固体錯体のサーモクロミズムと 昇温拡散反射スペクトル
渡 邉 幸 夫*・近 藤 一 二**
Thermochromism and Temperature−Pependent Di鉦use Re且eetance Spectra of the Complexes in Solid State
bN Yukio WATANABE and Ic溺i KONDO
Anew apparatus for temperature・dependent diffuse reflectance spectroscopy was manufactured. Study on ther皿ochromism of the complexes in solid state was carried out by the spectroscopy and by thermal analyses.
1. 緒 言
遷移金属錯体の多くはそれぞれ特有の色調を示す有色物質であることが古くから知られ ている。この遷移金属錯体の呈色の原因は錯体内にある遷移金属イオンのd電子のd−d 遷移あるいは電荷移動吸収帯と呼ばれるものが主なものである。錯体の色調は,当然その 錯体の構造と中心金属イオンの電子状態とに密接に関連している。従って錯体のおかれる 物理的・化学的環境が変化すれぽ,多くの場合,程度の差はあっても構造の変化がもたら
され,それに伴って不可逆的あるいは可逆的に錯体の色調が変化する。
この不可逆的あるいは可逆的な変色が温度の変化によって起こる場合,この現象をサー モクロミズム(thermochromism:熱変色性ともいう)と呼んでいる1−5)。
このサーモクロミズムという用語は研究者らによって多少異なった意味で用いられる場 合もあるが,この用語の定義は厳密なものではなく3−5),一般的には可逆的な色調の変化 をサーモクロミズムという場合が多い。固体状態のサーモクロミズムにおいて,それが可 逆的なものかあるいは不可逆的なものであるかの違いは,多くの場合,加熱された時に熱 分解)や組成の変化を伴って色調が変色するかどうかで決まってくる。
例えぽ,脱水反応によって錯体の色調が変化した場合丁)では,ふつう錯体の色調は元の 色調にもどらないので不可逆的サーモクロミズムであるが,この錯体がもし吸湿によって 再び元の色調にもどった場合は可逆的サーモクロミズムである。
一般に可逆的サーモクロミズムを示す場合には錯体の組成には何らの変化もなく,その 錯体の配位構造あるいはコンホメーション構造が,ある温度範囲を境にして可逆的に転移 することによって起こる場合が考えられる3・4・8)。
しかしながら,固体状態での可逆的サーモクPミズムの実際の測定例は,溶液状態での
*理工学部化学科助手 錯体化学
**理工学部化学科教授 錯体化学
ものと比べて極めて少ない。これは固体状態における可逆的サーモクPミズムの精密測定 には技術的に多くの困難があるからである。一般にモル吸光係数が数百程度までの物質な らば,固体状態での吸収スペクトルは拡散反射法を適用すれば容易に得られる9)。
遷移金属錯体の呈色のうち4−4遷移によるものは,多くの場合モル吸光係数がこの範囲 に入るので拡散反射法による研究には都合カミ良い。そこで固体物質の拡散反射による色調 の変化が加熱によって不可逆的サーモクロミズムを示す場合には,加熱によって変色した 試料を一度室温まで冷却した後,再び常温で拡散反射スペクトル測定を行うことによって 不可逆的なスペクトルの変化が得られることになる。しかし可逆的サーモクロミズムを追 跡する場合には各温度において,連続的に反射スペクトルを測定する技法,すなわち昇温拡 散反射スペクトル法10・ll)が新たに必要なものとなる。この目的のために, Wendlandtら はr昇温拡散反射測定用試料保持器』を発表している11・12)。このものは直径60mmφ,厚 さ11mmのアルミ円筒状に直径25 mm,深さ1mmの円形凹状のものをつくり,そこ に試料粉末を充填する。その試料粉末の上を厚さ1mmの石英カバーガラスで覆い,さ らにアルミブロック内に小型電熱ヒーターと温度制御用並びに試料測温用の2組の熱電対 を固定したものを試料ホルダーとして,これを拡散反射付属装置に設置したものである。
