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江淹「五色の筆」新考

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(1)

言: 「 五色の筆」故事

仙詩」で名高い東晉の郭璞が、二百年後の六

も ば、

擬詩や「別賦」「恨賦」などの抒

賦で名高い江淹の

現れ、「五色の筆」の に 炙する本故事には、六 の名稱で人口に膾「五色の筆」または「江淹才盡」後世、 。ぱったりと盡きてしまった、という有名な故事がある (1) 江淹のあふれんばかりの才能は、却して以來、を郭璞に筆」 を求めた。「五色の江淹が懷中の

から

代に數多くの

の、中でもこの故事は、とりわけ多くの人々に支持され、 (2) 例があるもの

えた人々が、江淹と郭璞の文學に何か共 と語り傳えられてきた。その理由の一つは、本故事を語り傳 々

を感じ取っていたからではないだろうか。そのことを先行す するもののある事 る

究に確

本故事に關する言 し、本稿での論點を絞りたい。

は、これまで「郭璞

究」「江淹

の雙方の角度から個別に爲されてきた。そのうち、本稿が 究」

目するのは、興膳宏、高橋和巳、

る。まず、興膳宏氏は、郭璞 田眞美子三氏の論究であ 六 究の角度から、郭璞の文章が 人の で美文の一つの典型とみなされていたことを象

する故事として「五色の筆」を引き、更に、郭璞の『

に『山 仙詩』

經』

寫法がある事を指摘し、その多樣な色

寫を「五色の筆」と稱した(一九六四 (3))。また、數年遲れて高橋和巳氏が、江淹

る哀傷文學の中 究に於いて、潘岳から江淹へと繼承され

項として郭璞の

仙 摘し、本故事をその繼承關係を示す一例に 詩風が有ることを指 六八)。そして (4) げている(一九 年、

田眞美子氏が、先行する興膳・高橋

江淹「五色の筆」新考(松浦)

113

江淹「五色の筆」新考

『山

經』・郭璞の系譜から

松浦史子

(2)

兩氏の言

を せて

衍させ、江淹

敍景詩にも郭璞の「 究の立場から、江淹の 仙詩」を繼承する『山

經』

寫法が見えること、「五色の筆」故事の基礎には、兩 仙界 に共 する「多樣な色

郭璞と江淹は、上の樣に、『山 語」がある事を指摘した(二〇〇一)。以 (5)

經』

世界の寫と色

に共 感

これらの先行 するもののある事がすでに指摘されている。本稿では 究を踏まえ、江淹と『山

經』との

體 係を考察する事によって「五色の筆」の背景を探りたい。 關

1 :六

『山 經』受容史と江淹 『 赤縣經』

『山

經』は、今日、

話性の い原始 考えられているが、その 地理書であると 容や 立を い書物である。 っては、未だ謎の多 代以後、

第に 晉の郭璞の みられなくなったものの、

釋を得て再び日の目を見るようになり、六

には、陶淵明『讀山 期

經』、張駿『山

經圖讚』など、『山

經』に材を

る文學作品が少なくない。江淹はこのような六 の『山

『南史』「江淹傳」には「嘗欲爲『赤縣經』以補『山 經』受容史と如何に關わっているのだろうか。

闕、竟不 』之

。」という一文がある。江淹が『山

經』の缺

部分を「補う」目

で、『赤縣經』という

作を手がけたと いうのである。郭璞註以 (6)

、明代に至るまで、『山

本格 經』に

釋は存在せず、

れば、喩え未完に 補の書物も現れなかった事を考え わったにせよ、江淹による『赤縣經』

纂事業は看

郭璞による『山 しい史實であると言えよう。

經』の 釋には、『山

在のものとして 經』の世界を實

!張する態度の明らかであることが

によって指摘されている。吉川忠夫氏の (7) "に先學 が『山 究によれば、郭璞 經』

世界の信憑性を

が、晉の御代に汲縣の襄王の古 #く際、有力な論據としたの あったという。現存するものに『 $から出土した「汲冢書」で 年』があるが、『山 %書』『穆天子傳』『竹書紀 の『晉書』傳に見える郭璞の古字愛好を考えたとき、郭璞の (8) である。汲冢書はみな古代の文字「科斗書」で書かれていた。 經』と深い關わりを持つのは後の二書 い。郭璞は『 &熱がこれらの書物に傾けられたであろう事は想像にくな

山 證據となってくれなかったら、『山 經序』に「もしも『竹書紀年』が現れて

ただろう」と 經』は殆ど廢れてしまっ を 'べている。また、郭璞が史家として『晉史』 (9)

書の他に、郭璞が『山 した事は『晉書』「王隱傳」にも明らかであるが、汲冢

經』

世界の實在を

とした書物が、史書の邊境誌であった #くための根據

( 中國詩文論叢第二十一集

114

(3)

江淹と『山

經』の關わりに就いての

在しない。しかし『南史』にみえる『赤縣經』 究は管見の限り存 加え、江淹もまた『齊史』 纂の史實に その 纂をした史家であり、とりわけ

纂に當たって重

したのが、天文、地理、律

廣範な知識が求められた「十志」であった事に など、

目したい

して、江淹がある度の理解を持っていた事が の傳によれば、汲冢書に用いられる科斗書などの古文字に對 また、江淹は、古文字・古物の愛好家でもあった。『南史』 。

淹の文章「銅劍贊」からは、江淹が銅劍・銅鼎を始めとする められ、江 古の 銅文 が看取されるのである に對し竝々ならぬ興味と知識を持っていた事 以上の事項に確 。

されるように、郭璞と江淹は、『山

に對する興味に加え、その基礎となる 經』

質の點でも、共

るものを持っていた。「『山 す 經』の闕を補はんと欲」して

纂の試みられた『赤縣經』も、江淹生來のこの樣な

物學

興味と不可分の關係に在ると思われる。更に、後に詳論するように、江淹が『山

經』の世界を

完 く際に汲冢書と相互補 に 寫する事も、郭璞と共

する。江淹にとっての『山 として 經』世界も郭璞と同じく、この世の何處かに存在するもの

識されていたとと思われるのである。では、以下に 『山

經』郭璞・江淹の色

ての『山 寫を檢討しつつ、江淹にとっ 經』の意味を檢證してゆきたい。

2 :『山

經』

色 感とは

『山

經』の色

語に關して、李豐楙氏は「巫

性」を

している

。例えば、鑛物等との接觸を

ようとする場合、 じて治療效果を得 ・丹・碧などそれぞれの色

が重 味を持っていたという。筆 な意 はこれに加え、『山

「色 經』の

」に、巫醫

が 物を 例えば、機能を指摘したい。『山 する際の「指標」としての

「員は、 經』「西山經」「丹木」に 而赤莖、

」和柔剛。とあるように、その「色 密、濁澤有而光、五色發作、以の「瑾瑜之玉」には「堅粟 而赤實。」と云い、また、「西山經」

」は、未知のものを

!

