• 検索結果がありません。

- 藤村前後

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "- 藤村前後"

Copied!
12
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

藤村

『旧主人』

前後

語りと描写についての覚書‡

『破戒』(一九〇六) に先立って書かれた『旧主人』(一九〇二)

その

他の藤村の作品群を通観すると、そこには語り方の微妙な変化の跡が見

られる。それらの作品には情欲を人間の本質とするゾライズム的人間観

が流れており、同時に藤村自身の身辺的体験がそこに投入されている、

と見られてきている。またそれらの作品は「夢の崩壊」 「愛の喪失」

いう意想をもっているとも見られており、私もそれを重視したいと思う

が、本稿では、語りのスタイルという角度からこれらの作品について考

え、藤村文学における描写的表現の確立過程について検討したい。物語

学隆盛の昨今、リアリズムや描写に対する評価は低下してきているが、

それらは人間解放と人間否定を同時に体現する両義的な表現方法として

近代文学においては軽視できないものである。

『旧主人』は、奉公人お定が主人夫婦の不仲を覗き見しながら語る小

説である。お定は母に付き添われてはじめて奉公に上がった日の柏木か

ら小諸への道中を次のように語る。

「斯して親子連で歩くといふことが、何故か是日に限って恥しいや

高 橋 昌

うな悲しいやうな気がしました。浅々と青く萌初めた麦畠の側を通り

ますと、丁度其畠の土と同じ顔色の農夫が鍬を休めて、私共を仰山ら

しく眺めるのでした。北国街道は小諸へ入る一筋道。其処迄来れば楽

なものです。昔の宿場風の休茶屋には旅商人の群が居りました。『唐

松』といふ名高い並木は伐倒される最中で、大木の横倒になる昔や、

高い枝の裂ける響や、人足の騒ぐ声は戦闘のやう。私共は、親子連の

順礼と後になり前になりして、松葉の香を履で通りました。」

この小説で採られている文体は(です)調であり、奉公人にふさわし

い平明な口調である。彼女は見たこと感じたことをよどみなく流れる時

間軸に沿って語る。農夫や旅商人の群れや並木の伐倒など風景の凝視は、

語り手が「順礼と後になり前になりして」あるいてゆく歩調を乱さない

程度にされている。そしてその報告には必ず「恥しいやうな悲しいやう

な気がしました」「楽なものです」「戦闘のやう」という主観的な感想や

見立ての言葉が付随する。

このように『旧主人』 の語りの特徴は①作中人物お定による、時間進

行を主軸とした過去の出来事の報告であること ②この語り手は出来事

の客観的な報告ではなく主観的な感想をまじえた報告をすること

女は時間進行を妨げない程度の空間的な描写も時々はすること、である。

(2)

