な非人格的なスタイルが同誌に現れ始めるのは、Atkinsonによれば、19 世紀 ごろからである(Atkinson 1999: 75-109)。また、先に紹介したThomas Sprat の明白な宣言にもかかわらず、当時の協会メンバー達の英語にはメタファー や修辞的表現が多く見られた(Vickers 1978: 11-18; cf. Montgomery 1996)。
例えば、Atkinson(1999)によれば、当時のPhilosophical Transactionsに 掲載されたテクストは、(1)“witnessing”(有名な実験の見学報告など)、(2)
“indexes of modesty and humility”(自然現象についての見解を述べる際の謙 遜や卑下)、(3)“a tendency toward miscellaneity”(関連のない観察の組み 合わせからなる記事)、(4)“elaborate politeness”(他の会員に対するポラ イトネス)で特色づけられていたという(77)。これらの特徴を見ただけでも、
当時のコミュニケーションは先のHalloran and Whitburn(1999)が批判する ような非人間的なスタイルによって支配されていたわけではなかったことが うかがえる。現象学的社会学の視点から、Shapin(1995)は知識が「真実」
としてどのような社会制度と社会関係の中で構築されるかについて論じ、17 世紀の科学的知識のあり方と王立協会の緊密な関係について詳細な検証をし ている。Shapinは協会会員の大半を構成していたイギリス統治階級のジェ ントルマン階層の人々の“civility”(「礼節」)を論じながら、当時の科学的「真 実」の語られ方が彼らの重んじる「自由」(freedom)や「廉直さ」(integrity)
に代表される社会的価値観と切り離せなかったことを指摘している。Shapin によれば、こうした価値観は協会の当時の価値観を代表しており、伝統的な 学問領域やそこにある「権威」(authority)の否定は彼らの価値観と合致し たという(65-125)。
Authority—so recognized—was identified as both morally odious and epistemically dangerous. While the society of schools might put one man in fear of another, conjoining institutional standing and epistemic authority, the Royal Society insisted upon egalitarian codes operative in gentlemanly conversation. (Shapin 1995: 123)(下線は筆者による。)
Shapinも指摘するように、ここで呼ばれる“conversation”は文字通りの「会
話」というよりも、より抽象的な対話的社会行動一般を指している。ラテン 語の語源(con-共に+versari 住む、交わる=「共に交わる」)に言及しなが ら、Shapinは 「会話」がジェントルマンの社会的秩序と科学的知識の探究を 融合するものであったことを指摘する(115)。このShapinの見解は、先の Atkinsonによる分析にあるように、Philosophical Transactionsに掲載された テクストがポライトネスや謙孫によって特色づけられていたことと関連して くる。
それでも、Jones(1951)にあるように、当時の新しい科学を目指した人々 は新しい「真実」の表象方法を模索していた。Jonesはそのルーツをベーコ ンの言語への深い猜疑心に見ている。ただし、この猜疑心の対象である「言 語」とは、伝統的な学問に必要とされたラテン語やギリシャ語に代表とされ る古典語だったのである(144)。17 世紀の自然科学的知識を重んじた人々 は「真実」をあるがままに表象するための手段を模索した。特に、伝統的な スコラ哲学の理論的世界の外に新しい知識を確立しようとした人々にとっ て、表象の手段も伝統を打ち破るものである必要があった。前者の伝統を象 徴するのが古典語や古典語のレトリックに影響された英語であったが、それ は大袈裟な言い回しや比喩などのレトリックが邪魔をして「真実」を捻じ曲 げてしまうものとされた。Jones が論じるように、17 世紀イギリスにおける 新しいスタイルの希求は王立協会のコンテクストだけに限定されたものでは なかった(cf. 松木 2008)。古典的世界を重んじるルネッサンスの時代から合 理性を重んじる新時代に移行しつつあった当時において、前者を象徴する散 文スタイルである「キケロ流スタイル」(Ciceronian style)からの脱皮は古 典的世界からの脱皮を意味した。所謂「反キケロ流運動」(Anti-Ciceronian
movement)として括られる大きな文学的散文スタイル模索の流れがあった が、中でも、新しい科学者たちは古典的なレトリックからの全面的な解放を 可能にするような英語のスタイルを模索したのである(Jones 1951:105)。
Jones によるThe Triumph of the English Language(1953)では、そのタイ トルから明らかなように、15 世紀から 17 世紀の間に起こった英語のサクセ ス・ストーリーが描かれている。ヨーロッパの他の俗語(vernacular)と同 様に、英語も「国語」(national language)へと変貌を遂げ、17 世紀になると 同時代の新しい知識とテクノロジーの発展からは切り離すことのできない
「役に立つ言語」(“the useful language”)としての地位を確立するに至る。
ここには、変化する社会生活の中で「役に立つ言語」として英語が存在する 一方で、極めて限定的な領域のみでしか使用されないラテン語やその他の古 典語との二項対立的な構図がある。バーク(2009)は近世ヨーロッパにおけ るラテン語の衰退と俗語の興隆の巨視的な歴史を論じながら、各地で人々が 自らの俗語を競い合うように賞賛し、一方で、他の俗語については悪口を言 い合う現象に注目している。そして、興味深いのは、互いの俗語に対してだ けなく、ラテン語やギリシャ語といった古典語への対抗心が各地に存在して いたことである。バークは、こうした競争や自信の表現はラテン語に代表さ れる古典語への劣等感の裏返しの表れであったと指摘している(バーク 2009: 86-92)。このバークの視点は、これまで様々な研究者によって論じら れてきた 17 世紀のイギリス、特に、実験科学、実証主義的科学のコミュニケー ションの規範を媒介する力学を理解する上で示唆的である。Jones は当時の 人々の宗教と科学、そして、様々な社会生活の領域には実利主義が大きな原 動力として働いており、そのような流れの中でラテン語よりも英語により価 値が与えられる状況をまとめている。