知のもので

"明する際に使用する

「光澤」などの一つとしての「色 #素「形態」「硬軟」

『山 」なのである。そして、

經』はそうした未知の國の物

$に關する「色

」 では、『山 で溢れている。 %報 經』の色

の特 か。筆 &は、どのようなものだろう の色 語統計に依れば、『山(附表)

經』の常用色 語の '度は「赤/金/白/

/ / (/丹/碧」の順であ

江淹「五色の筆」新考(松浦)

115

(4)

る。『山

經』の

纂年代は、

代以 一 という點では見解の を見ている爲、『山

『 經』とも關わりの深い『楚辭』と、

い。この兩書との比較を 詩』という二つの書物を取り上げ、比較の對象とした

じ、『山

ランクインしていることが確 位に、他の二書の八位までには出てこない「丹」と「碧」が 使用が少ないこと、それに代わって常用色語の第七位と八 經』には「玄」「紫」の 出來る。後に詳

「丹」と「碧」こそは、『山 するように、

經』

↓郭璞

↓江淹を繋ぐ象

色語であると考えられるのである。松田稔氏の統計に依れば、『山

は、鑛物の記載が最も高い 經』の五藏山經の記載で

合を占めており、

うち、 447條の

322條に、

58種 634項の鑛物記載が見えるという

統計 。それを

位に入っている。五十八種 に見ると「玉・金・銅・鐵・碧」の順で、「碧」が五

中の五位というのは、可

い數字であると言えよう り高

。「碧」は、玉の一種であるが、『山

經』に玉

の記載が多いのは、『山

巫醫集團の祭祀や巫醫 經』という書物が、

祭祀と結びついた美玉の一つで、呪 と關係する爲である。「碧」もまた

して多用されているのであろう。もう一方の特 な效能を持つものと

ある「丹」は、松田氏の統計に於いては鑛物として分 色語で

され ていない。しかし、『山

な「丹粟」ど鑛物そのものを示すものが多く、巫 經』の「丹」の用例は、「丹砂」

效能が められる點では「碧」と同樣である。では、そうした『山 何に受容されているのだろうか。 經』の「碧」「丹」の印象は、郭璞の「五色の筆」に、如

3 :郭璞 「

仙詩」 郭璞の 「 五色の筆」

の統計に依れば、郭璞の常用色語上位八位は、「

/赤/丹/金/朱/白/

・ /碧」である。『(附表)

ては「赤」「 詩』の常用色語と比較すると、重複しないのは郭璞におい 晉 」「碧」、『

ある。「丹」は『 晉詩』においては「玄」「紫」で の、郭璞では三位と高い使用 晉詩』の八位にランクインしているもの

を占めており、『山

ら郭璞への色系譜を辿ったとき、やはり「丹」「碧」を特 經』か 郭璞、字は景純。晉の武 色とすることが出來る。

の咸 に生まれた。喜(山西省聞喜) 二年(二七六)、河東聞 おいて、卜筮の才能を以て東晉の王室を のごとく亂れた兩晉の世に

いたとされ、その

とが出來る。その際だった才にも關わらず、 學多な知識は、殘された數少ない作品からも伺い知るこ

門の出自に由 中國詩文論叢第二十一集

116

(5)

來する

懣や鬱屈した心

が、彼の作品の基

れる。郭璞の代表 を爲すと言わ

作品である「

仙詩」は、そうした憂

を詠む點でも名高いが、一方で、

麗な色

作品でもある。郭璞「 語が目される 仙詩」のうちでも、その色

語の

麗さが目される

が使用されている。 の一首には、「碧樹」「丹泉」という詩語 臺は崑嶺山の頂にあり、西

林は美しい は招搖山に接している。瓊

で滿ち、碧樹は

を散らして

泉は朱いしぶきを漂わせ、 きつめる。丹

水には玄い波濤が

く。

を探し 仙

ねること一

えた。振り亂した髮を洗って 日あまり、今ようやく王子喬に出逢

の霞にさらし、

を ぎ絳 を纏う。轡を執って

み少廣を

にすると、蟠った

雲の が

くるま

い踊る。永に不老不死の仲

千年先まで共に自 と離れる事無く、

の らしをしよう。(

臺冠崑嶺、西

濱招搖。瓊林籠映、碧樹疏

!翹。丹泉漂朱沫、

水鼓玄濤。

仙萬餘日、今乃見子喬。振髮晞

霞、解

被絳 盤 。總轡臨少廣、

雲 。永偕

"

(郭璞「 #侶、千齡共逍遙。)

仙詩十二首之三」) 崑崙や西

といった『山

經』に

$かれる土地を

王子喬や少廣といった 臺に、

仙が登場し、その

「丹泉」をはじめ、「 $寫には「碧樹」

水」「

霞」「絳

」などの色

用されている。先 語が使

%したように、興膳氏は、郭璞の

見える色 仙詩に

語の多樣に

氏は、郭璞の &目し、それを「五色の筆」と稱した。

發する河川」の順で記して行く『山 仙詩には「山名」「動植物の樣」「山中に源を

經』の常套

看取されると $寫法が

%べ、さらに「

水」は『山

に、「丹泉」を 經』「西山經」

'想させる「赤水」が「

郭璞の作品にみえる 見えることを指摘する。 外南經」の郭に 仙 ()の影

があるが についてはすでに論究

*

、本稿が目したいのは、郭璞の『山

は、『山 經』釋に 經』

+立時にはなかった

仙 ()の 多く ,餌の知識が -り .まれている點である

/

。郭璞の「

やかな本 仙詩」には色鮮

0鑛物が多く

$かれ、「

いる 1藥」のモチーフも見えて

2

。郭璞によって「

仙詩」が制作されたのは、『

『 3朴子』や

4仙傳』が

5まれた煉丹

(の 代表格とも言える『 -行期でもあった。煉丹書の

「九光丹」の製 3朴子』では、例えば、「金丹篇」の 6法を記した項に、「五石」、

7ち「丹砂」「雄

江淹「五色の筆」新考(松浦)

117

(6)

」「白礬」「曾

」「

五色の色 石」が、それぞれ五色に轉じて二十 變

を爲す樣が

べられている

。山田慶兒氏によれば、當時の煉丹において「丹」の屬性は「轉

屬性として轉 」であり、

の多い丹を

用すれば「屬性傳

作用して人 の原理」が の轉 の を促

た、「丹砂(HgS:硫 すると考えられていた。ま 水銀)」には、赤

↓銀という色

を繰り

す「

丹」の作用がある。こうした色

變 仙藥に高い價値が を經た ては、「丹」を始めとする鑛物の色 めらるように、郭璞時代の煉丹に於い

をもっては代えがたい獨特の意味を持っていた は、それぞれが他の色

。郭璞にとって、こうした

仙醫

學と結びついた色

の「 のイメージは、そ 仙詩」を

る煌びやかな色

のではないか。「九光丹」の二十五色の變 とも不可分のものだった

樣の色 と同樣、多種多 が溢れている事自體に、

によって如何に受容されていくのだろうか。 いたのである。では、そうした郭璞の「五色の筆」は、江淹 祕のパワーが感取されて

4 :江淹の鑛物愛好 「 五色の筆」

江淹、字は文

。宋の文

陽考 の元嘉二十一年、濟(四四四)

(江蘇省丹徒縣)に生まれた。出自は郭璞と同樣、

門である。十三

の時に父を

くし、貧しい生活を

たが、群書を覽し、また早くに文學の才覺を現したという ってい 江淹に於ける『山 。 !

