• 検索結果がありません。

龍谷大學論集 480 - 001井上見淳「「たすけたまへと申す」考」

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "龍谷大學論集 480 - 001井上見淳「「たすけたまへと申す」考」"

Copied!
27
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

﹁たすけたまへと申す﹂

j

一、問題の所在

本願寺の第八代宗主である蓮如(一四一五

l

一四九九)が行った数々の斬新な教化活動の中でも、とりわけ画期的 だったのは﹁御文章﹂を用いた伝道であろう。﹁御文章﹂とは蓮知が法語を書き記した消息のことであり、﹁御文﹂と も称される。これらは仏教の素養のある者に向けて教義体系を著したようなものではなく、むしろ当時の一般門徒が、 ただ耳に聞くだけで浄土真宗の法義を理解できるように著されたものであり、様々な同義語を多用しながら平易な言 葉で書かれているのが特徴である。伝道という点からこの﹁御文章 L の意義を考えてみると、蓮如が書き著した文章 を、他者が読み上げて法義を伝えていくというこの方式は、発信元からの誤りが起こりにくく、文字の読める者なら 誰でも何度でもおこなえるので繰り返し聞くことが可能であり、場所と時代を越えて不特定多数に発信でき、書写に よっていくらでも複製が可能という、まさに画期的メディアであったといえよう。そして、その﹁御文章 L の中で蓮 如が頻繁に用いた言葉の一つが﹁たすけたまへ﹂であった。﹁たすけたまへ﹂とは、蓮知が常に﹁たのむ﹂という言 葉と併せて用いた信心の内容を表現した言葉であり、蓮知教学を代表するキーワードである。この寸たすけたまへ﹂ という言葉が果たした役割については、息男実悟が ーたすけたまへと申す﹂考(井上)

(2)

龍谷大学論集 聖人の御流はたのむ一念の所、肝要なり。故に、たのむといふことをば代々あそばしをかれ候へども、委く何と たのめといふことをしらぎりき。然ぱ、前々住上人の御代に、御文を御作候て、﹁雑行をすてて、後生たすけた まへと一心に弥陀をたのめ﹂と、あきらかにしらせられ候。然ぱ、御再興の上人にてましますものなり。(﹃蓮知 上人御一代記聞書﹄第一八八条) と評した点に集約されている。すなわち真宗教義の要である信心に関して、それまでに必ずしも明瞭ではなかった ﹁くはしくなにとたのめ﹂という部分を寸後生たすけたまへ L とたのむのだと明らかにした点にこの言葉がもっ最大 の功績があった。蓮知の徹底した教義理解に裏打ちされた﹁御文章﹂は、やがて蓮如自身の﹁名代﹂と化すという独 特の発展をとげ、各地に散在する無数の講を経由して普及し、瞬く聞に本願寺の教線は広範に、かつ濃密に拡大して い っ た 。 ところでその蓮如が活躍した時代から、およそ三百年が経過した頃、本願寺では、教学理解をめぐって宗門始まっ て以来ともいうべき大論争が起きている。いわゆる三業惑乱である。本願寺の学頭である能化功存(一七二

Ol

一 七 九六)が、能化職に就く以前の一七六二(宝暦十二)年に著した﹃願生帰命弁﹄が火種となり、地方の学僧と学林と の間でくすぶり始めたこの論争は、功存が没すると、燦原の火のごとく一気に拡大した。最終的に、文字通り命が貯 の様相を呈するほどに燃え広がった論争の炎は、本山の学頭が敗れ、地方の学僧の正当性が認められるという前代未 聞の結末をもって鎮火した。 さて、本稿でクローズアップしたいのは、この論争の中でしばしば三業派諸師から主張される﹁たすけたまへ L に 関する次のような理解である。例えば﹃願生帰命舟﹄には、 然れば、善知識の教えにまかせ、身業仏に向かい、合掌敬礼して口業に﹁阿弥陀知来、わが一大事の後生たすけ たまえ﹂ともうし、心に念ずること、口業の如くか﹀る出離の縁なきものをたすけたまえと一心に帰命するとき、

(3)

御たすけ一定と信じて疑いなきをこそ、今の帰命のすがたとはいうべし。(六丁右) とあり、玄伎(一七三八ー一七九二)の﹃弾妄釈疑篇﹄には、 それ、剤剰阿刺附似引制対引制 1 倒剣尉刊対剰刺淵州剰剖調利引制ォ同制附削叫すけたまへと申すも、その口業 の上には党・漢・和の差別あれども、その帰命の一心は全く同一なり。:::仏たすけたまへの発語を軽賎せば、 すなわち南無阿弥陀仏を軽賎するなり。:::中興上人は、皇和の人をして了知しやすからしめん為に﹁仏たすけ たまへ﹂と申さしむ。(二十七表) とあり、爽洲(生没不詳)の﹃排謬翼宗篇﹄には、 そもそも阿弥陀如来に向い奉り後生たすけ玉へとまふしあげよと教るは、当流相承の教門にして一流に浴する輩、 三歳ノ幼児といへども敢てこれを擬議せず。(八丁左) とある。これらの言葉からすれば、三業派諸師は﹁たすけたまへしとは発語、つまり声に出すものであると主張して いたことになる。意業と同じレベルで身口二業を重要視するので彼らは﹁三業派﹂と称されたのである州、この儀礼 様式は学林側が敗退したこともあってか、少なくとも現在、一般的ではない。従って当時の学林が﹁南無阿弥陀仏﹂ のみならず、﹁たすけたまへ﹂と発語するよう先導していたという事実は興味深いのである。 しかしこの儀礼様式が、単に興味深いからというだけで本稿で取り上げるわけではない。すなわち真宗史上に三業 帰命説・欲生帰命説が誕生したことについて、それを功存という一人物が引き起こした一過性の突然変異であるとも 言い切れないのと同様、この問題も、調べてゆくと背後に複雑な背景を抱えている。したがってそこを切り口にして 光を当てることで、これまで必ずしも明らかではなかった親鷲浄土教の新たな展開部を鮮明にすることが可能である と考えるのである。この問題に関する先行研究はきわめて少ないが、本稿ではさしあたって、真宗史上における﹁た すけたまへ﹂のル

l

ツである蓮如の用例整理を行い、問題点を抽出することからはじめ、今後の基礎作業に当てたい ﹁たすけたまへと申す﹂考(井上)

(4)

龍谷大学論集 四 と 思 う 。

二、蓮如のたすけたまへの整理

問題提起でも引用したが、たとえば三業派の学匠の一人である玄伎が、 仏たすけたまへの発語を軽賎せば、すなわち南無阿弥陀仏を軽賎するなり。:::中興上人は、皇和の人をして了 知しやすからしめん為に﹁仏たすけたまへ L と 申 さ し む 。 と述べているように、﹁たすけたまへ﹂とは発語、すなわち口で称えるのが、蓮知以来の相承だというのが三業派諸 師に共通した信念であった。しかし一方で、たとえば非三業派である大滅(一七五九ー一八

O

四)の﹃真宗安心十 諭 ﹄ に は 、 凡そ﹃御文﹄の中には口にあらわして好きことは、﹁口にとなへて﹂とも﹁声に出して﹂とものたまふ。信後の 称名は、口にとなふるは知れたことなれども、処々に口に声に等とあり。:::後生たすけたまへと口にまうせと ある文は一箇所もなし。 とあって、蓮如が﹁後生たすけたまへ﹂を発語として示した文など一箇所もないと述べて真っ向から対立する。そも そも蓮知に関する理解をめぐって、なぜこのような対立がおこるのであろうか。こうした場合、資料に直接当たって 確認してみる必要があろう。そこで蓮知が寸たすけたまへ﹂をどのように用いているか、下に接続する動詞に注目し て以下に分類した。資料は五帖﹁御文章﹂﹃夏御文章﹄﹃蓮知上人御一代聞書﹄を用いた折、﹃御一代記聞書﹄に帖内 寸御文章﹂が引用されている場合は除外した。また寸たすりたまへ L と同じ意味を持つと考えられる﹁たすけましま せ L ﹁御たすけ候へ﹂も含めた。

