敗戦後の真宗大谷派教団
大谷大学水
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三
位
一
体
﹂
︵ 昭 和 二O
︶ 年 一 二 月 一 五 日 、GHQ
によって示された、国家や日本国民を国家神道から解放すること を目的とした﹃神道指令﹄に基づいて、二八日、戦後政府は﹁信教の自由﹂を基本精神とした﹁宗教法人令﹄を発 布した。大谷派を始めとする各教団は、それに沿って民主的な宗制寺法の制定に迫られたのである。 戦前の大谷派教団は、﹁三位一体﹂||親鷺と血脈のある大谷家が法統の後継者としての法主であると同時に、 本山・東本願寺住職であり、また真宗大谷派の管長も兼ねるというシステムーーを基盤に存立していた。その﹁三 位一体﹂の由縁を尋ねれば、それは、一八八三︵明治二ハ︶年九月に制定された大谷派最初の宗制寺法である﹃大 谷派寺法﹄︵全一四条︶に窺うことができる。 一 九 四 五 第一条真宗大谷派ノ本山ハ一派内一寺ニ限ル 第 条 本山ハ従来ノ慣例ニヨリテ法主ノ専領トス第
条 本山ハ派内ノ寺院及ヒ門徒ヲ管轄スルノ権力ヲ有ス第四条 法主ハ宗祖以米血脈伝灯ノ善知識ニシテ、本山本願寺ノ住職タルモノトス 第五条 派内教導職ノ管長ハ法主タルモノニ限ル。但管長ハ派下教正講義ヲ以テ其事務ヲ代理セシムルコトア ル ヘ シ ︵ 以 下 省 略 ︶ 引用した条文の、特に第二条、第四条、第五条を合わせ見れば、﹁三位一体﹂の仕組みが概ね理解できる。第五 第六条 宗義安心ノ正否ヲ判決スルハ特一一法主ニ限ルモノトス 条の﹁教導職﹂とは、明治初期に政府が国民を教化するために設けたもので、僧侶や神宮がその任にあたった。 ﹁管長﹂は、その教導職を統括する立場であった。一九二九︵昭和四︶年一月一二日に発布された﹁真宗大谷派 宗憲﹄でも、﹁三位一体﹂について、次のように定められている。 管長ハ法主ト称シ本山本願寺住職之ニ当ル 第十四条 第十七条管長は宗義ニ関スル正否ヲ判ス 第十九条 管長ハ宗議会ヲ百集シ其ノ開会、閉会、停会及解散を命ス 第二十条 管長ハ条例ヲ允可シ其ノ発布及施行ヲ命ス 管長ハ住職及教師ヲ任免シ寺格、教師、堂班ノ等級ヲ定ム この﹃宗憲﹂発布の二年後に日本は満州事変を引き起こし、いわゆる﹁十五年戦争﹂に突入したが、教団がその 戦争に歩調を合わせたという事実を鑑みれば、﹁三位一体﹂が国民の賛戦意識高揚の精神的背景にあったことは明 第二十五条 ︵ 以 上 抜 粋 ︶ ら か で あ る 。 さ ら に 、 発 布 さ れ た が 、 それを受けて 一九三九︵昭和一四︶年に宗教団体を統合して大政翼賛運動を展開すべく﹁宗教団体法﹂が ︵ 昭 和 一 六 ︶ 年 三 一 月 に 制 定 さ れ た ﹃ 真 宗 大 谷 派 宗 制 ﹄ に お い て も 、 一 九 四 第 二 三 一 条 管長ハ法主卜称シ本派ヲ統理シ之ヲ代表ス 第二四条 管長ハ世襲トシ得度式ヲ受ケタル伯爵大谷家ノ戸主之ニ当ル 敗戦後の真宗大谷派教団
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敗戦後の真宗大谷派教団
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四 得度式ヲ受ケタル伯爵大谷家ノ後嗣ヲ法嗣ト称す 第二五条 管長ハ宗意安心ノ正否ヲ判ス と あ り 、 さ ら に 、 九 四 ︵ 昭 和 一 七 ︶ 年 一O
月に制定された﹁本願寺寺院規則﹄にも、 第十七条本寺院ノ住職ハ世襲トシ真宗大谷派ノ管長タル者之ニ当ル 本寺院ノ住職ハ門跡ト称ス と位置づけられているように、法主であり本願寺住職である管長が、 さらに﹁伯爵﹂﹁門跡﹂であったことが明記 されていることから、戦前の宗制寺法は﹁三位一体﹂を支柱とした﹁欽定﹂精神に立脚していたと言えよう。もち ろん、宗政を担う寺務総長を中心とした上局は、あくまで管長川法主の補佐の位置づけでしかなく、 し た が っ て 、 管長にあらゆる権限が集中しており、このような﹁三位一体﹂ のシステムを克服することこそ、戦後社会において 民主化をすすめる大谷派教団の大きな課題であった。︵二︶大谷派の新﹃宗憲﹄制定