(Finally), the spirit of utility, which science inherited from Bacon, and which rendered it dear to the Puritans, preferred English, the usefulness of which was obvious, to Latin, the inutility of which was being vigorously denounced.
(Jones 1953: 310)
先に引用したThomas Spratによる一節に関して、Jones(1951)はこの一節が あらわれたHistory of the Royal Societyが協会後援の正式な歴史書であることか ら、Spratのスタイルへの意識が他の会員の意識を代表するものであったとし ている(86)。しかし、既に指摘したように、Atkinson(1999)やShapin(1995)
によって報告されている当時のコミュニケーションの現実は “Mathematical plainness”と一言で特色づけられる性質のものではなかったようである。こ の意味では、Spratによって提唱される“Mathematical plainness”に象徴され るスタイルは具体的な現象として存在したものではなく、当時の新しい科学 を目指す人々の理想であり、その後の科学コミュニケーションを方向づける 規範であったという見方ができる。そして、その理想と規範への志向は古典 的世界の拒絶の力学との相互作用の中で語られたのである。
ここで二つの点に注意したい。まず一つ目として、本稿では王立協会の科 学的知識の表象をめぐるコンテクストのみに焦点をあてたが、17 世紀におい て語られた“plain”や “plainness”は科学の領域に限られた現象ではなく、巨 視的には大きなプロテスタンティズムをめぐる改革運動と連動して捉えられ ることである。Jones の論じる実利主義の問題もこの大きな流れの中に位置づ けられ、“plain”や “plainness”と合流する(cf. Scollon and Scollon 2012[1995])。
二つ目は、当時は英語や表現が “plain”であるという語られ方はしても、現代 で言うところのplain style、plain English、plain languageという独立した用語 は使われていなかったことである。その意味では、以下の現代のコンテクス トではより客体化された形でそれぞれの用語が使われている。
3.アメリカにおける公的文書と「情報」の発信
現代のアメリカの公共コミュニケーションにおいてplain なスタイルが語 られることの背景は、言うまでもなく、17 世紀のイギリスのコンテクスト とは異なる。しかし、17 世紀と同じように、現代のコンテクストでもplain であることを規範とする背景に時代の力学が働いている。現代で問題になる のは科学的知識ではなく、個人の利益や権利を左右する公共の「情報」であ る。更に、17 世紀の科学者たちの関心は、plain なスタイルによって科学的「真 実」をいかに表象するかということが中心だったが、現代アメリカの公的文
書のコミュニケーションのおける課題は、plainなスタイルによって「情報」
をいかに読み手に理解させるか、つまり、いかに再コンテクスト化をコント ロールするかが重要となってくる。
イ ギ リ ス のPlain Language Campaign の 創 始 者CuttsはOxford Guide to Plain English(2009) の 中 で 以 下 の よ う に 述 べ て い る。Cuttsに よ れ ば、
plain Englishを特色づけるのは“clarity”と “honesty”であるというが、一 方で、plain Englishの絶対的な定義づけは不可能としている。Cuttsはplain
Englishを相対的に捉えながらも、それが何を指しているのかについて述べ
ている。ここで中心的になっているのは読み手志向の視点である。
(Plain language refers to)[T]he writing and setting out of essential information in a way that gives a cooperative, motivated person a good chance of understanding it at a first reading, and in the same sense that the writer meant it to be understood. (Cutts 2009: Xi)
このCuttsの視点は現代の規範としてのplain Englishを考える上では重要な
ポイントであり、冒頭で紹介したアメリカ合衆国公法でもはっきりと明示さ れる。公的文書をめぐるplain Englishへの関心はアメリカだけでなくイギリ スでも展開してきた。例えば、アメリカにおいては、政府の連邦職員が中心 になってきたThe Plain Language Action and Information Network(PLAIN)
が公共のコミュニケーションにおけるplain Englishを推奨してきたが、イギ リスでは、市民運動から出発したPlain Language Campaign が政府文書や様々 な公的文書のあり方について発言してきた(e.g., Cutts and Maher 1986)。前
者のPLAINは 1990 年代に発足したが、後者は 1980 年代に発足した。アメ
リカにおいてもイギリスにおいても、それ以前から公的文書上の英語のスタ イルに対する関心は存在していたものの、plain English、plain Language、
plain styleが本格的に公共圏で語られるようになったのは 1970 年代以降であ
る。本稿ではアメリカのコンテクストのみを見るが、アメリカにおける
plain Englishへの関心もイギリスにおける関心も、大きなグローバル化の流
