私 鑑 定 の 証 拠 法 上 の 取 扱 い
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(2) 以下︶として申請するほか︑これに加えて証人尋問を申請. 門家の作成した報告書を書証︵三二条以下︑新法二一九条. 二一六. ハゑ 超えるものまであり︑かなりの期間を要しているのが実情. する形をとるものが多い︒ところが︑私鑑定については明. 早法七三巻一号︵一九九七︶. である.そのうえ︑鑑定の結果に対して不利となる方の当. 文の規定がおかれていないため︑現行法上どのように取り. ハユ. 事者・代理人から不満が出やすく︑鑑定人の喚問を求めて. 扱うべきか︑が問題となる︒特に︑私鑑定報告書を書証と. り. にとってはかなりの精神的苦痛をともなうことも多いとい. かなり執拗な弾劾質問を浴びせかけることがあり︑鑑定人. ヨ. して取扱う実務例に対しては︑中野貞一郎教授から次の三. レ. われている︒. に私鑑定報告書を書証として扱ってよいということになる. 点の疑問が投げかけられている︒すなわち︑実務例のよう. と︑その成立の真正につき自白があるかその証明があれ. このように︑高度の科学的・技術的判断を要する事項の になる︒そのため︑実務では︑従来より正規の鑑定人とな. ま事実認定の資料とすることになる︒しかしこれでは︑①. ば︑報告書の内容である私鑑定意見を受訴裁判所がそのま. 鑑定については︑実際上︑種々の運用の困難性を伴うこと ることを避けようとする専門家を︑正規の鑑定人として登. 六条︑新法一三八条四項︶で︑私鑑定を引き受けた者の専門. 相手方当事者は︑報告書の成立の真否を争えるだけ︵一一三. パを. 場させたのと同様の結果を引き出す手段として︑私鑑定が かなり広く用いられている︒ここに私鑑定とは︑正規の証. 的学識経験者としての適格性を争うことができない︒ま. 拠調としての鑑定︵三〇一条以下︑新法二一二条以下︶では. なく︑当事者の一方または双方が裁判外で任意に学識経験. するという権利︵三〇五条︑新法二一四条︶を奪われること. た︑②誠実な鑑定を妨げる事情があることを主張して忌避. になる︒さらに︑③私鑑定報告書の記載内容に関しても︑. いは経験則を用いて得た事実判断を報告して貰い︑その報 告書を事実認定に供するために受訴裁判所に提出するもの. 正規の鑑定人の場合のような当事者の尋問権︵三〇一条︑. ある第三者に依頼して︑経験則についての専門的知識ある. である︒例えば︑医療過誤訴訟における医師の鑑定書︑賃. このような中野教授の問題提起を契機に︑わが国において. 新法二一六条︶の保障が潜脱されることにもなってしまう︒. こ. 料増額請求事件における適正賃料の鑑定書︑各種事件にお. る︒. も私鑑定の問題点が意識されるようになり議論されてい. ける筆跡鑑定書︑認知事件における血液鑑定書︑交通事故 訴訟における工学鑑定書︑特許事件における鑑定書などで ︵8︶. ある︒私鑑定は︑これまでの実務例では︑当事者がその専.
(3) ︵撃. すでに実務で広く用いられている私鑑定の﹁必要性﹂に ついては実務家からしばしば指摘されているので︑本稿で. は︑専ら私鑑定が現行規定の解釈上許されるかという﹁許. 定﹄一二頁︵日本評論社︑一九八八年︶︒中野貞一郎﹁医療過誤訴. 八七年︶︒栂・前掲注︵1︶一〇一頁︒兼子ほか・前掲注︵1︶一. 訟の手続的課題﹂﹃過失の推認︹増補版︺﹄一四七頁︵弘文堂︑一九. 小島ほか・前掲注︵2︶一二二頁︒また︑最近の医学鑑定の利. 〇二一頁等︒. ︵3︶. ︵塩崎勤﹁民事裁判における医学鑑定の実情と問題点﹂賠償医学二. 用の実情については︑塩崎勤判事による詳細な報告がなされている. ︵13﹀. 容性﹂の観点から検討したい︒すなわち︑加藤新太郎判事 の言葉を借りれば︑私鑑定に関する﹁実務の理論化﹂を目. ︵4︶. 小島ほか・前掲注︵2︶一一四頁.. 〇号八頁以下︵一九九五年︶︶︒. 的とするものである︒具体的には︑①私鑑定報告書を民訴. 法三一一条以下︵新法二一九条︶の﹁書証﹂として証拠調. ︵5︶ 小島ほか・前掲注︵2︶一一四頁︒栂・前掲注︵1︶﹈〇二. 注︵2︶三一〇以下︒. ︵6︶中野貞一郎﹁鑑定の現在問題﹂﹃民事手続の現在問題﹄一七七. 二一七. 原告からその専門家の所見を陳述書として提出し︑被告もこれを専. カルテ等に基づいて専門家に相談しているはずであるから︑まず︑. 件では︑原告は︑訴えを提起するに当たって︑証拠保全手続で得た. とは実務で行われている︑と報告されている︒そして︑医療過誤事. 提として争点を理解するために必要な基礎的知識の説明を受けるこ. 会︵弁論兼和解期日︶を開き︑この﹁鑑定型陳述書﹂を前. ︵鑑定型陳述書︶を提出してもらい︑専門家を含めて裁判所と当事. 