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― デューイ実験学校における「オキュペーション」実践計画時の「教科」の役割

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1.はじめに

本論文の目的は,デューイ実験学校の「オキュペーション」実践の計画時において,デューイのい う「教科」が果たす役割を明らかにすることである。

周知のように,デューイは,子どもの日常生活と学校生活の間に連続的な関係を保証しようと,カ リキュラムの中核に「オキュペーション」を位置づけることを提言した。「オキュペーション」とは,

「子どもが責任を持つ活動の形態を意味し,社会的生活の中で営まれる一種の仕事の形態を再現した り,あるいはそれを類似した形態で行ったりする」ことである(1)。そして,デューイによれば,こ の「オキュペーション」という活動は,具体的には「木材や道具を使った工作,料理や裁縫,織物 作業によって代表され」(2)るが,他にも遊びやゲームに加え,野外遠足,園芸,印刷業務,製本業 務,絵を描くこと,歌うこと,劇化,物語を語ることは,「オキュペーションの形態の一部を示して いる」(3)という。

もっとも,これら活動は,授業の中で「子どもがいたずらをしたり怠惰に過ごしたりすることを避 けるために,子どもに与えられることがある「忙しいだけで価値のない仕事」や練習課題」(4)を意味 するのではない。デューイにとって,「オキュペーション」は「芸術の盟友」「科学と歴史の拠点」と みなされているように(5),それは,子どもが「教科」の学習へと入り込んでいくための出発点とし て位置づけられていた。そして,デューイにとって,「教科」とは,系統立てられた人類の経験の集 積を意味する(6)。すなわち,子どもたちは,前述したような「オキュペーション」に従事すること を通して,このような人類の経験の集積と目される「教科」の学習へと参入する。実際,この「オキュ ペーション」という活動は,デューイ自らが設立・運営に携わったデューイ実験学校においてもカリ キュラムの中核に据えられ,そこで「オキュペーション」は「教科のための基礎を作る」(7)ものとみ なされていた。

そして,このような「オキュペーション」と「教科」の学習との関連について,山上裕子は,「オキュ ペーション」の実践の中で「教科」が果たす役割を考察している。そこで彼女は,デューイ実験学校 の実践の中で,洞穴と樹木を描いた子どもが,教師の指導によって樹木を観察し直し,その絵を描き 直していることを挙げ,このように「教科は,子どもの活動が散漫になることを防ぐ求心力として機 能をもつと捉えられる」と結論づけている(8)。しかし,山上の研究は,「オキュペーション」の実践

デューイ実験学校における「オキュペーション」

実践計画時の「教科」の役割

定 方 太 希

(2)

の実施時に着目しており,「オキュペーション」の実践計画時における「教科」の役割については言 及していない。そこで,本論文では,デューイ実験学校における「オキュペーション」の実践計画時 に焦点を当て,この際の「教科」の役割について考察を重ねていく。

論文の構成としては,まず,デューイ実験学校のカリキュラム開発の一環として,当校の教師らが,

子どもの「教科」の学習のために「オキュペーション」を計画し,実施していたことを指摘し,「オキュ ペーション」の実践計画時における「教科」の位置づけについて検討する。そして,デューイ実験学 校の実践記録をもとに,そのような位置づけにあって,「教科」が実際にどのような役割を果たして いたのかについて明らかにする。

2.「オキュペーション」の実践計画時における「教科」の位置づけ

まず,デューイ実験学校の「オキュペーション」を中核としたカリキュラム開発に関する先行研究 を以下に整理する。

タナーは,デューイ実験学校のカリキュラムが,「子どもの観点(諸活動)」と「教師の観点(教材 について論理的に組織化された体系―化学,物理,数学,言語学,文学,歴史,音楽,身体的文化)」

という「2つの次元を有していた」ことを指摘している。そして,タナーは,デューイ実験学校のカ リキュラム開発において「重要な点は,教師が教科領域から始め,徐々により複雑な理解を要求する 子どもの活動を計画していたことである。彼らは,活動から始めて,教科領域から知識を推定しよう と試みていたわけではない」と結論づけている(9)

伊藤敦美は,このタナーの主張を受け,デューイ実験学校における教師の役割を考察する中で,「教 師は,構想している学問的枠組み,すなわち,教えたいことや学んでもらいたいことを,どのようし て子どもの経験に落とし込んでいくかという観点からカリキュラム開発を行っていた」と述べ,「教 師が持っている学問的枠組みを子どもに直接的に提示するのではなく,子どもの活動の観点から捉え 直してカリキュラム開発を行っていた」と結論づけている(10)

