奈 良
・ 平 城 京 左 京 条 二 二 坊 十 一 ︒ 十 四 坪 坪 境 小 路 跡
1 所在 地 奈 良市 法華 寺 町 2 調査 期 間 一九 八 八年
︵昭 63︶ 五月 を六 月 3 掘発 機関 奈 良市 教育 委員 会 4 調査 担当 者 西崎 哉卓
森・ 下浩 行 5 遺 跡 の種 類 都 城 跡 6 遺跡
の年 代 良奈 時代 7 遺 跡 及び 木 簡 出土 遺 構 の概 要 本 調査 地 は︑ 平城 京左 京 条二 二坊 のう ち十
一坪 と十 四坪 とを 画す る 小 路 にあ た る︒ 北 西 に ひ と 坪 を 隔 て て 平 城 官 東 院 を 望 み︑ 北 は 阿 弥 陀 浄 土 院 の 推 定 地 に 接 す る地 点 で あ る︒ ま た
︑ 東 に 接 す る 十 四 坪 で は 奈 良 国 立 文 化 財 研 究 所 に 良 よ る 二 回 の発 掘 調 査 が 行 わ 僚 れ て お り
︑ 坪 内 の様 相 が明 ら か に な り つ つあ る
︒
今 回︑
〇三
〇 ポ ほど の発 掘区 を設 定 調し 査 を進 めた と ころ 奈︑ 良 時代 の道 路 一条 溝︑ 三 条︑ 掘立 柱 列 四条
︑ 土娠 橋︑ と奈 良 時 代以 前 の溝
一条 を検 出 たし
︒ れこ ら のう ち 道路 は十 一 十︒ 四 坪坪 境 路小 にあ た る南 北 道路 で︑ 東 西両 側 辺 に排 用水 の溝 掘が ら れ て るい 小︒ 路 の幅 は側 溝 心 々で 七
︒一 七 m 奮一
〇大
︶尺 ほど
︑ 路面 幅 は四
・六 五 m内 外 であ る︒ 今 回検 出 たし のは 南 北 二〇
m分 であ るが 路︑ 面 の状 態 は 一様 はで くな
︑ 部 分的 に灰 色系 の粘 土 で整 地 され て いる 十︒ 四 坪 の西 辺 には
︑ 路小 東 側 溝 に沿
てっ 掘 立柱 列 があ り︑ 坪 西辺 が塀 で閉 塞 さ てれ いた こと が わ か る︒ また
︑ 十 四坪 から 小 路 へ小 さ な木 橋 をわ た てし いた 時 期が あ るら くし 小︑ 路東 側溝 の岸 橋に 脚 の 一部 と若 千 部の 材 残が
てっ い た︒ 十 坪一 東 辺 は築 地 で画 さ れて いた と思 わ れ る︒ 築 地本 体 は残 っ て いな いが
︑ そ の雨 落 溝 かと 考 えら れ る小 規 模 南な 北 溝 あが る︒ 木衝 は小 路両 側 溝 から 計 三 一点 が出 土し た︒ 小 東路 側 溝 は幅 二
・ 五i 二
︒九 m︑ 深 さ○
七・ mあ る︒ 溝 内 の堆 積 土は 大 きく 三層 に分 かれ 最︑ 下層
の黒 色粘 土層 から 二 二点 の木 簡 出が 上し た︒ 西側 溝 は 幅 二 一︒ ぞ 二
・七 m︑ 深 さ○
︒六 iO
七︒ m︒ 両岸 に杭 列 が残 てっ お り︑ しが ら みを 設け て護 岸 し て いた も のと 思 われ る︒ 滞 内 の堆 積 土 は四 層 に分 かれ
︑ 最下 層 の黒 色 粘 層土 から 九 点 の木 簡 が出 土し た︒ 周辺
の地 形 から 溝内
の水 流 は南 流 し︑ 調査 地 の南 を 西流 す る菰 川 に そ そぐ も のと 思 われ る こと から 木︑ 簡 は︑ 十 一坪
︑ 十 四坪 あ る いは
1988年出上の木簡
阿弥 陀浄 土院 推定 地付 近 で投 棄 され た可 能 性 が考 えら れる
︒ S 木 簡 の釈 文
︒内 容 坪境 小路 東側 濤
①
﹁< 鰻 十 斤
﹃鮫 十 斤
﹄
﹂ Φ契 3 マ ト o器
12)
︹里 己 近﹁ 江 国
□
□ 郡 必 佐 郷
□
□
□
︹俵 己
﹁大 伴 部 大 山 一□
﹁ <
□ 上 郡 加 口 日
﹁ < 海 マ ロ ロ 井 国 人
﹂
□ 口 竪 一 ハ 十 八 日
﹁ 日 置
□
﹁ □ 天 平 三 年 同 回
14)
⑪ は綾 の付 札 であ るが
︑ 異筆 で同 内容
の記 載 あが る︒ 上 部 の記 載 は墨 痕 が薄 く 肉眼 では 見 えな いが
︑ れこ が 初当 の付 札 の記 載 であ り︑ 下部 は のこ 付札 が 不要 にな
たっ 段階 で習 書 あ る いは 筆 慣 らし のた め に書 かれ たも のと も考 えら れ よう
②︒
の必 佐郷 は
﹃和 名 類乗 抄
﹄ に よれ ば 蒲︑ 生郡 にあ
たっ
︒ し かし
︑ 郡名 の部 分 は
﹁蒲 生
﹂ では なく 一字 日は
﹁勘
﹂ のよ う にも 見 え る︒ 郷 里制 下 のも ので あ り︑
⑦ の天 平三 年 と時 期 的 に符 合す る︒
① は六 角柱
の両 端 を 六角 錘 に削 り︑ 角 柱部
の隣 接す る三 面 に
﹁ご 五﹁
﹂ 冨 ご と墨 書 し たも ので あ り︑ 他 の三 面 に墨 痕 は観 察 でき な い︒ 各 面 の大 き さは ほぼ 長さ 二
・七 伽︑ 幅 一・
〇 伽︒ 他 に類 例 がな く︑ これ の性 格 を確 定す る とこ は でき な いが
︑ 六面 であ る こと 数︑ 字 の 塁書 があ る こと から 賽︑ 子 であ る可 能 性を 指 摘 きで よう 賽︒ 子 は双 六 に用 いら れ るも ので あ たっ こと が︑ 正倉 院 宝物 な ど によ
てっ 知 ら
れ る が ︑ 双 六 は 古 代 に お い て 大 い に 流 行 し ︑ 持 統 三 年 盆 ハ 八 九 十 ︶ 二
月︑ 天 平勝 宝 六年 七︵ 五四 六︶ 月 に禁 令 が 出さ れ るほ ど であ
たっ
︒
(71
五 一 L L
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︒﹁ 三
﹂ 坪境 小路 西側 濤
⑨ 大 録
⑩ 食 二升
齢
・麒 導 o9
∩ e x 命 じ
×
︺ oω Ш OΦ ド
⑨ 円は 盤状 の板 の破 片 と見 ら れ る︒
﹁大
﹂録 八は 省 の大 主 典 にあ るた
︒ 9 係関 文献 奈 市良 教育 委 員会
﹃奈 良 市 蔵埋 文化 財 調査 概 報要 告書 昭和 63年 度﹄
︵一 九八 年九 ︶
︵舘野 和己
・西 崎卓
︶哉
2
木 簡 (8)実 測 図