"經』

#世界觀の涵

$期として

のは、三十一才の折りに、建 %目される 今の &王への直諫が却て怒りを買い、

'建省建安の地、南國

(興へと左

從來、江淹と言えば、その )された體驗である。

*擬詩や抒

いるが、一方では、 +の賦を以て知られて 仙に對する愛好を見ることが出來る

特に、 。 ,

(興での一

-の詩作には、

な鑛物を 仙世界と共に、色鮮やか .う、『山

"經』

#世界が繰り廣げられる事が多い。

/した

0田眞美子氏は、江淹の敍景詩に見える色

色 檢討した論究において、まず江淹作品に見える(二〇〇一) 語を 敍景詩が、郭璞の「『山 語の多さを指摘し、興膳氏の指摘を踏まえつつ、江淹の

"經』

として、 #1寫」を踏襲した例の一つ 2の作品を

3げている。

美しい谷

は峨峨として

4く、銅を出す

(興の武夷山

深閑として四方八方に根を張っている。玉を 5は 水には金 6くという方

が呼俯えるのを見、映り照がばれる)と霞いて色鮮やかな な虹雄色鮮やかな方がると考えられており、在が雄(虹には雌 7が堆積し、まろき岸には丹瓊が潛む。下に鮮明 中國詩文論叢第二十一集

118

(7)

明るく輝くのをじっと見入る。(瑤

夐嶄

、銅山鬱縱

水堆金 、方

、圓岸伏丹瓊、下

(江淹「 雄虹照、俯看綵霞明。)

陽亭」) の色語の特 物や鑛物で滿たされ、色に溢れている。また、氏は、江淹 田氏の指摘する如く、この作品は確かに山中も水中も寶

に「天文氣象」との結びつきを

筆 げているが、

ている 「天文氣象」よりも、むしろ「鑛物」に對して多く用いられ の統計に依れば、江淹の敍景詩に用いられる。色語は

。江淹の鑛物を詠んだ詩賦は、特に

い傾向に有るが、この作品もその例に洩れず、江淹は、 興での詩作に多

の山を「銅山」と形容し、水には「金 興 いう。江淹にとって、 」「丹瓊」が有ると 興の山は、多くの色豐かな鑛物を む場 例はなく、その唯一の用例は『山 でもあった。また、「銅山」の詩語は同時代にも作

經』にのみ見えている

確 こうした江淹の鑛物愛好癖は、江淹の色語の用法からも 。

出來るのである。筆

上位八位常用色語は「金/ の統計に依れば、江淹の(附表)

/丹/碧/白/

であり、『 /紫/紅」

宋詩』『

齊詩』『

色語と比較すると、江淹には、その上位に、「金」「丹」 梁詩』の第八位までの常用 「碧」という鑛物色の多い事が

物玉石 る。また、それらを①鑛 、②山

木 、③水霧

の三種

に下位分

例は 時期の例と比較しても、例えば『玉臺新詠』の「碧」の使用 ても、「金」「丹」「碧」は、①の例が最も多い。試みに、同 してみ

體の第十三位(

『文 2に留まり、文や賦などを含む%).7 』にしても、「碧」の用例は極めて少ない事が

さらに、常用色語の第二位に「 る。

の 」があるように、江淹 寫する鑛物は、銅系の

色鑛物が多く、それは江淹の

愛好とも無關係ではないと思われる

銅 を 系の む「銅」

色鑛物への

愛は、

らくまた『山

繋がっている。例えば、「 經』の世界とも るが、この鑛物は同時代の作品に使用例は見えず、『山 」は江淹の作品に四回詠まれ

にのみ多出する( 經』

17例

。また) !

"銅鑛「空

賦「空 」を詠んだ詠物 賦」は、「空

」が山

と「鉛」の合一から の幽冥な地に於いて、「銅」

まれ、それらを奇怪な山谷を

て君子に獻上するまでの #り穿っ

$%を

&べているが、

ここまで克明に鑛物の樣子を '代の賦にも き切った作品は無い

うに、江淹の鑛物愛好は、その 。このよ (

銅 と絡まりつつ『山 に代表される古物愛好 だろうか。 經』の受容へと繋がっていたのではない

江淹「五色の筆」新考(松浦)

119

(8)

5 :江淹 「 赤虹賦」 「 五色の筆」

「空

賦」と竝び、江淹の特

ある。この作品は、元徽四年(四七九)の作。 を示す秀作が「赤虹賦」で

九石山( 興の山奧、

興縣東南

43に入山した折り、目の里)

高橋和巳氏は、「 現れた雄大な虹に心打たれて製作した色鮮やかな作品である。 に忽然と

美しさを持ち、かつ

への江淹の關心を示す作品と 祕なもの」

し、

田氏もまた、江淹の色

「虹」を好んで用いるのは、 語の檢討に際して「赤虹賦」を例示し、江淹が詩語として

實感が曖昧であり、その

性が 祕

仙に じるためである、と

そもそも、「虹」を詠んだ賦は、『初學記』や『藝文 べている。

にも、江淹の「赤虹賦」のみが 聚』

載され、虹の色

變 れほど克明に をこ 察し、

寫する作品はほかに無い

自體、江淹文學の特 。この事實

を示しており、

特 らくこうした詠題の 性を支えるのが、本稿で

目する、江淹の

なのである。江淹のそうした嗜好は、『山 物學嗜好 の郭璞註と、如何に關わりあい、發露して行くのか。その 經』世界やそ

を、「赤虹賦」を讀みながら確

江淹は、「序」で、まず紅い壁が十里に して行きたい。

!なり、

"と した崖が百仞の高きに聳え立つ山中の奇

を色 豐かに

たあと

#

古の

$の侍醫巫咸が

%藥をし、群

ういう &が天地を上下する、そ 'でないかぎり、みな登山して藥を

を諦めるのだ。(自非巫咸采藥、羣 %るという意向

&上下 '、皆斂意焉。)

と詠い、

分の $の時代の巫醫「巫咸」を登場させている。この部 寫は、『山

經』「

に「群巫」が上下する場面と 外西經」「巫咸國」の「登葆山」

に「百 、『楚辭』「離騷」の「九疑山」 (

」が集まって

)りる場面とを

られるが *せて踏襲したと考え

、興味深いのは、「巫咸」が「 +

%藥」を行うと

るのは『山 べ

經』の郭璞註に始まる、という點である。『山

經』の上記の記

に對し、郭璞は「

%藥し ,來す」と

ているのだが、袁珂は『山 し 經校 』に於いて、この郭璞の 釋が、醫

-學へ傾き

ぎている點を

.く批 /している

璞が「巫咸山賦」の中で「巫咸」を「鴻 。郭 0

1」を善くする方醫 1士と見なしている事や

、『山 2

經圖讚』「巫咸」に「

の讚語を使用する事からいえば %藥」

「 、郭璞こそが「巫咸」の像に 3

%藥」という

4素を加えた張本人と言えよう。こうした郭 中國詩文論叢第二十一集

120

(9)

璞『山

經』

の 仙醫

解釋の背景には、

仙 の 生の風氣があろうが、重

に なのは、江淹が「赤虹賦」

く「巫咸」が、郭璞の「

いる事である。こうした點に於いても、江淹が郭璞『山 藥」の語をそのまま踏襲して

經』

から何を學び、

て、『山 收したのかが明らかになろう。江淹にとっ 經』の郭璞

に見える醫

本 學 知識は、その 物學

の作品を特 嗜好を刺激し、鑛物や虹に對する愛好とともに、そ づけるものとなったのである

續けて「赤虹賦」を見よう。南國 。

船で 興の九石山の溪谷を、

むと、目の

め水を に忽然と「雄大な虹が光り輝き、光を霞 か」した。虹は大きく弧を

き、汀に

で江淹が取った行動は、『江文 なる。そこ し 集』の「自序」に「奇を愛 を ぶ」と自稱するに相應しい行動であった

私がこの虹を

いかけてじっくり

と日の陰陽の氣なのであるが、まことに素 察してみると、實は雨 ものだ、今は九石山の麓にして、自ら絳 思えば昔、廬山の香爐峰に登った折り、手が白雲に觸れた らしい。また、

