チ
ベ
ットにおける阿弥陀経の受容
││訳経の視点から││
ぷ‘レ: 円E仁
正
霊
頁
チベットにおける阿弥陀経の受容はじめに
十九世紀末、漢訳文献にもとづく日本の伝統的な仏教の研究環境の下に、党訴を柱としたインド学的研究が新 たな仏教の学問形態として導入された。当時のチベットへの関心、すなわち峨訳仏典への関心は、そのような近 代仏教学の展開と密接に結びついていたようである。インド仏教の伝統をそのまま受け継ぐチベットには、党文 原典が保存されていると見られていたし、その蔵訳はインドの伝承の正確な逐語訳として高く評価されていたの ① である。その辺りの事情は河口慧海や能海寛の一言動から知られる。実際、ラサのポタラ常やチベットの僧院から - 27一
大量の党文写本が見つかっており、今再ぴ注目されているのがチベットである。 @ さて浄土教にかかわるインド学的研究については、南条文雄が先鞭を付け、党文原典からの︿無量寿一勧﹀と ④ ︿阿弥陀経﹀の翻訳研究が行われた。彼に続いて、寺本腕雅、青木文教、河口慧海等が蔵訳本から次々と翻訳研 究を行っており、当時この浄土教分野の研究が活発に行われていたことを知る。彼らは、蔵訳本に党文原典とは 異なる読み方をする箇所が幾つかあることを指摘するが、その思想的特徴に踏み込むことはなかったし、その後 もそのような視点から研究が深められることはなかったように思われる。本論稿では、﹁響願﹂をキーワードとして︿阿弥陀経﹀の党文原典と蔵訳本とを比較し、それぞれの特徴とその背景を浮き彫りにすると同時に、イン ド仏教の伝統を継承するチベット仏教において阿弥陀浄土教がどのように受容されていったのかについて、訳経 の視点から明らかにしようと試みるものである。
蔵訳本の特徴
チベットにおける阿弥陀経の受容 ︿無世一寿経﹀および︿阿弥陀経﹀の経腿について、インドではその両者ともに=∞岳gg 仲 間 ︿ 3E=という名 で伝本されていた。漢訳の伝承では、︿阿弥陀経﹀に鳩摩羅什訳﹃阿弥陀経﹄と玄奨訳﹃称讃浄土仏摂受経﹄が あって名称は一致しないが、︿無量寿経﹀の漢訳は﹃大阿弥陀経﹄﹃無量清浄平等党経﹄﹃大乗・無量寿荘厳経﹄な ど、一貫して仏名を表題に掲げている。他万チベットでは、︿無量寿経﹀を﹁聖なる︿無量光如来の荘厳﹀と呼 ばれる大乗経典﹂(司gmmB︿6 ι
令指
Bar-σraEVNFgσ3gsom宮
n Y 2 3 . 日 ヨ 含 ) 、 す な わ ち ζ ﹀5
1
帥 σ g ぐ 可 口 Hgzといい、また︿阿弥陀経﹀を﹁聖なる︿極楽世界の荘厳﹀と呼ばれる大乗経典﹂(司冨習志 ︿ σ u o g g ロ 間 三 σ r a B V N F g σ E g p o m E n F 2 3 4 5 色 。 ) 、 す な わ ち = ω z w F 雪印仲間︿苫 } g = と い い 、 そ れ ぞ れ 別名で伝承されていた。 チベットでは七世紀前半にゾンツェン・ガンポ.土の時代にインドと中同より仏教が導入され、 八世紀後半サム イェ寺での宗論において勝利してチベット仏教の主流となったのは、シャl
ンタラクシタ・カマラシl
ラの師弟 に継承されたインド系漸門派の仏教であった。そのような性格のチベット仏教教川のもと、基本的に仏典の峨訳 ⑤ は、九世紀はじめの﹁決定訳語﹂による改訂を経て今日に至っている。諸本の奥書によれば、︿阿弥陀経﹀には インド入学僧ダl
ナ シl
ラとチベット人翻訳宵イェシェデの翻訳・校訂であることが記され、また︿無量寿経﹀⑥ には、インド入学僧ジナミトラ、ダ
l
ナシl
ラ、チベット人翻訳宵イェシェデの名が見える。現存する蔵訳写 本・版本陶には訳語・訳文の差異はあるが、きわめて部分的なものであり、一系統の伝承において転写される問 ⑧ に起こった差異の純川内に収まるといえよう。その制訳者の年代から九世紀前半の翻訳と推定されるが、なお検 討の余地を残す。 チペ'"トにおける阿弥陀経の受容 党本︿阿弥陀経﹀との典同の観点からいえば、別椅の以本であった可能性も考慮しなければならないほど、蔵 訳との違いの顕著な個所があるが、全体としては一致している。先に翻訳は必ずしも逐語訳になっていないこと ⑨ を述べたが、︿阿弥陀経﹀の蔵訳文を党本と比較したとき、種々の相違点・問題点のあることが報告される。そ の翻訳態度としては、基本的に仏教を受け入れたチベット人自身が読んで理解可能な現実的な表現に改める方向 にあったといえよう。ただ思想的な面では、インド人僧と共同して翻訳作業が行われていることから、蔵訳本は インド人翻訳者が所属した学系の解釈を反映している可能性も考慮しなければならないであろ旬。 -29-阿弥陀経焚本第十章と蔵訳本との対応関係
︿阿弥陀経﹀において、党本と蔵訳本の聞で顕著な訳語・訳文の差異が見られるのは、第十章と第十七章であ る ︿阿弥陀経﹀の構成は、周知の通り、第十章を境に前半と後半・に大きく分けられる。前半部は、阿弥陀仏がま しまして種々の功徳で荘厳された極楽のすばらしさを釈迦牟尼仏が讃嘆し、善根を積んでその仏国土に生まれよ うと誓願すべきことを説く。そのまとめが第十章である。そして後半部は、釈迦牟尼はじめ一切諸仏が阿弥陀仏 とその国土を讃嘆する法門を信ずべきことを説き、信にもとづいて極楽世界に生まれようと誓願すべきことを説く。やはりそのまとめが第十七章である。そのように︿阿弥陀経﹀の意趣に関する筆者なりの理解を示しておく る の で あ る 。 が極楽浄土の世界に﹁誓願﹂を起こすことこそ、︿阿弥陀経﹀全体を貫く根本思想として位置づけることができ そこでまず︿阿弥陀経﹀が主題とする﹁誓願﹂(℃