相談している専門家に事件の争点についての見解をまとめた上申書. せる手続をとらなくても︑それぞれの当事者が専門的知識について. 知識を要する争点整理に関連して︑あえて専門家を手続内に参加さ. ︵1︶五五七頁︒小林・前掲注︵1︶八二頁︒また︑近時︑専門的. 大しつつある︑と指摘されている︵同書一七六頁︶︒菊井・前掲注. となる最近の裁判において︑私鑑定はますますその利用と意義を拡. 頁︒加藤11鈴木・前掲. ﹁証人﹂として尋問することができるかについて︑従来の. べできるか︑また︑②専門家たる私鑑定報告書作成者を鑑 定人尋問ではなく二七一条以下︵新法一九〇条以下︶の. 頁︵判例タイムズ社︑一九八九年︶︒中野教授は︑科学技術が問題. 栂善夫﹁科学裁判と鑑定﹂中野貞一郎ほか﹃科学裁判と鑑定﹄. ︵14︶. 実務の対応や学説上の議論を整理し︑再検討を試みること にする︒ ︵1︶. 五頁︵日本評論社︑一九八八年︶︒小林秀之﹃証拠法︹第二版ご. 訟法H﹄五四八頁︵日本評論社︑一九八九年︶︒兼子一・松浦馨・. 七八頁︵弘文堂︑一九九五年︶︒菊井維大・村松俊夫﹃全訂民事訴. 八六年︶等︒. 新堂幸司・竹下守夫﹃条解民事訴訟法﹄一〇二四頁︵弘文堂︑一九 小島武司・高谷進・豊田愛祥﹃民事実務読本m﹄一一四頁︵東. 京布井出版︑〜九八九年︶.加藤︼郎・鈴木潔監修﹃医療過誤紛争. ︵2︶. をめぐる諸問題﹄三一〇頁以下︵法曹会︑一九七六年︶︒畑郁夫 ﹃注釈民事訴訟法㈲﹄四三七頁︵有斐閣︑一九九五年︶︒野田宏﹁鑑. 定をめぐる実務上の二︑三の問題﹂中野貞一郎ほか﹃科学裁判と鑑. 私鑑定の証拠法上の取扱い. 者が説明. 九.
(4) 早法七三巻一号︵一九九七︶ 門家の立場から検討した上での所見を﹁鑑定型陳述書﹂として提出 し︑必要があれば専門家を交えた説明会を開いて︑裁判所と当事者 項等を検討すべきである︑と主張されている︵﹃民事訴訟の新しい. 双方がそれぞれ所見が異なる点について十分理解した上で︑鑑定事 審理方法に関する研究﹄八一ー八二頁︵法曹会︑一九九六年︶︶︒な. の一つの実践例を紹介されている︵西口元﹁民事訴訟における専門. お︑最近︑西口判事が︑鑑定を中心として専門家の協力を得るため. 家の関わりー争点整理︑証拠調べ及び和解における専門家の役割 1﹂早稲田法学七二巻四号四〇七−四二七頁︵一九九七年︶︶︒今 中野・前掲注︵6︶一七六頁︒菊井・前掲注︵1︶五五七頁︒. 後の実務の動向に注目したい︒ ︵7︶. ︵7︶ 一工ハO百ハ 狂 ︵33︶︶︒. 二 私鑑定と書証. 二一八. まず︑私鑑定報告書を民訴法三一一条以下︵新法二一九. 条︶の﹁書証﹂として取り扱うことができるか︑について. この点︑中野教授は︑後に見解を改めておられるが︑当. 検討する︒. 初︑次のように主張されている.すなわち︑①私鑑定の報. り︑当然には証拠方法とはならない︒つまり︑私鑑定報告. 告書は当事者の弁論における陳述の一部をなすものであ. 加藤・前掲注︵7︶﹃手続裁量論﹄はしがき︒. 事者が自らその主張・立証を構成する必要のために私鑑定. るという利点がある︑と指摘されている︒のみならず︑当. ルロ. 得る一方法であり︑正規の鑑定手続を経るよりは迅速であ. く︑正規の鑑定人となることに難色を示す専門家の協力を. なわち︑①私鑑定が書証として提出される例がかなり多. まず︑野田宏判事は︑次のように主張しておられる︒す. 格に過ぎるとの批判がなされている︒. この中野教授の見解に対しては︑実務家を中心として︑厳. 定人の鑑定意見と同様に扱うことが許される︒ところが︑. ゑ. 者の合意︵証拠契約︶があれば︑私鑑定意見を裁判上の鑑. 書を書証として取り扱うことはできない︒ただ︑②両当事. 加藤新太郎﹁民事鑑定の今日的課題﹂﹃手続裁量論﹄二五七頁︵弘. 斉藤ほか・前掲注︵7︶二七頁︒. 法︵8︶︹第2版︺﹄二六−二七頁︵第一法規︑一九九三年︶︒. 文堂︑一九九六年︶︒斉藤秀夫・松山恒昭・西村宏一﹃注解民事訴 ︵8︶. 加藤・前掲注︵7︶二五七頁︒中野・前掲注︵6︶一七七頁︒. 中野・前掲注︵6︶一七六頁︒. ︵13︶. 加藤判事は︑単なる証人ではなく︑自己の特別の学識経験によ. 九条︶ということになろう︑と指摘されている︵加藤・前掲注. り知ることのできた事実を陳述する証人であるから︑鑑定証人︵三. ︵14︶. 挙げ︑私鑑定の訴訟経済上のメリットを指摘する︒. 鑑定人を得られない場合の代替手段の一つとして私鑑定の利用を. ︵12︶野田・前掲注︵2︶九頁︒畑・前掲注︵2︶四四〇頁は︑適切. 1 ︵ 1︶. ので︑同様の議論が妥当しよう︒. ︵10︶ この点︑新法においても私鑑定に関する規定はおかれていない. ︵9︶. 訟 な. 〇.