︵ 昭 和 二O
︶年一月一八日に大谷派教団の宗務総長の任に就いた宮谷法含は、敗戦後、教団の民主化を 急がなければならなかった。その富谷の苦慮は、﹁三位一体﹂を如何にして戦後教団においても維持できるかにあ り、そのような﹃宗憲﹂制定のため、宗議会で再三激論が戦わされた。しかし、﹁中外日報﹄が報じているように、 一 九 四 五 当時の風潮として﹁三位一体﹂を維持することにはかなりの無理があった。 総長が︵中略︶デモクラシーのやって行きたいと言ひ乍ら、 ︵中略︶歴史と伝統と美点を傷つける時は絶対反 対であると言はれたが矛盾してゐないか、美点とは三位一体を指すものと思ふがデモクラシーの宗政に於ては三位一体は成り立たぬの批判が出され、終に﹁社会情勢から三位一体許さぬ﹂という結論になった。 同様の議論は、宗制調査会の特別委員会においても行われたが、民主主義の時流に逆らえず、﹁法主・管長別置﹂ と管長を公選推挙することが提示されたのである。この経緯について﹁中外日報﹂は次のように伝えている。 民主々義日本における精神部門再建に重責ありと自任する大谷派が先づ自らを反省したとき敗戦日本の事実の 前には封建的権化と正しくこれを認識した上、 い か に 之 を 大 革 新 す べ き か 、 いかに本山と民衆とを直結すべき か如何にすればや﹀もすれば肝腎な開山のか御同朋御同行。の精神を取り戻して其の真精神を発揮すべきか、 の根本問題を解決する宗制は昨年十一月以来宗務所内に調査審議室を設けて調査討議し、大谷家戸主であり本 山住職であり一派の管長職である所謂三位一体の問題を中心に議論が交され︵中略︶管長と法主との別置論、 進んで管長の公選論となり、まさに民主本願寺に鼎沸の有様であったが、向後も法主、管長の制度を中心に多 岐多端の経緯が展開され、再建日本に於るこの大宗門﹁再生の悩み﹂はいよいよ深刻痛烈サを加へるであらう ︵ 7 ︶ と 予 想 さ れ る 。 ﹁御同朋御同行﹂の精神とコニ位一体﹂のシステムが容易に結びつかないところに、教団の苦悩があった。しかし、 ﹁ 管 長 ・ 法 主 別 置 ﹂ に つ い て は 、 法主は伝統の血脈相承の法主であり大谷家の戸主であることに文句をさしはさむものはないが﹁大谷派﹂とい ふ﹁一派﹂の管長職はこの法主と別置して考へる、故に法主以外の人が管長たり得る場合もある。 と述べているように、肯定的な見解が大勢を占めていた。 かくして、九月二四日、﹃宗教法人令﹄に則り、民主主義を基本方針とする﹃真宗大谷派宗憲︵全文一回章一一 三条︶﹄︵以下、新﹃宗憲﹄︶が発布されたのである。民主主義下の﹃宗憲﹄らしく、言文一致体で書かれていた。 その要点は次の通りである。 敗戦後の真宗大谷派教団
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五敗戦後の真宗大谷派教団
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① 法 主 と 主 管 者 新﹃宗憲﹄における最大の課題は、﹁三位一体﹂を克服するところにあったことは、既に述べてきた通りである。 したがって、新﹃宗害とでは、﹁法主﹂とは別に﹁主管者及び代務者﹂の章を立てて管長の宗務を規定しているの である。以下、その主要な条文を引用する。なお、引用した新﹃宗憲﹂の条文の下に、その内容と一致する戦前の ﹁ 寺 法 ﹄ ︵ 一 八 八 三 一 ︵ 明 治 二 ハ ︶ 年 九 月 制 定 ︶ や 旧 ﹃ 宗 憲 ﹂ ︵ 一 九 二 九 ︵ 昭 和 四 ︶ 年 一 月 一 二 日 制 定 ︶ の条を併記し て お く 。 はじめに、﹁法主﹂について 第十一条 本派においては、浄土真宗の法統を伝承するものを師主とする。 第十二条 本派の師、王は法主と称し、本山本願寺の住職がこれに当る。 法主は、広く人心を教化し、本派における宗意安心の正否を判する。 ︵ ﹃ 寺 法 ﹄ 四 章 ︶ ︵ ﹃ 寺 法 ﹄ 六 条 、 旧 ﹃ 宗 室 恵 ﹄ 一 七 条 ︶ 法主は、本派における重要な儀式を行ふ。 第十四条法主は、本派における本尊、名号、影像及び法名を授与する。 