得られない。心動かされたので此處に賦を作る。(僕 白雲に觸れ、虹を愛でる、此の二つの珍しい經驗は滅多に !を愛でている。

而察 行九石下、親弄絳 之、實雨日陰陽之氣。信可觀也。又憶昔登鑪峯上、手接白雲、今

!。二奇

"再、感而作賦曰;)

盧山で「白雲」に「手 」、この九石山で「絳

なし 「親ら弄す」こと、それを「二奇」と呼び、それが「再びは、 !」を 詩人が、「奇」なる現象を "」いので賦を作った、という制作の動機からは、この

察し、それを記

を覺える科學 #することに興 江淹の作品には「愛奇 $の樣な性癖を持っていた事が伺えるだろう。

」の自

%を裏付ける

これもその顯 寫が多いが、

&な例である。江淹の「奇

味と 」なるものへの興 '熱は、こうした自然の

(み出す奇怪で、

)祕 つ江淹にとっては極めて現實 な、か ある。 でもある物象に集中するので

靈山は、曲がりくねり、宇宙の源の太極がこの山に

よう。 なる

*+や虎豹、美しい

,が勢いよく飛

眞 -するかのよう。

.でもぼんやりと雲氣が漂い、

/0は ちが解き放たれないのを哀しみ、暫くはこの憂いの年 12を含む。氣持

3が

4和されることを

なかったので、山中で仙人の居た足跡を辿ろう。仙藥を奇 5む。この世で古の仙人會うことが出來

江淹「五色の筆」新考(松浦)

121

(10)

峰に拾い、靈妙な

丹を、

れかけた岩肌から穿ちだし、

の む岫が雲を吐き出すのを見て、

るのを見る。( の梁が交わり重な 碕礒兮、太極之山。

虎豹兮、玉

孟 軒、

茵 兮、

承 。悵何意之容與兮、冀暫

之 此憂年。失世上 人、

山中之

迹、

仙 於危峰、鐫

丹於 石、

吐翕、看 岫之 梁之交積。)

江淹は赤い虹が出現する靈山の樣子を「太極」がなる樣に準え、また、「

」「虎豹」「玉

い文 」といった怪しく美し をもった

獸たちが跳

古の仙人の足跡を辿って奇峰に「 する樣に喩えている。續いて、

藥」する樣子を

峰に添景される「 く。奇 」は『山

經』に見える

郭璞 獸であるが、

!との關係で再び

!目されるのは「

おおすつぽんの梁 はり」である。「

る場 梁之交積」は、穆王が南方越を征伐するとき、九江な

"で

おおすつぽん

#とを橋桁とした、という『竹書紀年』 わに

の故事に基づくモチーフであるが "載

、江淹が $

チーフは、この①「南方 %用した汲冢書モ 瑤池の宴」、③「北方に #の梁」の他、②「西方西王母の

&鳥が 'を解く」のモチーフがある

これらのモチーフが、總て郭璞『 。 (

!山

『穆天子傳』『竹書紀年』の記載 經序』にひかれる )に

*まる事實は

、江淹の汲 + 冢書に對する理解が、やはり郭璞というフィルターを

形 ,して

汲冢書は『山 -されている事を意味しよう。郭璞同樣、江淹にとっても、

うに、江淹にとって『山 經』と現在とを結びつけるものであった。思

經』世界のイメージが、より

./

に繰り廣げられるのは、奇怪な鑛物や本

である。南國 のような「奇」なる自然の天象を目の當たりにしたときなの 、あるいは「虹」

0興の山奧のそらを染め上げる「赤虹」の色

協奏曲もまた、その鮮やかな例であろう。

ここに於いて、紫色の濃霧が天際に流れる銀河に沿って驅け上り、絳色の氣が銀河に沿って驅け下る。白日は余すところなく、碧雲は渦を卷く。殘り雨はまばら、光り輝く

1

雨は朦朧として美しく輝き、水は

に赤い俄 山水が峻險に重なりあい、蛟の色の樣に美しく霞み繞る。 浪のよう、石は美しい玉の岸と爲る。龜や魚の鱗の樣に、 2光を反射させて金色の 3が閃き出現し、

45

のように

變 がる。朧に

6しつつ、ぼんやりとして一

"に留まらない。

圖讖(赤虹は) らしだす。照まで鮮やかに美しく側に光り輝かせ、河の北 深紅を頂るく輝く。山明ったかと思えばまた陰實でなく、 でなく 7書には載っているものの、長い

8ただ知っ 中國詩文論叢第二十一集 122

(11)

てるというのみで、實際見たことはなかった。(於是、紫油上河、絳氣下

、白日無餘、碧雲卷

。殘雨蕭索、光烟

學金波、石似瓊岸。錯龜鱗之崚崚、繞蛟色之漫漫。俄而、赤 爛。水

出、 電

驤。曖昧以變、依不常。非

非實、乍陰乍光。

山頂、 赫

燎水陽。雖圖

之有載、曠世識而未逢。)

江淹は、虹が出現する直

の色 の變

「白日」「碧雲」「金波」「赤 を、「紫油」「絳氣」

」「

赫」といった

麗な色

語をもって

「碧雲」が對にされる、色 寫する。「紫油」には「絳氣」、「白日」には

の對偶である。天に弧

天の河は、「赤虹」の 氣」が驅け下る。「紫」と「絳」に鮮やかに染めあげられた る銀河の片端から「紫油」が驅け上り、もう片端からは「絳 に流れ

「絳氣」の「絳」という色 身であろうか。

語が多く使用される例に、六 末の 門士人に流行した、

の經典『眞誥』に

められる詩がある。釜谷武志氏は『眞誥』にみえる「あか」色を檢討した

などと結び付けられる例が多く、「霧」 究に於て(一九九八)、「絳」が特に「雲」

仙世界に

として用いられると指摘しているが じる色

「絳」もまた、殆どがこうした 、江淹の作品に見える

霧と結ばれ、

仙世界の

出を意識する場面に用いられている

。「紫」もまた天上の !

仙世界を暗示する色

も、 、「赤虹賦」の「紫油」と「絳氣」 "

仙世界を想

#させはするが、江淹がここで

るものは、南國 こうとす

$興の山中に繰り廣げられる虹の色

變 また、 すなわちいかに「奇」であってもひとつの實景なのである。 、 %したように江淹の色

「碧雲」例が多い。も江淹に特 で、このような「雲」「霧」などの天象と組み合わせられる 語には、鑛物・山に繼い

&

色 'な詩語であるが、江淹の 語の特色は、こうした本來鑛物であるはずの「碧」の色 點であろう 感を、「雲」のような朦朧とした水質の對象に用いている

「赤虹賦」の最 。 (

)段

*の に材を +頭は、『楚辭』の「九章・悲回風」

,り

、「また、 -

ずは .き悲しみ詮方なくたたずみ、ひとま /く天空を行き、氣儘に

01しよう。(

2咨嗟而躑躅、聊 0」と流而從容)

%べた後、『山

世界を俯瞰し、天 3經』に見える地名を用いて 4る 々と 5れだって、自由に大空を飛

4

するのである。

南の方、番禺の廣野を思い、丹山の高い峰を憶い、死して尾星 あしたと箕星 との

6に輝く傅

7星と 8った殷の宰相傅

7の

江淹「五色の筆」新考(松浦)

123

(12)

一つ星に跨り、禹の子

意丹山之喬峰。稟傳 の兩龍に乘る。(想番禺之廣野、

之一星、乘

后之兩龍。)

「傅

」(『莊子』「大宗師篇」)と「

后 (開)」(「大

「 西經」

は、ともに星や龍に乘って天地の外西經」)