(5) である︑と私鑑定を積極的に評価されている︒また︑②実. 進んで法廷に提示することが裁判所の審理のためにも適当. を依頼した場合には︑そのような主張の根拠とした資料は. ットした形で︑その内容等の吟味まで行われるという実務. せた場合には︑通常︑私鑑定報告書作成者の証人尋問とセ. 該専門家の適格性・中立性のほか記載内容についても︑反 ハあゾ 対尋問を通じてテストできることを挙げている︒そして︑. て︑相手方当事者も︑証人尋問の証拠調べ手続の中で︑当. のロ. 務上は証言回避のための陳述書も必ずしも拒まず︑当事者 ハ. ハヨ. 尋問を補充するための本人の陳述書を多用していること. 的配慮を前提とすれば︑中野説の懸念する不都合は実際に. だ︑鑑定人の中立性の保障の欠如などから︑その評価に当. ても︑証拠価値の判断にあたって︑その点が考慮されて高. は生じない︑と反論されている.さらに︑加藤判事は︑仮 に証人尋問が実施されなかった私鑑定報告書があったとし. このように私鑑定の報告書を書証として証拠調べ手続にの. しての証拠能力は否定できない︑と主張されている︒た. も︑考察の材料とすべきであるとして︑③私鑑定の書証と. たっては正規の鑑定と同列におくことはできず︑鑑定者を ゑ. 規定がおかれているのに︑それに準拠しないで書証プラス. 以上の批判に対して︑中野教授は︑鑑定について詳しい. 務の現状を肯定してよい︑と主張されている︒. の. 義・不都合はないとして︑私鑑定を書証として取り扱う実. い評価は与えられないであろうから︑その意味でもこれを 書証として取り扱うことにつき実質的に訴訟手続上不正. 証人として尋問することにより相手方当事者の防御権を保. 次に︑加藤新太郎判事は︑私鑑定の内容は提出側当事者. 障する必要がある︑といわれている︒. に有利であるのが通常であり︑相手方当事者がこれを正規 ハま の鑑定の代用とする合意がなされるのは極めて稀である︑. 証人尋問で正規の鑑定を経たのと同じ結果が得られるとい. と指摘されている︒そして︑その結果︑中野説では私鑑定 報告書がほとんどの場合それ自体として取り扱うことがで. ち︑鑑定は︑経験則についての専門知識または経験則を利. う点に疑問を呈され︑次のように反論されている︒すなわ. ハぬレ. きないことになる︑と批判されている︒また︑加藤判事は 中野説に対して︑一般に第三者が訴訟外で作成した文書は. であり︑鑑定人の指定を裁判所の権限とする三〇四条︵新. 用して得られた事実判断の報告を獲得するための証拠調べ. へま. 証拠調べ手続においては書証として取り扱われるのが原則 であるから︑私鑑定の報告書に限って右の一般原則の例外. 一二九. 法一二三条︶︑鑑定人に対する尋問権・忌避権を保障する. とせざるを得ないほどの訴訟手続上の不正義ないし不都合. があるとはいえない︑と反論されている︒その理由とし 私鑑定の証拠法上の取扱い.
(6) 裁判の帰趨を決するような事件において︑正規の鑑定を実. 二二〇. 三〇一条︵新法二一六条︶二二〇五条︵新法二一四条︶・二九. 施できない事情がある場合︑自己に有利な私鑑定報告書を. 早法七三巻一号︵一九九七︶. 四条以下︵新法二〇一一条︶︑鑑定人の宣誓義務を認めた三〇. らば︑かえって適正な裁判から遠ざかる結果となることを. 入手した当事者がそれを証拠として利用できないとするな. 認めておられる︒そして︑もともと民事訴訟では︑書証の. 一条︵新法二一六条︶・二八五条︵新法二〇一条︶・三〇七条. 対象となる文書の性質に制限はないことから︑私鑑定報告. ︵新民訴規則二二一条一項︶などの規定は︑いずれも鑑定制. 対し︑書証の規定には︑経験則や専門知識に対する特別の. 度の目的を実現するために規定されたものである︒これに. 書を書証として取り扱うこと自体を違法とすることはでき. ないとして︑次のように見解を改められた︒すなわち︑提. レ. 配慮はなく︑文書の成立の真正が証明されればあとは直ち に証拠評価の問題となるだけで︑私鑑定の内容的正当性の ハま. 申出があったときは︑正規の鑑定を不当に潜脱する趣旨と. 一部とみるべきであるが︑私鑑定報告書を提出して書証の. 定報告書作成人に対する証人尋問を併用する実務例に対し. 認められる場合を除き︑書証としての証拠調べをしてよい. 出された私鑑定の内容は︑原則として提出当事者の陳述の. ては︑証人尋問といっても︑ここでは文書作成の主体・時. とする︒このように中野教授が見解を改められたことによ. 保障は書証手続では与えられていない︑と指摘されてい. 期・方法などの証人たる作成者が過去に経験あるいは認識. いう点については︑学説上︑争いはないといえよう︒. って︑私鑑定報告書を書証として取り扱うことができると. る︒また︑私鑑定報告書を書証として取り扱い︑その私鑑. した事実じたいを供述させるのが目的なのではなく︑私鑑. 理論的にも︑書証とは文書を閲読してそこに記載された ハあレ 意味内容を証拠資料として収得するための証拠調べであ. お. 定報告書における作成者の専門知識に基づく所見の分析と を民事訴訟法はまさに鑑定の規定において設けている︑と. ハリレ. 評価をめざしているのであり︑それに適合する証拠調手続. みレ. り︑ここにいう文書とは︑文字その他の記号によって一定. の思想を表現している有形物である︒また︑思想とは︑直. 感や経験に思考作用を加えた意識内容であって︑一定の意. 思・判断・記録・報告・感想あるいは感情などを示すもの. 反論されている︒のみならず︑私鑑定は︑あくまでも実務 上の便法であり︑正規の鑑定に対してはその代用策に過ぎ ないのであって︑理論上は︑当事者の陳述の一部とするの む が基本的な理解でなければならない︑と主張されている︒. である︒したがって︑民訴法上は︑こうした要件を備えた. ︵37︶. ただ︑中野教授も︑高度の経験則や専門知識による判断が.