とあり、また、﹁主管者及び代務者﹂については、 第十三条 旧 ﹁ 宗 憲 ﹄ 二 四 条 ︶ 旧 ﹃ 宗 憲 ﹄ 一 八 条 ︶ 第十五条本派に主管者一人を置く。 主管者は、本派を主管し、代表する。 本派の主管者は、管長と称する。 第十六条管長は、宗議会及び門徒評議員会によって推戴する。第十八条 管長は、宗議会の推挙に依って、宗務総長を任命する。 旧﹃宗憲﹂三三条 第十九条管長は、上局の補佐と同意とによって、左の宗務を行ふ。 宗憲改正及び条例を公布すること。 ︵ 旧 ﹁ 宗 憲 ﹄ 二 二 条 ︶ 宗 達 を 発 す る こ と 。 同 宗 議 会 を 招 集 し 、 その開会、閉会、停会及び解散を命ずること。 ︵ 旧 ﹁ 宗 富 山 ﹄ 一 九 条 ︶ 四門徒評議員会の招集を行ふこと。 ︵ 中 略 ︶ 七 寺院規則及び教会規則の制定並びに変更を承認すること。 ︵ 旧 ﹃ 宗 憲 ﹄ 二
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条 ︶ 後 略 ︶ すべて管長の発する公文書には、宗務総長及び参務の副署を必要とする。 ︵ 以 上 抜 粋 ︶ とある。ここで注目すべきは、新﹁宗憲﹄第十一条に、法主は本願寺住職であると記されているものの、宗派の 主管者である管長を兼ねるとは明記されておらず、 さらに第十六条に、管長が宗議会と門徒評議員会によって推戴 されると定められていることである。すなわち、法主以外の者でも管長に就任できるシステムを確立することで ﹁ 三 位 一 体 L を一応は克服したが、実際は、併記した戦前の﹃寺法﹄や旧﹃宗憲﹄ から分かるように、新﹃宗憲﹄ の内容は基本的に戦前のままであった。 一九六九︵昭和四四︶年四月に、法主によって管長職を新門に譲渡すると いう﹁開申﹂が突知発せられたが、 その原因の一端はここにあると言えよう。 ⑧ 宗 議 会 、 上 局 、 審 問 院 宗 議 会 に ﹁ 管 長 推 戴 権 ﹂ ︵ 第 十 六 条 ︶ の あ る こ と は 前 述 し た が 、 その他に次の宗務が定められている。 敗戦後の真宗大谷派教団 0 七敗戦後の真宗大谷派教団
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}\ 第三十二条 宗議会は、宗務総長を推挙する。 すべての条例は、宗議会の議決を必要とする。 第三十条 条例案は、宗議会で可決したとき条例となり、管長は、 その送付を受けた日から三十日以内に、 ﹂れを公布しなければならない。︵後略 第 三 十 三 一 条 予算案は宗議会で可決したとき予算となる。 ︵ 以 上 抜 粋 ︶ 宗議会には、管長推戴権とともに﹁総長推戴権﹂も付与されたのである。このような宗議会について、宗務当局 者は次のように高く評価している。 宗議会の補充強化は民意を尊重する限り当然のことである。その一番強くあらはれてゐる所は第十六条の管長 の推戴母体となること︵この推戴には門徒評議員会も加はるが︶、第三十条の宗務総長を推挙する権限を持つ ことである。これは従来に見られない一大変革であり、同時にまた、宗門の一大躍進である。 ところで旧﹃宗憲﹄では、第二十条に﹁管長ハ条例ヲ允可シ其ノ発布及施行ヲ命ス﹂とあるように、管長の権威 を象徴する﹁允裁権﹂、すなわち管長の﹁允可﹂を得て始めて条例等の公文書が発布される権限が明記されていた が、それが新﹁宗憲﹄では、条例案︵第三十二条︶ や予算案︵第三十三条︶等は宗議会の可決をもって成立するも のとし、管長には公布権のみが認められると改められたことから、允裁権は形式化されたと言える。しかし、いく ら形式化されたとしても、﹁すべて管長の発する公文書には、宗務総長及び参務の副署を必要とする﹂︵第卜九条︶ として、公文書に管長の主なる署名の必要性が当然のように規定されていることから、戦後においても允裁権は実 質的に温存されていたと言わなければならない。 宗務行政全般を掌る上局については、 第四十三条 上局は宗務総長及び参務五名以内でこれを組織する。参務は、宗務総長が選定し、管長がこれを任 命 す る 。 第四十四条 上局は、宗議会に対し連帯して責任を負ふ。 