視点,アイロニー,コンテキスト,歴史,
そしてジャクソン─メルヴィルの
『レッドバーン』を再読する
Point of View, Irony, Context, History, and Jackson:
A Rereading of Melville’s Redburn
福 士 久 夫
要 旨
本稿の『レッドバーン』の「再読」とは,大雑把には,『レッドバーン』が
「金のためにやった手間仕事」であったにもかかわらず,メルヴィルが『レッド バーン』においてどのように,「あまり自分を抑制しなかった」,「ほぼ感じるま まに物を言った」と言えるのかという問題視角からのそれである。本稿は,『レ ッドバーン』の登場人物のひとりであるジャクソンに読解の視点を据えること によって,この課題に答えることをめざす。ロランス・トンプソンが『メルヴ ィルの神との争論』(1952)において主張する,メルヴィルのアイロニカルな語 りの技法に則してジャクソンを読み解くと,作品が一方でジャクソンに付与し 続ける,表面的には否定的とみなさざるをえない,「悪魔」,「暴君」,「無神論者」
などに象徴される否定的イメージにそのまま依拠した,近年におけるいくつか の代表的な『レッドバーン』論が提示する否定的ジャクソン像とは異なる,も っと肯定的,積極的に評価しうるジャクソン像が浮かび上がる。それはたとえ ば,語り手でもあり,主人公でもあるレッドバーンに,「奴隷船」に乗組んだ時 の体験を語って,「奴隷」や「奴隷船」などの語を(作中で最初に)使うことに よって,『レッドバーン』の物語世界に,奴隷制とそれを支える奴隷貿易のコン テキストを与えるという役割を果たすジャクソン像である。こうして,読解の 視点をジャクソンにおいて読むと,『レッドバーン』は,メルヴィルはジャクソ ンを仮面にして相当にラディカルな物言いをしている作品であるという新しい 顔貌をみせることになる。
キーワード
アイロニー,コンテキスト,視点,歴史
メルヴィルは岳父のサミュエル・ショーに宛てた1849年10月6日付の 手紙で,『レッドバーン』と『白ジャケット』は「金のためにやった2つ の手間仕事です」と書く一方で,「これら2冊の本を書いているときに,
私は自分をあまり抑制しませんでした(略)。(略)私はほぼ感じるままに 物を言ったのです」とも書いた(Cor 138─139)。本稿の『レッドバーン』
(1849)の「再読」とは,大雑把には,メルヴィルが『レッドバーン』に おいてどのように,「あまり自分を抑制しなかった」,「ほぼ感じるままに 物を言った」と言えるのかという問題視角からのそれである。本稿の標題 中にみえる「視点」,「アイロニー」,「コンテキスト」,「歴史」,「ジャクソ ン」のうち,最初の4つのコンセプトはどれも,筆者が近年において,
『レッドバーン』に限らず,メルヴィルの諸作品を読み解く際に,たえず 意識してかかるべきであると考えている(筆者にとっての)基本的コンセプ トである。最後の「ジャクソン」は,主人公でもあり語り手でもあるウェ リンバロー・レッドバーンが語る物語の登場人物の1人である。本稿は 読解の視点をこのジャクソンに据える。ロランス・トンプソンが『メルヴ ィルの神との争論』(1952)において主張する,メルヴィルのアイロニカ ルな語りの技法に則してジャクソンを読み解くと,作品が一方でジャクソ ンに付与し続ける,表面的には否定的とみなさざるをえない,「悪魔」,
「暴君」,「無神論者」などに象徴される否定的イメージにそのまま依拠し た場合のジャクソン像とは異なる,もっと肯定的,積極的に評価しうるジ ャクソン像が浮かび上がる。それは,たとえば,語り手でもあり,主人公 でもあるレッドバーンに,「奴隷船」に乗組んだ時の体験を語って,「奴 隷」や「奴隷船」などの語を(作中で最初に)使うことによって,『レッド
バーン』の物語世界に,奴隷制とそれを支える奴隷貿易のコンテキストを 与えるという役割を果たすジャクソン像である。こうして,読解の視点を ジャクソンにおいて読むと,『レッドバーン』は,メルヴィルはジャクソ ンを仮面にして相当にラディカルな物言いをしている作品であるという新 しい顔貌をみせることになる。
筆者は本稿のための準備として,『レッドバーン』論そのものとしては,
上掲のロランス・トンプソンの1952年の著書(T)のほかに,ジェイム ズ・デューバンの1983年の著書(D),ジョン・サムソンの1989年の著書
(S),そしてキャスリン・マジェットの2013年の著書(M)の,それぞれ の『レッドバーン』についての章に目を通した。近年の研究書であるD,
S,Mの3著はともに,筆者と同様にTを読んでかかっている。ところが,
これら3著による船乗りのジャクソンの見方は,上に要約的に記したよ うな筆者の見方とは,截然と異なる。これら3著には,トンプソンのい うメルヴィルのアイロニーが促すジャクソンの肯定的評価は見いだし得な い。彼ら及び彼女は,トンプソンを参照したものの,メルヴィルのアイロ ニーがジャクソンの肯定的評価を促すという彼の主張には賛成できないの かもしれない。彼ら及び彼女は,船乗りのジャクソンは「ニューオーリン ズのジャクソン将軍の近親者」であるとする作中に与えられている情報か ら出発して,2人の間にいくつもの芳しからざる相似性─たとえば,
強烈な個人主義,利己主義,独善性,独裁者性など─を見いだし,虚構 上の人物であるジャクソンと歴史上の人物であるジャクソンのどちらにも 批判的評価を下すという批評の理路を辿っている。本稿は,近年における こうしたジャクソン評価とは異なるジャクソン評価の提示である。
1
メルヴィルにおけるアイロニーのことを考える場合,ロランス・トンプ
ソンの『メルヴィルの神との争論』(1952)(以下において『争論』と略記)を 繙いてみるにしくはない。本書は「神との争論」の視角からするメルヴィ ル文学におけるアイロニーの成立様態を全面的,徹底的に論じた,メルヴ ィルのアイロニーに関する古典的な研究書である。
