監査報告書の性質について
森 実 Ⅰはじめに。Ⅱウルトラマーレス事件の影響。、Ⅲ監査証明としての−・般的期待。 Ⅳ監査意見の性質。Ⅴ監査証明より監査意見への移行の本質的要因。 Ⅶむすび。 Ⅰ 監査報告書は,監査行為の最終過程に・おいて作成され,監査の結論が記載さ れるものである。すべての監査行為ほ,この点終日標を目指して行なわれ,こ こに集約されなけれほならない0 したがって−,全体としての監査行為が有効な ものとなるかどうかということほ,監査報告書の作成の如何にかかっている。 もしも,監査行為を行なっただけでその日的が達成されるという場合を考え れば,監査報告書を作ること.は必要でなく,単に監査行為を行なうにとどめて おいてよいであろう。たと.え.ば,従業員の行なった会計記録上の虚偽,不正, 誤謬などの摘発の目的で監査を行なう場合に,監査人がそれらの事実を発見す れは,そのとき,その場で,ただちにその問題を処理したほうが適切な処理が できるので,あらためて監査報告書という形に,監査の結論をまとめなくて も,監査の目的が,十分に果されることが多いであろう。 さらに,関係者に.,監査人が監査の結論をしらせなければならないという場 合,たとえば,企業主,経営者,大株主,金融機関などに・,監査の結果を報告 することが要求されている場合でも,その報告は,必ずしも文書紅よって報告 =畜の形に.しないで,口頭の形式で報告を行なうことができ,場合紅よっては, 口頭の形式のはうが,目的に適した報告が行なえるであろう。1) 1)マクツは,報告を広く解して,すべてのコミ・ニケーレヨソを含めて,つぎのように.分 類レている。すなわち,監査報告を,まずフォーマルな報告とインフォノー・マルな報告紅 分ける0つぎに,フか−マルな報告を,短文式監査報告執長文式監査報告苗牢よび特 別報告溜濫分仇 インフォ」−マルな報告を,文書的報告と口頭的報告と紅分けている。 R.K.Mautz,爪州感鋤相加勃50./−A紬封fよ乃g,p.504監査報告省の性負について ー、β9・− しかし,口頭形式の報告を用いることができるのほ,報告をうける関係者の 数が限られている場合であり,また,その報告内容が簡単な場合であり,報告 をうける関係者が増加し,また報告内容が複雑化してくると,口頭形式で,監 査の結論を,まとめて一報普するのが不便になり,文書による報告形式がとられ るように.なる。 報告書濫よって一報告を行なう場合でも,それを必要とする関係者が特定され ているときほ,その特定の関係者紅対する特別の監査報告書を作成することが 可能である。2)ところが,現代の企業のように,その利害関係者が,社会的 に,広範囲に・分散し,そしてまた,流動的に.交替し,変動しているような場 合に・は,報告をうけるものを特定して考えることはできず,いろいろな種類の 人々を含んだものをまとめて,報告の相手と考えなければならない。したがっ て,その報告書は,−・般的目的の下に・,非常に簡潔明瞭にJ標準化された形式の ものとなる。3) これが,公表目的の財務諸表に添付されて公開されるいわゆる短文式監査報 告書である。現代の経済社会においては,企業に.密接な関連をもっている特定 の利害関係者とは異なって,−・般の利害関係者は,この短文式監査報告書を通 じてしか,監査人と接触する機会はなく,したがってまた,監査人から意思あ るいは情報の伝達をうける手段をもたない。そのために,監査報告書ほ,財務 諸表監査制度において,監査人と監査の利益をうけようとしている企業の利害 関係者との唯一・の接点として,社会的紅重要な位置を占めている。 ところで,財務諸表監査の結論として−,監査報告酋に・記載されるのは,財務 諸表の企業の財政状態および経営成績の総合的表示の適正性に.対する監査人の 意見である。このような関係からみれほ,財務諸表監査の最終目標は,財務諸 2)特定の関係者紅対する特別の監査報告書として咋,長文式監査報告沓が,用いられる ことが多かった。しかし,その性格が中途半端であるので,特殊化して,特別報曽苔に 移行していく傾向がみられる。このこと把ンついては,つぎの拙稿で論じた。「長文式監 査報告書濫ついて」,『香川大学経済論叢』,昭和42年10月。 3)米国において,短文式監査報告書が,どのような発展過確を辿り,範囲区分と意見区 分に関する標準的な文言を含むものとなったかについては,つぎの拙稿で,詳細紅論じ た。「米国における監査報告再の発展(1),(2リ,『香川大学経済論叢』,昭和35年7月,昭 和35年1月い
香川大学経済学部 研究年報 7 J96−7 一−・JO・ 表の表示の適正性紅対する意見の表明にあるということができる。 この点を強調して−,監査報告番をカ■ピニオン・ポートとよぶ場合がある。し かし,このように監査報告書を監査意見として意識的に強調しているのほ,会 計士および学者が多いのであって,監査報告書ほ,証明を行なっているもので ほなく,意見表明であるという議論がおこり,専門家の間にそのことが認識さ れるように・なってから,相当の年月を経た紅もかかわらず,監査証明という 一・ 般的用語ほ,依然として排除されるにいたっていない。り そこで,本稿では,監査報告書,したがってその内容である監査意見の形成 の論理の分析を行なうまえの手続として,簡単に,証明と意見の議論に・関連さ せながら,監査報告書の性質の問題を論じることに・する◇ ⅠⅠ 監査報告鳶:の,証明古から意見書への移行は,米国の監査報告酋の歴史の中 に,明確にあらられている。前世紀末ごろに.,英国から会計士監査が伝えられ たことが,米国の監査の起源に.なったという事情から,5)米国の監査報告書の 様式に.ほ,英国の影響が大きく作用してきた。そして,米国の監査が,英国 式の精細監査からぬけだして,米国独自の監査方式として貸借対照表監査をう みだした時代においてさえも,そこで作成された監査報告書ほ,依然として, 英l週の様式を,はとんとそのまま使用するという状態が続いていたのであり, 4)これは,米国の場合でも同様である。たとえば,財務諸表に添付されるものとして, 報告書,証明苔または意見という言尭が,同義語として用いられるといわれる。Ⅰ小 B..
