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民事訴訟の進行面における

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(1)

民事訴訟の進行面における「当事者合意」(二) :  手続進行過程の規律に関する一考察

その他のタイトル Parteivereinbarungen im Betrieb des Zivilprozesses (2)

著者 吉田 直弘

雑誌名 關西大學法學論集

55

6

ページ 1589‑1633

発行年 2006‑03‑15

URL http://hdl.handle.net/10112/12216

(2)

民事訴訟の進行面における﹁当事者合意﹂︵二︶

I

第三章訴訟手続の進行に関する伝統的な諸原則の根拠と現代的意義・機能 第一節訴訟手続の基本原則と訴訟主体間での役割分担の変容 第二節職権進行主義の制度的根拠とその合理性 第一款職権進行主義の内容とその制度的根拠 第二款伝統的な正当化根拠の評価 第三款職権進行主義の条件

i

近時の民事司法立法からの示唆ー│

第三節任意訴訟の禁止原則の意義と機能 第一款任意訴訟の禁止原則の理念的形象 第二款兼子一博士における理解と特徴 第三款現代における任意訴訟の禁止原則の意義と機能

|_—手続進行過程の規律に関する一考察

民事訴訟の進行面における

﹁ 当 事 者 合 意

︵ 二 ︶

直 弘

(3)

第四章訴訟当事者の手続進行上の法的地位と権能 第五章民事訴訟の進行面における﹁当事者合意﹂の許容性とその限界

第六章結語

i

稿のまとめと残された課題ー~

第三章

一般にコンセンサスがあるよう

0 )

訴訟手続の進行に関する伝統的な諸原則の根拠と現代的意義・機能 民事訴訟の進行面における﹁当事者合意﹂を消極的に解する諸学説にあっては︑従来から職権進行主義や任意訴訟

の禁止といった訴訟原則がその重要な論拠として挙げられてきた︒しかし多くの場合︑それらの内容については特に 具体的な説明が加えられることはなく︑現行民事訴訟法上︑かような訴訟原則が当然に通用し︑訴訟関係人はそれら の内容に従って訴訟追行しなければならないという原理主義的な前提から︑演繹的にそれらの反対概念である当事者 進行主義が排斥されてきたかのような観がないわけではない︒

もっとも他方で︑訴訟手続を適正かつ公正に進行させるには訴訟当事者の理解と協力が必要不可欠であり︑そのた めにも可能な限り訴訟当事者の意向を担酌することが望ましいという点については︑

( l l l )  

に思われる︒また翻って︑司法リソースの有限性や最近の司法制度改革論議の方向を考えると︑訴訟当事者が自ら積

( 1 1 2 )  

極的に訴訟運営に関心と責任を持って関与することは歓迎されこそすれ︑消極的に受け止められる必然性は存しない ようにも思える︒そうだとするならば︑このような伝統的な形式論と最近の新たな動きを踏まえた実質論との間に顕 在化するズレが︑民事訴訟法理論に対して一定の影響を与えることは必至であり︑﹁アプリオリな概念﹂である職権 進行主義や任意訴訟の禁止原則についても理論的な検討を促す要因の︱つになり得る︑と言うことができるであろう︒

(4)

民事訴訟の進行面における﹁当事者合意﹂︵二︶

ところで︑その際に注意を要すると思われるのは︑右の二つの訴訟原則を含め︑民事訴訟手続の在り方を規定する 諸々の手続法上の原則ないし原理は︑制定法という形で直接に訴訟手続を規律する実定手続法ルールの規律内容と無

関係のものではない︑ということである︒なぜなら︑それらは︑原理ないしはルールという規律形式の違いから各々

( 1 1 3 )  

の作用の仕方に多少の差違があるものの︑ともに民事訴訟手続を規整する規準として機能する以上︑同一の目的論的

つまり手続的な価値に立脚していなければならないからである︒そうすると︑近時の相次ぐ改正ないし立法 作業によって装いを新たにした実定手続法に呼応して︑種々の訴訟原則もまた︑その規律内容が変容してきているの ではないか︑という仮説が成り立つように思われる︒

そこで︑本章では︑右の仮説を検証する作業の一環として︑これまでそれ程立ち入った検討なしに当然視され︑従 前の通説的な考え方を支えてきたと思われる職権進行主義について︑平成八年民事訴訟法改正以降の民事司法立法の 動きの中から﹁裁判の迅速化に関する法律﹂︵平成一五年法律第一〇七号︶と平成一五年改正民事訴訟法を手掛かり にして︑他方︑任意訴訟の禁止原則については︑兼子一博士の所説に学びながら︑それらの規律内容について若干の 検討を試みる︒かかる作業により︑現行法下において︑これら二つの訴訟原則の規律内容が︑従前と比較して相当程 度変容していることが確認されるならば︑その分︑それらは民事訴訟の進行面における﹁当事者合意﹂を消極的に解 する論拠としての強固性が弛緩されると同時に︑その適切性が殺がれる︑という結論が導き出されるのではないかと

(5)

審理手続﹂として口頭弁論手続を採用し

本節では︑手続進行に関する二つの訴訟原則の具体的な検討に入る前に︑主要な訴訟原則と訴訟目的との関係を確 認するとともに︑訴訟主体間での役割分担について見ておくこととする︒というのは︑本章が直接の検討対象とする 右の二つの訴訟原則はいずれも︑裁判所と当事者との間の役割分担ないし権限分配に係る基本原則と言えるが︑その 役割分担の在り方をめぐっては︑かつての伝統的な議論枠組み自体の見直しがそもそも必要であるように思われるか

民事訴訟手続は︑原告の訴え提起によって開始され︑その後︑口頭弁論・証拠調べを経て︑判決の言渡し・確 定により終了するという一連の事象経過を辿るのが基本であるが︑個々的に見れば︑それは一定の目的を指向した訴 訟関係人の有意的な行為の連鎖によって組成されており︑かつ︑その手続は︑様々な実定法規や訴訟原則によって規 律・整序されている︒そして︑訴訟関係人の個別具体的な訴訟行為ないし訴訟手続が如何なる実定法規の適用を受け︑

あるいはまた︑どのような訴訟原則によって規律されるかは︑民事訴訟制度がその目的を達成し得るかどうかにとっ て決定的な意味を持つ︒よって︑具体的な場面において適用される種々の手続法ルール及び訴訟原則は︑手続的な価 値を可及的に実現するものでなくてはならず︑また︑それらの意味内容は︑民事訴訟の制度目的に合致するよう解釈