E
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昏 倒
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について、第十章の記述から取りあげよう。党 本とそれに対応する蔵訳は次のようである。 チペットにおける阿弥陀経の受容 記述ω
︼ さらにシャl
リプトラよ、衆生はかしこの仏国土に ︻ 党 本 第 十 章 [生まれるために]誓願(買S
S
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を起こさねば ならない。それは何故か。シャl
リプトラよ、何とな れ ば 、 かしこではそのような善人たちと相見えるから である。シャl
リプトラよ、衆生は少しばかりの善根 によってアミタl
ユス如来の仏国土に生まれることは ‘ ‘ 、 .nU 4hdL 記述ω
︼ シ ャl
リプトラよ、それ故に善男子あるいは善女人 は、かしこの仏国土に生まれるために、恭しく諸善 ︻ 蔵 訳 本 同 根 を 廻 向 ( 色m o
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しなければならない。それは何故か。実に そのような善人たちと相見えるからである。シャl
リプトラよ、少しばかりの善根によって世尊アミタ ーユス如来の国土に生まれることはない。 党本傍線部の﹁衆生﹂(
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旦 守ω )
が、蔵訳では﹁善男子・善友人﹂(ユm
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ヨ ュ
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。)と翻訳ある いは理解され、﹁誓願﹂が﹁善根の廻向﹂と翻訳あるいは理解された。注H
すべきは後者である。蔵訳との遠い は後に論じることにして、今は党本の前後の文脈を追っていこう。 なぜ紙楽世界は願われねばならないのか。極楽世界では﹁善人﹂(
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窓)と相見えることができるという記述がこれに続く。﹁善人﹂とはここでは﹁菩薩﹂を指し、先に﹁清浄﹂(含
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邑 色 町 釦 ) 、 ﹁ 不 退 転 ﹂ ( 喜 三 吋E
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、 ﹁ 一 生 補 処 ﹂ ( 許 可m
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という 概念によって示された、大乗菩薩道を歩みそれを械めた聖者のことをいう。その械楽世界に生まれるために必要 なものが次に示される﹁普娘﹂である。﹁韮 u 根 ﹂(
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ヨ ロ
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)
とは、功徳を生み出す普業であり、またその果報 として生じた功徳でもある。替願を起こしても、量的にも質的にも少しばかりの普根では極楽世界に生まれるこ ⑬ と﹁少善根﹂を誠める言葉に﹁誓願﹂は結びつく。 と は な い 、 チぺ''1トにおける阿弥陀経の受容 蔵訳本の﹁諸普恨の廻向﹂とは、 そのように善行を積み重ねることによって生じたより多くの功徳を極楽世界 に生まれるためにふり向けることを意味するもので、誓願と善棋との結びつくを明確化した表現といえるであろ ⑬ 、 今 , F C - 31-その善根が具体的には何を意味し、蔵訳が誓願をなぜ﹁善根の廻向﹂と読み換え、またその根拠がど こにあるのかということである。蔵訳本は以下のように統く。党本もほぼ共通した内容である。 問 題 は 、 記 述 偽 ︼ { 蔵 訳 本 同 記 述 偽 ︼ {党本第十章 シ ャl
リプトラよ、誰であれ善男子あるいは善女人は シ ャl
リプトラよ、誰であれ善男子あるいは普K
人 世 尊 ア ミ タl
ユ ス 如 米 の 名 号 を 聞 く で あ ろ う し は、世尊アミタl
ユス如来の名号を聞くであろう ( ロ 削 ヨ ω 島M O
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、 聴 聞 し て 思 念 す る で あ ろ(
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。聴聞して思念し(同町O
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四夜、五夜、六 うし( m