McGladrey,“RepoI−t Writing”,T7ie CPA Handbook,editor R、L。Kane,Jr., Chap小19,p5また,米国の会計学老でも,証明書と意見とを区別せずに用いている
ものも多い。たとえば,リトルトンは,つぎのようにのぺている。「意見自身が,監査 人が証明することのすぺてである。すなわち,証明苗が,表明する選任的意見を認める
のは,意見区分においてである。」このよう紅,理論的には,職業的専門家としての意 見表明であることを承知しながら,表面的には,証明書を−・般的用語として用いてい
る。AC‖ LittIねn a王】d Zimmefman,A“〃〟〝f∠−〝g m♂〃′1γp119′
5),.r T.Anyon,Recolleciions ofihe Earl.y Da.ys of AmeYican Accountancy, 1925..英国から米国への会計士監査の伝来についてほ,つぎの拙稿においてもふれた。
「米国における生成期の監査報告紳こ、ついて」『香川大学経済論温』,昭和34年7月,63∼ 64ぺ」一汐
監査報告書の性質について −4J・− 米国式の監査報告書を,独自に考案するようになったのほ,証券投資家保護を 目的とした諸立法償よって,資本を証券市場を通じて調達する企業の財務諸表 に対して会計士の監査が,要求されるように.な った1930年代に入ってからであ った。6) たとえば,米国会討士協会(AIA,のちのAICPA)は,1929年に.,「財務諸表 の検証(Verification of FinancialStatements)」を発表したが,ここに.おいて は従来と異なって,損益計算を重視し,内部統制組誠に依存して試査によって 監査を行なう方針がうちだされた。このような近代的な監査思考の傾向をもつ ものであったにもかかわらず,そのなかに示された監査報告書の様式は,英国 式の様式の影響を強くのこしたままの,証明という言葉を含むもので,つぎの ようになっていた。7) 「われわれほ,1929年1月1Etより12月81日までの某会社.の財務諸表を監査 した。われわれは.,当該守備対照表および損益計算書が,われわれの意見紅お いては,1929年12月31日現在の会社の財政状態および当該会計年度の営業成績 を表示していることを証明する。」 このような証明書形式のものから意見書としての特徴を強調するように.なっ た直接の契機は,1981年に判決が下されたウルトラマー・レス事件であった。こ の事件の概要は,つぎのようなものであった。8) この事件で被告となった会計士事務所ほ,1924年のはじめに.,ゴムの輸入お よび販売会社のフレッド・スタ・−・ン会社の1923年12月31日付けの貸借対照表の 監査証明を行なった。その場合に,会計士ほ,監査証明書を添付した貸借対席 表を,32部依頼者に・渡したが,依娩者が,それを銀行および債権者把捉示する であろうということはしっていた。この会計士に対して損害賠償請求の訴訟を おこしたものは,問題の監査証明書の添付された貸借対照表を信頼して−,監査
6)G.Cochrane,“TheAuditor’sReport:ItsEvolutionin the U.S・Al・”,Selected Readingsin Accounting and Auditing,editor M..E.Murphy,pp.73∼4.
7)∫∂柑.,ppい72∼3.
8)この事件についての詳細は,ソール・レビL−の苔でしることができる。SaulLevy, A“∂〟〃′〃〝J,ざエβgαJ点♂.相即磁鉦沼.γ.また,この概要は,つぎの拙稿でふれた。「米国 における監査報告書の発展(1り,『香川大学経済論温』,昭和35年1月,14∼19ぺ・−ジ。
香川大学経済学部 研究年報 7 J967 ー・−イヱ・− の依頼人たる会社に多額の貸付けを行なったために.,損害を蒙ったと主張し た。しかし,会計士ほ.,問題の貸借対照表が,その特定債権者に提示されると いうことまではしらなかった。ところが,問題の貸借対照表には,107万ドル の純益が討上されていたが,実際に.ほ,その会社ほ,支払不能の状態におちい っており,約20万ドルの欠損が生じて−いた。そしで,この粉飾ほ,架空の売掛 金に.よる資産の過大表示と買掛金の不計上による負債の過小表示の方法によっ て行なわれていたのであるが,会釘士ほ,これらの虚偽の表示を摘発すること ができなかった。 この事件の判決において,裁判所は,提出された証拠から判断して−,監査人 紅過失があったことが立証されるが,第三者濫・対する責任を生じさせるはどの 重大なものでほなかったという結論を示したが,このさいに,裁判所も,監査 報告書が,単なる事実の証明書ではなくて,事実と意見の両方を含むものであ ることを認め,意見の表明ほ,十分な証拠に.よってささえられた誠実な確イ言に・ よるものでなければならないことを明らかにした。 この判決は,会計士に・,監査報告書の作成にさいしては,それに関する責任 に.対しで十分な配慮が必要であるということを反省させることに・なった。すな わち,当時のジャ−サル・オブ・アカウンタン1/−・ほ,これについてつぎのよ うに.のぺていた。9) 「’すべての会計士の報告酋は,依頼者にのみ提出される。・会計士は,事 実をとりあつかう部分(すなわち監査の範囲)と意見をとりあつかう部分と 紅,報告書を分割するであろう。会計士は,おそらく証明書を放棄して,単に
報告書を作成するであろう。長い間使用してきた『証明する』という言葉
