セーフティネットとしての農業保険制度
アメリカ・カナダの農業経営安定対策の事例研究
吉 井 邦 恒
■アブストラクト
わが国において,農業者のためのセーフティネットとして,農業経営全体 に着目し価格低下を含めた収入減少を補てんする農業収入保険制度の導入に 向けての検討が行われている。本稿では,同制度の核心部分である⽛経営単 位⽜という視点に留意しつつ,アメリカ及びカナダの農業経営安定対策にお ける農業保険制度の位置づけについて整理・分析した。
アメリカでは,農業保険と作物別のプログラムを組み合わせることによっ て農業経営の安定化が図られている。また,経営単位の収入保険 WFRP は,
これまで農業保険による補てんが必ずしも十分ではなかった果樹・野菜生産 者等を主たる対象として実施されている。カナダにおいては,作物別の農業 保険により第一次的にキャッシュフローを確保し,所得の大幅な減少に対し ては経営単位の農業所得安定制度が最終的に機能するように仕組まれている。
このように,アメリカ及びカナダでは,農業保険をベースにいくつかのプロ グラムを組み合わせることによって,セーフティネットとしての農業経営安 定対策が構築されている。
■キーワード
農業保険制度,セーフティネット,農業収入保険
*平成28年⚖月17日の日本保険学会関東部会報告による。
/ 平成28年⚘月⚘日原稿受領。
⚑. はじめに
わが国においても,農産物収入の変動に対応するための農業収入保険(以 下⽛収入保険⽜という。)の導入が検討されており,2014年度から,保険 料・保険金等の水準設定に必要な過去の収入データの収集や加入者の収入の 捕捉方法等に係る調査として,収入保険制度調査事業(農林水産省委託事 業)が実施されている。同調査とその結果等に基づく制度検討が順調に進め られた場合には,2017年の通常国会に収入保険制度の関連法案が提出される こととなっている。
わが国における農業保険として,自然災害等に起因する収穫量の減少によ る収入の減少分を補償するため,1947年に制定された農業災害補償法に基づ く農業共済が実施されている。農業共済は特定の農作物を対象とする収量保 険であり,価格の低下による収入減少分は保証対象外である。このような農 業共済の課題等を踏まえて,すべての農作物を対象とし,農業経営全体の収 入に着目した収入保険の導入が検討されることになったのである。
この収入保険については,2016年⚖月⚒日に閣議決定された⽝日本再興戦 略2016⽞において,生産性向上を担う経営体の育成・確保を図る上で⽛経営 管理を適切に行っている農業者のためのセーフティネット⽜として位置づけ られている。
世界銀行の調査によると,現在100以上の国々で農業保険が実施されてい るといわれているが1),最も整備された形で農業者個人ごとに複合危険タイ プの農業保険が実施されているのは,日本,アメリカ及びカナダの⚓カ国で あるといって過言ではないであろう2)。そのアメリカとカナダでは農業保険 をベースに農業経営安定対策が構築され,セーフティネットとして機能して いる。
そこで本稿では,わが国における農業経営の安定させるための効果的なセ 1) Mahul and Stutley (2010) 23頁参照。
2) Glauber (2015) ⚓頁参照。
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ーフティネットを考える素材を提供することを目的として,現在検討されて いる収入保険の核心部分である⽛経営単位⽜という視点に留意しつつ,アメ リカ及びカナダの農業経営安定対策における農業保険制度の位置づけについ て整理・分析を行うこととする。
⚒. アメリカの農業経営安定対策の概要
⑴ 農業法に基づく農業経営安定対策
アメリカの農業経営安定対策を構成するプログラムは,恒久法に基づき実 施されている農業保険を除き,概ね⚕年ごとに制定される農業法の規定に基 づいて実施されている。表⚑に農業法と主な農業経営安定対策の変遷を示し た。現在適用されている2014年農業法の下では,主要な農作物に対して⚔種 類のプログラムが実施されている。以下,各プログラムの概要を述べておこ う。
表⚑ アメリカの主な経営安定対策の変遷