以下において,筆者はまず,トンプソンによるメルヴィル文学の全体に おけるアイロニーの成立様態の剔抉,及び『レッドバーン』におけるアイ ロニーの成立様態の剔抉─の理路をやや詳細に辿り,そのことを通じ て,トンプソンが『レッドバーン』において作者メルヴィルが登場人物の 1人ジャクソンといかなる関係に立つとトンプソンが読み解いているの かを見届けることにしたい。
トンプソンは『争論』の「To the Reader」と題された序論部分におい て,メルヴィルの文学世界全般において,「当てこすり」,「諷刺」,「アイ ロニー」がどのように成立しているのかについて,以下のように述べてい る。
ひそかな内なる異端の信念に文学的なはけ口を与える喜びを求め て,メルヴィルはなおもあくせくしつづけたが,徐徐に,異端狩りか ら自分自身を防衛することができるような仕方で言いたいことを言っ てのける,ある複雑な種類の文体上と構造上の方法を定式化するに至 った。メルヴィルがその物語群において実験することのできた2つ の要素は,どんな物語を選ぶかということと,それらの物語をどのよ うに物語るかということ,であった。彼の小説のプロットは,しばし ば,彼のいわゆる異端的・冒涜的見地を鮮明で劇的な描写において提 示するこという目的に合わせて選ばれた。彼がこれらのプロットの提 示のために選んだ方法は画一的だったわけではない。メルヴィルは作 品の語りの次元で巧妙な工夫を凝らし,作中でときおり宗教上の疑念
や疑問を提示することに大いに熱中するとしても,彼の最終的な目標 はキリスト教の正統的な見地を賛美し崇めることにあるのだと見せか ける方法を選んだ。このような見せかけは,当てこすり(sarcasm), 風刺(satire),アイロニーの目的にとって,きわめて便利なものであ った。なぜなら,この見せかけは,物語それ自体,プロットそれ自体 が辿る反キリスト教的方向とは全く正反対の方向に,物語あるいはプ ロットが進行しているかのような錯覚を読者に与えたからである。メ ルヴィルは,持続的アイロニー(sustained irony)のこうした柔軟な定 式の範囲内で,自己防衛的な隠蔽(concealment),言い抜け(subterfuge), 欺瞞(deception),目くらまし(hoodwinking),嘲笑(ridicule)のための 数数の芸術的仕掛けを巧みに操ることのできるじゅうぶんな余地を確 保したのである。(6─7,( )による補足はすべて引用者)
そしてトンプソンは,『レッドバーン』についての章である第4章「幻 滅の 3局面」においては,『レッドバーン』において成立していると考え られる「3視点」について,以下のように論じている。
第1,メルヴィルが家で教えられた宗教的な理想主義でもって邪悪 な世界に立ち向かい,その結果,理想と現実との間に食い違いを発見 するという衝撃に悩まされる段階。第2,メルヴィルの[設定した]
語り手であるレッドバーンがこの「最初の航海」を回想し,彼[メル ヴィル]が「そのとき」考えたことと「今」考えていること(神の
「啓示された」言葉としての聖書への若い頃の信仰になおも執着する修正され た理想主義)との違いを対比することができる段階。第3,受け継い だカルヴィン主義の信仰に対する,それどころか,宗教的信条全般に 対する,懐疑的・風刺的態度,及び人間の生まれながらの諸権利の無
理からぬ自然な表白に干渉したあらゆる権威主義に対する,メルヴィ ル自身の暗に表明された反抗的な怒り(rebellious bitterness)の段階。
(Thompson 75 ( )による原語の補足は引用者,それ以外の( )はトンプソン)
トンプソンは,この「3視点」にみずからコメントして,「3つの互い に截然と異なる幻滅の自伝的局面をあらわす,それぞれレベルを異にする これら3視点は,メルヴィルが『レッドバーン』において用いている技 法上と文体上の様様な技巧[仕掛け]を読者が明確に認識したあとで初め て認知し得るものである」(75,[ ]は引用者)と書いているが,ここで言 われている「技法上と文体上の様様な技巧[仕掛け]」とは,上の「To the Reader」からの引用において具体的に指摘されている「様様な技巧」
の謂いと考えてよいであろう。つまり,このトンプソンの「3視点」説 は,『レッドバーン』の徹底した精読に立ってわかりやすく整理された,
いわば理念型としての「3視点」である。
ここでは,序論からの引用とは異なり,アイロニーという用語は使われ ていないが,第 1の視点,若い登場人物(アクター)としてのレッドバー ンの視点には,「理想と現実の食い違い」という認識の衝撃にともなう
「理想」と「現実」に対する一定のアイロニーが含まれていること,第2 の視点,語り手としての,もっと年をとっているレッドバーンの視点は,
そのような若いレッドバーンに対するアイロニーを含んでいること,そし て第3の視点,『レッドバーン』の作者であるメルヴィル自身の視点は,
若いレッドバーンともっと年をとったレッドバーンの両方に対するアイロ ニーを含んでいることは,容易に理解されるであろう。現にトンプソン は,上の引用の少しあとで,この「3視点」を「トリプル・アイロニッ ク・パラレリズム(triple ironic parallelism)」(78)と言い換えている。
2
では,トンプソンは,『レッドバーン』の第3視点を担う作者メルヴィ ルとジャクソンとの関係をどのようなものであると考えているであろう か。
このジャクソンという登場人物に明らかに魅惑されていたメルヴィ ルは,ジャクソンと,バイロンの『天と地(Heaven and Earth)』や『カ イン(Cain)』において,また『マンフレッド(Manfred)』においてさ えも,きわめて明快に提示されている,19世紀の悪魔派文学のサタ ン観(神の敵,人間の友)との間に,大きな共通点があるとする自身の 認識をそれとなく吐露しつづけた。しかし,『レッドバーン』におけ る悪魔派のサタン観への芸術的肩入れは,行為者(actor),語り手
