も可能である︒ 裏から職権進行主義を支えていることの二点である︒
三五
︵一
六二
三︶
各論者に概ね共有されている事項は︑大正一五年民訴法改正により職権進行主義が導入された結果︑手続進行面 における当事者支配が放逐されたことと︑民訴法上︑広範囲に亘る訴訟指揮権が裁判所に付与され︑そのことが しかしながら︑大正一五年改正においては︑訴訟遅延を解消するための職権強化に軸足を置いた改正だけが行
われたわけでない。訴えの変更•取下げが訴訟当事者にとって容易になったり、不控訴の合意を認める規定が盛 り込まれるなど︑訴訟制度の利用者に配慮した諸方策が併せて講じられている︒また︑この改正法が当時必ずし も全面的な賛成を得て成立したわけではなく︑手続進行面での当事者のイニシアティヴを制約する諸改正につい ては︑多くの批判が向けられていたことも踏まえておく必要がある︒そうすると︑大正一五年民訴法改正におけ る職権主義化への傾斜だけを一面的に強調し︑そこから民事訴訟の進行面における当事者意思の反映について消 訴訟指揮権の具体的内容は︑審理の実体形成面まで及んでいるのに対し︑当事者の権能は手続規定ないし方式
規定違反に限定される責問権などに限定されている︒また訴訟指揮権の行使は︑裁判所の専権事項であるから︑
当事者が裁判所に対して訴訟指揮権の発動を求めても︑それに応ずる義務はない︒けれども︑訴訟指揮権は︑弁 論主義が妥当する局面において︑さらには当事者進行主義を採用する法制においても認められており︑職権進行 主義の決定的な論拠にはなり得ない︒また︑訴訟指揮に対する当事者のコントロール権を理論上︑措定すること
④
最近の民事司法立法は︑訴訟当事者が自己の訴訟手続に積極的に関与し︑かつその意思を反映し得る場面を拡
極的な解釈を導出しようとする姿勢には問題がある︒
③
不十分である︑と結論付けられる︒
る ︒
⑥
大して︑訴訟当事者を裁判所との協働的な訴訟活動が期待され得る手続主体と位置付けており︑訴訟運営を委ね ることについて消極的な姿勢を見せていない︒むしろ︑適正かつ公正な訴訟運営を実施するには︑当事者の理解 と協力が不可欠であり︑そのためにも︑迅速化法は﹁当事者の正当な権利利益﹂の保護について明文規定を設け たと解し得る︒
任意訴訟の禁止原則は︑訴訟法の公法性や強行法規性をその論拠の出発点とするものであるが︑近時の新たな 民事司法立法の規律内容に合わせて︑その意義や機能の見直しを図るべきである︒その際︑兼子説に倣って︑裁 判所に対する意義ないし機能と当事者に対するそれに分けて論じることが肝要となる︒とりわけ︑裁判所に対す る意義に関しては︑近時の職権強化の動きを踏まえると︑裁量統制の規準の一っと解することができる︒他方︑
当事者に対する意義ないし機能は︑﹁当事者の正当な権利利益﹂が害されないよう︑その内容を見直す必要があ 以上のとおり︑訴訟手続の進行に関する規律は︑平成八年新民訴法制定を境に大きく変容してきており︑職権進行
主義や任意訴訟の禁止原則といった訴訟原則もまた︑そうした規律の変容に応じて変容せざるを得ない︒したがって︑
今日において︑そうした訴訟原則は︑民事訴訟の進行面における﹁当事者合意﹂を消極的に解する論拠としては幾分 ( 1 1
0 )
前掲注
( 1 8 )
諸の
文献
を参
照︒
( 1 1 1 )
前掲注
( 1 3 )
の諸
文献
を参
照︒
(112)山本和彦編『民事訴訟の過去・現在•未来」(二
00五年•H
本評論社)一四頁以下[福田剛久発言]によると、裁判所
サイ
もド
当事
者が
積極
的に
訟訴
を運
営し
てい
くこ
にと
つい
ては
大変
望ま
いし
こと
だと
考え
てい
よる
うで
ある
︒但
し︑
こそ
で
関 法 第 五 五 巻 六 号
三六
︵一
六二
四︶
民事訴訟の進行面における﹁当事者合意﹂︵二︶
三七
︵一
六二
五︶
言う﹁当事者﹂とは︑訴訟代理人たる弁護士を第一次的に措定されているように思われる︒
(113)これについては︑亀本洋﹁法におけるルールと原理ードゥオーキンからアレクシーヘの議論の展開を中心に│ーー(‑)
︵ニ・完︶﹂法学論叢︱二二巻二号一八頁以下︑三号九五頁以下︵いずれも一九八七年︶が明らかにするところである︒
︵山︶勿論︑ここでいう﹁手続的な価値﹂とは唯一無二の絶対的な価値ではなく︑複数の多様な価値から構成されるものである︒
そして︑訴訟手続の各場面で重視されるべき価値は︑それぞれの場面において異なり得るとともに︑或る特定の局面におい て考慮すべき価値が複数存在する場合には︑基本的にそれら全ての実現が図られねばならないが︑それらの価値相互間に優 先順位を付けることも可能である︑という多元的な理解を本稿では前提にしている︒
