Author(s) 村松, 晋
Citation 聖学院大学論叢, 23(2) : 210-192
URL http://serve.seigakuin-univ.ac.jp/reps/modules/xoonips/detail.php?item_i d=2777
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SEigakuin Repository for academic archiVE松 田 智 雄 に お け る 信 仰 と 実 践
︱︱ 戦後 長野 県農 村で の試 みを 中心 に︱
︱
村 松 晋
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問題 の所 在] 松田
智雄
︵明 治四 十四 年~ 平成 七年
︶は
、イ ギリ ス経 済史 研究 の大 塚久 雄や 旧約 学の 関根 正雄 らと 同様
、最 晩年 の内 村鑑 三に 師事 した キ リス ト者 であ り、 その 大塚 とも ども 戦後 の西 洋経 済史 研究 を牽 引し た 存在 とし て名 を成 した 人物 であ る。 後半 生に は、 駐西 ドイ ツ公 使や 図 書館 情報 大学 学長 等の 要職 を歴 任す るな ど、 社会 的活 動に おい ても 大 きな 足跡 を残 して いる
。 松田 はこ うし た公 職に あっ て、 みず から の信 仰を 前面 に出 すこ とは なか った が、 しか し亡 くな る直 前ま で、 キリ スト 教系 学生 寮の 理事 長 をつ とめ
、ま た同 じ内 村門 下で 独立 伝道 に立 った 先輩 の文 集編 纂と そ の刊 行に 尽力 する など
、生 涯を 通じ て信 仰に 基づ く︿ 実践
﹀を 地道 に 続け た人 でも あっ た。 すぐ 後で 述べ るよ うに
、中 でも 敗戦 直後
、長 野 県北 佐久 地方 の農 村調 査を 行う とと もに
、繁 務の 傍ら
﹁農 民福 音学 校﹂
と称 する 集い を催 し、 同地 で農 業に 携わ る人 々に キリ スト 教信 仰を 繰 り返 し問 いか けた 点は 注目 され る()
。
1
思う に﹁ 国民 経済
﹂の 確立 とい う課 題意 識に 貫か れた 松田 の研 究業 績は
、優 れた
、そ して 活き た学 問の 常と して
、後 進の 学徒 によ って 乗 り越 えら れて いく 宿命 を持 つ。 しか し松 田の
︿実 践﹀ とそ の思 想、 な かん ずく 敗戦 後の 長野 県農 村に 働き かけ た松 田の 志は
、そ の時 代に あっ て意 味あ るも ので あっ たの はも ちろ ん、 時を 隔て た現 代に 対し て も、 一つ の示 唆を 投げ かけ るも のと 思わ れる()
。本 稿で はこ うし た課 題
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意識 に基 づい て、 敗戦 直後
、松 田が なし た信 州農 村へ の働 きか けを 手 がか りに
、そ の思 想に おけ るキ リス ト者 の︿ 実践
﹀の 位置 づけ を、 信 仰の レベ ルに まで 掘り 下げ て問 い直 すこ とを 目的 とす る。 その 意味 で 限定 的な 立論 とな るが
、し かし 本稿 の試 みは 大塚 久雄 に比 べ論 じら れ るこ とが 格段 に少 なか った 松田 とい う存 在を 新た に照 らす 試み にと ど まら ず、 その 松田 を映 す同 じ光 源は
、大 塚ら の思 想的 遺産 を現 代に 照 射す るう えで も、 寄与 する とこ ろが ある と考 えら れる ので ある
。
[2
︿隣 人愛
﹀の 位相
] 既述
のよ うに 松田 の︿ 社会 的実 践﹀ は、 敗戦 直後 の長 野県 北佐 久地 方に おけ る農 村調 査と
、併 せて 現地 で試 みら れた 農民 への キリ スト 教 宣教 が代 表的 であ る。 結論 を先 取り して 言え ば両 者は 無関 係に 並列 す るも ので なく
、い ずれ も松 田の 信仰 に促 され た営 みで あっ た。 別の 角 度か ら言 うな らば
、松 田の 信仰 に裏 打ち され た︿ 隣人 愛﹀ の具 体化 が、 農村 調査 とキ リス ト教 宣教 の試 みだ った