すなわち,タナーらによれば,デューイ実験学校では,子どもが活動に従事した後に,その活動か らどのようなことが学ばれ得るかという観点からカリキュラムを開発するのではなく,教師は予め子 どもに学習させたい「教科」の構想を持ち,その観点から子どもが従事する活動を計画するというや り方でカリキュラムを開発していた。

そして,この点について,金丸晃二は,伊藤と同様にタナーの主張に基づきながらも,タナーが主 張した「子どもの観点(諸活動)」を特に「オキュペーション」と関連づけて考察している。金丸は,

実験学校のカリキュラム開発においては「学習の展開で「オキュペーション」を媒介に何が教科的に 学習可能か,が「教科の立場」から計画に盛り込まれ,それが優先された」と述べ,「これこそが教 科体系をそれ自体の系統で学習する伝統的な教科学習(教科教育)とは異なるデューイのアプローチ であったと言えるであろう」と指摘している(11)。そして,その例として,金丸は,教師が「「料理」

をするという活動の中に,「卵白は熱を加える時,どうして凝固するか」という化学的探求を関連づ

(3)

ける」ことを挙げた上で,「「オキュペーション」を通して卵白の化学的性質について学習可能であっ たならば,その学習は有効であったことが実証されたことになる。「オキュペーションを通してやっ てみたらこのような学習ができた」というその成果がカリキュラムである」と述べている(12)

そのため,デューイ実験学校の「オキュペーション」の実践には,以下のような事例が確認される。

事例 1:グループⅦにおけるラテン語の実践,担当はシプスバイ

私たちは,ロミュロスとレミュスについての物語を研究している。〔略〕子どもたちにその物語を 与えた後,私は彼らに物語を訳させるのではなく,彼らに物語についてラテン語で質問をし,できる 限り彼らがラテン語で応じるようにした。そして,彼らが,単に物語で見つけられる関係とは別の関 係の中で,その言葉を使用することができるようにするために,膨大な数の可能な組み合わせの中で,

様々な言葉が取り入れられるよう計らった。彼らは大雑把にその物語にイラストを入れている。とい うのも,そのことが印象とラテン語を結ぶことを助長すると考えられたからである。次週には,彼ら はいつもの絵を描く仕事の中で,イラストを入れている部分を取りあげることになるだろう(13)。(下 線は引用者)

事例 2:グループⅢにおける実践,担当はアンドリュー

数の学習のために,5インチの長さの棒を使ってゲームをしながら,子どもたちは

5

まで数える練 習をした(14)。(下線は引用者)

事例 3:グループⅠにおける数の学習についての教師会議の報告,デューイの提言

数についての観念を得る最善の方法は,それらを実物に関連づけることである。材料がグループに 分配されることになる時はいつでも,少なくとも

2

つずつに分けるといったように,それは数に関連 づけて為されるべきである。子どもたちが数を声に出して,10ずつや

5

ずつ,あるいは

3

ずつ数え なければならないゲームが導入されるだろう。そして,彼らが角度との関係,四角形や他の幾何学的 な図形との関係に注意する構成的仕事が導入されるだろう(15)。(下線は引用者)

事例

1

では,ラテン語の学習の中で,事象に対する子どもたちの印象とラテン語の関連をもたせる ことを企図して,教材として用いられている物語のイラストを描くという「オキュペーション」が実 施されている。換言すれば,教師は,子どもがラテン語という「教科」を学習することを目論んで,

イラストを描くという「オキュペーション」を導入しているのである。また,事例

2

では,数の学習 のために,「オキュペーション」の形態の

1

つであるゲームが取り入れられていることが分かる。最 後に,事例

3

は教員会議におけるデューイの提言であるが,この事例においてもまた,子どもたちを 数の学習へと導き入れる最善の方法として,ゲームや仕事といった「オキュペーション」を授業に導 入することが主張されている。すなわち,実験学校の教師陣だけでなくデューイ自身もまた,「教科」

(4)

の学習のために「オキュペーション」という活動を導入することを意図していたことが分かる。この ように,デューイ実験学校での「オキュペーション」の実践の中には,教師が,「教科」について学 習することを目論み,授業の中に「オキュペーション」を取り入れている事例が散見される。