(5)

A

-- z

i

-﹁おもふ﹂﹁信ず﹂に接続する﹁たすけたまへ﹂ 寸 御 文 章 L ①一心にふたごころなく弥陀一仏の悲願にすがりて、たすけましませとおもふこころの一念の信まことなれば、 かならず如来の御たすけにあづかるものなり。(一

l

三、一一一一一頁、一四七頁) ②ふたごころなく弥陀をたのみたてまつりて、たすけたまへとおもふこころの一念をこるとき、かたじけなくも 一 一 一 七 頁 、 一 五 九 頁 ) ③阿弥陀知来を一心一向にたのみたてまつりてたす付たまへとおもふこころの一念をこるとき、かならず弥陀如 来の摂取の光明をはなちて、:::(二ー一四、 一 一 四 四 頁 、 如来は八万四千の光明を放ちて、 その身を摂取したまふなり。(一ー七、 一 九 六 頁 ) ④後生たすけたまへとふたごころなく信じまいらするこころを、すなはち﹁南無﹂とはまうすなり。(三 l 二 、 一一四八頁、一九九頁) ⑤この﹁南無﹂といふ二字は、衆生の阿弥陀仏を一心一向にたのみたてまつりて、たすけたまへとおもひて余念 なきこころを帰命とはいふなり。(三

l

五、一一五三頁、二

O

四 頁 ) ⑥弥陀如来をたのみたてまつりて、 たすけたまへとおもふ帰命の一念をこるとき、 一一五四頁、二

O

四 頁 ) かたじけなくも遍照の光明を はなちて行者を摂取したまふなり。(三

l

六 、 ⑦ こ の ゆ へ に 、 一心一向に阿弥陀如来たすけたまへとふかく心に疑なく信じて、我身の罪のふかき事をばうちす て、仏にまかせまゐらせて:::(五│四、一一八八頁、二九六頁) ⑧ただふたごころなく一向に阿弥陀仏ばかりをたのみまいらせて、後生たすけたまへとおもふこころひとつにて、 やすくほとけになるべきなり。(五 1 七 二 九

O

頁、二九九頁) ⑨ただひとすぢに阿弥陀知来を一心一向にたのみたてまつりて、 たすけたまへとおもふこころの一念をこるとき、 ﹁たすけたまへと申す﹂考(井上) 五

(6)

龍谷大学論集 ... / 、 -( 五 │ 二 二 、 一 一 九 九 頁 、 一 九 六 頁 )

B i

-﹁申す﹂に接続する﹁たすけたまへ﹂ ﹁ 御 文 章 ﹂ ①こころをひとつにして阿弥陀仏をふかくたのみまいらせて、:::一心一向に仏たすけたまへとまうさん衆生を ば、たとひ罪業は深重なりとも、かならず弥陀如来はすくひましますべし。(五ー一、一一八六頁、二九八頁) ②在家の尼女房たらん身は、なにのやうもなく、一心一向に阿弥陀仏をふかくたのみまいらせて、倒到剖引例制 まへとまうさんひとをば、みなみな御たすけあるべしとおもひとりて、さらにうたがひのこころ、ゆめゆめあ るべからず。(五 l 三、一一八七頁、二九九頁) ③寸この仏をふかくたのみて、一念御たすけ候へと申さん衆生を、我たすけずは正覚ならじ﹂と誓ひまします弥 陀なれば、:::(五│四、同前、二九六頁) ④弥陀知来を一心一向にたのみまいらせて、後生たすげ給へとまうさんものをぱ、かならずすくひましますべき こと、さらに疑ふべからず。(五│六、一一八九頁、二七五頁) ⑤このゆへに南無と帰命すれば、やがて阿弥陀仏の我等をたすけたまへるこころなり。このゆへに寸南無 L の 二 字は、衆生の弥陀如来にむかひたてまつりて後生たす付たまへとまうすこころなるべし。(五│八、一一九

O

頁、二六七頁) ⑥一念阿弥陀仏に帰命せば、かならずその機をしろしめしてたすけたまふぺし。それ帰命といふはすなはちたす 例制剖ぺ剖剖引判斗司引なり。(五ー一三、二九四頁、三

OO

頁 ) ⑦阿弥陀知来をひしとたのみまいらせて、今度の一大事の後生たすけたまへとまうさん女人をば、あやまたずた

(7)

一一九五頁、二七七頁) 一切の女人たらん身は、弥陀知来をひしとたのみ、後生たすげたまへと申さん女人をば、かならず御た すけあるべし。(五 l 二

O

、一一九八頁、三

O

五 頁 ) ⑨このゆへにふかく弥陀をたのみ、倒到刈判例制剖ぺ引制剖刈刻刈は、みなみな極楽に往生すべきものなり。 すけたまふべし。(五 1 一 四 ⑧それ ( 同 前 ) ⑩わが身はいかなる罪業ふかくとも、 それをば仏にまかせまいらせて、ただ一心に阿弥陀如来を一念にふかくた のみまいらせて、御たすけさふらへとまうさん衆生をば、:::(五 1 一二、一一九九頁、同前) ﹃ 夏 御 文 章 ﹄ ⑪夫安心と申は、もろもろの雑行をすてて一心に弥陀知来をたのみ、今度のわれらが後生たすけたまへと申すを こそ、安心を決定したる行者とはまうし候なれ。(一、一二

O

三頁、二七九頁) ⑫夫安心とまうすは、いかなるつみのふかき人も、もろもろの雑行をすてて一心に弥陀如来をたのみ、今度のわ 利引州倒到剖判例刈剖ぺ叶剖引刻刻斗引、安心を決定したる念仏の行者とはまうすなりロ(二、 二 八

O

)

一 二

O

四 頁 、 ⑬夫親鷺聖人のすすめましまし候他力の安心と申は、なにのやうもなく一心に弥陀如来をひしとたのみ、後生た すけたまへと申さん人々は、十人も百人も、のこらず極楽に往生すべきこと、さらにそのうたがひあるべから ず 候 ふ 。 ( 三 、 一 二

O

六頁、二八一頁)

c i

-﹁たのむ﹂に接続する﹁たすけたまへ﹂ ﹁ 御 文 章 ﹂ ﹁たすけたまへと申す﹂考(井上) 七

(8)

龍谷大学論集 J¥ ①ひとすぢにこの阿弥陀ほとけの御袖にひしとすがりまいらするおもひをなして、後生をたすけたまへとたのみ まうせば、この阿弥陀知来はふかくよろこびましまして:::(二

l

一三、一一四二頁、一九五頁) ②ただ一心に弥陀をたのみ、後生たすけたまへとふかくたのみ申さん人をぱ、かならず御たすけあらんことは、 きらきらつゆほどもうたがひあるべからざるものなり。(四

l

O

、一一八一頁、二七四頁) ③抑南無阿弥陀仏の体は、すなはち我等衆生の後生たすけたまへとたのみ申心なり。すなはちたのむ衆生を阿弥 陀如来のよくしろしめして、すでに無上大利の功徳をあたへましますなり。(四ー一一、同前、二六八頁) ④今度の一大事の後生たすけたまへとふかくたのまん衆生をば、ことごとくたすけたまふべきこと、さらにうた がひあるべからず。(四

l

一二、一一八二頁、二七七頁) ⑤﹁帰命﹂といふは、衆生の阿弥陀仏後生たすけたまへとたのみたてまつることろなり。また﹁発願回向﹂とい ふは、たのむところの衆生を摂取してすくひたまふこころなり。(四

l

一四、一一八四頁、二七八頁) ⑥雑行をすてて一向一心に後生たすげたまへと弥陀をたのめば、決定極楽に往生すべきこと、さらにそのうたが ひあるべからず。(同前) ⑦もろもろの雑行をすてて、一念に弥陀如来今度の後生たすけたまへとふかくたのみ申さん人は十人も百人もみ なともに弥陀の報土に往生すべきこと、きらきらうたがひあるべからざるものなり。(五

l

二 、 一 一 八 七 頁 、 二九八頁) ③雑行をすててひたすら後生たすけたまへとたのまん人をば、たとへば十人もあれ百人もあれ、 もらさずたすけたまふべし。(五│八、一一九一頁、二六七頁) みなことごとく ⑨﹁帰命﹂といふは、衆生の、もろもろの雑行をすてて、阿弥陀仏後生たすけたまへと一向にたのみたてまつる こころなるべし。(五

l

九、同前、二八五頁)

