翻刻井上市郎太夫正本『弘法大師出世之巻』
著者 山田 和人
雑誌名 同志社国文学
号 30
ページ 39‑59
発行年 1988‑03
権利 同志社大学国文学会
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000005027
︽翻 刻︾
洛東遺芳館所蔵
井上市郎太夫正本﹁弘法大師出世之巻﹄
山 田 和 人
昭和五十八年六月から︑洛東遺芳館︵京都市東山区問屋町通五条
下ル三丁目西橘町四七二︶にー所蔵されている演劇関係の板本を︑同
館長香川聖一氏の御好意げ﹂より調査する機会を得︑同志杜大学の向
井芳樹先生を中心にその書誌調査を行った︒洛東遺芳館には︑京都
の豪商柏原家に代々継承・保存されてきた多くの貴重な資料が所蔵
されており︑そのコレクッヨソは質量ともにきわめてすぐれた価値
を有するものである︒そのコレクシヨソの中から︑﹁明暦四仲秋吉
旦柾屋太兵衛一の刊記定一西沢太兵衛板一翠軍論﹄︑﹁延宝七押
四月下旬﹂刊の鶴屋喜右衛門板﹃弘法大師出世之巻﹄︑﹁延宝八破年
八月吉日﹂刊の鶴屋喜右衛門板﹃熊野権現開帳﹄の三本の古浄瑠璃
が発見された︒このうち︑﹃源平軍論﹄と﹃熊野権現開帳﹄にっい
ては︑すでに翻刻・紹介をさせていただいた︵拙稿・翻刻﹁洛東遺
井上市郎太夫正本﹃弘法大師出世之巻﹄ 芳館本﹃源平軍論﹄︿同志杜国文学V二十五号︑﹁古浄瑠璃﹃熊野権現開帳﹄について1洛東遺芳館本の位置1﹂︿芸能史研究V八十七号︶︒ 今回翻刻・紹介する﹃弘法大師出世之巻﹄は﹃国書総目録﹄にも載録されておらず︑管見に入る限り︑浄瑠璃関係の諸書に−もその名を見出すことのできない希観本である︒本書は現存する古浄瑠璃の弘法大師物としては最古の正本であり︑井上市郎太夫の現存する唯
一の正本であると考えられる点において︑とりわげ貴重な正本とい
える︒ なお︑本書については︑すでに︑﹁井上市郎太夫正本﹃弘法大師
出世之巻﹄について﹂と題して︑﹃近世文芸﹄四十三号誌上で内容
の概略を紹介し︑若干の考察を加えている︒
三九
井上市郎太夫正本﹃弘法大師出世之巻﹄
本書の翻刻に際し︑資料の閲覧および翻刻・紹介を御快諾下さい
ました洛東遺芳館館長の香川聖一氏に深謝申し上げます︒また︑翻
刻にあたり︑とりわげ︑阪口弘之氏︑山根為雄氏には貴重な御示教
を賜りました︒資料の調査に際しては︑向井芳樹先生をはじめ︑小
川嘉昭氏︑鈴木一夫氏︑友田博氏︑山崎睦也氏の協力を得ました︒
記して感謝申し上げます︒
解 題
装噴 半紙本︒縦二一・八糎×横ニハ・○糎︒
表紙 表表紙は破損が著しい︒裏表紙は無地の消炭色で︑原表紙かと思われ
る︒
題簸 原題策重郭︒中央に﹁弘法大師﹂と大書し︑その右側に﹁こうほうた
いししゆつしやうのまき﹂︑左側に﹁あこや御ぜんきやうらんの道行
井上市良太夫直正本﹂と細書してある︒題簸上部は界線から切除され
ている︒下方にはコ一条通﹂正本屋﹂喜右衛﹃﹂と三行に板元を記す︒
匡郭単郭︒縦一九・八糎×横一四・八糎︒ こうほうたいししゆっせ のまき内題 ﹁弘法大師出世之巻﹂︒上方に﹁第一﹂とある︒
所属 井上市良太夫︒
.刈. 今 文
オ 簸・
^.︸1
−1虎
目 .^討
主級 段数丁数板心挿絵 四〇五段︒﹁第一〜第五﹂と︑各段の初め上方に記す︒
一六丁半︒行数一八行︒一行あたりの字数は約三十五字から五〇字程
度︒上方に﹁弘法﹂とあり︵二︑七丁目は欠︶︑下方に﹁三〜十八﹂の丁
付を付す︒
十頁分︵見開四︑片面二︶︒
一ウ・ニオ︑四ウ・五オ︑七オ︑九オ︑一一ウ・二一オ︑一四ウ.
一五オ︒
各図に次のような説明がついている︒︵説明が□﹈で囲まれている場
合は﹁ ﹂で︑それ以外の場合は﹃ ﹄で示した︒︶
第丁二図︵一ウ・ニオ︶︹右︺﹁女ほう立くわげん﹂﹁あこや御せ
んまい給ふ﹂﹁みしなのまへ﹂﹁めのと﹂﹁たをうぢふうふ﹂︹左︺﹁ふ
どう明王﹂﹁しやか如来﹂﹁文しゆ﹂﹁ふげん﹂﹁ちざう﹂﹁あこや御
ぜん廿三夜ヲまち給ふ﹂﹁八じゆん斗のらうそう﹂
第三・四図︵四ウ・五オ︶︹右︺﹁あこや御せんにげ給ふ所﹂﹁みた
い所とめ給ふ所﹂﹁なをうち殿うたんとの給ふ﹂﹁女ほう立と二め給
ふ﹂︹左︺﹁あこやこせんたげき給ふ﹂﹃こんぞうわう﹂しやう﹂わ
か君を﹂もらひ﹂かへり給ふ後二﹂こうぽう大し﹂是也﹄﹁ごんそ
うわうしやう﹂﹁とうしゆく若きみいたき﹂
第五図︵七オ︶︹右︺﹁むしやうの山﹂﹁しやうじかうはっかむ所也﹂
﹁きんきよく丸さ畦ん﹂﹁まわう共しやうげヲなす﹂
第六図︵九オ︶︹上︺﹁くうかいうさ八まん宮へさんけい﹂﹁第三番
ハ六字とおがまれ給ふ﹂﹃南無阿弥陀仏﹄﹁大六天のまわうのていに
みへ給ふ﹂︹下︺﹁みさき帰リおとろき給ふ﹂﹁くうかいおしへ給ふ﹂
﹁なをうち殿さいご﹂
第七・八図︵一一ウ・一ニオ︶︹右︺﹁りきし﹂﹁しゆひんさいこ﹂
節譜
刊記板元 ﹁こんがう王﹂﹁しゆ・つしの大みやう﹂︹左︺﹁しウひんかたより小し や出ル﹂一︐くうかいよりりけん出ル﹂﹁くうかいたいり二而いのレソ﹂ ﹁御門ゑいらんなさる二一﹁くけ大臣立﹂ 第九・一〇図︵十四ウ・十五オ︶︹右︺﹁まいりの人ミ﹂﹁あこう御 せんしやじんと成﹂﹁一倒てしたち﹂︹左︺﹁大師しめし給ふ﹂﹁大師 のちき蘭厨かけ﹂﹁さたおき殿﹂﹁なをうちしやう仏有﹂﹁同きたの 御方﹂次に順に掲げる︒ おろL︑ハル︑地︑大三重︑地︑三重︑ふし︑ふし︑三重︑ふし︑ なかし︑ふし︑ふし︑ふし︑三重︑三重︑三重︑まひせめ︵以上初 段︶︑ふし︑ふし︑ふし︑ふし︑三重︑ふし︑ふし︑ふし︑三重︑三 重︑三重︑三重︵以上二段目︶︑ふし︑三重︑三重︑二人ハル引ふ し︑ふし下︑地︑下︑地︑こおくり︑下︑持上いろふし︑いろ︑上 キソッテ︑ワキニ人イロ︑ーおくりはる︑地︑下︑ふしいろ︑地︑ 下︑た□−下︑れいせんふし︑引︑地︑引コトハシテ︑ふし︑ 引︑日ル︑あたる︑二人︑ふし︑地イロ︑もつ︑下︑いろかわり︑ ふし︑下︑うたいふし︑すみよしふし︑ふしか二り︑下︑地︑下︑ ︹きヵ︺ 引敢三重︑引ふし︑地︑ひろいふし︑ふしきん︑さんかはり︑地イ ロかん︑いろかん地︑引︑下なかし︑ゆり︑いろ上︑引かんいろ︑ ふし︑ふし︑ふし︑三重︑三重︑ふし︑ふし︵以上四段目︶︑三重︑ 三重︑ふし︑三重︑ふし︑三重︵以上五段目︶終丁表本文末に次のように記す︒
延宝七巳未四月下旬井上市良太夫直正本
鶴屋喜右衛門