(narrator),作者(author)の,段階的でそれぞれに異なる視点に関わ る,3層をなす語りの形をとっている。では,どのようにしてメル ヴィルは,文学的サタン主義の主題についての彼自身の見解を表明で きるのであろうか。それは,メルヴィルが彼の財布にお金を投じてく れると期待していた,あの正統的な見地に立つ読書界の心胆に不快感 を与えることのない韜晦と曖昧性によってである。サタン主義に味方 する彼自身の偏見に,サタン主義に反対する,なおも敬虔で正統的な 語り手レッドバーンの偏見を織り交ぜる,メルヴィルの文体の手品を 注視してみよう。(87─88,( )による原語の補足は引用者)。
トンプソンは上のように述べたうえで,第55章の末尾の連続する2つ のパラグラフを引く。つまりトンプソンは,そこにわれわれ読者が,彼の 言う「19世紀の悪魔派文学のサタン観」,すなわち,サタンを「神の敵,
人間の友」とみるサタン観,あるいは「文学的サタン主義」のメルヴィル 的現れをみてとること,また,ジャクソンの表象に具現されているメルヴ ィルの「サタン主義」を,語り手レッドバーンの「サタン主義に反対する 敬虔で正統的な」信条によってカモフラージュしようとする,作者メルヴ ィルの「韜晦と曖昧性」の「文体」をみてとることを期待しているのだと 言えよう。
今でもなお,あのジャクソンが寝箱の中で横になり,短い息づかい で,呪詛の言葉を喘ぎながら吐き出していたのを思い起こすと,私は きまって,世界の王座についていたあの厭世家─カプリ島の悪魔た るティベリウスのことを想起せずにはいられない。というのもこのテ ィベリウスは,みずからの意志で亡命の境遇に身をおいたときでさ え,肉体の苦痛と地上の呪われた者だけが知る言語に絶する精神的恐 怖とによって心を苛まれながら,それでもなお涜神の言葉を吐き続け るのをやめることができず,おのれの権力の邪悪な呪縛力の軍門に下 った者たちを1人残らず,わが身ともども,何が何でも滅びの地獄 へと引きずり込もうとしたからだ。それに,ティベリウスは,ローマ 皇帝の地位の継承者であったとはいえ,またその腐肉に古今に比類の ないタキトゥスが香油を注入したのだとはいえ,私はこのヤンキーの ジャクソンをティベリウスになんら劣らぬ威厳ある人物であり,同様 にまた,歴史に残る高尚な絞首台に値する人物であると思うのだ。た とえ彼が墓碑銘を持たぬ無名の流浪者だったのであり,彼が何者だっ たのかを私のほかにだれ1人語る者はいないのだとしても。という のも,邪悪さには,それが紫衣をまとっていようと,襤褸をまとって いようと,威厳は見当たらないからである。そして地獄はというと,
悪魔たちの民主主義社会である。そこではだれもが同等者だからだ。
地獄では皇帝ネロもみずから断罪した悪党どもといっしょに笑い声を あげているのだ。ナポレオンが実は戦争好きの人殺しでしかなかった のなら,私は彼に礼讃の言葉を献ずるつもりはない。それはちょう ど,私がそこらの重罪犯を礼讃しようとは思わないのと同じことだ。
ミルトンの描くサタンが私たちの嫌悪心を賞賛の水で薄めているとは いえ,それはもっぱら,ミルトンのサタンが純粋な悪魔ではなく,純 粋な原物を改変したものにすぎないからである。わたしたちは4つ の福音書から証拠をかき集めるだけでは,このサタンについて高く舞 い上がった幻想を抱いたりはしない。わたしたちが福音書から知るサ タンは悪の本質の化身としてのサタンだけである。こんなサタンを,
掏摸や夜盗以外のいったいだれが賞賛するというのであろうか。しか しこれは,わたしたちの詩の大祭司ミルトンの価値を貶めることでは ない。それはむしろミルトンの価値を高めることになる。つまりミル トンは,そうした純然たる悪(evil)を彼の素材とすることで,彼の 最も美しい詩作品を作りあげるということなのである。
しかし,地獄の呪われた者たちを地上で歴史的に列聖し,それらの 抜きん出た呪われた者たちを地獄から引き上げ賞揚するときには,わ れわれは悪の手本たる者たちを一堂に集め,あげくに,なにかの大い なる不法をなし名声を達成しようとする彼らの野望を呼び覚ますこと になるにすぎない。(R 276)
トンプソンは以下のようにコメントしている。
注意深い読者なら判別がついているはずであるが,上の引用箇所の 結論部分[2つめの短いパラグラフ]において語っているのは,敬 虔なるレッドバーンであって,ごく最近ベール(Bayle)の『辞典』の
購入を公表した,世界に幻滅しているメルヴィルではない。われわれ がこの結論部分の中にメルヴィルを見いだしたいのなら,われわれは
(聖書の4つの福音書から証拠を集めることによって)サタンが悪であるこ とを論証する敬虔な主張の足下に潜ってみなければならない。レッド バーンは,すべての人間は平等に造られているというルソー的コンセ プトを主張しようとする人々よりも自分のほうが優越していること に,パリサイびとのような誇りをもつ,「神の選民」の 1人だからで ある。「というのも,邪悪さには,それが紫衣をまとっていようと,
襤褸をまとっていようと,威厳は見当たらないからである。そして地 獄はというと,悪魔たちの民主主義社会である。そこではだれもが同 等者だからだ。」メルヴィル自身はジャクソンとの間に共通の絆を感 じとっている。その理由はメルヴィルもジャクソンも経験によって傷 つき,世界に対して苦い気持ちをもつに至っていることにある。(略)
メルヴィルがレッドバーンに,ジャクソンの内なるところには邪悪さ よりも禍(woe)のほうがより多く巣くっているように思われるし,
邪悪さはむしろ彼の被った禍から生まれ出てくるように思われる,そ してこれまでの人生でジャクソンほど同情した人間はほかにいない,
などと言わせるとき,メルヴィルはジャクソンに対する自分の内なる 応答の表明に最も近づいているのである。(88─89.( )による原語の補 足は引用者,それ以外の( )はトンプソン。また,引用中の最後の一文は,