(9)

⑩ひとすぢにこの阿弥陀ほとけの御袖にひしとすがりまいらするおもひをなして、後生をたすけたまへとたのみ まうせば、この阿弥陀知来はふかくよろこびましまして、:::(五ー一二、 二九三頁、 一 九 五 頁 ) ⑪弥陀にまかせまいらせて、 ただ一心に弥陀知来後生たすけたまへとたのみまうさば、 てたすけたまふべきことうたがひあるべからず。(五ー一四、 その身をよくしろしめし 一一九五頁、二七七頁) ⑫阿弥陀如来をふかくたのみまいらせて、もろもろの雑行をふりすてて、一心に後生を御たすけ候へとひしとた さらにうたがひあるべからず。(五ー一七、 の ま ん 女 人 は 、 かならず極楽に往生すべき事、 一一九七頁、三

O

四 頁 ) ⑬もろもろの雑行雑修のこころをさしをきて、一心に阿弥陀知来後生たすけたまへと、 まつらんものをば、たとへば十人は十人百人は百人ながら、みなもらさずたすけたまふべし。(五

l

一 八 、 同 一念にふかくたのみたて 品 別 ) ⑬ただ一心に阿弥陀如来をひしとたのみ、後生たすけたまへとふかくたのみ申さん人をぱ、 るべきこと、きらきらうたがひあるべからざるものなり。(五 l 一 九 、 かならず御たすけあ 一一九八頁、二九四頁) ﹃蓮知上人御一代記聞書﹄ ⑮信心といふは刺附ザ一念御たすけ候へとたのむとき、 ( 七 、 やがて御たすけあるすがたを南無阿弥陀仏とまうすなり。 一 二 二

O

頁、四二六頁) ⑮三河の教賢、伊勢の空賢とに対して、仰せに、南無といふは帰命、このこころは御たすけ候へとたのむなり。 J¥

=

四二七頁) ⑫この六字の名号わがものにてありてこそ、 と た の め ば 、 一念一心に後生たすけたまへ やがて御たすけにあづかることのありがたさありがたさとまうすばかりなりと仰候ふなり。(三 となへて仏・菩薩にまいらすべけれ。 ﹁たすけたまへと申す L 考 ( 井 上 ) 九

(10)

龍谷大学論集

一 二 二 六 頁 、 四三一頁) ⑬弥陀をしかと御たすけ候へとたのみまいらすれば、やがて仏の御たすけにあづかるを南無阿弥陀仏とまうすな り。(三四、二一二七頁、同前) ⑬一念に後生御たすけ候へと弥陀をたのみたてまつり候ふばかりにて往生一定と存じ候ふ。(七三、 四四四頁) 一 二 三 四 頁 、 ⑫信心・安心などいへば、別の様にも思ふなり。ただ凡夫の仏になることををしふべし。後生たすけたまへと弥 陀 を た の め と い ふ べ し 。 ( 一 八 五 、 四 五 四 頁 ) 一 二 五 三 頁 、

用例に対する検討

蓮如の用例において﹁たすけたまへ﹂に接続する動詞のパターンは大別して三つである。すなわち

A

は﹁たすけた まへ﹂に対して﹁おもふ L あるいは寸信ず﹂が接続するものであり、﹁たすけたまへ﹂を所信の内容として説示した も の で あ る 。 次に

B

の﹁申す﹂は、﹁たすけたまへ﹂を承ける単独の動詞であり、後述の

C

に含まれる補助動詞としての寸申す﹂ は含んでいない円。この﹁申す﹂をどう理解するかが、本稿の課題と密接に関わることは言うまでもないが、この点に ついては議論があり後述する。さてこの中①②③④⑦⑧⑨⑩⑬の九つの﹁申す﹂は連体形であり、下に寸衆生・ひ と・もの・女人・人々 L のいずれかを承けている。また⑤⑥と⑪⑫とは、それぞれ類似した表現であるが、この中⑪ ⑫は文脈上、いま述べた九つの﹁申す﹂と同様の役割を果たしていると見られる。次に⑤⑥は共に連体形であり、⑤ は今の九つの用例に含めてよいと考えるが、⑥は少し区別しておくべきではないかと考える。すなわち﹁たすけたま へと申すこころ﹂を、寸たすけたまへと申す意味﹂と見るならいまの用例群と同様であるが、﹁たすけたまへという意

(11)

味Lと理解するならおのずと意味が変わってくるであろう。但し今はこの点にこれ以上の検討は加えない。 最後の

C

は、﹁たすけたまへ﹂に﹁たのむ﹂が接続するものである。これを更に分けると﹁たすけたまへLに対し、 単独で﹁たのむ﹂が接続する④⑥③⑫⑮⑬⑫⑫と、﹁たのむL+補助動詞が接続するその他に分類することができる。 すなわち後者は﹁たのむ﹂に対し、﹁たてまつる﹂が接続する⑤⑨⑬⑮、﹁申す﹂が接続する①②③⑦⑩⑪⑬、﹁まゐ る﹂+﹁す﹂が接続する⑬である。後者はいずれも補助動詞が接続することで謙譲表現を形成しているが、前者と ﹁たのむLの意味が本質的に変わるわけではない。 ところでこの寸たのむ﹂という言葉は、 しばしば言われるように寸信﹂の和訓と考えられる。 つまり漢文で動詞の 役割をする寸信﹂を訓読する場合、ザ行変格活用で動調化させて読むのが通例であるが、その﹁信﹂を和語そのもの で表現するなら﹁たのむLという言葉が適合すると見るのである。この点は三業派であろうと非三業派であろうと共 通しており、したがって

C

の﹁たすけたまへとたのむL(謙譲表現含めて)という表現は﹁たすけたまへ﹂を所信と 見るという点において共通している。またそのことは必然的に

A

の用例の内、﹁信ずしはもちろんのこと、﹁おもふ﹂ とも高い親和性を持つこととなふ。そして三業派諸師の場合、

C

A

とで表現される信心というのは、身口二業へ 寸たすけたまへ﹂という言葉となって表出するはたらきを具えており、 特に蓮知によってその部分が表現されたの が 、

B

の﹁申す﹂の用例であると理解している。一方で非三業派は﹁たすけたまへ﹂とはあくまで所信の内容を示し たものであり、蓮如がそれを口業として示した箇所は一箇所もないとして、 一歩も引かないわけであるが、当然その 場合は

B

をどう見るのか理解を提示する必要があろう。 では次に、三業派が﹁たすけたまへしを発語であるとする理解について、後論の為にまとめておきたい。資料は三 業派諸師の中でも、特にこの問題について熱心に論究している玄伎の﹃弾妄釈疑篇﹄を用いる。 寸たすけたまへと申す L 考 ( 井 上 )

(12)