それぞれの例をもう少し挙げておくならば、①としては 「越後誰で、

『若布はようござんすかねえ』と呼んで来る声を聞くと、もう春窯で忙

しい時になるのでした」「奥様は家庭を温泉の宿のような気で、働くと

いふ昼があるでなければ、休むといふ夜があるでもなし、毎日好いた事

して暮しました」などの時間進行に沿った言述、②としては、主人夫婦

の仲をいうときに「外目にも羨ましいほどの御睦じさ」といい、奥様の

美しさをいうときに「女の私でも恍惚となつて了ふ程」などと語り手自

身の感情によって事象を説明する姿勢、③としては「暗くはあるが、低

い霧のやうに灰色に見えるのは、微い雪の降るのでした。往来の向で道

を照して行く人の小提灯が、積った雪に映りまして、その光が花やかに

明く見えるばかり」というような描写的記述、などがそれである。

「小説の中の描写文がどうもテクストの種類において物語本体とは異

なる」ものであり、「描写において起こることは、話の時間が妨げられ、

凍りつくということである」というチャットマンの見方に従えば、『旧

主人』はどちらかというと描写よりも物語の特性を強く持っている。ま

たシュタンツェルは物語を、④局外の語り手による物語 ⑧「私」の語

る物語 ⑥作中人物に反映する物語 の三つに分類し、概して⑧⑥の語

りは空間に対して親近性を示し、④の語りでは時間的な語りが優位にな

る、ともいう。『旧主人』は⑧であるが、その傍観性と報告性のゆえに

時間的語りがとられ、語り手が物語の参加者でもあるがゆえに空間的な

描写の要素も少しは持っている。『落梅集』で詩から離れたあと最初に

書いた小説で、藤村がこのような作中人物を語り手とするスタイルをとっ

たことの意味をどう考えたらよいだろうか。この問題をまず藤村の先行

作品に遡る中で考えてみたい。

藤村の極初期(一八九三年頃) の創作としては一方に 『琵琶法師』

『茶のけぶり』などの劇詩があり、他方に『馬上、人世を懐ふ』『人生の

風流を懐ふ』など自己表白的な随想がある。前者は汚濁の世になじめぬ

「文弱」 の異端者を主人物とするドラマであるが、浄瑠璃的な七五調の

セリフに制約されて、意想がコンベンショナルな無常観にとどまってい

る。一方、随想は観念的ではあるが美文の中に「詩神」を尋ねるという

浪漫的な観想を述べるものである。この時期の藤村文学ではドラマと自

己表白が別々の形式で表現されており、小説という形式はまだ成立して

いない。

一八九五年頃、藤村ははじめて『葛の葉』『二本榎』 などの小説的な 作品を書くようになる。『葛の彙』は「気が変」 で「禄でなし」 といわ

れる主人公が恋ゆえの愚行で家にいられなくなる話である。前半はセリ

フとト書きを書き分ける芝居の脚本のような文体であるが、後半、主人

公が後指を指されて故郷を出てゆく道すがらの場面に、語り手が作中人

物の内へすべりこんでその心中を書くような表現がみられる。

「別れも告げず、顔も見ず、とぼとぼと朝露を踏分けて二歩行き一

歩もどり、上松の宿をはづれてまだ名物蕨餅の親茶屋までも来らざる

に、一町程の坂を超ゆれば早や十里の関を経てたる思ひ、笑止にもま

た哀れなるは寅吉の心なり。」

が、その一部である。ここも対句を用いる浄瑠璃的な表現のゆえに「寅

吉の心」が平板に語られるにとどまっており、内面や外景も彼が歩く時

間進行の枠内で語られている。が、ここで眼につくのは視点の錯綜であ

(3)

る。「とぼとぼと」は寅吉の歩行動作にこもる彼の心中を外から見た記

述であるのに対し、「経てたる思ひ」は寅吉の思いの内側からの記述で

あり、また「笑止にも」以下は語り手の主観的な見方の記述である。こ

こには、作中人物の心中を外在化して表現しようとする姿勢と、心中を

語り手が説明してしまう姿勢の混交が萌芽的に見られる。人世の空間化

としての芝居と、主情的な自己表白、という二要素を統合する表現がこ

こで模索されているといえよう。

この頃から藤村は一方で新体詩を書き始め、それが 『若菜集』 (一八

九七) に結実するのであるが、新体詩における自己表白が『人生の風流

を懐ふ』などの茫漠とした観念性を払拭し得たのは、一面では藤村詩が

通俗的で流れのよい芝居のセリフを源流として成立したからだといえよ

う。その反面、詩において自己表白に集中することによって、表白の内

容が、芝居の空間を形成するような世俗的な他者との関係を断ち切った

詩人内部のより深い所からの声となり得たともいえよう。 のとは一味ちがったものになった。同時代の多くの作家と同じように、 ここで彼が直面したのは人間の内部をいかに客観化するかということで あった。小説『うた〜ね』(一八九七) はそのぎこちない試みであった

といえよう。

『うた〜ね』は、姉川中佐(小説前半では少佐) の息子小一(やや知

恵のたりない弱虫) が軍隊から脱走してしまったので、父が息子を銃殺

しなければならなくなる、という酷いえにしを一主題としている。この

小説は不評の中にも、「細描曲写、明快にして晦の所なし。就中叙景の

如きは、ま〜神往の好文字を見る」と、描写についてはまずまずの評価

も得た。それは『うた〜ね』 の語り手が描写的態度をとろうと努力して

いるからであろう。この語り手は、人物の内部を表現する際になるべく

独自によらず、外部を描写することで心理の間接的表現をしようとして

いる。

「お国はいままでなんの余念もなく舞台を眺めてゐたが、小一を不

『小説神髄』(一八八五) によれば、演劇と詩は前時代の表現形式で

あり、登場人物の動作、対話、独自によっては表現し得ぬ心の内部(人

情)を描写しようとするのが近代小説であった。いわゆる地の文の表現

に近代作家は腐心しなければならなかったのである。その意味では、

『葛の葉』などで小説を試みても藤村文学はまだ演劇という古い器を打

ち破り得ていなかったといえよう。しかし、独白を芝居のセリフという

場から切り離して自己内部の襲を女性や恋や自然に託してゆくりなく表

現する詩を書く、という詩作を経た後の彼の小説の試みはそれまでのも 思儀そうに見て、暫く小首を傾けて芝居の方も見ずにゐた。」

「花が落ちても掃捨てず、自然のま〜に任して荒れてゐたのを、や

れ植木屋をいれろ、やれ草をむしれ、やれ尻端を追って鉄足でやれ、

と少佐は元気よく庭の手入もしてゐた。」

などがその例である。しかし傍線部分は描写ではなく語り手の主観的説

明である。「小首を傾けて芝居の方も見ずにゐた」 という外部の描写を

すれば、それだけでお国が小一の様子を何か気にしているということは

読み取り得る。また、庭の手入れに熱心になったということを書けば、

それだけで少佐が「元気」 になったということばわかる。にもかかわら

ずこの語り手は通俗的語彙による説明癖を持っていて、それが作品を冗

漫なものにしているのである。

(4)