『レッドバーン』第22章の最終パラグラフに基づいている。)
こうしてトンプソンは,ジャクソンとメルヴィルとの間に,「経験によ って傷つけられる」という共通の経験に起因する「共通の絆」─世界あ るいは歴史に対するビタネス/怒り/アイロニーの度合いが,ジャクソン とメルヴィルにおいて同等であるということ─をみてとるのである。上
の2つの連続するパラグラフは「ジャクソンの生涯の最期に近づく」と いう章題(ヘッドノート)をもつ第55章からの引用である。『レッドバーン』
は全62章構成であるから,第55章は終章に比較的近い章であり,ジャク ソンは第59章で絶命する。そして絶命以後は,語り手はジャクソンのこ とに言い及ぶことはない。こうして,第55章の最終の2つのパラグラフ をエヴィデンスとしてトンプソンによって果されたジャクソン評価は,メ ルヴィルの側から言うなら,ジャクソンの死のほぼ直前になって彼がジャ クソンに与えた総括的,最終的評価であると言えるであろう。
3
上でみたように,トンプソンは(作者メルヴィルのアイロニーの語りに導か れて)ジャクソンを肯定的に評価するときに,「禍」を鍵語と見ている。
そこで,以下において,作品の全体をつうじて(とはいっても,「トンプソン の結論的コメント」の最終の一文が依拠している第22章最終パラグラフにおける用 例は省く),「禍」という語がどのように使われているのかを見ることにし たい。それによって,メルヴィルがどのような人間の,どのような「禍」
に関心を払っていたのかが明らかになるはずである。「禍」の語を太字に して引く。また,その語が出てくる章名も太字で表記する。
第37章─「私たちが同胞の困窮と禍にとりかこまれているにもかか わらず,彼らの苦痛をかえりみず,自分自身の快楽の追求にふけるのだと したら,私たちは死骸と同席し死者の家で浮かれ騒ぐ者たちと似ているの ではないか」(R 184)。ここには,よく指摘されるメルヴィル文学の暗さの 秘密の一端があらわれている。第38章─「私も,どこかの天使が降臨 して,ドックの水を,彼ら[乞食たち]のすべての禍を癒してくれる(略)
万能薬に変えてくれますようと,祈りを捧げないわけにはいかなかった」
(R 188)。第38章─「であるからには,あなた方ふたり[=アダムとイ
ヴ]にとっても,この世界の禍の光景は,親としての本当の苦しみを味わ わせてくれるものとなるのではないか」(R 188)。このくだりの直前に,ア ダムとイヴの息子のアベルも引き合いにだされているが,ジャクソンは,
このアベルを殺したもう1人の息子であるカインに喩えられている。「彼 は海に浮かべるカインだ」(R 104,第22章)。第41章─「貧困,貧困,貧 困,通りをどこまで行っても,際限もなく続く光景だ。こうした惨めな通 りでは,困窮と禍が手と手を取り合ってよろめき歩いているのだ」(R 201)。 第56章─「もしも私たちが彼[ハリー・ボールトン]の肩に重くのしか かる禍に似たものを実際に経験したことがないのだとするなら」(R 279)。
最後に第58章─「諸君は(略)何も見ない。諸君は(略)何も聞かな い。諸君は(略)何も見ない。諸君は(略)注意を払うことはない。─
すべてはそれぞれ一個の空白である。そして私がハイランダー号の惨禍
(calamity)をこまごまと述べ立てたのは,こういった空白の1つを埋めよ うとしたにすぎない。/私が目にしたあわれな移民たちの最後の禍をたち まち忘却の淵に追いやる,あの人間の自然の情(natural tendency)のほか にも,いくつか理由があって,それらの理由が結託して,今述べたような 災厄(disasters)の詳細な状況説明を禁圧しようとする。そうした事柄は,
広く知られると,船に好ましからぬ影響を及ぼし,船の悪評を招くことに なるからだ」(R 292)。まず指摘したいのは,この一節を読むと,メルヴィ ルがなぜアイロニーへと傾くのか,よく理解できるということがある。メ ルヴィルの見立てによれば,世間は「禍」が「広く知られる」ことを望ん でいないのである。また,ここで,「woe(s)」は「calamity」や「disasters」
に言い換えられていることはなかなかに注目に値する。筆者はこの箇所な どからヒントを得て,本稿において,「woe(s)」に一貫して「禍」という 訳語を当てている。
4
次に筆者は,トンプソンから離れて,とはいえ,上で見た,第55章の 2つのパラグラフの分析をとおしてトンプソンが導き出したジャクソン 評価と親和的な,あるいはそのような評価の深化ないし充実化につながる ジャクソン評価─そのようなジャクソン評価に裨益するエヴィデンスを みてとることができると筆者が考える,いくつかの箇所を検討することに したい。
まず検討してみたいのは第12章第4パラグラフである。第12章は,第 1パラグラフにおいて,語り手のレッドバーンが「この船乗りについて は,私がこの物語を進めていくにつれて,もっと語ることになる。それゆ え,ここで少し,彼のことを述べておくことにしたい」(R 56)としている 章であり,ジャクソンについての情報がまとまった形で読者に提示される 最初の章である。この章には,筆者が注目すべきであると考えるパラグラ フがいくつも書き込まれている。第4パラグラフがその1つである。そ れを検討する前に,第2パラグラフと第3パラグラフにおいて,ジャク ソンはどのような人物であると語られているかを見る。
ジャクソンは「もともとはニューヨーク生まれ」であり,「バワリー通 り 」 風 の 服 装 を し て い て い る。 彼 は ニ ュ ー ヨ ー ク の「 ご ろ つ き
(highbinders)」や「無法者(rowdies)」のことを「絞首台にのぼるしか能の ない輩」だと一蹴するが,語り手に言わせると,「そうのたまう彼がハイ バインダーそっくり」である(R 56,第2パラグラフ,( )による原語の補足 は引用者)。ジャクソンは,「ニューオーリンズのジャクソン将軍[のちに アメリカ合衆国第7代大統領(1829─37)となるアンドルー・ジャクソン]
