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津 軽 弘 前 藩 の 武 芸 ㈱
‑ 資 料 紹 介 ‑
寺 山 家 所 蔵 ・ 武 芸 関 係 古 文 書 等
㈲︻臼
ま え が き
内 容 の 紹 介
二 、 甘 EE 洗 太 刀 (頼 術 ) 写 真 川 瀬
1 、 「宮 田 流 太 刀 目 録 一 」
内 題 「富 田 流 太 刀 表 目 録 」
延 宝 三 年 ( 一 六 七 五 )
2
、 「富 田 流 太 刀 目 録 二 」
内 塞 「富 田 流 太 刀 裏 目 録 」
延 宝 三 年 ( 一 六 七 五 )
3、 「富 田 流 太 刀 目 録 三 」 巻 子 本
七 月 廿 五 日 、 富 田 甚 五 兵 衛 尉 吉 正 よ り 浅 利 伊 兵 衛 あ て 。
巻 子 本
七 月 廿 五 日 、 富 田 甚 五 兵 衛 尉 吉 正 よ り 浅 利 伊 兵 衛 あ て 。
巻 子 本
内 題 「宮 田 流 太 刀 中 極 目 録 」
延 宝 三 年 ( 一 六 七 五 ) 七 月 廿 五 日 、 富 田 甚 五 兵 衛 尉 吉 正 よ り 浅 利 伊 兵 衛 あ て 。 太 田 尚 充
4
、 「富 田 流 太 刀 目 録 四 」 巻 子 本
内 題 「富 田 流 太 刀 許 極 意 目 録 」
延 宝 三 年 二 六 七 五 ) 七 月 廿 五 日 、 菖 EE 甚 五 兵 衛 尉 吉 正 よ り 浅 利 伊 兵 衛 あ て .
5
、 「富 田 流 太 刀 許 之 巻 五 」 巻 子 本
内 題 「富 田 流 太 刀 許 極 意 之 巻 」
延 宝 三 年 ( 1 六 七 五 ) 七 月 廿 五 日 、 富 田 甚 五 兵 衛 尉 吉 正 よ り 浅 利 伊 兵 衛 あ て .
6
、 「富 田 流 虎 口 之 巻 六 」 巻 子 本
内 題 「虎 口 之 巻 」
延 宝 三 年 二 六 七 五 ) 七 月 廿 五 日 、 富 田 甚 五 兵 衛 尉 吉 正 よ り 浅 利 伊 兵 衛 あ て .
7
㌧ 「宮 田 流 太 刀 許 時 供 物 之 巷 」 巻 子 本
内 題 「富 田 流 太 刀 許 之 時 備 壇 上 候 供 物 之 事 」
延 宝 三 年 二 六 七 五 ) 七 月 廿 五 日 、 富 田 甚 五 兵 衛 尉 吉 正 よ り 浅 利 伊 兵 衛 あ て .
8 ㌧ 「昔 日 流 太 刀 嫡 博 之 巻
内 題 「富 田 流 嫡 博 之 巻 」 巻 子 本
延 宝 八 年 二 六 八 〇 ) 九 月 十 五 日 、 昔 日 半 兵 衛 尉 吉 正 の 朱 印 こ 化 押 は あ る が あ て 名 は な い 0
9㌧ 「富 田 流 太 刀 印 可 之 巷 」
内 題 「返 起 請 文 之 事 」 巻 子 本
延 宝 八 年 ( 1 六 八 〇 ) 九 月 十 五 日 、 富 田 半 兵 衛 尉 吉 正 の 花 押 (朱 印 な し ) が あ る .
