− 7 −
ア ル ト ウ ー ル ・ シ ョ ー ペ ン ハ ウ ア ー の 人 間 智
‑19 世紀ドイツ教養市民層形成の基盤をめぐって一
人間教育専攻 人間形成コース
日 高 徹
1. 問題と目的
18断己末から 19世紀前半にかけ、 ドイツで は、自己形成を目的とする「教養J(B立dung) の現念が確立されていった。それは大学でしか 得られない崇高な価値をもち、 ドイツ教養市民 層とは、その理念を備えた者たちを指した。一 方、同時期を生きた哲学者アルトウール・ショ ーベンハウアーは、ベシミスティックな幸福論 を晩年に展開したにもかかわらず、その,勧告、は、
先のドイツ教養市民層から支持を受けたのであ った。筆者は、なぜドイツ教養市民層がペシミ ストで、知られるショーベンハウアーの軒高論を 受け入れたのかに問題関心を抱いたことから、
本研究テーマを設定した。
そこで本研究では、ショーペンハウアーの幸 福の思想から人間形成の可能性を見出し、ショ ーベンハウアーの幸福の思想、がドイツ教養市民 層へ与えた影響を明らかにすることを目的に、
進めてして。
指導教員 木 内 陽 一
築されていったのかを論じている。とりわけ、
幼少期のヨーロッパ旅行において、現実の負の 側面(強制労働の場面など)を直樹句に見た経 験が、彼をペシミストとして、またリアリスト
として誕生させたのである。その世界観は、生 涯を通じて変わることなく、晩年に持ち込まれ ていった。
‑第2章ショーベンハウアーの生涯
ショーペンハウアーの生涯に着目し、彼がど のような人生を歩みながら晩年に至ったのかを たどっている。本論の後半で取り上げる彼の幸 福論は、彼が自らのこれまでの人生と、その中 で手責み重ねてきた経験をもとにして論じられて いるため、本章で彼の人生がどのようなものだ ったのかを明確にしておき、 3章で検志
f
する幸 福論の正しし、瑚平に役立てるものとした。‑第3章幸福論「生活の知恵のためのアフォ リズム」
ショーベンハウアーの幸福論を具体的にみて 2.各章の概要
いきながら、その構造と鞘教について論じてい
・第1章 ショーベンハウアーの恩担、と世界観
る。彼の幸福論は、積極的な努力によって幸福 ショーベンハウアーの世界観や生の哲学に着
を外部から得ようとするものではない。人生に 目し、それらがどのような経験を基盤にして構
− 8 − おいて、苦しみこそ我々に対して積極的なので あり、幸福は消極的であるということを念記貞に、
幸福は論じられている。彼は、幸福の本質を自 身が備える「人格」の充実にあるとし、精神を
より崇高にしていくことの必要性を説く。また
「所有」も幸福要因のーっとするが、それはあ くまで「人格Jを支えるものとして位置づけら れ、「地位」も結果的に付いてくるものという程 度のものだ、った。人格の酒養にこそ真の輯面が あるとする以上は、周囲に煩わされぬよう、孤 独な環境のもとで精神的な活動を積み重ねてい くといった生活を送ることが求められるのであ る。この幸福論からは、不断の自己形成が人生 を送るうえでは重要であることを読み取ること ができる。
‑第4章教養としての幸福論
本章は、人格を磨き、より高い次元へと精神 を高めていくことを述べるショーベンハウアー の幸福論を、自己形成の視点から捉え、幸福論 がドイツ教養市民層に与えた影響とは何だ、った のかを論じている。 ドイツ教養市民層と呼ばれ るごく一部のエリート層は、文化を形成する市 民の中の中心的相生であったが、19世紀後半以 降、彼らは大学卒という権威の低下を恐れた。
そのような時代の中でショーベンハウアーの幸 福論は、教養市民たちを肯定する役割を果たし たので、あったO 幸福論では「教養J(B丑dung)
こそ、幸福の本質をなす営みであると述べられ ており、それは教養市民たちの自信を回復させ うる支えともなった。だからこそ、彼らはショ
ーベンハウアーの幸福論を支持したのである。
彼の幸福論で語られる人間智は、教養市民たる 者がどうあるべきかを指し示し、教養市民は生 涯を通じて「教養J(B丑dung)を遂げ、崇高な 人間になっていくことが人生の課題となること を告げる。その幸福論は、教養市民層という階 層に幸福の意味を与える役目を果たしたと言え
よう。
3.
今後の課題
精神の充実に真の幸福を求めるショーペンハ ウアーの幸福論は、自己形成を目的とする「教 養J(B丑dung)概念と深く結びつく思想である。
内にこそ真の幸福があるとする彼の幸福論は、
外にこそ真の軒高があるとする幸福論との比較、
また同じペシミスティックな幸福論と比べるこ とで、さらにショーペンハウアーの幸福論の特 徴が浮かび上がってくると思われる。
また、 ドイツ教養市民層の者たちが、 ドイツ 的な「教養」をどのように捉えていたのかを明 確にしていくことができれば、ショーベンハウ アーの幸福論を教養市民たちが受容していった 実態をより明確にすることができるだろう。