第四十五条 上局は、宗議会で不信任の議決案を可決し、 又は信任の議決案を否決したときは、十日以内に宗 議会が解散されない限り、総辞職しなげればならない。 第四十六条 宗務総長は、議案を宗議会に提出し、 一 般 宗 務 を 報 告 す る 。 と定められているように、新﹃宗憲﹄ で は 、 上 局 ︵ 行 政 ︶ と 宗 議 会 ︵ 立 法 ︶ のそれぞれの役割と責任が明確に規定 さ れ て お り 、 また司法を掌る審問院についても、 第五十四条 第五十五条 管長に直属して、審問院︵中略︶を置く。 審問院は、本派の僧侶の非違行為、宗議会議員の選挙及び当選の効力に関する異議の申立、僧籍 剥奪の異議申立 ︵ 中 略 ︶ の 判 定 を 行 ふ 。 と規定されている。したがって、ここに民主政治の基本原理である﹁二一権分立﹂が整ったことになる。 なお、宗議会議員の選挙権を男女一列に有教師に拡大し、被選挙権を二五歳以上の住職や教会主管者及び代表者 に与えることを規定した﹁宗議会議員選挙条例﹂が定められたことも、教団の民主化を一不すものとして注目すべき 事 項 で あ ろ う 。 ⑤管長の再議権 宗議会を規定した第三十二条の後半に、管長の権限について次のように規定されている。 第三十二条 ︵前略︶管長は、前項の条例に異議のあるときは、公布期間内に、 理由を附して宗議会に返付し、 再議を求めることができる。再議の結果、宗議会議員の三分の二以上が出席した宗議会において、 敗戦後の真宗大谷派教団 0 九
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三分の二以上の多数で再び可決したときは、管長は、その条例を直ちに公布しなければならない。 ここに管長の﹁再議権﹂が定められているが、﹃中外日報﹄は、 それについて次のように評価している。 これは法理論的に興味を惹く新制度である。新宗憲によると宗議会で議決した条例︵世間的には法律︶に対し、 管長が不同意の場合管長は宗務顧問に諮り一度議決したその条例を宗議会に対してこれを﹁再議﹂せしめる権 を有する、これの例を求めるとアメリカ大統領の権限中にこれに似たものがある、これは宗議会一つといふ一 院制における﹃宗議会の横暴﹄を考慮し之を防ぐ途を啓いたものである。 しかし、前述した﹁開申﹂を発端にしたいわゆる﹁大谷派紛争﹂で、允裁権とともにこの再議権も管長によって 濫用されたことをここに付言しておかなげればならない。 ④門徒評議員会 門徒評議員会について、次のように規定されている。 本派の財政運営を公正ならしめるため、門徒評議員会を置く。 門徒評議員会は、宗務総長の提出した予算案を審議し、決算を審査する。 財務の健全化のために門徒評議員会が設置されたことは、民主化を目指す教団にとって、極めて重要な意味を持 つ も の で あ っ た 。 ﹁ 中 外 日 報 ﹄ が 、 第百四条 第百七条 教団の基礎たる門徒の本質を明確にし民主々義を実践せねばならぬといふ立場から門徒の代表機関には未曾有 かつ各宗に比類を見ぬ特権まであたった、すなわち管長の推戴権まで末寺の僧侶代表と相ひ比肩して与へられ るといふ新制度をとり﹁宗教を門徒に解放﹂した、即ち門徒代表権は﹁門徒評議員会﹂と称し大体一ヶ寺三名 を下部組織体とし各組に﹁組門徒会﹂を設置、その上に教区門徒会が作られ、教区から一派代表の門徒評議員が選ばれ大略三百名位となる、この門徒評議員会の任務は一派の財政運営︵僧は法を主とするといふ意味に対 して︶を主として毎年度の一派予算の審議は宗議会︵僧侶︶に先じて議決権を附与する。 と解説しているように、教団が﹁宗教を門徒に解放﹂するために門徒代表権を確立し、﹁組門徒会﹂←﹁教区門徒 そして特に﹁予算の審議は宗議会に先じて議決権﹂が与えられたので 会﹂←﹁門徒評議員会﹂という組織を整え、 あ る 。 以上の論考から明らかなように、大谷派の新﹃宗憲﹄は、法主と管長を別置することで﹁三位一体﹂を克服し、 ま た 三 権 分 立 を 整 え 、 そして門徒評議員会を設置するなど、制度的には民主主義を踏まえたものと言うことができ る。