井上市郎太夫正本﹃弘法大師出世之巻﹄ 一一一︑︑ 凡 例仮名遺・濁点・句切点・繰り返しはすべて原本に従った︒漢字は現行の通行字体に改めた︒特殊な略体・草体などもおおむね現行の字体に改めた︒ ハニ・・←は・み︑〃←より︑井←菩薩︑但し︑廿・柑はそのままとし︑ 斗は計に統一した︒原本の文字が損傷などにより判読不能の場合は口としたが︑推定判読した文字は口に入れた︒明らかた誤りも原本通りとし︑行間に︹マ・︺を付し︑疑問箇所には行問に︹ーカ︺と付した︒改行は原本に︒従わず︑適宜設けた︒
第一 こうほうたいししゆっせ の←一一︑e
弘法大師出世之巻
扱もその二ちそれみっきやうといふは二げうを立てしかも一さいを
もよほすこ二に本てう四十九代のみかとくわうにん天王のぎょう︒
ほうき五年甲寅のとしみたみにあたってさぬきの国多度のこほりに1
たんしやうせるほさっ有のりのいみなはくうかいわせう登壇さんげ
の御たはへんじやうこんがう目本しんこんのかうそそう大そうじや
うこうぼう大しのゆらひを尋ね奉るに其比さぬきの国のぢう人さい おろし ハル 地きの侍従たをうぢとて︒ゆみとり一人︒おはします御せんぞを尋る
に天津たちからおうのみことのみすへ︒とよしまと申奉る是さいき
のとをつおやのかみたり其ながれてうてきをたいし有さぬきの国を
四一
井上市郎太夫正本﹃弘法大師出世之巻﹄
舳燃繊鰍淵
由 総圭
簸
.⁝ 幸. 至 ■ . 壬一.・ 一嚢洲.−義嚢鰯簑 緊一琵 嚢 ・.・鐘︑姦. 嚢鰹・. ・籔・綴鰯ヰ..一
.廿 ︒鰍瞼︐十
.婁
.議
⁝胡 ︑誇襲鱗鍛・.轟.−萎苗︐︑望1柚簸.︐.聾ま.湘瑞・・︑燃灘鰍一
^.靴︑.嚢︑
甘= o 一旨ユ︑ ^榊翻鰍験議榊. 塘甘 1・ 鶉醐一灘嚢1.− ︑︸・︑1
生簿
帖燃.
一欝
・︐費養−︑一 鋏;
心藁篤一碁姦−
−︐ ︑嚢聾.︑^蝋萎 . 撚搬養
︐︑妻 #一義
︑萎窒丑︑⁝^. .妻籔灘葬
!︷※為
無蒙1︐ ︐騒零
.坦.︒畢萎.
︸甜糊.. .
窯慧一灘
燃嚇萎 ・ ︑.⁝⁝毎.
. 砧
撚︑
舳
中 .工舳榊
.⁝十十 −湧.
.幾
嚢
患一:榊灘簿繋疑 .燃・繊燃燃榊榊榊榊榊
炉
燃蛙︑.燃灘織
鱗 図−第図2第 四二給はり代ミ御しそんばんじやうし今なをうぢに至るまでゆたかにくらさせ給ひげりみだい所はあとのせうしやうみち国の御そくぢよ也御子二人おはします一はあこやごせんと申御とし十六才たうだいぶそうのびじん也ことにやさしき御心わかのうら抵みっきせすもふかきことのはたさげしるげにたぐひたきふぜい也次はみさき御畦んと申ようやく二才にたり給ふ扱家をまもる侍にはいわたかげはしわげい其むらかた上みっいしいなげの三郎其外さうでんのしよ侍日やのしゆつしひまもたく君をうやまひ奉るかのなを︵一オ︶ 大三重氏のいせいの程うら山さるこそなかりげれ 挿絵第一図︵一ウ︶ 挿絵第二図︵ニオ︶ 地是は扱置︒其比みかとには太子あまたおはします中にも第一の太子山のべのしん王と申奉るはじひしんふかく殊に御はつめいにましますゆへくんしん是をおもんし奉りほうき四年三月十一日に春宮に立せ給ひはや御そくゐのぎよいとぞ聞へげる其時大納言さだをきのきやう仰られしは誠にめてたき御めくみやしからは御后をも相定られ然べく存侯御さたいか父とそうもん有みかとゑいかんあさからすと
もかくもかたくあひはからひ侯へとのせんし也左大臣藤原のたま
ろこうしやく取なをしいっれもそうせらる二のおもむき尤也此上は
とうだい天下にたをゑたるびじんをゑらんで御后に定め御そくゐの
折から入内なさしめ申さんおの<いかにと仰げりまんざの公卿こ
とぼをそろへげにもよろしき御はからいやしかしゑいぶんにたっし
人﹂らん程のびじんの.はまれあるが入﹂はたれ成らんとぞひ乃︑うき有其
時さたをき仰げるはたれくと中さんよりさぬきの国のちう人さい
きの侍従なを氏がそくぢよあこやのまへこそ聞へ渡りしびじんにて
侯と申さる二左大臣をはじめ誠にあこやのまへは聞及たるびしん也
是さいわい成べきをそうもん有みかとゑいふんまし<てっかいを ﹁マ・︺もって其だん申っかはすへしとのせんしにて則師のさいしやうまさ
村にちよくしを仰付らるれはまさ村せんしをかうふりちよくとう申 三重御前を立さぬきの国へそ下らる二
是は扱置あこや御ぜんはうっりかはれるよの中の常なきことをかな
しみてあげくれごしやうぽだいのっとめざぜんくとくの折からにも
又すてられぬしき島の道にはせきもなき物をとわ思へ共いにしへの
其寄人に心はぢあはれゆかしきくもの上我はいやしきか二るひたに 1ふし生をゑてさくころ人もしらぬ花のこのま二ちらんくちおしや一﹄た
はふれ給ふぞやさしげれある日女房達を召れ扱もみづからはうつ二
なく月目をお︵ニゥ︶くり心なぐさむ方もなし何とぞげうをもよほ
せんなふ方ミとぞ仰げる女房達承はりげに御□一とはりにそんしさ
ふらうされはせじやうのなぐさみは月花とこそ申たれさいわいひや
うぶ浦の山ミにさきみたれたる花の色詠めゑたらぬよし御はらしの
井上市郎太夫正本﹃弘法大師出世之巻﹄ ふし為御いももや侯らんと皆一とうにぞ申さる二めのと是を聞よりもこは何事そおこかましやたとへいかやうの御事有共た所へ出させ給はんとは思ひよらぬ御こと也女房達をめしよせられうたひなくさみ給ひたは花みにまされる御ゆふげうは御へやにても有べきぞや姫君様とぞ申さる二あこやうれしく思召其きたらはいっれも此むねあひ心
へ思ひくにょういあれ我はたくみしことあれはまなひてげうをな
すべきそと姫君したくましませば女房達は打ましはりおのくやく 三重きをあひと二のへすでにくわげんぞはしまれる
心もことぱも及はれぬしちくりよりっの数ミににはのなみ木も枝を
たれそらとふ鳥もはをやすめみすもきちやうもざ二めきてかんにた
へたる計也然る折ふし姫君はさもきょらかにたち出て色よきあふき
をくれなゐのいとにかげあふきめさぬかあふきめせ其色しなをわげ
申さんめせやくとうり給妻房たちの其中にみしなのまへは立出
てこはめっらしき御いで達さあらはわらはが看申さん其しなく
をうり給へ心へたりと姫君はかれうひんがの声を上おもしろや御よ
はゆたかにたみやすくめでたきときにあふぎこそ折をゑたりとまひ ふしあふきゑん所にかぜをもとむなる上らう達たしなみにめされ侯へそ
であふぎおほきもやうの数ミにかざすたもともにほふなるむめの立
︹マ・︺ゑたにうぐひずのさへっる声に桜花すなごにかすむすみゑにはしみ
づなかる二谷のとに1くいなの鳥のはをやすめやまのをくにもしかの
四三
井上市郎太夫正本﹃弘法大師出世之巻﹄
ねにつまこひかねてなくにこそあきのあはれをもよふせりふゆはし
ぐれにぬれさぎのゆきふり︵三オ︶うっむ其ふ畦いき父のこすへも ︹マ・︺白たへに花かとぞみる枝にこそ風のふきくるたひことにはっとちう
