青 森 西 地 域 の 地 形 に つ い て
鈴 木 史 朗
( 1 )
はじめに青森湾治洋地域においては,港岸段丘などに関する,多くの研究報告がみられる。たとえば,
〈喜田
1 9 6 5 )
,大問時(大矢‑ f f i
瀬1 9 5 7 )
,青森平野(鈴木19 7 0
,)1 9 6 2
)等があるが,油J I I
から鑓田までの南北約2 5
Km'とついては,今だ伺の報告もなされていない。そこで筆者は当地域の段丘の分類・
対比を行ない,さらに若干の地形発達を考察した。議査方法は,現地譲査のほか,
土奇形関,榔図,ポーザンゲ資料を用いて行なった。
ζ ζ
にその結果を報告し,先学諸氏の締叱.iE,御教;恭を仰ぐ次第である。(め地形態費概観
調査地域背後民連なる山地は, ~とから!領民
(478m)
, 待腰岳(627m)
,器産岳(567m)
大 禽 岳 (677m
), ナニ岳(540m)
,馬の神山{ら49 m , )
帯、八森(352m)
等があ り,ほほ高北方向i
と瀧なる。脊梁山脈は一般に高{則ほど低山性となり,北部の急峻牲に辻ベ南 部は標高3 0 0 . . . . . . . . . . 5 0 0 m
の丘陵牲を示す。ζ
の脊提出雛の東側に沿って構北に走る断騒線があち その前面i ζ
段丘や嘉状地等が発議している。なお,蓬田村の郷沢付近から寄託は,慨2‑‑4
主犯 の族長な梅岸平野が約20
Kmの長さにわたって分布している。当地域の地震は,主として第
3
系の砂泊〈味場ケ沢j 爵 )
,誕灰岩〈 ‑二本松壊し (不動の滝麗〕であり,そ3
糸の貫入, (祷腰岳。,喝の神山〕なども し ている。( 3 )
区分本地域の段
f
正面をその高震・開析度,護覆火出灰の色やj
享 おつの正!,Iした。
第
I[宅地れ/刀¥類週I'I¥d.e.応
鑓理事制緑江二二一‑
r r m 国 判 域 ぷ
( a )
6 0‑‑"8 O mで, では, と鵠
J f l
の板野綾酉万.c.,蟹自の南若では,繭2
Kmと広く分市しており,かなり関軒されて緩傾斜で上万の丘稜iζ
移行している。下方の中位 甑との境は,急室長となっておらず次第民高護を減じている。土産積物はー棋に薄七三内付近で はシルト,擦の上に暗福色の粘土質火山灰がのっている。なおこ島主部を北北西から甫南東に芝る断暑に沿った配列を本している。
(訪中位段丘
‑ 18‑
30‑‑‑50m で,蓬田村の五松台・ 村と月森と く分布している。又,この中位段
市で ハナ
正面上氏
下方の低位段丘i ζ 務行している
Oと
も明確ではなく,
に,砂と諜〈 3 ‑ ‑ ‑ 1 5 ち,紗鋲:
をともない,その上
1L.2 m ほ 含まれ,
L
l J 灰がのっている
となっている
Oは , , * . 立 砂
が主体をなし 1 cm 大 の 小 磯 , 灰 色 淡 董 色 の 粘 土 を 按 み , 砂 輯 l とはクロスラミナが丸述して
いる
Gその上に 0.5m
ま(っている。
た
〉
では,
15‑‑‑20m で , 調 査 地 域 の ほ ぼ 中 央 に 位 霞 す る 蓬 田 野 木 和 湖 の 東 岸 や 提 舘 付 近 i と J L
く発達している。
している
O講 或 物 は , ほ と ん
よって していむいが,河川が畿 るあたりで諜暑が火山灰によっておおわれている心が智繋できる c 又 ,
との比高が L5‑‑‑3m で明僚な段丘患をなし,堆植物は,ラド担的
jのよく発
している。 ζ している。
とんどで,…部に私土を挟み も時さ . o 5 ‑ ‑ ‑1 m ほどでは 達している地域で・は,
と非常に類恕した ある主主 ω
もう l つ日につく地形は闘状地でみる。中でも I .阿弥陀川によ
4 0 m , 1 0 m り されている。又, [ t 言 河
J [ る 。
ろ立大のも
l"' 0 火
し,扇頭部ではかなり 性低地がみられる。
( 4 ) 段 丘 面 の 対 比
もある
Cさら i ζ
詰1 1 1 の南には,天田内JfIと新井田Jl I による
を 3 語;こ区分した主主 ζ の 3面や棋高・関析護・火山灰・
か ら , 他 の 先 学 諸 氏 の 医 分 さ れ る も の と 対 比 す る と 第 I 表の捺くなった
O第
1
表 段任対上土表瀬
矢
雅出 彦自 !1 9 7 0
青 森 平 野
1 1
9 ら~I
ご
J
レメぷs . . ‑ + ‑ ‑
問王寺王200 190
180
i1 1
第170 I
1 1
160
i150 140 130 120 110 100 90 80
60
30 20 10 。
(的 地 形 発 達 に つ い て
第
1
表の段丘対比表舎もとにして,f~t.