ほ,まったく不適当であり,放棄されるであろう。意見を証明するという ことほ,まったく馬鹿げている。.」 このような事件の影響をうけて,あらわれた報告こ畜ほ,つぎのようなもので あった。10) 「われわれほ,1931年12月81日終了の会計年度の某会社の財務諸表を監査し 9)G.Cochrane,Ob‖ Citい,p一741 10)Jみgdい,p。.74.監査報告書の性質について 一都トー た。われわれの意見紅おいてほ,当該貸借対照表および損益計算書は,1981年 12月31日現在の会社の財政状態および同1ヨ終了の会計年度の営業成績を表示し ている。.」 この監査報告書の文言ほ,監査人紅対して過大な責任を課せられることのな いように・,証明書としての性格をとりのぞいて,意見書としての性格を強くお しだしたものであるが,責任に対する配慮から,非常に.簡単なものになってい ることに.注意しなければならない。 このように,監査報告番が,証明書よりも意見表明に・移行したことは,具体 的に.ほウルトラマー・レス事件の影轡としての監査人の貴任虹対する配慮を,そ の睡接的な契機としているが,もちろん,それと同時に.,監査の性質および限 界を,−−・般の人々に認識させようとする意図をもつものであることほいうまで もない。 ⅠⅠⅠ 今日,専門家の間では,監査報告苔の内容が,監査人の企業の財務諸表の適 正表示紅対する専門的意見の表明であることについて,格別の異論はない。し かし,社会の−・般の人々は,依然として,あるいほ,むしろ監査証明という言 葉の使用を好むようである。いいかえれば,それらの人々の間では.,監査証明 といったはうが理解しやすいものとして,うけいれられているようである。こ のこ.とは,現在に.おいて−も,公的にほ,監査証明という言葉のはうが用いられ ていることに.,あらわれている。たとえば,米国の1933年有価証券法,1934年 証券取引所法においては,証明という言葉が用いられている。 すなわち,1933年有価証券法の,登録届出書の記載事項に・関する第7条で は,「すべての会討士,技士,鑑定人その他職務上自己の陳述紅権威を与える ことのできるものが登録届出書の一・部の作成者もしくは証明書としてその氏名 を掲載される場合」lりというように・,監査報告書も,・証明書のなかに.含めてい る。同じことは,登録届出書の記載事項を詳細に示したスケ汐エ.−ルAの25お 11)大蔵省理財局証券第一・課訳,「外国証券関係法令集」,17ぺt一汐。
香川大学経済学部 研究年報 L7 J967 ーJJ−− よび26の,つぎのような規定に・もあらわれている。 「25 発行者のすべての資産,その判明している限りの性質および原価を委 員会の規定する細目および様式に従って表示する登録届出書の提出の時に先立
つ90日以内の日現在の貸借対照表“これらの記載が,独立の公共会計士
またほ公認会計士の証明したものでない場合は,このスケジュ−ルに・より提出 しなければならない貸借対照表のはか,独立の公共会計士または公認会計士の 証明を受けた,登録届出書提出に.先立つ1年以内の日現在の同様に.詳細な発行 者の資産および負債についての貸借対照表を提出しなけれはならない。」12) 「26 最近の会討年度およびこれに先立つ2会計年度の,各年度に・ついての 発行者の損益計算こ昏であって,委員会の規定する細目および様式に.従って収益 および収入,その性質および源泉,経費および固定費を明示するものまたほ当 該発行者が事業に.従事して3年を超えない場合にほ,当該発行者が事業に従事 した期間の各年度に.関するものならびに.登録届出書の提出の日が最近の会計年 度の決算日から6箇月以上を経過して−いる場合にほ当該決贋日から最近の作成可能な日までの間の討算書 当該計算書は,独立の公共会計士または公
認会計士の証明を 受けなければならない。」1$) また,1934年証券取引所法の第13条は,つぎのように規定している。 「舞1∂条 国法証券取引所紅登録されている証券のすぺて−の発行者は,投資 者の正当な保護および証券の公正な取引の保障のため委員会が必要またほ適当 と認めて定める規則に.従って,次の各号に・掲げる情報,文書および報告を取引 所に.提出しなければならない(委員会紅対してはそれが要求するそれらの複本 を提出しなければならない。) 1 欝12条の規定にもとづいて提出された情報および文書をできる限り現在の 事実と合致させるため委員会が要求する情報および文書 2 委員会が定める年次報告(委員会の規則に・より要求されたときは独立の公 共会計士の証明に.よるもの)および4半期ごとの報告」14) 12)前掲杏,25ぺ−ジ。 13)前掲脊,25∼6ぺ−・汐。 14)前掲苔,45∼6ぺ・一汐。監査報告讃の性質に.ついて ー 45− わが国の場合でも,米国と同じように,公式にほ,証明という苫兼が用いら れている。米国で成熟した監査の理論および経験をうけついだというものの, 監査証明という言葉を依然として用いている。すなわち,わが国の証券取引法 の第198条の2は,つぎのように・規定してこいる。 「証券取引所に.上場している株式の発行会社その他の者で政令で定めるもの が,この法律の規定紅より提出する貸借対照表,損益計算書その他の財務引算 に関する苔類には,その者と特別の利害関係のない公認会計士又ほ監査法人の 監査証明を受けなければならない 。一」 この規定をうけて定められた「財務諸表の監査証明に.関する省令」も,同じ ように.監査証明という言葉を使いながらも,その監査証明の具体的手続に・おい てほ,専門家の主張をうけいれた形になっている。すなわち,同省令の欝8条 ほ,監査証明の手続として,つぎのようにのべている。 「層3条 監査証明ほ,監査を実施した公認会計士又は監査法人が作成する 監査報告書碇より行なうものとする。 2 前項の監査報告酋は,−L般に公正妥当と認められる慣行紅従って実施さ れた監査の結果に.基いて作成されなければならない。.」 つづく第4条は,監査報告書の記載事項として,実施した監査の概要と監査 の対象となった財務諸表が,当該■財務諸表に.係る事業年度の財政状態および経 営成績を適正に表示して−いるかどうかに・ついての意見とをあげている。 この規定の仕方によれば,まず,省令は,財務諸表は監査証明をうけなけれ ばならないとしているが,ついで,監査証明ほ監査報告=蓄によって行なわれる こととし,さらに,この監査報告二番には.財務諸表の表示の適正性に対する意見 が記載されるとしているので,監査証明は,結果としてほ.,監査意見の表明と 同じものとして位置づけられていることに.なる。いいかえれほ,社会的に・,あ るいは形式的には,監査報告書ほ,監査証明であるが,内容的に,あるいほ実 質的にほ,監査意見であるとされている。このような形式と内容との食い違い をあえてして,監査証明という用語に,いわば執着しているのに・ほ,な紅か理 由があるのであろうか。 このような監査証明と監査意見の用語の相違の背後にほ,監査報告書を作成 するものとそれをうけとるものとの立場の違いがあるものと思われる。