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ュ 匂 丘 一 ) 、 一夜、二夜、三夜、 一夜、二夜、三夜、 日 、 一 円 四 一 何 回σ
山 、 命 己 ) 四 夜 、 五夜、六夜、あるいは七夜に至るまで、 心が散 夜、あるいは七夜に至るまで 心が散乱せず思念す 乱せず思念するであろう2
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。そのような善男子あるいは善女人はやがて命 終えるときに、 アミタl
ユ ス ( ﹀ 自 問R
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如来が声 間サンガに固まれ菩薩集同に恭敬されて、 かの命終え つつある者の両前に立たれるであろう。かれは心が願 倒することなく2
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の宮島)命終えるであろ う。かれは命終えて、まさにかの世尊アミタl
ユス如 チベ"/トにおける阿弥陀経の受容 来の仏凶土である極楽世界に生まれるであろう。 ば、かの善男子あるいは善女人が命終えるとき {.、 が傾倒することなくQ
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巳E
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ヨ ω ) 命終え、すでに命終えたときには、 アミタl
パ ( . 0 円二宮間ヨ包)如来は戸間サンガに川まれ帯議集 同が恭敬する面前に在し、 かの世尊アミタl
パ如来 の仏国土である極楽世界に生まれるであろう。 ここでは阿弥陀仏の名号を聴聞し思念するはたらき(
g
g
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日R
2
3
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、すなわち﹁念仏﹂が説かれる。聴聞 し念仏し、一夜、二夜、そして七夜へと継続して念仏することにより、心は散乱することがなくなり、ついに臨 終には仏が呪前して心は傾倒することがなくなるまでに安定する。その結果、極楽世界に生まれることができる ﹁ 岡 山 念 ﹂ と 訳 し た 原 語g m
g ω
ω
工宵とは、﹁作意﹂﹁思惟﹂などとも漢訳され、対象に注意集中し思索する心の は た ら き を 意 味 す る 。 党 本 に よ れ ば 、 仏 名 の 聴 聞( m g
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百円一)にはじまって、聞いて仏を注視し( m
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、無願倒(忠一宮司自g
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一 定 凶 ) というのである。5
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一 r R S E Z ) 、繰り返し実践することにより、 が向上していく過程を示している。 へと心 ︿般舟三昧経﹀では阿弥陀仏の念仏がェーι
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の語によって説かれ、︿阿弥陀経﹀との 影枠関係が川越となるところである。 また論伽行派がE
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吋州凶コを修行道体系において重視する点に近似性を認めることができる。﹃漁伽師地論﹄において、散漫な心を集中し三味へと向上させる九段階の心の安定(九種心住 の実時間は、六種力によって実現され、四種作意としてはたらくことが説かれる。 ロ 凶 ︿ 凶 } 内 問 吋 何 回 - n 一 立 一 ω ω 門 町 一 円 一 ) ﹀ } 1 v て示される﹁止﹂
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その六椅力には、聴聞や思惟(巳ロ片山)、憶念 ( ω ヨ ユ 一 ) の 力 が ・ 説 か れ 、 四種作意の﹁作意﹂とは=
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にはかならない。その作怠の力によって実現されるのが﹁観﹂(三宮m
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であり、それが職伽行派の﹁止観﹂ の実践体系であった。 後に述べるように︿阿弥陀経﹀の誓願による極楽往生説は、 そのような球伽行派から﹁別時意趣﹂の教説とし チベットにおける阿弥陀経の受容 て批判的に受け取られた。しかし、仏の教説は﹁意図をもって説かれたもの﹂(与E
S
B