れの中で捉えることができる。両国においてplain Englishをめぐるコミュニ
ケーションに関心が高まるのが、規制緩和や民営化に象徴される新自由主義 がグローバル化し始めた 1970 年代であったことは偶然ではない。ハーヴェィ
(2009)がグローバル化する新自由主義体制の中の個人の責任と権利につい てわかりやすくまとめている。
ネオリベラルな国家はそれぞれの個人の自由と責任を強調する。とくに 市場における自由と責任を。社会で成功するのも失敗するのも、個人の 企業家としての資質か欠陥によるのであって、システムのせいではない というわけだ(つまり資本主義につきものの階級的格差などは考慮され ない)。(ハーヴェイ 2009: 32)
規制緩和や民営化は個人の自由競争を奨励するが、一方で、ハーヴェィは新 自由主義体制のもとでは新たな政府の介入や管理体制が生まれると指摘す る。中でも、「説明責任」や「コスト効率」を監視する管理体制は増えると 指摘している(29)。本稿の冒頭で紹介した Public Law 111-274 をもう一度 考えてみたい。その目的は「公衆が理解し、用いることができる明確な政府 のコミュニケーションを奨励することによって、政府機関の公衆に対する効 率と説明責任を推し進めるため」とされている。本稿の目的は新自由主義を 検証することではないが、それはplainであることをめぐるコミュニケーショ ンから切り離せない力学となっている。
Public Law 111-274 の直接的な源流は 1970 年代にある(Locke 2009)。当 時の大統領、リチャード・ニクソン(Richard Nixon)が連邦政府の文書にお ける “layman's terms”の使用を各政府機関に奨励したのである。続いて、
ジミー・カーター(Jimmy Carter)は 1978 年に大統領令 12044 を発令し、
規制が “plain English”で書かれることの必要性を唱えている。
Federal officials must see to it that each regulation is written in plain English and understandable to those who must comply with it. (Executive Order 12044) カーターによる同令はこれまでもアメリカ政府のplain English重視の一例と
して様々な形で引用されてきた。ここで注意すべき点は読み手の理解を射程 に入れた語られ方である。
し か し、 こ の 読 み 手 は “those who must comply with it” で あ り、plain
Englishによって政府の意図した解釈に導かれ、規制に従う人々ということ
になる。80 年代のロナルド・レーガン(Ronald Reagan)政権下では大きな 動きはなかったが、90 年代に登場したビル・クリントン(Bill Clinton)は 1998 年に大統領覚書 “Plain Language in Government Writing”の中でより踏 み込んだメッセージを表明する。
By using plain language, we send a clear message about what the government is doing, what it requires, and what services it offers. Plain language saves the Government and the private sector time, effort, and money. Plain language requirements vary from one document to another, depending on the intended audience. Plain language documents have logical organization; common, everyday words, except for necessary technical terms; “you” and other pronouns; the active voice; and short sentences. (quoted in Cutts 2009[1995]
:xiii-xiv)(下線は筆者による。)
ここでは、plain languageで書かれる文書は論理的に構成され、必要以上に 専門用語は使われず、二人称代名詞やその他の代名詞の使用により主体が明 示され、能動態が用いられ、短い文から構成されるものということになる。
興味深いのは、“you”や代名詞という直示表現の使用を奨励している点であ る。plain language は対象となる読み手によって相対的に変わってよいとあ るように、読み手志向の視点がここで強調されている点である。想定された 読み手との共通のコンテクスト、「今、ここ」を構築することによって、再 コンテクスト化を可能な限りコントロールする試みである。こうした試みの 結果、plain languageは時間、労働、そして、金に関するコスト削減を可能 にするというわけである。
クリントンの後に政権についた共和党大統領ジョージ・ブッシュ(George Bush)の時代は特に新しい動きはなく、2008 年にオバマ政権に変わった後、
2010 年の公法の成立へと至るわけであるが、同法成立後の 2011 年にオバマ は新たな大統領令 13563 発令する。規制や規約の内容と作成をめぐる
“Improving Regulation and Regulatory Review”である。
Section 1. General Principles of Regulation. (a) Our regulatory system must protect public health, welfare, safety, and our environment while promoting economic growth, innovation, competitiveness, and job creation…. It must ensure that regulations are accessible, consistent, written in plain language, and easy to understand…. (Executive Order 13563)。