すなわち,デューイ実験学校においては,カリキュラム開発の一環として,教師が前もって,子ど もに「教科」の学習をもたらすと予想される「オキュペーション」を計画して実際の実践の中で試行 し,その「オキュペーション」が,「教科」の学習を生起する活動として有効なものかどうかを検証 することによって,カリキュラム開発を行っていたのである。

このように,デューイ実験学校では,カリキュラム開発の一環として,教師により「教科」の観点 から「オキュペーション」が構想され,実施されていた。そして,その中で「教科」は,教師にとっ ては,子どもの学習過程の暫定的な4 4 4 4ゴールとして位置づけられ,教師自らが「オキュペーション」を 計画するための観点を提示する参照可能な道具として位置づけられていた,とみなすことができる。

3.「オキュペーション」の実践計画時における「教科」の役割

さて,それでは,このような位置づけにあって,「教科」は,「オキュペーション」の実践計画時に おいてどのような役割を果たすのであろうか。以下では,デューイ実験学校における実践記録を取り あげることを通して,この点について考察を加えていく。

事例 4:グループⅨにおける芸術的な仕事の実践,担当はカッシュマン

これらの子どもたちは,単に物語を語るというよりもむしろ芸術的観点から芸術を取り扱ってお り,私たちが芸術における美的な方法を認識する地点にあった。私は初めに,彼らにどうやって芸術 が始まったのかを説明し,私たちは芸術の始まりを促す動機について話した。私たちは,子どもたち が部族とちょうど同じように始めたという事実について話した。私は子どもたちに,彼らが幼かった とき,絵を描くことを楽しいと感じさせたものは何だったのか,と尋ねた。子どもたちの内の数人は,

物語を語ることが好きで,さらに,痕跡を残すことが楽しかったと述べた。私たちは,おそらくこれ らの

2

つの動機が原始的な部族にはあった,と結論づけた。私は,年少の子どもたちが学校の中でこ のように活動し,物語を語ることから始めることは許容するが,これらの年長の子どもたちは成熟し た部族に対応する地点に達しているので,美しいものを鑑賞し,目に訴えてくるような芸術について 考えるべきであり,そうして,今後は,物語を語るだけではなく,彼らが私に示す美しい配列につい て考えることを私は彼らに求めるべきだということを説明した。私たちは,画法,彫刻,建築などの 芸術の分化について話した。

そのグループは,芸術施設まで遠足に連れて行かれた。そして,私は,彼らに特に異なる種類の地 平線に,すなわち高いか低いか及びその影響に注目させた。私は,彼らに絵画が構成される特定の線 を取りあげることもさせた。私たちは特に,「ひばりの歌」とローブの「風の神殿」を対比した。一 方は,垂直で水平な線で構成され,穏やかさと落ち着きという効果があるのに対して,他方の絵は曲

(5)

線から成り,穏やかではないという効果があることが気づかれた。そうして,私たちは,芸術におけ る模倣と解釈の間の差異について話した。〔略〕

私は,彼らに

1

つの絵の構成と一般的な色の配列について覚えて,次の授業で,その記憶に残って いる絵を描くよう求めた。このことが為された(16)。(下線は引用者)

この事例で,教師は,子どもたちが単に物語を語るという「オキュペーション」に従事する段階か ら,「芸術における美的な方法」を認識可能な段階に達していることを見極めている。そうして,教 師は,原始生活において芸術が始まった経緯やそれを促す動機をテーマとして,子どもたちが幼かっ た時,絵を描くことが楽しかった理由を問いかけている。これに対して,子どもたちは,物語を語る ことが好きで,痕跡を残すことが楽しかったと応答し,原始的な部族にもこれらの

2

つの動機があっ た,と結論づけている。しかし,この後に教師は,このグループの子どもたちが,物語を語るという

「オキュペーション」に従事することに加えて,美しいものを鑑賞したり,美しい配列について考え たりするように,専門的な芸術の学習へと進む段階にあることを説明し,画法,彫刻,建築などの分 化した芸術について話している。そして,実際に,芸術施設を訪問する中で,教師は,高い位置に描 かれる地平線と,低い位置に描かれる地平線が絵画に及ぼす影響に対して,子どもの注意を向けたり,