が、次の文は(時間が止まる)といってもいい描写である。

「こゝは小高い岡の上の広々とした野で、右の方は松や、樅や、落

葉松のたぐひが生ひ茂ってゐる。落葉松はまるで枯木のやうになつて、

その間に見える樅の大枝は、えいと一筆に引いた画工の力のあふれの

やうだ。東の方の空は灰色の雲につ〜まれて、故郷の方へ飛ぶ烏のか

げも見えない。たヾ大黒山が高く雪をいただいて、その白彩が人の目

を照してゐるばかりだ。

馬を下りて樅の樹に革の手綱をつないだ。この自毛は中佐が最愛の

友のやうに思ってゐる飼馬である。房々として柔かく長い嵩を撫で〜

やつて、中佐は言ふに言はれぬ哀しい心になつたが、馬も主人の気を

知ったものか、白毛の大きな首を中佐の方へ向けて、あまへるやうに

中佐の方へよつて、深紫の静かな眼で中佐を見てゐた。中佐はその白

い嵩の中に自分の頑をさし入れて、泣きむせんだ。」

息子に手をかけなければならなかった宿命に打ち砕かれる中佐の内部

に荒涼とした無彩色の風景がすべりこみ、彼は悲しみに捉えられる。こ

うした部分が小観子の評価した「叙景」 の例だと思われるが、ここでは

まだ外景が「画工の力のあふれのやうだ」と比喩によって説明され、外

景自体の描写に徹することによってそれを内面化するような表現になっ

ていない。そのことが、風景を見ている中佐の内部表現の通俗性と相関

している。「言ふに言はれぬ哀しい心」というのは凡辞であり、このよ

うな感傷的慣用的表現を出ない心理説明が他にも「中佐はほとはと狂人

のやうになつて」とか「露よりもはかない命だ、噴、はかない」 「悲み

のうちの悲み、夢のうちの夢、腸もちぎる〜ばかりの中佐の大罪」など

と作中に氾濫しているのである。

全体としてこの作品はまだ語り手の主観的解説が描写より優勢である。 しかしこの引用文で注目したいのは、それが語り手による客観的描写の ようでもあり、また「こ〜は……」という際の視点が作中人物姉川のそ れのようでもあることである。ここは(作中人物に反映する語り)となっ ている。さらに深まりのある心理表現を実現するために近代小説が欲し たのは客観的でしかも内側からの視座であり、『うた〜ね』 も局部的に

ではあるがその視点を持ち始めているといえよう。

姉川が息子小一を銃殺する場面は『うた〜ね』中でも最も深刻な心理

描写が要求されるところであるが、語り手はそれを「なかには中佐の顔

を見るに耐えないで、脇を向いてゐるものもあつた」 「中佐は顔色も変

らない、手も戦栗へない、休も動かない」と極力外部の描写で切り抜け

ようとしている。しかし中佐のこの平気を装った外部と悲しみに満ちた

内部との断層をやはり言葉にしないではいられないらしく、語り手は

「軍夫の三吉」という周辺的人物に樹の上からその場面を見させ、「顔色

も変らず、手も震えず、休も動かさずに居るとは、どんなに心の中が切

ないことであろう、どんなに悲しいことであろうと、思へばぶるぶると

手足が震へて、三吉は白楊の樹から落ちた」と中佐の心理を推測させる

という方法をとっている。ここで作中の傍観者が設定されているのは、

語り手の解説や作中人物の独白を避けつつ、心理をより客観的に表現す

るためといえよう。作中に傍観者を設定するというこの方法は『旧主人』

に受け継がれてゆくが、それは内面描写のためのひとつの過渡的試みで

あった。

『うたゝね』 で萌芽的に見られる描写的方法は『破戒』以降の自然主

義的作風に直通してゆくものである。『破戒』は「二階の窓に椅任几って

眺めると、銀杏の大木を経て〜飯山の町の一部分も見える」と、はじめ

から丑松の眼を通して、つまり(作中人物に反映する語り)によって世

(5)

界を描写するという方法をとっている。そして例えば一章ノ一では十月

二十六日午後五時少し前、というデジタルに切りとられた瞬時における

蓮華寺が場面化され、「半月程前」 の不快な出来事は、丑松が 「転宿を

思ひ立った」理由として、いま蓮華寺にいる丑松の内部に封入されてい

る。こうした叙述は時間進行に沿った解説的なものではなく、空間の描

写の中に時間を凝結させる、いわば集中的な表現といえよう。一章ノ二、

三は比較的淀みなく時間進行に従って事の推移が語られるが、それでも

町なかの労働者の顔つき、雑誌屋の店先、大日向が下宿から追い出され

る場面などが次々とモンタージュのように挿入されて時間はたびたび遮

断される。

一章ノ四も「『懐悔録』を披げて置いて、先づ残りの巻煙草に火を点

けた」と、丑松が『憾悔録』を読もうとしている瞬間を描出し、その姿

勢に丑松を固定しておいて、著者猪子の思想や来歴を語ってゆく。つま

り本に没頭したり、自分の人生を考えたりして時間を忘れている丑松の、

読書の揚という空間を枠として、その中に猪子や丑松の来し方という時

間が封入されているのである。杉山康彦氏は『藁草履』 (一九〇二)

『千曲川スケッチ』(一九一二) の山の記述を比較し、前者が「変化を瞬

間瞬間にとらえるのでなく」「総括的説明的」 であるのに対し、後者は

「瞬間にきびしく立っている」という。継起的時間を空間化して凝結さ

せることによってひきしまった物語展開をねらうのが『破戒』以降の描

写の態度であったといえよう。

『破戒』は、その描写的態度によって客観的な、しかも内側からの視

座を持っており、ここに藤村の文学はリアリズムのひとつの方法を確立

したのである。『うた〜ね』と『破戒』は三人称を用いた (作中人物に

反映する語り)を試みているといえるが、その間に書かれた『旧主人』 は主観性の強い (私による語り)を用いている。これにはなにか必然的

な意味があるのだろうか。

久保由美氏は、近世文学から明治小説への推移の過程でテクスト外の

作者とテクスト内の叙述者の分離が進み、その叙述者も①人格と肉体を

持つ叙述者、からしだいに㊥無色透明無人格の叙述装置、に変質していっ

たという。④の叙述者による「客観的描写においてこそ、作中人物の意

識しえないその深層心理をも対象とすることが可能になるのである」と

(10)