こう有様はどうもいはれぬおもしろやぎよいにまかせてめされよと なかしにつことゑめ團かほはせはたとへていわん方もなし直氏ふうふの ふし人ミも物のひまより御らんしてあこかれ立出給ひっ二ともにげうを
ぞもよほさる
か二りける所に師のさいしやう政村は多度のこほりに付せ給ひ直氏
たちに︑一出ちこへあんたいこうて入せ給ひちよくしのよしをのべ給
へぱ直氏たいゑっあさからずしていかやうのせんしをなしくださせ
られ侯とっ二しんでそおはしげるされは当今第一の宮山のべのしん
王春宮に立せ給ひおつつけ御そくゐなさる二に付其方のそくぢよの
ぎゑいぶんにたっしきさきにそなへ入内なさしめよとのせんしにて
侯とあれは直氏とかうのことぱもなく扱ミ有かたきりんげんのおも
むき身にあまり大ゑっ仕侯しかし我等しきのぶんざいにてちよくと
う申もおそれおほく侯へはともかくもきこうの御はからひにまかせ
奉り侯おふくしんべう成心さし其むねたしかに言もんせんかさ
ねてせんしを下さるへきそ工︑れ迄ずいぶんっ上しみっれで︑上洛し給 ふしへとせんげんつぶさに相のべ給ひちよくしは都に上らる二
直氏ふうふ家のこ郎等ことくくはせあっまり是はめでたき御こと 四四 ふしやと上中下に至るまでよろこびあふことかぎりなし姫君も今はさすがおもはゆくか二るうき身のくもの上にいたらんことのめうがなやしかしわかみのゑいくわの程はおもはね共一つはぶもかうくのためたればあはれゑいりよのかはらずして我をめしよせ給はれとしんぢうにふかきりうぐわんしぶっじん三ぽうをいのり殊には月天子をねんし給ひ女性の御身にあたはざる大行を成し給ふ三重心の内こそしゆせうなれ扱其後に姫君はしんかうにおよんでひそかにみたちをしのひ出びやうぶか浦のいそに出させ給ひうしほをむすび身をきよめうつわ物に水を入かしらに是をいた︵三ウ︶たきすみあらしたる山寺のやのむねにあからせ給ひ御月待とそ聞へげる十七やより廿三やに至る迄七やが間やのむねにて一足さらずに月かげのいた父き給ふ水のおもに 三重うつらせ給ふを相待給ふきくわんの程こそしゆせうなれすでに廿三やの月ほからかに出させ給ひひかりも水にうっらせ給へぱ有かたしくとしんちうにせいくはん有所に八しゆんはかりの老僧こうぞめのけさころもすいしやうのしゆすをっまくりこっせんとあらはれいかにあこやそれ諸仏の御じひ様ミなりといへ共せっする所は無二也髪にしやうと三地のさった衆生さいとの為くかいにしゆつ生し給ふ然れ共清浄のたいない只今御身か行願殊に心中のせい願ことくく仏ぼさつの御心にかなへりさるによつてたいないをかり
てやとらせ給ふたんじやうあつて其後は二せじやうじゆのげらくを
ゑん我ば是なん天竺大日みつ︷の大祖不空三蔵也一しン.らとうろいこ
まかせ日本にさいらいす三ぜのきゑんつきぬゆへ今又御みかたいな
いにやどるそとあとにっげさせ給ひげり姫君むね打さぱきこは心得
ぬ御事や恭もみづからは天一︑丁の言こ立参らする身こしあれぼたとへ
やとし奉る共いかでたんしやう←一目べきそやおそろしさよと仰げれは
おふくさやうに思ふはことはり也一奈がら夢くおそる去なか
れぶっ心のほうべんにてやとらせ給ふ事なれば少もさはりなきぞと
よ其うへしやば一たんのゑいようにしうちやくしながきみらいをわ
する二かや悪世の衆生をみちびかん為なれぼ今又女人のたいないに
やとるそや十月が間はぶつほさっのよにかはり日にかはりまもらせ
給ふゆへによつて少もさはりはさらになしさあらははしめの月より
むまる上っきのおはり迄十月︑が問の有様をあらはさんとの給ひて御
いきふっとふき給へぼ忽きん玉とへんしこくうをとびゆきし給へは 三重
次第くにかたちを一んし月<の□一÷くべっにみ一げること
こそふしぎ次れまひせめ先はじまる月はとっこのかたちないげのま﹁しやうをごうぶく有ふだ
う明王のまもらせ給ふ二月めには七じゆほうじ︵四オ︶
挿絵箪三図︵四ウ︶
挿絵第四図︵五オ︶
井上市郎太夫正本﹃弘法大師出世之巻﹄
〆
四五 図3第図4第
井上市郎太夫正本﹃弘法大師出世之巻﹄
ゆをかたとれる花ざらとかたちをへんししゆごふっはしやかむに如 ︹マ・︺来三月めには胎内のかたちはれいとあらはれて丈珠菩薩の請敢扱又
四月めにはしひ一二 一たちをひやうし姿はしやくしやう守り菩薩は
ふげんさった五月め二ははじめて五たい五りんをあらはし空風火水 ︹マ・︺地五行方位をさとるぢさう菩薩のしゆこし給ふ扱又六月めにああた
ってはかたちや一う一や一く一うこき出て母のざうふをいだくとかや則み ︹めカ︺ろく菩薩の請取給ふ七月のには胎内にてかんろのやく水をあたへ給
ふさるによつて一さいの病くをのがる上是やくし如来のまもらせ給
ふゆへ也八月めにはかしらにゑたをいた父きて胎内のふじやうをさ
くくわんをんさつたの請取給ひこがねのれんだいにいさないぜんく
わに至るべしとおしへ給ふ九月には出生近きゆへによっていじんり
きをさづげ給ふとくたいせいしの法力也十月めにあたって十功正が
くのあかつき仏の成道是ひとしく子帰りはしめて人かいにうまる上
是則あみた如来の方便也有かたや十ケ月の其問しゆごし給ふ仏菩薩
皆かんせんにあらはれかやうにはんくやくくにしひの力をそゆ
る上は夢ミおそる二ことなかれと姫君をやのむねよりいざたい給ふ
其後十体のぶつほさつ衆生さいとの直道今也と光明十方にひかりを
はたつてこくうにあからせ給ひげり弘法大師の御しゆつ生きたい千
万たかくに扱かんせぬものこそなかりげれ 第二 四六
こうしもんの出一す一悪事せんりをはしる次らひ姫君くわいにんまし ︹くカ︺ますよしりん国たこう同一かくれなく様ミあたにひやうでうしげる ふしはあさましかりげる次第也
うかりし年もはや過てあくれぽほうき五年きのえとらの三月廿一目
に玉のやう成なんしたんじやうたされげる是弘法大師の出生二直氏
大きにおとろき給ひそれを今迄それかしにっ二みげるは何事そ口を
︹マ ・J Iしや我王ゐを出てとをからすよすだれときいたつて武家に引一うつ
りむねんたがらもおくる目の此度あこや姫后にー立て入内せぱ二度で
ん上の︵五ウ︶ましはりをもたさばやと心にふかくたのみしにか二
るたんぎをもとむることよっく天めいにっ一き一はてたり定て汝がし
のひ憂っとの有べきがよくも思ひかへげるぞやゑふあさましき所 ふし存やといかれる眼に涙をうかめはかみをなしておはします姫君かほ
打あかめ涙にくれてましませしがこはなさげたき仰やたことにこそ
よれみづからかいかでさやうのふきをなし申さん此比かねて申せし
ごとく此子は只人にあらすたとへいか程のゑいぐわをもとむれはと
てしやばのゑいくわはでん光せき火のことく有かとみへてたのまれ
ずなかきみらいのたのしみを此わかゆへにたすかり給へ仏のおしへ