あ と が き
ま
え が
き当﹃文化紀要﹄第二十五号(昭六二・三・二三)の拙稿「津軽弘前藩の武芸㈲」の「古文書目録(稿)一覧」の二、
103
富田流太刀(勧術)の部には、Iから18まで一八点の資料の目録を掲載している。実は本稿にこの一八点の全資料を
一度に紹介する予定であったが、投稿規定分量の制限からあまりに超過するので、今回はその中のIから
9
までの九点を紹介することにした。
この九点は、津軽弘前藩に伝わる富田流太刀に関して写本は一点もな‑、すべて原本である。この意味で本稿に紹
介する資料は、富田流太刀にとって重要であると考えられる。
内容の紹介
凡 例 仙 冊 子 本 、 巻 子 本 等 の 表 紙 に 題 箸 (葦 ) あ る い は 外 題 が あ る 場 合 に は 、 そ の 題 名 を 「 」 で 示 し た 。 「 」 の な い 題 名 は 、 内 容 そ の 他
か ら 推 し て 仮 り に つ け た 名 称 で あ る 。 脚 破 損 や 虫 害 が 甚 し ‑ 、 題 名 の つ け 難 い 場 合 に は 「題 名 不 詳 」 と し た 。 刷 体 裁 に よ っ て 、 巻 子 本 、 冊 子 本 、 折 本 、 塁 紙 ・ 折 紙 ・ 切 紙 の 四 種 に 大 別 し た O 巻 子 本 に は 、 表 紙 や 軸 の 失 わ れ て い る も の 、 あ る い は
始 め か ら 軸 の な か っ た と 思 わ れ る 巻 き 紙 の よ う な 様 式 ま で 含 め た 。 仙 古 文 書 ・ 記 録 等 の 紙 質 や 縦 ・ 横 の 大 き さ 等 は 、 特 別 必 要 と 思 わ れ な い 限 り 省 略 し た o ㈲ 特 定 の 人 物 、 字 句 、 事 件 等 に つ い て は 本 文 の 後 に 「注 」 で 示 し 、 全 体 に か か わ る 事 柄 に つ い て は 「解 説 」 の 項 を 設 け て 説 明 を 試 み た 。
ま た 、 文 中 に 「注 」 の 必 要 な 場 合 に は ( ) 内 に 示 し た 。
( 8)( 7)( 6)
判 読 不 明 な 文 字 は 口 で 示 し た 。
色 彩 が 必 要 と 思 わ れ る 資 料 を カ ラ
ー写 真 と し た が 、 原 本 と 必 ら ず L も 同 一 で な い こ と を お 断 り し て お ‑ 0
米 印 の あ る 写 真 は 、 本 文 の 最 後 に 1 括 し て 掲 載 し た O
、菅田流太刀
Iへ「菅田流太刀日韓
富田流太刀表目録
一、諸上写真曾
1,摺込写真曾
一、台車写真仙栄
一、合陰写真恩
1,糊付写蕎楽
此一巻別而為秘事之間
御免相他見有間敷者也写喬 巻子本
○
鵜戸大権現ヨリ富田二十五代
富田清源
富田内記
富田権右衛門尉
富田権太夫吉政
富田甚五兵衛尉
」
吉
写真 ( 7) 誉 田流太刀 「 表 日食」の奥書 き
2
'「宮田流太刀目鼻二」富田流太刀裏目録 巻子本
一、合位
1'波返
一、芝返
「、波割
一、有二勧
口 博 写 真 ㈱ ※
口 俸 写 真 ㈹ 栽
口 博 写 真 仙 凝
口 博 写 志 .x
口 博 写 志 ※
此一巻別而為秘事之間
馴鹿相他見有間敷者也
○
鵜戸大権現ヨリ富田二十五代
富
田内記‑」
富田権太夫吉政
富田甚五兵衛尉
」 延 警 1乙 卯 暦 ∩ 割 当 乱 射
七 月 廿 五 日
̲ 二 手
富田清源ヨリ六代
浅利伊兵衛尉殿
「宮田流太刀目鼻三」
富田流太刀中極目録 巻子本
外報七
朽木倒
鎧倒
飛違
鍔摺 口博重々
口博写真㈹※
口博写志准
口博写嘉※
口博写真㈱煮
一、柄取
二玉簾
一、踏入
一
㌧1足不去1'晴唾
一㌧霞変
二ちらし八
口 博 写 真 ㈹ 溝
口 博 写 志 溝
口 博 写 嘉 煮
口 博 写 真 曾
口 倦 写 真 警
口 博 写 真 警
口 倦 無 量
此一巻別而為秘事之間
馴鹿相他見有間敷者也
○
鵜戸大権現ヨリ富田二十五代
富田清源
菖
田内記富田権右衛門尉
富田権太夫吉政
富田甚五兵衛尉