(115)河野正憲「民事訴訟の訴訟原則—ー'その歴史的意義と現代的機能||_」民訴雑誌四二号(-九九六年)一頁以下は、種々 の訴訟原則が﹁民事訴訟手続の根本的な在り方を定め︑それによって実現されるべき基本的な︿価値﹀との関連性を示すも のであるとすれば︑このような基本原則は常にこれらの基本的な︿価値﹀との関連で︑その現代的意義と機能が考慮され︑
反省されなければなるまい﹂と論じておられるが︑これは本文とほぼ同趣旨の理解に立っていると考えてよかろう︒
( 1 1 6 ) このことは︑ドイツにおいて︑普通法訴訟下での書面審理方式が︑一八世紀末の訴訟改革を求める動きや政治運動を背景 に見直しを迫られ︑最終的にドイツ帝国民事訴訟法によって口頭審理主義に転換されていく過程からも窺い知ることができ るであろう︒詳細は︑竹下守夫﹁﹃口頭弁論﹄の歴史的意義と将来の展望﹂竹下
1 1 石川明編﹃講座民事訴訟④審理﹄(‑九八
五年・弘文堂︶一頁以下を参照︒
(117)三ヶ月章﹁民事裁判における訴訟指揮﹂︵初出一九七九年︶同﹃民事訴訟法研究第八巻﹄(‑九八一年・有斐閣︶六五頁 以下、山本克己•前掲注
(22)
論文『岩波講座現代の法5・現代社会と司法システム」一八四頁以下。
なお︑以下の叙述は︑右の山本克己論文による整理に依拠しつつも︑箪者の問題関心に沿って若干の検討を試みるもので
ある
︒ (118)上田徹一郎﹁当事者の訴訟上の地位││'当事者平等原則の展開﹂︵初出一九八四年︶同﹁当事者平等原則の展開﹂︵一
九九七年・有斐閣︶︱二頁︒
なお︑近時の最高裁平成一七年七月︱四日第一小法廷判決︵裁時一三九一号︱二頁︑金商︱二三三号一四頁︶は︑被告が 抗弁として主張する弁済の事実に対応する書証を提出しているものと誤解していることが明らかであるにもかかわらず︑裁
判所が右抗弁に係る立証等について釈明権を行使せずに当該抗弁を排斥したことには釈明権の行使を怠った違法があると判 示するが︑これも第一次的に当事者の権利保護を考慮した一裁判例と言えよう︒本件最判の評釈・解説としては︑菱田雄
郷•NBL八一八号(二00五年)四頁以下、和田吉弘・法セ六一三号(二00六年)―二三頁、我妻学・金商―二三三
号︵二 0
0六年︶六頁以下がある︒
( 1 1 9 ) 奈良次郎﹁訴訟資料収集に関する裁判所の権限と責任﹂前掲注
( 1 1 6 )
﹁講座民事訴訟④審理﹂︱二五頁以下︒なお︑伊藤・
前掲注
( 1 8 )
二六九頁以下は︑両当事者の訴訟追行能力の是正といった消極的な理由に止まらず︑﹁真実発見と正義の実現﹂
という積極的な根拠に基づいて︑いわゆる新資料の提出の釈明をも認めようとされる︒
(120)山本克己•前掲注(22)論文『岩波講座現代の法5・現代社会と司法システム」一八六頁参照。
( 1 2 1 ) 期日外釈明を裁判所書記官に命じて行わせることが認められたこと︵規六三条一項︶により︑事実上︑従来よりも釈明権 の行使が増大していることが容易に推測できるが︑その反面︑当事者側も依然として裁判所の釈明に依存しているケースが 少なくないという現実を我々は直視しなければならないであろう︒
( 1 2 2 ) u R do lf Wa
ss er ma nn , D er so z i a l e Z i v i l p r o z e B :
N u
r T he or ie un d P r a x i s d es Z i v i l p r o z e s s e s i m s o z i a l e n R e c h t s s t a a t ,
1
97 8.
同書の翻訳としてルドルフ・バッサーマン宝林勇訳]﹃社会的民事訴訟汀社会法治国家における民事訴訟の理論と実務﹄
︵一
九九
0年・成文堂︶がある︒なお︑この
Wa ss er ma nn
の見解については︑森︿紹介﹀民訴雑誌二五号(‑九七九年︶ニ
五0
頁以下︑吉野正三郎﹁西ドイツにおける弁論主義論争﹂︵初出一九八三年︶︑﹁西ドイツにおける民事司法の現状と課題﹂
︵初出一九八六年︶それぞれ同﹃民事訴訟における裁判官の役割
j
(一
九九
0年・成文堂︶一七三頁以下︑二0七頁以下︑山本克己﹁民事訴訟におけるいわゆる
6 ( R e c h t s g e s p r a c h
"
について︵三︶﹂法学論叢︱︱九巻五号(‑九八六年︶一五頁以下に 紹介と分析がある︒
(123)兼子•前掲注(18)
『新修民事訴訟法[増訂版]』了几こ只の措辞もヽ本文のように解していると読めな
vもなぃであろうo
( 1 2 4 ) この垂直関係と水平関係という分析枠組みについては︑田中成明﹁法における垂直関係と水平関係﹂判夕五四八号(‑九
八五
年︶
一
0頁
以下 を参 照︒ (125)もっとも︑主張共通の原則により︑主張責任を負わない当事者から主張された事実であっても︑それを判決の基礎とする ことが認められることから︑弁論主義が妥当する局面では対立当事者間の権限・責任の分配は重視されていない︑と解する
関 法 第 五 五 巻 六 号
三八
︵一
六二
六︶