の近親者」と自称し,これを否定しようという奴は許さないと凄む。「船 随一の優秀な海員」であるとはいえ,「とんでもない弱い者いじめ」であ
る。あらゆる面で「威圧的」である。平水夫たちは,だれもがみな,彼を
「恐れ」ている。しかし,肉体的には,ジャクソンは「全乗組員の中で最 も虚弱」で,語り手は少年にすぎなかった「当時の私の力でも,十分投げ 飛ばすことができたはず」と書いて,偶像破壊を仄めかしている。「臆面 もなく鉄面皮」で,「見るもおぞましい面体」である。「教育を受けていな い」が,「本性的に驚くほどに賢く,狡猾な男」であり,「人間の本性」を 徹底的に見抜いている。彼は「このうえなく深く,このうえなく精妙で,
このうえなく悪魔的にみえる目」をしていて,「今日に至るまでこの目は 私にとり憑いて離れることがない」(R 57,第3パラグラフ,[ ]による補足 は引用者)。
第4パラグラフは,主要には,「奴隷船」に乗組んでいたときのことを,
「悪魔的な興奮の色を浮かべなら」語った体験談の語り手による報告であ る。みずからの悪行を得得として語るジャクソンがここにはいる。
このジャクソンが何歳だったのかを判別することは不可能であっ た。(略)彼は30歳に見えたかもしれないし,あるいはことによると
50歳に見えたかもしれない。しかし彼自身の話によると,彼は 8歳
のときからずっと海に出ているのだ。最初はインドの船でキャビンボ ーイとして海に出て,カルカッタで脱走した。また,彼の話では,彼 は世界でも最悪の悪所を訪れて,ありとあらゆる放逸と自暴自棄に身 をまかせてきたのだという。彼はアフリカ海岸で交易するポルトガル の奴隷船に乗組んだこともあった。そして悪魔的な興奮の色を浮かべ ながら,よく中間航路の話をしたものだが,そこでは奴隷は,まるで 丸太のように,踵と鼻先が奴隷どうしで互いに接触するほど隙間なく 詰め込まれ,窒息した奴隷と死んだ奴隷は足枷を外され,毎朝生きて いる奴隷の間から(略)雑草のように引き抜かれたのだという。奴隷
貿易につくスクーナー船に乗っていたときの話もした。このときに は,船はヴェルデ岬沖でイギリスの駆逐艦に追跡され,船腹に3発 の砲弾を受けたが,それは鉄鎖で繫がれていた奴隷の列を徹底的に掃 射しつくしたのだという。(R 57,強調はメルヴィル)
しかし,メルヴィルは実はここで,ジャクソンのかつての「奴隷船」体 験談をとおして,『レッドバーン』の物語世界に奴隷制とそれを支える奴 隷貿易というコンテキストを付与しようとしているのである─と考える こともできる。
それにしても,本引用におけるジャクソンの奴隷船体験を,特にポルト ガルの奴隷船に乗組んでいたときの,「イギリスの駆逐艦に追跡され」
云々のくだりなどを,今日の読者が十全に理解するためには,19世紀前 半期において,ポルトガル,イギリス,アメリカなどの国々が,奴隷制自 体と奴隷貿易にどのように対処していたかについての一定の知識が必要と されるであろう。筆者は田所昌幸編『ロイヤル・ネイヴィーとパクスブリ タニカ』とスティーヴン・デールの「アメリカ生活における国内奴隷貿 易」というサブタイトルをもつ2005年の著書から得難い知見を得たので,
本稿の読者の参考に供したい。
前者については,巻末に掲げられている「関連年表」(241─46)と,第 1章をなす君塚直隆の「自由主義外交の黄金期─バーマストンと奴隷 貿易」(23─46)の記述が参考になる。「関連年表」によると,「1807年3月 イギリス帝国内での奴隷貿易を禁止」,「1841年12月 奴隷貿易禁止と 相互臨検・拿捕についての五大国条約」,「1842年7月 ポルトガガルが 奴隷貿易禁止に最終合意」とある。君塚の論説には,以下のような記述が 見える─「1807年にはイギリス船による奴隷貿易が正式に禁止された」
(24),「1833年には,イギリス帝国のすべてにおいて奴隷制度それ自体が
廃止されるに至った」(24),「イギリスでは,1807年に奴隷貿易が違法と されて以来,自国商船による密貿易を厳しく取り締まる目的で,11年ご ろからロイヤル・ネイヴィーが大西洋を定期的に巡回するようになってい た。(略)彼らの最たる任務が奴隷貿易の取り締まりであった。イギリス が他国と奴隷貿易禁止条約を結ぶようになると,ロイヤル・ネイヴィーに よる取り締まりは相手国の商船にまで及んでいく」(25),「奴隷貿易を取 り締まるロイヤル・ネイヴィーにとって最大のネックとなっていた問題 が,臨検・拿捕を許していない国の船籍を有する奴隷船の取り扱いであっ た。イギリスに続き1808年に奴隷貿易を[合衆国憲法第1条第 9節第1
項(飛田1199)に基づき]禁止したアメリカ合衆国も,27年から大西洋で
奴隷貿易を取り締まるようになったフランスも,ともにイギリスの政策に は理解を示したが,自国商船を臨検できる権利まで与えるつもりはなかっ た」(26),41年の「五大国条約」が結ばれるまでは,「フランスやロシア の国旗をつけた商船が奴隷貿易を行うような場合が多かった。しかし,最 も多かったのはアメリカの星条旗,そしてスペイン,ポルトガルの国旗の 下に密貿易に精を出す奴隷船であった。中でもポルトガル船の蛮行ははな はだしく,1838年10月から39年4月までの半年間だけでも37隻の奴隷 船がアフリカからリオに入港していた。さらにハバナでも,1837年に48
隻,38年には44隻のポルトガル船籍の奴隷船が確認されていた。ところ
が,相互臨検の権利が認められていなかったため,さしものロイヤル・ネ イヴィーでも手が出せなかったり,死闘の末にせっかく捕まえても無罪放 免とされてしまう場合が多かった」(26)。
デールは「イントロダクション」においてこう書いている。─「奴隷 の売買はまえまえからアメリカ社会の一面だったのだが,この交易の性格 は時間の経過とともに変化した。17世紀と18世紀に英領北アメリカで売 られた奴隷のほとんどは,アフリカあるいは西インド諸島から輸入され