久保氏はいう。

無色透明の叙述者が要求されたのは、『小説神髄』

「ひたすら世間

にあるべきやうなる情態をのみ措きいだして、さながらの真物のごとく

見えしめむこと」を近代小説に求めたように、表面上は世間にありがち

な平凡なストーリーに依りつつ深層において「真」を表現するような作

風の要請と関係があると思われる。世間によくある風俗小説である以上、

作中人物は世間並の人物であり、その人物が世間並を超えて人世の「首ご

に触れるような独白をすることは不自然である。従って作中人物の世俗

性と作品自体の真実性という間隙を埋めるような表現が必要となるので

ある。そうかといって作者や語り手が「首ご の意味を解説すると、彼が

人格である限り特定の主観や偏見を免れず、近世文学的な作者の顔出し

と変わらない作風になってしまう。前記『物語の構造』 は、文法的には

三人称で語りつつ一人称に収赦するような語り手(これは (作中人物に

反映する語り手)ともいえ、また久保氏のいう④の叙述者ともいえる)

を「物語の精神」と名、づけるトーマス・マンの考え方を紹介している。

(6)

世俗的な物語に「真」を付与するために邁進が推奨したのは、特定の

主観を排し「他人の将棋」を見るような傍観的な眼で事態を「模写」す

るという方法であった。それは言い換えれば (作中人物に反映する語

り)

によって、物語の間隙に無言のうちに「物語の精神」をあぶりだす

描写の方法だったといえよう。

描写によって「真」を穿つということば、些細な事物やありきたりの

空間を微細な部分まで丁寧に見ることによって、それまで誰もしなかっ

たような斬新な光を事物に当てる、言い換えるならば事物に心的生命を

あずけてしまうという表現方法であり、ここではだれかの解説的口調は

かげをひそめるのである。その結果、描写が成功した作品においては

「物語の精神」は誰かが語るのではなく、叙述装置としての映し手によ

る描写のいたるところに宿るのだといえよう。内部の葛藤や混沌を動作

や外界にぶつけて描き切ってしまわない限り、さきの『うた〜ね』のよ

うに事柄や風景の描写をしてもそれが凝結的なものとならないままに、

語り手の主観的説明を補わなければならないのである。

『破戒』以降の藤村文学はまぎれもなくこのような描写的態度を強め

てゆく。たとえば『春』(一九〇八) は、やがて自殺する苗木が最後に

友人(市川) と会って別れる場面を、

「二人は江戸橋まで一緒に乗って、そこで挟を分たうとした。橋の

方を流れる濁った水、低く舞ふ鴎、肪ってある船、それから腰を曲め て船坂を洗って居る男‑なにもかも黄昏時の空気と煙に包まれて見

えた。河岸に添ふて並ぶ蔵の白壁も青白く沈んだ。なまぐさい魚類の

臭気は何処からともなく匂って来る。最早ちらちら灯火がつく。橋の 上には鞄を擁へたり荷物を負ったりした人々が、がらぐ曳いて通る

車の問を避けて、いそがしさうに往ったり来たりした。苗木は市川の 後姿が荷車の影にかくれて、終に見えなくなつて了ふ迄も見送った。 長いこと、彼は橋の畔に立って居た。」

と苦く。ここには心理の説明的記述はなく、(橋) という凝縮された場

に、人世の様相と青木の位置や思いが託されて措かれている。『春』

(水)を一種の換喩的表現としてしばしば用いるが、終局で、旅立とう

とする主人公の送別会のあとのところでも、

「連中は一緒に他の畔を歩いた。盛に話したり飲食したりした部屋

は、岸の是方から明るく見られる。灯は静な暗い水に映って居る。一

夕の酒興は未だそこに残って居るかのやうでもある。」

と書かれる。青年達が歓談した部屋の窓灯が他の反対側から見える、と

いう描写は、その光と距離の効果によって、彼らが共有した数年問とい

う複雑な時間を明るいぬくもりのままに空間化して封印する。最後の一

文が説明的ではあるが「清興は未だそこに残って」というのは、精神を

空間化しようとする描写的態度を含んだ説明である。

こうした表現をするようになった藤村は、それを 「写生」 といい、

「深山に山灰焼きの煙の立ちのぼるのを眺めるにしても、そこに生死する

人があると心着く迄には、多少物を観る稽古が要る」という。その

「稽

古」として彼は「先づ局部を視るといふことから始めて

また始め

から物の大体を視るといふことは無理だから

それから次第に事物

「真」を得るといふ事へ近づかうと心懸けた」ともいう。この発言か

らは、「局部」を丁寧に視ることが「真」を得ることにつながる、とい

う意味を汲むことができよう。「炭焼の煙」 という 「局部」 の描写が

「真」を得るためには「そこに生死する人」

局部的現象の背後にあ

る「根本」 のようなものlを透視することが必要だと彼ほいう。し

かしその 「根本」を描写的表現は目一ハ体的には語らない。さきの 『春』

(7)

橋や他端の窓灯という局部的物体についても語り手はそれがどういう

「根本」を含んでいるかを明示しない。描写とは本質を語るのを避け、

その発見を読者に委ねてしまう方法だといえよう。

正岡子規は「写生に精神を加へるといふのは大作には必要であるが、

普通の画は写生したばかりで多少の精神が加はるものである。(中略)