( 1 1 5 )  

論的に確定しなければならないことになる︒このように考えると︑わが国の民事訴訟法が﹁民事訴訟における正式の

︵口頭審理原則︶︑その審理手続の方式に関する諸原則として︑双方審尋主 義︑口頭王義︑直接主義︑公開主義を基本としているのも︑そのような規律が所与の訴訟目的の実現にとって有効か

第一節訴訟手続の基本原則と訴訟主体間での役割分担の変容

(6)

民事訴訟の進行面における﹁当事者合意﹂︵二︶

( 1 1 6 )  

つ適当なものと考えられたからである︑と解することができよう︒

ところで︑民事訴訟における様々な訴訟原則や訴訟主体間での役割分担に関しては︑今日︑三つの対象領域に

( 1 1 7 )  

分けて論じられるのが通例である︒すなわち︑①訴訟手続の開始・終了と訴訟のテーマの特定︑②訴訟のテーマで ある権利関係や法律関係の存否を判断するための判断資料の収集︑③訴訟手続の形式的な進行︑

の三つの領域に大 別される︒そして周知のように︑現行民訴法は︑①の局面では処分権主義を︑②の局面では弁論主義を︑そして③の 局面では職権進行主義を基調としている︒したがって︑本稿が対象とする③の局面と①②のそれとでは︑イニシア 但し︑②の局面では︑当事者の申立てや主張に不明な点がある場合︑申立ての内容や訴訟関係を明瞭にするために︑

︵一四九条一項︶︒この釈明権の根拠を︑当事者の無知や誤解から本来提出すべき 事実や証拠が提出されていなかったり︑あるいは提出されたとしてもその内容が不明確な場合に︑当該当事者を後見 的に救済し︑両当事者の裁判資料収集における法的地位の実質的平等の実現を図り︑以って予定調和的な審理の充実

( 1 1 8 )  

を目指すことに求めるならば︑釈明権は弁論主義の補充ないし修正という機能を果たすことになる︒しかし︑釈明権 を訴訟資料の包括的かつ効率的な収集を可能とするための手段と位置付ける見解では︑公共的な観点︑つまり﹁真相

( 1 1 9 )  

に合致する解決﹂からの裁判所の職権による介入という側面が強調されることになる︒そして︑かような立場からは︑

釈明権行使の強化が説かれる結果︑当事者にも訴訟手続の公共的な使命達成のために事案解明義務や真実義務といっ た責務を課することに親和的となり︑当事者主義的な観点が希薄化ないし後退する傾向にあることに注意を要する︒

さらに︑右の二つの考え方とは異なり︑事実や証拠を提出する訴訟当事者の権利︵弁論権︶ 裁判所の釈明権が認められている ティヴの所在が異なるということになる︒

の保障を重視する場合に

(7)

( 1 2 0 )  

は︑釈明権は︑﹁攻撃防御の機会の実質化の手段﹂として捉えられることになる︒

一般に弁論主義が支配するとされる訴訟資料の収集局面においても︑釈 明権ないし釈明義務の範囲の設定如何により裁判所の役割が拡大し︑当事者と裁判所との間の役割分担が必ずしも画 一的に定まるものではないことが分かる︒そして︑平成八年新民訴法により期日外釈明が認められ(‑四九条一項︶︑

( 1 2 1 )  

裁判所が当事者に対し発問または立証を促す機会が増えているという現況は︑当該局面における裁判所の役割が重視 されていることを裏付けるものである︒したがって︑訴訟資料の収集を当事者支配に基づき専ら訴訟当事者の権能と 責任に委ねるといった伝統的な考え方は︑早晩見直さざるを得ず︑裁判所にも︑当事者の権利保護など様々な観点か ら当該事案の解明にとって必要な訴訟資料の収集に努め︑審理の質を高めなければならないという責任ないし義務を 措定することが必要となるように思われる︒そうすると︑いくつかの相容れない根本的な問題点が残されているもの

( 1 2 2 )  

一連の弁論主義論争の契機を作った﹁協働主義

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他方︑③の局面に目を転ずると︑後に詳述するように︑裁判所の訴訟指揮に対しては訴訟当事者に様々な権能が認

められているだけでなく︑当事者の意向が裁判所の訴訟行為を規制することを承認する法規がいくつか存在する︒

例を挙げるならば︑当事者双方の申立てにより︑弁論準備手続に付する裁判の取消が義務付けられている

のがそれである︒したがって︑この局面では︑職権主義が必ずしも貰徹されているわけではないことが確認さ さらに②と③の二つの対象領域の境界設定に関して重要と思われるのは︑訴訟手続の進行は︑裁判所の判断対

今日︑再評価する必要がありそうである︒ の︑かつてドイツで提唱され︑

以上のような釈明権をめぐる議論からは︑

(8)

民事訴訟の進行面における﹁当事者合意﹂︵二︶

象となる訴訟資料などの収集活動と密接に関連する事項であって︑訴訟事件を解明する実体形成面と切り離して考え ることはできないという点である︒すなわち︑本稿の﹁序論﹂で示唆したように︑訴訟手続の進行は︑裁判所の訴訟 指揮に導かれた単なる形式的なスケジュールの履践に止まるのではなく︑その内実は︑訴訟関係人による一定の目標 に向けられた段階的に前進する訴訟活動の集積である︒例えば︑各種の争点整理手続は︑個別事件の特性に応じて選 択されるところ︑その具体的な個々の期日の形式︵回数︑各期日間の間隔など︶は︑当該事件における当事者の訴訟 追行の態様や審理の状況に応じて決められる︒そうすると︑訴訟手続の進行は︑実際のところ審理内容の実体的な形 成過程そのものであり︑②③の両局面は表裏一体を成すと考えられる︒仮に伝統的な区分に何らかの意義が認められ るとしても︑それは︑いわば或る特定の訴訟事件の処理過程を当該事件の審理に着目した内在的な視点で捉えるか︑

それとも他の訴訟事件の進行具合にも目配りした外在的な視点で捉えるかといった観察視点の設定の違いに由来する

( 1 2 3 )  

