【書評】 大東俊一『日本人の他界観の構造』 彩 流社 二〇〇九年 大東俊一著『日本人の他界観 の構造』を読む
著者 大貫 義久
出版者 法政哲学会
雑誌名 法政哲学
巻 6
ページ 51‑54
発行年 2010‑06
URL http://doi.org/10.15002/00007932
今日でも、日常的に「他界する」という言葉を普通に使っているが、しかし、その「他の世界」に想いを馳せることはほとんどない。他界は死生観にも関わるが、その「死生観」については、学校でも家庭でもほとんど教えられることはない。「私はどこから来て、どこへいくのか」という問いの一定の答を与えてくれる死生観が話題になる機会は、今日の日本では少ないだろう(死は誰にとっても避けられないことであるのに)。しかしかつては、豊かな他界観・死生観を日本人は持っていたのだ。そのことを『日本人の他界観の構造」は教えてくれる。この科学の時代にあって他界観など必要ない、と言うかもしれない。しかし、ほんとうにそうなのであろうか。豊かな他界観・死生観を持って 大東俊一『日本人の他界観の構造』彩流社二○○九年
大東俊一箸『n口本人の他界観の構造』を読む
【書評】いたかっての日本人の方が、人間を豊かに生きていたとは言えないだろうか。『日本人の他界観の構造』は、日本人の他界観の暖昧さを認めた上で、その他界観の祖型や原型といったものを歴史的に探究するのではなく、他界観が道教・仏教・儒教などの外来の宗教思想を受容・変容しながら時代を通して形成されてきた、その形成のロジックの構造を検討しようとする。そしてこの方針の下に、『古事記』『日本書紀」(八世にぼん紀前半)、『万葉集』(八世紀後半)から始めて、中世の『日本りょういきやまごえあみたず霊異記』(九世紀前半)や極楽浄土(山越阿弥陀図十~十二世紀)へと検討を進めることで、他界観の歴史的変遷の一局面を描き、さらには現代における民俗的行事の「京都
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の盆行事」にもふれることによって、いまも残る日本人の他界観の形成の特性を考察する。ここでは、枚数の制限もあるので、第一章を中心に、批評というよりも、その興味深い内容を紹介するに留める。第一章の「日本古来の他界観」では、『古事記』『日本書紀』や『万葉集』の中に、古代における日本人の他界観のたかまがはらよみのくにねの諸相を探り出す。ここでは他界は「高天原」「黄泉国」「根之かたすくにとこよのくに堅州国」「常世国」として登場し、多様なあり方を示す。記あしはらのなかつくに紀神話において「高天原」は、この地上の「葦原中国」と往来可能ではあるが、死者の赴く他界というイメージとはほど遠い、天上の神々の世界である。「黄泉国」について、大東俊一氏(以下著者と記す)は従来の説に異議を唱え、黄泉国は地下にあるのではなく、山上・山中.小高い丘の上、もしくは、その丘の向こう側に位置すると主張する。黄泉国は山上・山中.小高い丘の上(もしくは、その丘の向こう側など)の葬地に相当し、死してのちに魂が赴く地下他界ではない。黄泉国とは、人間が日常の生活を送る領域の外、すなわち、境外の葬地である。それゆえ、人間は時として遺体の状況を目にすることもある。黄泉国は、人間の五感の経験をもとにした具体的な死のイメージによって構成された世界である。「根之堅州国」は、黄泉国と同じ死後の世界であり、境 外の他界という点では同じである。しかし黄泉国が死の稔れに満ちた世界であるのに対して、根之堅州国は大国主神の逸話に見られるように、死の機れが浄化され、豊穣や再生という契機が強い。根之堅州国の特徴として具象性が乏しいのは、人間が根之堅州国のイメージの原点となっている空間に実際に行って見たことがないからであろう。黄泉国が遺体を埋葬する葬地であるなら、根之堅州国は遺体から遊離した霊魂が赴き、しばし滞在したのちに、この世への再生を果たす世界である。ここには、死者の霊魂は黄泉国を経て根之堅州国に赴き、いつかまたこの世界へ再生するという循環的な死生観を看取することができる。「常世国」は、海上はるか遠方に位置する道教的な不老不死の国である。そこでは、現世的生活を永世に享受するたしまもりうらのしまこみけいりののみことことができるが、田道間守、浦島子、一一一毛入野命の場〈□のように、死という否定的媒介を経ないではこの世と往来することができない。この世との往来が可能な高天原、黄泉国、根之堅州国とは異なって、常世国はこの世とは隔絶した世界である。常世国の他界性は、死者の赴く黄泉国や根之堅州国の有する他界性とは異なる。しかし、死という契機によって常世国がこの世と隔絶してはいても、その常世国での生活は(浦島子伝説に見られるように時間の経過速度などの違いはあるのだが)この世の生活と質的な相違は