(7) ︵17︶. ︵16︶. ︵15︶. 陳述書については︑山本克己論文︵﹁人証の取調べの書面化1. 野田・前掲注︵2︶九頁︒. 野田・前掲注︵2︶九頁︒. 中野・前掲注 ︵ 6 ︶ 一 七 七 頁 ︒. 文書であれば書証の証拠方法となると解すべきである︒. ︵18︶. ︵一九九五年︶︶を契機に近時議論されている.那須弘平﹁争点整理. ﹃陳述書﹄の利用を中心に﹂自由と正義四六巻八号五四−六〇頁. 張に沿わない私鑑定報告書を自ら書証として提出することはあり得. における陳述の一部とすることに違和感はないとしながらも︑本文. ないことから︑その限りで中野説のいうようにこれを当事者の弁論 のように述べられている︒. 加藤・前掲注︵7︶二六〇頁︒菊井・前掲注︵1︶五五八頁. ︵23︶ 加藤・前掲注︵7︶二六〇頁︒. ︵24︶. えず︑ことさら私的鑑定の証拠能力を一般的に否定し︑当事者の弁. も︑現在の裁判上の取扱および評価は︑必ずしも不合理のように思. と述べている︒. 論における陳述の一部をなすにすぎないと解する必要はないであろ. 加藤・前掲注︵7︶二五九頁︒斉藤ほか・前掲注︵7︶二七頁. 実務における取扱いと一方当事者がその私鑑定を争うときに. 専門学識経験者としての適格性を争い︑鑑定の内容に関する尋. 鑑定書作成者を証人として尋問する機会を付与することによっ. 小林教授も︑私鑑定が証拠資料にならないのも奇妙だし︑作成. 加藤・前掲注. 一一六〇百ハ︒. ・前掲注︵1︶八二頁︶︒. 書証に準じて扱ってよいようにも思える︑と述べている︵小. した専門家の尋問が必要なときは︑ 証人尋問を行えばよいことか. た︑. 否定するまでの必要はないものと考える ︑と述べられている︒ま. 問権を保証することができることからすると︑ 一般的に証拠能力を. 25. における陳述書の機能﹂判例タイムズ九一九号一九頁︵一九九六 年︶︒高橋宏﹁陳述書について1研究者の視点から﹂判例タイムズ. 九一九号三六頁︵一九九六年︶など︒高田昌宏論文︵﹁民事訴訟に おける証人尋問の書面化の限界︵一︶﹂早稲田法学七二巻四号二〇. 三頁︵︼九九七年︶︶は︑新法における証人の書面尋問制度との関 連で陳述書の問題点を指摘する︒ ︵19︶ 野田・前掲注︵2︶一﹈頁注︵33︶︒. 野田・前掲注︵2︶九頁︒菊井・前掲注︵1︶五五七頁は︑こ. の﹁私的鑑定﹂の書面は証拠書類として提出され︑書証としての価. ︵20︶. 値が認められているが︑一般的にいえば依頼者側に有利な証拠とい. うことであまり積極的な証拠価値は置かれていないけれども︑他に. に証拠価値が認められている︑と述べている︒また︑同書五五八頁. 中野・前掲注. 加藤・前掲注 中野・前掲注 中野・前掲注. 中野・前掲注. 二二. 一八五頁︒理論上︑ 私鑑定報告書の内容を. 一八四頁︒. 一八三ー一八四頁︒. ﹈八三百ハ︒. 二六〇百ハ︒. 666677. 適切な証拠がないとき︑相手方も特に争っていないときなど補助的 でも︑私的鑑定は︑一般的には裁判所による鑑定のようには権威を 有しておらず︑裁判上の鑑定意見と同様な評価は与えられていない が︑証拠資料にはなる︑と述べている︒ ︵21︶ 野田・前掲注︵2︶九頁︒. ︵22︶ 加藤・前掲注︵7︶二五八頁︒加藤判事は︑当事者が自己の主. 私鑑定の証拠法上の取扱い. てはは一う. 包鍾讐嬰忽堕林ら.