た。とはいえ,18世紀の中葉までには,小規模な,特定の地域に本拠を おいた国内奴隷貿易もまた行われるようになっていたのだが。アメリカ革 命のあと,これが様変わりした。奴隷貿易は北アメリカの領土内のものと なり,毎年毎年,何千人もの奴隷にされた男たちや女たちをアッパーサウ ス(北南部)からロワーサウス(南南部)へ輸送し,そしてロワーサウスの 各地域では,もっと多くの人数の奴隷たちをある1人の所有者から別の 所有者へと移動させた」(4)。「1790年から1870年までの間に,アメリカ 人は100万人を越えるアフリカ系アメリカ人の奴隷をアッパーサウスから ロワーサウスへと輸送したが,これらの奴隷たちのおよそ3分の 2は奴 隷貿易の結果としてアメリカに到着した奴隷であった。これらの奴隷の 2倍の数の奴隷がロワーサウスの各地域で売られた。この時期,奴隷の 売りだしは南部のあらゆる町や村で行われ,奴隷の「縦列」(鎖で数珠繫ぎ された奴隷集団)は南部のあらゆる公道,水路,及び鉄道で目にすること ができた。国内奴隷貿易はそれを構成しているすべての部面において南部 奴隷制を生きながらえさせる命の血に外ならなかった。これがなかったな ら,奴隷制は途絶えていただろう」(4,( )による補足はデール)。
以上からはっきりすることは,ジャクソンが乗組んでいたポルトガル船 籍の奴隷船が,イギリスの駆逐艦,つまりロイヤル・ネイヴィーの駆逐艦 によって「追跡」され「砲弾」をくらったのは,条約によって禁止されて いた奴隷の(密)貿易を行っていたせいであること,またアメリカにおい て,特にその南部において,奴隷の国内貿易が活発に行われ,それがアメ リカの奴隷制を支えていたこと,そしてまた,少なからぬ数のアメリカ船 籍の奴隷船も(憲法によって禁止されていた)奴隷の(密)貿易に手を染めて いたという事実である。こうして船乗りのジャクソンが語る「奴隷船」体 験は,彼の「近親者」であるジャクソン将軍の時代,ひいてはジャクソン 大統領のいわゆる「ジャクソニアン・デモクラシー」の時代,つまりは
『レッドバーン』が全体として描き出している時代は,奴隷制とそれを支 える奴隷貿易によって特徴づけることのできる時代であることを明かし立 てるのである。
5
第12章第 4パラグラフでは,上で見たように,「奴隷」,「奴隷船」,「奴 隷貿易」などの語が集中的に使われていて目につく。そこで,これらの語 を意識しながら,作品を最初から読み返してみると,これらの語や関連語 が第12章以外の諸章でもかなりの回数にわたって使われていることがわ かる。(以下において,当該箇所が出てくる章名及び「奴隷」の語を太字で示す。)
第13章の最終パラグラフ─「なんとも惨めな犬のごとき境遇だ,こ の海の生活は! 奴隷のようにこき使われ,騾馬のように働かされると は! 下品で獣のような男たちが私に威張り散らす。まるで私はアラバマ のアフリカ人みたいだ。そうだ,そうだ,風よ,吹け,吹き続けて,この ひどい航海を速やかに終わらせてくれ!」(R 66)。第24章─「それに,
反逆する帆布を支配し,それを奴隷のように円材に結びつけ,あのガスケ ットでぐるぐる巻きにするときには,誇りと力の感触が感じられた。リチ ャード王がワット・タイラーの反乱軍を蹂躙したときに感じた感覚は,き っとこういうものだったに違いない」(R 116,「ガスケット」の強調はメルヴ ィル)。ここでは,「奴隷」が「反抗」や「反乱」のイメージと巧みに結び つけられている。第31章─「これらの憂いに満ちた捕囚たちの姿はネ ルソンの主な戦利品を表わしている。しかし私は彼らの浅黒い四肢と鉄の 桎梏を見ていると,市場でみた4人のアフリカ人奴隷のことをいつも思 い出した。/そして私の思念はヴァージニアとカロライナに戻っていき,
アフリカ人奴隷の交易がかつてはリヴァプールの主要な交易を構成してい たという歴史的事実のことにも戻っていった。(略)この町の繁栄はこの
奴隷貿易の遂行と解き難く結びついているのだ。また私は,ニューヨーク の家を訪ねてきた紳士たちに父がしばしば語っていた話のことも思い出し た。奴隷貿易廃止の議論がリヴァプールにもたらした不幸のこととか,さ もしい利害と人道主義の相克で貿易商たちの炉辺は嘆かわしい混乱に陥っ ているとか,[奴隷の]親から引き離され[て売られ]た息子とか,[奴隷 の夫婦の]妻から引き離された夫の話とかであった。そしてまた,私の思 いは父の友人で,善良で偉人だったロスコー(Roscoe)氏,あの奴隷貿易 に対する勇気ある反対者のことに戻って行った。彼は秀でた才能の数々を その抑止のために振るったのだ」(R 155─56)。筆者のコメント─ここで は,「奴隷」の主題が,メルヴィル研究者にはなじみの深い連想の美学,
連想の語りを通じて展開されている。
第32章─「上述した数基のドックの中に,王や女王の名前が付けら れているものがある。当時そういった名前は,私にしばしば,アメリカの 私の出身地である村の 2つの大通りを思い起こさせた。その2つの通り はかつて同じ王や女王の名前を持っていたからである。しかしそういう名 前が付けられたのは,「独立宣言」以前のことで,それから数年たつと,
自由の熱が沸騰し,熱狂するタウンミーティングの場でそれらの名前は廃 絶された(略)」(R 162─63,強調はメルヴィル)。筆者のコメント─「独立 宣言」自体の中で奴隷制の廃止が謳われることはなかった。いわゆる建国 の父たちの間で妥協が図られたのである。第35章─「なかでも私が覚 えているのは,[アフリカの]ギニア海岸から来た1隻のブリガンティン だ。外見からして,奴隷船の典型である。船体が低く,黒く,船首はクリ ッパー作り,甲板はこの上なく海賊船めく乱雑さを呈していた」(R 174─
175)。第40章─「どんな哲学者も犬や馬ほど徹底的にはわれわれ人間を 理解していない。犬や馬は一目でわれわれ人間を見抜いてしまうのだ。結 局のところ,馬とは,革のオーバーオールを着た,4本足の物言わぬ人