昏苦)と龍樹によって ⑬ 指摘されるように、その別時意趣説は悌怠の人を誘引するための教説として位置づけられ是認されている。その 事実は、磯伽行派の﹁止﹂の実践体系と︿阿弥陀経﹀の念仏の実践体系とが矛盾するものではなく、共通の性格 その点は念仏の内容に関する記述から首肯しうるであろう。その念仏 - 33-と方向性をもっていることを意味するが、 を持般とするのが︿阿弥陀経﹀である。 さて上記のような記述①②をまとめる言葉が、以下のように第十章の末尾に・説かれる。 ︻ 党 本 第 十 章 ⑬ 記 述 ③ ︼ 記述偽} ︻ 蔵 訳 本 同 それ故にシャl
リプ卜ラよ、この道理を見て ︹ 私 は ] それ故にシャl
リプトラよ、この道理を見て、長日 以下のように語る、│﹁善男子あるいは善女人は、 男子あるいは善女人は かしこの仏国土に[生まれ か ばならない﹂と[私は]語るのである。 たいと]恭しく誓願253E
ヨ)を起こさなけれ ( n 一 件 同 省 吋2
5
5
5
)
を起こさねばならない﹂と。これは、衆生が極楽世界に往生するための条件を﹁誓願﹂(胃州富山岳宮山)に集約する言葉である。党本では記 述①には﹁誓願﹂とあったが、ここでは﹁心による誓願﹂(巳芹中旬
S
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舎営
ω ) とあり、微妙に表現が違っている。 心とは仰を意味するのであろうか。玄柴訳では﹁得問・:伝受発願、如説 では﹁心による誓願﹂という場合の、 修行生彼国土﹂(大正巳ぃω
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巳 ∞
1 5
)
と翻訳され、塩田願は信と行の二つの側而から従えられている。記述②に チベットにおける阿弥陀経の受容 示されるように、仏名の聴聞や岡山念という、善なる仏を対象とする清浄な心であり、念仏の実践を通してもたら される無散乱、無顛倒の心である。念仏の信的性格面を加味すれば、そのように仏を信じ念仏する心をもって極 楽世界を願うことが、党本では﹁心による誓願﹂と表現されていると文脈から判断できる。立てた誓願に対する 心のあり方が問題となっているのである。 ここでは蔵訳本は﹁欝願﹂とのみ翻訳している。先に党本の﹁誓願﹂に対し、蔵訳本では﹁諸説同根の廻向﹂ ( 且m o
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という訳語が与えられたが、﹁趨向﹂とは、たとえば﹁願以此功徳 平等施一切同発菩提心往生安楽園﹂(善導﹃観経疏玄義分﹄帰三宝偶)とい、 7 廻向文からも知られるように、 一種の誓顕であり、施与されるべき功徳の積み上げを前提としている。チベットではこの廻向句に相当するもの が﹁誓願文﹂であり、極楽国土に生まれるために誓願文を読諦することが誓願を起こすことだという解釈がなさ @ れ る 。別時意趣説との関連
先に︿阿弥陀経﹀と﹁別時意趣﹂との関係を指摘したが、党本のこの t n 庄 中 旬 円S
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という表現こそ、 職伽行派で問題祝されたのである。@ ﹃喰伽師地論﹄に﹁別時怠趣﹂の先駆的な記述の Hんられることが指摘されるが、川書では、往生する先の世界 は﹁清浄世界﹂といわれるだけで、﹁極楽﹂という岡有名をあげていない。しかし、その世界に地獄・餓鬼・畜 生の三悪道が存在しないことと、そして特にそこに生まれるための﹁意願﹂(三仏
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、すなわち﹁心 チベットにおける阿弥陀経の受容 による誓願﹂が︿阿弥陀経﹀との接点となる。主口薩は意願によって清浄世界に生まれる、と説く菩薩の諸教説に 対して、﹃聡伽師地論﹄は、十地中の第三地に入り願の白在牲をえた菩薩が願いのままに受生することを説くも のとした。ここで問題とされたのは、菩薩であれば誰しも盟国願をもっ中で、入地以前の凡夫の菩薩がその対象外 とされるのはなぜか、という点である。それに附合えて、陣怠の人には彼を励まして帯行に努めさせるために、 ﹁ 密 意L
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5
宮)をもって説かれたものだ、というのである。 その密意説を承けて、無着と世親の兄弟が著述にかかわった初期唯識論書では、その清浄世界が﹁極楽世界﹂ @ に特定され、﹁別時意趣﹂(冨]
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品σ
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の教説として︿阿弥陀経﹀が批判されるのである。 @ 別時意趣説には二種あるが、まず第一説を﹃大乗荘厳経論﹄から引用しよう。一 3
5-極楽世界に[生まれたいと]誓願を起こす者はかしこに生まれるであろう。 誓願によって必ず極楽世界に往生することを説く。しかし、往生する時は誓願を起こした今の即時ではなく、 修行を積み重ねていった先の別時に実現することを意図して説かれた。これが珠伽行派に受容された阿弥陀仏の 極楽国主である。 ﹃蔵訳小経﹄はそのような別時意趣の批判を当然知っている。玄笑訳がそうであったように、蔵訳本が響願に 対して﹁諸善根の廻向﹂という翻訳を与えたのも、善行の実践と結びついた﹁廻向﹂の観念をもって﹁替願﹂を読み換えることにより、誓願を行の立場で意味づける意図があったからではないのか。 また極楽世界を願うことは菩提を願うことに他ならないが、菩提を求める菩提心