に過ぎないとも言えよう︒したがって︑ここに訴訟手続の進行に関する訴訟原則を観念するとき︑それは民事訴訟の 審理形式や訴訟当事者の主張•立証活動などをも踏まえた内容の規律でなければ、前述したように、様々な訴訟目的 を実現することは困難であろう︒裏を返せば︑職権進行主義だけが訴訟手続の進行を適切に規律し整序する唯一の訴 訟原則であると考える必要はなく︑それ以外の訴訟諸原則と直接ないし間接に相侯って民事訴訟手続の適正かつ公正 な運営が図られる、と理解すべきであろう。そうだとするならば、審判対象の提出•特定ないし訴訟資料の収集と いった審理内容の実体形成面と訴訟手続の外形的・形式的な進行面の二つの局面は必ずしも戟然と峻別されるもので はなく︑両者間の境界設定は︑具体的事案に応じて相対化せざるを得ないように思われる︒つまり︑それぞれの局面 のイニシアティヴの所在を当事者または裁判所と二者択一的に固定し︑それを常に議論の出発点にする必然性は存し

(9)

さて︑右に述べた訴訟主体間での役割分担は︑裁判所と当事者との間の垂直関係に着目した役割分担の在り方 であり︑それぞれの局面におけるイニシアティヴの所在は︑

一般に裁判所と当事者のいずれに付与すべきかという職 権主義と当事者王義の緊張関係の中で決定されるものである︒これに対し︑民事訴訟における訴訟主体間での役割分

函 ︶

担にはもう︱つ別のものがある︒対立訴訟当事者間の水平関係における役割分担の問題がそれである︒審判対象の提 出・決定などの実体形成面にあっては︑原則的に︑主張責任や証明責任といった規律形式によって当事者間の役割分

( 1 2 5 )  

担が決せられる︒それに対し︑訴訟手続の形式的進行面においては︑裁判所と訴訟当事者間の垂直関係における役割

( 1 2 6 )  

分担が専ら問題とされ︑対立当事者間の水平関係におけるそれが問題とされる余地はあまりないとされてきた︒しか も︑多くの場合︑訴訟運営の主宰者たる裁判所による訴訟指揮権の行使とそれに応ずる当事者という図式で示される︑

裁判所から当事者に対する働きかけに大きなウエイトが置かれ︑それ相応の理論的関心が払われてきたのに対し︑逆 に当事者から裁判所に対する訴訟進行ないし運営上の働きかけについては︑法制度的にも不十分なものに止まってい

( 1 2 7 )  

ることもあって︑それほど重要視されてこなかったと言うことができる︒

しかしながら︑手続進行面においても︑第四章で詳しく見るように︑対立当事者間の水平関係における役割分担を 考える余地はある︒例えば︑平成一五年民訴法改正の主要項目の︱つに﹁計画審理の推進﹂が挙げられているが︑そ こでの審理計画は︑裁判所が両当事者との間で協議をしたうえで︑その結果を踏まえて策定されるものである 七条の三第一項︶︒そして︑審理計画が策定された場合には︑両当事者はその内容に則して訴訟追行していかねばな らないこととなり︑特定事項について定められた攻撃防御方法の提出期限を遵守できない場合には︑

ないと考える︒

一定の要件の下

(10)

民事訴訟の進行面における﹁当事者合意﹂︵二︶

︵一五七条の二︶︒そこで︑このような法的サンクションの根拠を理論上︑

( 1 2 8 )  

如何に説明するかが︱つの問題となり得るが︑

計画の内容に従う意思を有し︑かつ相手方当事者及び裁判所もその内容に則した訴訟追行がなされることを信頼して いたからである︑と説明されることになろう︒そうだとすると︑或る特定の訴訟事件において策定される審理計画は︑

当事者自らが将来の訴訟追行に係る役割分担ルールを設定したものに他ならないと解することができるであろう︒ま た︑右の法的サンクションは︑裁判所に対してではなく︑各々の対立当事者に向けられるものであると同時に︑却下 の要件は︑個々の当事者について問題とされるものである︒したがって︑計画審理は︑対立当事者間の水平関係にお ける役割分担を前提にする制度であると言うことができよう︒

ここまでの検討から︑訴訟手続の基本原則や訴訟主体間での役割分担に関しては︑これまで様々な区分が設定 されてきたと言えるが︑少なくとも訴訟手続の進行に関する訴訟原則を検討するに当たっては︑従来の通説的な見解 が採用してきた︑訴訟手続の実体形成面と外形的な進行面の区別︑さらには訴訟手続の各局面における訴訟主体間で

( 1 2 9 )  

の役割分配の捉え方に必ずしも固執する必要はなさそうである︒要するに︑従来の役割分担ルールに過度に依拠する ことなく︑多元的かつ或る程度ニュートラルな基本視点に立って︑職権進行主義と任意訴訟の禁止原則のそれぞれに ついて客観的に分析する方が妥当な結論が得られるように思われる︒

但し︑当事者主義が基本とされる訴訟手続の実体形成面において︑裁判所の権限が︑当事者支配の修正手段として ではなく︑専ら公共的な観点から正当化され拡大化していくことには︑やはり警戒を要するであろう︒なぜなら︑対 立当事者間で生起する私的利益をめぐる紛争は︑本来︑対立当事者による自主的解決に委ねるべきであって︑国家機

にこれを却下することも認められている

一般的な契約法理によると︑当事者がそうした効果を含め︑当該審理

(11)

関たる裁判所が積極的に関心を寄せる事柄ではないからである︒紛争処理の結果もたらされる社会秩序の維持などの 公共的かつ政策的な目標は︑立法府または行政機関が第一次的にその実現に尽力すべきものである︒また実際のとこ ろ︑訴訟事件が多様化・複雑化する中で︑迅速かつ適正な事件処理が求められる裁判官の負担を考えるならば︑過度 の釈明権行使は好ましくないであろう︒そして︑何よりも︑職権強化の方向での議論が近時の司法制度改革の動きと 逆行する側面を有していることは︑本稿で繰り返し示唆してきたところである︒

職権進行主義の制度的根拠とその合理性

職権進行主義の内容

一般的な理解によれば︑職権進行主義とは︑訴訟手続の進行についての主導権を裁判所に与える原則︑あるいは訴 訟の進行に関する最終的な判断権を裁判所に留保する主義と定義されている︒これは︑審理手続の進行に関して︑職 権主義あるいは当事者王義のいずれを採用すべきかという二者択一的な問題設定を前提に導き出された一定の合目的 的な価値判断の︱つであり︑その主導権ないし最終的な判断権を訴訟当事者に委ねる当事者進行主義と対置される概