延賓三乙卯暦吉正朱印花押」
2 「富田流太刀」の伝書における、1、「表目録」の技五本、
2
、「裏目録」の技五本は、同流技法の基本を示し、
3
、「中極目銀」の技十二本は、応用的で高度な技法をも含むものと思われる。津軽弘前藩富田流第十二代浅利八郎の「記」(当紀要第二十六号﹃津軽弘前藩の武芸の﹄一二二頁)の内容か(とさばき)(ちらし)ら推察すれば、「表目録」「裏目録(小太刀)」と、「中極目録」の中の「外報」と「散」を除‑他の十本の技は「形」をもって修練し、「外誠」と「散」は試合(死合)の形式で修練していたと思われる。
各目録の技の名称の次にある文言、すなわち「此の一巻は別して秘事たるの間、いささかも鹿(粗)相・他見あるまじきもの也」
という表現は「表目録」「裏目録」「中極目録」の段階まで共通している。このことは、富田流太刀の技法体系
として「目録」の段階を意味しているのではないかと思われる。
4
、「菅田流太刀目寺四」富田流太刀許極意目録写真伽 巻子本
109
7㌧強盗切
1、車之抜身
1㌧陰之抜身
一、合柄取
!'清眼詰
一、無二朝
一'巌石落
二人詰
一、横間
1、従入
一、無相見
鑓留
一、捨身勧
一、雷必鋤
管鑓
一、諸管
7㌧丸橋
一、車釦
五
ロ ロ ロ ロ ロ ロ ロ
博 博 博 博 博 博 博
ロ ロ ロ
倦 博 俸
ロ ロ
博 博
ロ ロ ロ
博 博 博
写 真伽 嘗 田涜太刀 日韓 四、(内題 ) 菅 田流太刀許壌意 目録の書 き出 しの部分。
首
乱
己 上
巻別而堆為秘事
御執心之間令相博幸
相他見有間数者也
大権現ヨリ
富田二十五代
普田清
源
普田内記
富田権右衛門尉
111
2
3 「浅利伊兵衛尉殿
「富田流太刀」の技法体系から「目録」の段階より一段上位である「許」の水準を示す技の名称を目録にし
た伝書と思われる。
伝書中「二人詰」は一人で二人を同時に相手にしたときの技法を示し'同称に「鑓留」は相手が鑓をもって
対したときの技法、「管鑓」は'両者が鋸の場合の技法をそれぞれ示すものと思われる。「富田流」には居合・
棒術もあるが'「富田流太刀」の中に鑓の技法五本を含んでいることが注目される。「表目録」「裏目録」「中極目録」までの伝書には「形」を示す人物画があるが'この「許極意目録」にはな
いOただし'本資料中'17㌧「富田流解説之書」(安永八年
=
1七七九)に文章によって紹介しているので'多少参考になるものと思われる。(ただし次回の稿に掲載)
技の名称の次にある文言'すなわち「此の一巻は別して秘事たると錐も、浅からざる御執心の間'相伝せしめおわんぬ。いささかも鹿(粗)相
あるまじきもの也。」
という表現は'前出の伝書三巻とは異なり'「相伝せしめおわんぬ」と重要な即をさしはさんでいるOこのこ
とは'「目録」より一段上の「許」の段階に至ったことを示す伝書ということができよう。
5
、「宮田流太刀許之巷五」巻子本富田流太刀許極意之巻写嘉
「夫レ兵法之要ノ者心毒l姦ヲ為鳥要者ノ也
近・fiノ之勧術以宕・刀篠之軽盲音速之
作豪富レ。無窟勝㌶人。臭或耳窟々之幻術盲〃
人ヲ有下欲鳥得J;勝「ヲ者盲ハ非二勧壷之賓盲人
如憲ノ見音変盲クハ為:
'
kレ之ヲ是レ愚ノ至り也此レ等之類ヒ常。錐
⁚
モ為冥卜奇ヲ於りハ到盲者不レ可レ及フ者ノ也是レ皆ナ其了術高〆而無⁚賓ッ故也予力家博′者
為岩音ヲ而無二邪壷.也蓮一首則無音リ知音水丁
近力僑ッテ而堪㌍
替
弓首
・股骨肉一本音義ヽ/ /
/ 琵鋤
::x
+
i Ig
遜
写真朗 嘗 田流太刀許之巻五 、(内題 ) 嘗 田流太刀許極意之巻 の書 き出 しの部分D
113
「是者篤行二祈藤五術也重々口博
(そもそも)二第一富田流目付の秘事といふハ紅葉の目付なり一つ乃目付とも日月の目付ともいふなり抑紅葉乃目付とい
(みこむ)(たとい)ふは敵
の
両眼を見る一つ
の目付なり敵の両眼をよ‑見込時ハ縦敵いかやうに変しうち懸るといふとも(あきらか )
(よ‑)(よ‑)上下左右其変よ‑明に
見極るなり能明に見ゆる時ハ能変に鷹するなり敵乃変する色をよ‑見付其色(っ‑)(ある)