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の 宮 ω ) に 、 ﹁ 誓 願 心 ﹂ ( 胃S E
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と﹁発趣心﹂(匂g
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・ 巳 芹 ω ) の二柄の別のあることが、シャl
ンテイデーヴァの﹃入技椛行 @ 論﹄に説かれる。その差異は、進んで行こうと願う人と実際に進み出した人との違いに相当する。さらにその二 種の菩提心は、カマラシl
ラの﹃修宵次第﹄に受け継がれ、行の有無の観点から論じられ旬。 インドに行った玄突は六三0
年代にナl
ランダl
僧院でシi
ラパドラに師事し学んでいるが、八世紀にはシャ チベットにおける阿弥陀経の受符 ーンテイデーヴアもナl
ランダl
で学んでいた。八附紀後半にチベットに渡ったシャl
ンタラクシタはナl
ラ ン ダーの学医であったし、彼の弟子がカマラシl
ラであった。喰伽行派に端を発した別時意趣の附.組は、発強日刊附心 における願と行の問題へと発展し、ナl
ランダl
の学系で展開した修道論を通して、チベットの浄土教思想にま で影響が及んでいると考えられる。 さらに別時意趣の第二説は次のようなものである。 @ 無垢月光如来の名を保持するだけで[人は]無上菩提に決定した者となる。 これは直接阿弥陀仏に言及するものではないが、どのような名の仏を対象としても、仏名の保持(問g
g
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)
と無上菩提との関係は、第十七章の諸仏の仏名憶持と不退転の記述と関係している。四
阿弥陀経焚本第十七章と蔵訳本との対応関係
いわゆる︿六方段 v において、諸功徳で荘厳された極楽国土を称讃する、あるいは阿弥陀仏を称讃する釈迦牟 厄・諸仏への信、またその言葉への伝が説かれる。諸仏への供養を説いて、特定の一仏、すなわち阿弥陀仏への @ 信をあらわすことがあり、そこにインド大乗仏教の特徴を見出すことができようが、ここではそうした信を ﹁心﹂の内実にして、極楽世界を求める﹁誓願﹂を起こす根拠が示されていると考えられる。またそれは念仏の チベットにおける阿弥陀経の受容 根拠でもある。 六方段において、釈迦牟尼はじめ東西市北上下の方角にまします諸仏が︿不可思議功徳の称讃﹀︿一切諸仏に よる摂取﹀という法門を伝ずべきことを説いたあと、後者の︿一切諸仏による摂取﹀という法門名の巾来を問う 形で、次のように第十七章に続く。 ︻ 林 凡 本 第 ト 七 章 記 ゐ ④ ︼ シ ャl
リプトラよ、誰であれ善男子あるいは普女人 は、この法門の名を聞くであろうし(ロ削ヨ包ZE
召 腎8
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一 ) 、 諸 仏 世 尊 の 名 を 憶 持 す る で あ ろ う ( 己g g
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竜自己)。そのようなかれらはすべて、諸 仏に摂取された者(
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となるであ ろう。また無上菩提において不退転の者2
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37-@ 記 述 ④ ︼ シ ャl
リプトラよ、善男子あるいは善女人は、この法 ︻ 蔵 訳 本 同 門およぴ諸仏世尊の名をすでに聞き(宮門ω
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宮 ﹃q
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、 A 1 聞き、あるいはやがて聞くであろう。そ のようなかれらはすべて、諸仏世尊によって摂取され る( ω g
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ロ σ N ロ ロ m σ ω ) で あ ろ う 。ュ
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削)となるであろう。それ故に、シャl
リプ トラよ、汝らは、私(釈迦牟尼)と諸仏世尊を信じ な さ い なS
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)
、信受しなさい、信頼し な さ い 。 チベットにおける阿弥陀経の受容 摂取の利益をもたらす行為について、党本では法門の﹁聴聞﹂と仏名の﹁憶持﹂(左官)をあげるが、成訳本 では法門と仏名の﹁聴聞﹂のみをあげて傍線部の﹁憶持﹂を説かない。また党本は不退転の利雄を加えるが、蔵 訳本では摂取の利益のみをあげて、傍線部の不退転の利益を説かない点に注怠を要する。 ﹁憶持﹂(久島吋)についていえば、第十章で無量寿仏の名号の聴聞と思念( 5
m g
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一