しかし、自ら﹁民主々義的脱皮の根本法﹂と讃えたが、果たしてそれが、親鷺の意に適った﹁民主主義﹂であ っ た の で あ ろ う か 。 ところで、世間では早くから、 立派に法主が御座るのにワシが管長だといふ心臓の強い人もあるまいし結局、事実は法主と管長とは法主によ って一括されるのを平常体制とするのが今度の新宗制の﹁世﹂であると解せられる。 と、この民主化の有効性について疑問が投げかけられていた。たとえば、新﹁宗憲﹄の草案段階で、すでに﹃中外 日報﹄紙上に﹁民主主義をテラふ﹂という論評がなされており、また、’当時衆議院議員であった大谷壁潤は、次の よ う に 指 摘 し た 。 法主と管長を別置すると云うことだが、新宗制の骨子であるようだが、実際には、法主が宗門一致して推戴さ れて管長になると云う規定であるから、旧宗制の精神と伺一つ変っていない。ただ新宗制では、法主が適任者 でない場合には推戴しないと云う逃道を設けてあるのである。若しそうであるならば、 そんな卑怯な法規とせ ず、堂々と法主が管長候補に立ち適任であるならば公選し、不適任であるなら推戴せねばよいのである ︵ 中 敗戦後の真宗大谷派教団
敗戦後の真宗大谷派教団 略︶法主でない者が、管長たることを望んだ時に法主と覇を争うことが約束されている。それが門末の住職で あればまだ意味があろうが、肉親の者であった場合には何になるであろう。血で血を洗うような械い争闘が生 ︵ 凶 ︶ じないと誰が保障し得ょう。 このように、大谷壁潤が新﹃宗憲﹄を﹁卑怯な法規﹂と裁断したように、﹁三位一体﹂は実質的に旧来のまま温 存 さ れ て お り 、 また﹁肉親の者﹂による﹁血で血を洗うような醜い争闘﹂が起こるとの見方も、後の大谷派教団の 歩 み を 見 れ ば 、 けだし卓見であったと言うべきであろうか。
︵
三
︶
本
願
寺
派
の
新
﹃
宗
法
﹄
本願寺派では、戦後最初の臨時宗議会で、当時の朝倉暁瑞内局の戦争責任が厳しく問われ、また翼賛壮年団の京 都市団長であった大谷光照法主に対しても、﹁法主と一千万門徒が直結する制度を作れ、伯爵も御辞しなるのもそ の一つであらう﹂として辞爵について論議されるなど、大谷派と同様、教団の民主化に向かって大きく動き出した。 法主制の存続については、四月に、 法主が宗団の外に雲隠れした﹁生き仏さま的﹂に責任のない地位につく所謂﹁法主制廃止説﹂は非民主々義的 思想の甚だしいものである。本願寺は宗祖以来民主々義の徹底的形態たる御同朋御同行主義であって寺法第二 条に﹁本山は派内の末寺を統轄する所なれば一派の共有にして云々﹂とあり、宗制的にも民主々義があまりに だから法主制廃止は時代逆行の封建思想であり民主々義時代は法主も末寺住職も全て ﹁特権階級的﹂な無責任の地位を認むべきでないといふし日 と﹃中外日報﹂が報じているように、本願寺派では、法主の存在を﹃宗法﹄に明確に規定することで、民主化を実 も 明 確 に 示 さ れ て 居 る 、それは、法主を﹁生き仏さま的﹂な﹁特権階級﹂に奉らず法的に位置づける、 天皇の人間宣言と軌を一にする法主観を打ち出したものと言えよう。 現しようとした。すなわち、 つ ま り か く し て 一九四六︵昭和二二年九月一一日、﹁法主存置﹂を基本にした新﹁浄土真宗本願寺派宗法︵全文一
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章九七条︶﹂︵以下、新﹃未回﹄︶が制定されたのである o その要点は、次の通りである。 ① 門 主 本願寺派では、法主を法的に明確に位置づける方向性で﹁門主﹂制を敷き、﹁三位一体﹂を克服したが、 その門 ト 王 に つ い て 、 第六条 第七条 第八条 本宗門を統一するものを門主とする。 門主は、宗祖の系統のものが、宗規で定める門主相承規範によって、これに当る。 門主は、法灯を伝承して、宗意安心の正否を裁断する。 ②門主は、前項の裁断をする場合には、勧学寮に諮問する。 ③勧学寮に関する規定は、宗規で定める。 門主は、特に定められた宗務機関の申達によって宗務を行う。 ②前項の宗務については、申達した宗務機関が、その責任を負う。 ③門主は、第一項の申達を拒み、又は干渉することはない。 