因より位置の工夫とか場処の選択とかいふ事はあるけれど、特別の精神

とかいふて、りきまんでも善い場合が多い」といっているが、対象物の

選択や構図という視覚的操作によって 「精神」 (真) は引き出されると

いうことであろう。

明治文学は外的描写の中に 「真」 の表現を求め続けた。しかし同時に

「首2 は特定のものとして語られるべきものではなかったのである。そ れは、「真」 は特定の実体としては存在しない、という認識と紙一重で

あり、シニシズムやニヒリズムにつながる。描写的文学の究極ともいえ

る自然主義は、醜悪や獣性を人間の 「百ごとみて、それを外形的描写に

よって表現しようとしたが、その 「真」 の認識は、近代ヒューマニズム

がもたらすはずだった積極的な 「真」を否定するものであり、描写とい

う近代の方法はここで、近代の無を言外にあばくというアイロニーをか

かえるのである。描写とは特定の 「百ごを信じない懐疑的態度とも、裾

晦の方法だともいえよう。自然主義の描写的作風は、非人格化した叙述

装置による、語ることを回避する表現態度によるものであり、それは

「真」 の実在を信じない認識ゆえの表現なのである。

『うた〜ね』 の頃、すでにラスキンの 『近代画家論』 を参考にして

「写生」を志していた藤村は、近代小説に必要なのは描写であることを

認識していたはずである。『うた〜ね』 で芽を出しかかったその方法は

しかし順調には展開しなかった。描写はニヒリズムの究極において徹底

的に主観的感情を排除する方法であり、そこに至るために作家はみずか

らのかかえる感情をなんらかの形で処理しっつ、透徹した表現者として

自己確立しなければならない。詩人藤村は、近代的な感情の解放を求め

ながら「破りはつべき世ならねば/身は狂ふこそ悲しけれ」(『壮年の歌』

一九〇〇) と、「世」 によって 「狂」 に追い込まれる疎外感に圧迫され

ていた。『葛の葉』 や『うた〜ね』 で知恵の足りない少年が主人公とさ

れたのも疎外感を哀訴する表現である。そのように愚人、狂人として

「嘲笑」されるという受動的な存在様式から離れて世と自己を対象化す

るために、言い換えるならば『うた〜ね』 の語りからどうしても排除で

きなかった感傷的主情を断ち切り、感情を主体とする浪漫性から感情を

客体化する写実へ向かうためには、世をも自己の感情をも「嘲笑」して

遥かかなたへ遠ざける反発的な一過程が必要だったのではないか。『旧

主人』 で、作者から遠い作中人物が傍観的語り手として設定されている

ことのひとつの意味を私はそこにみる。

語り手お定によって女主人綾はどのように見られるのだろうか。巡礼

を見て戻する綾についてお定は「世間といふ鎖に繋がれて否が応でも引

摺れて、其日々々を夢のやうに御暮しなさるといふよりか、見る影もな

い巡礼などの身の上の方が反って自由なやうに御恩ひなさるのでした」

(8)