龍谷大学論集

四、発語としての

の論理

﹃弾妄釈疑篇﹄は、﹃願生帰命弁﹄に批判を加えた宝厳(生没不詳) ある。師は﹁たすけたまへ﹂について次のように一言う。 の﹃帰命本願訣﹄に対して著された論駁書で 第一に帰命の三業を示して狼りに身口を廃捨すべからざることを明すとは、:::﹁御文章﹂に寸阿弥陀如来にむ かひたてまつりて、後生たすけたまへと申すをこそ L とも、﹁たすけたまへと申さんものをば L 等とも教へたま ふ御ことばに、帰命の三業のこと昭々として見つべし。然るに汝、曲釈して﹁むかふとはただ意念のむかふこと にして身の向ふにはあらず﹂とし、﹁申すとはただ意におもふことにして口に申すことにあらず﹂など云ふ。 ::三業の中に意業を主とすることは勿論なり。その意を向はしめんがために身向ふことを教へ、意におもはし めんが為に口に述ることを勧るは教示の常なり。:::又その教を聴受するものに於ては、意に帰向すればおのづ から身にも礼敬し意に発起すればおのづから言語を発するは必然の道理なり。汝が信心は身口にあずからずとて 身にそむき、口に黙然たるを信相とし、それを教示とするや O i -・直に真仏に向ふ如く思ふならば口業の発語も 自らあるべきなり。(八丁左) まず蓮如が用いる﹁阿弥陀如来にむかひ:・たすけたまへと申す﹂との表現は、文字通り、身業をもって如来に対向 し、口業で﹁たすけたまへ﹂と述べることであるとし、宝厳の理解は曲釈とする。次に意業の安心を主とするのは勿 論だが、その意を発させる為に身口二業を勧めるのは教示の常であるとし、逆に﹁意に発起すればおのずから言語を 発するのは必然の道理﹂であるとも述べている。この点は後述するが注目に値する理解である。そして宝厳は本尊に 対向せず黙然としているのを信相と理解しているのかと批難し、真仏に向かうように礼拝するなら自ずから発語する はずであるとも述べ、次のように言う。

(13)

寸御文章﹂に内心の帰命の一念を﹁後生たすけたまへと申す﹂発語にて分明に教たまふなり。その教示に順じて、 後生たすけたまへと発語の如く心念すれば、念声是一の道理なり。(九丁左) つまり蓮知は内心の帰命を発語にてわかりやすく教えているのだと述べ、発語の如く心念するなら﹁念声是一の道 理﹂だというのである。 ところでこの﹁念声是ごとは、言うまでもなく﹃選択集﹄本願章の釈である。即ち﹃大経﹄第十八願の﹁十念﹂ と、善導のいわゆる本願加減の文の﹁十声﹂とを同じ意味とする釈で、これにより法然は、第十八願の﹁十念﹂とは 観念ではなく、十回称名することであると確定した。親鴛はそれを﹃唯信紗文意﹄で次のように釈している。 寸十念﹂といふは、た y 口に十返をとなふべしとなり。しかれば、選択本願には、寸若我成仏十方衆生称我名号 下至十声若不生者不取正覚﹂とまふすは、弥陀の本願は、とこゑまでの衆生みな往生すとしらせむとおぽして十 声とのたまへるなり。念と声とはひとっこ﹀ろなりとしるべしとなり。念をはなれたる声なし、声をはなれたる 念なしとなり。(﹃浄土真宗聖典全書﹄第二巻、七一五頁) つまり、親鷲は﹁念﹂と寸声﹂とが﹁ひとっこ﹀ろ﹂であるというのは、信(憶念)と行(称名)との不離であると する釈を展開している。ところが玄伎はそれを信心と寸たすけたまへ﹂において語るのであるが、それがなぜ成立す る の か と い う と 、 汝、若し焚語にて帰命する口業は廃すべからず、和語にてたすけたまへと発語するは嫌ふなりといはば、汝却て 心念を軽んじ口業を重んじ、所帰を軽んじ能帰の党語を重んずるなりぬべし。一念の安心にて往生するならば何 の安心に党漢和の差別あらんや。若し亦称名は大行なるが故にただ称名の口業は用ゆべし。仏たすけたまへと申 す口業は大行の相に非ざる故に廃すといはば、これまた祖師中興の正意にそむくこと甚し O i -始て仏願の、我 能汝をたすけ救ふべし、我に帰して我国に来生せんと願せよ、と招喚したまへるいわれをよく聴聞して、さらば ﹁たすけたまへと申す L 考 ( 井 上 )

(14)

龍谷大学論集 四 弥陀に帰命せんと仏前に詣して、その所念の如く阿弥陀仏たすけたまへと啓白して、往生の大事を知来にまかせ 奉るに、何の所労かこれあらんや。これは是一流安心の教旨なり。(十三丁右) とあるように、﹁南無阿弥陀仏﹂と寸(仏)たすけたまへ L とは党語と和語の差こそあれ、全く同じものと見ているか らである。一言うなれば和語版寸南無阿弥陀仏﹂が寸仏たすけたまへ L であると見ているのであり、逆にいえば﹁仏た すけたまへ﹂の名号化といってもよいであろう。そしてここでは﹁南無阿弥陀仏﹂がよくて、﹁たすけたまへ﹂の発 語を嫌うというのは、心念を軽視し口業を重視した理解(無信単称的理解の意)であり、安心に党・漢・和の差別が あるのかと論じる。また称名だけを大行とし、﹁たすけたまへ﹂の発語は大行ではないとするなら、それは蓮如の意 図に甚だしく背いた理解とする。仏の招喚を聴聞して弥陀に帰命しようと思うなら、仏前に詣でて所念の如く﹁阿弥 陀仏たすけたまへ﹂と啓白して知来に往生をまかせるのが、一流安心の教旨であるという。 この中、特に注目すべきは二点である。一点は﹁仏たすけたまへ﹂と﹁南無阿弥陀仏﹂とを同一にみて寸仏たすけ たまへ﹂を名号化して捉える理解と、もう一点は﹁たすけたまへ﹂の発語とは啓白だとする理解である。﹁南無阿弥 陀仏﹂について、党語の﹁南無﹂は、漢語では寸帰命﹂であり、それを和語で表現すれば﹁︿たすけたまへ﹀とたの む﹂であるから、そのたのむすがたは﹁仏たすけたまへ﹂の発語となって表れる。したがってそれは称名するのと同 じことであり、蓮如が和語版の名号としてこれを案出したのであるから重用すべきであるとするのが彼らの基本的論 法の一つである。この名号化の論理を認めるなら、三業派諸師が発語を主張していく論理は、上述の知く真宗で称名 を重要とする論理と完全に重なった形で主張されることとなり、﹁たすけたまへ﹂の発諮を障げる論理は、その瞬間 に 皆 無 と な る 。 また﹁たすけたまへ﹂の発語を啓白と捉える理解については、玄伎が、意業の安心を発させるために身口二業を勧 めるのが教示の常と論じていた部分とも重なってくることだが、善意(一六九八ー一七七五)の﹃白糸篇﹄等にもあ

(15)

おそらくこれは当時行われていた﹁仏たすけたまへ L を口上としておこなう一種の入門儀式を意味してい ると考えられる。こちらの問題は﹁領解出言﹂という真宗独特の儀礼様式とあいまって、近世以降の真宗史における 大変興味深いテ

l

マ性をもっており、別稿にて論じたい。 る よ う に 、 さて﹁仏たすけたまへ﹂を名号化させる理解を、大きく後押ししたのは﹁申す﹂が接続する

B

の 用 例 で あ る 。 で は 非三業派はこれをどのように捉えたのか、次で見ていきたい。

L

の理解に関する議論

で は 、 まず宝厳の﹃帰命本願訣﹄から見ていくと、次のように述べている。 凡そ﹁まうす﹂といふに四あり白書にあらはすと、口にいふと、意におもふと、語のたすけとなり。今はおもふ 念﹂ともいひて をいふ。そのゆへは大小乗の通判なり。故に﹁こ、ろにたすけたまへ﹂ともいひ、又寸たすけたまへとおもふ一 一箇所もくちにとも、こゑにとも、身にとも、のたまはず。そのうへに、もし語業にわたると ころには能別の言をおきて、寸くちにたぐ称名ばかりをとなへたらば﹂といひ、文寸声にいだしてたてとなへて はたすからざるなり﹂などいへり。然ればこ、ろにたすけたまへとおもふことを、今もうすといへることあきら かなり。例せば、こ、ろにおもふことを念言といふがごとし。今まうすといふを、もし漢字にしたがへば、謂の 字のこ、ろにして、白の字のこ、ろにあらずしるべし。(三十九裏) これによれば﹁申す﹂ について四義を出し、蓮如が﹁たすけたまへ﹂を﹁こころに