ヱ967 香川大学経済学部 研究年報 7 − 46 一 サーなわち,監査報告書を作成している会計士の側としては,監査報告書に・関 連して生じるおそれがある責任を,監査報告省に.おいて,できる限り明確に限定 しておきたいという希望を強く感じる。これは,まえの箇所ですでに説明した ように・,ウルトラマーレ.ス事件を契機として−,このような配慮が高まってきた という歴史的事実によって示されて「いるところである。そのため紅,会計士 ほ,監査報告書において,できるだけ監査の性質および限界を示すような言葉 を使うことによって,無用な誤解を招いて過大な責任を追求されるおそれがな いように・注意する。このような考え方から,証明という言葉を排して−,意見表 明として−の性質を強調しようというのは,いたって自然のことと考えられる。15) これに対して,監査報告書をうけとる側からほ,どのように考えられるであ ろうか。まず,専門的知識をもたない−L般の人々は,言葉として理解しやすい はうを選ぶであろう。専門家の間では,意見という専門的言葉を使っても,別 紅奇異な感じをうけないであろうが,このような用語に.なれない−・般の人々に とってほ,かえって意見の−・般的な意味とまじって,その意味がはっきり理解 しに.くいかもしれない。この点では,監査証明といったはうが,監査の社会的 な位置づけとか,役割が,−・般の人々に理解されやすいかもしれない。 また,監査報告書をうけとる例の期待が,その証明という言葉のうちに,こ められているとも思われる。−・般の人々の監査に対する期待は,財務諸表の表 示の適正性に対する,できる限り確実な保証である。財務諸表監査に・おいてお こなわれる保証が,理論的に.ほ,専門的意見として,ある程度まで相対的性質を もつことをまぬがれないにしても,監査報告書をうけとる側としては,このよ うな相対的な面が強調されるのをのぞむのでほなく,むしろ,逆に・,専門家の 意見として高度の質のものであること,したがって相対性の巾ができるだけ狭 い,いわば常識的な意味で証明に.近い性質のものを期待するに違いない。もち ろん,その場合でも,現代の監査理論を否定して,財務諸表に∴ついて事実その ものの証明を要求しようとして−いるのではなく,現代の監査理論の枠内におい 15)監査報告書を,オピニオン・レポ−トとして特徴づけようとしている場合は,監査 人の茸任表示に重点をおいている場合が多く,インフォ・メ、−ション・レポートたること を強調する場合ほ,利害関係者檻対する情報提供紅重点をおいている場合が多いという ことについて,別の機会紅論じた。拙著,『近代監査の理論と制度』,185ぺ一−ジ。
監査報告書の性質について ーー47 − て,財務諸表の表示の適正に∵ついてのできるだけ確実な結論を期待するという 意味の証明をのぞんでいるものと考えなければならない。 したがって,会計士の側に・おいても,うけとる側からの監査報告書に.対する このような期待に対して−ほ,同情的であって,常に反省を忘れて−ほならない。 そうでなぐて,ただ単に,責任の面ばかり強調するために,意見の相対性を主 張するという態度は,監査の社会的信頼性を,かえって守宮めることになるおそ れがある0 このようなことを自覚し,−・般の人々の期待を監査人の安住として 考えた後において,理論的な意味で意見表明であることを主張しなければなら ない。 ⅠⅤ これまでは・,主として,言葉の上で,監査報告書紅ついて意見と証明の問題 を論じてきた。つぎ紅,より理論的に,監査人の結論が意見といわれる意味を たずねなければならない。 わが国の昭和25年7月発表の旧監査基準においては,その−・般基準の5に., つぎのような文章が入れられていた。 「監査人の行なう監査証明は,客観的事実の証明ではなくして,財務諸表の 適否に・関する意見の表明である。」 これは,財務諸表監査の性質に・ついて一腰の人々を啓蒙する意図をもつもの であったが,昭和31年12月発表の前監査基準に‥おいてほ.,それまでに/啓蒙の目 的が達せられたとして,−・般基準よりとりのぞかれた。 このように,監査理論では,監査の結論が意見であるということが,一般的 に認識されて,何の疑問ももたれていないようであるが,果して,そういいき れるであろうか。そこで,意見であるといわれる意味そのものを,確かめなけ ればならない。その場合紅,手はじめとして,意見の−・般的意味から考えてみ よう0 これ紅関して,′グリネエL−カーおよびバ−は,辞典的な意味として,つ ぎのように.のぺている。 すなわち,意見は,単純な印象よりも強いが,確実な認識よりも弱い信念ま たは判断であり,専門的意見とは,専門家が豊富な知識に.基づいた判断または
香川大学経済学部 研究年報 7 J967 ー〃β− 意見の表明を立証するの紅十分な証拠を検査したことを意味するものであると している。16) このような理解を依りどころ紅して考えてみると,意見は,単なる印象卓り も信頼できるものであるが,しかし,絶対確実な認識に・ほおよばないという限 界をもつものである。しかし,専門的意見は,その根拠を十分紅することに卓 って,相当の程度に,絶対確実な認識に近づけることができるが,あくまでも その限界を破ることはできない。そこで,意見は,つぎのような性質をもつと 考えられる。すなわち,意見の内容は,それを表明する人の判断に依存する主 観的なものであり,したがって−ある問題に・対する意見は人によって異なり,必 ずしも−・致しない。そこで意見紅おいて表明された内容の真実性ほ相対的であ り,絶対的確実性ほ.保証されない。 意見のこのような性質は.,意見に′とってその限界を示すものであるが,この 限界ほ.固定的ではなく,非常に.弾力的である。というのほ,意見を表明するも のが,意見の目的となる事項についての専門的知識および能力をもち,そのレ ベルが高まれば高まるはど,また,その意見の形成に.さいして,高度の判断を 行使し,十分な注意を払えば払うはど,その意見の真実性ほ.高まるが,その道 に.,専門的知識のないものが,あるいはいいかげんな判断を行ない,不十分な 注意しか払わないで,意見を表明すれば,その意見の真実性は,ほとんど考え られないものに.なってしまう。このように,意見の真実性は,必ずしも結論の 絶対的−・致を意味するものでほなく,−・定範囲内での相違が認められ,そし て,その範囲内での結論ほ,等しく真実であることを主張することができると いう,相対性を有するものである。 これまでほ,意見を,一般的意味払おいてとりあげた場合であるが,つぎ 紅,財務諸表監査の最終目標である財務諸表の表示の適正性紅対する監査人の 専門的な結論を,なぜ,意見とよばなければならないかという理由紅ついて考 えてみよう。 まず算1紅,よくあげられるのは,財務諸表は,客観的事実の表示でほ.な く,事実と慣習と判断の総合的産物であるので,判断を含むものに・対してほ証 16)R..L.Grhakerand B.・B.Barr,Auditing,pl・33