という。ここでは、この作品には珍しく「自由」という抽象度の高い言

葉が使われている。「草枕」の詩を知っている読者はこの部分から、綾

が『若菜集』の詩人のように近代的解放を求めているのかと思うが、他

の多くの部分でお定から見られる綾はそれはど知的懐悩をしているわけ

でほない。「奥様は外の御歓楽をなさりたいにも、小諸は倹約な質素な

処で、お茶の先生は上田へ引越し、謡曲の師匠は飴菓子を克て歩き、見

るもの間くものも鮮いのですから、唯かぎりある御家の内の御歓菜ばか

り」というように、綾の不満は御稽古ごとができない、着飾って出かけ

る楽しみもない、田舎暮らしの篭の烏の退屈さ、という次元のことなの

である。「私の一生には夢が附纏って居る」という思わせぶりな綾の言

葉も、せいぜい 「夢見」がいいか悪いかという程度のことである。「自

由」とか「夢」という詩的言語を軸にしてこの小説が近代精神の問題を

まともに扱っていると考えるには少し無理がある。「自由」

「夢」

いう言葉が文学の中で本来持つはずの内実と、お定の目に映る綾の様子

との問には落差がある。これがこの作品の一つの特質である。精神の解

放の問題は、お定という田舎女の語りによって、彼女の認識できる次元

に引きずりおろされ棲小化されているのである。作者よりもはるかに小

さな世界しか持たないこの通俗的な語り手を採用することによって、こ

の小説はある種の皮肉小説となっている。

『旧主人』はこの卑小な語り手の判断と感想で埋め尽くされているの

だが、彼女はしばしば「田舎の女程物見高いものは有ません」とか「女

の歓菜はど短いものはありません」と「ほど」という助詞を使って、ひ

とつの見方を絶対的心理のようにいう。多面的視角を持たないのにはば

かりなく断定を下して疑わないようなこの語り手の口吻からも、この小

説の世界がそうした語り手の認識を出ない限定的な世界であることが読 者には感じられる。

綾に裏切られた仕返しをしようとする気になった時に「私は女の本性

を顕したのです」というお定の「女の本性」観や、嫉妬を「男の本性」

と決めつける一面的断定も小さな語り手のものである。男女の 「本性」

を嫉妬や復讐心と見るのは、性における自然的本能を人間の本質と見る

ゾライズムの人間観といえるが、それを認識程度の低い語り手に言わせ

ているのがこの小説の態度である。つまり、それによってゾライズムの

人間観が相対化されているのである。どんな新しい思想も人々はこの程

度の認識でしか理解していない、という日本近代の精神風土への絶望的

侮蔑の眼で小さなお定は形象されている。

この単純な語り手は、自分の憧れの対象であった綾が自分を可愛がっ

てくれたわけでもなんでもなく、ただ下女を利用するだけの人だったこ

とを鈍感にもかなり後で知るのだが、そこには憧れの対象が実はウロだっ

た、という幻滅の認識が鯵んでいるように思われる。それは主従関係か

ら人間同士の関係へ、束縛から解放へという近代への憧れがむなしく裏

切られるという幻滅感の通俗化された表現だともいえよう。

この小説はその語り手の性格によって、①「自由」や「夢」という詩

的言語と作中人物の意識の落差、②人間獣性という認識の通俗化、③憧

憬の対象が空虚であり虚偽であることからくる幻滅感、というようなア

イロニーをかかえることになった。近代にあると思われた「首ごの虚偽

性、空洞性がこうして語られたのである。性愛を通して「世間の鎖」か

ら「自由」を求める、という『若菜集』や『落梅集』が主情的に表現し

たテーマを『旧主人』は受け継いではいる。しかし、この小説はそうし

た近代の根本問題をまともに掘り下げるのではなく、作者から遠い語り

手を視点とすることで世界をばかばかしさに染め上げている。歯医者が

(9)

綾の歯を抜くポーズをする最後の場面や、そこに「天白王陛下万歳」

の声

を響かせる趣向にも、あるべきものとあるものの落差から生ずる戯画的

アイロニーが漂うのである。作中の語り手の採用は、作者と作品の癒着

を防ぐ方法であると同時に、世界を離れて観て戯画化することによって

辛うじて近代への幻滅を対象化するためにとられた態度であった、とい

えよう。この語りは、近代への幻滅という感情を客体化することによっ

て処理しようとする途中で、それがまだ屈折した形で残存していること

を示す語りである。本稿冒頭に触れた 「夢の崩壊」 は、物語内容の問題

として藤村個人に直結させて見るのみでなく、時代に対する意識の言説

化という方法のレベルからも見るべきことだと思われる。

『爺』(一九〇三) も『旧主人』と同様に 「私」 という作中の語り手

が「愛と侠とは木曽男子の生命ですからな」というような一面的で通俗

的な断定を挟みつつ、数人の男とお島との性的関係を語る。その男のう

ちの誰の子かよくわからない美少年(皮肉にもその子の名は操)をお島

が育てたことについて語り手は「吾臍は画工や彫刻家よりも大な事業を

為たのです」と大仰な言葉で満足げに語る。放縦な性を楽天的に肯定す

るのがこの語り手の世界観であるが、作者がそれに同感しているかどう

かは不明である。が、この語り手は『旧主人』 のそれと同じく作者から

遠い存在であり、彼が一面的人間観に終始して満足感を強調すればする

はど、作者の戯れの態度と、「真」 の不可視性という皮肉が浮き上がっ

てくるともいえよう。

『藁草履』(一九〇二) の語り手は「昨夜はおちおち眠りません」とか 「昨日の今日でせう」と語るように作品内の時空に居合わせるが、物語 には参加していない透明な傍観者である。この語り手は、前掲杉山文が いうように「晴れて行く高原のながめは、どんなに美しいものでせう」 と主観的な感想によって風景を語り、描写に徹してはいない。そして 「土地の者の競馬好と釆ては

そりやあ、もうこの手合が酒好なとお

なじやうに」とか「功名心の深い源(吉)」などと気軽に主観で人を性

格づける。こうした語りのゆえにこの小説もまたある皮肉をかかえてい

る。

怪我をしたお隅が馬にくくられ、夫源吉に連れられて町の医者へ行く

途中、馬が暴走してお隅は死ぬ。お隅の検死が済み、「源に何の告がな

い」ということになって源吉父子は「ホツと」したと語り手はいうが、

源吉に 「告がない」という結論に語り手は疑いをさしはさまない。お隅

が怪我をしたのは遡って考えれば源吉が彼女を殴ったからであり、お隅

を死に追いやった間接的、道義的責任を源吉は免れないはずである。し

かし、お隅が死ぬことによってその事実は闇に葬られ、源吉親子が黙っ

ていれば実情を知る者はいなくなる。それが「お隅はお前の命を助けて

呉れたぞよ」という父の言の意味である。ここには、事実が消され虚偽

の上に人生は営まれる、という世界の空洞性と、妻を死に追いやっても

罪意識より保身の意識が先にはたらく本能生活者のエゴイズムが立ち上

がっているのだが、語り手はそういうことには気がついていないようで

ある。この小説は「喜劇的、咲笑的」な本能肯定の小説なのではなく、

最後にオチのようにアイロニーを示して本能的生活への一種の侮蔑を含

むものとなっている。それは制約された作中の語り手の意識と、その外

側にある作者(あるいは読者) の意識との落差から生ずるものである。

この語り手は作中の傍観者であるがゆえに競馬に燃える源吉の胸中を

(10)