門主は、宗法、宗規及び宗則で特に定めた宗務員の任免を行う。 と規定されている。とれについて﹁中外日報﹄は、次のように評している。 第九条 第十条 ﹁門主﹂即ち法主のことを想定してゐる。﹁法主﹂を﹁門主﹂と呼称するのは歴史的に親しい称び方だと本山 敗戦後の真宗大谷派教団敗戦後の真宗大谷派教団 四 立法技術者は云ってゐる。これによってひと頃やかましかった﹁法主、管長別置論﹂を一挙に追放してしまっ たことになる、然らば﹁管長﹂なき宗門はどうして統治するか、右の﹁門主﹂と﹁宗務機構﹂があたることに なる、即ち第三章第六条で﹁本宗門を統率するものを門主とする﹂と規定し第九条に﹁門主は特に定められた 宗務機関の申達によって宗務を行ひ、その申達を拒み又は干渉することは出来ない﹂と規定し﹁法主は何でも 出来る﹂といった考へをブチ破ると共に宗務機関に権能をもたせ其の第二項に﹁前項の責任に就ては当該宗務 機関がその責任を負ふ﹂ことになってゐる。 大谷派が﹁時代の要請として所謂三位一体制を改め法主管長別置の立前で条文を編成した﹂のに対して、本願寺 派では﹁本宗門を統一する﹂︵第六条︶存在として﹁門主﹂を新設し、さらに﹁法灯を伝承﹂し﹁宗意安心の正否 を裁断する﹂︵第八条︶ものと規定している。そして、﹁宗務は、宗意安心に関する事柄を除き、宗政と立法と司法 とに分け、各々独立した機関で行ふ﹂︵第三十一条︶とあるように、宗務の中から﹁宗意安心﹂以外の宗務を総 局・宗会・審判院の三権分立した機関で行うことをした。ここに、宗務機関の門主権に対する優位性が明示された。 すなわち、﹁宗務機関の申達﹂︵第九条︶によって宗務を行いその責任を負うこと、また﹁門主は、第一項の申達を 拒み、又は干渉することはない﹂︵第九条③︶と規定し、さらに、﹁寺格廃止﹂︵第十五条︶や後述する﹁宗門投票﹂ ︵第九十二条、第九十三条︶等を合わせて見れば、新﹃宗法﹄は民主主義の理に適っていると言うことができる。 しかし注意すべきことは、大谷派の新﹁宗害こでは第十二条に、本願寺派の新﹃宗法﹄では第八条に、法主や門 主の権威のシンボルである﹁宗意安心﹂の成否の判定権が、血脈相続のシステムとともに戦前から不変的に堅持さ れていたことである。大谷派の現行﹃宗憲﹄︵一九八一︵昭和五六︶年全文改正︶では、それを﹁御同朋御同行﹂ の精神に立って﹁門首の権能の限界﹂と見定め破棄したが、本願寺派の現行﹁宗法﹄︵一九五二︵昭和二七︶年全 では、第八条に、今まで通り﹁宗意安心﹂の成否判定権が﹁門主権﹂として位置づけられている。 文 改 正 ︶
⑧ 宗 会 、 総 局 、 審 判 院 大谷派は司法をつかさどる機関として﹁審問院﹂を置いたが、 それと同様に、本願寺派でも、次のように﹁審判 院 ﹂ を 設 置 し た 。 第 六 十 三 一 条 審判院は、特別部と普通部と会計検査部とで構成し、審判院長が、これを統率する。 このように審判院は三部門に分かれており、 その中の特別部と普通部が大谷派の審問院に該当するものと考えら れる。審判院は一九五二︵昭和二七︶年の全文改定で﹁審判局﹂となり、 さらに一九七
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︵ 昭 和 四 五 ︶ 年 の 改 定 で ﹁監正局﹂に変更され、今日に至っている。 また、宗務総長は、大谷派の旧﹃宗憲﹄︵一九二九︵昭和四︶年︶ では、宗務顧問会に諮って管長が任免する ︵ 第 三 十 三 条 ︶ とされていたが、新﹃宗憲﹂では宗議会によって推挙される︵第三十条︶こととなり、 さらに現行 ﹁宗憲﹄では﹁宗会が指名し、門首がこれを認証する﹂︵第四十八条︶ 法 ﹂ で は 、 と改められたのに対して、本願寺派新﹃宗 総長は、僧侶の中から、宗規の定めるところによって選挙され、門主が、これを任免する。 と規定されていたように、総長は選挙で決定されていたが、一九七O