-t r 円)によって臨終時に仏 が現前すると説かれたことに対応するが、文脈から判断して仏名憶持による不退転の利益は付加的側面が強い。 @ この仏名憶持の念仏は称名念仏であることが明らかにされている。念仏は陀羅尼と同一視されることが古くから @ あったことも指摘される。いずれにしても、思想的にも、語源的にも、﹁思念﹂と﹁憶持﹂には違いがあり、区 別して考える必要があるであろう。 別時意趣の第二説中に説かれる﹁保持﹂(鳴各自己の訟も、憶持と同様、称名の意味をもっという点で、︿阿 弥陀経﹀に説かれる仏名憶持による不退転は別時意趣の第二説に通じる。向井[一九七七]は、この第十七章こ そ喰伽行派の別時意趣説による批判対象となっていることを指摘し、小谷[二O
一二]はそれを承けて、職伽行 の実践において重要な役割をはたす﹁作音叫﹂(
B
g
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のはたらきがこの念仏には欠けていることに、批判 @ の根本理由があると見る。 さらに第十七章は統く。{ 林 凡 本 第 十 七 章 記 川 崎 ⑤ ︼ シ ャ
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リプトラよ、誰であれ善男子あるいは善女人 は 、 か の 附 尊 ア ミ タl
ユ ス ( ﹀ 日 比 仰 山 、 ロ ω ) 如 来 の 仏 国土[に生まれるため]に心による誓願( n
x g
胃2
・
丘 町 営 ω ) を起こすであろうし、すでに起こしている チペ.~卜における阿弥陀経の受容 かれらはすべて、無 上 菩 提 に お い て 不 退 転 の 者 と な る で あ ろ う 。 ま た し、あるいは今起こしている。 [かれらはそれぞれ] かしこの仏国土に生まれるで あろうし、すでに生まれているし、あるいは今生ま れるのである。したがって、シャl
リプトラよ、信 ある(腎包缶百三善男子およ川町善女人はかしこの 仏国土に心による誓願を起こさねばならない。 ︻ 蔵 訳 本 同 ⑧ 記述⑤} シ ャl
リプトラよ、善男子あるいは善女人は かの世 尊アミタl
パ ( . 0 己令指白色)如来の仏国土である極 楽世界に心による誓願( 8
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芝
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)
を A 1 起こ し て い る 。 かれらはすべて、無上菩提から今退転しな いし、すでに起こした者も退転しなかったし、あるい は起こすであろう者も退転しないであろう。 n y q δ ここで再ぴ阿弥陀仏、すなわち無量寿仏・無量光仏が鷲場し、党・蔵ともに﹁心による誓願﹂が説かれる。こ の文脈の主題は信であるから、﹁心による誓願﹂とは信にもとづく誓願を意味するものと考えられる。党本では、 その得益に﹁無上菩提における不退転 L と﹁極楽世界への往生﹂ の二つをあげる。 一方、成訳本ではその得益は 不退転に限定され、党本の傍線部の往生については説かれない点に注意が必要である。また第十章で極楽世界へ の往生は死後であることが明言されていた点は、この場合の往生の時節にかかわって重要である。 この蔵訳の相違は、原本の相違に起因するというよりも、意図的な改訳と見るべきであろう。党本が誓願を信の観点から説いたことで、止観行を旨とする瑞伽行派から、極楽世界への往生説は慨怠の者を 励ますために、言葉通りではない意味を説く別時意趣の教えとして批判的に位置づけられた。それに対し蔵訳は、 往生の基本構造として﹁信﹂と﹁誓願﹂との関係を堅持しつつ、﹁思念﹂﹁作意﹂
(
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g
g
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を強調して念仏 の行により極楽世界への往生が死後に実現しうることを-説いた。減訳は、党本の記述④⑤の傍線部に対する別時 怠趣の批判を阿避すべく、言葉通りの怠昧を表現した翻訳になっているのである。 チベットにおける削除陀紙の受容 五蔵訳本阿弥陀経と無量寿経との関係
では﹃蔵訳小経﹄第十章と第卜七章の忠必的根拠はどこにあるのであろうか。それは︿無批寿経﹀とどのよう に関係するのであろうか。 まず第十七章について、往生の衆生を三種類に分ける︿無量寿経﹀の三輩段に先立つ第二十六章では、阿弥陀 仏の仏名が十方の諸仏によって誉め称えられるが、その理由を問う形で︿無量寿経﹀は次のように説いている。 誰であれ衆生がかの附尊アミタl
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可 凶 口 一 一 一 ) 上輩ではこれらの項目を実践することによって、臨終時に兄仏し、 心の澄浄を得て極楽世界に往生することが できるというのである。さらに臨終に限定されることなく、兄仏についても次のように説かれる。アーナンダよ、善男子あるいは帯