監査報告書の性質について −− よ9− 明を行なうこ・とはできないということである。昭和25年発表の旧監査基準の序 論では,財務諸表の性質に∴ついて,つぎのよう紅説明していた。 「抑々財務諸表は,外部の利害関係人紅対して,企業の財政状態及び経営成 績に・関する報告を提供するための重要な手段である。従って企業は,信頼しう る会計記録を基礎とし,利害関係人に必要な会計事実を明瞭に表示して,企業 の状況紅関する判断を誤らせないようにしなければならない。然しながら今日 の企業の財務諸表は,単に・取引の帳簿記録を基礎とするばかりでなく,実務上 慣習として発達した会計手続を選択適用し,経営者の個人的判断に基いてこれ を作成するものであって,いわば記録と慣習と判断の総合的表現に.ほかならな い。財務諸表が単なる事実の客観的表示ではなぐて,むしろ多分に主観的判断 と慣習的方法の所産であることは,近代会計学の著しい特徴である。一」 近代会計学のこのような認識の上に・たては,財務諸表監査においても,財務 諸表の作成において一合まれる判断の妥当性の監査に重点をおかなければならな い。このことは,監査人の財務諸表の表示の適正性に・対する結論を,意見とし で性格づける1っの要因となっている。黒沢楕博士ほ,このことに.関連して, つぎのよう紅のべられている。 「今日の監査は.かならずしも,会計上の不正事実の有無を検査することを主 眼とするものではなくて,会社経営者の会計に.関する判断の当否を批判するこ とに・重点がおかれている。周知のように,会社の財務諸表ほ,外部の利害関係 人に対して,会社の財政状態および経営成績に.関する情報を提供するための手 段であるが,財務諸表を構成する諸要素ほ次の三つから成り立っている。 1会計帳簿匿おける取引の記録すなわち「会計事実」 2 会計記録の手続上基礎となる−・般に認められた「会計慣行」特にイ会計に 関する諸原則」 3 手続や処理の原則の選択適用を決定する「経営者の個人的判断」 財務諸表が正しいため紅は,まず会計記録が正しくなければならない。しか し財務諸表は決して客観的な会計事実をそのまま情報として提供したものでは なぐて,会計事実を記録するにあたって,すでにイ可らかの手続を選択して会計 的に・処理するのであるから,そこに.主観的判断が加えられているばかりでな く,会計記録から財務諸表を作成するに・あたり,ふたたび主観的評価と判断が
ユタ67 香川大学経済学部 研究年報 7 − 5〃− 加えられる。こうして−財務諸表ほ,会計事実と,会計慣行と,経営者の主観的 判断との混合物である。したがって−経営者の判断が盗意的に・流れる場合にほ, 会社の財政状態および経営成績の表示がゆがめられ,財務諸表はややもすれば 公正妥当を欠くものとなるおそれを生じ,財務諸表に対する社会的信頼が失わ れてしまうのである。それゆえ外部の職業的監査人に.よる監査の重点は,経営 者の会計に関する判断の妥当性紅対する批判に.重点がおかれなければならな い。,」17) このような監査の性質は,いわば常識となるはど,−・般紅認識されている。 すなわち,財務諸表の表示の適正性に.対して−は,社会的な判定基準として,−・ 般に認められた企業会計に関する公正妥当な基準あるいは原則といわれるもの があるにしても,これは,会計処理の原則および手続の選択適用について経営 者の判断を排除してしまうはど,画一・的かつ絶対的なものではないので,経営 者の判断に.基づく会計処理の原則および手続の如何によって−,財務諸表に・ほ異 なる結果が表示されること把.なる。したがって,経営者の主観的評価および判 断の妥当性を批判する場合紅は,監査人は,妥当性の判定基準に・は,巾がある ことを認識して,それを適用する。その結果として,監査人の結論ほ,その財 務諸表が,そと.に設定された妥当性の基準の枠内にあるかどうかをいいうるに・ すぎないのであって,唯一・絶対のものであるかどうかまで判定して∵いるもので はない。 このように・,財務諸表が,経営者の主観的判断を含むことをまぬがれないた めに.,その適正性自体が相対的であり,したがって,それ紅対する監査人の判 定も相対的であり,意見とよばれるように・なる。 つぎに,第2の理由としてあげられるのは,財務諸表の適正性の判定に・ほ, 監査人自身の判断を要求される部分が非常に・大きいということである。たとえ ば,多くの監査人が,同一・の財務諸表を監査したとしても,結論をだすまでに. 判断が要求される多くの過程があるので,その判断の相違によって,結論がす べてまったく同一に.なるとほ限らない。もちろん,その結論ほ,職業的専門家 の行なうものである以上,それはど大きな相違がでてくることは,好ましくな 17)黒沢滑,『監査基準解説』,19∼20ぺ一汐。
監査報告書の性質について −5ヱ/− いことはいうまでもない。できるだけ,このような相違の巾が小さくなるよう に,監査人の側で努力しなけれはならない。 さらに,財務諸表の適正性紅対する判定が,個別的に/でほなく,総合的に.行 なわれなけれほならないということも関連している。すなわち,財務諸表監査 であっても,個別的な段階では,たとえば,帳簿記録の計算的正確性とか,あ る種の資産の実在性などのように,確実な結論をだせる場合もあるが,全体と しての財務諸表が,企業の財政状態および経営成績を適正に表示しているかど うかというような総合的結論は,確実な結論をだせないような多くの問題を含 んでいるので,相対的な結論になる。 また,現代の財務諸表監査は,内部統制組織に.依存して試査に.よって行なわ れるので,その結論は,その試査からもれた部分をも含めて行なわれることに なる。18)しかし,試査からもれた部分について−ほ,監査人が確かめておらず, 監査人の推論によっているのであるから,・その部分にンついては,確実性が保証 されない。19)このように.して形成された総合的結論は,相対的であるといわざ るをえない。 欝3に,財務諸表監査の実施のために.,必要な監査範囲,監査方法の選択お よび適用などの決定に,監査人の判断を要することがあげられる。もちろん, この場合でも,監査人の判断を指導する社会的基準として,一・般紅認められた 監査基準があるので,これに・監査人は従わなければならないが,それが細かく 規制して,監査人の判断の余地がなくなるというまでに.はいたっていない。た とえば,重要性の原則,相対的危険性の原則,内部統制組織の信頼性,経済性 の原則といわれるものがあるが,これは監査人の判断を少なくするというより は,判断の方向づけを行なうものであって,監査人は,その時の事情に応じ 18)試査そのものについても,いろいろな考え方ができる。たとえば,項目の試査,会 計記録のような内部証拠の試査,実査,立会、確認などの外部証拠の試査に分けること 一 ができるし,さらに,監査の発展の段階紅応じて,異なるあらわれかたをする。このこ とについてほ,つぎのものを参照されたい。拙稿「試査の思考の発展とその史的背景」 『近代監査の理論と制度』,第4章。 19)試査と意見形成との関係については,つぎのもの紅おいてふれた。拙稿「財務諸表 監査紅おける内部統制組織の本質」『近代監査の理論と制度』,第3章,拙稿,「近代監査 における内部統制組織の評定の意味」,『産業経理』,昭和42年9月。