をおろかに思召そことかへすく害らめしやと思ひ入てぞ申さ
る二直氏いよくりつふく有やあいはれぬ汝がいさめごとやされぱ
天地うろのめぐみをもつて草木もおい出てせい長すまつそのことく
人問もいんやうわかうのだうりによつて人と生すたんぞ是を人しら
んや天子のりんげんをそむきおやの心をまとはす程のおこのもの子
にて凄ふてかたき成をしらであひせし呈しやみれ凄かく腹
立に打てすてんとの給へぱみだいあはて二すがり付なふたさげなや
直氏殿たとへいかやうのこと有とても御手打とは何事ぞひらさらめ ふしんし給はれと涙ながらにの給へはおろか成いひごとやそれ人として
出世をしらぬはちくしやうにもなをおとれり是か女の道たるかゑ上 ︹マ・︺もとかしやはなし給へとふりきりく出給ぶみだいたをもかなしと
て御ふくりうはことはりなれ共さすがおんあいのすてがたくふひん
に思ひ侯へぱ命をたすげてたひ給へこんじやうごしやうのかんどう
そやはや立出よあこや姫とむたいにへたて給ひつ二おくに入せ給ひ
けりせんかたなくも姫君は涙ながらに声を上我身にあやまりなき物
を是は仏のおしへにてかりにわらはが胎内にやとらせ給ふ御こと也
すへのやみぢをあきらげくてらさせ給はん有がたさにしゆだいのこ
とをも打わすれげいやく申せしゆへにこそ心やすくたんしやう有し ふしにあしく聞召る二事よとくどきなげかせ給へ共こととふ物もあらさ
れは涙たがらにわか君を御ふところにいたはりなく<まよひ出給
三重ふ心の内こそあはれなれ
井上市郎太夫正本﹃弘法大師出世之巻﹄ いつ又君かたまさかにあゆみならはぬくろ︵六オ︶土をかちやはたしのふせいにてたどりまよはせ給ひげりいづくをそことはしらね共君かや千代のまっがうらとまりのいそと聞からに我はいっしか今出て帰らんことはかたいとのきれはてたりし親子のゑん仏のをしへといひたからあ二たさげなのきゑんやとたげかせ給ふぞあはれ成か二りげる所にいっみの国まきのをのごんぞうくわし空う二は一此所を通らせ給ふかあれにようにーの声として御経どくじゆの聞へげるこそふしきたれいか様只物にてはよもあらしとみづからあたりへ立よらせ給ひ姫君の有様をっくくと御らんして御身はいか成御方萱ぱ其子をいざない給ふそやゆへをきかんと仰げりさん侯みづからは当所佐伯の侍従直氏と申物の娘あこやと申物に−て侯が仏のおしへまし
くて此わかをくわいにんいたし月をへてたんじ言有と身をい
たっらに1なすゆへそとておやのふげうをかうふり侯とかく思ひのた
ねといひ其うへかやうにたき出してはたきやむひまも侯はず所せん
このうみへしづめんとそんしきつて侯へ共おんあひのすてかたくと ふしほうもあらぬみづからをふびんとおほしめされよと又きへ入てなき
給ふごんぞう聞召誠にきみやうの物語うたかふ所もなく是はこんじやの
げしん隻一しいさ淳くとの給ふは是皆御経どくじゆの声也し
つめんこともつたいなしそれかし中請てよういくせんいかにくと
四七
井上市郎太夫正本﹃弘法大師出世之巻﹄
仰げれは姫君あまりのうれしさに抜ミ恭仰かなせん方なさにぞしっ
めんと思ひしにひとへにふかき御じひやさあらは参らせ申さん是は
又此わか二げいづの巻物に■て侯へぱせいじんいたし其後に此子にと ふしらせて給はり侯へいよくたのみ侯と涙なからに渡さる二わしやう
も共にらくるい有いかでぞゑんりよに存べきとたかいにいとまをこ ふしひこはれまきのをさしてぞ帰らる二
あこやうれしく思召此うへはぶもの御前を何とぞ申たをさんと立帰
らんとし給ひしかさすがきられぬおんあひの思ひいっれはかなしく
てたふ其子はやかましき子にて有はかへしてたべや御僧とよへとさ
一︑羅鍵灘襲一.鍵繕襲綴騒灘盤麗緊 ︑繋 萎萎繋籔菱.⁝撒
・・1饗. 叩−.一・鶴嚢 嚢 ︑萎嚢議 綴 誰養籔譲繁霧議綴騒騒鰹鰻︑ 驚灘蟻鱗煕嚢一一議騒籔麗騒一齪・綴 ・嚢 .鰯籔議萎榊棚姦.蟹一鑓 .・計鍵緊.萎︸1 ︒
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灘一警中
一議灘垂誰 ︑顯
燃 燃 燃
図5第 四八げべとかいそたき今は心もみだれがみ何国迄もおつかげて取かへさ 三重んと思ひ立くるひ出させ給ひげり心の内こそ哀なれ是は扱おきごんそうわしやうはまきのかはら帰らせ給ひわか君をよういく有きのふげふとは︵六ウ︶ 挿絵第五図︵七オ︶いひなから十四年の春秋をこへ則御名を金玉丸と付させ給ふもとより権者のことなれ一じを聞て千字をさとり給ふじちうの人は申に及ずよの人こそってたっとみげヨ是こそ文珠菩薩の御けしんぞと師はかへつて弟子をはいしなをしもおこたり給ふなといさめ給へは金玉はいよくはげみ給ひげりかく所のゆか旨っらせ給ひ御持念の折からっくく思召す様は何とぞこのみをこらしめくはん行をっと︹めカ︺のんと思ひ立せ給ひあたり近き里ミのさんまいむゑんのびよう所を三重めくらせげるこそしゆせうたれはかにもなれぱつかの上にあんさしてぶつしんひみつの正りをかんがへげっかふざにてみだる二ことたくっとめ給ふそ有かたきか二る所にたれとはしらず人おとしきりに聞へしがさき成もの二いひげる
は扱ミ此比はめっらしきなくさみもなくと畦んさよとぞ申げる次成
おのこのいひげるはいやのふそれがしはかはりたる事をみ付たりと
しの比十四五たるちごまいよ此はか原にてくはん念するとみへたり
いさや是を尋ね出し引さきくはんと申けり有あふ物共かしらを打て
悦びそれこそくっきやうのなくさみ也いざ打立といふま上に一とに
はらりと立て髪かしこを尋ねしか金玉丸をみ付すはや是一﹂そ件のち
ごよわれとらんたれとらんとあらそひける其時金玉ちっ共おとろき
給はず大いとくの法をくはん念有心をすまし給ひけれは有かたや明
王かんぜんにあらはれ金玉をしゆごし給へはおほくのましやうおそ
れをなしす二みかねてそみへにげるさき成物のいひげるは扱ミにつ
くいあの児や此うへは山中の庄司正っら殿うばこぜをいそいでよひ
て来れやといふかと思へは六士計のうぱてをひかれて有し所へ立こ
へやあ何事ぞかた<さん侯めっらしき肴をもとめ侯へ共なかく
てむかい仕りあたりへ我等を近付ず侯て何共ぼうきやく仕りそれゆ
へ使を立て侯おふくそれはおもしろしさあらぱ是へつかみよせん
方く是にてさい隻給一畏て侯と手ぐすそて待いたり其時件の
うぱ大ぱんじやくの様成うでをぬかくとさしのぱしっかみよせん 三重とはげみしはすさましかりげる次第也
され共金玉少もおそれ給はすくじをきりてかげ給へはたちまち五た
いすくんでは︵七ウ︶たらかず大ぢへかっはとたをれふしやれかな
しや何とぞしてつれてかへれや汝らと大おん上てぞお固きげるく