絵画を構成する特定の線を取りあげ,2つの絵画を比較することで絵画から得られる印象が異なるこ とに気づかせたりしている。最後に,教師は,子どもたちに

1

つの絵の構成と色の配列について覚え,

次の授業で,その記憶に残っている絵を描くという「オキュペーション」の実践を予告し,後日,予 告された「オキュペーション」に子どもが従事している。

このように,事例

4

において,教師は,子どもたちが「芸術における美的な方法」を認識可能な段 階にあることを見極めることで,次に子どもたちが「色の配列」など芸術的な技法に着目することを 意図した「オキュペーション」の実践を計画していることが分かる。すなわち,教師は,子どもたち が後続の「教科」の学習に見合うだけの発達を遂げているかどうかという観点に立って,現在の子ど もの経験に芸術的な経験の萌芽を見ることで,次にいっそう専門的な芸術の学習を子どもに要求する

「オキュペーション」の実践を計画しているわけである。

事例 5:グループⅣ b における実践,担当はキャンプ

このグループの大多数は,昨年在籍しており〔略〕原始生活の発展について研究した。それゆえ,

彼らは,アメリカ・インディアンの発達段階に達した人々の学習に取りかかる準備ができていた。

〔略〕この学習においては,鉄の活用が知られる以前に,部族によって成し遂げられてきたことを理 解することによって,住居や食物,武器や道具などの要求およびそれらを満たす方法といった,昨年 形成された概念を拡大することが意図された。〔略〕子どもたちは,イロコイ族の長い家を造ったり,

丸木舟を作ったり,そして彼らのテントに設置されるトーテムや,彼らの読み書きの文書が保存され る本のカバーをデザインするために,たいへんな忍耐をもって働いた。子どもたちの

1

人は家で,鶏

(6)

のいる中庭から羽を集め,それらを布切れに縫い付けて頭の周りに円を作り,インディアンの頭飾り を作った。様々なインディアンのモカシンを研究する中で,数種類が学校に持ちこまれ,他の種類は フィールド博物館への遠足の中で調べられた。独力でモカシンを作ることを望む子どもたちもいたた め,1つのモカシンが分解され,そのすべてが,興味をもった子どもたちによって,家でモカシンを 作る際に使用される型へと切断された。

彼らのインディアンの家が完成すると,彼らは,道具や食べ物及び他の所有物を保管する場所を決 めながら,家に備え付けをして,家での生活を描写した(17)。(下線は引用者)

この事例で,教師は,原始生活の発展についての学習を,アメリカ・インディアンについての学習 の準備段階と位置づけている。そして,このグループの子どもたちは,昨年の原始生活の発展につい ての学習で,部族が成し遂げたことを理解することを通して,原始的な部族が住居や食物,武器や道 具などの必要を,どのようにして充足させていたかということについての知識を獲得していた。その ため,教師は,子どもたちが昨年獲得した,これらの知識を拡大することを意図して,アメリカ・イ ンディアンについての学習を計画している。このような計画のもとで,子どもたちは,実際に,アメ リカ・インディアンのイロコイ族の家や丸木舟の作成,トーテムや本のカバーのデザイン等の活動に 従事し,インディアンの家が完成すると,子どもたちは道具や食べ物及びその他の所有物を保管する 場所を決めながら,家に備え付けをし,インディアンの家での生活を描写している。

すなわち,事例

5

から,教師は,子どもたちが前年に行なった原始生活についての歴史の学習から,

アメリカ・インディアンについての学習へ進むことが可能な段階にあることを見極めた上で,昨年学 習した原始生活における住居や食物,武器や道具についての知識を拡大することを企図して,アメリ カ・インディアンのイロコイ族の家や道具の作成といった「オキュペーション」を計画していること が分かる。

したがって,これらの事例では共に,教師が「教科」の観点から,現時点における子どもの発達の 程度を見極めた上で,「オキュペーション」の実践計画を立てていることを読み解くことができる。

換言すれば,ここで「教科」は,教師に対して,子どもの経験がいっそう高次な「教科」の学習に向 けて発展する可能性をあらわにし,この観点から,教師が現時点における子どもの発達の程度を見極 めることを助長しているわけである(18)。以上から,「オキュペーション」の実践計画時における「教 科」の役割が明らかになった。すなわち,「オキュペーション」の実践計画時において「教科」は,

教師に対して,子どもの現時点における発達の段階から,「教科」の学習につながる可能性のある経 験的要素を開示し,教師が,そのような子どもの経験における発展の兆しを捉えることを助長するこ とに寄与する。

(7)