(8) なく二七一条以下︵新法一九〇条以下﹀の﹁証人﹂として. 二二二. 尋問することができるか︑について検討する︒私鑑定報告. 早法七三巻一号︵一九九七︶. 別に陳述書の取扱いに関する議論が問題となってこよう︒ 中野・前掲注︵ 6 ︶ 一 八 五 頁 ︒. している︒思うに︑具体的事実の意味・解釈およびそれに. 証人であり︑それ以後に裁判所の命令によって形成された へき 認識・判断を報告する者が鑑定人であるとする立場を主張. 所の命令と関係なく形成された認識・判断を報告する者が. 場した時点を基準とする考え方を提示し︑それ以前に裁判. 棄し︑それに代わるものとして︑証拠方法として訴訟に登. て︑反対説は︑尋問の対象が事実か意見かによる区別を放. や意見を報告する者であるとする立場をとる︒これに対し. 去の具体的事実を報告するのに対し︑鑑定人は専門的知識. は︑学説上争いがある︒通説は︑証人が自己の経験した過. しかし周知の如く︑証人と鑑定人の区別の基準について. われている︒. ︵民訴規則三五条⑤︑新民訴規則一一五条二項五号参照︶とい. は意見であって︑証人は意見を述べるべきものではない. まり︑具体的事実の意味や解釈・事実に基づく推論や判断. される具体的な出来事や外界もしくは内心の状態︶について みレ の自己の認識を訴訟において供述すべき第三者である︒つ. 一般に︑証人とは︑過去の事実︵時と場所とによって特定. 解釈上許されるであろうか︒. 書作成者を証人として尋問する実務の取扱いは現行規定の. 当事者の陳述の一部とすべきであるという中野教授の見解に対して. 3︶. 新堂幸司﹃民事訴訟法︹第2版補正版︺﹄︵弘文堂︑一九九〇. ︵有斐閣︑一九九五年︶三一六頁︑吉村徳重﹃注釈民事. 吉村・前掲注︵35︶二頁︒新堂・前掲注︵35︶三七六頁︒中野. 私鑑定 と 証 人 尋 問. 次に︑専門家たる私鑑定報告書作成者を鑑定人尋問では. 三. ︵37︶ 吉村・前掲注︵3 5︶二頁︒. ほか・前掲注︵35︶三﹈六頁︒菊井・前掲注︵1︶五九〇頁︒. ︵36︶. 八九頁︒. 訴訟法︵7︶﹄︼頁︵有斐閣︑一九九五年︶︒菊井・前掲注︵1︶五. ︹第三版︺﹄. 年︶三七六頁︒中野貞一郎・松浦馨・鈴木正裕﹃民事訴訟法講義. ︵35︶. れなければならない ︑ と 主 張 さ れ て い る ︒. の私鑑定報告書に対する裁判所の証拠評価において︑十分に勘酌さ. きである︑と主張されている︒また︑私鑑定の難点は︑書証として. 由に本来の正道である鑑定申請を却けることは許されないと解すべ. ば︑私鑑定報告書につき書証の申出があるからといって︑それを理. すべきであり︑裁判所は︑専門知識を必要とすると認める場合なら. の立証趣旨で正規の鑑定申請が出ているときは鑑定を優先して実施. 利用は民事訴訟法上はあくまで権道にすぎないのであるから︑同﹈. ︵34︶ 中野・前掲注︵6︶一八五頁︒ただし︑中野教授は︑私鑑定の. ︵3. ︵32︶ 中野・前掲注︵6︶一八五頁︒. は、.
(9) 基づく推論・判断と具体的事実自体とは︑概念的には区別. から︑その性質は証人であり鑑定人ではない︒つまり︑特. あくまでも自己が過去に経験した事実を述べるものである. が︑具体的事実に経験則を適用した事実判断に関する意見. 別の学識経験を利用して過去の事実を陳述するものである. レ. 確に区別することが困難な場合が多い︒しかも︑具体的事. を述べて裁判所の判断能力を補助する鑑定人とは︑その性. ハ. することができても︑実際上はその限界はあいまいで︑明 実といっても︑検証の場合を除いては︑ほとんどの場合が. ない︒したがって︑事実と意見との境界はきわめて流動的. 問手続において鑑定人および証人の二つの資格を兼有する. があるが︑これは特別の学識経験を有する者が︑同一の尋. また︑鑑定証人に類似する概念として﹁鑑定人兼証人﹂. ハ 質を異にするといわれている︒. 事実についての判断の形で証拠調べの対象となるものであ り︑しかもその判断は︑認識された具体的事実を一定の上. であるといえる︒しかも︑この両説のいずれをとるかによ. 場合を意味する︒すなわち︑自己が特別の学識経験によっ. ゑレ. 位概念に当てはめる推論によってなされたものに他なら. って︑実際上どの程度の違いが出てくるのかという点にな. 知識ないし経験則を適用した事実判断を述べた場合には︑. 裁判所の命令によりその具体的事実に自己の有する専門的. るわけであるから︑証人であると同時に鑑定人たる資格を. 判断の陳述をするときは鑑定人たる資格でそれぞれ陳述す. 具体的事実の陳述をするときは証人たる資格で︑また事実. て知ることのできた過去の具体的事実を述べるとともに︑. む. ると︑あまり明確でなく︑どちらの説もその点について立 ゑ ち入った検討はなされていない︑と指摘されている︒ ︵三〇九条︑新法二一七条︶とは区別され︑三〇九条は﹁特. 兼有するものである︒このような鑑定人兼証人と鑑定証人. ハゆレ. ところが現行法の規定の上では︑鑑定人と﹁鑑定証人﹂. 別ノ学識経験二依リテ知リ得タル事実二関スル訊問二付テ ぴ ハ証人訊問二関スル規定二依ル﹂と規定している︒すなわ. とは︑いずれも証人としての資格を有する点では同じであ. ぬレ. ち︑鑑定証人とは︑特別の学識経験を有するために知るこ. るが︑前者が裁判所の命令により具体的事実に特別の専門. びソ. ことであり︑この規定は︑鑑定証人が鑑定人ではなく証人. とのできた過去の事実または状況について陳述する証人の. ロ. 的知識ないし経験則を提供した事実判断を述べるのに対. ハ. であることを示すための注意的規定であるといわれて. で相違があることになる︒この相違は理論上は明確なもの. し︑後者はこの命令に基づくことなく事実判断を述べる点 でおレ. いる︒したがって︑鑑定証人の尋問は︑鑑定人尋問によら. 一三三. ず証人尋問に関する規定によることになる︒鑑定証人は︑ 私鑑定の証拠法上の取扱い.