プログラム
の 種 類 1996年農業法
以前 1996年農業法 2002年農業法 2008年農業法 2014年農業法
直接支払い 直接支払い 直接支払い 直接支払い
不足払い型 不足払い CCP CCP PLC
最 低 価 格
保 証 型 マーケティン
グ・ローン マーケティン
グ・ローン マーケティン
グ・ローン マーケティン
グ・ローン マーケティン グ・ローン 収 入 変 動
対 応 型 ACRE ARC
農 業 保 険 作物保険 作物保険
収入保険 作物保険
収入保険 作物保険
収入保険 作物保険 収入保険
出典:筆者作成。以下図⚑,図⚒,図⚗,図⚘,表⚒及び表⚔において同じ。注:CCP は Counter Cyclical Payments,ACRE は Average Crop Revenue Election の略。PLC と ARC は本文を参照。
不足払い型プログラムは,農作物の市場価格が目標価格を下回って低下し た場合にその差額を補てんする仕組みである。2014年農業法では,2002年農 業法で導入された仕組みが廃止され,新たに PLC(Price Loss Coverage)
が創設された。PLC は,図⚑に示すように,販売年度の全国平均価格(平 均販売価格)が農業法で定められた基準価格を下回るとき,その差額に過去 の実績に基づき計算される一定の収穫量を乗じた金額が支払われる。
図⚑ PLC による支払いのイメージ
最低価格保証型のプログラムであるマーケティング・ローンは,最初の農 業法が制定された1933年から実施されている農産物を担保にした短期融資制 度である。市場価格が融資単価(ローンレート)よりも低い場合には,担保 となる農産物を政府機関に引き渡して返済義務を免除されるか,市場価格で の融資返済を行うことが認められている。このため,市場価格が低下しても,
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返済価格である市場価格と融資単価であるローンレートとの差額分が農業者 に補てんされるので,ローンレートが最低価格として機能する。
収入変動対応型のプログラムは,農作物からの実収入が基準収入より低く なった年にその差額相当分が支払われるもので,2008年農業法で初めて導入 され,2014年農業法では新たに ARC(Agriculture Risk Coverage)が実施 されることになった。ARC は,実収入が基準収入の86%を下回るような収 入の減少に対して郡ベースまたは個人ベースで補てんする仕組みである。
ARC を選択する農業者のほとんどが加入する郡ベースの ARC では,図⚒
に示すように,作物ごとの郡ベースの実収入が郡ベースの基準収入の86%
(郡ベース収入保証額)を下回るときに,基準収入の10%を上限に支払いが 行われる。郡ベースの ARC による支払額は,同じ郡の加入者すべてについ て面積当たり同じ額となる。
図⚒ ARC(郡ベース)の支払いのイメージ
主要作物の生産者は,2014年農業法の規定により,2015年⚔月⚗日までに PLC か ARC のいずれかを選択し,その選択結果は2014年農業法の有効期限 内(2018年⚙月30日まで)は変更できない。したがって,2014年農業法の下 では,⽛PLC +マーケティング・ローン+農業保険⽜,または,⽛ARC +マ ーケティング・ローン+農業保険⽜のいずれかの組合せにより,経営の安定 が図られることになる。
なお,表⚑に記載した1996年農業法により導入された直接支払いは,実際 に作付けされた作物の価格や収穫量にかかわらず,生産者が選択した作物に ついて,毎年,面積当たり一定金額が支払われるプログラムである。財政事 情が極めて厳しい中で農業者の収入状況に関係なく支払われる直接支払いに 対して批判が高まり,2014年農業法において廃止された。
⑵ プログラム支払いの状況
1996年農業法以降,農業経営安定対策によってどの時期にどれくらいの金 額が政府から支払われたのかを図⚓により確認しておこう3)。