語る時、「厚い口唇に自慢らしい微笑を湛へました」「源の得意は思ひや

られました」などと推測的表現をするしかないのであるが、この語り手

ほ『旧主人』の語り手と違って肉体を持たず、作中のどの場面にも立ち

会っている透明な存在である。それ故に、いつの間にか源吉の「胸の中

には勝負のことが往ったり来たりするばかり」と、推量表現ではなく直

接表現をしばしばするようになる。それとともに大体は(です)

(ま

す)という会話口調で語ってきたのが、時折描写的叙述をする時に、 「見渡せば木立もところぐ。枝といふ枝は南向きに生延びて、冬

季に吹く風の勤さも恩ひやられる。白樺は多く落葉して、高く空に突

立ち、細葉の楊樹は掘るやうに低く隠れて居る。秋の光を送る風が騒

しく吹渡ると、草は黄な波を打って、動き磨いて、相の葉もうらがへ

りました。」

と、(である)調を混ぜてたたみかけるような表現をするようになる。

ここに芽生えた描写的態度は、次の 『老嬢』(一九〇三) に受け継が

れる。『老嬢』 の語り手もまた「青春の表層を感じた時ほど、女の身に

とつて堪へがたいことば有ません」「緑蔭はどんなに孤独の心を慰める

ものでせう」と、通俗的で主観的な感慨を述べる語り手でもあるが、殆

ど肉体や主観を持たない叙述の装置になりかかっている部分も少なくな

ヽ‑

「丁度、合歓の花ざかりで、この廊下を美しく見せる。欄近く垂れ

る花の気息は、蒼ざめた夏子の顔に香ひか〜るのでした。夏子は目を

細くして、それを嘆いで見ると、急にあの若い画家のことを思出した。

美術家といふものは妙に女の心を引きつけるもので、是迄幾人か交際

した男のことを考へても、斯な心地はしなかつた。(中略) 夏子は三

上に導かれて、御蔭ですこしは自然を解するやうになつた。あ〜も言 った。かうも言った。それからそれへと記憶を辿って見れば、楽しい 思想が来て何時の間にか夏子の胸に宿りましたのです。」

など、心理の立ち入った表現や自然の描写になると、しだいに (です)

調が消え (た)調になって、夏子の心中や風景が直接的に再現されよう

とする。(作中人物に反映する語り)がここに見られるようになるので

ある。語り手は作中の傍観者というよりは、局外にありながら作中人物

の内部に棲む複合的な存在になりかかる。

作中の語り手の設定ゆえに『旧主人』以下の作品では、世界の卑小、

空洞、虚偽が作者と物語世界の間隙に漂っていた。『老嬢』 ではその虚

偽性は「恋の夢なぞは昔の話よ」「幸福といふ言葉も旧いのよ」「私達は

皆、偽」「この虚偽の世の中に、どうして其様に面白く御飯が戴けませ

う」「精神を自由なものとさへ知らなかつたなら、斯うして篭を出て飛

んで見ようとは恩はなかつたらうものを」と夏子の言葉として明示され

る。この小説では虚無の認識が戯画的アイロニーとして放り出されるの

ではなく、夏子の内部と外部に同時に棲む (映し手) が、「情執州」

「批評したり解剖したりする程の冷酷」を合わせ持つ夏子の複雑な内部

をひらいて見せることによって、「精神の自由」と「社会」 との落差か

らくる「狂気」 の問題を真向から作品の主題とするに至っている。また、

性や出産というゾライズム好みの事象も、『旧主人』 などのように人間

「本性」として観念化されて語られるのではなく、精神の問題を暗示

するための素材として描写的に扱われている。描写とは、世界の虚偽性、

真の不在を、内側からと外側から同時に表現する恰好の方法だったとい

えよう。

っ、づく『水彩画家』(一九〇四) ではもう作中の語り手は設定されず、

「高慢らしい、とは言へ痛しい目付をして、妻を助け乍ら歩いたは、

(11)

夫。黄ばんだ光をすら恥ぢらつたやうに、罪の深い額をうなだれて、

夫に寄添ひ乍ら歩いたは、妻。冷々とした夜の山気を浴びながらの夫

婦の心は

悲しいやうで発しかつた、楽しいやうで悲しかつた。

見れば深い鳶色な樹葉の蔭を泄れて、地に落ちた月の光は煙るやう

であつた。杜も、林も、水を打ったように唱を沈めて、今は静息して

居るらしい。足許に鳴き悲しむ媛蜂の歌は、夢のやうな地の声かとも、

神秘な夜の音楽かとも。

二人は並んで黙って歩いた。」

と、(局外の語り)と (作中人物に反映する語り) の結合した描写に徹

しようとしている (傍線部分に感傷的表現を残してはいるが)。そして

ここに、藤村特有の (目付) による内部表現が始まるのである。『旧主 人』『藁草履』から『老嬢』『水彩画家』 へと作中の主人物がしだいに作

者自身へ近、、つくにつれ、逆に客観化がきわだってゆく、という過程を明

治三十年代の藤村の小説史は示している。

藤村文学は、作中の語り手を設定することによって世界を遠隔化し戯

画化するなかで幻滅と虚偽を認識基盤とする、という屈折した手続きを

経たのち、真率に自己内外の虚しさを客観化するなかで「精神の自由」

と「社会」 の落差を凝視する方法を手にいれていったのだといえよう。

そうして成立したのが『破戒』『春』『家』 であったが、それらがいずれ

も作者の分身を主人物としたのは、一面では、『旧主人』の語り手がもっ

ていた主観的感情の別の形の付与の方法だったともいえるかもしれない。

明治三十年代文学を傭撤すると、三人称による描写的作風が確立する

前のこの時期には、一人称を使う作中人物を語り手とする小説が多く書

かれた。鏡花『高野聖』、独歩『少年の悲哀』『運命論者』、花袋『野の

花』『重石衛門の最後』などがその例であり、漱石『我輩は猫である』 もそのひとつと見てよいであろう。総じていえば、それは作者の直接の 顔出しを防ぎ、物語世界を作者から切り離して対象化するための方法で あった。これらの作品が共通してもっている戯画的あるいは奇讃的要素 は、作品世界と作者との距離が大きくとられていることと関係しており、 そこには物語と小説の相互干渉という過渡的な様相が現れているといえ よう。また一面では、これらの作品は(「私」 による語り) を必要とす