みての物共きもをげしいぎやういるいのかたちをあらはし前後をか
こみかたに引かげ行方しらずに也にげり然れ共金玉は少もみだる上
心なく定而只今のやっぱらはげしやうの物とおほへたり山中の庄司
井上市郎太夫正本﹃弘法大師出世之巻﹄ は聞及ひたる人たるかひっぢやうまどはしげるにうたがいなし是こ 三重そ仏法のいりきなれは行てことをためさんとたなびく空を待俺て庄司がもとへぞいそかる二屋彬になれぼ正っらにたいめんし是はまきのをの金玉丸と申物にて ︹マ・︺侯ごへんの老母ばおそろしきへんげの物にて侯ぞゆだんし給ふな正っら殿とぞ仰げる庄司大きにおとろき近比れうじを仰らる二物かな父にはようせうにてはなれ只一人の老母たれは身にかへこうをつくす所になんぞ跡方もなきそらことちっとしんくわいにぞんし侯へ共しやくはいなれぱめんし申お帰りあれとた上んとするを引と二めよしなく我をうたがひ給ふ物かなさあ只今めのまへに其しやうたいをあらはし申さんそれがしか声をきくならは女にげうせ申さんしかと手ごめにしたまへとこともなげにの給へは庄司も今はせん方たくもしちがふ一塵あらはゆるし申さぬぞおかくこあれあふくいかやう共はからひ給へと忍ひをくに立入給へはあんのことくくたんのうぱおびた二しキ有様にて女房達にてあしをさすらせ大おん上てうめきげり其時金玉っっと出やあめづらしやうばごぜさぞいたみ申さん出くくっうをはらさせ申さんと立より給へは件のうぱなふおそろし
や正っらといふかと思へは其姿あっきとあらはれこくうにとんでゆ
かんとするを金玉すがってひきと父めおのれましやうのふんとして
人間をたふらかしことに仏法をさまたくること其とがいかでのかれ
四九
井上市郎太夫正本﹃弘法大師出世之巻﹄
んと引ふせ給へばなさげなやゆるし給へかさねて御みの仏法をまも ︹マ・︺るべしとひかへし補を引きつてこくうに︒とんで行所を正さつらすか ︹マ・︺さすてうと切切れて少ひるむ所をた二みかげてきる程に何かはもつ
てたまるへき取ておさへと上めをさしゑ二おやのかたきかうらめし
やと涙奈らにさしとをしくあ嘉かたの御をし一先二莞一
くとおくにしやうじ奉る金玉丸の御有様又︵八オ︶正っらのしん
ていことはりせめて尤やと扱かんせぬものこそなかりけれ
第三
光ゐんやのことく月目にせきのあらされは金玉御年十七才にて御出
家有則御名を空海とっかせ給ひしやみの十かい七十二のいぎをさづ
かり芙望能まんこくうざうの法ことくく成就有てどっこの観
は御むねの内に明らめ八ふのりはしたのはしになめらか也今ははや
御心にか二ることもなくおこたひすまし給ひしかそれより国ミ御し
ゆ行有やまとの国くめの道場にて諸天のつげによつて大目経をゑ給
ひはいらん有目本において此経のぎりをしる人なし此上は遠く仏所
を尋求法せんと思し召入たうど天の御心ざしあさからず仏神三ぽう
にきせい有ふうはのなんをかぢし給ふ有がたかりける次第也
是は扱置髪にあはれをと上めしはさいきの侍従直氏殿にて殊にあは
れをと父めたりいっしか国を召上られしたかふけんぞくおちうせて 五〇あこや姫の妹にみさき御ぜんと中せしかかうくの心さしふかく年おひ給ふ父上をはごくみ給ふそあはれなるいたはしや直氏はいか成
しゆくせにや両かんっふれ害もくと雀せ給ひいよく万事たよ
り次くあけくれなげかせ給ふにそ御心ち常たらずよにくるしげにみへにけり何とぞしてしよくしを少ミ参らせ度侯へ共其便とてあらは
こそ此上はみづから里へ参り何とぞようい致っ二追付帰り申さんと
涙たがらにの給へはいたはしや直氏くるしげ成いきをつきあ二いら ︹きカ︺ざることよみささのまへ今はしよくしも望になしひらにむようとの
給へはいやく少聞召す雀窃きしよく差をり申さんかつ忌
舳⁝織︐
蝋
淋蟻鰍燃
榊.徽・︑
岬榊燃
繊
.図 61第わらはが念なれぼしぽらくまたせ給へやとなげきながらに庵を出袖
こい出給ふ心の内こそ哀なれ
すてに其日もくれ過て五かうの天もひらくれ共みさき帰り給はねぼ
いよく待わび給ひっミとき淳かせ給ひげりむざんや芝隻さ
のまへ我ゆへすかたをやつしはてあらぬ手わざに心をっくしはごく
みかねて今迄も帰りもやらで有げるはふびんの者の心ねやあ二口お
しや是程にくるしくては忠やおはるに程はあらしはやく帰りて
今一ど︵八ウ︶
挿絵第六図︵九オ︶
声也共きかせぬかあら悲しのみさきのまへとなげ二共涙なくさけべ
と声の出ばこそはやこときれはて給ふ共ロロ□切られやおんあひの
まうしうのきづな切れやらすおち入かねさせ給ひげり
か主哀の折ふしくうかいは入唐渡天の望にて都を出てはるくと
九国のちを心かげ下らせ給ふ折から此所を通らせ給ひ直氏のくるし
げ成巽一声をっくくと聞召哀さこっずいにてっし扱ミふびんのこ
と共やと庵のあたりへ立よらせ給ひことのやうすをみ給ふに六十計
の男のやせおとろへて便なくはんしはん生の有様に前後ふかくにみ
へにげり空海やかて庵の内へ入せ給ひいかに病人我は是諸国しゆ行
のしやもん成か汝がていをみるに其ま上すぎんやうもたく是迄立入
申そとあらひよねをとり出させ給ひ口中に︒入給ふその時病人くるし
井上市郎太夫正本﹃弘法大師出世之巻﹄ げにーいきをっき扱はしゆ行の御出家様にてましますかあら有かたの御りやくやな御らん侯ごとくかkるふじやうの庵の内へ申いる二もおそ︑れあれ誠に某もいにしへは少ゆへ有身なれ共いっしかかやうにおとろへあまっさへ去年の秋女房にもおくれ只一人の姫を持て侯がまづしくしてくらすがあさましさに何とぞしょくしをあたゑんときのふよりいとなみに罷出いまだ帰り申さす侯此老をふびんに存心にか二り侯ひしが只今に至ては思ひ置事も侯はずか二るたっとき御僧様に相奉るこそさいわいなれりんじうの一くをさづげさせ給ひ侯へ大じ大ひの御僧様と手を合てそなく計空海聞召あふくやすき問のことよそれじよくあくのぽんぶわうじやうの直道はなむあみた仏にきはまれり仏の本願のあふぎ念仏を申されよなむあみだ仏とす二め
給一はあら有かたやたすげ給一害嚢だ仏くの声共にもろく
のくつうなく壱んしやうに入かごとく終にむなしく成給ふ然る所へみさきのまへかくとは夢にもしろし召れすなふ父上様只今帰り侯そやさぞ待かねさせ給はんと庵に入らせ給ひげれは空海御らんしてやあ汝か父ははや相はててありけるは何とておそくは帰りげ ︹らカ︺るぞなふそれは誠かかなしやと思はすし二ずいたき付なふ父上様父う一とよ一とさけ一とかいぞなき是はくと計にてしはしき一入給ひげりやうく涙隻しさめさぞや最後にみづ一九ウ一からを待
わひうらみ給ふへし母上様はっかれてより天共地共父上を頼に1かげ五一
井上市郎太夫正本﹃弘法大師出世之巻﹄
てはごくみし其かひなくて今わの時一御■とはをもかはさずして其 ︹さカ︺ま上わかれしうき思ひ何とはらたんうらめしや情たや父うへ様今一