これはCoBr2・6H20の脱水反応13),コバルトピリジン錯体の八面体構造から四面体構 造への熱的構造転移工4)などの研究15)に用いられている。最近竹内16)らが試作した昇温拡散 反射スペクトル測定装置はWendlandtらのものと原理的にほぼ同じものであり,特に試 料加熱部については真鍮製試料皿(22mmφ)の円形のくぼみに試料粉末を充填し,その 上に石英ガラスで試料粉末がこぼれ落ちないように固定したものに,さらに加熱ヒーター
と測温用熱電対を密着させたものを昇温試料ホルダーとしている。
現在までに報告されているこれらの装置には次の問題点が考えられる。
(1)両装置とも試料ホルダー部のみの加熱だけであり,積分球全体に加熱がなされていな い。さらに昇温測定時における試料ホルダー部の断熱効率を向上させる工夫が充分に 施されにくい。従って温度が常温より高くなればなる程温度を精確に一定に保つこと が難しく,高温時(100°C以上の温度)における拡散反射スペクトルの精密な測定は 難しいものになると予想される。
(2)測温用熱電対の位置が試料ホルダー部の試料の中心になく,さらに試料と直接(又は できる限り)接触していないために正確な試料温度が得られにくい。
(3)各温度において必要な保持時間が30分間と長いため,反応の速度が早い試料(サーe クロミズムの反応はしばしば高温になるほど加速度的に著しく現われる)の場合では 測定時に反応が加速度的に進み,熱分析結果から得られる温度と色との変化に対する スペクトルの変化が対応しにくい。
(4)高温測定時における試料(保持時間内での)温度が一定となりにくいと思われる。
昇温拡散反射スペクトル測定装置にはこのような技術的に困難な点が多いため,既に述 べたようにこの研究例は少なく,また現在この装置の市販品のない原因でもあろう。
従って研究老の技術と工夫によってどのような試料にでも対応でき,かつ高温測定時に おける試料の保温性に優れた装置の試作が要求されているのが現状である。
本報は上記の問題点をできる限り取り除くように改良した装置を新たに試作し,二三の 測定例をまじえてその性能を調べたのでここに報告する。
2. 実験技術一昇温拡散反射スペクトル測定装置の試作
固体状態における遷移金属錯体の加熱による構造転移とその温度との関係を詳しく調べ る手段として熱分析(TG−DTA, DSCなど)測定がある。この方法で得られる遷移金属 錯体の構造転移と温度との関係を踏まえ,これを昇温スペクトルの変化として追跡し,サ
ーモクロミズムの確証とその起因について考察するためには,熱分析とほぼ同一の温度設 定条件下で反射スペクトルの測定が行なえる装置が必要である。上記の温度条件を満足さ せ,かつ測定精度並びに温度再現性の良い結果を得るためには,試料の加熱,温度測定並 びに温度制御に充分配慮しなけれぽならない。今回,Fig.1に示した真鍮製の昇温拡散反 射スペクトル測定装置19)を試作した。これを日立製EPS−3T型自記分光器上に設置した 後,Fig.2に示した試料ホルダー(Fig.2に示した番号はFig.1のものと同一)を同装
L Brass box or plate 2.MgO layer in integrating sphere
3.Sample holder 4.Heater 5.Thermocouples 6.Thermoregulators 7.Cold junctions, Omega MCJ−X
8.Digital voltmeters 9.Recorder 10.Asl)estus
11.Thermal conductive cement
12.Photomultiplier 13.Photoe】ectric surface 14.Quartz glass 15.Lens 16.Prism 17.Slit 18. Cover 19.Amplifier
20.Atmospheric gases Fig.1 Apparatus for temperature.dependent diffuse reflectance spectroscopy.
Sample powder
1 5 lO
45
der
一 ●● 一一 一 一
lO
beam
t4
Fig.2 Detail of the sample holder:number indicating in Fig.2 are identical to those described in Fig.1.