を來する

である。特に「

」は江淹の意趣に

った らしく他の作品にも見えるが であった

、管見の限りでは、この

作に用いる例はなく、郭璞が を詩 に『竹書紀年』を引く『山

經』「大

西經」や『山

經圖讃』に言

されるのみである

々の飛

する 臺として

禺」は、『山 かれる「番禺之廣野」の「番 經』「

とあるが、『 南經」に「桂林八樹、在番禺東。」

書』「地理志」第八下に「南

と記載される實在の 郡、縣六、番禺。」 うに『山 境の地でもある。このよ(今の廣東)

經』と史書の雙方に見える

境を好んで

に在ることは、郭璞と江淹に共 く傾向 する。いづれも『山

經』

山之喬峰」の「丹山」は、『山 世界を實在のものと見なすスタンスに由ろう。また、「丹

江淹の作品には、「丹山」という語が多用される他 る。 經』に多くの例が見えてい

「 、「碧山」

山」「白山」「赤山」「紫山」など「色

+山」という用例 が顯

であり、同時代の作家にこれほど多くの色

山に對して用いる例はない 語を直截

。また、このうち「碧山」「

は『山 山」

用例はないのである。こうした多 經』にのみ見える語で、江淹以外に詩語としての使

な「色

の源泉は、同樣の語をもって 山」のイメージ

かれる『山

たといってよいだろう 經』の世界だっ

この

祕の赤虹は幾ばくもせずに

を隱したが、火が

殘色はまだ てもそこに紅の色が現れる樣に、その形の余韻は未だ見え、 え え切らぬ。(赤虹は)々たるを

ては纏わり、鬱 !を輝かせ でい苔に交わり、石疊の路で朱い "たる樹を照らしては結ぼれる。丹い中洲

は明るく下に流れ、日は光 !をかすめている。霞

#く上に渡って行く。俯き

ること(彼靈物之 するに人生は窮屈、哀しむべきは時代や世の中が常ならざ $察 去。 %幾、象火滅而出紅。餘形可覽、殘色未

&萎 '而在

!、映葱而結樹。錯苔於丹

(、曖朱 霞晃 !於石路。

)而下飛、日

籠而上度。俯形命之窘局、哀時俗之不固。)

*+」の如く勢いよく大空に

やがては火が滅するように、 ,り出た雄大な赤い虹が、

えて行く。江淹が

き出すの 中國詩文論叢第二十一集

124

(13)

は、「殘色未去 うすぼんやりとしたいろをのこし」つつ、赤虹が

い や樹を「

せ「映」らす樣子である。「 」か

苔」や「丹

」に、「朱

いう色 」と

語を冠した點景は、

祕 ぼりゆく。 まとわらせ、その虹の殘色のなか、霞は下に流れ日は上にの な赤き虹色をうっすらと

安期の赤い玉のがこの世に殘るなら、

湖も が昇天した鼎 えよう。そして跨れば千

の壽命となる

るのだ。古の 白毛に駕し、四角い眼の仙人、一角の仙人とな(の吉量) 馬、朱鬣・

の臺は北の たかどの

野崑崙の東北の果て、

は西 山

の 、西の果ての流沙、箕星と斗星の みぼしひつぎぼし

場。雲には稀な の天の渡し

りがあり、

に珍しい鱗

ら、それは必ずや虹 樣があったな

の氣と陰陽の

(定赤之易 を交えたものなのだ。

、乃鼎湖之可

。 以爲朱 之人、 白毳之駕、方瞳一角 臺北 之際、

山西

之 怪綵、 。流沙之野、析木之津。雲或 或

鱗、必雜虹

之氣、陰陽之

焉。)(江淹「赤虹賦」)

虹の滅したあとに綴られる「赤虹賦」の最後場面は、

と仙境のオンパレードである。「赤之易 仙 に見える「安期生」の故事。金玉を賜うという秦の始皇 」は、『列仙傳』

か ら申し出を斷り、赤玉のを

し、數年後蓬莱に我を

好むところであったと見え、郭璞作品を 詣られよ、と謂ってこの世を去った安期生の故事は、江淹の しに

擬した江淹の

詩にも用いられている

。對にされる「鼎湖之可

」は、

の昇仙傳

に基づく。

昇仙傳

は、魏晉の

仙方士の

では、

に事實として捉えられており、郭璞の『山

にも見られるが 經圖讚』

、この賦には、「赤虹」の天

にダブらせて、 けるイメージ 乘龍の故事がばれたものだろう。

部分に登場した星に跨る傅 !の

、兩龍に乘る

"后 江淹自身の信仰に關しては、『江文 る。 #も同樣であ 天竺 $集』「自序」に「深く

%果の文を信じ、

&に老子

'(の その形態は )を好む」と云う樣に、

いて *佛混交であったと思われるが、江淹の文學にお 仙

*+や佛

+の世界は、『山

經』の世界と

示されている。 ,せて提

*+と色

語との關係では、この時期の

*+

の修行法は金丹の

*を く外丹

)から、存思法などの

-面

な修行を重

.する

-丹 筆」に見た の鑛物愛好や煉丹詩語の多さを考慮すれば、郭璞の「五色の )へと移行しつつあったものの、江淹 仙醫

/の色 にもある イメージは、江淹の「五色の筆」 0度受け繼がれていると言えよう。

江淹「五色の筆」新考(松浦)

125

(14)

しかし、やはり江淹が郭璞から受けた「五色の筆」の基

となるのは、『山

經』世界の色

天 感なのである。それを、

ける 馬「吉量」の例に確

しよう。江淹が「朱

之駕」という「吉量」は、「 白毳 に見えている。『江淹集校 北經」の「犬戎國」の記載 』は、「朱

「白毳」を「 」とセットにされる 仙の乘り物である白鶴や白鹿の

」と る。しかし、「 解す 北經」「有文馬、縞身朱

、目 曰吉量、乘之壽千 金、名

。」の郭璞

に引く『

文馬、赤 書』には、「犬戎 白身、目

金、名曰吉

江淹の「赤虹賦」に見える「白毳」は、『山 之乘。」と記載される。

はなく、この郭璞 經』の本文で を踏襲したと見なす方が良い

淹が 。ここで江

飛 寫したいのは、「吉量」の白い身と赤い鬣とが大空を

するその色

の鮮やかさであろう。そして江淹の

西の彼方「流砂」の地に 線は

「箕星と斗星」の みぼしひつぎぼし び、そのまま遙か天空の彼方、

くあたりへと

い 江淹は最後に、「雲」に「怪綵」、「 まれて行く。

」に「

ば、「それらは必ず虹 鱗」があれ

の氣と陰陽の

心打たれてこの賦を作り、末尾にまたその「 義して締めくくっている。江淹は「赤虹」の「奇」なる事に を交えたもの。」と定

贊 」なることを

してこの賦を締めくくるのである。

江淹は、『山

經』

世界の多

にも縱 なイメージを、その詩作 に利用している。「赤虹賦」の檢討を

の作品には、その色 じて、江淹 感の側面に於いても、『山

經』の影 が色濃いこと、そしてその影

は、に郭璞

を 映されていることが明らかになった。また、『山 じて反 經』

世界を な

寫する際に、『穆天子傳』や史書の世界と補完

組み合わされるのも、郭璞と共 に する の粉 『玉臺新詠』を始めとする、同時代の文學の多くが、女性 う。 法として指摘出來よ

!や宮中の煌びやかな裝

!に、鮮やかな筆を振るう風

"