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ない。ここには、死後の世界においてもこの世と同じ生活ができるようにとの願いが込められているのであろう。以上のような記紀神話における他界観は、それ以前の時代において変遷してきた幾つかの他界観がそこで一挙に投影されて表現されたものだと考えられよう。そして第一章の最後で著者は、記紀神話における他界の位相を、「近接」・「遠方」、「具象性」・「具象性の欠如」という四項目で、区別する。その著者の作業はもちろん注目すべきであるが、そこで明らかになる古代人たちの他界観の豊かさは驚嘆に値する。黄泉国や根之堅州国はこの世に〈近接〉する他界であるが、黄泉国は人が目にすることができる葬地のイメージを強く喚起するものであるのに対して、根之堅州国は、生きている人が目にすることのできない世界、すなわち、霊魂が赴き再生を果たす〈真の意味での他界〉であった。そして、黄泉国と根之堅州国が位置する所は、山中、山上、山の向こうなど、人間の日常の生活圏の外側である。とりわけ、真の意味での他界とも言える根之堅州国は、この世との位置関係も黄泉国よりもさらに暖昧であるとともに、具体的なイメージにも乏しい。従って、黄泉国は「近接」と「具象性」という項目に、根之堅州国は「近接」と「具象性の欠如」という項目に、そして「常世国」は、「遠方」と「具象性(Ⅱ現世的生活の延長)」と いう項目で区別されていく。著者によれば、記紀神話においては、何らかの他界性を有する世界が幾つか存在し、明確で唯一の他界を認めることはできず、古代人の他界観は暖昧に見えるが、しかし実際には「近接」・「遠方」、「具象性」・「具象性の欠如」という四項をめぐる様々な位相の中に存在していたのである。次に、『万葉集」における他界観の説明がなされる。『万葉集」においては、その歌を通じて、山中他界と、その向こうに広がる漠然とした天上他界とが、主要な他界として浮かび上がるが、記紀神話で優勢であった黄泉国や根之堅州国や常世国についての言及はほとんどない。しかし著者によれば、黄泉国は地下他界でなく、むしろ人間の日常の生活圏とは異なった山上・山中の葬地のイメージに起因する境外の他界であったから、黄泉国の観念は、『万葉集」に表出している山中の葬地に起因する山中他界と近似する。また、『万葉集」における天上他界は、記紀神話における根之堅州国と近似する。つまり著者によれば、根之堅州国は境外の他界として、人間の経験を越えており、その内実を五感の働きによって捉えることができないから、具象性に乏しい。同様のことが『万葉集」における天上他界にもあてはまるのである。人間の五感が及ぶのは、空に浮かぶ雲・霧・霞までである(歌では雲や霧などを亡き人の魂に見立
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てている)ので、その先に広がる、霊魂の赴く他界までは人々の想念は及ばない。根之堅州国と天上他界は構造的に似ている(もちろん、根之堅州国における豊穣・再生のイメージは、天上他界にはないのだが)。図式的に言えば、黄泉国と根之堅州国との関係は、山中他界と天上他界との関係に比定される。著者によれば、古代人の他界の原型は、この世に隣接する葬地としての境外の他界(黄泉国、山中他界)と、その向こうに広がる具象性を欠いた境外の他界(根之堅州国、天上他界)という構造である。そして前者が空間的性質を強く持つのに対して、後者は空間的性質が弱く、その場所を特定するのが不可能である。むしろ、根之堅州国・天上他界は、死者に関する思い出や様々な想いを包含しているので、ある種の時間的性質を持ち、その意味では、時空の融合体である(ここにも日本人の他界観における暖昧さの原因があると著者は主張する)。続く第二章では、第一章において明らかにされた「古代における他界観の位相構造」をふまえた上で、日本初の仏教説話集『日本霊異記」における他界観が説明される。その他界は、仏教が伝えた地獄と極楽といった二つの他界には分化しておらず、この世から比較的に近い所に存在し、この世と往来可能な他界という古代の他界観を引き継ぐものであった。さらに第三章で著者は、平安時代末期から鎌 らいごうず倉時代にかけての来迎図(山越阿弥陀図)において歩b、古来の山中他界を背景に、美しい自然風景を有する山の向こうに存在する他界(極楽浄土)が示唆されていることを明らかにする。最後の第四章では、現代まで京都に続く盆行事における、特に庶民の他界観が説明される。京都人にとって「あの世」は超絶的な遠方に存在するのではなく、生活空間からさほど遠いとは思われない境外にあって、祖先の霊は決まった期日に「あの世」と「この世」を往復することができる。そして、この生と死の往復運動を観念することが、死によって「この世」から断絶してしまうという恐怖心を和らげるのである。今後の医療の発達や社会の高齢化を考えたとき、ますます死生観が重要視されることになるであろう。そのときの死生観は、まさに「私の死と生」であるがゆえに、借りものでなく、日本人としてしっくりとしたものでなければならない。『日本人の他界観の構造』は、「私の死生観」を考察する際に、何らかの示唆を与えてくれるであろう。
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