間の種族以外の何であろうか。なにしろ馬ときたら,たまたま燕麦を主食 としているけれども,2本足の木を切る人びとや水をくむ人びとのよう に,半ば報いられ,半ば虐げられながら,ご主人さまのようにあくせくと 働くのだから」(R 197)。筆者のコメント─「木を切る人びとと水をくむ 人びと」とは,筆者が「福士2010」で論じたように,旧約聖書の申命記
(29:10)とヨシュア記(9:23)に出てくる言い回しであり(新共同訳聖書 を参照した),事実上の奴隷を意味する。第41章─「当時強く印象付け られた,割愛するわけにはいかないことが1つある。それは黒人(negroes)
がいないことだった。アメリカの「自由州」の大きな町では,黒人が必ず と言ってよいほどに貧窮民のかなりの部分を占めている。しかしリヴァプ ールの[貧窮民で溢れる]これらの通りで黒人となると,只の1人も目 にすることができなかった。(略)というのも,あの国では[アメリカで は],土着の乞食とでもいうべき人間はほとんど知られていないからであ る。それにアメリカ生まれのアメリカ市民であることは,貧困に陥らない 保障のように見える。このことはおそらく投票の功徳に起因するであろ う」(R 202─203,強調はメルヴィル)。筆者のコメント─「自由州」の反対 語は「奴隷州」である。「自由州」の「大きな町」などには,自由黒人と 呼ばれる人びとが住んでいたが,彼らは「貧窮民」であることが多かった と,ここでは語られている。「あの国では」以降の部分は,ある種の読者 の気持ちを慮ったアイロニーであろう。第41章─「実際リヴァプール では黒人(the negro)はもっと誇り高い足取りで歩くし,人間らしく頭を もたげている。というのも,この地では,アメリカで見られるような,黒 人に対する誇張された感情は存在しないからである。(略)/当時私はと ても若く未熟だったし,無意識のうちにそういった地方的,社会的な偏見 に押し流されてもいたから(略),最初は私も,黒人(a colored man)のこ の地での遇され方には驚いた。しかし(略)そうした遇し方は,結局のと
ころ,人間性と通常の平等を要求する黒人の権利を容認したということに 外ならない。それゆえ,いくつかの事柄に関して,私たちアメリカ人は,
私たちのあの「独立宣言」の冒頭に謳われている原則の実行を他国にゆだ ねているわけである」(R 202)。
第45章─「ターバンを巻いた女人奴隷像の脚が支えているムーア風 の食卓」(R 228)。筆者のコメント─ここからは,ムーア人の女性奴隷の イメージを垣間見ることができる。第47章─「綿花の梱のように格納 され,奴隷船の奴隷のように詰めこまれている,寄る辺なき移民たち」(R 241)。筆者のコメント─「綿花」はアメリカ南部の奴隷プランテーショ ンの主産物なのだから,「綿花」という語は奴隷を想起させる。第47章
─「ハイランダー号の一等船客は全部で約15名を数えたが,「無法なア イルランド人」移民客による不法侵入から貴族階級を守るために,メイン マストの近くで船の竜骨と直角にロープが張られていた。これが三等船客 として 3ポンド払った者を,一等船客として20ギニー支払った者を区切 る境界線なのだ」(R 242)。筆者のコメント─「ギニー」金貨という名称 は,アフリカのギニア産の金で鋳造されたことに因源するとされている。
第49章─「漆黒の肌色のヌビア人(Nubian)の奴隷たち」(R 251)。第49 章─「ならば,カルロよ! わがイタリア少年のきみを迎える不親切な 声には禍あれ。様様な光景と音を現出させるきみの賛嘆すべき箱[オルガ ンのこと]を,仕える殿様の館の玄関口から追い払う奴隷には呪いあれ!」
(R 251)。第51章─「ある晩,ジャクソンは,三等船室の移民たちの間 に,リガ船長が彼らを北アフリカのバーバリ(Barbary)[海岸]に連れて 行き,全員を奴隷として売り払うつもりだぞという噂を流した。年寄りの 女たちの何人かはこれをほとんど信じ,子供たちは大泣きして騒いだが,さ すがに男たちはこんな途方もない話を信じたりはしなかった」(R 260)。
もう1箇所忘れずに指摘しておきたいのは,第27章の次の一節である
─「アイルランドよ! 私はロバート・エメット(Robert Emmet)のこ とを思った。(略)私はトミー・モア(Tommy Moore)のことを,そして彼 の恋の詩のことを思った。私はカラン(Curran)のこと,グラタン(Grattan)
のこと,プランケット(Plunket)のこと,そしてオコンネル(OʼConnell)
のことを思った」(R 124)。
筆者のコメント─この一節に出てくるのは,イングランドのアイルラ ンド併合に異を唱え,それぞれの立場から,それぞれの仕方でアイルラン ド独立運動に関与したと思しいアイルランド人の名前だけであり,直接に 奴隷や奴隷制を想起させる言葉は見当たらない。しかし,当時の読者の知 る人は知っていたはずであるが,[ダニエル・]オコンネル(1775─1847)
は「解放者(the Liberator)」,つまり,カトリックの「解放者」として名を 馳せただけではなく,大西洋の両岸で知られたアボリショニストでもあっ た。シオドア・W・アレンによれば,彼は「筋金入りのアボリショニス ト」(32)であった。アレンが示しているように,オコンネルの奴隷制廃 止を訴える数々の語気鋭いスピーチは,アメリカの奴隷制廃止論者ウィリ アム・ロイド・ギャリソン(1805─79)がボストンで発行していた週刊紙