農産物価格の変動等に関係なく面積当たり一定金額が支払われる直接支払 いによって,毎年約50億ドルが支払われてきた。農産物価格が低下した 1999~2002年や2005年には,直接支払いだけでは収入の落ち込みをカバーす ることができず,マーケティング・ローンや不足払い型プログラムによる支 払額の増加によって経営の安定が図られた。2007年以降農産物価格が高騰し たため,マーケティング・ローンや不足払い型プログラム,収入変動対応型 プログラムによる支払いがほとんど行われない状況が続いた。そのような中 で,自然災害による収入減少や作付け期と収穫期の間の収入変動を補てんす る農業保険の支払いが,直接支払いとともに農業者の経営安定にとって重要 な意義を持つようになった。
3) アメリカの会計年度は10月~⚙月であり,農作物の生育・収穫の年度と支払 いが行われる年度にズレが生ずることがある。
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図⚓ プログラム別支払いの推移
資料:アメリカ農務省経済調査局,“Federal Government direct farm program payments”及びリスク管理局,“Summary of Business”
注:2015年及び2016年は予測値。農業保険金は加入者負担保険料を控除したもの で2016年の予想値は記載していない。
2013年後半から農産物価格は低下基調に転じ,2014年,2015年,さらに 2016年に入っても低い水準で推移している。このため,2015年及び16年の支 払額の予測値をみると,ARC や PLC による多額の支払いが見込まれている。
2015年は大きな自然災害もなく価格変動も大きくなかったため,農業保険金 の支払いは多くはなかったが,2016年以降,例年程度の支払いを仮定すると 農業保険金は PLC と ARC の合計支払額に匹敵する水準になると予測され る。このように,2014年農業法の下では,農業保険と PLC・ARC が相まっ て機能することにより経営安定が図られることが期待されているのである。
⑶ 農業保険の現状と PLC・ARC との関係
アメリカの農業保険は1938年に制度が創設され,当初は自然災害等による 収量の減少に対応する作物保険のみが実施されていたが,1996年からは収量 の減少または価格の低下による収入の減少に対応する収入保険も実施される ようになった。現在実施されている主な農業保険のプログラムは,表⚒に示 すとおりである。なお,重複保証を避けるため,ある作物について作物別作
物保険と作物別収入保険の両方に同時に加入することはできない。
農業保険は,農務省リスク管理局(RMA)による指導監督の下で運営さ れており,RMA と契約を結んでいる民間保険会社17社(2016年)が農業者 に対して,代理人を通じて保険商品を販売し,損害が発生したときには損害 評価人を派遣して保険金支払いに関する査定を行い保険金を支払う。農業保 険に関する政府の助成として,日本と同様に,保険料補助,保険会社に対す る運営費用負担,保険会社の保険責任の一部に対する政府の再保険等が実施 されている。
表⚒ 主な農業保険プログラムの概要
保険対象 リ ス ク プログラム 引受/支払に関する主なデータ
保険対象農作物等
収量 価格
作物保険(収量保険)
自然災害等
( 干 ば つ,
凍霜害,湿 潤害,暴風 雨,洪水,
病害,虫害,
獣害,火災,
噴火等)に よる収量の 減少
YP (Yield Protection)
農業者ごとの 平 均 実 績 単 収・収穫単収
作付前先物
(豆類は契 価格 約価格)
とうもろこし,綿花,グ レインソルガム,大豆,
小麦,大麦,米,なたね,
ひまわり,豆類,ピーナ ッツ,ポップコーン APH (Actual
Production History)
農業者ごとの 平 均 実 績 単 収・収穫単収
RMA が 設
定する価格 YP の対象作物以外の穀 物・油糧種子,果樹,野 菜,工芸作物,牧草,養 蜂,養殖等
AYP (Area Yield Protection)
郡の平均実績 単収・収穫単
(統計データ) 収
作付前先物
価格 とうもろこし,綿花,フ ォーレージ,グレインソ ルガム,大豆,小麦,米,
ポップコーン
収
自然災害等 による収量 の減少,価 格の低下の いずれか,