けれども︑この原則について直接定めた条文はなく︑その内容は︑かような抽象的な定義で以って明らかにし得る

( 1 3 0 )  

ほど単純なものではない︒というのは︑現行民訴法は︑職権進行主義の具体的な現れとされる︑裁判所の訴訟指揮権

の内容を多岐に亘って規定する一方で︑訴訟運営面における訴訟当事者の関与を様々な形で認めているからである︒ 第一款職権進行主義の内容とその制度的根拠

第二節

1 0

 

(12)

民事訴訟の進行面における﹁当事者合意﹂︵二︶

れることが少なくないように思われる︒

職権進行主義の制度的根拠

それ故︑平成八年新民訴法制定以降の多くの文献は︑右の定義に続けて︑﹁もっとも︑当事者の意思を尊重して︑進

( 1 3 1 )  

行を当事者との協議や︑その同意によらしめている場面も少なくはない﹂といった留保を付しているわけである︒そ うして︑後述するように︑かつて職権進行主義という建前が多大の期待をもって導入された際には︑多分に当事者進 行主義に対する拒絶あるいは嫌悪がその成立過程で見え隠れしていた様子が窺えなくもないが︑今日では論者により 程度の差こそあれ︑手続進行面において﹁当事者意思﹂が反映されることは︑当然のこととして受け止められている ように思われる︒そうだとするならば︑無用な誤解を招かないためにも︑今日の用語法としては﹁職権進行主義﹂で はなく﹁協同︵協働︶進行主義﹂という呼称を使用する方が︑実定手続法規や実際の裁判実務に︑よりマッチすると

( 1 3 2 )  

言えるであろう︒

職権進行主義の内容が大略右のとおりだとして︑次に問題とされるべきなのは︑その根拠である︒何故に︑手続進 行面においては︑当事者主義ではなく職権主義が妥当とされるのか︒これに関しては︑前章において見たように︑そ の反対概念である当事者進行主義の問題性や訴訟手続の効率性などを持ち出して︑職権進行主義の通則性が正当化さ

( 1 3 3 )  

例えば︑わが国の代表的な民訴法の注釈害を幡けば︑次のように説いている︒すなわち︑訴訟の運営を通常利害の 相反する訴訟当事者の自治にのみ委ねたのでは︑﹁効率的な訴訟の運営は期待できず︑ひいては︑迅速・適正な紛争 の解決も困難になるし︑また︑社会における紛争の適正な解決という納税者の期待も裏切られることになる︒⁝⁝そ こで︑法は︑審理をいかに進めるかについての責任を第一次的に裁判所に課し︑その責任を果たすための手段として

(13)

権﹂と位置付けられることになる︒

( 1 3 4 )  

裁判所に訴訟指揮権を認めている﹂︑と︒そして︑﹁裁判所がその訴訟指揮権を行使するにあたっては︑単に法規にし たがって訴訟が運営されるというだけではなく︑迅速な審理を前提として︑真実にもとづく適正な判決がなされ︑そ れが当事者だけではなく︑広く国民に納得されるよう心がけなければならない﹂︑と論じているのである︒

( 1 3 5 )  

また︑別の注釈書は︑﹁訴訟は︑ミクロに観察すれば︑これを利用する訴訟当事者間の問題であるといえる﹂とし て︑紛争の実体面からは当事者主義が帰結され得ることを示唆しながらも︑﹁訴訟の進行がどのように構想されるか は︑訴訟の紛争解決制度としての実効性を規定するものであるから︑公益的見地から制度設営者である国家は無関心 でいるわけにはいかない︒そのようなことから︑実効性ある効率的訴訟運営を志向して︑現在の民事訴訟法は職権進 行主義を採用している﹂と述べ︑訴訟の効率性に対する配慮が職権進行主義を支えているとの理解に立っている︒そ れ故︑この見解にあっては︑裁判所の訴訟指揮権は﹁訴訟の効率的運営をはかるために認められている訴訟の主宰 これらに対して︑立法沿革的な論拠を前面に掲げている論者がいる︒新堂幸司教授は︑その体系書の中で次のよう

に論じておられる︒﹁元来︑民事訴訟は私的紛争にかかわるところから︑当事者主義が基調であり︑極端な職権主義 はとりえないが︑近代訴訟法典の生れた頃は︑当時の自由放任思想の影響も受けて︑裁判所の不干渉主義が徹底し︑

手続は大幅に当事者の支配にまかされた︒しかし︑その後︑訴訟遅延が顕著になるに及び︑手続の進行をはかるため の裁判所の役割が重視され︑職権主義を強調した立法がつづき︑わが国の大正一五年の改正も︑この流れに従った︒

( 1 3 6 )  

こうして現在では︑手続の進行については︑職権主義を強化するというのが一般的傾向となっている﹂︑と︒

さらに︑以上見てきた説明とは異なり︑裁判機関としての裁判所の役割から職権進行主義を基礎付ける見解も見受

関 法 第 五 五 巻 六 号

00

)

(14)

民事訴訟の進行面における﹁当事者合意﹂︵二︶

第二款伝統的な正当化根拠の評価 裁判所が中立的機関としての判断を示すものであるという民事訴訟の基本的目的に照らすと︑判断資料を得るための けられる︒伊藤演教授の見解がそうである︒教授は︑簡潔な記述ながらも﹁相対立する当事者の主張を前提として︑

( 1 3 7 )  

審理の進行についても︑判断機関たる裁判所の決定権を認めるのが合理的である﹂と述べて︑﹁民事訴訟の基本的目 的﹂に立ち返って手続進行面の規律を構想すべきことを示唆される︒

0

1 )  

以上︑今日のわが国における民訴法の代表的な注釈書や体系書での説明を概観したが︑それだけでも︑職権進行主 義の論拠として挙げられているものには様々なものがあり︑また︑それぞれの論拠に対する比重の置き方には︑論者 の間でバラッキが見受けられる︒けれども︑これらを強いて集約するならば︑概ね次の二点にまとめることができる ように思われる︒すなわち︑①訴訟当事者に訴訟運営を委ねると迅速かつ効率的な訴訟審理が実現できないとして︑