置内に固定して常温から高温まで測定を行った。
まずはじめに,分光器内のモノクロメーターを出た光ビームはスリット(5mm×2mm)
で絞られ,試料側光および参照光と共に装置内のプリズムとレンズとの組み合わせによ って,それぞれ5つの石英窓ガラスで形成されている積分球内に導びかれる。
試料側光は積分球外表面上の試料ホルダーの試料面に直接照射し反射される。
また,もう一方の参照光は図面上では重なり合って書けなかったが,MgO照合物質の 試料面に直接導かれ反射される。これらの反射光は金属Mgの燃焼時に発生するMgO粉 末で直接被覆された積分球で集められ,右部に設置されている光電子増倍管(ホトマル)
で検出されて増幅される。積分球部の外部表面は加熱および保温効率を良くするために伝 熱セメントで覆われており,その上にマントル状ヒーターを固定し,さらに積分球部全体 は断熱材で十分に断熱された状態になっている。高温度測定時に,積分球は試料温度を一 定に保つために試料ホルダー部の設定温度とほぼ同一の温度で加熱保温されている。
拡散反射スペクトルの測定には常にサンプルを積分球に密着させなければならない。
従って加熱時に積分球と試料との間に大きな温度差がある場合には試料温度が不安定に なりやすく,精密な測定が出来ないことが解った。今回はこの点に特に留意し,この措置 を行った。また試料ホルダー部は試料温度の制御を容易にするものでなけれぽならないの で,ここでは特に特殊断熱板(マイカレックス)15mm×20 mmと同面積の真鍮製試料 板(厚さ5mm)との間に薄膜上のシリコンラバーヒーターをはさんで十分に密着させ た。さらに正確な試料温度を得るために,試料測温用並びにヒーター制御用の2組の熱電 対(アルメルークロメル,0.2mmφ)を試料板の試料面にできる限り接近した位置に固定
した(Fig.2参照)。試料は粗く磨いた試料板全面に試料粉末そのものあるいはMgOによ る約10%試料希釈粉末をうすく密着させた。
この積分球への直接加熱によるホトマルへの悪影響並びに装置内の試料粉末の吸湿変化 をできる限り取り除くために,積分球部とホトマルとの間に設置したノズルから乾燥空気 又は窒素ガスを通風し,装置内の気体を置換した。装置内の照射光・反射光などによる迷 光をなくすため装置内面には黒色耐熱塗料(おきつも)が塗装されており,積分球照射口 にスリットを設置して,光路並びにホトマルの周りを黒円筒紙で覆った。
試料ホルダー部並びに積分球部の加熱はそれぞれ高精度PID温度制御器によって2〜
5°C/minの昇温速度範囲で昇温させたり,又は一定温度に保つことができ,各設定温度 に対する試料ホルダー部の試料温度と積分球部の加熱温度をそれぞれレコーダーで記録し た。昇温拡散反射スペクトル測定は試料温度が一定になった後すみやかに開始し,測定中 の試料温度の偏差は±0.2°C以内であることを確認しながら行った。
3. 実験結果および考察
まず,ここに試作した昇温拡散反射スペクトル測定装置が,常温において市販の拡散反 射付属装置と同一の測定精度を有する装置であるかを調べる必要がある。
拡散反射スベクトル法でよく知られた既知物質としてCoCl2・6H2018),CoBr2・6H2013・15),
α一CoPy2C1214・15)などがあるが,ここではCoX2・6H20(X=CI, Br)の反射スペクトルを 測定してみた。その結果をFig.3に示す。これらの結果は市販装置による測定結果と同 一のものであった。固体状態で可逆的サーモクロミズムを示す錯体例は現在のところ溶 液状態のものと比べて多く知られてはいないが,すでに著老らはトリエタノールアミン
唱
?
(PM︶f6ol
900 800 700
Wavelength/nm
600 500 400
ほ む
Wave number/103 cm 1
25
Fig.3 Diffuse reflectance spectra of cobalt(II)halide hexahydrates (1)CoC】2・6H20;(2)CoBr2・6H20:mixing ratio of MgO was 90%.
一 1.0
口
一
(PM︶f 6ol
一2.O
900 800 700 、Vavelength/nln
600 500 400
15 20 Wave number/103c㎡1
25
Fig、4 Temperature.dependent diffuse reflectance spectra of the complex[Co(teaH)2コC]2.
(teaH)を配位子とするコバルト(]1)錯体Co(teaH)2Cl2を固体状態並びに溶液状態で加 熱すると,可逆的な色調の変化が顕著に観察されることを確かめている17・19)。
今回このものについて試作した昇温拡散反射スペクトル測定装置を用いて測定し,その 結果をFig.4に示した。また同時に,そのTG−DTA測定結果もFig.5に示した。
Co(teaH)2Cl2錯体20)は常温でエeddish purple(λmax:550 nm, shoulder:500 nm)の 色調を呈しているが,加熱されるにしたがって反射スペクトルの反射率がほぼ全波長にわ たって徐々に低下し始め,158. 5°Cに達すると700 nm付近に全く新しい吸収帯が出現
する。
蕊
Y・.