1

﹂あるいは﹁

1

と お も ふ 一 念 L との言葉と共に用いている例を出し、この﹁申す﹂とは﹁こころに思うこと﹂の意とする。また蓮如は、もし語 業にわたる時は﹁口に﹂あるいは﹁声に﹂といった言葉を置くのが通例であるが一箇所もそうなっておらず、この ﹁・申す﹂は﹁念言﹂の意であり、漢字でいえば﹁謂 L の意とする。この説は玄伎が﹃弾妄釈疑篇﹄で、 ﹁たすけたまへと申す﹂考(井上) 五

(16)

龍谷大学論集 一 六 弾じて目、此下﹁まうす﹂と云に四義を分ち、﹁後生たすけたまへと申をこそ﹂とも﹁申さんひと﹂とものたま ふを、謂字の義とし言語に非ずと決す。これを情謂の義とすること甚しき曲釈妄解なり。汝強ちに三業を廃せん とて徒に人の笑を求るは無漸無慨に非や。もし意念にかぎることならば何ぞ直ちに﹁おもふをこそ﹂とも﹁思は んものをば L とも示したまはざるや口何の所以ありてか思ふことを申すとのたまへるや。意に申すと云こと、そ の語例をみず、況や帖外の御文には﹁阿弥陀如来に申す﹂とあり。是れ口業の発語なること明白なり。(五十五 丁 右 ) と厳しく批判を加えている。玄伎がここで指摘した、意念に限るのならなぜ直接に﹁思う﹂といわないのかという点 に関する一連の問いと、﹁申す L と接続している以上、発語を意味しているのは明白であるという部分については、 ﹁ 御 文 章 L の性質を考慮すれば説得力のある批判であると言えよう。ー御文章﹂とは回目頭でも述べたとおり、聞いて 理解できることを主眼に著されたものだからである。 次に深励(一七四九

l

一八一七)は﹃末代無智御文講義﹄において、﹁たすけたまへと申さん衆生をば﹂を取り上 げ、古来より三義があるとして、次のように述べる。 一には口業にあらず、意業なり。心にたすけたまへと頼むことを仏たすけたまへと申さんとあり。:::こには仏 たすけたまへと申さんとは口に南無阿弥陀仏と申すことなり。:::三には三業者流の云ところのごとく言語にあ らはして仏助けたまへと申し述ぶることなりと云々。此の中一家の依用は始め二義なり。第三義は堅くこれを禁 ず。(三十一丁左) 特に注目すべきは意業と定義した初義である。深励はこの義について、ある説として次の一義を紹介して解説をは じめる。すなわち﹁申す﹂とは必ずしも言陳の義ではなく、末代無智章の場合は助語(補助動詞)であるとする。つ まりこの章では、まず﹁こころをひとつにして阿弥陀仏をふかくたのみまゐらせて L と単独で﹁たのむ﹂が出てくる

(17)

一心一向に仏たすけたまへと申さん﹂で あるとする。そして﹁さらに

1

ふらず﹂は前後をつなぐ爽註であり、この寸御文章﹂は上の﹁たのむ L と下の﹁たす が、この内容を具体化したのが、次の﹁さらに余のかたへこころをふらず、 けたまへと申さん﹂がつながって理解されるように書かれた寸隔句連続の文﹂であるとし、文脈的に寸たのみ申す﹂ という意味を一連で形成しているのだとする説である。深励はこういう文章形態は﹁御文章﹂に実は多いとして幾っ か実例を挙げているが、結局は寸我は取らず﹂と述べている。なぜなら、 ﹃御文﹄は当機を鑑みて軽々に説破したまふ。而るに隔句連続の文法などと六かしき義あるべき謂れなし。(三

)

だからだという。そしてこの﹁申す﹂に関する自身の理解は次のように説き述べている。 云何が解するや。日く寸仏たすけたまへと申さん L とは文のごとし。但し今この寸申す﹂と云は、心にこひねが ふ義なり。蓋しこれ蓮知上人の時代にはこひねがふことをば寸申す﹂といふなるべし。これによりて彼の一時の 人は﹁仏たすけたまへと申す﹂と云へば、これはこひねがふことなりと直ちに解了するなり。(同前) すなわち寸申す﹂について、隔句連続のような高度な理解ではなく、﹁申す L とあるままに﹁文のごと﹂くに理解 するのだという。但しこの﹁申す﹂とは﹁請い願う﹂の意味であるとする。蓮如の時代には請い願うことを﹁申す﹂ と言っていたのであり、当時の人は、そのままに聞いて寸請い願う L という意味に直ちに理解していたのであるとい

﹀ つ 。

ここでこの深励の理解について特記しておきたいのは、師はまず﹁御文章 L は聞いて理解できるように著されたも のであるという基本的立場に立脚し、句面のごとくに理解しようとしていることと、それに伴い時代特有の語義が存 在するという見方を用いたことである。特に語義については諸文献を渉猟し、﹁新勅撰集﹂﹁天書紀﹂等の古例から ﹃天正十三年記﹄﹃御一代記聞書﹄といった蓮如とほぼ同時代の文献を提示して自説の例証としている。三業派諸師 ﹁たすけたまへと申す﹂考(井上) 七

(18)

龍谷大学論集 J¥ は、たとえば宝厳に反論した玄伎は、 もし意念にかぎることならば何ぞ直ちに﹁おもふをこそ﹂とも﹁思はんものをぱ﹂とも示したまはざるや。何の 所以ありてか思ふことを申すとのたまへるや。意に申すと云こと、その語例をみず、況や帖外の御文には﹁阿弥 陀知来に申す﹂とあり。是れ口業の発語なること明白なり。(五十五丁左) と述べ、宝厳は句面の通りに理解していないとして批判するものの、語義に関する蓮如当時との三百年に及ぶタイム ラグを鑑みることはしていなかった。もちろん蓮如の時代に﹁申す﹂を発語の意とする例はある。しかし深励が述べ たような﹁請い願う﹂の意などは、師の論考で全く考慮されてはいない。いわば寸申す﹂とは多義語であるという基 本的側面が主張から欠落しているのであり、この点はやはり三業説の信憲性を大きく落としていると言わざるを得ま い。ちなみに現代国語学における室町言葉に関する研究成果が﹃時代別国語辞典室町時代篇﹄(三省堂)にまとめら れている。﹁申す﹂の項を参照すると次のようにある。 .まう・す[・申す](動四):・①神仏やお上・目上の人につつしんで言上し、お願いしたり、請うたりする。② す ﹁言ふ﹂﹁告ぐ﹂の改まった言い方。③﹁為﹂の改まった言い方。④特に、飲食物を勧めて人をもてなす意を表 わす。⑤他の動詞の上に付いて、﹁言 る その語義として第一番目に説明されているのは、深励が指摘した﹁請い願う﹂である。深励が寸仏た すけたまへと申すと云へば、これはこひねがふことなりと直ちに解了するなり﹂と述べたことも、確かに説得力をも っ意見であるといえよう。 こ れ に よ れ ば 、 ところで深励には﹃御文講義﹄という解説書もあり、そこでの立論は趣を異にしている。つまりこの中では、末代 無智章の﹁申す﹂について二義あるとして、後義では﹁申す﹂の語義を示すのだが、前義で論じているのは、次のよ