ここでは、政府の規制システムが “public health”、“welfare”、“safety”の擁 護だけでなく、“competition”、“innovation”、“economic growth”の奨励にも 基づいていなければならないことが明示される。これらの最初の3つの用語 がオバマ民主党政権にとって重要な概念であり、後の3つの用語は新自由主 義における鍵概念でもある。保護と競争の二つの方向性のバランスを実現し
た規制がplain languageで国民にわかりやすいように提示されなければなら
ないということになる。
先に紹介したPlain(The Plain Language Action and Information Network)
は 1990 年代から政府の公的文書におけるコミュニケーションのあり方につ いて中心的なキャンペーン活動を展開してきた。2010 年の公法成立後、
2011 年の3月にまとめられたFederal Plain Language Guidelines は政府諸機 関の文書作成のためのマニュアルで、その書き出しは以下の通りである。
The Plain Language Action and Information Network (PLAIN) is a community of federal employees dedicated to the idea that citizens deserve clear communications from government. We first developed this document in mid- 90s. We continue to revise it every few years to provide updated advice on clear communication. (Plain 2011:1)
全 112 頁の同マニュアルには、plain languageでの文書作成のためのアドバ
イスがスタイルブックのように細かく丁寧に説明されている。想定される読 み手の設定に始まり、能動態の使用や短い文の奨励など、内容としては他の スタイルブックと多く重なっていると言えるが、その中に興味深い項目があ る。助動詞“must”の使用に関する項目である。マニュアルは “must”が読 み手の義務を明確にする上で一番効果的な言葉であると強調している。
The word “must” is the clearest way to convey to your audience that they have to to something. “Shall” is one of those officious and obsolete words that has encumbered legal style writing for many years….. Don’t be intimidated by the argument that using “must” will lead to lawsuit. Many agencies already use the word “must” to convey obligations…. (ibid.,:25)
政府の文書である以上、「情報」は権利だけでなく義務にも関わる。Plain language は権利だけでなく義務を明確にする手段であり、政府は国民がそう した義務を遂行するように「情報」の再コンテクスト化を重視するのである。
社会言語学者Cameron(2000)によれば、民営化と共に様々な公共サーヴィ スが市場化されてきた中で、市場とは関係のない領域までもが「企業文化」
(“enterprise culture”)の価値観の中で動き出している。政治の領域もコミュ ニケーションの領域も例外ではない。元副大統領アル・ゴア(Al Gore)によ る “We have customers: the American people”という発言に言及しながら現代 の政府の諸活動とビジネス活動の類似点を指摘している(Cameron 2000:
7-8)。このCameronの議論は現代のアメリカの公的文書をめぐるplain
languageの規範を考える上で有効である。企業が顧客を扱うように、政府は「情
報」を国民にわかりやすく伝えなくてはならない。国民の権利や義務につい ての「情報」を明確に伝えなくてはならない。しかし、政府の「情報」の権 威を損なうような伝え方はできない。こうした必要性のもとでは、政府は文 書のテクストに「情報」を固定するだけでは不十分なのである。つまり、脱 コンテクスト化した「情報」の再コンテクスト化を可能な限りコントロール することで、政府の意図したメッセージの意味が国民に理解され、権利と義 務に対する適切な行動を促すことを目指すのである。つまり、記号論的に言
えば、政府にとって、plain languageはこうした再コンテクスト化のコントロー ルを指標するのである。しかし、一方で、国民の視点から見る時、plain
languageは政府による公共サーヴィスの充実や改善を指標するのである。
4.結論にかえて
“plain”の語源はラテン語の “planus”で、「平らな」という意味である。し かし、英語コミュニケーションの歴史のおける“plain”の語られ方はそれほ ど平板ではない。Weaver(2002)は“plain”の複層的な意味を論じながら、
その中心的な意味 “open”、“clear”、“evident”、“apparent”、“straightforward”、
“frank”、そして、“candid”の他に、二つの領域につながる副次的な意味群を 指摘している。それは “populism”(「人民主義」)と “a Protestant virtue”(「プ ロテスタント的道徳」)に関わってくる意味群である。前者の領域における
“plain” には、“common”、“average”、“ordinary”、“unaffected”、“honest”、“pure”、
“uncorrupted”の副次的な意味があり、後者の領域における “plain”には、
“austerity”、“humility”、“acceptance”、“dependence”、“patience”、 そ し て、
“gratitude”などの意味が包含されているとする(Weaver 2002: 26-27)。これ らの意味がすべてコミュニケーションの規範としての“plain”に重なるわけ ではないが、本稿で見たコンテクストにおいても、“plain”はただ単に明確で 簡潔であるだけではなかった。