度みさきのまへかとことばをかげて給はれともだへこかれてたき給
ふしよしの哀と聞へげり空海もふしきの縁に立よりてか上る哀をみ
ることよげに道理也ことはりやと衣の袖をそしぽらる上姫君涙のひ
まより為僧様は終にみな註御方成は是に御全一しくて情有げ
にみへ給ふいか成御方にて渡らせ給ふぞ有かたさよとの給へはあふ
莱は諸国渡僧の折からおもはすも愛に来てかやうの人にげっゑんを
なす事我も一しほまんぞくせりとりんしうの次第一くに語らせ給
ひ共に涙をなかさせ給ひっ二して其方のしんるいゑんるいとてもあ
らさるかさん侯かやうの体に成果侯へはしんるいしたしき者とても
侯はすとても御僧の御しひにかげをかくして給はれと涙たがらにの
給へはあふくやすき間のことそかしさあらはとふらひゑさせんと
みづからもくよくなされ御衣をぬかせ給ひもうしやにきせ給ひやり
とに打のせ給ひつ二さきを空海かき給へは跡をみさきぞかきにげる
げにやしたしきおうちやまご又はげんざいおぱやおい其内縁をしら
すしてのべに出させ給ひげる心の内こそ哀たれ
む所にもなれは空海草木をかきあつめしがいをいたはりむじやうの
げふりとたし給ふむさん成かな姫君げふりのすへを打詠め便たや今
迄はさり共とこそ思ひしにか二る事にみなしはてわらは二何と成べ 五二きぞ誠に人間の身のはて程定かたきことはたしみづから父上も元来いやしきしつにもあらすさぬきの国の大将さいきの侍従直氏とて其名をゑたる人也しにいつしかかやうにおとろへはて行ゑもしらぬ御
僧様の大じ大ひに預りて言くすがたをかくしてあれもしさ差
くはいか父せん有がたしとうとやと手を合てそなき給ふ空海聞召何と侯只今の往生人はさいきの侍従どのとたして又直氏はいか成ゆへにかくはたりはて給ひて侯されは申もはつかしく侯へ共此上たれぱ語申さん父上其身のゑいくわ他門にみち子をぱ二人持れて侯わらはが︵十オ︶あね上はあこや姫と申てかくれなきびじんにて其なみかとのゑいふんにたっし后に立せ給ふへきとせんし度ミかさたりしに思ひもよらぬ仏の御つげ有て十六才の春の比くわい人有玉のやう成たんしをまうげさせ給ひげれぱうきたはよもに立くもの上ひとの評定にもかくては入内かなはしと父上の身の上迄ちよっかんをかうむり給ひいっしか国を召上られかやうの体に也はて侯哀と思召さずやとくとき立てぞなき給ふ空海夢の心ちして今はうたかう所なし我こ ︹るカ︺そ其あこや姫の胎内にやどりたり金玉丸といふ者よ是くさいきの家のげいづの巻物是に有おうぢご様にてましますかさいぜんよりかくと夢に芒る雀はいか計うれしからん思へはくさりとてはい
とおしの御有様やとなげかせ給ふぞ哀なる姫君も偏に夢の心ちにて扱はさやうにましますかなふ御身様の母うへはわらはか為には姉君
よ其方くわいにん有し故ふげうをかうむり給ひっ二それよりか程に ︹ろカ︺行衛もなし父上母上もり共に皆あさましく也はて給ふ是は御身ゆへ
ならずあね君もおや達もかへさせ給へうらめしやとすがりついてぞ
なき給ふせん方なくも空海は涙にむせひの給ふやう御なげきは断や
まことに某が身の上程ったなかりしことはなし我出生せずはか二る
思ひはよもあらし是皆しやぱのたらひたれはいよく出家さうぞく
して衆生さいとのぜんごんをもつて此がういんをのかるへし御身を
ともなひ申度侯へ共我は求法の其為に入唐渡天いたす也然はいざな
ひもせんなし此上はさいきの家のげいっの巻物を其方へ送り申さん
是よりすぐに都へ上り大なこん定をききやうのみたちへ行よきに頼
給ふべし某が大たんなにて侯ま二心みそだて給はるベコとことこ
まかに書中をあそはし姫君に渡し給へぱみさき夢共わきまへすうら
みながらも御身様を便にぞんし侯所に又そやはなれ申たぱたをうき
ことのかさなりていかで都へ上り申さん此うへはかみをそり後世の
っとめをいたし申さんかみをそりて給はれと恨みなげかせ給ひげり
空海きこし召おろか成仰やな此巻物をむざくとたへさんと思召す
かや我は此事のなれは思ふにかひも侯はず一ヨ酉︵十ウ︶をき卿を
頼給ひ此巻物を御渡し候はんいかでそりやくにもてなし給はんひら
にくと様二さめ給ひげればせん方なくも姫君は巻物書中を請取
てもはやわかれ申さんか随分御げんこに追付きてうましませやあふ
井上市郎太夫正本﹃弘法大師出世之巻﹄ 其方にも只身をまっとうぶいにして某かきてうを待給へしかしむじやうのよのならひあふはわかれのうき世やと又さめぐとそなき給ふ涙のわかれぞ哀なるわかれくになり給ふ扱其後に空海はっくしなるふせんのうさにぞ付給ふ空海思召すやうは当杜八まん大菩薩は目本国中のちんじゆ殊にれいげんあらたなる御神にてましませは此度の渡海なみぢはるげき舟ぢなれは願成就のき願のなさんと神前に1ひさまづきしんごんひみっの法施を奉りふうはあんおんぐほう成就とふかくきせいをかげ給ひねがはくは八まん大菩薩正身の御姿を我らにおがませたひ給へと一心にきせい有念比にどっきやうひまもたし然る折ふし内ぢんよりあてきよらか成女郎のさもよはくと立出てにっことわらひおはします空海御らんしていやくさやうの御すかたにて一天のちんじゆとはおがまれすと一心にくはん念あれは内ぢん俄にしんとうし十刃の悪鬼あらはれてっちやうをっえにっきあたりをにらんで立たりしはすさましかりげる次第也空海猶ももちい給はすおろか成有様やじげん大菩薩と御たくせん有大し大ひのそんきやうをいかてさやうに1おかむべき誠かなはぬ物ならは某か一めいをとらせ給へとたんせいをぬきんで上ひるむげしきはなかりげり其時内ぢんひかりか上やき光明かくやくとし 一マ・︺てなむあみだ仏の六字の名号一くの字に光りをはなつておかまれ給ふ空海有かたく是こそ誠の御真体よとたな心を合せなむあみだ仏
五三
井上市郎太夫正本﹃弘法大師出世之巻﹄
︑.瀦誼揖綴繊棚鐘難姦岬語
閉棚舳榊 郷
燃 図7第
図8第
鰐
五四みた仏と一心にせう念あれは山のは出る月のことくたちまちあみ石玩来のそんそうあざやかにうっり替らせ給ひつ二入せ給へは空海かんるいきもにめいし願成就とくはん念有それより御しん前を下向有入唐渡天ましくてげいくわわしや乏たいめん有しんこんひみっのおうきをきはめ年月程をへてきてう有空海の御法力有難し共中く申計窪かりげり一士オ一
挿絵第七図︵十一ウ︶ 挿絵第八図︵十ニオ︶第四
かくて其後空海わしやうは入唐渡天ましくてげいく隻し言の
座下にっらたりしんごんひみっのおくきをさっかりもんじゆのじや
うどに至っては一代経のふしんをはらし年月をへてきてうあれは上 ふし一じんより下万民に至迄そんきやう有こそしゆせうなれ
其比九条の東西にがらんをこんりうし給ひて東寺西寺と名付則東寺