(19)

うな説である。 一には、:::仏たすけたまへと申んとなされた第十九通の御文では、此処をば﹁後生たすけたまへとふかくたの み申さん人をば﹂とあり。此御文とあの御文と、始終体が同じことぢや。処がしたの御文では此に﹁たのみ﹂の 言が入れてある。今も﹁たのむ L の言を入れて可見。今此では上に寸阿弥陀仏をふかくたのみまいらせて﹂とあ るゆへ、﹁たのみ申さん L と云ことは知れたことゆへ略して﹁仏たすけたまへと申さん衆生をぱ﹂と被仰た者な

ω 。

n ソ つまり、五帖目第一通(末代無智章)と五帖目第十九通とは﹁始終体が同じ﹂、すなわち全体に類似した消息であ ることから、第十九通には寸後生たすけたまへとふかくたのみ申さん﹂とあるのが、第一通では寸たすけたまへと申 さん衆生 L となっているのは、上に寸阿弥陀仏とふかくたのみまいらせて﹂とあるから省略したのであり、﹁たのみ 申さん L の意であることは自明であるというのである。筆者はこの説(仮に省略説と呼ぶ)が、深励が否定した隔句 連続の理解と実質どれほど違うのか掴みかねるが、確かに

B

の用例を点検すれば、その前後に全て﹁たのむ﹂が確認 できるため一定の説得力があるようにも感じる。しかしこの説は義門(一七八六

l

一八四三)が﹃末代無智御文和語 説﹄で批判を加えている。 たすけ給へとたのみ申さんとして、たのみをはぶいたものぢやと云説は、諾ひ難く存ずる也

O

i

-御 仮 名 聖 教 等 、 字数の窮屈なきものに於て、左様な例なく、まして況んや一言を省くと云事は、愚夫愚婦の耳には入がたきすぢゆ ゑ、愚人教導を主となさるる御文に、左様なる省き言をなされて、深く考へ、言をいれてみねば解せぬと云様な 事のあるべき事は更になしと存ずるな

h

o

これによれば、すなわち和歌や和讃のように﹁字数の窮屈﹂がない時にそのような省略を行った例はなく、まして ﹁御文章﹂の性質を考慮すれば、略された言葉を、深く考えて加えないと理解できないような文章を作成するわけが ﹁たすけたまへと申す﹂考(井上) 九

(20)

龍谷大学論集 二

O

ないというのである。すなわち深励は﹃末代無智御文講義﹄で隔句連続の理解に対して向けた批判を、ここでは自ら が受けているのに等しいのであって、真意を掴みかねる所ではある D しかし義門が提示した理解は、例証も含めて実 は深励の理解をかなりなぞったものであ仇。 一には身業につく O i -・。こには称名念仏を申などあるは、口に云ひ顕す事。三には、:::向ふ方を敬ふに付て 云ふ言。四には此外に今一つ希ふと云事を申すと云言あり。:::御文では寸今ははやいとま申なりとて涙をうか めて、みなみな帰りにけり﹂ D 暇乞を申す事で、請ふ事を﹁申す﹂とあり。御文は元来蓮上人が愚俗の教導を主 となさるるもの故、念仏申、称名申は、口にいふ事、知れた事なれども、折々寸声に出して﹂とも被仰。﹁口に 申さんところの称名は﹂とも被仰。実に老婆の御深切なり。今も仏たすけ給へと云ふは、口に云ふのではないぞ、 からだで向かふのではないぞとゑらぴを置せられて﹁一心一向に仏たすけ給へと申ん﹂被仰て﹁ねがふ﹂と云塩 梅。﹃御一代聞書﹄などに﹁聖人の御影を申は大事の事なり﹂とねがふと云ふかへ名に﹁申﹂と云ふ言あれ川 o すなわち義門は﹁申す﹂について四義を出しつつも、ここでの理解としては深励と同じく第四番目の﹁希う﹂﹁請 ふしであるとする。 次に大績を見てみると、﹃真宗安心十秘﹄で三業派の﹁申す﹂を発語とする理解を厳しく批判しながら、蓮知は口 業における発語を表現する場合は﹁口に﹂、あるいは﹁声に﹂という言葉を添えるのが通例であるという、これまで 宝厳、深励、義門などがことごとく示していた理解を提示し、寸申す﹂については、次のように述べる。 然ればなにゆへに申とのみありて、口業らしく書きたまふやといへば、:::まうすとある語を兎の角のといふ論 は、すべていらぬことなりロ強いて語例を求めば、第一帖初に、﹁わが弟子とこころえおくべく候ふやらん、如 来・聖人の御弟子と申すべく候ふやらん﹂とあり。此中の﹁申﹂とはこころえ申すの含語なり。前の句に映じて 義明なり。今亦然り、とたのみ申し含語のみ第五帖中八九処、この語例あり。みな前後に映じて義明なり。:・

(21)

寸たすけたまへと申す﹂とは、たすけたまへとふかく心に疑いなく信ずることなり。 大蔵が個性を発揮しているのは、何と言っても﹁申す﹂について﹁兎の角のといふ論は、すべていらぬこと﹂と断 定した点である。とはいえ、ここでの﹁申す﹂については、含語(ふくみことば)という独特の言い回しでその役割 を説明しているのであるが、要するに言葉は出ていなくても、文脈で理解できるという深励の省略説と類似した理解 において三業派の理解を厳しく批判しているが、矛先は である。また道隠(一七四一ー一八一三)も﹃御文明灯紗﹄ 主に﹁たすけたまへ L が欲生ではなく信楽であるという点に向けられている。寸申す﹂については五帖第三通を釈し て 寸後生たすけたまへと申さん﹂とは、:::然るに此文具さに云はば二心一向に阿弥陀仏後生たすけたまへとふ かくたのみ申さん人を﹂と云ふべし。今従略耳。後生たすけたまへとは、たすけたまへる仏勅に信順する帰命の 一心なりとまうさんとは、上の﹁たのみまゐらせて﹂を釈するゆゑに、此文略なれども﹁と申さん﹂の上に寸た のみ﹂の句あるべきを、標釈の文近きがゆゑに略するのみ。委しくはたすけたまへとたのみ申すと云ふゐなり。

ω

そこでまうすの字は、前のまゐらせの句と同じく奉ると云ふも同義にして是れ助語の辞なり。 と述べており、基本的には省略説のようである。そして﹁申す﹂を﹁奉る﹂と同じ機能を果たす助辞であると論じて いるが、これらの理解は、針水(一八

O

九ー一八九二)も﹃タスケタマへ考﹄(二十七丁右)において基本的に踏襲 し て い る 。 ー』ー ノ、

以上、蓮知教学を代表するキーワードである寸たすけたまへ﹂が、およそ三百年後の三業惑乱でどのように問題と されたか概観し、それらのもととなる蓮如の用例について分類して検討を加えた。またその中で特に問題となる﹁た ﹁たすけたまへと申す L 考 ( 井 上 )

(22)