RP (Revenue Protection)
農業者ごとの 平 均 実 績 単 収・収穫単収
作付前先物 価格・収穫 時先物価格
(豆類は契 約価格)
とうもろこし,綿花,グ レインソルガム,大豆,
小麦,大麦,米,なたね,
ひまわり,豆類,ピーナ ッツ,ポップコーン
入保険
または,そ の両方によ る収入の減 少
ARP (Area Revenue Protection)
郡の平均実績 単収・収穫単
(統計データ) 収
作付前先物 価格・収穫 時先物価格
とうもろこし,綿花,グ レインソルガム,大豆,
小麦,米,ポップコーン WFRP (Whole Farm
Revenue Protection)
農業所得税申告書の過去⚕
年間の平均対象農業収入と 当該年度の対象農業収入
( 一 定 の 金 額 以 下 の 家 全農産物 畜・畜産物を含む)
注:このほか,降水量に基づく天候インデックス保険や先物価格を用いた家畜の マージン保険・価格保険等が試験的に実施されている。
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図⚔ 農業保険加入面積の推移
資料:アメリカ農務省リスク管理局,“Summary of Business”。以下,図⚕,図⚖
及び表⚓において同じ。
作物保険と収入保険をあわせた農業保険の加入面積は,図⚔に示すとおり,
1997年から2008年までほぼ増加し,その後多少減少したが,2011年から再び 増加し,2014年及び15年は横ばいで推移している。このうち,収入保険の加 入面積は2005年を除き毎年増加しており,加入面積に占める収入保険の割合 は⚓分の⚒となっている。農業保険の加入戸数は全農家211万戸のうち36万 戸であり,その一方で面積加入率は80%を大きく超えていることから,経営 規模の大きい農業者が農業保険を積極的に活用しているとみられる。また,
作付面積上位⚕作物をみると,表⚓に示すように,加入面積に占める収入保 険加入面積の割合(収入保険シェア)が高く,加入者の大半が収入保険を選 択していることがわかる。なお,収入保険のプログラム別にみると,先物価 格と農業者ごとの収穫実績に基づき作物別に収入を保証する RP(Revenue Protection)のシェアが圧倒的であり,保険金額ベースで95%を占めている。
表⚓ 主要作物の面積加入率と収入保険シェア
(単位:%)
2013年 2014年 2015年
面 積
加 入 率 収入保険
シ ェ ア 面 積
加 入 率 収入保険
シ ェ ア 面 積
加 入 率 収入保険 シ ェ ア とうもろこし 89õ0 90õ9 87õ2 91õ7 88õ7 92õ3 大 豆 87õ8 89õ2 88õ7 90õ5 89õ8 91õ2 小 麦 86õ5 84õ7 84õ4 85õ8 85õ4 87õ5 綿 花 95õ2 78õ3 93õ9 80õ6 98õ9 82õ3 グレイン・ソルガム 71õ9 79õ6 74õ3 80õ7 80õ0 80õ1
近年の特徴として高い保証水準の農業保険への加入が増えていることがあ げられよう。保証水準別の収入保険加入面積割合の推移を図⚕に示した。
2009年から70%以上を選択する割合が増えており,2015年には70%以上の保 証水準を選択する割合が⚙割に達しており,この結果,面積ウエイトで求め た選択保証水準は平均で75%となっている。裏返していうと,農業者は作物 からの農業収入の25%分に係る損失は自分で負担する必要があることになる。
この自己責任部分については,農業保険に加えて PLC や ARC に加入する ことにより,農業収入が低下した場合の影響を緩和することができる。
図⚕ 保証水準別の収入保険加入面積の割合
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ここで農業保険と PLC または ARC の関係を考えてみよう。まず,PLC については,図⚑から明らかなように,PLC は価格低下にのみ対応するプ ログラムであることから,販売価格が基準価格を上回る場合であって,自然 災害等により収量の減少が生じるときには支払いは行われない。また,販売 価格が基準価格よりも高い水準にある場合には価格低下による収入減少が生 じても支払いは行われないことから,PLC の加入者としては収量低下だけ でなく価格低下に備えるためにも農業保険に加入する必要がある。