香川大学経済学部 研究年報 7 ユタ67 − 5ヱ ー▲▼− て,多くの判断を行使しなければならない。 このように.,監査の実施に・ついては,監査人ほ.多くの判断に基づいて行なわ なければならないので,たとえ.,同一・財務諸表に対して,多くの監査人が監査を 行なう場合でも,すべて−の監査人が;まったく同一・の監査範囲,方法およびそ の程度によって,等しい監査証拠を収集することは,期待できない。監査人の 能力および経験の相違によって,その実施する監査も異なるであろう。したが って,このような相対的な監査の実施に・基づく,監査の結論も相対的である。 第4の理由としてほ,財務諸表監査に・おいて会計士に・職業専門家として要求 される能力に.は,その他の面紅おいては限界があるということがあげられる。 これに関して,AICPAのスデー・トメソト第80号第4項は,つぎのようにのぺ て.−いる。 「独立監査人に.要求される職業的資格ほ.,独立監査人として業務を行なうぺ く教育され,かつ資格づけられた人紅ついてのものであって,他の専門またほ 職業のために教育され,または・それを担当する人の職業的資格を意味しない。 たとえ.ば,実地棚卸に.立会う場合紅,独立の監査人ほ,鑑定人,評価人または 材料の専門家として活動することを目的としていない。」20) したがって,監査人の判断が,どのような面からみても,絶対に・誤りがない
というものでほない。これは.,コジフイケ、−ションが,
「独立監査人の判断ほ ,絶対に無謬であることは期待されず,理論的に有資格の職業人の知的な判断 であることが要求される」21)に.とどまるといっている通りである。 また,不正の問題についても同様であり,スデートメソト第30号欝8項は, 「不正が独立監査人の監査の対象の年度紅存在していたことが,後で,判明し たとし七も,そのこと自体は,監査人の側の過失を意味しない。監査人ほ.,保 険者でもなく保証人でもない」22)としている。20)AICPA,RLIS♪07tSLbi[it汀S GILd FLIllCfio,tS Of(hcI71dc♪(1Jdc(Lf AtLdito,iIJfhc 励伽融加納川′釣仰相加づ地画伯か これ紅ついては,つぎの拙稿で,解説を行な
った。拙稿,「財務諸表監査における独立監査人の責任と職能」,『■香川大学経済論叢』, 昭和38年6月,110∼1ぺ−ジ。
21)AIA,Cb離ノ岩上〃Jg〃〝〃ノ■ぶね妨卵捌㍑症ざ∂ガ・A髄成徳ガg乃・’∂Cβd〟γβり 拙稿,「財務諸奉監 査紅おける独立監査人の資任と職能」,『香川大学経済論』,昭和38年6月,110ぺ一汐。
監査報告書の性質について ーー 53 −・ とのよう紅,財務諸表監査に・は限界があるので,証明という言葉を用いれば, 財務諸表に関するあらゆる側面が,すべて証明されるものと誤解されるおそれ がある。このために,財務諸表監査の専門家としての立場からの結論であるこ とを示すために・,意見という言葉が用いられる。 監査意見の性質紅ついて,これまでとりあげて−きたことは,いずれも財務諸 表監査の結論が相対的であることをまぬがれないという,財務諸表監査紅固有 の限界からきているものである。しかし,この限界ほ,会計および監査の理論 および実務の発展,さらに・会計士の例の努力によって,ある程度まで克服さ れ,あるいはその相対性の巾を狭めることができることを見失ってはならな い0 このような自覚こそが,財務諸表監査における専門的意見に対する社会的 信頼性を高めることになるのである。 Ⅴ つぎに,監査報告書が,なぜ監査証明とよばれるものから,これ塵でのぺた ような性質の意見表明の手段として主張されるようになったかということを, 監査制度そのものの展開と関連づけて考えてみたい。 監査制度の展開に∵ついてはいろいろなとらえかたができるであろうが,1っ の観点から,会計監査の制度をふりかえってみると,そこに.,行為の裏付けと しての会計監査から情報表示としての会計監査へと展開してきたとみることが できることは,別の機会に・も説明したが,このような監査制度の展開に,監査 報告書の証明から意見への推移が鼎応すると考える。23) ここで,行為の裳付けとしての会計監査というのほ,会計記録は.,経営者ま たほ従業員の行なった行為の裏付けとなるものであるという側面を強調し,経 営者または従業員の行為の誠実性を確かめることを目的として会計記録を監査 22)前掲稿,111∼114ぺ・−汐。 器)このような監査制度の展開のとらえ方は,たしか紅,その1面の強調であることを まぬがれないが,その本質に対するアブロ」−チとして,有用であると考える。これを試 論的に展開したのが,つぎの拙稿である。「行為の裏付としての会計監査から情報表示 としての会計監査へ」,『近代監査の理論と制度』,第7章。