訴訟進行につき当事者がイニシアティヴを握ることに消極的な論拠と︑②効率的な訴訟運営ひいては適正な紛争処 理は︑判断機関たる裁判所に訴訟運営を託すことによって実現可能となり︑またそれが合理的でもあるとして︑裁判 所の役割・機能を積極的に評価する論拠の二つである︒そして︑これらの諸論拠に通底しているのが︑わが国の大正 一五年民訴法改正による﹁当事者進行主義から職権進行主義への転換﹂という一定の立法沿革史観であり︑また︑民 訴法上︑広範囲に亘る訴訟指揮権が裁判所に付与されていることも︑そうした理解を間接的に支えていると言えるで

しかしながら︑このような職権進行主義の制度的根拠は︑果たして手続進行面における﹁当事者合意﹂という行為

(15)

化を図った職権進行主義へと転換されていくことになる︒ 行主義への転換を強調する立法沿革的な論拠と裁判所の訴訟指揮権について検討を加える︒ あろうか︒本款では︑まず︑通説的な見解が手掛かりにしている諸論拠の中から︑根本的なものと思われる︑職権進 形式による当事者意思の反映や訴訟運営への訴訟当事者の関与を制約するほどの正当性あるいは合理性を有するので はじめに︑多くの論者が共通して立論の基礎としている︑職権進行主義という訴訟原則が当事者進行主義を席巻す

るに至ったとされる改正過程の理解の仕方から見ていこう︒もっとも︑この点に関しては︑かつて別の機会に詳論し

( 1 3 8 )  

たことがあるので︑ここでは本稿に必要な限りで大正一五年民訴法改正に焦点を絞って要点だけを述べることにする︒

わが国最初の近代的民事訴訟法である旧々民事訴訟法︵明治二三年法律第二九号︶は︑よく知られているように︑

一八七七年ドイツ帝国民事訴訟法︵以下︑

CPO と略称する︶をモデルとして制定されたものである︒

CPO

は︑当

時の自由主義的な社会思潮を背景に︑訴訟手続においても当事者支配を相当程度容認する︑当事者主義に傾斜した規

( 1 3 9 )  

律を採用しており︑訴訟手続の進行ないし運営についても大幅に訴訟当事者の手に委ねていた︒もっとも︑その反面︑

そうした当事者支配によって生じ得る弊害を除去し︑訴訟手続の円滑な進行を実現すべく︑裁判官にも広範囲に亘る 訴訟指揮権が認められていたことも事実である︒しかし︑このような規律の下での裁判実務は︑結果的に︑ドイツ普 通法訴訟で通用していた書面主義への執着や弁護士の怠惰による準備不足などによって︑期日の変更や弁論の延期が 頻繁に繰り返され︑著しい訴訟遅延に陥っていたようである︒そうして︑

CPO

が当初採用していた﹁修正された当

( 1 4 0 )  

事者進行主義

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i e

b )

﹂は︑その後︑数次に亘るドイツ手続法改革を経て︑裁判所の権限強

職権主義化を強調する見方の問題性

0二 ︶

(16)

民事訴訟の進行面における﹁当事者合意﹂︵二︶

0三 ︶

こうした手続進行面における職権主義化への動きは︑ドイツ法を翻訳的に継受したとされる日本法においても同様 に看取することができる。

CPO

をモデルに起草•制定された明治二三年民訴法は、弁護士強制制度を導入しなかっ たため職権送達主義を採用していたものの︑同法には当事者の合意による期日の変更(‑六九条︶や期間の短縮︵一

( M )  

0

条一項︶︑そして訴訟手続の休止に関する合意(‑八八条一項︶が法文上認められていた︒しかし︑施行匝後か ら訴訟遅延が蔓延し︑施行数年で早くも改正作業が開始され︑明治三六年には当事者主義的な規律の見直しを図った

面 ︶

民事訴訟法改正草案が公表されるに至っている︒この改正草案は︑最終的に法案には結び付かなかったが︑その趣意

( 1 4 3 )  

は大正一五年民訴法改正に受け継がれることになる︒すなわち︑この大正一五年改正では︑それまで容認されていた 当事者合意による期日変更に制限が加えられると同時に︑期間短縮及び手続休止に関する合意が廃止された︒加えて︑

職権による時機に後れた攻撃防御方法の却下制度が導入されるなど︑ドイツ法と同様の変更が施される結果となる︒

以上の経緯からすると︑確かに︑職権進行主義という訴訟原則には過去の失敗を教訓に生み出された革新的な重要 性が認められ︑その正当性には疑義を差し挟む余地がないとも考えられる︒しかし︑職権主義への大舵を切ったとも 言える大正一五年民訴法改正にあっては︑訴訟遅延を解消するための︑職権強化に軸足を置いた改正だけが行われた わけでないという事実を看過してはならない。具体的には、そこでは訴えの変更•取下げが訴訟当事者にとって容易 になったり︵二三二条︑二三六条︶︑不控訴の合意を認める規定︵三六

0

条一項但書︶が盛り込まれるなど︑訴訟制

度の利用者に配慮した諸方策が併せて講じられているのである︒そして︑このことは︑いわゆる便宜主義が当時︑訴

︵ 出

訟原則の︱つに位置付けられていた証左でもある︒また︑そもそも︑この改正法が当時必ずしも全面的な賛成を得て 成立したわけではなく︑前述の手続進行面での当事者のイニシアティヴを制約する諸改正については︑多くの批判が

(17)

裁判所の訴訟指揮権と手続権保障

向けられていたことも踏まえておく必要がある︒そうだとするならば︑大正一五年民訴法改正における職権主義化へ の傾斜だけを一面的に強調し︑そこから民事訴訟の進行面における当事者意思の反映について消極的な解釈を導出し

ようとする姿勢には問題があるように思われる︒

( 1

) 次は︑職権進行主義の具体的発現とされる︑裁判所の訴訟指揮権である︒例えば︑民訴法︱四八条一項は﹁ロ 頭弁論は︑裁判長が指揮する︒﹂と抽象的に規定するが︑これは裁判長の包括的な訴訟指揮権を認めたものに他なら ないと一般に解されている︒そして︑伝統的な考え方によると︑このような訴訟指揮権が裁判長に付与されているこ とは︑職権進行主義の具現化に他ならず︑制定法がその正当性を承認していることになるわけである︒確かに︑この ような理解は︑訴訟指揮権の具体的内容を参照すれば︑相当程度︑説得力を有するものである︒なぜなら︑訴訟指揮 権の内容は︑裁判所あるいは裁判官の訴訟活動全般に亘る事実行為及び裁判行為から終局判決を除外したものとされ︑