郡ベースの ARC については,支払額に上限があり,かつ,その面積当た り支払額は同じ郡の加入者に対しては同額である。図⚒に示したように,農 業者Aについてみれば,ARC 支払額では十分な収入が確保できるとは限ら ないので,足りない分は農業保険でカバーする必要がある。また郡ベースの 収入に基づいて ARC の支払いの有無が決定されることから,ある農業者の 収入が大きく減少した場合であっても ARC では支払いが行われないベーシ スリスクに対応するためにも農業保険への加入が不可欠であろう。
このように,PLC や ARC がその経営安定機能を十全に発揮する上で農業 保険への加入が前提になっていると考えられる。
⑷ 経営単位収入保険の概要と加入状況
経営単位収入保険とは,農業所得税申告書を用いて,農業者ごとに畜産を 含む複数の農産物からの農業収入を経営単位で把握して,収入が減少した場 合に保険金を支払う仕組みであり,⚑つの保険証券で複数の農産物を保証す る点に特徴がある。
アメリカでは,1999年から,経営単位収入保険として AGR(Adjusted Gross Revenue)が特定地域(2014年は18州)を対象として試験的に実施さ れ,2003年からは AGR の加入条件を一部簡素化した AGR-Lite も実施され るようになった(2014年は35州を対象)。
2015年からは,新たに WFRP(Whole Farm Revenue Protection)が果 樹・野菜生産者,有機農産物生産者,市場へ直接販売を行う生産者,多角化
した生産者を主なターゲットとし,経営単位方式により,AGR や AGR- Lite よりも充実した収入保証を提供するために創設された。というのも,
果樹・野菜や有機農産物に関しては,数品目を除き収入保険が実施されてい ないためである。WFRP は試験実施の段階ではあるが,2016年からは対象 地域を全国の全地域に拡大して実施されている。WFRP の概要は表⚔に示 すとおりである。
表⚔ WFRP の仕組みの概要
項 目 仕 組 み
対 象 者
対 象 収 入 対象リスク
•継続する⚕年間の農業所得税申告書を提出できる者(新規農業者 は⚓年間,その他⚔年間でも可のケースあり)
•収入保証額が850万ドルを超えていないこと,家畜・畜産物また は種苗・施設栽培からの収入が100万ドルを超えていないこと
•税申告書の農業収入から,収穫後価値増加分,補助金,農業保険 金,雇用労働収入等を除いたもの
•保険期間に発生した避けることができない自然災害や市場変動
(価格低下)による収入の減少
基 準 収 入 •所得税申告書に基づく過去⚕年間の平均対象農業収入と農業経営 報告に基づく当年度の予想収入を比較して,小さい方の額-平均 対象農業収入を計算するとき,規模拡大等に応じて調整を行う 収入保証額 •基準収入に保証水準(50~85%)を乗じた額
保 険 料 •保険料率は加入者ごとに設定。保険料補助率は56~80%
WFRP に関して留意すべき点は,農業所得税申告後でなければ保険年度 の算定収入額が確定しないので,WFRP における保険金請求は加入の翌年 の確定申告開始日以降になることである。その損害評価(保険金の査定)の 際には保険年度に受け取ったとみなされる算定収入額を計算して損失の有無 が判断されるが,損害評価時には,圃場に収穫物がないので,書類に関する 審査が中心とならざるをえない。しかしながら,地域の圃場に関する情報は,
並行して実施されている作物別の保険の引受や損害評価等を通じて入手する ことが可能である。
損害評価を経て WFRP の保険金が支払われる時期は,保険期間終了の翌
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年の春以降となる。したがって,収穫年において必要とされるキャッシュフ ローの確保という点からみると,WFRP は一定の課題を有していると考え られる。