J967 香川大学経済学部 研究年報 7 ー 54 − するという考え方である。このような監査制度の原型ほ,歴史的には,英国の 会社法に基づく精細な帳簿監査に.,みいだすことができる。そこで行なわれて いたように,証憑書類から試算表にいたる帳簿記録の精細な照合が重視されて いたというこ.とは,経営者または従業員の個々の行為の誠実性が問題に・されて いたということを意味する。帳簿記録の精細な照合紅よって,帳簿上の数字の −・敦がすべて確かめられた結果として,最後に.帳鰭の勘定残高と貸借対照表と の−・致としてあらわれる。したがって,「本貸借対照表に・おける金額を帳簿と 比較し,その−・致せることを認む」という監査報告書の表現をうむことに・なっ たのである。 このような監査制度においては,監査が実施される個々の段階で,そのとき 紅,その場で,その監査の目的が達せられることが多いと思われる。すなわ ち,不正とか,虚偽とか,誤謬とかを発見したときは,その場で,その事実を 指摘し,報告し,あるいほ訂正させれば,事足りる場合が多い。したがって, このように監査の多くの問題が,その場で処理されて−しまうとすれば,最終的 な段階での監査報告書に・ほ,形式的な意味しか残らない。すなわち,それほ., 監査が,確かに.行なわれたことを確認し,しらせるだけの手蔵でしかなくな る。このような事情の下に.おいて,前世末の英国でほ,極端に簡潔化された証 明書タイプの監査報告書が,一般化したものと思われる。24) この場合,監査報告書ほ,経営者またほ従業員の誠実性を裏付ける会計記録 飢)英国の監査報告書が,前世紀末において,極端庭.簡潔化される方向に進んでいた理 由としては,通常,つぎの2っのことがあげられでいる。舞1ほ,当時の監査手続が, 単純かつ形式的なものであったということである。A・Ch Littleton,Accounting 助oJαf∼0〝ねJ9♂0,p‖290,p.314一.拙稿,「英国における監査役の独立性と限定監査 報告書」,『唇川大学経済論認』,昭和32年12月。第2は,監査報告書ほ,本来は株主総 会で読みあげられるだけでよかったのか,監査報告番を貸借対照表の下部に印刷して公 表するという慣行が広まってきたことである。Bい Magee,Dicksee乍Andiiing,pP・r 294∼5りこのような簡潔化のため紅,1900年には,会社法は,いわば,監査報告雷の範 囲区分と意見区分とを別の文書に分割し,貸借対照表の下部には,ただ単紅,監査を行 なったということだけを記載した証明書を印刷し,意見区分に類するものは別の報告書 とするという奇抄な方式を示したが,これは,法文上の1時期に存在した紅すぎなかっ た。これは,つぎの拙稿でとりあげたところである。「英国の監査報告書の構造と論 理」,『香川大学経済論叢』,昭和41年6月。
監査報告書の性質紅ついて ー 55 − はすべて監査され,したがって,会討帳簿上の数字の−\致がすべて確かめら れ,会計帳簿と貸借対照表との一・致を証明するものとなる。25) これに対して,情報表示としての会計監査というのは,会計記録は,企業の 事実的状況としての財政状態および経営成績をうつしとる手段であるとする観 点を強調し,この情報表示としての最終生産物である財務諸表が,いか紅適正 に・事実的状況をうつしとっているかということを調べるために,財務諸表作成 の資料となった会計記録の監査を行なうのである。このような監査制度の原 型は,貸借対照表監査以来の米国の監査紅みいだすことができ,現在に・おいて も,そ・の傾向が強まっていると考えられる。 このよう紅情報表示としての会計監査は,財務諸表の情報表示の適正性の監 査を目的とするので,精細監査紅おけるように,すべての会計記録を無差別的 虹橋細に照合するという方法をとらないで,情報表示という観点から重点的に 監査する方法をとり,したがって,単に・会討記録の照合ばかりでなく,実査, 立会,照合,確認,質問などの外部証拠を利用したり,内部統制組織紅依存し て試査で監査を行なったり,さらに僧報表示に重大な影響を与える会計処理に 関する経営者の判断の妥当性に重点をおいて監査しなけれほならない。 このような監査紅おいてほ,監査人の結論ほ,監査が行なわれる個々の段階 で処理されるものではなくて−,最終的な段階で,財務諸表が,全体として,企 業の財政状態および経営成績を,いかに.適正に表示しているかどうかの結論を まとめなければならない。また,そこで作成される監査報告書は,財務諸表と 一・体として利用されることにより,有効に機能することが期待されるものであ 25)このように,英国の監査報告苔を,証明書として特質づけることに対しては,英国 の監査報告書でほ,むかしから,「われわれの意見紅おいては」という文言を含んでい るから,意見表明昏として−の性質を,従来からもっているという反論があるかもしれな い。しかし,これについてほ,つぎのように説明することができる。英国の監査報告番 の,「われわれの意見紅おいては,…を証明する」という文茸では,証明というとこ ろ紅露点があるのであって,そこにおける意見は,独立的な立場を表現すること紅重点 があるものである。リレレトンは,つぎのように.のべている。「精神的独立性もまた, 同様に重要な職業的特質である。会計士ほ,他の人々の意思の支配を避けなければなら ない。なぜかといえば,会計士の意思が他の人に依存するならば,『■われわれの意見にお いては』という言葉や,報告書の同じような表現はあやまりとなる。」Aい Cい Littleton, 5≠γ〟C′αγβ〃ノ■A∝Ⅶ闘励−〝g7’カβ〃′\γ,p.111
J967 香川大学経済学部 研究年報 7 ーー56・−・ る。このような意味で,この監査報告書ほ,実質的機能をもつものと考えられ る。 さらに,情報表示の適正性の性質は,芸術上の表現の場合紅,美の基準がま ったく主観的であるよう紅,ある程度相対的であることをまぬがれない。もら ろん,情報表示という場合には,非常紅広範囲のものまで含むことに.なるの で,相対性の巾も相当に広くなるが,財務諸表監査に.おいてほ,社会的に・一般 的に・認められた技術としての会計紅よってえられる情報表示を問題にするので あるから,相対性の巾ほ,かなり狭められている。しかし,財務諸表監査払お いてほ.,その結論の相対性を排除しきれないという限界をもち,したがって, 監査報告書ほ,専門的意見の表明としての性質が強調される。ここ紅,監査報 告寧が,証明より意見表明紅移行しなけれほならなかった要因がある。 企業が大規模化し,企業の性格が,個人的なものから社会的なものへと展開 していくに.つれて,会計監査が,単に・,限られた範囲の関係者のために,経営 者またほ従業員の誠実性を確かめるため紅用いられるよりも,むしろ社会的に 広範囲紅ひろがった企業の利害関係者に・対して,かれらが必要とする企業の現 状を表示する情報が適正であるかどうかを確かめるために用いられるよう紅監 査制度が展開してきて−いる。このような現代の監査制度においてほ,監査報 告書は,監査証明としてよりも,監査意見表明としての性格をもつのである。 ただ,このように,会計監査の原型を,行為の裏付けとしての会計監査と情 報表示としての会計監査と紅分ける場合紅,まったく両者が背反的であって, 1っの監査制度では,どちらか1っのものとしてしかあらわれないと考えるの ほ.,現実的でほないであろう。むしろ,とれは,重点の相違紅すぎないのであ って,この2っの考え方が,両方とも,1っの監査制度のなかに含まれること もあると考え.ないと,このようなとらえ方ほ,きわめて一面的であるという批 判をまぬがれないであろう。 ⅤⅠ これまで明らか紅してきたよう紅,公表目的の,いわゆる短文式監査報告書