その具体的内容は︑①訴訟の進行に関するもの︑②審理の整理に関するもの︑③期日における訴訟行為の整理に

関するもの︑④訴訟関係の明瞭化に関するものというように︑審理の実体形成面を含め広範囲に及んでいるからで

ある︒それに対し︑このような訴訟指揮権に対する当事者の権能としては︑責問権︵九

0

条︶が重要であるが︑その

対象は手続規定ないし方式規定違反に限定される︒また︑当事者が裁判所に対して訴訟指揮権の発動を申し立てても︑

訴訟指揮権の行使は裁判所固有の専権事項に属するものであるから︑裁判所は必ずしも裁判という形でそれに応答す

( 1 4 5 )

1 4 6 )

 

る義務はないとされており︑このことがまた職権進行主義を裏付けることになるのである︒

しかし︑このような訴訟指揮権が裁判所に付与されていることと職権進行主義の通則性を直結することには疑問が

関 法 第 五 五 巻 六 号

一 六

0

四 ︶

(18)

民事訴訟の進行面における﹁当事者合意﹂︵二︶ 得るとは到底言えないように思われる︒

0

五 ︶

ないわけではない︒なぜなら︑右の具体的内容から分かるように︑訴訟指揮権は︑期日の指定・変更など訴訟の形式 的な進行のみならず︑公正かつ迅速な裁判を行うために︵二条︶︑審理の実体形成面に関する事項をも︑その行使の

( W )  

対象としており︑訴訟手続の進行ないし運営面に固有の権能ではないからである︒つまり︑訴訟指揮権は︑弁論主義 が妥当する局面においても︑弁論の充実を図るため︑訴訟当事者の主張や証拠提出の状態を脱みながら︑適時に行使 される必要があるものでもある︒したがって︑そのように包括的な訴訟指揮権を職権進行主義の論拠とすることには 問題があることになる︒また︑今日では︑訴訟資料の提出について適時提出主義が採用されており(‑五六条︶︑か つての随時提出主義の下で行われていたような散漫な攻撃防御方法の提出は或る程度規制されるため︑以前に比べる

( 1 4 8 )  

と訴訟指揮権が発動される機会は︑理論上少なくなるはずである︒そうすると︑この限りにおいて︑職権進行主義の 論拠としての訴訟指揮権の存在価値は縮減すると言ってよいだろう︒さらに︑留意しなければならないのは︑当事者 支配を相当程度容認していた

C P

Oにおいても︑裁判所には広範囲にわたる訴訟指揮権が認められていたという事実

である︒訴訟事件の審理は︑裁判所という中立的な機関の下で行われ︑かつ︑強制的・終局的な判断権限は裁判所に 留保される以上︑仮に極端な当事者進行主義を採用したとしても︑訴訟指揮を当事者自身に委ねるという規律は想定 し難いのである︒よって︑裁判所に包括的な訴訟指揮権が付与されていることが職権進行主義の決定的な論拠になり

( 2

)

以上指摘したことは︑訴訟指揮権の適用範囲と職権進行主義との関係に関する問題であるが︑次に取り上げる 問題は︑訴訟指揮権に対する訴訟当事者の権能についてである︒裁判所の訴訟指揮に対して︑訴訟当事者がコント ロールを及ぼし得る機会が法文上限定されていることは既に述べたとおりである︒けれども︑その可能性が乏しいか

(19)

ものとして評価することができよう︒ 裁判所は弁論を再開すべきものであり︑これをしないでそのまま判決するのは違法である﹂と判示しているのである︒ ことが明らかに民事訴訟における手続的正義の要求するところであると認められるような特段の事由がある場合には︑ 判所の右裁量権も絶対無制限のものではなく︑弁論を再開して当事者に更に攻撃防禦の方法を提出する機会を与える 属し、当事者には弁論再開の申立権はないと述べて、従来の判例•学説の立場を踏襲する姿勢を示しながらも、「裁 五六年九月二四日第一小法廷判決︵民集三五巻六号一〇八八頁︶ らと言って︑訴訟指揮権の違法性を論じる余地がないわけではない︒例えば︑弁論の再開に関して︑既に最高裁昭和

( 1 5 0 )  

確かに︑この判旨を一般化することは︑本件事案の特殊事情に鑑みると妥当でないかも知れない︒だが︑従来の通 説・判例が︑当事者の弁論再開申請について︑これは単に裁判所の裁量権行使を促すに止まり︑法的に何の意味も持 たないと理解していたのに対して︑裁量事項と言えども裁判所が弁論再開申請の理由を審在し︑事案によっては弁論 を再開すべき職責があることを認めた事例として参考になる︒また︑判旨の中の﹁民事訴訟における手続的正義﹂と いう要求は不確定概念であって︑その射程距離は具体的な事案に照らし合わせて画定すべきものであるが︑本件の如 く︑少なくとも自己の責めに帰することのできない事由により弁論の機会を与えられなかった者に対しては︑それを

保障すること

︵弁論権の保障︶が︑その重要なメルクマールの︱つであると言ってよかろう︒そうすると︑この昭和 五六年最高裁判例は︑手続権保障という観点から裁判所の訴訟指揮の在り方を考えていくという分析視座を提供する

( 1 5 1 )  

事実︑この最高裁判決を契機として︑当事者に弁論再開申立権を認めようとする見解や︑訴えの主観的追加的併合

( 1 5 2 )  

について︑当事者の弁論併合請求権を提唱する見解が公表されるに至っている︒これらの議論は︑裁判所の裁量事項

関 法 第 五 五 巻 六 号

は︑弁論を再開すべきか否かは裁判所の専権事項に

0六 ︶

(20)

第三款

職権進行主義の条件

l

0七 ︶

についても当事者の手続権保障の観点から見直しを図ろうとするものであり︑裏を返せば︑裁判所の専断的な訴訟指 揮権の行使を正当化するものは一体何かといった点に検討の視点が注がれているのである︒また︑この判決は︑﹁納 得のいく裁判をするためには︑当事者の意思をどのように汲み上げていったらよいのか﹂という問題意識のもとで︑

裁判所が訴訟手続を進める際の行為規範の設定とその精緻化を指向する議論の端緒となり得るといった評価も可能で

( 1 5 3 )  