図⚖に示すように,経営単位収入保険の加入証券数は,2003年に AGR と AGR-Lite をあわせて1000件を超えたが,2010年以降は減少傾向で推移して きた。この理由として,経営統合が行われて加入者が減少したことがあげら れ る。2015 年 の WFRP の 申 込 証 券 数 は 約 1100 件 で,2014 年 の AGR と AGR-Lite の加入証券数をかなり上回っている。また,2016年については,
2015年を大幅に上回る加入状況となっている4)。
図⚖ 経営単位収入保険の加入証券数
注:2016年度は申込証券数で,他の年度は保険料支払い済み証券数
(2016年⚕月30日現在)。
4) プログラム開始⚒年目で政府等による普及推進が効果をあげるとともに,家 畜収入に関する保険対象要件が緩和されたこと等が理由であると考えられる。
⚓. カナダの農業経営安定対策の概要
カナダにおいては,農業経営安定対策は2013年から2018年までの政策枠組 みを定める Growing Forward 2 の中でも最も重要な政策分野に位置づけら れている。カナダでは,AgriStability(経営単位所得安定制度),AgriInvest
(積立制度),AgriInsurance(農業保険)等の複数のプログラムをひとまと まりにして,“a suite of Business Risk Management programs” という形で 経営安定対策が構築されている。
⑴ AgriStability の概要
AgriStability は農業所得税の申告者を対象に,農業所得税申告書のデー タに基づき,経営単位でみた加入者の当該年度の全農産物からの農業所得が 基準農業所得の30%を超えて低下するときに支払いが行われるプログラムで ある。
AgriStability における農業所得は,農業所得税申告書に記載された収入 と支出のうち,農産物の生産に直接関係する対象収入から対象支出を差し引 いたものである。対象収入は農産物販売額や農業保険金,対象支出は農薬,
肥料,種子,燃料,光熱費,運送費,乾燥・貯蔵費,雇用賃金等である。
基準農業所得は,ア)加入者の最高と最低の年を除く過去⚕年中⚓年の農 業所得の平均,または,イ)アの計算に用いられた⚓年の対象支出の平均,
のいずれか小さい方の額となる。当該年度の農業所得が基準農業所得よりも 30%を超えて低下したときに,図⚗に示すように低下分の70%相当額が政府 から加入者に支払われる。仮に当該年度の農業所得がマイナスになった場合 には,そのマイナス部分(図⚗では⚐%より下の斜線部分)に対しても政府 は70%相当額を支払う。
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図⚗ AgriStability の仕組み
たとえば基準農業所得が10万ドルの加入者の農業所得が⚕万ドルに低下し たとすると,10万ドルの30%である⚓万ドルを超えて減少した⚒万ドルの 70%,すなわち1õ4万ドルが政府から支払われる。政府の支払分は,連邦60,
州40の割合で分担される。加入者は AgriStability に加入する手数料として,
毎年度,基準農業所得1000ドル当たり4õ5ドルに70%を乗じた額と定額55ド ルの運営費用を負担する必要がある5)。
⑵ AgriInvest
AgriInvest は,農業所得税の申告者を対象に,毎年加入者が対象純販売 額の⚑%までを口座⚑に預け入れると,政府から同額の資金が口座⚒に拠出 される制度である。政府拠出分は連邦60,州40の割合で負担される。加入者 の預入分は課税後の資金であるため口座⚑で,政府拠出分と利息は課税前の 積立であるため口座⚒で,それぞれ区分管理される。
5) わが国には AgriStability を保険料率0õ45%の経営単位所得保険であると理 解する向きもあるが,⽛1000ドル当たり4õ5ドル⽜という負担は保険数理に基づ き計算されたものではなく,また,筆者がカナダ農業・農産食料省の担当者に 数度確認した際にも,保険には該当しない制度である旨の回答を得ている。
対象純販売額には上限があり,加入者⚑人当たり150万ドルである。した がって加入者の預入に対する政府助成の上限は,150万ドルの⚑%の年間1õ5 万ドルとなる。なお,加入者は販売額の⚑%を超えて口座⚑に積立を行うこ とができるが,その部分に対して政府拠出は行われない。対象純販売額には,