4.おわりに

本論文では,デューイ実験学校の実践記録をもとに,「オキュペーション」の実践計画時における

「教科」の役割について考察を重ねてきた。

「オキュペーション」とは,社会生活で営まれている仕事の再現活動やそのような仕事と類似する 活動を意味する。この「オキュペーション」という活動は,実際にデューイが設立・運営に携わった デューイ実験学校においてカリキュラムの中核に据えられ,子どもが人類の経験の集積である「教 科」の学習へと向かうための出発点として位置づけられていた。そして,デューイ実験学校では,教 師が,このような「オキュペーション」から「教科」の学習への発展を企図して,「オキュペーション」

を通していかなる「教科」の学習が可能かという観点から,「オキュペーション」の実践計画が立て られていた。すなわち,「オキュペーション」の実践計画時において,「教科」は,教師にとって,学 習過程の暫定的な4 4 4 4ゴールとして位置づけられ,教師が「オキュペーション」の実践を計画するための 観点を提示する道具として位置づけられていた。そして,このような位置づけにあって,「教科」は,

教師に対して,子どもの現時点における発達の段階から,「教科」の学習につながる可能性のある経 験的要素を開示し,教師が,そのような子どもの経験における発展の兆しを捉えることを助長するこ とに寄与していた。

もっとも,このようなデューイ実験学校での「オキュペーション」の実践において,「オキュペー ション」から「教科」の学習を目論む教師の授業計画がどの程度まで重要視されていたのか,という 点については依然として疑問が残る。この点については,今後の課題としたい。

注⑴ John Dewey, The School and Society, in MW1, edited by Jo Ann Boydston, Southern Illinois University Press, p. 92.

 ⑵ Ibid., p. 92.

 ⑶ John Dewey, Democracy and Education, in MW9, edited by Jo Ann Boydston, Southern Illinois University Press, p. 204.

 ⑷ John Dewey, The School and Society, op.cit., p. 92.

 ⑸ Ibid., p. 13.

 ⑹ John Dewey, The Children and the Curriculum, in MW2, edited by Jo Ann Boydston, Southern Illinois University Press, p. 278.

 ⑺ John Dewey, The School and Society, op.cit., p. 62.

 ⑻ 山上裕子「デューイの求めた実験的作業における「自由」の意味―教科との関わりから―」『日本デュー イ学会紀要』第46号,2005年,6頁。

 ⑼ Laurel N. Tanner, Dewey’s Laboratory School Lessons for Today, 1997, New York: Teachers College Press, 1997, pp. 47-48.

 ⑽ 伊藤敦美「デューイ実験学校の現代的意義―デューイ実験学校における教師の役割―」『日本デューイ学会 紀要』第55号,2014年,121頁。

 ⑾ 金丸晃二「「総合的な学習」とデューイ―現代学校教育に持つシカゴ大学附属小学校における実験の意義―」

『日本デューイ学会紀要』第42号,2001年,188頁。

(8)

 ⑿ 同上,188頁。金丸は,このようにデューイ実験学校のカリキュラムが,「オキュペーション」から学習が 導かれた成果として構成されていたことに着目して,デューイ実験学校のカリキュラムを,スキーの後にで きるシュプールに例え「シュプール・カリキュラム」として概念化している。

 ⒀ Laboratory Schools Work Reports, 1898-1899, p. 111, Nov. 18 1898.

 ⒁ Laboratory Schools Work Reports, 1899-1900, p. 62, Oct. 28 1899.

 ⒂ Laboratory Schools Work Reports, 1899-1900, Teachers Meeting: Number Work in School, Jan 1899. この

Laboratory Schools Work Reportsという史資料には,頁数が重複しているものや頁数が未記入のものも散見さ

れる。この教師会議の報告におけるデューイの提言についての記述もまた,ページ数が未記入の類に該当し,

1898-1899年度版の56頁(1899年1月20日付の実践報告)と57頁(同年1月27日付の実践報告)の間に 挿入されている。

 ⒃ Laboratory Schools Work Reports, 1899-1900, p. 86, Oct. 28 1899.

 ⒄ The Elementary School Record, No.2, Music, March, 1900, p. 53.

 ⒅ この点については,デューイ自身もまた,後年になって「教育者が音楽について知っていればいるほど,

彼は,子どもの未発達な音楽的衝動の可能性を認識することができるようになる」と述べ,教師にとって

「教科」は,子どもの経験の発展の「可能性」を見極める「有効な資本」であることを指摘している。(John Dewey, Democracy and Education, p. 190.)

参照

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