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の学系に属するイ ンド漸門派の仏教をチベットが継承することに起凶するものと忠われる。ここには経典が説く意味を言葉通りに 明 解 し 、 その意味を現実的に表現しようとしたチベット人の姿勢を窺、フことができよう。 チベットにおける阿弥陀経の受脊 このようなチベット仏教の方向性が、観恕行を市視するツオンカパの浄上教思想へと連なるが、そうした点は 今後の研究課題としたい。 本稿は、二O
一二年八月に中国蔵学研究中心で開催された第五回北京国際チベット学セミナーに於ける 発表原稿 t O ロ吾 om ,g
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八 年 ) 。 ③以下、︿無量寿経﹀という表記は法蔵説話を合む句 N h b b h g S Q N M E の諸本を総称する場合に用い、︿阿弥陀経﹀は法蔵 説話を含まない担与ささ宮内志向、ミの諸本を総称する。特に党本や蔵訳本を個別に指す場合には、﹃党本小経﹄、﹃蔵訳小 経﹄などと表記する。 ④ω
寺本腕稚﹃蔵漢和三体 A H 壁仏説無量寿経・仏説阿弥陀経﹄(丙午出版社、 九 一O
年より掲載てまた北京版の影印覆刻本を収録する。 一九二八年、雑誌﹃無尽燈﹄にはチペヴトにおける阿弥陀経の受符
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青木文教﹃阿峨阪本大無武寿経同訳﹄(光好会、一九二八年、雑誌﹃大来﹄には一九二三年より掲峨)ω
河口慧海﹁雄和対訳無ほ寿経阿弥陀経﹂(荻似裳米編﹃党蔵和英 A H 壁浄仁三部経﹄一九=二年所収)、︿阿弥 陀経﹀に関しては、デルゲ版・ナルタン版・北京版の三本を校合した校訂テキストを収録する。また︿無量寿経﹀に 関しては、ナルタン版・デルゲ版・北京版・ギャンツェ写本の三本を校合した校訂テキストを収録する。 ⑤山口瑞胤﹃チベット﹄(下)(東京大学出版会、一九八八年)コ二O
頁、今枝由郎﹁チベット大蔵経の編集と開版﹂ (山石波講座・東洋思想第二巻﹃チベット仏教﹄所収、岩波書庖、一九八九年)三二七頁以下参照。 ⑥︿阿弥陀経﹀に関しては、北京版・ナルタン版・チョネ版にはその記述がなく、トクパレス写本・デルゲ版・ラサ 版にあることが確認される。︿無抵寿経﹀に関しては、トクパレス写本・ナルタン版・デルゲ版・チョネ版・ウルガ 版・ラサ版にあるが、ただ北京版のみ﹁ルイゲンツェン﹂となっている。雌川﹃浄土三部経の研究﹄(れ波内山、二OO
七年)五七頁および一二六頁参照。 ⑦小野田俊蔵﹁蔵訳阿弥陀経校 A n 表﹂(香川孝雄博士古希記念論集﹃悌教学浄土学研究﹄所収、永田文口日堂、二00
一年)では、北京版、デルゲ版、ナルタン版、ラサ版、ウルガ版、トクパレス写本、シェカル写本、プダク写本、ギ ャンツェ写本の九種のテキストを用いて校合が行われている。また︿無量寿経﹀の校訂テキストには﹁浄土教の総合 的研究﹂研究班編﹃蔵訳無量寿経罪、本校舎表(稿本)﹄(仰教大学総合研究所、一九九九年)がある。本稿での引用は、 両紙とも底本に北京版 ( F W ) を川い、上記二積の校訂本を参照し随時相応しい読みを採用した。 ⑧ティソン・デツェン一七(七阿二l
七九七年)の時代に、ジナミトラ、ダ l ナシ l ラなどが翻訳にかかわり、ティ デ・ソンツェン王の時代に決定釈語にもとづいて一円⋮制された。プトン﹃仏教山との記述内容については、佐藤長﹃古 代チベット史研究﹄下巻(一九五九年)所収を参照した。またイェシェデは、党掛からの訳語を統一するために編集 さ れ た 語 葉 集 、 ﹃ 翻 訳 名 義 集 ﹄ ( ミ お 宮 ミ H h e h N H Hむの編者の一人である。 ⑨中村元﹁阿弥陀経チベット訳について﹂(﹃岩井博上古稀記念論文集・典籍研究﹄所収、一九六三年)には、個々の 事例を提示して、蔵訳本が批判的な検討を必要とすることを指摘する。同﹁︹付篇乙浄土経典の翻訳に見られるチ ベット人の思惟方法﹂(中村元選集[決定版]第四巻﹃チベット人・韓同人の思惟方法﹄所収、春秋社、一九八九年) 参照。香川孝雄﹃浄土教の成立史的研究﹄(山喜一防仏書林、一九九三年)、三三七頁以下参照。また藤田[二OO
七 ] 、 五二問頁以下参照。体制・円、説記長 -aA 叩ど柄拘川 1
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トムミ玉訴封書当 J (-K側主題ギ,1
~<gr 叶)'亘叫~.j酌~~。 ③ Fujita ed. (Larger and Smaller Sukh r1 vativyuha Sutms , Kyoto: Hozokan , 2011) , 88 .1 7-89 .4: tatra khalu puna )J sariputra buddhalq,
etre sattvai l) prat)idhanarp kartavyar l1I
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yatra hi nama tatharupail) satpuru~ai l) saha samavadhanarp bhavatiI