別途経営安定措置が講じられている供給管理制度対象品目(酪農,家禽,
卵)の販売分は含まれない。口座⚑と口座⚒を合計した積立額には上限が設 定されており,年間の積立限度額は対象純販売額の100%相当額で,積立残 高の上限は対象純販売額の過去⚓年平均の400%相当額となっている。
加入者は AgriInvest の管理事務局に連絡をすれば,残高の範囲内でいつ でも口座から資金を引き出すことができる。この場合,まず課税前の口座⚒
の資金から引き出さなければならない。資金の使途は自由で,所得の減少へ の対応だけでなく,投資のために資金を活用することも認められている。
AgriInvest から脱退するときには,政府拠出分も含めて口座⚑と口座⚒の 全額を引き出すことができる。
図⚘に示すように,AgriInvest を AgriStability と一体的に運用すること により,AgriStability では支払いが行われないような比較的軽微な所得の 減少が生じた際に AgriInvest の資金により補てんを行うことも可能になる。
図⚘ AgriStability と AgriInvest の組合せ
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⑶ AgriInsurance
AgriInsurance(農業保険)は,連邦との協定の下で,州政府・公社が実 施機関となっており,各州によりかなり異なる仕組みとなっている。対象品 目は農作物で,自然災害等による収量の減少及び品質低下を保証する収量保 険が実施されている。基準単収の算定方法,保証水準等は,州間で異なるケ ースも多い。農業保険の実施に要する保険料補助や運営費用は連邦60:州40 の割合で分担されている。農業保険の面積加入率は,図⚙に示すように主要 作物で80%近く,高い水準となっている。
なお一部の州では,連邦・州間の協定に基づく農業保険の枠外で,州の独 自財源によって価格保険,家畜保険等が実施されている。
図⚙ カナダの AgriInsurance の面積加入率(2010年)
資料:カナダ農業・農産食料省
⑷ AgriStability・AgriInvest と農業保険の関係
最初に AgriStability と農業保険の関係をみておこう。AgriStability の
加 入 者 は 必 ず し も 農 業 保 険 に 加 入 す る 必 要 は な い。し か し な が ら AgriStability の対象収入には農業保険金が含まれるので,自然災害等によ り収入が減少する年が続いたとしても,農業保険に加入していれば,
AgriStability の基準農業所得の低下を防ぎ,一定の農業収入を確保するこ とができる。また AgriStability による支払いを受け取るまでには,事務手 続きが順調に行われる場合であっても,農業所得税申告後⚓ヶ月近く要する ことから,農業保険に加入していれば,自然災害等で収入が減少した場合で も,年内に必要な資金への対応が可能になる。
AgriInvest に加入する際にも農業保険への加入は要件となっていないが,
農業保険に加入していれば,農業保険金が AgriInvest の対象純販売額に算 定される。このため自然災害等により収入が減少する年が続いたとしても,
対象純販売額は大きく減少せず,政府からの拠出が伴う積立を維持すること ができる。また,農業保険金が支払われれば,口座を取り崩す必要性も小さ くなる。
このように自然災害等により収入が減少したときには,農業保険が第一次 的に対応し,年内に保険金を支払うことによって当座に必要な資金を提供し,
その上で農業収入から農業支出を差し引いた農業所得が30%を超えるような 大きな所得の減少が生じた場合には,AgriStability で対応することになる。
AgriInvest の資金は,農業保険や AgriStability の支払対象にならないよう な場合に機動的に活用することができる。
⚔. おわりに
アメリカとカナダの農業経営安定対策における農業保険の位置づけについ て整理しておこう。