。そ うし た︿ 実践
﹀と 不可 分 な信 仰、 具体 的に は信 仰と 生活 の問 題を 二元 論的 に分 離せ ず、 その 両 者の はざ まな る実 存的 緊張 を粘 り強 く負 い遂 げよ うと する 松田 の信 仰 の詳 細に 関し ては
、別 稿()
にて 論じ たの で、 ここ では 松田 の︿ 実践
﹀を
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方向 づけ たそ の︿ 隣人 愛﹀ 理解 に着 目し
、自 覚の 位相 を詳 らか にす る こと から 始め たい
。最 初に 注意 を促 した いの は、 昭和 二十 四年 の﹁ 倫 理と 歴史
=社 会﹂ にお ける 次の 一節 であ る。 隣人
愛の 倫理 は階 級闘 争の 倫理 では ない
。む しろ
、そ のよ うな 限定 を許 さな い無 条件 的愛 であ る。 そこ には 対立 階級 間の 関係 に つい ても
、何 らの 除外 例も 設け られ ては いな い。 それ は、 キリ ス ト教 の、 また プロ テス タン ティ ズム の倫 理の 欠陥 なの であ ろう か。 そう では なく て、 これ はそ の隣 人愛 の倫 理の もつ 峻厳 性︱ 時と 場 所の 如何 を問 わず
、階 級社 会で も、 無階 級社 会で も、 一切 に適 用
され なけ れば なら ぬ倫 理で ある から であ る。 だか らこ そ、 プロ テ スタ ンテ ィズ ムも
、こ の隣 人愛 の倫 理を 高く 掲げ る。 隣人 愛は
、 うち なる 自然 によ つて も、 外側 の自 然に よつ ても
、ま た人 と人 と が作 り上 げる 社会 構造 の中 にお いて も、 多く の障 害に 遭遇 せざ る をえ ない
。そ の障 害に 対し て、 隣人 愛は
、し かも 峻厳 に誡 命と し て与 えら れ、 その 実現 を迫 られ る。
﹁貧 しく かつ 乏し く﹂ ある 状態 にお いて
、﹁ 汝ら の仇
﹂に 対し て、 サマ リヤ 人と ユダ ヤ人 との 間に おい て、 愛に おい て自 然に 対す る働 きも 生ま れる であ ろう し、 階 級・ 人種
・宗 教の 区別 を問 わず
、愛 は働 かな けれ ばな らな い()
。
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注目 すべ きは
︿隣 人愛
﹀の 形容 とし て、
﹁与 えら れ﹂
﹁迫 られ る﹂ と ある よう に、 受動 の表 現が 用い られ てい る点 であ る。 この 事実 は松 田 にお いて
︿隣 人愛
﹀と いう もの が、 その 内容 にお いて も対 象に つい て も、 それ をみ ずか ら﹁ 限定
﹂し たり
、逆 に﹁ 除外 例﹂ を設 けた りし て、 いわ ば﹁ 先取 り﹂ でき るよ うな 性格 のも のと は理 解さ れて いな いこ と を示 して いる
。あ るい は、
﹁時 と場 所の 如何 を問 わず
﹂の 一語 が象 徴す るよ うに
、松 田に とっ て︿ 隣人 愛﹀ の対 象は
、そ の時 々に
﹁与 えら れ﹂
、 愛す べく
﹁迫 られ る﹂
、き わめ て︿ 現在
﹀的 な存 在と して 把握 され てい るこ とを 照射 する
。 さら に昭 和二 十六 年の 論考
﹁高 原の 記録
﹂に おい て次 のよ うに 述べ られ てい るこ とも 示唆 に富 む。 いわ く﹁ 福音 の赦 しの 働き は永 遠的 か つ絶 対的 であ るが
、潔 めは 時間 的で もあ り具 体的 であ る。 その 具体 性
とは
、苦 悩を 除去 する 実践 がな けれ ばな らな いと いう こと であ つて
、 実践 とは
、正 しく
﹃医 者﹄ の働 きで あつ て、 健康 者の 問題 でな く病 者 の問 題に 他な らな いの であ る()
﹂と
。
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ここ では 松田 の考 える
︿実 践﹀ につ いて 重要 な点 が提 示さ れて いる
。 それ は﹁ 時間 的で もあ り具 体的 であ る﹂ と言 われ てい るよ うに
、方 法 をあ らか じめ
﹁固 定化
﹂し