を空海にくたされ西寺をしゆびんに下され天下あんせんの御きたう
所と定らる上されは過し入唐の折からみまさかの国にてたいめん有
しこはくぽみさき御せん都にのぼらせ給ひ家のげいづをあらはし則
定をき卿の室家にそなわり給ひ御ふうふ共にさんげい有けにやたか
いの御悦ひたとへていわん方もなし是に付ても空海は御母上の御行
衛あげくれこかれ給へ共みかとよりのせんしにて少もいとまあらす
して御心をくたき冶ひげる定おき螂もみさき御前をあなた二なたへ
人をつかはし御行ゑを尋六拾ふつたなム一りけるきゑん也
是は扱置其比又しゆびんそうづとてちとくゆめうの御僧有元来てん
のかいしにて其なぼん天にか二やきしか空海きてうのいこほういを
空海にこへられむねんにちやに越過して悪心を作らるる心の内こそ
はかなけれ有時てしたちを召れ扱も某すでに天子のしはんとして天
下のいのりをなす所にいつしか空海にこへられむねんといふもあま
り有此うへはぼんしう法くわ山に至てひそかに空海をてうふくして
忽命を取べき也汝らもずいぶん願行おこたる事なかれとしのひく 三重に都を出ほうくわさんへぞ参らる二
二人ハル引ふし司是は扱置髪にあはれをと上めしは空海の御母うへあこやこぜん
道 ふし下 地 下
−のみの上にてことにあはれをと父めたりまたちの内よりはなれ 地 こおくり 下給ひわかぎみを︒こひしさまさる思ひくさはずへの露の命もきへや持上いろふし いろらでいよく心きやうらんし四こくのちはいふに及ず九国にわたり いろ 上キンシテ ワキニ人イロおくりは同一 地
残なく山こまく尋ねめぐり碁年か其問人にはいわていはしろ
下のまつ人もなきたびの空髪に聞へしまきのおの寺にて尋ね︵十ニウ︶ ふしいろ 地 下給へ共一咲一行方はなかりげりかく迄こかる上思ひこにいつかいづく璽﹈ 下
にあいたげのつえはしら共たのむべきおいの山雨一□はる<とこ井上市郎太夫正本﹃弘法大師出世之巻﹄
れいせんふし引地
へて︒そなたを詠れはきのじのとをやまきりふかく恋しゆかしき 引コ・︑−ハシテ ふし 引一パ﹈ルあた我こは扱いか戎ゆへこか程迄しげくは物をおもはするぞや今はふ一︑︐ ︑ 二.八 ふし 二■−口っっと居ふましあらノ思圭一こおも÷しといふこもす・む涙こそ袖に
もつ ︹く貫カ﹂ 下 いろ∴わりふしあまれる露かあらぬか︒しれにぬれてほすひをわかぬうらめしや 下行ぼ程なくあまべもの立かさなれるよいの月ほのぐみれぱ有どを うたいふし すみよしふし ふしか二りしのみやい久しきかみかきのあげのとりいを峰んでにみてきくもう 下 地 下れしさ大とりや隻はうきよのさかいかやいっくよりなをすみよしの
引取三重 引ふし地
まっの村立はる八\と打詠っ二行そらのなにはいりゑのよしあしや ︹きカ︺ ひろいふし ふしきん さんかはりすぐれ写享あかしがたしほやく嚢のそて一てしぽそく警
地イロかん いろかん地なぞらへあはれ也はりまの国に入ぬれぼなを思ひますいなみのやの 引 下なかし ゆりなかのしみづにかげをうつせぱのふやつれはてたるわがすかたあは いろ上 引かんいろれ我子に今一どあひみられぱやさりともとねがふ心もみだれはてひ ふしとをうらやみ身をかこちなくより外のことぞなきか二りげる所にしゆびんそうづはほうくわさんへ参られしがあこや
やがてはしりよつてなふ御そう様わらわが尋る子の行ゑしろしめさ
すやおしへてたべと申さる二してなんぢ尋る子のたは何と申げるぞ
さん侯いまだ赤子のうちより人にやしなはせ申ゆへなは何共ぞんぜ
ず侯か御みのやうにほうしになりてたっとき僧にて侯よし御存しな
きことはあらじおしへさせ給へやとすがりついてそなき給ふしゆび
んおかしく思召さやうに尋ね給ひてはいっ迄尋ね給ふ共いかて行ゑ
五五
井上市郎太夫正本﹃弘法大師出世之巻﹄
のしれ申さんきやうじんとてあさましやと一とにとつとそわらはれ
げるあこや聞召おろかの御曽のいひ事やしらねぱこそ尋るたれゑ二
口をしや我はさいきのたにかしにてすてに召にそ次はるへきせんし
を請て有げれ共其子ゆへにこそかやうにたりはてたれあら恋しのわ ふしか子やとないつわらふつやすからすくるひ給ふそ哀たるしゆひん聞 ︹マ・︺召いかに汝ら只今あのきやうちよのいひっる事をきいさるかうたか
ひもたき是は空海がことにて有てんのおしへこ二︵十三オ︶也某と
ふしさい有とおもてをやはらげ立むかいいかにきやうぢよ御身の尋
ね給ふは空海房の芝てあらんおふ其空海よくとうさい子の其時
コつみのまきのをごんぞうおしやうと申人に参らせて侯かそれは
いっくに候ぞ合せてたへとそ申さる二しゆびん聞召扱ミいたはしや
されぱかの空海は出家になりておごりつよく御みのことをほの厘
かしてみくるしき物をおやなと上てたいめんもよしなし我はもとよ ︹か脱カ︺りおやもたしとみつらに︒申されしがおやに︑ふかうの其とがにやには
かにてんしのちよつかんをかうふりもろこしへなかされたり命のう
ちにあはん事思ひもよらす侯と誠しやかに申さる二女心のはかたさ
はきやうしんといひ折あしく聞よりいか成しんいのほのほげふりに
むせぶくるしみに隻しもくもる心の月出く思ひしらせんあ之
くや空海腹立やおのれかしゆつしやう有しゆへわらはをはじめ父母
迄かくろとうにさまよふは皆ミ汝がわざたらずやそれにわらはをう 五六とみはて天ぱついかでのがれんやたとへはたいたう天竺まても尋行てたいめんし今のうらみをはらさんといかれるかたち其ま二こくう ふしにとんて出られしはすさましかりげる次第也しゆひん大悦かきり狂く今はあらかしめ本望はとけたり此上は都にのぼり空海をもおのれ 三重とじめつをとげさせんと悦びいさみ帰らる二心の内こそあさましげ
れ是は扱置其比大うちにはげつげいうんかくをはしめ東寺西寺の両僧
を召よせられ御まへにだんをかさらせみすたかくまき上させ清涼殿
にしゆつきよ有て御心ち常たらすずいふんほうりきをもつて御へ
いゆふのかぢ有べきとのせんし也是はしゆひん空海互にいせいをあ
らふそゆへさう方の行力をゑいらん有べきとの御事とそ聞へげる ︹達カ︺かくてしゆひんはぢよくにしたかつて我におとらぬでし奉十四人召
つれられ□□ヨさんだいしだん上にあがり給へぱ空海も御てしあ
また御供にて是もおなしくさんだい有だん上に上らせ給ひしゆずさ
らくとをしもんてそくさいゑんめいゆいしよさいなんとふかくち
かはせ給ふしゆびんはいかれる心ふかくこたうのゆうの祈願はなく
て空海をてうぶくあるこそおそろしげれこんがうどうしの法をおこ
なひ一じ金りん五たんの︵十三ウ︶法又空海は六じかりん八じゑん
めいふげんの法こまのげふり御所にみちれいのおとすさましく身の