ある︒以上のように見ていくと︑裁判所が包括的な訴訟指揮権を有することは否めないとしても︑その行使に当たっ ては︑当事者の手続権保障といった要素を常時︑考慮に入れる必要性が生ずるのであり︑具体的な場面における訴訟 指揮権行使の当・不当に対する評価は︑手続権保障の判断を介して常に上級審に開かれていると言うべきであろう︒

そうして︑かかる理解からは︑裁判所の訴訟指揮権に対する訴訟当事者の一般的なコントロール権を措定することも

( 1 5 4 )  

視野に入ってくるのである︒

さて︑ここまで主に検討の対象としてきた従来の通説的見解は︑その多くが︑平成八年新民訴法の制定前に主張さ れていたものである︒したがって︑それらは旧民訴法の規律と当時の裁判実務を前提とするものである︒しかるに︑

大正一五年改正民訴法は︑平成八年の新民訴法の制定によって一新され︑そこでは︑当事者の意向を積極的に訴訟手

( 1 5 5 )  

続の運営に反映することを求める規律が随所に盛り込まれており︑他方︑今次の平成一五年民訴法改正等においても︑

﹁職権進行主義から当事者進行主義への揺り戻し﹂と評価し得るような内容の諸規定が新たに設けられているところ である︒そうすると︑従来の諸学説のように制定法の規律の特徴を職権進行主義の重要な論拠の︱つに数えるならば︑

(21)

︵一五六条の二︶︑もし︑当事者がその期間を経過

近時の民事司法立法のそれをも十分に踏まえて議論する必要があるように思われる︒そこで以下では︑平成一五年以 降の民事司法立法の中から︑手続進行に関する規律を概観し︑その特徴を踏まえたうえで︑職権進行主義の在り方に

平成一五年改正民訴法と訴訟当事者の手続関与

まず︑平成一五年改正民訴法は︑既に述べたように︑平成八年新民訴法制定時の目標を踏襲して︑﹁民事司法をよ

( 1 5 6 )  

り国民に利用しやすくするという観点から民事裁判の一層の充実及び迅速化を図るために﹂︑①計画審理の推進︑②

提訴前における証拠収集手段の拡充︑③専門委貝制度の創設︑④鑑定手続の改善︑⑤特許権等に関する訴訟の専

( 1 5 7 )  

属管轄化︑⑥少額訴訟の訴額の引き上げ︑について立法的な手当を講じている︒このうち︑訴訟手続の進行ないし

①の計画審理に関しては︑既に平成八年新民訴法において︑大規模訴訟の特則として︑裁判所及び当事者が﹁適正 かつ迅速な審理の実現のために﹂審理計画の策定に向けた協議を行うことが求められていたところ︵規一六五条︶︑

今回の改正で追加された民訴法︱四七条の二では︑訴訟事件の種類を問わず﹁訴訟手続の計画的な進行﹂を裁判所及 び当事者に対して要求し︑それらの責務を明確にしている︒また︑公害訴訟等の大規模訴訟や争点が複雑な医事関係 訴訟及び建築関係訴訟などにおいては︑審理すべき事項が多数であったり︑それらが錯綜していることなどを考慮し て︑適正かつ迅速な審理の実現のために︑裁判所は︑当事者双方と協議をして審理計画を策定することが義務付けら れている(‑四七条の三第一項︶︒そして︑その審理計画の実効性を担保するために︑裁判長は︑当事者の意見を聴

いて︑特定事項についての攻撃防御方法を提出すべき期間を定め 運営と関わりがあるのは︑①と②である︒ ついて考えてみたい︒

関 法 第 五 五 巻 六 号

O

0

八 ︶

(22)

民事訴訟の進行面における﹁当事者合意﹂︵二︶

意構成を採用することができるわけである︒

0九 ︶

︱四七条の三の﹁必要的計画審理﹂が求め

一五七条の二について見てみると︑同条がこのよ

した後に攻撃防御方法を提出した場合には︑それを却下できる旨の規定が設けられた これらの規律は︑民事裁判の一層の充実・迅速化を図るためには︑裁判所のみならず当事者自らが積極的に訴訟手 続の運営に関与していかなければならないという︑いわば自明の事柄を具体的に規定するものと解し得るが︑それら の意味するところは︑それに止まらないように思われる︒例えば︑

理解が可能である︒そもそも︑かような法的効果が認められているのは︑

うな強力な訴訟法上の効果を導入した目的は︑前述のように︑審理計画の実効性を確保し︑訴訟手続を計画的に進行

させるために︑当事者による不誠実な訴訟追行を牽制することにある︒しかし︑この規定に関しては︑もう︱つ別の られるケースであり︑かつ︑裁判長が当事者の意見を聴いて︑攻撃防御方法の提出期間を定めた場合に限定されてい

る︒したがって︑そこでは協議及び意見聴取という形で当事者の意向が形式的にせよ汲み取られているから︑時機に 後れた攻撃防御方法を提出した当事者は︑裁判所及び相手方当事者との約束を遵守しなかったものと評価され︑その 結果︑説明責任(‑五七条の二但書︶が課されたり︑最後的には攻撃防御方法の却下という訴訟法上のサンクション

( 1 5 8 )  

を甘受しなければならない︑と考えることができるのである︒つまり︑これを審理契約と呼ぶかどうかは別として︑

裁判所と両当事者との間に計画審理に係る合意が成立したものと見て︑その合意内容に一定の訴訟法上の効力を認め︑

これに違背する行為を行った場合に用意されているのが訴訟法上︑法定された各種のサンクションである︑という合 もっとも︑最終的に審理計画を策定し︑また場合によっては︑それを変更する権能を有するのは︑裁判所である

︵一四七条の三第四項︶︒よって︑当事者双方との協議が整わない場合︑裁判所が職権で当事者の意向と異なる審理計

(23)

こうした追加的改正は︑ 画を策定することは可能ではあるが︑それが遵守される可能性は低く︑訴訟手続の計画的な進行を望むことは到底で

( 1 5 9 )  

きないであろう︒むしろ︑当事者の意向を十分に掛酌して審理計画を策定することが︑先に述べた説明責任や主張・

証拠の申出の却下といった法的効果の導出を正当化すると言うべきであろう︒そうだとするならば︑今回︑導入され た﹁計画審理﹂という道具立ては︑訴訟運営への当事者の主体的な参加ないし関与といった外形的な形式のみならず︑