には目もくれず、江淹はただひたすら自然の

#む、

色 な

を見つめ續けた

。筆 $

%に依る江淹の色

を形容する色 統計には、女性 語が殆ど見えず、その大

本 &が自然の景物 指摘しておくべきであろう。『江文 '、鑛物、虹などに關するものである事實は、ここで特に

集』の「自序」に、

( 興の自然を懷古して、「爰に碧 水丹 山、珍木靈

淹の '有り。皆、

)生至愛する

*」と、江淹が日常

「珍木」や「靈 に愛するものとして、

'」といった本

'+物 と共に、『山

經』と 中國詩文論叢第二十一集

126

(15)

郭璞の仙界

寫に特

な鑛物色

「自序」での「愛奇 られるのは、單なる偶然ではあるまい。 語「碧」と「丹」が用い 」との自

江淹は、土の中から出現する銅劍の「古 を裏付けるかのように、

、南國(「銅劍贊」) 」なる事をじ

興の地には

も色鮮やかな

木の「奇

なることに 」

き(「

木頌十五首」)、

國に の鑛物が、「奇 する色とりどり 」なる山谷に幾星霜の

時 潛んでいた雄大な に想いを馳せる(「空

賦」)。

らく、江淹の「古」「

「奇」なる物象への 」 熱は、それらが「

う いった壯大な時空と繋がりつつも、現實にも存在する、とい 去」や「彼方」と 識に支えられていた。そして、また、江淹が『山

經』

世界を想

するのは、實際に目の

に在る「奇」「

」で 祕 な自然現象や物品を目にした時であった

『山 。江淹文學に

とって、『山 經』の世界のモチーフが多く用いられるのは、江淹に

經』という書物が、「

『山 確かなリアリテイー有る世界を持っていた爲であろう。 壯大な時空へと擴がりを持ちつつ、その實在を否定仕切れぬ 古」や「域外」という 經』の樣に本

醫 、地理、

話など多

な 持つ書物の補缺作業は、「『齊史』「十志」を 容を 示した」(『史 してその才を 』「古今正史」)といわれる江淹のように、

物 學

才能に長けた人物には、最

くて『山 任であったにいない。か 經』の「闕を補う」目

で始められた『赤縣經』

!纂作業とは、郭璞註を熟讀、檢討、補完する作業の

る繰り "えざ

#しであったろう。こうした

事を再び見直すと、江淹の $點から「五色の筆」故 より一 %に郭璞が現れたことの必然性が のだろうか。江淹は後 さて、「五色の筆」は、果たして本當に江淹から失われた &明らかになるのではなかろうか。

'生に至り、思想性の

(い一 群を殘したと言われる )の作品 きた」とされる 。これらの作品は、江淹の文才が「盡 *

+年に於いても、その

'生とは

で健 なった形

は、明の胡之驥が『江文 ,であった事を傍證する。特にそのうちの一篇「遂古篇」

に比定する作品であり、江淹と『山 集彙註』の「凡例」で、『赤縣經』

る上でも最も重 經』の關わりを考察す 稿を改めて檢討することにしたい。 -な作品である。この「遂古篇」に就いては

江淹「五色の筆」新考(松浦)

127

(16)

中國詩文論叢第二十一集 128

8 7 6 5 4 3 2 1

總數 868

碧 33

(4%)

丹 44

(5%)

62

(7%)

116

(13%)

134

(15.5%)

白 148

(17%)

金 163

(18.5%)

赤 168

(19%)

『山

經』

總數 155

6

(4%)

/紫 7

(4.5%)

赤 9

(6%)

朱 13

(8%)

19

(12%)

20

(13%)

玄 32

(20%)

白 49

(31%)

『楚辭』

總數 256

紫 9

(3.5%)

赤 10

(4%)

玄 12

(4.5%)

朱 13

(5%)

34

(13%)

金 36

(14%)

白 55

(21.5%)

57

(22%)

詩』

總數 133

碧 6

(4.5%)

/ 11

(8%)

白 15

(11%)

朱 16

(12%)

金 17

(12.5%)

丹 18

(13.5%)

赤 23

(17%)

27

(20%)

郭璞

總數 746

丹 50

(6.5%)

紫 51

(7%)

朱 75

(10%)

82

(11%)

86

(11.5%)

金 101

(13.5%)

白 127

(16.5%)

玄 174

(23%)

晉詩』

總數 432

紅 31

(7%)

紫 32

(7.5%)

35

(8%)

白 41

(9.5%)

碧 48

(11%)

丹 69

(16%)

81

(18%)

金 95

(22%)

江淹

總數 390

紫 26

(6.5%)

丹 30

(7.5%)

玄 33

(8%)

朱 34

(9%)

40

(10%)

50

(13%)

白 88

(22.5%)

金 89

(23%)

宋詩』

總數 277

21

(7.5%)

紅 22

(8%)

23

(8.5%)

30

(10.5) 玄 31

(11%)

白 33

(12%)

48

(17%)

金 69

(25%)

齊詩』

總數 1606

131

(8%)

137

(8.5%)

丹 139

(8.7%)

紅 143

(9%)

173

(10.5%)

226

(14%)

白 228

(14.2%)

金 429

(26%)

梁詩』

總數 1273

紫 81

(6%)

丹 136

(10.5%)

白 158

(12%)

朱 161

(12.5%)

164

(13%)

175

(14%)

金 235

(18.5%)

玄 244

(19%)

『文』

總數 591

朱 38

(6%)

丹 39

(6.5%)

57

(9.5%)

58

(10%)

/紅 72

(12%)

87

(14.5%)

白 92

(15.5%)

金 148

(25%)

『玉臺新詠』

(17)

(1)梁鍾 )

『詩品』「中品」「梁光祿江淹詩」「初淹罷宣

遂宿冶亭、 郡、

多年矣。可以見 一美丈夫。自稱郭璞。謂淹曰、吾有筆、在卿處 不復 。淹探懷中、得五色筆以授之。爾後爲詩、

(2)『陳書』「徐陵」「母臧氏、嘗 語。故世傳江淹才盡。」

五色雲

而爲鳳、集左

已而陵焉。(略)陵年數 上、

、家人攜以候之。寶誌手

曰「天上石麒 其頂、

也。」光宅惠雲法師

嗟陵早

八 就、謂之顏回。

、能屬文。十二、

老義。

長、

史 、縱 辯。」の他、『晉書』「羅含」『南史』「任 有口

『新 」『南史』「紀少瑜」

書』「李

(3)興膳宏「詩人としての郭璞」(『中國文學報』 」等。

『亂世を生きる詩人たち―六期詩人論―』( 19:一九六四)

一)に收 文出版・二〇〇

(4)高橋和巳「江淹の文學」(『吉川 。

士 筑 休記念中國文學論集』

:一九六八) (5)

田眞美子「江淹詩の敍景表現について―その色

として」(『お を中心 の水女子大學中國文學會報』

(6)江淹の『赤縣經』は殘されていないが、『江文 20:二〇〇一)

の 集』の初 續 釋である明の胡之驥はその序文に、江淹が『山經』の

!を志した事を

"べ(「建策

志續『山經』。」)、その後の凡例に、『南史』の『赤縣經』 #端、文垂國史;策奇紘外、

!