、一 律適 用で きる よう なも ので はな いと 把 握さ れて いる とい うこ とで ある
。別 の角 度か ら言 うな らば
、﹁ 実践 と は、 正し く﹃ 医者
﹄の 働き であ つて
、健 康者 の問 題で なく 病者 の問 題 に他 なら ない
﹂と の表 現が 証し する よう に、 松田 にお いて
︿実 践﹀ は、
﹁医 者﹂
﹁健 康者
﹂の
﹁問 題で なく
﹂何 より も﹁ 病者
﹂本 位で 行わ れる べき 営み であ るこ と、 すな わち
、神 から その つど
﹁与 えら れ﹂ 愛す べ く﹁ 迫ら れる
﹂︿ 隣人
﹀に 即し
、あ くま で彼 らの
﹁苦 悩を 除去
﹂す る目 的で
、﹁ 具体 的﹂ に遂 行さ るべ きも のと 捉え られ てい ると いう こと であ る。 然ら ば、
﹁与 えら れた
﹂︿ 隣人
﹀に
、し かも
﹁病 者﹂ とし て苦 しむ
︿隣 人﹀ に即 し、
﹁具 体的
﹂な 愛の
︿実 践﹀ を行 うに は、
﹁医 者﹂ たる 主体 の側 に何 が求 めら れる のか
。こ の問 題を めぐ って は昭 和二 十四 年の 論 考﹁ 日本 の病 患﹂ で、 松田 が明 確に
﹁病 患に 対し て、 私共 が深 く悲 し みを 知る 者で なけ れば なら ない()
﹂と 述べ てい るこ とが 興味 深い
。こ こ
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で松 田は
﹁病 者﹂ の﹁ 病患
﹂を
、単 に﹁ 知る 者で なけ れば なら ない
﹂ と言 うの でな く、
﹁病 患に 対し て、 私共 が深 く悲 しみ を知 る者 でな けれ ばな らな い﹂ と、 あえ て﹁ 悲し みを 知る
﹂こ とを 強調 して いる
。言 い
換え れば
、﹁ 病者
﹂た る︿ 隣人
﹀に 即し
、そ の﹁ 苦悩 を除 去﹂ する
︿実 践﹀ を行 うた めに は、
︿隣 人﹀ の﹁ 苦悩
﹂﹁ 病患
﹂を 理論 的・ 傍観 的な 立場 から
﹁知 る者
﹂と なる ので なく
、み ずか ら﹁ 病者
﹂の 立場 に立 ち、
﹁苦 悩﹂
﹁病 患﹂ を負 う︿ 隣人
﹀の
﹁悲 しみ
﹂を
﹁具 体的
﹂か つ﹁ 深く
﹂
﹁知 る者 でな けれ ばな らな い﹂ と力 説し てい る。 こう した 叙述 から まず 窺え るの は、 松田 にお いて 農村 調査 の試 みは
、 農村
・農 民を
︿隣 人﹀ とし て﹁ 深く
﹂﹁ 知る
﹂と いう こと
、す なわ ち︿ 隣 人愛
﹀の 一環 とし て位 置づ けら れて くる とい うこ とで ある
。こ の意 味 で松 田に おけ る農 村調 査は
、﹁ 机上 の研 究﹂ の枠 にと どま らな い、 信仰 的な 意味 を付 与さ れて いた こと を読 み解 く必 要が ある
。し かし なが ら 看取 すべ きは この 点の みで はな い。 とい うの もさ らに 松田 は同 じ﹁ 日 本の 病患
﹂で
、﹁ 病患 を癒 すた めに は医 者で なけ れば なら ない し、 また 看護 人で なけ れば なら ない()
﹂と
︿実 践﹀ の主 体の 内実 を述 べる 文脈 中、
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イザ ヤ書
章の 一節 を引 用し てい るの だが
、そ こで
﹁ま こと に彼 はわ 53 れら の病 患を おい 我ら のか なし みを 担え り()
﹂と
、特 に﹁ 病患
﹂の 語を
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あて てい るか らで ある
。 これ らの 事実 は松 田に おい て、
﹁与 えら れ﹂ た︿ 隣人
﹀に 即し ての 具 体的 な︿ 実践
﹀は
、か の﹁ 苦難 の僕
﹂さ なが らに
、み ずか ら︿ 隣人
﹀ の﹁ 病患 をお い﹂
、そ の﹁ かな しみ を担
﹂う こと
、そ の営 みを 通じ て﹁ 病 者﹂ たる
︿隣 人﹀ の﹁ 悲し みを 知る 者﹂ とな るこ とに よっ てこ そ遂 行 され ると 念じ られ てい たと いう こと
、別 の角 度か ら言 うな らば
、
︿隣 人﹀ を﹁ 深く
﹂﹁ 知る
﹂と いう 表現 に松 田が 込め た意 味世 界と は、 対象 につ