に付を紅葉の目付といふなり両眼を日月といふこと有によりて日月の目付共いふなり(極楽)(揺)(教)二第二富田流の教入而こ‑ら‑引地こ‑首に股をかへ骨に肉をかへるのおしへなりしかれハ敵にむかつて少ち(こみ)(拳)(うつ)過‑事な‑只身命をなけうつて深‑ふミ込敵の太刀の鍔もと或ハこふしにてうたる〜覚悟専一なり打(
秤
)(心境)つ は
をはつれ鍔もとにてうたる1時ハ肉もきる〜事なししかる時ハ利あり如此のきかいハ諸流共に口にハいふといへとも心実二知る人まれなり能々心得て執行あるへし(必責)(闇)(たとい)(なる)一㌧第三釦術ひつきやうハ二心‑ろうして利を得る事なし縦いか成ものなりとも(微塵)(砕)(吹)(泣)てハみちんに打くたき或ハかミひしき捨へきとおもふ一心たしかなる時ハ (形)
目
に兄へかたち有もの に
おひ(鷲
)おのつから心おさまりをとろ‑事な‑心明なる故利を得る事なり
なり (たとい)(憶)縦兵法上手たりといふ共お‑る〜心有てハ得利事なし能々工夫肝要
1'陰位之事
一㌧陽位之事
二二刀抜相之事
一、銭楯之事
一、捨留位之事
1、資手自励取之事
1、勝味位之事(とのもの)一、外物之事
7'組討之事
1、無量口博之事
ロ ロ
ロ ロ ロ ロ ロ ロ倦 侍 俸 博 侍 博 侍 俸
て
聾 線 量 一
一
年 柵 . 、サ ー
「右候々之不霜レ位ヲ而向二勝負一夏写嘉
偏似レ振二盲目之杖盲之位於二鍛(たとい)錬︼者勝負明也此秘術者縦錐レ
積レ千金万壷ヲ兵法無二執・,3.W不レ
可二深博一可レ秘者ノ也
(そもそも)抑富田流兵法別両雄為
秘術数年被遂稽古御執
心不浅之間相博之巻物
盈 抄 本 鋭 意 1 ‑ 春 山
八 紘 管 を 、 打 撃 欄 を 泉
で 濁 沖 渦 歯 車 約
線 町 姫 や 碑 .I t事
写真任6 ) 嘗 田流太刀許之巻の後半の部分 、 指南許状の文言.
令授与畢
自 今 以 後 望
之仁於有之者可有御指
南者也仇許状如件
○
鵜戸大権現ヨリ富田二十五代
富田
清 座 ]
富田権右衛門尉
富田権太夫吉政
富田甚五兵衛尉
延賓三乙卯暦
七月廿五日
富田清源ヨリ六代
浅利伊兵衛尉殿
嘗初富田兵法要道之
勧術神代之旧法家俸而
印可代々日本唯1人之
従二先師,TQ俸来A嘉ポ‑
大日本国唯一之統道也(ゆるし)貴殿富田流許之手段
積功。叶候器量見届度
守養候内業虚名之下二
令二開陳J年久末夕不レ為二
出歩︼而及二極老︼故第一
封二宮主公.園恩重恩旦又
今年先師之十七廻忌
為二師恩報謝︼亦貴殿
毎事志学之所難二捨置︼
均禄公師之許巻物
六本之趣令二博輿盲
此後富田流許迄之術ヲ
可レ被レ為二指南TTQ免状
頭 像 仏 神 AJ 帝 各 線
差 率 が\
飽 後 偶還 萱 も 節 で 農 は常 ダ\鬼 払
S・'tij''
常 ′け i J・= り ⊥ 一J i・. ・I
す す け寿 匂
「 昏 ‑ 厳 冬
写紺 富 田流太 刀許之巻五 の 「添 え書 き一一戸三之 介宗 明に よる 「免札 の文言の
最後の部分。
117
如 レ 件 写 嘉
○
富田流唯1統道之明人享保十九甲寅年
十1月二十日
浅利万之助殿江
そ(かなめ)(しない)(っ‑り)「夫れ兵法の要は心行一致を要とするものなり。近世の鋤術、木刀・箱の軽さを以って速疾の作をなし'
己れに難無‑して人に勝たんと欲す。或いは種々の幻術を用いて人を惑わして勝つことを得んと欲する者あり。
是れは勧術の実にあらず。世人か‑の如‑奇変を見て多‑はこれを好みとす。是れ愚の至り也。此れ等の類い
常に奇を為すと錐も、賓に到るに於ては及ぶべからざるもの也。是れ皆其の術高‑して実無き故也。予が家伝(よ)は実を本として邪術無さ也.敵に蓬いて則ち滞り無‑流水の如‑近侍って、まさに首股、骨肉(三日に首に股、
骨に肉)を替えんことを本となすと。云々。」「富田流太刀許極意之巻」の巻頭における右の文は、同流の鋤の技法と心法の在り方を示唆している。
書き出しの一節「夫れ兵法の要は心行一致を要とするものなり」とは'富田流太刀のみでな‑、勧術全般の
本来的な在り方を主張する重要な箇所である。
この考え方を基礎として、実戦に役立たぬ一見高等技術のように目にうつる軽薄な小手先の技法に対しへ