纂の史傳を載せ、「遂古篇」が『山經』にあたる『赤縣經』であると

$定している。(「『南史』曰、(略)余按、宣

刻拾

(7)吉川忠夫「汲冢書發見 %『遂古篇』、亦彷彿『山經』之義、今、收入詳註之。」)

&後」(『東方學報』

(1964)の「江賦」を論じた部分で「一見奇 等。吉川氏の指摘に先立ち、興膳氏は「詩人としての郭璞」 71:一九九九)

'な樣相を

る『山 (す

としてるとい筋金い太がう確信 )どこかに經』の在すの界の世こ、動植物も必らず存

っている。」と

"べている。

江淹「五色の筆」新考(松浦)

129

(※

&頁附表の色

江淹・・上 統計の典據を以下に記す。)

)*務印書

+縮印烏 ,蒋氏密韻樓藏明

-宋刊本『四部叢刊』「梁江文

集」【郭璞】長谷川

.『郭璞詩譯

付索引』(興文

/

一九八八)【『山

)經』】香

0中文大學中國文

究 1!『山

)經逐字索引』(

*務印書

+一九九四)【『楚辭』】竹治貞夫『楚辭索引』(

2

島大學文

3學部 4文學 究室一九六四)【『

54詩』~】松浦崇

!『 54詩索引』~『

5斉詩索引』(櫂歌書局一九八四~)【『

島大學文學部中國文學 5梁詩』】廣 gi-rikycho/ryo/cbincb/ryo5.cgi)【n/p/究室:/HP「梁詩檢索」(http/hc.jome.hiroshima-u.a『文

六 6』】斯波 7『文 6索引』(京 8大學人文科學

究 1一九五八)【『玉臺新詠』】小尾郊一他

!『玉臺新詠索引』(山本書店一九七六)他。

(18)

時 に見た場合、江淹以

の『山

經』を

には、郭璞の『山 った文學作品 經圖讚』と陶淵明の『讀山

經』が

である。興膳氏は先の指摘に續けて陶淵明『讀山 名 經』に言 し、『山

によってその關心を示すというのも、二人の『山 態度ではないとし、郭璞は「釋」によって、陶淵明は「詩」 經』の世界を事實として實感するのは陶淵明の

經』

界への態度の 世 いを象

すると

の『赤縣經』 べている。この指摘を江淹

纂事業まで

賦作品にとどまらず、「『山 衍するとすれば、江淹が文學詩 經』の闕を補う」という目

『赤縣經』を で て『山 纂せんとした態度は、「釋」という行爲によっ 經』世界に携わった郭璞の態度により

(8)『晉書』「郭璞傳」「璞好經 よい。 いと言って 、 字、妙於陰陽算 學有高才(略)。好古文奇

(9)郭璞『山 。」

經序』「

『竹書』不潛出於千載、以作

今日 於

、則『山

( 』之言、其幾乎廢矣。」 10)『晉書』「王隱傳」「太興初、典章稍備、乃召隱

郭璞倶爲 作 例えば郭璞は、ては、『三國志・魏志;東夷傳』に見える王 、令撰晉史。」郭璞が史書の邊境詩を利用する例とし が沃沮國の耆老から聞いた東

『山 の四つの島國のうち三つを 經』に見える「女子」(大

西經)「長臂」(

「三面」(大 外南經)

西經)に比定し、そのにそれぞれ『三國志・ 總覽は、松田稔氏の 魏志;東夷傳』を引用している。(郭璞に引かれる書物の

紀 究「郭璞引書考」・『國學院短期大學 』第 11卷一九九三・に詳しいが、本稿では江淹の『山

經』

( と關係する汲冢書と史書の邊境誌に目したい。) 11)『史

』「古今正史」「齊史、江淹始受詔

、以爲史之

、無出於志、故先

立十志;律 「建元二年、檀超」初置史官、以超與驃騎記室江淹史職。(略)。 十志、以見其才。」/『南齊書』「文學:

固 、禮樂、天文、五行、郊祀、刑法、藝文依班

, 會、輿

依蔡 、司馬彪

( 載天文、日」天文志。蝕入日改載五行;蝕星合州郡。班固五 州郡依徐、曄范官依百。爰 , 12)『南史』「江淹傳」「永明三年、

冢、得玉鏡 !書左丞。時襄陽人開古 竹

"古書、字不可識。王

諳、直云似是科斗書。淹以科斗字推之、則 #虔善識字體、亦不能

$宣王之

也。

"

殆如新。」/

%梁

&「湯家斌鈔本」(『四庫

'書』本)

「銅劍贊」「永明初、始 收江淹 (舊宮。鑿東北之地、皆

)岡 多古 *隴、尤 +,。有人得銅劍、長尺五寸、余

-借看、歎其古

卿言。俟不殆、此證據甚多:曰 聞不余笑而應」?而可得其?乎兵爲銅;古時乃以謂余曰有 .。客 -欲知、輒

『山 /言之。(以下、 該の古物に關する江淹の製銅 銅劍後の」これている)觸いて就にした土郭璞は汲冢から出 經』が、く引用が續の本文・郭璞」銅「赤山經」中「

( な知識が披露される。

13)李豐楙『

0話 故 1山 經』(時報文

2一九九八)參照。 中國詩文論叢第二十一集 130

(19)

( 14)松田稔「『山

學紀 經』に於ける鑛物觀」(『國學院女子短期大 』創立5

( 年記念號一九八八)參照。

15)『山

は 經』の「碧」字の使用例は確かに際だっており、「碧」

19回、「

( 碧」は9回記載されている。

16) 興膳論文の他、佐竹保子「疾走する

の敍法」(『中國文學報』一九九九)1、 民~郭璞「江賦」

( 23頁等。

17)例えば、『山

郭璞は『詩含霧』を引き、『山 經』「中山經」の「崇高山」の玉の記事に、

經』

仙藥「白玉膏」の名を 立時には無かった

記し「之を

するを得ば、

ち仙

を得る」と

餌の知識を加える。(伊

司「『山

( 一九八二參照。) 經』と玉」

18)郭璞「

仙詩」十二首(其二)(『古詩紀』

收)「

名山、將以救年頽」(其四)(同書

收)「登嶽

五 、

將六 澗

( 」等。

19)『 朴子』「金丹篇」「又有九光丹、與九轉

法、大

耳。當以 相似 合火之、以轉五石

、丹砂、雄

、白礬、曾

、 石也。一石轉而各

五色、五石二十五色、各一兩而

之。」(

20)山田慶兒「中國の自然

!」(藪

"

『中國中世科學技

の #史

$究』京

%大學人文科學

$究 1963)參照。「

&丹」の製 '法と效用に就いては『

朴子』「金丹

の (」に見える。現代 )學で

*明すれば、「丹砂」=「硫

)水銀」は熱すると 空氣中で酸

)し、赤色の酸

( 。O)Hg2= 22+OHg2:O+Sg=H2+OgS(H再び酸素と水銀に分解する )物を生じ、に熱を加えると更

21)江淹『江文

+集』「自序」「淹字文

+、濟陽考

業、六 ,人。幼傳家 -能屬詩、十三而孤、

./庭之訓。長遂

事章句之學、頗留 0覽群書、不

( 1於文章。」 22)森

0行「江淹「雜體詩」三十首について」(『中國文學報』

坂出 を好愛す仙との表淹こ「いかにも江ろであるが」とある他、 27:一九七七)の標語に「怨歌行」「雜體詩三十首」には 2伸「陶弘景に於ける

・煉丹」(吉川忠夫篇:京

%

大學人文科學

$究 『六 3 4の

$究』一九八八:

は、「劉宋・北齊、梁にかけて活 289頁)に 并賦序」「 5した江淹には「丹砂可學 れるが、元わとい作ろのご年元徽元年、 6煉ろ、末ごの劉宋があり、長史」和殷丹法泰豫