『リベレーター』にきまって掲載された。だから,オコンネルという名前 は,実は,読者に奴隷制の問題を想起させたかもしれない名前なのであ る。ところで,オコンネルが「[イングランドによるアイルランド人に対 する]人種的抑圧に抗する戦いの比類のないリーダー」であったとはい え,他方で「因襲的なブルジョア革命家」であることを免れ得ず,アイル ランドの「大衆/労働者階級(the masses)」に「不信の念をいだく」あま りに,「ついには彼が創出した運動の条理から撤退した」(169)とアレン は指摘している。メルヴィルは『レッドバーン』(1849)の直前作『マー ディ』(1849)の第152章において,オコンネルを虚構化した人物であると 考えられる「コンノ」という名前のすでに死亡している人物(オコンネル
の没年は1847年)を,登場人物たちに,「コンノは悪党だったのじゃ」(歴史 家モヒ),「彼は偉大な男だった。なぜと言って,たとえ彼が自分の国を甘 言で丸め込んだのだとしても,普通の人にはとてもああはできなかっただ ろうからな」(哲学者バッバランジャ)(Melville 1982, 1151)などと論評させて いる。このメルヴィルの同時代におけるオコンネル評価は,現代の歴史家 によるオコンネル評価─二面性の剔抉─と,おどろくほどの符合を見 せている。段落をあらためて,コメントを続ける。
シオドア・アレンはオコンネルを以下のように論じている。─「オコ ンネルは奴隷制度だけではなく人種的抑圧一般を終わらせようと心に決め ていた。彼は,アフリカ系アメリカ人を開放する自由の根拠の否定,彼ら の投票権の行使,公共交通機関やその他の公共施設の利用などにおける平 等な権利の否定,彼らの公民権一般の否定などを,「アメリカ独立宣言」
の意見とたえず対比させた」(170),「合衆国の支配層を構成するプランテ ーション・ブルジョアジーは,(略)「アメリカの問題に口出ししている」
として,激しくオコンネルを非難した」(170)。アレンはまた,アイルラ ンドの「カトリック解放者」(171)としてのオコンネルとの関連で,次の ように論じている。─「アメリカの奴隷廃止論者たちは,アメリカの指 導層およびアイルランド系アメリカ人たちの中の庶民層が,ほぼ全面的に 反廃止論の立場に立っていることの重要性と重大性をよく心得ていた。カ トリック教徒のアイルランド系アメリカ人たちは,民主党,すなわち奴隷 制の党であることを公然と認めている政党の中に,ほぼ完全に束ねられて いた。さらに,1840代の初頭までには,合衆国のカトリックの聖職者と 出版物の中に,ギャリソン流の奴隷制廃止論の原則と方法は国の安全にと って脅威であるだけではなく,カトリックの倫理や理想と対立するもので もあるとする,「全員一致といってよいほどの意見の一致」が見られた」
(171─72)。
以上から,メルヴィルが奴隷の存在ひいては奴隷制に読者の目をむけさ せようとしていることは明らかであると考えられるが,すでに論じたよう に,レッドバーンの語る物語において,最初に「奴隷」や「奴隷船」とい う言葉を使うのはジャクソンである。ジャクソンはそのような役割を担っ ている。
6
次に本稿が検討するのは同じ第12章の第17パラグラフである。冒頭部 分を省略して,以下にひく。
その2人はどちらが海の経験が長いかをしばらく言い争いをつづけ ていたが,そのあとジャクソンは一喝して黙らせ,それから一方の男 に,きさまの口を開けてみろと命じた。実を言うと,俺はな,船乗り の年は馬の年と同じくらいちゃんとわかるんだ─歯を見ればな,と 彼が言う。そこで,男は笑って,口を開けた。ジャクソンは甲板から 光が射しこんでいる天窓の下まで男を連れて行った。次に男に首をの けぞらせておいて,口の中を覗き込み,ジャックナイフで口の中をち ょっと検査した(略)。私はこのあわれな男に同情して,身震いした。
男はちょうど,彼の喉を掻っ切ろうとするそぶりを見せる,気違いの 床屋の手の下で横たわっているかのように見えた。男はその間ずっ と,顔に石鹸を塗られた状態で,身動き1つしないで座ったままで あり,今にも髭剃りが始まるのを待ち構えているのだ。というのも,
私はジャクソンの目玉を見つめていたのだが,それがギラギラと光り ながら動いているのが見えたのだ。目玉が飛び出したり引っ込んだ り,まるで,ふたまたに割れた舌か何かのようであった。どいうわけ か,彼は男を殺したがっているかのように私には思われた。しかし,
彼はやっと落ち着きを取り戻した。そして検査を終えると,彼は言っ た。初めの男のほうが年上である,彼の歯並のほうが平坦で,摩耗が すすんでいるからだ。これは堅い海のビスケットを長年にわたって食 べ続けたせいだ。おれが船乗りの年を馬の年と同じように数えられる と言ったのはそういうわけだ,と。(R 60)
ジャクソンは語り手によって剃刀を振るう「床屋」に見立てられてい る。ここを読むと,メルヴィルの諸作品になじんでいる読者なら,彼の中 短編「ベニト・セレノ」(『パトナムズ』誌に1855年10月号,11月号,12月号に 連載され,のちに1856年の『ピアッザ物語』(1856)に収録された。本稿では『ピ アッザ物語』収録版のテキストを使用する)の,下に掲げる有名な場面を必ず 想起するはずである。そして,この卓抜な「髭剃り」の着想を,メルヴィ ルはすでに『レッドバーン』の段階で得ていたのだと知って,一驚する。
メルヴィルは『レッドバーン』の第40章で,語り手の口を借りて,「床屋」
を剃刀で「顎を苛む仕事」(R 195)として,もういちど引き合いに出して いるから,よほどこの意匠が気に入っていたのである。そしてのちにこの 意匠を,以下のように,「ベニト・セレノ」において,みごとに再使用し てみせるのである。先回りして以下の場面に若干の説明を加えるならば,
「黒人」─名前をバボという─は奴隷反乱の首謀者。「スペイン人」は 反乱を起こされ,奴隷たちの統制下におかれている奴隷船の船長,ドン・
ベニト。そして「デラノ船長」は,海上に見える船の様子がおかしい,何 か手助けでもできるのではないかと,自分の海豹猟の船から部下の漕ぐボ ートで様子見にやってきた,事情を知らないアメリカ人船長である。
洗面器を下し,黒人(the negro)はいくつもある剃刀の中から一番 鋭いのを探し,それを見つけると,自分の開いた掌の,硬くて,なめ