るような主観性をもっており、その主観性が、三人称的視点で作者自身

を語る私小説自然主義の作風を生む一要素となってゆくのではないか、

とも思われる。『旧主人』も、こうした過渡的な作品のひとつとして同

時代の作品群との関係において捉え直されるべきであるが、これについ

ては他日を期したい。

(注)

(1)高橋クニ子「藤村と「旧主人」「藁草履」」(『解釈と鑑賞』一九五六・三)、

瀬沼茂樹『評伝島崎藤村』(増補新版、実業之日本社、一九六七)

(2)十川信介『島崎藤村』(筑摩書房、一九八〇)

(3)大田正妃「藤村『旧主人』考」(『キリスト教文芸』一九八七・十一)

(4) S・チャットマン 「小説にできること、映画にできないこと (そしてその

逆)」(W・J・T・ミッチェル編『物語について』海老根宏他訳、平凡社、

一九八七所収)。G・ジュネット「フローベールの沈黙」(『フィギエールⅠ』

風の薔薇、一九九一所収)も描写は「筋を明らかにするというよりもこれを

中断し、遠ざける」という。

(5) F・シュタンツェル 『物語の構造』(前田彰一訳、岩波書店、一九八九) (6)十川信介「『若菜集』と近世歌謡」(『日本文学』一九八一・一) は、近松 の浄瑠璃や近世歌謡の 「類型性」が『若菜集』 に流れこんでいることを指摘

する。

(12)

(7)三好行雄『島崎藤村論』(至文堂、一九八二) は、実生活上の 「日常的時

間からの解放」が詩の表現に必要だったというが、それは詩の表現・において

生活的な場面を切り捨てていることと見合うだろう。

(8)小観子「藤村の 『うた〜ね』」(『新声』一八九七・十二)

(9)杉山康彦『散文表現の機構』(三一書房、一九七四)

(10)久保由美「近代文学における叙述の装置」(『文学』一九八四・四)

(11)

この例として石橋思案『乙女心』や嵯峨屋おむろ『薄命のすヾ子』などが

ある。

(12)藤村「写生」(『新方町より』一九〇九)

(13)子規「写生、写実」(『ホトトギス』一八九八・十二)

(14)

「新体詩人なぞといふことは多くの人には嘲笑を意味した」(『早春』一九

三六) と藤村は詩人であった頃を振り返っている。

(15)前掲大田文に綾の知性の底の残さについての指摘がある。

(16)前掲高橋文。亀井勝一郎『島崎藤村論』(新潮社、一九五三)など。

(17)目付による表現については前掲三好文に詳論がある。

(18)山田有策「『緑葉集』の世界・そのこ(『東京女子大学論集』一九七五・

九)

は、(語り) の文体が夏子の内部に踏みこんでゆくことを妨げた、と指

摘する。そのアポリアを超えるための描写の文体が『老嬢』 には採り入れら

れはじめている、と私は見る。『老嬢』 における会話文と、語り手の

(で

す)調の説明的言説との問の亀裂が『水彩画家』の 「独白体」 によって克服

された、と指摘する千田洋幸「『緑葉集』論」(『学芸国語国文学』一九九一・

三)が興味深い。が、『水彩画家』の語りは「独白体」 であると同時に一人

称と三人称の結合した描写体でもあると私は見る。滝藤満義「『水彩画家』

から『家』 へ」(『横浜国立大学人文紀要』一九八五)は『水彩画家』の文体

を作者の「直接的な自己投入」によるものと見るが、それも「自己投入」で

あると同時に自己客体化をめざす描写文だと私は考える。母や妹という伝吉

への批判者の登場は、自己客体化と連動しているといえるのではなかろうか。

参照

関連したドキュメント

Maurer )は,ゴルダンと私が以前 に証明した不変式論の有限性定理を,普通の不変式論

ヒュームがこのような表現をとるのは当然の ことながら、「人間は理性によって感情を支配

在させていないような孤立的個人では決してない。もし、そのような存在で

「欲求とはけっしてある特定のモノへの欲求で はなくて、差異への欲求(社会的な意味への 欲望)であることを認めるなら、完全な満足な どというものは存在しない

日本でコルク製品というとコースター、コルクマット及びコルクボードなど平面的な製品が思い付く ことと考えますが、1960

料からの変更を 除く。)又は、 第二九一五・二一号の産品へ の 他の号の材料からの変更 (第二九一二 ・ 一 二

大村 その場合に、なぜ成り立たなくなったのか ということ、つまりあの図式でいうと基本的には S1 という 場

神はこのように隠れておられるので、神は隠 れていると言わない宗教はどれも正しくな