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反00.
き,
Fig.5 TG−DTA curves(with temperature cycles)of the complex[Co(teaH)2コCl2 in helium atmosphere.
それと同時に色調もbluish purpleに変色しているのが観察され,164.5°Cに達すると λm,。は570nmにシフトし,700nmに明瞭な吸収帯が形成され,錯体の色調は完全にbluish purpleに変色する。171°C付近で試料の一部に融解が起こり,粉末状態カミ前の状態とは 異なっていた。これを常温28°Cまで放冷すると色調はしだいに元の士eddish purpleに なり,そのスペクトルでは700nmの吸収帯は完全に消失して先の25°Cのスペクトルと 一致した。
昇温拡散反射スベクトルの測定結果における昇降温の繰返し操作での錯体の色調の可逆 性はFig.5に示した熱分析測定結果にも示される。まずはじめに163.5°Cから170°C
までの温度範囲で昇降温させると錯体の色調はbluish purpleに変色する。
さらに172°Cまで昇温すると錯体の色調は完全にbluish purpleに変色し,試料の一 部が融解しているのが観察された。この温度範囲で昇降温操作を何度も繰返しサイクルさ せて測定すると試料の融解によるピークが交互に観測され,最終的にはこれらのピークの 明瞭な形は消失して試料は完全に融解状態となる。これを常温まで放冷すると錯体の色調 は元のreddish purpleになった。従ってこの錯体の色調の変化は試料が融解する前に起 こっていることが解る。
Dotson21>らはCo(teaH)2C12錯体を加熱すると170°C以上の温度で融解が起こり,次 いで昇華すると報告している。もしこの錯体のサーモクロミズムが彼らの言う昇華によっ て起こるものであるならば,Fig.4に示した昇温拡散反射スペクトル測定結果での色調の 変化に伴う700nmの新しい吸収帯の出現はどのように解釈すべきであろうか。
この昇温拡散反射スペクトル測定結果だけではCo(teaH)2Cl2錯体のサーモクPミズム の起因について結論することはできないが(後に昇温赤外吸収スペクトル測定結果22)と昇 温磁化率測定結果19)をそれぞれまじえて報告する予定である),この錯体の可逆的サーモ クロミズムは昇華によるものでないことが今回の昇温拡散反射スペクトル測定で明らかと なった。
今回試作した昇温拡散反射スペクトル測定装置では,測定中の試料温度の精度は±0,2℃
以内であり,試料温度と設定温度がよく一致したことにより熱分析測定中に起こった反応 並びに試料状態の変化,微妙な色調の変化を特に色と温度の関係をスペクトルの変化とし て追跡できることは,この昇温拡散反射スペクトル法が遷移金属錯体のサーモクロミズム の研究にのみならず示温塗料(サーモカラー)3・23)の開発に大きな活力を与える手段となる ことが大いに期待される。
4, 結 論
以上の実験から得られる結論を箇条書きにする。
○試作した昇温拡散反射スペクトル測定装置は常温における市販の拡散反射付属装置によ る既知物質の拡散反射スペクトルと同一であり,性能には変わりがない。
○昇温拡散反射スペクトル測定中における試料温度と設定温度の偏差は±0.2°Cであっ て非常に小さく,また積分球および試料の保温性が増大したため,結局試料温度の制御 性が著じるしく向上し,反応速度の早い試料も追跡し得るようになった。
○熱分析測定時に肉眼では観察しきれない試料粉末の状態測定や微量の粉末試料でも MgOで希釈すれば充分に昇温測定ができる。
○昇温拡散反射スペクトル測定装置の試作によってCo(teaH)2Cl2錯体のサーモクロミズ ムは昇華によるものではないことが明らかとなった。
○拡散反射の条件を満たす固体物質なら,固体状態における遷移金属錯体のサーモクロミ ズムの他に熱屈析性などの状態測定が直接測定されるため,固体物質の研究に有効な手 段である。
5. 謝
辞
本報の昇温拡散反射スペクトル測定装置の試作について御助言をいただいた立教大学理 学部漆山秋雄助教授,熱分析測定で御協力をいただいたお茶の水女子大学理学部冨田 功 敦授に深く感謝いたします。
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