本稿では、17 世紀イギリスの科学的知識をめぐる表象のコンテクストと 現代アメリカ政府の情報発信のコンテクストを見ることによって、plain
Englishの詩学的意味と政治学的意味を考察した。我々のコミュニケーショ
ンは様々な制度やイデオロギーによって媒介されているが、17 世紀イギリ スの科学者たちの「真実」の表象は伝統的な学問制度やその背後にある古典 的世界観からの離脱と変革の力学から切り離せなかった。特に、Spratによっ て提唱された“Mathematical plainness”はこの力学の中で語られたのである。
一方、現代アメリカの「情報」の発信はグローバル化社会の中の権利や義務 をめぐる力学から切り離せない。本稿では、大統領達のplain Englishや
plain languageをめぐるメッセージを中心に見ながら、コミュニケーション
の規範が法的拘束力を持つに至る流れを概観した。
参考文献
abc World News (Oct. 17. 2010). Plain Writing Act of 2010. http://abcnews.go.com/WN/
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Poetics and Politics of Plain English: On a Norm of English Communication
Keiko Matsuki
Key words: plain English, plain style, plain language, science communication, public communication
The purpose of this paper is to discuss poetic and political meanings surrounding the way plain English is constructed as a norm of written communication. The institutional move toward a reform of language and communication resonates with the ongoing dynamic of social change. This paper examines how plain English is talked about as a norm, and how it is intertwined with its political climate. The paper looks at two contexts: the Royal Society of London in the seventeenth- century England and the contemporary American public communication.
In the examination of the Royal Society of London context, the discussion starts with an excerpt from History of the Royal Society (1667) by Thomas Sprat. In this famous often-quoted passage, Sprat advocates the value of “Mathematical plainness” for scientific communication. However, the reality of the society members’ texts was different from what Sprat characterized as “Mathematical plainness.” The significance of Sprat’s passage rather indexes the fact that it expresses the then ongoing change happening in England, and also in Europe overall. It indexes the departure from the old values surrounding the classic world represented by Latin and Greek, and the new science to which the Royal Society was committed could not be separated from this dynamic.
In the examination of contemporary American public communication, the discussion starts with Public Law 111-274, which started in 2010. It is also called the “Plain Writing Act of 2010,” which now legally forces American governmental agencies to write their documents in plain English. By looking at excerpts from
the memorandums and orders by those presidents since the 1970s, the paper points out the significance of the global neoliberal dynamic, in which individual interests and rights are potentially at stake in the midst of aggravating competition.
The paper looks at the process in which plain writing has been valued for the governmental issuing of information concerning people’s rights and obligations.
Here, plain writing, as a norm of governmental communication, is mediated by this political dynamic.