龍谷大学論集 すけたまへと申す﹂という表現の理解について諸先学の議論を追い、問題点を抽出した。 ここで寸たすけたまへと申す﹂についてまとめておくと、この問題に関する理解は大別して、﹁申す﹂の語義から 導く理解と、文章構造から導く理解とのこつに分かれていると言えよう。まず前者は、語義から寸申す﹂単体での意 味を模索する見方である。この見方は、﹁御文章﹂の性質からして複雑な説明論理を避け、できるだけ句面のごとく 理解しようとするものであるが、三業派はそれを発語(言陳)と見たのであり、非三業派と位置づけられる大派の深 励と義門は、語義の時代的変遷に着目して、古例から蓮如当時までの用例を渉猟して検討を加え、﹁請い願う L と い う義を導き出した。また非三業派の諸師が、三業派の理解について批判する時には、もし蓮如が﹁申す﹂で発語を意 味させるなら﹁口で﹂、あるいは﹁声に﹂などの言葉を添えるのが通例であるとの旨を揃って主張していた。これも 単なる蓮知の表現の仕方に関する指摘ではなく、蓮知が﹁申す﹂を用いる場合には、多義語ゆえに意味が限定できる ように用いていたことを見抜いていたからこそ行える指摘であり、説得力を持つものであると考えられる。 次に後者の、文章構造から﹁申す﹂を理解する場合は、寸たのむ﹂などの動詞に付属する補助動詞として﹁申す﹂ を捉え、﹁申す﹂単体での意味を認めない見方であり、こちらは特に本願寺派の学匠が採用した理解である。本願寺 派の大滅・道隠・針水が﹁請い願う﹂の義を取らなかったのは、この理解が﹁たすけたまへ﹂の理解として最も恐れ る﹁祈願﹂の義と合わさりゃすいからではないだろうか。非三業派の中でも本願寺派の諸師はすべからく﹁たすけた まへ﹂を信楽で理解している。そして彼らは文脈から補助動詞としての理解を導くのであるが、これは前者の大派の 学匠からは﹁御文章﹂の性質にそぐわない﹁六かしき義 L ( 深励)であると評されたものである。しかし文法的に説 明すれば複雑であるということと、文章を聞いて複雑に感じるかどうかというのは別問題ではなかろうか。更にいう なら文法的に正しい文章が、必ずしも耳に馴染みゃすいわけでもなかろ%。﹁御文章 L とは蓮如が、千の内容を百に、 四 一にと濃縮して著した書である。したがって﹁御文章﹂によって、蓮知が様々な同義語を多用しながら醸し出 十 に 、

(23)

す宗教的世界に浸ったものからすれば、省略説という見方が必ずしもそぐわない見方というわけでもなかったと考え る。思うに大績が寸申す L について﹁兎の角のといふ論は、すべていらぬこと L と述べたのはその意味ではなかろう か。しかしその、ある意味での暖昧さが後に問題を引き起こしたともいえるのであり、それらの問題については、 ﹁たすけたまへ L という表現を生み出した浄土宗における理解、あるいは﹁仏たすけたまへ L の名号化の問題や、入 門儀礼の問題といった本稿を進める中で得た課題と共に、他日、別稿にて詳述したい。 なお、本稿で用いた三業惑乱関係の資料と知見の多くは、龍谷大学仏教文化研究所の共同研究﹁三業惑乱関連書 籍の翻刻と註釈﹂(殿内恒氏︿代表﹀・井上善幸氏・堀祐彰氏・三浦真証氏・能美潤史氏)に参加する中で得たも の で あ る 。 (2) (1)註 ﹃ 浄 土 真 宗 聖 典

l

原 典 │ ﹄ ( 本 願 寺 出 版 社 、 以 下 ﹃ 原 典 版 ﹄ ) 、 一 二 五 四 頁 。 ﹃ 真 宗 史 料 集 成 ﹄ 第 二 巻 ( 同 朋 舎 ) 、 四 五 四 頁 。 本論で用いた次の資料は、いずれも龍谷大学蔵本であり、丁数の表記はいずれもこれによっている。 ・功存﹃願生帰命弁﹄二巻(一七六四︿宝暦十四﹀年刊) ・宝厳﹃帰命本願訣﹄一巻(一七八九︿寛政元﹀年刊) ・玄伎﹃弾妄釈疑篇﹄一巻ご七八九︿寛政元﹀年刊) ・爽洲﹃排謬翼宗篇﹄二巻(一七八九︿寛政元﹀年刊) ・深励﹃末代無智御文講義﹄三巻(一八九四︿明治二十七﹀年刊) ・針水﹃タスケタマへ考﹄(一八九二︿明治二十五﹀年刊)

ω

本論では、読解の便を考慮して、引用元の表記がカタカナ表記であってもひらがな表記とし、漢字は原則として新漢字 で表記した。また句読点、濁音・半濁音、括弧類を適宜補った。

ω

爽洲は寸来洲﹂と表記されることもあり、﹃排謬翼宗篇﹄の最後には﹁大和英洲釈流海忘己識﹂とあって﹁釈流海﹂が ﹁ た す げ た ま へ と 申 す ﹂ 考 ( 井 上 )

(24)

龍谷大学論集 二 四 法名として示されている。その辺の事情は不詳である。

ω

一ニ業惑乱で対峠した両者には様々な呼称がある。例えば学林(能化)側の呼称として﹁三業派﹂﹁新義派﹂﹁願生(欲 生)派﹂等があり、対して地方の学僧(所化)側は﹁非三業派﹂﹁古義派﹂﹁信楽派﹂等がある。どの呼称にも意図する部 分があり、また学僧それぞれの思想や立場も考慮すれば必ずしも一括りにできない部分もあるのだが、本論では﹁三業 派﹂﹁非三業派﹂という呼称を用いておく。

ω

﹃新編真宗全書﹄第二

O

巻、一九九頁 仰いわゆる帖外の﹁御文章﹂については、真偽未詳も多く含まれ、厳密なテキストクリティ l クが困難であり、かつ煩蹟 となるため除外した。

ω

引用末の()内には、﹃御文章﹄は帖数と通数を、﹃夏御文章﹄は通数を、﹃蓮知上人御一代記聞書﹄は条数を記し、 その下にはそれぞれ﹃原典版﹄の頁数と、﹃真宗史料集成﹄第二巻の頁数とを示した。

ω

この分類を見て分かるように、 B の用例、すなわち﹁たすけたまへ﹂を単独の動詞﹁申す﹂が承けるパターンが、帖内 では五帖目にしか存在していない。これは五帖の﹁御文章﹂を編纂する上で何か意図されたものがあるのだろうか。言い 方を変えれば、このパターンは五帖目に集められたと言い得るのだろうか。穿ちすぎた見方かも知れないが、偶然とも言 い難いものを感じるのであり、指摘しておきたい。 側共通しているとはいっても、その﹁たのむ﹂が欲生(願生)を意味していると見るか、信楽を意味していると見るかで、 両者の理解は大きく分岐してゆくことは言うまでもない。

ω

そ の 意 味 で は 、 A の寸たすけたまへ﹂が﹁信ず L に接続している用例は、 C に統合すべきである。しかし﹁たのむ﹂の 理解をめぐって多くの議論があるため、あえて﹁たのむしだけで独立させている。

ω

宝厳に対しては深励も批判しており、﹃御文講義﹄(﹃新編真宗全書﹄第十五巻、六二五頁)に、 近来の﹃本願訣﹄には、意中の言ぢゃと云てぬけて有れどもこれもつまらぬ。:::何でも口に云通りを心で思ふこと を云なり。﹃大経﹄に﹁我心念言﹂とあり。此を意中の言と云は、甚だ術なひ詮義なり。勿論夫では口上だのみを防 げども、意業づのりをまねく。 と述べている。ここで深励は、宝厳の説を﹁意業づのりをまねく﹂と批判しているが、一八

O

三(事和三)年に宝厳は、 学寮嗣講の鳳嶺によって、実際に﹁意業づのり L として糾弾されており、彼は教誠を受けた後に回心状を提出している。

(25)