監査報告書の性賓紅ついて −57一 ほ,ただ単紅,監査行為の終了を示すだけの意味のものではなくて,監査人と 利害関係者との意志伝達の唯一の接点として,そこに社会的に.大きな意義がつ け加え.られている。この監査報告書紅対して,証明という意見とは.性質の相反 するような言葉が,社会的に.,あまり不思議ともされないままに.用いられてい ることの意味を再検討し,さらに・財務諸表監査に・おいて意見であることが強調 されるように・なった意味を分析してきた。 監査報告書が,証明ではなくて意見表明であるという議論が行なわれたの ほ,米国に・おいて−である。米国では,1930年代ごろまでは,英国式のいわゆる 証明書形式の監査報告書を仁ずっと模倣してきたが,それでほどうも都合の悪 いことを示す事件として,ウルトラマーレス事件がおこった。この事件の影響 で,直接の関係者以外の第三者に.対しても,監査の性質を誤解させないように しなければならないという・,監査人の責任の配慮が強く作用して,証明書であ ることを否定して,意見表明の性格をおしだす議論が行なわれた。 こうして,監査報告書の性質が,意見表明であって証明ではないということ は,専門家の人々の間に.は,一・般的理解となったのであるが,しかし,監査証 明という言葉自体ほ,社会一般紅,いまなお残されたままである。そこに,会 計士の間にも,反省すべき問題があることが示されていることに.注意しなけれ ばならない。これは,監査報告書を作成する側とそ・れをうけとる側との立場の 相違であり,会計士の側では,自己の貴任を,できるだけ限定したいというこ とから,意見表明ということが強調されている。 監査報告書の性格が,意見表明であることにンついては,理論的に・は,別段の 異論は.ないにしても,ただそのことのみを一・般の人々に強調することには,問 題があるのではないかと考え.られる。意見という言葉は,それはど分かり易い ものでほなく,何か結論に対する不確実さを感じさせるので,この面のみを強 隠することは,会計士の専門的な結論に対■して,−−・般の人々の信頼性を低める こと紅ならないとは限らない。 一・般の人々は,不確実性とは逆に.,むしろできる限りの確実性を,会計士の 結論呼対して期待していることは明らかである。もちろん,このような期待が, 財務諸表監査の枠をこえて−,会計士の専門的能力を度外視したものあでっては ならない。しかし,会計士としても,−・般の人々のこのような期待の方向を認
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諭し,この期待にこたえるように虜カしなければならない。このような努力に
おいてこそ,会計士の専門的意見の価値があることを自覚しなければならな
い。したがって,法律上,監査証明という言葉が用いられているのは,このよ
うな一腰の人々の期待を,公的に代表して凌明されたものと理解するのが適当
であろう。さらに,会計士の間では,意見という言葉が定着して,何の不思議もないよ
う紅考え.られて小るが,より厳密に,財務諸表監査に・おける監査人の結論が,
意見とよばれる意味を検討することが必要である。これは,当然に,監査意見
の形成の論理の問題に.関連してくるが,ここでは,この問題を,別の機会にゆ
ずって,簡単紅検討した。第1に.,財務諸表は,事実と慣習と判断の総合的産
物であり,判断の妥当性の尺度に.は巾があるので,財務諸表の適正性自体が相
対的であるため紅,その監査の結論も相対的紅なる。第2に,結論をだす監査
人の判断に.r打力ミあり,また結論が,個別的意見ではなく総合的意見であること
に,それが相対的に.なる原因がある。ここに・は,内部統制組織に・依存し,試査
に基づくので,推論を含むという理由も含まれている。欝3に,財務諸表監査
における監査の範囲,方法,程度の決定は,監査人の判断に依存するので,そ
れに基づく結論も相対的に.なる。欝4に,財務諸表監査においては,その担当
者である会計士の専門的能力の限界として,財務諸表に関するすべての側面を
立証することはできないことを示すために.,意見という言葉が用いられる0
ところで,監査報告書の,証明から意見表明への推移は,監査制度の展開紅応
じたものとして−とらえることができる。すなわち,行為の裏付けとしての会封
監査から,情報表示としての会計監査への移行に対応して,証明から意見表明
へと移ったとすることができる。なぜかといえば,行為の裏付けとしての会計
監査でほ,監査が行なわれたときに,問題が処理されることが多いので,監査
報告書ほ,単に監査が行なわれたことをしらせるという形式的な意味しかな
い。また,この監査では,行為の裏付けとしての個々の記録,計乳集計など
が,帳簿上で一・致すれば,行為が誠実であったことが確かめられたのであっ
て,あえて,会計の結果として−の財務諸表が,企業のある状況の表示として,
どうであるかということはあまり問題にならないので,会計処理の判断の妥当
性の監査は.,あまり重視されなかったと思われる。したがって,このような監
監査報告書の性質紅ついて ーー59−− 査でほ会計記録の表面的な正確性を証明することで足りる。 ところが,情報表示としての会計監査に.なれば,財務諸表が,企業の事実的 状況を,いかに.適正把.表示しているかどうかの監査に重点がおかれるので,会 計記録の背後紅ある事実的状況をできる限り確かめる必要があるので,外部証 拠も収集することが重視され,さらに企業の財政状態および経営成績という事 実的状況をどのように・表現するかという問題紅関連をもっので,会計処理の判 断の妥当性紅重点をおいて監査が行なわれる。表現の適正性という問題ほ,本 質的紅,主観的であり,したがって相対的であるので,意見という性格が強く なる。このように,監査制度の展開に.対応して,監査報告書の,証明より意見 表明への推移が説明できるという,1っの試論を展開した。 しかしながら,意見が,どのように確実性をおび,社会の人々の信頼を高め るととができるかは,意見の形成が,いかに合理的紀行なわれるかということ 紅かかって−いる。ここ紅,意見形成の論理の重要性があり,この研究が行なわ れなければならないという理由がある。