navaramatrakel)a sariputra kusalamülenãmitãyu~as tathagatasya buddhaksetre sattva upapadya l) te / ② Pek Vo 1. 30. No.783 , Chu 222a2-4: sha ri'i bu de lta bas na rigs kyi bu 'am / rigs kyi bu mos sangs rgyas kyi zhing der skye bar bya ba i phyir dge ba 'i rtsa ba rnams 思 lS par yongs su bsdo bar bya'o1/
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号 尖 包 豆 包 含 ¥ ¥ @︿無量寿経 v 上輩の、善根を廻向して誓願を起こす文に関して説かれるゲルク派の解釈である。梶漬亮俊﹃チベッ トの浄土思想の研究﹄(永田文昌堂、二OO
三年て三八頁参照 D ⑫﹃喰伽師地論﹄巻七九、摂決揮分中菩雌地には、﹁彼従有二種。一者清浄。二者不清浄。於消浄世界中。無郎落迦傍 生餓鬼可得。亦無欲界色無色界。亦無苦受可得。純菩離僧於中止住。日疋故説名清浮世界。巳入第三地菩薩。山願自在 力放。於彼受生。無有異生及非異生聾聞燭覚。若異生菩薩得生於彼。問若無鼻、生菩薩。及非異生聾問燭質得生彼者。 何因縁故。菩薩教中作如是説。若菩薩等意願於彼。知是一切皆山富往生。生日潟化悔怠種類未集善根所化衆生故。密意作 如是説。所以者何。彼由如是蒙勧動時便捨悌怠。於善法中勤修加行。従此漸漸於彼生。首得法性。聴知日疋名此中密 ・ 誌 ﹂ ( 大 正ω C
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IU ∞ ω印 ・ @別時意趣を説く文献には、無着と世親の兄弟が著したとされる﹃大乗荘厳経論﹄(碩・釈)、﹃摂大乗論﹄(本・釈)、 および無着著﹃阿毘達磨集論﹄とそれに対する安慧の註釈書、﹃阿毘達磨雑集論﹄がある。また別時意趣に関する研 究には、向井亮﹁世親造﹃浄土論﹄の背景│﹁別時意﹂説との関連から│L(﹃日本仏教学会年報﹄四二、一九七七 年)、藤田祥道﹁別時意説に関する諸文献﹂(浄土真宗教学研究所編﹃平成 3 年度研究生報告論文﹄、一九九二年)が ある。特に藤田論文には党・蔵・漢の文献資料が網羅して挙げられている。最新の研究として、小谷信千代﹃世親浄 土論の諸問題﹄(二O
一二年安居講本、京本願寺出版部、二O
一二年)があり、同書からは大変有益な示唆を得た。@
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宿 三 第 一 章 第l
五 1 十七倍。生井知日紹﹁誓願について│菩 提心思想との関連から│﹂(﹃日本仏教学会年報l
仏教における誓願│﹄六十所収、一九九五年)参照。 @前者は﹁行を欠くもの﹂(胃丘一宮E
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八年度 i 二O
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i( g}~ミト熟産。 ⑧ Fujita ed. 93.7-93.13: ye kecic charip l1 tra kulap l1 tra va kuladuhitaro va tasya bhagavato 'mitayu$as tath-agatasya b l1 ddhak$etre cittapraoidhanarp kari$yanti krtavanto va kurvanti va sarve te 'vinivartaniya bhavi$-yanty an l1 ttarayarp samyaksarpbodhau tatra ca buddhak~tra l1 papatsyanty upapanna vopapadyanti va / tasmat tarhi sarip l1 tra sraddhai 1) kulaputrai 1) kuladuhitrbhis ca tatra buddhak$etre cittapraoidhir utpadayitavya 1) / / ⑧ Pek Vo 1. 30 ‘ No.783 , Ch l1 223b8-224a1: sha r i' i bu sems can gang dag bcom ldan 'das de bzhin gshegs pa 'od dpag med de'i sangs rgyas kyi zhing 'jig rten gyi khams bde ba can du sems kyis smon par byed pa 'am / bya ba 'am / byed par 'gyur ba de dag thams cad bla na med pa yang dag par rdzogs pa'i byang ch l1 b las phyir mi ldog go / phyir ma log go / phyir mi ldog par 'gyur ro / / ⑧ Pek Vo 1.22 , No.760(5) , Tshi 294a5-7. ⑧ Tト Y ト,ι ミ三訴~-K 4ぎ栴'トえそ,~長 (dGe lugs pa) ~ ~五~~持母ト恥入食て (Tsong kha paI
111 ,ど平一 IEJI~ 社)の浄土教理解は、﹃日以上国の開門という極楽国土に生まれるための誓願文﹄