げもよだっ計也しゆびんかんたんをくだきくじやく明王をふうしし
きりにいのり給ひげれぱどくのやこくうにみちくて空海のだんの 三重上にーあめのごとくにふりか上るされ共空海少もさはぎ給はす持せ給
ひし扇にてあなたこなたへはらいすてみだの名号をとたへ給ふしゆ
びんいらってじゆずふり上空海になげ付給へは此しゆず忽しやうじ ︹マ・︺やとなつてうころこを立てとんでか二る其時空海持せ給ひしとっこ
をたげ給へはとつこ其ま上りげんと也件のしやうじやにわたりあひ
あらそひげるこそふしきなれされ共せうしやいかりをたしかのりげ
んをのまんとす空海ごしんほうをもつてかのせうしやをふうし給へ ふしはかのりげんにまとひきてあへたくかたちはうせにげりか二る所に
こくう俄にどうようしこんかうりきしの二王あらわれしゆびんを取
てだんよりおとし是こそふつ法わう法のたいてきたれ空海まさに︑せ
んしにしたがひ御しゆ命長をんといのるに此法師は空海をねたみ様
﹁一ココぶくいたせし也され共仏菩薩のかごにあっかり其身になん
はさらにたししたがへよとの仏ちょくにまかせ是迄あらはれきたれ ふしりとしゆびんを中に引立くもゐはるかに上りげり
みかどをはしめ公家大臣いっれもきいの思ひをなし一どにあっとぞ
かんし給ふ其声しはしなりもやまさりげりみかとゑいかんあさから
ずいよく一天ちんごのいのりおこたり給ふなとみすの外にしゆつ
ぎよ有左大臣たもろこうを召れなひく空海紀州高琶票らんこ
んりうの大願有よしいそきかのちをあたへがらんをざうり万看べ
井上市郎太夫正本﹃弘法大師出世之巻﹄ きとのみことのりこそ有かたげれ空海大悦かきりなく恭なしとちよくたうし大山を引たらし大塔こんどう残りなくきんぎんるりをちりぱめことくく造立有今のかうやこんかうぶしは是にて有きたいのためし是なるはと扱かんせぬものこそなかりげれ
第五
扱其後へんしやうこんかう空海和尚法力ふっ心に1かたひげるに−や様ミのきすいあきらげく国ミ山ミむら里をわか︵十四オ︶ 挿絵第九図︵十四ウ︶ 挿絵第十図︵十五オ︶たず仏かくがらんを建立し給ひ御母上を初め六しん法かいの為九条 ︹マ・︺の東寺において俗縁くはんてうを取行ひ給ふだんたは大なごん定おき卿井にみさき御せん其外大内の上郎達扱又諸法のあき人我もく 三重とさんげい有くはんぢやう打こそ有かたげれかくて空海らいはんに上らせ給ひさんげいのくんしゆに打向い給ひ扱も芙此度のさせんのきはおやおうぢのぼたいの為也それゆへかやうにげち縁をなさしむるされはしやぱはむ常也げふ有てあすを□すす一く雇一たいしんのふかき方くに縁むすふ為なれはみっからゑぞうをきさみかいげんくやうをとげたり拝み給へ人ミととひらを 三重ひらきとちゃうを上させ給ひげれはきせんくんしゆの参詣の人ミ一五七
井上市郎太夫正本﹃弘法大師出世之巻﹄
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図 9第
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図
10第 五八どにあっとかうべをたれらいせ□口声しぱしやまざりけり其時定おき卿空海に打向ひ某いか成宿かうに■やみそしになれ共子を持す何とそ御方便にて一子をさつげ給はれとふうふもろ共手に合涙をなかしの給へは空海聞召さやうに思召さぱ殺生をふつとやませ給ふへし殺生の業深きゆへ御子は更になかりし也是く此御札をしんしよの上におし給へと基言ひみつの御札を下されげりおしへのごとく月をへずしくわいにん有たまのやう成たんしをまふげ給ふ是ひと
へに空海の御法力とぞ聞へげる
扱其後にみさき御せん一っうのじゆ文を捧給ふへんせうこんがう請
敢給ひたからかによませ給ふ其しゆ文にいはく東天にか上やく月も
早西山にか工る人間でん光の有様あやまつて三づ八たんの悪趣をの
かれず時に至て弔ふれいこんはじをん広大の父也計さるにおとろへ
御最期の時さへことはをかはさす其ざん念今にはれすあふきねかは
くは只今心ざしの真実に答て忽上品れんだいにいたらしめ給へとよ
み上給ふ空海涙をうかめ給ひげれはせ方其外参詣の老若男女皆たん ふしせいをぬきんて上即身成仏とゑかう有こそしゆせうたれ其時ふしき
藁くも雲上隻ちくて有がたや直氏はひぎやうのうん上にのり
三重給ひらいりん有こそ有かたげれ誠にたへなる御弔ひのくりきまさにあらはれ直氏うん上に立上り御手を合せへんじやう和尚を拝し給ひ
いかに空海其現在に様ミのなんくを請しを命おはって此きをさとる
﹁マ・︺御身は浄土三地の菩薩衆生さいどの為出生あるしをしらておや子共
にっ︵十五ウ︶らくあたりおい出したるとかによって浅ましくおち
ふれさま/\のくげん二あいしが三れ宍ちくのゑんある二め︑りんし
う正念に︒てあみだ仏の本願にじやうし極楽往生いたす也有かたさよ
とぞ仰げる空海和尚をはしめ大なこん定をき卿みさき御せん其外参
詣のくんしゆ扱ミ有かたき御利やくやと共に一れんたくしやうの結
縁にあっからんと皆念仏をぞ申げる
空海芒め意召たのもしやくといよく吉セおうのひみつ
の巻をくはん念有か二りげる所にこくうに−はかにしんどうしてみ
てらもこくうにさかのほるかと皆たましいをうしないげり其時空海
っっ立あがりいかに参詣の人ミかたらすさはぎ給ふな是は某か母上
あこや御せんのぱうしんあらはれよこしまに我をはらみかやうにあ
たをなし給ふとみへたりいて仏法のきすいをあらはし弔ひ申さんと ふしこくうに︒むかい手を合しはらくくわん念ましませは其時こくうに声
あっておろか也空海汝出生して今げんざいに結縁をなすも是なにゆ
へそみつからか厚恩ふかきゆへならずやそれになんぞや我をうとみ
もろこしへ渡りげる此恨み生ミ世ミに至る迄いかてわすれんめぐり
あふこそさいわいなれ思ひしらすや思ひしれとよぱはる声ともろ共
にはたひろの大じやあらはれくれないのしたをふり立こずへをった 三重ひし其ふぜいすさましかりげる次第也こすへに︒しはらくやすらひて
井上市郎太夫正本﹃弘法大師出世之巻﹄ いかれるげしきおそろしやされ共空海手を合せおろか成御ことぽや四おんの内にわげてふかきはぶものおんいかでそりやくに存べきにや二うもんぼうしやむ一ぶ成仏のやうもんを眼にかげ光撃しんごん ︹桁字カ︺二百余遍浄のすかたすかたとへんしておかまれ給ふそ有かたきげに ︹マ・︺やだこくの罪人も光明しんごんのくりききにそく座にくげんののか
れげり有かたや直氏圭こ蓋婁くしん成仏ましくてかんせん
︹マ・﹂に光りをはなつて東西にとひさり給ふこんがうさつたひみつのしんごん仏法はんじ言めてたし共奈く申計はなかりげり
延宝七巳未四月下旬井上市良太夫直正本五九