(10) 早法七三巻 一 号 ︵ 一 九 九 七 ︶. であるが︑実際上は︑鑑定証人としての陳述か鑑定人とし. 二二四. 人﹂・﹁鑑定証人﹂・﹁鑑定人兼証人﹂の概念上の区別の明確. 形式的には︑確かに通説の立場の方が﹁証人∵﹁鑑定. あろう︒. もあり︑証人についての規定を適用して尋問すべきか︑そ. 明文上の区別の仕方︵三〇九条︑新法一二七条︶や︑民訴規. 性の点において優れている︒また︑鑑定人と鑑定証人との. ての陳述かを必ずしも明確に判別することができないこと. れとも鑑定人についての規定を適用すべきかの判断が困難. が多くなってしまう︒もっとも︑証拠調べの方式について. の規定の適用が決まるとすると︑当然に手続違背のケース. 対象が事実か意見かによって証人尋問の規定と鑑定人尋問. 訴訟において︑医師である私鑑定報告書作成者を証人とし. であるともいえる︒しかしそうすると︑たとえば医療過誤. らば︑現行規定の解釈としては︑通説の立場の方が論理的. について制限することができるとしている点を重視するな. 則三五条五号が証人尋問において意見の陳述を求める質問. ハお. なケースも多いと予想される︒したがって︑厳密に陳述の. の規定は任意規定であるから︑その方式についての手続違. 説によれば︑鑑定人として尋間すべきで︑証人として尋問. も︑当事者が遅滞なく異議を述べなかったときは︑責問権. 実と意見との区別が困難である場合が少なくないというこ. ような結論は︑現行規定の解釈として妥当であろうか︒事. る実務の取扱いは許されないことになる︒果たして︑この. することはできないということになる︒すなわち︑通説の. て尋問し︑作成者たる専門家の意見を供述させる場合︑通. 背があっても当事者が遅滞なく異議を述べなかったとき. 立場からは︑私鑑定報告書作成者を﹁証人﹂として尋問す. の喪失によって手続違背の綴疵が治癒される﹂とした先例. は︑責問権を喪失︵一四一条︑新法九〇条︶し︑その報疵は ハ. て︑鑑定人についての規定を適用して鑑定を命じた場合で. 治癒されるものと解されている︒また︑判例上も﹁証人尋 問についての規定を適用して尋問すべき鑑定証人に対し. がある︒このような解釈・先例は︑専門家たる私鑑定報告. 所の命令によって形成された認識・判断を報告する者が鑑. らざるを得ないのではないか︒反対説がいうように︑裁判. 定人であり︑裁判所の命令と関係なく形成された認識・判. とを前提とするならば︑証人と鑑定人の区別も流動的にな. たとしても︑現実的にはそれほど不都合はないかもしれな. 断を報告する者が証人であるとする方が︑結果的には基準. 書の作成者が証人として意見を述べた場合についても同様. い︒しかし︑現実的にそれほど不都合がないからといっ. にあてはまるであろう︒とするならば︑通説の立場に立っ. て︑現行法の解釈上許容されるということにはならないで.
(11) ︵7︶﹃五頁︒栂・前掲注︵1︶︸○八頁︒. 一九六五年︶︒新堂・前掲注︵35︶三七五頁︒斉藤ほか・前掲注. へ57︶. として明確であり実際的でもあるように思われる︒また反. ら︑裁判所が鑑定人として指定し鑑定を命じた場合が鑑定であると. 藤原・前掲注︵38︶⁝二七頁︒この反対説に対しては︑通説の側か. 六ー二九七頁︵有斐閣︑一九五六年︶︒野田・前掲注︵2︶四頁︒. ︵41︶岩野徹﹁鑑定﹂﹃訴訟と裁判岩松三郎裁判官還暦記念﹄二九. 対説の立場からは︑三〇九条︵新法一二七条︶を︑鑑定証 したものにすぎない︑つまり鑑定証言は訴訟外で形成され. 人が裁判所が指定した鑑定人ではないことを注意的に規定 ︵58︶. る︒これに対し︑野田判事は︑﹁たしかに鑑定人が鑑定事項につい. いうに帰して︑問をもって問に答えるものであると批判されてい. た判断であることを意味すると解することもできる︒さら. に︑民訴規則三五条五号については︑証人尋問において意. て既成の知識︑意見を十分に持っている場合には︑新たな判断形成. 見の陳述を求める質問であっても裁判長が相当でないと認 めないときには制限しないこともできると解釈することも ︵59︶ 可能である︒しかも︑民訴規則三五条︵新民訴規則一一五. ば︑鑑定というに妨げない﹂と反論されている︵野田・前掲注. がないように見えるが︑その場合にも︑すでに有する科学的知識を 裁判所の規範的判断に適合するように形成し直す作業が存するなら. 証言は特別の学識経験によらないで得られた判断であ. ︵2︶四頁︶︒この他︑鑑定意見は特別の学識経験によって得られた. 条︶は︑形式的には同規則三八条︵新民訴規則一三四条︶に. より鑑定にも準用されている︒したがって︑三〇九条や民. 三頁︒兼子ほか・前掲注︵1︶一〇三五頁︒. ︵42︶藤原・前掲注︵38︶二三六頁︒菊井・前掲注︵1︶五五二頁︑. か・前掲注︵7︶一五頁︶︒. 当であると批判されている︵栂・前掲注︵1︶一〇八頁︒斉藤ほ. ︵三〇九条︶が︑鑑定人であって証人ではないということになり不. るとして︑両者を区別する立場もある.しかしこの説は︑鑑定証人. 訴規則三五条五号等から︑事実か意見かという陳述の対象 による証人と鑑定人との区別の基準が導き出せるものでも ない︒そこで本稿は︑証人と鑑定人との区別の基準につい. ては︑反対説の立場を支持し︑専門家たる私鑑定報告書作. 成者を証人として尋問する実務の取扱いは現行規定の解釈. 一二一五. ないものとして排除することは困難であるし︑他方︑特別の学識経 験が︑判断内容に表明されず︑判断形成に必要な操作にあるときに. 内容に判断ないし意見が表明されたときに︑これを一々証拠能力の. の認識の過程に高度の判断作用が存することも少なくなく︑証言. 野田判事は︑通説の立場に対して︑具体的事実の報告といっても︑. へ43︶藤原・前掲注︵38︶一﹈三六頁.岩野・前掲注︵41︶二九三頁︒. 五八. そ. 上も許容されると考える︒. 増訂版﹄二六八頁︵酒井書店︑. 8 ︵ 3︶新堂・前掲注︵35︶二七五頁︒中野ほか・前掲注︵35︶三一四 藤原弘道﹃注釈民事訴訟法︵6︶﹄二三六頁︵有斐閣︑一九九. 兼子一﹃新修民事訴訟法体系. 8︶二三六頁︒ 藤原・前掲注︵3. 五年︶︒. ︵39︶. 私鑑定の証拠法上の取扱い. ︵40︶. 頁。.