具体的な審理計画に対する当事者双方の理解と協力を前提にしなければ︑実行可能なものとして有効に機能しないで あろう︒このような理解に立つならば︑必要的審理計画を策定する際に求められる協議や攻撃防御方法の提出期限を 設定する際の訴訟当事者の意見聴取には︑訴訟法上極めて重要な意味が付与されることになると思われる︒

次は︑②の提訴前における証拠収集手段の拡充についてである︒今回の改正により︑訴えを提起しようとする者は︑

被告となるべき者に対して訴えの提起を予告する通知をすることによって︑四ヶ月以内に限り︑当事者照会︵ニニニ

の外︑文書の送付嘱託(‑三二条の四第一項一号︶︑調査嘱託︵同項二号︶︑専門家の意見陳述の嘱託︵同項 三号︶︑執行官の現況調査︵同項四号︶を提訴前に求めることができることになった︒また︑被告と予定された被予 告通知者も︑予告通知に対して答弁の要旨を記載した書面で返答したときは︑同じく四ヶ月以内に限り︑予告通知者 に対し︑当事者照会と文書の送付嘱託等を求めることが認められた(‑三二条の三︶︒

一見すると︑訴訟手続の進行とは何ら関連がないように見える︒だが︑先の計画審理と並

( 1 6 0 )  

んで︑訴訟手続の計画的進行を図り︑民事裁判の充実・迅速化を実現するための制度と考えてよかろう︒なぜなら︑

当事者は︑予告通知制度を利用することにより︑訴えの提起前において提訴後に必要であることが明らかな証拠の収 集を行い︑提訴後の訴訟追行の準備を行うことができると同時に︑裁判所もまた︑予告通知者または被予告通知者の

関 法 第 五 五 巻 六 号

0 )

(24)

民事訴訟の進行面における﹁当事者合意﹂︵二︶

申立てを契機として︑提訴前の段階で証拠収集に係る処分が可能となり︑提訴後の審理計画の策定に活かすことがで きるからである︒つまり︑この予告通知制度は︑単なる証拠収集の拡充に止まらず︑提訴後の訴訟手続の進行を左右 する制度と位置付けることができるのである︒また︑この制度は︑平成八年新民訴法で新設された提訴後の当事者照 会(‑六三条︶を提訴前に前倒しして実施できるようにしたものであるから︑裁判所を介さずに当事者間で直接︑訴

訟の準備を行える点で︑

迅速化法と略称する︶

やはり訴訟進行についての当事者の主体的な関与を前提にしたものと解することができよう︒

右の平成一五年民訴法改正と並んで重要なのが︑﹁裁判の迅速化に関する法律﹂︵平成一五年法律第一〇七号︒以下︑

( 1 6 1 )  

である︒同法は︑総数八箇条から成る体裁の小さな法律であるが︑法文名から容易に分かるよ うに︑従来の訴訟手続の運営の在り方に大きな変革を迫るものであり︑その規定内容には利目に値するものがある︒

まず︑迅速化法第一条は︑裁判の迅速化を図る目的について︑次のように規定する︒

︵ 一

六 ︱

‑ ︶

﹁この法律は︑司法を通じて権利利益が適切に実現されることその他の求められる役割を司法が十全に果たすために公正かつ 適正で充実した手続の下で裁判が迅速に行われることが不可欠であること︑内外の社会経済情勢等の変化に伴い︑裁判がより 迅速に行われることについての国民の要請にこたえることが緊要となっていること等にかんがみ︑裁判の迅速化に関し︑その 趣旨︑国の責務その他の基本となる事項を定めることにより︑第一審の訴訟手続をはじめとする裁判所における手続全体の一 層の迅速化を図り︑もって国民の期待にこたえる司法制度の実現に資することを目的とする︒﹂

この立法目的に照らすと︑迅速化法は︑大別して次の二つに分解することが可能である︒すなわち︑裁判を迅速化 するための具体的方策に関する規律と︑かかる迅速化の担い手の責務に関するそれの二つである︒前者に関しては︑

﹁裁判の迅速化に関する法律﹂と当事者の正当な権利利益

(25)

同法二条がまず︑第一審の訴訟手続を二年以内のできるだけ短い期間内にこれを終局させることなどを目標として︑

充実した手続の実施とこれを支える制度及び体制の整備を図ることが唱われ︑審理期間の目標が具体的に設定されて いる︵同条一項︶︒そして︑こうした制度及び体制の整備は︑訴訟手続その他の裁判所における手続の整備︑法曹人 口の大幅な増加︑裁判所及び検察庁の人的体制の充実︑国民にとって利用しやすい弁護士の体制の整備等により行わ れるとしている︵同条二項︶︒また︑裁判の迅速化に当たっては︑当事者の正当な権利利益が害されないよう︑手続 が公正かつ適正に実施されることが確保されなければならないと明定している︵同条三項︶︒

他方︑後者の迅速化の担い手に関しては︑各関係機関に対して︑迅速化法の目的実現に向けた各々の責務を規定し ている︒具体的には︑国の責務︵三条︶︑政府の措置︵四条︶︑日本弁護士連合会の責務︵五条︶︑裁判所の責務︵六条︶︑

当事者等の責務︵七条︶がそれである︒そして︑最終的に︑裁判の迅速化を推進するため必要な事項を明らかにする ための最高裁判所による検証が求められている︵八条︶︒

これらの規定の中で特に重要と思われるのは︑当事者の権利に一定の配慮を示す二条三項である︒前掲の立法目的 にあるように︑裁判がより迅速に行われることについて国民が強い要望と実際上の利害を有していることは明らかで あるが︑それを慮るばかりに拙速な裁判を招き︑国民の正当な権利利益を害することになってはならないのは当然で

( 1 6 2 )  

ある︒具体的な訴訟手続の運営の在り方を考えると︑二年以内に第一審の訴訟手続を終結させるには︑先に見た民訴 法︱四七条の二が求める訴訟手続の計画的進行を実施することが必要不可欠となる︒しかし︑その際に策定される審 理計画の具体的内容は︑この迅速化法二条三項に照らすと︑﹁当事者の正当な権利利益﹂が害されないように定めら れなければならないことになる︒そうすると︑裁判所が当事者双方との協議の結果︑あえて当事者の意向と相反する

関 法 第 五 五 巻 六 号

ニ 四

)

参照

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