來る事が出ることを詠じ、後 は「丹砂は鑄す には、〈方めて『參同

驗し、金竈に丹を 7』を 8る〉〈一たび待てば

冶就り、

鷲を遲つ〉の句がある。」と、江淹の 9芬孤

( に語られる點が指摘される。 :仙嗜好が煉丹ととも 23)・江淹色

;語下位分

<統計】江淹の常用色

①でを更に鑛物玉石 ;語14位ま

<(「金石」「碧玉」等)②山

山」「碧 <(「丹 」等)③水

<(「

霞」「碧雲」等):に下位分

<

したところ、「金・丹・碧」に就いては①鑛物玉石

<に用い

江淹「五色の筆」新考(松浦)

131

(20)

るものが最も多いことが

った。

順位色(一位)(二位)(三位)色

一位【金】鑛物玉石 語總數 45山

13

水6その他

31= 95

二位【

】山 33

12

鑛物玉石7その他

30= 82

三位【丹】鑛物玉石

29山

23

水9その他7=

68

四位【碧】鑛物玉石

16山

15

11

その他9=

49

24)『山

( 經』「中山經」「曰銅山、其上多金、銀、鐵、」 25)江淹の

銅 愛好は、「銅劍贊」(脚

ある。古 12參照)に明らかで

「銅匕」など、古の から出土した「銅劍」を讚じ、「銅鼎」「銅鏡」

銅 に關する話に就いて縷々と

「 る。また、李豐楙氏に依れば、碧は銅の鑛石を含んでおり、 べ 石」「紫玉」「

玉」「孔雀石」「

玉」「碧玉」「

呼ばれるものは、みな銅 碧」と の地に有るという。(李豐楙『

故 :山 經』第三

「山川鑛

:富庶寶

( 31頁參照。)

26)江淹「

賦」、「

木頌十五首」「薯蕷」、「拜正員外

( 「蕭驃騎讓豫司二州表」 表」、 27)『山 經』「南山經」「

丘之山、其陽多玉、其陰多

等。江淹の作品を 。」

統は制作年代順に分 載する文集の版本には二系統ある。A系 したもの。『四部叢刊』本「梁江文

集」、明汪士賢輯刻『

魏 名家集』「江文

B系統は文體別に分 文集」本など。

したもの。明張燮『

魏七十二家集』、 明張溥『

魏六

一百三家集』

ある。また、 收「江醴陵集二卷」などで 氏本等を加えた「湯家斌鈔本」に校訂を加えたのが『四庫 の梁がB系統の張溥本を底本にA系統の汪

!

書』本。本稿で底本としたのは、

94年に中 庫 書局が梁氏『四

!書』本を中心に、大幅に

"字

#字 行った李長路・趙威點校『江文 $び典據の補正加筆を 集彙 』(中 である。版)しかし、『彙 書局1999再 』は基本

に胡氏の原

を している爲、例えば「『山 %重 經』曰...」といった形で、『山

經』の何經を典據とするのかまでは詳

據出典に關してはそれらを詳しく しない。この爲、典

『江淹集校 &載する愈紹初・張亞新

』(中州古

'出版 江淹の年譜は、 (1994)に多くを依った。また、

)丕績『江淹年譜』(1965)、『校

』卷末附

*「年譜」、蕭合

+『江淹

$其作品 ,究』(臺灣文津出版

(

2000)附「江淹年表(附作品

( -年)」を使用した。

28)江淹「空

賦」「夫赤瓊以

./爲光、碧石以

見珍於東國、竝被貴於西極。况空 01爲色。咸 之麗寶、挺山

其 之不測。 處、則峻

23石、龜穴龍壁。素岸

4雲、 5砂如積。外隱 苔丹

、 6伏玉枝瑪瑙。銅鉛合生、

78堅 危、乘 9。自非索嶮覓 :履

;、倦春厭秋、

( 之光儀。(略)」 <=鐫奇、能得厠於軒宇、接君子 29)例えば『藝文

聚』卷2「虹」は、

>の蘇味

記載するのみで、賦は江淹のものだけ短い「詠虹詩」の例を ?や董思恭の 中國詩文論叢第二十一集

132

(21)

である。また、江淹の詩賦には詩語として「虹」や「星」が數多く點綴される。【虹】「停雲霓於山椒」(「水上

「臨虹 女賦」) 以 室」(「待罪江南思北歸賦」)「軒

(「丹砂可學賦并序」)「亘虹梁之峻密」(「麗色賦」)「雄虹赫 惘于冤虹」

峯」(「陸東

山集」)「下雄虹照」(「

猷」(「從蕭驃騎新亭壘」)「雄虹冠尖峯」(「悼室人十首」)「 陽亭」)「岨虹氣王

峰兮

虹」(「雜三言五首」)「映

虹」(「

「襞日 木頌」)等【星】

之簒組、襲星宿之羅

流星」太一、下(「學梁王兔園賦」)「騎星謝箕尾」(「秋夕 禮于太一」(「山中楚辭五首」)「太一司命」(「遂古篇」)「俯瞰 」(「丹砂可學賦并序」)「予將

涼奉和刑獄舅」)「中坐瞰蜿虹、俯伏流星」(「從冠軍行建

王登廬山香爐峰」)等。(

30)江淹「赤虹賦」「東南

外、爰有九石之山。乃紅塵十里、

( 百仞、苔滑臨水、石險帶溪。」 31)『山

經』「

外西經」「巫咸國在女丑北、右手操

手操赤蛇、在登葆山、群巫 蛇、左

( 從上下也。」 32)『楚辭』「離騷」「巫咸將夕

兮、懷椒

而 之。百

備 翳其

兮、九疑繽其竝

、皇

其揚靈兮、

( 余以吉故。」 33)『山

經』「

外西經」「巫咸國(以下脚

31參照)」郭

藥來。」の郭璞

に對して、袁珂は「「群巫

從上下」

!、亦「上下於天」之意、非如郭

謂「

來巫師之 藥來」也。從

"業、皆在於下宣

旨、上

#民

$、而不在於「

藥」。

%巫咸亦

藥療死

!、特其業餘耳。」として、郭璞

る醫藥學への に見え

&りを指摘する。(袁珂『山

經校 』巴蜀書 '511頁袁珂

( )

34)郭璞「巫咸山賦」「蓋巫咸

!、實以鴻

(爲

( 公、死爲貴紳。豈封其山、山而因以名之乎。」 )堯醫、生爲上 35)郭璞『山

經圖讚』「巫咸」「羣有十巫、巫咸

授、 統。經技是 (*是綜。

藥靈山、隨時登

( 。」

36)江淹の殘存詩賦には「藥」への言

叔に宛てた書 +が多く、江淹が親友袁 ,「與交友論隱書」には、「

-農 ず」との表白も見える。こうした江淹の本 ./の言を信 醫 0への傾

は 1に六 2本

『集 學の分野で指摘されている。赤堀昭「陶弘景と 本 』」(山田慶兒

3『中國の科學と科學

!』京 人文科學 4大學 5究 一九七八)「江淹の文集中には隱

ついて觸れたものがあり、詩の題材として 6や煉丹に 木を 珍しいことではないが、 7ぶことは 木頌中にある「石上

8蒲」「

「薯蕷」等は彼が本 9:」

( る。」等。 心を持っていにことを示してい關もた 37)江淹『江文

;集』「自序」「淹字文

;、濟陽考

愛奇而 <人。(略)

=>、深

?有

( 識」。

38)『山

經』「東山經」「其中多

@@之魚、其

A如犁牛、其

B

( C鳴。」

39)『山

經』「西山經」「其上有水出焉、名曰碧陽、其中多

D、

江淹「五色の筆」新考(松浦)

133

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