(12) 二二六. ことになり︑その点で両説の実際上の差異か現れることになる︑と. 早法七三巻一号︵一九九七︶ は︑鑑定意見は発見しえないこととなり︑具体的事実判断としての. 述べられている︒その上で︑これらの二つのケースをみる限り︑い. かといえば反対説の方が妥当であり︑また︑明確で実際的でも. 鑑定は認めえないこととなる︑と批判されている︵野田・前掲注. 井上繁規﹃注釈民事訴訟法︵6︶﹄四七一頁︵有斐閣︑﹈九九. 新法二一七条も同様の規定を置いている︒. あるということになるであろう︑と主張されている︒ ︵47︶. ︵46︶. 8︶二三六頁︒ 藤原・前掲注︵3. ︵2︶三ー四頁︶︒. 説をとるかで具体的に差異が出てくるケースとして︑①交通事故の. 〇三五頁︒. 五年︶︒新堂・前掲注︵35︶三七五頁︒中野ほか・前掲注︵35︶三. 井上・前掲注︵47︶四七一頁︒斉藤ほか・前掲注︵7︶七六. ︼四頁︒兼子ほか・前掲注︵1︶. 井上・前掲注︵47︶四七一−四七二頁︒斉藤ほか・前掲注. 井上・前掲注︵47︶四七一頁︒斉藤ほか・前掲注︵7︶七六. 頁︒兼子ほか・前掲注︵1︶一〇三五頁︒菊井・前掲注︵1︶五八. ︵48︶. 二頁︒. ︵49︶. ︵50︶. 井上・前掲注︵47︶四七二頁︒兼子ほか・前掲注︵1︶一〇三. ︵7︶七六頁︒兼子ほか・前掲注︵1︶一〇三五頁︒. 五頁︒. ︵51︶. ︵5. 2︶ 井上・前掲注︵4 7︶四七三頁︒斉藤ほか・前掲注︵7︶七七. せることになる︒すなわち︑この場合の医師はいわゆる﹁証人兼鑑. て形成されたものではないから証人尋問の対象となりうるものであ り︑したがって医師に対しても単純な証人として尋問すれば足りる. 治癒の見込み等についての意見の部分も︑裁判所の命令によっ. せよ︑あまり現実的とはいえない︒これに対し反対説によれ. として制限されることもありうることになり︵民訴規35⑤︶︑いず. て尋問するならば︑意見にわたる部分の陳述を求める尋問は不相当. らないことになる︵民訴費18H︶︒しかも︑これを単なる証人とし. ての宣誓もさせなければならず︑鑑定料も支払わなければな. 出のほかに鑑定の申出もし︑宣誓も証人としての宣誓とともに鑑定. 定人﹂ということになるので︑その尋問を求めるには証人尋問の申. 的事実に基づく意見︵推論・判断︶であるから鑑定人として供述さ. の点は証人として︑しかしその傷害の原因・治癒の見込み等は具体. 事項のうち︑初診時の傷害の状態・程度は具体的事実であるからそ. 摘されている︒特に①のケースについて︑通説によれば︑この尋問. いう問題と︑②鑑定書提出後の鑑定人の尋問方法の問題があると指. を求める場合︑その医師に対し︑どのような証拠調べをすべきかと. 害の原因︑治癒の見込み︑後遺障害残存の可能性等についても供述. の内容・程度について尋問するとともに︑それに関連して︑その傷. 直後に被害者を診察・治療した医師に対し︑初診時の被害者の傷害. ︵45︶ 藤原・前掲注︵8 3 ︶二三七頁︒藤原判事は︑通説をとるか反対. 4 ︵ 4︶. ずれ 頁。. 4︶ ︵5. 頁も︑私鑑定の書証としての取扱いについて︑責問権の放棄.喪失. 斉藤ほか・前掲注︵7︶七九頁︒中野・前掲注︵6︶﹄七七. ︵55︶ 井上・前掲注︵47︶四七三頁︒兼子ほか・前掲注︵1︶一〇三. 井上・前掲注︵47︶四七三頁︒斉藤ほか・前掲注︵7︶七九. ︵53︶ 井上・前掲注︵47︶四七三頁︒斉藤ほか・前掲注︵7︶七九. 頁。 頁。. 頁。 五頁。. 人とし. れに. ば、.