︵ 昭 和 四 五 ︶ 年 改 定 で は 、 第三十八条 第三十六条 総長は、教師のうちから門主の指名する二人又は三人の総長候補者について、宗会が選挙を行い、 その当選者を門主が任免する。 として、門主が実質的な指名権と任命権を掌握すべく改定されたのである。 敗戦後の真宗大谷派教団 五敗戦後の真宗大谷派教団 ム F、、 ⑧ 門 徒 会 教団の民主化の中で、教団の基盤である門徒に教団を解放することには、重要な意味がある。そのような願いに 沿って、新﹃宗憲﹄、新﹁宗法﹄において、それぞれ﹁門徒評議員会﹂﹁門徒会﹂が設置され、﹁財政運営を公正な らしむるため﹂︵新﹁宗憲﹄百四条︶、あるいは、﹁財政に関する事柄﹂︵新﹃宗法﹄第八十五条︶を審議するもの、 と定められたように、教団財政に大きく関与できる機関であった。また、前述したように、大谷派では、門徒評議 員会に宗議会と同等の管長推戴権が付与されていた。そして、現行﹃宗憲﹄第三十二条においても、参議会として、 宗議会とともに宗会の一翼を担うように定められた。 一 方 、 本 願 寺 派 で は 、 一九四九︵昭和二四︶年の﹁宗法﹄の第一回改正によって、門徒会の条文は削除され、 ﹁宗会は、単一の構成とし、僧侶及び門徒のうちから選出された宗会議員で組織する﹂︵第四十四条︶と門徒会を 宗会の中に組み込む改正が行われたのである。このように、﹁一院制﹂の本願寺派と﹁二院制﹂の大谷派の門徒に 対する姿勢に、すなわち民主化の視点に、多少の相違点のあることは否めない。 ④宗門投票 ﹁宗門投票﹂については、本願寺派﹃宗法﹂中に、 第九十二条 宗門投票は、宗制、宗法及び宗規の改正によって、宗門の組織に重大な変革が行はれるとき、又 は宗門の安危に関する重大な事柄が起ったとき、門主又は門末の発意に基き、宗規で定める規定 に よ っ て 行 は れ る 。 第九十三条 宗門投票は、宗門一般の投票によって、前条に定めた事柄について、本宗門の意志を決定する最
終的方法である。従って、 その結果は、宗門の総意として、何人もこれに従はなければならない。 とあるように、制度として極めて民主的色彩の濃いものであった。しかし、この制度は、今日まで一度も実施され て い な い 。
︵
四
︶
大
谷
派
教
団
の
﹁
民
主
的
﹂
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以上の論考をまとめると、敗戦直後の大谷派も本願寺派も、当時の民主的思潮に沿って、それぞれ新﹁宗憲﹄・ 新﹃宗法﹂を制定することで、戦後混乱期からの第一歩を踏み出したことは間違いない。しかし、新﹁宗憲﹄・新 ﹃宗法﹄に示された﹁法主・管長別置﹂や﹁門主制﹂は、いずれも伝統的な﹁三位一体﹂を制度的に克服したもの の、たとえば﹁宗意安心﹂の正否判定権が温存されたことなど、本質的には戦前のコニ位一体﹂の精神をそのまま 継承するものであった。そのことは、大谷派の新﹃宗憲﹄においては、管長に允裁権や再議権が暖昧な形で認めら れていたことから見ても、明らかであった。 一方、本願寺派新﹃宗法﹄では、当初そのような暖昧さは比較的少なく、そういう意味で制度的に民主主義に適 うべく制定されたものと言えよう。しかし、前述したように、門主に総長の指名・任命権が共に付与されたり、ま た門徒会を宗会に吸収することで、いわゆる二院制から一院制への改定等が行われたことを鑑みればやはり﹁三位 一体﹂の精神を継承していることは否めないように思われる。 と こ ろ で 、 大 谷 派 で は 、 ︵昭和五六︶年六月に制定された現行﹁真宗大谷派宗憲﹂﹁前文﹂に、 宗祖聖人の血統を継ぐ本願寺歴代は、聖人の門弟の負託に応えて本廟留守の重任に当られた。中興蓮如上人も また、自ら大谷本願寺御影堂留守識として、専ら御同朋御同行の交わりの中において立教開宗の本義を閣明し 九 /¥ 敗戦後の真宗大谷派教団 七敗 戦 後 の 真 宗 大 谷 派 教 団 }\ て、真宗再興を成し遂げられたのである。 つまり法主を、﹁本廟留守﹂にまで遡って位置づけている。﹁本廟留守﹂の 精神に教団の本来性を見定めることで、今日の﹁門首﹂制が確立されたのである。そのような﹁門首﹂について、 次のように規定している。 とあるように、宗祖以来の本願寺歴代、 第十五条 ー、門首は、本派の僧侶及び門徒を代表して、真宗本廟の宗祖聖人真影の給仕並びに仏祖の崇敬に 任 ず る 。 