ω

第二義である口称の義について触れておく。この義は末代無智章で﹁これすなはち第十八の念仏往生の誓願のこころ﹂ とあることから、﹁たすけたまへと申さん L とは、すなわち称名することであるとする。しかしこの義のみで理解を通せ ば、なぜ直接に﹁念仏申さん衆生﹂と書かれていないのかという批難を受けることになる。したがって﹁申す﹂の理解に ついて、深励は信(第一義)であれ称(第二義)であれ、共に名号のはたらきであり体は一つであるから、両義を用いて 理解していくべきであると述べている(四十裏)。 しかし﹃御文講義﹄(同前、六二二頁)ではこの説を一転、否定している。寸たすけたまへと申す L という表現が称名の 意であるというのは﹁判じもの﹂のようであり、それならば直接﹁南無阿弥陀仏と申さん衆生をば L と言うべきだと述べ、 ﹃末代無智御文講義﹄で自ら指摘していた批判を加えている。そしてたのむ一念の思いぶりを﹁たすけたまへ﹂と示した 点こそ、蓮如が中興と仰がれるゆえんであり、それを称名で理解することはできないと述べる。 この深励の変化についてであるが、これは﹃末代無智御文講義﹄の中で、明和年間に大谷派で起きた、いわゆる越後法 論に触れ、このとき本山から出向いて処理に当たったのは、深励が寸先輩﹂と呼んでいる第三代講師慧琳(一七一五

l

一 七八九)であったと述べている。そしてこの時に彼がこの第二義を用いて教誠した云々と述べていることから、この講録 では無下に批判はできなかったものと思われる。

ω

深励は、﹃御文講義﹄の中で寸申す﹂の語義について、次の五種類を挙げている。 又一義には、全体我が朝に於て、﹁申 L と云言について、いろいろにつかひ分ること一二に非ず。凡そ五つあり。一 には口に云述ることを申と云。:::こには口で云通りを心に思うことを申すと云。:::謂る意中の言なり。三にはそ らに諦しとなへることを我朝に古より申と云なり。:::四には願ことを申と云なり。五には言の天爾波でただ申と云。 また﹁申す﹂の語義については、先の﹃末代無智御文講義﹄においても次の五種類を出している。 当時の人機の解了しやすきに随ふて八十通の中しばしば申すの言を用ひ玉ふなり。これを細かに論ずるときは凡そ五 種あり。一には口称の義。こには標結の語。三には助語の辞。四には願求の義。五には言陳の義なり。(三十七丁左) 双方を見ると、やはり幾分、趣を異にしていることがわかる。この相違については理由は不明であるが、寸申す L の 意 味を﹁願う﹂とするところは共通している所である。 ちなみに、本論の註

ω

でも触れたように、深励は両書の間で見解を変えているので、ここで両書の前後関係について触 れておく。まず﹃御文講義﹄は、﹃真宗全書﹄第四十九巻の解題によれば、﹁今次編輯に際し其の講録を御文の順に蒐めて 寸 た す け た ま へ と 申 す ﹂ 考 ( 井 上 ) 二 五

(26)

龍谷大学論集 一 一 六 一部を造りしなり。八十通の中しばらく八通を得るに過ぎずと雄も:::﹂とあることから、各処で深励が行った﹁御文 章﹂八通分の講録を集め、編輯に際して五帖の﹁御文章﹂の順に並べ替えたものである。従って順に行われたとは限らず、 本書全体の成立時期は不明なものの、初めに収録されている第一帖初通の講義にだけ﹁事和三年亥秋八月二十五日於黒書 院﹂とある。また﹃末代無智御文講義﹄は一八九四(明治二十七)年刊であって、深励が没してから遥かに後年の刊行で ある。したがって両書の前後関係は不明なのであるが、﹃御文講義﹄の第二義(口で云通りを心に思うことを申すと云) とは、宝厳の説に対する批判でもあり、この点は﹃末代無智御文講義﹄には存在しない要素ではある。

ω

﹃新編真宗全書﹄第一五巻、六二六頁 側﹃真宗全書﹄第五七巻、四二八頁 間﹃末代無智御文和語説﹄は、一八四二(天保十一ニ)年九月五日から十二日にかけて行われた義門の口述を記録したもの であり、深励の没後であることは言うまでもない。なお義門は翌年に没している。参考、三木幸信﹃義門の研究﹄(風間 書房、一九六三) 側﹃真宗全書﹄第五七巻、四二六頁 側﹃新編真宗全書﹄第二

O

巻、一九九頁 側﹃真宗叢書﹄第一

O

巻、二八五頁

ω

﹃御文章﹄のこうした側面については、蓮如自身の次の言葉はよく考慮されるべきである。 ・御文のこと、文言をかしく、てにはわろくとも、もし一人も信をえよかしとおもふばかりにて、あそばしをくなり、 てにはのわろきを、おれがとがといへ。(﹃空善問書﹄第一二六条、﹃真宗史料集成﹄第二巻、四三五頁) ・御文の事、文言おかしく、てにをはもあしく侍れども、もし一人も信をえよかしと思ばかりにて書をき侍り。てにを はの我とがといふべしとぞ仰らる。(﹃蓮如上人御一期記﹄第一

OO

条、同前五二三頁) ・右斯文どもは、文明第三之比より同き第五之秋の時分まで、天性こころにうかむままに、何の分別もなく、連々に筆 をそめおきつる文どもなり。さだめで文体のおかしきこともありぬベし、またことばなんどのつづかぬこともあるぺ し。かたがたしかるべからざるあひだ、その掛酌をなすといへども、すでにこの一帖の料紙をこしらへて書写せしむ るあひだ、ちからなくまづゆるしおくものなり。云々(蓮崇本﹁御文﹂端書、稲葉昌丸編﹃蓮如上人遺文﹄一二七頁、 法 蔵 館 )

(27)

白) また、この点に関する片岡了氏の﹁蓮如上人﹁御文﹂の文章│文章史の観点から│﹂(﹃大谷学報﹄第四八号第四号、一 九六九)という論考は傾聴すべき点を多く含んでいる。即ち氏は﹃御文章﹄の文体を分析して、一般に﹁不整表現﹂と言 われる﹁反復表現﹂﹁逸れ﹂(論旨の逸脱)寸欠尾表現﹂(主述不整合)が﹁御文章 L 全体で二百文余り(全体の約六分の一 相当)見られることを指摘し、それら表現を﹁話しことば的﹂、あるいは寸話語的表現﹂と呼んで次のように結論づけて い る 。 全体として﹁御文 L の文章は、いわば﹁口語的文語﹂とでもいうべき性格のものと考えられる。但し、これは﹁御 文 L の文章を当時の口語文だと言おうとするのではない。それはあくまで室町時代の寸文語文 L の一つと考える。た だそれが﹁口語文 L 的なところを志向しながら、そうもなり切れず、いわば口語文と文語文との折衷的文章になって いるということに注意したいと思うのである。 ﹃天正三年記﹄(﹃真宗史料集成﹄第二巻、四一一一頁)には次のようにある。 御文を御つくらせきふらふ事は、安芸法眼申されさふらひて御つくりさふらひて、各有難く存さふらふ。かるがると 愚痴の者のはやく心得まひらせきふらふやうに、千の物を百に選ぴ、百の物を十に選ばれ、十の物を一に早く間分申 様にと思しめされ、御文にあそばしあらはされて、凡夫の速かに仏道なる事をおほせたてられたる事にてさふらふ。 開山聖人の御勧化、今一天四海にひろまり申す事は、蓮如上人の御念力によりたる事に候也。 キーワード 三業惑乱 蓮 如 たすけたまへ 申 す ﹁ た す け た ま へ と 申 す L 考 ( 井 上 ) 二 七

参照

関連したドキュメント

今回の授業ではグループワークを個々人が内面化

 一六 三四〇 一九三 七五一九八一六九 六三

 第一の方法は、不安の原因を特定した上で、それを制御しようとするもので

噸狂歌の本質に基く視点としては小それが短歌形式をとる韻文であることが第一であるP三十一文字(原則として音節と対応する)を基本としへ内部が五七・五七七という文字(音節)数を持つ定形詩である。そ

(2)特定死因を除去した場合の平均余命の延び

はい、あります。 ほとんど (ESL 以外) の授業は、カナダ人の生徒と一緒に受けることになりま

人の生涯を助ける。だからすべてこれを「貨物」という。また貨幣というのは、三種類の銭があ

一︑意見の自由は︑公務員に保障される︒ ントを受けたことまたはそれを拒絶したこと