(13) を認める余地があるとする.. 一九七. ︵56︶ 大判昭和一四年七月七日新聞四四五六号九頁︒井上・ 前掲注 ︵26︶四七三頁︒斉藤ほか・前掲注︵7︶七九頁︒菊井・ 前掲注 藤原・前掲注︵38︶二三九頁︒. ︵1︶五八三頁︒ ︵57V. 萩大輔﹃演習民事訴訟法上﹄四七二頁︵青林書院新杜︑. 三年︶︒. ︵58︶. 原則として意 ︵59︶新民訴規則一一五条二項五号は︑証人に対して︑ 但書で正当な理由がある場 見の陳述を求める質問を禁じているが︑ る︒従って︑新民訴規則においても︑証人が意見を陳述することが. 合には意見の陳述を求める質問をすることができると規定してい. む. すび. できることになろう︒. 四. 再言すれば︑まず︑私鑑定報告書を書証として証拠調べ. ので争いはないものと思われる.理論的にも︑以下のよう. できるかについては︑現在では中野教授も認めておられる. レ. に考えられる︒すなわち︑書証とは︑文書を検閲してその. 文書に表現された思想内容を知るための証拠調べである︒. 意味内容を証拠資料とするための証拠調べである︒これは. しかも︑ここにいう文書とは︑文字その他の記号によって ハ 一定の思想を表現している有形物である︒また︑思想と. は︑直感や経験に思考作用を加えた意識内容であって︑一 みゾ. 定の意思・判断・記録・報告・感想あるいは感情などを示. あれば書証の証拠方法となる︒この点について︑判例も︑. すものである︒民訴法上は︑こうした要件を備えた文書で. いる︒とするならば︑当事者が裁判外で専門家に依頼して. 見または感覚の発表を内容とするものでもよい︑として. ど︑思想的意味を表示するものでなければならないが︑意. 文書は必ず人間の意思・判断・記憶・感想あるいは感情な るかという問題は︑中野教授による私鑑定の不都合性の存. 作成させた私鑑定報告書も︑作成者の一定の判断を報告す. 以上のように︑私鑑定を書証として取り扱うことができ 在の指摘と︑実務家によるその不都合性の消除の証明とい. おレ. の不都合性の消除については︑実務を通して実証されてい. うかたちで議論されてきた︒私鑑定の利用による鑑定回避. る点では︑文書にあたるといえる︒したがって︑現行法の 解釈上は︑私鑑定報告書も書証の証拠方法となる解すべき. るように見受けられるが︑この点については本稿の目的と. である︒. 二二七. 尋問をすることができるかについては︑次のように考え. また︑専門家たる私鑑定報告書の作成者に対して︑証人. するところではない︒はじめに述べたように︑本稿は︑私 図るかという観点のみから検討してきた︒. 鑑定の必要性を前提として︑現行規定との整合性を如何に. 私鑑定の証拠法上の取扱い.
(14) 早法七三巻一号︵一九九七︶. 二二八. ると解釈するならば︑専門家たる私鑑定報告書作成者を証 れるであろう︒. 人として尋問する実務の取扱いも現行規定の解釈上許容さ. る︒すなわち︑本来︑証拠を如何なる手続で顕出するかは き. 当事者の自由な処分権に属することである︒にもかかわら. 以上により︑専門家の作成した私鑑定報告書を書証とし. ず︑はじめに述べたように高度の科学的・技術的判断を要 する事項が問題となる現代型訴訟においては︑時に適切な. て申請し︑作成者を証人として尋問することを認める実務. える︒ ︵60︶. 1︶新堂・前掲注 2︶. 吉村・前掲注. 一頁︒菊井・前掲注︵1︶五八九頁︒. 三七六頁︒中野ほか・前掲注︵35︶三一六. 三七六頁︒中野ほか・前掲注︵35︶三一六. 二頁︒. 二頁︒菊井・前掲注︵1︶五九〇頁︒. ︵64︶. 畑・前掲注︵2︶四三八頁︒. 畑・前掲注︵2︶四四〇頁︒. ︵1︶五九一頁︒. 大判大正一〇年一〇月二八日民録二七輯一九二九頁︒菊井・前. ︵65︶. 掲注. ︵3 6︶. ︵6. 頁︒吉村・前掲注. ︵6. 頁︒吉村・前掲注. 新堂・前掲注. の運用は︑現行規定の解釈上も支持されるべきであると考. 鑑定人が極度に限定されたり︑また︑費用の問題もあっ ハ て︑事実上鑑定を実施できない場合が生ずる︒そこでその ような事態を回避する手段として私鑑定が事実上機能して いることを前提とするならば︑私鑑定報告書作成者を証人. として尋問することを︑意見の陳述を求めるという理由だ. けで証人にあたらないとするのはあまりにも形式的な議論. である︒実際上︑事実と意見との境界が流動的である以 上︑証人と鑑定人との区別の基準を陳述の対象が事実か意 見かにのみ求めるのも現実的ではない︒前述したように︑. 証人と鑑定人との区別の基準については︑裁判所の命令に. よって形成された認識・判断を報告する者が鑑定人であ り︑裁判所の命令と関係なく形成された認識・判断を報告 実際的でもある︒また︑三〇九条については︑鑑定証人が. する者が証人であると解する方が︑基準として明確であり. ものにすぎないと解し︑民訴規則三五条五号については︑. 裁判所が指定した鑑定人ではないことを注意的に規定した. 証人尋問において意見の陳述を求める質問であっても裁判 長が相当でないと認めないときには制限しないこともでき. 35 35 35 35 35.
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