2 、門首は、僧侶及び門徒の首位にあって、同朋とともに真宗の教法を聞信する。 門首は、常に私たちの﹁首位にあって﹂、私たちとともに、﹁真宗の教法を聞信する﹂存在であり、少なくとも宗 意を確認するために東国から訪ねてきた門弟に、﹁面々の御はからいなり﹂と言い放った親鷺のように、決して ﹁宗意安心の正否﹂を判ずる権威者ではなかった。どこまでも﹁御同朋御同行﹂の一人であり、ここに大谷派の現 行﹃宗憲﹂は、親鷺の意に適った﹁民主化﹂教団としての基盤を築いたと言えよう。 註︵1︶﹃宗教法人令﹄の概要について、法学者小林孝輔は、﹁宗教法人の設立を認証制から届け出制とすることや規則変 更 す る 場 合 も 主 務 官 庁 の 認 証 を 不 要 と す る こ と ﹂ ︵ 取 意 ︶ と ま と め て い る 。 ︵ ﹃ 中 外 日 報 ﹄ 二
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︵ 平 成 二 一 ︶ 年 一 二 月 一 六 日 ︶ ︵ 2 ︶ ﹁ 配 紙 ﹄ ﹁ 別 冊 ﹂ 一 八 八 三 ︵ 明 治 一 六 ︶ 年 九 月 ︵3 ︶﹁真宗﹄一九二九︵昭和四︶年一月 ︵4 ︶﹁真宗大谷派宗制﹄真宗大谷派宗務所文書部刊。一九四一︵昭和一六︶年六月一五日発行。なお、﹃真宗﹂四月号 に は 、 ﹁ 今 般 宗 教 団 体 法 二 基 キ 御 一 派 ノ 宗 制 ヲ 改 定 シ 三 月 三 十 一 日 ヲ 以 テ 主 務 省 ノ 認 可 ヲ 得 タ リ ﹂ と あ る 。 ︵ 5 ︶﹁真宗﹄一九四二︵昭和一七︶年一一月号 ︵6 ︶ ﹁ 中 外 日 報 ﹂ 一 九 四 六 ︵ 昭 和 二 一 ︶ 年 三 月 一 一 二 日︵7 ︶ ﹁ 中 外 日 報 ﹄ ︵ 8 ︶ 同 ︵ 9 ︶﹁真宗﹄一九四六︵昭和二二年一一月号 ︵叩︶﹁真宗大谷派宗憲概要﹂﹁真宗﹄一九四六︵昭和二二年一一月 ︵日︶一九四一︵昭和二ハ︶年三月に制定された﹃真宗大谷派宗制﹄には、﹁第六二条宗務総長ハ宗制及宗規ヲ施行 スル為管長ノ允裁ヲ経テ宗則ヲ定メ及告達ヲ発ス﹂︵傍点は筆者︶とある。また戦後の﹁宗務所事務取扱規則﹄︵一 九六一︵昭和三一六︶年制定︶第三条には次のように定められている。﹁第三一条すべて案件であって、裁決を要す るものは次の各号の一によって処理しなければならない、一允裁法主又は管長による二決裁宗務総長による 決 定 ︵ 以 下 略 ︶ ﹂ ︵ロ︶﹃真宗﹄一九四六︵昭和二ご年一一月 ︵日︶﹃中外日報﹄一九四六︵昭和二一︶年九月一
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日 ︵ H ︶ 同 ︵日︶﹁中外日報﹄一九四六︵昭和二二年九月一八日 ︵ M ︶﹃中外日報﹄一九四六︵昭和二一︶年六月八日 ︵ 口 ︶ ﹁ 中 外 日 報 ﹄ 一 九 四 六 ︵ 昭 和 一 一 一 ︶ 年 九 月 一 三 日 ︵凶︶﹁仏教界の封建制︵下︶大谷派新宗制の欠陥を衝く﹂﹃中外日報﹄一九四七︵昭和二二︶年一月八日 ︵凹︶﹃中外日報﹄一九四五︵昭和二O
︶年一一月一五日 ︵却︶﹃中外日報﹂一九四六︵昭和二ご年四月二O
日 ︵引︶﹁浄土真宗本願寺派基本法規集﹄浄土真宗本願寺派総局公室企画室編︵一九五O
︵ 昭 和 二 五 ︶ 年 八 月 二 五 日 発 行 ︶ ︵幻︶﹁西本宗制案骨子﹂﹃中外日報﹄一九四六︵昭和二一︶年八月七日 ︵幻︶﹃中外日報﹄一九四六︵昭和二一︶年六月八日 ︵ M ︶現行﹃宗害とでは、この条項のもとに第十九条をおいて、門主権を制限している。 ︵ お ︶ ﹁ 宗 規 ﹂ と は 、 ﹁ 総 長 選 挙 規 程 ﹂ ︵ 一 九 四 七 ︵ 昭 和 二 二 ︶ 年 一 月 一 一 一 日 制 定 、 ﹁ 浄 土 真 宗 本 願 寺 派 基 本 法 規 集 ﹄ 浄 土 真宗本願寺派総局公室企画室編︵一九五O
︵昭和二五︶年八月二五日発行︶のことで、﹁総長は、宗会議員の四分 の三以上出席した宗会で、無記名投票によって選出する﹂と定められている。 一九四六︵昭和三ご年六月八日 敗 戦 後 の 真 宗 大 谷 派 教 団 九敗 戦 後 の 真 宗 大 谷 派 教 団