かち謹田村にかけて次第に じてきて,
m 芳 m~
1 9 6 5
3
段 I正
2
段段
1 1
陛務付ームクヲい
1 9 5 6
関 東 地 万 南 部錦 殿 峠 段 丘
ド末富段
i壬
!草野段丘 立 JI[段 丘
してみると,蟹
t H 町
している。詞様に野本和鵡村近から油J1[にかけて次第
ζ i
高度や減じて段 l壬の分布がみあたらなくなる。つまりこれらのことから考えると,北部・南部員地域に比べて しているのではな
l'
かと考えられる。相対的に詑降
そこで青森湾の等深隷図によると,ほ廷内真部の東側の海;おと
3
つの平担な面がみられる。場
μ 1 ) ( a . )
t:~定説T 必~ル
o (‑‑‑
1 0
浦 河
‑J'誌持制i 1 略式
走紛い;河野玲¥¥
~品.J4
斗 イ L
J¥
宮 ハ ‑ r I ' 可 愛 サ
これら各面が.
fAl 真部付近の投石:未発達拙践とど
: 柊r f
h:携勾 して〈るの刀、〈わしいボーリ ンゲデータや関係、腎料がないため,不明である c 又 ,
して~,るそ し て 段 丘 の 高 号 変 化 は . 大 ま か に 党 れ ば , 傾 I t f ' を受けたと考えられるむつまら
: 1 仁 i ζ は
相当 G ,第 2 ・ 3 段 丘 は き わ
一方く,北主、ではかなり桔対的 して t,るらしし'"
と 大 体 高 受 か ら い っ て も 立 し て い る の で タ 去
の地盤運動といえるであろう し ,
fア1'‑より, とすれば氷河制約i こよ
と
形成されたことになる。下末 まずミンデノレーワス罰水期になり,
を , ワスーヴ"イ)[" 〈太田 1
9 6 8)とすると,
し ,
n,そして次に ; 1 スーヴ
イノレム 中 それと共に蟹田 J I
もJ 杉或され
たと考えられる
Oその後ヴィノレム氷期の 100m
な ち , 両 面 が 0.7 ml
まされた。
( 6 ) おわりに
以仁述べてきたことをまとめると次のようになる
J iま , ( 6 0'"
8
Om),
中(30"'50m) ,
{町立段丘(1 5‑...‑20m )の
3蓬田Jl I ・阿弥陀 H I による 天田内川によ
ら
としては, て,次第に
ヒ(1!宇t :
L,
ており,そして又,強打!付近から内真部
i
とかけても向様足額斜している。つまち内真部付近で は,段丘の分布がきわめて簿くなり,梧対的i ζ
他地域より詑障しているのではないかと考えら れる。本地域の中位設丘形成期は,下来事面と問機に, リスーヴィルム関氷期と考えられる。なお今後の研究課題として残ったのは
8 0 m
以上の地域の王手担面の取り扱い方,火山民に よる段丘形成期,青森構丹のポーランゲ資料を用いた丹真部付近について等であるq本調査研究にあたって,経始御指導頂いた教育学部の水野助教授,教養蔀の今井助教授始め,
地理学研究室の後輩諸君民惑諾致します。
参 考 文 献
O
長 谷 浩明(1962)
津軽半島の海車段丘はついて〈第2
報〕 東北地理第15
巻 第4号。今井 敏信
(1974)
蓬田村総合開発基本語査報告書〈第2
.A設建業〕o~ ヒ村信・若井武多国先fj. 中 111 久夫(
197 2 )
.青森泉の地質。 大 矢 雅 彦 台 市 瀬 忠 告 (
1 9 57)
下 記 半 島 の 誇 弾 地 形 資 聴 科 学 研 究 所 嚢 報43
号。 鈴 木 敏 員1J(