アメリカでは作物別のプログラムを組み合わせることによって農業経営の 安定化が図られており,作物別の農業保険,特に収入保険は最も重要なプロ グラムとして位置づけられている。経営単位収入保険 WFRP は,価格・収 入プログラムの対象外農産物を主な保険対象としており,主要作物に対する
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作物別の収入保険が普及している現段階においては,加入者数はわずかにと どまっている。
また,カナダにおいては,作物別の農業保険により,第一次的にキャッシ ュフローを確保し,所得の大幅な減少には,農業所得税申告書に基づく経営 単位所得安定制度 AgriStability が最終ラインとして機能しており,アメリ カとは多少異なる形ではあるが,作物別の農業保険に対してアンブレラ型の 制度としてセーフティネット機能を果たしている。
両国の農業経営安定対策において,農業保険がベースとなっている背景と して,両国の農業保険がいずれも加入率が高い水準にあり,農業保険が農業 経営にとって欠くことのできない重要なプログラムになっている状況があげ られる。
アメリカでもカナダでも実施されている経営単位の経営安定プログラムの 最大の特徴は,農業者が生産・販売するすべての作物からの合計収入を対象 とするため,作物間の収入の増減が相殺されることである。このため,作物 別に補てんする場合よりも,農業経営全体としてみて真に収入補てんが必要 な場合にのみ支払いが行われるので合理的である。経営単位収入保険の場合 には,作物ごとに加入する場合よりも保険料が安くなる。また,アメリカや カナダの経営単位のプログラムでは,農業所得税申告書を活用することによ り,農業者個人の収入・所得の状況に応じた保証の提供が可能となっている。
さらに,農業所得税申告書に基づき金額ベースで収入・所得保証を行うこ とによって,収穫量や市場価格という尺度では十分に評価されない高品質・
高価格の果樹,野菜等農産物に対して,より適切な保証の提供が可能になる と考えられる。
ところで,農業者については,経済学的には合理的なはずの経営単位のプ ログラムよりも,作物別のプログラムを選好するケースの方が多く観察され る。このような農業者の選択は合理的ではないのだろうか。
多くの場合,農業者は作物(品種・樹種)ごとに管理しており,当該年の 収入増加は当該作物を生産することへの⽛自然からのご褒美⽜であり,その
分が他の作物の減収分の相殺に当てられることに強い違和感を持っているよ うである。このため作物別のプログラムには理解を示すものの,経営単位の プログラムとの選択では,作物別を選択することが多くなる。これに対して プログラムを提供する側は,作物ごとの収入増減を相殺して支払う経営単位 方式は真に収入が減少した場合にのみ対応するという合理性を高く評価する であろう。
ところで Prospect Theory に関する Babcock(2007)の解釈によれば,主 体は損失に直面すると,期待値が同じであっても,損失そのものを回避する 方の選択肢を選好する。そして,ある作物の収入が増加,ある作物の収入が 減少するとき,合計収入が変化しなくても⽛収入が減少した⽜と感じるなら ば,損失の方をより大きく評価し,損失回避を選択することになる。このよ うな考え方は,上述の農業者の行動をよく説明しているものと考えられる。
したがって,農業者の作物別プログラムを選好するという行動は必ずしも非 合理的なものとはいえないであろう。経営単位の農業経営安定プログラムの 設計に当たっては,このような農業者のリスク意識にも留意する必要がある が,一方で経営者意識を高めるため,農業経営全体を意識した制度への農業 者の理解を深めることも重要であると思われる。
(本稿は,科学研究費助成事業(基盤研究🄑🄑)⽛農業者のリスク意識に対応し た地域インデックス保険のデザインと経済効果に関する研究(15H04558)⽜
による研究成果の一部である。)
(筆者は農林水産省農林水産政策研究所勤務)
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